鼓毒皷(乾) (三)二月上堂

提
唱
<提 唱>
塗毒皷(乾)
(三)二旦上堂 (四)涅槃上堂
丸川 春潭 述
(三)二旦上堂
〔師乃ち云く〕
春風浩々 春鳥喃々 春雲冉々 春水満々。時なる哉 時なる哉、時 何ぞ辜
負せん。諸人の東看西看するに一任す。
忽ち箇の漢の出て来るあって、老和尚 ただその時を知ってその節を知らず。
今朝 天 寒く、雪の下ること冬の如し。と、言わば、他に向かって道わん。我
れ一件の事を余して、汝が一問を引き得たりと。
(四)涅槃上堂
僧問う。春色依々 花木芳麗、双樹 何に因ってか一栄一枯なる? 師云く、
古今その如くに見る。僧云く、然らば則ち人天 悉く世尊 所入の三昧を見るこ
と莫しや? 師云く、泥人の眼 赤し。
僧云く、記得す。徳山 一日 齊 遅し。老師 托鉢して方丈より下り来ると。
此の意 如何? 師云く、歩々 荊棘を生ず。僧云く、鐘 未だ鳴らず、鼓 未
だ響かざるに、此の老漢 托鉢して何れの処に向かってか去る? と。又 作麼
生? 師云く、相見 得易きは好し。僧云く、徳山低頭して方丈に帰ると。如何
んが端的を弁ぜん? 師云く、闇室に灯を蔵す。僧云く、岩頭 聞いて云く、大
小の徳山 末后の句を会せずと。却って諦当なりや否や? 師云く、断弦は須く
是れ鸞膠 継ぐべし。僧云く、徳山云く、汝 老僧を肯わざるな?と。意旨 作
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麼生? 師云く、誰か知る、只 是れ璧を受くる心のみなることを。僧云く、岩
頭 密に其の意を啓すと。作麼生? 師云く、瀟湘の景を観尽して、船に和して
画図に入る。僧云く、徳山 次の日 上堂、果して尋常と遥かに異なると。如何
が理会せん? 師云く、法 出でて奸 生ず。僧云く、岩頭 掌を拊して、大衆
に謂って云く、且喜すらくは、老漢 末后の句を会せりと。意 何れの処にか有
る? 師云く、事 久うして変 多し。僧云く、学人 今日、小出 大遇と云っ
て便ち礼拝す。師云く、両肩に担って帰り去れ!
(三)二旦上堂
二月の一日の朝の上堂であります。毎月ではありませんけれども、一日と十五
日には上堂がある場合が多い。今朝は朝から雪が降っていたようです。この日の
上堂には問答がなくていきなり提綱がはじまったのです。
[師乃ち云く]春風浩々 春鳥喃々 春雲冉々 春水満々。
春風駘蘯な春景色を述べられた。現に朝から雪が降っているというのに、それ
には全然触れずに春景色を一望に眺められた。春風がソヨソヨ吹き渡る中、鶯が
啼く、暖かそうな雲が浮かび、水ぬるむ川が春の小川をうたっている。いかにも
長閑な景色であります。
時なる哉 時なる哉、時 何ぞ辜負せん。諸人の東看西看するに一任す。
年々歳々、時を違えず、如月になれば梅の花が咲き、神無月ともなれば時雨が
降る。誰がどうするわけでもないが、寸分の狂いもない。
「時なる哉、時なる哉、
時 何ぞ辜負せん」
、辜負というのは、何にも背くことはない。その通りに、時は
その時節を間違いなく展開する。
遠慮は要らない。春風に誘われる足の向くままに遊山するもよかろう。
「諸人
の東看西看するに一任す」
。スカイツリーに、あるいは御台場に行っても、あるい
は上野の山にでも、好きなところへ行くがよろしい。と云えば、
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忽ち箇の漢の出で来るあって、老和尚 ただその時を知ってその節を知らず。
今朝 天 寒く、雪の下ること冬の如し。と、言わば、他に向かって道わん。
自問自答ですね、これは。実際にこういう坊さんが居たわけじゃなくて、大灯
国師が自分でこういうふうな坊さんが出て来てこういうふうに問うたら、という
ことで提綱を完結させようとするわけであります。
今まで雪については全然触れないで頻りに春景色ばかり称えている魂胆がこ
こにある。会下のきかん気の坊さんが飛び出して来て、
“和尚よ!春の景色ばかり
じゃないじゃないですか、今朝はもう雪が降って寒くて堪りません”と。このよ
うに問う者が出てきたら面白い。これについて何と応えるか? われ「他に向か
って道わん」と。
我れ一件の事を余して、汝が一問を引き得たりと。
そういう者が出てきたら俺はこう云い返してやろう。
“そう何もかにも言って
しまったんでは、実も蓋もないじゃないか”と。
“だから雪のことはわざと触れな
いでおいて、お前みたいなかしこい奴が出て来るのを待っていたのじゃ。
”と。こ
れで宗旨が完成した、というわけで、簡単で要領を得た上堂になったのですが、
したらば完成した宗旨とは?
