科学技術の視点から、どう考えてもおかしい「水素

2015,2,18
科学技術の視点から、どう考えてもおかしい「水素社会」
(その1)
「水素元年」などとはしゃいでいるのは、化学工業の歴史を知らない人の妄想
である
久保田 宏(東京工業大学名誉教授)
最近、にわかに、「水素エネルギー」がメデイアを賑わし、「水素元年」というフレーズ
まで飛び出している。この水素元年は、トヨタが燃料電池車(FCV)の MIRAI の市販を開
始したことを記念した FCV 元年をいうのであろう。いや、水素をエネルギーとした燃料電
池の実用化であれば、家庭用の発電設備、「エネファーム」が売り出されたのが、2009 年
であるから、今年は、水素 7 年になると言ってもよい。では、本当に「水素エネルギー、
社会を支える新たな力に(朝日新聞 2015/2/18 社説)」なるのであろうか?
何のために水素のエネルギーの利用が必要なのであろうか?
それは、現代文明社会を担っているエネルギー源の化石燃料が、いずれは枯渇するから
であるとされている。しかし、いま、この化石燃料の代替としては、自然エネルギー(国
産の再生可能エネルギー(再エネ)
)の利用が言われている。自然エネルギーとは、文字通
り自然の条件下で存在するが、エネルギー源として利用可能な水素(H2)は、自然条件下
では存在しない。したがって、化石燃料が枯渇した後の水素エネルギーは、自然エネルギ
ーとして得られる電力(再エネ電力)を使って、いくらでも使える水(H2O)を原料として
つくられる水素のエネルギー利用でなければならない。
この水素エネルギーを使う「水素社会」では、再エネ電力を使って水素をつくり、その
水素を使って電力を生産する世にも不思議なことが起こることになる。こんなことをする
なら、はじめから、再エネ電力を、そのまま使った方がよいはずである。エネルギー利用
では、その効率が問題になる。例えば、水の電気分解で水素をつくる時、その水素で燃料
電池を使って発電する時、それぞれのエネルギー利用効率を 80 % とすると、総合のエネル
ギー利用効率は 64 % にまで低下する。具体的に言うと、同じ再エネ電力を用いるのであ
れば、FCV でなく、電気自動車(EV)のほうが、はるかに効率が良いはずである。その上、
車の価格面でも、最近発売されたトヨタの FCV、MIRAI では、市販価格 700 万円に補助
金が 200 万円もついて(何故、こんな多額の補助金(国民のお金)がつくのか不明だが)
、
500 万円程度で購入可能とされているが、すでに(3.5 年前)市販されている EV であれば、
日産のリーフでは、補助金付きでは 230 万円程度で購入できる。また、エネファームの場
合は、現在、天然ガスをエネルギー源としているので、需要先(家庭)での水素製造工程
での廃熱を利用することで、家庭のエネルギー利用の総合効率が高められるとしている。
しかし、私の試算では、補助金付きでも高い設備購入費を、この設備の使用期間(寿命、
1
10 年)内には償却できない。少なくとも、現時点では、お金持ちの消費者の経済的負担で、
これらを用いる「水素社会」が成り立つことになる。
エネルギー政策のなかに迷い込んだ地球温暖化対策が支える「水素社会」
上記したように、
「水素社会」は、化石燃料が枯渇した時(ここで、化石燃料の枯渇とは、
その国際貿易価格が高くなって使えない国が出てくる時を指す)の化石燃料代替としての
水素エネルギーの利用であるから、化石燃料が使える現状では、その存立の必然性が無い
はずである。にもかかわらず、はじめに記したように、いま、
「水素社会」の利器、FCV や
エネファームが国の補助金支給の下で実用化されている。これは、いま起こっている、地
球温暖化の防止のために、何が何でも、少しでも二酸化炭素(CO2 )の排出を削減をしな
ければならないとの非科学的な盲信が、この国のエネルギー政策を支配してしまっている
からである。
地球の温暖化は、化石燃料の大量消費に伴う CO2 の排出により起こるとされているが、
実は、これは、科学的な根拠が実証されていない IPCC(気候変動に関する政府間パネル,
国連の下部機構)による仮説である。もし、この仮説が正しかったとしても、これを防ぐ
には、世界が協力して化石燃料消費量を節減する以外に方法がない。幸か不幸か、現在の
科学技術の力で経済的に採掘可能な地球上の化石燃料資源(確認可採埋蔵量と呼ばれてい
る)の消費により、取り返しのつかない地球の温暖化を起こすほど大量の CO2 が排出され
ることはない。経済力のある大国が、現状の確認可採埋蔵量を無視して、化石燃料資源を
大量消費しない限り、温暖化は起こらないはずである。逆に、経済力のある大国が、経済
成長のためとして、化石燃料資源を独占して大量使用すれば、その国際貿易価格が上昇し
て、それを使いたくとも使えない国々との間の貧富の格差が現在より一層拡大し、世界の
平和が脅かされかねない。いま、地球にとって大事なことは、全世界が協力して経済成長
を抑制し、残された化石燃料を大事に分け合って使うことであり、その結果として、地球
温暖化対策としての CO2 の排出削減を目的とした「水素社会」を不要にすることでなけれ
ばならない。
化学原料としての「水素」の重要な社会的役割を考えて欲しい
はじめにも述べたように、いま、
「水素社会」を言うとき、それは「水素エネルギー社会」
におけるエネルギー源、というよりエネルギーのキャリアとしての水素の社会的な役割を
言っている。しかし、エネルギー利用でなく、化学物質としての水素の利用は、現代文明
社会において、無くてはならない重要な役割を果たしていることを認識して欲しい。
産業革命以降、指数関数的に増加するようになった地球上の人口を支えてきた食料の増
産に欠かせない窒素肥料 アンモニア(NH3)の合成化学原料として、大量の水素が使われ
ている。1913 年、ハーバー・ボッシュ法による NH3 合成(空中窒素固定)工業の成功は、
近代化学工業の夜明け(元年)であると同時に、19 世紀の末に大きな社会問題とされた世
2
界の食料危機を解決した画期的な出来事であった(文献 1 - 1 参照。この工業生産でのコス
トの約 8 割を占める水素の製造方法として、当時のアンモニア合成反応の実験段階では、
水電解でつくられた水素が用いられたが、工業化では、はじめ石炭と水から、次いで石炭
の代わりに石油が、そして、いま、天然ガスが用いられている。それが、もっとも、安価
な水素の製造法だからである。いずれ、天然ガスの価格が高騰すれば、この NH3 合成反応
原料用の水素は、再エネ電力を用いた水電解でつくられるようになるであろう。
ほかにも、化学原料としての水素が、化石燃料枯渇後の化学原料として用いられる可能
性がある。例えば、石炭の代わりの水素製鉄のほかに、化学工業原料としての石油の代替
品を CO2 と水素からつくろうとの話まで真面目に取り上げられている。
このように、化学原料としての水素利用の必要性を考えると、再エネ電力を使ってつく
った水素を発電用に用いるなんて馬鹿げたことはあり得ないと考えるべきである。水素を
