創作落語 “筆”台本

筆
隠居「ちょいよ、おじゃましますよ」
絵師「へぇ、ああこれはご隠居やおまへんか。何や御用でしたら使い寄こしてくれたらこ
ちらから行きますのンに。
」
隠「いやな、別にこれとって要は無いねや。私も毎日少しずつでも運動しとかなとおもて
な、散歩がてらよらしてもろたんや。絵師さん今お仕事中かい?」
絵「いや、仕事やおまへんねや。向かいんとこのガキが凧に絵ぇ書いてくれ言うもんでね。
しゃあないさかいに凧にイカの絵ぇ描いてやっとたところで」
隠「中途半端に意地悪やねえ。まぁ、仕事以外でも絵ぇ描いとったら世話ないわな。しか
しあんたの絵は凄いな。わたしゃアンタの絵の腕は町一番、いや国一番やないかとそない
おもてんねやで。この前もあんたに絵ぇ描いてもろた皿があったやろ?
あれをな、客人
に出したんや。そしたら客人皿の上のもんみな食べ終わってんのに皿に描いた絵ぇまで食
べようとして箸で突き続けてんねやで。これがホンマに絵にかいた餅やと、そない思たな」
絵「へぇ、おほめにあずかりまして。私絵ぇ描くしか能がないもんで。そらもちろんまだ
まだ精進の身ではありますが」
隠「さよか?
謙虚が一番やな。……そうや、今日はなこれをあんたにあげよとおもっと
ったんや。
」
絵「へぇ、なんでんねや?」
隠「これやこれ。これなぁ、この前押入れ片付けておったらなんや奥の方から桐の箱に大
事そうに入った絵筆が出てきたんや。こないな絵筆私が持っとってもしゃあないがな。あ
んたにあげよと思って持ってきたんや」
絵「はぁ、絵筆を? そやけどそんな大事そうなもんもろてよろしいんで?」
隠「かまへんがな。私が持っておっても仕方ない。あんたに使われた方が筆も喜ぶ言うも
んや。なんでもな、桐の箱には“仙人の筆”と書かれておったよってにな、何や由緒ある
もんかもしれん。大切につこてや~」
と、この日はこれで終わります。絵師さん隠居からもろた筆枕元において、布団敷いて
寝てしもた。
絵「……なんやろ、ここは? なんや四方八方真っ暗で何も見えへんけれども……。あぁ、
なんや、夢か。こういう事もあんねやな。夢の中で夢やと気ぃ付いてんのに目覚めへんて
なことが。せやけど折角夢見んねやったらもうちょい色気のある夢にしてくれたらええの
に――」
仙人「絵師よ……。そこなる絵師よ……」
絵「…?
なんや、声が聞こえるぞ?
おい、誰か知らんけどどうせ俺の夢ン中や、出て
きたらええがな」
仙「ほれ、絵師よ……。わしの姿が見えるか?」
絵「なんや、えらいよぼよぼの爺さん出てきたけど……。白い服着て杖持って…。お前一
体何もんやねん?」
仙「わしか。わしはな、厳しい修行の末に人の身を超えた、仙人じゃ」
絵「仙人……! でも、一人しかおらん」
仙「一人でも仙人。下らんことを言うではない。今日はな、お主に教えてやらねばならん
事があって、お主の夢枕に立ったのじゃ」
絵「なんやその、教えてやらねばならんことてなんやねん? 明日の天気か?」
仙「そのような下らん事ではない。ちなみに明日の天気は晴れじゃ。
」
絵「えっ?
違うの?
そしたら…ちょっとまって、当てるから。えーと、隣の美代ちゃ
んのスリーサイズ?」
仙「下俗じゃのぉ。そうではない。お主、今日一本の絵筆を手に入れたじゃろう。あれは
まさしく仙人の筆、つまりわしの筆じゃ。あの筆はな、絵の力があるものが用いれば、絵
に描いたものが本物となって現れる特別な筆なのじゃ。お主の絵の力はあの筆のお眼鏡に
かのうたよう。その事を教えてやろうと思うてな」
絵「絵に描いたもんがホンマになる? あんたそれこそ夢の話やで」
仙「疑うのも無理もない。目覚めたら何か一つ描いてみよ。金を描けばその金は本当に使
えるようになるし、酒ならば飲めるようになる」
絵「桜餅とか、大福とか、お汁粉とかでも?」
仙「甘党なんやね。まぁ、それも本物になる。仙人の力、大切に、存分に使えよ――」
絵「ハッ!
