第4章 成層圏循環との関係 4.1 対流圏北極振動と成層圏循環の関係 小寺 邦彦1)・黒田 友二1) 1)気象研究所気候研究部([email protected]) 4.1.1 はじめに Thompson and Wallace(1998)は北半球海面気圧の主成分解析の第一モードである極域と中緯度の 地上気圧場のシーソーパターンを AO となづけた。彼らはこれが対流圏の基本的な変動モードあり、 特に寒候期には成層圏まで達する事をしめした (図 1)。また、同様な変動を南半球にも見いだし、 特に偏差パターンのリング状の形態に着目し、これらをそれぞれ北半球、南半球環状モード(NAM, SAM)と名付けた(Thompson and Wallace, 1998)。ところで、AO が環状かどうかについては、AO が 昔から良く知られている北大西洋振動(NAO)、即ちアイスランドとアゾレス域の気圧場の南北シー ソー、と同一かどうかの問題とも関連してくる (Wallace, 2000)。つまり、AO の環状の太平洋域 の信号は EOF 解析により作り出された見かけのものにすぎず、極域と大西洋の振動、つまり NAO が実在する大気の変動パターンであるという意見がある(Desser, 2000; Ambaum, 2001; Itoh, 2002)。しかし、Wallace and Thompson[2002]や Christiansen [2002]は AO の実在を主張する結 果を再度示している。このように NAO と AO のどちらを実体と考えるか人により異なるが、両者を 区別せずに NAO/AO と表記されたりする事も多い。 さて、Thompson and Wallace(1998)は当初 AO について地表から成層圏に達する一続きのパイプの ような構造を考えていたようである。つまり、AO は対流圏波動の南北伝播の変化で起こる対流圏 の変動モードであるが冬期には対流圏の帯状平均流の変化が波の鉛直伝播にも影響し、それによ って成層圏の循環がかわると推定していたようだ(Limpasuvan and Hartmann、1999)。これに反し、 Kodera and Kuroda(2000)は、AO には、成層圏と無関係に対流圏で形成されるものと、成層圏極 夜ジェットの変動を伴うものとの 2 種類がある事を主張した。また成層圏と関連する帯状平均風 の変動は Limpasuvan and Hartmann が想定したのとは逆に成層圏から下りてくることを示した(図 2)。Baldwin and Dunkerton も当初(1999)は TW と同じ視点に立って地上から成層圏までの一続き のモードとして、多層をひとまとめに SVD 解析を行っていたがやはり、後には各層毎に EOF 解析 を行って成層圏から対流圏に下りてくる信号を解析している(Baldwin and Dunkerton, 2001)。 成層圏の対流圏に及ぼす影響については北極振動(AO)の概念の導入以後非常な注目を浴び、成層 圏のインパクトに関する様々な研究が行われるようになった。その反面、そのメカニズムについ ては混乱した状況がつづいている。混乱の原因の一つは、逆に AO の概念の導入そのものがあると 思われる。AO と NAO のどちらを本体と考えるか、成層圏の AO 信号は対流圏起源か、成層圏起源 か人によって違い、また対象とする時間スケール (日、月、季節、年)によっても見える現象が異 なってくる。AO を巡る混乱した状況の一つはいくつかの異なる変動モードがあるのにこれをひと まとめにして(NAO、AO あるいは NAM の名前で)議論していることによると思われる。そこでこ こでは、月々より長いスケールの変動に着目し、まず、ひとまとめに取り扱われている現象を分 離し、それから成層圏対流圏の結合モードのメカニズムについて議論する。次に AO 導入以前の成 層圏―対流圏結合に関した研究の発展過程について簡単に触れる。 4.1.2 NAO/AO の空間パターン NAO と AO は別の変動モードだと考える人は少数ではあるが存在する。しかし、NAO、AO どちらも 北大西洋上の南北シーソー・パターンをもっているので季節平均場において、この二つを通常の 方法で分離するのはたやすくない(Rogers and McHugh、2002)。しかしながら、年々変動を考え るとき、それぞれのモードの出現が時期によって変わるならば時期を分けて解析することにより 分離が可能である。 例えば、Kodera(2002)に従って、冬を太陽周期の極大期と極小期で分けてそれぞれの期間で、NAO 指数と地上気圧の年々変動の相関を計算してみると、極小期にはアイスランド低気圧域とアゾレ ス高気圧域の典型的な NAO のシーソー・パターンが現れる。