第二十五回 学生懸賞論文・作文入賞作品集 公益社団法人 ヤンマー株式会社 一般財団法人 都市農山漁村交流活性化機構 大日本農会 後援・農林水産省 主催・ヤ ン マ ー 株 式 会 社 学生懸賞論文・作文入賞作品集 第二十五回 新しい農をクリエイトする ” " 一般財団法人 都市農山漁村交流活性化機構 公益社団法人 大日本農会 後援・農林水産省 主催・ヤ ン マ ー 株 式 会 社 学生懸賞論文・作文入賞作品集 新しい農をクリエイトする 第二十五回 „ 総 目 次 ヤンマー株式会社 代表取締役社長 山 岡 健 人 ごあいさつ ヤンマー学生懸賞論文・作文募集事業を後援して 農林水産省 大臣官房審議官 山 口 英 彰 公益社団法人 大日本農会 会長 染 英 昭 [論文の部]大賞(全文掲載) 、特別優秀賞(全文掲載二編) 一般財団法人 都市農山漁村交流活性化機構 理事長 今 村 奈良臣 2 優秀賞(要旨掲載十編) [作文の部]金賞(全文掲載) 、銀賞(全文掲載二編) 銅賞(要旨掲載十編) 審査委員講評 審査委員プロフィール 第二十五回ヤンマー学生懸賞論文・作文入賞者一覧〔論文の部〕 第二十五回ヤンマー学生懸賞論文・作文入賞者一覧〔作文の部〕 ・編集あとがき ・第二十五回ヤンマー学生懸賞論文・作文募集要領 ・第二十五回ヤンマー学生懸賞論文・作文募集運営委員会 ─1─ 6 136 133 132 129 128 127 101 93 81 67 19 14 10 ごあいさつ 今回から「新しい農をクリエイトする」にテーマを変えた「第二十五回ヤン マー学生懸賞論文・作文募集」には、論文の部五十三編、作文の部五百九十六 編、合わせて六百四十九編と、数多くの応募を頂きました。 御蔭様で、ここに優秀作品を集めた『第二十五回学生懸賞論文・作文入賞作 これも、学生の皆様を始め、応募の働きかけやご指導を頂きました先生方、 品集』として、皆様方にお届けできる運びとなりました。 そして関係官庁・機関を始めとした皆様方のお力添えの賜と、厚くお礼申し上 げます。 「農に関わり続ける」とい さて、私どもヤンマーグループでは、平成二年に う想いのもと、日本における第一次産業の未来について若者たちにも大いに議 論して頂き、夢と若さあふれる提言を頂きたいと考え、この事業を開始しまし た。 以来、今回で第二十五回を迎え、この間の応募総数は、論文二千四百七十一 ─2─ 編、作文六千六百七十九編、合計九千百五十編、応募者総数(グループ応募を 含む)は一万二百七十六名にのぼっています。これまで応募頂きました学生の 皆様一人ひとりの努力に対して敬意を表すると同時に、関係者の皆様に厚くお 礼申し上げます。主催者と致しましても、この事業を通して、これだけ多くの 若者が日本の第一次産業を真剣に考え、提言をしてくれるということは大きな 喜びであり、この事業を継続してきて本当に良かったと改めて思う次第です。 なお、長年にわたる論文・作文事業の社会的な価値が認められ、この事業は平 成十五年七月より農林水産省のご後援を頂いています。 副テーマには「新しい農への三つの提案」として、一、世界で戦える農業の 実現に向けて 二、やりがい・生きがいとしての農業に向けて 三、資源循環 型農業の実現に向けて を掲げました。応募いただいた論文・作文も、日本の 第一次産業の地域性や特長を活かした海外展開への可能性を考察したものや、 従来日本ではあまり注目されなかった天然資源の有効活用など、国際視点のみ また、昨年に引き続き、将来はこの分野へ主体的に関わっていきたいという ならず環境配慮や資源循環を意識した作品も多く見受けられました。 強い意欲を持つ作品がとても多く、日本の第一次産業の未来に光明を感じまし た。 ─3─ 私どもヤンマーグループとしましては、この論文・作文募集事業を通して、 これからの日本における農と食料、そして環境に関わる前向きな議論の輪が広 がり、生命の根幹を担う第一次産業に携わる方々に、夢と希望を持っていただ ければと切に願う次第です。私どもヤンマーグループも、お客様の課題を解決 することで、未来につながる社会とより豊かな暮らしの実現を目指してまいり ます。 今後とも、皆様方のご指導とご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申 し上げます。 近藤 直氏 岩田 三代氏 最後になりましたが、作品のご審査と、本事業へのご助言を賜りました左記 日本経済新聞社編集局生活情報部編集委員 の先生方に厚くお礼を申し上げます。 京都大学農学研究科教授 矢澤 進氏 生源寺眞一氏 佐藤 年緒氏 科学技術振興機構『Science Window』編集長 名古屋大学大学院生命農学研究科教授 京都学園大学バイオ環境学部客員教授 ─4─ また、 一般財団法人 大日本農会 都市農山漁村交流活性化機構 農林水産省、 公益社団法人 様にはご後援をいただき、有り難く、厚くお礼を申し上げます。 平成二十七年二月 ヤンマー株式会社 代表取締役社長 山岡 健人 ─5─ ヤンマー学生懸賞論文・作文募集事業を後援して 『第二十五回ヤンマー学生懸賞論文・作文入賞作品集』の発行に当たり、ひ はじめに、今回、入賞の栄誉に浴された皆様に心からお祝いを申し上げます と言お祝いの言葉を申し上げます。 とともに、本事業をこれまで長きにわたり続けてこられたヤンマー株式会社を はじめ、関係の皆様に深く敬意を表する次第であります。 本学生懸賞論文・作文募集事業については、本年も大学や農業大学校などに 在籍する学生の皆様から、「新しい農をクリエイトする」というテーマのもと、 将来の夢や自由な発想に基づく多数の論文・作文の応募があったと伺っており ます。次代を担う若い方々が、我が国の農業や地域の課題に関心を持ち、その 解決に向けて、前向きな提言をしていただいたことは、素晴らしいことであり、 農林水産省としても大変心強く思っております。 さて、昨年五月に、日本創生会議が「地方からの人口流出がこのまま続くと、 二○四○年までに、日本の市町村数の四九・八%に当たる八百九十六市町村で 若い女性が五○%以上減少し、将来的に消滅の可能性」という試算を示し、セ ─6─ ンセーショナルに報道されたことは、皆様のご記憶にも新しいところでしょう。 人口減少社会の中で、地域の活性化の鍵は成長産業となる可能性を秘めた農 業であると思います。農業従事者の高齢化、耕作放棄地の増加など、農業を取 り巻く状況は厳しいというのが常套文句ですが、見方を変えれば新しい農業を 展開するチャンスがたくさん眠っているということにほかなりません。やり方 次第では、これまでにない大規模農業の展開もできるでしょう。IT技術を活 用した新たな販売ルートの開拓やロボットなど先端技術を用いて飛躍的な生産 性の向上を図ることも現実のものとなりつつあります。 そして、これからの農業の未来を切り拓くのは、入賞された皆様のような若 い方々です。農林水産省では、夢のある若い人材を応援する施策を展開してい きます。その一つとして、就農準備のため研修を受ける方や自ら農業経営を始 める新規就農者に対する給付金制度、新規就農者を雇用する法人への支援など を行っており、チャレンジ精神を持った若者がどんどん就農してもらえる環境 づくりに努めています。 今回、入賞された方々は、我が国の農業・農村を支え、地域のリーダーとし てこれから活躍されることを期待される方々です。皆様が今回の論文や作文で 描いた、新しい農のかたちを是非とも実現していただきたいと思います。 結びに、入賞された皆様のますますの御活躍と御健勝をお祈りいたしますと ─7─ ともに、本事業がますます発展し、農業を目指す人材の育成、発掘につながる ことを祈念いたしまして、お祝いの言葉といたします。 平成二十七年二月 農林水産省 大臣官房審議官 山口 英彰 ─8─ ヤンマー学生懸賞論文・作文募集事業を後援して ヤンマー学生懸賞論文・作文募集事業は、今年で二十五回を迎えられました が、この重要かつ有意義な事業の発展に二十五年の長きにわたってご尽力いた だいているヤンマー株式会社並びに審査委員の先生方をはじめ多くの方々に対 し、心から敬意を表する次第です。 本 事 業 は 次 代 を 担 う 若 い 人 た ち の 農 業 に 対 す る 興 味 を 喚 起 し、 そ の 斬 新 な 発 想を新たな時代の農業・農村の発展に活かしていくことを目的として実施され てきておりますが、他に類を見ない画期的な取り組みであり、また二十五年と いう長年にわたり築かれてきた成果は極めて大きいものがあります。 一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構は、都市と農山漁村の中間支援機 関として直売所、農山漁家民宿、農村レストラン、滞在型市民農園等の情報提 供等を行うことによりグリーンツーリズムを推進してきましたが、近年はそれ を一歩進めて現在各地域で取り組まれている様々な地域資源を活かした六次産 業化や地域づくりを支援するためコミュニティビジネスセミナーや廃校活用セ ─ 10 ─ また、リーマンショックや東日本大震災を経て若者が農山漁村に多様な価値 ミナーなどを実施しております。 を見出し、地域おこし協力隊などとして地方に向かう人々が増加しております ので、彼らや市町村職員などを対象として地域づくり・人づくりセミナーを本 年度立ち上げ、廃校に合宿してワークショップなどを実施しております。 このように現在地方では地域おこし協力隊、子ども農山漁村交流プロジェク ト、廃校活用、学校給食での地場農産物利用拡大など各省庁の垣根を越えた取 り 組 み が 活 発 に な っ て い ま す の で、 当 機 構 は こ れ ま で 蓄 積 し た デ ー タ や 人 的 ネットワークを活かしてこれらの取り組みに積極的に関わっていきたいと考え 今回も全国各地の皆様から多数の論文・作文をいただき、誠にありがとうご ております。 ざいました。多くの若者が農業・農村に深い関心を有しているのを知り、大変 うれしく思います。 入賞された皆様、誠におめでとうございます。地域資源を活用した離島や地 域の振興方策、獣害対策、福祉農業、食育、新規就農、コントラクター組織、 ICT利用などいずれも我が国農業・農村や農業者が抱える課題に応え、新し い可能性を開くべく、非常に意欲的かつ実践的な提言が示されるとともに、農 ─ 11 ─ 入賞された皆様におかれましては、この受賞を契機として今後ますます研鑽 業に対する高い志と熱い思いがひしひしと伝わり、大変力強く思いました。 を積まれ、ご活躍されることを心からご祈念申し上げます。 結びに、本事業が二十五回を契機に更に発展し、日本の農業・農村の新たな 飛躍に大きく貢献されますことを心から祈念し、ご挨拶とさせていただきます。 平成二十七年二月 一般財団法人 都市農山漁村交流活性化機構 理事長 今村 奈良臣 ─ 12 ─ ヤンマー学生懸賞論文・作文募集事業を後援して 第二十五回ヤンマー学生懸賞論文・作文募集に入賞された皆さん、誠におめ でとうございます。また、審査委員の皆様におかれましては、年末年始のお休 みを返上しての審査作業と聞いております。そのご尽力に対し心から敬意を表 する次第であります。併せて、長年にわたり本事業を継続してこられたヤンマー 株式会社のご努力にも、敬意を表したいと思います。 私は、公益社団法人大日本農会の染です。大日本農会といっても知っている 方は少ないと思いますので、本事業との関係も含めて紹介させていただきます。 大日本農会は明治十四年に設立され、百三十年以上の歴史を持つ日本で最初の 農業団体です。明治政府によって進められた勧農奨励政策に呼応して各地で開 催された農談会などと言われる先進的な農業者(当時は老農と言われた)の集 まりから発展した団体です。現在は、農事功績者表彰事業や各種の調査研究を 行っています。また、一昨年から農業青年クラブや指導農業士会の全国協議会 の事務局も引き受けており、それらの関係もあり、この学生懸賞論文・作文募 ─ 14 ─ 私とこの学生懸賞論文・作文募集との関係も申し上げますと、この事業が始 集を後援させていただいております。 まってしばらくして私は農林水産省の青年農業者対策室長を担当しました。そ の当時は、今と違って農業に対するイメージが極めて悪い時期であり、新規就 農青年の数も極めて低迷している時期でしたので、応募作品が集まるのかなと 懸念しておりましたが、今年で二十五回目を数えることになったことは、ヤン マー株式会社の関係者の皆様の継続した取り組みによるものと改めて敬意を表 今回、入賞された論文・作文については、それぞれ十三点、楽しく読ませて する次第です。 いただきました。個別の作品評価は私の役目ではありませんので、共通して感 じたことを申しあげます。 論文については、農業経営や農村の問題を分析的に考察したもの、みずから の就農に関するもの、農業の在り方を提案したものなど、それぞれ特徴があり、 私なども教えられることもありました。今回の論文作成に当たり、農業をテー マに考え、課題を設定し、その解決策を探り、さらに自分なりに答えを導いた 経験は大変貴重なものであろうと思います。特に、皆さんが入賞されたことは、 物 事 に つ い て 考 え る 道 筋 の 一 つ を 認 め ら れ た と い う こ と で あ り、 皆 さ ん に 大 き ─ 15 ─ な自信を与えるものと確信しております。どうかこの入賞の経験を忘れずに、 また、作文については、特に将来の夢や熱い思いが強く感じられ、大変頼も 今後も積極的に新しい課題に挑戦していただきたいと思います。 しく感じられました。 現在の農業の状況をみますと、農業は安倍政権の成長戦略の中で教育や医療・ 介護などと並んで成長産業の一つに位置づけられ、産業の新しいフロンティア として期待されています。また、現実にも、先進的な大規模経営や先端技術を 用いた施設園芸などが数多く出現してきております。 そうした中でも、現実に就農した時には多くの困難が待ち受けていると思い 最後になりましたが、今回入賞された皆様のご活躍とご健勝を祈念いたしま ます。その困難を乗り越え、夢や熱い思いを実現するよう頑張ってください。 すとともに、本事業のますますの発展をお祈りいたしまして、後援団体として のお祝いの言葉とさせていただきます。 平成二十七年二月 英昭 大日本農会 公益社団法人 染 会長 ─ 16 ─ 論文の部 ─ 17 ─ [論文] 一、大賞 作 品 目 次 鹿大国日本の目指すべき姿 〜官民一体で推進する“Momiji”輸出の提言〜 村 西 拓 哉 木 元 拓 耶 二、特別優秀賞 うずらの卵市場拡大戦略の探求 〜隠された差別化要因の考察〜 三、特別優秀賞 本 田 幹 英 (グループ代表者) 21 53 未来の食と農を守る!「観光直売型農園リゾート」 〜農から変える食意識・農家が行う食農教育〜 四、優秀賞(十編、要旨のみ掲載) (同賞内は受付順) ─ 19 ─ 37 67 (大賞) 鹿大国日本の目指すべき姿 にし 西 たく 拓 や 哉 〜官民一体で推進する“Momiji”輸出の提言〜 むら 村 (慶應義塾大学 経済学部 経済学科 四年) ─ 21 ─ 目次 はじめに ニホンジカから受ける被害をどう考えるか 第一章 害獣としてのニホンジカ ㈠ ニホンジカの個体数の増加と農作物被害・森林被害 ㈡ 個体数増加への対応策 ㈢ 捕獲された鹿の廃棄物としての扱い ㈣ 国内での鹿肉流通の現状と課題 第二章 海外で天然資源として扱われる鹿 ㈠ 欧米・アジアにおける鹿製品の需要 ㈡ ニュージーランドの鹿産業 第三章 鹿肉輸出の提案 ㈠ 概要・目的 ㈡ 実現するための方法 ㈢ 鹿肉輸出の課題とその克服方法 おわりに 鹿肉輸出が作る農業の新たな形 ─ 22 ─ はじめに ニホンジカから受ける被害をどう考えるか 日本に生息する鹿・ニホンジカの個 体数は年々増加し、二〇〇一年には百 万頭程度であったが、二〇二五年には 五百万頭に達する可能性がある(環境 省、二〇一三) 。鹿がもたらす食害は日 本の農林業に打撃を与え、被害規模は 数ある有害鳥獣のうち最も深刻である。 二〇〇六年度に五十億円を下回ってい たニホンジカによる農作物への被害は 二〇一二年度には年間八十億円を超え (農林水産省、二〇一四)、森林被害も (林野庁、 ホンジカからは公表されている農林業 力と金銭的負担を要し、結果としてニ 鹿を処理するために各地域は大きな労 し て 扱 わ れ て い る。 捕 獲 し て も な お、 そこで着目すべきは鹿肉輸出である。 日本国外では鹿を天然資源として扱う 比べて小規模と言わざるを得ない。 この国内での動きは被害規模の拡大に 食肉としての活用を強く促しているが、 して各地域は、捕獲したニホンジカの が最も進んでいるのはニュージーラン ドだ。同国は鹿肉の輸出で二〇一三年 に年間約百四十億円、角や革などの鹿 製品を合わせると約二百億円の売り上 げがあった ( Deer Industry New Zealand ほか、二〇一四)。それに対して、日本 で は 長 年 鹿 肉 の 輸 出 が 行 わ れ て 来 ず、 輸出許可がどの国からも下りていない のが現状である。しかし、国内市場の 拡 大 の み に 焦 点 を 当 て る の で は な く、 既存の海外市場の需要に応え、生体捕 獲して牧場で一時的に肥育したニホン ジカ肉を輸出することは、この資源循 環型農業を全国に広げ、地域負担の減 少だけでなく新たな利益の創出を導く のではないだろうか。現在、安倍政権 ─ 23 ─ 二〇一二年に六千五百十四 二〇一四)と拡大を続けている。被害 を抑えるため、国・自治体がニホンジ カの捕獲には積極的に取り組んでおり、 捕獲頭数は二〇〇一年度の約十四万頭 から二〇一一年度には約四十二万頭に ま で 上 昇 し た( 環 境 省、 不 明 )。 だ が、 被害に加えて、廃棄物処理にも負担を 状況が既に大きく形成されており、欧 (筆者作成) 捕獲されたニホンジカの多くが埋却あ 強いられている(図表1参照)。捕獲数 米・アジアでは鹿肉が人々の生活と深 るいは焼却処理されており、廃棄物と はこれからも増え続け、それに伴い前 く関わっている。中でも、鹿の産業化 (各種資料(環境庁、農林水産省、林野庁、北海道)を参考に筆者作成) 述の廃棄処理など地域が強いられる負 図表1:ニホンジカから受ける被害「鹿害」のまとめ 担の拡大が予想される。その対処法と 図表2:国内外の鹿肉市場の現状分析 ha どの農水産物年間輸出額を二〇三〇年 五百億円(農林水産省、二〇一四)ほ は成長戦略の一環で二〇一三年に五千 鹿肉輸出の実行を提案する(図表2参 肉 を 加 え て 官 民 一 体 で 課 題 を 克 服 し、 文では、輸出促進を行う品目の中に鹿 捕獲活動経費に対して特別交付税をあ 特 別 措 置 に 関 す る 法 律 」 が 制 定 さ れ、 林水産業等に係る被害の防止のための 踏まえて二〇〇七年に「鳥獣による農 てがって自治体を支援するようになっ 照)。 注1 までに五兆円へと引き上げるために輸 出促進政策を進めている。そこで本論 たことで、二〇〇一年度に十四万三千 頭だったニホンジカ捕獲数は、二〇一 とられた。しかし近年は、鹿は繁殖力 まで頭数を減らしたため、保護政策が 毛皮を求めた大量捕獲により絶滅寸前 七つの地域亜種に分類される。終戦後、 国内に生息する鹿はニホンジカと呼 ばれ、エゾシカ、ホンシュウジカなど であった森林被害は二〇一二年 一四)。また、二〇一〇年に三千七百二 その額は最も高い(農林水産省、二〇 にまで上った。今や他の鳥獣に比して ていたが、二〇一二年度の八十二億円 は二〇〇六年度には五十億円を下回っ に述べた通り、鹿による農作物被害額 に伴い年々拡大している。実際に、既 にもたらす被害は、その個体数の増加 れている。ニホンジカが森林や農作物 その数は五百万頭に増加すると推定さ 率を維持したままでは二〇二五年には 年 度 六 十 三 万 頭 で あ る )。 現 在 の 捕 獲 これから増加していくと考えられる。 省、二〇一三)に対抗して、捕獲数は 五%のニホンジカの自然増加率(環境 る。こうした動きに応じて、毎年約二 るなど、行政は鹿の捕獲に積極的であ ター養成学校を二〇一四年度に設立す 野県は捕獲体制を強化するためにハン 行っている。それ以外にも、例えば長 位でも独自に猟師への奨励金の支給を た、それと地方財源を用いて市町村単 たり上限八千円を自治体に支払い、ま 法が改正され、ニホンジカ捕獲一頭あ に増加した。国政では二〇一二年に同 二年度に四十一万五千五百頭に飛躍的 が強く生息域が広がる傾向にあり、一 十九 第一章 害獣としてのニホンジカ 九九四年に雌鹿の捕獲が解禁されたが、 には六千五百十四 に達し、ニホンジ ─ 24 ─ ㈠ ニホンジカの個体数の増加と農作 物被害・森林被害 今でもその個体数は著しく増加してい カの枝葉の食害や剥皮被害が鳥獣によ ②食肉処理施設へ売却 ①捕獲者の自家消費 一一)。 かの方法で処理される(北海道、二〇 れた鹿は、次の六通りの流れのいずれ 捕獲されたニホンジカの多くは、天 然資源として扱われていない。捕獲さ い 捕獲された鹿の廃棄物としての扱 る。 そ れ に は 以 下 三 点 の 要 因( 和 田、 様々な形の被害規模は拡大していると ㈢ 二〇一三)が理由として挙げられる。 る森林被害全体の六〜七割程度を占め て い る( 林 野 庁、 不 明 )。 こ れ ら か ら、 ③地球温暖化による積雪量の減少 言える。 ①鹿の捕食者であるオオカミの絶滅 各年の捕獲数から計算すると二〇〇 一年におよそ百万頭であった北海道を 個体数増加によって鹿にもたらされる 除く全国のニホンジカ個体数は二〇一 一年時点で二百六十一万頭にまで増加 した(北海道の推定個体数は二〇一一 鹿を中心とする鳥獣被害の深刻化を ㈡ 個体数増加への対応策 注2 ②国内ハンターの高齢化・減少によ る捕獲圧の低下 ha ha ③ペットフード製造事業者へ売却 ④廃棄物処理施設へ搬入 ⑤現地埋設 ⑥その他 鹿が全国の中でも随一と言えるほど 生息し食肉利用が進んでいるとされる 北海道(横山、二〇一三)ですら、自 家消費を除き資源として活用する際に 使用される食肉処理施設に送られるの は、 そ の 内 わ ず か 一 三・ 二 % で あ る。 また、捕獲された鹿の一七・三%が埋 設され、九・八%が廃棄物処理施設に の数多く生息する釧路市で廃棄物処理 てもなお大きな被害を受けている。鹿 捕獲した鹿を廃棄するにしても処理 には費用と労力を要し、地域は捕獲し 野県、二〇〇八) 。 食肉活用は約九%に留まっている(長 でも二〇〇七年度時点で全捕獲頭数の 促され、多くの個体数を抱える長野県 である鹿は捕獲したら埋設するように 一) 。他県においても、京都府では害獣 しめられており、現在の日本にとって などを通じた廃棄物処理に各地域は苦 なっている。このように、埋設・焼却 自体が捕獲者にとっての大きな負担に 高齢化に伴って穴を掘って埋めること に埋設処理をする場合でも、捕獲者の れている。また、施設に持って行かず 専門の廃棄物処理施設の設置が検討さ 七百頭を処理する能力を持つ有害鳥獣 一四年度に建設費約三億円で年間二千 超えると考えられる。京都府では二〇 治維新以降は肉・角・革が外貨獲得手 生活と深く関わっていた。しかし、明 止になる江戸時代まで鹿肉は人々の食 呼び、仏教の影響を受け肉食が原則禁 にあった。以前は鹿肉を「もみじ」と 日本にも鹿肉を食べていた習慣が過去 分が豊富な非常に健康的な食材である。 で低カロリーであり、脂質が少なく鉄 なる。図表の通り、鹿肉は高たんぱく て 処 分 さ れ て い る( 北 海 道、 二 〇 一 施設に搬入するときの利用者負担は一 終戦後には絶滅寸前まで頭数を減らし た。その後、個体数が増加して捕獲が (横山、二〇一三)、保護政策がとられ 常に手間がかかるということもあり まうなど食材として鹿肉を扱うには非 行われるようになったが、捕獲した後 ニホンジカは他の食肉に比べて非常 に栄養価が高い。鹿肉の持つ栄養素を にすぐ放血しなければ味が劣化してし 他の獣肉と比較すると図表4のように ㈣ 国内での鹿肉流通の現状と課題 いる存在である。 段となり、鹿は大量に捕獲された結果、 ( 「県内で捕獲されたニホンジカの栄養成分」 (長野 県、2008)を参考に筆者作成) 鹿は農林業被害以上に大きな負担を強 図表4:鹿肉の栄養価の高さ あたり十五円であるが、それを参考 ( 「エゾシカ活用実態調査事業 報告書(概 要版) 」 (北海道、2011)を参考に筆者作成) 設を利用する捕獲者の負担額は、年間 ─ 25 ─ 図表3:2011年 北海道における廃棄 物処理施設利用者の負担総額 捕獲頭数から推察すると一億円は優に 照) 。全国規模にすると、廃棄物処理施 が負担していることとなる(図表3参 百五十万〜五千五百二十万円を捕獲者 用を計算すると、二〇一一年に三千四 に北海道において焼却処理にかかる費 kg (藤木ほか、二〇一二)、日本において 鹿肉を食べる文化は大きく衰退してし まった。近年、鹿肉は美味しく食べら れるヘルシーな食材であるにもかかわ らず鹿が害獣として捕獲され、廃棄物 として扱われている実態を鑑み、鹿を 資源的に活用する取り組みが増え始め ている。地方行政に注目すると、北海 道は二〇〇六年、長野県は二〇〇七年、 兵庫県は二〇一一年に鹿肉利用のため のガイドラインを策定し、鹿の食肉活 用を奨励している。また民間の団体で も 例 を 挙 げ る と、 カ レ ー 店 最 大 手 の ─ 26 ─ 壱番屋」は三重県 CoCo の店舗に限定して、捕獲した鹿の有効 (筆者作成) (筆者作成) 「カレーハウス 活用を進めるために二〇一二年から鹿 肉カレーを販売している。このように 鹿肉は地産地消されることが主であっ たが、近年は首都圏など鹿の生息しな い地域でも鹿肉を扱う飲食店が展開し、 鹿を食すことのできる機会が増えてき た。例えば、二〇一四年九月より東京 都渋谷区にある宮下公園で鹿肉サンド など鹿肉にまつわる食品の販売が開始 されている。 現在首都圏に在住する筆者の知人十 代から五十代の七十五名を対象に行っ た筆者のアンケートを、図表5‐1に 示した。図表5‐2はアンケート結果 流通させる取り組みの成果を示してい (一部抜粋)を表しており、鹿肉を国内 る。鹿を国内で食べたことのある人は 図表5-1:75名に依頼したアンケートの内容 図表5-2:75名へ依頼したアンケートの結果 どちらでもいいと回答した人が四〇% る。 そ し て 食 べ た く な い 人 が 三 二 %、 ことのある人の割合とほぼ同じ値であ しかし、鹿肉を食べたいと思う人は わずか二八%で、これは国内で食べた 知度を高めているのだろう。 が、鹿肉が国内で食べられることは認 弱の二十五名いた。改善の余地はある 食べられることを知っている人が半数 の無い五十三名のうち、鹿肉が国内で 以内に食していた。そして食べたこと 二十二名おり、うち十四名が過去三年 はないだろうか。 でアプローチしなければいけないので めには、国内消費とはまた違った方法 同時に示している。鹿産業の発展のた め今後の国内消費拡大が難しいことを 多く、その多くは偏見を抱いているた 肉を食べたことの無い人は依然として い印象を持っている。この結果は、鹿 ことの無い人は鹿肉に対して非常に悪 湧かない」という回答が多く、食べた きつい」「美味しくない」「イメージが い人に行った質問では「固い」 「臭いが 多いのに対し、鹿肉を食べたことの無 る」 「また食べたい」と答えている人が そして、歴史的に見ると狩猟文化の 根強い欧米では、当初高級食材として な役割を担っている(図表6参照)。 においても、人々の食生活の中で大き 多く存在する旧仏領植民地のベトナム 二 〇 一 四 )、 同 じ く イ ス ラ ム 教 徒 も 数 使って数多くの料理が作られ(外務省、 割 を 占 め る マ レ ー シ ア で も、 鹿 肉 を 英領植民地でイスラム教徒が人口の六 が主な肉食材として扱われている。旧 徒の多い国家では、牛肉に加えて鹿肉 食べるのが禁じられているイスラム教 で今なお存在している。特に、豚肉を を受けており、鹿を食する文化は各国 が東アジアで近年増加しており、特に 鹿肉は、現在ではクリスマスに多くの 扱われて限られた人しか食さなかった であった。また、鹿肉を食べたことが 中 国 で は 多 く の 種 類 の 鹿 茸( 鹿 の 枝 ─ 27 ─ ある人のうち「食べやすい」 「風味があ 第二章 海外で天然資源として扱われる鹿 あ っ た( 日 本 貿 易 振 興 機 構、 二 〇 〇 六 )。 香 港 内 で は 大 半 が ス ー パ ー で 販 売され、特に若年層の間では鹿肉がヘ 一説によると始皇帝や楊貴妃も鹿肉 を好んで食べていたとされ、中国で鹿 角)が心臓の働きの効率を高めて低血 ㈠ 欧米・アジアにおける鹿製品の需 要 肉 は 古 来 よ り 高 い 評 価 を 受 け て き た。 圧を改善し、また創傷の治癒を早める (「世界の食べ物」より) ルシーな食材として認知されてきてい 今でも野生動物を食用肉にすることが る。また、鹿肉だけでなく鹿角の需要 好まれ、主に、国内の鹿牧場の運営と、 漢方医や専門家によって広く認められ 薬として使用されている。鹿角および ている。 鹿茸が多くの医学的効能を持つことは、 鹿肉が流通している。香港は二〇〇五 香港がニュージーランドなどから輸入 年に一六・八トンの鹿肉を輸入してお 植民地支配を受けた国の多い東南ア ジアにおいては、欧米文化に強く影響 した鹿肉の中国本土への輸出を通じて、 り、 金 額 に し て お よ そ 二 千 四 百 万 円 (一香港ドル=十五円として換算)で 図表6:東南アジアの鹿肉を使った料理 ても鹿肉は非常に高く評価されており、 スープを飲むことがあるほど素材とし ザベス女王が体調の悪いときに鹿肉の 活に関わる食材となった。英国のエリ 国で用いられているなど多くの人の生 拡大する可能性は非常に高いと考えら と、今後欧米各国で鹿肉の需要が更に なく鹿肉が選ばれたことから推察する 装問題の発覚であったが、他の肉では 発的増加の要因はイギリスで馬肉の偽 えすぎた野性鹿を生け捕り、ジビエを 年に国としての認可が下りて以来、増 獣として捉えられてきたが、一九七〇 ように人々の生活に悪影響を与える害 後は繁殖し過ぎてしまい、日本と同じ 来生物のアカシカである。移入された 輸出するビジネスが開始された。こう れる。 して当初害獣だった鹿は輸出商材とし も扱われるようになった。米国では二 の飲食店・スーパーマーケットなどで 下し、高級食材としてだけでなく多く いる。鹿肉輸入が進むに従い価格が低 ニュージーランド産の鹿肉を使用して 〇%に国産の鹿をあて、残りには殆ど 米国でも国内の鹿肉需要に対して二 育された鹿肉が流通しており、同様に 欧州には多くのニュージーランドで肥 す べ て が ジ ビ エ で あ る わ け で は な い。 狩猟を好んでいるが、消費する鹿肉の なっている。しかし、欧米人は確かに あまり見られず、実際に、輸出してい に野生鹿を商品化しようとする動きは お、ニュージーランドでは日本のよう 米国、スイス、英国が占めている。な そ の 輸 出 先 の 大 半 を 独 国、 ベ ル ギ ー、 ド ル = 八 十 五 円 と し て 換 算 ) に 上 り、 上は約二百億円(一ニュージーランド すべてをまとめて鹿製品と記述)の売 鹿角・鹿革・その他鹿関連製品(以下、 世界最大の鹿肉輸出国である。鹿肉・ 年に約二万三千トンの鹿肉を輸出する 万頭飼育し、概ね五十カ国に二〇一〇 の牧場で二〇一三年時点において百十 ㈠ に お い て 繰 り 返 し 述 べ た 通 り、 ニュージーランドは三千カ所に近い鹿 肉・革・角を除く鹿関連製品の輸出額 があり、実際に二〇〇九年から五年間、 東洋医学の一役を担うものとして需要 は特に角や陰茎など肉以外の鹿製品が いる。㈡で述べたように韓国・中国で 見込み、鹿製品の更なる輸出を試みて 米市場だけでなく、アジアに可能性を る。更に現在、ニュージーランドは欧 す人々は、今後増えることが予想され を例に栄養価の高い鹿肉に価値を見出 欧米で健康志向が高まっている背景 から、英国の爆発的な鹿肉利用の増加 地位を築き上げた。 ほ か、 二 〇 一 Industry New Zealand 四)に至り、世界の鹿産業内での高い た。一九八三年には二十四万頭であっ て長い間国家の経済発展に貢献してき 〇一三年二月から二〇一四年一月末ま る鹿製品含めて野生鹿の流通割合は約 が徐々に増加している。しかし、近年 ㈡ ニュージーランドの鹿産業 欧米に流通してきた鹿肉もニホンジカ と同様に高い栄養価を持っていること がわかる。近年の欧米人の健康志向の 高まりは、豊富な栄養素が欧米人の鹿 でのニュージーランドからの鹿肉の輸 一〇%に過ぎない(エゾシカ協会、二 肉食文化を形成してきた大きな要因と 入量が過去の同期間に比べて最大で 〇 〇 五 )。 日 本 も 他 国 に 比 べ 量 は 多 く 入している。 はないながらも、この国から鹿肉を輸 せる中、二〇〇五年の調査によると牧 このように鹿製品の需要が高まりを見 た 飼 育 頭 数 は、 現 在 百 十 万 頭( Deer 、 NZFarmer.co.nz 二〇一四) 、英国では二〇一三年七月 〜二〇一四年六月、国内の鹿肉の売上 注3 あ っ た こ と に 加 え( げがその一年前の同期間に比べ四一 ゾシカ協会、二〇〇五)に減少してお 場数約四千、飼育頭数百八十万頭(エ 現在ニュージーランドに生息する鹿 は元々十九世紀に英国から人々とス Kantar り、この十年間で鹿産業が縮小してし 三%増という結果が、調査会社 ポーツを行うために連れてこられた外 によって出されている( THE TIMES 、 二〇一四) 。英国における売上高の爆 ─ 28 ─ まったことが分かる。鹿肉の価格は景 需要が高まる中、今なお世界一の鹿製 品輸出大国であるニュージーランドが に鹿肉をはじめとした鹿製品を輸出す 給の不均衡が予測できる。日本が海外 扱う食肉処理施設に対して、各国から 図表7のような順序を辿った海外へ の輸出を提案する。まず何より鹿肉を ㈡ 実現するための方法 、 二 〇 一 四 )、 Industry New Zealand リーマンショック以降の世界の経済不 る余地はあるのではないだろうか。 このような状況にあるのであれば、需 況を受けて縮小してしまったと考えら 気変動の影響を受けやすいため( Deer れる。欧米そしてアジア諸国において 与えられる輸出許可を獲得することが 最優先である。北海道は、鹿の個体数 作物被害の軽減が期待できる。鹿肉輸 めて個体数減少にも資することで、農 鹿牧場の発展は、野性鹿の捕獲圧を高 新 た な 利 益 が 生 ま れ る。 そ れ に 加 え、 と共に、過去生み出されてこなかった 棄物として処理する負担が削減される れていない鹿肉輸出によって、鹿を廃 するべきであると提案する。現在行わ 養鹿)し、加工した鹿肉を海外へ輸出 生体捕獲して牧場で肥育(以下、一時 創出を達成する手段として、野性鹿を 捕獲した鹿の資源的活用による利益の 景に、 「鹿害」による地域負担の削減と 世界の強まる鹿肉需要と地域の推し 進める野性鹿肉の消費運動の実態を背 民間団体は鹿肉輸出に注力すべきであ えてその輸出を可能にし、地域および で検討してこなかったニホンジカを加 産物・食品輸出の品目の中に、これま 行うために、政府が現在推進する農水 標を定めている。