……何やおかしな夢見たで。絵に描いたもんがホンマもんになる筆てそんな
アホな話があるかい。どれ、いっぺん猫の絵でも描いてみたろか」
と、この仙人の筆で猫の絵を試しに描いてみると言うと驚いた。紙がぱっと光ったかと
思うと、絵の中から猫が浮き出してきてにゃあにゃあと鳴いたかと思うと、玄関から走っ
て逃げ出してしもた。
絵「!!
これホンマに仙人の筆や!
絵に描いたもんがホンマもんになる!
えらいも
ん手に入れたで!」
それからと言うもの、この絵師さん町中でえらい評判になりだした。そらそうや。絵に
描いたもんがホンマもんになるなんて、誰かて一度は目の前で見てみたい。
A「おい、聞いたか?」
B「なんやい?」
A「隣町の絵師の話やがな。なんでも絵に描いたもんが皆ホンマもんになって現れんねやて。
今では身の回りのもんみな絵から出てきたもんで固めて優雅な生活やて」
B「なんじゃい、そんなん知ってるも何もおらこの前その絵師さんに頼んで絵ぇ描いてもろ
た」
A「ホンマかい! 何の絵ぇ描いてもろたンや?」
B「あぁ、闇夜に烏の絵ぇ描いてもろた」
A「何?」
B「そやから、闇夜に烏の絵ぇ描いてもろた。半紙真っ黒に染めてやな、目ん玉のところだ
け白う二つ抜いて。そしたらえらいもんで、絵の中から烏は出てこんと、目玉だけぽろっ
と二つ落ちてきた」
A「えげつない話やなぁ。そやけど絵に描いたもんがホンマもんになるて、その絵師さん、
間違いなく当代一の大絵師やなぁ!」
方や絵師はと言うと優雅な生活で御座います。毎夜毎夜遊郭行ってどんちゃん騒ぎ。
絵「お!
えらい別嬪さんが揃たなぁ。市松に国松にお粗末も来たかいな。ほれ、遠慮せ
んとようさん飲んでや」
芸子「いつもいつもおおきに、この前も立派なお着物やら簪やら頂戴してしもて。あんま
り高いもん買うてもろたらあかんで、言うてますねけどなぁ?」
絵「いや、かめへんねや。あら一銭もかかってへんねやから」
芸「一銭もかかってへんて、盗んできなはったん?
そういえばどことのうそんな雰囲気
が……」
絵「アホなこといいな。あらな、みーんな俺の絵の中から出てきたもんなんや。俺がちょ
ろっと半紙に絵をかいたらな、それみなホンモンになって現れるように出来たあんねがな」
芸「まぁそんなからかってばっかり」
絵「からこうてへんがな、見てみ、ほれ今な花瓶の絵ぇ描いたるよってに……ほれ見てみ
い、ホンモンになって現れたやろ」
芸「いや、ほんまやわ。なんでもホンモンになんのん?」
絵「あぁ、なんでもええで。言うてみい」
芸「そしたら、クジラ」
絵「おまえそれホンモンにしてどないしたいねん。家潰れてまうがな。いやな、俺も色々
絵にして、ホンモンにしてきたんやけどな、最近小判さえ描けば他のもん描かんでええっ
ちゅうことに気づいたんや。金で何でも買える世の中や。今もな、役人にいくらか金握ら
せてお殿様にお取次願うてるところなんや。これが上手いこと行ったらお殿様お召抱え。
殿さまの目の前でちょろっと絵に描いたもんホンマにしたら一生遊んで暮らせるて、大出
世やがな」
と、その役人への賄賂が効いたのか、お城のお殿様からついにお呼び出しがかかります。
殿「その方、聞き及んだところによれば絵に描いたものを本物にするとあるが、誠か?」
絵「へぇ、左様で御座います。
」
殿「ふむ、数奇な話よのう。なんでもよいのか?」
絵「へぇ、なんでも本物にして差し上げます」
殿「なるほど、では天目茶碗の絵を描いてみよ」
絵「……てんぷらちゃわん?」
殿「……世が悪かった。なんでもよい、その方が思いつく限りの宝を描いてみよ」
絵「へぇ、そんなもんでよろしいんやったら……、まずは、抜けば玉散る氷の刃、ひと振
りの刀をば!」
と、絵師半紙濡らして絵を描くんやけれども、一向に本物になる気配がない。
殿「なんじゃ、普通の絵ではないか。はよう本物にいたせい」
絵「あれ?
