校祖の誕生から永眠までの略年譜

 校祖の誕生から永眠までの略年譜
西暦
(年号)
校祖年齢
1844
(弘化元)
満0
1849
(嘉永2)
5
1859
(安政6)
15
1868
(慶応4
明治元)
24
1869
(明治2)
25
1874
(明治7)
30
校祖関係主要事項
国内・国外主要事項
上総国埴生郡長南宿35番にて誕生(現在の千葉県長 フランス艦、琉球に来航し開国を要求。オ
生郡長南町)。父 常松、母 はやの5番目の子で、辰年 ランダ使節、国王の国書を呈して開国を
に生まれたことから辰五郎と名付けられた。
要求(翌年拒絶)
母39歳で死去、七人の兄弟姉妹離散し、叔父の家に預 イギリス測量船、浦賀に来航
けられる。
父につれられて江戸に出る。
安政の大獄
日本橋田所町の仕立屋、鳥居清吉方に奉公する。
夜業がない夏期は、田所町新道の夜学に通い習字と算
術を学ぶ。
帰郷し4月から自宅で裁縫を教授する傍ら仕立屋の看
板をあげる。
江戸を東京と改称
明治天皇即位の大礼
明治と改元、一世一元の制を定める
同村の藍野藤四郎(友右衛門)次女くにと結婚。
東京遷都
明治5 学制公布
長南小学校に授業生試補として招かれ裁縫の授業を
担当する。
雛形尺・袖形・褄形を考案する。
東京に女子師範学校設置(8.11開校)
西南の役起こる(9.24終わる)
佐野常長ら「博愛社」を創設(日本赤十字
社の源)
1877
(明治10)
33
1878
(明治11)
34
裁縫授業用としては最初のものである「裁縫掛図」を著
し、一斉授業を行う。
長南小学校助教となる。
12月に長男滋誕生。
千葉県市原郡(現在の市原市)鶴舞小学校の兼務を無
報酬で引き受ける。
1879
(明治12)
35
千葉女子師範学校校長那珂通世の依頼により、鶴舞の 「学制」を廃し「教育令」を公布、義務教育
兼務を辞し、同校の教師補となる。
年限を十六月とする
36
「普通裁縫教授書」全3巻を著す。後に尋常師範学校用 集会条例公布(軍人・教育・生徒の政治
図書の指定を受け、広く使用され30数版を重ねる。
団体加入、政治集会参加を禁止)
1880
(明治13)
パリ万国博覧会日本参加
37
本郷区湯島4丁目3番地に、私塾「和洋裁縫伝習所」を 「中学校教則大網」制定
開設(現在の東京家政大学)。
「師範学校教則大網」制定
千葉女子師範学校教員を辞し、東京女子師範学校(現
在のお茶の水女子大学)裁縫科教員となる。
積り方に算式を用いた「普通裁縫算術書」を著す。
1882
(明治15)
38
この年改良服を考案する。全文かな書きの裁縫書、「た 東京女子師範学校に附属高等女学校設
ちぬひのをしへ」全2巻を著す。
置(5年制高等女学校の初め)
官立学校の男子制服に洋服を採用
1883
(明治16)
39
文部省御用掛を拝命、改めて東京女子師範学校勤務
となる。准判任官待遇
大日本教育会結成
鹿鳴館開館
1884
(明治17)
40
校舎を本郷区東竹町25・26番地に移転。
「中学校通則」制定
文部省より女子師範学校裁縫科教員免許状受領。
41
東京女子師範学校を東京師範学校に合
併女子部とする。
太政官制を廃し内閣制度創設され、森有
礼初代文部大臣に就任
42
東京女子師範学校を辞職。
「帝国大学令」公布
共に辞職した宮川保全、那珂通世らと共に、和洋裁縫 「小学校令・中学校令・師範学校令」公布
伝習所内に共立女子職業学校(現在の共立女子大学) 東京師範学校を高等師範学校に改組
を創設。
女子職業学校は本郷区弓町2丁目に移転。(その後、
更に神田区錦町2丁目1番地に移転)
1881
(明治14)
1885
(明治18)
1886
(明治19)
西暦
(年号)
校祖年齢
1887
(明治20)
43
1892
(明治25)
48
1895
(明治28)
1896
(明治29)
52
東京裁縫女学校の生徒が100名を超え、東京裁縫女学 第1回近代オリンピック、アテネで開催
校の校務に専念するため共立女子職業学校を辞職す
る。
1898
(明治31)
54
55
1900
(明治33)
56
1902
(明治35)
58
1903
(明治36)
59
1905
(明治38)
61
1908
(明治41)
山田美妙らと改良服について討論し、実物を世に出し 大日本婦人教育会創立
て好評を得る。
和洋裁縫伝習所を拡張、東京裁縫女学校と改称し官の
認可を得る。
卒業生の発起により、同窓会発会式を行う。
51
53
1907
(明治40)
国内・国外主要事項
秋、大日本女学会創立と同時に講師を委嘱され、通信 「高等女学校規程」を制定
教育により裁縫を教授する。逝去までの13年間に指導 日清講和条約調印
を受けた生徒は約4万名に達する。
1897
(明治30)
1899
(明治32)
校祖関係主要事項
63
「裁縫教科書」全3巻を著す。
東京女子高等師範学校校長の依頼により裁縫教授細
目三種を調製する。
日本体育会特別賛助会員。
千葉教育会と共著の「裁縫教授案」を発行。
「婦人改良服指南」を著す。
生徒数400名に達する。
東京府教育会終身会員。
本郷区東竹町34・35番地に土地(277.95坪)と建物を購
入、改修して移転。
生徒数800名に達する。
教授用の「裁縫掛図」を著す。
日本赤十字社正社員、12月終身社員。
長男滋、東京裁縫女学校幹事補となり渡米留学。その
後欧州視察(〜35)
「中学校令」「実業学校令」公布
「高等女子学校令」公布
「私立学校令」公布
第1回教員養成講習会を開く。(5科目6ヶ月間)
以後、明治40年までに計6回開催。
長男滋帰国、新式洋服裁縫を教授。
校歌を制定する。
「婦人改良服裁縫指南」が出版される。
日英同盟協約調印
千葉県教育会より教育功労者に選定される。
日露講和条約調印(ポーツマス条約)
義和団事件(北清事変)
シンガーミシン日本に進出
「専門学校令」公布、(実業学校令の改
正)
「小学校令」改正(義務教育6年となる)
5月26日逝去、谷中墓地に葬られる。
戒名 真如教厚院鑑照日辰大居士。
長男渡辺滋が校長に、那珂通世・坪井正五郎・藍澤昌
貞の三氏が相談役に就任。
渡辺滋編「渡邊先生遺稿 新裁縫教科書」全3巻出版
1910
(明治43)
渡辺滋編「渡邊先生遺稿 渡邊裁縫講義 普通部」「渡
邊先生遺稿 渡邊裁縫講義 高等部」出版
1911
(明治44)
校長渡邊滋の寄付行為により「財団法人私立東京裁縫
女学校」設立認可
「高等女学校令」改正(実科女学校設置)