正倉院における空気汚染調査 ―そのあゆみと最近の調査の結果― 成 瀬

正倉院における空気汚染調査
―そのあゆみと最近の調査の結果―
成
瀬
正
和・中
村
力
也
1.はじめに
正倉院の東西両宝庫は空気調和設備によって相対湿度約60%に制御され、また活性炭槽から
なる空気浄化設備を通し、大気汚染物質をろ過した清浄な空気を庫内に循環させ、宝物の保存
環境を良好な状態に保っている。このうち温湿度環境については西宝庫およびその空調系統に
1
0箇所、東宝庫とその空調系統に8箇所設置された温湿度のセンサーによって各所の温湿度を
常時把握することにより、システムの正常な稼働を確かめている。いっぽう大気汚染物質の除
去の効果については、現在金属腐食試料調査およびトリエタノールアミン円筒ろ紙法(以下
「TEA法」と表記)による二酸化イオウおよび二酸化窒素の定量調査を併用して、設備が正常
に機能していることを確かめている。金属腐食試料調査は金属試料が設置された箇所の空気汚
染の状態を試料の腐食の程度などを調べることにより、間接的に評価する方法である。いっぽ
うTEA法は二酸化イオウ濃度および二酸化窒素濃度を直接測る方法である。ただしTEA法に
切り替えたのは比較的最近のことで、数年前までは、二酸化イオウ専用の測定法である二酸化
鉛法を用いていた。
これらの方法による調査結果の詳細は昭和50年代前半に正倉院年報誌上で公表され(吉田
1
9
7
9、19
80、1
98
1、1
982、永嶋 198
1)、その時点での庫内の空気汚染状況については、若干の
問題は抱えているものの、宝物の保存にとって、概ね満足すべき水準に保たれている旨報告さ
れた。その後は、日本国内で大気汚染の程度が軽微となり、庫内は全体として毎年満足すべき
状態が維持されていることが確認されていたので、年度ごとの成績については、本誌の年次報
告上にその概略を記すにとどめていた。
本稿では、これまで正倉院で行われてきた空気環境に関する調査のあゆみを紹介し、そのう
えでTEA法および金属腐食試料調査から得られた最近の宝庫内外の空気汚染の状況について
述べることにしたい。
2.正倉院における空気汚染調査のあゆみ
二酸化イオウ調査および金属腐食試料調査は東宝庫・西宝庫建設のため、温湿度環境調査な
ども含む正倉等の収蔵環境調査の一環として開始された。これらが環境調査項目のひとつとし
て加わったのは、昭和20年代後半に正倉院敷地の北東部にドライブウェイを開通させる計画が
持ち上がり、宝物に対する自動車の排気ガスの影響が懸念されたことによる。両宝庫の建設に
至った経緯については和田軍一(和田 1
978)が、また空気汚染関連調査を含めた一連の収蔵環
(115)
境調査の概要については阿部弘(阿部 1979)が、それぞれ本誌上で報告を行っている。
正倉院において空気汚染関連調査が開始された昭和30年代は、大気汚染が社会問題として深
刻化していたものの、いち早くその対策に乗り出した二大工業都市の大阪と東京でさえ、継続
的な調査を開始したのはそれぞれ昭和3
0年(1955)、昭和32(1957)年からであり、他の地域で
足並みが揃うのは昭和40年代になってからのことであった。大気汚染に対する社会的取り組み
がまだ手探りであった状況の中で、大切な宝物を守るために、このような先進的な調査が、実
施、継続されたことは、関係者の見識の高さや努力によるものとして、特記されるべきものと
考える。
2‐1
二酸化イオウ等の調査
二酸化イオウは金属を腐食させ、また紙、染織品などを劣化させる。文化財を保存する空間
では可能な限り除去することが望ましい。
二酸化イオウ等の空気汚染物質の調査は、正倉院事務所が大阪管区気象台などに委嘱した正
倉院の気象に関する一連の調査(大阪管区気象台 1
960)の中で始まり、近畿地方大気汚染調査
連絡会に引き継がれた。この調査を中心的に進めたのは、大阪管区気象台の中野道雄で、昭和
2
9年(19
54)から、西宝庫が完成をみて後の昭和40年(1
965)まで、煤塵降下量の調査などと
(注1)
あわせ、宝庫内外の二酸化イオウ濃度を、ローザニリン法(=フクシンホルマリン法)
、二
酸化鉛法(注2)などを用いて測定した。蓄積された調査データーは西宝庫建設に際し、空気浄化
対策などに大いに役立った(今井 196
6)。
中野によれば、正倉院周辺の自動車交通量が増加し、これによって大気環境の悪化がピーク
