ISSN 0389-5254 2007 No.3 MAY JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 平成19年5月7日 会 員 各 位 社団法人 会 日本航空機操縦士協会 長 萩 尾 裕 康 第回通常総会開催通知書 拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 さて、 平成19年度通常総会を下記のとおり開催いたしますので、 ご出席賜りたくご通知 申し上げます。 なお総会終了後、 記念講演ならびに懇親パーティーを開催いたします。 正会員の方で、 当日出席いただけない場合は、 別封ハガキで通知いたしました議案事項 について書面表決権行使書により表決をお願いいたします。 また他の正会員を代理人とし て総会で表決される場合は同じく委任状をご提出下さいますようお願い申し上げます。 記 1. 日 時 平成19年5月24日 (木) 13時30分開場 2. 場 所 羽田空港第1旅客ターミナルビル 交 案 内 (ビッグバード内) 東京モノレール 浜松町駅から羽田空港第一ビル駅下車。 ガレリア6F ギャラクシーホール 京浜急行 京浜急行空港線終点羽田空港駅下車。 リムジンバス 東京八重洲口・新宿、 池袋、 赤坂地区・ 東京シティエアターミナル・成田空港な どから直通バスがあります。 京急バス 横浜駅・新横浜駅・川崎駅・蒲田駅・千 葉駅・木更津駅などからバスがあります。 Tel. 03−5757−8181 3. 総 通 会 「議案」 14時∼15時30分 第1号議案 平成18年度事業報告及び 決算報告について 第2号議案 平成19年度事業計画及び 予算案について 第3号議案 役員の一部交代について 4. 記念講演 16時∼17時30分 「小惑星探査機 はやぶさの挑戦」 宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 宇宙科学研究本部 深宇宙探査センター長 工学博士 5. 懇親パーティー 川口淳一郎 氏 18時∼20時 【お願い】 別封ハガキの【総会出席届】【書面表決権行使書】【委任状】について、 該当される部分にご記入の 上、 5月23日 (水) 必着でご郵送下さい。 但し、 所属される会社等のメールボックスをご利用いただい ている方はメールボックス付近に置いてあります投票箱に5月22日 (火) までに入れていただいても結 構です。 第42回通常総会への第42期出席予定理事 (役 職) 会 長 副 会 長 副 会 長 副 会 長 専務理事 常務理事 常務理事 常務理事 常務理事 常務理事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 (氏 名) 萩 尾 増 田 橋 本 薬師寺 白 石 相 原 楠 本 小井戸 中 島 根 本 宇田川 大久保 大 澤 川久保 蔵 岡 小 暮 後 藤 管 鈴 木 田 頭 高 野 千 葉 野 口 花 田 樋 口 平 山 藤 田 山 本 吉 田 脇 裕 康 奉 和 百合博 進 豊 樹 浩 人 晋 一 弘 清 一 裕 一 雅 之 高 一 朗 剛 賢 治 義 昭 達 也 聖 英 明 勝 英 夫 博 茂 義 博 孝 順 永 徳 開 偉 俊 嗣 秀 生 徹 博 幸 操縦士協会のめざすもの (第204回理事会決議) 1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保 につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促 進する」 ことです。 2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛 される航空を実現する」 というビジョンを描いています。 3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。 航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、 社会全体で安全意識を高めて行くこと) 地球環境と航空の発展との調和を図る。 航空に携わるもの同士が心を通わせ共存共栄を図る。 第42期 (平成18年度) 重点施策 協会活動活性化に向けた取り組み ・公益事業の推進 ・会員に対する広報活動等の充実 ・委員会活動・支部活動の活性化 (人材の育成) ・交流の促進 (共存共栄) 航空の安全文化構築の促進等 ・学習する文化構築の促進 (航空安全講習会・各種研究会等の実施) ・報告する文化構築の促進 (自発的安全報告制度の活性化等) ・必要な情報が行き渡る文化構築の促進 (HP 等による安全情報の周知) ・ヒューマン・ファクターの理解促進 ・GA 機の運航環境整備への取り組み ・航空事故再発防止を優先させる観点から、 事故機乗員の刑事訴追に関し事故調査報 告書の使用を禁止する取組み 協会組織運営体制の再構築 ・協会の事業運営のあり方に対する検討 ・会員状況の確実な把握、 事務局体制の強化 ・規程の遵守、 理事の役割分担にもとづく効率的な組織運営 ・確実な協会監査体制の充実 ・情報管理体制の改善・強化 操縦士協会は会員を募集しています。 JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。 目的 本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を 行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。 協会の会員は、 下記のように分かれます。 正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。 賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操 縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。 正会員の会費;60歳未満:月額 1,700円 (内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費) 60歳以上:月額 1,500円:協会運営費 個人賛助会員; 月額 1,500円:協会運営費 法人賛助会員: 一口年額 50,000円:協会運営費 入会すると? ①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手 ②航空関連商品 (書籍等) の割引購入 ③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加 ④協会契約割引施設の利用 お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。 皆様のご入会をお待ち致しております! 