そこで、鹿肉輸出を 兆円という農林水産省の掲げる政策目 品輸出額一兆円、二〇三〇年までに五 出額を二〇二〇年までに農水産物・食 現在、安倍政権は二〇一三年に五千 五百億円であった農水産物・食品の輸 模の産業を興すことを目標とする。 対して、二〇三〇年には百五十億円規 市場規模を有するニュージーランドに 品を世界で流通させ、現在二百億円の く角や革などを加工した日本製の鹿製 る。そして将来的には、鹿肉だけでな 額を十億円まで拡大させることを掲げ はエゾシカを一万頭輸出して鹿肉輸出 二〇年に輸出を開始し、二〇二五年に 鹿することが認められており、既に一 は、道内でのみ期間を限定して一時養 のための特別許可を得た場合において わりに、農作物被害防止・個体数調整 する完全養鹿を認めていない。その代 ように牧場内で出産から出荷まで肥育 えているため、原則として他の家畜の を減らすことが喫緊の課題であると捉 出 は 地 域 活 性 化 の た め に 欠 か せ な い。 ると考える。 ─ 29 ─ 第三章 鹿肉輸出の提案 輸出許可を獲得することで鹿肉輸出の (筆者作成) ㈠ 概要・目的 課題を乗り越え、鹿肉輸出を実行に移 すことで、鹿牧場は全国各地に増加す るだろう。短中期の目標として、二〇 図表7:鹿肉輸出の流れ には三百頭に及ぶ一時養鹿を行い、生 寒グリーンファーム」でも二〇一三年 の 数 は 年 間 五 百 〜 七 百 頭 に 上 る。「 阿 にわたって一時養鹿を行っており、そ 味が最も良くなる秋までおよそ半年間 わなを通じて生体捕獲し、エゾシカの で一月から翌年四月に図表9のような 支援を受けられる許可捕獲という形態 ム」 (図表8参照)では、自治体からの 在する。例えば「知床エゾシカファー 時養鹿を行う牧場が現時点で五カ所存 処理施設九十カ所を対象にその状態を 一般社団法人エゾシカ協会は、北海 道内のエゾシカ処理・加工を行う食肉 た質に変わる。 された野性のものに比べて食肉に適し 養鹿されたエゾシカ肉は同時期に捕獲 て肥育することで肉質は高まり、一時 味しくなる秋まで良い品質の草を与え 地域がほとんどだが、脂肪が乗って美 とは異なる時期に許可捕獲としている ている(北海道、二〇〇八)。食べごろ 鹿された頭数は年間約千頭と記録され 展開され、二〇〇八年の時点で一時養 業参入の誘因となる。初めは限られた を行う商社機能を持つ民間企業の鹿産 輸出許可を得ることは、食肉の輸出入 アジア・米国・EUからの輸出許可を 政 策 対 話 を 通 じ て 二 〇 二 〇 年 ま で に、 ている十五カ所の施設で処理・加工し、 たエゾシカ肉を、現在この認定を受け 養鹿を行う五カ所の牧場から生産され 二年七月より授けることとした。一時 であることを示す認定マークを二〇一 心・安全にエゾシカを届けられる製品 生基準をクリアした施設に対して安 基づいた処理に加えて、より厳しい衛 注4 産した鹿肉を釧路市の小中学生一万三 数国にしか輸出できなくとも、世界で 獲得することを目指す。一国だけでも 千人を対象に学校給食として供給して 調査し、二〇〇六年に北海道が策定し ─ 30 ─ た「エゾシカ衛生処理マニュアル」に (兵庫県森林動物研究センターより) おり、自治体との協力で地域貢献にも 図表9:箱わなと囲いわなの説明 取り組んでいる。近年、北海道ではこ (知床エゾシカファームより) 少しずつ認められることが各国のエゾ シカ肉に対する関心を惹くことにつな がり、鹿の輸出がいずれ多くの国で認 あたり三千 可 さ れ て い く と 考 え ら れ る。 そ こ で、 鹿肉の卸売価格が現在一 あたり三千 であるエゾシ 始め、鹿肉輸出を目指して全国で一時 て、その国外輸出の可能性が検討され いるため、エゾシカの輸出開始によっ 増加率が高く、より一時養鹿に向いて 東北地方など広範囲に生息するホン シュウジカはエゾシカよりも個体数の 売上額を約十億円とする。 カ一万頭の輸出を目指して、その目標 一頭の重量が約三十五 円で輸出すると想定し、二〇二五年に 三 )、 二 〇 二 〇 年 か ら 一 円前後であることから(和田、二〇一 kg kg kg のような取り組みが各地で力を入れて 図表8:知床エゾシカファームで一時養鹿する様子 国的にいずれ完全養鹿が認められるこ 減少を導くことで、北海道をはじめ全 場設置が捕獲圧を上昇させて個体数の 性があると第一章㈠で述べたが、鹿牧 ンジカの個体数が五百万頭に上る可能 業が形成される。二〇三〇年にはニホ 益は大きく増加し、国内で大きな鹿産 の輸出が検討され、鹿一頭あたりの収 どにも目が向けられて、需要ある国へ 将来的には、肉だけでなく、角・革な 出来上がることが見込まれる。そして に、民間組織が利益を創出する構造が 段によって地域負担が軽減すると同時 可を獲得し、全国で一時養鹿という手 でホンシュウジカも国内外から輸出許 衛生面に配慮して製品化を進めること 養 鹿 す る 動 き が 予 想 で き る。 や が て、 である。例え輸出できたとしても、外 「 外 国 人 が ニ ホ ン ジ カ 肉 に 魅 力 を 感 じられない」ことも非常に大きな課題 が求められる。 鹿肉を扱う食肉処理施設の改善・改良 援、民間団体にはこれを満たすための P取得のための設備投資に対しての支 ことは難しいため、政策にはHACC 無く、今のままではその基準を満たす 理施設はHACCPを意識する必要が ければいけない。現在、鹿肉の食肉処 CPという厳しい条件を必ず満たさな 肉を輸出する際には、衛生基準HAC なかった。中でもEU・米国などに鹿 はなかなか他国から受け入れられてこ どの影響で、日本の食肉はじめ畜産品 発事故の風評被害、各国の輸入規制な リーマンショック後に続いた円高や原 に限定して輸出されている。これまで には和牛がEUから認定を受けて輸出 録された。それに続き二〇一四年六月 「和食」はユネスコ無形文化遺産に登 ように、外国人は日本料理・日本産品 の日本貿易振興機構の調査でも分かる 供が最適であると考える。二〇一三年 本料理と鹿肉を合わせたイメージの提 後者は、ニホンジカ肉を海外に持ち 出すのには制限がかかることから、日 く必要がある。 間の管理方法について研究を進めてい 肥育することは難しいが、肥育する期 のであるため、他の家畜のように若齢 れるニホンジカ肉は一時養鹿されたも ばならない。前者については、生産さ 肉のプロモーション方法を考えなけれ には、品質の向上方法と、ニホンジカ ほか、二〇一四) 。そのた New Zealand め、ニホンジカの海外輸出成功のため が原因にある。現状として、畜産品の と示す客観的根拠が不足していること に足る衛生面へ十分に配慮されている 策対話の中でニホンジカ肉が輸出する られない」という課題は、中でも、政 輸出課題は大きく二つあり、図表2 で 述 べ た 通 り で あ る。「 輸 出 許 可 を 得 件で計算すると、ニュージーランド産 ニュージーランドドル=八十五円の条 ドの鹿肉輸出額と輸出量を参考に一 実際に、二〇一三年のニュージーラン ラ ン ド が 確 立 し て い る わ け で も な い。 和牛や黒豚のようにニホンジカ肉はブ ジ ー ラ ン ド に 比 べ 価 格 優 位 性 が な く、 国産鹿肉を大量生産しているニュー 鹿の印象を抱くことはまず無いうえに、 本人はおろか、外国人が日本に対して まず、ニホンジカ肉を過去にもみじ と呼ばれていたことから“Momij 実施が求められる。 けて考えられるようなイメージ戦略の には、外国人が日本料理と鹿を結び付 ニホンジカ肉をより魅力的にするため は 十 分 に あ る と 考 え ら れ る。 し か し、 諸外国がニホンジカ肉を輸入する意義 豊 か に す る こ と が で き る と い う 点 で、 れている。そのため、国内の食文化を 材の価値が認められていることが示さ が開始されており、世界で日本産の食 注6 輸出額は二〇一三年に三百八十二億円 の鹿肉は一 あたり千五十円で輸出さ ─ 31 ─ 注5 とも考えられ、鹿産業の発展する潜在 国人に受け入れられるのだろうか。日 を 非 常 に 高 く 評 価 し て お り、 同 年 に 的可能性は非常に高いと言えよう。 で(農林水産省、二〇一四)、食肉につ れ て い る こ と と な る( Deer Industry ㈢ 鹿肉輸出の課題とその克服方法 いては牛・豚・鳥が輸出許可を得た国 kg 調理を実演し、選手たちに提供するこ 村において上質な“Momiji”の と、加えて二〇二〇年東京五輪で選手 て鹿肉を日本料理の一つとして扱うこ て、自然と共生する生活スタイルとし 信する二〇一五年ミラノ国際博覧会に 使う様子の紹介や、日本食を世界に発 中で、伝統的な日本料理として鹿肉を なイベントであるジャパンエキスポの れる日本の文化を世界に伝える大規模 i”と名付ける。そして、毎年開催さ て提案する。 える機会の創出を課題克服の方法とし omiji”を扱うと共に、それを伝 料理への扱い方を伝え、国内では“M 店舗の協力の下、国内外で鹿肉の日本 や「無鹿」 (兵庫県)がある。こうした なものに「炉とマタギ」(東京都ほか) 用している飲食店は増えており、有名 肉を西欧の料理ではなく日本料理に使 がることを期待する。現在、国内で鹿 i”が自発的な宣伝を通じて評判が上 日本で味わった鹿料理と“Momij 外市場の開拓を行い、日本農業を活気 挑戦と並行して既に需要の存在する海 国内市場の開拓という難しい課題への じていない現状を把握した。潜在的な 主要な畜肉と代替して食べる意味を感 の肉よりも好きだ」という人は少なく、 を持ち、食べたことのある人でも「他 つい」 「美味しくない」というイメージ べたことの無い人は「固い」 「臭いがき した。鹿肉の流通は知っていても、食 ら鹿肉の国内市場開拓の難しさが判明 べきである。今回のアンケート結果か 輸出促進する農産物の対象となること いち早く鹿肉の輸出促進を政策提言し、 づけていくべきである。実現に向けて、 と で 体 調 管 理 の 手 助 け を す る と 共 に、 おわりに 鹿肉輸出が作る農業の新たな形 肉 の 生 産 に 可 能 性 を 見 出 す 人 が 増 え、 輸出が進むに従って一時養鹿による鹿 な変化が訪れる。北海道での鹿肉海外 とで、運営規模を拡大するという大き に、新天地において牧場設置を行うこ しては、牧場面積の拡張を図ると同時 るために、既存の五カ所の鹿牧場に対 れる。国外に十分な量の鹿肉を供給す がて本州でその動きの広がりが見込ま 牧場がまず北海道で規模を拡大し、や 輸出を通じて国内で一時養鹿を行う鹿 現在日本において、鹿を牧場で飼育 することは一般的でない。しかし鹿肉 大きく減少し、営農意欲が削がれるこ が支給制度に加わって、農作物被害が 対し、鹿牧場の参入により民間の活動 支給制度が一方的に行われてきたのに げるべく、国・自治体からの報奨金の できる。これまで低下する捕獲圧を上 み、鹿による農作物被害の軽減が期待 要因の一つでもある捕獲圧の改善が進 ることで、結果として、個体数増加の 大により鹿を生体捕獲する動きが強ま 業を目指す。一時養鹿を行う牧場の拡 営農意欲を低下させる鹿被害のない農 円 規 模 で あ っ た 農 作 物 被 害 を 減 ら し、 まった方を含め、多くの知識や示唆を 様など他にもお名前を聞きそびれてし 長の井田様・京都府文化環境部の藤原 様・一般社団法人エゾシカ協会事務局 我 部 喜 一 様、 常 務 取 締 役 曽 我 部 元 親 様・北泉開発株式会社代表取締役の曽 知床エゾシカファーム代表取締役富田 境生活部循環型社会推進課の花田様・ 局エゾシカ対策課の大野様・北海道環 論文作成にあたって調査にご協力い ただきました、北海道環境生活部環境 を目指さねばならない。 北海道だけでなく全国各地に、一時養 との無い農業が創造されるだろう。 害」の中でも大きなものである八十億 鹿という資源循環型農業を行う鹿牧場 礼を申し上げます。そして、作成した いただけたことに、この場を借りて御 《謝辞》 の設置が進むだろう。 鹿牧場といっても、鹿肉は国内消費 に依存するだけでなく、輸出もされる また、鹿肉輸出は、官民一体で「鹿 ─ 32 ─ アンケートに回答してくれた七十五名 域が拡大した。 となり、個体数が増加すると共に分布 〈 定について」環境省(二〇一三年) 注 3 フ ラ ン ス 語 の“ gibier ”が原語 で、狩猟して取られた野性鳥獣の獣肉 〔2〕「鳥獣被害対策の現状と課題」農 〉 council/12nature/y124-04/mat02.pdf (取得日:二〇一四年十月六日) http://www.env.go.jp/ と論文推敲にあたって助言をくれた友 人 た ち に も、 感 謝 の 念 に 堪 え ま せ ん。 を指す。 特に、忙しい中多くの時間を費やして 助言と激励をくれた同じ大学のワン http://www.maff.go.jp/j/seisan/ 林水産省(二〇一四年) 〈 への理解を深めていきます。今回、こ 日々自分の食を見つめ直し、日本農業 格(コーデックス)委員会から発表さ 関(WHO)の合同機関である食品規 食糧農業機関(FAO)と世界保健機 注5 HACCPとは、製品の安全を 確保する衛生管理の手法である。国連 〉(取得日: choju/docs/docs4/higai.pdf 二〇一四年十月六日) 〈 鳥獣の捕獲数」環境省 〉 tyozyu/higai/pdf/h 26 _ 7 _meguji.pdf (取得日:二〇一四年十月六日) のような良い機会がなければ農業をこ れ、各国にその採用を推奨している国 庁 〈 基づいた「食」に関する「習わし」を、 “ 「自然を尊ぶ」という日本人の気質に 〉 (取得日:二〇一四 higai/tyouju.html 年十月八日) http://www.rinya.maff.go.jp/j/hogo/ 〔4〕「野性鳥獣による森林被害」林野 https://www.env.go.jp/nature/ 〔3〕「狩猟及び有害捕獲等による主な れほどまで深く考えることはありませ 際的に認められたものである。 ソン、ドリーム・ヒルトムラウシ 注4 阿寒グリーンファーム、ユック、 知床エゾシカファーム、サロベツベニ ダーフォーゲル部有田一貴、堀江凱生、 そして水上遥には心から感謝していま す。本当にありがとうございました。 この論文執筆を機に、日本の農作物 がどういった背景から生産されている のかを見つめる姿勢を学ぶことができ んでした。ヤンマー株式会社とこの論 ました。これからはその姿勢を持って 文コンテストに携わる方々に厚く御礼 申し上げます。 注6 南北に長く、四季が明確な日本 には多様で豊かな自然があり、そこで 注1 政策意義は、①農林水産物・食 品の新たな販路拡大、所得の向上②国 「和食:日本人の伝統的な食文化」と 生まれた食文化もまた、これに寄り添 内価格下落に対するリスクの軽減③海 【注釈】 外輸出を通じた国内ブランド価値の向 題して、ユネスコ無形文化遺産に登録 http://deernz.org.nz/about-deer- 〉 industry-statistics#.VDVadrDkdcQ (取得日:二〇一四年十月四日) 〈 【参考文献】 〔6〕「農林水産物・食品の輸出促進対 industry/deer-industry/deer- 〔1〕「統計処理による鳥獣の個体数推 う よ う に 育 ま れ て き た。 こ の よ う な、 上、経営に対する意識改革④地域経済 された。(農林水産省、二〇一四) 〔5〕 Deer Industry New Zealand ”(二〇一四 Deer Industry Statistics 年) の 活 性 化、 と な っ て い る。( 農 林 水 産 省、二〇一四) 注2 一九八〇年代以降の温暖化によ る積雪量の減少から、容易に採食可能 ─ 33 ─ 策の概要」農林水産省(二〇一四年) 〈 http://www.maff.go.jp/j/shokusan/ 〉( 取 得 export/pdf/meguji_2609.pdf 日:二〇一四年十月六日) 〔7〕 『ジビエを食べれば「害獣」は減 るのか』和田一雄(八坂書房、二〇一 三年)三一頁、三六〜三八頁 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/ カの推定生息数について」北海道 〔8〕 「平成二十四年度におけるエゾシ 〈 〔 〕「捕獲した野性獣の有効活用につ いて」長野県 設」京都新聞 一六一頁 〕 「 Venison exports rise 」 NZFarmer. http://www.stuff.co.nz/business/ co.nz back http://www.thetimes.co.uk/tto/life/ 〕「香港における鹿肉および鹿角製 〉 (二〇一四年) food/article4149309.ece (取得日:二〇一四年十月七日) 〈 〔 〕「 Why venison 」 THE TIMES fashion 〉( 二 〇 一 四 年 ) Venison-exports-rise (取得日:二〇一四年十月七日) farming/agribusiness/ 9 8 2 7 5 8 5 / 〈 〔 〈 http://www.pref.nagano.lg.jp/yasei/ 〔 〕 「広がり始めたシカの食肉利用」 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の結果を踏まえ、うずらの卵市場拡大 のインタビュー調査の結果を示す。そ 以下、第二章ではうずらの卵市場を 概観する。第三章では室蘭うずら園へ ずらの卵市場拡大に向けての提言を行 の解決方法を検討することにより、う 拡大への課題を明らかにし、その課題 本稿では、室蘭うずら園へのインタ ビュー調査を踏まえ、うずらの卵市場 研究の目的 の企業城下町であり、「鉄のまち室蘭」 用したプリンが販売されていた。私は、 では、鶏卵との差別化要因として、 「う と称されてきた。このように、室蘭市 故郷の数少ない特産物が使用されてい ずらの卵のサイズ」と、 「うずらの卵の 第二節 は重化学工業で栄えてきた都市であり、 ることに惹かれ購入し、プリンを食べ 殻」に注目し、それぞれの要因を考慮 第一節 問題意識 し い こ と に、 室 蘭 市 か ら 離 れ る ま で、 農業はあまり盛んではなく特産物もこ てみると、今まで食べたことのないよ 第五章では、本稿の結びとして結論を ─ 39 ─ うずらの卵が室蘭市の特産物であるこ れといったものは見当たらない。 うな濃厚な味わいや風味に、非常に感 し た マ ー ケ テ ィ ン グ 戦 略 を 提 示 す る。 (筆者作成) うことを目的とする。 しかし、室蘭市の数少ない特産物の 銘を受けた。 示す。 け、近年室蘭市の経済活動は衰退しつ 「 鉄 の ま ち 室 蘭 」 と し て 活 気 あ ふ れ た我が故郷であるが、不況の煽りを受 る鶏卵に大きく水を空けられている。 しかし、その売上高は同じ食用卵であ とりあげられる機会が多くなっている。 ずらの卵はテレビなどのメディアでも デパートの物産展でうずらの卵のプ リンが出品されているように、最近う 図表1 室蘭市の所在 始められたうずらの卵の生産は、一個 る。戦後数軒の家で内職程度に手がけ され出したのは明治中期といわれてい 櫻井(一九八六)によると、うずら の卵が現在のように採卵用として飼育 また、第三章第二節でも言及するが、 年間生産量を市場規模とすると、うず られているといわれている。 の六〇〜七〇%が愛知県豊橋市で占め 個の卵が生産されている。全国生産量 万羽であり、一日につき約四百二十万 第二節 うずらの卵の関連商品 1 が存在する。 る。特に室蘭うずら園のうずらの卵の アイスクリーム、饅頭などがあげられ 卵もその例外ではない。うずらの卵か 沿革を述べる。インタビュー調査は二 本節では、室蘭うずら園へのインタ ビュー調査をもとに、室蘭うずら園の 徐々に注目を集めてきている。 ら作られるお菓子としては、プリンや 第一に、生卵である。鶏卵と同じよ うに、うずらの卵はパック詰めにされ プリンはメディアでも紹介されるなど、 第一節 室蘭うずら園の沿革 第三章 インタビュー調査 できる。 て十個入り百円程度で販売されており、 類のお菓子が作られており、うずらの 第三に、お菓子である。鶏卵の例に みられるように、食用卵では様々な種 のである(図表3)。 味付け卵などに加工し、袋詰めしたも 第二に、ゆで卵の加工品である。こ れはうずらの卵のゆで卵を水煮、燻製、 図表3 うずらの卵の様々な加工品 全国各地のスーパーで目にすることが 現在市場に出回っているうずらの卵 の関連商品としては、主に三つの種類 (2014年9月20日筆者撮影) 第二章 うずらの卵市場の現状 2)。 うずらの卵についての統計的データ は公表されていないため概算ではある あたりのうずらの卵の価格が、鶏卵の らの卵市場の規模は約二十万tであり、 第一節 うずらの卵市場の推移 約半分の価格であることから、次第に 鶏卵の約一〇〇分の一である。 が、近年では全国の養鶏羽数は約六百 需要が伸びた。昭和四十年代に入ると、 (出典:中央畜産会「家畜改良関係資料」を参照 に筆者作成) ─ 40 ─ 加工分野が開発されたため急成長を始 め、一軒につき万単位のうずらが飼わ れるようになった。しかし、近年のう ずらの飼育数は減少傾向にある(図表 図表2 全国のうずら飼育数 ることとなった。 に経営参画するかたちで、事業に関わ 二〇〇八年に前職を定年退職して札 幌から室蘭に移り住み、室蘭うずら園 いた三浦氏である。 たのが、ホクレンの卵部門を担当して を持つ会社を再建しよう」と乗り出し 振に直面した。その際に「貴重な施設 は、数年前に後継者不足と売り上げ不 (以下、三浦氏)である。室蘭うずら園 代表取締役を務めている三浦忠雄氏 今回インタビュー調査を行ったのは、 二〇一〇年から室蘭うずら園において る(図表4) 。 置しており、周りを自然に囲まれてい ずら園は、室蘭市石川町の山間部に位 〇一四年八月十一日に行った。室蘭う 増加した。二〇一三年の商品それぞれ 二〇一三年には約一億九千八百万円に 年 に 約 一 億 七 千 万 円 だ っ た 売 上 高 は、 ていった。三浦氏が就任した二〇一〇 このような積極的な商品開発が功を 奏し、室蘭うずら園の売上高は増加し な商品開発の案を練っている。 ムなどが販売されており、現在も新た 子としては、カステラやアイスクリー を始めた。うずらの卵を使用したお菓 プリンなどの製造工場を新設し、製造 化した。二〇〇九年には事務所の隣に を使った数種類のプリンを次々と商品 ゆりねといった、周辺の地域産の食材 ると判断し、室蘭産の牛乳、真狩産の ためには高付加価値の商品が必要であ しかし三浦氏は、同社の業績を伸ばす の 卵 の 水 煮 と 味 付 け 卵 の み で あ っ た。 も成人男性の握り拳程度の大きさ(体 ンパクが必要である。うずらは成鳥で エサには良質の魚粉を主体とした高タ するかがわかる。そのため、うずらの めにはいかに大きなエネルギーを消費 鶏卵が体重の約四%ということから 考えると、うずらが一つの卵を産むた の比較を図表5に示した。 〜一〇%に当たる。鶏卵とうずらの卵 度であり、これはうずらの体重の約八 だ。うずらの卵は一個約十〜十二g程 その原因は、うずらのエサにあるそう い わ れ る ほ ど 衛 生 管 理 が 困 難 で あ る。 美濃口(二〇〇九)によると、うず らは畜産業界の中で最も悪臭がすると 管理である。 という。その中の一つが徹底した衛生 め、三浦氏は様々な施策を講じてきた 五百万円、生卵が約六千万円、プリン が約四千万円、水煮卵が約二千五百万 (2014年9月20日筆者撮影) 円となっている。 現在室蘭うずら園では従業員は二十 三名在籍しており、約十万羽のうずら を飼育している。これら十万羽のうず ら は、 一 日 に 七 〜 八 万 個 の 卵 を 産 み、 そのうち約三万個の卵は孵化させ、そ れ以外の卵は加工、もしくはパック詰 めにして出荷している。 こ の よ う に、 成 長 の 一 途 を 順 調 に 辿っているようにみえる室蘭うずら園 だが、いくつもの苦難を乗り越えるた 図表5 鶏卵とうずらの卵の大きさの比較 の売上高の内訳は、味付け卵が約七千 (2014年8月11日筆者撮影) 三浦氏が経営に参画する以前は、室 蘭うずら園で販売していたのはうずら 図表4 室蘭うずら園の様子 ─ 41 ─ 長十五 が悪臭を放ってしまう。そこで三浦氏 タンパクなエサを必要とするため、糞 ように、うずらは魚粉を原料とした高 )で、体重百三十gほどの小 さな鳥であり、食べたエサはすぐに糞 らに与えることで、殺菌効果とともに、 として排泄される。その糞が腐敗する うずらの免疫力を高め、病気にかかり は乳酸菌などを活用した臭みがないエ 自然本来の姿で飼育する平飼いが可能 サの改良に成功した。そのエサをうず であり、単位面積当たりの飼育羽数が にくくすることが可能である。 と、悪臭が発生し、ハエで鶉舎が埋め 少ないため、糞臭も少なく病気にもか 尽くされる。鶏なら、広い大地の上で かりにくい。 第二に、HACCP方式の導入であ る。三浦氏は、前職のホクレンで鶏卵 たりの羽数では養鶏の二十〜三十倍 ゲージの中で飼育される。単位面積当 にバタリー式という階層住宅のような 他方、うずらは恒常的に二十四℃と いう比較的高い温度を必要とし、一般 式を導入した。 の科学的管理方式であるHACCP方 の経験を活かして室蘭うずら園に食品 の衛生管理を担当した経験があり、そ を、購入の決め手にしてくれないのだ 図表6に示した。図表6を見ると、う という。その原因はうずらの卵の価格 エサの改良、HACCP方式の導入 という二つの施策により、安全・安心 このような徹底した衛生管理により、 室蘭うずら園は安全・安心でおいしい のうずらの卵を消費者に届けられるの うずらの卵を消費者に提供しているが、 に存在する。 に高密度で飼育され、高密度かつ高温 において、弱毒タイプの高病原性鳥イ 経営の実情は芳しくはないと三浦氏は こから約一年間、卵を産む。鶏が約九 の中で飼育されることも、悪臭が発生 ンフルエンザの発生が確認された。最 語る。 十日で育ち、約二年半の間卵を産むの ずらの卵は鶏卵よりも驚くほど栄養価 終的に、ウイルスもしくは抗体が確認 原因の一つとして、うずらの卵の消 費量の少なさがあげられる。日本人の と比較すると、うずらの産卵期間は短 が高いことがわかる。 された七戸のうずら農家の約百六十万 うずらの卵の年間消費量は一人あたり いように思える。さらに、育成率、孵 である。 「安全は農場でつくるもの。安 羽ものうずらが殺処分されたことは記 約十個であり、鶏卵の約三十三分の一 化率もうずらのほうが低いことを考慮 心 は 人 が つ く る も の 」。 三 浦 氏 の こ の 憶に新しい。 という少なさである。さらに、栄養価 しやすい原因である。 そこで三浦氏は安全・安心のうずら の卵を消費者に届けるため、前職のホ の高さの認知不足もあげられる。ここ うずらの主要産地である愛知県豊橋市 クレンで培った技術を活かし、主に以 うずらは卵を産めるように成長する まで生まれてから約五十日かかり、そ 下の二点の方法で衛生管理を行った。 すると、うずらのほうが鶏よりコスト しかし、三浦氏によると、消費者は うずらの卵の栄養価の高さやおいしさ (出典:美濃口(2009、p.44)の表をもとに筆者作成) でうずらの卵と鶏卵の栄養価の比較を (坪当たり七百〜九百羽)であり、非常 鶏卵 151 12.3 10.3 180 1.8 150 0.06 0.43 言葉が強く印象に残っている。 (100gあたり) このように、うずらは衛生管理が大 変難しい生物であり、二〇〇九年には 図表6 うずらの卵と鶏卵の比較 第一に、エサの改良である。前述の 3 ─ 42 ─ 2 うずらの卵 179 12.6 13.1 220 3.1 350 0.14 0.72 エネルギー(kcal) タンパク質(g) 脂質(g) リン(mg) 鉄分(mg) レチノール(μg) ビタミンB1(mg) ビタミンB2(mg) cm がかかるのは一目瞭然である。管理や 飼料にコストがかかることで鶏卵より 価格が高くなってしまうため、いくら う ず ら の 卵 の 栄 養 価 が 高 い と は い え、 うずらの卵は消費者に受け入れられに くいものになってしまうと考えられる。 三浦氏は、室蘭うずら園の今後の課 題として鶏卵との差別化をあげていた。 現状において価格面ではどうしても鶏 卵に劣ってしまうため、栄養価と価格 以外の要因を探求する必要があると指 うずらの卵市場拡大への課題 摘していた。 第二節 (筆者作成) うずらの卵の生産効率は、鶏卵の生産 効率よりも低くならざるをえない。し たがって、うずらの卵の価格を鶏卵の 価格と同等にすることは容易ではない。 前述の通り、うずらの卵は鶏卵より 栄養価では上回っている。現在室蘭う ずら園では、市場拡大のため、うずら の卵のプリンを主力商品として売り出 している。他のうずら農園においても、 お菓子などのうずらの卵を使用した加 工食品に注力し、販売していくことで 市場拡大を図っていることがパンフ レットやホームページなどからわかる。 しかし、うずらの卵のプリンやお菓子 は、鶏卵でも十分に代替が可能であり、 差別化要因が栄養価のみになっている。 本節ではまず、インタビュー調査で 明らかとなった鶏卵と比較したうずら 提示する。 第四章 鶏卵とうずらの卵の比較分析 第一節 うずらの卵の三つの差別化要 の卵の差別化要因をあげる。鶏卵に対 踏まえ、本稿の目的であるうずらの卵 本章では、第三章第二節で明らかに なったうずらの卵市場拡大への課題を うずらの卵の栄養価は鶏卵と比べて著 第 一 に、 栄 養 価 が 高 い こ と で あ る。 第 三 章 第 一 節 で も と り あ げ た よ う に、 因 価格と市場規模の比較を図表7に示し 市場拡大へ有効な戦略とは何かという し く 高 い。 特 に ビ タ ミ ン するうずらの卵の差別化要因は、以下 た。図表7から、価格面ではうずらの 問いに対し、うずらの卵の鶏卵に対す の三点である。 卵は百gあたり約七十円も鶏卵より高 る三つの差別化要因を考慮した方策を は鶏卵の いことがわかる。 価の比較に続き、うずらの卵と鶏卵の らかにするため、第一節で行った栄養 卵は鶏卵に競合で負けているのかを明 けられている。そこで、なぜうずらの と、うずらの卵は鶏卵に大きく水を空 市場規模や消費量の視点から分析する 食用卵としてのうずらの卵の最大の 競合食品は、当然鶏卵である。現在の したがって、栄養価以外の差別化要因 約200万t を探求することが、うずらの卵市場拡 約2万t 大 へ の 大 き な 障 害 で あ る。 イ ン タ 市場規模 ビュー調査から明らかになったように、 約17.2円 本節では、第一節で述べた室蘭うず ら園へのインタビュー調査の結果を踏 約 10円 まえ、うずらの卵市場拡大への課題を 価格(卵1つあたり) 大の課題である。 約28.6円 う ず ら は 鶏 に 比 べ 育 成 が 困 難 な た め、 鶏卵 約100円 これは、うずらの卵にとって市場拡 B1 5 ─ 43 ─ うずらの卵 価格(100gあたり) 述べていく。 図表7 うずらの卵と鶏卵の価格と市場規模4 るのに対し、うずらの卵は三 中華丼や月見うどんがあげられる。鶏 される代表的な料理のシーンとしては、 第二に、鶏卵に比べてサイズが小さ いことである。現在うずらの卵が使用 HAは三・五倍となっている。 五・二倍、メチオニンは二・八倍、D ることや、鶏卵を殻ごと食べることは うずらの卵のような小さいサイズにす 代替が困難である。なぜなら、鶏卵を しかし、本節で明らかとなった第二、 第三の差別化要因であれば、鶏卵では あると感じていると考えられる。 ず、鶏卵の栄養価で十分に代替可能で らの卵ほどの栄養価は必要としておら は魅力的であるのだが、消費者はうず くれないという。確かに栄養価の高さ トである。 は、トマトを代替商品とするミニトマ 成功させている商品が存在する。それ える位置づけにおいても、棲み分けを しかし、うずらの卵のような、代替 商品との棲み分けが困難であるかにみ うことである。 であり、価格面においても不利だとい 品、つまり鶏卵でも代替が可能な商品 えられる。その位置づけとは、競合商 ほどの ほどのサイズであ サイズである。前述の中華丼や月見う 不可能であるからだ。現状では、購入 第三に、殻ごと食べられることであ る。鶏卵の殻の薄さが〇・三 程度で あろう。 そこで以下では、第二、第三の差別 化要因である、鶏卵に比べてサイズが に実現させていないのである。 るため、うずらの卵は市場拡大を十分 因を考慮した市場拡大戦略を図ってい の決め手になりにくい第一の差別化要 プラクティスという。 倣すべき超優良企業のことを、ベスト いう考え方が存在する。このとき、模 存在し、他の企業が超優良企業を模倣 る超優良企業には、一貫した共通項が によると、素晴らしい業績を収めてい 〜七 どんに使用する際には、うずらの卵の あるのに対し、うずらの卵の殻の薄さ 小さいこと、つまり、 「うずらの卵のサ 卵は直径六 サイズでなければ用途にそぐわないで ところで、経営学の権威であるピー タ ー ズ = ウ ォ ー タ ー マ ン( 一 九 八 三 ) しかないため、殻ごと食べることが可 イズに着目した分析」と、殻ごと食べ 一 般 的 に ベ ス ト プ ラ ク テ ィ ス と は、 業界内外の最良の手法を行っている実 程度と鶏卵の半分ほど することで、一定の成果が得られると 能であり、鶏卵に比べて調理法にバリ られること、つまり「うずらの卵の殻 践例を見つけ出し、その実践例を模倣 することで、課題解決の手法を見つけ 章第一節でも述べたが、三浦氏へのイ していると考えられる。しかし、第三 ち第一の栄養価が高いことのみが機能 鶏卵に対するうずらの卵の位置づけ を考慮すると、うずらの卵は市場拡大 略を提示する。 らの卵のサイズを活かした市場拡大戦 本節では、うずらの卵が目指すべき、 ある食品の成功事例を参考にし、うず ㈠ミニトマトのケース の 卵 の 関 係 性 が 類 似 し て い る こ と を、 示する。ここで、ミニトマトとうずら ニトマトを模倣した市場拡大戦略を提 点から、ミニトマトをうずらの卵のベ 出すものである。本節では経営学的視 ンタビュー調査によると、消費者は第 第一に、代替商品とはサイズ面で大 小関係にあることである。第四章第二 以下の二点において説明する。 ストプラクティスとして位置づけ、ミ 一の差別化要因である、うずらの卵の これらの加工商品において、本節で 明らかになった三つの差別化要因のう 状であった。 して商品展開がなされていることが現 ムなどのうずらの卵の加工品を中心と は、〇・一六 エ ー シ ョ ン を 持 た せ る こ と が で き る。 に着目した分析」を行う。 mm に成功することは大変困難であると考 第二節 サイズに着目した分析 第二章第二節で確認したように、うず cm らの卵市場ではプリンやアイスクリー cm 栄養価の高さを購入の決め手にはして ─ 44 ─ cm mm のサイズであり、これら二 のサイズがあるのに対し、うずらの 節でも述べたが、鶏卵は直径約六〜七 卵は約三 であるのに対し、ミニ であることから、同様 cm cm たものが図表9である。 