池田泉州キャピタル 投資先経営者インタビュー 2011 年5月 19 日 チャレンジが歴史を作る 笠谷 勝美 ●株式会社カサタニ 代表取締役社長 数多くの転換点をチャンスと捉え、進化を続けてきた 笠谷社長に、これまでの取り組みと今後の展望を訊いた。 訊き手:神保 敏明=池田泉州キャピタル 代表取締役 編集:森 祐也=池田泉州キャピタル 投資部 かさたに かつみ:42 年 生まれ。66 年 神戸大学 経営学部を卒業。 同年 江商(現 兼松)に入社。72 年 カサタニに入社し、97 年 代表取締役社長に就任。 海外への憧れから商社へ 業種が異なるという戸惑いもあり の普及には、事業の広がりを感じて 海外から様々な製品やサービス ましたが、好奇心の強い性格が功を います。 が入ってくる事によって、日本の文 奏し、知れば知る程に、興味が深ま 日本に残すという視点で事業を 化が変わっていく過程に、幼い頃か りました。日本は、原材料を加工し 考えた結果、環境分野の太陽電池に ら興味を持っていました。海外への て製品にし、最終的に輸出するとい 憧れが強く、中学校に入学した頃は うのが生きていく道である事を、商 外交官になりたかったのです。大学 社時代に経験していましたので、金 時代には2ヵ月間、米国に留学し、 属加工事業の広がりにも可能性を 文化の違いを肌で感じてきました。 感じていました。 そういった経験から商社への就職 強みは適応力 を選択しました。主に、電気製品の ずっと営業職に就いていました 輸出入を手掛けました。世界を相手 ので、カサタニ入社当時は財務、経 も参入しました。ワイヤーで切断す に商材、商機を選び、商売を作って 理職にも携わってみたいと考えて るベース技術は蓄積していました いくという面白みがありました。充 いました。資金繰りを改善する為に、 ので、十分に応用出来ると考えたの 実感から、天職とも思える程でした。 商流を変える施策を提案し、最前線 です。今では主力事業の1つです。 30 歳からのスタート で営業も行ないました。結果として、 若手の意識改革が著しい 女系家族の妻と結婚するに当た り、養子になりました。30 歳までは 取扱製品、事業が大きく増え、財務 内容も改善する成果を得ました。 初めは試行錯誤で苦労しました が、技術の応用には若手が大きく貢 一方で、中長期的視点では事業の 献してくれました。失敗の経験を糧 選択と集中が必要になってきます。 として加速度的に成長する若手と、 創業以来、モノ作りの考え方は変え 経験豊富なベテランが一体となり、 ていませんが、随時、組織編成を行 確固たる事業にまで育ちました。 なってきました。その中で、時代の 会社というのは面白いもので、潜 流れを先取りした新事業を生み出 在的なパワーが新しいものを作り し、海外進出も断行してきました。 出すパワーになります。これはチャ 好きな仕事をすると決めていまし 現在、日本を代表する産業である レンジしなければ出てこない事な たので、カサタニへの入社はその後 自動車、電機の両方を手掛けていま のです。近年では、若手の業績に対 になりました。金属加工部品メーカ す。その分、経営判断は難しくなり する意識の変化にチャレンジを感 ーである当社の、当時の主力製品は ますが、変化に適応する力を養って じています。そういった意見を経営 自動車向けのバネでした。まずは各 きました。これは当社の大きな強み 判断に取り入れて、更なる成長を実 部署を回り、基礎から学びました。 となっています。特に、電気自動車 現していきます。 【取材日:2011 年4月 21 日】
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