3.5 体操/ダンス領域における用具・器具の活用 −世界体操祭で発表された実践例の紹介− 三重大学 教育学部 保健体育講座 後藤 洋子 1.はじめに 小、中学校では平成 14 年度から、高等学校では平成 15 年度から新学習指導要領が施行 された。今回の改訂によって、学校体育の中で、これまでの体操領域に新たに「体ほぐし の運動」が追加され、それに伴って領域の名称が「体操」から「体つくり運動」に変更さ れた。この新しい「体ほぐしの運動」は、現代の子どもたちの強ばった心と体をほぐし、 生涯に渡って運動やスポーツと豊かに関わっていけるような基礎をつくることをねらいと している。 この「ほぐし」という活動は、元々ダンス領域で使われていたもので、ダンスを踊るこ とへの「ためらい」や「苦手意識」を取り払い、積極的なダンス活動へと導く役割を持っ た運動を称したものである。つまり体ほぐしの運動は、活動的に遊ぶ場所や時間を失い、 運動やスポーツに対する意欲が低下してしまった子どもたちの持つ「ためらい」や、運動 経験の不足から基礎的な技能を習得できなかった子どもたちが持つ運動・スポーツに対す る「苦手意識」を払拭させるような様々な活動を通して、運動の持つ楽しさや気持ちよさ を経験させることがねらいとなっている。 「体ほぐしの運動」の実践に関しては 1.自己への気づき、2.仲間との交流、3.身体の調 整をキーワードとして、これまでの体育とは異なった活動が展開されている。その一つに 運動用具・器具の活用と創造が挙げられる。従来の運動内容に捕らわれない、多様な動き の世界を体験する場をつくるための手掛かりとして、新しい用具・器具を利用しようとす るものである。つまり既成の用具については新しい使い方を考えたり、用具を組み合わせ たり、またこれまで使われていなかった新しい用具・器具を導入したり、オリジナル用具 を作ったりすることで、多様な運動経験の場がつくられ、運動の可能性が広げられていく ことを目指している。 このような観点での活動は、特にヨーロッパの体操/ダンス領域の実践において先進的 な取り組みが見受けられる。2003 年 7 月 20−26 日にポルトガルのリスボンでワールド・ ( 注1) ジムナストラーダ という世界体操祭が開催された。この大会には世界 46 カ国から、 老若男女約 22,000 人の体操/ダンスの愛好家が参加しており、体操/ダンス領域における 世界最大規模の大会である。著者も視察団の一員として参加し、資料収集や情報交換に勤 めてきた。そこで、ワールド・ジムナストラーダで発表された多数の作品のうち、体操/ ダンスにおける運動用具・器具の活用及び創作に焦点を当てて、ドイツ、、イタリアの実践 例を中心に紹介することにする。 2.手具、用具、器械、器具の活用について 体操/ダンス領域の運動に用いられる器具、用具等については、大きさ並びに活用の方 法から大きく 2 種類に分けられている。一つは手に持って操作する事ができる比較的小さ なもので、一般に手具または小器具と呼ばれているものである。もう一方は主として固定 的に設置されて使われる、固定器具または器械と呼ばれているものである。この分類をも とに、まず手具・小器具について、既存の物を組み合わせたり大きさを変えたりして新し い活用方法を考え出した実践例を、次に一般的な固定器械・器具について、新しい活用方 法を提示した実践例を、最後に表現の可能性を広げるために新しく創作した器具を使った 3.5-1 実践例について取り上げる。 2.1手具、小器具の活用例 体操の代表的な手具である輪は、フラフープとしても広く普及しており、多様な運動が 可能な手具として活用されている。イタリアの体操チームは、この輪 3 個と幅の広いゴム を何本も組み合わせて、新しい動きの可能性を提示していた(写真 1)。輪をゴムで繋ぐこ とにより、他者と協力することで、弾力性を持った引っ張る- 引っ張られる動きが可能にな っている。 伸縮性のあるゴムと形が固定されている物とを組み合わせた例として、この他にもイタ リアのローマ大学が作品を発表した、小棒 2 本をゴムで繋いだオリジナル器具が挙げられ る(写真 2)。何れも手具や小器具を複数組み合わせることにより、各々単独で使用する以 上に動きの可能性が拡大された例である。 著者らは数年前からボール(ドッジボール等)を洗濯ネットに入れて、これを使った様々 な運動プログラムを考案している。これはボールが持つ弾む、転がるという運動特性を損 なわずに、手に持って振ったり回旋したりする運動が可能となり、更にボールが錘のよう に働き、個々の動作が大きくなるという利点がある。ワールド・ジムナストラーダにおい ( 注 2) ても、イタリアの体操チームの発表の中に、Gボール をゴミ袋に入れてこれを振った り、回旋させたり、弾ませたりする作品が見られた(写真 3)。サイズが大きいGボールを 使用することで、ボールの上に座ったり、ボールの上で弾んだり、転がったりすることが できるようになり、動きの可能性が一層拡大される。 