1/10 スリランカにおける目録作業 ピヤダーサ・ラナシンハ ケラニヤ大学

スリランカにおける目録作業
ピヤダーサ・ラナシンハ
ケラニヤ大学図書館情報学部
翻訳:国立国会図書館書誌部
国土
スリランカは、面積 6 万 5610 平方キロメートル、人口約 1914 万 4875 人のインド洋に浮か
ぶ島国である。スリランカの社会は、主に4つの民族集団、シンハラ人、タミル人、イスラム教
徒、バーガー人から成っており、多言語社会である。島では、文字の異なる3つの言語、シンハ
ラ語、タミル語そして英語が公用語となっている。また、宗教的にも多様で、4 つの主な宗教が
存在する。仏教、ヒンズー教、キリスト教そしてイスラム教である。国の識字率は、およそ 90
パーセントである。1
我が国には、途絶えることなく記録された 2500 年以上に及ぶ歴史が存在する。全ての書誌学
的活動の最も基本的な前提条件となる「文字を書く」という技術は、この島では紀元前 3 世紀
から知られていた。2
図書館
紀元前 3 世紀の仏教の伝来は、知的伝統の起源として位置づけられる。それは、この国の主
要な都市に存在した仏教僧院の影響の下で、数世紀にわたって栄えたものである。実際に、学習
と学問は、これらの僧院および寺院に集中していた。3 それゆえに、僧院・寺院は、ごく自然に、
書物の生産と保護の中心となっていった。紀元後 5 世紀以降、数多くの僧院図書館が存在した
ことが史料により明らかになっている。これらの初期の図書館については、それらが存在したと
いうこと以外に何の情報も残されていないが、蔵書の組織化やリスト作成のような書誌学的活動
が行われていたと推測することは可能である。4
オラ(Ola)の葉は、古代において、広く筆記用として用いられた材料であり、「書物」はオ
ラの葉を繋ぎ合わせて作られていた。5 スリランカは、貴重な書物の生産と流通の地として有名
であった。南インド、中国、タイは、しばしばスリランカから仏典や注釈書の写本を得ていた。
また、書物を求めて、異国の学者たちもスリランカを訪れた。6
古代のスリランカには、書物も図書館も学問も存在したという事実にも関わらず、この時代の
目録や書誌や書物リストに関する情報は何も残されていない。現在のところ、我が国の書誌学的
伝統をたどることが出来る記録は、17 世紀以降に限られる。
スリランカは、16 世紀に初めて西欧勢力の影響を受けるようになった。1505 年にポルトガル
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人が到来し、この島の海岸地域を支配した。その支配は、1658 年にオランダ人が彼らから奪い
取るまで続いた。おそらく、ポルトガル人による「異教の信仰に奉げられた礼拝施設の容赦ない
破壊」7 は、その当時既に地域的な図書館システムが存在したとしても、その弔鐘を鳴らすこと
になったのだろう。
スリランカは、オランダと接触するようになって、印刷時代に突入した。1737 年、最初のシ
ンハラ語による印刷本“Singleesch Gebeede-Boek”8 がコロンボのダッチ・プレス(Dutch Press)
から出版された。この印刷会社は、1796 年に英国がスリランカ海岸地域の支配者となった際に
接収された。
英国支配下の 19 世紀前半においては、印刷産業の発展は遅々としたものだったが、
同じ世紀の後半、現地語出版物のための印刷会社が多数設立されたことにより、急速に流通が拡
大した。9
目録と目録作業
図書館目録についての記録が最初に現れるのは、18 世紀である。1707 年、当時のスリランカ
におけるオランダ人総督であったコーネリス・ジョアン・シモンズ(Cornelis Joan Simons)が、
コロンボの司法評議会(the Council of Justice)に関して、「評議会の会議所にはとても便利な
図書館がある。管理はあまりよくなかったので、私はそこの蔵書の目録を持っていたが・・・」10
と述べている。
英国支配下の 19 世紀初頭、近代的方針に則った図書館運動が育ち始めた。英国や西欧諸国か
らの移住者、英語教育を受けた現地のエリートたちが書物や知識を求めたため、数多くの公共/
学術/自然研究図書館が、この時代を通じて、この島の様々な主要都市に溢れた。11 仏教僧院で
