Veritas No.46(2011.3.31) 目次 (敬称略) <情報化時代と本の未来> 真栄平 房昭(図書館長) <特集 学生への読書の薦め> Marcelo Fukushima(英文学科) 米田 眞澄 (総合文化学科) 田中 修二 (音楽学科) 遠藤 知二 (環境・バイオサイエンス学科) 長谷川 千枝(宗教センター チャプレン室) <本の花束 -その6-> 豊福 裕子 (図書館) <研究室から> 水本 誠一 (心理・行動科学科) <史料室から> 佐伯 裕加恵(史料室) <神戸女学院大学図書館架蔵フランス語書目雑談 Ⅷ> 柏木 隆雄 (大阪大学名誉教授・放送大学大阪学習センター所長) 無断転載を禁ず <情報化時代と本の未来> 真栄平 房昭 図書館長 総合文化学科教授 書物は、新たな未来のフロンティアをどのように切り開いていくことができるか。『も うすぐ絶滅するという紙の書物について』(工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ、2010 年)という本が、書店に並んでいる。世界的なベストセラー小説『薔薇の名前』で知られる イタリアの哲学者ウンベルト・エーコと、フランスの脚本家ジャン=クロード・カリエール の対談集である。これは大変!「本の死亡宣告書」かと、恐る恐る開いてみた。すると、 「本 は死なない」と題された冒頭の章の論旨は、表題とはむしろ逆で「本への愛着」を感じさ せる。書物の歴史が直面している大きな転機について縦横無尽に語り合う魅力的な本であ った。 およそ五百年前にグーテンベルクが活版印刷術を発明して以来、インターネットが高度 に発達した 21 世紀の今日、書物はまさに「技術的革新期」を迎えようとしている。 「電子 書籍」の登場で「紙の印刷本」は駆逐されてしまうのだろうか?本書は、まず読者にこう 問いかける。 「書物とは何でしょう。我々の本棚や世界じゅうの図書館の書架で、人類が文 字を獲得して以来蓄積してきた知識と夢想を封じこめている、書物とはいったい何なんで しょうか。書物という船で門出した精神の、あの波乱に満ちた旅路を、我々はどんなふう にイメージしているでしょうか」と。 「本の未来」はどうなっていくのか。検索エンジン大手の Google は世界中の書物を電 子化し、インターネット検索で巨利を得る計画を進めており、最近、アマゾンの「キンド ル」やアップルの端末「iPad」向けの電子書籍などが急成長している。インターネット書 籍販売や電子書籍が普及した影響で、米国では大手の書店チェーンが倒産するなど、書店 ビジネスそのものが崩壊の危機にあると報じられている。日本でも苦境が続き、全国の書 店数はこの 10 年間で約 3 割減少したという(「朝日新聞」2011 年 2 月 18 日朝刊)。 電子書籍は「本の置き場所」に困らないなど、さまざまな利点がある。だが一方で、本 を手にしたときの重さや紙のページをめくる独特の手触り、インクの匂いがないのは淋し い。ある作家によれば、 「紙という重さのある素材を失ったために文筆の営みはすっかり軽 くなり、量産が可能になった分だけ製品はペラペラのものばかりになった」という(池澤 夏樹編『本は、これから』岩波新書、2010 年)。活字文化になじんだ世代には電子書籍へ の違和感も少なくない。 「画面上に活字が現れて、はい、これが電子書籍です、と言われて も、こんなもの、子ども相手のゲームのようなものとしか思えない」という意見や、 「紙の 本も読まない者が、電子の本を読むだろうか」(同書、出久根達郎)という素朴な疑問はも っともだ。 さらに忘れてならないのは、古典に染み込んだ「歴史の匂い」、つまり時代精神である。 たとえば、近代日本の草創期の先人たちが愛読した書物を手にとると、読書の足跡を示す 熱心な書き込みやアンダーラインに感心したり、余白の「落書き」に思わず苦笑したりす る。こうした人間くさい本に触れる経験は、電子書籍のコンピューターの画面では味わえ ない、古書ならではの魅力といえよう。ネット通販で古書も手軽に買える時代だが、神田 あたりの古書店を自分の足で訪ね歩き、思いがけない「掘り出し本」と出会う体験も楽し い。 電子書籍は確かに便利だが、長時間の読書には不向きである。ウンベルト・エーコは、 先の対談集でこう述べている。 「コンピューターに向かって二時間、小説を読んでみてくだ さい。テニスボールのように目がぱんぱんになります。 (中略)また、電気をつかう電子書 籍は、風呂の中やベッドで読むこともできない。本はもっと柔軟な道具ですよ」と。確か にそうだ。芝生や畳にゴロンと寝転がって文庫本など気軽に読めるし、自由に書き込みも できる。さらに電源のない旅先でも読める。こうした「柔軟性」は、やはり「紙の本」の 魅力といえよう。 以上に紹介した対談集は、「グーテンベルグの銀河系」ともいわれる広大な知的宇宙、 すなわち「書物の世界」への賛歌となっている。これからも情報伝達技術はさまざまに発 達していくであろうが、 「読書」という行為で本質的に重要なことは変わらない。時空を超 えた著者のメッセージに静かに耳を澄ませ、<本との対話>を楽しむことだ。そのとき書 物は生まれる。読者がページを開くそのたびに、本は新たな未来を歩み続けることだろう。 <特集 学生への読書の薦め> Marcelo Fukushima 英文学科専任講師 Books that make you a different person Humans are as hungry for food as they are for information. Acquired information eventually becomes knowledge, and knowledge, in turn, eventually becomes action. Despite all the new media technologies available nowadays, books are still a major source of information and pleasure for most people. Books can provide us with all sorts of emotions and feelings. Some are merely informative, others are truly entertaining. Some stay in our minds forever, others are completely forgettable. This poses the question: What makes a good book? I have come up with one personal definition of “a good book.” A good book is a book that makes the reader a different person. A good book has the power to change people for its boldness, novelty, crudeness, sweetness, or