を迎えたのは昭和3
5年(1
960)頃のことで、この頃、正倉院周辺では一時的には大阪の住吉区
や阿倍野区の住宅地あるいは商業地を上回る二酸化イオウ濃度が確認されたこともあったとい
う(中野 199
1)
。
東宝庫は昭和2
8年(1
953)に竣工し、当初空調設備はなく、自然換気方式であったが、一連
の調査によって、庫内の二酸化イオウ濃度が外気の3分の1程度と、近代的な収蔵庫としては、
許容できないほど高く、収蔵品に対する大気汚染の影響が懸念されたため、次に建設が計画さ
れた西宝庫には活性炭槽による空気浄化設備を備えることになった。また東宝庫自身も昭和39
年(19
6
4)には空気調和設備、空気浄化設備が新たに付加されることになった。
これら正倉院事務所が委嘱した空気汚染調査とは別に、ドライブウェイの開通に伴う正倉院
周囲の大気環境の悪化を懸念した文化財審議委員会からの委託を受け、東京国立文化財研究所
が、正倉院構内で二酸化イオウの測定をはじめとする大気環境調査を昭和31∼33年(1
956∼
1
9
5
8)に行っている。東京国立文化財研究所の調査は、他所での調査とあわせ、わが国におけ
る保存科学研究者の手による文化財の大気汚染被害に関する研究のはじまりとしての意義をも
ち、ここで培われた経験はわが国の保存科学の発展に寄与した。
昭和3
8年(196
3)には、西宝庫竣工を契機に、電気伝導度法(注3)に基づく二酸化イオウの自動
(116)
測定装置が正倉院事務所に導入され、西東両宝庫の設備担当の技官などにより、西宝庫活性炭
層の浄化能力の監視などを主目的に、昭和47年(1
972)まで、同装置による測定が続けられた。
なお正倉院事務所は昭和4
5年(1
970)度には西宝庫の空気浄化設備(活性炭槽中)の活性炭
の能力について正確な知見を得るため、神戸大学・渡辺禎三に委嘱し、宝庫内外関連箇所の二
酸化イオウ汚染度を二酸化鉛法により調査した。ついで同年度は渡辺により、秋季に開催され
た奈良国立博物館の正倉院展(当時は本館で展示)において、展示室内および展示ケース内の
二酸化イオウ汚染度が初めて調査されている。
昭和4
8年(1
973)になると正倉院事務所保存課に保存科学を専門とする職員が配属され、二
酸化鉛法による継続的な調査が復活した。特に昭和50年(1
975)半ばから昭和54年(1
979)半
ばまでの約4年間、正倉院の空気環境をめぐって、集中的に調査が行われた。正倉院宝庫内、
正倉院構内、奈良市内など計15箇所ほどの測定点に試料が設置され、1ヶ月ごとにデーターが
収集され、それらに基づき次の調査結果が示された(永嶋 1981)。
!正倉院外気の汚染状況は、奈良盆地北部に共通するものである。すなわち冬期に汚染が著
しく、その他の時期の汚染は全般に小さい。したがって10∼1
1月にかけての開封行事期間
は、空気汚染の面から見ても適当な時期だと考えられる。
"本法に見る限り、正倉院に特有な局所汚染源の存在は確認されない。
#低汚染度個所の測定には困難さを伴うが、試料を長期間(少なくとも6ヶ月以上)曝露し、
かつ重量法により分析の状況を一応把握することができる。
$本法に見る限り、外気浄化用活性炭は十分その役を果たしている。
%西宝庫庫内は清浄な環境を維持している。
&東宝庫は、庫内は清浄であるが、前室は幾分汚染されている。その原因は入口扉からの汚
染外気の侵入にある。
'校倉内へは割合に多くの外気が侵入しているが、唐櫃内への侵入はほとんどみられない。
(保存課庁舎の汚染は比較的大きなものとなっている。これらのうちで、東宝庫前室及び保
存課庁舎(特に、修理室、倉庫など)の汚染は問題であり、何らかの改善策が要望される。
このうち#は分析技術上の問題として除外するとしても、他はすべてその時点の正倉院宝庫
内外の空気汚染状況に関する結論である。
この4年間の調査によって、庫内の状況のおおよそは把握され、その後、二酸化鉛法による
二酸化イオウ汚染度調査の規模は縮小される。
わが国における二酸化イオウの排出量は、昭和41∼42年(1966∼1967)頃が最高で、したが
って各地での二酸化イオウ濃度もこの頃がピークであったと考えられる。その後、昭和43年
(1
9
6
8)の大気汚染防止法の成立や、昭和44年(1
969)の二酸化イオウ濃度についての環境基
準(一時間濃度の年平均値が0.
