第42回 最愛の妻へ捧げる哀悼作 ~絵画とともに聴く古楽

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
第42回 最愛の妻へ捧げる哀悼作
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ
第2番より
「シャコンヌ」
ミドリ・ザイラー(バロック・ヴァイオリン)
(「J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ集」に所収)
▲モネ:死の床のカミーユ・モネ パリ、オルセー美術館
■CD:BC1672 輸入盤オープンプライス 〈Berlin Classics〉
日本では20世紀も後半まで、西洋絵画と言え
ば印象派というイメージがとても強かったのでは
ないかと思います。全国あちらこちらで印象派展
と銘打った展覧会が開かれ、大企業はこぞって
印象派の画家たちの作品を買い漁っていまし
た。なにやら
「印象派こそが最高の絵画だ」
という
イメージが無批判に漂っていたことさえもあった
ようです。しかし現在では様々な時代の絵画、
様々な国の絵画が積極的に紹介されるようにな
り、印象派一辺倒という状況は打破されました。
だからといって印象派の評価が下がったわけで
はなく、絵画史における確固たる地位を保ってい
ることは間違いありません。相変わらず印象派の
人気は根強いものがあります。その大人気の印
象派の中の代表的画家といえばクロード・モネを
おいて他にいないでしょう。何といっても印象派
という言葉を生んだのがモネの「印象・日の出」
と
いう作品だったのですから。
さて、モネと言えば「睡蓮」など、身近な自然の
美しく変化に富んだ色彩を捉えた風景画がその
絵画の中心となりますが、そうしたモネ作品の中
で異色作と言えるのが今回取り上げた「死の床
のカミーユ・モネ」
です。
これはモネが32歳という
若さで亡くなる最初の妻カミーユの病床の姿を
描いたものです。
モネは死の床にあるカミーユを
見て「私はもはや動かなくなった彼女の顔に、死
が加え続ける色の変化を機械的に写し取ってい
る自分に気付いた」
と語ったと言われています。
この発言は一般的に、モネが一人の夫である前
に、一人の画家であるという、芸術家としての業
を示したものだと捉えられています。死に逝くカ
ミーユの顔色の変化に、色彩に極めて鋭い感性
を示したモネの画家としての目が注目したことは
間違いないでしょう。ですが、作品を見てみると
モネの他の作品には見られない、非常に感情的
な粗い筆致が見られます。
カミーユに対する深い
愛情、永遠の別れに対する恐れ、悲しみ、そして
病床の妻に何もしてやれない自らのふがいなさ、
そうした複雑な感情がここには読み取れはしな
いでしょうか。
「死の床のカミーユ・モネ」はモネ
作品の中でもっともその感情がストレートに現
れた妻への追悼作品なのです。
さて、話を音楽の方へ向かわせましょう。
この
モネの作品のような妻への追悼作品というもの
が、
この連載が扱っている時代の音楽にもあるで
しょうか。
もし、それがバッハの「シャコンヌ」だと
言ったらいかがでしょうか。
この説はなにも私が提唱した新説でもなんで
もなく、少し前から頻繁に語られているものです。
あの「シャコンヌ」が実は、バッハの最初の妻マリ
ア・バルバラの死に寄せるものだったという説は
なんとも魅力的であり、大変な反響がありまし
た。この説を基にしたアルバムもいくつか作ら
れ、大きな話題にもなりました。
しかしもちろん反
対説も多数あり、例えば、
「現代のバッハ」
とも呼
ばれている大御所レオンハルトは「妻の葬式に
ダンス音楽であるシャコンヌをかける気にはなら
ない」
というような発言も残しているそうです。
バッハ演奏・研究の権威であるヘルムート・リリ
ングもこの説には懐疑的でした。
