Revelation 12:18, 13:1-3 海から上って来た獣―政治的権力と人物の描写 この章の最初の節は、海から上がって来た獣を紹介しています。 (黙示12:18、13:1)「そして、彼は海べの砂の上に立った。また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。 これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。」 (訳注:英語訳では、この両方の節が、13:1としてひとつになっています。) 私訳は次のとおりです。 「そして彼は海辺の砂の上に立った。そして私は、十本の角と七つの頭を持ち、彼の角には十の王冠があり、 彼の頭の上には、神をけがす名がある(野生の)獣が海から上がってくるのを見た。」(マギー訳) 私の訳は「そして“彼は”海辺の砂の上に立った。」ですが、欽定訳はそれがヨハネであるかのように「そして “私”は海辺の砂の上に立った。」と書かれています。(訳注:日本語新改訳はすでに“彼”と訳されていま す。)今日、より良い写本ではこの文章の主語は“彼”であることが示されています。 彼とは誰のことでしょう? 前の章で、最後に私たちが話していたのは、誰のことだったでしょうか? それと同じ人物です。もちろん、サタンのことです。 「また私は見た。海から一匹の(野生の)獣が上って来た。」と書かれています。 誰がこの獣を海から連れ出したのでしょう? サタンがこの獣を海から連れ出したのです。聖書の中では、海は世界の国々の姿です。人類の、落ち着か ない海のようなものです。 「これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があっ た。」と書かれています。この獣には全く肝をつぶされます。もし私が暗やみでこの獣に出会ったなら、私は 彼より“ずっと”先を一目散に逃げていることでしょう! 竜(サタン)は海辺の砂の上に立ち、海からこの野生の獣を連れ出してこれを支配するのです。この獣 はサタンの傑作です。最初の獣は、旧ローマ帝国を率いる人物です。ローマは単純に(内側から)崩れ去り ました。そしてこの人物だけが、もう一度ローマを復興させることができるのです。 神さまは明らかに、しばらくの間この地上から手を引かれ地上をサタンにお渡しになります。これは因果 応報なのだと思います。神さまは、サタンにすべての支配権が与えられるとき彼にはそれを演出することは 出来ないのだということを実地で教えなければならないのです。そうでなければ、サタンはいつでも火の池 の中から神さまに向かって、 「あなたは私にチャンスをくれなかったではありませんが。もしあなたが手を離して、私ひとりにやらせてくれ ていたら、私は自分の目的を達成して第2の王国を建て上げることができたはずです。」 と言うに違いないからです。神さまはサタンの好きにやらせて、彼には(そんなことはできないことを証明して) そのようなことが言えないようにされるのです。 黙示録の理解のためには、ダニエルの預言の理解がとても重要です。この野生の獣は、ダニエル書7 章の得体の知れない第4の獣に良く似ています。そこでは、その獣は「小さな角」とその角の滅びに至るまで、 ローマ帝国の預言的な歴史を表わしています。その第4の獣はほんのしばらくの間冬眠するかのように見 え、そのあと彼の7つの頭のひとつから10本の角が出て来ます。その間から小さな角が出て来るのです。 小さな角は角の中の3本を打ち倒し、ほかの7本を従えます。 ヨハネが黙示録を書いているときには、ダニエルの預言の大部分はすでに成就していました。最初の3 つの獣たち、獅子であるバビロン、熊であるメド・ペルシャ、ひょうであるグレコ・マケドニアはすでに、すべて 成就しました。ダニエルが示したときには預言でしたが、ヨハネの時代までには成就していました。そこで、ヨ ハネは第4の獣と小さな角に集中しています。なぜなら、第4の獣であるローマ帝国がすでに現れていたか らです。ヨハネはローマ帝国の時代に、ローマ皇帝ドミティアヌスによってパトモス島に流され、そこで生活し ていました。すでに帝国の中には弱さと腐敗のしるしが見えて来ており、ダニエルの時代にはまだ将来であ ったことをヨハネは(実際に)傍観していました。そこで黙示録の中では、ダニエル書7章の小さな角の支配 に強調点が置かれ、そして小さな角は私たちの目の前に野生の獣として示されています。なぜなら、この獣 はこのとき、ヨハネの預言の中の復興されたローマ帝国を支配し、コントロールしているからです。ダニエル 書7章の小さな角と、黙示録13章の野生の獣は同じものです。ダニエル書7章の理解が、黙示録のこの箇 所を理解する基礎になっていることがお分かりでしょう。 野生の獣は‘罪の人’であり、反キリスト、つまり最終的な世界の独裁者です。13章の最後の節が、こ の見解を確認します。 (黙示13:18)「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさして いるからである。