05ppm以下)の設定、およびその後の環境基準の改訂(一時間
(117)
濃度の日平均値が0.
0
4ppm以下)などによって、大気環境は大幅に改善され、昭和54∼55年
(1
9
7
9∼1980)頃までにはその濃度はかなり低下し、それ以降も漸減して現在に至っている。
ちなみに正倉院に距離的にもっとも近い奈良県内の大気環境測定地点(奈良市大森町)におい
て、二酸化イオウは測定が開始された昭和46年(1
971)の年平均濃度0.
019ppmから昭和52年
(1
9
7
7)の0.
009ppmまで急激に減少し、以降も漸減して、同地点において最後の測定が行われ
た平成1
3年(2
001)には0.
00
5ppm(=5ppb)まで低下している。
正倉院事務所では、二酸化鉛法を実施していた時期には、外気の測定点を正倉床下に設けて
いたが、その地点での二酸化イオウ汚染度は昭和56∼57年(1
981∼1982)の1年間が0.
142#
SO3/day/100" PbO2で、以降漸減し、二酸化鉛法による最後の測定が行われた平成8∼9年
(1
9
9
6∼1
99
7)の1年間は0.
053#SO3/day/100" PbO2であった(表1)
。二酸化鉛法により求
められた二酸化イオウ汚染度は一般的な濃度への換算が難しいものの、その低下の様子は前述
の奈良市内における二酸化イオウ濃度の年平均値の低下と同様である。
機械室還気空調機内も含め、西東両宝庫内各所の二酸化イオウは、永嶋による重点的調査が
行われた昭和5
0∼54年(1
97
5∼1
979)頃も、すでに僅かしか検出できなかったが、それ以降は、
外気の清浄化に伴ない、二酸化鉛法では、庫内での汚染は検出限界以下となった。ただし、検
出できないことが、ある意味で、空気浄化設備が正常に機能していることの証明でもあったた
め、調査は継続された。
以上のように正倉院の空気汚染調査において、長い実績をもつ二酸化鉛法であったが、同法
については、測定対象が二酸化イオウに限られることや使用する二酸化鉛が有毒であり、かつ
使用後の始末が厄介であることなど、幾つかの欠点もあった。そこで事務所にイオンクロマト
グラフ装置が導入され、空気汚染物質の定量に関する基礎実験を終えた平成15年(2
003)度か
表1
昭和5
6年∼平成9年
正倉院構内外気のイオウ酸化物汚染度の変遷
曝露期間
二酸化イオウ汚染度(mgSO3/day/1
0
0! PbO2)
昭和5
6年5月∼昭和5
7年6月
0.
1
4
2
昭和5
7年6月∼昭和5
8年5月
0.
1
8
3
昭和5
8年6月∼昭和5
9年5月
0.
1
0
8
昭和5
9年7月∼昭和6
0年5月
0.
0
8
7
昭和6
0年6月∼昭和6
1年5月
0.
0
8
6
昭和6
1年7月∼昭和6
2年5月
0.
0
8
2
昭和6
2年8月∼昭和6
3年6月
0.
0
8
1
昭和6
3年8月∼平成元年5月
0.
0
8
0
平成元年7月∼平成2年5月
0.
