八戸市立 市川中学校 学校だより 「じょ」 「知識」は未経験でも得られるが「知恵」は経験しなければ得られない 1~2年生の新チームになって燃えた秋季大会。終わってみれば野球・サッカー・ソフトボールの優勝、卓球女子団体・ソフト テニス男子団体・剣道女子団体の準優勝、そして、剣道男子団体の3位。陸上競技では、個人3種目の優勝をはじめ多数の県大会 出場者(裏面参照)と、「武の車輪」が力強く回転した。留守を預かる3年生も私立高校説明会と実力テストに、「文の車輪」を回 し、進路実現に向けて再考できたのではないだろうか? 1~2年生は秋季大会を通して大きな大会の「場数」を踏んだ。県大会に出場できる部活はさらに「場数」を踏み経験を積めるの だから、チームの成長のために大切なチャンスをまたもらったことになる。大会を振り返ったとき、試合で通用したプレー、通用し なかったプレー、仲間から支えられて成功したプレー、仲間を生かすことができずに失敗したプレーetc.……様々な場面があった 平成27年9月29日(火) 校長通心 No.51 校長 馬渡教 二 と思う。本番の場数を繰り返し、試行錯誤しながら技術は向上していくのだと思う。もちろん、それと同時に試合の流れを読む力だ ったり、試合の途中でいつスイッチを入れる時かが経験を通して分かっていくはずである。よく「身体で覚える」と言われるけれど、 経験に勝るものはないのだと思う。 このように、体験を通して「これはどうやればいいのか?」「やってみてどうだったのか?」と、知り得たことや身につけたものを その人 (相田みつを) その人の前に出ると 絶対にうそが言えない そういう人を持つといい その人の顔を見ていると 絶対にごまかしが言えない そういう人を持つといい その人の眼を見ていると 心にもないお世辞や 世間的なお愛想は言えなくなる そういう人を持つといい その人の眼には どんな巧妙なカラクリも通じない その人の眼に通じるものは ただほんとうのことだけ そういう人を持つがいい その人といるだけで 身も心も洗われる そういう人を持つがいい 人間にはあまりにも うそやごまかしが多いから 一生に一人は ごまかしのきかぬ人を持つがいい 一生に一人でいい そういう人を持つといい 「知恵」と呼んでいる。そして、知恵はその後すぐに役立つものが多い。それに対して知識は、経験しなくても外から詰め込む ことができるけれど、時間とともに忘却したり、実際には使えないものも多い。 知識は、外から頭に入れられるもの。知恵は、経験して身に付けるもの。という視点で、知恵に焦点をしぼると、知恵は大きく二 つに分けられると思う。ひとつが、おぼあちゃんの知恵袋のように、「洋服にコーヒーをこぼしたら日本酒で拭き取ればいい」みた いなもので、長年の経験から生まれた生活に役立つ「へぇー」と感心させられるもの。もうひとつは、経験から身体のなかに生まれ るもので、例えば、超一流のプロスポーツ選手や伝統工芸の職人さんの持つ技なんかは、指や足腰などが長年の経験で培わ れた知恵の集大成として進化し、センサーや精密機械に匹敵した匠の技として結実している。だからその選手・職人さんだけ に備わった固有で、唯一なものであり、教えてもらっても、知識のようにそのまま身につけられないし、身につけるためには、長 い修行と経験が必要になる。それも、バーチャルな経験じゃなくて、リアルな経験を積み重ねなければ身につけることができない ものである。だから、試合で通用するプレーを身に付けるためには「場数」&「経験」が必要になる。 「知恵をしぼる」という言葉があるけれど、実のない果物を搾っても果汁は出てこない。とすれば、知識のない頭をしぼっても知 恵は生まれてこないのだと思う。だから、様々な行事を経験し、たくさんの「場数」を踏むと同時に、普段の授業で知識を身に つけ学んでいく「文武両輪」は、とてもとても大切な学びとなる。 さて、秋季大会が終わり、生徒会も新役員が決まった。3次考査、新人の県大会、文化祭、2学年グッジョブウィーク…と、君た ち自身そして、君たちの集団を成長させるチャンスがまだまだいっぱい待っている。