15 バリアを設けないということが非常に大事な時代になってきたと思います。 吉本

バリアを設けないということが非常に大事な時代になってきたと思います。
吉本興業が近頃、音楽産業、スポーツ事業、あるいはシルバービジネスの分野に積極的
にかかわりを持っているのは、この辺の背景を踏まえてのことです。まず枠を外して物事
を考えなければいけないというのが、これからの時代です。
また、こういうふうに我々の外側の環境、マーケットというものが不透明な時代に入っ
てまいりましたから、そういう時代にありましては、一人の人間の知恵とか、1つの会社
のノウハウ、1つの国のパワーだけですべてを推し量っていくという時代ではないと思い
ます。むしろこういう時代であるからこそ、今まで以上に個性、主体性、独自性、オリジ
ナリティー、固有の強みというものを持ったそれぞれが、お互いに力を合わせて事の解決
に当たっていかなければいけないというのが、これからの時代だと思います。
全てのもの、事、人、知恵、お金の関係が、単体から連携型、ソリタリー型からアソシ
エート型、コラボレート型に変わっていかなければいけないというのが今の時代です。も
はや政治の世界でも連合政権の時代でございます。中央集権的な独裁国家は、国民に拒否
されるというのが今の時代です。
産業界でもそうです。新幹線に対抗するために、昨年7月から、日本航空、全日空、日
本エアシステムのライバル3社が共同で、東京・大阪のシャトル便を運行しているという
のが今の時代です。映画会社のライバル2社、松竹と東映が共同でシネマコンプレックス
事業に乗り出そうかというのが今の時代です。おもちゃ会社の4社が、トイズドリームプ
ロジェクトを作ってソフト企画を共同で開発しようかというのが今の時代です。
スポーツの世界でもそうです。1人の大スター、大監督がいるからといって、優勝でき
るというそんなシンプルな時代ではなくなってきました。僕は京都生まれにもかかわらず
読売ジャイアンツのファンではあるんですけれども、巨人のように、お金の力でピークの
過ぎた4番バッターばかり獲ってきてもなかなか優勝できません。
それよりも、自前の選手の長所を伸ばして、優勝という目的に向かってそれぞれが個性
を発揮していくというヤクルトスワローズとか、もっと言えばシアトルマリナーズのやり
方の方が本来は正しいと思います。あえて地元阪神タイガースに触れなかったのは、僕は
野村前監督が大嫌いでして、同じ京都の生まれですが、僕は京都市というシティの生まれ
ですけれども、あの人は京都の網野町という日本海側の暗い町に育ったんですね。
1年のうち2日ぐらいしか日が当たらないジメーとした町で、人間よりカニが多いとい
う町でございますが、そういう暗い町に育ったおかげで、あの人はああいういじけた性格
になってしまったのです。野村さんはどうでもいいのですが、そういう時代ではある。
吉本興業で言いますと、吉本興業には吉本新喜劇という劇団があります。昔はいくら落
語のスターが前に出ていようが、漫才のスターが前に出ていようが、最後に吉本新喜劇を
見て、お客様にご満足をいただいてお帰りいただいていたのですが、僕が8年ぶりに東京
から大阪に帰りまして劇場を覗きますと、新喜劇が始まるころになりますと、お客様がど
っとお帰りになったのです。
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見ておもしろくないからお帰りになるのはしょうがないのですが、見ないで帰るという
のはどういうことかというので、2カ月ぐらいずっと芝居とお客様を見ておりましたら、
やはり面白くなかったんです。どうしてかと言いますと、もともと吉本新喜劇という劇団
は、松竹新喜劇の藤山寛美さんのような大スターが真ん中に君臨して、脇役がそれを支え
てストーリーを運んでいくということで成り立つような芝居ではないのです。
大したスターはいないんだけれども、一人のギャグに全員が転けて笑いを取っていくと
いう、全員野球みたいな精神がベースの集団だったのですけれども、組織というのは 10
年経ち、20 年経ちしていくと、どうしても階層というのはできていくのです。知らないう
ちに、花紀京さん、岡八郎さんといったベテラン連中が牢名主のような存在になっており
まして、若い作家の台本、若いプロデューサーのアイデアというのをことごとく拒否いた
しまして、勝手に自分たちがやりやすい芝居に変えてしまっていたのです。
自分たちがやりやすい芝居というのはどういう芝居かと言いますと、人間というのは年
を取っていきますと、だんだん動くのがおっくうになってまいります。カルシウムが減っ
ておりますから、転けると骨折する恐れがある。だんだん動かないで、台詞で済ませるよ
うになってきたのです。
これを繰り返しているうちに、芝居そのものが、動きのない、ダイナミズムのない、予
