4.「地域支援」という課題取り組む

4.「地域支援
.「地域支援」
地域支援」という課題
という課題取
課題取り組む
折井 誠司
(八王子市 私立 誠美保育園)
にぎやかな朝の登園も一段落、本格的な活動に入る前の一瞬の静けさの中、カジュアルないで
たちの母親に伴われ、色とりどりのベビーカーが続々と到着する。園舎外周に順序よく並んださま
は、まるで見本市のよう。どれひとつとして、同じ型、同じ柄はない…夫婦で選び抜いたお気に入り
の一品なのだろう。玄関をくぐるようすも、早朝の親子とは明らかに違い、よちよち歩く子どもの好奇
心にまかせ、時間かけてようやくお部屋にたどり着く。「お久しぶりね」と行き交う職員とも少し肩の
力を抜いた会話が交わされている。
一昔前なら、何の事?と思われたこうした場面も、今では保育園の朝の一コマとして、違和感を
持つ人はいないのではないでしょうか。地域の子育ての拠点として、開かれた保育園へ…こうした
社会的ニーズに対し、手探りで取り組んできたこの 10 数年。地域が担ってきた子育てとは何か?
育児力を奪うことにはならないか?今のスタッフで何ができるのか?そうしたことへの自問自答の年
月であった気もします。いまだその途上、思案の日々ではありますが、あらためてこれまでの取り組
みを振り返り、保育園における地域支援というテーマをもう一度考えてみたいと思います。
ニュータウンという
ニュータウンという街
という街で
当園の立地するニュータウンはいわゆるベッドタウン、そのほとんどが核家族。そこには、おとな
同士の関わりのぎこちなさやよそよそしさ、そしてそれぞれが抱えるなんとも表現しにくい寂しさがあ
ります。昼間は働き盛りの男性の姿は消え、夜になれば立ち並ぶ高層マンションの窓に一斉に灯
が灯り、企業戦士たちの帰還を出迎えます。高台に立てば、眼下に広がるその光の粒の拡がりは
見事なものです。一見きらびやかな無数とも思える光の粒たち…。ひとつひとつは一生懸命輝いて
いるのですが、星座としてひとつの物語を紡ぎだすことができない…、そのような地域といえるのか
もしれません。
父親など仕事を持つものは、職場から広がる人間関係によって社会へのつながりや所属感を得
て心の安定を保っています。いわば、職場がもうひとつの地域なのです。平日は職場という地域社
会に身を置き、週末はそのわずらわしさから開放され、しがらみのない自由気ままなひと時を過ご
す。ベッドタウンとは、実は人との濃密なつながりから一時的に開放される場所なのかもしれませ
ん。
その一方で、子育てをしている母親、そして子どもたちは、24 時間、この街で時を過ごしていま
す。専業主婦である母親の孤独感は、社会とのつながりを感じにくいことにあると言われますが、職
場に出た人たちには、忙しい日中にふと手を止め、この瞬間、あの街で、家族がどんな時を過ごし
ているのかに思いを巡らせることはなかなか難しいものです。
サラリーマン社会全盛となる以前、交通機関が発達する以前は、畑仕事や商店、工場など自宅
やその周辺で働く人も多く、日中に我が子やその友だちの姿を見かけ、その周辺で巻き起こる出
来事を共有できました。仕事においても、地域とのつながり方が死活問題にもつながるという切羽
詰った部分もあったのではないでしょうか。そういった、地域での体験の共有や、生計を支えるため
の必然性をも失った今、地域に対する意味や期待について、家族の中でさえずれが生じてしまう
のも当然のように思います。
ただ、ひとつ言えることは今も昔も、地域に「居る」ものにしか地域は作れないということ。日中、
地域に「居ない」ものに期待するのではなく、「居る」ものが、地域のある部分を積極的に動かしてい
く…これが、これからの地域のあり方なのだとするならば、地域に「居る」保育園が子育て・子育ちの
側面から何らの参画をすることは、ごくあたりまえの話で、むしろ、その専門性を生かすことで、地域
