書 国 文 学 会 報 小林英夫の分析にようと 「ことば

昭和54=6月15日
No.20
福村保
弘前大 学 国 語 国 文 学 会 報
二つの国語﹂
昭和54年6月15日
弘櫛市文京町l
弘前大学教育学部
国文.、渋研究室内
弘前大準国語国文
・篭会(擬盛岡1644)
●
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一密一一習色胃︵井上十吉﹃和英辞典﹂明狸︶と
上の方法の問題である。昭羽年ごろには一
いった蕊義の拡大は後年のものである.
さて教育法規には、明四年成立の勅令 時 中 学 校 に も ﹁ 現 代 国 語 文 学 ﹂ ﹁ 現 代 国 語
﹁中学校令﹂の委任に基づき﹁尋常中学 曾 腸 ﹂ の 分 冊 教 科 書 が あ っ た 雪
教育現場では、大学の﹁国文学﹂﹁漢
校ノ学科及其程度﹂という省令で初めて
﹁国語及漢文﹂という学科目が登場する。 文学﹂︵﹁国文法﹂といった科目や教科答が
︵東大の研究室は創設時から﹁国語研究室﹂ 出現したら﹁国語学﹂等も︶を小型にした
であるが、これも同様に、文法等を含む和 学 科 目 の 教 授 I 学 習 を 期 し て 国 語 教 室 が
文・国文の意である。この擬念は、明加年 営 ま れ る の で は な い 。 各 科 目 は 、 と も に
代後期の東京高師﹁国据・頑文科に淵を発 わ が ﹁ 国 略 文 化 ﹂ の 継 続 ・ 発 展 ・ 創 造 の
している雪その教授内容は﹁漠字交リ文 一翼をになっているものであることへの
及漢文ノ講読書取作文︵第7条︶であった。 自覚が要求されてくる。作文指導の専門
これが大8年の改正で﹁国語・漢文﹂昭 家・読寄指導等の専門家・古文の専門家
2手こ﹁副吾更随一一女差喪でま段仰がう 亭 と A う 曾 山 庁 段 ど ま 一 刀 匡 上 し 尾 ﹄ 凸 。
総合教科書か分冊形式かは、国語科の本質
に関わるものではなく、カリキュラム柵成
小 林 英 夫 の 分 析 に よ る と ﹁ こ と ば ﹂ と ﹁国膳﹂で、この時期に漢文をも含むことに
いう艦にはⅣ種もの語意味がある︷﹃言 な る 望 と な り 、 昭 娼 年 の ﹁ 中 等 学 校 令 ﹂
絡学の基礎辰念﹄昭翌が、明治時代には の成立で﹁国民科国語﹂︵内容は﹁獅読
﹁国語﹂とは一 般 に 通 用 語 ・ 言 語 の 意 味 ︵ 国 文 ・ 模 文 ︶ ・ 文 法 ・ 作 文 及 話 方 ︶ と 変 わ
であった︵松尾拾次郎﹁国語と日本桐神﹂ り、戦後は﹁国語﹂という教科名で現代
昭M︶ことは、手近くは山田孝雄の﹁日 文 ・ 古 文 ・ 漢 文 を 含 む 教 育 が 展 開 さ れ て
本文法総﹂中の用法や当時の教科香の顛 現在に至っている。
等によってもうな ず け る と こ ろ で あ る 。
このように﹁国語﹂という語の内包・
﹁国語①言語F画一品目鞘②自国語ア 外延の変遷一つにも教科発展の相の一浩
ニ ロ ニ C 一 己 一 一 秒 。 雷 一 色 、 、 一 く の 一 ・ 。 “ 向 臣 一 也 ︼ 一 . を窺うことができるのである。︵教科罫が
弘前大学国語国文学会報
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専門は?と問われたら、まずは国尭科教
育ということでありたいと思うのである。
すぐれた指導者であれば、たくまずし
て偉大な教育力・感化力を及ぼしていく︽
木村正辞の万葉集の瞬装ぶりとか、西田
幾大郎の教室風景等は聞き及ぶ著明な例
の一二であろうが、これとても教育の方
法探究の無価値性の表明には断じてなる
まい。まして国鱈科は教材のジャンルも
多く、しかも単一のものではない。
そのためにも、手足を動かしての焦点
づけられた自主的﹁行動﹂を伴っての学
習等が今後とも考案され、工夫されてし
かるべきである。望ましい学習経験の成
との意壊を押えておきたい。︶
芦田悪之助はその箸﹁読み方教授一︵大
5︶で自己の教育実践を反省して喝破し
ている。外に教育の方法を求め、単に教
術に苦心して自己の澗足を得ようとして
いた時代・教材の待徴や要求に応じての
指導を考えることが第一義で教材の研究
こそが最も大切であると信じた蒔代を経
て、﹁教授は児童が自己の日常生活を解釈
し、織見を高めようとする学習の態度を
確立するのが第一義﹂と体得するまでに
至ったというのである。ここから、喜々
とした中にも白熱的な火花の散りかう、
﹁国語教室即国悟研究室論﹂が展望され
てくる。そこには、学習者とともに自分
の訓練、その適切な運用をめざして﹁国
立が基本であるからである⑥︵社会的には も学び育とうとする指導者の向上への姿
高校も既に義務教育化している。新指導要領 勢が要請されてもくるのである。
も﹁表現﹂﹁理解﹂の順に規定しているこ
国語︵国東語というよりは、妻ず民族語︶
人文学部助教授佐々木圭.一一識
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︾◎当日午後一時三’一︲分より学会場において運営委員会を開催します。蕊
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一︾昭和五十四年度研究発表会総会案内・審
鍔昭和五十四年七月十四日︵土︶午後二時より.●.
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︾一一、研究発表
癖於弘前大学附属図菩館一二階研修室
善新撰字鏡小学篇︷一一.について大畑高校教諭広沢昭典癖
稚馬琴の読本における女人について一一一本木高校教諭高橋昭子隷
識国語の授業の成立条件は何か
癖l中学校の実践を通して考えるl附属中学校教諭佐藤きむ識
詫五四文学革命と陳独秀人文学部助教授中屋敷宏識
●碑●
琴一記紀歌謡における嬢歌歌謡の導入と歌物語的構想
識一、総全一右終了後
一︾◎閉会後患親会を開きますので御参加下さい。拳
︾委員の方は御参異下さい。蕊