日本人がアジアに、仕事を取りに出向く時代 ──航空宇宙産業技術展 2010 ビジネスジェット・シンポジウム── なぜ今ビジネスジェット(=社用ジェット+貸切チャーター機)か──? 端的に言っ てその結論は、シンポジウムで青木美和パイロットが語った表題の言葉に尽きる。 日刊工業新聞社が 11 月 26 日、名古屋港金城埠頭の国際展示場で、 「航空宇宙産業技術展 2010」の一環として開催したパネルディスカッション「ビジネスジェット・シンポジウム」 では、世界のビジネスジェットの普及動向が、ユーザーと直に接してきた現役パイロット の証言も交えて語られた。 また、「今後 20 年間でマーケット規模は2倍になる」などと、バラ色の未来図が流布す る航空機産業についても、「そこに日本企業が参入できるかは別問題」と、むしろ厳しさが 増している実像が説明された。合わせて、「航空機産業では英語が共通語。自社技術の PR も含め、英語で直接対話できることは、参入の第1条件」との指摘もなされた。 ↑パネリスト。左から、アメリカで活躍中のジェット機パイロット青木美和氏、ビジネスジ ェット運航会社朝日航洋の畑良明ビジネスジェット事業本部副本部長、エアバス・ジャパン の野坂孝博コミュニケーション・ディレクター、NPO 法人日本ビジネス航空協会(JBAA) の佐藤和信副会長 ★ たまには定期便ファースト・クラスに乗りたい パネルディスカッション終了後に訪ねてきた聴講者にも、 「ビジネスジェットは金持ちの ぜいたく品だと思っていた」との声が多かった。ビジネスジェットが(ストイックなまで に)実用品であることは、やはり新鮮な驚きだったようだ。 たとえば青木パイロットは、社用ジェット機パイロットの採用面接を受けたアメリカの 大手企業について、「約 45 機のビジネスジェットを保有していたが、その最優先利用権は 営業マンに与えられており、社長・会長の出張は原則定期便。ビジネスジェットは営業マ ンの使っていないときしか利用が認められていなかった」との体験を語った。 また、ビジネスジェット利用者のフライト中の振る舞いについても、次のように語って いる。 アメリカのビジネスマンは社交上の理由で、出張時には奥さんを同伴する。私の勤務先 の顧客も、会社ではなく個人でジェットを所有しているような富豪だったが、奥さんは常々、 「もっとお金持ちらしい旅行がしたい」と愚痴をこぼしていた。 奥さんが言うには、 「定期便のファースト・クラスなら、黙っていても料理、ワイン、雑 誌、映画など至れり尽くせりのサービスが受けられる。親切なキャビン・アテンダントも いる。ビジネスジェットの場合は、全て自分で手配しておかないといけない」とのこと。 確かに、旦那は乗ってきてから降りるまで、会社やお客さんとずっとビジネスの話ばか りして、わき目も振らずに仕事をしている。機内サービスには全く関心がないし、奥さん は放ったらかしだ。私もビジネスジェットのパイロットになるまでは、ビジネスジェット がお金持ちのぜいたく品だと思っていたが、業界で働いて、事実は正反対だと分かった。 エアバスの野坂ディレクターは、多くの企業がビジネスジェットを活用している理由と して、定期便にはない次のような特性を紹介した。 ① 生産性の向上 1 日で国内外の複数の都市を訪問できる 移動中も機内で会議ができる 望みの時間に望みの場所にフライトできる 専用国際ターミナルなどの利用で、空港での待ち時間を削減できる ② 柔軟性の提供 定期便が就航していない都市へも直行できる 混雑していない空港を選んで発着できる 途中でルートを変更できる 民間旅客機では運べない貨物を輸送できる ③ 機密を保持し従業員を守る 会話の機密性の保持 プライバシーの保持 ハイジャックなどの危険から守る こうした特性を踏まえた上で野坂ディレクターは、「特にビジネス上では、緊急に特定の 場所に飛行しなければ契約を逃すこともあり得る。“フライトがないので、明日までにおう かがいできません”ということが通用しない場合もある。また、自社でジェットを保有し ていれば、緊急に必要な書類や部品を運ぶこともできる」などの重要性を説明した。 青木パイロットはこれまで接してきたビジネスマンの行動を振り返り、 「ビジネスジェッ トを使うことで、1日にこなせる仕事の数が全く異なってくる。特に、お客さんに直接会 いに繰り返し訪ねていくことは、人間関係を深める上で欠かせない。