反「新自由主義」 - ラテンアメリカの息吹

<グローカルの眼(42)>
反「新自由主義」の選択肢
チャベス・ベネズエラ政権の場合
小倉 英敬
1月22日、昨年12月18日に南米ボリビアで行われた大統領選挙において53%の
得票を得て勝利したエボ・モラレス候補(社会主義運動MAS)が大統領に就任した。ま
た、1月15日に実施されたチリの大統領選挙の決選投票で中道左派のバチェレ候補(社
会党所属)が54%を得票して勝利し、チリ史上初めての女性大統領が誕生することが確
定した。さらに2月5日に実施された中米コスタリカの大統領選挙でも、反「新自由主義」
を掲げる市民行動党(PAC)創設者のソリス候補が40.3%を得票して、中米和平に
対する貢献でノーベル平和賞を受賞したこともあるアリアス元大統領(国民解放党PLN)
の40.5%に肉薄する接戦を演じた。
ラテンアメリカでは反「新自由主義」を掲げる政権が、ベネズエラ、ブラジル、アルゼ
ンチン、ウルグアイなど続々と登場しつつある。だが、それらの政権が提示する反「新自
由主義」の選択肢は一様ではない。本稿では、1999年2月に成立したチャベス・ベネ
ズエラ政権を取り上げて、どのような選択肢が提起されているのかを整理しておきたい。
一、新自由主義と「ワシントン・コンセンサス」
新自由主義の経済モデルは、1979年に発足したイギリスのサッチャー政権、199
1年に発足したアメリカのレーガン政権によって採用され、その後国際社会の主流の経済
モデルとなってきた。政治的には新保守主義的な傾向を伴うが、本稿では経済面に限って
新自由主義を扱うこととする。
日本においても、新自由主義の経済モデルは、公社の民営化を手掛けた1980年代の
中曽根政権や、財政改革を手掛けた1990年代の橋本政権において徐々に採用され、2
001年に成立した小泉政権が掲げる「構造改革」の理論的支柱となっている経済モデル
である。
最近の日本においても、
(新自由主義的な)
「構造改革」路線の下での社会格差の拡大が
注目され、竹中平蔵総務相も格差の拡大は「世界的に見られる傾向である」と認めるに至
っている。しかし、竹中総務相が触れていないのは、それが新自由主義経済モデルの結果
生じているという事実である。小泉首相に至っては、
「格差があってどうして悪いのか」、
「格
差を批判するのは敗者の妬みである」とまで放言している。
それでは、なぜこのようにラテンアメリカ諸国において、反「新自由主義」を掲げる政
権が続々と登場してきたのか。そもそもの原因は、1973年の第一次石油危機に際して、
石油産出国に還流したオイルマネーが国際商業銀行団を通じて途上諸国に経済開発のため
に貸し付けられたことにある。途上諸国の経済開発に貸したものはあったが、政権内に存
在した不正や、非効率的な使用によって、十分な経済開発が実現されない一方で、途上諸
国に莫大な対外責務を蓄積されることになり、1970年代後半から深刻な対外責務問題
に直面する国が広がった。
対外責務危機の発端は1982年に発生したメキシコであり、その後他のラテンアメリ
カ諸国や、アジア・アフリカ諸国でも同じ問題がつぎつぎと発生した。そして、対外責務
危機に陥った諸国に対し、IMFが支援融資を行い、世銀も構造改革融資を行ったが、こ
れら国際金融機関が支援する際に責務国に強要した融資条件に新自由主義的な経済モデル
が採用された。
そして、融資条件とされた一連の新自由主義的な施策が、1989年に途上国の経済発
展のための一般的な指針として「ワシントン・コンセンサス」にまとめられた。
「ワシント
ン・コンセンサス」の作成にはアメリカ政府、国際金融機関、国際的なシンクタンク区間
が参加した。その骨格は、
(イ)財政規律の強化、
(ロ)財政改革(累進課税の緩和など)、
(ハ)金利自由化、
(ニ)為替相場の市場化、(ホ)貿易自由化、(ヘ)外国投資の自由化、
(ト)国営企業の民営化、
(チ)規制撤廃、
(リ)財産権の保護、
(ヌ)公共支出の順位付け、
の10点であり、
(ヌ)を除いて新自由主義と分類しえる施策であった。
こうした新自由主義的な経済モデルが採用された場合、各国ごとの特徴はあるものの、
一般的に次のような現象が生じる。マクロ経済面での経済安定と経済成長の実現による経
済水準の底上げと、社会格差の拡大である。これが新自由主義の「功罪」といわれるもの
である。
ラテンアメリカにおいては、イギリスやアメリカに先んじて、1970年代のチリおよ
びアルゼンチンの軍事政権下において、新自由主義的な経済モデルが採用され、他の地域