社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected] Home page URL http://www.japa.or.jp/ 日石三菱● 至虎ノ門 入 口 は こ ち ら 側 に あ り ま す 1 階 ● サ ー ク ル K ︵ コ ン ビ ニ ︶ 日 本 航 空 機 操 縦 士 協 会 事 務 所 歩道橋 そ ば や ● ● 小 里 会 館 西 高 楼 飯 店 ●ベ カ ロフ ーェ チ・ ェ ●航空会館 ●JTB りそな銀行 ● 外堀通り ● 三 井 住 友 日 本 酸 素 ● ● 森 ビ ル 20 内 幸 ● みずほ銀行 町 駅 三 菱 東 京 U F J 銀 行 赤 レ ン ガ 通 り 烏森通り ● マ ク ド ナ ル ド 至銀座 NTTドコモ ● ■ 汽 車 ● ● 八 洲 電 気 至東京 ニ ュ ー 新 橋 ビ ル J R 新 橋 駅 烏森口 キムラヤ● 至品川 CONTENTS No.302 4 2007 No.3 MAY おじさんロシア奮戦記 68 −この歳になっても訓練生− 副会長 5 薬師寺 −雑食性パイロットの飛行カバンから− 涌井カレン・増田 進 特集 73 シニア・パイロットのエピソード (第13回) 「特攻訓練中に終戦 管制官そして民間航空へ」 有働 武俊 そらのみちくさ オススメ!情報ボックス 書籍 & Goods 紹介 74 FAI ニュース 奥貫 12 博 航空気象 VFR 飛行のための気象情報 1. ブリーフィングを受けてみよう 航空気象委員会 75 RNAV の空 −第2回− 航空交通管理センターと 航空交通気象センターとの協調的意思決定 原 開催予告 見学会・講演会開催のお知らせ 76 21 興司 開催予告 航空教室開催のお知らせ 航空を目指すあなたに贈る先輩からのメッセージ 基 77 開催報告 小型航空機安全セミナー 26 事故を斬る −第2回− 安全への真摯なアプローチ 西日本支部 航空安全委員会 35 78 開催報告 平成19年度 FT 委員会総会・ 第28回フライトテスト・シンポジウム GA:ジェネアビ情報 失速 FT 委員会 奥貫 41 博 79 JAPA 通信 82 会員証更新について World Safety Report CALLBACK Number327 47 HUMAN A. D. Heliprops 83 JAPA SHOP 52 寄稿 84 空中衝突の防止 85 JAPA で飛行訓練を! 失速/スピンにまつわる伝承 内海 55 昌浩 JAPA のシミュレーター Flight Training Device 出張調査報告 ジェネラルアビエーション競技会 「平成19年4月7日 於枕崎空港」 FTD 訓練室 奥貫 58 地球環境問題関連用語の解説 59 航空史曼陀羅 博 10 86 JAPA Aerial Photo Exhibition 88 編集後記 その17. アメリア・イヤーハート伝説 徳田 65 忠成 寄稿 急性心筋梗塞から生還 −その後の1年− K. I. 記 社団 法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION おじさんロシア奮戦記 −この歳になっても訓練生− 社団法人 日本航空機操縦士協会副会長 薬師寺 ここはロシア!モスクワの北東約30km に位 置するチカロフスキーという村で、 その近くに 私が受けるヘリコプターの訓練センターがあり ます。 この辺までくると当然英語は通じず、 片言の ロシア語だけが唯一の頼みの綱になります。 書 いてある字が読めず、 よって発音も出来ません。 筆談で憶えた言葉をカタカナにして発音します が、 これがまた難解で舌が回りません。 そこで おじさん流の憶える工夫をし てみました。 「ちょっと おねがいしま す。 失礼します」 は 「イズミ ニューチヤー」 と言います。 これを日本流に 「泉 (いずみ) 兄ちゃん」 で十分つうじます。 ホテルのガードマンに、 トイ レに行きたいので、 LAVATORY?REST ROOM?と 聞いたのですが、 相手は両手 を上げて判らないふりをしま す。 早く用をすませたい私は 「困ったなー!トイレは何処 だろう?」 と呟いたら、 ガードマンがあっちと 指差します、 ○○も凍りそうな野外に行かない で済みました。 チカロフスキーの村は宇宙の町に近く、 空軍 の飛行場があり、 その他は広大な農地と白樺林 に囲まれた所です。 街道の脇に実物大のミグ21 が地上高く空を向いて飾ってあります。 碑には 「飛行士万歳」 とかかれています。 機体メーカーで聞いた、 おもろいエピソード、 をお話します。 ソビエト時代、 ヘリコプターの 4 2007 MAY 進 開発研究者が三人いたそうです。 その名前はシ コルスキーさん、 ミルさん、 カモフさんで、 三 人が開発をしていました。 シコルスキーさんと ミルさんはアンチトルクローターを有するヘリ コプターの研究をしており、 カモフさんは同軸 反転式回転翼機の研究をしておりました。 シコ ルスキーさんは途中から米国に渡り、 今日ある シコルスキー社製機体の元になりました。 国内 ではミルヘリコプターとカモフヘリコプターが 開発を続けて、 今日に至って います。 そうです!人の名前 が航空機の型式になっていた のです。 それと、 もしカモフ さんがアメリカに行っていた ら、 世界のヘリコプターの大 半は同軸反転のヘリコプター になっていたことでしょう、 とのお話しでした。 少し訓練についてお話しま す。 授業はロシア語で行なわ れ、 それを通訳が日本語に直 す形で進みます。 質問すると 話の内容がどんどん違う方向 に行ってしまうので、 先生もイライラしてくる し、 こちらもだんだん、 眉間に元からある皺が 更に増え、 質問の語気もきつくなってきます。 ついには英語で直接問い掛けると、 今度は通訳 が 「日本語をしゃべってください」 と怒りだす 始末です。 そんなわけで、 早い話のペースに我 慢しながらの毎日を過ごしています。 −おじさん (おじいさん?) も忍耐の日々− 写真はバクトバンジンを記念した 「飛行士万歳」 の碑。 特集 (第13回) 特攻訓練中に終戦 管制官そして民間航空へ 元全日空機長・元協会会長 1944年 有働 中等練習機の前で 始めに PIlLOT 誌編集委員から、 元全日空機長有働 武俊さんにインタビューする依頼がきました。 インタビューに先立ち、 お会いしたい旨お願い しましたが、 体調が優れないとの事。 著書を読 めば全て分かるとの事でした。 そこで今回は氏 の著書 (鳳文書林:回想 「わが翼」) と、 航空 管制五十年史を参考に、 不明な点は電話や FAX で補い、 インタビュー形式にまとめまし た。 (元全日空/NCA 機長 有野 達也) “航空交通管制の役割は、 航空の安全確保、 航 空交通の秩序の維持、 空域の有効活用等、 近年 益々重要になってきている。 第二次世界大戦の 敗戦後、 日本の航空活動が禁止されていた時期、 元操縦士を中心に航空再開に備えて活動が始まっ ていた。 最初は連合軍の為に飛行場の整備、 保 安施設の整備など、 縁の下の活動から始まった。 その後航空再開に際し管制官の候補として飛行 の経験のある、 元操縦士から指名されることに なった。” 有働さんはそのような元操縦士の一人である。 (航空管制50年史より) 航空略歴 生年:昭和2年1月 出身:熊本県宇土郡三角町郡浦 昭和20年:逓信省高等航空機乗員養成所操縦科卒 昭和22年:逓信省航空保安部 武俊 2002年 昭和27年:第1期航空管制官 昭和28年∼31年:管制官兼ヘリコプター操縦教官 昭和31年:極東航空 (全日空) 入社 昭和32年:社命により航空大学校専修科入学 昭和32年:副操縦士発令 昭和35年:機長昇格 以後、 訓練部次長、 大阪続いて東京空港支店 第1乗員部部長、 乗員訓練センター所長、 航務 本部副本部長兼東京乗員室長兼東京空港支店副 支店長等要職を歴任 昭和61年:L1011機長で定年 (総飛行時間17,900時間余) 昭和62年:黄綬褒章受賞 昭和63年:日本操縦士協会副会長 平成4年:日本操縦士協会会長 平成9年:航空功績章受賞 (日本航空協会) 全日空での乗務機種 デ・ハビランド・ダブ、 デ・ハビランド・ヘ ロン、 DC3、 フォッカー F27フレンドシップ、 B727、 L1011トライスター 操縦士を志す 有野:本日は戦後の日本の航空再開に際しご活 躍された、 有働さんにお話をお聞きいたします。 有働さんは元パイロットで、 航空管制官の1期 生として訓練を受けられました。 始めにパイロッ トになりたいと思われた動機から伺います。 有働:小学生の頃ですが多分支那事変 (日中戦 争) での爆撃機だったと思います。 操縦席を撮っ たニュース映画を見て、 パイロットになりたい 2007 MAY 5 という気持ちが湧いてきました。 中学生になっ て益々その思いが強くなり、 パイロットになれ る道を探し始めました。 有野:当時、 パイロットになる道はどの位あっ たのでしょうか。 有働:陸海軍の中でのパイロット・コースはい ろいろありましたが、 身体が基準に満たない。 身体を鍛えましたよ。 結局、 逓信省の 「航空機 乗員養成所」 に狙いを定め合格する事ができま した。 昭和17年4月に都城地方航空機乗員養成 所に入所しましたが、 前年に太平洋戦争が勃発。 入所の前日に米軍による空襲がありました。 都 城で初等訓練、 中等訓練と進み米子に移りまし た。 そして松戸高等航空機乗員養成支所で、 一 等航空機操縦士になりました。 中等訓練機前で 有野:乗員養成所の性格も戦争中と言う事で変 わっていったんでしょうね。 有働:その施設とか、 教育内容、 体制などから 見ても、 軍の予備役的性格を持っていたと思い ます。 卒業を間近にした頃、 卒業後の軍隊での 進路希望調査が行われ、 暗に 「特攻隊」 を希望 するように言われたものです。 有野:結局何処を希望されたのですか。 有働:悩んだ末第一希望を 「戦闘隊」、 第二希 望を 「特攻隊」 と書きましたね。 有野:実戦に出られたのですか。 有働:昭和20年6月に卒業しましたが、 所沢陸 軍輸送部の 「帥第34201部隊」 に配属になりま 6 2007 MAY した。 それから幾らもしない内に、 新潟派遣隊 へ転属になりました。 これは 「特攻隊」 への転 属でした。 卒業後所沢へ出頭する前に、 一時帰 郷しましたが母親も休暇の理由に察しがついて いたようですね。 新潟で特攻の訓練が始まりま したが、 急に訓練が中止になりました。 終戦で す。 結局3年半以上も、 心血を注いで手に入れ た 「一等航空機操縦士」 の免状は、 一度も使う 事がなかったのです。 終戦で故郷へ 有野:終戦後はどうしておられましたか。 有働:復員してからは、 故郷で家族そろってぎ りぎりの生活をしていましたね。 母親は時々箪 笥の中から、 大切にしていた着物を引っ張り出 しては、 農家へ持って行き、 食料と交換してい ました。 有野:飛行機に乗る事を考えた事がありました か。 有働:いや、 それよりもなによりも日本はどう なってしまうのか、 皆心配している時です。 近 隣の町に住む長老に、 これからは良い時代にな ると励まされ、 少し気が楽になったものです。 しかし、 毎日の生活に追われて飛行機のことな どとても考えられませんでした。 航空保安部に採用される 有野:悶々とした毎日を送っておられたようで すね。 有働:そんな毎日を送っていましたが、 昭和22 年の春、 一通の手紙が届きました。 航空保安部 という所で働いている、 元教官の園山さんから でした。 アメリカは日本の航空は永久に許可し ないと言っているが、 いつかは必ず 「日本の翼」 を取り戻さなければならない。 それが何時にな るか分からないが、 航空の再開のために一緒に 働かないか、 という内容でした。 私はその話に 直ぐに飛びつきました。 有野:前からの身分は続いていたのですか。 有働:いいえ、 戦後の混乱で組織は色々変わり ましたが、 私達と逓信省との縁は切れていまし た。 そこで航空保安部へ書類を出して新しく採 用されたのです。 元教官だった方々が、 航空の 再開の為に既に活動を始めていたわけです。 有野:最初に赴任されたのは何処ですか。 有働:航空保安部徳島出張所でした。 船、 汽車、 バスを乗り継いで漸く到着しましたが、 飛行場 は残骸が広がる焼け野原。 爆撃の凄まじさを実 感しました。 たった一軒焼け残った、 戦争中の 戦闘指揮所が事務所で、 元教官が2人おられま した。 そのほかに元通信士2名の計5名で活動 を開始しました。 有野:そこでの業務とはどんなものだったので すか。 有働:主業務は 「連合軍に接収された旧海軍航 空隊跡地を保安管理し、 連合軍の使用に耐える ように常時準備しておくこと」 でした。 他にも 色々な部署との調整業務もありました。 生活物 資が乏しく惨めでした。 爆撃跡の水溜りの鮒を 釣って蛋白質の補充をした事もありました。 有野:徳島には何時までおられましたか。 有働:翌昭和23年4月に、 東京の航空保安部に 転勤、 そのまま 「日米会話学院」 に委託生とし て、 英会話の勉強に送りこまれました。 大学か ら続けて勉強している人たちはともかく、 我々 のような畑違いの出身者には並大抵の苦労では ありませんでした。 親戚の家から通学していた のですが、 夜に復習や予習をしようにも停電が 日常茶飯事。 それでも街灯だけは点いていたの で、 その明かりの下で勉強をしたものです。 有野: 「蛍の光、 窓の雪」 の街灯版ですね。 勉 強はどれ位続いたのですか。 有働:半年です。 卒業してからは、 羽田基地の 米軍の倉庫に配属されました。 しかしその半年 の猛勉強と、 食料不足の所為で、 身体を壊して しまい、 自宅療養を命じられてしまいました。 故郷で美味い魚を毎日食べていたら、 体力も回 復してきました。 昭和24年2月に 「福岡航空保 安事務所」 に転勤しました。 「福岡航空保安事 務所」 は九州における航空保安業務の総元締め でした。 勤務地は西戸崎キャンプ、 志賀島レー ダー基地を管轄していました。 このレーダーは 野間池基地にて 朝鮮半島と中国大陸を睨む強力なものでしたが、 間もなく志賀島レーダー基地の補強が始まりま した。 その半年後に朝鮮戦争が勃発、 米軍は朝 鮮戦争を予期していたのでしょうね。 有野:米軍の情報収集能力は凄かったんですね。 有働:そうですね。 私は英語力をさらに高めよ うと、 鹿児島の野間池出張所に転勤を願い出て 受理されました。 野間池はレーダー基地で米兵 は30人程。 隊長はトーマス中尉でパイロットで したが間もなく朝鮮戦争に送られ、 ソ連のミグ 戦闘機に食われて、 名誉の戦死を遂げてしまい ました。 少し痩せ型の紳士で敬虔なクリスチャ ンでした。 私はある日、 作業中に腰椎を打撲、 歩行が不自由になり、 福岡航空保安事務所に転 勤しました。 有野:基地ではどのような業務をされていたの ですか。 