0
8
2
平成2年7月∼平成3年5月
0.
0
7
0
平成3年6月∼平成4年5月
0.
0
7
0
平成4年7月∼平成4年1
2月
0.
0
5
6
平成5年1月∼平成5年5月
0.
0
7
8
平成6年7月∼平成7年6月
0.
0
5
8
平成7年1
1月∼平成8年6月
0.
0
6
1
平成8年9月∼平成9年6月
0.
0
5
3
(118)
らは、長年続いた二酸化鉛法による測定を廃し、空気汚染物質の測定を、TEA法(注4)へと切り
替えることになった。
正倉院では現在、TEA法により二酸化イオウと二酸化窒素を同時に定量している。大気中の
窒素酸化物は主として一酸化窒素と二酸化窒素からなるが、人体や文化財に特に影響を与える
のは、後者である。窒素酸化物はセルロースなどに対する親和力が高く紙質文化財や木工品へ
の影響が大きいと言われている。
奈良大学・西山要一は、TEA法を用い、奈良市内の社寺などを中心に、20箇所近くに測定地
点を設け、二酸化イオウ、二酸化窒素および塩化物イオンなどの濃度を測定し、奈良市内の大
気汚染の状況を20年間にわたり、監視している(西山 2007)。測定地点には正倉院構内の正倉
北側および鼓坂門脇が含まれており、それによれば両地点とも濃度的にほとんど違いはなく、
年平均で二酸化窒素濃度が約1
0ppb、二酸化イオウ濃度が3∼3.
5ppbである。正倉院構内の空
気汚染の度合いは奈良市内にある社寺の平均に近い。
2‐2
金属腐食試料調査
金属腐食試料調査は、大阪管区気象台による空気環境調査の調査項目のひとつであったが、
昭和3
1年(1
956)から大阪大学・永田三郎に引き継がれることになった。永田は当初、金属の
種類として鉄、アルミニウム、真鍮を使用していたが、ほどなく宝物の実際の材質を反映させ、
これらを鉄、銀、銅に改めた。永田は神戸大学への転任後も調査を継続し、退任後も調査は神
戸大学の後任の教員によって引き継がれ[昭和50年(1
975)度から平成11年(1999)度は吉田
虔太郎、平成1
2年(2
000)度以降は藤居義和]、現在に至っている。
金属腐食試料調査は銀、銅、鉄の板状試料を用いての反射率の測定(注5)および膜厚測定(偏光
(注6)
解析法による)
、銀および銅の試料に生じる腐食生成物に対する電子顕微鏡観察ならびに電
子線回折(注7)を用いて行われていたが、長年にわたって庫内の状況が安定していることが確か
められたこともあって、現在は金属板試料の反射率の測定ならびに最終表面状態の観察のみが
行われている。
昭和5
2∼55年(1
97
7∼1
980)度の調査については、吉田により正倉院年報誌上に直接報告が
なされている(吉田 197
9、1
98
0、1
98
1、1982)。
西東両宝庫に関して、吉田の報告をまとめると、!中倉1階が空気環境的に最も成績が良く、
東宝庫前室あるいは東宝庫北室2階は最も悪い。また両箇所では銀板の黒化および銅板の赤色
化が見られるが、銀の黒化は主に硫化銀の生成によるものであり、その原因となるのは外気中
の二酸化イオウの侵入によるものと考えられ、いっぽう銅板の赤化は亜酸化銅の生成によるも
のであり、庫内の湿気などがその原因として疑われる。また西東両空調還気ダクト内は鉄の板
状試料に毎年褐色錆が生じるものの、銀や銅については東宝庫北室2階や同前室などに比べて
状態が良い!、というものである。
金属腐食試料調査が開始されてから今日まで、電子線回折によって確認された腐食生成物で
(119)
圧倒的多かったのは硫化銀(Ag2S:Argentite)であるが、そのほか、もう一種の硫化銀(β
―Ag2S;Acantite)や塩化銀(AgCl:Chlorargyrite)あるいは酸化銀(Ag2O)などが確認さ
れることもある。いっぽう銅において、電子線回折法で確認された腐食生成物の多くは亜酸化