「究極のクリーンエネルギー」とか「夢の水素エネルギー」とか言いふらす人が居るが、
それは、化学の知識のない人、あるいは、化学工業発展の歴史を学んでいない人と言って
よい。私は、敢えて、この「水素エネルギー社会の夢」を見果てぬ夢と断じている。いま、
成長のためのエネルギー資源の輸入金額の増加で貿易収支の赤字に苦しんでいる日本経済
にとって、
「水素社会の夢」にうつつを抜かしている余裕はないはずである。
引用文献;
1-1.久保田 宏、伊香輪 恒男;ルブランの末裔、東海大学出版会、1978 年
3
科学技術の視点から、どう考えてもおかしい「水素社会」
(その2)
「水素社会」のフロントランナーFCV は、どうやら見果てぬ夢に終わる
久保田 宏(東京工業大学名誉教授)
本稿(その1)の原稿を書いた後、トヨタの販売店に、燃料電池車(FCV)の MIRAI の
販売用のカタログを貰いかたがた、その売れ行きを聞きに行った。年間 700 台しか生産し
ていないから、販売店には見本の車も置いていない。営業担当者もまだ、実物を見たこと
がないとのことであった。一店舗当たり 10 台の販売割り当てだが、今年度(2014 年度)
分だけでなく、来年度分の予約も完売とのことであった。販売価格 700 万円、国の補助金
が 200 万円で、500 万円を支出しなければならない FCV を買えるお金持ちが居るものだ
と驚いた。アベノミクスによる株価の高騰で大儲けした人が買っているのであろう? いずれ
にしろ、庶民には関係のない話である。
エネルギー源種類の異なる車の単位走行距離あたりのコストを表す指標としての「新燃
費」の概念を提案する
現在、自家用車として、ガソリン車(GV)が主体を占める現状で、その代替として、電
気自動車(EV)や FCV が広く庶民に普及するためには、これらを使用する消費者にとっ
て、GV 使用の場合に較べて経済的支出としてのエネルギーコストが小さくなければならな
い。GV などの内燃機関自動車(日本の場合、排ガス規制の関係で、自家用を含む旅客用自
動車の大部分が GV なので、以下、GV とする)に対して、その使用による消費者の経済的
な支出を表す指標として用いられているのが燃費の概念である。現在、GV に対する「燃費」
は、単位燃料消費量あたりの走行距離 km/ℓ の値で与えられている。同じ GV 間の比較で
あれば、この燃費の値で、車種別のエネルギーコストを比較できる。しかし、EV では、例
えば、日産リーフのパンフには燃費が 6.0 km/kWh と、異なった単位で記されており、こ
のままでは、違った車種間のエネルギーコストが比較できない。
そこで、私は、この在来の燃費に代わって、単位走行距離当たりのエネルギーコストを
表す次式で定義される「新燃費」の概念を提案することにした。
(新燃費)= { 1 / (燃費) }×(エネルギー源価格)
(2-1)
燃費 25 km/ℓの省エネ型 GV について、燃料ガソリンの市販価格 140 円/ℓ とすると、
GV の新燃費の値は、( 2 - 1 ) 式から、次のように求められる。
新燃費(GV)=(1 / 25 )×140 = 5.6 円/km
一方、EV として日産リーフの燃費 6 km/kWh を用い、電力料金として家庭用の料金 24
円/kWh に、EV の蓄電池への充電コストとして、その 10 % を加えた 26.4.円/kWh の値
を用いると、EV については、 ( 2 - 1 ) 式から、
新燃費(EV)= (1 / 6 )×26.4 = 4.4 円/km
4
と求められる。
FCV については、MIRAI のカタログと販売店での聞き取りから、車の水素貯留タンク
の満タン時の水素質量 4.6 kg での走行可能距離 650 km とあるので、FCV の在来の燃費
の値は 141.3 ( = 650 / 4.6 ) km/kg-H2 と計算される。これに、現在、利用可能な水素ステ
ーションでの水素の販売価格 1,080 円/kg (販売店での聞き取りから)を ( 2 - 1 ) 式に代
入すれば、FCV の新燃費は、次のように求められる。
新燃費(FCV)= ( 1 / 141.3 ) ×( 1080 ) = 7.64 円/km
驚いたことに、現状のエネルギー源価格では、省エネ目的での FCV の使用は、何と、現
状の省エネ型 GV より 1.36 ( = 7.64 / 5.6 ) 倍もエネルギーコストが大きくなる。
省エネ目的の電動車としての EV、FCV が GV 代替として普及するための条件
上記した、私が提案する新燃費を指標として、現時点での、省エネを目的とした EV と
FCV の GV 代替利用の可能性を考える。現在、日本における自家用車の平均的な使用条件
は、使用年数 10 年、走行距離 10 万 km なので、消費者にとっての車の使用期間内に想
定されるエネルギーコスト Co の値は、上記で求めた新燃費の値から、次式で計算される。
Co =(走行距離 10 万 km )×(新燃費)
( 2-2 )
GV、EV、FCV 各車の使用期間内のエネルギーコスト Co の値は、この ( 2 – 2 ) 式を用
いて計算される上記のそれぞれの車種の新燃費の値から、次のように計算される。
Co(GV)
;
56 万円、 Co(EV)
; 44 万円、Co (FCV ) ; 76 万円
これらの Co の値から、先ず、省エネを目的としてすでに市販されている EV が、現在、
一般的に普及している GV に代わって用いられるための条件を考える。いま、代替対象の
EV とほぼ同じ車格の GV の市販価格を 210 万円として、この値に、上記のエネルギーコ
スト Co(GV)と Go(EV)との差額 ΔCo = 12 ( = 56 – 44 ) 万円を加えた 222 ( = 210 +
12 ) 万円以下であれば、省エネ目的の EV が GV に代わって利用・普及される可能性があ
る。日産リーフ(EV)の現在の市販価格 280 万円から国の補助金 53 万円(発売当初 78
万円が年々減額している)を差し引いた価格 227 万円とほぼ同じになる。にも関わらず、
思うように EV の利用・普及が進まないのは、GV に比べ、一充填走行可能距離(航続距離
と呼ばれている)が小さいのと、ガソリンスタンドに匹敵する急速充電施設が整備されて
いないためと考えられる。しかしながら、いずれ、石油が枯渇に近づき、ガソリン価格が
上昇すれば、ガソリン価格に比例する GV の新燃費の値と市販電力価格に左右される EV の
新燃費との値の差が、現状に比べて次第に大きくなるから、もはや、航続距離が小さいな
んて言っていられなくなり、やがて、EV の時代が訪れることは確かである。
これに対して、FCV はどうであろうか?先ず、現在の FCV と EV の新燃費の値の比較
(FCV が EV の 1.72 倍)から判るように、将来とも、FCV が EV に代わって用いられる
ようになることはないと考えるべきである。それは、本稿(その 1 )でも述べたように、
同じ電動車として、エネルギー源の電力を、直接使って走る EV に較べて、同じ電力を一度
