提言 定時人工授精についての提言 宮崎大学農学部 教授 大澤 健司 はじめに 乳用牛、肉用牛を問わず発情発見率(=人工授精実 施率)の低下が叫ばれて久しいですが、その原因の一つ が牛群規模の拡大です。国内の繁殖肉用牛の一戸あた り飼養頭数はこの四半世紀で約 4 倍に増加しました。当 然のことながら一人あたりの発情観察すべき個体の頭数 も増えています。個々の繁殖管理者の発情観察技術を向 上させることはもちろん重要ですが、メガファームやギ ガファームの中には対象牛全頭に対して発情観察するこ とが物理的に困難な状況になっているところもあります。 人工授精実施率を高める方法として、排卵同期化処 置による定時人工授精があげられます。定時人工授精 プログラムは、ホルモン製剤の組み合わせ投与により 排卵時刻を同期化することで発情発見することなく、 処置した個体の全頭に授精するもので、一定の受胎率 を得つつ、人工授精実施率が100%であることから妊 図1 過去10年間の米国のホルスタイン種経産牛 における分娩間隔と初回授精受胎率の推移 Reproductive status of cows in Dairy Herd Improvement programs and bred using artificial insemination(2013) (H.D. Norman, L.M. Walton, and João Dürr)より抜粋 (https://www.cdcb.us/publish/dhi/current/reproall.html) 娠率の向上が図れるということで、国内外において普 及されている技術です。興味深いことに、定時授精プ ログラム発祥の地である米国のホルスタイン種経産牛 オブシンク において過去10年間にわたり初回授精受胎率がほぼ変 数ある排卵同期化処置・定時授精プログラムの中 わらない中で、分娩間隔が短縮し続けています(図 で、いわゆる原型となるプロトコール(図 2 )であ 1) 。また、初回授精時の分娩後日数についても2003 り、丁度20年前に発表されました(Pursleyら1995) 。 年から2012年にかけて12日間減少しています。乳量が プロスタグランジンF 2 α製剤(PG)投与の 7 日前と 2 増加の一途を辿っている状況下でこれらの繁殖成績の 日後にGnRH製剤(GnRH)投与、 2 回目のGnRH投与 指標が好転しているのは、定時授精プログラムの浸透 の16 ~ 20時間後に定時人工授精するものであり、任 が寄与している部分が大きいと言えます。 意の発情周期から処置を開始して発情発現の有無にか 一方、プロトコールの多様性から、応用方法につい かわらずに決まった時間帯に授精するものですが、 ての理解が現場において十分に進んでいない側面も否 1990年代後半以降、牛群規模が特に大きい北米および 定できません。そこで本稿では、利用場面別に応じて 南米を中心に劇的に普及しました。オブシンクの基本 適切なプロトコールを選択することができるように、 的考え方(理論的根拠)は以下の通りです。 各プロトコールについて概説します。各プロトコール 1 )卵胞ウェーブの同期化:最初のGnRH投与時に主 の特徴と留意点を表 1 に示します。なお、複数のホル 席卵胞が存在していればその主席卵胞の排卵が誘 モン製剤投与の組み合わせによる排卵同期化処置およ 起され、その結果GnRH投与後1.5~ 2 日後に新し び定時人工授精を合わせた全体をプログラム、個々の い卵胞ウェーブが出現します。 方法をプロトコールと呼ぶこととします。 2 )元々存在していた黄体あるいは誘起されて形成さ 2 表1 主な定時授精プロトコールの特徴と留意点 プロトコール 特徴 留意点 1 オブシンク ・前回の発情から 1 週間前後のタイミングで処置を開 ・獣 医師と人工授精師とのコミュニケーションが重 始することでより高い受胎率が期待できる。 要。 ・前回の発情から 14 日前後で処置を開始した場 合、定時授精前に排卵する可能性が高くなる。 2 ヒートシンク ・オブシンクと比較して発情徴候が明瞭に発現する割 ・オ ブシンクと比較して排卵同期化の精度がやや低 合が高い。 い。 ・前回の発情から 14 日前後で処置を開始した場 合、定時授精前に排卵する可能性が高くなる。 3 コシンク ・定時授精までの処置回数が少ないため、放牧牛など、・受胎率はオブシンクよりも低いと報告されている。 牛を保定するのに労力を要する状況下では検討する 価値がある。 