よりも早く新自由主義の「功罪」に対する認識がもたれた。特に、社会格差の拡大により、
「経済のグローバル化」の恩恵に浴する階層と、恩恵から切り離されて、逆に地盤沈下し
てゆく階層の差が大きく現れた。地盤沈下したのは、貿易の自由化によって破綻した製造
業の中小企業や独立自営農民、安定雇用を失った給与労働者階層である。彼らが中間階層
から貧困層に陥ることで貧困層が増大した。
新自由主義が必然的に社会格差の拡大をもたらすのか、という点に関して、あるエコノ
ミストは次のように述べて、否定的な見解を表明している。マクロ経済面で経済成長が達
成できれば、
「低所得者層の実質所得が上昇し、格差が縮小する」と。しかしこの主張にお
いては経済成長の段階に入れば給与水準は上昇するため格差は縮小すると、給与水準の増
減を判断基準に論じられているに過ぎず、新自由主義モデルの下で実施される労働法制改
革の結果、不安的雇用が拡大するという構造的な格差拡大が生じる側面が無視されており、
総合的な反論にはなっていない。
他方、新自由主義の経済モデルの採用した政権は、極貧層に対しては特定の地域や特定
の集団に対して集中的な経済的・社会的支援を行ったために、彼らは極貧層から脱して貧
困層に上昇した。こうして、新自由主義の経済モデルの下では、貧困層が構造的に増加す
る一方で、極貧層が減少するという現象が生じた。ペルーのフジモリ政権(1990~2
000年)において貧困対策がなされたというのは、このような貧困対策が政治的目的で
行われたために、極貧層から脱した階層が支持しているにすぎず、地盤沈下して貧困層に
没落した大半の階層は、新自由主義的な経済モデルを批判する中心的な階層になっている。
二、チャベス・ベネズエラ政権
ベネズエラでは、1958年に「プント・フィフォ」
(地名)と呼ばれる民主行動党(A
D)とキリスト教社会党(COPEI)の二大政党が中心となった民主体制が成立し、民
主的手続きによって二大政党間で政権交代が継続するラテンアメリカでも有数の長期的な
民主体制が1998年まで続いた。しかし、その民主体制も内実的には、石油収入の増収
によるばらまき政策で、農民、先住民、黒人、バリオと呼ばれる敏の貧困者移住地域に住
む最下層の不満を表面的に抑え込む、協定と談合によって選ばれたエリート層による排他
的なルールに基づく擬制的な民主体制に過ぎなかった。
1988年に発した経済危機を契機として登場したペレスAD政権は第2インターナシ
ョナルに加盟するAD出身で、選挙運動期間中には新自由主義経済モデルに反対していた
にもかかわらず、政権発足後は新自由主義経済政策を採用しIMFの融資条件を受け入れ
た経済調整策を打ち出した。その結果社会格差がさらに拡大して、1989年2月末から
3日間、100万人以上におよぶ群衆が首都カラカスの街頭に出て「カラカッソ」と呼ば
れた暴動を起こし、出動した国軍による鎮圧により非公式には2000人以上の死者を出
した。その後、1992年2月に汚職事件が発覚してペレス政権の信頼は低下し、当時空
挺部隊司令官であったチャベス中佐(現大統領)が指揮した革新青年将校団によるクーデ
ター事件が発生した。クーデターは鎮圧され、逮捕されたチャベスは1994年に釈放さ
れ、以後「ボリバル革命運動(MBR)
」を組織して民主的プロセスを経た社会変革を目指
し、さらにより広範な勢力を結集して「第5共和国運動(MVR)1998年11月に実
施された大統領選挙に圧勝して、1999年2月にチャベス政権が発足した。
チャベス政権は、当初から政策課題を民意の判断を問いながら政権運営を進める路線を
とってきた。まず選挙公約であった憲法改正をめざし、同年4月に制憲議会選挙の実施可
否を問う国民投票を実施、88%の支持をえて、同年6月制憲議会選挙を実施(131議
席中119議席を獲得)
、同年8月から始まった制憲議会で新憲法を採択、同年12月に新
憲法を国民投票にかけて71%の支持をえた。
次に2000年7月に新憲法に基づいた大統領選挙を実施して、チャベス大統領得票率
59.5%で再選された。その後行われた選挙を含めて、政権発足後に計11回におよん
で民意の判断を図り、徐々に変革を進めた。新憲法の特徴は、(イ)市民的権利のほか、社
会権、生存権、少数民族の権利を含む人権規定の強化、環境権などの社会的な諸権利を拡
充したこと、(ロ)立法・司法・行政の三権に加えて、選挙を統轄する全国選挙評議会と、
オンブスマン(護民官)の5つの権力を規定したこと、
(ハ)国民を主人公とする「参加型