その数字は六百六十六である。」 私たちは、終わりのときの世界の独裁者である人物を取り扱っているのです。 私たちの時代、現在のヨーロッパ経済共同体の存在に関する大きな興奮が続いて来ました。そして私 自身も興奮しているグループの中に入っています。歴史を通じて、ヨーロッパをもう一度ひとつにしようとして 来た人たちが大ぜいいました。シャルルマーニュはそれを企てて失敗しました。私は、ローマ・カトリック教会 が神聖ローマ帝国を建てようと試みたと思いますが、確かに成功しませんでした。神聖ローマ帝国はオース トリアのウィーンを中心にしました。そのために(ウィーンは)、今日訪れるのには、とても興味深い場所にな っています。 フランツ・ヨーゼフ(フランツ 2 世(ドイツ語: Franz II.、1768 年 2 月 12 日 - 1835 年 3 月 2 日)は、 最後の神聖ローマ皇帝(在位:1792 年 - 1806 年)であり、最初のオーストリア皇帝フランツ 1 世(ドイツ 語: Franz I.、在位:1804 年 - 1835 年)である。ウィキペディアより。)は、ヨーロッパをひとつにしようと した神聖ローマ帝国の最後の皇帝ですが、彼はすべての皇帝たちの中でも最悪の大失敗をしました。 彼の息子は、明らかに殺されたかあるいは自殺をし、それで神聖ローマ帝国は終わりになりました。 ナポレオンも、カイザー・ヴィルヘルムも、ヒットラーも、そしてムッソリーニもみんな(ローマ帝国の復興 を)試みました。でも、神さまはまだ準備をしておられないので、大艱難時代のときまではその人物(訳注:復 興したローマ帝国の支配者となる人物)が現れるようにはされません。私にとって、経済共同体は興味深い ものです。私たちが預言の成就を見ているからではなく、預言が成就される“可能性のある”舞台が整えら れるのを見ているからです。何世紀にも渡って、多くの人々がヨーロッパをひとつにするのは不可能だと言っ て来ました。神さまが用意をされるまでは“確かに”不可能です。(でも用意が整ったとき、)サタンがその人 物を供給するのです。経済共同体は、ただ興味深い手段であるというそれだけのことです。 10個の冠をつけた10本の角は、大艱難時代のローマ帝国が10の部分に分かれていることを語って います。10本の角は、10に分かれた部分を支配する10人の王たちです。この解釈は、黙示録17:12で 確認されています。(黙示17:12参照) (黙示17:12)「あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、 獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。」 小さな角は最初、3本の角を打ち倒すことで力を持ち、のちにはほかの7人(の王たち)を支配して世界 の独裁者になります。 7つの頭はそんなに簡単には確認できません。彼らは黙示録17:9-10で、7人の王たちと解釈されて います。(黙示17:9-10参照) (黙示17:9-10)「『ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七 人の王たちのことです。五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しか し彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。』」 彼らは10本の角と同時代に統治することはなく、順番に現れて来ます。 一部の人たちは、この王たちをこの当時統治していたドミティアヌスのように、特定のローマ皇帝と解釈 して来ました。 ほかの人々は、この7つの頭をローマ帝国が通ってきた政府の形態であると解釈します。彼らには、王 があり、評議会があり、独裁者があり、10大官があり、軍隊の護民官があり、皇帝がありました。 第3は、7つの頭は神さまを冒涜した古代の7つの大国を表わしている可能性があるという見解です。ロ ーマ、ギリシャ、メド・ペルシャ、カルデヤ、エジプト、そしてアッシリヤです。これから来るはずの獣の王国が 7番目になります。 もうひとつの有望な見解は、7つの頭は飛びぬけた知恵を表わしている竜の7つの頭に呼応するという ものです。サタンが最後の独裁者である‘罪の人’に精力を与えます。 私は、以上のどの見解についても独断的になることはできませんし、また、独断的になることが重大で あるとも感じません。 7つの頭全部に冒涜の罪があります。ゴヴェットによれば、冒涜はふたつの仕方で現れます。 (1)自分を神さまと同等にする、つまり神さまの場所を奪う。 (2)中傷し、神さまの御名を軽々しく使う。 ローマの皇帝たちは、最初の形の冒涜で有罪でした。彼らは自分たちを神さまと同等にしました。ローマ帝 国では、皇帝礼拝がおこなわれていました。パリサイ人たちは、聖霊を冒涜することで2番目のほうに有罪 でした。