広報おおつち8月 5日号 ⑬男の中の男?

No.612
のシュレーゲルによる。二人は有名なシーボルトらが長
崎・出島から送り続けた様々な標本に基づき、幕末の混
乱くすぶり始めた日本から遠く離れたオランダで、ヨー
ロッパにはない魚に次々と名前を付けていった。日本で
はとっくに知られていたブリに初めて名前をつけたとい
うのはおかしな話だが、当時、科学の中心だったヨーロッ
パへ最初に報告したという意味だから仕方がない。魚だ
けでなく、ほ乳類や鳥類、植物など多くの日本の生き物
がシーボルトらを通じてヨーロッパへ知られることと
なった。
﹁○○の中の○○﹂は存在する
﹁国際動物命名規約﹂に従えば、江戸時代の長崎で採集
され、テミンクとシュレーゲルにより新たな学名ととも
に報告された 1 匹のブリこそが﹁ブリの中のブリ﹂とな
る。残念ながらこの標本は紛失しているが、シーボルト
に付き従った日本画家・川原慶賀の手による緻密なスケッ
チ を 見 る こ と が で き る。 ま た、 後 生 の 研 究 者 に よ っ て、
1947 年に代わりの﹁ブリの中のブリ︵干物のようだ
が・・・︶
﹂が指定され、今もオランダ・ライデンの博物
館に存在している。ちなみに、同様の理由により、マア
ジの中のマアジ、マイワシの中のマイワシ、ヒラメの中
のヒラメなど多く魚たちが同じ博物館に保管されている。
男 の 中 の 男 は い ざ 知 ら ず、 生 物 に は﹁ ○ ○ の 中 の ○ ○ ﹂
が間違いなく存在する。
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Otsuchi
⑬男の中の男?
私の知り合いに﹁男の中の男﹂を自認するものがいる。
意味がわからないので詳しく聞いてみたが、やっぱりよ
く わ か ら な か っ た。 し か し、 生 き 物 に は﹁ ○ ○ の 中 の ○
○﹂と呼ぶべきものがいる。例えば、魚屋でよく見かけ
る﹁しょっこ﹂。いわゆるブリの子供だが、﹁ブリの中の
ブリ﹂はオランダ・ライデンの自然史博物館にいる。私
の知人のように﹁自称﹂でも、意味不明でもなく、世界
中の科学者が認める正真正銘﹁ブリの中のブリ﹂である。
学名には基準となる1個体の標本が
ア 山 中 の 先 住 民 が、 そ こ に 生 息 す る 138 種 の 鳥 の う
ち 1 種 を 除 き、 す べ て を 正 確 に 区 別 し て い た こ と か ら
も わ か る よ う に、 人 間 は 目 に 入 る も の を 自 然 と 区 別 す
る。こうして有史以来、ヨーロッパを中心に地球上の生
物は﹁分類﹂され続けてきた。しかし、バラバラの﹁分
類﹂は非常に扱いにくい。そこで百年近い議論の末、よ
うやく 1961 年になって﹁国際動物命名規約﹂なる決
まり事ができた。細かいことは抜きにして、重要なのは
1700 年代中ごろから広く用いられてきた方法に従っ
て動物に名前︵学名︶を付けること。その際、名前の基
準 と な る 1 個 体 を 指 定 し、 体 の 大 き さ や 形 な ど 詳 細 な
特徴を公表した上で、将来にわたってその標本が保存さ
れるようにすることである。つまり、動物の名前︵学名︶
にはすべて、その基準となる 1 個体の標本が存在するの
である。これこそ、まさに﹁○○の中の○○﹂であろう。
幕末期にオランダで命名
TEL 0193-42-2111 FAX 0193-42-3855
〒 028-1192 岩手県上閉伊郡大槌町上町 1-3/ 印刷 ㈱東海印刷所
ブリに最初の学名が付けられたのは 1854 年。当時、
ライデンの博物館館長だったテミンクと脊椎動物研究者
広報おおつち8月5日号
青 山 潤
1967 年 神 奈 川 県 生 ま
れ。専門は魚類の生態学。
研究の傍らエッセーも執
筆。「アフリカにょろり旅」
(講談社)で第 23 回講談
社エッセイ賞受賞。他に「う
なドン」「にょろり旅・ザ・
ファイナル」(いずれも講
談社)などがある。
なんのことやらと思われるかもしれないが、この理由
は 現 在 の 分 類 学 上 の ル ー ル に あ る。 パ プ ア ニ ュ ー ギ ニ
知の歴史を積み重ねるヨーロッパの博物館(ベルリン)の標本庫内部。ここ
にも多くの「○○の中の○○」が所蔵されている。分類学者の渡邉俊さん(日
本大学)は、日本の施設との違いに圧倒されたという。今、目の前を泳いで
いる魚も、百年先、二百年先の科学にとっては貴重な標本となるのである。