(四)涅槃上堂
次に、第四 涅槃上堂に進みますが、この則がすごい則であります。
涅槃上堂というのは、世尊が涅槃に入られた日の上堂、二月十五日は世尊が帰
寂されたいわゆる入滅の日。旧暦でありますから三月の半ばごろという、そろそ
ろ桜前線もニュースになろうかという春めいた好季節であります。
僧問う。春色依々 花木芳麗、双樹 何に因ってか一栄一枯なる? 師云く、
古今その如くに見る。
依々というのは、ものやわらかなありさまの形容詞。今や春爛漫で、万朶の桜
か雲か霞かという好季節に対して、この「双樹 何に因ってか一栄一枯なる?」
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と拶せられた。これには逸話がありまして、それがわからないと何のことかわか
らない。
「双樹 何に因ってか一栄一枯なる?」これは世尊が入涅槃の時、抜提河とい
う河の畔りで入涅槃となった。その河の畔りに沙羅双樹の樹が二本あり、この一
本の樹は青々と栄えており、一本の方は葉を垂れて枯れてしまったという伝説が
ある。それをここに引っ張り出して来て「僧問う。春色依々 花木芳麗、双樹 何
に因ってか一栄一枯なる?」
というふうに問答としてもって来たわけであります。
「師云く、古今 その如くに見る」
。
“昔から多くの者が迷える眼をもって、栄
枯盛衰の沙汰ありと見ておることであるわい!”と突き放し、大道の根源からば
っさりと切られた。大道の根源には栄枯もなければ、生死もない。それこそ、円
寂の大涅槃である。一栄一枯の処に向かって、世尊の入涅槃を見ようとしては見
えない。
僧云く、然らば則ち人天 悉く世尊 所入の三昧を見ること莫しや? 師云く、
泥人の眼 赤し。
「世尊 所入の三昧」というのは、大寂禅定 大涅槃であります。
“
「然らば則
ち」栄枯もなく、生死もないところのご意見のように見えますが、それでは「人
天 悉く」
、猫も杓子も皆なべて、すべて大涅槃を得ていることになります。如何
なものでございましょうか?”と。この坊さん、全然その涅槃という大寂禅定と
いうものがわかっていない。
小乗仏教では涅槃を滅度と解釈し、大乗仏教では涅槃を円寂と解釈している。
滅度というのは文字通り栄枯盛衰を滅尽くした境涯、これは本当の「世尊 所入
の三昧」ではない。円寂というのは、栄枯盛衰がそのまま大涅槃である。これに
対して「世尊 所入の三昧」を引いて問いを発する僧は、間違いなく小乗仏教の
滅度を涅槃と心得ての質問である。それを見て取って、大灯国師云く「泥人の眼赤
し」と。
“お主、無眼子で何も見えていない!”と切られた。
“貴様のような無眼子
に世尊の悟りがわかるものか!”というわけであります。
ところがその無眼子の坊さん、突拍子もない古則を取り出した。まさにそれこ
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そが、無眼子なことを白状しておるようなものであります。この恐ろしい則をわ
けもわからずに取り出してきた。そして、それに対する大灯国師の一つ一つの答
処が、また実に素晴らしい。
この「徳山托鉢」の則は人間禅の「瓦筌集」196 則であります。これは寒毛卓竪
の則であります。室内で見たといっても、見解を知っているといっても、その真
髄は容易に我がものとすることは出来ない。よほど深い三昧の境地に入り込まな
いと、うわっすべりになってしまい勝ちであります。特に、理でもって、宗旨で
もって、知見解でもって見ただけではとてもとてもその深さは見えていないとい
うものです。解ったように思っているかもしれないけれども、全然遠して遠して
というところになるわけであります。室内では一応は見たと云うだけで、そこか
ら聖胎長養の深い三昧の行取により、幾度も落所を経ないことには真意に達しな
いのであります。とにかく、
「世尊 所入の三昧」
、大寂禅定の境に入ってしまわ
ないと、上っすべりの知見解になってしまう。そうすると、人間形成の禅という
ことにはならないのであります。
僧云く、 既得す。徳山 一日 斎 遅し。老師 托鉢して方丈より下り来る
と。此の意 如何? 師云く、歩々 荊棘を生ず。
僧云く、鐘 未だ鳴らず、皷 未だ響かざるに、この老漢 托鉢して何れの処
に向かってか去る?と。又作麼生? 師云く、相見 得易きは好し。
「徳山 一日 斎 遅し」と、典座の支度が遅れたのか、徳山和尚が板木を聞き
違えたか、とにかく食器をもって方丈から食堂へとトコトコ下りて来られた。
「此
の意 如何?」
「師云く、歩々 荊棘を生ず」
。恐ろしい鬼徳山のお出ましである。
ノコノコと、如何にも無造作な足取りであるが、その一歩一歩が凄ましい。
「念々
正念歩々如是」
。
この当時、雪峰が典座係長をやっていました。師家であろうと何であろうと、
板木が鳴らないのに食堂に入って来るのは、清規に背く。責任者として見過ごす
ことはできぬ、ということで咎めた。