有働:基地内では土木、 建築、 電気、 ボイラー 等の日本人作業者が働いていました。 日本人の 最高責任者として、 彼らを指揮監督する事でし た。 腰痛を抱えながら26年春再度東京へ転勤、 航 空保安庁航務科配属になりました。 再入学した 「日米会話学院高等科」 を卒業しました。 前年 に朝鮮戦争が勃発して、 この頃になると何とな く航空の再開の機運が感じられるようになりま した。 航空再開準備の為アメリカやイギリスの 2007 MAY 7 航空法の翻訳などを始めました。 こっそりと写 してきた、 四つ切サイズの写真から読み取った のですが、 大変でしたね。 航空の 「コ」 の字も 言えなかった頃からすると大変な様変わりでし た。 航空交通管制官へ 有野:それから航空交通管制官の要員に指名さ れたのですね。 有働:昭和27年春に航空再開の為に温存されて きた元パイロット14人と、 元通信士4人の合計 18人が、 航空交通管制官要員に指名されたので す。 その前に3人の元パイロットが管制官の指 導要員として、 教育を受けにアメリカへ派遣さ れました。 その3人の教官が我々の教育をして くれました。 有野:皆さんの反応は如何でしたか。 有働:皆、 大反対。 いざ航空再開になったら、 又パイロットに復帰したいと思っている者ばか りでしたからね。 有野:それでどうなりましたか。 有働:空の完全独立には自主運航と管制権の獲 得が必然ですから。 即戦力として戦中の搭乗経 験者から選ぶ以外は考えられなかったので、 幹 部も頭を抱えてしまいました。 「本来の管制官 が誕生するまでの指導要員」 と言う事で漸く納 得して、 第1期生の訓練が始まりました。 有野:同じ1期生には私も存じ上げている全日 空の元 CAP. が居られますね。 CAB の井前さ んもそうですね。 有働:私の他に5人が全日空です。 有野:その他の皆さんは JAL ですか。 有働:多分そうだったと思います。 有野:元パイロットからの要員指名は何時まで 続きましたか。 有働:元パイロットと通信士は、 第1期生だけ で、 2期生の13名、 3期生の18名は航空局職員 から指名されました。 4期生からは一般公募で 外部から採用されるようになりました。 有野:学科の内容はいかがでしたか。 有働:米国航空法、 航空路管制、 飛行場管制、 8 2007 MAY 第1期生模擬管制実技訓練 航空無線施設、 気象通報方式が5パーツとよば れて、 テキストはパイオニアグループが米国で 使ったものを、 藁半紙にコピーしたもので全部 英文でした。 後半には空港模型や模擬管制塔を 使用して、 模擬管制実技訓練も行われました。 有野:難しかったですか。 有働:それ以前からこっそりともたらされた資 料により、 GCA とか ILS 等の言葉は知ってい ましたが概念が分からない。 結局分かったのは、 実機で実物に触れてからでしたね。 航空無線施 設では、 電気工学、 電波工学が難しかったです。 元通信士にはお手の物だったと思いますが、 我々 パイロットにはラジオの配線は難解でした。 こ の教育で最初に頭に叩き込まれたのは、 「航空 交通管制業務」 の真意でした。 「飛ぶのを許可 する」 という取り締まりではなく、 「パイロッ トが飛行するのを手助けする」 ということでし た。 有野:教育期間はどの位でしたか。 有働:我々は航空経験者という事で、 基礎教育 を免除され、 約4ヶ月で管制官としての過程を 修了しました。 有野:英語では苦労をされましたか。 有働:苦労しませんでした。 なにしろ 「日米会 話学院」 で苦労しましたからね。 有野:戦前、 戦時中に日本にいわゆる航空交通 管制がありましたか。 有働:いいえありませんでした。 ある歴史上の事実 ベルリン空輸 有野:航空再開時の資料の GCA, とか ILS そ の他の航行援助施設や機上設備は、 日本が航空 を禁止されている間に発達したのですか。 有働:米軍ではそれらの技術が出来上がりつつ あったようですが、 禁止期間中に格段の発達を したのだと思います。 それに関してはこんなこ とからも察せられますよ。 ベルリンは米、 英、 仏、 ソが占領していました。 ソ連は昭和23年6 月に西ドイツからベルリンに至る道路と鉄道を 封鎖しました。 有名な 「ベルリン封鎖」 です。 その時に主に米軍機は限られた航空路の精密な ナビゲーションと精密進入を行って物資の空輸 大作戦を行ったのです。 封鎖は約1年続いたの ですが、 その間に約27万回以上の空輸が行われ たそうです。 最盛期には1分間に1機が着陸し たという資料もあります (その後ベルリンも東 西に分断された)。 ですから航行援助施設や機 上設備、 それに航空交通管制もでき上がってい たのではないでしょうか。 後に実物に触れての 事ですが、 VHF, UHF 通信機の性能の良さに は驚嘆したものです。 戦時中の日本では、 せい ぜい短波による 「トン・ツー」 でしたからね。 有野:前後してしまいましたが、 戦時中の日本 の計器飛行はどの程度行われていたのですか。 有働:私達は勿論殆ど有視界飛行。 計器飛行と いってもせいぜい針とボールと速度、 それにマ グネティック・コンパスによる直線飛行ぐらい でした。 もっとも戦前の日本航空では行われて いたようですが、 どの程度精密だったのかは知 りません。 ある歴史上の事実 「もく星号」 事故 有野:この時期最も印象に残った出来事があり ますか。 有働:教育を受け初めて間もなくの、 日本航空 の 「もく星号」 の事故 (昭和27年4月9日) は 衝撃でした。 ノースウェスト航空への委託運航 とはいえ、 やっと手に入れた 「日本の翼」 だっ たのに。 我々を教育して下さった、 木暮教官が もく星号 (マーチン202型機) この事故を飛行計画、 気象情報などを根拠にあ らゆる解析を試みてくれました。 正に生きた教 材でした。 しかし、 衝突した大島の三原山の標高は2400フィー ト。 最初の指定高度が2000フィート。 何処まで 2000フィートなのか、 機長と管制との間で解釈 のやり取りがあったようです。 日本人操縦士な ら三原山の高さが分かっていたはずだ等と、 話 題になりました。 事故調査でも米軍の壁に阻ま れたのです。 管制官の教官に 有野:直ぐに管制官として配属されたのですか。 有働:いいえ。 私とあと2人の3人が管制官の 教官要員として本局に残りました。 その他の15 人は在日米軍の運用する飛行場の管制塔や GCA に訓練生として派遣され OJT を受けま した (最初はタワーのガラス磨きや床のワック スかけなど、 雑用から始まったとのエピソード もある)。 昭和27年7月1日に、 羽田飛行場が 米軍から日本に返還されました。 東京国際空港 の誕生です。 当日、 その記念に私がアメリカ人 管制官からマイクを受け取り、 日本人操縦の青 木航空や新聞社の日本機に対して日本語で管制 を行いました。 まさに劇的な事でした。 有野:嬉しかったでしょうね。 有働:うれしかったです。 しかし、 羽田空港は 日本に返還されたといっても、 管制は未だアメ リカ人の手によって行われていました (管制権 は昭和33年7月に日本に移管された)。 2007 MAY 9 助っ人管制官パイロット 有働:使用事業の青木航空のベテラン・パイロッ トは、 羽田飛行場での離着陸時の英語による管 制通信で苦労をしていました。 