定調和的。決まりきった話に陥っておりまして、どんどんお客様から拒否されていたとい
う現象がありました。
これは、もう一回最初の精神に帰さなければいけない。吉本新喜劇は当社の主力劇場で
す。なんばグランド花月のメーンの商品でございますから、コントが古びていくと、劇場
のイメージそのものがローカル化、ロートル化していくと思ったのです。これは主力商品
を替える意外にないという思いに至りまして、当時 60 人ぐらいいたメンバーを、ある日一
堂に集めまして、「今日で全員首にします」というのをやりました。
「吉本新喜劇辞めようかなキャンペーン」というのをここから始めました。その後、ひ
とりずつ別室でミーティングをいたしまして、
「これからは台本をベースにキャスティン
グをしていきます。したがって、本によれば花紀京さんというベテランといえども通行人
Aという芝居があるかもしれません。岡八郎さんというベテランといえども村人Cという
芝居があるかもしれません。それでも若い子と力を合わせて一緒に頑張っていただけます
か」と言って、嫌だと言った人は外れてもらいました。
外れていただいたと言いましても、吉本興行を辞めていただいたのではなくて、吉本新
喜劇というシステムから外れてもらいました。そうやって外れていただいたのが、花紀京
さん、岡八郎さん、船場太郎さん、原哲男さん、山田スミ子さん。こういった連中が外れ
てくれたおかげで、その下に押さえつけられていたチャーリー浜、池乃めだか、桑原和男、
島木譲二といった連中が、若い子と一緒に力を合わせて頑張ってくれました。
おかげでまた元気になって、ようやく近頃、藤井隆、山田花子という新しいタイプのス
ターが生まれてきました。ベテランが健在だったら、絶対にこういう連中は出てこられま
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せんでした。組織を変えるときは、上から変えなければいけない。しかも、急速に変えな
いと効果がないということは確かに言えるとは思うのですが、僕はこの話を外では盛んに
いたしますが、自分の会社では決して言わないようにしております。ひょっとしたら自分
の身に及んで、
「君が花紀京や」と言われる恐れがありますので、自分の会社では言いませ
んが、確かにそういうことは言えると思います。
漫才、落語というのは個人プレーなんです。絶えず市場性に晒されている。駄目だった
ら人気が落ちていく。ところが、新喜劇というのは1つのシステムでございますから、シ
ステム自体が淀んでいても、中にいる人間は誰も気づかなかったということです。流動性
のないシステムは必ず腐っていく。これはIOCのサマランチ前会長を見ても明白でござ
います。この辺を意図して新喜劇というものを変えたわけです。
経営者もそうです。
誰の言うことにも耳を貸さず、
黙って俺についてきたらいいんだと、
独裁的にリードするという時代ではないと思います。こういう時によく言われますのは、
歌舞伎型の経営からミュージカル型の経営と言われます。歌舞伎というのは、主人公1人
だけが白塗りをしまして、独占的にスポットライトを浴びて、花道を見得を切りながら、
なかなか下がっていかない。これが歌舞伎型です。
そうではなくて、出演者全員がそれぞれ見せ場があるようなミュージカル型の経営の方
が今日的だと言われておりますし、企業の存在そのものをとりましても、ポーンと単体的
に存在している企業よりも、提携、ネットワークして行かれる企業の方がマーケットの障
害も乗り越えられるし、活動範囲の広がりも実現できるのではないかと思います。1つの
システムで拡大していくという自前主義では、なかなか競争に勝てないというのがこれか
らの時代です。
個性と個性の交錯と融合の中で、新しいアイデアが生まれていく。バリュークリエーシ
ョン(一緒に価値を生み出しましょう)というのがこれからの時代です。もっと別の言い
方をしますと、今までは「人に何々する」というビジネスをやっていればよかったのです
が、これからはそうではなくて、
「人と何々する」というフレームに変えていかなければい
けない。いかに外部と繋がるか。コネクティビティー(接続性)みたいなものが非常に大
事になってくるというのがこれからの時代です。
吉本興業が近頃、異業種の立命館大学とインターンシップ事業に取り組んだり、東京電
力さんとブロードバンド対応のソフト企画会社を立ち上げたり、松下電器さんと有明地区
でデジタルスタジオの共同運用化を図ったり、西本願寺さんとお寺の活性化プロジェクト
を起こしたり、節操なくいろいろなことにチャレンジしているのは、この辺の背景を踏ま
えてのことです。枠を外してほかと繋がらなくてはいけないというのが、これからの時代
です。
また、こういうふうに業界とか領域とかカテゴリーとかいうものを乗り越えて、なおか
