なぜ,思うように育たないのか

序章
なぜ,
思うように育たないのか
人の心はどう動くのか―心の動きの法則―
看護師になって5年目の田中さんはいつも師長と衝突します。原
因はどうも師長の決めつけにあるようです。事実の確認もなしに決
めつけてくる師長に,田中さんはあきらめにも似た,嫌な気持ちを
抱き続けています。
「患者の山本さんから苦情がきてるわよ」
「どんな苦情でしょう」
「看護師さんに聞いた薬の飲み方が,先生に聞いたらまったく
違っていたそうよ」
「私はきちんと伝えました!」
「それなら,なんで山本さんがそう言うの? あなたしかいない
でしょ!」
………
“師長には何を言ってもだめだ………”そんなあきらめの気持ち
から,田中さんはいつも黙ってしまいます。
師長は師長で,“少し強く言い過ぎてしまったかしら”という思
いを持ちながらも,ふてくされた態度をとる田中さんにいつも手を
焼いている…
こんな関係が続いているのです。
“部下とのよいコミュニケーションを築くには………”
自分自身のマネジメントを落ち着いて振り返った時,
“師長とし
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ての自分の大きなテーマだ!”そんな思いが師長にわいてきます。
では,部下とのいい交流関係をつくるにはどうすればいいので
しょう。
ここでご紹介したいのが,トランザクショナル・アナリシス
(Transactional Analysis)という考え方(理論)です。略してTA,
日本語では『交流分析』と訳されています。トランザクトの元の意
味は,
『業務を行う,交渉を処理する』の意味で,その形容詞にア
ナリシス『分析』が付いてできた言葉です。文字どおり,人間の交
流関係の分析であり,1955年,精神分析医でフロイトの流れをく
むアメリカの医師,エリック・バーンが開発した理論です。
近年,脳の構造と機能分析をして,右脳と左脳に関する研究が話
題を呼んでいますが,TAは,いわば心の構造と機能の分析と言え
ます。自分の心は自分のものでありながら,なかなか自分の思うよ
うになりません。その心の中身はどのようになっているのでしょう
か?
TAは,従来の専門用語いっぱいの心理学と違って,一般の人に
もわかりやすいので,TAの各分野における応用法が世界各地に広
がっています。そして日本でも,それらに関係した本が多数出版さ
れています。
TAのいいところは,ただ単に小手先で人の心の動きを素早く読
み取り,自分の利益だけを考えてアプローチするというのではな
く,自分を知り,自分を解放させ,お互いがうまくやっていくとい
うところにあります。そのために,まず自分自身を知ることが心の
解放につながるのです。
現在,TAは社員教育に応用され成果をあげています。TAで,働
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❷
こんな言葉が部下のやる気をつぶしている
決めつけや命令には,なぜ,まったく効果がないのか
上司が部下に対する言葉を変えるだけで大丈夫
「愛情を持って部下に接しよう」
「部下の主体性を育てよう」
「長い目で見て部下を育てよう」
多くの管理者がこうしたことを主張します。そして,これらはす
べてもっともなことで,誰も反対する人はいません。
にもかかわらず,部下への教育がうまくいかないのはなぜでしょ
うか。答えは簡単です。何をどうしたらよいのかが具体的でないか
らです。
誤解を恐れずにこれらの具体策を示すとすれば,私は「部下への
言葉を変えるだけで大丈夫だ」,と主張します。この本を手にされ
た皆さんは,それぞれ部下のことを大切に思っているに違いありま
せん。ならば,部下に対する言葉を変えるだけで大丈夫です。
本章では,管理者の方たちが,ついつい口にしてしまう効果的で
ない言葉の一つひとつを取り上げてみます。言ってはならない言葉
があります。言い換えることにより,より効果的になる言葉があり
ます。思い当たる言葉がいくつかあるはずです。まず,それを直し
てみてください。
個々の言葉を取り上げる前に,一つだけ読んでいただきたい話が
あります。
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❺
この「禁句」はこう言い換える
なぜ,ほんのわずかな違いが,自発性を左右するのか
言い方に気を遣うのが,間違いのない第一歩
まったく同じ物事を目にしてもそれを言語によって表現する場
合,人によって非常に大きな違いが生じます。
私たちは,何を言うかについては比較的気を遣うものですが,
『ど
ういうふうに言うか』についてはあまり気を遣いません。
つまり,自分が言うことに意図があって,そのことが相手に伝わ
ることに意図がないということです。あなたの伝えたい本当のメッ
セージが相手に伝わり,あなたの意図した結果が表れるには,あな