の機能を深化させることも期待してよいのではないかとも思います。
地域子育て
地域子育て支援
保育園は家庭でもなければ、地域住民でもありません。少し寂しいようですが、その特殊性こそが
意味を持つのです。これまでも、当園も含め、多くの園でいろいろな機能を地域に提供してきまし
た。
1)保育園の
保育園の機能を
機能を活かす
●公共性を活かす…親子が集える場(子育て広場、園庭開放など)、子育てに関する情報(会
報、チラシなどの配布、掲示)
●専門性を活かす…子どもに関する相談窓口、子どもに関する学びの場(講座開催、講師派
遣、出張保育、論文提供など)
●子ども集団の場を活かす…保育体験の場(未就園児家庭、社会人、学生など)、子ども観察
の場(研究、調査など)
これは地域に対し、保育園という「場所」にとどまらず「機能」を提供し、活用してもらう取り組みで
す。もちろん、これらは一定の効果をもたらしてはいますが、こうした活動を通してこの地域の十数
年を振り返ってみると、数は増えたものの、似たようなメニューが散在し、我々自身も、他園や他機
関の活動を案外把握できていないことに気づきます。家庭の点と点がつながっていないと嘆いてい
たにもかかわらず、気がつけば、自分たちも同じことを繰り返していたということです。点を増やして
地域を支える面を作ろうとすれば、おのずと限界は訪れますが、点同士が結びつけばそこに新し
い機能が生まれます。そういった発想がなければ、厚みのある支援は行えません。
2)機能をつなぐ
機能をつなぐ
このように、単に園内で支援メニューを揃えるだけでは地域を「つくる」ことに対して消極的な印象
は拭えません。厚みのある支援を行うために、次に目指す展開は「つなぐ」ことです。ささやかでは
ありますが、当園でも次のようなことを試みを始めています。
●地域に眠る専門性をつなぐ…「0 歳児の母親支援」を目指す地域の助産師グループに活動
場所を提供し、育児相談と 1 歳未満児の一時保育を実施。それぞれ単独では成し得なかった
新たな機能を実現する。
●地域のボランティアをつなぐ…「家庭」、「保育園・幼稚園・学校」に続く第三の子どもの居場
所を地域に作ることを目指すボランティア団体に協力。乳幼児専門機関として、子育ての情報
提供、行政とのパイプ、専門的アドバイス、他機関の紹介などを行い団体活動全体を支援す
る。
●地域の発達障害児童と専門機関をつなぐ…地域の発達障害家庭を支援するNPO団体と
協力し、敷居の低い保育園という場所に出張の相談窓口を設けることで、発達障害に悩む家
庭に対する支援の間口を広げる。
地域の人材、機関がつながることで、単独では成し得なかった新しい機能を生み出すことができ
ます。できてしまえば、簡単に見えますが、そこに行き着くまでの過程は人間的な関わりそのもので、
園外で出会うことが全ての始まりでした。当たり前の話ですが、つなぐ、つながるといった関係は、
実際に知り合うこと、顔と顔を合わせることであり、それも、自分の施設においてホストとゲストという
形ではなく、地域というフィールドで対等な関係でつきあうことで初めて生まれるものです。
現代に至るまで、多種多様な職種が誕生し、家庭や地域の中に混然一体となっていた機能が
次々と分業化、専門化、効率化、深化されてきたことが近代化だとするならば、今や人を育てる、支
えるいった社会福祉的な行為も新しい局面に立っているのかもしれません。かつて、地域の人々
が生きるために地域の中を能動的に動き回っていたのと同じように、地域の専門機関が地域の中
を動き回ることで、地域を作り直すというイメージを持つ必要を感じます。かつても、家の中から手
招きをしていたわけではなく、家の外で、地域の中での出会いの積み重ねが地域を作り上げてき
たはずです。同じように、保育園、幼稚園、学校、療育機関、高齢者施設など分業し専門化されて
いったあらゆる社会的な機能が、再び地域の中で出会っていくことが新しい地域作りのポイントのよ
