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2000 年スタディツアー感想文
戦争責任・戦後責任について
三十年間ずっと憧れ続けてきた韓国。私は自分でも不思議なくらいに韓国が好きです。
時期尚早という思いが強くて行かれずにいましたが、ツアーを知り、気がついたら申し込
んでいました。金浦空港に降り立ったときの感動、ソウル市内の活気、喧噪、ナヌムの家
に続く道の懐かしいような風景。本当に楽しいツアーでした。初日の出会いの夕食会から
最終日のお別れの夕食会まで、韓国そして日本のたくさんの人との出会いがありました。
しかし韓国とつきあっていくためには、どうしても避けて通れない日本の「戦争責任、戦
後責任」の問題があります。南北分断をはじめ、戦争、植民地支配がもたらした結果はい
たるところに見られます。(中略)
謝罪や補償はどんなに行われても、それで充分ということはありません。奪われた命、
心や体に受けた傷、奪われた生活、人生、どれも元には戻らないのですから、「清算」して
貸し借りがゼロになることはあり得ません。被害者がその尊厳を回復するためには、最低
限として日本政府の謝罪と補償だと思いますが、私たちも、自らの責任として引き受け、
心に留め、伝えていくこと、そして繰り返さないためにはどうしたらよいのかを考えてい
くことが必要だと思います。戦後生まれの私たちには戦争の直後の責任はないかもしれま
せんが、しかし、好むと好まざるとに関わらず、日本人として生まれてしまった以上、何
の補償も実現できないでいることへの責任は負っていかなければならないと思います。パ
ゴダ公園で、ハラボジより頂いた赦しともいえる言葉は、とてもありがたかったけれど、
日本人の私たちはその言葉に甘えるわけにはいかないと思うのです。
大陸に伸びる国の、青い空の街
「私も昔はとても白い肌だったの」
ナヌムの家で、ふっと近づいてこられた一人のおばあさんは、私の頬を少し触って、日
本語でおっしゃいました。「そうなんですか!」。屈託なく、笑おうとして、思わず言葉を
飲み込んだ。ついさっき歴史館の中で見た慰安婦の少女たちの切ない目をした写真、ハル
モニの描いた絵を思い出し、それとは打って変わった柔和な笑顔に、歴史のあまりの長さ
を感じたのです。ハルモニ、というよりお母さんたちは、あの高齢で、今も「戦って」お
られるのですね。もっとも美しい、胸を膨らませていたはずの時代を奪われ、人生最後の
時間をかけて誇りを取り戻そうとしている・・・。本当に、もう時間がないのですね。一
人の日本人として、できることはあるのでしょうか。一日も早く、穏やかな気持ちで暮ら
せるように。
(中略)
たくさん見て、考えて、強く感じて、やっぱりうまく書けない。帰ってきてからいただ
いたメールの返事に「まるで片思いの恋をしたようです、韓国の人たちと、街に」と書い
ていました。ソウルはまた行けるけれど、ツアーの間じゅう人なつっこい笑顔で話しかけ
てくれた優しいチョンアをはじめとして、あの出会いは、もう、あの時だけです。一人一
人との会話が、まるでビデオテープみたいに蘇ります。私は元来忘れっぽく、主張や信念
がないと自覚していますが、眩暈がしそうな陽射しの中で、抜けるように青かったソウル
の空と、韓国語・英語・日本語が入り乱れて必死に話し合おうとした皆さんとの思いでは、
とても忘れられません。二一世紀、もっと韓国を理解し、在日を理解し、皆さんと一緒に
統一を祈りたい。素晴らしいチャンスを下さったツアーに、感謝しています。これからも
よろしく。
自分自身の一つのスタート
八月十五日の夜、景福宮で繰り広げられた市民集会は、非常に感動的だった。同時に、
南北対立の中で培われた「国家としての規律」と、「民族統一への思い」という、一見矛盾
する部分をこの国が抱えていることもまた、感じざるをえなかった。
「国民儀礼」というらしい。みんなが立ち上がる。左胸に手を当てて、国のためになく
なった人に黙祷を捧げる。ハンシン大の学生さんたちは「小さいころから学校でやってき
たから自然なこと」と、こともなげだ。(中略)
しかし、南北離散家族が再会したあの日、手を添えられた胸にあったものは、
「国家」で
はなく、たぶん「民族」だったのだ。そして実際に、民族統一を願う意味もまた、加わっ
ていくのではないかと思う。
明けて十六日の夜。日本に留学している方とキャンプ場のバンガロー(?)で「ホタル
族」をしながら聞いた話が、強く印象に残った。
南に向かう家族がいた。四歳の息子が「寒くて歩けない」と言う。息子をハルモニ宅に
預けたまま、半世紀の別れになった。その母が十五日、ピョンヤンで息子に再会し、靴と
靴下を贈った。これさえあったら別れずにすんだと。
話をしてくれた人は、
「ここに来る途中の汽車で読んで、涙が出て仕方がなかった」と言
った。多くの人がそうだったと思う。聞いているこちらも、胸が熱くなった。
刑事さんの言葉じゃないけれど「現場百回」
。お互いに触れあう、その現場を自分自身で
積み重ねていきたい。必ずや言葉をマスターし、多くの人と話してみよう。朝鮮半島が統
一に向けて動き出した記念すべき年に参加したこのツアーは、自分自身の中で、一つのス
タートになったと感じる。「こんな近い国、友達にならんでどないすんねん?」
最後ですが、民権協の方々、ハンシン大学のすばらしい学生さんたち、ツアーで一緒だ
った皆さん、
「ミレニアムの出会い」をありがとうございました。