つ、自らの魅力、強みというものをアピールしていかなければいけないというのがこれか
らの時代ですから、そういう時代にありましては、今まで有効とされていた抑制型の価値
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観に根ざしたファクター(立派である、優れている、ためになる)を前に出して、相手に
アプローチしていくよりも、これからの時代は、開放型の価値観に根ざしたファクター(お
もしろい、分かりやすい、楽しそう、魅力的)
、一言で言いますとレゾナンス(共鳴を呼び
起こす)というファクターを前に出していった方が、相手の心に届きやすくなるというの
がこれからの時代です。
論理的整合性、経験的妥当性、いわば送り手側の都合を優先するよりも、相手にとって
どれだけフレンドリーであるか、アトラクティブであるか、ユニークネスであるかという
ことの方が優先する。判断の基準というものが、こちら側ではなくて、相手側に移ってい
るというのがこれからの時代です。
送り手側としては、他と繋がるためにも、自らの魅力をいかに表現できるかという表現
力みたいなものも求められる時代になってきたということであります。枠を外して他と繋
がらなくてはいけない。繋がるためには、自らの魅力、特性というものをいかにアピール
できるかという表現力みたいなものも、大きなファクターになってくるというのが今の時
代です。
もはや政治の世界でも、こういう表現力を求められるというのが今の時代です。今や政
治の世界では、パワーポリティックスの時代から、ワードポリティックス、テレポリティ
ックスの時代に変わったと言われております。密室で力関係で物事を決めていくのではな
くて、言葉を語ってコンセプトで国民をリードしていかなければいけないというのが今の
時代です。
我が国の小泉首相、小沢代議士やイギリスのブレア首相などは、この辺の才能に長けた
ものがあるのですが、いかんながら我が国の森前首相には、この辺の才能に疑問符が付い
たという説があります。これは聞いた話でございますから、受け流してください。
森さんがアメリカに行ってクリントンさんと初めてお会いになるときに、部下が「ふた
言だけ言葉を覚えていってください」と言ったそうです。
「How are you と Me too」
。
「今
日は、私もです」。この2つをこの人が覚えきれなかったという説があります。
森さんが初めてクリントンさんとお会いになったときに、本来、「How are you」と言わ
なければいけないのに、この人は「Who are you」と言ったそうです。
アメリカの大統領は、
「おまえ誰だ」
と言われたことがないものですから一瞬ムッとした
そうですけれども、さすがアメリカ人ですから非常にユーモア感覚がございまして、「私は
ヒラリーの旦那です」とうまく返してくれたのに、それを聞いた森総理が、後ろだけ覚え
ておりまして、
「Me too」と言ったものだから、会話にならなかったという説があるのです
が、こういう人ではちょっと辛いのではないかというのがこれからの時代です。
大学の先生でもそうです。いくら立派な知識を学生さんたちに伝えていても、その伝え
方が拙ければ、学生たちの支持を得られないというのが今の時代です。国立大学の大阪大
学は、昨年4月から、学生たちが先生の講義内容を5段階で評価するという制度を導入し
ました。もはや教育の場ですらCS(顧客満足度)を導入しようというのが今の時代です。
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少子化の時代を迎えまして、特徴のない大学、魅力のない大学は消えて行かざるを得ない
というのがこれからの時代です。
吉本興業には「桂文珍」という落語家がおります。彼は今年で 15 年目になりますけれど
も、関西大学で講師をさせていただいております。文珍君というのは、関西大学を受けて
落ちた男です。
この人間を 15 年間も講師に雇っているというこの大学はなかなか懐が深い
のですが、今や彼の講義は学生たちの人気講座の1つに数えられております。恐ろしいこ
とに昨年4月からは慶応大学の講師もやっているそうですが、そういう時代なのです。
料理人でもそうです。いくら美味しいものを食べさせるから、立派な料理を作るからと
いって、わざわざお客様がお店を探していらっしゃるという時代ではないと思います。
僕の友人で、大阪に神田川俊郎という若干出しゃばり気味の料理人のおります。顔がち
ょっと林真須美容疑者に似ておりまして、いつの間にかサッチー側からミッチー側に寝返
った卑怯者でございますけれども、大阪の北新地でスッポン料理屋を営んでおりまして、
1人前で5∼6万円取るという非常にバブリーな店なんです。
大阪で捕まった人はほとんど行っておりまして、関空の服部元社長、末野興産の末野さ
