NRIのITソリューション部門の歴史(上) - Nomura Research Institute

連 載
NRI の IT ソリューション部門の歴史(上)
野村総合研究所(NRI)が 2015 年に創立 50 周年を迎えるに当たり、筆者は
『NRI50 年史』の編纂担当になった。NRI の歴史をひもとくべく OB や現役
社員へのヒアリングを行うと、多くの発見がある。NRI は IT ソリューション
部門の事業を通じて社会や顧客にどのように貢献することができているのか、
できるだけ客観的に整理しようと試みた。2 回にわたりお届けしたい。
野村総合研究所 コーポレートコミュニケーション部
創立 50 周年事業推進室長
に む ら
おさむ
二村 修
IT ソリューションサービス
立ち上げ期
電子計算部は、1966 年 1 月に野村電子計
算センター(以下、NCC)として独立する。
野村證券のグループ会社の計算業務も受け持
NRI のソリューション部門の源流は、野村
つようになっていた電子計算部の要員の能力
證券電子計算部にある。
をさらに高め、強力な機械設備とともに広く
野村證券は、1955 年に国内で初めて商用
一般企業の経営合理化に役立つことを目的と
コ ン ピ ュ ー タ UNIVAC120 を 稼 働 さ せ、 株
したものである。(その後、1972 年に野村
式売買計算、投信時価計算、証券代行関係
コンピュータシステムに社名変更。こちらも
の配当金計算などで使用した。当時のコン
NCC とする)
ピュータ性能がどの程度だったかは興味ある
野村電子計算センター創業時の記念写真
ところだが、その後、1963 年に導入された
UNIVAC III の性能メモには、1 回の加減算処
理が 4 マイクロ秒とある。
UNIVAC120
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なお、現在の NRI のコンサルティング部門
旧野村総合研究所 本社(神奈川県鎌倉市)
の源流となる旧野村総合研究所は、1965 年
に野村證券調査部を母体に「国内初の民間総
合シンクタンク」として設立されている。
NCC は、当初は野村證券系列の証券会社
向けの共同利用型システムや電力会社の請求
書発行処理業務などを請け負い、少しずつ
業務の幅を広げながら、大型化、継続化を
進めた。アパレルメーカー(1973 年)、損
害保険会社(1975 年)
、大手小売業(1979
年)など、現在につながる重要な顧客との最
ム管理部とともに業務を全面的に見直して設
初の取引も始まっている。また、証券総合
計し、技術的には次のような挑戦をしてい
バックオフィスシステム「STAR」を企画し、
る。マルチベンダー、国内初のパケット通
1974 年にサービスを開始した。これは現在
信網、自ら設計した営業店ミニビデオ端末、
の ASP、SaaS 型サービスの先駆けである。
独自開発の DBMS(データベース管理システ
NCC は設立当初からコンピュータを資産
ム)である。ここで確立されたシステムの思
として保有し、運用・保守を任されていたの
想は、その後 30 年以上にわたって引き継が
で、必然的に品質には強いこだわりを持つよ
れた。プロジェクト完遂後、野村證券のシス
うになった。また、貴重なコンピュータ資源
テム開発・管理機能は NCC へ移管され、次
の有効活用に知恵を絞ったことが、立ち上
の第 3 次オンラインシステム(1989 年稼働)
がったばかりのこの会社に、将来につながる
は NCC が主体となって設計・開発を進める
方向性をもたらしたといえる。
ことになる。
なお、1975 年当時の会社の規模は 300 人
「STAR」は、野村證券のシステムを追い掛
程度、協力会社はなく、自社開発であった。
ける形で 2 次、3 次と開発を進めた。1985
1 つのプロジェクトが終わると、チームがこ
年前後には、外資系証券会社の日本進出が続
ぞって次のプロジェクトに移るという状況
き、多通貨・多言語対応の「I-STAR」を企
だった。
画し、開発することになった。このプロジェ
クトでは、それまでの「STAR」の経験と、
発展期、そして独自のサービス
1980 年ころから担当していた英国での銀行
NCC が手掛けた野村證券の第 2 次オンライ
「I-STAR」は、その後、外資系証券会社向け
ンシステム(1980 年稼働)は、証券取引能
デファクトスタンダードへと育っているが、
力の拡大、営業推進情報の整備、事務の徹底
実は、その直前に他の業界向けシステム開発
した合理化が目的だった。野村證券のシステ
案件を受託できず、大型コンピュータが空い
系システムの開発・保守経験が生かされた。
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連 載
てしまっていたことが「I-STAR」の企画に弾
野村総合研究所 日吉データセンター
みをつけたという、セレンディピティーのよ
うな逸話も残っている。
1984 年頃からは、従来の IT ソリューショ
ンの枠組みを超えた NCC 独自のサービスが
急拡大していく。その典型的な事例といえる
のが「システムクリニック」。日本を代表す
る各業界トップクラスの企業 50 社に対して
「クリニック」を行うサービスである。NCC
の各分野のスペシャリストがお客さまのシス
業務を中心に行ってきたが、現在につながる
テムを第三者の立場で客観的に評価し、カウ
経営コンサルティング部を 1983 年に、シス
ンセリングを行った。こうした取り組みから
テムコンサルティング部を 1985 年にそれぞ