any other characteristics that drag the reader into a whole new dimension of emotions and reflection. Such is the storyline, or the romance, or the depiction of characters, or the reality—or dream—presented that readers finish reading the book and never forget that experience. The same can be said for films or pieces of art. Under this definition, few books would be generally considered good books, but no doubt that these few have shaped and still shape the history of human kind. As a person trained in the social sciences, I will present here a book I read recently and that has had a great impact on me for its crudeness in revealing the reality we want to ignore. The title is “The Working Poor, Invisible in America”, written by David K. Shipler (Vintage books, 2004). In his book, Shipler presents the true stories of many poor working people and their struggle to make a living in the wealthiest country in the world. The protagonists are single mothers, illegal immigrants, or people who simply were caught by the vicissitudes of life. As the title suggests, they do not find a way out of poverty despite the fact they have regular jobs. The most striking thing is the imminent reproduction of poverty of younger generations and the pervasive lack of optimism in life. In fact, it can be said that the pervasive lack of optimism in life is the main character of the book. I have no doubt that the stories depicted in “The Working Poor, Invisible in America” have their equivalent in Japan since the two countries have the highest poverty rates in the developed world. In Japan poverty is even more invisible. One may argue that in developing countries the situation is worse. Indeed, being a working poor in a developing country is the rule. However, being poor in a rich country assumes psychological and social connotations not seen in developing countries. I recommend this book for those interested in knowing what is to be poor in a rich country, hoping it will make you a different person when thinking about social issues. 米田 眞澄 総合文化学科准教授 本の思い出 「趣味は?」と聞かれて、「読書」と答えたことは残念ながら一度もないが、本を読む ことは子どもの頃から好きだった。年齢あるいは年代ごとに思い出に残っている本がいく つかある。なかでも、小学校1年生の時に出会った一冊の本は、はじめて「欲しい」と思 った本だった。 それは、クラスで催されたクリスマス会でのことだった。それぞれが自宅から「要らな くなったもので、お友だちに贈りたいもの」をもってきて、プレゼント交換をすることに なっていた。私は、その日、自分が何を持って行ったのかは、さっぱり覚えていない。し かし、 「手に入れたもの」は鮮明に覚えている。 それは、『イソップものがたり』だ。当時の私には、けっこう分厚い本に見えた。プレ ゼント交換のために、みんながもってきた「贈り物」が机の上に並べられたとき、私の目 は、その本に釘付けになっていた。本の裏表紙に、 「すどう○○○○」と、クラスメートの 男の子の名前が書いてあった。確か、名前は4文字だったが、何であったかは思い出せな い。 「すどう」君の顔も覚えていない。しかし、背表紙に太い黒のマジックで、名前が大き くひらがなで書かれてあったことを、はっきりと覚えている。 私は、『イソップものがたり』があたることを切望していた。二つ折りになった小さな 紙に番号が書いてある。 『イソップものがたり』は26番だった。「26番を引きますよう に。 」担任の先生が作ってくれたくじ引きの箱から、強く念じてくじを引いた。私が引き当 てた番号は、26ではなかった。みんな、わいわい騒いでいた。同じ班の男の子が手にし ている紙に「26」と書かれてあるのを見つけた私は、即座に近づき、その子に「私のと 換えて」と頼んだ。彼が、しぶしぶ交換してくれたのか、気前よく「いいよ」と言ってく れたのか、はたまた、私が力づくで奪ったのかは、覚えていない。人は、自分に都合の悪 いことは忘れるようにできているらしい。でも、私が引いたくじの「贈り物」を手にした 彼が、がっかりしていたのは、覚えている。それは、こけしのお人形だったから。 その日、家に帰ると、すぐに『イソップものがたり』を読みふけった。短い物語の最後 に「教訓」が書かれてあるところも、とても面白く気にいった。挿絵も楽しかった。何度 も繰り返し、この本を読んだ。肉をくわえた犬が川に映った自分の姿を見て、自分のより も大きいと思い、思わず「ワン!」