写真 1:輪とゴムの組み合わせ 写真 2:小棒とゴムの組み合わせ 写真 3:Gボールとゴミ袋の 組み合わせ ドッジボールとGボールでは外見も使い方も大きく異なるが、それは大きさの違いが基 になっているといっても良いであろう。手具、用具の活用という観点からも、既存の手具、 用具の大きさを変えることがヒントになる。例えば、前述の輪(フラフープ)については 直径が通常 80−90cm 程度であるが、これを直径 150cm にしたり、縄跳びの縄を綱引きのロ 3.5-2 ープの太さにして、長さも 3m 位にしたりする等の実践例も発表されていた。手具、用具の 大きさを変えることで、これらの扱い方が変化し、動きの可能性が広がるとともに、動き 方や扱い方を学習する上で効果的であると考えられる。 2.2器械・器具の活用 我が国の体育における固定器具と言えば、器械運動の授業で使用されるマット、跳び箱、 鉄棒が挙げられる。この他にも平均台や平行棒等があるが、学校体育の中で、これらの使 い方は非常に限られたものであった。最近、体ほぐしの運動の導入により、これらの器械 の使用方法が拡大される傾向にあるが、未だ十分とは言い難い状況にある。そこでワール ド・ジムナストラーダの発表作品において、これらの器械・器具がどのように使われてい るか、特徴的な例を幾つか紹介する。 ドイツの体操クラブチームの発表の中で、高鉄棒を縦に3台段違いに並べて設置し、数 人のグループがこれを使って演技する作品があった(写真4、5)。一般に器械運動や体操 競技は個人単位で実施するものであり、一つの器具を共同で使用したり、数人で同時に演 技したりすることはあまり考えられていない。また、鉄棒の演技は鉄棒上で実施されるも ので、支柱を使った運動の実践は殆ど見あたらない。器械・器具の扱いについて、一つの 方向性を示した実践と言えるだろう 写真 4:集団での鉄棒演技 写真 5:鉄棒の支柱を使った演技 跳び箱は様々な跳躍の技術に挑戦することが課題とされることが多い。跳び箱の高さと 跳躍の種類の組み合わせで難易度を設定する方法は、跳び箱運動の典型的な捉え方と言え るだろう。跳び方について系統的に学習することは運動文化の学習につながるわけで、そ れは大変重要なことである。しかし跳び箱を使った運動はこれに固定されているわけでは なく、もっと広い可能性を持っている。例えば、複数の跳び箱を使って連続してリズミカ ルに跳び越していったり、数人で同調して動いたりすることも可能である。 更に、跳び箱を固定器具として考えず、各々の段を分解し、置き方も変えることで運動 の可能性は飛躍的に拡大する(写真 6、7)。つまり、段の中をくぐる、上に立つ、運ぶと いった本来の跳び箱運動とは別の観点からの運動が可能になってくる。この他にも器械を 分解して使用する例として、イタリアのグループの発表の中で、平行棒のバーの部分だけ を取り外して脚立に乗せ、その上を歩いたり(写真 8)、渡ったりする運動が提示されてい た。 このような器械・器具の多様な使い方を可能にするためには、器械・器具そのものがそ れに適していなければならない。つまり固定器具と言えども、分解したりレイアウトを自 由に組み替えられるように、また設置の際の組み立て易さや移動の簡便さが考慮されてい る器具であることが必要だろう。日本の学校体育の中で使われているマット、跳び箱は重 3.5-3 量があり、鉄棒は屋外に固定されており、何れも移動が困難である。今回取り上げたドイ ツ、イタリア、等の国では、体育館にあるこれらの器械・器具が手軽に使えるような仕様 になっている。例えばロングマットは子ども2人で運べる重さであるし、跳び箱には滑車 がついていて子ども一人で簡単に移動でき、低鉄棒の支柱は油圧式で、床から指一本でせ り上がってくるようになっている。器械・器具を作る側の発想が影響している。 一方、器具・用具を使う側においては「これは−するもの」ではなく「これを使ってど んなことができるか」という発想を出発点に持つことが是非必要であると思われる。しか し、スポーツ活動に密接に関わってきた者は、ともすれば運動用具が本来の使われ方を外 れることに対して、若干の抵抗感を持つことがある。確かに「正しく使うこと」は危険を 回避する面からも重要なことである。運動を指導する立場にある者は、子ども達に多様な 運動経験の場を提供するためにも、安全管理を前提にしながらこの抵抗感を克服し、柔軟 な発想を心掛ける努力をする必要があるだろう。 写真 6、7:跳び箱を使った演技 写真 8:平行棒と脚立の 組み合わせ 2.3器械・器具の創作 器械・器具の活用方法を工夫するレベルがすすみ、ついには自分たちで器械・器具を創 作したグループがあった。いずれもドイツのグループであった。 まず、ベルリンの体操チームは木製の丸材、角材、板、滑車、ワイヤー等を使って、自 由に組み替えられる装置を考案した。器具が移動しながらの運動が可能になり、運動の多 様性とともに空間の表現が大きく広がった実践例であった。