ヒマラヤの麓・シッキムでの 1 年半を終えて インド/シッキム大学 白井 樹(社会学部 4 年) 2010 年 6 月 29 日にインドのシッキム大学への派遣留学生として日本を発ち、2011 年 11 月 30 日に帰国して参りました、社学 4 年の白井樹と申します。留学生リポートという形で、 如水会・国際課・明治産業株式会社および明産株式会社の皆様をはじめ、留学の過程すべ てでお世話になった方々へ、約 17 ヶ月の経験を振り返り感謝の気持ちとともにご報告した いと思います。 シッキムってどこ? シッキム州は、インドの北東端に位置し、西をネパール・東をブータン・北を中国チ ベットと国境を接する、ヒマラヤの麓の美しい小さな州です。1642 年から 1975 年にイ ンドの州となるまでは、シッキム王国でした。現在は、ブータンと並び「アジア最後の 秘境・桃源郷」などと呼ばれつつ“観光立州”が進み経済的な発展が進む一方、巨大水 力発電ダム建設をはじめとする開発プロジェクトをめぐって環境悪化や現地民族との 対立が危惧されている、今日的な問題群を含む地域でもあります。 (左)北東インド諸州。シッキム州は緑色。 シッキム州には、原住民と呼ばれる人々 (レプチャ) 、王国をつくったチベット由来 の人々(ブティア)、ネパール人の諸民族(ラ イ、レプチャ、タマン、プラダンなど)、チ ベット人、アーリア系のいわゆるインド人 など多様な人々が、その高知県ほどの大き さの地域の中で共存しています。共通語と しての日常語はネパール語ですが、それぞ れの人々がそれぞれの文化・言語・信仰を 持つ、多文化・多言語の複合社会です。ほ かのインド地域とは異なる歴史と文化を尊 重するため(そして国防のため)、シッキム 州に入るには特別許可が必要で滞在は観光ビザで最長 2 ヶ月、と定められています。文化 人類学を学ぶ自分にとって、なんだか謎でとてもおもしろいフィールドだと感じました。 大学と大学院での授業 留学先のシッキム大学は、シッキムとその周辺国家を含む地域全体における先進的な教 育を目指して 2007 年に創立されたばかりの国立大学で、その初の外国人留学生として受け 入 れ てい た だき まし た (ネ パー ル とブ ータ ン 人学 生 が数 人 いま した が 隣国 のた め 、 “overseas student”、文字通り「海を越えてきた」学生としては初だ、ということでした)。 今振り返ると、そのために制度上の問題や適応に戸惑い苦労したこともあったと同時に、 だからこそ自分で動いてつくっていくという積極的な楽しみ方ができたと思っています。 一学期目はシッキム大学に附属するシッキム・ガバメント・カレッジ(タドン)で、 ・Sociology(社会学:成立の歴史から古典社会学者の理論まで) ・Educational Psychology(教育心理学) ・Eastern Himalayas II(東ヒマラヤ研究:東ヒマラヤ地域の歴史・政治・経済・文化) を履修しました。中でも Eastern Himalayas II は、分野 横断的にシッキムを含む東ヒマラヤ地域の全体像をつか むことができ、興味深い内容でした。しかし、全体的に 授業は一方向的で先生が読み上げるテキストの書き取り で終わることもしばしば。自分の関心分野との関連の薄 さに悩む日々でもありました。 (右)世界第三の高峰カンチェンジュンガ。西シッキムとネ パールの国境にある。シッキムの人々にとって大切な聖なる 山。写真は、この山から生まれたと伝わるレプチャの人々の 聖地ゾング(北シッキム)から。 そこで二学期目は、大学にお願いし、シッキム大学 Department of Social Systems and Anthropology に異動 し、大学院 2 年生の授業を特別に履修させていただきま した。 ・Population and Society in India(インドにおける人口と社会) ・Polity and Society in India(インドにおける政治と社会) ・Applied Sociology(応用社会学) ・Society, Economy and Development(社会、経済と開発/発展) こちらはレベルもあがり、少人数で先生方との距離も近く、理論をもとに現実を考え、 また理論にフィードバックすること、概念をはっきりと理解することの大切さ、テキスト としてのインドの複雑さとおもしろさを学びました。 このほかにも、シッキム大学主催のセミナー、国内外から講師を招いての特別講義、全 学部の教授・生徒混合で冬休みをつかって実施されたテーマ別フィールドワークなど、授 業とは別の機会でも勉強する機会を得ることができました。 リンブーの村でフィールドワーク 派遣留学としてはここまでで終了ですが、実際は“シッキムにこんなに長くいられるま たとない機会”をさらに5ヵ月のばし、シッキムの理解を深めるべく教室からとびだして さまざまなフィールドに向かいました。 中でも、リンブー(ネパール人 とされる民族グループのひとつ) のヒー村(西シッキム)では、村 の家に泊まらせてもらいながら、 村の生活やシャーマン(呪術師) について、ひとりで延べ1ヵ月強 のフィールドワークをしました。 (左)ヒー村の眺め。 村人たちがすることをし、食べる ものを食べ、ネパール語で会話し、 シャーマンが行う儀礼・儀式へ参 加し、関係をつくりあげながら彼らの世界に身を投じた毎日は、それまでのシッキム滞在 の集大成として何にもかえがたい経験となりました。 日本の地震、シッキムの地震 最後に加えたいのは、東日本大震災の際、シッキムのたくさんの人たちも衝撃を受け、 応援してくれた(今もしてくれている)ことです。地震当日、最初の知らせはシッキムの 友達からでしたし、その夕方には地元新聞社の編集長が連絡をくれて、オフィスでインタ ーネットやテレビを貸してくださいました。数日後にはシッキム記者クラブがキャンドル を灯すイベントを催し自分も参加しました。大学でも学生主導で 3 日間のキャンドル・ラ イトが行われました。このヒマラヤの麓からの祈りや応援の言葉は、日本から遠く離れた 自分にとって、とても心強いものでした。 (左)SIKKIM PRAYS FOR JAPAN (右)大学のキャンドル・ライト。壁には絵も。 くしくも、その約半年後(9.18)、シッキムを震源とする M6.9 の地震が起こり、シッキム州でもたくさんの被害が出て、安全・ 都市と地方・開発といった問題が問い直されています。地震の経 験がほぼ初めてのシッキムの人々にとってはもちろん、自分にと っても、水がない・食糧物資が届かない・道路の寸断で動けない・ 家々の倒壊などの状況を目の当たりにし衝撃を受けると同時に、 協力し合い乗り越えていこうとする人たちの強さとも出会いまし た。 シッキムで大地震を間接的・直接的に“二度”経験したことは、 思いやり、助け合うこと、寄り添いいたわること、水や食、強さ、 豊かさ、つながりあうこと、などの大切なことを考える、シッキ ムでの重要な経験のひとつです。 (右)地震後の友達の村。 ご支援いただいたすべての方へ 最後になりましたが、改めて、この留学制度をご支援いただいている如水会・国際課・ 明治産業株式会社および明産株式会社の皆様、シッキムへのきっかけをつくっていただい た足羽先生、インド留学に関してご指導いただいた佐藤裕先生をはじめ日本・シッキム問 わず留学の過程すべてでお世話になった方々に、心から感謝いたします。交流協定校以外 の枠があってこそ実現したこの留学は、ここには書ききれなかったたくさんの経験を含め、 毎日が自分と向き合う挑戦と学びの場でした。この制度を通して、今後も多くの学生が“挑 戦”の機会をつかむことを祈っています。自分も、ここからさらなるステップへとつなげ ていけるよう、精一杯、精進していきたいと思います。 ありがとうございました! (2012/01/28)
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