他方、極大期には AO に似た極域全体 と中緯度帯とのシーソーとなっているが、太平洋上には相関はほとんど見いだせない。また、帯 状平均東西風との相関をみてみると、極大期には成層圏極夜ジェットの変動と強く関連している が、極小期には対流圏内にとどまっているのみならず変動は地域的なので、帯状平均場の風のシ ーソー・パターンは明瞭でない。このように、明らかに、NAO と AO とは異なった変動モードと理 解される。 ところで、太陽周期でなくエルニーニョ・南方振動 (ENSO)の位相でデータを分けて 主成分解析を行なっても AO 構造に大きな違いが起こる (Quadrelli and Wallace, 2002)。彼らは 水平構造の違いのみ示しているが、鉛直構造にも大きな違いがある。これを手短に示すために、 太陽周期の解析と同様に Hurrell (1996)の NAO 指数と地上気圧の相関を ENSO の温暖、寒冷期に ついて分けて計算した結果を示す(図 3)。 NAO 指数との相関であるから北大西洋に正負のシーソー・パターンがどの場合にも常に見られる のは当然である。しかし、高緯度の変動域は温暖期には寒冷期に比べ発達してユーラシア大陸側 に進展している。一方、太平洋域を見ると、寒冷期には大西洋側と同位相の正の相関になってい るが、温暖期には、逆に負の相関となっている。この結果は帯状平均東西風と気温との相関係数 をみれば温暖期には極側の正相関域は地上から成層圏まで続いている、これに反し、寒冷期には 40N をはさんで顕著なシーソー構造が見られる。しかし、この構造は対流圏にとどまり、成層圏 には続いていない。 以上の結果から、期間によって NAO に関連する地上気圧の空間パターンには 3 種類の変動パター ンがあることがわかる。1)は古典的な NAO パターンであるアイスランド-アゾレス域のシーソー (地域的 NAO)。 あとのものは、半球規模の変動で、1)の大西洋上のシーソー・パターンに加え、 2) 中緯度大西洋と同符号の変動が太平洋側にも存在するもの (太平洋タイプ)、3)太平洋側の変 動は無いが、極域の変動は極域全体からシベリア方面へ広がるもの(ユーラシアタイプ)とに区別 できよう。また、アリューシャン-アイルランド・シーソー(Honda et al.、2001)と呼ばれている 変動パターンもその空間的特徴から太平洋タイプとひとまとめに考える事ができよう。 ところで、ここで示した 1)地域的 NAO, 2)太平洋タイプ、3)ユーラシアタイプの 3 つの変動パタ ーンは 1)1920―1969、2)1949-69、 2)1969-2000 という 3 つの時期に見られる NAO のトレンドと 関連した海上気圧の空間パターン(Ostermeier and Wallace, 2003)にそれぞれ対応している。こ の事からも、 NAO/AO とひとまとめに考えられているパターンには 3 種類ある可能性が示唆される。 さて、図 3 をみると成層圏と繋がっているのはユーラシアタイプのみであり、より環状の構造を 示す太平洋タイプは、対流圏内の帯状平均流の南北シーソーこそよく発達しているが、成層圏に は伸びていない。また、地域的な NAO も成層圏とは無関係であり、成層圏・対流圏の関係を議論 する時にはこれらの変動モードは分離して考える必要がある。 AO/NAO における成層圏と対流圏の結合のメカニズムに関連していろいろなアプローチがなされて いる。環状モードというところから、Black(2002)は波と平均流の相互作用という古典的枠組みで はなく、成層圏のポテンシャル渦位の変化が直接対流圏に変動を生み出すという理論を展開して いる。また、一方では、モデルをもちいて環状モードにおける成層圏と対流圏の繋がりをしらべ る為にプラネタリー波の無い下部境界のモデルを使って研究がなされている(Polvani and Kushner,2002)。 その他、地域的な NAO を念頭においてアイスランド低気圧と成層圏極渦との関 連の説明が与えられている(Ambaum et al., 2002)。 成層圏と AO の関連についてそのメカニズムが不明とよく言われるが、その原因の一つは AO を環 状モード、文字通りリング状の変動と考えるところから来ていると思われる。しかし、上の結果 を ENSO の温暖・寒冷期のそれと比較してみれば分かる通り、対流圏がより環状構造をしめしてい る場合の方が、成層圏とのつながりは少ない。また、太陽周期の極大・極小期を比較して分かる ように、アイスランド低気圧の地域的な変動は成層圏には影響していない。