と吠えた拍子に、せっかくのごちそうを失ってしまっ た話。欲深さを戒める言葉で締めくくられていた。少し、ドキッとした。アリとキリギリ スの話は、すでに知っていたが、楽しんで読むことができた。北風と太陽の話も好きだっ た。北風さんがピューピューと吹いて、旅人がコートを必死でおさえる挿絵が面白かった。 ズルをしてまで手に入れた『イソップものがたり』。こけしのお人形が渡ってしまった 当時のクラスメートの男の子は、私をうらめしく思ったことだろう。40年以上の月日が 経ってしまったが、あの時はごめんなさい! 田中 修二 音楽学科教授 「同じ曲でも違う曲?」 私たち音楽家にとって図書と言えば楽譜です。「ベートーヴェンのソナタの楽譜」と言 っても、それは作曲家本人が手書きした物を可能な限り忠実に活字化した数社による「原 典版」と、誰か編集者が強弱や、発想記号、指使いなどを書き足し、その本来作曲家が意 図したであろう音楽に近づけられるよう工夫された楽譜(注釈本という言い方をします) がたくさん出版されています。 これらの多くは歴代のピアニストが原典版の信憑性や当時の演奏習慣などを研究し、自 分で演奏する上でのノウハウを楽譜上に記載しています。ベートーヴェンのピアノソナタ に例を取って言えば、音楽学部図書室にも数種類あり、我が研究室にも、ヘンレ社の原典 版、シャーマー社のビューロー版、カール・フィッシャー社のダルベール版、クルチ社の シュナーベル版、そして春秋社の園田高弘版を並べてあります。おもしろいのは、一部の 版には、作曲家が書き記した記号(フォルテとかピアノとか)は活字が大きく、注釈者の 意見として書き記した記号は活字を小さくしてあったりします。もちろん弾くピアニスト の手の大きさや動きの癖などもあって、指使いも色々です。子供の頃は、先生から指定さ れた楽譜を1冊だけ持っていて、そこに書かれていることを忠実に演奏するように教育さ れたものでしたが、後にこうした色々なエディションの存在を知り、より良い演奏を目指 してこうした色々なエディションを比較検討していくことが、重要なプロセスであること を知りました。 バッハの時代などは現在の様なピアノ(1700 年代に発明されました)が無かった為に、 チェンバロやオルガンを想定して書かれていて、それをピアノで弾くためのたくさんのア ドバイス(時には編曲まで)が書かれた楽譜もあります。速度の表記がないものにどうい った速さで演奏すれば良いのか?、昔の楽器では音の強弱が不可能であったのでどういう 強弱を付けるのか?、装飾音をどう演奏するか?、など注釈本がなければ到底演奏様式な どわかり得ない暗黒の世界に光を与えてくれる物でした。バッハの楽譜においても、ブゾ ーニ版、ビューロー版、ムジェリーニ版、バルトーク版など、著名な注釈本がたくさんあ ります。バルトーク版などは、全2巻合計48曲ある平均律ピアノ曲集をこの順番で勉強 すると良いと、順番まで入れ替えた楽譜まであります。興味のある方は是非音楽学部図書 室で同じ曲の違う楽譜を並べてご覧になると面白いかも知れませんね。 ちなみにこんな歴代音楽家の名前を書いていて気がつきましたが、ある資料に寄れば、 偉 大 な る ヨ ハ ン ・ セ バ ス チ ャ ン ・ バ ッ ハ (1685-1750) は 、 ク リ ス チ ャ ン ・ バ ッ ハ (1736-1782)を教え、クリスチャン・バッハはモーツァルト(1756-1791)のレッスン をしたことがあり、そして、モーツァルトはフンメル(1778-1837)の先生、その弟子は リスト(1811-1886)、そして弟子にブゾーニ(1866-1924)、その弟子にレオ・シロタ (1885-1965)、さらにその教えを受けた園田高弘(1928-2004)、そして田中修二 (1956-)(^_^;)、神戸女学院大学音楽学部の我が門下生たちよ!誇りを持ちましょう!! 我々の代々師匠をたどれば、バッハまで直系ですよ。 遠藤 知二 環境・バイオサイエンス学科教授 後悔しない読書のすすめ 本屋に行く。とくに探している本があるわけではなく、何かおもしろそうな本がないか と書棚から書棚へ次々と背表紙を眺めていく。気になるタイトルの本が見つかって、手に 取ってみる。買うか、今日はやめておくか。フトコロ具合とも相談して、意思決定を行う。 フトコロはたいてい寂しいから、買うという判断はそれなりに厳しい条件をクリアしない と下せない。いつかもっと気楽に本が買える身分になりたい。そう思って何十年も経つが、 それがそもそもどんな身分なのか想像がつかない。それでも、おもしろそうに思える本が ざくざくと見つかるときがある。何が作用しているのかよくわからない。そのときの脳に 何かの物質が出ているのか、あるいはそれこそその場の雰囲気なのか。もしメカニズムが 解明できたら、そしてそれが私だけの特殊な気分でないとすれば、私は本屋に売り込むだ ろう(それでもっと本を買ってやる) 。意思決定の閾値がうんと下がって、次々に本を買う。 モノを買う楽しみである。そして不思議なのは、本の場合あとで悔やむことがほとんどな い、ということだ。 本を選ぶときに機能を比べることはあまりない。辞書や参考書ならありそうだが、それ でも違う辞書は違うからこそありがたい。その点は服と似ているのかもしれないが、服の 場合買って悔やむことがありそうな気がする。服のほうが、好みが強くでてしまうからか。 それとも身を包んで人前に出るという実用があるからか。ひょっとしたら、本は生物の種 とも似ているかもしれない。みんな違っている。違っているからおもしろいし、生態系機 能への貢献にはかけがえがない。しかし、残念ながら生物種を買うことはできない。 なぜ本を買っても後悔しないのか。もちろん、読んでつまらない本はある。何がいいた いの、この著者は、という本もある。著者の言い分に腹を立てたとしても、本そのものに 腹が立つことはない。罪をにくんで人をにくまず、みたいなものか。よくわからないけど。 思うに、本は役に立つようで実用一点張りではない。好みはあるけれど、それだけでもな い。要は、本は考えるための道具だからか。読めば考える。つまらないと思っても、それ は考えた結果である。腹を立てたとしても、押しつけられて腹を立てたわけではない。自 分で選んでその本を読み、腹を立てるくらい考えさせてくれたのだ。後悔するわけがない ではないか。 一つだけ問題がないわけではない。本は場所をとる。1 冊 1 冊の体積はしれているが、 集まると存外ばかにならない。1 冊あたり 500cm3 とすると、百冊で 0.05m3、千冊な ら 0.5m3、くどいようだが 1 万冊なら 5m3 である。なんだ、しれている。しかし、背表 紙が見えて簡単に取り出せるように、などと贅沢なことを考えたとたんに、室内の壁面が かぎりなく貴重な資源になっていく。どうしてこんなに本が増えたのかという、ある種の 後悔はある。そこでとっておきの方法は何か。簡単である。電子ブックなんて野暮なこと は言わない。図書館にたよればいいのだ。買うことはできないにしても、本の間を歩きま わり、次々におもしろそうな本はないかと物色できる。 結論がでたところで 1 冊だけ紹介しよう。