ん、あとはちょっとひし形のこの辺に傷のある方がよくいらっしゃる店ですけれども、僕
らが飛び込みで入ろうと思ってもなかなか入れてもらえないぐらいの盛況を博しておりま
すが、この店の唯一の欠点というのが味がまずいことです。それでも流行るんです。
「あの有名な神田川に行った」ということで、お客様は満足をしてお帰りになるという
のが今の時代です。料理の鉄人に出ている人の店で旨かったためしはないのですが、いず
れも盛況を博しているというのは、この辺の背景を踏まえてのことです。
吉本興業のタレントでもそうです。単に芸が上手いから売れる。そんなシンプルな時代
ではなくなってきました。うちの会社に「今いくよ、くるよ」という女性の漫才コンビと、
「若井こずえ・みどり」という女性の漫才コンビが、一時期双璧のごとく存在していまし
た。残念ながら若井こずえ君は一昨年1月、年齢を偽ったまま死んでしまったのですが、
どちらが漫才がうまいかというと、芸そのものは圧倒的にこずえ・みどりの方がうまかっ
たのです。
どちらが先に売れたか。下手な方のいくよ・くるよが先に売れました。どうしてかと言
いますと、いくよ・くるよの「くるよ」ちゃん、スリーサイズが 100・100・100 というこ
とです。本当はそんなオーバーなことはなくて 100・98・100 ぐらいですが、このくるよち
ゃん、ことさらに太っているということを協調するような衣装をスタイリストと一緒に考
えました。毎回違う衣装で舞台に出て行きました。
漫才というのは、テレビですと5分か7分、舞台ですと大体 13 分から 15 分ぐらいのも
のですから、
大半のお客様はその服装を見ただけで笑っていただけまして、
残った時間は、
相棒の首の筋が出ている、化粧が濃いと言ったら終わってしまうんです。
一方のこずえ・みどりは、芸そのものはうまかったのですけれども、下積みが長かった
ものですから、見た目が薄汚れていたのです。毎日お風呂には入っていたと思いますが、
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何か汚かった。
これはパッケージから変えなアカンということになって、若井こずえちゃんに、嫁にも
ろうてという帽子を着せて、スタイリストを付けて若干見られるようにしたおかげで少し
売れました。が、少し売れたところで相棒の若いみどり君が結婚をしてしまいまして、こ
ずえ君が嫉妬心を起こしまして、
「もうあなたとは漫才をやれない」ということでコンビ活
動を休止したまま死んでしまったのです。
噂によりますと、晩年の若井こずえ君は、毎週水曜日ヨガ道場に通っていたという情報
がありますので、ひょっとしたらオウムに入っていたのではないかと思います。オウムの
場合は美人でないと出家信者にしてくれませんから、彼女の場合は在家ということで終わ
ったらしいのですが、そういう時代ではあります。
会社もそうです。会社の建物の大きさ、従業員の数、売上高の多さを誇るという時代は
もう終わったのではないですか。
それよりも、
「あの会社はいつも新しい領域にチャレンジ
している。元気だ、明るい、楽しそうだ」
、こういった会社の評判(コーポレート・レピュ
テーション)の方が価値を持つというのがこれからの時代だと思います。
リクルートの調査によりますと、一昨年就職を希望した大学生の 72%が、何をもってそ
の企業を選んだかといいますと、会社の大きさではなくて、社風で選んだと答えているの
が今の時代です。こういうふうに、ゲームのルール、競争のルール、こういうものが変わ
ってまいりましたおかげで、今まで力を持っていた、大きい、強い、力がある、長くやっ
ているということが、必ずしもメリットにならないという時代になってきたと思います。
こういうふうに、ゲームのルール、競争のルール、あるいはオペレーションのルールが
変わってまいりますと、当然そこに求められる人材というものも変わってくるわけであり
まして、スタートラインのところで、人とどこが同じなんだろうということばかり探して
いるような人は、もう要らないというのがこれからの時代だと思います。
今日本の企業は、良い品を大量に作るというキャッチアップ型、後進国型のパラダイム
から、創造は付加価値を生むというトップランナー型、先進国型のパラダイムへの歴史的
な転換期に直面しているということです。別の言葉で言いますと、労働力とか設備といっ
た固定資本で付加価値を生み出す時代から、ソフトウエア、ノウハウで付加価値を生み出
す時代に変わりつつあるということです。
こうしたパラダイム(枠組み)の転換というものが起こりますと、ベテランの能力とい
うのは、ある日突然陳腐化していくという現象が起きます。過去からの連続性というのが
失われてしまえば、熟練というのはほとんど意味を持たなくなってくるというのがこれか
らの時代です。能力というのが、ストックではなくてフロー、今までに何をしたかではな