民主主義」を規定したこと、
(ニ)国名を「ベネズエラ・ボリバル共和国」と変更したこと
である。
新憲法の最も特徴的な「参加型民主主義」は、チャベス政権が最も強調しているもので
あり、形骸化しがちな代表制民主主義を補完するものとして、地方分権と、市民が個人と
して、あるいは集団で、要求の調査から政策立案、法案化と予算化、その実行と検証まで
すべての過程に直接参加することを保証している。その予算の立案・実行・監視への住民
参加は、1990年代から10年以上の経験のあるブラジルのポルト・アレグレ市が実践
してきた「参加型民主主義」が参考にされた。
チャベス政権は、ラテンアメリカ独立運動の父であり、ラテンアメリカ統合の先駆者で
あるシモン・ボリバルの思想を受け継いで「ボリバル主義」を掲げるとともに、社会的に
周縁化されてきた先住民や黒人などのマイノリティーもが国家の主体として参加できる国
家モデルを目指して、ベネズエラを多民族・多文化国家と規定した。さらなるチャベス政
権の特徴は、
(a)農地改革や石油採掘権の回復などの経済構造の変革、(b)国民を動員
した教育・医療面などにおける社会政策の実行、
(c)協同組合組織の拡充による非資本主
義システムの拡大、
(d)インフォーマル労働力の組織的動員を通じた支持基盤の拡大、
(e)
国際秩序の変革を目指した代替的な国際関連の推進にある。チャベス大統領はこのような
政権のあり方を、
「正義、平等、人間の成長を成し遂げるための経済を持続される」ための
「経済モデルの変革」を目指すものであると主張する。
(a)に関しては、2000年11月に大統領に付与された法律制定権限に基づいて公
布された経済規則法49法の中の経済基本3法で規定された。その3法とは土地法(民間
土地私有の上限を5000ha とし右水準以上の農地の有償接収、遊休地の接収を規定)
、石
油法(多国籍企業への課税を17%から33%への増税、油田のロイヤリティーの16.
7%から30%への引き上げ、石油採掘外資の合併企業家の強制などを規定)
、漁業権法(零
細漁民の組合設立の奨励、沿岸500メートル以内での大型トロール船の創業禁止などを
規定)である。石油採掘外資の合弁企業化の強制は、石油採掘権のベネズエラ側への回復
を目的としている。
(b)に関しては教育面では貧困に対する無償教育制度の拡充、就学前保育・教育制度
の充実化、中等・高等教育への機会拡大、識字運動の推進が実施され、医療面では「バリ
オ・アデントロ」と称するキューバ型の地域医療制度の整備が推進され、また食料供給面
では低価格スーパーマーケット網の組織化が実施された。
(c)に関しては、
「連帯経済」の理念に基づいて生産および消費の両面における賃金獲
得ではなく協力関係に基づく労働形態によって推進される協同組合網の拡大、およびこれ
と連動して実施される小口融資制度を通じた中小規模の事業形態の促進に表現されており、
非資本主義システムの創造が方向づけられている。
(d)に関しては、支持基盤の拡大と強化を目的として、予備役兵制度の新設によるイ
ンフォーマル労働人口の吸収や、低所得者層の移住地域における住人組織のネットワーク
の形成が実施された。
(e)に関しては、新自由主義的な「経済のグローバル化」の典型的な例である自由貿
易協定(FTA)に対する対抗軸の形成による新国際秩序の再編成を目的とした相互扶助
的で多角的な多国間協力関係の構築が推進されている。例えば、米州自由貿易圏(FTA
A)に対抗するラテンアメリカ地域統合構想である「米州ボリバル主義代替政策(ALV
A)
」が提案された。具体的には、キューバとの連携による文盲撲滅対策、アルゼンチンや
キューバを含むカリブ諸国に対する石油供給協力、チャベス政権が提案した、ラテンアメ
リカ全体における「飢餓撲滅のための同盟(ALCHA)」への100億ドル供出、ラテン
アメリカ諸国間の一次産品・製造業間の連携確立、石油の共同開発を目指したベネズエラ、
ブラジル、アルゼンチン、ペルーの共同出資による「ペトロスル」の設立、巨大メディア
資本に対抗する南米諸国の共同出資による「テレスル」
(2005年10月放映開始、
「南
米のアルジャジーラ」と言われる)の設立が実際に始動している。
さらに南米諸国の主権を擁護するための「南大西洋条約機構(SATO)
」の設立も提案
している。2004年12月にはベネズエラは「南米南部共同体(MERCOSUR)」に
正式加盟した。
また、他地域との関係では中国やロシアとの提携による石油開発・供給関係の確立、イ