4 腟内留置型 プロジェステロン製剤 併用オブシンク ・発情周期が不明な個体や前回の排卵から 14 日前後 ・腟内留置デバイスの留置期間(日数)に注意する必 の個体に対して処置を開始する場合、オブシンクよ 要がある。 りも高い受胎率が期待できる。・卵巣静止牛に対し ても一定の効果が期待できる。 5 プレシンク・オブシンク ・3と同様、任意の発情周期で開始しても高い排卵同 ・分娩後 40 日未満の個体に対する薬剤投与は共済制 期化率が期待できる。・分娩後早期でも黄体を有す 度上、認められていない。 る個体であれば生理的空胎期間が終わる前から処置 を開始することができる。 6 ショートシンク ・機能性黄体を有する個体に対して一定の効果があり、・超音波検査にて黄体の機能性の有無を判断すること 処置開始から定時授精までの期間が 3 日間と短い。 が重要である。・機能性黄体や主席卵胞を持たない 個体に対しては有効ではない。 7 リシンク ・不受胎個体における空胎期間の短縮に有効である。 ・超音波検査による正確な早期妊娠診断の実施が必要 である。 胎している個体の割合、=受胎率×人工授精実施率) の向上が図れるプロトコールとして注目されたもの の、普及し始めた当初は発情徴候の見られない個体に 対して人工授精師が授精をせずに見送ってしまうとい う事態が問題となりました。これは薬剤を投与する獣 医師と発情鑑定をする授精師との意思の疎通が十分で 図2 オブシンク はないことに起因するもので、授精師への連絡(伝 言)を農家に任せるのではなく、オブシンクについて 説明し、発情発現の有無に関係なく授精することに対 れた黄体のいずれか、あるいはそれら両方 ( 2 つ) して理解を得る努力をするのは獣医師の役目です。最 の黄体が存在している状態でPG投与となるので、 初は授精師が半信半疑であったとしても、結果が付い 黄体は退行し、発情が誘起されます。また、この てくればその後は上手く連携が取れるはずです。とは 時点においてはウェーブ出現後 5 ~5.5日になる主 いえ、発情徴候が明瞭になるプロトコールがあるなら 席卵胞が存在していることになります。 授精師も納得(より抵抗なく)授精できるでしょう。 3 )ウェーブ出現後 7 ~7.5日になる主席卵胞(成熟卵 ヒートシンク(図 3 )はそのようなプロトコールで、 胞)が存在する状態において 2 回目のGnRHを投 与します。排卵はGnRH投与後27 ~ 30時間に誘起 されることから、 2 回目のGnRH投与後16 ~ 20時 間で授精すれば適期での授精が可能となります。 ヒートシンク オブシンクは発情徴候の発現の有無に関わらずに定 時授精することで従来と同レベルの受胎率を得ること ができ、処置個体には原則として全頭に人工授精を実 施することから、妊娠率(受胎するべき個体の中で受 3 − LIAJ News No.155 − EB:安息香酸エストラジオール 図3 ヒートシンク オブシンクにおける 2 回目のGnRHをエストラジオー ルに変えることで発情徴候が明瞭に発現する割合が10 数%から60%近くまで増加したと報告されています (Kasimanickamら 2005) 。 コシンク 2 回目のGnRH投与と定時授精を同時に行うプロト コールです(図 4 ) 。薬剤投与や授精のために対象牛 を保定するのに労力を要する場面、例えば放牧牛など P4D:腟内留置型プロジェステロン製剤 図5 P4D併用オブシンク(7日間留置の場合) に対して有用で、国外では肉用牛に対してよく利用さ れています。理論的にはGnRH投与後約27時間で排卵 ール濃度を増加させることで主席卵胞の発育を助ける が誘起されることからコシンクではAIのタイミング というメリットがあり、乳用牛および肉用牛において が早過ぎることになり、受胎率もオブシンクと比較し 妊 娠 率 が 増 加 し た と 報 告 さ れ て い ま す(Colazo& てやや低いと言われていますが、胚死滅率が低いため Mapletoft.2014) 。但し、 5 日間留置のプロトコールで に分娩率に有意差がないともいわれていて、実用的な は最初のGnRHに反応して排卵誘起後に形成された黄 選択肢の一つとして考えることができます。 体がP 4 D抜去時の単回のPG投与では退行しない場合 があるため、 1 日後に再度のPG投与が必要であると されています(図 6 ) 。 