価、価格、市場規模をそれぞれ比較し 続いて、鶏卵とうずらの卵でも行っ たように、トマトとミニトマトの栄養 拡大し続けていることがわかる。 見ると、ミニトマトは安定して市場を 図表8に、トマトに対するミニトマ トの出荷量の割合を示した。図表8を のとなりうる。 した市場拡大戦略は、十分に有効なも プラクティスとしてうずらの卵に適用 られる。つまり、ミニトマトをベスト 以上の二点より、ミニトマトとうず らの卵の関係性は類似していると考え の理由から、代替可能であるといえる。 も、鶏卵とうずらの卵のケースと同様 及した。トマトとミニトマトにおいて シーンで代替されていることは先に言 ステラなどの従来鶏卵が使用される ることから、うずらの卵がプリンやカ 代替商品である鶏卵と味が類似してい 第二に、料理のシーンにおいて代替 商品との棲み分けが可能なことである。 の大小関係にあるといえる。 トマトは約三 径が約七〜八 とミニトマトにおいても、トマトの直 つは大小関係にあるといえる。トマト cm 図表8と図表9を見ると、ミニトマ (出典:農林水産省「野菜のページ」を参照に筆者作成) 図表9 トマトとミニトマトの比較6 つまり、ミニトマトの栄養価以外の 成功要因を明らかにすることができれ いいがたい。 買を促しているのは栄養価であるとは が、うずらの卵と同様に、消費者の購 に百gあたりの栄養価はトマトに勝る える。ミニトマトもうずらの卵と同様 すると、市場拡大に成功しているとい 場規模が約百分の一であることを考慮 であり、鶏卵に対するうずらの卵の市 トの市場はトマトに対して約六分の一 図表8 トマトの出荷量に対するミニトマトの出荷量割合の推移 ば、ミニトマトをうずらの卵のベスト ある。非加熱操作の種類は非常に多い 物性に物理学的変化をもたらす操作で 非加熱操作とは、食品を加熱するこ となく力学的な変化を加えて、外観や がある。 食品をかざして加熱する乾式加熱など 加熱や、熱源に直接、または間接的に 加熱操作とは、調理の主要な操作で あり、水や水蒸気を熱媒体とする湿式 加熱操作と非加熱操作である。 南 出・ 大 谷( 二 〇 〇 〇 ) に よ る と、 調 理 に は 主 に 二 つ の 操 作 が 存 在 す る。 ㈡調理の四類型の提示 的とし、分析を行う。 トの成功要因を明らかにすることを目 能となる。そこで以下では、ミニトマ プラクティスとして適用することが可 (栄養価、価格は100gあたり) トマト ミニトマト エネルギー(kcal) 19 29 0.7 1.1 タンパク質(g) 0.1 0.1 脂質(g) 4.7 7.2 炭水化物(g) カリウム(mg) 210 290 カルシウム(mg) 7 12 鉄分(mg) 0.2 0.4 カロテン(μg) 540 960 1.4 食物繊維(g) 1 価格(円) 約100 約168 市場規模(百t) 約644 約105 が、 主 な 具 体 例 と し て は、 切 断 す る ─ 45 ─ (筆者作成) cm 類型化することが可能である。本稿で 熱操作の二軸により、四つのタイプに これらのレシピを検討すると、それ ぞれのレシピは前述の加熱操作と非加 四)を参考にした。 ミニトマトについては、志賀(二〇一 ては、吉村(二〇一三)を、トマトと 行う。今回、鶏卵とうずらの卵につい されたレシピを分類することで検討を で使用されているか、参考文献に記載 次に、トマトとミニトマト、鶏卵と うずらの卵が、どのような調理シーン などが存在する。 す る( 混 ぜ る、 和 え る、 こ ね る な ど ) 砕する(おろす、砕く、つぶす)、混合 (切る、はぐ、そぐ、きざむなど)、摩 が図表 である。 レシピ数をカウントしてまとめたもの また、参考文献に記載されているレ シ ピ が、 ど の タ イ プ に 属 し て い る か、 示した。 トマト・ミニトマトの代表的な料理を また、各セルには鶏卵・うずらの卵と、 セ ル を「 ソ ー ス タ イ プ 」 と 定 義 し た。 イプ」、 「非加熱」の行・「変型」の列の の行・「原型」の列のセルを「サラダタ の セ ル を「 ケ ー キ タ イ プ 」、「 非 加 熱 」 熱」の行・「原型」の列のセルを「丸焼 たか否かを示している。本稿では、 「加 おり、原型、変型は非加熱操作を加え 熱は加熱操作を加えたか否かを示して きタイプ」、 「加熱」の行・「変型」の列 はこの類型を、調理の四類型と位置づ 図表 、図表 を参照すると、鶏卵 とうずらの卵において、四つすべての タイプで主に使用されているのは鶏卵 いてトマトが主に使用されているのに は、ケーキタイプとソースタイプにお であるサイズを活かした十分な差別化 うずらの卵は鶏卵に対して差別化要因 場拡大に成功した要因である。しかし、 である。他方、トマトとミニトマトで 対し、丸焼きタイプとサラダタイプに 析する。図表 を行うことができていないため、鶏卵 マトによる代替は、原型の列でのみ生 に使用シーンを奪われてしまった。 トマトとミニトマトで使用シーンの 棲み分けが行われている理由は、ミニ じていることがわかる。これは、非加 おいてはミニトマトが使用されている トマトはトマトに比べてサイズが小さ 熱 操 作 を 加 え て 食 材 を 変 形 さ せ る と、 ため、トマトとミニトマトの使用シー いということを有効活用できているか を参照すると、ミニト らである。使用シーンの差別化が行わ 次に、ミニトマトはどのようにして サイズを活かすことができたのかを分 (筆者作成) ンの棲み分けが行われている。 図表11 タイプ別のレシピ数の比較 差別化要因であるサイズを活かすこと ─ 46 ─ 鶏卵とうずらの卵のレシピ数 トマトとミニトマトのレシピ数 7 にその四類型を提示した。 11 れていることこそが、ミニトマトが市 11 ける。図表 (筆者作成) 10 11 9 8 10 調理の四類型において、加熱、非加 図表10 調理の4類型 ことから、消費者はトマトを選択する ことは難しい。トマトより価格も高い ズを活かしてトマトとの差別化を図る 状にしてソースにしてしまえば、サイ る。たとえば、ミニトマトをペースト ができなくなるためであると考えられ ものである。図表 は、筆者が自身で 当の中身をキャラクターなどに模した ご存じだろうか。キャラ弁とは、お弁 弁当(以下、キャラ弁)というものを 用のお弁当で使われる、キャラクター ではお弁当での使用を提案する。子供 まる調理の一例をあげるならば、本稿 本節では、うずらの卵のもう一つの 差別化要因である殻を食べられること、 ㈠殻の効用 場の拡大には重要である。 戦略を展開することが、うずらの卵市 調理したうずらの卵を使用したキャラ つまり、ミニトマトにとって、丸焼き 使用シーンにはそぐわないからである。 マトではサイズの観点から、お弁当の あることは、十分に消費者に認知され うずらの卵がキャラ弁に適した食材で し使用しているケースである。しかし、 一部の消費者が独自に用途を見つけ出 このように、現在でもうずらの卵は キャラ弁に使用されているが、これは ある。 うずらの卵は殻を食べることが可能で し、うずらの卵の殻の薄さは〇・一六 第四章第一節でも述べたが、鶏卵の 殻の薄さが〇・三 程度であるのに対 つ ま り、「 う ず ら の 卵 の 殻 に 着 目 し た タイプとサラダタイプの原型の列に特 てはいない。そこで、市場拡大戦略と 近年、日本ではカルシウム不足が取 りざたされている。カルシウム不足が 程度と鶏卵の半分ほどしかないため、 分析」を行う。 化 す る こ と が、 市 場 拡 大 へ の マ ー ケ して、キャラ弁用のレシピを載せたう 弁である。 第三節 殻に着目した分析 と推測される。 しかし、お弁当のおかずに使用する 際などには、原型を保ったままのミニ ティング戦略だったのである。 ずらの卵を販売するなど、キャラ弁用 慢性的に続くと、常に骨からカルシウ トマトが好まれるだろう。なぜならト 現在うずらの卵の関連商品はプリン やアイスクリームなどの加工食品が大 のうずらの卵としてのマーケティング mm ) 。 ウムという名前でカルシウム剤として 鶏卵やうずらの卵の殻の約九四%は カルシウムでできており、卵殻カルシ 九九〜一〇三頁)。 研究からわかった(江澤他、二〇〇一、 き起こす原因にもなることが、最近の ウムが血管壁に付着し、動脈硬化を引 留まらず、血液中に放出されたカルシ に、カルシウム不足の影響は骨だけに 骨粗しょう症になりやすくなる。さら ムが溶け出すことで、骨が脆くなって 10) 市販されている(図表 ─ 47 ─ 12 多数を占めており、それは四類型のう ち、 ケ ー キ タ イ プ や ソ ー ス タ イ プ の、 変型の列に当てはまる。 しかし、これでは鶏卵との差別化を 図ることは難しい。したがって、ベス トプラクティスであるミニトマトを模 倣し、うずらの卵は原型の列に特化す る必要がある。このようにすることで うずらの卵の差別化要因である、鶏卵 に比べて小さいこと、つまり「うずら の卵のサイズ」を活かすことができる (2014年9月20日筆者撮影) mm うずらの卵の場合、卵一つの殻につ 13 のである。 ㈢具体例の提示 ここで、うずらの卵の原型に当ては 図表12 うずらの卵のキャラ弁 き約四百㎎のカルシウムが含まれてい (2014年9月20日筆者撮影) 必要摂取量に達することができる。 卵の殻を二個分摂取することで一日の 摂取量は八百㎎であるため、うずらの る。成人男性の一日のカルシウム必要 不快感は少しもなく、お酒のおつまみ を間違って食べてしまった時のような 非常においしく感じられる。鶏卵の殻 様の食感であり、カリッとした食感が 想としては、ポテトチップスとほぼ同 けの簡単なものである。食べてみた感 揚げ粉をまぶして高温の油で揚げるだ おいしく食べることができる。 られ、ふわふわの中身と相まって大変 うずらの卵は薄いため、抵抗なく食べ あ る。 も ち ろ ん 殻 ご と 食 べ る の だ が、 の卵を殻ごと串に刺して焼いたもので に刺して焼いたものではなく、うずら も、通常思い浮かべるように鶏肉を串 て有効な戦略とは何かという問いに対 に、鶏卵に対するうずらの卵の差別化 対する差別化要因を明らかにした。次 その課題を解決するために、まず鶏 卵との比較から、うずらの卵の鶏卵に ないことであると指摘した。 てみてはいかがだろうか。 ているため、機会があれば召し上がっ 現在うずらの卵の焼き鳥は全国の焼 き鳥屋で提供しているお店も増えてき 殻が食べられることによるカルシウ ム摂取以外のメリットとしては、食感 )。 焼 き 鳥 と は い っ て 第五章 結び あ げ る( 図 表 に優れていること、そして生ごみを減 りうるだろう。 ㈡具体例の提示 殻を調理する方法としては、殻のみ を調理する方法と、殻と中身を同時に 調理する方法の二つが存在する。 し、室蘭うずら園へのインタビュー調 本 章 で は 結 び と し て 結 論 を 述 べ る。 本稿では、うずらの卵市場拡大へ向け 査をもとに、うずらの卵市場拡大への は筆者が調理したうずらの卵の 要因である、鶏卵に比べてサイズが小 図表 殻チップスである。 課題とは、鶏卵との差別化を図れてい まず、殻のみを調理する方法として、 う ず ら の 卵 の 殻 チ ッ プ ス を 提 案 す る。 15 られることは鶏卵との差別化要因にな にも適した料理であるだろう。 (2014年9月20日筆者撮影) らせることなどがあげられる。これら 図表15 うずらの卵の焼き鳥 の理由により、うずらの卵の殻を食べ (2014年9月20日筆者撮影) 次に、殻と中身を同時に調理する方 法として、うずらの卵の焼き鳥をとり 図表14 うずらの卵の殻チップス 調理手順は、うずらの卵の殻にから 14 ─ 48 ─ 図表13 卵殻カルシウムの活用例 11) 踏まえた、二点の提案を行った。 さいことと、殻ごと食べられることを 【注釈】 礼申し上げます。 ずら園代表取締役三浦忠雄氏に深く御 卵よりもうずらの卵のほうがおいしく リームなどを何度も試食した結果、鶏 卵の差別化要因には加えないこととす 指標ではないので、本稿ではうずらの 感じた。しかし、おいしさは客観的な 本 稿 で は こ れ ら の、「 う ず ら の 卵 の サイズ」と「うずらの卵の殻」の観点 からの二点の提案が、うずらの卵市場 拡大への有効な戦略であるという結論 に至った。以上が本稿の結論である。 私の故郷の室蘭市は、戦後「鉄のま ち室蘭」として、日本の高度経済成長 を 重 化 学 工 業 の 側 面 か ら 支 え て き た。 豊 橋 う ず ら 農 協( http://www. る。 )を参照。 uzura.or.jp/ 各栄養価については、文部科学省 H A C C P 方 式 と は、 Hazard 「食 品 成 分 デ ー タ ベ ー ス 」 を 参 照 に 筆 Analysis Critical Control Point 者作成。価格については、コープ札幌 北十二条店の二〇一四年八月十八日付 道 有 数 の 都 市 と し て 発 展 し て き た が、 訳 さ れ て い る。 食 品 の 安 全 性 の 略 称 で、 食 品 の 危 害 分 析・ System 重要管理点(管理または監視)方式と ては、農林水産省「野菜のページ」を の価格をもとに掲載。市場規模につい 室蘭市自体もその恩恵を享受して北海 近年では新興国の鉄鋼業が台頭してき よび品質( quality )を確認するための 計画的な監視方式である(横山、一九 この二つの調理操作の他には、味 付けが存在する。しかし味付けは、他 ト、ミニトマトの出荷量にもとづく。 参照に、平成二十四年度の日本のトマ たことにより、徐々に活気を失いつつ 九九年、四頁) 鶏 鳴 新 聞( http://www.keimei. )を参照。 ne.jp/article/20140605nl.html 稿がその力添えの一端を担うことがで 日本全体の農業に貢献できるよう、本 室蘭市の農業を活性化させ、ひいては め て い る と 私 は 考 え て い る。 そ し て、 て算出。 の談話より年間生産量を市場規模とし に掲載。市場規模については、三浦氏 八日の鶏卵、うずらの卵の価格をもと それぞれの価格については、コー プ札幌北十二条店、二〇一四年八月十 本論文を執筆するに当たり、インタ ビュー調査を快諾して下さった室蘭う 《謝辞》 きれば幸いである。 卵」にはその役割を果たす可能性を秘 な い 困 難 は 多 い だ ろ う が、「 う ず ら の ばならない。立ち向かわなければなら 市の経済を牽引する存在とならなけれ が全国に展開され、 「鉄」に加わる室蘭 室蘭市が以前のような活気を取り戻 すためには、特産物であるうずらの卵 ある。 ( safety )、健全性( wholesomeness )お 6 特定の料理を作るための一連の手 順。 調理操作には加えないこととする。 提言を対象とする本稿では、便宜的に ため、食材そのものの特性を活かした 新しい味を生み出すことを目的とする の食品や調味料、だし汁などを加えて 7 る。筆者はうずらの卵を生卵はもちろ この三点以外の差別化要因として は、うずらの卵のおいしさがあげられ を参照した。 ク ッ ク パ ッ ド( ん、 う ず ら の 卵 の プ リ ン や ア イ ス ク ) http://cookpad.com/ なお、不足する情報を補足するた めに、日本最大のレシピサイトである、 8 9 ─ 49 ─ 1 2 3 4 5 『卵があれば安心。』吉村紗矢香(オレ ジページ ・「 食 品 成 分 デ ー タ ベ ー ス 」 文 部 科 学 会 社 二〇〇〇年)一五〜三〇頁 ・ 「鶏卵新聞」鶏鳴新聞社 (二〇一四年十 http://cookpad.com/ 月二十日) ・クックパッド (二〇一四年 http://www.uzura.co.jp/ 十月二十日) ・室蘭うずら園 http://www.keimei.ne.jp/ ■ウェブサイト(*カッコ内は最終確 (二〇一四年 douei/tori/pdf/uzura.pdf 十月二十日) http://www.maff.go.jp/j/syouan/ ずらを守るために」社団法人中央畜産 ・ 「高病原性鳥インフルエンザからう (二〇一四年十月二十 dre/dre2-1.htm 日) http://www.bikanken.com/theory/ 物環境技術研究所 ・ 「ウズラ飼育に新たな『神話』」微生 (二〇一四 http://fooddb.mext.go.jp/ 年十月二十日) 十月二十日) 江澤他(二〇〇一、九九〜一〇三 頁)によると、長年日本人のカルシウ 省 二〇一四年)八〜四九頁 ム不足が指摘され続けている。日本人 ンジページ 二〇一三年)九〜四九頁 のカルシウム摂取量は、一九七〇年代 『エクセレントカンパニー︱超優良企 か ら ほ と ん ど 増 え て い な い ば か り か、 近年徐々に減少してきている。 〇〇一) 。 業 の 条 件 ︱』 ピ ー タ ー ズ、 T・ J・ 牛乳コップ一杯では約二百 のカ ルシウムが含まれている(江澤他、二 ウォーターマン、 著、大前研一 R.H.Jr. 訳(講談社 一九八三年) 『 IN SERCH OF EXCELLENC:Lessons from 、 America's Best-Run Companies 、 R.H.Jr 、 1982 )一二〜一三 Waterman 頁、四三七〜四三九頁 T .、 J. ■書籍 『 カ ル シ ウ ム と 骨 』 江 澤 郁 子・ 小 島 P e t e r、 s 『食品衛生管理の現在︱HACCP総 至・ 西 井 易 穂・ 森 井 浩 世( 朝 倉 書 店 W a r n e r B o o k』 s( 論・具体的対応から行政・業界の衛生 二〇〇一年)九九〜一〇三頁 九八年)八頁 『HACCP必須技術︱殺菌からモニ タ リ ン グ ま で ︱』 横 山 理 雄( 幸 書 房 一九九九年)四頁 (二〇一四年 article/20140605nl.html 十月二十日) ・「野菜のページ」農林水産省 認日) 井齋(養賢堂 一九八六年)一五一頁 (二〇一四年 http://www.uzura.or.jp/ ・豊橋うずら農協 http://www.maff.go.jp/j/seisan/ (二〇一四年十月二十 ryutu/yasai/ 日) 二〇〇九年)五頁、四四〜四五頁 美 濃 口 直 和( 愛 知 県 農 業 総 合 試 験 場 『ウズラの飼養衛生管理マニュアル』 『 日 本 う ず ら の 環 境・ 飼 料 と 生 産 』 櫻 『調理学』大谷貴美子・南出隆久(講談 規則まで︱』茂木幸夫他(日報 一九 【参考文献・参考ホームページ一覧】 mg 『トマトで絶好調!』志賀園子(オレン ─ 50 ─ 10) 11) ・ 「家畜改良関係資料」中央畜産会 (二〇一四年十月 http://jlia.lin.gr.jp/ 二十日) ─ 51 ─ (特別優秀賞) みき 幹 ひで 英 未来の食と農を守る!「観光直売型 農園リゾート」 だ 田 〜農から変える食意識・農家が行う食農教育〜 ほん (代表)本 あ 亜 き 希 子 こ (宮崎県立農業大学校 農学部 園芸経営学科 とも 友 二年) なが 長 か す 春み 香か 寿 美 香 はる (宮崎県立農業大学校 農学部 園芸経営学科 まつ 一年) 松 なれ 馴 ぼ 保 く 久 (宮崎県立農業大学校 農学部 畜産経営学科 二年) ─ 53 ─ 目次 はじめに 第一章 県内の食農教育活動への参加 第二章 小学生との食農教育のモデル作り ㈠ 活動の目的 ㈡ 活動の拠点、農業大学校について ㈢ 企画、準備 ㈣ 活動内容 ㈤ 活動後のアンケート調査 第三章 農業から始まる食 ㈠ 本当に食を見直したいのなら ㈡ 食農教育を地元でも取り入れたい おわりに ─ 54 ─ までの生活は、どこの家庭にでもある、 ここで、私が食農教育を行いたいと 思ったきっかけと、同級生の食生活に る食農教育を行っていきたい。 業を通して食の楽しさ、大切さを伝え の「観光直売型農園リゾート」で、農 開園したいと考えている。そして、こ 含んだ、 「観光直売型農園リゾート」を 山の恩恵を受けて湧き出る天然温泉を 理する農家レストラン、霧島連山の火 私は、将来地元宮崎県えびの市で野 菜や花の収穫、その収穫したものを調 で言っていたことの意味がやっとわ 者の食生活が乱れているとよくテレビ 炭酸飲料という友達もいた。私は、若 ファーストフード店でハンバーガーと 答 え る 後 輩。 朝 食 は 通 学 路 に あ る きな食べ物を聞くとカップラーメンと ンビニ弁当を食べるクラスメイト。好 てくれないからと、毎日昼食時間にコ プにとても驚いた。母親が料理を作っ は、周りの家庭の子ども達とのギャッ 崎市内にある高校で寮生活を始めた私 思っていた。しかし、親元を離れ、宮 誰でも知っている当たり前のものだと し、その影響が顕在化している。例え 民の食生活をめぐる環境が大きく変化 「食」ということだ。ところが近年、国 ていく上で最も重要なキーワードは 定義されている。つまり、健康に生き ることができる人間を育てること」と、 る力を習得し、健全な食生活を実践す を通じて食に関する知識と食を選択す の基礎となるものであり、様々な経験 上の基本であって、知育・徳育・体育 う方が多いと思う。食育とは「生きる る言葉だが、意味までは知らないとい み な さ ん は『 食 育 』 と い う 言 葉 を 知っているだろうか。最近よく耳にす 当たり前の生活ではなかったのだ。 ショックを受けることとなった高校時 ば、栄養の偏り、肥満や生活習慣病の ─ 55 ─ はじめに 代のエピソードを紹介したい。 かった(図1)。私の過ごしてきた中学 う食農教育の可能性を提案する。 で、農から変える食意識と、農家が行 農教育のモデル作りを行った。その上 売型農園リゾート」で活動する際の食 大」という)を舞台に、将来「観光直 ている宮崎県立農業大学校(以下「農 そこで、私は農業を通した食育、食 農教育活動へ参加した上で、現在通っ 日本の未来の食と農を守らなければ。 が生じている。このままではいけない。 文化の危機、食の安全等、様々な問題 増加、食の海外への依存、伝統的な食 私は高校で寮生活を送るまで、毎日 母の手料理を家族と囲んできた。家族 と食事をするのは当たり前。母が朝昼 晩食事を作ってくれるのも当たり前だ と思って過ごしてきた。また、私の実 家はバラとピーマンを栽培する専業農 家である。父方と母方の祖父母も農家 で、生粋の百姓っ子として育ってきた。 父方の祖父母は酪農を、母方の祖父母 は露地野菜と水稲の栽培を行っている。 忙しい時期には祖父母の手伝いに行く。 汗水流して収穫した米や野菜は毎日食 卓に並ぶ。だから私は食の大切さをよ く知っている。母の作る暖かい手料理 を、毎日家族で囲んでいたため、食の 楽しさも知っている。そしてそれらは、 (図1)次のようなことはどれくらいしますか? 命や感謝について考えさせられるもの がある。特に、農家の子の私にとって 世の中に送り出すこと、農作業をがん で考え、学ぶことのできる子ども達を 長させることができると思った。自分 自分の答えを導き出す農業は、人を成 間違いもない。自分の信じたやり方で、 ことを思いついた。農業に正解はない。 状を打破する方法として農業をさせる で真実を調べようともしない。この現 ディアを疑うこともしなければ、自分 えることをしなくなってしまった。メ 言うにはこうだ。 「日本人は、自分で考 という思いがあったそうだ。奥さんが 立した背景には、農業で人を育てたい 代表であり、有機農家である奥誠司 さんが「教育ファーム宮崎・綾」を設 加した。 動のなかのニンジンプロジェクトに参 行っている団体である。私は、その活 集まり、小中学生を集めて食農教育を 綾町で、農家を中心としたメンバーが ム宮崎・綾」とは、有機農業推進の町、 る 食 農 活 動 に 参 加 し た。「 教 育 フ ァ ー 「 特 定 非 営 利 活 動 法 人 昨 年 の 夏、 教育ファーム宮崎・綾」が主催してい 持ちになって考えてあげることができ ことを言う。たとえ野菜でも相手の気 て、ニンジンになった気持ちで考えた に様々だ。みんなニンジンになりきっ 意見が飛び交う。子ども達の意見は実 で 一 生 懸 命 生 き る ん だ よ!」。 口 々 に かったニンジンは他のニンジンの分ま し て い た の に か わ い そ う 」「 抜 か れ な が 飛 び 交 っ た。「 一 生 懸 命 生 き よ う と いに、子ども達からはいろいろな意見 持 だ ろ う か?」。 た っ た そ れ だ け の 問 以外の、抜かれたニンジンはどんな気 考 え る 時 間 を 与 え た。「 い い ニ ン ジ ン きの作業中、奥さんは小学生を集めて て他のものは抜いてしまう。この間引 混んできたらいいニンジンだけを残し を上げるために種を多めに播くのだが、 ニンジンを育てる工程の中で間引き がある。播種の時にいい芽が出る確率 子ども達に考える時間を与える。 している。作業の中で、奥さんは常に いつも一生懸命遊び、農作業に汗を流 ベントも取り入れている。子ども達は り地元を好きになってもらうようなイ 行い、地元の良さを知ってもらい、よ 行う。夏休みには宿泊体験や魚釣りも 食農交流の計画作りが始まった。 持 ち 帰 っ て 行 お う。 一 年 生 の 春 休 み、 は良いと思った。この活動を農大にも を食べた方が、感謝のきっかけ作りに りも、自分で農作業をして育てた野菜 いたいと考えた。人に教えてもらうよ にしかできない食育を、自分の手で行 だと考えた。そこで、食を支える農家 きることが、健全な食生活のスタート れたのだ。私は、食べ物の命に感謝で 「 教 育 フ ァ ー ム 宮 崎・ 綾 」 は 教 え て く よって言葉で学ぶものでもないことを れば、学校などの授業カリキュラムに 育は栄養士だけが行えるものでもなけ 何 度 か 活 動 に 参 加 し て い く う ち に、 私も食農教育に興味が湧いてきた。食 色を見ているのに、農業寺子屋の子ど 命や感謝で溢れて見えてくる。同じ景 自分もこれまで見てきた普段の景色が え て い る 子 ど も 達 と 過 ご し て い る と、 考えさせられた。命や感謝について考 過ごして初めてニンジンの命について た。恥ずかしながら、綾の子ども達と は間引きなどただの作業でしかなかっ ばった達成感と自信が、一歩を踏み出 第一章 県内の食農教育活動への参加 す勇気につながると信じ、私は子ども る 子 ど も 達 に は 驚 か さ れ た。 そ の 後、 も達はとても輝いた景色を見ていた。 達と農業をしている」 のだが、教育ファームの活動では常に 間引きしたニンジンは調理して食べた 「農業寺子屋」と名付け、月に二回畑 に出てきて、野菜の管理を小中学生と ─ 56 ─ し、地域に発信していこうと努力して いる。そこで、今回の「わくわくアグ れだけの苦労の中で育まれるかを知っ 事で当たり前に食べているものが、ど きっかけを作ってあげよう。普段の食 も達に農業を通して命について考える 農 交 流 経 験 を 持 つ 一 年 の 長 友 さ ん と、 で、中心スタッフとして高校時代に食 ぐに二十人の希望者が集まった。そこ 子どもとの農業体験を楽しみにしてす 農 大 生 に ス タ ッ フ の 募 集 を か け た ら、 リキッズ」も快諾してもらえた。また、 てもらおう。 い農業では意味がない。土に触れ、汗 をさせない、大事なことを伝えられな しかし、楽しませるためにきついこと らう方がいいに決まっていると考えた。 謝や命について自分たちで気付いても るよりも、楽しかった思い出の中で感 うと思った。難しいことを言葉で教え 農業が楽しいという思い出を作らせよ と。感謝がどうこういう前に、まずは 体験してもらい、全力で楽しませるこ コンセプトは、地元の小学生に農業を 回に分けての活動を計画した。今回の め、種まき、草取り、収穫・調理の三 中に返ってくることを知ってもらうた とで初めて感動や達成感として自分の な い。 し か し、 農 大 も 一 昨 年 度 か ら、 気にして他人の侵入を受け入れたがら 業自体、外部からの病気の侵入などを くることはあまりない。農業という産 立てられ、外部から一般の人が入って 係者以外立ち入り禁止の大きな看板が ある。そのため、農大の正門前には関 宮崎県の農大は四年前、口蹄疫で家 畜を全頭処分した全国で唯一の農大で 二年間この学校で勉強する。 即 就 農 を 目 的 と し た 実 践 的 な 農 業 を、 五十頭いる牛の餌やりや、搾乳に行く。 産経営学科では、毎日朝早くから約百 のハウスで、野菜を栽培している。畜 しており、そこでは一人ひとりが担当 園芸経営学科・施設野菜コースに所属 私は、農大約百 の広大な敷地の中 で、日々学習、実習に精を出している。 ハーサルまで行った。 合って納得するまで毎晩話し合い、リ た。学生一人ひとりがアイデアを出し 生スタッフと何度も打ち合わせを行っ 小学生が楽しめる内容になるよう、学 3) 。農業の良さをアピールしながら クリアしていく設定とした(図2、図 立てとし、農業に関するミッションを 業に興味を持ちやすいように、冒険仕 の日程と連絡先を載せ、裏には第一回 まず、最初に行ったのは、企画立案 とポスター作りである。表には三回分 ばという思いもあった。 作業を通して、命や感謝を感じられれ の種まきの内容を載せた。子どもが農 ㈢ 企画、準備 して、普段の作業として行っている農 をかき、普段することのできない活動 農大市という月に一度の定期市を開催 ので、私のように子どもと一緒に過ご 農大生は、農家出身者が多くを占める と し て 機 能 す る よ う に 役 割 分 担 し た。 自 治 会 会 長・ 二 年 の 馴 松 さ ん、 副 会 長・二年の久保さんを迎え入れ、組織 ㈡ 活動の拠点、農業大学校について 「 わ く わ く ア グ リ キ ッ ズ 〜 目 指 せ! アグリマスター〜」のスタートだ。 第二章 小学生との食農教育のモデル作り ㈠ 活動の目的 私 は、 綾 で の 経 験 を 活 か し、 現 在 通っている農大で小学生を対象とした 食農交流を企画した。できた野菜を収 穫するだけでは命のありがたさに気付 かないし、食べ物のありがたさを実感 す る に は 少 し 物 足 り な い。 一 粒 の 種 だった作物が、時間と苦労をかけてよ を仲間と一緒にする中で、本当の喜び うやく野菜となり、お腹の中に入るこ や楽しみを伝えるものにしよう。子ど ─ 57 ─ ha (図2)ポスター(表) (図3)ポスター(裏) 今回は農大のある児湯地域の小学校、 七校二千二百人を対象に募集を行うこ ととした。 次に、農業大学校が県の機関という こともあり、教育委員会への開催依頼 文書と、各小学校長への参加者募集文 書の作成を行った(図4、図5) 。 春休み明けすぐに第一回の種まきを 予定していたため、私は担任と二町の 教育委員会と七校の小学校をすべて回 り、実際に校長に活動の説明と協力を お願いした。すべての学校でポスター の 配 布 を 快 諾 し て い た だ い た。 ポ ス ターの配布を終え、後は応募の結果を 待つだけとなった。また、宮崎日日新 聞でも募集をしたため、地域外の子ど も達も数名応募してくれた。 ポスターの作成と並行して、実際に 活動する畑の用意を行った。畑は縦二 十メートル、横十メートルのものを使 用した。トラクターで耕し、野菜ごと に量を調整しながら肥料をまき、畝た て、マルチ張りまでを行った。 また、三回の活動を通して毎回欠か さずに行ったことは、活動の三日前に 電話による確認を行ったことだ。初回 は子どもたちの不安を取り除き、日程 忘れ、忘れ物防止のために行っていた が、二回目以降は子どもたちの現状や、 わくわくアグリキッズでがんばりたい ことを聞くコミュニケーションの場と もなった(図6)。 ─ 58 ─ (図4)教育委員会への依頼書 (図5)小学校長への依頼書 私は、初めて校外交流の企画を行っ たため、今まで考えたこともなかった 手続きや気配りがいくつもあった。教 育委員会へ出向いたこと、保護者へ子 どもについてのアレルギーや要望など を尋ね、当日はリーダーに事前に伝え、 活 動 が 円 滑 に 行 え る よ う に し た こ と、 撮影された写真が公表される場合に備 えて肖像権の承認伺いや名簿つくりな ど、活動中、活動後にトラブルが起き ないよう、許可や伺いを立てることの 活動内容 大切さも知った(図7)。 ㈣ わくわくアグリキッズでは、これま でに学習した野菜作りを活かして、仲 間たちと夏野菜を使ったカレー作りを 計画した。作る野菜はニンジン、ジャ ガイモ、トウモロコシ、カボチャ、枝 豆、ミックスレタス、スイカ。カレー だけでなくサラダやデザートまで考え て野菜を選んだ。定員を二十四人と設 定し、小学生の募集をかけた。すると、 予想以上の応募があったため、抽選に よ り メ ン バ ー を 決 定 し た。 は じ め は、 各 回 の 参 加 費 を 千 円 と 設 定 し た た め、 定員が割れるのではないかと心配して いた。しかし、ふたを開けて見たら定 員オーバーとなり、参加者や保護者の 興味や意識の高さがうかがえた。 今回は、小学生が飽きないように遊 ─ 59 ─ (図6)参加者への電話シミュレーション (図7)写真の公表に備えて肖像権伺い びも入れながらスケジュールを組んで 行った。メインは野菜の栽培だが、そ の他にも子どもが楽しめるような企画 を考えた(図8)。 第一回の種まき編では、アイスブレ イクとして初対面の仲間たちと打ち解 けやすいプログラムを組んだ。演出で は、学生扮する悪者が登場し、農大を 探検しながら、果実の糖度測定やフラ ワ ー ア レ ン ジ、 宝 探 し、 マ ル チ 張 り、 鉢植えミニトマトの鉢上げなどのミッ ションに挑戦させた。これらをクリア すると、ニンジン、エダマメ、トウモ ロコシの種や、スイカ、カボチャの苗 をゲットし、種まきを行った。種まき を 終 え る と、「 早 く 芽 出 て こ い よ ー」 「大きくなってね」と声をかける子供 た ち の 姿 が あ っ た。 声 が 届 い た の か、 野菜たちもすくすく芽を出し、大きく 育っていった。 二回目以降も畜産経営学科の牛乳を 使ったバター作りやアイスクリーム作 りなど、学生一人ひとりがアイデアを 出し合ってスケジュールを組んで行っ た。私の一番のお気に入りはアイスク リーム作りだった。インターネットで 簡単なアイスクリームの作り方を探し、 試作に試作を重ねた。このおいしいア イスクリームを暑い日差しの中で行っ た草取りの後に、子ども達と食べるこ とができた。スタッフと支え合いなが ら行った企画は、最終回のカレー作り ─ 60 ─ なった」等の声を多く残してくれた ベント終了後に「楽しかった」 「勉強に まで大成功に終わった。子ども達はイ で畑が水につかった時には、びしょび ことがあげられる。横殴りの激しい雨 年は近年まれにみる大雨の年であった 裏には多くの苦労があった。まず、今 続いた。このくらいのことは、これま ために夜の八時頃まで作業をする日が れた日には滞っていた作業を済ませる 作物が腐らないように雨よけをし、晴 でに何度か経験していたため、何とか 踏ん張ることができた。しかし、第三 しょになりながら畑の溝掘りを行った。 回の収穫の一週間前に宮崎県に台風が 接近してきたとき、とても悲しい出来 事が起こった。