ここでは獣は両方に有罪です。 (黙示13:2)「私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。 竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。」 「そして私が見た野生の獣は、ひょうに似ており、その足は熊の足のようであり、その口は獅子の口のようで あった。そして竜は彼に自分の力と王座と大きな権力を与えた。」(マギー訳) これは何とも奇妙な動物です!今まで一度も、地上でも海でも空中でも(このような獣は)だれも見たことは ありません。疑いなく目を見張るような獣です。 ヨハネは、この獣が混成のものであることを書き留めています。私たちは今、反キリスト(Antichrist)に 関するとても確実な事実の一部を明確に述べ始めることができます。ヨハネは、ダニエル書7章の幻の中で ダニエルが見た、王国を代表するほかの獣たちの特徴を結合させています。この時点で、その聖書の箇所 とダニエル書の私の注解を調べるとあなたの助けになるかも知れません。 (a)「私の見たその獣は、ひょうに似ており」と書かれています。 この獣の外見は、ひょうのようでした。 (ダニエル7:6)「『この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現れた。その背には四つ の鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。』」 これは、グレコ・マケドニア帝国です。ギリシャはその聡明さと、芸術と科学の発達によって有名でした。哲学、 建築、そしてすばらしい文学によっても知られていました。ギリシャ語自体すばらしいことばです。獣の帝国 は、ギリシャの栄光であるすべての外側の文化を有します。 (b )「足は熊の足のようで」というのは、ダニエルの第2の獣を思い起こさせます。 (ダニエル7:5)「『また突然、熊に似たほかの第二の獣が現れた。その獣は横ざまに寝ていて、その口 のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、「起き上がって、多くの肉を食らえ」との声がかかっ た。 』」 これはメド・ペルシャです。ぽちゃぽちゃよちよちとガルガンチュワ(『ガルガンチュワとパンタグリュエル』(ガ ルガンテュアとパンタグリュエル、Gargantua, Pantagruel)とは、フランス・ルネサンス期の人文主義者フ ランソワ・ラブレー(François Rabelais)が著した物語『ガルガンチュワ物語』『パンタグリュエル物語』のこと。 ガルガンチュワ(ガルガンチュア、ガルガンテュアとも)、パンタグリュエルという巨人の一族を巡る荒唐無稽 な物語である。ウィキペディアより。)よろしく地上を横切って行きましたが、その異教的な華麗さによって有 名でした。獣の帝国は、メド・ペルシャが持っていたすべての異教の華麗さと富を持つようになります。 (c)「口は獅子の口のようであった。」というのは、ダニエルの第1の獣を思い起こさせます。 (ダニエル7:4)「『第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、 地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。』」 これは、バビロンの独裁政治でした。ネブカドネザルが自分の賢者たちの死刑を命じ、そのあと3人のヘブ ル人の若者たちを燃える炉に投げ込むように命じたとき、王の権威を疑う者はひとりもいませんでした。彼 は金の頭でした。独裁者だったのです。‘罪の人’はダニエルが見た像の、部分的に粘土で、部分的に鉄で できた足の指のひとつではありますが、彼は独裁政治とネブカドネザルの横柄な権威をもって支配します。 この世の最後のこの独裁者は、サタンの支配のもとで頂点に達します。彼をよみがえらせ、彼がおこな う卑怯で尊大な悪事のために力と精力を与えるサタンのうちに、彼の力の源があります。彼は、聖書の中に 現れるサタンの生まれ変わりに一番近いものです。ルカは、サタンがイスカリオテのユダのうちに入ったと言 いました。(ルカ22:3参照) (ルカ22:3)「さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。」 マタイの福音書の中で主がシモン・ペテロに語られたとき、キリストはそれに近いことばを使われました。(マ タイ16:23参照) (マタイ16:23)「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの 邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」 ‘罪の人’はサタンの化身なのでしょうか? 私は、そうだと言うことができると思います。確かに、サタンが彼の中に入ったのです。パウロは、 (II テサロニケ2:9-10)「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、し るし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼ら は救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。」 と書きました。 獣の死―打ち傷が治る (黙示13:3)「その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そ こで、全地は驚いて、その獣に従い、」 「そして私は、彼の頭のうちのひとつが打ち殺されたようになったのを見た。でも彼の死に至る傷はいやされ た。そして、全部の(人の住んでいる)地はその獣のことで驚いた。」(マギー訳) 黙示録17:8とともに、この節によって多くの人たちが、サタンが実際に獣を死からよみがえらせたという見 解を持つようになりました。 (黙示17:8)「あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来 ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされ ていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。」 このふたつの聖書の箇所から、獣は実際にサタンによって死からよみがえらされたという立場を取って いる人たちが大ぜいいます。そんなことはありえません。なぜなら、サタンには死者をよみがえらせる力はな いからです。その力は、全くサタンには与えられていません。死者をよみがえらせることがおできになるのは、 主イエス・キリストただおひとりです。ヨハネの福音書には、次のような主のことばが記録されています。 (ヨハネ5:21)「『父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいの ちを与えます。』」 (ヨハネ5:25)「『まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今 がその時です。そして、聞く者は生きるのです。』」 (ヨハネ5:28-29)「『このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来 る時が来ます。善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受ける のです。』」 主イエスだけが死者をよみがえらせることがおできになります。サタンにはできません。ですから、私はこの 回復は偽物であり、にせのよみがえりであると理解しています。 サタンが獣を死からよみがえらせたという見解を持つ人たちは、獣はただ人間のことだけであると解釈 します。(訳注:政府の形態、あるいはいくつかの大国という意味ではないということでしょう。)ほとんどの部 分で、初代教会がこの見解を固守したことには議論の余地がありません。獣が誰であるかに関しては、彼ら は一致しませんでした。一部の人たちはイスカリオテのユダであると考えました。ほかの人たちはネロである としました。アウグスティヌスでさえも、彼の時代に、 「パウロはいつでも自分が言ったことは、そのおこなうところがすでに反キリストの行動のように見えていた ネロに当てはまることを見込んでいたとはいえ、ある人々はこれはローマ皇帝のことを語っているから、パウ ロは明白なことばで語らなかったのだと考える。その結果、一部の人々はネロが反キリストとして死からよみ がえるのではないかと思っている。」(J・A・セイス著“天啓、黙示録に関する講義(The Apocalypse, Lectures on the Book of Revelation)398ページ脚注) と書いたのです。 ここに書かれている獣はローマ帝国を指し、ローマがそのもとに分類される帝国体制の政府が、驚くよう な仕方で回復されるのではないかという見解を持っている人たちもいます。私も、そうなるとは信じています が、それはよみがえりではありません。なぜなら、ローマは決して死んではいないからです。ローマは崩壊し ました。ハンプティ・ダンプティのようです。(訳注:英国の子どものための詩集、“マザー・グース”の中の詩 のひとつです。) ハンプティ・ダンプティが塀に座った ハンプティ・ダンプティが落っこちた 王様の馬と家来の全部がかかっても ハンプティを元に戻せなかった (日本語訳:ウィキペディアより) でも、反キリストは、ハンプティ・ダンプティを元に戻します。それが奇跡的なできごとになります。(ただし、) ローマ帝国は、本当に死んだのではありません。今日もヨーロッパの国々の中に生き続けているのです。
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