池内了『擬似科学入門』岩波新書(2008) 。 類書はあるがバランスのとれた好著。世の中はエセ科学にあふれ、環境問題などについて も科学者を名乗る人々が賛否両論の主張をしている。いったいどのように考えればよいの か。考えるための手がかりを与えてくれるだろう。新書なのでフトコロにもやさしい。も ちろん図書館で借りてもかまわない。 長谷川 千枝 宗教センター(チャプレン室) 「読書のすすめ」~宗教センターより~ 『聖書』(日本聖書協会) 遠藤周作『イエスの生涯』 (新潮文庫) 遠藤周作『沈黙』 (新潮文庫) 遠藤周作『キリストの誕生』 (新潮文庫) 三浦綾子『新約聖書入門』 (光文社文庫) 三浦綾子『旧約聖書入門』 (光文社文庫) 春名康範『マンガ de キリスト教入門』 (日本キリスト教団出版局) 『マリアのウィンク-聖書の名シーン集-』 (視聴覚デザイン研究所) 初めてキリスト教にふれる新入生の皆さんには、どんな本が最初の一歩としてお薦めで きるだろうかと考える作業は、想像以上に楽しい作業でした。 今皆さんが手元にお持ちの、「聖書」 。私は小学生のときに教会学校で「新約聖書」を、 中学生のときに「旧約聖書」を通して読みましたが、自分にとって原点となる感動は聖書 から与えられるものだと、今でも思います。最初はそのドラマのような展開に驚き、次に 礼拝(チャペルアワー)で与えられる聖書の言葉に、その時々に応じて自分と向き合う時 間を与えられました。ぜひ一度読んでみて下さい。 いやいや持ち歩くには重いし…もう少し読みやすいものからという方には遠藤周作の 「イエスの生涯」や、同著「沈黙」がお薦めです。カトリック夙川教会で受洗された遠藤 氏ですが、単純にイエスを賛美する内容を描くのではなく、歴史的にまた小説としてイエ ス像を書かれ、同時に自分が理解している信仰も盛り込まれており、非常に読みやすい内 容となっています。読んでみて面白いと思われた方は続きとなる「キリストの誕生」も読 んでみてくだい。 一方「沈黙」は江戸時代のキリシタン弾圧を題材に書かれおり、こちらは背教の心理、 東洋と西洋の考え方の違いなどを考えさせられる作品と言えます。高校生の時に課題図書 として読んだとき鳥肌が立つほど面白く、その頃「隠れキリシタン」について少し調べて いました。私にとっては一つのマイブームだった本です。 キリスト者の作家として同時に名前が挙げられるのは三浦綾子氏です。三浦氏の「新約 聖書入門」 「旧約聖書入門」も読みやすく、聖書に書かれている内容が簡単に紹介されてお ります。 「新約聖書入門」は遠藤氏と同じ題材ですが、これほど書き手によって違うのか、 と思う切り口です。イエスにスポットを当てるのではなく、聖書に書かれているそれぞれ のお話しに、自分の信仰、それに伴うエピソードを添え、 「なるほどこう読み解くのか…」 と思う本となっています。三浦氏は教師として戦中・戦後を通じて「正しいと信じていた もの」が「正しくないもの」となった経験、それを教えていた後悔など、心に虚ろを抱え たまま結核を患い療養所へ入ります。そこで一人のキリスト者と出会い、また聖書との出 会いから、自分が満たされていくのを感じ、受洗をされました。キリスト者が聖書をどう 読んでいるのかを知るひとつのきっかけとして、読んでいただきたい本だと思います。 最後に、文章はちょっと…という方のために「絵」がほとんどの書籍を少しご紹介しま す。まずは、本学の中高部部長もされました春名康範氏が書かれた「マンガ de キリスト教 入門」です。聖書そのものの内容についてではなく、キリスト教全般について疑問とそれ に対応する四コママンガを掲載した本となっています。マンガならすぐに読めますという 方はぜひ、一度御覧下さい。2つ目は「マリアのウィンク」という、絵画と聖書のエピソ ードをつなげた本です。挿絵もコメントも面白く、高尚な場でお薦めするのは憚られます が、こっそりと推薦させていただけたらと思います。 他にも色々な本があります。自分の興味に添った内容を探し、大学での知的好奇心を満 たしていっていただけたらと願います。 <本の花束 -その6-> 豊福 裕子 図書館職員 「請求記号」ってなに? ― 図書ラベルの見方 皆さんが図書館の本を、KCL 蔵書検索(Opac)で検索して、書架のなかから探し出さ れるとき、あるいはカウンターで書庫内請求をされるとき、必ずメモされるのは「請求記 号」ではないでしょうか。 「請求記号」とは本に貼ってあるラベル(3段)に表示されてい る数字や記号のことです。図書館にある本の住所を示したものともいえます。お探しの本 にたどりつくためにはどうしても欠かせないものなのですが、そこに並んでいる数字や記 号の意味についてはあまり注意を払われたことがないのではないでしょうか。 ラベルの一段目には「分類番号」が表示されています。図書館の本はすべて分類表にし たがって分類され、分野別に並べられます。新入生の皆さんのなかには、図書館のあちこ ちに張り出されている分類表示を見て、高校の図書室の分類表とは少し違うような気がさ れた方も多いと思います。また、NII(国立情報学研究所)のデータベース、たとえば Webcat などを使って検索をかけられた上級生の皆さんは、所蔵館一覧のなかに女学院(「神女院大」 と表示されます。 )の名前を見つけられた際、同じ本なのに他の大学の分類番号と違ってい るな、と思われたことがあるのではないでしょうか。言語学の本が、他の所蔵館はほとん ど 800 番台に分類されているのに、女学院は 400 番台となっている、といった具合です。 それは、日本の大学、公共図書館の多くが「日本十進分類法」(NDC)を採用しているのに 対し、女学院ではメルヴィル・デューイというアメリカ人が考案した「デューイ十進分類 法」(DDC) にもとづいて分類されているからです。両分類法に共通する十進分類法の概念 については、このコーナーの初回(Veritas, No.41)でもふれていますのでここでは割愛 します。 両者の大きな違いは、 「日本十進分類法」(NDC)が宗教と哲学を同じ 100 番台において いるのに対し、 「デューイ十進分類法」(DDC)は哲学を 100 番台、宗教を 200 番台とし、 宗教を哲学より独立させている点にあるように思います。アメリカの宣教師が創設したミ ッション・スクールである女学院にとって「デューイ十進分類法」(DDC)はふさわしい選 択といえるのかもしれません。 ところで、皆さん、同じ本なら分類はどこの図書館でも同じなのでしようか。Webcat の所蔵館一覧をもういちどよく見てみましょう。女学院の分類番号は「デューイ十進分類 法」(DDC)にもとづくものですから他の大学と違っているのはわかります。しかし、あき らかに「日本十進分類法」(NDC)を採用していると思われる大学のあいだでも、異なる分 類番号が付与されているケースがときどき見受けられます。それは、その本が学際的な内 容のものでテーマが複数あり、分類を考える図書館の担当者が悩んだ末、最終的にどのよ うにとらえたか、で分類番号が違ってくるからです。そう考えると、分類番号は無機的な 数字の羅列ではなく、生きた人間の一連の思索のあらわれととらえることもできるのです。 