対流圏が成層圏と結 合しているのは、極の変動域がユーラシアへと張り出している場合のみである。このパターンは ユーラシア大陸上に大きな気温の変動をともなっており、ユーラシア大陸上のプラネタリー波の 構造に大きな変化が見られる(Kodera et al., 1996)。 したがって、波と帯状平均流の相互作用 という古典的な枠組みで成層圏-対流圏の結合が理解できよう。 4.1.3 成層圏対流圏結合モード AO は 1998 年 Thompson and Wallace が言い出した言葉であるが成層圏と結合した対流圏の変動モ ードに関する研究はそれ以前から存在した。 逆に AO,特に環状モードなどという概念が導入さ れた為に問題がこんがらがってしまった様に見える。 現実的な枠組みでの、成層圏と対流圏の相互作用、特に成層圏の変化の対流圏循環に及ぼす影響 については Boville(1984)の大気大循環モデルを用いた研究に始まる。彼は、モデルの成層圏内 の波数切断を変化させることにより成層圏で波と帯状平均流の相互作用が変化し、成層圏極夜ジ ェットが変化するがその効果は対流圏まで続いており、対流圏の 500hPa 高度の偏差場には、極域 とそれを巡る中緯度でのシーソー・パターンが見られる事を示している。Boville はまた、モデ ルの最上層の高度を低くすることでも同様の変化が起きる事を示し、モデルの応答は強制力に依 存しない事を示した。ただ、Boville の実験は永続する冬の条件のもとで長期積分した結果の差 の平均を比較するという形で行われており、どの様なプロセスで成層圏の影響が対流圏に伝わる のかは不明であった。 そこでKodera et al.(1991, 1996)は対流圏は同じだが成層圏だけが異なる初期値をから大気大 循環モデルを積分し、初期値における成層圏の違いが時間と共にどの様に対流圏に侵入していく か調べた。図5は6組の実験結果のアンサンブル平均を示している。モデル初期値で成層圏ジェッ トが弱い場合には対流圏からプラネタリー波がより上向き、極向きに伝播する事により初期に成 層圏に見られた東風偏差は11-12日目には対流圏に降りていく。これに伴い500hPa高度場は極域で 高度が上がり、中緯度で下がるってくる。このモデル実験で得られた結果は図4のBoville達の結 果と似ており、彼らの場合と同様のプロセスを通じて成層圏の違いが対流圏循環を変えたことが 示唆される。この結果から、成層圏と対流圏の結合はプラネタリー波の鉛直伝播から起こるが、 対流圏の変化、特に中・高緯度間のシーソーは、ロスビー波の南北伝播の変化の結果である事が 示唆される。 ところで成層圏と対流圏の関係といえば成層圏突然昇温(Matsuno,1970)に見るように、大気の密 度の違いから対流圏が成層圏に一方的に影響を与えるという見方が一般的で Boville による実験 結果も、(不完全な?)モデルの話で現実には無関係と思われていた。例えば、帯状平均東西風の主 成分解析の第一モード(図 6)には、極域成層圏に一番大きな振幅が見られるにも係わらず、これ は対流圏の亜熱帯ジェットの南北変動を表すモードと捉えられている(Nigam, 1990)。この第一主 成分の時系列と帯状平均東西風のずらし相関を取ってみれば、これは対流圏の亜熱帯ジェットの 変動モードではなく成層圏から対流圏へと伝わってくるものであることが示される(図 7)(Kodera et al., 1991)。こういった変動がプラネタリー波と帯状平均流の相互作用で起きていることは、 E-P フラックスの鉛直成分と帯状平均東西風の拡張 SVD 解析(Kuroda and Kodera, 1999)によって 後により明瞭に示された。これに関しては次章で詳しく述べられている。 さて、成層圏循環の変化の対流圏へのインパクトに関して現実の世界で具体的に考えられる様に なったのは 1991 年 3 月のピナツボ火山噴火以降であろう。火山の噴火の影響と言えば、日射が遮 られて寒くなるというのが普通であるが、ロシアでは大規模な火山噴火の冬が温暖になることが 知られていた(Groisman, 1992)。これが成層圏循環の変化にともなう力学的効果によって引き起 こされた可能性があることが指摘された (Robock and Mao, 1992; Kodera, 1993; Graf et al., 1993)。この後、SVD, 正準相関、EOF などをもちいて、成層圏と対流圏循環パターンを抽出しそ の結びつきが詳しく調べられるようになった(Baldwin et al., 1994; Perlwitz and Graf、1995; Kodera et al., 1996)。