たの伝えたいことが部下に伝わっているかどうかについて,強い意
図を持つ必要があります。
「何度言ったらわかるの?」→「どこがわからないの?」 650
同じ失敗をする人には,どんな言い方をすればよいか
随分前のことですが,いまでも鮮明によみがえってくる思い出が
あります。
私は小学校3年生。担任は40歳過ぎの女性の先生でした。国語
の時間で,私はどうしても学校の『学』の字が書けずに叱られてい
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ました。『学』のカンムリの部分を『賞』のカンムリと同じだと信
じきっていたのです。大きな×をもらっても,どこが間違っている
のかわかりませんでした。先生は,親切に「こう書くのよ」とクラ
ス全員に聞こえるように大きな声で教えてくれました。私は,恥ず
かしさで顔がほてって真っ赤になり,教えてもらっている内容が耳
にも目にも入りません。
「わからない」とすら言えなかったのです。
それでも,どこかを直して先生に提出しなければならないとカンム
リ以外を直して,見せに行きました。
3回目の提出でした。どこが悪いのかわかっていないために,直
しようがなく,やむを得ずに適当に一部を変えて持って行っている
だけなのですから,正解であるはずありません。
“また何か言われ
るに違いない”と私はビクビクしています。3回目に提出した私の
字を見た途端,先生の声が教室中になり響きました。
「何度言ったらわかるの,人の説明を何で聞いていないの,先生
をバカにしてるの」
この,背筋を冷たい水がツーと通り抜けていったような瞬間は,
何十年たった今でも体で覚えています。恥ずかしい,情けない,悔
しい,先生はひどい人だ,という否定的感情が私を包みました。何
とかわからせようとした先生の熱意ゆえの一言だったのでしょう
が,それは私の心をえぐりました。先生の熱意は,私には伝わりま
せんでした。そして,どこが間違っているのかも,わからずじまい
でした。
部下が同じ失敗を繰り返すのは,やっていることの目的やその意
味,具体的なやり方がわからないからかもしれません。わからない
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❻
部下を活かす一言とは?
上司に心がけてほしい7つのポイント
『つぶす一言』についてわかったら,今度はいよいよ,
『部下を活
かす一言』についてです。このことで,上司であるあなたに心がけ
てほしいことが7つあります。これらは,もしかしたら普段やり慣
れないことだったり,言い慣れないことかもしれませんが,大切な
部下のため,初めはうまくできなくてもいいから,ぜひチャレンジ
してみてください。
「ワァーすごい!」
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ポイント1−部下の立場で喜びを共有する
「主任,聞いてください。杉本さん(利用者様)が,私に『本当
にありがとう。根本さんの優しさは一生忘れません』って言ってく
れたんです」
スタッフの根本さんが嬉しそうな顔をして主任に報告をしました。
「ワァー! よかったじゃない。すごいわ!」
この瞬間,主任の一言は,部下にとって決定的なプラスのスト
ロークです。部下のやる気の源です。なぜなら,この時,主任は,
FC(自由の子)の心(自我状態)になっているからです。もとも
と根本さんもFC(自由の子)の心になって嬉しくて仕方がない。
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部下が上司・先輩から言われた一言
嬉しかった言葉
❶「自分の思うようにやっていいですよ」
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責任を任せてもらえた,
“責任を取れる人”と信じてもらった,
このことで部下は“さらに責任を取っていい仕事をしていこう!”
と自分自身を励ましていきます。
❷「たいへんでしたね。でも,あなたのおかげで
本当に助かりましたよ」
初めてイベントメンバーに入る新人と一緒だった時
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心からの感謝は,部下に「自分は役に立っている!」
「自分は存
在価値がある!」という大きなストロークになって伝わっていきま
す。
❸「失敗してもいいから,やってごらんなさい」 75
その仕事そのものより,「私のこと,私の成長を大事に思ってく
れている!」「私のことを育てようとしてくれている!」と思った
部下は,その期待にこたえようと誠実にチャレンジしていきます。
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