「鐘 未だ鳴らざる、鼓 未だ響かざるに、この老漢 托鉢して何れの処に向
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かってか去る?」と切りつけた。で、これはどういうことでございましょうか?
と、僧が訊ねた。
「大灯国師云く、相見 得易きは好し」
“出会い頭に一本きめつけたのは上出来
だ。
”と云われた。一見肯われているようですが、この真意の程は?
僧云く、徳山 低当して方丈に帰ると。如何が端的を弁ぜん? 師云く 闇室
に灯を蔵す。
弟子の雪峰にきめつけられて、徳山大和尚いかにもテレ臭そうに低頭して(頭
を垂れて)スゴスゴと方丈へ引き返された。あれはどういうご仔細でありましょ
うか?「如何が端的を弁ぜん?」
「大灯国師云く、闇室に灯を蔵す。
」
「闇室に灯を蔵す」は著語(既に公知になっている詩歌・語録)でありますが、
こういう著語がなければ、その宗旨を表現することも、見ることも出来ない。著
語というのは本当に大切であります。進めば進ほど深くなれば成る程、著語とい
うものが非常に大切になります。
「闇室に灯を蔵す」
。スゴスゴと方丈へ引き返された。その後姿を見て「闇室
に灯を蔵す」と著語された。はじめはノコノコと来られ、今度はスゴスゴと去ら
れた、といっても別に足取りには変わりはないけれども、今度の低頭して方丈に
帰るには恐ろしい魂胆がある。
初めは芳草に従って去りまた又落花を遂うて回る。
この最初ノコノコと出てきたその境涯と、スゴスゴと方丈に帰っていく境涯と、
これ同かこれ別か。
これを「闇室に灯を蔵す」ということでもって味わうわけであります。最初ノ
コノコと出て来られたのに対しての「念々正念歩々如是」と、スゴスゴと去られ
たのに対する「闇室に灯を蔵す」との味わいの違いを、自分で味わい分け見分け
なければ、折角の大灯国師の著語が生きてこないというものです。
そして更にこの著語を通してこの徳山の境涯に迫ることが出来ないというも
のであります。初めは「歩々 荊棘を生ず」でありますが、今度はノコノコと出
て来たのに対する「闇室に灯を蔵す」であります。スゴスゴと引き上げられた方
がゾッとする恐ろしさが加わるわけであります。
単なるウスボンヤリでもないし、
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無分暁、只の真っ暗闇では勿論ないのであります。
「闇室に灯を蔵す」で、恐ろし
い密付底の仏祖の慧命を自ら蔵して、
傍から垣覗きが出来ない場なのであります。
僧云く、岩頭 聞いて云く、大小の徳山 末后の句を会せずと。却って 諦当
なりや否や? 師云く、断絃は須く是れ鸞膠 継ぐべし。
雪峰の兄弟、兄弟子の岩頭に雪峰が、実は今晩、夕食に親爺が合図も未だ鳴ら
ない内に食堂にノコノコ下りて来たから、まだ鐘も太鼓も鳴っていないのに何し
に出てこられたのじゃ、まだ食事開始の板木は鳴っていないぞ!と云ったら親爺
スゴスゴと引きあげてしまわれたんですわと、この一部始終を話された。
これによって、徳山の有名な末后の句というものが誕生するわけであります。
「大小の徳山 未だ末后の句を会せず!」と、岩頭が切って放った。
それに対して問答の坊さん「却って諦当なりや否や?」“あの岩頭の言い分は、
あれで宜いのでございましょうか?”と大灯国師に尋ねられた。これに対して大
灯国師、
「断弦は須く 是れ鸞膠 継ぐべし」と著語で応えられた。この著語は大
智禅師の偈頌であります。これもピタッとした素晴らしい著語です。
この著語は、岩頭を肯ったというところでもありますけれども、単なる肯がう
ということだけではない。
「断弦は須くこれ鸞膠 継ぐべし」というのは「千年の
古曲 人の調べる無し 断弦は須くこれ鸞膠 継ぐべし」で、琴の糸というのは
一旦切れると、もともとピーンと張って音が出るもんで、そうとう張力がかかる
ものですから、プツンと琴の糸が切れたらもうそれで使いものにならないという
のが相場なんですけれども、一つだけ例外があって、鸞の髄から採った膠だけは
断絃を継いでまた琴の糸としていい音色を出すことが出来る、修復することがで
きるということになっているのです。
「断絃は須く是れ鸞膠 継ぐべし」の鸞膠とは、はたして何を指すのでしょう
か?
鬼徳山と云われる師家に対して、
「末后の句を会せず」と縄を入れた岩頭も生命
がけであります。
“一髪千鈞を引く”という語もあります。正に鸞膠にして初めて
継ぐべしであります。
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僧云く、徳山云く、汝 老僧を肯わざるな?と。意旨 作麼生? 師云く、誰
か知る、只 是れ璧を受くる心のみなることを。
岩頭の批判的な口吻が徳山親爺の耳に入ったから、これは一問答起こらずんば
済まないというところです。
〔山 聞いて、侍者をして岩頭を喚び来たらしめて云く〕
「汝 老僧を肯わざ
るな?」
“貴様は俺を喰い足りないとでも申すのか?”