さらに、火山性エーロゾルだけではなく、太陽活動、オゾン破壊や二酸 化炭素ガスの増加などによる成層圏での放射強制力の変化が、力学的な効果で対流圏につたわり 循環場を変化させる可能性が議論された(Kodera,1995)。 北半球対流圏の特に冬期に顕著な温暖化の傾向は大気の内部モードの出現頻度の変化にともなう 力学的な効果による可能性が指摘され始めた。どのようなモードかは人によって異なる: NAO (Hurrell, 1996), 成層圏―対流圏結合モード(Kodera,1997),そして AO (Thompson et al., 2000)。 ところで図 3 に見たように、例えばより環状構造を示す太平洋タイプの AO はユーラシアの気温の 変化には大きな役割を果たさない。また地域的な NAO のインパクトは更に小さい。近年モデルに よる成層圏の対流圏に対する影響も研究も進展してきている(例 Shindell et al., 1999, 2001) がモデルと現実を比較するときにもやはり季節平均した水平構造だけでなく詳細な時間空間構造 をも見る必要があろう。例えば、対流圏の 500hPa 高度場のトレンドのパターンが、これまで見た ように極と中緯度のシーソーパターンを示すのは NAO, AO などこれまでに見た通りである。そし てこの高度場の変化は対流圏の定在波の南北伝播も変化も伴っている(図 8)。さらに帯状平均東 西風のトレンドは成層圏から対流圏に下りてくるというような形になっており、次章で示されて いるように極夜ジェット振動と呼ばれる(Kuroda and Kodera, 2000)大気の内部変動とよい対応を 示している。ここでは、北極振動、また成層圏との関連ということで主として北半球をとりあげ たが、南半球にも成層圏と結合した変化が見られる。南北両半球の類似点と相違点の理解が今後 の研究の発展に必要であろう。 図の説明 図 4.1 北極振動(AO)のパターン (上)帯状平均東西風、(下)1000hPa 高度。 等値線:風は 0.5ms-1, 高度 10m おき。 パターンは 1958 年 1 月-197712 月の期間の月平均データの AO の時係数との回 帰の 1 標準偏差あたりの振幅として表示。(Thompson and Wallace, 2000) 図 4.2 35 日平均帯状平均東西風(等値線)と E-P フラックス(矢印)の合成平均図。基準日(day 0) は 35 日平均 AO 指数の最大の変化傾向のあった半旬。(a)は対流圏タイプ、(b)は成層圏タイプそ れぞれ 7 例の合成平均。左から、day 0, 15, 30. 日にちは 35 日平均の中心の日を示す。(Kodera and Kuroda, 2000) 図 4.3 冬平均(DJFM)NAO 指数との相関係数 (1959-1997)。(上)帯状平均東西風、(下)地上気圧。 (a)太陽周期極大期(19 冬)、(b) 太陽周期極小期(20 冬)、(c)ENSO 温暖期(19 冬)、(d)ENSO 寒冷 期(20 冬)。 等値線は絶対値 0.4 以上 0.1 おき。負値には点彩。 図 4.4 永続する冬の条件下で大気大循環モデルの基準実験と成層圏の波数切断を変化させた実 験の差。(上)帯状平均東西風の差 、(下)500hPa 高度場の差。(Boville, 1984) 図 4.5 帯状平均東西風と E-P フラックスの大気大循環モデル実験の差 (a)6 基準初期条件と対 流圏は同一で成層圏循環を弱めた 6 初期条件との差の平均。上記初期条件から積分した (b)1-10 日(c)11-20 日平均の差。 (d) (c)に同じただし 500hPa 高度差 (等値線 20m おき) (Kodera et. al., 1996). 負値には点彩。 図 4.6 冬期における月平均帯状平均東西風の回転 EOF の第一主成分。(Nigam,1990) 図 4.7 図 6 の EOF の第一主成分の時系列と月平均帯状平均東西風のずらし相関(x10)。 上から 下へ、-1, 0, 1 月ずらし相関。等値線は絶対値 5 以上 1 おき。(Kodera et al.,1991) 図 4.8 (上)月平均帯状平均東西風の長期トレンド (11,12,2 月) (下)500hPa 高度場の長期トレンド(等値線 20m おき)とその高度変化から計算される地衡 風から計算した波の活動度フラックスの差(矢印)。全て 20 年あたりの変化分として図示。(Kodera and Koide, 1997)
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