5
水素にして、それを電力に再転換して使用する FCV のエネルギー効率が低下することは、
科学の必然だからと考えてよい。この違いは、将来、エネルギー源としての電力が、再エ
ネ電力で賄われるようになっても変わることはない。
「水素社会」のフロントランナーFCV の利用・普及は見果てぬ夢に終わる
上記したように、同じ電動車としての FCV の新燃費の値が EV に比べて大きくなる、も
う一つの原因として、エネルギー源としての水素を車に充填するために水素の製造プラン
トから水素ステーションまで輸送するために水素を液化しなければならないことが挙げら
れる。この水素ステーションでの水素の販売価格 1,080 円/kg-H2 の半分以上が、この水素
の輸送に必要な水素の液化のコストと試算される。この液体水素を用いて、水素が FCV 車
内の 700 気圧の特製の貯留容器(ボンベ)内に充填される。この満タン時の質量 4.6 kg の
水素が、一充填時走行距離 650 km の GV 以上の高い値を保証している。
FCV の開発の当初から、積載可能な水素量が問題になっていた。在来から考えられてい
た水素吸蔵合金を用いる方法などでは積載要求量を満たすことができず、トヨタは、一時、
LNG(液化天然ガス)から水素をつくる化学反応装置を FCV に積み込むことを考えた。化
学反応装置設計の研究を仕事としてきた私には、これは無茶だと、私的な反対意見を述べ
たが、結局、この高圧ボンベ利用によるこの水素ステーション方式での実用化が進められ
た。しかし、日本経済にとっての将来のエネルギー問題の重要性を考えるとき、上記の GV
と EV の比較の問題でも述べたように、航続距離の問題を理由に FCV が EV に代わって用
いられなければならない理由はないはずである。
それが、MIRAI の発売後、
「水素元年」などと騒ぎ立てるメデイアを巻き込んで社会現象
に発展している。見かねて私は、上記したような、「新燃費」の概念を用いて、この FCV
の実用化可能性評価の解析を行ってみた。結果は、私が想像した以上に、無残なものであ
る。よく言われているように、官公庁用か、アベノミクスで大儲けした人以外に、FCV に
乗る人はいないと考える。しかし、この厳しい現実が、いままで、誰にも知らされていな
い。それどころか、つい最近、NHK TV の時論・公論で、解説委員の方が、トヨタが FCV
関連の特許を無料で世界に公開したことを取り上げて、この FCV を含む燃料電池を利用し
た「水素社会」の技術を世界に売り込む国際的ビジネスを展開すべきだと訴えていた。何
の根拠も示さないまま、何のために、公共放送が、こんなことを訴えなければならないの
であろうか?いま、大きな貿易赤字と財政赤字をかかえている日本経済の苦境を考えると
き、このような国民不在の不毛なエネルギー政策プロジェクトに、国民の貴重な税金を浪
費する余裕は何処にもないはずである。
6
科学技術の視点から、どう考えてもおかしい「水素社会」
(その3)エネファームは、家庭の「オール電化」を訴えていた電力会社に対抗する都
市ガス供給会社の企業戦略であった
久保田 宏(東京工業大学名誉教授)
燃料電池車(FCV)とともに「水素社会」のフロントランナーとして、その利用の普及・
拡大が期待されているのがエネファーム(燃料電池による家庭用電力の供給設備)である。
しかし、「水素元年」のシンボルとされた FCV が庶民の自家用車として用いられることが
あり得ないことを、先の本稿(その2)で明らかにした。では、エネファームは、「水素社
会」の基幹技術となり得るのであろうか?
エコキュートからエネファームへ、家庭用給湯器を巡る仁義なき戦い
3.11 の原発事故が起こる以前には、よく、東京電力の代理店と称するところから家庭用
の給湯器としてのエコキュートの売り込みの電話がかかってきた。エコキュートでは、ヒ
ートポンプの原理を使って、電力をエネルギー源として動力を熱に変換している。この電
力が夜間の安価な原発の余剰電力(9 円/kWh 台)で賄われることで、消費者にとって安価
な家庭の給湯用温水を供給できるとして、対抗する都市ガスや LPG をエネルギー源とする
ガス給湯器の市場を奪う形で、急速に売り上げを伸ばしていた。これに危機感を持ったガ
ス会社や石油会社が、共同で開発し、共通の商品名で売り出したのがエネファームである。
エコキュートが家庭用エネルギー供給でのオール電化の企業戦略の一つとして、その開
発が進められたのに対抗して、ガス会社が開発したエネファームは、各家庭に設置した設
備内で、都市ガス(あるいは LPG)を原料として水素をつくり、この水素をエネルギー源
とした燃料電池で電力を生産することで、家庭用電力供給の仕事を電力会社から奪いとる
仕組みになっている。同時に、給湯用の温水の製造には、都市ガスから水素を製造する際
の発熱反応の廃熱が利用されている。すなわち、エネファームは、オール電化を謳い文句
にした電力会社による家庭用のエネルギー供給事業に対抗して、都市ガス供給業者等が、
家庭用のエネルギー供給事業を独占する目的で開発されたと言ってもよい。
たまたま、このエネファームの売り出しの開始時期が、3.11 の原発事故と重なり、原発
電力を使うことで拡販を自重せざるを得なくなったエコキュートに代わって、現状で、エ
ネファームが、確実に、市場を伸ばしているようである。
エネファームの利用による家庭用エネルギー消費の節減効果は大きくない
家庭用のエネファームの使用が、一般に広く普及するためには、その使用で、消費者に
とっての経済的なメリットがもたらされなければならない。私が、東京ガスのエネファー
ムの宣伝用のパンフと営業担当の技術者から聞き取ったデータから、都市ガスをエネルギ
7
ー源としたエネファームの使用での都市ガスの消費量は 0.2057 Nm3/kWh と計算される。
したがって、都市ガスの消費量の増加を促すための割引料金 117 円/Nm3 の適用でも、発電
コストは、24 ( =0,2057×117 ) 円/kWh と計算され、市販の家庭用電力料金と変わらない
から、このエネファーム利用での電力生産では、消費者の経済的なメリットは得られない。
すなわち、エネファームの使用での消費者の利益は、都市ガスを用いた燃料電池原料水素
ガスをつくる際の廃熱の利用による給湯用の都市ガス使用料金の節減効果にあるとしてよ
い。しかし、この家庭の給湯用のエネルギーを、燃料電池用の水素製造の際の廃熱で賄う
際には、この発熱量と、家庭での給湯の需要熱量とのバランスが問題になる。一般的には、
廃熱量が、通常の給湯の需要熱量を大きく上回るので、廃熱温水を、給湯用とともに床暖
房用にも利用することが、エネファームの標準的な使用条件になっている。
いま、この廃熱の 100 % 利用を仮定した場合の標準家庭の一世帯当たりの都市ガス使
用での節減金額を計算してみる。エネファームパンフから、単位発電量あたりの都市ガス
節減量は 0.1041 Nm3/kWh とあり、都市ガスの通常の市販料金 150 円/Nm3 から、都市ガ
スの節減金額は、15.62(=0.1041×150 )円/kWh となる。エネルギー経済研究所のデー