銅(Cu2O;Cuprite)であったが、硫酸塩系銅化合物らしきものが認められることもあった。実
際の文化財のうち、銅屋根板表面など屋外の銅製のものに確認できる緑色の錆は、海岸地帯の
例外を除きすべて塩基性硫酸銅[Cu4SO4
(OH)
6;Brochantite]であり、また屋外における銅板
の腐食実験では、X線回折により最初に亜酸化銅の生成が、ついで塩基性硫酸銅の生成が起こ
る(江本 199
1)
。東宝庫に設置された試料は、多くは亜酸化銅生成の段階にとどまっているが、
一部に次の段階の反応を経て硫酸塩の生成が認められるものもあった。
以上のことは、新鮮な金属について見られる反応であり、すでに表面にそれなりに安定した
酸化皮膜が形成されている金工品などが、たとえ宝庫内で容器などに入れられない状態で置か
れていても、大きな変化が直ちに現れることを示しているわけではない。
3.TEA法および金属腐食試料調査による近年の状況
平成1
9年(200
7)12月∼平成2
0年(2008)11月における西東両宝庫内のTEA法による二酸化
窒素と二酸化イオウの月毎の濃度の変化を第1図a、bに、同時期の新庁舎における対応する
データを第2図a、bに、また平成1
9年(2
007)11月28日∼平成20年(2
008)10月2日の金属
腐食試料調査による金属板反射率比の変化を第3図a、b、cに示す。
3‐1
西宝庫・東宝庫
TEA法においては、現在西東両宝庫内の二酸化イオウの濃度は検出限界以下あるいは検出限
界に近い(第1図b)
。西宝庫は現在、ふだんは前室でさえもほとんど出入りがないが、一転し
て秋の開封期間中(通常1
0∼11月の約4
0日)は職員が出勤日のほとんどすべてに入庫し、作業
を行う。しかし、この期間でさえも庫内における二酸化イオウの検出量はわずかである。これ
らのことは西東両宝庫の空気浄化設備が二酸化イオウに対しては大変有効に機能していること
を示している。
いっぽう二酸化窒素においては、西宝庫庫内では中倉1階内、中倉2階内とも西宝庫前室よ
り濃度は低く、かつ両者は同程度の濃度を示す(第1図a)
。中倉1階は西宝庫全6倉の中で前
室扉に最も近く、また中倉2階は最も遠いことを考えると、各庫内における二酸化窒素は、前
室扉からの外気の侵入の影響よりも、空調機からの空気の影響が大きいものと考えられる。ま
た中倉1階、中倉2階とも戸棚内の方が、戸棚外に置かれた試料よりも清浄な環境にあること
が認められた。戸棚内については空調機から庫内に吹き出す循環した空気が侵入しづらいとい
うことであろう。
西東両宝庫とも機械室還気空調機内の二酸化窒素濃度は庫内・前室のそれよりも高い。また
西機械室還気空調機内、東機械室還気空調機内の二酸化窒素濃度は、一年のサイクルで見ると、
(120)
夏は西機械室還気空調機内が東機械室還気空調機内よりも低いものの、そのほかの季節は逆に
高くなるという傾向が明瞭に見て取れる。ただし、そうなる理由は今のところ不明である。
金属腐食試料調査では、昭和4
0∼5
0年代においても、東宝庫庫内における銅板の成績の悪さ
は、金属板において反射率比の低下、腐食生成物の膜厚の増加、表面の赤色化などという形で
現れていた。しかし、それは東宝庫前室と同程度であり、また東機械室還気空調機内も、年に
よってこれより下位に来ることもあったので、これらのことは、当初より空調設備が付加され
ていた西宝庫に対して、後からこれを付加した東宝庫全体の空調性能の悪さということで、理
解されていた。
ところが、平成1
5年(2
003)頃からは、前室の銅板の反射率比の低下の度合いが少なくなっ
たため、北倉2階の銅板の反射率比の低下、酸化による赤色化の度合いが相対的に目立つよう
になった。成績が前室よりも下位にあるので、その原因は前室経由の外気の侵入によるもので
はないことがわかるが、今のところそれ以上のことについては不明である。亜酸化銅の生成に