そこで我々が副 操縦士として乗り組み、 管制を受け持ったので す。 教官をしていた3人が代わるがわる応援に 行きましたね。 7年ぶりに飛行機に乗れるとい う事で、 正に有頂天でした。 有野:なにかエピソードがありますか。 有働:そうですね。 ある日、 セスナ170で長野、 松本、 上高地方面に宣伝ビラを撒きに行った時 のことです。 台風の接近を知らずに出かけてし まいました。 本当は気象台に寄って、 ブリーフィ ングを受けなければ、 フライトプランは提出で きないのに、 誤魔化してしまった。 離陸したら 凄い揺れ、 元パイロットの癖に吐いてしまいま した。 しかし事はそれだけではなかったんです。 松本飛行場で燃料やビラを補給。 途中でビラ撒 きをしながら、 東京に向かったのですが行く手 は一面の雲、 終いには自分の位置が分からなく なってしまいました。 燃料計の針は零を指して いるし、 やっとこさっとこ羽田に帰る事ができ ましたが、 手抜きはいけない、 誤魔化しは駄目 と肝に銘じましたね。 有野:他に何か。 有働:三菱重工長崎造船所の写真撮影に行った 時の事です。 我々が関門海峡に差し掛かった頃、 離陸前に入手していた天気予報と違って、 天気 が大きく崩れ初めていました。 暗雲に阻まれて 結局、 防府飛行場に不時着する事になってしま いました。 交信は全く問題なく着陸、 プロペラ を止めると、 つばの広い帽子を被った兵士が、 小銃を構えて近づき 「ホールド・アップ」 を命 じました。 防府飛行場はオーストラリア軍が占 領していたのです。 生まれて初めての 「ホール ド・アップ」 でした。 ヘリコプターの資格取得・教官・助っ人 有働:昭和27年暮からヘリコプターの訓練に投 入されました。 新聞社や日ペリのヘリコプター 10 2007 MAY ベル47D 初教官として 訓練に航空局から私1人が参加する事になった わけです。 機種はベル47D でした。 有野:私には経験がないのですが、 ヘリはどん なでしたか。 有働:先ずおどろいたのは操縦桿の重さでした。 腹に力を入れて握りましたね。 それとヘリで一 番の難関はグランド・エフェクトでした。 「ど こへ行くかはヘリに聞いてくれ」 といった状態 でした。 実機訓練は1ヶ月程かかりました。 有野:訓練が終わってからは、 どうされたので すか。 有働:海上保安庁、 その後西日本空輸のパイロッ トの訓練教官を行いました。 海上保安庁の訓練 しののめ は、 管制官の教官もやりながらでした。 東雲で 訓練をして、 終わったらジープに飛び乗って本 庁の教室に駆けつける。 とにかく忙しかった。 若かったからできたんですね。 有野:印象に残っていることがありますか。 有働:ヘリのパイロットが少ない頃ですから、 公務員の私には色々な業務飛行の依頼がきまし た。 そんなある日のフライトですが、 馬の一団を 上空から追いかけるシーンの映画撮影で、 危う く電線に引っ掛りそうになりました。 とっさの 緊急停止操作で危機一髪難を逃れる事ができま した。 もう一回はエンジン停止。 オートローテー ションで道路上への不時着時にもやはり電線に 引っ掛りそうになりました。 電線が網の目のよ うに張り巡らされていたのです。 どうやってそ れを潜り抜けたのか、 これも間一髪でしたね。 民間で30年 有野:私の高校の同期のお兄さんが14期生でし たが、 何期生まで教えられたのですか。 有働:13期生までです。 有野:元パイロットの皆さんは全員パイロット に復帰されたのですか。 有働:旧パイロットの殆どがパイロットに復帰 して、 各方面に散っていきました。 私は昭和31 年に極東航空に入社しました。 社命で航空大学 校の専修科に入学し、 リフレッシュ訓練と、 計 器飛行の訓練を受けました。 悪天候の中、 GCA, ILS でのアプローチで雲が切れた途端に 目の前に滑走路が現れる。 その素晴らしさがよ うやく理解できました。 それと横風時の片車輪 着陸も戦時中に習得していない新しい操縦技術 でした。 航空大学校を卒業して、 短期間で副操 縦士に昇格しました。 昭和35年に DC3型機で 夜間郵便機の機長に昇格しました。 昭和38年に 東京へ転勤して以来、 訓練部門に長いこと携わ りましたね。 有野:印象に残っているフライトは如何ですか。 有働:私がまだ副操縦士の時、 機種は DC3で した。 路線は福岡―岩国―大阪。 岩国の離陸直 後にエンジンが火災を起こしました。 キャプテ ンのすぐれた操縦により、 無事引き返す事がで きました。 それから生涯のラスト・フライトで す。 路線は東京―熊本―大阪―東京を選定しま した。 良い天気の当日、 故郷の熊本で大勢の人 に迎えられ、 大阪でも皆さんにお別れを言う事 DC3 L1011トライスター ができました。 東京でも大いに祝っていただき ました。 それからこれはフライトそのものではないの ですが、 L1011トライスター機の素晴らしさで す。 空飛ぶコンピューター。 そのオートランディ ングは正に理想的でした。 着陸が許されるギリ ギリの悪天候下でも絶対の信頼がおけましたね。 素晴らしい飛行機でラスト・フライトができて 幸せでした。 有野:私もその素晴らしさを体験する事ができ ました。 最後にこれからの航空界にアドバイス がありましたら、 お願いいたします。 有働:航空の基本はあくまでも安全です。 その ためには規則の遵守と過信をしないことです。 「だろう、 よかろう、 事故の元」 と戦時中から 教わってきました。 有野:ありがとうございました。 写真提供:有働氏 ラスト・フライト 熊本にて 2007 MAY 11 象 気 航空 C TE H Ta l k VFR 飛行のための気象情報 1. ブリーフィングを 受けてみよう 航空気象委員会※ ●VFR 飛行のための気象情報 今月からの航空気象 TECH TALK では、 主 に PPL (自家用操縦士) の方を対象に、 VFR で飛行する際に必要な気象の知識についてシリー ズで特集していきます。 今回は、 今年度 JAPA で実施している 「航 空安全講習会」 で使用している CRM Video 教 材の Flight 事例を紹介し、 この事例を元に次 回から具体的な気象の見方についてのお話しを していきます。 この Video の主人公は佐藤さん。 10数年前 に国内で PPL (自家用操縦士) ライセンスを 取り、 毎月のようにフライトを楽しんでいるベ テランですが、 少々おっちょこちょい。 もう一 人は佐藤さんの姪の吉澤さん。 昨年アメリカで ライセンスを取ったばかりですが、 勉強家で知 識も技量も抜群。 せっかちなのが玉に瑕。 ね、 Hさんに〈簡単に〉天気を読む方法を習 おうと思って……。 H予報官:簡単な方法なんて無いですよ。 でも、 フライト前の短い時間で予想を立てるには…… 佐藤:そうそう、 僕らでもフライト前は何かと 忙しくって。 一緒に行った吉澤さんに気象は 見てもらったんだけど。 降水確率は0%だっ たし。 油断しちゃったかなあ。 U:それじゃあ、 今日の気象委員会ではまず、 そ のお話聞かせてもらいましょうか。 佐藤さん。 佐藤:はい。 さて、 その佐藤さんが久しぶりに航空気象委 員会に顔を出しました。 ●航空気象委員会にて ●2007年4月 XX 日 佐藤:おはようございます。 U機長:佐藤さん、 お久しぶりですねえ!最近 飛んでますか? 