図4 コシンク P4D:腟内留置型プロジェステロン製剤 腟内留置型プロジェステロン製剤併用オブシンク 図6 P4D併用オブシンク(5日間留置の場合) 発情周期に関係なくオブシンクを開始した場合、 2 回目のGnRH投与前に発情を示す個体の割合が約 2 また、本プロトコールは卵巣静止や卵胞嚢腫罹患牛 割、そのうちの約 5 %がPG投与までに発情を示します に対しても一定の効果があることが知られています (Dejarnette ら2001) 。発情発現することなく排卵に (Wiltbank&Pursley.2014) 。また、授乳牛に対して 至る個体も存在することを考慮すると、全体では15% も有効です。なお、授乳牛においては定時授精プログ 前後の個体が定時授精のタイミングでは遅過ぎる授精 ラム処置中に一時的に離乳することでLHパルス頻度 となります。そこで、処置開始時にイージーブリード が上昇し、排卵卵胞サイズが大きくなるとともにエス などの腟内留置型プロジェステロン製剤(プロジェス トラジオール濃度も上昇することから、定時授精後の テロンデバイス:P 4 D)を投与することで発情および 受胎率が向上することが期待できます。 排卵を遅らせることが可能となります。留置期間につ いては、処置開始時に安息香酸エストラジオール製剤 プレシンク・オブシンク を投与する場合は 8 日間(いわゆるショートプログラ 前述のP 4 D併用オブシンクと同様、任意の発情周期 ム) 、あるいはオブシンクと併用する場合は 7 日間(図 で処置を開始することができます。また、分娩後早期 5 )が従来応用されているプロトコールですが、オブ でも黄体を有する個体であれば生理的空胎期間が終わ シンクと併用しつつ留置期間を 5 日間に短縮したプロ る前から処置を開始することができることから、大規 トコールも近年紹介されています。留置期間を短縮す 模牛群に対して一斉に定時授精を実施する北米や南米 ることで発情前期を延長させるとともにエストラジオ などではかなり普及している方法です。PG投与後14 4 リシンク 定時授精後の早期妊娠診断を超音波検査にて実施 し、不受胎個体に対して行う排卵同期化処置・定時授 精がリシンクです(図 9 ) 。授精後26日に不受胎と診 断された個体に対して直ちにリシンク処置を実施した ところ、無処置の場合と比較して繁殖成績が有意に向 上しました(Osawaら 2009) 。排卵後 5 ~ 9 日でのオ ブシンク処置開始は比較的高い受胎率が期待できるこ とを考えると、リシンク処置開始のタイミングは前回 図7 プレシンク のAI後26日から31日が最適だと考えます。 日に再度PGを投与することで多くの個体は 2 回目の PG投与後 3 ~ 6 日で排卵するので、 2 回目のPG投 与後11 ~ 12日でオブシンクを開始すると、ほとんど の個体が(高い受胎率が期待できるとされている)排 卵後 5 ~ 9 日のどこかに発情周期が合うことになり ます(図 7 ) 。 ショートシンク オブシンクにおける 1 回目のGnRH投与を省略した 図9 リシンク プロトコールです(図 8 ) 。分娩後40日以上経過して も発情の認められない経産牛で、直腸検査を実施して 機能性黄体の存在を確認できた個体に対して本プロト まとめ コールで処置、定時授精をするとホルスタイン種では 発情観察のために新たに人を雇う、あるいは歩数計 約40%以上、黒毛和種牛で約60%が受胎することを私 等による発情発見システムを利用するという方策もあ 達のグループにおいて確認しています。処置開始時に りますが、いずれも導入に際して相応の経費(支出) おいて超音波検査により正確に黄体の機能性を評価す を見込む必要があり、直ちに導入に踏み切れない場合 ることが重要です。現在、さらに詳細に卵巣動態と受 も多いと思います。一方、排卵同期化処置・定時授精 胎性との関係を解析しているところです。 プログラムの導入に関しては、一度に多大なコストを 要するものではないために、まずは試しに少頭数から 始めることが可能です。牛群の中の、どの部分に問題 があるのかを見極めながら、対象とする個体群の特徴 に合わせて最適のプロトコールを選択していくことも 可能です。さらに、発情観察のためのスタッフを増や したり、歩数計を導入したりして発情発見率を向上さ せるための最善の努力をした上でも発情を発見できな い個体に対しては、排卵同期化処置・定時授精プログ ラムを併用することで牛群全体の妊娠率を向上させる ことにつながると考えます。 図8 ショートシンク 5 − LIAJ News No.155 −
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