くて、これから何をやれるか。現在使用価値で図られるというのがこれからの時代です。
もう「昔の名前で出ています」では通用しないというのがこれからの時代です。
そんな時代にありまして、我々ビジネスマンにとりまして最大の商品は、あくまでも自
分自身でございますから、自分がどういうソフトをパッケージした存在であるかというこ
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とをいつも意識しながら、自分自身をどうプロデュースしていくか。
違う言葉で言うと、自分のどういう能力を発揮して名前を売っていくか、いかに自分と
いう商品に市場性を持たせるか、いかに賞味期限切れにならないかということに力を入れ
なければいけないというのがこれからの時代です。
自ら考えない、自ら動けない、でも会社に対する忠誠心だけはたくさんある。こういう
人は、今や企業にとってはリスクでしかないのではないかと思います。こういうのをブリ
ッコサラリーマン、またの名を小柳ルミ子型サラリーマンと言います。会社が別れようと
いうのに、嫌だと言っていつまでもしがみついているのはこのタイプですが、そういう粘
着性はもう無用のものである。
もっと個人と組織のかかわりは、ドライになっていくと思います。会社という場所は、
頼ったり住み着いたりパラサイトする場所ではありません。成果を上げるための場所だと
いうふうに認識しなければいけない。上司は部下の人格を管理するのではなくて、成果を
コントロールしなければいけない。経営者は会社で威張るのではなくて、ビジョンという
ものを語って、企業の外見(アウトルック)をポジティブに保つ努力をしなければいけな
い。マネジメント能力に加えてパフォーマンス能力も持たなければいけないというのが、
これからの時代だと思います。
よく、「吉本興業にあれだけの才能が集まっていて、なぜみんな辞めていかないのです
か」とご質問を受けるのですが、そういうときに僕は、
「吉本興業がいい加減な会社だから
辞めないのですよ」という話をしています。いい加減というのは決してマイナスの表現で
はなくて、英語に直しますとグッドアジャストメントですから、非常にいいことだと思う
のですが、吉本牧場という考え方です。
ここにいろいろな牛がいます。ちょっと歯の出た明石家さんま牛、ちょっと顎のしゃく
れた島田紳助牛、金髪のロンドンブーツ牛、でこぼこコンビのナインティナイン牛、ちょ
っとアホの坂田としお牛、宗男ブームでちょっとだけ売れたんですけれども、こういうい
ろいろな牛がいるんです。この牛が勝手に外に遊びに行きます。3年ぐらい帰ってこない
牛もいるし、牧場の悪口ばかり言っている牛もいるけれども、なぜかみんな離れていかな
いで、この吉本牧場に帰ってくるのです。
なぜ帰ってくるか。それはこの牧場にある草が美味しいからです。これがインセンティ
ブなんです。地位、名誉、お金、待遇、チャンス、ここを美味しくすることが大事です。
この柵を高くしてしまうと、外に逃げていく元気もない、肉のまずい牛しか残らないと思
います。組織、企業の場合もそうだと思います。忠誠心、ロイヤリティー、こういうもの
に頼ったマネジメントをしていると、競争力のない社員しか残らないと思います。
むしろ企業や組織は、そういう個人のパーソナリティーやアイデンティティーを支援し
てあげるべきだと思います。そうやって輝いた個人が逆に離れていかないだけの魅力を、
組織なり企業の側が持たなければいけないということの方が正しいのではないかという気
がします。
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タレントの場合は話が簡単で、サラリーマンの場合は難しいものがあるのですが、いず
れにしても、組織にしても企業にしても個人にしても、「あなたの存在に魅力があります
か」ということを問われる時代にはなっていくのではないかという気がしております。
スイスのローザンヌというところに本部があります国際経営開発研究所の世界競争力レ
ポートによりますと、1993 年、世界2位だった日本の国際競争力は、何とことしは 30 位
に落ちたと言われております。また社会経済生産性本部の調査によりますと、99 年、日本
企業の生産性は先進国7つのうち最下位だそうです。日本企業はアメリカ企業に比べます
と、労働生産性では 31%、資本生産性では 39%劣っているそうです。なのに給与水準では
アメリカ企業を 20%も上回っていると言われております。
日本経済はほぼ 20 年前の水準に戻ったという説がございます。人口予測も、今後 100
年間でおよそ半減するとも言われております。こういった客観的な状況の中で、現在の日
本のポテンシャリティーというものを維持していくためには、日本という国のシステム全