いつもやったらこれですぐ本物になるんやけれども……。そしたらこちら、
青銅の花瓶! ……あれ? 本物になれへん? そしたら、いっそ千両箱!」
殿「ただの絵ではないか。その方まさか世を騙したのではあるまいなぁ?」
絵「いや、そんな騙したやなんて! ……桜に幔幕! 梅に鶯!」
殿「それではまるで花札ではないか。よかろう、3日待ってやる。3日のうちに絵に描い
たものを本物と致せい。3日のうちに絵に描いたものを本物とせねば、打ち首と致すよっ
てに、覚悟致せよ!」
絵師さん逃げかえるように家へ戻って、ぶるぶる震えながら布団の中にもぐりこみます。
仙「ほれ、絵師よ。そこなる絵師よ……」
絵「あっ!
仙人さん!
と言う事はまた夢の中か!
仙人さん、聞いてくれ、あんたに
もろた筆で絵ぇ描いたのに全然ホンモンとなって現れへんねや!
このままやったら俺打
ち首にされてまう! どうしてくれんねや!」
仙「なかなか大変なことになっておるようじゃのぅ。どれ、筆を見せてみよ……。あぁ、
これならば無理もない。筆が真っ黒に汚れておる」
絵「そんなことない! ちゃんと洗ってる!」
仙「墨でではない。お主の欲で真っ黒になっておるのじゃ。残念じゃが、この筆はもう使
えまいて」
絵「そんな! そしたら俺どないしたらええねや!」
仙「仕方ないのう。ならばその筆、この新しい筆と取り替えてやろう。しかしその筆まだ
十分に仙人の力が宿っておらん。いくらか条件があるが、良いか?」
絵「何でも言うてくれ! 何でもする!」
仙「うむ。その筆はな、まだ人間の力が十分に宿っておらんのじゃ。そこでな、その筆で
もってこの町の住人皆の絵を描け。さすればその筆にも力が宿るじゃろう」
絵「町の住人皆て!
この町にどれほどの人間がいてると思ってんねん!
んやで!」
仙「そこはお主のがんばる所じゃろう。幸運を祈るぞ――」
3日しかない
翌朝、絵師さん目を覚ましてから仕方なしに町中の人の絵を描いて回ります。
始め魚屋のおっさん捕まえまして――
絵「ちょっと、魚屋さん、邪魔せぇへんよってに絵ぇ描かせてもろてええかな?」
魚屋「何!?
絵師さんが俺の絵ぇ描いてくれんの!?
ちょっとまって、今羽織を着て
来るよってに」
絵「いや、そんなんいらんねん。そのまま自然にしてくれてたら」
魚「自然に? ……こうか?」
絵「いや、もうちょい普通に笑われへんか?」
魚「普通に……どう?」
絵「……もうそれでええよってに、動かんといてや」
またあるときはおばあさん捕まえて――
絵「おばあさーん。ちょいと絵ぇ描かしてもろてええかな?」
お婆さん「……はい?」
絵「絵をかかせてもろてええかなー?」
婆「……え?」
絵「
“え?”
、と違うねん。いや、
“絵”やけど。えをーかーかーせーてーもーろーてー、え
ーえーかーなー?」
婆「あぁ、今日の朝ご飯は卵焼きやったよ?」
絵「……お婆さんこれ遺影にしぃな」
終いには遊郭の女ん所行って――
女「あら、絵師さん最近来てくれへんよってにどこぞで浮気してんのちゃうか思って心配
しとったんやで?」
絵「あぁ、それはええよってに、絵を描くさかいに、おまえちょっと動くなよ」
女「あら、絵師さんが私らの絵ぇ描いてくれるやなんて。うれしいわぁー。脱ぐ?」
絵「脱がんでええがな。そのままじっとしとれ」
女「絵ぇ描いてくれはるやなんてやっぱりうれしいやないのー。やっぱり脱ごかしら」
絵「なんで脱ぎたいねん。脱がんでええがな。そこでじっとしとれ、こらすり寄って来る
な。しな垂れかかるな。筆を勝手に触るな!」
えらい騒ぎで御座います。
そやけどこの絵師が皆の絵を描いて回ってると言う話が町中に広がった。しかもこの絵
師さん仙人の筆でもって小判の絵ばっかり描いてたもんやから、誰が見ても絵の腕は落ち
出る。
一日二日と経つ内に、待ちの人から邪険に扱われだした。
絵「ごめんちょっと絵をかかせてもろてええかな?」
A「あぁ、絵師さんかいな。えらいすまん今忙しいねん。今度にして」
絵「すいません。ちょっと、絵をかかせてもろてええでしょうか?」
B「お絵描きやったらよそでしてぇな。そこ仕事の邪魔やで!」
絵「……これが筆でもって小判ばっかり描いてた天罰かいな。おらこれからどないしたら
ええんや……。いっそ打ち首にされる前に、首括って死んでまおか」
子ども「おいちゃん。おいちゃん!」
絵「……なんや、向かいン家のガキやないか。どないしたんや」
子「おいちゃん、この前描いてって言うた凧の絵、描いてくれた?」
絵「あぁ、すまん。ここんとこ忙しゅうてな。忘れておったわ。……まぁお前も町の人間
や。絵ぇ描いたろ。……ほれ」
子「あ!