行われてきた伝統的東洋学問の復興もまた、この時代の急速な図書館の発展に寄与した。この復
興運動のおかげで、特に、国内に残るオラの葉の手稿本を収集し、リスト化し、保存することが、
この時代の優先事項となった。
19 世紀、スリランカの図書館が直面していた最も重要な課題のひとつは、彼らの利用者にい
かにして早く簡単に使えるように蔵書を組織化するかということであった。12 もちろん、これは
西欧世界の図書館にとっても常に存在する課題であった。イギリスとアメリカにおいて、目録規
則を形成しようという動きが組織的になってきたのも、19 世紀中ごろのことである。
国際的に合意の取れた目録規則がないままに図書館目録を作成しようというのは、紛れもなく
困難な作業である。それゆえに、初期の目録作成者は、彼ら自身の経験と創作力に基づいた独自
の体系を発達させていった。13
注目すべきことに、スリランカにおいて初期の図書館目録の大部分は、印刷本の形態を採って
いる。これらの目録は六つのグループ (1) 学術/調査研究図書館の目録、(2) 有料/公共図書館
の目録、(3) 手稿本の印刷目録、(4) 全国出版物目録、(5) 件名目録、(6) 販売/商業用目録に分
けられる。
我が国初期の目録に関する私の調査によれば、最初の冊子体目録は、1827 年に出版された「セ
イロン局医薬部門図書館・博物館」(the Library and Museum of Medical Department on the
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service of Ceylon)のものである。この目録は、当時のスリランカの医薬部門の図書館の蔵書と
博物館の収蔵品の双方の目録を兼ねている。これは初歩的な分類目録で、本については 13 の大
きなカテゴリーに分類されており、(1) 著者名およびタイトル、(2) 所蔵巻号、(3) 本の大きさ、
(4) 出版地が記録されていた。この目録の編纂方法について他に情報は無いが、同時代の英国の
図書館の冊子体目録の影響を受けたと推測するのは合理的であろう。
コロンボ博物館図書館(the Colombo Museum Library)は、1877 年の開館以来、通常の「カ
ード目録」に加え、重要な冊子体目録を数多く作成してきた。ここで触れておかねばならないが、
この図書館の司書の一人、ジェラルド・A・ジョセフ(Gerard A. Joseph)は、スリランカにお
ける書誌学的伝統の発展に多大なる貢献を果たし、彼のプロフェッショナリズムは国外で評価さ
れた。彼は、1897 年にロンドンで開催された国際図書館会議 60 年記念大会(Diamond Jubilee
International Library Conference)に招待され、副議長に任命された。彼はこの会議で「セイ
ロンの図書館」と題する発表を行った。14 ジョセフによって作成された目録には、カッターの辞
書体目録規則(RDC)の影響が認められる。例えば、1899 年出版の『コロンボ博物館図書館目
録補遺 No.2 第 2 部:印刷本』
(Supplement No.2 to the Catalogue of the Colombo Museum
Library, part ii: Printed books)の序文には、目録についての以下の目的が挙げられている。
誰でも、以下のいずれかが判明していれば、本を探せるようにすること
(a)著者
(b)タイトル
(c)主題
図書館が所蔵する次のものがわかること
(d)特定著者の著作
(e)特定主題の著作
(f)特定種類の著作
カッターに対する謝辞は無いが、これらはカッターによる目録の目的についての文章の直接的
な引用である。記入も RDC に従って作成されている。
1901 年、ドン・マルチーノ・デ・ジルバ・ウィクラマシンハ(Don Martino De Zilva
Wickermasinghe)による『大英博物館図書館所蔵シンハラ語印刷本目録』(the Catalogue of
Sinhalese Printed books in the Library of the British Museum)は、大英博物館コード(B.M.
