2014 年度 早稲田大学 文化構想学部 (世界史) 解答解説 Ⅰ 解答 設問1 イ 設問2 ウ 設問3 ハンムラビ 設問4 ウ 設問5 カデシュ 解説 本学部のⅠは例年先史時代かオリエント史が出題されており、今年もそれに沿った標準的な出題。昨年度並み の難易度である。 Ⅱ 解答 設問1 ア 設問2 シュリーマン 設問4 ウ 設問5 ア 設問3 ダレイオス1世 解説 昨年度はローマ史であったが、今年度はギリシア史からの出題。設問5がやや難問だが、それ以外は標準的な 問題。 設問5 ア:アレクサンドロス大王はマケドニア王国の都ペラの生まれ。教科書には書かれていない内容だが、 消去法で対応したい。エ:「バビロンで没した」は、早稲田大学では他学部で何度か出題があり、過去問研究 の差がつきやすい出題であった(東京書籍・帝国書院の教科書には記載がある)。 Ⅲ 解答 設問1 貞観の治 設問2 開元の治 設問3 ア 設問4 ア 設問5 エ 設問6 イ 解説 昨年度は出題がなかった中国史の大問が今年度は復活した。隋・唐は早稲田の頻出分野。正誤判定がやや迷う かもしれない。 設問3 ア:格と式の内容が逆。格=追加規定、式=施行細則である。細かい知識だが、早稲田では頻出の内 容。設問4 ア:鮮卑 → 柔然。東突厥と西突厥の動向は細かい知識だが、誤文が標準的なので確実に正解し たい。 Ⅳ 解答 設問1 ジョアン2世 設問2 エ 設問3 ア 設問4 ロマノフ 解説 昨年度は東西交流をテーマにした出題だったが、それに続く時代の内容。 設問1 ヒントとなる文言が抽象的だが、「15世紀後半」とアジアへの進出=大航海時代であることをつなげ れば十分に解答可能(なお、ジョアン2世時代にバルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達しているが、そのこと は大問Ⅴの設問2で出題)。設問2 エ:ポルトガル → イギリス。設問3 やや難。ア:キプチャク=ハン国 はティムールの侵攻で弱体化し、16世紀初頭までにカザン・アストラハン・クリム・ウズベク・カザフ・シビ ル=ハン国に分裂・滅亡した。イヴァン4世の治世は1533~84年であり、彼の即位前には国が滅亡しているので 不適。分裂した諸国の名称については、過去問で出題がある。研究の差がつきやすい出題であった。 Copyright (C) 2014 Johnan Prep School Ⅴ 解答 設問1 トンブクトゥ 設問2 エ 設問3 リヴァプール 設問4 エ 設問5 ウ 設問6 イ 設問7 レオポルド2世 解説 4年ぶりに地図問題が出題されたが、問題文にかなり丁寧にヒントがついているので、そこで十分に解ける出 題が多く、地図そのものの理解が必要なものは設問5と設問6だけであった。 設問4:イ・ウ・エが全てアフリカ西海岸の小王国であり、この問い方だけで解答を導くのは難しい。イのベ ニン王国とウのダホメ王国は、19世紀末にそれぞれイギリスとフランスに征服された。設問5:Fはチュニジ アで、1881年にフランスが保護国化した。ファショダ事件は1898年に南スーダンで起こった事件で無関係。設 問6:「第一次世界大戦でC国(フランス)に復帰した」とあるので、この地がアルザス・ロレーヌ地方である ことが分かる。なお、シュヴァイツァーはアルザスの出身。 Ⅵ 解答 設問1 イ 設問2 乾隆 設問3 ウ 設問5 イ 設問6 チャオプラヤ(メナム) 設問4 イ 解説 中国史と東南アジア史の混合問題。設問2と設問3は標準的だが、残りの設問で得点差がついたと思われる。 設問1:ア 海禁の目的は倭寇対策で、全ての民間船の海外渡航が禁じられた。ウ 海禁によって中国物産を 手に入れられなくなった他国への中継貿易で、琉球王国は繁栄した。16世紀後半に海禁が緩和されたことが、 琉球王国の衰退につながった。エ 16世紀後半ではなく、16世紀前半。この頃の海禁は「寸板といえども浮か べるを認めず」と呼ばれるほど厳しく、倭寇を多発させることとなった。設問4:ア 清仏戦争の契機はユエ 条約で阮朝を保護国化したこと。ウ イギリスは清仏戦争では中立を保った。エ:清がフランスの広州湾租借 を認めたのは日清戦争後の1899年。 Ⅶ 解答 設問1 イ 設問2 エ 設問5 マッカーサー 設問6 イ 設問3 ハーグ 設問4 ウ 解説 国際連盟と国際連合の歴史から見た現代史。昨年度より現代史の出題は1題減った。本学部では毎年現代史ま で出題があるため、幅広い学習が求められるが、今年度も踏襲された。 設問1:ケマル=パシャの交渉によってセーヴル条約は破棄され、ローザンヌ条約が締結された。設問2:ソ連 が国際連盟から除名されたのはフィンランドを侵略したため。侵略戦争を防止するはずの国際連盟が自らその 役割を放棄する形になり、事実上機能を失ったとも言える出来事。覚えておきたい。設問3:常設国際司法裁 判所は、第一次世界大戦前にハーグで開かれた第1回万国平和会議の結果設置された常設仲裁裁判所が前身。 なお第2回万国平和会議は、朝鮮史で頻出のハーグ密使事件の舞台でもあるので、関連付けて覚えておきたい。 設問4:日本の国際連合加盟が認められたのは日ソ共同宣言でソ連と国交を回復した結果で、1956 年の出来事。 1951 年のサンフランシスコ講和条約では西側諸国としか講和していないため、国連加盟は実現しなかった。ま た講和条約と同時に実現したのは日米安全保障条約。設問6:イ フセインは中部ティクリートのスンナ派出 身で、スンナ派を優遇し、南部のシーア派と北部のクルド人を弾圧した。 Copyright (C) 2014 Johnan Prep School Ⅷ 解答 設問1 ウ 設問2 ササン 設問3 ドンソン 設問4 ウ 解説 例年最後の問題は図を含んだ文化史からの出題で、今年度はアジア文化から出題された。2010年以来の出題で あるが、過去問研究をしっかりしていれば驚くこともなかっただろう。問題数は1問減少した。難易度は標準 的。 設問1:図が仏教関連であることと、「イラン系遊牧民」というヒントを組み合わせて、確実に正解したい。 なお、アのマウリヤ朝は東北部を中心としたアーリヤ人の王朝、イのサーマーン朝はイラン系だがイスラーム 王朝のため偶像崇拝につながる図のようなコインを鋳造することはあり得ない、ということは理解しておこう。 設問4:やや難。ササン朝の侵入によりクシャーナ朝が衰退し、滅亡に向かったので①→②の順はすぐに判断 できたと思われるが、多くの受験生が③ドンソン文化の時代に迷ったかもしれない。ドンソン文化は前4世紀 頃に中国文化の影響を受けて成立した。問題文に「初期」とあるので、少なくとも紀元前であることは判断で きる。なお、①は「全盛期」の記述よりカニシカ王時代(2世紀)、②は3世紀以降につくられた、と判断しよ う。 Copyright (C) 2014 Johnan Prep School
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