引用・参考文献の書き方

<本文中の注、引用・参考文献の書き方>
参考文献
―本文―
私は、そうではないと考える。大切なのは記述が物語的であるかどうかではない。自らの
経験につなげて自身が語ることである(小笠原,2007)
。
野家啓一は、この問題について「歴史の正面図とは、私に立ち現れている歴史風景そのも
ののことである」(野家,2005,p.133)と述べる。野家のいう「正面図」とは、自分自身が
そこに身を置いて語る歴史にほかならない(注 1)
。
引用文献
―本文―(引用文が長い場合の書き方)
野家啓一は、その著『物語の哲学』において、歴史認識の問題について次のように述べる。
(一行空白)
□□そのようにして歴史を俯瞰している私自身の視点は歴史的時間を超越しており、年表
の中に姿を現すことはできない。歴史の側面図を描く「私」は時間の外部に立って時
間的推移を記述しているのである〔中略〕知覚の正面図が、私に見えているものであ
ったとすれば、歴史の正面図とは、私に立ち現れている歴史風景そのもののことであ
る。
(野家,2005,p.133)
引用文献
<注、引用・参考文献の書き方>
【注釈】
1. この問題については、野家(2005)の第 6 章も参照されたい。野家は、大森の論を受け
て時が時系列の中で流れずに積み重なるという問題を論じている。
2. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【引用・参考文献】
小笠原喜康(2007)
『日本刀:日本の技と美と魂』
(文春新書 571)文藝春秋
著者
出版年
書名
シリーズ名等
出版社
野家啓一(2005)
『物語の哲学』岩波書店
著者
出版年
書名
出版社
ハイデッガー,M.(細谷貞雄訳)
(1994)
『存在と時間〈上〉』筑摩書房
著者
訳者
出版年
書名
出版社
鹿島徹(2003.10)
「物語り論的歴史理解の可能性のために」岩波書店『思想』954:6-36
著者
出版年月
論文名
出版社
誌名
号数 頁数