うな気がします。地域をコーディネートする特別な存在を期待するのではなく、それぞれの機関が
それぞれの立場で地域を動き回りながら、ソーシャルワークを重ねていくことが大事なのではない
でしょうか。
見えない本気度
えない本気度
地域支援は、それぞれの施設の内側で取り組む段階から、施設の外でつながり合う段階へと移
る必要があります。そのためには、地域に出て行くことができる人員の確保が不可欠です。そもそも、
過去を振り返っても、地域支援、子育て支援といったかけ声はかかるのですが、財源を含めたその
条件整備は、あまりに片手間な印象は拭えず、地域の子育て機能の再構築という壮大なテーマに
対し、行政の真剣に取り組む姿勢が伺えないのが本当に残念です。現状の中途半端なコストの掛
け方は、多忙感ばかりを負わせ、形式的なメニューを揃える事で「できた」事とし、おとな同士のごま
かし合いの中、問題の本質や深刻さから目を背け続けるだけです。地域支援に専従できる人員配
置は、保育園のみならず、学校を始めとするあらゆる機関に必要で、それぞれの施設の内側から
「開かれた施設へ」と叫んでいる現状は実に滑稽です。行政としてそれぞれの専門性を信じ、尊重
し、大事に育ててほしいと思います。街作りの基本設計から制度や実施条件に至るまで、少子化問
題、育児支援、少年犯罪、教育問題とあちらこちらで声が上がるわりには、行政側にまるで本気度
が感じられないのは思い過ごしでしょうか。
地域の
地域の新しい担
しい担い手として
子どもができて初めて「地域デビュー」をするのがベッドタウン。日中を地域で過ごす人間が家族
の中に誕生するからです。子どもと出かけた公園でご近所と知り合い、保育園、幼稚園でその輪を
広げ、登下校を心配する時、初めて不特定多数の眼差しに感謝するのです。やがて、自分の足腰
が弱った頃、そのありがたみが身に染みるのかも知れません。しかし、夜にならないと地域に戻れ
ない人々は、感謝を形にする機会はなかなか訪れず、週末に、ここぞとばかり、子どもに地域にと
がんばるのは案外しんどいものです。なぜならそれは、本来、がんばってするものではないのです
から。
昼と夜、平日と週末、2つの地域で時を過ごしそれぞれに応じた役割を演じる…、そんな子育て
現役世代の親たちに、一方的に地域作りの中核を期待するのは酷なことです。まずは、それぞれ
の機関がその専門性を生かし、新たな担い手として地域の底面作りを目指すことから始めるべきで、
その上で、地域の未来の姿を住民を含めたみんなで、もう一度語り合いたい気持ちです。
もしも、夕方 4 時にみんなが帰宅できたら…、そんなことを想像してみました。働く時間が短くなり、
収入は減りますが時間はあります。みんなどんな時間を過ごすのでしょう。子どもとキャッチボール、
散歩、読書、料理、家事。節約のため家財は自分で修理、必要なものは手作りと思うかもしれませ
ん。そして、一年も過ぎる頃、一通りの大仕事はやり終えて、とりあえずの趣味もやり飽きて、かとい
って余暇をつぶすお金はない。すると、ちょっと人と語り合ってみたくはならないでしょうか。お隣さ
んを夕食に招きたくはならないでしょうか。それが、三軒先まで広がった頃、みんなで何かをしたく
はならないでしょうか。最近顔を見ない四軒先のおじいちゃんが気になったり、五軒先の新米ママ
におせっかいを焼きたくならないでしょうか。地域の一人一人が、ささやかで小さいながらも、本物
のつながりを、それぞれの場所で育むチャンスはもう訪れないのでしょうか。地域の機能に本気で
期待するのならば、様々な機関が繰り出す支援策に期待するばかりでなく、働き方を含めた社会
全体の枠組みを見直し、一人一人が地域作りに関わるきっかけを掴めるような、新しいライフスタイ
ルを目指す必要はないのでしょうか。そういった兆しを少しでも感じることができるのなら、私たち保
育園も、今をがんばっていける気がするのです。