体のパフォーマンスを上げるということでしかないわけです。個人の能力を引き出し、企
業の活力を高めるということが何より求められているわけであります。
時代ががらりと変われば、あらゆるものは古くなるわけです。現状維持にとどまってい
る限り、衰退していかざるを得ないというのがこれからの時代だと思います。環境という
ものが我々に変化を促しているのです。
大変な時代とは、大きく変わると書きます。我々日本人は、挨拶のときに「お変わりあ
りませんか」と言いますが、これからはそういう挨拶を一切やめてしまって、どこかのコ
マーシャルみたいに、
「何か面白いことない?」
「何か新しいことない?」ということを挨
拶代わりにするぐらい、マインドを切り替えていかなければいけないというのが、これか
らの時代だと思います。
企業も、個人も、自らのうちに変化というものを内在させないと生き延びていかれない
というのが、これからの時代だと思います。そうしたドゥーディファレント型、シンクデ
ィファレントの時代に対応するシステムにこの日本という国を変えていくためには、昔に
比べてみんな小粒になったので、カリスマのようなスーパースターはもうこの国にはいな
いのですが、みんながみんなモノトーンになってしまわないで、できるだけ異なった才能
を伸ばしていくというシステムにこの国を変えていかないと、いつまで経ってもこの国か
らは創造性のある人間は出てきようがないと思います。
変えなければいけないものは、3つあると思います。1つは偏差値重視の教育。これは
変えるべきだと思います。
偏差値というのは我々のころにはなかった概念でございますが、
要するに、
勉強ができる人は素晴らしくて、
できない人は落ちこぼれというシステムです。
そういうことで言いますと、吉本興業のタレントは全員が落ちこぼれです。
島田紳助は暴走族です。ハイヒールのモモ子もヤンキーと呼ばれた不良です。ダウンタ
ウンなどは、高校生のころよその車のガソリンを盗んでいたという悪い奴です。そういう
悪い人間、落ちこぼればかりを集めて立派にトレーニングして、世の中に提供している吉
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本興業というのは、ある種、更正施設みたいな一面もございます。
こんな立派なことをしているのはうちと山口組だけだと思いますが、そういう人間を排
除しない。勉強ができるのは才能の1つではあるけれども、それは決してすべてではない
です。木登りがうまいのも才能、人を笑わせるのも才能でございます。もっと人間の才能
というものを、多面的、多元的に評価するようにしていかないと、いつまで経ってもこの
国からはMサイズの人間しか出てきません。
2つ目、税制を変えることだと思います。僕は、日本の税制は懲罰的だと思います。頑
張った人が損をするという変なシステムです。時代劇でもそうです。金持ちの商人、越後
屋さん、三河屋さんは必ず最後に斬られて死んでいくのですが、そうではなくて、頑張っ
た人、成果を上げた人が正当に評価されて、沢山の手取り収入を得て幸せになる世界を構
築しないと、頑張った人も頑張らない人も差がなかったら、誰も頑張らないと思います。
インセンティブのあるところにリソースが集まるというのは、僕は正しいと思います。
サッチャーさんがおっしゃったそうです。
「金持ちを貧乏人にしたからといって、
貧乏人
が金持ちになれるわけではない」と。今の日本という国は、確かに貧富の差は少ないかも
しれないけれども、それはできるだけ強い人間を潰してきたという結果に過ぎないのでは
ないか。強い人間をなくしていくと、国そのものが弱っていくということが、どうも分か
っていないと思います。
人は努力しても報われないとき、あるいは努力しなくても報われるとき、無気力に陥る
ということがありますが、まさにこの辺のシステムを変えていかないと、ステージとして
の日本国に魅力がなくなっていくと思います。今の野球界で起きているイチロー現象、新
庄現象、野茂現象というものが、どんどんほかの世界にも波及していくのではないかと思
います。
3つ目、規制を緩和する。GDP(国内総生産)の 40%強の分野で、日本の場合は規制
の網というのがかかっているそうですが、アメリカの場合は 6.6%しかかかっていない。
あとは自由競争、フリーエネルギーに委ねられている。この辺のシステムも変えた方がい
いと思います。
吉本興業にどうして全国からあれだけの若者が集まってくるのかと言いますと、
それは、
どこの大学を出ている、お父さんがどれだけ偉い、貯金がいくらある、どんな大きな家に
住んでいる、そんなことは一切関係なくて、本人に才能さえあれば正当に評価されて、た
くさんの収入を得て幸せになっていけるチャンス、機会が平等に開かれているからです。
結果は不平等ですが、チャンスが平等ということが大事です。