このようにシャコンヌが追悼曲である決定的証
拠は存在せず、あくまで反対意見も多い仮説の
一つにすぎません。
しかしそれでもなおシャコン
ヌが特別な作品であることも疑いようがありませ
ん。なぜなら
「無伴奏ヴァイオリンのためのソナ
タとパルティータ」
という3つのソナタと3つの
パルティータから成る曲集の中で、
シャコンヌは
異例な長さを持っているからです。演奏によって
異なりますが、他の楽章がだいたい2∼6分くら
いまでなのに対して、シャコンヌは13∼15分程
度の演奏時間を要しています。
これは、長さだけ
を問題にするならば曲集全体のバランスを崩す
ほどの異質な存在となります。
このことがシャコ
ンヌを単体として有名作にしました。実際に聴い
てみても、
この曲が単体として強い存在感を持っ
ていることはすぐに分かります。聴き手になにか
特別な曲だという印象を強く与えるのではない
でしょうか。
ブラームスやブゾーニら後の作曲家
たちもこのシャコンヌになにかしらの思いを感じ
て編曲を施していたのではないでしょうか。私も
祖母を亡くした時に、たまたまこの曲を聴いてい
た(チェンバロへの編曲の形ではありましたが)
という経験もあって、シャコンヌに惜別の思いを
抱いてしまう一人です。
シャコンヌについて少し調べてみますと以下
のようなことが分かります。元々シャコンヌとはお
そらくスペイン起源であるという、特定の音階や
和声進行を繰り返すバッソ・オスティナートを持
つ舞曲のことで、17世紀のイタリアで チャッコー
ナ として幅広く流行したとのことです。
ちょっとで
も17世紀イタリア音楽を眺めてみれば、声楽に
も器楽にも使われている例をすぐにでも発見で
き、その流行の程が良く分かります。
そのイタリア
音楽の強い影響下にあった17世紀のドイツでも
チャッコーナは様々な作品に用いられていきま
す。
もちろん舞曲は世俗に属する音楽ですが、教
会の中でもオルガン作品として用いられたり、宗
教合唱曲に用いられたりしていきます。ですか
ら、18世紀ドイツの作曲家であるバッハのシャコ
ンヌを宗教的作品、すなわち追悼音楽と捉えるこ
ともあながち完全否定できるものではないようで
す。
そのような訳で、私はシャコンヌに特別な思い
を感じ、今ではシャコンヌを聴く場合はどうしても
追悼曲だという観点から聴いてしまいます。そん
な中で最近感銘を受けたのが、
ミドリ・ザイラー
による録音です。まだ古楽演奏が出始めのころ
は、バロック・ヴァイオリンの演奏自体も技術的に
難しく、バッハの作品をバロック・ヴァイオリンで
演奏したということに重きが置かれていたような
印象がありました。ロマン主義的な感情は排除
し、進んだ研究を基にしながら作品に真摯に向
き合うという姿勢はバッハの音楽に新たな光を
当て、現在のバッハ演奏の発展に大きな寄与を
していることは間違いありません。
それでも現在では古楽演奏も様々になってき
ました。音楽の中から感情を排するのではなく、
音楽に宿る感情をその時代の様式に合わせな
がら強く表現していくという姿勢を示す演奏家も
出て来ました。古楽演奏をしっかりと理解した上
で、あえて強い感情に訴えていくその方法はこれ
までの古楽演奏とはまた少し異なる方法論であ
り、
これも一つの解釈の手段であると思います。
こ
のミドリ・ザイラーの演奏はそうした中の最上の
例ではないかと思います。
テンポは揺れ動き、時
に感情的とも取れる表現さえ聴かれますが、それ
がきちんと古楽演奏に則した技術の中に置かれ
ています。それが迫真の表現となり、強い説得力
を生んでいるのです。
この演奏を聴くと、
シャコン
ヌはバッハが最愛の妻との良き思い出を込め、
その早すぎる死に対する哀悼の念を込めた作品
だと感じられるのです。
時代も国も異なるモネとバッハ。
ですが、死せ
る最愛の妻の思い出を作品にしたい、その思い
は同じだったのかもしれません。