教師―子どもの関係の思想 二 要旨レジュメ『教育関係論の現在』(高橋勝 他 2004) 教育関係モデルの誤認と教育主体の解体 p55 「教育といえば まず学校を連想する。 」 自明視 教育 ≒ 学校教育、 学校は学級から成り立つ。1人の教師と数十人の生徒 but 教育関係が語られる時には、一対一の人格的関係を想定 教育関係とは、 「ある一人の成長過程にある人間に対する一人の成熟した人間の情熱関係」宮野 passion:激情、情熱、The Passion:受難 ・・・sympathy 3重の誤認 ①教育を学校に限定、②教育関係を、親子関係をモデルに、③そのことを忘れる p58 (自己幻想) 、対幻想⇔共同幻想(吉本) を引き合いに出して、更に掘り下げている。 家族は子と母と父の3角関係、長期にわたって同棲、見えやすい非対称形 学級には男か女の教師が1人だけ、近代教育の時間割、卒業、教師は生徒を対等に扱う。 P61 ボルノーの教育的雰囲気論 教育学の系譜 ① 発達: 「成長させること」・・・ の対立構図 ② 教育: 「つくること」 第3の可能性 教え込みの伝統 ・・・ 自己発達の伝統 両者とも技術論的見解 ③ 教育的雰囲気 ①と②の内的法則に対して外的雰囲気、 有機論的見解 宮澤は「教育の基本性格を捉えそこなっている」と批判(ホモ・ファーベル=ホモ・エドゥカンスの観点) ①「成長させること」も実は「させる」という主体の働きかけによる加工の一種と見なせる。 ②機械論(物理学的)と生気論(生物学的)の2つだけではなく、錬金術(化学的)という源泉 ※ 教育的雰囲気は、第3の可能性ではなくて、教育関係論の新しい形での継承発展 宮澤の「教育的無意識」への布石? 教育的相互作用論は、教育関係論の挫折の表明である。 P65 ∼ 教育主体の解体 ∼ 教育主体の一方的な強調 教育的相互作用論 、1950 年代(宮原) 教育主体と学習主体との共存&矛盾的統合 教育主体の埋没、解体 ※ 「大人も子どももいない教育」 、1960 年代(勝田) 、1970 年代(楠原) 戦後における教育関 係意識の変化 教育学が教育主体を見失いつつある。 水平的相互関係でのみ教育をみる視点は、大人も子どももいない教育学である。 (竹内) ≒ドイツの教育的相互作用論が、成熟した人間相互間でのみ可能な関係であるという条件を無視 第一節では、人間と教育の能動的主体性を批判 矛盾 ・ホモ・ファーベル=ホモ・エドゥカンスの観点 第二節では、教育の能動的主体性の再建を指向 ・教育主体の解体・不在がもたらすアナーキー状況の危惧 第三節で、この矛盾の対処を検討 三 タテ・ヨコ・ナナメの関係と教育的無意識 p70 タテ関係 … 世代間の垂直関係(親子モデル) ヨコ関係 … 同世代に属する者同士の水平の関係(兄弟) ナナメ関係 … 世代は異にするが、親子の関係ではない関係(伯父と甥、伯母と姪) 「ナナメ」の人間関係を体験することで、子どもは、家族内の親子関係から、家族の外の「ヨコ」 の人間関係に入る準備をすることができる。 例 (依田) positive peer culture(建設的仲間文化) <ワウ・ラウア> … 近年のアメリカ合衆国 (若者と母方のオジとの関係) … ニューギニアの部族 but 近代の教育関係は、ナナメ関係とは対照的に、狭い特殊な大人と子どもの関係 ・子どもを家族内に囲い込む(親以外の大人の影響の回避) ・近代的学級集団 … 一人の大人の指導者を戴く同一年齢集団の編成 (自然発生的な異年齢共存の集団の解体 参 学校 、教師以外の大人の影響力の排除) 透視空間(M・フーコ)⇔ミメーシス、都市の迷路(Labyrinth) 、トポス(ベンヤミン、ブーバー) 高橋勝(序章)第 3 節 経験とミメーシス ナナメ関係の新しい意味づけ(大人世代が全員が、次の世代を育てる仕事に間接的・直接的に) → そのために「教育的無意識」という概念が重要な役割を果たすという予感 (宮澤) p74 無意識 … 「意識には達しない深い心的過程」に迫ろうとする新しい経験科学 政治的無意識(F..ジェームソン) ・ マルクス主義は、政治から芸術まで歴史の発展法則にあてはめて説明する超越論 ・ 精神分析は、エディプス・コンプレックスの理論によって、親子関係を説明する超越論 この「豊かな現実を貧しい図式に還元してしまう」というポスト構造主義の批判に対して… 反批判 『ポスト構造主義も、「言語」そのものを支配的コードとする超越的解釈論である。 自分が依拠するコードの超越性を見えなくする力が人間の認識能力に作用している(ジェームソン) では、どのような超越的な基準を自覚的に設定すればよいか? ジェームソンにとって「政治的無意識」は、自覚的に設定された「超越的基準」である。 p77 ◎ 宮澤が「政治的無意識」とは別個に「教育的無意識」という概念を立てた理由 ・ 「教育は他の手段をもってする政治の継続である」の他の手段にこだわって多面的に熟慮 ・ ジェームソンの政治概念が広すぎて曖昧であるので、教育という独自な位置を確かにする 教育的無意識という仮説的概念 ・ヒトは意識しないうちから、すでに関係の中で存在する。胎児の意志に関わりなく存在が開始 ・新生児は、養育者に対して絶対的依存関係の中に置かれる。 ・子どもは、知識や技術、態度や感性といった文化を、周囲との大人との五感を通して身体化 ・その文化は、大人自身も、その親世代かの影響を受けて身体化した文化 ・ふだんの何気ない言葉や振る舞い、生き方全体を通して次の世代に伝える。 ※文化の基本は、世代から世代へと、教えるという自覚なしに伝える。 参 ハビトゥス(ピエール・ブルデュー) 文化的再生 目的意識的教育を超える関係作用を主題化 (教育の関係と作用を全て意識化するという誤認の自覚)
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