は水分などが関与するが、東宝庫北室2階が東宝庫の他所あるいは西宝庫と比べて特に高湿傾
向にあるわけではない。また平成1
3年(2001)度には庫内の壁間にある旧外気取入孔などから
の空気の遮蔽をより完璧にするための工事が行なわれ、これによって東宝庫全体の密閉性は確
実に増したが、今のところ東宝庫庫内の銅板の保存状態の成績の向上にはつながっていない。
東宝庫の空気環境の状態については経年による悪化が認められるわけではないが、次項で取り
上げる正倉院事務所新庁舎収蔵庫内の空気環境の成績の良さなどを考えると、東宝庫に代わる
新宝庫の建設を視野に入れるべき時期にさしかかっているのかも知れない。
3‐2
正倉院事務所新庁舎
正倉院事務所の保存環境上の最近の課題としては、平成19年(2
007)3月に竣工した事務所
新庁舎内の空気環境の把握がある。
正倉院事務所の旧庁舎は昭和6年(1931)に竣工し、その後、昭和29年(1954)、昭和40年
(1
9
6
5)に増改築されていたが、手狭(最終的な床面積:9
27!)となったため、これに代わる
新庁舎が建設されることになった。新庁舎の床面積は1922!で、旧庁舎の約2倍である。この
うち修理・調査のため宝物を取り扱うゾーンは257!(漆作業室・修補室・調査室)、また収蔵
庫(第1収蔵庫・第2収蔵庫)は1
33!である。空調はヒートポンプチラーを熱源とした単一ダ
クト方式の設備で、各室や収蔵庫内に吹き出す空気はケミカルフィルター(酸性物質とアルカ
リ性物質を吸着するタイプ)を通し、ろ過している。
新庁舎は、収蔵庫および宝物取り扱いゾーンの各室についてコンクリート駆体あるいは内装
材などに由来するアンモニアや酢酸・ギ酸、ホルムアルデヒドの気中濃度が目標値以下に低減
したことを確認して(注8)、平成20年(2008)1月には宝物の調査・修理に関して本格的な運用を
開始することになった。
第1図a、第2図aからもわかるように、TEA法において、新庁舎収蔵庫内の二酸化窒素濃
(121)
度は東宝庫庫内や西宝庫前室よりもわずかに清浄であり、また宝物取り扱いゾーンも東宝庫庫
内あるいは西宝庫前室と同程度である。ただし二酸化イオウに関しては収蔵庫内、宝物取り扱
いゾーンとも、ときおり検出されることもあり(第2図b)
、その頻度は東宝庫庫内あるいは西
宝庫前室(第1図b)よりも多いように見える。
金属腐食試料調査においても新庁舎収蔵庫内には平成19年(2
007)11月末から試料を設置し
ているが、その1年間の反射率比の推移は、銀、銅、鉄とも庫内や機械室還気空調機内と比べ
ても、もっとも良い成績を示している(第3図a、b、c)。
旧庁舎にあった保存課収蔵庫は、金属腐食試料においては銀、銅、鉄いずれもが、西東両宝
庫の庫内はもとより、両宝庫に付属する還気空調機内よりも悪い成績を示していたが、現在の
新庁舎の収蔵庫は、本格的運用を開始して間もないものの、正倉院の中でも上位の空気環境を
維持していることがわかる。
新庁舎における空気環境については、現在のところ安心できる状態で宝物の修理や調査ある
いはそのための仮収蔵を行えるレベルであることが明らかになった。空調機に用いられている
ケミカルフィルターの交換時期については、TEA法や金属腐食試料調査によって空気環境を継
続監視し、二酸化イオウや二酸化窒素に関する濃度の上昇をもって、その目安とする必要があ
る。
また宝物取り扱いゾーンの通路においては、二酸化窒素濃度は外気の約2分の1と、他所に
比べて高く、その測定箇所が特に出入り口の近くであったことは考慮するにしても、室内より
も状態が悪い点については宝物を取り扱う際、意識すべきである。
4.おわりに
TEA法および金属腐食試料調査は、宝庫や新庁舎の収蔵庫あるいは宝物取り扱いゾーンの空
気環境について、場所による違い、あるいは同じ場所における通時的な変遷を把握するのに、
