留学生レポート バーミンガムが教えてくれたもの イギリス/バーミンガム大学 法学部4年 荒木 恵 2011 年 8 月 27 日から 2012 年 6 月 21 日までのおよそ 10 カ月間、イギリスのバーミンガム大学にて 交換留学をしておりました、法学部 4 年の荒木恵(あらきさとし)と申します。提出が遅くなり、誠に 恐縮ですが、今回の留学を通じて何を得、何を感じたのかを率直にお伝えできれば幸いです。 1、バーミンガムとは イギリスは 6000 万人の人口を抱え、バーミンガムはそのうちの 100 万人を抱える、ロンドンに次いで 2 番目に人口の多い都市です。いわゆる観光地ではないために馴染みのない都市かもしれませんが、バー ミンガム自体はとても都市として若く、イギリスが産業革命を迎える際に交通の要衝として栄える前は ほんの小さな村だったそうです。バーミンガムは現在イギリスでも有数の移民を抱える都市であり、パ キスタン系移民によってもたらされたカレーのバルティは、ここバーミンガムで発祥しすでにイギリス の新しい(日本でいうインドのカレーのように)国民的料理となりつつあります。 年間難民の受け入れ数が日本の 100 倍近く、EU でドイツに次ぐ移民人口を抱えるイギリスの都市部 では、日中歩いていると誰が多数派なのかわからなくなります。私がこのバーミンガムを留学先として 選んだのは、こうした移民をたくさん抱える都市を実際にこの目で見ることによって、私の関心事であ る社会の「多様性」を直に感じたいと考えたからでした。 バーミンガム リビア解放を謳うリビア人の難民と思しき人たち 2、バーミンガム大学で学んだこと バーミンガム大学はバーミンガムの市街から 2~3km 離れた郊外に位置する大学で、電車で市街から 10 分しないところに位置し、学生数は 2 万人をゆうに越える巨大な大学です。留学生はそのうち 4000 人を占めるとされ、とくに EU 域内の学生は学費がイギリス人と同じ額で済むということもあってか、 非常に多数を占めているという印象でした。私はこのバーミンガム大学の政治科学・国際研究科の交換 留学生と登録されましたが、他の授業をとることもほとんど問題ありませんでした。 私の関心は「異なる文化的、宗教的、人種的、性的、社会的背景をもつ人々の多様性はどのようにし たら共存できるのか」ということでした。現在の戦争はいわゆる伝統的な「国対国」の戦争ではなく国 ではない何かと国、もしくは国ではない者同士の戦争が圧倒的多数なのだということを一橋で学び、 「多 様性」という言葉が自分の中でのキーワードになりました。民族や人種に関する研究や、宗教、ジェン ダーに関する政治の授業等、バーミンガム大学はそんな自分のニーズに応えるような授業をたくさん擁 していると考えられたため、バーミンガム大学への留学を決めました。 大学の時計塔 大学の図書館 ・Global Societies(グローバル社会) 学部の授業でしたがほとんどが社会学部の講義で、周りの生徒も政治学専攻というよりはどちらかと いうと社会学専攻の子のイメージが強い講義でした。この講義は、既存の伝統的な社会学の理論が実は 国民国家を自明の社会単位もしくは研究単位としてしまっていることの批判からはじまる授業でした。 たとえば、我々が「社会」という言葉を口にする際に、それは往々にして「日本社会」のことを指して います。しかしながら、 「社会学」という「社会」における人間の社会性や規範を研究するのに無意識の うちに国家を単位に考えてしまうことは、グローバリゼーションが進展する現在では国家の枠組みでは 捉えられない問題を置き去りにしてしまう可能性があります。国境を越える人の移動が与える影響、イ ンターネットやフェイスブックなどの最新のネット環境が社会に与える越境的影響、グローバルな消費 活動が国際紛争に与える影響などがそれです。このようにグローバリゼーションが与える影響をこれま での社会学はどう捉え直すのか、というのが講義の主要な目的でした。イギリスの授業は基本的に講義 とチュートリアルのセットなのですが、2 年生の授業だからなのか(イギリスでは 3 年生が学士号習得に 必要な期間です) 、他の授業に比べるとだいぶハードさには欠けた印象で、いささか初めは拍子抜けしま した。しかしながら、日本ではなかなか勉強する機会の少ない内容を包括的に学ぶことの意義は大きか ったと考えています。 ・Immigration and Citizenship in Western Europe(西ヨーロッパにおける移民と市民権) この講義は 3 年生を対象とした授業で、毎回講義とその後のチュートリアルが楽しみでした。この講 義はヨーロッパにおいてとりわけ移民の流入の規模が大きいイギリス、フランス、ドイツ、オランダの 移民政策について比較考察するものでした。先生ご自身がアメリカ生まれ、ドイツ育ち、イギリス人と 結婚、オランダ在住、3~4 ヶ国語ができるという人で、参加する学生たちも交換留学生だったり、ハー フであったり、パスポートを 3 つ持っている人でしたので、非常に多様なバックグラウンドを持つ人た ちに囲まれる機会に恵まれました。留学生といえども、またイギリス人といえども、もはや移民とは無 縁でいられないという環境があるせいなのか、議論の内容は非常に具体的で、日本という移民の少ない 国から来た自分にとっては発見することが多くありました。講義では各国の移民制度がどのような歴史 的文脈から構築されていたのかが説明され、各国ごとというよりもそれぞれの国を通じてマクロ的に移 民政策を見るということができ、非常に比較による発見が多いものでした。チュートリアルは先生と学 生 10 名ほどが毎回集まってプレゼン発表をしてそれについての議論をするという形式でした。移民の国 内世論について議論が盛り上がることもあれば、非常にアットホームな雰囲気で、授業中に先生や生徒 がケーキを家で焼いて持ち寄るということもありました。 ・Gender in World Politics(世界政治におけるジェンダー) 本学への留学を決め手にもなった授業で、講義担当は Jill Steans という、この分野では名の知れた先 生でした。バーミンガムは日常生活の中から権力構造を見出すというカルチュラル・スタディーズの発 祥地なのですが、その流れをついでか日常生活として切り離されてきた女性たちの経験が実はいかにし て政治による影響を受けているか、ということに焦点が置かれていました。国際政治という高度に「公 的」とされる次元において語られる「人」とは男女どちらともに偏らない中立な存在ととらえられがち で、そのために女性特有に起きてしまう問題というのは「男女中立」の考えのもとに見過ごされがちで あるというのがこの授業の問題意識でした。授業の冬学期は国際関係学においてどうして女性の経験が 見過ごされてきたのかそれぞれ先行研究や簡単な概要について講義とディスカッションをし、春学期は そうして授業を受けた後に自分で国際関係学におけるジェンダー絡みの問題について各々の興味に基づ いて期末レポートを見据えてプレゼンテーションをしました。 これも 3 年生の授業だったのですが、政治科学というバーミンガム大学の看板学部(事実、この学部 で出るリーディングの量は他の学部に比べるとずっと多いようでした)に所属する学生たちばかりであ ったせいか、他の授業と比べてずっと勉強熱心な人が多い印象でした。初め授業に出たときには、リー ディングは読んでいるので関連する先生の話はわかるのですが、ディスカッションになった瞬間に生徒 の口から出てくる政治的な専門用語や、非常にこなれた英語表現(日常会話以上に複雑な)に圧倒され、 授業に出るたびに忸怩たる思いでした。しかし、意見を言うと他の学生や先生も自分のつたない英語に も関わらず興味を持ってくれ、先生や学生からも色々とフィードバックをもらうことができて非常に自 分の自信につながった経験もありました。 先生の指導のもと、期末論文では日米と米韓政府の間でそれぞれ基地設置などの安全保障政策が公に 語られる一方で、基地周辺に米軍と地元政府がいかに結託して管理売春制度を成立させてきたのかにつ いて研究しました。売春と政治学がつながるとはこれまで想像もしてこなかった自分にとっては未知の 分野でした。しかし、米軍が兵士の福利厚生や地元社会への貢献を建前に、韓国や日本の地元政府と結 託して戦争未亡人で貧しくて売春せざるを得なくなった女性や戦争孤児を悪条件のもとで働かせる売春 宿経営者に寛大な措置をとるように働きかけたり、売春する女性に番号をつけて性病の検査を定期的に 行うことを地元政府に約束させたり、逃げ出した女性や性病に感染した女性を警察などの公権力を行使 して逃げられないようにするために地元警察が暗黙の了解として協力したり、という事実を学ぶうち、 衝撃を受けました。女性に限らないことですが、戦争や不安定な社会の中で最も脆弱になりやすいのは 子どもやお年寄り、障がいを抱える人や、外国人などです。