「師云く、誰が知る、只 是れ璧を受くる心のみなることを」
。師曰く、これは
大灯国師であります。この「璧を受くる心」には故事があって、昔 趙という国
に実にすばらしい璧があった。その当時、支那四百余州には知らない者がいない
といわれるくらいすばらしい璧があって、その璧を秦の王様が欲しがり、国と引
き替えにその璧をくれということを申し込んだ。その約束の下に、趙の使節は璧
を差し出したんだけれども、秦の王様は璧を取っただけで、いくら経っても国を
やるという約束を果たさなかった、という故事がある。この後もいろいろ話は続
くのですが長くなるから以下は省略しますが、そういう故事を踏まえて、
「誰か知
る、只 是れ璧を受くる心のみなることを」と云われた。大灯国師は、徳山の肚
は言葉の表面とはまるきり違うことを言っているのだぞ、
といわれた。
すなわち、
貴様は俺が喰い足りないのか、
「汝 老僧を肯わざるな」と云っているけども、こ
れは言葉の表面であって、これについて回っていたのでは真意を取り逃がしてし
まうぞ、ということを「誰が知る、只 是れ璧を受くる心のみなることを」と云
ったのであります。大灯国師は、徳山の肚は表面とはまるっきし違うぞ、と申さ
れた。この僧に対して色々云っても、徳山の行履、徳山の境涯というものは拝め
るもんじゃない。
鸞膠と見立てられた岩頭にしたって、氈拍板・無孔笛のどうしようもない、い
かんともし難い境涯であります。こういう二人の出会いですから、このやりとり
は余ほど深くそこに入り込まないことにはわからない場であります。
「もし同床に伏せずんば、如何でか被底の穿たるるを知らん」ということであ
ります。
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この出会いは、お互いに深い境涯にあって、共に肚を許した者同士のやり取り
でありますから、傍からはとても垣覗きが出来ないのです。
「末后の句」というも
のはそういうもんです。
僧云く、岩頭 密に其の意を啓すと。作麼生? 師云く、瀟湘の景を観尽して、
船に和して画図に入る。
これがまたすごいところであります。
「岩頭 密に其の意を啓す。
」
これまた室内の見解として見たとしても、本当にこの真意を、なる程と受けと
るのは容易ではないところです。それを大灯国師のこれに対する著語「瀟湘の景
を観尽して、船に和して画図に入る」を手がかりに、
「岩頭 密に其の意を啓す」
の仔細の匂いを嗅ぐべしなのです。この著語を手がかりに、
「密に其の意を啓す」
に迫っていく。これはそういう著語なのであります。どうですか?「岩頭 密に
其の意を啓す」の匂いがしますか?
昨日の提唱に、
「石人 相い耳語す」という語が、
「三人亀を証して龞と作す」
というところにありました。
「石人 相い耳語す」が判れば、
「密に其の意を啓す」
も判るというものですが、真意はやはり徳山や岩頭と同じ境涯にまで磨り上がっ
てこないと、何のことやらわからないものです。
「石人 相耳語す」とは、両方とも石のお地蔵さん、お地蔵さん同士が耳打ち
をしていると云うのです。
「石人 相耳語す」という言葉も本当に味わい深いもの