ラベルの2段目には「図書記号」が表示されます。主として著者記号とご理解いただい てよいかと思います。和書でしたら、まず著者あるいは編者の頭文字をアルファベット 2 文字でとります。ただし、シリーズものなどで、主たる著者、編者がいない場合、発行所 (出版社)の頭文字がとられているケースもあります。たとえば、図書記号に「IW」とあ りましたら、もしかしたらそれは人名の頭文字ではなく、 「岩○書店」の「IW」かもしれま せん。ちなみに、洋書は原則著者の頭文字2文字をとりますが、編者しかいない場合は書 名タイトルの先頭2文字となります。(もちろん、the, a, an などの冠詞は除いてくださ い!) ところで、先頭のアルファベット2文字のとり方で、さきほどの規則のどれにもあては まらないケースがあります。図書館新館3F にある、和書「928/NA1」の棚を覗いてみ てください。受入順に本がずっと並んでいますが、著者、編者、発行所(出版社)はそれ ぞれ違います。でも、共通項はすぐにおわかりですね。それは「夏目漱石」です。伝記、 評伝を含めた「夏目漱石の研究書」が集められているのです。つまり「NA」は著者、編者、 発行所(出版社)の頭文字ではなく、研究対象である「夏目漱石」の頭文字ということに なります。このように「人名件名」(被研究者)で図書記号をとると、 「夏目漱石」につい て研究される方にとっては本が一か所に集まって並ぶことになるので非常に便利です。 ラベルの2段目先頭のアルファベット文字を眺めながら、どの規則で図書記号をとった のかな、と図書館員になったつもりで類推してみるのもまたおもしろいのではないでしょ うか。 最後になりましたが、ラベルの3段目は、シリーズものの場合に使われます。ここには 「V.1 」、 「V.2」といった「巻号」や、 「2010」 「2009-2010」といった「年号」が入 ります。あるいは「C.2」といった複本表示にも使われています。 以上、今回はラベルに表記されている「請求記号(分類番号/図書記号/巻号) 」につ いてふれてみました。桜咲く季節が再びめぐってきましたいま、あらたな視点で本に貼ら れているラベルをながめていただくきっかけとなれば幸いです。 撮影:吉永真理子 <研究室から> 水本 誠一 心理・行動科学科准教授 地域健康学 目の前に大きな幟があった。こころの中に様々な悩みや課題を抱えた人々が気軽に訪れ、 相談し、苦手な対人コミュニケーション能力を仲間との仕事を通して高めあったり、これ から始まる地域生活に向けた基盤づくりをするための共同生活、そのための場所づくりが 進められようとしていた。 厚生労働省 「患者調査」 (障害者白書/平成 22 年度版及び平成 18 年度版/編集内閣府) より在宅精神障がい者(以下在宅数という)疾患別状況の推移をみると、調査対象となっ ている 1996 年(H8)~2008 年(H20)における「気分障害」 (うつ病や双極性障害など) は 41 万人→101 万 2 千人とおよそ 2.5 倍に急増している。これに神経症・ストレス関連 障害等を加えると 2008 年度の両者小計は 159 万 6 千人となり、当年在宅数 290 万 1 千人に占める割合は 55%となっている。また 1996 年度在宅数が 185 万 6 千人である ことからこの僅か 12 年間における在宅数の推移は実に 104 万 5 千人の増(65%急増) 、 さらに増加数に占める「気分障害」 「神経症・ストレス関連障害」の割合は 72 万 8 千人と、 およそ 70%に到達している。これら統計だけを見ても心の病は今や誰しもが罹りうる身近 な病として捉えることができる。これにより、様々な悩みや課題は罹患した当事者や家族 の特定の問題としてではなく、社会全体の課題として取り組むべき、しかも喫緊の課題と して捉えることができよう。 さてその幟であるが、その内容は残念ながらウエルカムではなく施設の建設・設置運営 に対する地域の反対表明であった。主な理由は「子どもの安全を損なう」、 「住民の生活に 重大な影響を与えることは必至」などであった。建設が着工されるまでに地元の方々への 説明に要した時間は随分と長かった。ようやく運営が開始されたが周辺にはパトカーが駐 留するなど、その光景は当時館長であった私の目にはまるで現代の座敷牢のように映った。 しかしその環境を大きく変えたのは、皆が心配してやまなかった地域の子どもたちであ った。いつの間にあけたのか垣根にはかわいい穴ができ敷地内を走り回る子どもたち。や がて館内で利用者の方たちとテレビを見たりゲームをしたり、月 1 回の夕方の食事会に参 加する子どもたちまで現れたのである。それから 1 年、建設に反対していた方々の中心的 役割であった方から町内の人々に関する相談を受けた。その後地域の方たちとの協働で花 造りが始まり、やがてその活動はO市全域で事業化された。今では年一回の交流イベント に、多いときには 50 名近い本学学生たちが訪れ街の人たちとの交流をもっている。また精 神保健福祉士を目指す学生たちは花壇造りにも参加している。 人はみな健康で幸せな暮らしを望んでいる。それは決して特別な願いではない。しかし そのごく当たり前の生活を営んでいくことが難しい今日、一人ひとりが健康に暮らしてい くためには地域社会との良好な関係づくりが不可欠である。すべての人たちが豊かである ためには地域もまた豊かでなければならない。 学生の皆さんとは、一人ひとりが日常生活の中に感じている様々な気づきや疑問・問題 を個人の問題としてではなく社会全体の課題(地域福祉課題)として捉えることのできる 視点を涵養し、社会環境の改善に向けて取り組んでいければと思う。 <史料室から> 佐伯 裕加恵 史料室職員 神戸女学院岡田山キャンパスに込められた思い(3) ― Mrs. Emily White Smith ― 前回 Veritas 第 45 号(2010 年 12 月 21 日発行)で、神戸女学院には、岡田山キャ ンパス移転に際して、関係者の思いと祈りを記念して感謝の意を込めて作られた記念誌の あることを紹介しました。また、建物に、あるいは部屋に、名前が付けられているという ことにも触れたと思います。 今回はこの中から、神戸女学院の学生・生徒・教職員なら誰でも一度は使ったことのあ る建物の一つ、講堂の名前について話してみたいと思います。 皆さんは講堂の正式名称をご存知ですか。 「えっ、名前なんてついていたの?」という 人も多いかと思いますが、モーゼス・スミス夫人記念講堂といいます。(間違って、モーゼ ス・スミス記念講堂と呼ばれることがありますが、モーゼス スミスというのはご主人の 牧師さんのお名前です。この名前ですと、夫人の方ではなく、だんな様の方を記念してい ることになってしまいますね。 ) モーゼス スミス夫人―本名はエミリー ホワイト スミスさん(Mrs. Emily White Smith, 1835-1929)とおっしゃいます。この方がなぜ記念されているのかというと―。 神戸女学院には強力な誇るべき支援団体が 2 つ存在します。一つは同窓会(現・神戸女学 院教育文化振興めぐみ会) 。