「PMS(ポートフォリオ・マネジメント・シ
れ立ち上げている。
ステム)
」が生まれた。当時ニーズが高まっ
合併と前後して、横浜市の日吉や保土ケ谷
た生損保の資産運用システムの設計書をサー
にデータセンターを設立し、膨らむアウト
ビス化したものである。ソフトウェア外販
ソーシング需要へ対応した。
の「システムバスケット」も立ち上げた。こ
れらは、IT サービス業界で一般的だった MM
(人・月)課金を見直し、サービス内容で課
オープン化の流れと新技術の採用
金する新しい試みでもあった。当誌の前身と
1990 年に入ると、米国から汎用のハード
なる『マンスリー・レポート』が発刊された
ウェア、ソフトウェアを使ったオープンシス
のも 1984 年のことである。
テムの成功事例が伝わり、お客さまのニーズ
に応える形で、オープンシステムによる大型
プロジェクトが進められた。
合併
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その 1 つがセブン‐イレブンのプロジェク
そして 1988 年、NCC は旧 NRI と合併し、
トである。同社は 1991 年に一企業としては
新しい野村総合研究所が発足した。合併に
世界最大の ISDN 網(総合デジタル通信網)
よって、コンサルティングとソリューション
を構築した。高速(64kbps)かつ安価なネッ
サービスを融合させ、上流から下流まで一貫
トワークを全店舗に広げたことで、本社と店
してサービスを提供する体制が出来上がっ
舗との情報共有が質・量ともに大幅に向上し
た。この合併が成功事例として評価され、こ
た。また 1992 年には、情報分析システムの
れをきっかけにシンクタンクとシステム企業
データベースに Oracle を採用し、こちらも
の合併が相次ぎ、また「総研ブーム」も起き
当時世界最大ということで注目を浴びた。経
た。なお、旧 NRI の受託研究部門は調査研究
営戦略をこれら最先端のシステムが支えたこ
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ムリサーチ本部」は、証券会社向けのクオン
平均日販(1 日当たりの 1 店舗の平均売上高)
ツ(数学的手法に基づく分析の技術および人
で同業他社を引き離した。
材)集団と、システム開発部隊を融合させた
「STAR-III」では、汎用的な共有端末を作
ものである。主に UNIX を用いた先端技術開
る べ く 企 画 を 進 め た。 当 初、UNIX 端 末 を
発集団であり、その後、投信委託会社や年金
ベースにする予定で設計を始めたが、その翌
関連のシステムを提供する部署へと進化して
年に販売される予定の Windows-NT の安定性
いく。
が確認できたため Windows 端末に切り替え
「 シ ス テ ム 商 品 事 業 部 」 は、UNIX 関 連
る決断をした。「STAR-III」は 1995 年に稼働
ソリューションの商品化を推進する目的で
し、これら新技術への対応経験を得て、マル
1992 年に発足した。その後、PC やソフト
チベンダー対応のミドル基盤は「InfoWorks」
ウェア製品の仕入れを同事業部に一元化し、
(その後「O3W」
)として IT 基盤の SI フレー
そのノウハウを蓄積することで、コスト面・
ムワークへと進化していく。
品質面でお客さまに大きく貢献した。また、
野村證券で 1994 年から始まった BPR プロ
全社的に商品開発意識が高まるなかで、運用
ジェクトも、オープン化と Windows の採用
管理ツール「千手」や電子信書交付サービス
が特徴である。第 3 次オンラインシステムを
連載﹁NRIのITソリューション部門の歴史﹂
︵上︶
ともあって、セブン‐イレブンはこの時期、
「Postub」などが生まれている。
稼働後、いわゆるバブルの崩壊が起き、シ
1993 年に活動を開始し、1996 年に本部
ステムコストを 3 分の 1 にするという要請も
になった「新社会システム事業本部」は、イ
あってオープンシステム化を一気に進めるこ
ンターネット活用の先鞭をつける役割を担う
ととなったのである。情報技術部門は SE(シ
ものであった。慶應義塾大学湘南藤沢キャン
ステムエンジニア)全員へのオープン技術の
パスとの共同研究など、黎明(れいめい)期
研修を進め、開発要員の裾野拡大を図った。
の e ビジネスの研究・実践を行った。消費者
導入した Windows のサーバーや端末の数は、
保護の観点での安全性確保など、ここでの成
ともにこの時期世界最多だった。
果はその後、業界の常識となっているものも
その後、この大規模システム実装の経験
多い。また、インターネットにおけるセキュ
を生かして、CRM(顧客関係管理)構築基
リティ対策の重要性を予見して始めたファイ
盤として「InfoSTAR」をサービス化した。
アウォールサービスは、子会社である NRI セ
1998 年ころから、これをベースにさまざま
キュアテクノロジーズの発足(2000 年)に
な業界にアプローチし、産業系を中心に有力
結実した。
なお客さまとの接点を作ることができた。
これらの組織によるお客さまへの先進的な
提案、新たに生まれたお客さまとの接点、社
時代の一歩先を見越した組織
1988 年の合併とともに発足した「システ
内人脈、そして事有るごとに高い壁にぶち当
たりながらも新しいことへ挑戦する風土は、
その後の NRI の成長に大きく寄与した。
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