色つきはじめていたカ ボチャや、ひげが茶色くなり、食べ頃 を迎えてきたトウモロコシが風の影響 で大きな被害を受けていたのだ(写真 2) 。なぎ倒されたトウモロコシ、風で 飛ばされ畑の外に転がっていたカボ チャ。私は再び農業をしていく上での 人間の無力さと自然の力の強大さを目 の当たりにした。収穫当日、私は子ど ─ 61 ─ (写真1) 。 しかし、この「ありがとう」の声の (図8)各回の日程スケジュール たためだ。自分の種から育てた野菜が 苦労しているところも知って欲しかっ た。農業のいいところばかりではなく、 も達に倒れたトウモロコシの姿を見せ 撮影:古川秀幸 収穫前にやられてしまうことは、相当 食べることができた。もぎたてのトウ られた。幸いトウモロコシは収穫して ら生み出されているのかを教えてあげ る野菜が、どれだけ大変な仕事の中か して伝えた。普段スーパーに並んでい 島や四国が被害を受けたことも話題と 手応えを感じた。 売型農園リゾートでも実現できる」と、 動を通して、 「これならきっと、観光直 になれるからだ。また、私は今回の活 穫までの苦労がすべて報われた気持ち 達の喜んでいる姿を見ていたとき、収 きいような気がする。なぜなら子ども 活動後のアンケート調査 すべての活動終了後、参加者と保護 者にアンケートを依頼した。小学生は 農 業 を 好 き に な っ て く れ た だ ろ う か。 ㈤ モロコシを湯がいて子ども達に振る 舞った。トウモロコシは収穫と同時に どんどん鮮度が落ちていくため、この もぎたてのスーパーでは絶対に食べら は に こ に こ と 美 味 し そ う に ほ お ば り、 農業を通して命や感謝に気付いてもら れないトウモロコシの味に、子ども達 大満足の様子だった(写真3)。農家は えただろうか。いろいろなことを考え 加したい」という参加者が、子どもと 保護者を含めて一〇〇%だった。子ど も達からは「命ってすごい!」 「自分た ちで収穫した野菜は残さず全部食べ た!」とのコメントが多数あった。子 ども達に感じてもらいたかった命への 感謝を感じてもらうことができたと思 う。また、保護者からは「もっと回数 ─ 62 ─ 作物ができたときよりも、食べて喜ん 撮影:筆者 でいるところを見ている方が喜びも大 ながらアンケートを配布した。そして、 活動から一週間後、農業大学校へ続々 と ア ン ケ ー ト が 集 ま っ て き た( ア ン ケ ー ト 回 収 率 七 五 %) 。中には各家庭 での子ども達の変化と家族団らんのコ メントが載っていたものもあった(図 9) (写真4)。 アンケートの集計結果(図 )から、 「今後も農大での食農交流があれば参 10 最終回での集合写真 撮影:筆者 ショックだったと思う。テレビで鹿児 (写真3)取れたてのトウモロコシに満足そうな参加者 (写真1)「わくわくアグリキッズ」 (写真2)台風でなぎ倒されたトウモロコシ (図9)参加者から届いた事後アンケート (写真4)自宅で調理を行っている様子 撮影:佐藤夢果ちゃん、悠大君 保護者提供 (図10)事後アンケート集計結果 を増やしてほしい」という意見が多く 寄せられていた。これについてはこれ から前向きに検討していきたい。 今回、農作業を通して行った食農交 流は、子ども達の食に対する考え方を 変えることができた。食べ物に感謝し、 事を楽しんだ。これ以上の健全な食生 「いただきます」をみんなで言って食 活はない。また、アンケートにもあっ たように、子どもが自分で作った野菜 を使って料理をすることで、家族の団 らんの一役も担えた。農家が行う食農 教育が、多くの子ども達の食意識を変 えた。 ─ 63 ─ 第三章 農業から始まる食 ㈠ 本当に食を見直したいのなら ものだと前述した。しかし、机に座っ 食 育 と は、 「食」に関する知識と 「食」を選択する力の習得を目指した ている人たちにそれを説いて、本当に 地域を巻き込んだ食農教育を私の「観 /事業例) 。私の地元に 光直売型農園リゾート」から発信して していきたい。食の選択、食の見直し はこれから子どもへの食農教育を推進 うか。この問題を解決するために、私 牛。県内有数の源泉を誇る温泉郷、そ 水から育つヒノヒカリ、日本一の宮崎 島連山から湧き出すきれいな水、その は自慢できるものがたくさんある。霧 いきたい(図 は、決して机上からではないのである。 のすべてを農家が中心となった食農教 育 に 取 り 入 れ て い き た い。「 な に も な いながら頑張っていけるような子ども まれ育った根っことしていつも心に思 い田舎だ」と地元を離れて行くのでは 私の地元、宮崎県えびの市は、若者 の人口減少に歯止めがかからず、高齢 ㈡ 食農教育を地元でも取り入れたい 者比率が県の平均を大きく上回ってい 達を、農業を通して育てる。もちろん、 なく、地元のことを理解し、自分の生 か? 食べ物に感謝をしなさいと大人 に言われただけで、子ども達は本当に る。そこで、町おこしの意味も込めて 知識や選択する力が養われるのだろう 11 心の底から食べ物に「あなたの命をい ─ 64 ─ た だ き ま す 」 と 言 え る の だ ろ う か? お金を出してセミナーに行く前に、長 靴を持って畑にいった方が、よっぽど 食について考えることができる。自分 で汗水流して育てた作物を前にしたと き、食べ物を粗末になどできる訳がな い。たとえ形の悪いニンジンでも、愛 おしくて、余すことなく調理するはず だ。それが本当の感謝であり、食育の 入り口ではないのだろうか。 「 農 か ら こ そ、 本 当 の 食 が 見 え て く る」 。 日 本 中 の、 い や 世 界 中 の 人 々 が、 農 の 恩 恵 を 受 け て い る 消 費 者 で あ る。 なのに、食への関心は高いが、農への 関心は今ひとつ、という人が多い。日 本の農家の就業人口は、日本国民総人 口のうち五%にも満たっていない。こ れが本当に食文化の豊かな国なのだろ (図11)事業例 んばっている仲間たちがいる。その仲 政局(光の家協会 観光農園物語』農林水産省中国四国農 二〇〇七年) 私一人の力ではどうすることもできな 間たちと知恵をしぼりながら、日本の (8)『第一回子ども生活実態基本調査』 い。しかし、私には教育ファームの奥 農と食を守っていく。 (二〇〇四年実施) Benesse 教育研究開 発センター http://berd.benesse.jp/shotouchutou/ ( 1)『 食 卓 の 向 こ う 側 』 西 日 本 新 聞 策 二〇〇四年) http://www8.cao.go.jp/syokuiku/ (9)『食育推進』内閣府(共生社会政 reserch/detail1.php?id=3333 サプリメントだけで食事を済ませるよ ブックレット(西日本新聞社 二〇〇 【参考文献・ホームページ】 代表をはじめ、地元に残り、農業をが おわりに これからも人は物を食べて生きてい く。高度経済成長期を境に日本の食生 うな時代が来るかもしれないという人 四年) 活は著しく変化してきた。これから先、 がいるが、本当にそれが食事と言える 一』総 『えびの市過疎地域自立促進計画』 ) htm http://www.stat.go.jp/data/nihon/07. − のだろうか。栄養を取ることだけが食 社(寿郎社 二〇〇四年) (3)『地域ぐるみ グリーンツーリズ ム運営のてびき』田中満(都市農村漁 村交流活性化機構 二〇〇二年) (4)『里山資本主義―日本経済は「安 心の原理」で動く』藻谷浩介(角川書 ( ) 『宮崎県立農業大学校 大学案内』 http://www.majc.pref.miyazaki.lg.jp/ /101204133517201112151104411f.pdf http://www.city.ebino.lg.jp/tempimg (平成二十二年度〜平成二十七年度) ( 事 で は な い。 噛 む こ と、 味 わ う こ と、 (2)『いただきますからはじめよう ( ) 『第七章 農林水産業七 — 務省統制局(昭和六十年〜) みんなの食育講座』毎日新聞北海道支 みんなで楽しく食べること、様々な要 素が集まって健康的な食生活を作って いく。私の目指す「観光直売型農園リ ゾート」は、そのことを多くの人に伝 える発信源となる。今回の「わくわく アグリキッズ」の成功を自信とし、参 加者の意見を取り入れながら改善を加 え、将来に活かしていきたい。 ぜひ、土に触れ、汗を流し、作物を 作ってほしい。そして、作物ができた (5)『里山ビジネス』玉村豊男(集英 店 二〇一三年) もしなかったスーパーの野菜への感謝 社 二〇〇八年) ときには、これまで見慣れていて考え と、その作物を作ってきた農家の苦労 (6)『野菜の上手な育て方大辞典』北 と情熱に気付いてもらえたらうれしい。 農から食へ。食の原点へ戻って、もう 条雅章(成美堂出版 二〇〇九年) (7)『できたぞ!フルーツの森―平田 一度「食」について見直すのは今では ないだろうか。 ─ 65 ─ 10 11 12 [論文] 優 秀 賞 ( 要旨掲載) 『 ● あまみ』から七大陸を目指して 〜『あまみ』が海賊となる日〜 (グループ代表者) 井 憲 亮 (グループ代表者) 新 福 佑 人 ●世界で戦える『和牛』を目指して 〜経膣採卵技術を応用した和牛の遺伝資源継承〜 古 賀 直 樹 ●クールな野菜クルベジ! 〜農山村をホットにする野菜たち〜 井 戸 明日香 「 ● 農業」×「見える化」 (グループ代表者) 泉 谷 真現子 ●次世代の資源としての昆虫 〜循環型農畜産業への可能性を見据えて〜 ●新しい時代の獣害対策 〜拡大を続ける獣害への対抗:ICTで野生動物に負けない強い農地環境をつくる〜 (グループ代表者) 天 本 涼 太 川 崎 紘 平 ●よそ者の よそ者による よそ者のための挑戦 〜新規参入者定着条件を山光園を参考に考える〜 黒 田 恭 平 ●水田の未来をつなぐコントラクター組織の展開 〜岡山県を事例にして〜 楠 克太郎 ●障がい者と共に創る農業 〜その条件と可能性〜 (グループ代表者) 三 宮 雄 貴 ●農大生の葛藤と改革プラン 〜若人よ、農大で未来をつかめ!〜 (受 付 順) ─ 67 ─ (優秀賞) 『あまみ』から七大陸を目指して 〜『あまみ』が海賊となる日〜 い (代表)井 なが 永 ふく 福 けん かず 和 すけ 己 き 亮 憲 よし しょう き 吉 将 輝 やま 山 とく 徳 にし 西 だ 田 き 希 こう 晃 すみ 澄 ま 真 (鹿児島県立農業大学校 畜産学部 肉用牛科 【提案三】『あまみ』の農産物で国際貢献を 『あまみ』の農産物を結集して、食料が不足している地域に送る のだ。『あまみの心』は必ず世界中に通じるものと信じている。 二年) (要旨) 『あまみ』が熱い。 いま、 二〇一四年春、鹿児島県の離島にある高校としては、史上初め て鹿児島県立大島高校硬式野球部が選抜高校野球大会(甲子園) に出場した。 『あまみ』一色となった甲子園球場のアルプススタン ドは、まるで対戦相手を飲み込むかの如く地響きが轟いた。まさ に『 あ ま み 』 が 一 体 と な り、 そ の 潜 在 能 力 や パ ワ ー を 高 校 野 球 ファンのみならず、日本全国に発信した瞬間だった。そして、次 な る 出 番 を 虎 視 眈 々 と 狙 っ て い る の が、 地 域 の 特 色 を 活 か し た 『あまみ』発信の農産物である。 『あまみ』出身の私たち五名は、食 料供給基地としての奄美群島の可能性とその発展方策について提 案する。 『あまみ』出身の私たち五名は、高校時代まで過ごした郷土の素 晴らしさと農業の問題点や発展の可能性を再認識できた。私たち は、農業大学校卒業後すぐに島に帰る者、数年間の研修を経て島 に帰る者と進路は様々であるが、やがては全員が島に帰り、島の 発展に貢献したいと考えている。 『あまみの農産物と心』が大きなうねりとなって、かの そして、 大航海時代に活躍した海賊のように世界中の海や陸地を席巻して いくことを夢見ている。 【提案二】『あまみ』の農産物を世界に 技 術 的 に も 経 営 的 に も 特 化 し た メ ガ フ ァ ー ム を 数 カ 所 設 定 し、 全面的に支援して地域発展を先導させていくのか、島全体で特定 の農産物に対して力を注いでいくのか、明確なビジョンが必要で ある。他には真似できない『あまみ』オリジナルの付加価値を付 け て 世 界 に 発 信 し た い。 勤 勉 な 日 本 人 の 知 恵 や 発 想 を 結 集 し て、 まずは奄美群島に近いアジアの国々から、そして全世界への躍進 の足掛かりとしたい。 【提案一】 『奄美群島』の農業特区構想 奄美群島を官民あげての『農産物+文化(自然、伝統行事)』発 信の特区に指定する。 『あまみ』の島々は、その文化や歴史、観光資源、産業、生息す る動植物、そして農産物は多種多様である。農産物に関してもオ ンリーワンを生産するとともに六次産業化を進め、農産物に付加 価値を付けて世界中に発信する必要がある。徳之島を肉用牛の島、 沖永良部島を花の島、奄美大島を果樹の島とした。 ─ 68 ─ (優秀賞) 世界で戦える『和牛』を目指して おち 落 あい 合 ゆう 裕 すけ 介 【不妊牛からの子牛生産】 〜経膣採卵技術を応用した和牛の遺伝資源継承〜 と 人 ゆう 佑 ぷく 福 しん (代表)新 き 樹 ひろ 博 やま 山 なが 永 (鹿児島県立農業大学校 畜産学部 肉用牛科 (要旨) 『OPU IVF』を活用して、当農業大学校に繋養している不 妊牛(産肉能力が高い牛)からの子牛生産に成功した。 した形態に分けられるのではないだろうか。 母牛の放牧およびブラッシングは、それぞれ適度の運動、日光 浴、開放感あるいはかゆみの除去や血行促進などのストレス緩和 【母牛のストレス緩和がOPU成績に及ぼす影響】 『経膣採卵』技術(以下、OPU)を活用して、 そこで私たちは、 高能力であるにもかかわらず妊娠できない不妊牛からの子牛生産 和牛生産が実現するものと考えられる。 取り組むようになれば、和牛の生産面が強化され、世界で戦える ─ 69 ─ 二年) 今後の牛肉生産の形態は、『どこまでも霜降りを追求した極上 牛肉』 『霜降りが少し入った普通の牛肉』『ヘルシーで安価な赤身 和牛の近交係数の上昇が近年まれに見る速さで進んでいる中で、 生物学的に『種』が絶滅の方向に向かいつつあるのかも知れない。 の効果を生み出し、繁殖に関わるホルモンバランスや代謝作用へ 牛肉』の三つのパターンに、 『地域ブランド』(付加価値)を加味 血縁関係が近くなっている影響か、高能力であるもののなかなか 好影響を与えると推測され、OPU成績も良好であった。 にチャレンジした。さらに、新たなチャレンジとして、母牛のス 畜産バイオテクノロジーは、私たちのような若い農業者や技術 者がその利用価値を十分に認識して積極的に胚移植などの技術に トレス緩和である放牧やブラッシングがOPU成績に及ばす影響 を調査したので、その概要を報告する。 そしてその先頭に立って未来永劫『和牛』を見守っていくのは、 もちろん私たちである。 ず後世に残さなければならないと考えている。 つも、和牛が持つ最大の特徴『霜降り』生産の高い遺伝資源は、必 妊娠しない母牛も散見される。霜降り偏重脱却の動向も考慮しつ − (優秀賞) クールな野菜 クルベジ! 〜農山村をホットにする野菜たち〜 こ 古 が 賀 なお 直 き 樹 (高知大学 農学部 農学科 四年) 現在、農山村の衰退が進んでいる。担い手不足や所得の減少に より、農山村の主要産業である農業は衰退の道を歩んでいる。本 は生み出す経済効果は小さいが、サスティナブルに地域経済を支 ジが地域資源を利用する持続的な産業だからである。短い期間で かとなった。しかし、クルベジの特徴を踏まえると、金額が小さ 来、農業とは環境保全や生物生態系保全など多様な機能を有して えるものであるといえる。 (要旨) おり、農山村の住民だけでなく都市部の住民にとっても重要であ いからといって効果が薄いとは必ずしもいえない。それはクルベ る。そのため、農山村の活性化は国民全体の問題である。 最終章でこれらの検証を踏まえてクルベジを全国に広めるため の方策を提案する。段階に分け、それぞれ方策を示す。おおまか 行 っ て い る( 株 ) ゆ と り フ ァ ー ム に ヒ ア リ ン グ を 行 う と と も に、 大きなカギになると考えた。そこで、大豊町でクルベジの生産を 竹などのバイオマスは農山村に多く存在し、優位性などの特徴 がある。私は農山村を再び元気にするためには、このクルベジが ながるという大きな可能性を秘めている。 徴から内発的な地域の産業振興や持続可能な地域全体の発展につ う環境保全の機能がある。さらに、地域資源を生かせるという特 の固まりを地中に保持するCO 2削減効果、放置竹林の解消とい た農地で作られる野菜を栽培している。クルベジは炭という炭素 大豊町ではクルベジという、地域の竹で作った炭を土壌に投入し 住民も便益を享受でき、単なるブームではなく持続的に地域を支 浸透した取り組みになれば、農山村の活性化はもちろん都市部の Rへの活用や、ボランティアやNPOの協力も得て、国民全体に させ、より多くの協力者を巻き込めるようにしたい。企業のCS 行う。フェーズ3では農法の一分野でなく、ブランドとして確立 度高まれば、フェーズ2としてクルベジ生産者を増やす取り組み にクルベジの存在を知ってもらえるようにする。認知度がある程 や学校給食などへの供給、eコマースなどを行い、より多くの人 て認知度の低さが挙げられる。そこでフェーズ1は店頭での説明 る取り組みを提案する。現在クルベジが広まっていない原因とし 者を増やす取り組み、フェーズ3は全国的に多くの人に浸透させ には、フェーズ1は認知度アップの取り組み、フェーズ2は生産 クルベジを生産することによる定量的な効果を調べるため、産業 様々な課題を抱えつつも、農業を活かして地域を元気にする取 り 組 み を 行 っ て い る 地 域 の 一 つ に、 高 知 県 長 岡 郡 大 豊 町 が あ る。 連関表を用いてクルベジがもたらす経済波及効果を分析した。 えるものになると考えられる。 を行う。参入への抵抗感を少なくするためにも、見学会、研修を 分析の結果、クルベジの販売により移輸出が増加するため町内 への経済波及効果は増加するが、その絶対額は小さいことが明ら ─ 70 ─ (優秀賞) 「農業」×「見える化」 い 井 ど 戸 あ す か 明日香 (信州大学 農学部 食料生産科学科 四年) な情報を可視化して問題解決を目的とする「見える化」は、一口 有など、農業「見える化」が進められている。経営に関わる様々 最近では農業のICT導入やスマートフォンを活用した情報共 応しきれない複雑さは、デジタルの「見える化」だけでなくアナ 改善につなげる。また、 「多様性」による単一のマニュアルでは対 定要素のデータを利用して、作物の異常に素早く気付き、対策や 気候や土壌環境などのデータ集積で「可視化」された過去の不確 早 く 検 知 す る 農 業 独 自 の 信 号 情 報 の「 見 え る 化 」 が 必 要 で あ る。 に「見える化」といっても奥の深いコンセプトである。一般的に ログの「見える化」と組み合わせなければ情報処理できない。農 (要旨) 言 わ れ る「 見 え る 化 」 の 中 に は 情 報 を 見 え る よ う に し た だ け で、 つの課題は、 「生き物」と「天候」をビジネス相手とする農業独自 と「多様性」の大きな難題を二つ抱えているからである。この二 いかないのである。これは、工業と比較して農業が「不確定要素」 成功した「見える化」を農業分野にそのまま持ち込んでもうまく には、この「見える化」の誤解があるように思える。工業分野で らに、農業参入を果たした多くの企業が成功を収めていない背景 定要素」と「多様性」の大きさである。農業の真の「見えるカ」 「不確 農業独自の「見える化」の大きな課題となっているのは、 化」された情報の選択が困難である。 などによるアナログの支援情報と掛け合わせなければ、「見える は、問題解決のための最良の情報選択ができない。そこで、目視 情報が単一の情報ではないために、ICT導入のデジタルだけで 解決するのに必要な支援情報の選択である。農業では、この支援 業独自の信号情報を「見える化」した次の段階は、異常や問題を のもので、工業の「見える化」では対応しきれない。これが、農 とは、この二つの農業独自の難題を解決するものであり、工業で 「見える化」が経営改善・発展に結びついていない場合が多い。さ 業参入してきた企業が成功を収められなかった理由である。 成功した「見える化」のもう一つ先のステージに踏み込んだもの のことで、農業「見える化」成功の鍵である。 農 業 独 自 の こ の よ う な 事 情 を 経 営 に 生 か し て い く ポ イ ン ト は、 「不確定要素」がもたらす情報と、「多様性」がもたらす情報の処 理方法にある。 「不確定要素」による作物の小さな異常や問題を素 ─ 71 ─ (優秀賞) 次世代の資源としての昆虫 〜循環型農畜産業への可能性を見据えて〜 (要旨) いず たに 谷 ま み こ 真現子 おお 太 た 田 こう 康 すけ 介 論文は四つの章で展開する。一章では日本の飼料自給率の (立命館大学 政策科学部 政策科学科 四年) (代表)泉 として、イエバエのズーコンポストシステムを利用した循環 現状について触れ、自給率向上の必要性について論じる。二 状態であり、それは食料の安定供給という観点から見れば危 型の農畜産業の提案を行う。また、その課題や日本における 近年の食料、飼料自給率の定位置での推移は日本にとって 機的状況にあると言えるだろう。世界的な人口増加、気候変 循環型システムの意義についても言及する。そして終章では 章では、昆虫の飼料利用の可能性と、その特殊な効能につい 動等を考慮すれば、今後食料・飼料の輸入は困難を極めるも その展望を述べ、我々の次世代型の農畜産業としての昆虫飼 望ましいものではない。近年、食料自給率はカロリーベース のとなるだろう。その際、日本はいかにして国民を養えるだ 料の提案としたい。 て株式会社アビオスに対するヒアリング調査の内容を含め けの食料資源を手に入れるのか。数十年後に予想される食糧 研究段階の分野とはいえ、その秘めたるポテンシャルは大 で四〇%を下回っており、飼料自給率に至っては二五%ほど 危機に対して、日本は早期に対策を打たねばならない。 きいと思われる。我々の論文が新たな農畜産業の提案となれ て言及する。三章は昆虫をフードシステムに組み込む具体案 そこで、今回の論文では飼料に焦点を当て、自給率向上の ば幸いである。 しかない。日本は食料、飼料両方の生産を他国に委ねている ために、日本における未開拓資源である昆虫の飼料利用を提 案する。 ─ 72 ─ (優秀賞) 新しい時代の獣害対策 あま (代表)天 はま 浜 もり もと 本 の 野 た 太 りょう 涼 すけ 介 ゆう 悠 せい 成 こう 恒 べ 部 おか 岡 おか 岡 みつ 光 ただ 健 のぶ 信 りょう 遼 被害を軽減することを目的とした獣害対策システムとその効果に ついて紹介している。現行のシステムは次の機能を備えている。 (ア)サルの監視の自動化 山中に存在するサルの現在位置を、Webブラウザを用 いて、いつでも地図で確認することができる。 (イ)獣害に遭う可能性の高い農地の自動判別と自動警告 農地の位置情報や作物情報を元に、サルの次の移動先を 事前に予測することができる。そして獣害に遭う可能性の 高い農地の所有者に警告メールを自動送付する。 (ウ)蓄積された検知データの活用 システムに蓄積されたサルの検知データを分析して、今 後の獣害対策の足掛かりにすることができる。 (エ)獣害対策に関する情報の集中管理 被害状況や各関係者の意見をシステム上に記録すること ができる。 この取り組みによって、ICTを活用することで既存の獣害対 策がより効果的に実施できること、また、従来には無かった新し い 獣 害 対 策 を 確 立 で き る こ と を 根 拠 と 共 に 示 し て い る。 本 稿 が 「コミュニケーション」に焦点を当てた農業ICTの事例の一つ として、全国の学生たち、ひいては産官学の関係者各位に少なか らぬ影響を与え、日本の農業の未来を輝かしいものにする足掛か りとなれば幸いである。 (筑波大学大学院 システム情報工学研究科 博士前期課程 二年) 森 〜拡大を続ける獣害への対抗:ICTで野生動物に負けない強い農地環境をつくる〜 (要旨) 人と野生動物とのせめぎ合いは、稲作を始めた時代から日本人 が延々と向き合ってきた問題である。鎌倉時代、川崎宿の勝福寺 に寄進された鐘には鳥獣撃退を願う文が記されていたという。少 なくとも昭和初期までは、日本人は野性動物に囲まれているとい う意識を持って生活していたし、集落全体で対策を講じてきたは ずである。ところが戦後急速に経済成長し人口が都市に集中する と、 山 野 は 急 速 に 過 疎 化 し、 本 格 的 な 対 策 が 講 じ に く く な っ た。 事実、農林水産省の調べでは、近年の野生動物による農作物被害 は拡大傾向にある。 では、どうすれば獣害の拡大を防ぐことができるのか。筆者は、 農林業関係者との対談や、後述する獣害対策システムの開発を通 じて、その手掛かりがICTにあると確信している。ICTにお ける「C」とはコミュニケーション、すなわち人間主体であるこ とを意味している。近年流行の兆しを見せている農業ICTに対 して、 「高齢化が進む農業従事者の方々に情報機器を活用しても らうことは難しい」という批判を耳にすることがあるが、筆者は そうは思わない。時代に即して生活環境を変化させていく野性動 物に対抗するために、私たちも考え方や対策方法を変化させてい かなければならないのは道理であろう。その変化の衝撃を緩和し てくれるのが、人間主体性である。 本稿では、人間主体性が重要であることに触れながら、筆者ら 五名の学生がJA鈴鹿と共同で開発した、三重県鈴鹿市の農作物 ─ 73 ─ (優秀賞) さき 崎 こう 紘 よそ者の よそ者による よそ者のための挑戦 〜新規参入者定着条件を山光園を参考に考える〜 かわ 川 へい 平 (岡山大学 農学部 総合農業科学科 三年) 察する。そのために山光園トマト農家にアンケート調査を実施し に必要なのか、また他にも必要な条件はないのかということを考 ことによって、これからの募集事業にこれらの三つの条件が本当 者募集事業の先進事例であるこの山光園の現状や課題を分析する が整っていること、の三つが挙げられる。本論文では、新規参入 経営が成り立つこと②人間関係が良好であること③生活インフラ 地である。一般的に新規参入者の定着のための条件としては、① の一つが岡山県高梁市にある榮農王国山光園という大規模営農団 早くから直面していて、先立って様々な工夫がなされてきた。そ 着には様々な困難が生じる。ここ岡山県では同様な課題に比較的 かし、新規参入者は地元の人からすれば「よそ者」であるため定 の新規就農者(新規参入者)の確保、そして定着が必要になる。し 既存の農家の後継者だけでは限界がある。そのため、非農家出身 刻化することが懸念される。農業就業人口の減少を緩和するのは さらなる農業就業人口の減少が予測され、これらの問題もより深 近年、農業就業人口減少による耕作放棄地の増加や地方の深刻 な過疎化が問題になっている。また、今後十、二十年を考えると そ者」である非農家出身で定着している人が主体的に行っていく べきだと思う。そして、これからの新規参入者募集事業は「元よ 参入者自身の意志や地域とのつながりを生み、保つ仕組みである ン フ ラ を 整 え る 余 裕 は な い。 こ れ か ら の 新 規 参 入 者 募 集 事 業 は、 ③を除いたこれら三つの条件を満たせば、理論上、新規参入者 は定着することになるが、財政難な今日、すべての地方の生活イ めのアフターケアも充実している。 密接に連絡を取るというような、新規参入者の熱意を維持するた 者自身の熱意である。そして山光園には入植後も行政の担当者が 新たな定着に必要な条件が浮かび上がってきた。それは新規参入 ンフラについてはあまり満たしていないことが分かった。そして 着の条件のうち、①と②をおおむね満たしているが、③の生活イ が明らかになった。今回の調査から山光園は先に挙げた三つの定 そして『農業で成功してやる』という熱意を持っていることなど な栽培技術を指導されていること、土地条件が恵まれていること、 この理由としては、農業研修を通して地域のトマト農家から高度 次に山光園を調べてみると、そこのトマト農家は県の大規模経 営農家のモデルとして高い評価を受けるほどの成果を収めていた。 かわらず、その実績は近年停滞気味だということも分かった。 たところ、三戸から回答があった。 者」が最もつかみやすいからである。新体制となった「よそ者」 (要旨) まず、山光園創設の背景を知る意味で岡山県および高梁市のこ れまでの取り組みと実績について調べた。すると、県と市が連携 による挑戦に期待したい。 べきだと考える。新しく参入してくる「よそ者」の心は「元よそ して手厚い援助を行っていることが分かると同時に、それにもか ─ 74 ─ (優秀賞) だ 田 恭 平 きょう へい 水田の未来をつなぐコントラクター組織の展開 くろ 黒 (岡山大学 農学部 総合農業科学科 四年) を合理的にずらし、収穫機の有効利用につなげている。 しかし、稲WCSの収穫調製作業には、専用の収穫機の導入や 耕種経営と畜産経営とのマッチングなど飼料作のための障壁が存 在する。そこで、岡山県の場合、おかやま酪農業協同組合等の組 織によって、耕種と畜産との取り引きが管理されており、コント ラクターは収穫作業とその報告を行うだけでよいため、様々な労 働 負 担 が 軽 減 さ れ て い る。 こ の よ う に コ ン ト ラ ク タ ー 組 織 で は フォローできない活動をサポートする体制が構築されている。 第二に、水田飼料作経営を行う上で収支に大きな影響を及ぼす のが国の補助金である。現在、稲WCSには十a当たり八万円が 支給されており、収入の大部分を占めている。主食用米と稲WC Sの経営を比較すると、前者は混合所得三万五千七百五十八円で あり、後者は三万七千四百四十六円となっている。飼料稲の所得 は主食用米と遜色ないことがわかる。今後、需要の減少によって、 主食用米の価格が下落することを考えると、稲WCSへの転換が 重要な戦略になる。 以上のように、主食用米を栽培し続けていくことは難しい。そ の 水 田 の 有 効 利 用 の 一 つ と し て 水 田 飼 料 作 が あ り、 コ ン ト ラ ク ター組織が重要な役割を担っていた。コントラクター組織は、水 田資源を利用したいと思う様々な主体をつなぐ存在として、これ からの岡山の水田農業を引っ張っていく活躍を期待したい。 ─ 75 ─ 〜岡山県を事例にして〜 (要旨) 水田をめぐる環境は大きく変わろうとしている。日本人の主食 用米の需要は年々減少しており、米価の下落、稲作への補助金政 策の改正などによって、耕作放棄地の増加を招くことが考えられ る。そこで、有効な水田活用において注目されるのがコントラク ター組織である。コントラクター組織の役割は、大規模化する畜 産経営の代わりに飼料作を行い、労働負担の軽減、機械導入によ る作業の省力化・効率化などがあげられる。しかし、日本におけ る飼料作には季節的な作業期間の制限があり、高額な収穫機械の 償却のための作業量を確保し、機械を有効利用することが難しい。 このような制限がある中で経営を展開する有限会社K(以下、K 法人)の事例をもとに、①今後のコントラクター組織のあり方を 示す。また、②現在の稲作経営は補助金に依存する部分が大きく、 補助金の変化に対する経営収支への影響についても明らかにする。 第一に、K法人は岡山市に位置し、岡山市内で干拓地を利用し、 主食用米、酒米、WCS用稲、裏作大豆などを約七十 で栽培し ている。岡山市外の広域では、運搬車両で収穫機を搬送し、三人 一組で収穫調製作業を行う。岡山では取水制限があり、県北部か ら県南部へ取水時期が移動していくため、地域によって田植えや 収穫時期が制限される。この収穫時期の差を利用して、K法人は 県北部の収穫調製作業を九月から開始し、県南部の収穫を十月か ら十一月の初旬まで長期間にわたって行う。このように収穫時期 ha (優秀賞) 障がい者と共に創る農業 〜その条件と可能性〜 (要旨) 農業において労働力不足は、深刻化している。障がい者への支 援拡充によって、農業においても障がい者は労働力として注目さ れるようになった。二〇一三年六月に閣議決定された 「日本再 興戦略」において、医療・福祉分野と食料・農業分野の連携が推 進されることになり、農業で障がい者就労はますます増えること に な る。 だ が、 農 業 を 持 続 さ せ る と い う 農 業 者 の 立 場 に 立 つ と、 障がい者就労には単純な作業だけではなく、一人ひとりが個性を 豊かに発揮し、さらに農業自体が魅力的な産業に変わっていくと いう積極的な成果が必要だと思われる。健常者の労働力が確保で きない代替えとしての障がい者就労では、農業の衰退に向かう消 極的な対応に思える。本論文では、障がい者就労を実施して数カ 月、数年、数十年の農場を調査し、障がい者就労による成果と障 がい者が活躍できる条件、これによる農業の発展の可能性を明ら かにした。 まず、障がい者就労の成果として以下のことが確認できた。第 一に農場については、障がい者が就労を持続する中で農作業を改 良し、作業効率が高まった。健常者のパートはそれ以外の作業に 専念できるようになった。労働力が増加したことで規模が拡大し た。地域との連携が強まり宣伝効果にもなり、販路が開拓された。 第二に、障がい者はこうした農業の展開に不可欠と農業者に認識 されていた。障がい者就労を開始して数カ月の農場でも、障がい くすのき 楠 かつ た ろう 克太郎 (酪農学園大学 農食環境学群 循環農学類 四年) 者が多くの農作業で活躍することに農業者は気づき、障がい者の 活躍による成果を感じている。第三に、農業の創造的な発展につ ながっている例が確認できた。就労開始数年の農場では、障がい 者が習得した農作業技術によって、欠かすことができない貴重な 戦力と認識されている。数十年の農場では出荷組合の結成と規模 拡大、売り上げが四倍以上の増加、菓子類の製造やレストランの 開設等、経営が多角化する大きな成果があった。 次 に、 障 が い 者 が 活 躍 で き る 条 件 と し て、 以 下 の 点 が 必 要 で あった。第一に、熱意ある福祉業界との密接な連携が必要である。 第二に、障がい特性を見極め、一人ひとりに合った仕事と接し方 が必要であった。第三に、仕事に慣れるまで根気よく指導し、障 がい者が活躍できるように農作業を改良することであった。 さらに、農業での障がい者就労を増やすためには、多くの農業 者に対して、積極的な成果があることを知ってもらわなければな ら な い。 多 く の 農 業 者 が 障 が い 者 就 労 の 積 極 的 な 意 味 を 確 認 し、 周りの農業者にも就労が進むことになる。 各農場において多様な発展が可能になった背景には、障がい者 就労に対する高い意識を持つことにあった。それは、障がい者を 単なる労働力としてではなく、共に農業を発展させる大切なパー トナーと認識することである。