公共政策の変容と政策科学ИЙ日米航空輸送産業

秋 吉 貴 雄著
『公共政策の変容と政策科学ИЙ日米航空輸送産業における 2 つの規制改革』
有斐閣,2007 年
福井 秀樹
本書は,日本の 1986 年の航空規制改革が米国
接的に政策変容に反映された場合に,歪みのない
の 1978 年のそれに比して「立ち遅れた」(ii 頁)
政策学習が行われたとされているようである。こ
原因を探り,日本における「政策決定の改善」に
の定義に従うと,疑問がわいてくる。
何が必要なのかを考察した労作である。
例えば,米国では 1978 年以降さらに規制緩和
本書の分析の特徴は,日本の航空規制改革が立
が行われている。4 つの混雑空港での発着枠取引
ち遅れた原因を「政策学習の歪み」(257 頁)に
自由化がそれである。その自由化では実験経済学
求める点にある。
者等が唱えた競売方式は採用されず,新規参入を
著者は,政治学の伝統的分析枠組で用いられて
希望する航空会社がその後,募らせた不満は小さ
きた「利益」「制度」という分析視角に「アイデ
くなかった。しかも度重なる政治的圧力等を受け,
ィア」という分析視角を加えて分析を進める(序
発着枠規制が廃止されたり,一時的に便数制限が
章・第 1 章)。著者によれば,規制緩和の「自由
設けられたりと,政策自体が右往左往している。
競争」という政策アイディアは,1978 年の米国
著者の基準に照らせば,これは「政策学習の歪
の航空規制改革(第 2 章)ではさほど歪められる
み」ではないだろうか。逆に日本では,2000 年
ことなく学習された。これ対し 1986 年の日本の
施行の改正航空法により,参入・価格規制で大幅
航空規制改革(第 3 章)では「学習の歪み」が生
な自由化が行われている(225 頁)。著者の基準
じ,政策アイディアは「管理された競争」に変容
に照らせば,ここでは歪みのない政策学習が行わ
した(253 頁)。結果,日本の航空規制改革は
れたとは言えないだろうか。
「限定的な改革」(227 頁)にとどまった。著者は
このように,日米いずれにおいても「政策学習
こう総括する(第 4 章)。その上で,日本の政策
の歪み」が認められる(と思われる)時期もあれ
決定システムが「改革指向型政策決定システム」
ばそれが認められない(と思われる)時期もある
となるには,「開かれた「政策決定の場」,認識コ
ならば,いずれの時期も含めた分析がなされるべ
ミュニティの形成」(273 頁)が特に重要である
きではなかろうか。なぜならそれにより,米国で
との政策的含意を導出している(終章)。
は生じなかった「政策学習の歪み」が日本では生
日米の航空規制改革過程を比較した本書は,労
じた原因を探る,という本書の分析にとどまらず,
作と呼ぶにふさわしい。だが,著者同様,航空規
「政策学習の歪み」が日米双方でどのように生じ
制改革を研究対象の 1 つとする評者は,いくつか
たのか,それはどのように正されあるいは正され
の点に疑問を感じた。紙幅の都合上,1 点のみに
なかったのか,という分析も可能になるためであ
言及する。
る。またその結果,「政策決定の改善」のための
本書の分析では,日本の航空規制改革が「立ち
知見も,本書に見られるグランド・デザインのみ
遅れた」原因は,「政策学習の歪み」のため,つ
ならず,個別的かつ実体的なものになり得たかも
まり,学習が理論面にまで及ばず,米国の航空規
しれないためである。
制改革における負の側面などから歪んだ形で教訓
以上のような疑問点があるのは残念だが,本書
を導出するという学習が行われたためだとされる。 の含む情報は有益である。政策過程分析に関心の
ここで問題なのが,「政策学習の歪み」とは何
ある方,及び,日米の航空規制改革に関心のある
か,歪みのない政策学習とは何か,である。本書
方だけでなく,規制改革全般に興味のある方にも,
では,規制緩和を擁護する研究の成果が比較的直
一読を勧めたい著書である。
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