落語の世界がどうして駄目になっていっているか。これは制度で守ってしまったからだ
と思います。僕にとって落語家は2種類しかないと思います。面白い落語家と面白くない
落語家の2種類しかないと思いますが、
あの世界の評価軸はそういうことではありません。
あの人は 10 年やっているから「ふたつ目」にしなければいけない、20 年やっているから
「真打ち」にしなければいけない、こんな事は業界の理屈でしかないのです。
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お客様にとって何の関係もないことでして、そんなふうに制度で守ってしまったから競
争力を失って、ジャンルそのものが衰退していったと言えると思います。自由こそ制度資
源でありまして、我々はこれからこの制度資源をフルに活用していかなければいけない時
代に入りつつあるということです。
古いパラダイムから見て怪しげなものにこそ、むしろ可能性があるというのがこれから
の時代です。新しい発見というのは、必ずそういう常識と対立するというのは常でありま
して、むしろそういう異質、異端、よそ者、突出した人材、こういうものを排除しようと
いう体質の方が危険であると思います。
こういうものを排除していきますと、どうしてもシェアが狭くなって、発想がドメステ
ィックになって、独りよがりに陥っていくというのが常でございます。一昨年ノーベル化
学賞を受賞なさいました白川教授のお話によりますと、「日本人に独創性がないというの
は嘘である。この国にあるとすれば、それは独創性を潰そうという土壌があることだ」と
おっしゃっておりましたが、まさにこの辺が我々にとってこれから大きなテーマになって
いくのではないかと思います。
異質、異端、よそ者、突出した人材、こういうものを排除するのではなくて、認めて共
存していくというカルチャーに変えていかなければいけないと思います。正解が1つとは
限らないというのがこれからの時代です。
今までは、ある種、鉄道モデル型の時代であったと言われています。正解という駅が見
えている。そこに至る道も見えている。この線路さえたどっていけば、特急、急行、準急、
各駅停車、スピードの差はあっても、みんながみんな今までは京福電鉄以外はゴールに着
けた。
ところが、これからはタクシーモデル型の時代であると言われています。ゴールも自分
で決めなければいけない。そこに至る道も選ばなければいけない。高速道路を行っても地
道を行ってもいい。迂回して戻ってきてもいいというのがこれからの時代です。前例踏襲
型から、前人未踏型の時代に変わりつつあるということです。
今までこの国を独占的に導いてまいりました、東京システムという名前のもの的な画一
化、挙国一致型のガンバリズム、こういったセントラリゼーションシステムそのものが限
界にきているというのが今の日本の状況です。価値とか仕組み、こういうものに多様性を
確保するということが、何より大事な時代になってまいりました。
何もこの国を東京スタンダード一色にしてしまう必要はありません。山梨は山梨、名古
屋は名古屋、大阪は大阪の価値観があっていいんです。物事というのは、両方の目で見る
から立体的に見えるという側面があるのです。選択肢を増やすということが民主的だし、
豊かさというのは、ある意味で多様性のことであろうという気がします。
ただし、選択肢が増えるということは、選択する目を自らが持たなければいけないとい
うことではあります。異なるというのは、違う字で書きますと「個と成る」ということで
あろうかなという気がします。個としてのリスクも負わなければいけない、判断までアウ
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トソースしてはいけない。心の民営化、人生の規制緩和を図らなければいけないというの
がこれからの時代です。
近頃、我々日本人の顔の中に笑いというものがありません。人間は笑いますと、ナチュ
ラルキラー細胞が活性化されまして、ガンの進行が止まるという研究があるぐらい「笑う」
ということは体にいいんですけれども、明治以降の真面目な日本人にとっては、笑うとい
うことが不得意なテーマになってしまっているのではないか。日本人というのは、
真面目、
一生懸命というのを非常に尊重するんですけれども、もういいのではないか。
この辺を取っ払って、本当の意味での自由というのを享受した方が、人は幸せになれる
のではないかという気がしています。
吉本興業は、こういうグルーミーな、暗い重苦しい世の中にありまして、笑いや感動を
通して、人々に元気を供給してまいりたいと思っております。笑いは感動の味の素でござ
います。この味の素をこれからたくさん作っていきたいと思っております。
テレビが始まって以来、途絶えることなく続いている最長寿番組は何かご存じですか?