Code)に基づいている。基本記入の選択、書誌記述、
「学会」や「定期刊行物」のような形式標
目の使用そして参照の形式は、この影響を強く示唆している。目録作業の歴史において初めて、
この目録はシンハラ語個人名の使用に関する問題を論じている。いくつかの図書館は、当時イギ
リスの図書館で採用されていた目録法を用いてきた。一例を挙げると、『ペラデニア王立植物園
付属図書館目録』(the Catalogue of the library of the Royal Botanical Gardens, Peradeniya)
の編纂者は、自身の目録の基本設計は、ケンブリッジ大学図書館のそれと類似していると明記し
ている。
この時代の公共図書館目録は、簡単な図書リストに過ぎない。それらのほとんどにおいて、書
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誌記述は著者名とタイトルに限られていた。
同じ時代の手稿本の冊子体目録は、記述目録法の十分に発展した段階を表している。例として
挙げると、1870 年出版のジェームズ・デ・アルウィス(James de Alwis)による『セイロンに
おけるサンスクリット語、パーリ語およびシンハラ語文学作品記述目録』(A descriptive
catalogue of Sanskrit, Pali and Sinhalese literary works of Ceylon)は、この国における最初
の記述目録と認められる。同様に、1885 年ルイス・デ・ゾイサ(Louis de Zoysa)による『セ
イロン内寺院図書館所蔵パーリ語、シンハラ語およびサンスクリット語手稿本目録』(A
catalogue of Pali, Sinhalese and Sanskrit manuscripts in the temple libraries of Ceylon)は、
この時代の最も優れた記述目録のひとつである。この目録は「慎重な調査に基づいた先駆的分類
目録の注目すべき事例」15 なのである。
スリランカにおける全国出版物目録の起源は、1885 年の印刷・出版者令(Printers and
Publishers Ordinance)の制定に遡る。この法令は、法律の規定の下に書籍登録官に納入され
る本について、その詳細を出版することを強制的な要件とした。『セイロン印刷出版物四半期報
告書』
(Quarterly Statement of Books printed in Ceylon)として知られる出版物リストは、政
府の官報の一部として出版された。ここで注目すべきことに、各々の本について、以下の 13 の
エリア、すなわち包括的書誌記述が、この出版物リストで与えられている。それらのエリアとは、
1.その本のタイトル(英語タイトルが無い場合は英語に翻訳したタイトルをともに)
2.その本が書かれている言語
3.その本全体もしくはその一部に関わる、著者名、翻訳者名、編集者名
4.主題
5.印刷地および出版地
6.印刷者名もしくは印刷会社名および出版者名もしくは出版会社名
7.印刷もしくは出版による発行日付
8.シート、葉、ページの数
9.大きさ
10.初版、第二版もしくはその他の版次
11.その版の発行部数
12.活字印刷か石版刷りかの別
13.一般に販売される際の価格
14.版権もしくはその一部の所有者の名前および住所
書誌記述
出版物の書誌記述は、全ての目録および書誌の基幹を成すものである。記述対象となった資料
の同定はそれに依存している。しかしながら、このレビューで扱っている目録は、ISBD のよう
な公認された書誌記述の基準が存在しない状態で生み出されたものであり、図書館のタイプによ
って、少なくとも二つのレベルの記述に従っていると思われる。
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一般に、調査研究/学術図書館の目録はその記入に以下のような書誌的要素を含んでいる。
1.著者
2.タイトル
3.版
4.出版地
5.ページ数、冊数
6.注記(場合によって)
例えば『大英博物館図書館所蔵シンハラ語印刷本目録』
(1901)のように、いくつかの記入に
おいて、出版者/印刷者についても記述されている目録もある。これらの要素は、現代の感覚で
見れば完全に記述されてはいないが、それでも、記述対象の著作を同定するには十分なのである。
一方、公共図書館目録の記入における書誌記述は、基本レベルに留まっているように見える。
大半は、タイトル-著者名リストあるいは著者名-タイトルリストのみであり、その他の書誌的
事項は無い。
それゆえ、図書館のタイプによる目録の目的の違いが、記述要素の選択と記述レベルの選択の
両方について決定要因となっていたと推論するのは妥当であると言える。