グローバル化で世界 中にお客さんがいる現代では、定期便で頻繁に訪ねて回ることは困難だが、ビジネスジェ ットならできる」と指摘した。 ↑商談ルーム、会議室などに活用されるビジネスジェットの機内(エアバス A318 ビジネスジェ ット仕様、写真提供=エアバス)。たとえば韓国のリーディング企業群は、このクラスのビジネ スジェットを駆って世界を相手に果敢にビジネスを展開している ★ 諸外国との普及度の差は開く一方 では、日本企業はどの程度、この実用品を使いこなしているのかというと、欧米先進国 はもとより、新興諸国にも大きく後れを取っているのが現状だ。 JBAA の佐藤副会長は、日本と諸外国のビジネスジェットの普及度について、国別の就航 機数を挙げて、彼我の落差を示した。下の表は、そのときのプレゼン資料を、保有機数の 多い順に並べ替えたもの。2009 年末現在の状況を示してある(矢印は需要の増減傾向)。 アメリカ 17,905(↑) カナダ 1,068(↑) ブラジル 1,010(↑) ドイツ 644(↑) イギリス 611(↑) ヴェネズエラ 560(↑) フランス 398(↑) スイス 313(↑) イタリア 230(↑) インド 201(↑) サウジアラビア 147(↑) ロシア 128(↑) 中国および香港 122(↑) アラブ首長国連邦 115(↑) インドネシア 72(↑) 日本 55(→) タイ 48(↑) 韓国 33(↑) 各種資料と比較しても、日本以外の国々はいずれも年率 10%以上の増加を示しているが、 日本だけは 10 年前と全く変化がない。 対照的に、アジア諸国の躍進が目立つ。金融危機後、いち早くビジネスジェットの需要 が回復したのはインドだったし、中国は 09 年の1年間だけで約 50 機の長距離ジェットを 輸入した。中国国内という狭い範囲を移動するためではなく、「中国の企業・資本の世界展 開の拡大で、ビジネスジェットの利用拡大も起きている」 (エアバス・野坂ディレクター) のだ。 韓国のリーディング企業はいずれも、トップ自らジェット機上で生活する勢いで世界中 を駆け巡っているし、東南アジアではビジネスジェットのチャーター利用が活発化してい る。前号で写真を掲載したグアムの ACI 社は今年 10 月、フィリピンのスービック・ベイ空 港に第2拠点を稼動させたが、それは東南アジアでの市場拡大に対応するためだ。 ★ 利用環境の不備 こうした落差が生じる原因のひとつには、利用環境の不備も挙げることができる。 佐藤副会長は日本の課題として、 ● 首都圏空港におけるビジネスジェットの発着枠の拡大 ● ビジネス航空専用の航空法の整備 ● 地方空港における利用環境の整備 ● 日本社会のビジネス航空に対する理解の促進 ──を指摘した。 たとえば羽田空港は、以前は1日4機しか発着が認められていなかったところを、再国 際化にあわせ1日8機まで拡大されたが、とても十分とはいえない。アメリカでもヨーロ ッパでも、近隣にビジネスジェット専用の国際空港が完備されていてなお、定期便空港で も1時間に数機以上の発着枠が確保されている。 企業の本社が多数集まり、日本経済の中枢でもある首都圏の空港が、定期便偏重でビジ ネスジェットに利便性を供していないことは、日本のビジネス航空の発展を妨げる致命的 な要因のひとつとなっている。むろんそれは日本経済の国際競争力の低下にも結びつく。 ビジネスジェット利用者だけの問題では済まされない。 同様に、日本の航空法は定期便を念頭に制定されたものであるため、ビジネスジェット の利用を想定した法制度が抜け落ちている。一例として、諸外国では自社で使わない日に は、他社にビジネスジェットを賃貸することも認められており、運用コストの低減に大き く貢献しているが、日本では同種のサービスは認められていない。 これらの課題には、早期に解決できるものと、そうでないものがある。首都圏空港の発 着枠の問題や専用の航空法の整備には、それなりの時間を要するだろう。 ただし航空法の問題は、アメリカ国籍で登録したジェットを日本に持ち込んで使う、な どの手法である程度まで解消できる。民間飛行機にも1機ごとに国籍があり、たとえばア メリカ国籍の飛行機はアメリカの航空法で運用できる(ただし日本国内の運航に制約がか かるケースも生じる)。 問題は地方空港での利用環境整備と、日本社会の理解の促進だ。 ★ 朝日航洋と県営名古屋空港 アメリカでもヨーロッパでも、地方には当たり前のようにビジネスジェット専用・優先 のローカル国際空港が展開されている。これらの空港は外国からの飛来機のためではなく、 地元に本社または拠点を置く企業によって活用されている。地方のビジネスジェット空港 の存在は、交通の便の悪い地方でも、企業が重要拠点を設置する上で重要な役割を担って いる。 たとえばアメリカは約 5,000 の公共空港が存在するが、そのうち定期便が飛んでいる空 港は 500 に満たない。08 年末、米国議会の公聴会で GM などが、一部議員から社用ジェッ ト利用を非難されると、こうした空港の地元議員から一斉に反論の声が上がり、ビッグ3 を非難した議員たちは一月と経たずに、連名で議会に謝罪文を提出した。 自動車・鉄道・定期便はいずれもネットワーク上を移動する交通機関なので、首都圏に 利便性が偏りやすい。ビジネス航空は唯一、首都圏または大都市中心のネットワークに依 存する必要のない交通輸送手段であり、首都への経済活動の一極集中に歯止めをかける、 地方の生命線としての性格も帯びている。 その意味で、首都圏に先駆けて愛知で、ビジネスジェットの利用環境がある程度まで整 ったことは非常に大きな意義があったし、今なおその意義は失われてはいない。 県営名古屋空港に日本最大級のビジネスジェット運用拠点を備える朝日航洋の畑副本部 長は、 「日本で最もビジネスジェットを利用しやすい空港」として、以下の点を挙げている。 ● CIQ(税関・出入国・検疫)手続きを、定期便旅客と別個に受けられる専用ターミナル の存在 ● 駐車場から自社機まで、移動距離数十m程度のコンパクトな構造 ● 大型旅客機の発着も可能な長い滑走路(2,740m)、余裕のある発着枠と駐機場 ● 都心まで自動車で 20 分程度でアクセスできる好立地 ● 空港の運営自治体(愛知県)が、ビジネスジェットの受け入れに熱心であること(定期 便の邪魔者のように扱う地方自治体は少なくない) こうした利用環境をベースに、同社はビジネスジェット専用の巨大格納庫と、チャータ ー用ジェット2機を県営名古屋空港で運用している。 ↑朝日航洋のチャーター用機セスナ・サイテーション・ウルトラと、面積 4,500 ㎡の大格納庫 ↑サイテーション・ウルトラの機内。長距離機種のエアバス社用ジェット機仕 様と対照的に、近距離フライト機種なのでシンプルな造りになっている。ビジ ネスジェットは旅客機同様、サイズも航続距離も多種多様で、利用者の用途に よって使い分けられている 最近では、セントレアでも利用環境の整備が進み、名古屋都市圏は依然として日本で最 もビジネスジェット利用環境の発達した地域としての優位性は維持している。 3月のセミナーも今回のパネルディスカッションも、名古屋でビジネスジェットをテー マにしたイベントが実施された背景は、ここにある。 ところが、航空機産業のメッカを標榜する割には、こうした時代動向にも地の利にも、 一向に関心が集まらないのが当地の実態でもある。では、こうした当地の状況が航空機産 業の発展にどう影響するのか? ──次回では、パネルディスカッションのうち、そのテーマについて紹介する。 なお、前回お伝えしたビジネスジェットの新規利用希望社さんだが、日本および香港の ビジネス航空事業者を交え、コスト面も含めた具体的な利用可能性の検証作業がつづいて いる。中小企業でもあるので、なおさら日本の状況に風穴を開けるパイオニアとなっても らえることを期待せずにいられない。 文責:石原達也(ビジネス航空ジャーナリスト) ビジネス航空推進プロジェクト 略歴 http://business-aviation.jimdo.com/ 元中部経済新聞記者。在職中にビジネス航空と出会い、その産業の重 要性を認識。NBAA(全米ビジネス航空協会)の 07 年および 08 年大 会をはじめ、欧米のビジネスジェット産業の取材を、個人の立場でも 進めてきた。日本にビジネス航空を広める情報発信活動に専念するた め退職し、08 年 12 月より、フリーのジャーナリストとして活動を開 始。ヨーロッパの MRO クラスターの取材を機に、C-ASTEC とも協 力関係が始まる。2010 年6月、C-ASTEC 地域連携マネージャー就任 (ビジネス航空研究会担当、非常勤)
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