読書への誘い <第7号>

読書への誘い
<第7号>
図書室・進路指導室
6月も半ば、文化祭まであと少しですね。クラス行事や合唱祭の準備は順調でしょうか?
自分の感じ方や考えを絶対視しないで、別の角度からものごとを眺めてみる。いろいろな
個性を認める第一歩は、そこから始まるのでしょう。しかしそういった過程を経て、それ
でも譲れないことは、上手に主張していくしかありません。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
じべた
地面をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
金子みすゞ
年刊 )
1984
(詩集『 金子みすゞ童謡集―わたしと小鳥とすずと』
・JULA出版局・
『新・知の技法』(小林康夫/船曳建夫編・東京大学出版会・1998年刊)
東京大学教養学部のサブ・テクストとして編まれた『知の技法』がベストセラーになっ
たのは、1994 年のことだった。大学のテキストとしてだけでなく、多くの人の関心を引い
たのは、方法としての「知」のあり方を真っ向から取り上げたものだったからである。そ
の後、『知の論理』『知のモラル』と続く三部作となった。
『新・知の技法』はその『知の技法』の「新・ヴァージョン」である。
大学に入るには試験を受ける、とすぐ頭に浮かびますが、そもそも入ろうとするのはなぜ
でしょう。そこからきちんと考え始めないと、大学で学ぶことがあやふやになります。
大学に行かなくても人生に支障はありません。もしそうでなかったら大学は義務教育になっ
ているはずです。また少し別の問題ですが、大学に入ることは、必ずしも自分の国の大学に行
2001/6
くことを意味しません。日本の外にでてもよいのです。これらの考えが示しているのはただ
一点、大学は選択の対象だ、ということ。行くか行かないか、行くと決めたら広い世界の中で
どこにいくのか、それを考えなければなりません。行く理由は? 私が考えるには、大学に行
かなくてもよいけれど、行った方がそれからの時間が豊かになりうるから。また、行かなくて
もそれからのそれからの時間を豊かに出来るけれど、大学に行って学び、暮らすことで、豊か
になる可能性を高めることが出来るから。豊かさの内容は人によっていろいろですが、そのた
めに大学が与えようとするのは、世界と自分を反省的に正確にとらえる力です。このことはま
た後で。
さて、そのように考えて大学に行くと決めて、大学に入ることになったとき(試験は合格し
たと仮定するのです)
、そのとき一番大きな間違いは大学を学校だと思うことです。意外に思う
かもしれませんが、追い打ちをかけると、大学は学校よりもむしろ、その前の保育所に似てい
るのです。
その話に進むために、まず大学に行く、と決めたあなたはどんな人なのかを考えてみます。
大学に入ってくる人たちの中に、大学は就職のための準備期間、または就職前の休暇と考え
る人がいます。この人たちは、大学の4年間を本人の気分としては楽しく過ごすようです。し
かしそれは大学生活を過ごしているのではないのです。授業料を無駄にしながら、後で取れば
よい休暇を早めに取っているだけなのです。一方、勉強が好きで、大学の雰囲気も好きで、こ
のままずっとこうして勉強していたい、という人たちがいます。学問と大学で暮らすことのど
ちらが目的か手段かは判りませんが、とにかく行く末は大学で学究生活を送ることになるかも
しれない人たちです。
こうした、あなたかも知れない、二種類の相反するタイプの人たちの問題は、大学を学校だ
と思っているところにあります。小学校、中学校、高等学校と来たので、「大」学校に行くも
のだと思っているのです。ですから最初の種類の人たちは、もう勉強はうんざりだ、というこ
とであり、あとの人たちは、このまま変わらずに勉強していれば事は足りるのだな、と思い込
むのです。しかし、大学は小、中、高の学校とは違う内容の場所なのです。人は学校を社会の
知識が増すと共に、小学校から順に出来て行って、最後に大学まで出現したように錯覚しがち
ですが、大学や大学の前身になるような知の制度(知の集積・修練の場所)はヨーロッパや他の
地域、日本でも、小、中、高よりずっと早く成立しているのです。大学はその意味で、
「学校」
ではないのです。
むしろ大学は、学校に入る前の保育所に似ています。教え込まれるような勉強はなく、粘土
細工や砂遊び、絵本を読むことなど、自分でしたい「お遊戯」をすることになっていて、保母
さんはあまり口出しをしない、という。大学では基礎的な勉強は押さえておかなければなりま
せんが、この保育所にも似た行動の自由度と環境を十分に生かせば(そのための方法、大学の使
い方と生き方は後に話します )
、就職準備でもなく、休暇でもなく、大学
にふさわしい学びと遊びをすることが出来るのです。ただし、そのため
には高校までの頭を切り替えること、「ここは学校ではない!」、が求め
られ、学ぶモチベーションを自分で見つけなければならず、そして最低
限の「知の技法」も必要となるのです。
(pp.232-234)