タ(文献 3 -1)で、2010 年度の家庭部門の平均電力消費量は 475 kWh/月とあるので、エ
ネファームの使用による家庭用のエネルギー消費の節減金額は、次のように計算される。
(15.62 円/kWh)×(475 kWh/月)= 7,420 円/月= 8.9 万円/年
市販設備価格 180 万円から国の補助金 30 万円を差し引いた消費者の支出金額 150(=
180 – 30)万円を償却するには、16.8 ( = 150 / 8.9 )年が必要となり、エネファームの使
用期間(燃料電池の寿命)とされる 10 年間を大幅に上回ってしまう。
ただし、この償却年数の値は、政府が、このエネファームの利用・普及を拡大するため
の設備購入の際の補助金、一基あたり 30 万円を支給している条件下での値である。実は、
この補助金の支給額には科学的な根拠がない。「補遺 3-1」に記したように、私どもが提案
している省エネ製品としてエネファームの適正補助金額を 15.8 万円(計算方法は、文献
3-2. 参照)とした場合には、償却年数 18.4(=(180- 15.89) /8.9 )年と、さらに大きくな
る。
消費者にとっての設備償却年数を設備の使用年数 10 年以内に納めるためには、設備価格
を現状の半分近い 100 万円以下に低減させることが必要になる。結局、当面は、将来的な
家庭用電力料金の値上がりをあてにし、消費者のボランテイアに依存して、その販売促進が
行われることになる。
また、以上の試算では、電力生産での廃熱が 100 % 利用できた場合を想定しているが、
実際のエネファームの使用では、給湯用の廃熱量が、その需要量とはバランスしないから、
廃熱の利用比率は、大幅に低下する。この設備償却年数は、上記したように、廃熱の利用
比率にほぼ反比例するから、例えば、廃熱の利用率が 50 % に止まれば、償却年数が 2 倍
になってしまう。
さらに、より大きく問題になるのは、このエネファームの利用は、燃料電池原料の水素
8
が、天然ガスから製造される現状でなり立っていることに注意する必要がある。すなわち、
天然ガスが枯渇し、燃料電池用の水素の製造を再生可能エネルギー電力(再エネ電力)に
依存しなければならないとしたら、水素製造の際の廃熱が利用できなくなるから、家庭で
の給湯用のエネルギー利用による利益が失われてしまう。
エネファームは、本来、
「水素社会」とは無関係な存在である
本稿の(その 1 )で述べたように、いま、エネファームは、FCV とともに水素社会のフ
ロントランナーのように言われている。しかし、それは、エネルギー供給システムとして
のエネファームの中心に燃料電池があり、そのエネルギー源が水素だからという理由だけ
で、メデイアが勝手に言っていることである。現状では、この水素は、天然ガスや石油(LPG)
からつくられる水素であるが、この水素原料の化石燃料が利用できなくなったときには、
家庭用のエネルギー供給システムとしてのエネファームは、その存在意義を失ってしまう。
すなわち、電力は、直接、再エネ電力か、あるいは、原発電力で賄われればよいし、給湯
用のエネルギーも、太陽熱が大幅に利用されるべきで、水素の出番はなくなる。
改めて、MIRAI の立派なカタログ(表紙込みで 56 ページ)を見直してみると、その表
紙の裏に、六角形(ベンゼン核?)のなかの H2 がビルの合間の空に浮いているのを指さす
少女の絵とともに、「おはよう、未来」の表題で、・・・水素の本格的なエネルギー利用が
世界に先駆けて始まります・・とあり、至る所に、ふんだんに、水素の文字が躍っている。
これに対して、東京ガスのエネファームの 8 ページのパンフには、どこを探しても水素の
文字は見当たらない。もともと、エネファームは、そのメーカにとっては、水素社会とは
無関係な存在だったのである。
「補遺 3-1 」省エネ・創エネ製品の普及促進のための補助金の適正支給金額を決める方法
いま、省エネ製品(省エネ家電製品など)や再エネ電力の生産のための創エネ設備(太陽光や
風力発電設備など)の利用・普及を促進するためとして、消費者に、これらの購入の際の補助金
を支給する制度が広く用いられている。すなわち、単に、これらの製品の販売を促進するためと
して、国民のお金(税金)が、例えば、上記(本稿(その2))で述べたように、FCV では 700
万円の販売価格に対し 200 万円(販売価格の 28.6 ( = 200/700 ) %)が、EV に対しては 280 万
円に対し 53 万円(18.9 ( = 53 / 280 ) % )が、支出されている、しかし、これらの補助金支給
額の決定には、何の科学的根拠も示されていない。
これに対して、私は、これらの省エネ製品・創エネ設備の使用による国民にとっての経済的な
利益は、エネルギーの主体を輸入化石燃料に依存する日本の現状では、これらの省エネ、創エネ
による輸入化石燃料の節減金額として評価できるから、補助金の支給額は、次のよう決められる
べきであると提案している。
(省エネ・創エネ製品の購入に対する適正補助金額)
=(省エネ・創エネ製品の使用による化石燃料の輸入金額の節減額)
9
-(省エネ・創エネ製品の製造・使用に要するエネルギー消費を稼ぎ出すために必要な国
民の支出金額)
この(適正な補助金額)の決め方を用いることによって、はじめて、化石燃料の輸入金額によ
る貿易赤字に苦しむ日本経済にとって、国民の経済的な負担を強いることのない省エネ、創エネ
の推進のための合理的な補助金額を決めることができる。具体的な計算の方法については、文献
3-2 を参照されたい。
引用文献;
3-1.日本エネルギー経済建久所計量分析ユニット 編;エネルギー・経済統計要覧、2014,
省エネセンター、2014 年
3-2.久保田 宏;脱化石燃料社会、「低炭素社会へ」からの変換が日本を救い、地球を救う、化学工
業日報社、2011 年
10
科学技術の視点から、どう考えてもおかしい「水素社会」
(その4)「はじめに燃料電池ありき」から導かれる「水素社会」の幻想
東京工業大学名誉教授 久保田 宏
燃料電池車(FCV)の発売で「水素元年」として始まった「水素社会」のなかの水素が、
経済成長のエネルギー源として、現在はもとより、将来の化石燃料枯渇後の日本経済のエ
ネルギー供給に何の貢献ももたらさないことは、本稿(その 1 )~(その3)までに明ら
かにしてきた。では、なぜ、こんな、おかしなことが、技術立国の日本で起こるのであろ
うか? 本稿では、この問題点を科学技術の視点から考えてみる。
海外でつくった水素を日本に運んでくる必要があると考える不可思議
その前に、もう一つ問題とされなければならないのは、
「水素社会」の水素が、その製造
コストが安いとの理由で国外でつくられ、日本に持って来ることが、国策研究として進め
られていることである。具体的には、地球上で緯度が低く太陽光エネルギーに恵まれたサ
ンベルト地帯で、太陽光ではなく、太陽熱を利用して発電し、この電力を利用して水素を
つくり、化石燃料の代わりに、日本に持って来ようと言う計画である。気体として非常に