更に、器具を大人数で操作す るため、グループでの協力やチームワークも要求される(写真 9−13)。 レーゲンスブルグ大学のチームはスチール製の支柱、カーブを描いた梯子、滑車等を使 って、支柱を中心に同心円上を梯子が回転する装置を創作した(写真 14)。 ミュンヘン工科大学のチームは、支柱にゴム素材のチューブを取り付けて人間を吊り下 げ、移動する空間を主として上下方向にした装置を使った実践例を提示した(写真 15)。 上下方向の移動が中心となる器具で代表的なものにトランポリンがあるが、この新しい装 3.5-4 置は床の上でパートナーが支えることにより、跳び上がるタイミングを自由に調節するこ とができる。また、このチームのメンバーには数人の車椅子に乗った身体障害者が含まれ ている。この装置は、必ずしも踏み切ることを必要としないので、このような人達の運動 の可能性を拡大することにも繋がっている。 写真 9、10: 丸材、支柱、 ワイヤー、 滑車等を組 み合わせた 器具 写真 11:板を組み合わせて 丸材で繋いだ器具 写真 12(左) :丸材を組み合 わせた器具 写真 13(右) :写真 12 の器具 を上下入れ替えた設置 写真 14:スチール製の梯子、支柱、滑車を使 3.5-5 った装置 写真 15:支柱とゴムのチューブを 使った装置 3.まとめ ワールド・ジムナストラーダで発表された手具、用具、器械、器具の独創的な使用例を 取り上げ、若干の説明を加えながら紹介してきた。これらは何れも先端的な取り組みであ り、これまでの積み重ねがないと実現できないものも含まれている。従って、全てが現在 の我々に、直ちに直接的に役立つというわけにはいかないが、今後の取り組みの方向性を 示す重要な手掛かりとすることができる。 「体ほぐしの運動」の導入を契機に、様々な用具・器具を活用したり、新しい器具・用 具を取り入れたりして、運動で取り扱う用具・器具に目が向けられ、創意工夫をする観点 が芽生えてきた。今後、我々を含めて体操/ダンスを専門とする者は、この観点を益々発 展させ、子ども達が利用する運動環境の水準を向上させるべく努力していく必要があるだ ろう。そして、運動に対しても創意工夫ができる子ども達が育ち、体が少しでも改善され、 体力や運動能力の維持・向上に繋がっていくことを心から願っている。 注1:ワールド・ジムナストラーダ オランダ体操連盟代表のソマー(Johannes Heinrich Francios Sommer)が世界の体操の普及発展のために、 1950 年に世界体操祭の開催を提唱し、第1回大会がオランダのロッテルダム で 1953 年に開催された。以来、 ギムナストラーダは「競技をしない全ての体操」を供覧する場として、原則として 4 年に1度、ヨーロッパ で開催されており、第 9 回アムステルダム大会から正式名称が「ワールド・ジムナストラーダ(The World Gymnaestrada) 」となった。この大会は順位やランクを付けることはせず、参加者は発表することや提案する こと、交流することを目的としている。日本は 1975 年の第 6 回ベルリン大会が初参加で、以来、参加者数は 増加し、今回は約 800 名が参加した。大会の発表は概ね 5 部門に分かれておりその概要は次のようなもので ある。 1)Group Performance:1 チーム 10−150 名程度のグループが、見本市会場などに設けられた特設ホール (9−12 ホール程度)で、1 チーム 15 分間の発表を行う。 2)Large Group Performance:1 チーム数百名以上のグループが、マスゲームのような形で屋外のグラウ ンド 2 カ所を使い、1 チーム 25 分間の発表を行う。 3)Instrautor's Forum:指導者 が体操の方法、内容について提案をしたり実演をしたり意見交換をした りする場で、1 演題 20−30 分の発表をする。 4)Ntional Evening:1 ヶ国または数カ国のグループが合同で 90 分のショーを構成して発表する。その国 最大の屋内アリーナ大小 2 カ所で行われることが多い。 5)City Performance:街の広場や駐車場、商店街等の特設会場でお祭り的に発表する。 この他に、開会式、閉会式はその国最大の屋外スタジアムで開催され、開催国の大統領や皇室が臨席さ れる。FIG(世界体操連盟 )主催のフォーラム 、やガラ・パフォーマンス、ユース・キャンプ等も同時に 行われる。 注 2:Gボール 塩化ビニール製で人が上に乗ることができる大きさの弾力性があるボールの総称。1963 年にスイスの理学 療法士達によって開発され、イタリアで製造された。当初は障害者のリハビリテーション用の器具として使 われていたが 、後に学校体育やフィットネス業界でエクササイズ に利用されるようになり、現在では更に椅 子の代わりとして学校の教室やオフィスに置かれているところもある。 3.5-6
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