風に立つライオン ナイロビで迎える三度目の四月が来て 今更 千鳥ヶ淵で

風に立つライオン
ナイロビで迎える三度目の四月が来て
今更
千鳥ヶ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしい位です
おかしい位です
次に書くひとのことは、よくご存知の方も多いと思います。もう何度もお話ししましたから。
でも、こうして改めてこの先生のことを思い出すと、また別の意味で僕はいい人と知り合えて、
つくづく自分は幸福だなあと思ってしまいます。
柴田先生の話です。
僕は宮崎に行くと、よく一緒に飲むお医者さんがいます。
柴田紘一郎という、外科の先生です。昭和十五年生まれですから、いま五十五歳かな。長崎大
学医学部を卒業されて、昭和四十六年から二年ほどアフリカのケニアに医療協力で日本から派遣
された立派な先生です。
先生とは、僕がまだアマチュア時代に知り合いました。
僕は、この先生からアフリカに行った時のお話をうかがうのが大好きで、この先生の語るアフ
リカに憧れているんだか、実際のアフリカ大陸に憧れているのかわからないくらいです。
「ああ、アフリカは素晴らしい・・・・・・」
とにかく、彼はアフリカを本当に愛しているんです。
ケニアのビクトリア湖には二百万羽のフラミンゴがいるっていうんです。あなた、二百万羽で
すよ。どうやって数えたんでしょうかね。日本野鳥の会だって、数え切れない。一秒に一羽ずつ
数えて、「一羽、二羽、三羽・・・・・・」って数えたら、二百万秒かかる。計算してごらんなさい。
二百万秒。一分が六十秒だから・・・・・・なんと二十三日間かかります。その間に出たり入ったりす
るから、もうわからなくなっちゃうけど。とにかく、そのぐらいの数のフラミンゴがいる、それ
もひとつの湖に。それが夜更けになると、一斉に飛び立つんだそうです。すごいでしょう。
「またまたぁ、さだは大げさなんだから」
っていうかもしれませんけど、これは本当ですよ。
第一、ビクトリア湖っていったって九州がすっぽり入るくらい大きい湖なんですから。そのく
らいの数のフラミンゴがいても、納得でしょう。
僕のことをよく知っている方は、ここから「風に立つライオン」という歌が生まれたことをご
存知かと思いますけど、ある若い医者が日本に残してきたかつての恋人に宛てた手紙という設定
は、この柴田さんからいただいたものなんです。
この先生と酒を酌み交わす。いいでしょう。うまい酒が飲めます。
その柴田先生が、酒を飲んだ時、僕にこういったことがあります。
「医者なんてのは、野垂れ死にすべきだ」
僕が目を丸くして、徳利を持ったまま「どうして」と聞くと、こう答えたのです。
「まさしさん、人の命を預かる外科の執刀医は、いつも自分の責任を強く感じるんです。たとえ
患者が現代医学ではとても救うことができないほどの重病であっても、その患者の身体を切開し
た時に、『もし失敗したら、俺のせいだ』って思ってしまう。これは百人中百人がそう思うんで
すよ。もしも俺以外の人が担当医であったら、ここに奇蹟が起きて、この人は助かるんじゃない
か。奇蹟が起きないのは、自分のせいじゃないかってね」
僕もあんまり先生が思いつめたように話すから、酒をすすめながら、
「先生、先生みたいに、そんな患者の命まで責任とってくれるようなお医者さまって、少ないん
じゃないかな」
っていったら、彼はこういうんです。
「それはちがうばい。まさしさん、医者であれば、誰もが同じ思いです。間違いありません。そ
れは信じてください」
僕を説得しようと必死なんです。つまみなんか、食べない。真面目な顔で、酒を一気にのどに
流し込んだ。だから、僕も自分でついで、グッと飲んで、
「何いってるんですか。先生が担当してくれたおかげで助かった患者さんだってたくさんいるん
だし、先生の手術のおかげで助かったひともいるじゃないですか」
そしたら、もっとムキになって、また、グビッと飲んで、
「いや、まさしさん、それはちがう。医者というのは、特に外科の執刀医というのは、自分が治
すんじゃなかとです。まさしさん、病気を治すとは医者じゃなか」
って言い張るんです。杯を持ったまま、
「じゃ、誰が治すんですか」
っていったら、なんていったと思います?
