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海外体験記
海外体験記
青 空と太 陽に励まされて
−米国における集中治療トレーニングの経験−
市立堺病院麻酔科 部長 はじめに
私は2006〜2007年にかけて米国フロリダ大学麻酔
科外科系集中治療部でのフェローシップトレーニング
を受ける機会に恵まれました。すでに少し昔の話にな
りますが、今後多くの若手麻酔科医の先生方が海外で
の臨床経験を積まれることを切に望み、今回寄稿させ
ていただくことにしました。
高 橋 完
渡米して半年ほどが経ちラボでの仕事にも慣れてき
たころ、近所のラボの外国人医師留学生が皆こぞって
米国の医師国家試験である USMLE(United States
Medical Licensing Examination)の受験勉強をしてい
ることを知り、最初は冷やかし半分だった私もとうと
う米国で臨床研修することを目標にしてUSMLEに挑
戦することにしました。家族にも迷惑をかけながらラ
ボでの仕事の合間を縫って勉強した結果、なんとか
USMLE Step 1 〜Step 3 まで全ての試験に合格し、念
世界の中心から究極の田舎へ
2003年12月からニューヨークのアルバート・アイン
シュタイン医科大学神経科学科に研究留学していた私
は世界の中心と言われるマンハッタンでの生活を謳歌
していました。摩天楼やセントラルパークの散策、ブ
ロードウェイのミュージカルなど娯楽に事欠かない大
都会での生活は生来遊び好きな私にとって本当に魅力
的でした。
願であった ECFMG(Educational Commission for
Foreign Medical Graduates)を取得しました。
その後、全米中の大学や病院に手紙やメールを送っ
てポジションを探したところ、運よくフロリダ大学麻
酔科外科系集中治療部の Chairmanである Dr. Joseph
Layonと出会い、レジデンシーをskipして ICUクリニ
カル・フェローとして採用されることになりました。
ビザの変更とフロリダ州トレーニングライセンスの
手続きを行った後、2006年 3 月にまだ雪の残るニュー
ヨークを後にし、すでに初夏の雰囲気すら漂うフロリ
ダに移りました。
フロリダ大学シャンズ病院とCCMチーム
フロリダ大学シャンズ病院(Shands at UF)は別名
「Sunshine State」と呼ばれるフロリダ州の北西部に位
置するゲインズビルにあります。ゲインズビルは人口
約10万人の森と湖に囲まれた大変美しい大学町です。
娯楽が少ないのが難点ですが、北米ワニ「Alligator」
に由来する大学の「Gators」と呼ばれるスポーツチー
ムの観戦は大変人気があります。また、日本でも有名
Fig.1. フロリダ大学シャンズ病院の屋上から
病院の周囲には巨大な亜熱帯林が広がる。
なスポーツドリンク「Gatorade」もフロリダ大学の腎
臓内科が開発したそうです。
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A net
Vol.15 No.2 2011
Fig.2. フットボール「Gators」の試合
Fig.3. 仲間のフェローたちと
スタジアムはチームカラーであるオレンジブルーで埋め尽くされる。
前職ArmyのJack(左)と前職ERナースのVirgil(右)。みな人生経験豊富である。
シャンズ病院は創立約50年の歴史があり本院の総
その後、チームに分かれて回診していくのですが、
ベッド数は618床ですが急性期ベッド数が多く、外科
「回診」と言っても患者の状態を診て歩くのではなく
系集中治療部(critical care medicine:CCM)チームは
「教育回診」ですから、ここでもわれわれは指導医か
Surgical ICU(SICU)42床、Burn ICU 8 床、Neuro-
ら質問攻めに遭うことになります。昼前に回診が終了
surgical ICU 10床、IMC(intermediate care unit)36
すれば当直チームの交代となり、午後は患者の処置や
床、それから高圧酸素治療部と約100床を管理してい
術後患者の受け入れと忙しくなっていきます。その間
ます。当時、CCMチームには指導医 8 名、フェロー 6
も院内CPA(心肺機能停止)のコールがあれば病院中
名が在籍しており、レジデントは麻酔科や外科系各科
を走り回らなければならず、本当の当直帯が始まる夕
からのローテーターでした。シャンズ病院はLevel 1
方にはすでに足は棒のようでした。夜間は世界中の
trauma centerでもあり、SICUには大手術後の患者だ
ICUどこでも同じように急変患者や緊急入室の対応に