があります。
これはどういう子細がありましょうかという例の坊さんの問いに対して、
「大
灯国師云く、瀟湘の景を観尽して、船に和して画図に入る」と。
これは著語ではなくて大灯国師のオリジナル、創作の句のようです。この句は
古来より、語句の妙と云い、宗旨の力と云い、大変な評判です。白隠老漢も、こ
の大灯国師の偈頌は、この問答の時にパッと出て来た句じゃないだろう、後から
ゆっくりじっくり考えて付けた語じゃないか?とさえ云われるほど素晴らしい、
という評判の偈頌であります。
「瀟湘の景を観尽して、船に和して画図に入る」と同じ宗旨の俳句があります。
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耕雲庵老大師の『句津籠』に昭和 35 年 10 月熊本県の球磨川下りで「朝霧やわれ
舟共に画図に入る」という句が残されています。
「瀟湘の景を観尽して、船に和し
て画図に入る」
、瀟湘というのは湖南省にある川で、瀟湘八景という非常に景色の
よいところ、文人墨客の遊ぶ者が多かった。「瀟湘の景を観尽して、船に和して画
図に入る」。船でずうっとその瀟湘の景を観ながら、そして自分も船も諸共にその
瀟湘の景の中にずうっと入っていく。その景色の中に溶け込んでいく。密に其の
意を汲み取り味わう以外にはないところです。
禅の奥儀の深い境致を、
「岩頭 密に其の意を啓す」だけではなかなか味わえ
ないけれども、先ほども云いましたように、大灯国師の偈頌によって「密に其の
意を啓す」の真意に迫ることができる。もちろん、迫るにしても、単に文字の上
ではなく、全身、頭の素天辺から足の爪先きまで、昨日の提唱から申しておりま
す大寂禅定に入って「この瀟湘の景を観尽して、船に和して画図に入る」から「密
に其の意を啓す」にずうっと迫っていく。その香りというものを嗅ぐ。禅学では
夢にだに許されない妙境があるのです。
仏々祖々が密付して来られたからこそ、禅は人間形成そのものの最高峰、人類
の残した精神文化の最高峰として今日に来たっているのだということを改めて臆
い、寒毛卓竪し合掌するのであります。改めて衷心より思うのですが、末后の句
というのは容易ならざるものであり、軽々に領下するものでは決してないのであ
ります。
以上で、この則の主眼はもう大体尽きており、後は余裕です。ザッと講じてお
きます。
徳山 次の日 上堂、果して尋常と遥かに異なると。如何が理会せん? 師云
く、法 出でて奸 生ず。
之は眉唾です。
「如何が理会せん?」と問うてみたところで、どうなるもんじ
ゃない。
「師云く、法 出でて奸 生ず」
。これは法令が細かくなり、繁雑になれ
ばなるほど、巧みに法網をくぐり抜けようとする奸賊が殖えるというものじゃ、
もう一番肝心要のところはもう済んどるんだから枝葉末節に拘泥すると、肝心要
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のところを取り逃してしまうぞ、というくらいのところでありましょう。
僧云く、岩頭 掌を附して、大衆に謂って云く、且喜すらくは、老漢 末后の
句を会せりと。意 何れの処にか有る?