記入の排列のための標目
標目つまり「アクセス・ポイントを提供するため目録記入の冒頭に置かれる名前・単語・語句」
16 は、目録において全ての記入の書誌記述への鍵として働くものである。標目は、利用者の出版
物へのアプローチに基づいている。つまり、目録作成者や書誌学者は、その時代で最も一般的な
利用者のアプローチ法に相応しい標目の下に、記入を排列するべきなのである。
ここでもまた、図書館のタイプが、目録記入排列のための標目を決定する上で、影響を及ぼし
ているようである。調査研究/学術図書館の目録においては通常、著者の姓を標目として用い、
作者不明の著作についてはタイトルを標目として用いる傾向が見受けられる。この習慣とまった
く逆に、公共図書館の目録においては、タイトル標目による目録記入の排列を見ることができる。
記入の要素
目録記入が基づくべき標目の要素についての選定基準が存在しない状態であったが、イニシャ
ル付きもしくはイニシャル無しで著者の姓を用いるという一般的慣習は、これらの目録の多くに
見ることができる。しかしながら、タイトルの記入に関しては、二種類の慣習が見受けられる。
1.直接的タイトル記入(タイトルをあるがままに転記)
2.転置形タイトル記入(タイトル中から記入の要素として「キャッチ・ワード」を抜き出
して転記)
タイトルの転置は公共図書館の目録において広く見られる。確かに、「キャッチ・ワード」を
先頭にして転置させるというこの方法によれば、件名標目表が無くても、関係する全ての目録記
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入を一つの標目の下に集めることが可能になる。
下記は、
『統合業務局図書館図書目録』
(1901)
(the Catalogue of books in the United services
Library)から抽出した、転置形タイトル記入の例である。
Ceylon, and its capabilities by J.W.Bennett
Hansard 1885, 1885, 1887
Civil service manual- Dickman
Handbook and directory, by Ferguson
Map of Kandy Districts of, by Colnel Fraser
排列
わずかな例外(例えば、ジェラルド・A・ジョセフによる目録)を除き、これらの目録の大部
分では、記入が、少数の大雑把な主題を表す件名標目の下にアルファベット順に排列されている。
排列目的のために何らかの分類法が用いられたわけではなく、このような排列は、その当時の
個々の図書館における書架の排列を反映したものだったと考えられる。とはいえ、今日我が国で
用いられている分類目録法は、この「アルファベット順分類」法にその起源を求めることができ
るのである。
現地語タイトル
自国の出版物が多言語であることは、これらの目録の編纂者にとって常に問題となったようで
ある。現地語の出版物を記録するための共通認識は、図書館界に存在しなかった。現地語タイト
ルのローマ字への翻字法が無かったわけではないのに、多くの目録編纂者が移住者や英語教育を
受けたエリートであったため、現地語のタイトルを英訳した形で記録することを好んだ。この慣
習は、これらの目録の許し難い弱点である。なぜなら、現地語出版物の英訳タイトルは、記述さ
れた資料の同定に役に立たないからである。しかしながら、例えば『大英博物館図書館所蔵シン
ハラ語図書目録』のように、いくつかの目録では、原綴と共に翻字したタイトルを掲載している。
目録規則
スリランカにおいて何らかの目録規則が生まれたと明言するに足る確かな証拠は見つかって
いない。古代において、オラの葉の書物をリスト化する体系的方法は存在したようである。しか
しながら、現在、そのような方法に関する情報は何も残っていない。他方、西欧の影響を受けた
後も、我が国において目録規則は発展しなかった。その理由は容易に理解できる。目録作業に携
わった人々は、英語教育を受けたエリートたちであった。彼らが目録を編纂する際に、英語で書
かれた目録規則を使おうとすることは、極めて自然なことだったのである。
英米的手法
20 世紀中頃から、英米の目録法の手法が、スリランカにおける目録作業に影響を及ぼし始め
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た。ロンドン図書館学・文書館学校(the School of Librarianship and Archives in London)で
教育を受けたスリランカの司書たちが、このプロセスの進行を助けたようである。1932 年にロ
ンドン図書館学・文書館学校を卒業した最初のスリランカ人司書は、セイロン大学の司書、R.L.