これまでの国際関係学ではとらえきれない、 より個人レベルでの問題が実は国際政治からの影響では無縁でいられないということを学べたというこ とは自分にとって、本当に大きな収穫であったと思います。 3、バーミンガムでの留学生活 「留学はトラブルの宝庫」とはよく聞かされていのですが、まさか初日からそれが起こるとは予想だ にしていませんでした。初日から滞在先が決まっておらず、さらには申し込んだはずの事前の英語研修 も申し込みがされていないという二重の事務手続きミスがあったことが発覚し、インターネットの環境 にも恵まれず、英語でのコミュニケーションに慣れていないためどこに行けば問題が解決すればいいか わからず一日中キャンパスの周辺を文字通り彷徨い歩かなければいけないことが初めの一週間ほど続き ました。幸いどちらも最終的には解決したのですが、右も左も分からない国で助けてくれる友だちもい ない中、一人で問題解決をしなければいけないことの大変さを思い知らされました。言葉の壁が怖くて、 最初は携帯を買うだけでもビクビクしていました。 ただ、辛い日々は最初の数カ月で、時間が経つごとに慣れていきました。バーミンガムは色々な民族 のいるところですから様々な食材が手に入り、中でも日本食や韓国料理を調達出来たことは重篤なホー ムシックになることなく留学を終えられたことに貢献したのではないかと思います。とくに留学生同士 一緒に食事を作りあったり友だちの家に行ってパーティーをしたり、という経験はあまり日本ではなか ったので新鮮で非常に楽しむことができました。クリスマスも誕生日に友だちに祝ってもらえたことも、 ヨーロッパという立地を活かして旅行にふけることも、週末にぶらりとロンドンに足を伸ばして都会の 空気を浴びることも、海外にいるからか特別楽しく感じることができました。他の交換留学生の方がど う思われるのかはわからないのですが、私には留学してこの瞬間が一番良かったというものはなく、日々 の何気ない、時には時間を忘れて何時間にもなる友だちとのふれあいが、自分の留学生活にかけがえの ない色彩を与えていましたように思えます。 また、上記の授業の他にもフランス語初級の授業もとっていたのですが、そのほかにも言語交換 (Language Exchange)というバーミンガム大学での制度を利用してネイティブ同士お互いの母国語を 教えあうという経験ができたのは、留学生の友だちの輪を広げることにつなげられたほか、ネイティブ からその単語のもつ微妙なニュアンスの差を直接学ぶことができるという(しかもお互い学生同士なの で間違ってもとくに恥ずかしさを感じなくて済むという折り紙つき) 、非常に有益なものでした。一橋に も 10%の学生は留学生なのですから、このような言語交換というマッチングシステムは需要があるのは 間違いないのでやってみてほしいなと思いました。 その他、具体的にどのような留学生活をしていたのかについては、ブログも書いておりましたので、 もしお時間があれば http://ameblo.jp/huangmu-hui/にアクセスして読んでいただけますと幸いです。 4、イギリス人とは何者か 英語圏の国に行くのだし、日本人のようにシャイではなくもっとオープンに明るくいかないとダメだ ということを志して、私はフラットメイトなどのイギリス人に接しました。しかし、なかなかうまくい きません。少し違和感を覚えながら暮らしているうちに、ようやくイギリス人には日本人に近いシャイ さがあることに気がつきました。私はオーストラリアに住んでいたことがあるのですが、オーストラリ アではレストランで隣に座っているよく知らないお客さんと会話することは比較的よくあります。イギ リスに来たときにはそれが全くといっていいほどなく、日本人と似たような個人間の境界線が厳然と存 在しているように感じました。道を聞けば大抵の人は親切に応えてくれるし、クラブなどの環境では日 本人よりも遥かにオープンにはなりますが、日常生活ではイギリス人は自分のプライベートをちゃんと 持っているのだなということに、私は留学して初めて気がつきました。 また、イギリス人の交友関係に関連してもう一つ驚いたのは、イギリス人の家族に対する愛情の強さ です。私は自分の中にある偏見として、儒教の国ではないしイギリスではあまり家族は日本ほど敬う文 化はないのだろうと不遜にも想像していたのですが、実際にイギリス人は非常に家族を大切にする人々 でした。