佐藤:このあいだ、 秋田まで行ったんですけど、 イヤイヤ、 大変な目に遭っちゃったんですよ! U:前回いらした時は鳥に当たった話だったけ ど、 今度は UFO にでも当たったんですか? 佐藤:そんな訳ないでしょ。 危ないも危なくな いも、 イヤもう大変で……フライトであんな 怖い思いをしたのは初めてでしたよ。 それで PPL の佐藤さんが機長で、 これから吉澤さ んと秋田空港に飛ぶ予定です。 ※ 山本 12 秀生 2007 MAY 調布飛行場 吉澤:佐藤さん、 おはようございます。 佐藤:おはよう!きょうは丁度、 前線も抜け て……ちょっと風はあるけどいい天気だねえ。 今朝の天気予報でも、 東北地方は晴れで、 降 水確率0%だって。 吉澤:私も天気予報見たんですけど。 絶好のフ ライト日和ですね。 秋田空港まで友達が迎え に来てくれるんですけど、 予定通りに行きま すってメール打っておきましたよ。 佐藤:飛行には支障はないけど、 一応、 ウェザー チェックお願いします。 私はフライトプラン を入れて機体点検をやっておきますから。 吉澤:わかりました。 佐藤:燃料は向こうで入れましょう。 どうせ向こ うで入れなきゃならないから1回にしましょう。 前回は満タンにして2時間ちょっと飛んだから 16ガロン消費。 残は24ガロン。 3時間15分あ るでしょう。 秋田まで240nm でせいぜい2時 間半。 予備燃料は、 45分はあるから充分だね。 AM 10:00 出発準備中 吉澤:秋田・山形の METAR お願いします。 調布: これが東北地方の現況です。 そしてこ れが関東。 今のところ、 顕著なレーダーエコー 等はありません。 機体の前で 吉澤:佐藤さん、 お待たせ!ウェザーは問題あ りませんでした。 佐藤:今日は問題ないでしょう。 Before Takeoff Checklist 実施中 佐藤:FUEL QUANTITY…Checked そうそう、 今日は燃料管理をしっかりするた めに上がったら燃料タンクを左右切り替てね。 吉澤:はい。 FSC:JA4133 Report when ready. 佐藤:Chofu Flight Service, JA4133 ready. FSC:JA4133 Wind 270 at 15, runway is Clear. (まだ Checklist は終わっていませんでした……) AM 10:30 -T/O ∼ピコピコピコ∼ 吉澤:アッ、 すいません、 ちょっとごめんなさい! (携帯を取って) もしもし、 ウン。 メール見 てくれた?いい天気でしょ?こっちもいい天 気。 楽しみにしているね。 予定通りにいくか らね。 待っててね。 吉澤: (時計を見て) あっ、 すいません、 大丈 夫そうですね。 それじゃあどうも! 調布:・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ AM 11:15 那須上空 佐藤:いやあ、 順調だねえ。 那須を過ぎたので7,500ft まで上昇します。 那須の予定時刻もピッタリ。 いい天気だなあ。 今日でよかったねえ。 吉澤:ええ。 ほんとうにいいお天気。 7500ft に到達後 佐藤:いや∼上昇中はやけに揺れたねえ。 吉澤:結構揺れましたよね。 佐藤:さっきはエルロンを一杯に使っても傾き が止まらなかったからね。 でも、 この高度に達したら静かになったね。 快適、 快適。 佐藤:では Cruise Check。 Fuel Quantity…… 2007 MAY 13 あれっ、 思ったより少ないなあ。 まあ計器の 誤差もあるし。 大丈夫だろう。 AM 11:40 吉澤:急に下に雲がでてきましたねえ。 佐藤:塞がれてきたなあ。 こんな時は VOR。 山形 YTE で113.0, OBS (Omni Bearing Selector: Course Select Knob) は015°にセッ ト。 しばらくして 佐藤:あれ、 針が左にずれてるなあ。 こんな時 は OBS をまわして針が真ん中にきたところ のヘディングに合わせれば、 山形に直行だ! またしばらくして 佐藤:あれ、 何か機体が傾くなあ。 あっ、 燃料 コック!忘れてた。 14 2007 MAY 吉澤:佐藤さん、 大丈夫よ。 最悪はバタコック で切り替えても間に合うんだから。 佐藤:バタコック? 吉澤:いきなりエンジンが不調になるのは、 燃 料コックの切り替え忘れの燃料切れが多いん だって。 だからエンジンがバタバタってきた ら、 まず燃料コックを切り替えてみる、 先人 の教えよね。 佐藤:バタバタ・コックでバタコックってか! 吉澤:ところで佐藤さん、 ミクスチャー大丈夫 ですか? 佐藤:あれ、 また VOR の針がずれてるなあ。 こ ん な 時 は OBS を ま た 回 し て … … OBS 005°と。 ヘディングも左に……。 PM 12:10 山形上空 佐藤:左方向、 5nm くらいかなあ。 空港が見 えるぞ。 山形だ。 やっぱ、 VOR を使うと、 確実に空港に出られるねえ。 では、 空港のアビームでタイムチェック、 秋 田に向けて変針。 う∼ん、 10分くらい遅れて いるね。 まあ大丈夫だろう。 この先も雲だなあ。 秋田は……雄和 VOR 110.65。 UWE 確認、 OBS 003°っと。 しばらくして 佐藤:あれれ……やっぱり針がずれるなあ。 雲の隙間だ。 この辺の山は低いから、 位置確 認のために降下してみようか。 吉澤:でも、 ここ……どの辺ですか? 佐藤:山形過ぎたんだから、 もうすぐ秋田でしょ う。 大丈夫、 大丈夫! PM 12:40 吉澤:ねえ佐藤さん、 左前方に大きい町見えま すよねえ。 (チャートを取って) あれ新庄じゃ ないですか? 佐藤:10時の方向? 吉澤:ええと予定のコースだと、 新庄の真上を 通過するはずですから、 コースから10nm く らい右にずれているのかなあ。 風が予想以上 に強いんですね。 この地点からダイレクトに 秋田に向かうと、 途中に4500ft の山があり ますね。 この高度なら危ないですね。 やっぱ り、 計画のコースに戻したほうが良いですね。 だっけ? (ほとんど泣き声) 吉澤:えーと、 003°ですから、 ヘディングで 315°、 45度カットしてどうでしょうか、 OBS に003°をセットして、 CDI が真ん中にきた らヘディング350°にしてしばらく飛んでみ てください。 偏流修正角マイナス12∼13°で トラッキングできるでしょう。 佐藤:了解。 315°ね。 ここまで結構時間かかっ ているから、 ついでに GS と秋田の ETA お 願い!!! (しばらくコンピュータを回して) 吉澤:え∼と、 山形からここまで GS が90kt で、 予想よりだいぶ風が強かったですね。 今 ま で の 飛 行 時 間 2 時 間 15 分 。 こ の あ と の ETA は45°カットして、 UWE のラジアル 183°に乗っけたとして、 もうあと50分とな りますね。 佐藤:トータルで3時間5分か。 予備燃料は10 分程度になるね。 (ひきつりながらも) フフフ大丈夫、 大丈夫。 山形に戻っても時間はかかるし、 だいたい山 形には降りたことないし……ははは (力なく)。 吉澤:大丈夫ですよ。 VOR でしっかり偏流を 取っていけば大丈夫ですよ。 友達も心配して いるといけないから、 最短コースで行きましょ う。 