3年生は進路決定をゴール地点としたらそこ に行き着くための具体的な目標を一つずつクリアーしていく時期だと思うし、秋季大会の終わった1~2年生も部活に限って 視点を当てるなら来年の夏季大会のゴールに向けてやっぱり具体的な目標を一つずつクリアーしていかなければならないはず である。朝会でプレゼンした「努力を続ける力」&「一万時間の法則」を思い出してほしい。 目標を達成するためには、必ず困難を伴うし、苦しくもあり、あきらめたくもなる。さらに、苦しそうな仲間を支えてやることも必 要になるはずだ。そして、ゴールが見えない道のりを、ただひたすら歩き続ける先に必ずゴールが待っていることをみんなは必ず知 ることになる。道のりが厳しければ厳しいほど喜びもまた大きいことも知るはずだし、一人の喜びよりもみんなの喜びがどれだけ大 きいかをまた味わうにちがいない……。実りの秋にふさわしい力が市川中生全員につくことを期待している!! むずかる幼子を黙らせるのは「だまれ」という命令ではなくて、子守歌です。やさしい声は、心の波を鎮める。やさしい言葉は、人の心を揺り動かす。 手術を受けると決めた日のことです。医者は「病気を癒やしたかったら煙草をやめなさい」とは言わなかった。「煙草をやめればいいにきまっていますが…長年吸ってきたものを急にやめるのは無理でしようし…ま、少し ずつ節煙なさったらいかがですか?」と言った。そのいたわりが何ともありがたいだけに、わが子と同じ年頃の医者にいたわられる我が身が情けなかった。ふと闘志を覚えた。闘う対象は私です。それ以前に幾度も煙草を やめようとして、いつも三日坊主に終わった自分の薄志弱行にケリをつけるときがきたと思った。医者の口調が穏やかであったように、私のこの思いも穏やかに深まって結晶した。そのとき限り喫煙をやめて二年半たった。 煙草は二十一歳の夏に吸いはじめ、量の多いときは日にシガレット80本のチェーン・スモーカーとなった。禁煙区を思い立っても、ニコチン中毒の禁断症状がひどくて、すぐ元に戻った。それなのに、七十歳の夏に若い医 者の言葉がきっかけで、それまでまる49年も続けた習癖にサヨナラしたら、何の苦痛もなしにやめてしまった。われながら不思議です。もし医者があのとき「煙草やめなさい」と命令口調で言ったら、私のへそ曲がり虫は、 きょうもニコチンまみれになっていたでしょうが。 こ 例えば、こんな話がある。あるおばさんが、タクシーを拾った。運転手はおばさんを乗せるとすぐに乱暴に車を発進させた。運転手はハンドルを握りながら「どこまで運べば?」とお荷物扱いの言葉だったけれど、おば さんは「この通り、古くて壊れやすいお荷物だから大事に運んでね」と、言葉を返した。そうすると、「おばさんよ。イライラした気持ちをぶつけて悪かったね」と言いながら会社での不満を話し始めた。…目的地に着きタク シーを降りるとき「運転手さん、あなたはだいぶ血の気が多いようだから気をつけて運転してくださいね」と言うと運転手も「この辺りは路が悪いから足下に気をつけてくださいよ。どうも」と返した。このおばさんの対応の 仕方が日本人の自己を否定しながら相手を自分に引き寄せていく文化のような気がする。これが「知恵」だと思う。「怒りを怒りで消すことは出来ない。それは火を火で消すことができないのと同じで、火は水でしか消せな いように、怒りは、真理、知恵そして寛容でしか消せない」のでは?このおばさんは、運転手の言い分を一応肯定し(言い換えれば自分を否定しながら)運転手の心をなごませ、自分の立場に引き込んだと言うことになる。 これが自己の否定を通し、自己を肯定するという、日本には昔とからある知恵の文化であったが…最近はこの姿勢を忘れているのでは? 好きだ。 努力するものに必ず路をあけ、 ゴールを用意する。 歩みののろい亀でも、 長生きして歩み続けると 必ず地球を一周できる。 辛抱強い地球と同じだけ 辛抱強く努力すれば 願いはきっと叶う。 (第1638篇) 詞集たいまつ(むのたけじ) こつこつと努力するものを地球は好きだ。 努力するものに必ず路をあけ、 ゴールを用意する。 歩みののろい亀でも、 長生きして歩み続けると つこつと努力するものを地球は 必ず地球を一周できる。 辛抱強い地球と同じだけ 辛抱強く努力すれば 願いはきっと叶う。 (第1638篇)
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