非常に有効な方法である。またこれらの調査は多少形を変えながらも、ほぼ60年近く継続され、
正倉院宝物のおかれた周囲の空気環境の確認に果たした役割は大きい。今後も調査を継続して
ゆきたい。
本稿を作成するにあたり、また日頃の空気汚染関連調査の実施に際し、神戸大学藤居義和准
教授、正倉院事務所奥善行技官には、お世話になりました。記して感謝いたします。
(122)
第1図
第2図
TEA法による西東両宝庫の二酸化窒素濃度(a)、二酸化イオウ濃度(b)
(2
00
7年12月∼2
00
8年11月)
TEA法による新庁舎の二酸化窒素濃度(a)、二酸化イオウ濃度(b)
(2
00
7年12月∼2
00
8年11月)
第3図
(123)
庫内各所における金属板反射率の変化
(2
00
7年11月28日∼2
00
8年1
0月2日)
注
(1)ローザニリン法(フクシンホルマリン法):ホルマリンによって退色したローザニリンが二酸化イ
オウによって赤紫色に発色する反応を利用して、比色分析により二酸化イオウを定量する方法で
ある。
(2)二酸化鉛法:二酸化イオウなどのイオウ酸化物は二酸化鉛と反応し、硫酸鉛を生成するが、その硫
酸イオンを硫酸バリウムとして沈殿させて定量することにより、大気中のイオウ酸化物の濃度を
反映した量(汚染度)を求める方法である。イオウ酸化物の積算量濃度の評価が可能であり、簡便
であるため、わが国の初期の大気汚染調査において、広く用いられた。
(3)電気伝導度法:二酸化イオウを過酸化水素水を含む吸収液に通してこれを硫酸とし、硫酸イオン
に基づく電気伝導度を測定し二酸化イオウ濃度を求める方法、
(4)トリエタノールアミン法:アルカリ性物質であるトリエタノールアミンを用いた大気汚染物質の
定量分析法である。トリエタノールアミンに浸漬した円筒ろ紙を空気中に曝露し、二酸化イオウ、
二酸化窒素などを捕集させる。これらの汚染物質を、熱水抽出した後、イオンクロマトグラフ装置
を用いて定量する(松本、溝口 1
9
8
8)
。汚染物質の濃度は、試料曝露期間の積算量から求められる。
現在、正倉院では試料曝露期間1ヶ月で測定を行っている。
(5)反射率の測定:金属は腐食すると表面に曇りを生ずるが、この曇りの程度を、光の反射率の低下と
して、光沢計により捕える方法。昭和39年(1
9
6
4)以降は、正倉院事務所で測定を担当し、金属試
料を1年間曝露し、経時的な変化(西宝庫庫内は宝庫の閉封直前と次年の開封直後の年2回、その
他の観測地点では10ヶ月に7回)を測定している。現在は日本電色工業$製光沢計VG―2
0
0
0を用
い、6
0°
鏡面光沢で測定を行っている。測定試料は神戸大学にて鏡面研磨したサイズ40×3
0×1.
5!
の銀、銅、鉄の板状試料を用いている。
(6)膜厚測定:偏光解析(エリプソメトリー)によるもので、金属の表面に入射した反射光の偏光状態
の変化を調べ、表面の酸化被膜の厚さを調べる方法である。試料は反射率の測定に用いたものを共
用する。昭和48年(1
9
7
3)から金属腐食試料調査の一項目として取り入れられるようになり、平成
1
1年(1
9
9
9)まで継続した。
(7)電子顕微鏡観察と電子線回折法;金属表面に生成した結晶性質腐食物について、その状態を電子
顕微鏡で観察し、また同時に電子線回折のパターンを解析し、その種類を決定するのに用いた。初
期は金属板を試料として、反射電子線回折法で行なっていたが、昭和48年(1
9
7
3)から、生成した
腐食生成物をさらに詳しく同定するため、銀と銅の蒸着膜試料を製作してこれを用い、透過電子顕
微鏡により観察と電子線回折を行う方法に変更された。平成12年(2
0
0
0)まで継続した。
(8)アンモニア3
0ppb以下、酢酸・ギ酸4
3
0#/"以下、ホルムアルデヒド8
0ppb以下。
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