PM 13:25 佐藤:そうか。 計画のコースは、 針路、 いくつ 2007 MAY 15 佐藤:ようやく見えてきたなあ。 もう7∼8分 か。 それにしても燃料計の下がりが早いなあ。 上昇にも結構パワー使ったし……ミクスチャー、 もう少し絞れば良かったかなあ……。 ギリギリだねえ。 吉澤:まだまだ大丈夫ですよ!EMPTY になっ てからもしばらくは飛べますから! 佐藤:ダウンウィンドの高度はいくらだっけ? 吉澤:えーと、 1300ft です。 佐藤:ダウンウィンドの下は民家だよね。 ラン ウェイのエレベーションは300ft。 途中でエ ンストしても大丈夫なように高めで行きましょ う。 最低で2000ft だよね。 佐藤:ここで待たされると、 燃料ぎりぎりだか ら、 高いけどこのまま降りるね。 ここは Runway 長いから何とかなるよ。 吉澤:そうですよ、 真ん中くらいにはつきます よ。 それにしても……高 い で す ね。 ダウンウィンドで 佐藤:パワー絞ればすぐ下がるから大丈夫。 エ ンストしたら取り返しがつかないですからね。 吉澤:その通り。 安全対策が一番ですものね。 それにしても、 高さは充分ですね。 (ひきつっ ている) 佐藤:大丈夫・大丈夫。 (自分に言い聞かせる ように) 佐藤:ここでゴーアラウンドすると、 燃料危な いから、 とにかく降ろすよ! TWR : JA4133 Make Short, No.2 Traffic B737 Approaching to KENDI. 佐 藤 : Akita Tower JA4133 Roger, Make Short Now turning Left Base. 16 2007 MAY U:ワッハハハハ!!! 佐藤:笑い事じゃないですよ。 H:本当に危機一髪だったんですね。 佐藤:そうなんですよ。 あそこでゴーアラウン ドしていたら、 本当に燃料なくなって、 バタ コックじゃなくて、 バタ・ドカンで、 今頃こ こには来れなかったんですから! U:そりゃそうですね。 すみません。 ちょっと 笑いすぎました。 エアラインでも、 ハマったっ ていうか、 悪いことが重なってパスが高くなっ たりスピードが出過ぎたりしても無理に降り てしまう事例って結構あるんですよ。 佐藤:そうなんだ。 良かった∼。 私の技量はエ アライン・キャプテン並みということで……。 U:そういう訳じゃないんですけど……。 O副操縦士:僕も昔、 セスナに乗っていて、 雲 が切れなくて空港の真上に出てしまったので、 アイドルで無理矢理降りてなんとか滑走路内 に停まった途端にエンジンがプスンと止まっ ちゃったことがあるんですよ。 佐藤:へえ、 その時も燃料かい? O:いいえ、 キャブ・ヒート引いていなかった んで、 キャブ・アイシングだったみたいです よ。 佐藤: それも恐いなあ……。 滑走路上で停止して 佐藤:良かった……2500m に助けられた……。 調布じゃ完全に飛び出すとこだった∼ 吉澤:佐藤さん、 お疲れ様でした。 さすがに押 えどころ (だけ) は良かったと思いますよ。 TWR : JA4133 Taxi via T-5 Immediately, Traffic B737 3nm Final. 吉澤:ほら佐藤さん、 後ろ。 ラインのトラフィッ ク来てますよ! 佐藤:あ・あ・あ…… U:この話は気象だけじゃなくて、 燃料計画、 航法・トラッキング、 Stabilized Approach など、 イロイロな問題が詰まっていますね。 OBS を回したらホーミングになって燃料食っ ちゃいますよ。 そろそろ、 安全講習会出たほ うがいいんじゃないですか? 佐藤:そうだねえ。 安全には自信を持っていた んだけど。 U:ところで、 出発前の気象ブリーフィングは 吉澤さんが受けたんですか。 佐藤:いやー、 行かなかった私も悪いんだけど、 後で聞いたら、 ブリーフィングの途中で秋田 の友達から携帯に電話がかかってきて、 話し 込んじゃってよく聞かなかったらしいよ。 いや、 その友達がまさに秋田美人で、 本当に無 事に着いてよかった! H:いくら秋田美人が待っているからって、 無 理しちゃダメですよ。 やっぱり、 機長として ブリーフィングに参加するのが基本ですよ。 あと10分早くから準備を始めれば良いんです から。 上空で風が強いことも、 雲が増えるこ とも事前に知っていれば対応ができたはずで 2007 MAY 17 すよね。 佐藤:そうなんだよな。 いつもは心に余裕をもっ てフライトしているのに、 飛び上がってしま うとつい舞い上がっちゃうんだよな。 吉澤さ んも煽てるのが上手いし。 O:でも、 吉澤さんには随分助けられましたね。 佐藤:気が強いのに、 そそっかしいんだよね。 ところで、 到着地の天候は TAF, METAR で予測できるし、 エンルートは衛星画像、 レ ダーエコー図を見れば推測できるでしょう? H:現況から見ると、 簡単に VMC が継続する だろう、 って考えちゃうんですよ。 そして、 IMC より VMC のほうが遥かに多いわけで すから、 大抵は VMC で済んでしまい、 「ほ ら、 大丈夫だろう」 って楽観的に考えるよう になってしまうんですよ。 佐藤:でも天気図だけでもこんなに種類がある し、 専門的過ぎて分らないですよ。 H:もちろん全部を見る必要はありません。 こ の図からは何を読み取れるのか勉強すること も必要ですが、 今日のフライトに影響しそう な要因は何なのか予め予想しておいて、 それ を見つけるには、 どの図から読み取ることが できるのかを知ることが大切でしょう。 それ ぞれの天気図については次回以降お話ししま す。 ここで、 航空気象官署とブリーフィングのお 話しをしましょう。 最低限チェックしておきたい天気図は 地上解析図、 850hPa、 700hPa、 500hPa 面 解析図、 解析雨量、 降水短時間予報図などです。 気象官署では大型旅客機や定期航空機だけでな く、 小型機のパイロットにも、 航空機の大小や フライトの目的に関係なくブリーフィングが受 けられます。 ブリーフィングには *気象官署に出向いての対面のブリーフィング *電話による口頭のブリーフィング *FSC を通じた無線でのブリーフィング 以上をすべて含んでいます。 この中で電話による口頭のブリーフィングを 受ける場合は天気図、 レーダー、 衛星画像、 ア メダス等の資料を予め準備し、 目で見て確認し ながら説明を受けると効果的です。 そして、 出発地、 到着地、 ルート、 飛行高度、 18 2007 MAY VFR であること、 代替飛行場、 出発・到着予 定時刻を伝え、 更に資料から状況・疑問点等を 質問することで、 より精度の高い情報が得られ ます。 数値予報からは種々の予測が読みとれますが、 航空気象で問題となる 「悪天」 のほとんどが小 規模な現象であり、 これは局地的な解析と予想 が必要となります。 局地的な天気 (短時間、 地上∼850hPa 間) 風、 乱気流 (突風、 山岳波) 小規模な雲 局地的降水 これらの局地的な現象も考慮しながら TAF を作成する訳ですが、 TAF も全ての気象現象 を網羅しているわけではないので注意が必要で す。 詳 し く は PILOT 誌 2002 No.5 SEP 「 TAF SPECI にこめられたシグナルを読む」 に書か れています。 