僕の顔や!
おいちゃんありがとう!
……せやけど、僕の口こんなに小さな
いで? 僕の口もっと大きいもん」
絵「? あぁさよか。描きなおしたろ」
子「ありがとう!
……でも、耳もこんなんと違うで。もっと大きいし、とんがってる。
目つきもするどうて」
絵「お前はオオカミかなんかか」
子「あぁ、だいぶようなった!
そやけど、僕もっと元気やで?
絵の中のぼく元気な無
いわぁ。こんなん偽もんや!」
絵「あたりまえじゃ、絵に描いたもんがホンモンに勝るかい!」
と言ったところで気がついた。今自分が描いた絵の中の子どもと、目の前の子ども。見
比べてみてもよう描けてんねんけども、やはりどこか違う。
その呼吸と言うか命と言うか。それから描きなおしに描きなおしても、いくらやっても
絵の中に落しきれん。
そう思うとこれまで描いてきた絵の何と魂の入っていないことか。気づいてしまうと心
の底から恥ずかしゅうて仕方がない。
絵「あぁ、おら何と恥ずかしい絵ばかり描いてきたことか。俺の絵をホンモンにするんや
ない。ホンモンを絵にするねや――」
それからまた町中の人に頭下げて回って、一心不乱に絵を描いて回ってついに3日後。
お殿様からお呼び出しがかかります。
殿「ほれ、3日まってやったぞ。絵の上に描いた宝を本物に致せい」
絵師さんもう何も言わん。流石に3日では町中の人みんなの絵を描いて回るなんて出来
ひんかった。何かにとり憑かれたかのように筆を濡らしていきます。
絵「殿さま。私この3日間、この町の人々の絵を描いて回りました。……それまで私は町
一番、国一番の大絵師や、描けんもんは無い、そう思っておりましたが…その何とおごり
高ぶったことか。描けば描くほど、ホンマに生きてる人々のその命を描ききることはでき
んと言う事に気がついた……。真生きる人々の姿のどうしようもなく美しい事……。今の
私にはこれしか描けません。どうか煮るなり焼くなり、お好きなように――」
と言って差し出したのは、半紙いっぱいに描かれた殿さま自身の肖像画。その臨場感た
るや、今にも絵から飛び出してきて動き出さんばかり。殿様はじめその場におった人間皆
息をのんで沈黙。
殿「――み、見事じゃ!
世はこれほどまでに魂のこもった絵を見たことがない!
にその方一番の宝を描いて見せよと申して世自信の絵を描くとは!
それ
なるほど。つまりそ
の人にとって一番の宝は、自分自身であると、そう言いたいのじゃな!」
絵「……え? あ、はい?」
殿「それにその方この3日間町の人々を描いて回ったという。つまり世、殿にとってかけ
がえのない宝は民草であると、そうも言いたいのか!」
絵「え、そ、そうなんですか?」
殿「なるほどぉ。本物になる絵とはまるで本物のようなな臨場感という意味であったか。
世は感服いたしたぞ! その方世が召抱えるものとする! 存分に褒美を取らせよ!」
絵「あ! ありがたき幸せで御座います!」
仙「絵師よ……そこなる絵師よ……」
絵「あっ!
仙人さん!
あんたのお陰で打ち首に並んですんだんや!
それに殿様にお
召抱え! この筆にはどんな力があったんや!?」
仙「あぁ、その筆か。その筆はな、単なる普通のどこにでもある筆じゃよ」
絵「えっ? 普通の筆? どういうことやねん?」
仙「どういう事も何も、ただの普通の筆じゃと言う事じゃ。筆の端にコクヨと描いておろ
う?」
絵「あっ! ホンマや! コクヨて書いてる! そしたらなんであんな力が宿ったんや?」
仙「何を言うておる。あれはお主自身の力ではないか。町の人々を描くうちに、絵の真髄
に近づいたのじゃろう。まぁ、まだまだじゃがな。精進いたせよ」
絵「さよか! そやけどやっぱりあんたのお陰や! 感謝してもしきれん!」
仙「はっはっは。しかしお主、本当に絵の腕を上げたのじゃな。あれほどまでに殿が喜ぶ
とは。流石じゃな」
絵「え? 殿さま? まぁ、あれはな、喜んで当然ではあんねや」
仙「ほう、喜んで当然? 大きく出たの。何故喜んで当然なのじゃ?」
絵「あぁ、あの肖像がな、3割くらい殿様男前に描いといた」