卒業生の団体があるのは、学校であるなら少しも不思議ではあ りませんよね。もう一つは KCC、Kobe College Corporation(現・KCC‐JEE、Kobe College Corporation Japan Education Exchange)といいます。アメリカにある神戸 女学院の支援団体です。海外にこのような団体を持っているのは、他に例を見ません。ス ミス夫人はこの KCC の設立に関わり、終身会員となられた方でした。 KCC の設立はキャンパス移転と密接な関係があります。KCC は岡田山キャンパス移転 の資金を集めるために組織された団体だからです。 神戸では手狭となったキャンパスの移転を計画していた時の院長・デフォレスト先生 (Miss Charlotte Burgis DeForest)は、1920 年、休暇でアメリカに帰られたときに、 支援を呼びかけられました。当時、ミッションスクールであった神戸女学院の経営の主体 はボストンに本部のあったアメリカンボード(American Board of Commissioners for Foreign Missions)という海外宣教団体でした。そしてその協力団体として婦人宣教師を 日本に派遣してくださっていた婦人伝道会(Woman’s Board)という組織があり、神戸 女学院はその中の中部婦人伝道会(Woman’s Board of Missions of the Interior)とい う組織に、創立以来、支えられていました。創立者のタルカット先生(Miss Eliza Talcott) 以外の歴代の宣教師校長・院長は皆、この伝道会から派遣されていましたし、神戸女学院 が女子高等教育のために敷地拡張・校舎の増築をしたときも全面的に支援してくださいま した。しかしこの組織は世界各地で活動する婦人宣教師を支援するところです。日本のた った一つの学校のためだけに大きな支援をお願いするわけにもいきません。そのとき、永 年、中部婦人伝道会の会長を務められたスミス夫人を中心に神戸女学院支援のための組織 を立ち上げようということになり、KCC が作られたのです。前回ご紹介したように、世界 恐慌の嵐の吹き荒れる中、たった一つの見たこともない異国の女学校のために多くの祈り とともに巨額の資金を募金によって集め、キャンパス移転を成功に導きました。岡田山の ヴォーリズ校舎群はこの資金によって建てられたものです。この大きな貢献に感謝して、 講堂にスミス夫人の名が付けられました。 普通、支援団体や後援会というものは、目的を持って結成され、その目的が達成された 場合には解散することが常ですが、この KCC はその後も活動を続け、現在 KCC-JEE と して神戸女学院だけではなく、アメリカにおける日本理解や日米の文化交流等のためにも 働き続けています。 講堂とスミス夫人についての説明は『神戸女学院新築記念帖』 (日本語版の請求番号: 374.75 / KO1、英語版の請求番号:374.75 / KO1R)19 ページから 21 ページに、 『岡田山の 50 年』 (請求番号:374.75 / KO1BA)29 ページから 31 ページに掲載さ れています。興味を持たれた方は是非ご覧ください。 <神戸女学院大学図書館架蔵フランス語書目雑談 Ⅷ─クリュブ・ド・ロネトンム版 『バルザック全集』全28巻(1955年)をめぐって─(その2) > 柏木 隆雄 元神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授 現在大阪大学名誉教授・放送大学大阪学習センター所長 1.ウシオー版『バルザック全集』全20巻(1855年)以後 前回もまた表題の話に辿りつくまでに寄り道をして、下手の長談義はいつ果てるともし れない。早く図書館架蔵の他の名品に移るか、あるいは気鋭の執筆者にバトンタッチした いと思いながら、 (その1)を書いて(その2)が無いのもいかにも自堕落なので、もう少 しだけバルザック全集回顧のお付き合いを願いたい。 本連載のⅣからバルザックの生前の作品集成の軌跡をあとづけて、1842年から刊行 されたバルザック生前最後の全集であるフュルヌ版『人間喜劇』全17巻については前回 に述べたが、1850年8月のバルザックの死以後、フュルヌ版が刊行された時点では完 結していなかったり、執筆さえされていなかった作品─たとえば『幻滅第3部』など─を 収めた第18巻、戯曲として第19巻、それに16世紀ラブレーの快著『ガルガンチュワ とパンタグリュエル物語』の文体を模した『風流滑稽譚』を加えて全20巻の作品集とし て、あらたに刊行されたのが、神戸女学院架蔵、ウシオー版『バルザック全集』である。 この時初めてバルザック作品の集成に『全集』の名が冠された。 この全集からほぼ100年を経て刊行された全集が、今回の話題であるクリュブ・ド・ ロネトンム版『バルザック全集』 (通称オネトンム版全集)全28巻である。その100年 の間にどれだけのバルザックの全集が刊行されたか。まずそれをおおまかに辿ってみるこ とにしよう。 俗にマレスク Maresque 版と言われる『挿絵入りバルザック作品集』全10巻がある。 これをウシオー版全集ののちに出版されたものの範疇にいれるのは、いささか杜撰のそ しりを受けるかもしれない。というのもこのエディションは、いわゆる作品ごとに、長編 一作の場合もあれば、短編数作品を一冊という形で、フォリオ判の分冊として発行され、 それらを数冊集めたものを版元が簡易な装丁をして全10巻としてまとめられたものだ。 その刊行年代は1852年から1854年だからウシオー版よりも早い年代となる。した がってフュルヌ版が17巻で完結した後で、この分冊で発行されたものが初版というバル ザックの作品( 『幻滅』第3部など)もある。 版型は上に述べたようにフォリオの大判、かなり細かい活字の2段組みで、ところどこ ろに大きく挿絵が入っている。 (図版1) いわゆるエディション・ポピュレール(大衆版) と称するもので、バルザックの作品集のほかに、ジョルジュ・サンド、ウォルター・スコ ット、ウジェーヌ・シュー、フェニモア・クーパーといった当時人気の小説家の作品集が 同じエディションで出版された。たとえば男装の麗人で知られるサンドはその生涯に膨大 な作品を書いたが、その完全な全集というものは今まで編まれていない。おそらく戯曲な どをいれれば巨人バルザックの総量をこえるのではないか。おまけにその書簡集を入れれ ば、よくぞ書きに書いたとあきれるほどである。バルザックの場合書簡はハンスカ夫人宛 てがデルタ版で全4巻、それ以外の人たちに宛てたものがクラシック・ガルニエ版で5巻 に過ぎない。ガルニエ版のサンド書簡集は全28巻もある。そしてサンド生前に出たこの 大衆版『挿絵入り(当時の人気挿絵画家トニー・ジョアノが挿絵を担当している)サンド著作 集』は全10巻(図版2) 、それには彼女が40歳を過ぎたころから熱心に書きだした膨大 な戯曲は入っていない。 どれほど彼女が精力的な活動をしたか。最初の愛人ジュール・サ ンドー(彼女の筆名はこの愛人の名前をもじったものだ)をはじめ、ミュッセ、ショパン、医 師のバジョロ、リストなどの派手な情事のいきさつを加えれば、思い半ばに過ぎるものが あろう。