けではなく、交通多発外傷、重症熱傷、銃創や刺創な
追われることになり、仮眠する時間はほとんど取れま
どの患者が救急車やヘリコプターで毎日引っ切り無し
せんでした。
に搬送されてきました。
“SICU戦場”の 1 日
フロリダでのスローライフ
ゲインズビルはフロリダ州の中でもマイアミのよう
米国の病院の朝は非常に早くから始まります。ICU
な大都会とは違う田舎町ですから、忙しい病院を一歩
患者のレントゲン撮影は午前 3 時半から、レジデントの
外に出るとそこには亜熱帯林が広がり、時間も本当に
患者診察は午前 5 時から開始され、われわれフェロー
ゆっくり流れているように感じました。当直は 3 〜 4
も 7 時頃には当日担当を予定している患者を回診しま
日に 1 回ありますからdutyが終わっても居残って仕事
す。その後、ベッド・コントロール、モーニング・カン
をするのが美徳? とされる日本での生活とは異なり、
ファレンスと“戦場”の朝が明けていきます。モーニ
当直が明けた午後はさっさと帰宅してアパートメント
ング・カンファレンスは problem based conferenceの
街にあるプールでのんびり過ごしました。病院では言
形式をとっており、新入室患者や当直帯にトラブルが
葉の壁もあって多くの困難にぶち当たりましたが、
発生した患者についてフェローが司会しながら症例提
プールサイドで眺めた真っ青な空と南中高度の高い太
示を行い、背景にある病態生理について指導医が講義
陽はタフな研修で心身ともに疲れきった私を励まし、
を進めていきます。その際、レジデントやフェローは
また癒してくれました。日本からは地球の裏側に近い
質問攻めに遭うため眠くてもなかなか気が抜けませ
そんな緑あふれる田舎で生活してみると、日本の大学
ん。また、レクチャーも毎朝開催され、指導医だけで
病院での煩わしかった出来事や人生の悩みなども小さ
なくレジデントやフェローもテーマを与えられて講義
なことのように感じ、何だか生きる活力が湧いてくる
を担当します。
ようでした。
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海外体験記
米国の臨床医学は最高か?
が始まって8年になりますが、教育の面では米国と比
べて何十年も遅れており、学ぶべきことが多いと言わ
21世紀は「アジアの時代」といわれています。確か
ざるを得ないでしょう。このことは米国やカナダで臨
に世界の金融・経済の重心はかつて繁栄を極めた米国
床医学を学ばれた先輩達が異口同音に述べておられま
からアジア
(正確に言えば中国?)
に移ってきているよ
す。残念ながら学会や医学雑誌からはこの大きな「差」
うです。さて、それでは臨床医学についてはどうでしょ
を実感することはできません。ですから、若手の先生
うか? まだまだ米国が覇権を握っているように思いま
方は短期研修等とにかくどのような形でもよいので米
す。私は決して米国至上主義者ではありませんし、外
国やカナダの臨床医学の門をたたいてチャンスを掴
科系に限れば移植やロボット手術以外の医療の内容は
み、是非自分の目で見て肌で感じていただきたいと思
それほど差を感じませんでした。実際、手技的な面で
います。
はわれわれ日本人の方が丁寧で優れているのではない
2010年度ノーベル化学賞を受賞された根岸英一博士
かと考えます。また、米国の医療も経済不況や皆保険
も受賞決定直後のインタビューで「若者よ、海外に出
制度の不備から混乱をきたしているという現状もあり
でよ!」と海外で学ぶことの重要性を訴えておられま
ます。
した。狭い島国である日本にいると意識することはあ
しかし、私が強調したいのはやはり医学教育の充実
りませんが、米国には世界中からモチベーションの高
度、そのレベルの高さです。レジデントやフェローは
い医師が集まり日夜、切磋琢磨しているのです。われ
豊富な数の症例に暴露され徹底的に教育されます。米
われも是非彼らを意識しながら日々の臨床・教育を実
国の臨床医学はこの世界最高レベルの教育システムに
践していこうではありませんか?
裏打ちされているのです。わが国でも新臨床研修制度
Profile
高 橋 完 たかはし かん
略歴
1992年:滋賀医科大学医学部卒業 1998年:滋賀医科大学大学院修了
2002年:滋賀医科大学集中治療部 助手
2003年:アルバート・アインシュタイン医科大学神経科学科 リサーチ・フェロー
2006年:フロリダ大学麻酔科外科系集中治療部 クリニカル・フェロー
2010年:市立堺病院麻酔科 部長
趣味:立ち読み。本屋さんでなら何時間でも過ごすことができます。
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