スラム諸国との関係強化などBRICs諸国との関係強化を通じた新国際秩序の構築が進
められている。チャベス大統領は、アメリカによるアフガニスタン攻撃とイラク攻撃を批
判しており、ブラジルを中心とするラテンアメリカの反「新自由主義」諸国とBRICs
諸国やイスラム諸国との連携の強化によって、一国覇権主義的なアメリカを軸とする「グ
ローバル秩序」に対する対抗軸の形成を目指している。
このようにチャベス政権は内外政策において、現在の国際環境の中では「ドン・キホー
テ」的ともいえる画期的な提案を多々行ってきた。しかし、国内的には社会変革を目指し
た諸政策が、既得権を有する諸階層の反発を呼び、2000年の経済基本三法の公布以降、
チャベス政権の支持・不支持を軸に政治的対立が拡大した。半チャベス派は二大政党、経
団連(FEDECAMARAs)
、ベネズエラ労働者連盟(CTV)、カトリック教会の中
枢部などが参加する「民主主義調整委員会(CD)
」に結集して、軍内保守派による200
2年4月11日のクーデター未遂事件、同年12月から3カ月間実施された石油部門スト、
2005年8月には大統領罷免国民投票を実施した。しかし、チャベス政権は、いずれも
支持者の街頭動員によって対抗し、さらにその結果を各種の選挙や国民投票の実施という
「参加型民主主義」の方法を通じて国民の過半数の支持を有することを誇示してきた。
チャベス大統領の政権運営を、デマコギーに基づくポピュリスト的な政治と評する向き
もある。左翼運動の中からも「似非左翼」との評価も見られる。たしかに「上からの」変
革から始まったことは否定できないが、種々の施策が実行されてゆく中で、大衆が主体的
に参加する「下からの」変革に満ちたレッテル貼りを行うことではなく、社会的弱者の救
済を目指した反「新自由主義」を掲げる路線がどのように社会構造の変革を達成して、相
対的な社会的分配がより公平な社会をもたらすかを冷静に見ることであろう。
近年の経済動向を見ると、2002年から2003年には反チャベス派による石油スト
等によって経済成長率は大幅に低下したが、2004年は原油価格の上昇を背景にGDP
が15%と近く大幅に上昇しており、その結果財政収入が増加して、公共支出に向けうる
財源が増加している。この傾向は2005年も続いたと推測される。そのため、本年11
月に実施される大統領選挙にむけて、チャベス大統領にとって政権維持に有利な情勢とな
っている。
三、代替的な選択肢は?
以上がチャベス・ベネズエラ政権の政策と政権プロセスの概要である。チャベス大統領
は、2001年からブラジルのポルト・アレグレで実施されてきた新自由主義的な「経済
のグローバル化」に対する「世界社会フォーラム」に参加するとともに、2006年1月
にはカラカスにおける「第6回世界社会フォーラム」の開催に協力するなど、世界的な「反
グローバル化」運動と連携している。
このようなチャベス政権の姿勢に対して、ルラ・ブラジル政権、キルチネル・アルゼン
チン政権、バスケス・ウルグアイ政権、モラレス・ボリビア政権が連帯して協力関係を強
化してきている。2005年11月にアルゼンチンのマル・デル・プラタで開催された第
4回米州サミットの開会演説において、キルチネル大統領は「ワシントン・コンセンサス」
を「破綻した理論」と形容して、これを経済調整策として強要するIMFと、さらに「I
MFを指導する立場にあるアメリカ政府」を批判した。
反「新自由主義」を掲げる諸政権が提示する選択肢は必ずしも一様ではない。それらの
諸政権が推進している道は、反「新自由主義」という点では共通しており、資本主義の最
新段階である「新自由主義」を否定しているとはいえ、どのような代替的な方向性に向か
うのか、まだまだ議論が凝縮しているとはいえない状態にある。
重要なことは、これら反「新自由主義」の諸政権の政策結果を評価する場合、
「経済優先」
の立場から経済的パフォーマンスだけに焦点をしぼって論じることは無意味であるという
点である。そうではなく、どのような人々が政治的主体を形成して変革に着手するのか、
どのようにして社会的弱者を救済して富の再分配をできるだけ平等にする社会を目指すの
か、そのためにはどのような選択肢的なモデルがありうるのかという問題意識を視野に入
れて論じるべきだろう。試行錯誤を繰り返しながらも、経験を蓄積してゆくことが必要で
ある。日本においても、反「新自由主義」を掲げるラテンアメリカの諸政権がどのような
代替的な選択肢を提示しているのか、詳細なフォローが必要になっている。
(3月8日記)