エンライト氏である。次の年、コロンボ市立図書館の司書がロンドン図書館学・文書館学校に入
学した。17 この流行は続き、1960 年代までにスリランカには多くの有資格司書が存在すること
となった。
我が国最初の大学であるセイロン大学は、1921 年設立であるが、1934 年まで図書館に固有の
目録が無かった。この図書館の目録には、「ジョイント・コード」とも呼ばれる ALA の目録規
則(Cataloguing rules: Author and Title entries)の影響が見られる。とはいえ、地域の事情に
合わせたある程度の修正は行われている。そのような重要な修正の一つは、1900 年以前に出版
されたシンハラ語図書の記入をタイトルの下に作成していることである。
1979 年に AACR1を採用するまで、この目録は、著者・タイトル・出版事項・シリーズだけ
が記録された単純なものだった。18
1959 年に設立された二つの新しい大学の図書館は、「ALA 著者書名目録規則」(A.L.A.
Cataloging rules for author and title entries)と「米国議会図書館記述目録規則」
(Rules for
descriptive cataloging in the Library of Congress)を同時に採用した。彼らは、AACR1 と
AACR2 が世に出たときも、躊躇せずに採用した。今や、全ての大学図書館が、AACR2 に則っ
て目録を編纂している。大学図書館以外にも、国立図書館を含む国内のほとんどの図書館が、現
在、AACR2 を用いている。スリランカの全国書誌の編纂に AACR2 が用いられていることが、
影響を与えている要因である。また、図書館教育に関わるスリランカの全ての研究施設における
目録法の講義要目は、AACR2 に基づいている。それゆえ、スリランカにおいては、英米的手法
が、目録法のツールとして優勢となってきたのである。
問題
広く用いられてはいるが、英米的手法は国別の状況に応じて適用するには多くの問題を含んで
いる。これらの問題は、書誌記述にもアクセス・ポイントの選択にも認められる。
この報告では、統一タイトルの使用と結びついている主要な問題点についてのみ取り上げる。
AACR2規則 1.1B2 と規則 25.4 との矛盾
規則 1.1B2 によれば、本タイトル中に責任表示が含まれており・・・それが本タイトルの不可分
な部分となっている(すなわち、格変化語尾やその他の文法的構造によって結びついている)と
きは、それをそのまま本タイトルの一部として転記する、とある。
スリランカでの状況を述べれば、1900 年以前に作られた著作のタイトルのほとんどは、著者
名を不可分な部分(文法的に結びついている)として含んでいる。しかしながら、これらの著作
は、一般に、著者名を省いた形式のタイトルで知られている。著者名は単に、著作の重要性を示
すためにタイトルの冒頭に加えられているのである。
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例えば、“Siri Rahal Himiyange Selalihini sandesaya”という著作のタイトルは、“Selalihina
sandesaya”なのである。
「Siri Rahal Himi」は著者であり、
「ge」は結合機能を持つ前置詞であ
る。英語での意味は“Sir Rahal thera’s Selalihini Sandesaya”となる。
もしも上記の規則 1.1B2 に固執するなら、我々はこれらのタイトルのほとんど
(おそらく 75%
以上)について、規則 25.4 に従い、統一タイトルを用いなければならない。実際には、これら
の作品は通常、著者名を省いたタイトルで知られている。ゆえに、それらの著作については、む
しろ本タイトルとしたいほど広く認知されているタイトルをわざわざ統一タイトルとして用い
るというのは、愚かしいことである。これらの著作について、スリランカ人が冒頭に著者名が付
いた形のタイトルから探すことはないので、統一タイトルは全く必要がない。しかしながら、著
者名付きのタイトルで検索される場合に備えて、著者名付きタイトルから正確な本タイトルへの
参照を作成してもよいだろう。
個々のタイトルの時代区分
AACR2 においては、個々のタイトルは 2 つの時代区分に分けられる。すなわち、1501 年以
後の著作か、1500 年以前の著作かである。最初のカテゴリーにおいては、著作の体現形で使わ
れたか、参考情報源から知られるようになった原語のタイトルが統一タイトルとなっている。二
番目のカテゴリーにおいては、現代の情報源で同定される原語のタイトルが統一タイトルとなっ
ている。そのようなタイトルが確立されていない場合は、(1) 現代の版で、(2) 初期の版で、(3)
手稿写本で使われているタイトルを統一タイトルとして用いることが推奨されている。
スリランカにおける現地語出版物に関しては、このような時代区分は必要無いと思われる。そ
の著作の体現形で使われてきたことによって知られるようになった原語のタイトルを統一タイ
トルとして用いることには、何の問題も無い。それが不可能であれば、参考情報源で通常使われ
るタイトルを統一タイトルとして用いることができる。
何らかの時代区分が必要とすれば、1900 年がもっとも適切な区切りである。なぜなら、1900