密度の低い水素を、長距離海上輸送するために、有機化合物(メチルシクロヘキサン)の
形で固定化して輸送し、国内で、それを脱水素分離して使用する。
一見、もっともらしい話である。しかし、この計画を、化石燃料枯渇後(ここで、枯渇
とは、化石燃料の国際市場価格が高くなって使えなくなることを指す、本稿(その 1 ))の
日本経済との関係で考えると、大きな問題がある。先ず、いま、日本経済を苦境に陥れて
いるのは、財政赤字と貿易赤字である。貿易赤字の主な原因として、エネルギー源として
の化石燃料の輸入がある。化石燃料の代わりに、水素エネルギー社会のための水素を輸入
するのであれば、この貿易収支の赤字を促す形態は変化しないと考えてよい。
これまで、化石燃料のエネルギーに支えられてきた世界経済が、この化石燃料資源の供
給不足からくる不況を脱することができないと予測されるなかで、日本経済には、かつて
のような輸出の伸びを期待できないから、貿易赤字の解消には、化石燃料の輸入金額の節
減に取り組む以外に方法がない。そのためには、エネルギー消費全体の節減をはかるなか
での自然エネルギー(国産の再生可能エネルギー(再エネ電力)
)の生産が必要である。た
だし、この再エネ電力の生産は、電力料金の値上げで国民を苦しめる再生可能エネルギー
固定価格買取(FIT)制度を用いる再エネ電力の生産であってはならない。あくまでも、化
石燃料の輸入金額の最小化を図ることを目的とした国産の再エネ電力の生産でなければな
らない。そこには、苦難の道が待っているかもしれないが、世界に先駆けて、この国産の
再エネに依存する社会のモデルをつくることこそが、技術立国日本が、化石燃料枯渇後の
世界のなかで生き残る途でなければならない。
11
化石燃料が使えなくなった時のエネルギー源は水素ではなく再エネ電力である
水素エネルギーの利用が言われるようになったのは、石油危機の頃からで、結構古い話
である(文献 1 )
。水素をエネルギー源として使用するメリットの一つは、その燃焼によっ
て水しか生成しないのでクリーンだからであるとともに、最近は、これに、地球温暖化対
策としての低炭素の要求も加わった。水素エネルギー利用でのさらにもう一つの効用とし
て、水素が資源量として無限に存在する水からつくることができるとの勘違いが加わり、
それが、水素エネルギー社会“にまで発展したと言ってよい。
しかし、無限に存在する水から水素をつくるには、エネルギーが必要である。化石燃料
が枯渇した後に使えるエネルギーは、再エネ(あるいは原子力エネルギーもあるが、脱原
発の国民世論の大きさから、現状では考えないことにする)しかないが、これは、電力に
しか変換できない。したがって、この再エネ電力を使って水素をつくり、その水素を使っ
て再び電力をつくるのであれば、もともとの再エネ電力をそのまま使ったほうが、その利
用効率が良いのは自明である。これが、本稿(その 1 )で、水素エネルギー社会はありえ
ない、どうしてもおかしいとした理由である。
すなわち、化石燃料が使えなくなった後の生活と産業用のエネルギーは、水素エネルギ
ーではなく、再エネ電力でなければならない。具体的には、水素エネルギーを用いた燃料
電池車(FCV)ではなくて、再エネ電力による電気自動車が用いられるべきことを本稿(そ
の 2 )に、家庭用電力の供給のためのエネファームの利用に合理性のないことを本稿(そ
の 3 )に、それぞれ示した。敢えて言うならば「再エネ電力化社会」と言ってもよい。し
かし、この再エネ電力化社会を創るには、これまでと大きく違ったエネルギー消費構造が
求められなければならない。
先ず、現在、一次エネルギー資源量で表した電力化比率の値を、現在の 50% 程度から、
大幅に引き上げなければならない。特に、電力への依存率の低い運輸部門での電気自動車
の利用を含めた、エネルギー消費構造の大幅な変革が求められる。一充填時の走行可能距
離が小さい電気自動車は、長距離輸送用のトラックには向かないのであれば、長距離輸送
は、電気鉄道に切り替えるなどで、運輸部門の電力化率を高めることが考えられる。
「はじめに燃料電池ありき」に導かれる「水素エネルギー社会」は幻想に過ぎない
では、どうして、いま、エネルギー政策のなかに、水素エネルギー社会が採り挙げられ
るのであろうか?それは、水素をエネルギー源とした燃料電池利用の設備、システムの実
用化を、夢の水素エネルギー社会への途を拓くものだと決めつけてしまった、この国のエ
ネルギー政策の混迷に原因があると言ってよい。
確かに、水素をエネルギー源とした燃料電池は高い電力変換のエネルギー効率(発電効
率)を持っている。しかし、それに目を奪われて、
“はじめに燃料電池ありき”となってし
まった結果、実用化にとって重要な原料水素の製造を含めた燃料電池利用のシステム全体
12
のエネルギー効率、および経済性に関する検討などの実用化の可能性評価研究(フィージ
ビリテイスタデイ)が行われないままに、税金を使って進められるエネルギー政策の重要
課題とされてしまった。実は、これは、この国のエネルギー政策に共通の問題点である。
かつて、地球温暖化防止のためには、どうしても自動車をバイオ燃料(エタノール)で走
らせなければならないとして、このバイオ燃料の製造・利用・普及のための国策開発研究
のために、6 年間で 6.5 兆円にも上る国民のなけなしのお金がどぶに捨てられた。しかし、
この国策開発研究が始められたときにも、メデイアが中心になって、猫も杓子も、バイオ、
バイオと騒ぎ立て、私どもの批判的な主張(文献 2 )には全く耳を貸して貰えなかった。
実は、いま、燃料電池を利用する水素エネルギー社会についても、このバイオ燃料の時
と全く同じことが起こっている。メデイアが中心になって騒ぎ立てている「水素元年」は、
本稿(その 1 )~(その 3 )で明らかにしたように、見果てぬ夢に終わることは間違いな
い。いま、日本のエネルギー政策にとって最も大事なことは、原点にもどって、当面は、
化石燃料の輸入金額が最小になるように、化石燃料の種類を選択する(火力発電には安価
な石炭を使うなど)とともに、徹底した省エネを図りながら、やがて来る輸入化石燃料の
枯渇(その輸入金額が高くなって使えなくなること)に備えて、国民に経済的な負担をか
けない(FIT 制度を適用しない)で、国産の再エネ電力に依存できる、経済成長を抑制した
「電力化社会」に移行することでなければならない。繰り返しになるが、これが、現在、
化石燃料のほぼ全量を輸入に依存している日本経済が生き残るためのエネルギー政策の在
り方でなければならない。これは、同時に、世界に向って、人類の生存のための化石燃料
枯渇後のエネルギー供給のモデルの創設を訴えることにもなる。
引用文献;
1.久保田
宏
編著;
選択のエネルギー、日刊工業新聞社、1987 年
2.久保田 宏、松田 智;幻想のバイオ燃料~科学技術的見地から地球環境保全対策を斬る、日刊工業
新聞社、2009 年
13
貿易赤字の続くなかでの原油価格の急落
(その1)急落後の原油価格は、異常高騰以前への回帰である
東京工業大学名誉教授 久保田 宏