このように、農場は障がい者と共 に新しい農業を創造し発展することに意味を見出している。 ─ 76 ─ (優秀賞) 農大生の葛藤と改革プラン 〜若人よ、農大で未来をつかめ!〜 宮 やま 山 さんのみや (代表)三 よこ 横 ゆう 雄 かず 和 き 貴 ゆき 之 たか や か な え 弥 誉 ぐち 口 ひ 樋 佳奈絵 いし 石 しら 白 (大分県立農業大学校 農学部 総合畜産科 二年) つ い て は、 多 く は 先 生 が 一 方 的 に 話 を 進 め る 通 常 の 講 義 形 式 で、 (要旨) 将 来 の 就 農 に 向 け て の 実 践 的、 主 体 的 な 勉 強 に は な っ て い な い。 期待された雇用就農者も微減に転じるなど、若者の新規就農者 実習については、技術習得中心で、資材節約や労務管理等、経営 数は近年頭打ちになっている。それに加え、主業農家も大幅に減 感覚について実習の中で学べるようにはなっていない。先進農家 少するなど、日本農業の担い手の確保は急務である。その一方で での研修は、特定の時期に一部の作業のみを担当するケースが多 若者の農業への関心は高まっているが、それが実際の就農には繋 く、学べることに限りがあり、経営の全体像はわからない場合が がっておらず、法人に就職してもすぐに離職してしまうケースが 多い。アンケートの結果、多くの農大生は法人での雇用ではなく、 多い。また、研修先も学生の関心、興味のある作物、農法、経営 ス タ イ ル に な ら な い ケ ー ス も あ る。 さ ら に 大 分 農 大 で は 直 売 所 自立的、かつ複合的な農業に関心を待っている。やれる農業とや 「みどりの風」を週二回営業し学生が当番で接客しているが、収支 りたい農業にギャップがある、という答えで、我々もこの分析結 計算はしておらず、売り上げも学生には還元されない。 果に強く共感した。 改革の方向性としては、まず実習は技術だけでなく経営も含め そこで、この結果を踏まえ、自分たちなりに若者が望む農業に ついて考えてみた。サツマイモ、イチゴ、ブドウ、ブルーベリー、 た実践的な内容にし、さらに品質や販売などの結果が、成績や将 来の就農の支援等に反映される仕組みとすることでモチベーショ 乳牛を育てながら、加工と観光農園を組み合わせた六次産業を七 ンを高める。座学については、実習の補完として位置付け、実習 年かけて作り上げる計画を立てた。将来について仲間で具体的な で の 課 題、 疑 問 を 解 決 す る ス タ イ ル と す る。 卒 業 に 向 け た プ ロ プランを考えるのが楽しく、目の前の勉強と将来の目標がリンク ジェクト研究も、技術の実証実験だけでなく、将来の経営プラン していることで勉強のモチベーションも上がった。他方でプラン の作成を取り入れることを提案する。 作成が進むほど、自分達の今の力では、すぐの就農が難しいこと 農大ではもっと実践的で主体性を引き出すような、かつ多様性 も分かってきた。農大の通常のカリキュラムの中に、このような を尊重するカリキュラムが必要である。それにより多様な進路が プラン作成やそれに連動した実習等があれば、やりたい農業を実 生まれ、ひいては多くの潜在的な就農希望者が農大の門をたたく 現できる可能性も高まると考えた。 のではないだろうか。 そこで大分農大を例に、現在の農大のカリキュラムと私たちの やりたい農業との関係について整理した。まず現状だが、座学に ─ 77 ─ 作文の部 ─ 79 ─ 83 作 品 目 次 86 [作文] 末 鶴 美 保 89 一、金賞 女性が活躍できる農業経営を夢見て 一本の削蹄鎌に懸ける魂 二、銀賞 淵 脇 大 輝 〜一人前の削蹄師を目指して〜 星 野 孝 生 ─ 81 ─ 三、銀賞 世界に通用する米を作るために 〜生まれ育った町から目指す一人の少年物語〜 四、銅賞(十編、要旨のみ掲載) (同賞内は受付順) 93 (金賞) 女性が活躍できる農業経営を夢見て すえ 末 づる 鶴 み 美 ほ 保 (鹿児島県立農業大学校 農学部 野菜科 二年) 各作業の意味もわかるようになっていました。収穫の時、 「去年よ りイモが大きいよ」と父に聞いた時、心から嬉しいと感じました。 いつの間にか仕事の達成感を感じるようになっていたのです。で 「農業なんて嫌い」 私は幼い頃、実家の農業という仕事が嫌いでした。できれば誰 にも知られたくありませんでした。それは、 「農業は恥ずかしい仕 も中学生の頃は、まだ「農業は恥ずかしい仕事であり、女の子が た。 そ の た め、 私 や 姉 た ち は 誰 一 人 農 業 に 興 味 を 持 つ こ と は な い」と答えたら友達がいなくなるのではないかとも思っていまし た。また「将来、何になりたい?」という質問には、 「農業をした こか遊びに行った?」と友人から質問されることがすごく嫌でし とんどなく、小学生の頃、ゴールデンウィークなどの休日に、 「ど 苦痛でしかありませんでした。おまけに家族で出かけたことはほ イモの収穫、冬は大根の収穫と、私たちにとって両親の手伝いは 姉妹は、幼い頃から農業の手伝いをしてきましたが、夏はサツマ まれた時、 「また女の子だったか」と思ったことでしょう。私たち 方から「どこの娘さん?」と聞かれ、母の名前を伝えると、 「あの 母は地域の有名人です。いつでも誰とでも気さくに話すことが でき、母の周りにいる人は不思議と笑顔になっています。地域の と同時に、女性でも農業はできるんだと確信しました。 ような気がしました。この時、母の姿を見て、かっこいいと思う は「女性でも農業はできるんだよ」と、背中で私に伝えてくれた で作業をし、弱音ひとつはかずに淡々と作業をしていました。母 しかし、母は重たいコンテナを何度も運んだり、いろいろな機械 に な り、 何 も 母 の 手 助 け が で き な い 自 分 が 情 け な く な り ま し た。 のです。父がいない間、母と祖父母での三人で畑仕事をすること この気持ちが変わり始めたのはある出来事からでした。それは 高校に入学した時、父が椎間板ヘルニアで入院することになった 選ぶ仕事ではない」と思っていました。 事であり、女の子が選ぶ仕事ではない」と思っていたからです。 かったのです。しかし、楽しかった思い出もあります。両親が畑 私の家は、サツマイモ十 、大根三 を生産する専業農家です。 私は、この家の四姉妹の末っ子として生まれました。父は私が生 に行き、家にいないことが多かったため、姉妹四人でよく一緒に 元気なお母さんだね。話がおもしろくて、いつも元気をもらって 加しており、PTA役員やママさんバレー、ドラゴンボートでは いるのよ」と言われたことがあります。地域活動にも積極的に参 しています。いつも動き回っていますが、ちゃんと家庭の仕事も 遊んでいました。また母から「みーちゃん、買い物に行くよ」と 出となっています。 こなしています。また畑で作業をしている時、近所のおじいさん キャプテンを務め、最近では 女性部会の女性理事としても活動 中学生になるとソフトテニス部に入部し、部活動が休みの時は 家の手伝い、そんな日々が続きました。全く休みがなく、きつい 言われ、近くのスーパーに行ったことが、なぜか私の一番の思い ha と 思 っ て い ま し た が、 パ ー ト の お ば ち ゃ ん た ち と も 仲 良 く な り、 JA ─ 83 ─ ha 嫁いだ方でした。ご主人や義父母を説得し、農家民泊を立ち上げ、 農家民泊施設を視察しました。その経営者は女性で、畜産農家に た海外研修でフランスを訪れた際、グリーンツーリズムの研修で と、売り上げが一気に落ち込んでしまうことも体験しました。ま われるほどよく売れましたが、販売対応が苦手な男子が販売する 顔で元気よく対応すると、 「あなたが作った芋をちょうだい」と言 たこともありました。販売対応でも同じです。校内販売で私が笑 た。特に出荷準備は、雑な男子学生がいたため、調製をやり直し いましたが、段取りが悪く集中した作業ができない男子もいまし まり差がないことに気づきました。作業効率がすごく良い男子も 進まないのだろうと思うようになりました。私の仕事は男子とあ できました。作業に慣れた頃、なぜ我が家のように作業がうまく 合い、手探り状態で一生懸命作業を進め、無事収穫をすることが んな時に支えてくれたのは、同じクラスメイトでした。共に話し 多くあり、自分は何もできないんだとショックを受けました。そ の作り方や機械の使い方など今までに経験したことがない作業が モの栽培はある程度できるだろうと思っていました。しかし、畝 えたからです。幼い頃から家の手伝いをしてきたため、サツマイ 用しており、その特性を理解することが今後の経営に役立つと考 農業大学校野菜科ではサツマイモを専攻し、品種「べにはるか」 のバイオ苗栽培について研究しました。我が家でもバイオ苗を使 学校入学を決意した理由です。 うになっていました。これが農業を将来の職業と意識し、農業大 に、そして母のような信頼される農業経営者になりたいと思うよ 子が選ぶ仕事ではない」という固定観念が徐々に崩れ、両親と共 幼い頃から思い続けていた「農業は恥ずかしい仕事であり、女の の姿は、私の心を温かくしてくれました。母の行動力を見る内に、 しい口調で話しかける母とニコニコして嬉しそうなおじいちゃん の手押し車に小さな芋がたくさん入った袋を入れていました。優 で女性が困るのがトイレです。我が家周辺は、近年畑地かん水設 そして女性が働きやすい環境作りを行うために、三つのことを 考えています。一つ目は畑にトイレを設置することです。農作業 営に取り入れたいと考えています。 続けるとともに、ゴボウやホウレンソウなど新品目を我が家の経 の十 えることが予想されます。そこで耕作放棄地を集め、まずは現在 ることです。我が家の周辺は少子高齢化に伴い、耕作放棄地が増 これらの経験を踏まえ、私は将来の農業経営に一つの目標がで きました。それは、女性でも活躍できるモデル農業法人を設立す るのではないかと思うようになりました。 女性が持っている様々な能力やアイデアを農村社会は封印してい の近辺に畑があるため、女性が働きやすい環境であるはずなのに、 男性と同じ数だけ女性が農村社会に存在するはずです。農家は家 の ほ と ん ど は 家 族 経 営 が 主 の た め、 夫 婦 で 農 業 を 営 ん で い れ ば、 わずかであることを母から教えてもらいました。地域の農村社会 の意見が強いのに、妻に定期的な賃金を支払っている農家はごく ながら農作業もしているのが現状です。また農業経営方針も男性 地域の女性農業者の環境は、我が家とは異なり、家事や子育て、 そして親の介護は女の仕事という意識が根強く、家庭の仕事をし とも思いました。 前」と思い込んでいたため、このような発言をしたのではないか よ う に な り ま し た。 父 が 母 の 意 見 を 聞 き 入 れ な か っ た こ と は 合い、母の意見によって我が家では農作業での役割分担ができる の意見を全く聞き入れなかったそうです。母はその後も父と話し い?」と父に言うと、 「女のくせに作業のことで口を挟むな」と母 母 は 作 業 中 に、「 こ の 作 業 は こ う し た 方 が 効 率 が い い ん じ ゃ な また父は母に生活費以外の賃金を支払っています。しかし、以前、 に協力的で、子育てや家事など積極的に手伝ってくれたそうです。 について、母とよく語り合うようになりました。父は以前から母 の畑を十四 まで拡大し、サツマイモとダイコンの栽培を 備が整いましたが、できればその水を活用して畑に共同水洗トイ ha ─ 84 ─ ショックでしたが、父は子供の頃から「女は男に従うのが当たり この取り組みが地域に浸透し、今では組合を作って活動している このような経験をしたことで、我が家の農業経営や女性農業者 と聞きました。 ha と思います。三つ目は、農業のおしゃれ化です。作業服や調製袋、 アップを目指すことができれば、法人全体がレベルアップできる コン研修等を取り入れ、子育てと仕事をしながら従業員のスキル のことはもちろんですが、農産物の調理方法や接客の仕方、パソ 自身もこの制度を利用したいです。また研修会も実施し、農作業 きる制度や週二〜三日の勤務など様々な勤務体制を取り入れ、私 環境作りです。子供を幼稚園に預けている時間のみ働くことがで レを作りたいです。二つ目は子育てをしながら働くことができる 「お父さん、お母さん、見ててね。私、立派な農業経営者になる から」 頑張ります。 る仕事であり、女の子にとって魅力ある仕事」と言われるように 私は今、農家に生まれて後悔はありません。農家に生まれたか らこそ、今の夢があるのです。将来、子供達から、 「農業は誇りあ ます。 す。母からもらった笑顔でみんなを元気にしていると自負してい 心の底から一緒に笑っています。そして私。私の取り柄は笑顔で ラベルなどを可愛くしたいです。高校生の頃、農作業服の姿を友 人に見られるのがとても嫌でした。ダサかったからです。私も実 際にネットで可愛い作業服を購入したことがありますが、友人か ら「可愛い」と言われたり、会話の話題がふくらんだりと、楽し く作業ができました。恥ずかしいと思う気持ちもなくなっていま した。休憩所はおしゃれなカフェ風にして、休憩時間を優雅に過 ─ 85 ─ ごせるようにしたいです。 将来的には生産から加工、販売までの六次産業化を視野に入れ た農業経営を行っていきたいと考えています。地域農産物や加工 品製造・販売を行える農産物直売所を設置し、その運営方法や加 工品製造などを女性従業員に企画立案してもらうのです。接客も 商品アピールだけでなく、お客さんとの対話を重視し、子育て主 婦の悩み相談やお年寄りの方が気軽に集える場としても利用され る直売所を作りたいです。このような活動を続けることができれ ば、女性が農業に根付き、女性が集えば様々な知恵が出て、新し い産業モデルができると考えています。人件費は経費ですが、人 材が資産になる法人を作ることが必要だと感じています。 農業経営における女性の活躍を考えるようになり、様々な場面 で女性パワーを見つけるようになりました。母は 女性部会理事 と正確さでは勝つことができず、休憩時間のおしゃべりタイムは の作業では、パートのおばちゃん達にサツマイモの苗定植の早さ としている仲間が、明日の農業のために汗を流しています。実家 女性農業者に勇気を与えています。農大では将来農業に携わろう と し て、 女 性 農 業 者 の 集 い で の 講 演 や 悩 み 相 談 会 へ の 参 加 な ど、 JA (銀賞) 一本の削蹄鎌に懸ける魂 〜一人前の削蹄師を目指して〜 「サクッ、サクッ、サクッ!」 ふち わき だい き 淵 脇 大 輝 (鹿児島県立農業大学校 畜産学部 肉用牛科 二年) 重に、そして大胆にやれ。呼吸も大事だ!」と怒られることもし ばしばあった。 が間近な子牛の削蹄をするために、よく父と一緒に農家に出向い のは私が中学生の時。土日など学校が休みの日は、セリ市の出品 切っている父の姿がとても格好良く、その姿に憧れを抱き始めた としての父の魂』そのものだ。牛の太い脚を軽く持ち上げて蹄を 自由に操って、牛の蹄を切る父の姿である。まさに削蹄は、 『職人 私にとって父の姿とは、一本の削蹄鎌をまるで自分の腕のように 乱に削蹄に打ち込む父の姿を見てきたことが、すべての始まりだ。 私は、この一定のテンポで何となく心地良い音を幼い時から耳 にして育った。削蹄師である父の後をいつも付いて行き、一心不 手が付けられない蹄もあり、結局そのような時は父の助けを貰う 戦苦闘する時もあった。私が母牛の削蹄を行った時にも、とても 多く、牛も蹄を切る時の痛さに耐えきれず、大暴れしてすごく悪 どめていない。そのような牛の蹄は中の部分が腐っていることも も仕事のうちであり、一年以上も削蹄をしていない蹄は原形をと 父が行っているのは子牛の削蹄だけではなく、大きな母牛の削蹄 りに「上手くなった」と感じた瞬間だった。しかし、当然ながら 連の作業に十分もかからなくなった時だ。この時ばかりは自分な 整え、ヤスリで蹄の細かいところまできれいに仕上げるという一 行った時で、まず蹄全体の汚れを落とし、削蹄鎌で大まかな形を しかし自分の中では、確かに「削蹄の腕が上達してきたな」と 感じられる機会も増えてきた。特にそう感じたのは子牛の削蹄を ていた。父が切った蹄はきれいに整えられており、子牛も気持ち 静かな牛舎内に牛の蹄を切る音が響く。父の額からは汗が滴た り落ちる。 よく歩いているように見えた。そして削蹄の大切さも感じた。 に行っていた。蹄を削り過ぎて出血することもあったが、父から かなくなる。じゃっで、母牛の削蹄は半年に一回はせんといかん」 餌の食い付きが悪くなるんだ。発情にも悪い影響があり、種も付 多くのことを経験するうちに、削蹄についての父との会話も核 心に迫っていった。父は、 「牛も人と一緒で、ストレスを感じると のだが、ますます削蹄の難しさと奥深さにはまっていった。 手ほどきを受けるうちに、段々と納得のいく削蹄ができるように 「牛にとっての蹄は第二の心臓やっど」とよく言っていた。 中学校も卒業前になると、父は私にも削蹄の経験を積ませてく れるようになり、最初は実家の牛や親しい農家の牛の削蹄を中心 なってきた。そうなるまでには二年間ほどを費やしたが、やっと そして、近所の農家さんに言われた一言が、私の今後やるべき 道を示してくれた。それは「大輝くんは、よく家の牛舎の手伝い 父にも「この頃、削蹄が様になってきたぞ!」と言われるように なった。ところが私の悪い癖で、誉められるとすぐ調子にのると ころがあり、削蹄鎌に力を入れ過ぎて牛の蹄から血が出ることも あり、父に「そら、調子にのるからだ。牛の気持ちになって、慎 ─ 86 ─ いた時を見計らっては地元に帰り、父と行動をともにして削蹄な く決心した。農大生となった今でもその気持ちは強く、時間が空 んやばあちゃんを助けてあげられるような存在になりたい」と強 いての新しい情報の発信、あるいは困った時には地元のじいちゃ 言葉を思い出し、その時、私は「削蹄はもちろんのこと、牛につ くなっているから、若い大輝たちが後継者となってなあ」という れた「田舎では若者がとても少のうなって、年寄りばっかりが多 ぎる一言だった。その時、以前にもある農家のおじちゃんに言わ であった若い私を奮い立たせ、自信を持たせてくれるには十分過 むねえ」という温かい言葉をかけて頂いたことだ。当時、高校生 絶対に大輝くんに頼むからねえ。削蹄も上手いから、よろしく頼 やお父さんの削蹄の手伝いをして偉いねえ。将来は、うちの牛は り堂々と自信を持って、牛の世話をしていけばいいんだが!」と 削蹄はもちろん、機械に乗るのもすごく上手いがね。今までどお 担任の先生から呼ばれ、 「大輝、もう少し自信を持たんか。大輝は、 複 数 の 試 験 で の 赤 点 な ど 情 け な い こ と が 続 い た。 そ ん な あ る 時、 その後しばらくは何に対しても自信が持てず、私の牛舎の扉の 閉 め 忘 れ に よ る 牛 の 脱 走、 給 与 飼 料 の ミ ス に よ る 牛 の 体 調 異 変、 のが自分自身でもよく分かった。 てくれたが、やはり痛さよりも恥ずかしさで気持ちがめげている かった気持ちが大きかった。友人たちも「大丈夫か?」と気遣っ て し ま っ た。 も の す ご い 痛 さ も 感 じ た が、 そ れ 以 上 に 恥 ず か し る最中に削蹄鎌で人差し指をザックリ切って、数針縫う怪我をし と調子にのった気持ちがあったのだろう。ある日、削蹄をしてい のようなことをしばらく続けていたが、やはり心のどこかに油断 励まされた。今考えると、この言葉のおかげでずいぶん気持ちが どの修行を積んでいる。 よび分娩状況に及ぼす影響』に取り組んでいる。同級生も牛に関 そういう私も、そのうちの一人で「削蹄技術では誰にも負けな い!」という自負を持っていた。課題研究も『削蹄が繁殖成績お 重なり、おかしかったのを覚えている。 まるで数頭の牛を同じ牛房に入れた時に起こるボス決めの争いと に か な り 慣 れ て い る 者、 そ れ ぞ れ が 自 分 の 力 を 主 張 し 合 う 様 は、 人工授精などの繁殖技術に詳しい者、大きな牛の取り扱いや調教 勃 発 す る。 ト ラ ク タ ー な ど の 大 型 機 械 の 操 作 が や た ら 上 手 な 者、 場を引き継いだ時には、当然ながら農場内での小さな覇権争いが となく牛に接していたいといったところだ。入学後、先輩から農 こうという強者たちだ。残り三割の学生は、動物が好きだから何 い時から牛に接しており、将来も真剣に牛に向き合って生きてい 指す二十六人の仲間が県内外から入学してきた。七割の学生は幼 さて、私が農大に入学して約一年半が過ぎたが、様々なことを 経験した。私たち肉用牛科三十六期生は、和牛農家や技術員を目 時に、この経験を活かして地元の村興しのリーダーとなり、地域 な財産になったとみんなに感謝している。将来、我が家を継いだ の伝達も普通にこなすことに対して自信も付き、この経験が大き 動もあったが、先生方や周りの友達に支えられて何とかみんなを 輩に引き継ぐが、現在の心境としては農場長としては頼りない行 レッシャーですごく悩むことも多かった。農場もあと二十日で後 初、 農 場 長 と は 何 を す れ ば い い の か、 さ ら に は 農 場 長 と い う プ が多く、そのため農場長の責任はすごく大きいと感じている。最 後継者や技術員養成のために学生の自主性に任せられている部分 二十六人の統括である。農大では、農場の運営管理は将来の農業 実は、私は農場長という立場も任されていた。一年間の農場運 営において、農場長は生産牛や肥育牛など百二十頭の管理や学生 とである。 ただ反省点としては、やはりすぐに調子にのる私がそこにいたこ 楽になり、また前向きに日々の活動に取り組むことができている。 わってきた学生が多いので、削蹄については見たことや牛の保定 の活性化に貢献したいと思っている。 まとめることができた。今では農場の管理作業の指示や先生から を手伝ったりなどの経験者はいたが、実際に削蹄ができる学生は おらず、私は仲間を集めてはできる範囲で教えたりしていた。そ ─ 87 ─ そしてもう一つ、父からの『一本の削蹄鎌に懸ける魂』を受け 継ぐと同時に、さらに削蹄の修行を積んで全国削蹄競技会に出場 し、削蹄師『淵脇大輝』の名を全国に轟かせたい。目指すは、も ちろん『削蹄技術日本一』だ! ─ 88 ─ (銀賞) 世界に通用する米を作るために ほし 星 の 野 こう 孝 せい 生 会社の社長として忙しく、家の農業を継ぐ気はありません。今こ 限界で、いつ農業ができなくなってもおかしくありません。父は 農業の道を進み、農業の勉強をしてきて五年目、私は家の農業 を継ごうと思っています。祖父は今年で七十五歳です。体力的に 「俺、二年後には独立して農業をしていこうと思う」 思うと同時に、この伝統を守っていかなければならないとも感じ そんな祖母を私は心から尊敬しています。農家で良かったな、と 美 味 し く、 で き た 餅 は 親 戚 や ご 近 所 に 配 ら れ、 喜 ば れ て い ま す。 食べます。草餅以外でも、笹団子や桜餅も作っています。どれも 田植えの季節になると、毎年祖母が草餅を作ってくれます。田 植えの休憩時、祖母が作ってくれた草餅を周りの景色を見ながら ことができました。 〜生まれ育った町から目指す一人の少年物語〜 (新潟県農業大学校 農学部 稲作経営科 の 現 状 を ど う に か し よ う と 思 い、 農 業 大 学 校 を 卒 業 す る こ の 年、 が 家 で は 田 植 え を し ま し た。 家 族 全 員 大 忙 し で す。 い つ も な ら、 我が家は水田を一・八 持つ兼業農家です。農業が好きな祖父 と機械を扱うのが好きな父を中心に仕事をします。今年の春、我 米を作っていきたいという夢があります。 そんな歴史と情熱ある福島町が、私は大好きです。そして、私 は将来、生まれ育ったこの町を農業で盛り上げ、世界に通用する 命、農業に励むことができ、毎年、美味しい米や野菜ができます。 でもあります。福島江があるおかげで、今も町の人たちは一生懸 を作った「桑原久右衛門」はこの町のシンボルであり、農業の源 近い将来、家の農業を継ぐことを考えると、避けては通れない問 題を抱えていることを私は知るよしもありませんでした。そして、 見てきた、頑張っている祖父の姿の背景には、こんなに大きな問 金がない」 「規模が小さい」と言っていました。幼い頃からずっと しかし、祖父は大反対しました。何故そんなに反対するのだろう 業をしていくことを喜んで賛成してくれていると思っていました。 あったのか」 「今度、家でもやってみてよ」などと祖父母は嬉しそ 学 校 で 学 ん だ こ と を 祖 父 母 に 話 し ま す。「 そ う い う 栽 培 方 法 が 私は、平日は学校で勉学に励みながら寮生活を送り、週末に家 に戻って農業を手伝う日々を送っています。そして、家に帰ると と聞くと、「米価が下がって儲からない」「機械が壊れたら買うお ─ 89 ─ 二年) 家の農業を継ぐことを決意しました。 私は苗取り板で苗を田植機にセットする仕事が担当でした。でも、 題です。 ました。 今年は、農業高校、農業大学校でたくさん機械に乗ってきたこと 私の住んでいる地域は新潟県長岡市の福島町という小さな集落 です。信濃川から水を引いてできた大きな川「福島江」、そして川 を認められ、ほとんどの田んぼを自分で田植えをしました。最初 米価が下がっていること、規模が小さいことは知っていました。 しかし、毎年何気なく使っていた田植機やコンバインなどの機械 うに話します。その姿を見ると、きっと、私が家の跡を継いで農 は真っ直ぐに苗を植えられなかったり、マーカーを出し忘れたり しましたが、父のアドバイスのもと、無事に全部きれいに植える ha 祖代々守り続けてきた土地と農業を簡単に手放すことになります。 械が壊れたら米づくりができなくなってしまいます。そして、先 た、規模拡大には機械導入が欠かせません。この状況で、もし機 だったのは驚きました。機械を買うにしてもどれも高額です。ま すべてが耐用年数を超えていて、いつ壊れてもおかしくない状況 に売り込みに行っています。内山社長に海外に通用する米を作る ヒカリを台湾や香港などで販売している人で、しょっちゅう海外 してくれました。内山さんは農業法人の社長として栽培したコシ な私の考えを知った担任の先生が、上越市の内山義夫さんを紹介 に通用する米を作るために必要なことだと考えていました。そん ら 堆 肥 を 使 用 し て、 こ だ わ り の あ る 米 や 野 菜 を 栽 培 し て い ま す。 こ株式会社」さんです。水稲五十二 「家の跡を継いだら機械はどうすればいいのかな」と考えてい る時、二週間の農家研修がありました。研修先は「新潟ひかりっ かしなければいけません。 を経営し、自家製のもみが 手先のことに気を配るのではなく、新潟産コシヒカリの味を信じ が大切」と励ましてもらいました。見た目や好みなどといった小 後に「ハングリー精神と、毎日毎日、一年一年の小さな積み重ね と直接交渉ができて有利」などとアドバイスをもらいました。最 可欠なものの、細かな管理が行き届かなくなる」 「外国語ができる リはそのままで十分海外で通用するし、品質を高めることでさら に は ど う し た ら い い の だ ろ う と 相 談 し た 時、 「新潟県産コシヒカ 最初に研修で訪れて、ライスセンターを見た時、 「なんて大きな施 「それだけは避けたい」 、その気持ちは祖父も私も一緒です。何と 設なんだ」と驚きました。他にも八条植えの田植機や六条刈りの て、地道に良い米を作る技術を高めるぞ、と進むべき道がはっき れ ら の こ と か ら、 機 械 を 導 入 す る 時 は 様 々 な や り 方 が あ っ て、 を見越せれば、借金なんて怖くない」など教えてくれました。こ も「規模拡大には作業委託を受け付ければいい」 「計算ができて先 耐用年数分のローンを組むこと」と教えてくれました。その他に と良い」 「機械は正確に使えば耐用年数以上使えるから、高くても について尋ねると、 「リース契約をしたり、国や県の補助金を使う 研修中、私が独立して農業をしていきたいことを伝えると、ひ かりっこさんは親身になって相談に乗ってくれました。機械導入 んありました。 あとは実行に移すのみです。機械導入や経営規模を拡大するな ど、経済、金銭の面では何もできません。しかし、私は今まで高 模の拡大」についての打開策が見えてきました。 れでようやく「高品質な米を作ること」 「農業機械の導入や経営規 それをブランド化して世界に売り込んでいこうと考えました。こ 大 き な 川 を キ ー ワ ー ド に 福 島 町 を 産 地 に し た 高 品 質 な 米 を 作 り、 外に輸出できるのではないかと思います。そこで、福島江という 和食ブームが広がっています。それに乗っかり、積極的に米を海 国 外 に 目 を 向 け て み る と、 米 を 食 べ る 国 は た く さ ん あ り ま す。 和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたように今、海外では りしました。 に信頼が得られる」 「経営規模を大きくするのが非常に重要で、不 コンバインなど、普段学校や家で見られない大型の機械がたくさ ちゃんと計算していければ大丈夫だということ、規模拡大には作 が少し楽になりました。 の慣行栽培との違いを理解し、より品質の高いものを作るのが狙 大学校一年目の時には、無農薬無化学肥料栽培の課題研究に取 り組みました。農薬と化学肥料を一切使わない栽培方法で、通常 品質な米を作るための研究をしてきました。 業委託を受け付ければいいことなどがわかり、将来に対する不安 世界に通用する米を作るには、自家製のもみがら堆肥を使用し て、こだわりのある米や野菜を作っているひかりっこさんのよう いです。十aの圃場に、水口、水尻にそれぞれ調査個所を設置し に、 「他とは違ったやり方をしなければいけないのかな」と疑問に 思いました。 結果的には、穂数が㎡当たり二百十三本で、慣行栽培と比べると て、班の仲間と一緒に、真夏の暑い中でも毎日調査を行いました。 そ ん な 時、 高 校 生 の 時 の こ と を 思 い 出 し ま し た。 当 時 の 私 は、 食味や無農薬、見た目や様々な国の好みに合わせる技術が、世界 ─ 90 ─ ha そうなると、苗を踏んづけたり、傷つけたりして茎数が減り穂数 と、 毎 回 毎 回、 雑 草 の 除 草 防 除 で 田 ん ぼ に 入 る こ と に な り ま す。 あまり良くない結果になりました。その他にも、農薬を使わない 〇%を超えて良くても、タンパク含量は六・八%と高く、食味が 三十四 と少ない結果になりました。品質成分でも、良質粒が七 百五十本以上少なかったです。そのため、収量が十a当たり四百 する米づくりを目指して頑張ります。 のある福島町で米づくりができる誇りを胸に、今後も世界に通用 をつくる」ことに繋がってくると信じています。この歴史と伝統 ます。この小さな積み重ねが私の目標である「世界に通用する米 を交わし、交流して日々、自分自身が成長していくのが実感でき 今日まで、いろいろな人に出会い、農業、米づくりについて意見 の確保が困難になり、収量が減ります。また、労働時間も増えま す。これらのことから、無農薬無化学肥料栽培は、安定した収量 と高い品質成分を確保するのは難しく、何か一つ工夫が必要だと いうことがわかりました。 大学校二年目の時は、高校生の時に行った疎植栽培の研究を引 き継いで研究を行いました。疎植栽培は苗と苗との間、いわゆる 条間と株間を充分に広げて力強く育てる栽培方法です。また、通 常の慣行栽培とは違い、必要とする種子の量や苗箱が少なくて済 み、経済的にもメリットがあり、労働時間の短縮にも繋がります。 高校生の時に研究できなかった経営費の面を重視して臨みました。 冬の計画段階から始まり、播種、田植え、稲刈りなど全部自分と 班の仲間で行い、生育調査や作業時間も欠かさずに記録しました。 収穫をし終えて今のところ、穂数が㎡当たり三百十七本と目標値 という予想以上の結果になりました。品質成分はまだ行って であった二百八十本以上を確保でき、収量は十a当たり五百二十 五 最中で分かりませんが、結果が楽しみです。 難しくなった大学校二年生の勉強や進路の準備をしながらの研 究は、大変です。しかも、たったの一年で結果を出してまとめな ければいけません。それでも、私は十分に稲作について学んでき ました。残る学校生活でも、東京で米のニーズ調査やアメリカ研 修などまだまだ学ぶことはたくさんあります。そして、これから は、自分の夢を叶えるために、高品質な米を作るための研究も含 めて、園芸面や経営面といった自分に足りないものを二年間、農 私は、家の農業を継いで米づくりを続けていく覚悟をしてから 業生産法人で修行して身に付けていきたいと考えています。 ─ 91 ─ kg おらず、経営費がどれくらいかかったのかは、まだ取りまとめの kg [作文] 銅 賞 ( 要旨掲載) ●鹿児島発『髙月藍のおいしい和牛』への道 〜真似るは学ぶの姿勢〜 髙 月 藍 岩 下 信 也 「 ● 牛を飼う」ということと、将来の夢 後 藤 貴 広 ●命の大切さを胸に、酪農の発展に向けて 〜口蹄疫、東日本大震災、酪農教育ファームで牛から教えられたこと〜 林 田 真 実 見つけた! ● 遠 藤 響 子 経験値0からのスタート ● 甲 斐 陽 子 しんねん 芯念 ● 須 藤 智 史 人を笑顔にする魔法 ● 木 村 朝 美 農業の持続可能・そして発展のために ● 原 田 順 平 愛情を込めた花束で 榎 本 悠 樹 ● 大好きな酪農の魅力を発信していくために ● (受 付 順) ─ 93 ─ (銅賞) あい 藍 鹿児島発『髙月藍のおいしい 和牛』への道 つき 月 〜真似るは学ぶの姿勢〜 たか 髙 (鹿児島県立農業大学校 畜産学部 肉用牛科 二年) (要旨) 「藍(愛)と一緒に牛飼いたいんやけど!」 高校を卒業したばかりの私に、姉から突然かけられた思いがけない言葉。突然言われた驚き と何だかすごく照れくさい複雑な感情を笑ってごまかしたことを私は忘れられません。 私の故郷は愛媛県の南西部に位置する西予市野村町という自然豊かな場所で、四姉妹の三女 として生まれた私は、気が付けばいつも姉(長女)の真似ばかり。そして、私が牛を飼いたい と思ったきっかけも、実は姉の影響でした。それは、私が中学三年生の時、高校で乳用牛の世 話をしていた姉は、毎日がすごく楽しそうでキラキラと輝いているように見えました。特に何 かを話したわけではありませんが、私の農業に対する印象が一気に変わったのをよく覚えてい ます。そんな姉が卒業し、本格的に肥育牛の勉強がしたいと宮崎県の農業大学校へ行くことに なった時は、正直寂しい気持ちでたまりませんでした。しかし、姉との別れは今まで姉の後ろ ばかりを歩いてきた私にとって、しっかりと自立するためのチャンスだと思い、学校行事や勉 強、実習に今まで以上に力を注ぐようになりました。そして私自身、今まで姉の後ろを歩いて いた一本の道の分岐点に立ち、二本に分かれた独自の道を一人で探り始めたきっかけになりま した。その高校三年間の中でも「私は将来これがしたい!」と強く思った出来事がありました。 それは家畜人工授精師資格の講習会を受けた時のことです。日本古来の気品あふれる和牛の姿 に魅力を感じ、私はぜひ自分の手で和牛を育ててみたいと思うようになっていました。ちょう どその頃に進路についても考えていたため、とにかく「人工授精をたくさん練習したい」 「地 元よりも和牛の有名なところで勉強がしたい」 、その一心だった私は、和牛で全国的にも有名 な鹿児島に目をつけ、現在は鹿児島県立農業大学校で和牛の勉強に励んでいます。 そんな私が鹿児島に飛び立つ前日のことでした。普段、顔を合わせてもあまり会話もしない 姉が突然言ってきたのが、「藍と一緒に牛飼いたいんやけど!」という言葉だったのです。本 当 は、 即 座 に 「 う ん 、 一 緒 に 飼 お う や ! 」 、こう言いたかったのですが、私が何も言えなかっ たことには大きな理由がありました。それは、今までと同じように姉に頼り切ってしまう自分 の姿がはっきりと目に見えていたからです。だからこそ今は姉と違うことに挑戦し、姉に頼ら ず自ら成長したいという強い気持ちがあります。せっかく今、姉の後ろばかり歩いていた道か ら私独自の道を一歩踏み出して歩いているように感じているので、今は私の目指すところへ向 かって進んで行きます。そして、私は将来、和牛の産地鹿児島で繁殖牛七〇頭、肥育牛二〇〇 頭規模で肉用牛の一貫経営をしたいと考えています。 『真似るは学ぶ』、これまでもこれからも、私の人生にぴったりな言葉だと思います。しかし いつかは私が誰かに真似られ、学んでもらえるような存在になりたい。そのためには私が選ん だここ鹿児島でたくさんの人から学び、そして感謝し、自分で未来を切り開ける経営者を目指 して努力 し て い き ま す 。 そして愛媛県に住む私の家族や友人たちに、鹿児島発『髙月藍のおいしい和牛』を届け、 「こ れが私の生産した和牛の肉なんで!」と胸を張っている自分の姿が、確かにいま歩いている道 の先に見 え て い ま す 。 (銅賞) した 下 しん 信 也 や 「 牛 を 飼 う 」 と い う こ と と、 将来の夢 いわ 岩 (宮崎県立農業大学校 農学部 畜産経営学科 一年) (要旨) わ が 家 は 宮 崎 県 串 間 市 で 黒 毛 和 牛 の 繁 殖 経 営 を 営 ん で い る。 僕 は 幼 い 時 か ら 牛 舎 に連れて行かれ、牛とともに過ごしてきた。そのような中でどんどん牛が好きにな り、地域の市場で開かれる子牛の競り市や品評会のときには、小学校を休んでまで両 親とともに競り市に行くようになっていた。あまりに牛に熱中している僕を見て、小 学四年生の時に父が僕にメスの子牛を与えてくれた。僕はこの牛を地域の品評会に 出品したいと思い、それまでに父の手伝いをしながら覚えた段取りで一生懸命世話 をした。その結果、何と優等賞を取ることができた。自分の頑張りが認められたこと と、それに応えてくれた牛への愛情が増し、この時、 “将来は絶対に牛を飼ってやる” と決心した。 高校二年生の時に、幼い時から夢見ていた全国和牛能力共進会に初めて挑戦する ことができた。全国和牛能力共進会は、県の予選を勝ち上がること自体がとても難し いと言われている。わが家は県の共進会にも出品したことがなかったので、その壁は とても大きいものであった。しかし、これまで地域の品評会に向けコツコツと力を磨 いてきた積み重ねがある。決して乗り越えられない壁ではない。そう信じて、その大 きな壁に挑んだ。その結果、わが家の牛は全国行きの切符を手にすることができた。 この時ばかりはこれまでの品評会とは違った気持ちになった。 幼い時から夢見ていた全国の大会。その大会へ向け、僕は思い切って「出品する牛 は自分が調教したい!」と父に伝えた。高校には無理を言って大会の一カ月前から休 みをもらい、その間毎日牛と二人三脚で歩む日々を送った。そして迎えた長崎県での 大会当日。厳しい予選会を勝ち抜き、宮崎県代表として晴れてその場所にいる自分 が、それだけで誇りであった。それなのに、それ以上のご褒美が待っていた。何と全 国 和 牛 能 力 共 進 会 で 主 席 を 取 る こ と が で き た の だ。 ま さ か ま さ か の 奇 跡 の 結 果 と し か思いようがない。涙が止まらなかった。この結果は周りの方々のたくさんの協力や 両親の支えと、出品した牛とともに過ごした日々の結晶だ。牛がしっかりと応えてく れたこの結果は、決して僕の一方通行ではなかった。 そのような経験から『牛を飼う』ということは、ただ管理作業をすることではなく、 怒ったり、時には褒めたりと、血の通う関係性が大切であることを学んだ。僕は牛舎 に行けば、必ず牛の表情を見る。それは顔だけではなく、牛舎内の変化すべてだ。そ して牛に声をかけ、牛の反応を見る。そのように牛に自分の感覚を傾けることで、牛 との関係を大切にしている。畜産農家は、飼育する牛の能力を最大限引き出してやる ことがその使命だと思う。そのためにこのことはとても大切なことと考える。 今、僕は宮崎県立農業大学校に進学し、さらに実践的な技術の研鑽や現場で生かせ る資格取得に励んでいる。そして将来は、全国に名を知られるような和牛一貫経営を したい。今、畜産業界は飼料の高騰やTPP交渉などで、今後も厳しいと言われてい る。それでも畜産がなくなるとは思えない。むしろ、まだまだ牛の持つ可能性は秘め られているとさえ思う。僕は牛の能力をもっともっと引き出したい。幼少の時からこ れまでに学んだ多くのことを基礎に、これからの学びを上乗せし、何より牛との関係 性を大切にする自分ならではの経営方法を確立させ、強く夢のある畜産経営をして みせる決意だ。 ─ 94 ─ (銅賞) (銅賞) ひろ 広 だ 田 ま 真 み 実 (要旨) 「見つけた!」。やっと答えに出会えたようなそんな気がしました。 私は大分短期大学の一年生です。短大は専門的な授業ばかりで覚えること が山積みの毎日ですが、それもまた楽しい日々です。中でも私の大好きな実 習は、最初は全てが慣れないものでしたが、作業着姿も今では様になってき ました。そんなある日、ブルーベリーのさし木をしました。慣れないはさみ に苦戦しながらも一本一本丁寧に。そんな作業をしながら小学校の頃『さし 木の秘密』という本を読み、木の枝を拾って真似して弟に教えたことを思い 出しました。それから五カ月後。適当だったあの頃とは違い、ブルーベリー は立派な姿に成長していました。 「編入する」という目標を掲げてきた 新しい発見のある楽しい毎日ですが、 私は、それでは満足できませんでした。きっかけは東日本大震災。あの時、テ レビを見ながら感じた自分の無力さ。でも水も空気も土も全部きれいにして またそこで暮らせるように、福島の人の役に立ちたい。その方法を知りたく て、私は農学部を受験しました。ですがそれは無理な話でした。合格発表の 掲示板には私の番号はありません。そんなやつには何もできやしないよ、と 言われているようでした。そうして始まった短大生活。いったい何をしてい るのだろうと、いつも心のどこかで不安を感じていました。そんな時、先生 に将来のことを聞かれ、 「将来は福島の環境を整えたい。またそこで農業がで きるようになればいい……」としどろもどろに答えると、先生から「樹木だっ たらできるぞ」。思ってもみない答えが返ってきました。「水や空気と違って 木なら結果だって目に見える。林業、どうだ?」。私の前にまっすぐ道が切り 開かれたような気分でした。「見つけた!」。それ以外の言葉では表すことが できません。それ以来、授業は全部林業に関係のあるものを受け、森林の持 つ素晴らしさを知り、どんどん引き込まれていく自分がいました。これを学 ぶために私は短大に来たのかもしれない。大げさかもしれないけれど、それ ほど樹木との出会いは私にとって大きかったのです。 日本は豊かな自然に囲まれている反面、断層が多く地形的に変化しやすい ところです。災害が起こるのは仕方がありません。でも災害は自分勝手に自 然の形を変えてきた私たちに対する神様からの罰なのかもしれません。これ らは予測も対策もできますが、決して避けることはできません。だったら私 は、その後どう元の形に戻すかに働きたいです。 そして復興に少しでも貢献できたら、海外に行ってみたいとほんの少し考 えています。悲しい出来事が起こった土地で、人がまた農業で暮らしていけ るように樹木を植えて環境を整えたい。でも結果も時間がかかるし、一人で できるとも思いません。だから編入するしかないのです。私は欲張りなただ の十八歳の学生です。何も知らないし、考えも甘いです。これからそれらを 知り、経験していく中で考え方がどんな風に変わるのかもわかりません。で す が や は り 自 然 と 環 境、 そ し て 農 業 に 関 わ り 貢 献 で き る 仕 事 が や り た い し、 それが叶うならすごく幸せに思います。 (大分短期大学 園芸科 一年) はやし 見つけた! たか 貴 林 命の大切さを胸に、酪農の発 展に向けて とう 藤 〜口蹄疫、東日本大震災、酪農教育ファーム で牛から教えられたこと〜 ご 後 (宮崎県立農業大学校 農学部 畜産経営学科 一年) (要旨) 私の家は宮崎県で乳牛と交雑種肥育牛を飼育する乳肉複合経営農家だ。私は将来、家を継ぐ と決めて い る 。 中学校卒業前に宮崎県で家畜伝染病「口蹄疫」が発生し、私は中学生にして家畜の病気の恐 ろしさを 目 の 当 た り に し た 。 その後、私は県立高鍋農業高校に入学し、酪農経営研究班に入った。研究班では毎日朝と夕 方に牧場へ行き、乳牛の一般管理や共進会出場に向けての牛の調教をした。在籍していた三年 間に多くのブラックアンドホワイトショウに出させてもらった、その中で、静岡県で開催され た全国ブラックアンドホワイトショウに出場した時、宮城農業高校の牛と出会った。その牛は、 震災で津波被害を受けた後、自力で学校に戻ってきた乳牛から産まれた牛であった。宮崎県の 口蹄疫では、牛は使命を遂げることなく、殺処分により強制的に命が絶たれたが、東日本大震 災では命のリレーが確実に続いていたことに感銘を受けた。今、日本では各地で災害が発生し ている。私自身が酪農の発展に貢献ができることは何かないだろうか。将来酪農経営を行う私 にとって、このことは重要な課題となった。 そんな時、高校の先生に酪農教育ファームの認証を受けないかと言われた。酪農の発展につ いて考えていた私にはぴったりの話であり、私は早速、学校の牧場とファシリテーターの認証 取得を目指すことにした。まず教育ファームのプログラムづくりから取り組み始め、その後本 番を想定した練習を繰り返した。そして、実際に認証を受けている農家を訪問したり、来ても ら っ た り し な が ら 研 修 を 重 ね た。 取 り 組 み 始 め て か ら 約 四 カ 月 後、 学 校 の 牧 場 も 自 分 自 身 (ファシリテーター)も認証を受けることができ、いよいよ酪農教育ファームを実施する体制 が整い、約三カ月に一回のペースで教育ファームを実施した。参加してくれた子供たちから、 「とても楽しかった」「また参加したい」など、とても前向きな言葉をもらうことができた。 高校を卒業後、宮崎県立農業大学校へ進学した。農大に入って初めて迎えた夏休み、私が当 番の時に育成牛が一頭事故死してしまった。私はショックを受けた。さらに、その育成牛は妊 娠していたため、この事故死により二頭もの命を同時に失ってしまったことになり、とても心 が痛くな っ た 。 酪農教育ファームが私にもたらしてくれたことは、参加してくれた子供たちの笑顔や満足感 は、私たちがなし得たことではなく、牛が与えてくれたものであるという考えだ。すべては牛 がいて、私たちの酪農は成り立っている。そう考えると、牛の命はとても尊い。当番の時に 失った命により、私は牛の命は絶対に大切にしなければ、すべてが嘘になると思った。だから 私が酪農教育ファームの活動で気を付けたいことは、 「牛を通して」何を語れるかである。 「農 家は○○しています」ではなく、「牛は○○なのです」という視点を大事にしたい。あくまで 主役は牛 で あ る こ と を 忘 れ な い 。 酪農教育ファームの活動を通して、私は消費者の理解を深め、牛乳をもっともっと価値ある ものにしたい。酪農をもっともっと魅力あるものにしたい。口蹄疫で失った牛たちに対しても、 大震災で生き延びた牛たちに対しても、それが私たちの応えることであり、酪農の発展に欠か せないこ と で あ る と 考 え て い る 。 ─ 95 ─ (銅賞) ねん (銅賞) しん 経験値0からのスタート こ 子 きょう 響 芯 念 どう 藤 か い 斐 よう こ 陽 子 甲 えん 遠 (大分県立農業大学校 農学部 (要旨) うららかな春の日差しを浴びながら、今年四月、大分県立農業大学 校 農学部 総合農産科 果樹コースに入学を果たした。年頭には全 く予想もしていなかった、親元を離れての学生寮生活のスタートだ。 温泉で有名な観光地、別府市で私は生まれ育ったが、十七歳の時に 母の実家である豊後高田市に引っ越してきた。祖父母が昔ここで農業 を営んでいたが、今は少しの土地と古ぼけたトラクターが一台あるだ け。私は先祖伝来のこの土地で農業を始めたいと思っている。今は亡 き祖父の跡を継ぐというわけではないから、ほぼ新規就農と言ってい いだろう。祖父が生きているうちに農作業についていろいろ聞き、手 ほどきを受けておけばよかったと少しだけ後悔している。そんなわけ で、大分農大を卒業したらここで私は何を始めたらよいのか、今から プランを考え準備を進めていかなければならない。 ふと振り返ってみる。わずか一年足らずの出来事ではあるが、以前 と 比 べ て 今 の 私 は 確 実 に 前 に 進 み 始 め て い る。 大 分 農 大 で の 学 習 は、 スポーツで言うところの準備運動、ウォーミングアップなのだ。仮に 新規就農をしてからも最初の数年間は基礎訓練段階だろう。農家とし て経営を成り立たせるための基礎となる知識や技術を身に付け、実現 可能な営農計画を立てて、それを実践する。本当の農家としての自分 はそこからさらに成長した後に完成するのだろう。何だか気の遠くな るような長く険しい道のりのように思えてならない……。 「 農 業 」 と は 何 か? 実 際 に 農 業 に 携 わ っ て い る 方 の 話 を 聞 く と、 「自分の中に農業に対する一本の“芯”を持て」とおっしゃる方がいた。 では「私にとっての農業」とは何なのか? 正直、今は全く何も思い 浮 か ば な い。 優 柔 不 断 で 考 え が ま と ま っ て い な い か ら、 揺 る ぎ な い “芯”も何もあるはずがない。けれどもあと一年半、農大生として見聞 を広めていく中で、きっと見つかる……いや、築き上げることができ ると念じて、今日もひたすら心地よい汗を流すことにしよう。 総合農産科 一年) (青森県営農大学校 畜産課程 一年) (要旨) 秋田を離れ八戸市の普通高校を卒業し、青森県営農大学校の畜産課 程に入学してはや四カ月が過ぎた。 農業とは無縁の生活を送ってきた私は、営農大学校進学まで牛がど ういう動物なのかよく知らなかった。畜産どころか農業そのものに関 しても無知で、右も左も分からない状態で入学したのである。同級生 には農家出身の者もいたが、私は経験値〇からのスタートだった。そ れでも動物を好きな気持ちだけは誰にも負けたくないと思っていた。 七月、JA主催の乳牛共進会が行われた。未経産牛の部に十一カ月 齢だった「ツバサ」と共に出場した。夕方の搾乳前を“つばさんぽ”と し 共 進 会 の 練 習 に 当 て た。 練 習 初 日 か ら パ ド ッ ク に 出 て ツ バ サ を 引 い て歩いたが、引っ張るというよりは引っ張られる状態で、まさに前途 多 難 だ っ た。 言 葉 で は 訴 え ら れ な い 牛 の 気 持 ち を 感 じ 取 っ て や る こ と の重大 さ を 知 っ た 。 当日の朝、トラックにツバサを載せて会場へと向かった。とにかく 緊 張 し た の を 覚 え て い る。 未 経 産 牛 の 部 に は 全 部 で 十 一 頭 が 出 場 し て いたが、どの牛も綺麗に仕上げられていて、何よりも皆ツバサより大 柄だった。審査対象は体格だけでなく歩様など細かく見られる。他の 引 手 の 方 々 は、 牛 を 良 く 見 せ る た め の 引 き 方 を 心 得 て い る 様 子 で 堂 々 としていた。その人牛一体の動きに、この共進会に懸ける熱意や牛に 対する 想 い が 伝 わ っ て き た 。 体格と引手の技術の面で劣り、結果は十位と惨敗だった。もっとツ バサをかっこよく見せて上位に入りたかった、それでもツバサは二カ 月という短い期間で本当によくやってくれたと思う。悔しい結果に終 わってしまったものの、出場したことに後悔はなく、最高の経験がで きたと 思 っ て い る 。 共進会に出場したことで見えたものは、酪農家さんの情熱と私の将 来の夢である。誰よりも牛に愛情を注ぐ酪農家になりたい。動物が好 き と い う 理 由 で 入 学 し た が、 そ の 時 よ り も っ と も っ と 牛 が 好 き に な っ た。 今 日 か ら ま た、 牛 た ち か ら う っ と う し が ら れ る く ら い に 可 愛 が っ て やろう と 思 っ て い る 私 が い る 。 ─ 96 ─ み (銅賞) し 史 朝 美 あさ (銅賞) さと 智 むら 村 人を笑顔にする魔法 とう 藤 き (要旨) 「持続可能な農業って何だろう」 これは、私の高校時代からの疑問でした。私は高校時代、「ESD日米青年交流プ ログラム」というものへ参加し、持続可能な社会について、アメリカの土地を巡りな がら学習しました。その研修の後から「持続可能な農業」について深く考えるように なりました。 私が農業に初めて触れたのは、高校に入ってからでした。初めて触れる「農」は、 私が考えていたよりもとても深く、ただただ感心することが多くありました。何の考 えもなしに農業を営むことは無理なのだと、高校で初めて知りました。しかし、農業 に関心を持っていくうちに、日本の農業問題もよく目につくようになりました。農業 は、人が生きていくうえで必要不可欠な存在です。それにもかかわらず、日本におけ る農業の地位が低いのではないかと感じることが多々あります。 。そんな考えが頭 「このままでは日本の農業が廃れていってしまうのではないか」 をよぎるようになったとき、私に舞い込んできたのが「ESD日米青年交流プログラ ム」の話でした。 を省略した言葉です。自 ESDというのは Education for Sustainable Development 然環境、福祉、平和などの社会問題を自らのものとしてとらえ、身近なところから取 り組む。そうすることで持続可能な社会づくりの担い手となるよう、意識と行動を変 えていくことを目的とした考え方です。研修の中で現地の学生とディスカッション を行う機会があり、私は「農業についてどのような考えを持っているか」尋ねました。 そこでは現地の学生の農業に対する意識や、アメリカで行われている「地産地消」に ついて聞くことができました。そしてディスカッションの中で、「農業は世界に必要 なものだ」という意見を聞くことができ、私は改めて農業の素晴らしさを感じること ができました。研修を終えたとき、農業に携わる者として「持続可能な農業」を提案 していかなければならないと強く考えるようになりました。 しかし、「持続可能な農業」は言葉にしても何だか抽象的で、あやふやなものでし た。具体的にどういったものが持続可能につながるのか、答えが見つからないままに いました。 大学校へ進学し就職活動を行う中、私は愛知県にあるESDに取り組んでいる農 家と出会いました。高校での研修以来、私はESDを知っている人に初めて出会い、 様々なお話を聞かせていただきました。自給日足の生活のこと、十年以上にわたり ファームステイの受け入れを行っていること、それを通し自然の循環や命のつなが りを知るだけではなく、心と体で感じてもらう活動を行っていることなどたくさん のお話を聞くことができました。私は漠然と「農業を持続可能にするためには、とに かくいろいろな人に農業に興味を持ってもらうしかない」と考えていましたが、その 認識は甘かったことに気付かされました。 「持続可能な農業」、それはたくさんの人に「私たちは、全ての自然環境と命の循環 の中に生きていること」を実感し、考えてもらうことからスタートしていくのです。 今の私にできることは、まず身近な人たちにこの循環を伝えていくことです。そし て、「 自 分 は 自 然 と 命 の 循 環 を つ な げ る 重 要 な 役 割 が あ る の だ 」 と い う 誇 り を 胸 に、 農業の担い手として働いていきます。 (山形県立農業大学校 農産加工経営学科 二年) 木 農 業 の 持 続 可 能・ そ し て 発 展のために す 須 (山形県立農業大学校 野菜経営学科 二年) (要旨) 私とイタリア野菜「フェンネル」との出会いは、ある農業雑誌での も の だ っ た。 ひ と 味 違 っ た 野 菜 で 直 売 所 を 賑 わ せ た い と い う 私 の 思 い に 合 っ た 野 菜 だ っ た。 農 業 大 学 校 へ 進 学 し た 私 は ミ ニ プ ロ ジ ェ ク ト と してこのフェンネルを取り上げた。実際にシェフ、そして一般の方へ フェンネルを提供し、その感想を聞くと、プロの方にとっては扱いや す い も の で も、 一 般 の 方 に は な じ み の な さ か ら 扱 い に く い も の で あ る ことがわかった。ここで得た課題は二つである。一つは、プロの方向 けにはそれぞれニーズに合わせたものを作ること。そしてもう一つは、 一般の方向けにも扱いやすいものを作り、PRを強化して普及を図る ことで あ る 。 この課題を踏まえて、卒業論文に取り組んだ。 実際にイタリア野菜を作っている県内の産地で研修した時、町興し という新たな視点を得ることができた。また、産地と交流のあったイ タリアンシェフの奥田政行氏と出会い、多くの貴重な体験をすること が で き た。 そ の 一 つ は、 シ ェ フ に 自 分 の 作 っ た イ タ リ ア 野 菜 を 調 理 し ていただく機会を得たことである。シェフの手で自分の作った野菜が 最高の一皿に変身し、食べる人を笑顔にしていく様子は、まるで魔法 の よ う だ っ た。 ま た、 シ ェ フ の 北 海 道 の イ タ リ ア 野 菜 園 地 視 察 に 同 行 さ せ て い た だ く こ と が で き た。 栽 培 上 の ア ド バ イ ス や 経 営 上 の 課 題 を 知ることができ、夢の実現への大きな一歩となった。 これらの経験を通して、私はさらに大きな夢を持った。それは、イ タリア野菜の先駆者になるというものである。イタリア野菜はまだま だ未開拓で日本にはなじみのないものであるが、ブランド化などを通 してイタリア野菜の知名度を上げ、その魅力を多くの人に知ってもら いたい。そして奥田シェフの「君はイタリア野菜で、僕は料理で魔法 が使える」という言葉を胸に、イタリア野菜で「人を笑顔にする魔法」 を使える農家になれるよう、努力を重ねていく。 ─ 97 ─ (銅賞) 樹 き (銅賞) 平 じゅん ぺい 順 ゆう 悠 愛情を込めた花束で だ 本 えのき もと (要旨) 。酪農教育 「 こ の 子 た ち が 一 番 可 愛 そ う な と き は い つ と 思 う?」 ファーム活動をされている大藪さんの質問に、子供たちと一緒になっ て活動の手伝いをしていた私も考えました。F1の子牛を前に子供た ちはいろいろな意見を出しましたが、大藪さんは「みんなが食べずに 残すとき」と想像もしなかったことを言われました。その答えを聞い て私が「なるほど」と思ったとき、小学生の口からも「あ〜」と納得 した声が聞こえました。小学生の心がグッと動いたことが感じ取れる 瞬間でした。 私は、動物が好きで菊池農業高校に入学し、先輩の姿に魅了され「牛 部」へ入部しました。共進会出品を目標にコンディション作りなどの 活 動 か ら 牛 が 好 き に な り、 夢 中 に な っ た 三 年 間。 非 農 家 で あ る 私 に とって驚きや感動、新しい発見の連続で、どれも新鮮なものばかり。牛 が好きになっていくと同時に、誰にも負けたくないと思うようになり、 気づけば休日も毎日農場へ足を運んでいました。 高校時代にJA主催の「菊池まんまキッズスクール」に参加したり、 近所の酪農家との出会いを通じて「食」や「命」の問題に興味を持つ ようになりました。高校卒業後は、地元の熊本県立農業大学校 畜産 学科 酪農コースに進学しました。大学では酪農の魅力を発信し、た くさんの人に伝えていく酪農教育ファーム活動に注目しました。常に 課題を持ち、みんなで志を同じくして協力する「酪農」が私は大好き です。 私は、牛と出会い、人生が大きく変わりました。熊本農大で新たな 知 識 や 技 術 を 学 び、 今 の 酪 農 を も っ と 魅 力 的 な も の に し て い き ま す。 私にきっかけをくれたたくさんの方々、それから大好きな牛たち、そ のような人たちや牛に感謝することを忘れずに酪農の魅力を最大限に 伝えていきます。 私の酪農人生はまだ始まったばかり。日々の出会いを大切にしなが ら、夢の実現に向け頑張っていきます。 畜産学科 一年) (熊本県立農業大学校 農学部 榎 大好きな酪農の魅力を発信 していくために はら 原 田 (長崎県立農業大学校 養成部 花き学科 一年) (要旨) 僕の家は両親がバラを作っています。そんな中で「バラってすばら しいな」と最も感じるのは、やはり誰かに贈るときです。誰かにお世 話になったとき、誰かが誕生日を迎えたとき、バラを持っていくと必 ず喜んでくれ、自然とバラに興味を惹かれていき、将来バラ作りをす るのもいいなと考えていましたが、僕にはバラ作りの他にもう一つ夢 がありました。中学のときから運動部に所属し、柔道整復師という職 業にも 興 味 を 持 っ た の で す 。 その二つの夢からバラ作りを選ぶきっかけとなったのは、従兄弟の 結婚式に行ったときでした。従兄弟の晴れ姿に喜びを感じ、ふと目に 入ったのが新郎新婦の横にあった大きなフラワーアレンジメントでし た。それは、結婚式という幸せな雰囲気の中、きれいに着飾った新郎 新婦をより一層引き立て、場をより華やかにしていました。それらを 見て、花は人の幸せの象徴なのだと感じました。マッサージが人への 癒しとするならば、花は人への幸せを作り、繋ぐもの。そう考え、自 分の中で答えが決まりました。花を作る。それが人への幸せに繋がる のならば、自分は多くの人へ花を、幸せを届けたいと思いました。 農 大 で 学 ん で い る 内 に、 フ ラ ワ ー 装 飾 と い う 資 格 に 興 味 を 持 つ よ う に な り ま し た。 高 校 の 時 の 結 婚 式 で 見 た よ う な フ ラ ワ ー ア レ ン ジ を 自 分の手で作ってみたいと考えていたからです。花を美しく魅せ、飾る 作業を通して、どのような花が美しく飾れるのかを学び、それを自分 の花作りに活かしていきたいと思ったからです。花の色あいによって それを見た人に与える感情が違うことや、花言葉、色の組み合わせな ど多くのことを学ぶことができました。 フラワー教室を通して、改めて感じたのは、 「花は飾るもの」だとい うことです。花の質の良さとは、もちろん長持ちするか、状態は良い かなどが問われると思うのですが、僕はそれともう一つ、どれほどそ の場に栄えるかを考え、それを質の良さとし、将来、花作りに専念し ていき、そのときにできた花束で少しでも多くの幸せを作ること、そ れが今の僕の目標であり、夢です。 ─ 98 ─ 審 査 委 員 講 評 (講 評 順) ─ 101 ─ ●名古屋大学大学院 生命農学研究科教授 生源寺 眞一氏 [専門・農業経済 学] 受賞者の皆さん、本日はおめでとうございます。私は審査委員の中 で全体の取りまとめの役を仰せつかっている立場ですので、全体の講 評と上位三篇についてどんな点を評価したかを中心に感想を述べたい と思います。 まず論文の部ですが、日本の明日を背負って立つ人材に違いないと いう思いで読むことができる作品ばかりでした。審査をする私共も大 変勇気づけられました。入賞した十三編の論文のいずれにも言えることですが、特に大賞、特別 優秀賞の三篇の論文に際立っていた点がいくつかあります。いろいろな長所があるのですが、そ の中の数点に絞って共通した特徴を申し上げましょう。まず、時間と労力をかけて書かれている ということです。それからテーマの選択、論旨の展開、そして提言・主張のいずれかに、あるい は全部にオリジナリティーがあることです。それもただの思いつきや独りよがりであっては困り ますが、いずれも説得力のあるものでした。三つ目の特徴としてエビデンス、つまり証拠が明瞭 であることが挙げられます。ひと口にエビデンスといっても、数量的なものもあれば、信頼でき る筋の証言もあり、その内容はテーマによって様々ですが、しっかりした証拠に基づいて立論さ れている点も上位の論文に共通したところです。 十三編を読んでいて、もうひと手間かけてくれればさらに良くなっただろうと思う部分もあり ました。読み取りにくい図表や単位の欠落、あるいは誤字脱字などは、ひと手間かけるだけで、 別の言い方をすれば読み手の側に立った形で一度読み返してみる、それも書き終えたあと少し時 間が経ってから読み返すことで、もう一段グレードアップできるはずです。もっとも、これほど 長い論文を書いたのは初めてだという人がほとんどでしょうから、今後いろいろな形で論文を書 くチャンスを得た時には、私が今申し上げたアドバイスを頭の片隅に置いていただきたいと思い ます。 ─ 102 ─ о i 次に個々の論文について感想を申し上げます。最初は大賞を受賞した慶應義塾大学の村西拓哉 君の論文「鹿大国日本の目指すべき姿 〜官民一体で推進する“ о i i”輸出の提言〜」 です。これは日本鹿を素材に、農山村の獣害の問題を克服・改善させるとともに、付加価値を高 めた鹿肉を“ M m j i”というネーミングで輸出していこうと提案しているスケールの大き j います。うずらの専門家や業界関係者からいろいろと情報提供も受けていますが、今回考察した す。論文作成に際して、木元君も具体的なデータや情報の収集にかなりの時間と手間を費やして 君ならうずら以外の品目を取り上げた場合にも、相当高いレベルの論文が書けるだろうと思いま ることによる着眼であり、論理展開であるわけで、この点を高く評価いたしました。多分、木元 の卵と鶏卵ではどうなのだろうという形で論理を展開しています。木元君が経営学を専攻してい トマトがトマトに対して差別化に成功しているわけで、この先駆的な事例を参考にして、うずら 棲み分けの戦略を考察するにあたり、木元君はトマトとミニトマトの関係に着目しました。ミニ ようと考え、この論文を書いたそうです。鶏の卵とうずらの卵は競合関係にある中で、差別化や 物であるうずらの卵市場を拡大することによって近年衰退しつつある室蘭市の経済を活性化させ 引き込む優れた論文でした。木元君の出身地はうずらの卵の生産が盛んな北海道室蘭市で、特産 求 〜隠された差別化要因の考察〜」です。テーマに取り上げられたうずらはどちらかというと 地味な品目で、市場の規模も小さいのですが、着眼の良さと論理展開力の高さによって読む者を 次に特別優秀賞ですが、まず北海道大学の木元拓耶君が書いた「うずらの卵市場拡大戦略の探 で完走した力作と言えるでしょう。 で中だるみがあったり、尻すぼみになってしまうものがありますが、村西君のこの論文は最後ま の論文作成能力が一級品だと評価いたしました。論文の中には走り出しは好調だけれども、途中 りました。さらに着眼の良さ、細部の情報の信頼性ということも含めて、学部生として、村西君 ることがよくわかります。審査委員である私達にとっても、新しい認識を得て勉強になる点があ 献も大変な数でした。また、アンケートも実施しており、時間と労力を費やした仕事をされてい な論文です。論点が周到に準備されて効果的に配置されていますし、引用したり、参考にした文 m 結果には現場でも参考になるアイデアが含まれていますので、ぜひとも情報をいただいた方々に ─ 103 ─ M フィードバックしてあげてください。 もう一編の特別優秀賞は、宮崎県立農業大学校の本田幹英君達四名が共同で執筆した「未来の 農と食を守る 『観光直売型農園リゾート』 〜農から変える食意識・農家が行う食農教育〜」 です。この論文は、農業大学校の学生さん達が自分たちの自主的な企画と実践のプロセスを丁寧 に記述し、いろいろと経験した中から観光直売型の農園リゾートを提案したものです。具体的に 申しますと、食農教育や子供を対象にした農業体験の企画を自主的に、この自主的にということ が非常に大事なのですが、練り上げて、そのプロセスで苦労を重ねながら新しい体験や発見に出 会ったことが、論文の中に盛りだくさんに書き込まれています。論文としては多少作文的な雰囲 気がある点は否めませんが、具体的な提案に至る前向きな姿勢が徹底しているところを評価しま した。印象的なのは、子ども達の声や反応をうまく論文に活かしていることです。そうした表現 上の工夫が行われていることも高得点につながりました。本田君達の企画力、実行力はともに高 い水準ですので、構想している農園リゾートも、プラン通りにいくかどうかは別として、リアリ ティーがあると思われました。将来を期待しています。 次に、作文の部に移ります。作文は採点するのに論文以上に苦労し、審査委員によって評価が かなりばらつきました。むしろそれは当然かもしれません。作文には評価の切り口がいろいろあ るからです。文章力や構成力、起承転結が明解になっているかどうか、あるいは自分自身への向 き合い方、動物や植物など対象に対する思いの深さ、その他、知識や技術、若者らしさなどいろ いろな評価軸があり、すべてを備えるというのはなかなか難しい面があります。全体的に文章の 表現力の高さはレベルアップしていますが、逆にその分だけ若者らしさが失われてしまう面も伴 いがちなのです。入賞された十三編はもともとハイレベルな作文ばかりですから、苦労しながら も楽しく選ばせていただきました。金賞と銀賞の上位三つの作文について、どんな切り口で評価 したかについてお話ししましょう。 まず、金賞を受賞された鹿児島県立農業大学校の末鶴美保さんの「女性が活躍できる農業経営 を夢見て」についてです。タイトルの通り、女性が活躍できる農業経営のために、例えば圃場に トイレを設置するといったベーシックなところから、子育てとの両立、さらに農場のおしゃれ化 ─ 104 ─ ! など、具体的な提案が行われています。元々農業は嫌いだったそうで、自分の家が農業を営んで いることを人に言うのも恥ずかった子供時代からスタートし、お父様の入院をきっかけに考え方 が変わっていく成長のプロセスがよく描かれていました。大きいのはお母様の存在です。地域で は有名人だそうで、お母様がある意味では一つのロールモデル、いわゆるお手本になっている興 味深い作文でした。良いところばかり書かれているわけではなく、男子学生にふがいない者がい るなどといった率直な表現もあり、楽しく読ませていただきました。先ほどお母様がロールモデ ルになっていると申し上げましたが、書かれている内容を見ると、末鶴さんはお母様の DNA を引き継いでおり、すでに地域の中で活躍する土台をつくりつつあるとの印象を持ちました。お 母様譲りの明るさと個性を活かして、ますますの頑張りを期待します。 次に銀賞ですが、同じく鹿児島県立農業大学校に通う淵脇大輝君の「一本の削蹄鎌に懸ける魂 〜一人前の削蹄師を目指して〜」も読みごたえがありました。削蹄という作業自体は非常に専門 的な仕事です。実は私自身は畜産分野の調査研究の経験がかなりありますので、削蹄にはある程 度親しみがありますが、世間的にはそれほど知られていない仕事です。淵脇君のお父様は高い技 能と誇りを持って削蹄の仕事に取り組んでおり、その背中を見ながら自分も一人前の削蹄師を目 指して成長しようというプロセスがよく描かれています。つまずきの経験も書き込まれています し、自分はお調子者というような述懐もあり、素直な人柄が伝わってきました。仕事を通じて家 族の絆やつながりの深さが形成されていく様子も読み取ることができました。 もう一編の銀賞、新潟県農業大学校の星野孝生君の作文「世界に通用する米を作るために 〜 生まれ育った町から目指す一人の少年物語〜」も印象深い作品でした。祖父の代から続く新潟の 稲作農家を継いでいく決意と意欲が書かれたものです。近頃、星野君のように孫が継ぐという形 が一つのパターンとして出てきており、その意味でもこの作文そのものが今の農業の流れの一つ の特徴を示していると感じました。ただ、けっして順風満帆ではないわけで、おじい様からはむ しろやるべきではないと後継に反対されたとも書かれており、簡単ではないのだなあと感じまし た。作文の中で地域、あるいはもう少し広い範囲で第一線で活躍している人々と出会い、そこか ら大切なことを吸収していくプロセスもよく描けていました。星野君の作文を読みながら、私自 ─ 105 ─ 身、農業政策の分野にも多少関与していますが、こういう意欲ある若者や働き盛りの人を大事に する農業政策が必要だと改めて痛感いたしました。 作文に特に典型的ですが、何らかのきっかけや機会があって、そこから成長が始まる、あるい は成長の方向がはっきりしたということがよくあります。今日お集まりの皆さん方にとっては、 今回の受賞そのものが一つの転機を生む絶好の機会だと思います。人間にはそれぞれに生きてき た中でこの瞬間のことははっきり記憶しているという場面があります。皆さんにとって、本日は そういう場面の一つになるのではないかと思います。この受賞をまさにスタートにして、大きく 飛躍してください。五年後、十年後の皆さんの姿を楽しみにしています。 ─ 106 ─ ●日本経済新聞社 編集局生活情報部編集委員 岩田 三代氏[専門/食・くら し] 私は学生懸賞論文・作文の審査委員をこれまで十五年間やらせてい ただいています。毎年、年末にヤンマーさんから審査する論文、作文 がどっさり送られてくると、ああこれで一年のひと区切りだなあと感 慨を覚えます。今年もまた皆さんの論文と作文を読ませていただきま したが、最初の頃と今とでは社会の変化や時代の流れなどによって取 り組まれるテーマが違ってきているのを今年も感じました。私自身は 農業が専門というわけではありませんので、皆さんの論文や作文を読ませていただくたびに、農 業の現場ではそういう動きが起きているのかと勉強になったり新しい発見を得ることが多々あり ます。審査の基準として、自分にしか書けないというようなオリジナリティがほしいとか、汗を かいて取り組んでいる様子が伝わるものでないとなかなか高得点はあげられないなどとこれまで も言ってきましたが、その点から見ると今回の論文、作文はけっこう粒揃いで力作が多かったと 思います。 今日朝早くから審査委員が集まって最終審査会が開かれました。審査委員によってそれぞれ見 るところや気になるところが違いますので、それを持ち寄って皆で議論し合います。他の審査委 員の方々のご意見に同感したり、そういう見方もあるのかと思いながら最終的な評価を行い、順 位を決定いたしました。先ほど生源寺先生が上位に入賞した作品に対してコメントをお話しされ ましたが、 私は自分なりにチョイスした中から、私自身が面白いなと思ったところや少し気になっ たところを述べさせていただきます。 最初は、大賞をとられた慶應義塾大学の村西拓哉君の論文「鹿大国日本の目指すべき姿 〜官 民一体で推進する『Momiji』輸出の提言〜」です。これは、今マイナスになっているもの をプラスにしていこうという発想を評価いたしました。確かに鹿の害は農山村を中心に大きな問 題になってきています。それを解決するための方策を考え、鹿の肉を『Momiji』というブ ─ 108 ─ ランドで輸出しようという夢のある話です。実際にはそんなにうまくいくのかなあと思う部分は ありますが、前向きで可能性を感じさせる良い論文だと思いました。それにしても日本人は花札 説もありますが、馬肉をサクラ、猪肉をボタン、鹿肉をモミジと呼ぶなどなかなか洒脱な民族だ なと改めて思います。少し気になったのは、今の日本人の食生活ではすでに鹿肉はかなり廃れて 知らない人が多い中、その鹿肉を日本料理に組み込んで海外に輸出していこうというところです。 そのあたりはもう一工夫が必要なのではないでしょうか。けれども全体としては完成度の高い論 文だと思います。 次は特別優秀賞の一つ、北海道大学の木元拓耶君が書かれた論文「うずらの卵市場拡大戦略の 探求 〜隠された差別化要因の考察〜」です。トマトとミニトマト、鶏卵とウズラの卵を対比さ せるという発想は面白いと思いました。ただ、トマトとミニトマトの価格差に比べて鶏卵とうず らの卵の価格差はかなりあるので、これをどう処理するのかまで踏み込んで書いてくれていれば、 より完成度の高いものになったでしょう。もう一つの特別優秀賞は、宮崎県立農業大学校の本田 幹英君たち四人がお書きになった論文「未来の食と農を守る! 『観光直売型農園リゾート』 〜 農から変える食意識、農家が行う食農教育〜」です。食育という言葉自体は随分手あかがついて きていますが、これを農と絡めて子供の時代からやろうというもので、取り組まれた皆さんの意 欲を感じました。また、実際に自分たちで食農交流を企画・運営し成功をおさめた実績や、今後 展開していきたい具体的な農園リゾートの事業例も提示されており、実現可能性も高いだろうと 思いました。論文としては体裁的にやや弱い部分もありましたが、農に対する皆さんの思いや提 案型というところを評価しました。ちなみに観光直売型体験リゾートの事業例では、県外から参 加する親子のためには地元の旅館と提携し、農作業体験の後、地元の特産物や温泉を楽しめるプ ランが用意されています。こうしたものができれば、今のところ孫ができる予定は全くありませ んが、そんな時が来たら私も孫と一緒に参加してみたいなと思いました。 その他では、鹿児島県立農業大学校の井憲亮さんたちが書かれた論文「『あまみ』から七大陸 を目指して 〜『あまみ』が海賊となる日〜」も印象に残りました。故郷の奄美群島の農産物に 他では真似のできないオリジナルな付加価値を付けて世界に発信しようという五人の侍たちの意 ─ 109 ─ 欲は十二分に伝わってきましたが、ただ夢で終わっているという面があり、惜しいなと思いまし た。現地で実際にやっている人たちにアンケート調査やインタビューを行うなど、もう少し地に 足がついたものになっていればもっと良い論文になったでしょう。もう一つ、信州大学の井戸明 日香さんの論文「『農業』×『見える化』」は、工業と農業を対比させるというもので、そのアプ ローチは面白いと思いましたが、農で取り上げたのが植物工場というところに疑問を感じました。 農業の大きな特徴は自然環境に左右されるということです。それを考えると植物工場というのは 一種コントロール下にある農業なので、その点で説得力が弱くなったのではないかと思いました。 もう一つ、面白いなと思ったのは、立命館大学の泉谷真現子さんと太田康介君が二人で書かれた 論文「次世代の資源としての昆虫 〜循環型農畜産業への可能性を見据えて〜」です。昆虫食は 世界中にあっていろいろな昆虫が食べられていますが、昆虫を飼料にしてそれで魚や家畜を育て ようという発想は面白く、目のつけどころがいいなと思いました。ただ、蛆虫を食べて育った魚 や家畜を現代人がどこまで受け入れるだろうかというあたりの言及がもう一声欲しかったですね。 また、酪農学園大学の楠克太郎君の「障がい者と共に創る農業 〜その条件と可能性〜」は、地 味なテーマではありますが、労作だと思いました。障がい者就労を実施して数カ月、数年、数十 年の六つの農場をきちんと調査して、障がい者が多様で柔軟性のある農業の中で活躍し成果を上 げている事例やそれを可能にする条件などを提示しています。しかも障がい者が農業の現場で働 くことをポジティブに捉え、障がい者を社会的に包せつできる農業の可能性にも触れておられる のも評価できました。 他にも良い作品がいろいろありますが、時間の関係上、個別の作品に対する感想はこれぐらい にして、全般的なことで今回論文を読んでいて気になった点をお話ししておきましょう。一つは 専門用語の使い方です。学術的な専門用語を噛みくだかないで生のまま使っている論文がいくつ かありました。図表をきちっと見やすく提示するということと同様に、専門家だけではなく一般 の方々にも論文を読んでもらおうと思うなら、分かりやすい表現を工夫するなどサービス精神が 必要です。また、先にも触れましたが、文献などで情報を収集するだけでなく、自ら現地に足を 運びそこに行った者でしか得られないオリジナルな情報を汗をかきながら自分の手で集めてテー ─ 110 ─ マを深堀りすれば、論文の説得力や訴求力がグンと高まります。 一方、作文ですが、今回も「頑張れ頑張れ、自分が目指している農業者になって日本の将来を 背負ってほしいな」と応援しながら読みました。 まず金賞をとられた鹿児島県立農業大学校・末鶴美保さんの「女性が活躍できる農業経営を夢 見て」は、農林水産省でも注目しプロジェクトを進めている農業女子の活躍と重要性を改めて認 識させられた作文です。一般企業でも女性活躍推進法が一度は国会で廃案になりましたが多分ま た提出されるなど、女性の活躍が求められる時代になっています。かっこよく前向きな農業のた めには女性の力が必要です。ぜひ女性の力を農業の中で発揮してほしいなと強く思いました。作 文の構成や話の展開でも、農業者としてだけでなく地域活動でも活躍しているお母様の背中が教 えてくれているメッセージや農業のおしゃれ化などがうまく書き込まれており、読みごたえがあ りました。 次に銀賞の鹿児島県立農業大学校の淵脇大樹君が書かれた「一本の削蹄鎌に懸ける魂 〜一人 前の削蹄師を目指して〜」もインパクトを感じました。削蹄という仕事は私自身がこれまで知ら なかった分野でしたので興味深く読ませていただきましたし、お父様への尊敬の念や冒頭部分の 描写が巧みで、近所の方々とのやり取りも臨場感があり、読ませる作文になっています。もう一 つの銀賞、新潟県立農業大学校の星野孝生君の作文「世界に通用する米を作るために 〜生まれ 育った町から目指す一人の少年物語〜」も、米どころ・新潟で祖父の跡を継ぎ、高品質な米づく りを行って世界に輸出したいという夢を描いたもので、心に残りました。稲作は最近テーマとし て少なかったのですが、稲作に真正面に取り組もうとしている真摯な姿に好感を持ちました。ま た、祖父母から孫へ農業を継承するというのは、今一つの流れになってきています。特に現在の 祖父母は農業に正面から取り組まれた最後の世代で、これまで培われた農業の技術やいろいろな 知恵を教えてもらえる最後のチャンスだろうと思いますので、しっかり受け継いで夢を叶えるよ う頑張っていただきたいと思います。 他には、鹿児島県立農業大学校の髙月藍さんの作文「鹿児島発『髙月藍のおいしい和牛』への 道 〜真似るは学ぶの姿勢〜」も自立を目指した過程が素直に綴られており、楽しく読ませてい ─ 111 ─ ただきました。また、宮㟢県立農業大学校の後藤貴広君の「命の大切さを胸に、酪農の発展に向 けて 〜口蹄疫、東日本大震災、酪農教育ファームで牛から教えられたこと〜」も、口蹄疫のた めに薬殺された牛の命と東日本大震災を生き延びた牛の命との対比をうまく絡めた作文で、印象 に残りました。その他、山形県立農業大学校の木村朝美さんの「農業の持続可能、そして発展の ために」は、多くの方が農業体験をメインに書いている中で、米国への研修を中心に農業の命の 循環の可能性に触れており、異彩を放った良い作文でした。 残念ながら全てを紹介することはできませんが、どれも甲乙つけがたい心に届く作文でした。 ところで、私自身は農業でなく食が専門です。和食がユネスコの無形文化遺産になってから一 年ちょっと経ちました。私は懐石料理のように高度な職人技が光る和食も素晴らしいと思います が、それよりも私達の祖先が風土の中で生き延びるために知恵を凝らし、いろいろな技を使って おいしく食べようとして作り出した郷土食にシンパシーを感じ、深い関心を持っています。 昨 年、 文 部 科 学 省 の 文 化 交 流 使 と し て 活 躍 さ れ た 長 野 県 短 期 大 学 の 中 澤 弥 子 さ ん を イ ン タ ビューしたときに、県内にたくさんある郷土食のうち、凍み(シミ)大根の話を聞きました。一 月から二月の寒の時期に軒先に丸のまま大根を干していると雨だれのようにポタポタと水分が抜 け落ち、非常に軽い「凍み大根」ができます。これを輪切りにして水に戻して煮ると、生の大根 を炊いたのとは違う甘みの凝縮した良い味になるそうです。昔は冷蔵庫がありませんから、食べ 物がなくなる冬の食糧確保は大変でした。貴重な食べ物を無駄にせず塩蔵したり乾燥させたりし て保存したのです。特に乾燥という保存方法は、風に当てて乾燥させればいいだけなので手間以 外は何もいりません。大根だけでなくいろいろなものの保存に使われています。 もちろん長野だけでなく全国各地に、祖先が知恵を結集させて作ってきた郷土食があります。 今日本に外国人の観光客が増えており、新聞記事によると昨年一月から十一月までで千二百万人 を突破したそうです。日本は祖先が伝えてくれたおいしい食文化を持っています。そうしたもの を農業の活性化に生かせないでしょうか。日本人の食の知恵と農業をうまくつなぎ、来日する多 くの外国人を通じて日本の農産物を世界に広げていくこともいいのではないかと思います。今農 業をやりたいという若い人が増えているのに経済的に食べていくのが難しいという問題がありま ─ 112 ─ す。観光を通じて農業を活性化すれば、打開の道が開けるかもしれません。いわばグローバルと ローカルの乗り入れです。農業に関心を持ち、将来は農業者となって日本の農業を背負っていか れる方々や、進路は違っても何らかの形で農業に関わろうとしている皆さんに、この学生懸賞論 文・作文のテーマでもある「クリエイトする農業」を考えていただきたいと思っています。皆さ ん、受賞、おめでとうございました。 ─ 113 ─ ●京都大学農学研究科教授 近藤 直氏 [専門/農業工学] 皆さん、入賞おめでとうございます。実は、朝から行われた最終審 査会が終わった後、少し時間があったので、講評ではこんなことをお 話しようとメモを用意しました。ところが、この会場に来て皆さんの 顔を拝見している内にその考えが変わってしまい、心積もりとは全く 違うことを述べさせていただきます。 皆さんが応募された「ヤンマー学生懸賞論文・作文」にはテーマが あります。 「新しい農業をクリエイトする」が主題で、副題には「新しい農への三つの提案」と して「世界で戦える農業の実現に向けて」と「やりがい・生きがいとしての農業に向けて」「資 源循環型農業の実現に向けて」が挙げられています。このテーマを私自身に与えられたらどんな ─ 114 ─ ことを書くだろうかと思いました。私は愛媛県の農家出身であり、長年大学で農業工学を専門に 学生を指導し、また自ら研究をしております。現在、日本の農業技術は昔と比べてはるかに進歩 していますが、この日本の農業技術をいかにして世界と戦う、あるいは協力するかということを 考えて真剣に取り組んでいかないと、日本の農業は伸びていかないのではないかと切実に思いま す。多分皆さんも同じように感じておられるでしょう。 さて、私の祖父は一.二 の田と四十アールの畑、それに山を三つ、四つ持っていました。こ れをどのようにして守っていくか。これが私に課せられた大きな課題です。父は第二種兼業農家 危ないので刈ることはできません。家族が切った稲束をまとめるため,数本の藁を稲束の上に置 ることがなかなかありません。稲刈りの時も手が小さいので一束分の稲わらが持てないし、鎌も ないなあと思っていました。幼稚園の頃には少しずつ農作業を手伝うようになりましたが、でき うまくすいていけません。私はまだ小さな子供でしたから横で見ていただけですが、幼心にも危 どはまだ開発されていなかったので、牛に犂を引かせて土を耕すのですが、牛が暴れてなかなか け農作業に参加していました。当時我が家では牛もヤギも鶏も飼っていました。昔は耕うん機な で愛媛県農業試験場に勤めながら祖父母と母に「三ちゃん農業」をしてもらい、自分も日曜日だ ha いていくぐらいしかできず、家族が後でそれを結束して稲木に懸け、天日干しにしていました。 一番辛かったのは田植えでした。どろどろの田んぼの中で大人に交じって植えていかなければな らず、しんどかったですね。 これら春と秋の農繁期には家族は皆、疲れと忙しさで苛立っており、家の中でも戦争状態で喧 嘩が絶えません。私も親に甘えるどころか、怒られないよう兄弟で縮こまっていました。これが 嫌で、こんな農業は改善しなくてはならない。もしもボタン一つでロボットが農作業を全部やっ てくれたら、こんなすごい発明はないだろうと、よく思いました。そうした子供の頃の夢の延長 線で私は農業機械の道に進んだのです。今ではヤンマーさんをはじめ他社からも先進的な農業機 械がたくさん開発されており、この五十年の間によくここまで変わったものだと隔世の感があり ます。それこそ田植機ができた時もまさに魔法の機械で、苗取りから植え付けまで自動でできる なんて信じられなかったですね。コンバインも、最先端の機械は収穫しながらその米のタンパク 含量までわかるなど進化を続けています。機械化ができ、自動化ができ、さらには情報化の時代 になってきていますので、今から皆さんが農業をやっていくうえで、世界と戦える農業のための 様々なアイデアが出てくるでしょう。 ただ、日本の人口は今少しずつ減少しています。なかでも農業人口は著しく減っています。農 業従事者数は二十年位前には四百万〜四百五十万人だったのが、今は二百五十万人ぐらいです。 これは少子化の影響もありますし、農業に携わっている人たちの平均年齢が七十歳近いというこ とも関係しています。私の父は現在八十七歳で、まだ農業をやっています。私は帰郷した時には 父に申し訳なくて、トラクター作業などできるだけのことをしているつもりですが、それ以上に 早くロボットを作りたくて様々な研究に取り組んでおり、今はセンサーなどを作っています。問 題なのは、農業人口の減少や高齢化によって農業に関するいろいろな技術を継承していくことが 難しくなっていることです。私は定年になったら作物の栽培や農業経営に関する技術や知恵を親 から伝授してもらい、さらに戦争体験も含めていろいろな歴史を教えてほしいと思っていますが、 跡取りがいない、あるいは子供はいても農業には携わらないという家が多く、伝えてくれる人に 対して受け取ってくれる人の方が少ないのです。これは農業だけの問題ではなく、一般の産業で ─ 115 ─ も 同 じ こ と が 言 え ま す。 人 口 を 年 代 別 に 見 る と、 皆 さ ん の 世 代 は 約 百 万 人、 我 々 の 世 代 は 約 百五十万人、その前の団塊の世代は二百万〜二百五十万人です。ということは、 二人が辞めていっ て一人が後を継ぐという計算になります。これから皆さんが農業にしろ他産業にしろ新規に就業 する場合は、二人の人からバトンを貰ってここまで発展した日本の技術を継承していく立場にあ るわけです。そうした重要な立場におられるということを皆さんに自覚していただこうと思って、 このようなお話をさせていただきました。 をコント 今回、入賞された論文、作文には畜産関係の学部・学科に在籍している人や畜産をテーマにし た作品が多数ありました。そこで、畜産分野における技術について少し触れておきましょう。そ の一つが和牛に関する技術の進歩です。わが国では一九九〇年代に肉牛のビタミン ロールする技術を開発し、それを用いて脂肪交雑いわゆるサシの程度を評価するための基準であ るビーフ・マーブリング・スタンダードの等級を高めた霜降牛をどんどん生産してきました。今 では和牛は日本のブランドとして世界に誇れ、輸出もでき、出荷量も伸びています。ただ、一方 では我々のような年代になってくると、霜降り肉は食べ過ぎると脂っこく感じるときがあります。 そこで、今着目されているのがオレイン酸です。オレイン酸は融点が低いのでしゃぶしゃぶなど をしても脂分が落ちやすく、たくさん食べてもあまり気持ち悪くなりません。現在、このオレイ ン酸を多く含む霜降り牛の生産に関与している研究者の方々がいますが,そのような非常にきめ 細かな技術まで日本人は生み出してきたのです。日本の技術は本当にすばらしいと思います。品 質を高め、フレッシュで人が気持ちよくなれるような食べ物、それも世界遺産にもなるような食 べ物を作る技術を、今までの先輩方が作り蓄積してくれているので、皆さんはぜひそれを受け継 ぎ、さらに伸ばしていただくようお願いいたします。 最後に、もう一つお願いがございます。今回入賞された論文十三編と作文十三編のエッセンス を紹介する『入賞作品要旨集』が皆さんのお手元に配られています。そこに掲載されている他の 人の作品もぜひ読んでみてください。自分の目標だけではなく、他の人が何を目標にしているの かを見て、一緒にシェアしてください。それによって皆さん自身の問題解決能力や意識が高まり ます。実際に農業や仕事をする際も一人でやらずに、皆でネットワークを組んで行う方がいいと ─ 116 ─ A 思います。ことに技術の蓄積と進展のためには、皆さんの相互交流やネットワークが非常に大事 です。この後、懇親会が用意されていますが、自分が取り組んだテーマと近しい論文や作文がた くさんありますので、折角設けていただいたその良い場を利用して、お互いにネットワークを築 いていただくようお願いして、私の講評を終わらせていただきます。 ─ 117 ─ ●科学技術振興機構『Science Window』編集長 佐藤 年緒氏 [専門/環境・科学技術] 皆さん、入賞おめでとうございます。 今日の東京は思いがけない雪の日になりました。三百十二年前の今 日、一月三十日(旧暦十二月十四日)は江戸も大雪で、この日の夜、 赤穂浪士が主君の仇を討とうと本所の吉良上野介の邸宅を襲ったとい う日です。たまたま一年前にヤンマーさんが入賞発表会をこの日に設 定されました。雪が降るかどうかは確率的に数%の可能性はあったか もしれませんが、実際に雪が降るということは直前にならないとわかりません。予想もつかない ことは天気も含めていろいろあります。皆さんも予想のつかない農業という現場の中で、様々な 状況を見ながら自然と立ち向かっておられるわけで、素晴らしいなあと思います。 一年前、まさか皆さんがここにお集まりになるとは、ご自分でも思っておられなかったでしょ う。なぜ、学生懸賞論文・作文のコンクールへの入賞という輝かしいことができたかというと、 皆さん自身が論文に挑戦しよう、作文に挑戦しようという決意があったからこそです。また、そ れを支えたご家族や学校の先生など周囲の方々の応援があったから、この日が来たのです。つま り、皆さん自身が決断する、決意するということが、何か新しい状況との出会いを作っていくと いうことなのです。人生は一年後、何があるかわからないという面白さの中にあるのではないか なと思います。そういう意味で皆さんの決断、決意に対して感謝を申し上げます。 今年も正月のおせち料理をいただきながら、皆さんの論文と作文を読ませていただきました。 私は東京育ちで農業について経験も知識も深くはありませんが、どの作品にも農業への皆さんの 真摯な姿勢と熱い思いが伝わってきました。後で触れますが、「牛が一番可愛そうなのはどうい う時か、それはおいしく食べないときだ」と書かれた作文がありましたが、そのとおりで、食べ 物は皆さんが一生懸命作っているんだ、戦いながら作っているんだ、命のことを考えながら作っ ているんだ、この牛肉も無駄に食べてはいけないなあとひしひしと感じながら、正月を過ごしま ─ 118 ─ した。普段農業の現場に触れていない都会人の私がそういうことを感じたのも、皆さんの文章を 通じた発信力、訴える力が、都会にも地方にも全国に伝わっていくからであり、そうした強い力 を皆さんはお持ちなのだということを感じました。 そんな皆さんに四つの言葉を贈りたいと思います。 一つ目は「自分らしさ」です。皆さんは今回決意をして文章を書くことにした中で、自分は将 来どのように生きようかという葛藤の中で自分らしさを見つけ出そうとされているのがよく伝 わってきました。例えば、作文「一本の削蹄鎌に懸ける魂 〜一人前の削蹄師を目指して〜」で 銀賞をとられた鹿児島県立農業大学校の淵脇大樹さん、また「愛情を込めた花束で」でバラの花 を愛情込めて作ろうとしている姿を描いた長崎県立農業大学校の原田順平さん、そして「人を笑 顔にする魔法」と題してイタリア野菜作りへの決意を綴った山形県立農業大学校の須藤智史さん は、三人とも目指す仕事がそれぞれ実家の家業ではあっても親を単に真似るのではなく、自分自 身で親を客観的に見て自分の職業として選んでいく決意がにじみ出ており、好感を持ちました。 さらに自分の家だけでなく、地域を誇りにしたいという方々もおられました。日本一の米どこ ろ・新潟で世界一の米を作ろうと頑張っている新潟県農業大学校の星野孝生さんもその一人です。 彼が書いた作文「世界に通用する米を作るために 〜生まれ育った町から目指す一人の少年物語 〜」からも、故郷を愛する思いがよく伝わってきて、銀賞に選ばれました。また、井憲亮さんを 代表とする鹿児島県立農業大学校の五人も、故郷への思いを共同で論文「『あまみ』から七大陸 をめざして 〜『あまみ』が海賊となる日〜」にまとめました。これは奄美群島に農業特区を設 けて特色ある農業を行い、農産物に他には真似のできないオリジナルな付加価値を付けて海賊と なって世界に出て行こうという夢を描いたもので、ビッグなチャレンジです。エネルギッシュで 夢に溢れ、私も奄美に行ってみたくなりました。 その他に印象に残ったのは、鹿児島県立農業大学校の髙月藍さんが書かれた作文「鹿児島発『髙 月藍のおいしい和牛』への道 〜真似るは学ぶの姿勢〜」です。幼少期から姉の真似ばかりして きたけれどもう姉の真似はやめようと決意し、愛媛県を出て和牛生産の盛んな鹿児島で和牛の勉 強に励み、将来は自分の名を冠したおいしい和牛を消費者に届けたいと決意するまでに至った経 ─ 119 ─ 緯や心情が素直に描かれています。そもそも姉妹は同じ親から生まれるので遺伝子もほぼ似てい るように思われますが、正確に見ると全く同じではなく、どこかが違っています。姉を真似ない、 自分は自分だと決意したことは、家族の発展になりますし、ひいては人類の発展にもつながると 感じました。従って、姉妹だからと同じことをするのではなく、私は私、あなたはあなたという 違いを自分の中に見つけていく努力をしていることが、素晴らしいと思いました。これは厳密に 言うと生物多様性や遺伝の法則、進化の法則にもつながっており、違ったものがないとみんな力 が弱くなっていくので、違ったものがあっていいという生態学の法則でもあるわけです。それを 自分の生き方の中で実現しようとしているところに感銘を受けました。私が好きな大正時代の詩 人・金子みすゞさんは、『私と小鳥と鈴と』という詩の中で、この三つはそれぞれ違うのだから「み んなちがって みんないい」と書いています。そうした他との違いを自分の中に見つけ、そして 自分しかない自分らしさを見つけていかれるよう、皆さんにお願いしたいと思います。 次に、皆さんに贈りたい二番目の言葉は、「失敗は恵みである」です。失敗を恐れず、むしろ 失敗を歓迎していく生き方を示唆しています。今、農業の世界は変革の時代で、先が見えないと よくいわれています。予想がつかないことがたくさんありますが、そうはいっても前に進まなけ ればなりません。三・一一の東日本大震災も想定外の自然災害だといわれていますが、見えない ことやわからないことがこれからもたくさん起こるでしょう。分からないことがたくさんあるの が世の中であり、自然界です。どこが見えないことか、わからないことかを見つけていく、そし て解明していくのが、科学研究の一つのテーマです。現場に出て研究室に行って調べてみると、 自分が想定していたこととは全然違っている出来事が起こることが多々あります。それは自分が 考えていた仮説に対して、現場に行って事実を見たらそれが違っていたということは当たり前に よくおこることであり、それが新しい科学の発見に繋がるのです。例えば、ノーベル賞を受賞し た白川英樹さんや田中耕一さん、今回の青色発光ダイオードの赤崎勇さんや天野浩さんも同様で、 自分たちが設定した条件と違うものができてしまい、データも違っている時、自分たちの想定と 違うからと捨ててしまうのではなくて、違ってしまったデータを見てみるとここに新しい法則が あったという発見につながっていくこともあります。ですから自分たちが予想しているとおりに ─ 120 ─ いくと考えずに、予想外のことがあることを受け入れながら、それが新しい恵みに繋がっていく ということを考えて、研究を行ったり人生を歩んでいってください。 三つ目の贈る言葉は「つながり」です。最初に少しだけ触れましたが、今回作文を読んで私が 一番感動したのは、「この子(牛)たちが一番可愛そうなのはいつと思う?」という問いかけに、 それは子牛を売る時でもないし、屠殺する時でもなくて、「みんなが食べずに残す時なんだよ」 と酪農教育ファームの大藪さんが答えられたということを、熊本県立農業大学校の榎本悠樹さん が「大好きな酪農の魅力を発信していくために」という表題の作文に綴っています。このフレー ズで始まる文章は訴えるものがありました。表現する力、人を感動させる力は、農業現場であり ながらなおかつこうして文章を書いていこうという人に備わってる大きな力だと思います。しか も選ばれてこの入選発表会に出席しているということは、皆さんはその力を持っているというこ とです。上手下手は多少なりともあるでしょうが、自分の持っている発信力を信じて、都会人が 知らない命を育んでいる現場のことをどんどん伝えていって、地域の教育や日本全体の教育に結 び付けていただければ嬉しく思います。その際、文章の書き方、例えば今回の審査でも見出しや 段落の付け方にもう少し工夫が欲しいなと思ったこともありますが、そういったノウハウの問題 ではなくて、素直にモノを見る心や弱い人、少数の人に対する想いをしっかりと伝え、そうした 人との結びつきやつながりを求めていける力を皆さんは持っておられるので、これからもさらに つなげていってほしいと思います。 最後にお伝えしたい四つ目は「はるかな道」です。先ほど挨拶に立たれた大日本農会の染会長 が皆さんに「これから大きな困難があるかもしれませんが、夢と深い思いを持ち続けて挑戦して ください」とおっしゃいました。ぜひ夢を大きく、遠くに持って歩んでいただきたいと思います。 都会それも都心で人ごみの中を歩いていると、必ず人とぶつかります。物理学ではブラウン運動 といって分子があちこちに動き反発し合うような状態ですが、その時に遠くを見るのです。向こ うの方まで歩いていくのだと思うと、横にいる人をうまく避けて歩いていくことができます。遠 くを見て歩くと、身近なところで失敗しても遠くはどういう夢だったか改めて考え再び先に進む ことができます。数学者の秋山仁さんがこのようなことを言っておられました。彼は数学で天才 ─ 121 ─ 的な能力を持っていたかというとそうではなくて、高校時代も数学は好きだったけれど成績はそ んなに良くなかったそうです。しかし「自分が好きで選んだ道を生涯かけてやる覚悟があれば、 君は伸びるよ」と担任の先生に言われ、その言葉に勇気づけられて数学の道を進んでいったそう です。 「生涯本気になってやるという思いさえ忘れなければできるんだ」とおっしゃっていました。 それを私も皆さんにお伝えしたかったのです。 最後に、これからの長い道のりを応援するという意味で、長渕剛さんの「乾杯」という歌の歌 詞を皆さんに贈りましょう。結婚式でもよく歌われますが、むしろ私はこの場におられる皆さん 一人ひとりにお贈りする方がふさわしいと思います。この歌で私の講評を締めくくります。 「乾杯〜。君は人生の大きな大きな舞台に立ち、はるか長い道のりを歩き始めた。君に幸あれ」 ─ 122 ─ ●京都学園大学 バイオ環境学部客員教授 矢澤 進氏 [専門/農学] 私は毎回、皆さんのように若い方たちの斬新で瑞々しい感性から生 まれてくる論文と作文を楽しみながら読ませていただいています。今 回も期待通り数々の素晴らしい論文・作文がございまして、感動いた しました。 このヤンマー学生懸賞論文・作文募集事業は平成二年(一九九〇年) に発足し、今回で二十五回目、二十五年の節目に当たっています。長 年にわたってこのような立派な事業を続けてこられたことに、深く敬意を表したいと思います。 ところで、この事業が始まった二十五年前頃の新聞の切り抜きが私の手元にあります。大きな 見出しがついており、「わが国のカロリーベースでの食糧自給率が 五〇 を割った!」と報じら れています。皆さんもご存じのように、それが現在は四〇%を少し割り込んでしまいました。地 球温暖化や酸性雨などの環境問題が一般に報じられるようになったのも、二十五年前のこの頃で す。あれから四半世紀を過ぎた今もなお現在に至るまで、これらの問題は解決されることなくよ り一層大きな問題となってきています。今回応募された論文、作文の中にも、これらの問題に目 を向けたものも見受けられました。 それではここで、特に私の印象に残った論文、作文について感想を述べさせていただきます。 最初は論文の部からです。大賞と特別優秀賞については既に他の審査委員の先生方がいろいろ 講評を述べられましたので、私は別の観点からお話をさせていただきます。まず一つは、筑波大 学大学院の天本涼太さんら五名が共同執筆した「新しい時代の獣害対策 〜拡大を続ける獣害へ の対応:ICT で野生動物に負けない強い農地環境をつくる〜」です。本論は農業者が以前か ら頭を悩ませ続けてきている獣害対策に関して、専門を活かしてシステム開発の提言、考察を行っ たものです。五名の学生でプロジェクトを組み、教員と鈴鹿市の 職員、さらに市職員や林業関 そして、ICT、いわゆる情報通信技術を活用して既存の獣害対策より効果的に被害を軽減させ ─ 124 ─ % 係者も加わり、様々なコミュニケーションを重ねてシステムの構築に共同で取り組まれました。 JA る獣害対策システムを開発されましたが、ただこのシステムは個人で利用した場合に、著者も書 いておられるように、サルの近づく情報は得られるのですが追い払うことはできないという欠点 があります。これを解決するにはどうすればいいかなどの重大な問題がまだ残されていますが、 一つの大きな提言だと高く評価しました。実は私が関わっている京都市内のある集落のことです が、近年サルの被害が大きくなってきたため、その対策として訓練した犬を数匹そこに連れて行 きました。早速サルを追うために犬を放したのですが、数回で効果がなくなってしまいました。 その理由は、サルも賢くて反対に犬たちを谷間におびき寄せ、谷の上から集団になって犬を襲っ たのです。そのため犬は怖がってサルを追うことを全くしなくなりました。一例ですがこのよう に獣害対策はなかなか難しい問題です。実際にこのシステムを用いての獣害防止結果は今後にゆ だねることになりますが、ぜひ早い時期に実用化されることを期待しています。 次は、岡山大学の黒田恭平さんの「水田の未来をつなぐコントラクター組織の展開 〜岡山県 を事例として〜 」です。食糧自給率を高めるためには水田の多目的活用が急がれます。しかし この問題は日本農業の長年の懸案事項でもあり、それを解決するための有効な方策として注目さ れているのがコントラクター組織による水田の有効活用です。本論は、耕畜連携、文字通り農耕 と畜産の連携に深くかかわるコントラクター組織について論じたものです。このコントラクター 組織の役割は、畜産業での規模拡大に伴い生まれたもので、牧草や飼料用稲などの栽培から収穫、 梱包まで飼料作を一手に引き受ける組織です。彼は主に水田を利用したコントラクターの事例を 紹介しています。こうしたコントラクター組織は全国的にも大変な勢いで増加中で、平成二十五 年のデータによると六百近い組織がすでにつくられています。今後ますます増加するものと私は 思います。こうした組織を運営する際に、この論文はコントラクター組織の現状や新たな取り組 み、課題、挑戦などについてよく調べられており、参考になるでしょう。その他にも取り上げた い論文はいくつもありますが、時間の関係上、非常に残念ですが割愛させていただきます。 次に作文ですが、六百編近い中から十三編が入賞されました。いずれも想像力がふくらむ優れ た作文でした。その中でも銀賞を受賞された鹿児島県立農業大学校の淵脇大輝さんの「一本の削 蹄鎌に懸ける魂 〜一人前の削蹄師を目指して〜」は、彼の意志の強さが伝わってくる優れた作 ─ 125 ─ 文だと思いました。削蹄とは一般にはあまり聞かれない言葉ですが、牛や馬の蹄を一定期間ごと に削り取る作業です。彼のお父さんは削蹄師で、その後姿を見て日本一の削蹄師になろうと決意 した強い思いを背景に、この作文は書かれました。具体的な事例も多く、読ませる工夫もなされ ています。削蹄師は畜産業界の中で陰の立役者であり、畜産業を支える極めて重要な職業です。 削蹄師がいないと馬も牛も蹄の状態を良好に保つことができず、ストレスから餌の食いつきが悪 くなったり発情にも影響を及ぼし種付きも悪くなるなど飼育上問題が出てきます。私も以前勤め ていた大学の馬術部に数年間関わったことがありますので、削蹄の大切さを知っています。これ を一生の仕事として日々経験を積み技術を磨いている淵脇君には、ぜひ削蹄技術日本一という夢 を実現していただきたいと強く思いました。 次は同じく鹿児島県立農業大学校の髙月藍さんで、作文の表題は「鹿児島発『髙月藍のおいし い和牛』への道 〜真似るは学ぶの姿勢〜」です。この作文は他の審査委員の方々からもいろい ろとコメントがありましたが、しっかりとした文体で自分の思いが具体的に丁寧に表現されてい ます。和牛を飼ってもいいぞというお父さんの一言を後押しに、その道を力強く歩んでいく姿が 伝わってきます。さらにお姉さんとの会話を通して、本人の和牛生産への強い思いもしっかりと 描かれており、読み応えのある作文でした。 その他には、宮㟢県立農業大学校の岩下信也さんの「『牛を飼う』ということと、将来の夢」や、 同じ学校の後藤貴広さんの「命の大切さを胸に、酪農の発展に向けて 〜口蹄疫、東日本大震災、 酪農教育ファームで牛から教えられたこと〜」も強く印象に残りました。 残り時間が少なくなってきましたので、講評はここまでにさせていただきます。 さて、全国各地で今いろいろな難問が次々と生じています。日々変わりゆく厳しい世界情勢や 激しい気象上の変化、それから地球規模での環境問題など山積みになっています。農と食に関し ても、それらの問題に対峙したり、つきあったり、知恵を絞りつつ前に進んでいかなければなり ません。皆さんも今回取り組まれたテーマを活かして、また、今回のことを良き経験として、さ らなる発展へとつなげていっていただきたいと思います。そして胸を張って、今後それぞれの人 生を歩まれることを願っています。皆さん、本当におめでとうございました。 ─ 126 ─ 〔審査委員プロフィール〕 (50音順) ■岩田 三代(いわた みよ)氏 [専門/食・くらし] 愛媛大学法文学部卒業。日本経済新聞社に入社。婦人家庭部記者、同部編集委員兼次長、編 集局生活情報部長、論説委員兼生活情報部編集委員を経て、2012 年5月より生活情報部編 集委員。女性労働問題、家族問題、消費者問題など広く取材。政府委員として、食料・農業・ 農村基本問題調査会委員、 国民生活審議会委員などを務める。主な著書に『伝統食の未来』 (ド メス出版、編著)などがある。 ■近藤 直(こんどう なおし)氏 [専門/農業工学] 京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農業工学専攻)、農学博士。岡山大学助教授を経て、 2006 年より愛媛大学大学院理工学研究科教授、現在は、京都大学農学研究科教授。これま でに、農業機械学会賞学術賞、アメリカ農業工学会功績賞、日本生物環境工学会 50 周年記 念貢献賞、 日本農業工学会フェロー顕彰などを受賞。主な著書に『農業ロボット(Ⅰ)(Ⅱ)』 (コロナ社、共著) 、 『生物生産工学概論—これからの農業を支える工学技術』(朝倉書店、共 著)などがある。 ■佐藤 年緒(さとう としお)氏 [専門/環境・科学技術] 東京工業大学工学部社会工学科卒業。時事通信社の記者、編集委員として地方行政や科学技 術、地球環境や水問題を報道。2003 年退社後、フリーの科学ジャーナリストに。現在、科 学技術振興機構発行の科学教育誌『Science Window』編集長、東京大学総合文化研究科講 師(非常勤) 。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『森、里、川、海をつなぐ自 然再生』 (中央法規) 、 『つながるいのち—生物多様性からのメッセージ』(山と渓谷社、いず れも共著)などがある。 ■生源寺 眞一(しょうげんじ しんいち)氏 [専門/農業経済学] 東京大学農学部卒業。農林水産省農事試験場研究員、同北海道農業試験場研究員、東京大学 農学部助教授、同教授を経て、現在は名古屋大学大学院生命農学研究科教授。東京大学名誉 教授、日本農業経済学会会長、食料・農業・農村政策審議会会長。これまでに東京大学農学 部長、日本フードシステム学会会長、農村計画学会会長、日本学術会議会員などを務める。 近年の著書に『日本農業の真実』 (筑摩書房)、 『農業がわかると、社会のしくみが見えてくる』 (家の光協会) 、 『農業と人間』 (岩波書店)などがある。 ■矢澤 進(やざわ すすむ)氏 [専門/農学] 京都大学農学部農学科卒、同大学院農学研究科修士課程修了、農学博士。京都大学農学部教 授、同大学院農学研究科教授を経て、2005 年より京都大学農学研究科長・農学部長、2009 年京都大学名誉教授就任。2010 年より京都学園大学バイオ環境学部教授、2013 年4月より 京都学園大学バイオ環境学部客員教授。園芸学会評議員、京都大学評議員、園芸学会会長を 務める。2009 年度日本農学賞ならびに第 46 回読売農学賞受賞。主な著書に『図説・野菜新書』 (朝倉書店、編著)などがある。 ─ 127 ─ 第25回ヤンマー学生懸賞論文・作文入賞者一覧〔論文の部〕 氏 名 大学・学部・学科・学年 大 賞 村西 拓哉 慶應義塾大学 経済学部 経済学科 4年 特 別 木元 拓耶 優秀賞 北海道大学 経済学部 経営学科 4年 本田 幹英 宮崎県立農業大学校 農学部 (代表者) 園芸経営学科 2年 優秀賞 井 憲亮 鹿児島県立農業大学校 畜産学部 (代表者) 肉用牛科 2年 新福 佑人 鹿児島県立農業大学校 畜産学部 (代表者) 肉用牛科 2年 古賀 直樹 高知大学 農学部 農学科 4年 井戸明日香 信州大学 農学部 食料生産科学科 4年 (敬称略) 論文タイトル 鹿大国日本の目指すべき姿 ~官民一体で推進する“Momiji”輸出の 提言~ うずらの卵市場拡大戦略の探求 ~隠された差別化要因の考察~ 未来の食と農を守る!「観光直売型農園 リゾート」 ~農から変える食意識・農家が行う食農 教育~ 『あまみ』から七大陸を目指して ~『あまみ』が海賊となる日~ 世界で戦える『和牛』を目指して ~経膣採卵技術を応用した和牛の遺伝資 源継承~ クールな野菜クルベジ! ~農山村をホットにする野菜たち~ 「農業」×「見える化」 泉谷真現子 立命館大学 政策科学部 (代表者) 政策科学科 4年 筑波大学大学院 天本 涼太 システム情報工学研究科 (代表者) 博士前期課程 2年 岡山大学 農学部 川崎 紘平 総合農業科学科 3年 黒田 恭平 岡山大学 農学部 総合農業科学科 4年 楠 克太郎 酪農学園大学 農食環境学群 循環農学類 4年 三宮 雄貴 大分県立農業大学校 農学部 (代表者) 総合畜産科 2年 ─ 128 ─ 次世代の資源としての昆虫 ~循環型農畜産業への可能性を見据えて ~ 新しい時代の獣害対策 ~拡 大を続ける獣害への対抗:ICTで野 生動物に負けない強い農地環境をつく る~ よそ者の よそ者による よそ者のための 挑戦 ~新規参入者定着条件を山光園を参考に 考える~ 水田の未来をつなぐコントラクター組織 の展開 ~岡山県を事例にして~ 障がい者と共に創る農業 ~その条件と可能性~ 農大生の葛藤と改革プラン ~若人よ、農大で未来をつかめ!~ 第25回ヤンマー学生懸賞論文・作文入賞者一覧〔作文の部〕 氏 名 大学・学部・学科・学年 (敬称略) 作文タイトル 金 賞 末鶴 美保 鹿児島県立農業大学校 農学部 野菜科 2年 女性が活躍できる農業経営を夢見て 銀 賞 淵脇 大輝 鹿児島県立農業大学校 畜産学部 肉用牛科 2年 一本の削蹄鎌に懸ける魂 ~一人前の削蹄師を目指して~ 星野 孝生 銅 賞 髙月 藍 新潟県農業大学校 農学部 稲作経営科 2年 鹿児島県立農業大学校 畜産学部 肉用牛科 2年 岩下 信也 宮崎県立農業大学校 農学部 畜産経営学科 1年 後藤 貴広 宮崎県立農業大学校 農学部 畜産経営学科 1年 林田 真実 大分短期大学 園芸科 1年 世界に通用する米を作るために ~生まれ育った町から目指す一人の少年 物語~ 鹿児島発『髙月藍のおいしい和牛』への 道 ~真似るは学ぶの姿勢~ 「牛を飼う」ということと、将来の夢 命の大切さを胸に、酪農の発展に向けて ~口 蹄 疫、 東 日 本 大 震 災、 酪 農 教 育 ファームで牛から教えられたこと~ 見つけた! 遠藤 響子 青森県営農大学校 畜産課程 1年 甲斐 陽子 大分県立農業大学校 農学部 総合農産科 1年 須藤 智史 山形県立農業大学校 野菜経営学科 2年 人を笑顔にする魔法 木村 朝美 山形県立農業大学校 農産加工経営学科 2年 農業の持続可能・そして発展のために 原田 順平 長崎県立農業大学校 養成部 花き学科 1年 愛情を込めた花束で 榎本 悠樹 熊本県立農業大学校 農学部 畜産学科 1年 大好きな酪農の魅力を発信していくため に 経験値0からのスタート ─ 129 ─ しんねん 芯念 第25回ヤンマー学生懸賞論文・作文入賞者一覧〔作文の部〕 栃木県農業大学校 本科 園芸経営学科 1年 今、自分にできること 日髙 聖子 鹿児島県立農業大学校 農学部 花き科 1年 命の音 福㟢 元樹 鹿児島県立農業大学校 農学部 野菜科 1年 バレイショに託す夢 ~長島から3つの挑戦~ 本吉 康二 鹿児島県立農業大学校 畜産学部 肉用牛科 1年 夢を夢で終わらせないために ~小さい頃からの夢をかなえる~ 坂内 裕子 宮城県農業大学校 アグリビジネス学部 1年 私が農業大学校に入学した理由 下里 充 愛知県立農業大学校 教育部 農学科 1年 酪農を通して感じた事 清水麻花央 滋賀県立農業大学校 養成科 園芸課程 1年 農業に対する私の思い 高橋 由莉 福島県農業総合センター農業短期大学校 素人農業観察記 農学部 園芸学科 1年 吉瀬 将太 宮崎県立農業大学校 農学部 園芸経営学科 2年 心をこめて 糸田 尚貴 宮崎県立農業大学校 農学部 畜産経営学科 1年 酪農に対する思い 五十嵐俊弥 岩手県立農業大学校 農産園芸学科 2年 私はお米が大好きです 奨励賞 菅谷 美佳 久保 一真 大分短期大学 園芸科 1年 (敬称略) ナス栽培への挑戦 ~農業指導者との出会い~ 後藤 圭太 群馬県立農林大学校 農林部 農業ビジネス学科 1年 17歳の絶望と18歳の希望 ~日本一の蒟蒻農家を目指して~ 山下 都 京都府立農業大学校 農学科 2年 やりがい、生き甲斐ある農業の実現 ~地域、生かされている仲間、祖父と共 に~ 奥野 美咲 長崎県立農業大学校 養成部 花き学科 1年 農業大学校で学んだこと ─ 130 ─ 入選発表会において 〔論文の部〕大賞・特別優秀賞・優秀賞の皆さん、審査委員各氏、農林水産省、 (一財) 都市農 山漁村交流活性化機構、(公社)大日本農会、ヤンマー関係者 〔作文の部〕金賞・銀賞・銅賞の皆さん、審査委員各氏、農林水産省、 (一財) 都市農山漁村交 流活性化機構、(公社)大日本農会、ヤンマー関係者 2015年1月30日 於・メルパルク東京 ─ 131 ─ 30 15 10 27 30 53 ヤンマー株式会社 学生懸賞論文・作文募集運営委員会事務局 ─ 132 ─ 編集あとがき 「第 回ヤンマー学生懸賞論文・作文募集」事業は、今回より「新しい農をクリエイトする」へとテーマ を変更し、平成 年7月1日〜 月 日の期間に作品を募集しました。 募集の告知活動や審査活動を円滑に行うため、昨年7月、社内に推進体制を整えました。小林アグリ事業 本部長を委員長に、弊社および販売会社の役員、管理職、スタッフで構成する計 名の「運営委員会」を発 足させ、全国の大学や農業大学校等への告知活動ならびに応募いただいた作品の社内審査を行いました。 今回は、論文・作文合わせて649編をお寄せいただきました。論文の部では、 校から 編の応募をい ただき、農学系学生が %、女性が %、グループ応募が %を占めました。日本の第一次産業の強み、地 域の特長を活かした海外展開の可能性を提言した作品の他、資源循環や環境配慮を意識した作品も目立ちま した。しかしながらここ数年、論文の応募編数は減少傾向にあります。テーマの広がりとともに応募いただ く学生の皆様が増えていくことが望ましい姿です。より広くわかりやすく、当事業をご紹介していく必要性 を感じています。 作文の部では、 校から596編の応募をいただき、過去最多となりました。全国の農業大学校等の皆様 が、教育の一環として当事業を積極的に活用いただいている現状を大変嬉しく思います。一方で近年、内容 のパターン化傾向も見受けられます。農業大学校への入学のいきさつや農業大学校での体験、そこから生ま れた第一次産業への思いなど、自身の体験や経験に基づく作品が編数的にも目立ってきています。若者らし い自由な発想、斬新なアイデアによる夢や抱負などを綴った作品もさらに増えていくことを期待しています。 応募作品は、事務局による様式審査、社内審査ワーキンググループによる一次・二次審査を経て、社外審 査委員5名の先生方(127頁のプロフィール参照)に最終審査をお願いし、平成 年1月 日の午前、東 京都港区・メルパルク東京で最終審査会を開催しました。厳格な審査の結果、論文の部では大賞1編、特別 優秀賞2編、優秀賞 編を、作文の部では金賞1編、銀賞2編、銅賞 編を決定し、同日午後開催の入選発 表会で表彰しました。なお、作文の部・奨励賞は、社内審査で 編を決定し、受賞者に賞状と記念品をお送 りしました。 、作文3編(金賞・銀賞)を全文掲載し 本作品集では、上位に入賞された論文3編(大賞・特別優秀賞) ました。また論文・優秀賞 編、作文・銅賞 編は要旨のみを掲載し、作文・奨励賞 編については、入賞 者一覧のみを記載させていただきました。 55 10 52 27 15 25 28 10 10 20 34 10 最後に、ご協力いただきました関係者のみなさまに厚く御礼申し上げますと共に、次回もさらに多くの提 言、力作が寄せられることを期待しております。 25 平成 年2月 27 第25回ヤンマ ー学生懸賞論文・作文募集要領 7)都市と農山漁村の共生 8)農業経営におけるドメインの拡大とマーケティ ング戦略 消 費者ニーズに対応した真に豊かな食生活 の提供 9)農業・農村の活性化・食の安全性に資する健全な フードシステム 10)望ましい食生活と農業のあり方 11)食品リサイクルと循環型社会 12)子供の農業体験・農業後継者育成の為の教育シス テム 13)農業経営における女性パワーの役割 14)輸出・知的財産といった攻めの農業 その他“将来の夢の農業”の創造・提案など、あなたの 独自のテーマを設定して論文にまとめて下さい。 【テーマ】 “新しい農をクリエイトする” 〜新しい農への3つの提案〜 1.世界で戦える農業の実現に向けて 2.やりがい・生きがいとしての農業に向けて 3.資源循環型農業の実現に向けて 【趣 旨】 私どもヤンマーグループは、日本農業の転換期を迎え ていた1990(平成2)年、厳しい中にも21世紀への夢と希 望を持ち、先駆的な挑戦を試みる元気な農家やその集団 が全国各地に誕生しつつあることに気づき、「いま日本の 農業がおもしろい〜その変化と対応〜」を当社のスロー ガンとして、積極的に未来を語りエールを送ってまいり ました。 ○作文の部 その一方で、次代を担う若者たちに農業と農村の未来 上記テーマと趣旨に沿った作文をまとめてください。 について、大いに議論いただこうと始めたのが「学生懸賞 あなたの感じていること、夢や思いを、これまでの体験 論文・作文募集事業」でした。 やその時の情景を描写しながら作文にまとめて下さい。 その後、私どもを取り巻く環境は大きく変わりました。 急増する世界の食料需要に対応し、持続可能でかつ収益 【論文の部 応募要領】 ※作品は本人のもので、且つ未発表のものに限ります。 性の高い、資源循環型農業の実現が求められています。効 率性、生産性だけではない、次世代へ引き継げる安心・安 1.応募資格:平成26年10月20日現在で、下記項目の全て 全で優れた食味の作物を生産できる農業への要求が高 に該当する方。 まっています。世界の人口・食糧問題に端を発した「農 ⎧ ・大学 業」の課題が、資源エネルギー・地球環境等、様々な問題 ⎜ ・大学院 と重なり、大きくクローズアップされているのです。 ⎜ 右記のいずれかに ・短期大学 ⎨ ⑴ 所属 そのような中、日本の農業は、まさに次の展開へ新たな 在籍する学生 ・農業大学校 ⎜ 一歩を踏み出そうとしています。私どもはグローバルに ・農業短期大学 ⎜ 進化する「農」を未来に繋いでゆくという想いから、テー ⎩ ・各種専門学校 マに“クリエイト”を掲げ、副題として「新しい農への3 30歳以下 ⑵ 年齢 つの提案」を以下の通り謳っております。 (※但し、外国からの留学生は35歳以下) 1.世界で戦える農業の実現に向けて ①グループによる共同執筆可。 2.やりがい・生きがいとしての農業に向けて ⑶ その他 ②過去、論文の部入選者の応募は不可。 3.資源循環型農業の実現に向けて ③過去、作文の部入選者の応募は可。 本事業も今回で25回目を迎えます。学生の皆様には、新 2.応募規定 しい「農」に対するそれぞれの提案を、広く自由な観点で ⑴ 言語 日本語 論じ、夢と若さあふれる提言を数多くお寄せいただきた いと存じます。 ⑵ 筆記具 ワープロを使用 ⑶ 用紙規格 ⑷ 書式 ⑸ 本文の 文字数 ⑹ 提出書類 ※右記①〜⑥ の順に、ク リップで綴 じて提出す ること。 A4版白紙用紙 横書き 総字数で、8,000字以上、12,000字以内とする。 『横40文字×縦40行』のレイアウトを基本とし、 用紙1枚あたり、1,600字以内とする。 表紙、要旨、目次、添付資料、データ・図表等、 参考文献は文字数に含まない。 ①応募申込 弊社ホームページからダウンロー 用紙 ドした様式を印刷するか、又は、 ※必要事項 募集パンフレットの「応募申込用 を記入し 紙」をA4版白紙用紙に貼付して て添付。 使用すること。 A4版白紙用紙1枚に、1,200字以 内で作成すること。(図表の使用 ②要旨 は不可) *作品タイトルを明記すること。 本文とは別に、必ず目次をつける ③目次 こと。 本文冒頭には、題名(作品タイト ④本文 ル)のみを記載し、氏名・学校名 ○論文の部 上記テーマと趣旨に沿った論文をまとめてください。 21世紀農業の確立をめざした“先駆的挑戦”を内容とし てください。自然科学、農業経営、農産技術、農芸化学、 農業モデル(都会、中山間地、大規模平野、臨海地域)、 新規ビジネスモデル、流通、教育、ICTなど、あなた が学習・研究しているさまざまな分野から独自の構想 で提言し、その実現の過程、手法等を論理的に述べてく ださい。 例えば、次のような論点も、今日的切口として参考にし ていただければと考えます。 <あなたの独自のテーマ例 又は 内容> 1)世界で戦える日本農業(経営・技術)のあり方 2)新たな価値観・ライフスタイルとしての農業 や りがい・生きがい農業、趣味的農業の社 会的価値 3)農の本質と日本農業の将来ビジョン 4)地球的視野に立ったあるべき農業国際協力 5)環境保全に資する農業技術の発掘と創造 6)文化の創造と農山漁村の役割 ─ 133 ─ 銀賞 2編 10万円 賞状、記念品 は記載しないこと。 銅賞 10編 5万円 賞状、記念品 奨励賞 15編 ページ数を打つこと。 (ページは文字数に含まない) 本文に入る場合は、本文挿入でも可。 本文に入れられなかった場合は、 A4版白紙用紙に記載し、本文の 後ろに添付すること。 賞状、記念品 ※なお、入賞されなかった場合も、応募資格・応募規定に合致し た方には、応募記念品を贈呈いたします。 【応募時期・発表】 応募 期間 ⑤データ・ 図表等 平成26年7月1日(火)〜10月20日(月) ※当日消印有効 【入選者決定】 入選者本人へ通知 平成26年12月下旬 【入選発表会開催 入選者表彰 (東京) 】 結果 (入選者は入選発表会に出席頂きます) 平成27年1月下旬 発表 弊社ホームページに結果(入選者一 【 入 選 結 果 報 告・ 覧)を掲載。 落選結果通知】 応募記念品の発送をもって、本人へ 平成27年2月中旬 の結果通知とかえさせて頂きます。 【審査方法】 社内一次審査 事務局による様式審査(応募資格・規定による 審査)等 社内二次審査 弊社内選考委員による内容審査 ・入選作品(論文・作文各13編)の選出 ・作文の部 奨励賞の決定 ⑵ 年齢 ⑶ その他 み よ 岩田 三代 氏 [専門/食・くらし] 愛媛大学法文学部卒業。日本経済新聞社に入社。婦人家庭 部記者、同部編集委員兼次長、編集局生活情報部長、論説 委員兼生活情報部編集委員を経て、2012年5月より生活 情報部編集委員。女性労働問題、家族問題、消費者問題な ど広く取材。政府委員として、食料・農業・農村基本問題 調査会委員、国民生活審議会委員などを務める。主な著書 に『伝統食の未来』(ドメス出版、編著)などがある。 こんどう 参考文献のある場合は、「著者名、 題名、出版社名、刊行年、参考頁」 を明記した一覧を末尾に添付する こと。 郵送に限る ※メール提出は不可。 ⎧ ・農業大学校 右記のいずれかに ⎨ ・農業短期大学 在籍する学生 ⎩ ※外国への留学生、外国からの留学生も可。 25歳以下 ①過去、作文の部入賞者の応募は不可。 ②過去、論文の部入賞者の応募は可。 2.応募規定 ■ 最終審査委員(五十音順、敬称略) いわ た ⑥参考文献 【作文の部 応募要領】 ※作品は本人のもので、且つ未発表のものに限ります。 1.応募資格:平成26年10月20日現在で、下記項目の全て に該当する方。 ⑴ 所属 以下の、最終審査委員にて審査 ・各賞の決定 最終審査 ⑺ 提出方法 データや図表の見やすさは、評価 のポイントになるため、画質や精 細に注意すること。 (小さな文字・数字は読めるよう に注意し、必要な場合は、カラー で提出すること) ⑴ 言語 ⑵ 筆記具 ⑶ 用紙規格 ⑷ 書式 ⑸ 本文の 文字数 なおし 近藤 直 氏 [専門/農業工学] 京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農業工学専攻)、 農学博士。岡山大学助教授を経て、2006年より愛媛大学大 学院理工学研究科教授、現在は、京都大学農学研究科教授。 これまでに、農業機械学会賞学術賞、アメリカ農業工学会 功績賞、日本生物環境工学会50周年記念貢献賞、日本農業 工学会フェロー顕彰などを受賞。主な著書に『農業ロボッ ト(Ⅰ)(Ⅱ)』(コロナ社、共著) 、 『生物生産工学概論− これからの農業を支える工学技術』 (朝倉書店、共著)な どがある。 ⑹ 提出書類 ※右記①〜② の順に、ク リップで綴 じて提出す ること。 ⑺ 提出方法 日本語 ワープロを使用 A4版白紙用紙 横書き 総字数で、2,800字以上とする。 『横40文字×縦40行』のレイアウトを基本とし、 用紙1枚あたり、1,600字以内とする。 ①応募申込 弊社ホームページからダウンロー 用紙 ドした様式を印刷するか、又は、 ※必要事項 募集パンフレットの「応募申込用 を記入し 紙」をA4版白紙用紙に貼付して て添付。 使用する。 本文冒頭には題名(作品タイト ル)のみを記載し、氏名・学校名 ②作文本文 は記載しないこと。 ページ数を打つこと。 (ページは文字数に含まない) 郵送に限る ※メール提出は不可。 さ とう とし お 【表彰・賞金】 佐藤 年緒 氏 [専門/環境・科学技術] 東京工業大学工学部社会工学科卒業。時事通信社の記者、 ■ 論文の部 編集委員として地方行政や科学技術、地球環境や水問題 賞 を報道。2003年退社後、フリーの科学ジャーナリストに。 大賞 現 在、 科 学 技 術 振 興 機 構 発 行 の 科 学 教 育 誌『Science 特別優秀賞 Window』編集長、東京大学総合文化研究科講師(非常勤)。 優秀賞 日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『森、里、 川、海をつなぐ自然再生』 (中央法規) 、 『つながるいのち ■ 作文の部 −生物多様性からのメッセージ』 (山と渓谷社、いずれも 共著)などがある。 賞 金賞 ─ 134 ─ 受賞数 1編 2編 10編 賞金 100万円 30万円 10万円 贈呈品 賞状、記念品 賞状、記念品 賞状、記念品 受賞数 1編 賞金 30万円 贈呈品 賞状、記念品 いており、現在は、7代目として秋篠宮文仁親王殿下 を総裁に推戴。農業の発展及び農村の振興を図るこ とを目的に、農事功績者表彰事業、農業農村に関する 調査研究活動、農事奨励事業、勧農奨学、会誌「農 業」の刊行等を行っている。平成23年7月1日、内閣 府より「公益社団法人」に認定。 しょうげん じ しんいち 生 源寺 眞一 氏 [専門/農業経済学] 東京大学農学部卒業。農林水産省農事試験場研究員、同北 海道農業試験場研究員、東京大学農学部助教授、同教授を 経て、現在は名古屋大学大学院生命農学研究科教授。東京 大学名誉教授、日本農業経済学会会長、食料・農業・農村 政策審議会会長。これまでに東京大学農学部長、日本フー ドシステム学会会長、農村計画学会会長、日本学術会議会 員などを務める。近年の著書に『日本農業の真実』(筑摩 書房)、 『農業がわかると、社会のしくみが見えてくる』 (家 の光協会)、『農業と人間』(岩波書店)などがある。 や ざわ すすむ 矢澤 進 氏 [専門/農学] 京都大学農学部農学科卒、同大学院農学研究科修士課程 修了、農学博士。京都大学農学部教授、同大学院農学研究 科教授を経て、2005年より京都大学農学研究科長・農学 部長、2009年京都大学名誉教授就任。2010年より京都学園 大学バイオ環境学部教授、2013年4月より京都学園大学 バイオ環境学部客員教授。園芸学会評議員、京都大学評議 員、園芸学会会長を務める。2009年度日本農学賞ならびに 第46回読売農学賞受賞。主な著書に『図説・野菜新書』 (朝 倉書店、編著)などがある。 【応募先】 〒526-0033 滋賀県長浜市平方町856 (ヤンマーグローバル研修センター) ヤンマー株式会社 「学生懸賞論文・作文募集事務局」宛 【問合わせ】 フリーダイヤル 0120-376-530(月〜金 10:00〜17:00) e-mail [email protected] ※弊社ホームページ(http://www.yanmar.co.jp)には、 第22回〜24回入賞作品集を掲載しております。 【その他】 ○応募作品は返却いたしません。(作品の所有権は主催者 に帰属いたします) ○応募作品の著作権を含むすべての著作権利は、主催者 に譲渡継承されます。 ○入賞者の権利の譲渡は認めません。 ○入選発表会参加にあたり、肖像権は主催者に帰属いた します。 ○応募にあたり記入頂いた個人情報は、審査結果通知に 付随する事項を行うためのみに利用します。 ○入賞者の学校名・学部・学年・氏名は公表します。 【主催・後援】 ■主催:ヤンマー株式会社 ■後援: 農林水産省 一般財団法人 都市農山漁村交流活性化機構 農山漁村の活性化、国土の均衡ある発展及び自然と 調和のとれた豊かでうるおいのある社会の実現を目 的に、都市と農山漁村の交流促進と農山漁村地域の 活性化に関する調査研究、農山漁村の情報の収集・ 提供、農林漁業体験施設及び農林漁業体験民宿業の 健全な育成並びに体験農林漁業の普及推進等を行っ ている。(平成13年、農林漁業体験協会、ふるさと情 報センター及び21世紀村づくり塾の3財団法人の合 併により設立。平成25年4月より一般財団法人に移 行。) 公益社団法人 大日本農会 明治14年に設立されたわが国で最も歴史ある全国的 な農業団体。設立当初から皇族を総裁としていただ ─ 135 ─ 第25回 ヤンマー学生懸賞論文・作文募集運営委員会 メンバー (敬称略) 【運営委員会】 委 員 長 副委員長 委 員 小林 直樹 常務取締役 農機事業本部長 鈴木 正孝 顧問 東京支社長 増田 長盛 農機事業本部企画部長 小林 秀夫 東京支社企画室長 相馬 厚司 東京支社企画室専任部長 ●告知ワーキンググループ エリア担当 小野 哲也 山代善史行 平見 清隆 宮沢 澄夫 吉田 光男 長畑 義則 大学別担当 荒木 康行 出水 孝明 李 シン 平野 賢治 白藤 大貴 德永 直也 井口 有紗 浅田 修志 川邊 俊太 関 文嬌 猿田 惠輔 寺尾 聡美 石田 正迪 野村 和生 深澤 晋輔 三宅 志英 森下 健 ヤンマーアグリジャパン㈱北海道カンパニー取締役管理部長 ヤンマーアグリジャパン㈱東日本カンパニー管理部長 ヤンマーアグリジャパン㈱関東甲信越カンパニー管理部長 ヤンマーアグリジャパン㈱中部近畿カンパニー管理部長 ヤンマーアグリジャパン㈱中四国カンパニー管理部長 ヤンマーアグリジャパン㈱九州カンパニー管理部長 農機事業本部管理部管理グループ 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター開発実験部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター開発実験部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター開発実験部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター開発実験部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター開発実験部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター開発実験部 ヤンマーアグリジャパン㈱中部近畿カンパニー管理部 ヤンマー農機製造㈱生産企画部生産技術部生産技術グループ(伊吹)作業技術係 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター基幹開発部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター第一商品開発部 ヤンマーアグリジャパン㈱アグリプロ事業部土づくりソリューションセンター ヤンマーグリーンシステム㈱国内推進部農産・環境施設部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター第一商品開発部 ヤンマーアグリジャパン㈱管理部経理グループ ヤンマーアグリジャパン㈱関東甲信越カンパニー販売部戦略店推進部 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター第一商品開発部 ─ 136 ─ ●審査ワーキンググループ 論文審査メンバー 増田 篤稔 梶原 康一 有田 雅之 渡辺 丈 大坪 信昭 川尻 彰 坂本 俊憲 坂本 仁志 土屋 邦保 杉山 靖彦 作文審査メンバー 一色 宏志 森 麻衣 宮崎 武志 山田 英人 山崎 有 江川 史洋 杉本 大 和田 真 八木 洋介 清水 政和 【事務局】 東谷 美佳 足立 裕 姫野 大 寺村美代子 農機事業本部企画部ソリューション推進部主席研究員 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター第二商品開発部主幹技師 農機事業本部開発統括部商品企画部マーケティンググループ課長 ヤンマーアグリジャパン㈱企画部企画グループ課長 ヤンマーアグリジャパン㈱中部近畿カンパニー営業企画部長 農機事業本部開発統括部商品企画部商品戦略グループ課長 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター開発実験部グループリーダー 農機事業本部開発統括部商品企画部商品戦略グループ専任課長 ヤンマーアグリジャパン㈱アグリプロ事業部食ソリューショングループ課長 ヤンマーアグリジャパン㈱関東甲信越カンパニー営業企画部長 農機事業本部企画部企画グループ 農機事業本部管理部原価企画グループ 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター基幹開発部 ヤンマーアグリジャパン㈱企画部企画グループ ヤンマーアグリジャパン㈱農機推進部営業推進グループ 農機事業本部開発統括部グローバル開発センター第一商品開発部 農機事業本部企画部企画グループ 農機事業本部海外推進部推進グループ ヤンマーアグリジャパン㈱農機推進部営業推進グループ ヤンマーアグリジャパン㈱サービス事業部技術サービスグループ 人事労政部人材開発グループ課長 人事労政部人材開発グループ専任課長 人事労政部人材開発グループ(長浜駐在) 人事労政部人材開発グループ(長浜駐在) (2014年7月現在) ─ 137 ─ 第25回 ヤンマー学生懸賞論文・作文入賞作品集 2015 年3月 21 日 第 1 刷 非売品 編集発行 学生懸賞論文・作文募集運営委員会事務局 滋賀県長浜市平方町856 (ヤンマーグローバル研修センター) 〒526-0033 フリーダイヤル:0120-376-530 http://www.yanmar.co.jp/aboutus/prize/
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