このサンドのエディションに関しては、連載第一回でパリの古本屋コラス氏の店 で、親爺秘蔵のコレクションを譲ってもらったことを記したが、覚えている読者はいるだ ろうか。 (Veritas No.38, 2008.7.18) 図版 1 図版2:左 『挿絵入りサンド著作集』 、 右 同著作集から扉のページ ところで『挿絵入りバルザック作品集』の挿絵は、前回紹介したフュルヌ版『人間喜劇』 の挿絵をそっくり用い、一方が小口版画の鮮明な、一ページをまるまる使った豪華なもの に比べ、こちらは小口版画ではなく、グラヴュールの複製で、いかにも大衆的な感じの仕 上 がりだ。(図版3)けれどもかえって親しみはあるかもしれない。フュルヌ版が『人間 喜劇』だけを収録しているのに対して、この『挿絵入りバルザック作品集』には思いがけ ないおまけがあって、それは10巻のうち3巻がバルザックになるまでのバルザックの作 品、すなわち、彼が大学を出て文学仲間たちと大衆小説を「オラース・ド・サン・トーバ ン」とか「ローヌ卿」とかいったペンネームで書きなぐっていた時代のいわゆる『初期作 品集』がそっくり入っており(図版4)、しかも挿絵もふんだんに添えられている。 (最近 発行された水声社の『バルザック初期作品集』とか『バルザック怪奇小説集』はこの本の 挿絵を使っている。 )バルザックの青春の苦闘のあとを窺い知れるこの初期作品集は、19 65年にそれらの復刻版全12巻が刊行されるまで、いわば幻の作品として研究者や好事 家から探し求められていたものだ。もっとも現在ではその復刻版も希少にはなっているが、 幸い日本で上記の翻訳が出て簡単に読めるようになった。 左:図版3、右:図版4 ともに『挿絵入りバルザック作品集』から第1ページ 2.古書店『パラディオ』の親爺さん コラス氏の話が出たので、恐縮ながら、またまた余談にわたるのをお許し願いたい。『挿 絵入りバルザック作品集』全10巻を手に入れたのは、パリ11区のリシャール・ルノワ ール大通りにある古書店『パラディオ』である。この書店は私が阪大の助教授時代、赤木 昭三教授からカタログを示されて、何冊か注文したことから付き合いが始まった。活字印 刷の立派なカタログでなく、タイプ印刷の手作り感一杯のカタログで、表紙は手描きかと 思われる16世紀イタリアの建築家パラディオ作のパレスの図が飾られていた。もっとも その図版は無数に利用しているためか、摩耗もはげしい。いささか鮮明さを欠くその表紙 を開くと、謄写版みたいに素朴な細かく印字された頁にびっしりと本のタイトルと値段が 載っている。珍本は少ないが、良本が多く、おおむね廉価で、そのカタログが届くのが楽 しみだった。 その店主と直接会ったのは1994年5月、10カ月の期間パリでの在外研究を許され て、モンパルナス近くのアパートに身を落ち着けると間もなく、彼の店を訪ねた。今は記 憶が怪しくなっているが、大通りから少し入ったところの大きなアパートの2階を上がる と狭い入口の店があった。しかしそれは店というより書庫といったようなもので、入って 細い通路を左に小さな部屋があり、中年の女性が仕事をしている。それを横目にさらに前 進すると、天井の高い広い空間に出る。広い空間といったが、それは本棚がなければの話 で、たくさんの書棚がずらりと高い天井にまで伸びて所せましと並べられている。ただ窓 側の中央あたりだけ書棚が無く、机が置かれて、その上に沢山の書付や古いカタログの山 を積みあげて、せっせとカタログを作っている頭の禿げた、というかゴマ塩の坊主頭の老 人が主人だった。この時すでに80歳に近かったはずだ。フランスは停年制ができて、か れも古本屋を「停年」で商売をやめたことになっているものの、 「こっそりと(といって半 ば公然) 」古本の商いをこうしたアパートの二階で営んでいたのである。天井まで届くほど の書棚があふれかえっているこの広い書庫で掘り出した思い出多い本も沢山あるが、そん な話をしているといつまでも終わらない。ただぜひ以下のことだけは話しておきたい。 以前パリ南西の外れに近く、名シンガーソング・ライター、ジョルジュ・ブラサンスの 名を取った広場があり、毎土曜、日曜、各地からの古本屋が店開きすることは連載の中に 書いた(Veritas No.45, 2010.12.21) 。その古本市を教えてくれたのは『パラディオ』 の主人である。彼の店に初めて行って、少し偏屈そうな感じの小柄な親爺さんと話をした が(昔学生時代に千日前の小さな小路に「天丼の店」という小さな店があり、カウンター の前に椅子が5つもあったろうか、その向うで軽く鼻歌を歌いながらてんぷらを揚げ、客 が来るとぎろりと睨みつけて、また仕事に戻る親爺。女将さんも黙って揚がったてんぷら をご飯の入った丼に乗せてつゆをかけて出す。当時(昭和40年代)一杯150円だった と思うが、あるいは300円だったかもしれない。今730円している「インディアン」 のカレーが150円だった時代である。しかし実に旨く、愛想もなく、食べ終わればそそ くさと席を立たなければならない店なのに、何時も列ができていた。千日前の天牛新一郎 書店に通う時の昼飯、夕飯はその旨い天丼が定番で、パラディオの親爺さんは「天丼の店」 の親爺とそっくりだった) 、その日はたまたま金曜日だったのだろう、明日ブラサンス広場 で古本市があると言う。迂闊にも私はその古本市のことは初耳だった。わしも行くから、 ということで彼と10時頃そこで落ち合う約束をして店を出た。 翌朝広場前でバスを降りると、ちょうど親爺さんも来たところだった。彼の案内で沢山 の古本屋たちが本を並べている右側の大きなかたまりに向かったが、そこに前日パラディ オの店の入り口の部屋で本の整理をしていた中年の女性が店を開いていた。彼女は古本業 を親爺さんから習っている最中なのだという。その隣店の若い男が並べている本棚にゴン クール兄弟の作品集が革のきれいな装丁で並んでいた。ゴンクール兄弟の本が揃っている のは珍しいので値段を聞くと、1冊100フランだと言う(当時1フランは20円足らず)。 その値段だけでも隋分安いものだったが、その男は女性とも知り合いのようだったから、 私を知り合いの古本屋と思ったのかも知れない。私はそれは高いと一冊50フランに負け させたうえ、24冊ほどあるのを全部まとめて買うからと、さらに一括1000フランに まで値を下げさせることに成功した。ところが広場の古本屋は本を送ることはしない。ま して日本などとんでもない。車はないし、どうしようと思案していたら、パラディオの親 爺さんがその女性に、わしの店に運んだらいい、この男が買った他の本と一緒にわしが日 本に送ってやるから、と言ってくれて、実にありがたい申し出となった。 以来私はせっせと広場に出かけては値切り倒し、貴重で安い本をたくさん買い込んでは パラディオに持ち込み、25キロ分(船便で送れる最大重量)ごとに箱に詰めて日本に送 ってもらうのが慣例になった。このシステムはソルボンヌ前のニゼ書店とリュクサンブー ル公園近くの古本屋、そしてボナパルト通りの「ダルジャンス」書店の4軒が快く─かど うかは知らないが─引き受けてくれて、せっせと4軒にその店で買った1、2冊の本と合 わせて、他の古本屋で安く見つけた本を持ち込んで送ってもらった。