岩頭も人を喰ったことをやるわけですけれども、僧堂の前で、手を打って呵呵
大笑して、大衆に向かって云い放った。幸いなことには、老漢も遂に、末后の句
を会得されたわい!と。これは昨晩の文言とは 180 度違うことを云い放った。こ
の岩頭の肚は、何処を睨んで云っているのでありましょうか?
国師云く、事 久しゅうして変 多し
末后の句も時代がだんだん経過すると、誤解する莫迦者が、あるいは浅薄なと
ころで見解がどうこうのと禅学して誠に嘆かわしいことで、本当の末后の向上と
いうものは、とても肚知る者はいなくなってしまったわい!「事 久しうして変
多し」と。
僧云く、学人 今日、小出 大遇と云って 便ち 礼拝す。師云く、両肩に担
って帰り去れ!
これは例の謝語ですね。先日も申しました予め決まっているお礼の言葉。私が
今日一寸出ただけなのに、いろいろと有難いご指導を賜りまして、大変大きな拾
いものをいたしました。本当にありがとうございました。
「小出 大遇」というわ
けであります。
「師云く、両肩に担って帰りされ!」本当に判かっているのか? しっかりも
って帰れよ!
こういう則を講じるということは、一期一会といいますか、本当に二度とない
と云う思いになります。こういう提唱における大灯国師の語あるいは偈頌あるい
は著語に、耕雲庵老大師の導きによって迫り、そしてさらに徳山あるいは岩頭、
そういう磨り上がった古仏の境涯に迫るまたとない恵まれた一期一会であります。
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もう本当に身の毛がよだつといいますか、ゾッとする、そして本当に修行の、何
というか、ありがたさというか、禅というものの本当の凄さというものを噛みし
め、法喜善悦を感じ、胸の熱くなるのを禁じ得ないのであります。最後に、いく
つか著語をのべて、終わりにしたいと思います。
「闇室に灯を蔵す」
「始めは芳草に随って去り 又落花を逢うて回る」
「千年の古曲人の調べる無し 断弦は須くこれ鸞膠 継ぐべし」
「石人 相い耳語す」
「瀟湘の景を観尽して、船に和して画図に入る」
本日はここまで、ハイ。
■著者プロフィール
本号6頁参照
※編注
「塗毒鼓」
は、
碧巖集とか槐安国語などのように昔からある固有の書名ではなく、
耕雲庵老大師が自ら編集し名づけ提唱されたものです。仏光国師と大灯国師の膨
大な語録を自分流に編集され、
老師がオリジナルとして戦前から提唱を始められ、
1970 年代前半に人間禅誌に掲載されました。人間禅が後世に残す素晴らしい法財
です。耕雲庵老師が提唱を終えてから 60 年経った今日、法孫である葆光庵老師
が、その提唱録を提唱されましたので、編集部の責任において録音させて頂きま
したので、提唱を聞かれなかった方々に味わって頂きたいと思い掲載させて頂い
ております。
(編集部)
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