「神様です。これは逃げでいうんじゃありません。患者と神様が相談をするとですよ。そして、
患者が治ろうと努力し、神様が『うん、治してあげよう』という機会を与えてくれた時にはじめ
て、医者の出番が来る。つまり、医者の仕事というのは、神様の仕事の邪魔をせんことなんです
よ」
ね、いい言葉だと思いませんか。
僕が反発しないと、先生、今度はにっこりと笑って、ゆっくり酒を僕につぎながら、
「だから、僕は手術にあたって、間違わないようにしようと思ってる。神様の足を引っ張らない
ように、患者の足を引っ張らないように、そういう神様と患者の媒体をやってるのが自分たちな
んだよ」
これはとっても素敵な発言だと思ったんです。それで、思わず、僕も徳利を取り返して、
「なんで、先生は、そんなに人の生き死にに関して責任をとろうとするんですか」
って聞いたんです。そしたら、先生、あふれそうな酒を口からお迎えにいったあと、急にしんみ
りとして、こんな話をしてくれました。
この先生が若い頃、すぐに入院しなければならないほど危険な状態だっていう若い奥さんがあ
って、先生が入院をすすめたんだそうです。ところが、ベッドがいっぱいで入院できないんで、
先生は信頼している個人病院をすすめたんだそうです。
ところが、その患者は大きな病院でなければ嫌だっていいはる。でも、とにかく入院して手術
をすぐに受けなければ危険だからと、再三再四家まで行って説明し、懇願したけれど頑として
「病院のベッドがあくまで待つ」といって、入院しなかったそうです。
そして、それが原因で死期を早めてしまい、とうとうそのひとは亡くなったそうです。先生は
ショックを受けて、お通夜の日に出かけていったんです。
行っちゃいけないよ、医者は、お通夜になんか。
案の定、亡くなった奥さんのご主人に玄関先で「お前が女房を殺したんだ。帰ってくれ!」っ
て怒鳴られた。
その時に、彼はどう答えていいかわからず、「力不足で申し訳ありませんでした」としかいえ
なかった。その思いが、彼の心を深く傷つけ、いまだに医者としての責任感を支えていたんです。
僕はこの話を聞いて、客観的に考えても、彼の責任を追及するのは酷だと思います。
でも、それを、自分の責任だと考えるタイプの人なんですよ。だから、僕は彼を名医だってい
いきるんです。
たしかに、まだ若い頃に、医者になりたてで、「お前が女房を殺したんだ」なんていわれたら、
傷つくよ。人生観も変わると思う。でも、これも彼にとって、いい意味で、経験になったんじゃ
ないか。彼にとっては切ないことだったかもしれないけれど、そうしたことがあったからとても
素敵な先生になった。
しかも、この人は代々医者の家で生まれたんじゃなくて、突然医者になろうと思った人だ。だ
から、僕は、お酒の追加を頼みながら、聞きました。
「先生、なんで医者になろうと思ったんですか」
そしたら、こう答えました。
「子供の頃、おじいさんが一冊の本をくれたですよ。それを読んで医者になろうと思ったとで
す」って。
その本の名前は『アフリカの父』。あのシュバイツァー博士の伝記だったそうです。
生命の尊厳と対峙しているからこそ、神の領域に挑む不遜さを知っている。ケニアの自然のな
かで、彼は神と共にあったのかもしれない。
僕はその答えを聞いて、またうれしくなって、その日はたくさんたくさん酒を飲みすぎて、翌
日昼すぎまで枕から頭が離れませんでしたけれど。
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない命を生きたい
キリマンジャロの白い雪
それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい