第13回 焼け跡からの出発-井深大・盛田昭夫・岩間和夫

産業と技術の歴史
第13回 焼け跡からの出発
-井深大・盛田昭夫・岩間和夫
2011年7月15日
吉備国際大学国際環境経営学部
大谷卓史
定期試験について
• 実施日時:2011年8月3日(水)1時限目
• 実施場所:14402教室
• 定期試験受講上の注意:
– 学生証を必ず持参してください。
– 辞書・電子辞書などの持ち込みは禁止します。
– 不正行為は厳しく処罰されます(後述)。
– 20分以上の遅刻は受験できません。
定期試験について
• 試験範囲:7月29日までの講義内容から出題
します。
• 試験の形式・内容:
– 計算問題が20点分程度出題されます。
– 選択問題が30点分程度。
– 穴埋め問題が30点分程度。
– 記述式問題が20点分程度。
定期試験について
• 持ち込み資料:自筆ノートのみ許可します。
– 教科書の持ち込みはできません。
– コピーも持ち込みできません。
– スライドのファイルを印刷したものも持ち込みでき
ません。
– 辞書・電子辞書など、その他の持ち込みも禁止し
ます。
定期試験について
• 不正行為は、厳しく罰せられます。
• 次のような行為が、不正行為に当たります。
– 自筆ノート以外の教科書や辞書・電子辞書、スライドのプリントアウト
などを持ちこむ。
– 他人の答案を見る。他人に答案を見せる。
– 他人の答案を見ているように見える行為(周りをきょろきょろする。物を
拾うふりをして盗み見るなど)も不正行為と見なします。
– 試験中に声をあげる。とくに、日本語以外で話した場合には、不正行
為と見なします。
– 試験終了の合図があっても、答案を書くことをやめない。
– その他、公正を欠くと思われる行為。
本日の目標
• ソニーを起業した井深・盛田、彼らを支えた岩
間の思想と業績を理解する。
• 成功したベンチャー企業のスタートアップ時
の状況について理解する。
目次
• 「技術のソニー」の歴史
• ソニーの創業と3人の男
• ソニーを創った男-井深大(視聴覚教材)
• 課題
「技術のソニー」の歴史
• コンシューマーエレクトロニクス(家庭用)とプロフェッ
ショナルエレクトロニクス(業務用)を軸に、コンテン
ツ、携帯電話などのグループ企業を擁する。
– 主要製品
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VAIOシリーズ
PS、PSPシリーズ。
Cybershotシリーズ(デジカメ)。
Braviaシリーズ(デジタルテレビ)。などなど。
– 関連企業
• ソニーピクチャーズエンターテイメント(映画)
• ソニーミュージックエンターテイメント(音楽)
• ソニー・エリクソンズ・モバイルコミュニケーションズ(携帯電話)
• 連結従業員数17万人、連結売上高7兆1813億円。
「技術のソニー」の歴史
• ソニーは、1946年従業員20数名の企業に始まり、現
在グループ全体で17万人の大企業に成長した。
• 井深大と盛田昭夫の創業者(ファウンダー)によるイ
ノベーションによって成功したベンチャー企業と認識
されている。
• 「技術のソニー」「ソニー・モルモット論」などで、新技
術への先駆的な取り組みとセンスのよいデザインな
どで、高い企業イメージを保ってきたことでも有名。
「技術のソニー」の歴史
• 1950年、日本初のテープレコーダー発売。
• 1955年、日本初のトランジスタラジオ発売(世界で2番目)
– 盛田の義弟、岩間一夫(ソニー第4代社長)の技術導入・開発での活
躍が大きい(同社の半導体事業は、岩間が築き、育てたもの)。
– 1956年夏から大流行。多くの企業が参入し、日本の代表的輸出製品
になる。
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1959年、日本初のトランジスタテレビ発売。
1962年、世界最小の5インチ、トランジスタテレビ発売。
1968年、トリニトロン方式カラーテレビ発売。
1979年、ウォークマン発売。
1980年、世界初のCCDカメラ発売(ANAの機載カメラに採用)
。
• 1982年、コンパクトディスク発表。
ソニーの創業
• 1946年5月7日、東京通信工業設立。
– 戦争中、民間の技術者だった井深大と海軍技術将校だっ
た盛田昭夫との出会いが、同社設立のきっかけ。
– 井深の義父・前田多門(前貴族院議員、前文部大臣)が
社長に就任。井深は専務、盛田は取締役。
– 5月中旬、盛田の義弟・岩間和夫が参加。
– 「真面目ナル技術者ノ技能を最高度ニ発揮セシムベキ自
由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」(井深「設立趣意
書)。
• 「ソニー」の社名は、1958年、海外展開のために考
え出されたもの。
井深大
• 1908(明治41)年~1997年(
平成9年)
• 日光市生まれ。早稲田大学卒業
。卒論は、「光線電話」。
• 卒業後、写真化学研究所などを
経て、日本測定器を設立。
• 戦争中、熱線誘導兵器開発で、
盛田と知り合う。
• 義父は、前田多門(前貴族院議
員、前文部大臣)。
• 技術的なビジョンを提起し、社員
を鼓舞するスタイルの経営で知
られる。
ソニー教育財団ホームページ
(http://www.sonyef.or.jp/eda/welcome/ibuka/ )より
盛田昭夫
• 1921(大正10)年~199
9年(平成11年)
• 名古屋市生。盛田酒造の
長男(創業時、名古屋財界
の支援を受けるきっかけ)。
• 大阪帝国大卒業。海軍技
術中尉時代、戦時研究で
井深と知り合う。
• 戦後、新聞記事を読み、井
深を訪ねたことから、東京
通信工業設立に携わる。
• マーケティングや企業交渉
などで活躍。技術がわかる
営業マンの重要さを示す。
AkioMoritaLibrary
(http://www.akiomorita.net/ )より
岩間和夫
• 1919(大正8)年~1982(昭和
57)年
• 東京帝国大学理学部卒業、戦時
中海軍中尉。欺瞞飛行体、ラジ
オゾンデの研究を実施。
• 盛田の妹と結婚。戦後、学者に
復帰したが、義父の勧めもあり
東通工に参加。
• ソニー第4代社長。在職中に死
去。
• 「井深が見つけ、岩間が作り、盛
田が売った」と称される。ソニー
の半導体事業の中核を担った。
Icom「小さな町工場を世界の
SONYに育て上げた井深大さん」(
http://www.icom.co.jp/beacon/el
ectronics/000058.html )より
「ソニーを創った男-井深大」
• 井深大氏の伝記映画。2002年制作。
本日の課題
• ベンチャー企業としてのソニーの成功の原因
は何があったと思いますか?
– 経営者、技術者と営業マンの分業?
– 豊富な社外の人脈?
– 魅力ある製品と市場の開発?
– 宣伝、広告の力?
焼け跡からの出発-井深・盛田・岩間
まとめ(1)
• 株式会社ソニーの起源
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1946年5月7日、東京通信工業株式会社として設立。
創業者:井深大、盛田昭夫
初代社長:前田多門(井深の義父、前文部大臣)
井深は専務、盛田は取締役。
5月中旬、盛田の義弟・岩間和夫が参加。
「真面目ナル技術者ノ技能を最高度ニ発揮セシムベキ自
由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」(井深「設立趣意
書)。
– 「ソニー」の社名は、1958年、海外展開のために考え出
されたもの:Sonnus(ラテン語の音)+Sonny(坊や)
焼け跡からの出発-井深・盛田・岩間
まとめ(2)
• 東京通信工業の経営の特徴(1)
– ビジョン・技術・マーケティングの分業によるイノベーション:「井深が
見つけ、岩間がつくり、盛田が売る」
– 社内外の重要な人的ネットワーク・・・創業期の資金調達を容易にし
たと推測。
• 前田多門(井深の義父):国際的な政治家、クリスチャン、社会改革家と
しても著名。前田陽一(フランス文学者)、神谷恵美子(精神科医、翻訳
家)の父。
• 盛田昭男・・・盛田酒造の長男。名古屋政財界とのコネクション。
– 研究開発集約的企業・・・1950年代前半には社員の1/3が大学理工
系・工業高等専門学校卒業者。
– 新商品のイノベーションによる成長:「ソニー・モルモット論」(大宅壮
一)
• 創業期、井深はブームのラジオ製造販売を拒否・・・凡百の商品開発で
はベンチャー企業は生き残れない。
• 斬新な「日本初」「世界初」の商品開発(別紙参照)。
焼け跡からの出発-井深・盛田・岩間
まとめ(3)
• ソニー(東京通信工業)の経営の特徴(2)
– 新商品・イノベーション
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日本初のテープレコーダー(1951年)
日本初のトランジスタラジオ(1955年)
日本初のトランジスタ・テレビ(1959年)
世界最小の5インチ、トランジスタテレビ(1962年)。
トリニトロン方式カラーテレビ(1968年)。
ウォークマン(1979年)。
世界初のCCDカメラ( 1980年、ANAの機載カメラに採用)。
コンパクトディスク( 1982年)。
焼け跡からの出発-井深・盛田・岩間
まとめ(4)
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井深大(1908(明治41)年~1997年(平成9年))
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盛田昭夫(1921(大正10)年~1999年(平成11年))
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早稲田大学卒業後、写真化学研究所などを経て、日本測定器を設立。
戦争中、熱線誘導兵器開発で、盛田と知り合う。
技術的な新ビジョンを提起し、社員を鼓舞。
ソニー第2代社長。
大阪帝国大卒業。海軍技術中尉時代、戦時研究で井深と知り合う。
戦後、新聞記事を読み、井深を訪ねたことから、東京通信工業設立に携わる。
マーケティングや企業交渉などで活躍。
ソニー第3代社長。
岩間和夫1919(大正8)年~1982(昭和57)年
– 東京帝国大学理学部卒業、戦時中海軍中尉。欺瞞飛行体、ラジオゾンデの研究を実
施。
– 盛田の妹と結婚。戦後、学者に復帰したが、義父の勧めもあり東通工に参加。
– ソニー第4代社長。在職中に死去。
– トランジスタ技術移転を実施。ソニーの半導体事業の中核を担う。