いま、日本経済を苦しめている貿易赤字の大きな要因となっている原油価格が、昨年
(2014 年)の後半、やや、突然、急落した。この下落がどうして起こったのか、と何時に、
どこまで下がるのかが問題になっている。これらの問題について、先ず、考えてみる。
2005 年頃からの原油価格の高騰は、市場経済原理を離れた異常な高騰であった
エネルギー経済統計データ(エネ研データ(文献 1-1 ))から、日本における原油の輸入
CIF 価格(US ㌦/バレル)の年次変化を図 1-1 に示した。この輸入 CIF 価格とは、産地の出
荷価格に運賃と保険料を上乗せした価格である。産油地から遠い日本の値でも、他の先進
諸国の値に比べて余り大きな差が無い(輸送費の比率が余り大きくない)ことから、ここ
では、この日本での輸入価格を国際貿易市場での原油価格とほぼ等しいと見なすことにす
る。
図 1-1 に見られるように、輸入 CIF 価格で表される原油価格は、1980 年代初めの石油危
機に伴う高値が次第に減少し、1990 年代初めを底値にして、やがて、ゆるやかな上昇に転
じていた年次増加が、2005 年以降、明らかに異常な高騰を示し、それが、今回(2014 年
の暮れ)の急落まで続いていた。
この図 1-1 に示した原油価格の年次変化と、図 1-2 に示した世界の石油の消費量(資源量
としての一次エネルギー消費量で表した値、エネ研データ(文献 1-1 )の IEA(国際エネ
ルギー機関)のデータから)の年次変化との相関を調べてみたのが図 1-3 である。この図
1-3 からも、2005 年以降の原油価格の高騰が、世界の石油の年間消費量が 2005 年以降、
殆ど伸びていない中での、すなわち、市場経済原理を離れた異常な高騰であることが判る。
先物市場の取引対象にされて起こった原油価格の異常高騰
原油の生産コストは、生産地の地理的条件、生産される原油の物理化学的性状等によっ
て大きく左右される。水野ら(文献 1-2 )は、最も安価な、サウジアラビア原油では、開
発、生産コストがそえぞれ、1.5 ドル、総計で 3 ドル、中東諸国の平均でも 5 ドル以下、
一方で、アメリカやヨーロッパの沖合油田では、生産費が 10 ドル、総計で 13 ドルだが、
さらに、カナダのオイルサンド由来の原油では、軽質化のコストが必要になり、平均出荷
額は 50 ドル以上にもなるとしている。
このように、その生産コストが、産出国別で大きく変化する状況のなかで、石油危機時
の高騰に見られるように、国際貿易市場の原油価格は、その生産コストには無関係に、需
要と供給のバランスの崩れに、政治的な要因が入り込むことで大きく変化する。さらに、
14
水野ら(文献 1-2 )が指摘するように、この政治による介入を超えて、大きく入り込んで
いたのが、2005 年以降の原油の異常高騰で、その原因は、世界的な経済不況による先進諸
国での低金利政策が採られるなかで、原油が先物市場における取引対象とされてしまった
ためである。
図1-1 原油の輸入 CIF 価格の年次変化、十字印は、2014 年度暮の価格
(エネ研データ(文献 1-1 )を基に作成)
図1-2 世界の化石燃料種類別一次エネルギー消費量の年次変化
(IEA データ(エネ研データ(文献 1-1 )から)を基に作成)
、
15
図1-3 世界の一次エネギー消費(石油)と日本の原油輸入 CIF 価格の関係
(IEA データを含むエネ研データ(文献 1-1 )を基に作成)
今回の原油価格の下落は、市場経済原理に基づく価格への回帰と見ることができる
この異常と見られる 2005 年以降の原油価格の高騰が、昨年(2014 年)の後半、急に下
落した。この原因としては、世界的な景気後退のなかで、図 1-2 に見られるように、エネ
ルギー資源として高価になった石油の需要の停滞(石炭や天然ガスではみられない)のな
かで、世界の原油の生産量の 32.8 %を占める中東の石油生産(2012 年)に主導権を持つサ
ウジアラビヤが、価格維持のための生産調整を行わないと発表したためとされている。こ
の価格の下落が余りに急であったから、一時は、一体、どこまで下がるのかが問題にされ
たが、現在(2014 の暮れから 2015 年の初めにかけて)
、どうやら 45 ㌦/バレル 前後に落ち
着いているようである。
この現在の原油輸入 CIF 価格の値は、図 1-1 と図 1-3 に、十字印で示したように、1973
年と 1978 年の 2 度の石油危機の影響がなくなって、1993 年頃から始まり 2004 年まで続
いていた比較的ゆっくりした年次上昇の曲線上に戻ったと見ることができる。すなわち、
本来の需要と供給の市場経済の原理に基づいて決まる原油価格に回帰したと見てもよさそ
うである。
引用文献;
1-1.日本エネルギー経済研究所 計量分析ユニット編;エネルギー・経済統計要覧、省エネ
ルギーセンター、2014 年
1-2.水野和夫、川島博之 編著;世界史の中の資本主義、エネルギー、食料、国家はどうな
るか、東洋経済新報社、2013 年、
16
貿易赤字の続くなかでの原油価格の急落
(その2)資源量に制約される原油価格は、長中期的には確実に上昇する
東京工業大学名誉教授 久保田 宏
本稿(その 1 )で述べたように、2005 年以降続いていた原油価格の異常とも言える高騰
が、昨年(2014 年)末に急落した。本稿では、この原油価格の異常高騰は何だったのか、
今後の原油価格がどのように変化するのか、さらには、今回の原油価格の低下が、2011 年
から 4 年間続いている日本の貿易赤字にどのような影響を与えるのかについて考察してみ
る。
中長期的には、資源量の制約による原油価格の上昇は必ず起こる
本稿(その 1 )の図 1-1 に示したように、昨年(2014 年)暮れの急速な価格下落で、
2005 年から続いていた国際貿易市場の原油価格の異常高騰が、どうやら、終わったように
見える。その理由は、本稿(その 1 )に記したように、世界の石油の主産地である中東に
おいて、世界の原油価格の決定に大きな影響力を持つ OPEC(石油輸出機構)を主導して
いるサウジアラビアが、原油価格を調整するための原油の生産調整を行わないと発表した
ために、世界の原油の供給がタイトになって起こる価格の異常高騰を誘う投機マネー(水
野らによる文献 2-1 参照)が原油の取引市場に入り込む余地がなくなったからであろう。
では、今後、このような原油価格の異常高騰は起こらないと考えてよいかと言うと、必
ずしも、そうとは言えないと思う。それは、本稿(その 3 )に後記するように、世界の主
要な石油の生産地である中東の政治には、依然として、石油の安定供給を阻害する要因が
残ってはいるからである。しかし、この政治的な問題の影響を最小限に止めることができ
たとしても、すでに、採掘可能量の半分以上を消費したとされる石油資源が枯渇に近づい
ていけば、中長期的な価格上昇は、確実に起こるはずである。いや、本稿(その1)図 1-1
に見られるように、すでに始まっていると見ることもできる。では、この資源量の制約に
伴う原油価格の上昇をどのように予測すればよいのであろうか?