ニゼ書店はこのパラ ディオとともに最大の被害者で、10か月の滞在も終わりに近づいたころ、もう日本へ帰 ることになったとニゼ夫人に言ったら、「タン・ミユー!(ソレハ ヨカッタ!)」とほっ とした顔をした。私の本のために一室がいつも満杯になっていたというのである。実際ほ ぼ一年の滞在でずいぶん新刊、古本を買いこんだが、自分で荷造りして日本に送ったこと はほとんど1回か2回、あるかないかだった! パラディオの店でもずいぶんたくさん本を買わせてもらったが、その思い出話はまた次 の機会にして、この最初のゴンクール兄弟の本を買った日の後日談だけして余談を終えよ う。いよいよ帰国が迫って、パラディオで19世紀から20世紀の初めにかけての大きな 豪華な『テアトル(演劇・舞台) 』誌を揃いで数十冊買い込み(これはパラディオ氏─本名 ではないがこう呼ぼう─の私宅が二階の書庫の階下、螺旋階段を下りたところにあり、う ずたかく積まれていたのを見つけて破格の値段で売ってもらった) 、また18世紀の妖精譚 集成『妖精譚宝庫』全38巻も同時に幾箱かに詰め込んで、それをえっちらおっちら近く の郵便局に持って行くのは例の中年の女性の役割だ。たまたまその時店を訪れていた私が 手伝いを申し出て(本来私の本なのだから当然のことながら)一緒に荷物を運んだその時、 これは黙っていろと親爺さんから言われているけれど、と彼女は断りを言ってから、私が ゴンクールの本を値切って買い込んだ時、私が市場から帰った後、親爺さんにこっぴどく 叱られたという。老人いわく、あのゴンクールの本は良いものだ。それをお前は気付かず に素人に先に見つけられて、その上あの男は値段を半額くらいまで下げさせた。玄人のお 前が素人のあの男に出し抜かれてどうするのだ!と。私はそれを聞いてその老人の優しさ と厳しさを帰国間際になって知ったのだった。彼はその時親切に本の運び役さえ買って出 てくれたのだが、本当は素人に出し抜かれた憤りを隠していたのだ。 その時送らせた本の運命や老人の死など、まだまだ書きたいことはあるが、我慢しよう。 それでなくても KC 図書館稀覯書の話がどこかへ行ってしまう。 3.ミシェル・レヴィー版『バルザック全集』全24巻(1869-1876) パリとウクライナと離れて18年間の遠距離恋愛の末にハンスカ夫人とようやく結婚 したその年、1850年8月18日、新婚5カ月も経たないままバルザックは亡くなり、 未亡人となったハンスカ夫人は、以後未完となった『農民』に自ら手を入れるなどして遺 著の発行に力を注ぎ、また夫の全集の刊行にも熱心に取り組んだ(といってバルザックの 後輩のリアリズム小説家シャンフルリーや画家のジグーとの色恋沙汰は噂されたが) 。先に 述べたウシオー版『バルザック全集』やマレスク版の作品集などはハンスカ夫人の尽力な しには考えられない。その中でもっとも充実したバルザック全集はミシェル・レヴィー版(の ちに弟が引き継いだのでカルマン・レヴィー版とも言う。1869-1876 今回はミ シェル・レヴィー版と書いておく)。ウシオー版で初めておさめられた遺作『貧しき縁者た ち( 「いとこベット」 、 「いとこポンス」)』、 『幻滅第3部』他の諸編、戯曲、そして『風流滑 稽譚』に加えて、新しく『雑編』Oeuvres diverses と何よりも注目すべき書簡一巻が加え られている。そしてこの書簡の巻にはバルザックの一つ下の妹ロール・シュルヴィルが興 味深いエピソードを満載して1856年に出版した『わが兄バルザック』というバルザッ ク初めての伝記が、そのまま書簡を収めた巻の巻頭に掲げられた。 ミシェルとカルマンのレヴィー兄弟は19世紀後半のフランス出版業界で大きな足跡 を残した出版者で、たとえばフロベールの『ボヴァリー夫人』はミシェル・レヴィーが1 856年に出版したものだ。そのひと世代前のシャルパンティエが始めた文庫形式の文学 出版をほぼ同じ版型で、同じような名作文庫を出している。弟のカルマン・レヴィー社は 20世紀に入っても盛んな出版活動をおこなった。バルザックのミシェル・レヴィー版の 全集は8折大判で、私が初めてパリのバルザック博物館の図書室に入った時、すぐ目につ くところに立派な赤と金の革装丁で堂々と並べられていて、胸を躍らせた。組版も鮮明で 読みやすく、このエディションは当時において一種の定本としての評価を得ることになる。 4.ロヴァンジュール文庫 ミシェル・レヴィー版バルザック全集の編集にベルギーの愛書家でバルザック、サンド の研究家であるスポエルベルク・ド・ロヴァンジュール子爵(1830-1907)がど の程度関与していたかどうか、不勉強で今確かめられないが、ハンスカ夫人の生前から、 彼は独力でバルザックの初版本や各種異本、手稿、校正刷りなどを精力的に集めており、 ハンスカ夫人が亡くなってバルザックの遺品が沢山売りに出されて散逸するという時、彼 は私財を投げ打ってほとんど全部を彼が買い取ることに成功する。現在子爵が集めたバル ザックの小説のほとんど全部の原稿や校正刷り(ただし『ウジェニー・グランデ』の原稿は アメリカのモルガン財閥の図書館に収められている)は遺言でパリ学士院に寄贈され、シ ャンティの城の一角に「ロヴァンジュール文庫」として収められ、以後バルザック研究者 たちのメッカとなった(1910-1987まで。現在は国立図書館にそれらは移されて いる) 。20世紀後半のバルザック研究の進展は、このロヴァンジュール文庫の存在なくし ては考えられない。 私も神戸女学院大学から留学させていただいた1982年の夏、パリ第7大学でニコ ル・モゼ教授の下で博士論文を仕上げた後、教授の紹介で文庫を訪れることができた。パ リから競馬で有名なシャンティは電車でも行けるが、当時ペルシャの歴史を研究するため にパリに留学していた現東京大学教授の羽田正氏が、結婚まもない奥さんが神戸女学院大 学で私の妻のフランス語の教え子だったという関係をあくどく利用してパリから車で同道 してもらうことになった。羽田氏はオリエント史が専門だったので、ロヴァンジュール文 庫に入って感激する私を不思議そうに見ていたが、私も彼も、名だたる学者が細かい紙切 れをピンセットで挟んで、大きなレンズで内容を確かめながらメモしている姿を目にして、 まことにバルザック研究の本場に立っている、と実感したものだ。 このミシェル・レヴィー版『バルザック全集』の後、まとまった全集としては1911 年に出たルネッサンス・ド・リーヴル刊の3巻本があるが、これは一冊が相当厚い代物な がら、2段組みの味のない活字で印刷された作品がひたすら並んでいるだけで、学問的特 色もなく、これを手に入れたときは、多少全集として文献上名が知られていただけに、拍 子抜けしてしまった。 20世紀に入ってからの戦前までの画期的なバルザック全集はいわゆるコナール版の 全40巻の全集だが、これは肝心の神戸女学院大学図書館蔵オネトンム版全集の話ととも に次回に述べることにしよう。
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