日本で言えばお盆・正月にあたる一ヵ月ほどのクリスマス休暇時期は家族とずっと過ごすし、 兄弟・姉妹もお互いに泊まり合ったり、友だち同士では家族同士仲良くなったりするということも珍し くありません。私はずっと東京という都会で暮らしており、友だちの兄弟・姉妹には会ったこともなく、 お盆・正月にも実家に戻らない(戻れない)人たちをたくさん見てきたので、遠く離れたイギリスでは 家族愛の確たる形を見ることになろうとは思ってもおらず、自分は将来どのような仕事をするかという だけではなく、どのような家族を持ちたいかということについても一緒に考えさせられるきっかけにな りました。 5、バーミンガムから見えたイギリス社会 留学を長期間経験していると部分的にですが少しずつ現地社会のことがわかってきます。そのうちの 一つが、イギリス人の訛りへの感覚です。オードリ・ヘップバーンが主演した映画『マイ・フェア・レ ディ』を観た方は多少想像つくかもしれませんが、イギリスでは誰がどのような訛りを持っているのか ということを非常に気にする社会だなと感じました。よくイギリス英語というとクイーンズ・イングリ ッシュのイメージが強いですが、クイーンズ・イングリッシュのような英語は日本語でいえば時代劇の ような話し方で、実際エリザベス女王もあまりきつい古風な英語はもう公的には話しません(おそらく 私的には話しています)。それでも BBC やオックスフォード・イングリッシュと言われる英語は非常に 教育水準のステータスとしてみなされることがあり、事実人事の面接などではこうした英語を話す人の ほうがお国訛りのある英語を話す人よりも面接官の反応がいいそうです。現代ではその影響力はかつて ほどないとイギリス人の友人からは聞かされましたが、訛りが各々もつ偏見は今でも残っているそうで す。 もう一つ、気がついたのはイギリスの多文化社会たることのジレンマでした。イギリス政府や地方自 治体も大規模な人口調査を行なって、人種、民族、出身国、性別、年齢、第一言語等の様々な情報を収 集していますが、実態の把握に追いついていないのが現状のようです。そんななかイギリスでは最近「イ ギリス人らしさ(Britishness)」ということが強調されます。ここで Britishness であって Englishness でないのは、イングランド人ではなく、スコットランド人、ウェールズ人、北アイルランド人を総称す るためなのですが、この Britishness を守ることにイギリスの多文化主義政策は失敗したのだという批難 が高まっています。また、移民によって労働力が奪われているという認識も根強くあります。しかしな がら、実際にイギリスの移民人口の半分以上は留学生であり、 「不法移民」や「難民」といった、イギリ ス人が「移民」と聞くと真っ先に思い浮かべる移民の形態は実は全体の 5%も占めていません。さらに、 いわゆる肉体労働と言われる分野、ブルーカラーと言われる分野の労働は日本と同じく現地の「純粋な」 イギリス人はほとんどやりたがらないというのが実情です。イギリスの民間部門も公的部門ももはや移 民なくして成り立つ部門はありません。 このような事情は、おそらく留学しなければ絶対に気づくことなく伝聞で終わっていたでしょう。実 際に現地に行かなければわからないことの多さに、インターネットが普及してたいていの情報が手に入 るような時代になっても「百聞は一見に如かず」という言葉は生きるのだなと強く思い知らされました。 このように留学という機会が自分に与えてくれたものは本当に計り知れないものでした。 末筆ですが、如水会の方々、明治産業株式会社の方々、明産株式会社の方々には奨学金という形にて 今回の派遣留学をご支援賜りました。私が留学をそもそも思い立ったのはこの奨学金があったからで、 おかげさまで大きな夢を叶えることができました。また、留学生課の方々には一方ならぬサポートをい ただきました。ゼミナール指導教官の秋山信将先生はゼミに入った当初から留学を応援してくださり、 二年生冬に履修した授業の時から柘植道子先生には留学全般について情報を多く賜りました。そして、 何よりイギリスにいる私のことをずっと気にかけてくれた家族、そして日本からはるばる応援に来てく れた友だちも大変な心の支えとなりました。今回の留学は大きなサポートのもとに行われたもので、そ のサポートに関わってくださったすべての方々に、心より御礼申し上げます。 (2012/09/21)
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