天気予報です。人間というのは、やはり明日のことが気になるのです。我が社のタレント
がお世話になっているコマーシャルではありませんが、
「明日があるさ」
。幾分楽観的に、
しかも主体的に物事を考えていけば、僕はそんなに悪い世の中でもないと思います。
大変な時代とは、チャレンジする心さえ失わなければ、逆にチャンスも大きい時代でも
あろうかという気がしております。マクドナルドの藤田田さんが、日本人全員にハンバー
ガーを食べさせて、日本人全員を金髪にしたいとおっしゃったそうですけれども、吉本興
業は、日本人全員に大阪弁を普及させまして、日本人全員をお笑いタレントにしたいと思
っております。
そうやって国の隅々から笑い声の絶えないラテン的な気質の国家に変わっていった方が、
きっとこの国は楽しい国になっていくんだということを信じて、今、全国展開を図ってい
る最中です。全国吉本化戦略、合い言葉は「アホを移したろか」運動を今展開中でござい
ます。
昨年3月には、横浜にクルージング会社「ロイヤルウイング」を立ち上げました。4月
には、新宿駅ルミネ7階に「ルミネ the よしもと」をオープンいたしました。6月には広
島市商工会議所のお招きによりまして、広島市紙屋町に「よしもと紙屋町劇場」をオープ
ンいたしました。今後ともこういう拠点づくりを通して、日本中をラテン化、大阪化して
いくために頑張っていこうと思いますので、今日お越しの皆様方におかれましても、今後
どこかで我が社の名前を目にされたり耳にされた場合、決して顔を背けることなくご愛顧
を賜りますことをお願い申し上げまして、話を終えたいと思います。長時間、ご清聴、ご
睡眠いただきましてありがとうございました。
こんな事を言っておりましても、僕は東京都民を 21 年間やっておりまして、東京都港区
に住んでいるのですが、
山手線とか中央線の電車を待っておりますと、
「人身事故のために
10 分遅れます」というアナウンスがよく入ります。
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ほとんど中高年のサラリーマン男性の飛び込み自殺です。今や日本の自殺者は交通事故
死を超えたと言われています。ほとんど男の人です。女の人は絶対に死なない。何故か、
これは、男性は抑制型の価値観に縛られているからです。男というのは勝手に枠を作りま
す。
「そうであらねばならない」
「べきである」
「らしくしなければいけない」
。
マスト症候群というらしいです。
枠を作ってしまって、
この中で悶々として死んでいく。
「男は縦にしか飛べない」という説があります。女の人は絶対に死なないですね。何故か、
横へ飛べるからです。この枠の外へ出てしまいます。しかも女性というのは、自らの魅力
を売ることに長けています。しかも人と違うことを恐れない。
喫茶店の会話を聞いていたら分かります。男性の会話というのは、Aさんがしゃべって
Bさんが引き取ってCさんに回す。これが会話です。女の人の会話は違います。3人にい
たら3人が好きなことを言っているだけで、誰も相手の言うことを聞いていない。それぐ
らいのマインドを持たなければ生き延びていけないのです。
だから、
すべからくおじさんたちは、
おばちゃん化しないと幸せになれないというのが、
これからの時代なのではないかと思います。それから、僕は考え方の賞味期限と言いまし
たけれども、人間にも賞味期限はあると思います。これは物理的な年齢のことを言ってい
るのではなくて、頭の固さです。
人間というのは、クリエイティビティーがなくなると、否定することでしか自分の立場
を示せないという癖があります。
「俺は聞いていない」
「いや、
言ったじゃないですか」
「正
式には聞いていない」
「それはうちがやることではない」
「前例がない」
、
こんな事を言って
いると、あっという間に賞味期限が来ます。
そういうときは、お酢に漬けるか一夜干しにしないと食べられなくなります。できるだ
け肯定から入っていくということが大事だと思います。
「面白い。やろう。でもやるために
はこの条件、この条件、この条件をクリアせなできへんよ」みたいな考え方をしていかな
いと、若くても、あっという間に賞味期限が来るのかなという気がしております。
それから、僕らが忘れている一番大事なことは、日本の全国民の平均年齢が上がってい
るのです。1950 年は 27 歳ちょっとだったと思います。2000 年の日本全国民の平均年齢は
41 歳を超えたと言われています。ということは、完全にこの国が青年から中年の国に変わ
ってしまったということだと思います。
青年と中年の違いは何でしょう。それは、物は有限であるということだと思います。こ
のコップの水を換えるためには、永遠に水を注いでも増えていかない。古いものを捨てて
新しい水に変えなければいけないというカルチャーに変えていかなければいけない。量的
な拡大を求めるよりも、質的な充実ということに向かっていかなければいけないというの
が、これからの時代ではないかという気がしております。
境屋太一さんの本によりますと、ヨーロッパ全体で言いますと、ヨーロッパ全体の平均
成長率は、紀元元年から 2000 年までの間に 0.2%だったと書いてあったと思いますが、見
た目はほとんど増えていない。でも、確実に質の充実ということに向かっていくというカ
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ルチャーに気持ちも切り替えていかなければいけないというのがこれからの時代だと思い
ます。
古い既得権とか既成概念を捨てていって新しい水を入れていけば、水は新しくなってい
くというのがこれからの時代ではないかということを考えております。
吉本興業も、タレントの展開というのは、いささか量的拡大を追いかけすぎたきらいが
ございますので、これからは質の充実ということに向かっていかないとこの世紀は生き残
っていけないのかなということを自戒しながら、日々の仕事に励んでいきたいと思ってお
りますので、今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました(拍手)
。
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