年以前に作られた現地語出版物のほとんどが通常、そのタイトルによって認知されているからで
ある。
仏教経典
古代のシンハラ語文献の大部分は、仏教経典に基づいている。シンハラ文字のパーリ正典、シ
ンハラ語訳のパーリ正典、パーリ正典についてのシンハラ語注釈書、パーリ正典のシンハラ語で
の翻案もしくはリライトは、スリランカにおける仏教経典の最も一般的な体現形である。統一タ
イトルについての AACR2 の 25.18F-25.18F3 のような規則は、仏教経典については、不十分
であると思われる。パーリ正典の一部とみなされる Milinda pangha や Pretavatthu のような資
料は現在の規則では扱われてこなかった。それゆえ、スリランカは、仏教経典の統一タイトルに
ついて、独立した規則を必要としている。
統一タイトルの使用法は、国ごとに、そして言語ごとに異なるべきものである。統一タイトル
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の使用に関する問題の解決策は、各国の国家機関によって、そのようなタイトルについての典拠
リストが作成され、ガイドラインが示されることである。
結論
自国の出版物に対する規則の適用に関して問題があるにも関わらず、現在、スリランカの図書
館における目録作業は AACR2 に基づいている。これらの問題については、目録作業についての
国レベルの方針を決めることで、うまく対処できた。国際目録規則を使うようになっても、目録
作業に関する国レベルのガイドラインは絶対に必要である。
参考文献と注
この発表に含まれる情報のほとんどは、1994 年に南ウェールズ大学から授与された、著者の
図書館学修士学位論文に寄っている。
1.Sri Lanka country profile. (2006) http://www.ourlanka.com. (2006 年 8 月 3 日現在)
2.De Silva, Harischandra (1972) Printing and publishing in Ceylon, Colombo, Sri Lanka
National Commission for Unesco, p. 1
3.同上
4.これらの僧院図書館については以下を参照。
Piyadasa, T.G. (1981) Libraries in Sri Lanka: their origin and history from ancient
times to the present time, Delhi, Sri Satguru Publications, chap. 1
5.De Silva, H., p. 9
6.同上 p. 9
7.De Silva, K.M. (1981) A history of Sri Lanka, Delhi, Oxford University Press, pp.
113-129
8.De Silva, H., pp. 9-13
9.同上 p. 27
10.Simons, Cornelis Joan (1914) Memoir of Cornelis Joan Simons, Governor and Director
of Ceylon for his successor Hendik Becker, 1707, translated by Sophia Anthonisz,
Colombo, Government Printer, p. 20
11.Ranasinghe, Piyadasa (1993) A note on some early printed library catalogues in Sri
Lanka. Library news: the letter of the National Library of Sri Lanka, 14(1), p. 21
12.同上
13.同上
14.Piyadasa, p. 71
15 . Goonetileke, H.A.I. (1970) A bibliography of Ceylon: a systematic guide to the
literature on the land, people, history and culture published in Western languages
from the sixteenth century to the present day, vol. 1, Zug, Inter Documentation
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Company, p. 21
16.Anglo-American cataloguing rules. (1988) 2nd ed. 1988 revision, Ottawa, Canadian
Library Association, p. 13
17.Piyadasa, p. 87
18.Gunapala, M.A. (1986) catalogue of the main library, University of Peradeniya, Sri
Lanka. Library news: newsletter of the National Library of Sri Lanka, 7(3/4), p. 12
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