石油資源の残存量に左右される国際貿易市場原油価格上昇の予測方法
原油の国際価格が、今後、その投機買いによる高騰に左右されずに、需要と供給の関係
で変化すると仮定する。すなわち、やがて、枯渇する原油では、その残存資源量に反比例
して、国際貿易市場価格、すなわち、わが国にとっての輸入 CIF 価格(産地の出荷に運賃
と保険料を上乗せした価格)が決まると仮定する。
1990 年を基準とした原油の残存資源量を次のようにして求める。エネルギー経済研究所
データ(エネ研データ(文献 2-2 ))から、2011 年の残存資源量を、BP 社による同年の確
認可採埋蔵量 234.3 ×109 トン(石油換算)とする。ただし、この確認可採埋蔵量の値は、
17
消費量分に応じて年次減少するとして、1990 年の残存資源量は、同年~2011 年の 21 年
間の一次エネルギー消費(石油)の値(IEA のデータ(エネ研データ(文献 2-2 )から)
の累積値 78.41 ×109 トン を加えた 312.7 ( = 234.3 + 78.41 )×109 トン とする。同様に、例
えば、2000 年の残存量は、1990 年の残存量から、1990 ~ 2000 年の消費量の累計値 34.84
×109 トンを差し引いた値 277.9(=312.7 - 34.84 )トン と計算される。したがって、1990
年を基準 にした 2000 年の原油の残存比率 a の値は、0.888 ( = 277.9 / 312.7) となる。
一方、原油の国際市場価格についても、その資源残存量に関連して決まる値は、1990 年
の価格を基準にして、例えば、2000 年の値は、その残存比率 a = 0.888 の逆数 1 /a = 1.125
に比例して与えられるとする。この残存比率の逆数 1/a の値と原油の残存量の指標としての
( 1-a ) の関係を図示したのが図 2-1 である。この図 2-1 には、さらに、実際の輸入 CIF
価格の 1990 年の値に対する比率(輸入 CIF 価格比率)を、それぞれの年の ( 1 – a ) の値
に対して図示してある。
この図 2-1 に見られるように、
(輸入 CIF 価格比率)の値は、2000 年までは、ほぼ 1/a 対
( 1 – a ) の曲線上にあるとみてよいが、2005 年以降の値は、この 1/a 対 ( 1 – a ) の曲線
から乖離して、異常に大きな値を示している。これが、上記したように、原油の売買の市
場に、ファンドなどの投機資本が入り込んだ結果による異常価格高騰である。さらに、こ
の石油バブルが崩壊して、価格の急落を示した 2014 年末の輸入 CIF 価格の値は、図 2-1
に十字印で示すように、たまたまと言ってよいが、石油資源の残存比率に関連した 1 / a 対
( 1 – a ) の曲線上に回帰しているように見える。
国際市場の原油の貿易価格を支配する因子は複雑で(文献 2-1 参照)、その資源量と貿易
価格がこの( 1 – a ) 対 1/ a の関係で与えられるだろうとする私の予想の信頼性には問題が
あるが、現在の石油の消費量が継続し、残存量が減って行けば、中長期的には、原油価格
は確実に上昇する。図 2-1 は、この資源量に左右される今後の原油価格の上昇を定量的に
予測する際に、有効に利用できると考えて頂きたい。
18
注; a ;1990 年を基準にした原油資源の残存比率、 1 / a ;原油の国際貿易価格が、資源の残存比率
a の値に反比例すると仮定した時の予測値を示す曲線、
輸入 CIF 価格比率; 輸入 CIF 価格の 1990 年
の値に値に対する比率
図2-1 原油資源の残存量と原油の国際貿易価格(輸入 CIF 価格)の関係の予測
(作図の方法については本文参照)
原油価格の急落は日本の貿易赤字の解消に余り貢献しない
3.11 の福島原発事故以来、原発電力代替の化石燃料の輸入金額の増加が、4 年連続の貿易
赤字をもたらしているから、2012 年度の時点で、輸入金額のなかの 17.4 %を占めるように
なった原油の輸入金額の下落が、この貿易赤字の解消につながれば、日本経済にとって大
きな福音になはずである。
2012 年度で 114.19 ㌦/バレルまで上がっていた原油の輸入 CIF 価格が、昨年(2014 年)の
暮れには、半値以下まで急落したので、2015 年度の値を 45 ㌦/バレルとする。すなわち、原
油価格が、2011 年度の値から 39.4 % ( = 45 /114.19 ) 下落するとする。この原油価格の下
落による原油輸入金額の減少は、原油の輸入 CIF 価格(円建て)および原油輸入量に 2012
年度の値(文献 2-2 から)を用いて計算すると
(211,026 千 kℓ)×( 59,357円/kℓ) ×( 1-0.394 )) =7.59 兆円
となる。
しかし、一方で、アベノミクスによる円安が今後も継続するとして、輸入品価格が、2012
年度に対して 25 % (1 ドル 92 円が 115 円になったとして)上昇するから、2012 年度の
輸入金額 72.12 兆円からの輸入金額の増加は、
(72.12 兆円)×0.25 = 18.0 兆円
となる。
したがって、2015 年の貿易赤字は 12.21 ( = 18.0 – 7.59 ) 兆円となり、円安による輸出
の伸びが 2012 年の輸出金額 63.94 兆円から 19.1 % ( = 12.21 / 63.94 ) 増加しない限り、
貿易赤字は、解消されないことになる。
以上、種々の仮定を含んだ概算であるが、今回の原油価格の下落が、現在、日本経済に
とっての脅威として続いている貿易赤字の解消に、期待したような効果が得られないこと
が予想される。
引用文献;
2-1.水野和夫、川島博之 編著;世界史の中の資本主義、エネルギー、食料、国家はどうな
るか、東洋経済新報社、2013 年、
2-2.日本エネルギー経済研究所 計量分析ユニット編;エネルギー・経済統計要覧、省エネ
ルギーセンター、2014 年
19
貿易赤字の続くなかでの原油価格の急落
(その3)中東の石油がもたらす格差の拡大が、人類の平和共存を脅かしている
東京工業大学名誉教授 久保田 宏
第 2 次大戦後の世界の、特に日本の高度経済成長を支えてきたのが中東の石油である。
実は、この経済成長をもたらしてきた石油の産地の中東で、石油利益の分配に伴う所得格
差の拡大により、いま、人類の平和共存の望みが脅かされている。この脅威から逃れるた
めの経済大国、日本の果たすべき役割について提言する。
世界の石油資源の国別の配分
現在の科学技術の力で経済的に採掘可能な化石燃料の資源量を表す指標として確認可採
埋蔵量(以下、可採埋蔵量)の値がある。したがって、石油について、その国際貿易市場
価格が高くなれば、可採埋蔵量の値は増加する(高い石油でも掘り出して使える)一方で、
この国際市場価格が高くなれば、使いたくとも使えない人が増えて来るから、石油の消費
量、すなわち、生産量が減少する。このように、エネルギー源としての石油の可採埋蔵量、
