島根県立大学で講義:「グリーフケア」

家族ケア論
「家族の力量を活かした社会活動」の事例
江角弘道
1.はじめに
私は、母、私たち夫婦、子供 3 人(長女、二女、長男)で普通に生活してい
いました。ところが、平成 11 年(1999 年)に、二女真理子(当時二十歳)が
交通事故で理不尽に突然死にました。遺された家族は、それぞれに深く悲しみ
苦しみました。そして私たち家族は、この理不尽な無念さを胸にいだきながら、
その死の理不尽さを社会活動にまで発展させ、世の中で理不尽な思いをする人
達への立ち直りのメッセージを送り始めるようになりました。ここでは、その
プロセスについて話します。
私たち家族は、愛する人を失い、大きな悲しみ「悲嘆(GRIEF)」を感じ、長
期に渡って特別な精神の状態の変化を経験しました。看護では、遺族が体験し、
乗り越えなければいけないこの悲嘆のプロセスを、
「グリーフワーク(悲嘆の仕
事)」と言っています。私たち遺族はやがて、故人のいない環境に適応して、新
しい心理的・人間的・社会的関係を作ってゆくようになりました。
後で知ったことですが、悲嘆は愛する者を失った人が体験する正常な反応で
あり、誰もが「グリーフワーク」のプロセスを歩みます。
「グリーフワーク」の
プロセスには、個々人によって違いもありますが、大きく 2 つに分かれます。
故人のいない環境に適応して、新しい家族・社会的関係を作ってゆくようにな
る一般的なプロセスを正常な「グリーフワーク」とすれば、これからはずれた
病的な「グリーフワーク」の状態もあるのです。
「グリーフケア」は、人が正常
な「グリーフワーク」を歩むようにサポートすることです。
2.私たちが体験した「グリーフワーク」
1)喪失体験・ショックに打ちのめされた時期
事故後の遺族達は、①遺体の引き取りと家まで運ぶこと、②葬式をするこ
と ③事故現場の近くの智頭警察署へ行って、事情聴取と遺品の引き取りを
すること、④鳥取大学 3 年生でしたので、除籍の手続きをすること、⑤鳥取
地方裁判所での裁判に向けての準備と傍聴をすること、⑥真理子のマンショ
ンへ行って部屋の整理と引き渡しをすること、などなど・・・
遺族達のからだとこころは、次々に出くわす事故後の対応によって、脱力
感におそわれる。 そして、
①なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのか
②人と会って話すことが嫌になる。
③「子供さんは何人いらっしゃいますか」という質問で 無念さを味わう。
④買い物に行けなくなる。
⑤お経が、涙で読めなくなる。
⑥ふと亡き子を思って、突然に涙が出てくる。
⑦事故現場に行けなくなる。(トラウマ状態)
下記のウェッブに、その時のことを示してあります。
http://www.mariko-inochi.com/ :真理子のページ
2)ある出会いから、社会に対して少しづつ適応してゆく時期
朝日新聞の記者であった佐藤光房氏の書かれた「遺された親たち」と言う
本に出会いました。この佐藤さん自身が娘さんを亡くされているのです。結
婚式を目前にしたお嬢さんが住所変更届を出しに区役所の方に行かれる途中
の横断歩道を渡っているときに暴走運転の車に轢かれて、1週間後になくな
られたのです。花嫁衣装を着せてお棺に納め、葬儀をなされたそうです。そ
の佐藤さんがが、交通事故にあって、無念の死を体験された数多くの遺族を
訪問されて、聞き取りされたことを6冊の本にまとめて出版されています。
その本をむさぼるように読み、全国交通遺族の会に出会ったわけです。そ
の会の井手会長さんに直接電話して、補償のことやら、裁判のことやら、あ
りとあらゆることを聞きまくったわけです。これを機会に、同じような境遇
の全国の人と知り合うようになって来ました。本当に苦しい胸の内・苦悩を
真剣に聞いていただける人にであったわけです。それは本当に大きな救いで
した。私たちは、この出会いによって、正常な「グリーフワーク」を歩むこ
とになったのです。
私たちが見聞した病的な「グリーフワーク」の例では、ショックの初期の
「人と会って話すことが嫌になる」時期に、良き助言者に出会うことが出来
なかったため、閉じこもり、一人で悩んでいるケースです。そして、亡き子
に対する意見が合わなくなり、離婚して行く夫婦が多くありました。また、
ある遺族たちは、人生の希望と喜びを奪われたと思い、残りの人生をうらみ
の中に過し、自死をされる方もありました。
3)故人のいない環境に適応し、社会的活動をしてゆく時期
私たちは、二度と交通犯罪を起こさないようにとの願をこめて、次の2つの
方向で活動を始めました。
1つは、交通犯罪を起こさないように法の整備、交通手段の安全化など関係
当局(自治体や政府)と連携して考えます。 これは、国会で刑法改正になり、
「危険運転致死傷罪」が新たに成立しました。
2つには、「二度と理不尽な死は、起こしてはならない。」と一般の人々に
いのち
「生命のメッセージ展」という展示会を開催し呼びかけました。これは、理不
尽に命を奪われた者たち(メッセンジャー)に等身大のパネルになってもらっ
て、皆さんに生命の大切さを伝えます。この代表者は鈴木共子さんという人で
す。 鈴木共子さん自身も一人息子を、飲酒・無免許・無車検の暴走車に激突
され、殺されました。鈴木さんは、美術家だったわけで、造形アートと言う手
段で、被害者の叫びを伝えることを考え出されたわけです。それが、
「生命の
メッセージ展」というものです。家内もこの呼びかけのすぐに賛同して、真理
子のオブジェを毎回展示しています。私たちは、平成 20 年に出雲市で「生命
のメッセージ展 in 出雲」を開催いたしました。3 日間の開催期間に 4000 人も
の人が訪れてくれました。下記のウェッブに、その時のことを示してあります。
http://www.mariko-inochi.com/inizumo/ :生命のメッセージ展 in 出雲
この準備からなにから、大変な仕事ですけど、この展示を通して、気がついて
みると、遺族同士で共有する時間、自分たちの手で創り上げる空間に癒されて
いく自分自身を感ずるようになっていったわけです。同じ理不尽な体験をした
もの同士が、社会的に活動してゆくためには、悲しみを共有する時間、話し合
う時間が大切であることがわかりました。
3.まとめ
ドイツの諺に、
「悲しいときに共に悲しんでくれる人がいると、悲しみは半分
になって行く、うれしいときに共に喜んでくれる人がいると、喜びは倍になる」
があります。この諺の通りで、同じ理不尽な体験をしたもの同士が、悲しみを
共有することにより、癒されて行きます。この同じ体験をしたもの同士が、寄
り添って、心から話を聞きあい、話し合うというプロセスが、正常な「グリー
フワーク」を歩む上で、大切であり、それが社会的活動につながってゆきます。