生産量の値は、世界経済の動向により左右される値である。したがって、石油の場合、本
稿(その 1 )、
(その 2 )に記したように、現状では、原油が金融市場での投機の対象とな
った異常価格上昇の影響を受けた可採埋蔵量だと考えてよい。このように、多くの不確定
要因を含んだ、発表機関の恣意の入りこむ値であるが、現状では、世界の石油の供給可能
量を定量的に評価するためには、この可採埋蔵量の公表値を用いる以外に方法がない。
ここでは、世界の石油資源供給の現状の概要を把握するために、日本エネルギー経済研
究所(エネ研)のデータ(文献 3-1 )から、BP 社による石油についての 2012 年の確認可
採埋蔵量、生産量、可採年数 R/P(確認可採埋蔵量 R を生産量 P で割った値)、および、IEA
(国際エネルギー機関)による一次エネルギー消費(石油)の 2011 年の値を、国別で比較
して表 3-1 に示した。
表3-1 石油の確認可採埋蔵量、生産量、可採年数、消費量(一次エネルギー消費(石
油)
)の値の国別の比較(上位 10 ヶ国、カッコ内数値は、対世界比率)
(エネ研データ(文献 3-1 )の数値を基に作成、)
1)確認可採埋蔵量(10 億 kℓ )、BP 社、2012 年末; 世界 265.4、 中東 128.4 (48.4%)
① ベネズエラ 47.3 (17.8%)
ラン 25.0
⑤ イラク 23.9
②サウジアラビア 42.3 (15.9%)
⑥クウエート 16.1
⑦UAE 15.9
③カナダ 27.7 (10.4)
⑧ロシア 13.9 ⑨リビア 7.6
⑩アメリカ 5.6
2)生産量(b/d)、BP 社、2012 年;
20
世界 86,153、
④ イ
中東 28,270 (32.8%)
①サウジアラビア
④中国 4,155
3,115
11,530 (13.4%)
⑤カナダ 3,741
②ロシア 10,643 (12.4%)
③アメリカ 8,905 (10.3%)
⑥イラン 3,680 ⑦UAE 3,380 ⑧クウエート 3,127
⑩ナイジェリア 2,417
(年)、BP 社、2012 年末
3)可採年数(確認可採埋蔵量 R/生産量 P)
①南スーダン 334 ②ベネズエラ 299 ③イラク 139
エート 88.7
⑦UAE 79.1
世界平均以下の中東;
④カナダ 127
世界 52.9
中東 78.1
⑤イラン 117
⑥クウ
⑧サウジアラビヤ 63.0
イエメン 45.3
世界平均以下の石油生産大国;
シリア 41.7
カタール 33.2
ロシア 22.4、 中国 11.4、 アメリカ 10.7
(石油換算百万トン)、2011 年、IEA データ;
4)一次エネルギー消費(石油)
①アメリカ 786 (19.0 %)
ア 159
⑨イラク
②中国 442 (10.7%)
⑥ブラジル 109 ⑦ドイツ 102
③日本 206 (4.98 %)
⑧メキシコ 100
世界 4,136
④インド 166 ⑤ロシ
⑨韓国 93.7
⑩カナダ 81.9
石油の資源量、生産可能量は、中東に集中している
この表 3-1 を見ても判るように、可採埋蔵量の値で与えられる石油資源量でみると、中東
地域が世界全体の 48.4 %、生産量では 32.8 % を占める。さらに、この可採埋蔵量 R を
現在の生産量 P で割った可採年数 R/P の値が、世界平均の値 52.9 年を超えている国が中
東に集中している。こ中東以外では、南スーダン、ベネズエラ、カナダの 3 か国があるが、
南スーダンは資源量が小さく問題にならない。また、べネズエラ、カナダの石油は重質油
で、軽質化のための原油生産コストが高くなるから、安価に供給可能な原油とは言えない。
一方、生産量、消費量で 10 指に入るロシア、アメリカ、中国の可採年数が、それぞれ、22.4、
11.4、10.7 年と小さく、ロシア以外では、将来的には、中東への依存度を高くせざるを得
ないと予想される。また、中東の国別で見ると、サウジアラビヤが可採埋蔵量で第 2 位、
生産量で第 1 位を占め、石油危機の頃に比べて、その力が衰えたとは言え、今回の原油価
格の大幅下落に見られるように、サウジが主導する OPEC(石油輸出国機構)が依然とし
て原油価格の決定に強い影響力を持つことを示している(本稿(その 1 )参照)
。
中東石油への依存がもたらす格差の拡大が人類の平和共存を脅かしている
石油の消費量で世界第 3 位を占めるなかで、その全量を輸入に依存しなければならない
日本は、石油危機時の苦い経験から、中東への石油依存率を削減するための懸命の努力を
続けてきた。しかし、この原油輸入量の中東への依存率の年次変化を示した図 3-1 に見ら
れるように、その依存率は、1985 年頃を底に 2000 年代には、石油危機以前の値にまで戻
ってしまっている。日本が、この中東への高い依存率が許されているのは、石油危機以来、
つくられてきた中東諸国との友好関係維持努力の結果とみるべきである。
このように、世界の、特に日本の石油供給が、大きく中東に依存することからも、この
中東における政治的な安定が強く望まれなければならない。ところが、石油危機後、小康
を保っていた中東の政治情勢は、イラン革命、アルカイダにつながる 9.11 事件に関連した
21
米国のイラク進攻まで、この中東石油の供給の安定化を阻害しかねない不安定要因が後を
絶たない。その根底にあるものは、石油を主体とするエネルギーを用いた経済成長に伴う
大きな貧富の格差の拡大である。
図3-1 日本の原油輸入量の中東への依存比率の年次変化
(エネ研データ(文献 3-1 )を基に作成)
中東の石油の生産による利益は、開発資金を投資している先進諸国の利益に還元される
とともに、石油の生産国においても、一部の権力者により独占されている。これに不満を
持つ人々と宗教とが結びついたのがアルカイダによるテロであり、それが、つい最近のイ
スラム国にまで発展したと見てよい。これは、第 2 次大戦のような、軍事力を使った国家
間の大規模な戦争を行えない人々による、テロの形をとった第 3 次大戦だと考えるのは私
の思い過ごしであろうか。
いま、米国が先導する先進諸国は、これを軍事力を使って平定しようとしている。しか
し、拡大するテロ行為を警察力や軍事力で解決付することは到底不可能である。確かに、
テロ行為は、人道上、許されないことではあるが、この問題を根本的に解決するには、こ
のテロ発生の原因となっている貧富の格差の解消以外には方法がない。これをエネルギー
資源の問題としてみれば、世界中が協力して、エネルギー消費の増加を必要とする成長を
抑制し、残された石油資源を皆で分け合って大事に使うことで、貧富の格差を解消するこ
とでなければならない。これを世界に向えて訴えることが、いままで、中東の石油の最大
の恩恵を受けてきた日本にとっての世界平和、人類の平和共存に貢献する道であると同時
に、エネルギー資源を持たない日本経済の生き残る途である。
引用文献;
3-1.日本エネルギー経済研究所 計量分析ユニット編;エネルギー・経済統計要覧、省エネ
ルギーセンター、2014 年
22
23