TAF がない場合は気象官署のブリーフィン グで情報を収集する必要があります。 気象官署 では 「地域航空気象解説報」 が利用できます。 「地域航空気象解説報」 とは、 今年3月18日 より配信が開始された情報で、 表1の地域内の 航空気象官署の所在する全ての飛行場について の、 「カテゴリー予想」 が含まれます。 その内 容は、 ・卓越視程の最小値 (VIS) ・雲量5/8以上の最低雲層の雲底の高さ (CIG) ・発雷 (TS) の有無 についての予測を3時間単位でカテゴリー化し、 わかりやすく表形式に示したものです。 各カテゴリーの基準は表2に示すとおりです。 表1. 地域航空気象解説報の地域名と発表官署 地域名 発表官署 北海道地域 新千歳航空測候所 東北地域 仙台航空測候所 関東・中部地域 東京航空地方気象台 近畿・中国・四国地域 関西航空地方気象台 九州地域 福岡航空測候所 沖縄地域 那覇航空測候所 表2. カテゴリー予想の階級基準 VIS< 1.6km 1.6km≦ VIS<5km VIS≧ 5km CIG< 600ft CAV2 CAV2 CAV2 600ft≦ CIG< 1000ft CAV2 CAV1 CAV1 CIG≧ 1000ft CAV2 CAV1 CAV0 ※CAV…Ceiling and Visibility の略。 最後に、 気象は常に変化しているという特性 を理解しておくことも必要です。 気象状態は10分、 20分で変わります。 このような中でデータすべてを自分で判断す る必要はありません。 むしろ気象官署を有効に 利用し、 活用しましょう。 佐藤:そうか、 ブリーフィングねえ。 エアライ ンではディスパッチャー (運航管理者) が便 ごとにブリーフィングしてくれるんでしょ? U:ところが、 最近はそうでもないんですよ。 ディスパッチャーは東京のオペレーションコ ントロールに配置されているので、 羽田です ら直接ブリーフィングを受けることはできな いんです。 コンピュータ端末から C-PIREP をはじめ、 様々なデータが入手できますし、 専門のブリーフィングをする職員も居ますが、 計画を立てる人と説明する人が違うので、 微 妙なニュアンスが伝わらなかったり……。 佐藤:お互いに大変なんですねえ∼。 次号に続く 注:調布には気象官署はありませんが、 調 布飛行場管理事務所で航空気象業務を行っ ており、 ブリーフィングが受けられます。 いよいよ次号以降、 具体的な天気図や気象情 報の利用についてのお話に入っていきます。 航空気象委員会では、 皆様のご意見・ご感想を お待ちしております。 特に実際に VFR で飛行 されている方々の体験談は、 大変に貴重です。 [email protected] までお寄せください。 図1. 地域航空気象解説報 (関東・中部地域) の例 2007 MAY 19 出雲空港出張所 0853 720508 岡山空港出張所 0862943030 電話番号 広島空港出張所 0848 868232 新千歳航空測候所 0123457711 徳島空港出張所 0886992680 紋別空港分室 0158241017 高松空港出張所 0878792230 丘珠空港出張所 0117814595 松山空港出張所 0899737565 函館空港出張所 0138574003 高知空港出張所 0888632768 釧路空港出張所 0154578053 帯広空港出張所 0155645280 山口宇部空港出張所 0836 211818 稚内空港出張所 0162262638 北九州空港出張所 0934717651 旭川空港出張所 0166832222 佐賀空港出張所 0952 460500 女満別空港出張所 0152742353 長崎空港出張所 0957 522300 中標津空港出張所 0153722662 対馬空港出張所 0920 543392 0223832821 福江空港出張所 0959 723287 青森空港出張所 0177392241 熊本空港出張所 0962322851 三沢空港出張所 0176539426 大分空港出張所 0978 671190 花巻空港出張所 0198262018 宮崎空港出張所 0985 512985 秋田空港出張所 0188863136 奄美空港出張所 0997 630244 大館能代空港出張所 0186632704 種子島空港出張所 0997 275010 庄内空港出張所 0234924134 鹿児島航空測候所 0995582644 山形空港出張所 0237481115 屋久島測候所 0997435320 福島空港出張所 0247571122 沖永良部測候所 0997920239 成田航空地方気象台 0476326612 那覇航空測候所 0988588210 東京航空地方気象台 0357579680 石垣空港出張所 0980822498 大島空港分室 0499221498 宮古空港出張所 0980723055 松本空港分室 0263582520 下地島空港出張所 0980784970 東京ヘリポート出張所 0335215954 久米島空港出張所 0989853050 八丈島空港出張所 0499620449 新潟空港出張所 0252740564 富山空港出張所 0764953075 能登空港出張所 0768261372 中部航空地方気象台 0569380004 天草空港 0969576111 大阪航空測候所 0668527600 岡南飛行場 0862623233 関西航空地方気象台 0724551259 但馬飛行場 0796261500 八尾空港出張所 0729223915 調布飛行場 0422300031 神戸空港出張所 0783036150 広島西飛行場 j 0822325161 南紀白浜空港出張所 0739424326 鳥取空港出張所 0857280455 石見空港出張所 0856235448 表3. 気象官署一覧 (気象庁職員がいてブリーフィ ングが受けられる空港) 気象官署 仙台航空測候所 20 2007 MAY 福岡航空測候所 0926213588 表4. 気象協会等から気象情報の提供が受けられる 空港 施設名 電話番号 RNAVの 空 新シリーズ 第2回 JAPA 運航技術委員会 航空交通管理センターと 航空交通気象センターとの協調的意思決定 気象庁予報部予報課航空予報室 航空交通気象センター技術専門官 原 基 2007年1月号に ICAO の取り組みを中心にご紹介しましたが、 今回は2005年 (平成17年) 10月に発足した航空交通管理 (ATM) センターについてご紹介します。 ATM センターと RNAV の空 についての関わりは次回以降、 折に触れて述べていきますが、 今回は CDM (情報の共有による協調) についてです。 航空交通管理センターと 航空交通気象センターについて 国土交通省航空交通管理センター (ATMC: Air Traffic Management Center) は、 増大 する航空需要と航空機運航におけるニーズの多 様化に的確に対応するため、 2005年 (平成17年) 10月1日に管制業務の総合調整機関として設置 されました。 ATMC の主な業務は、 次の3つです。 ①航空交通流管理:飛行計画経路の設定・調整 や管制処理容量と交通需要とのバランスを調 節して適正な交通流を形成する ②空域管理:自衛隊や米軍との空域使用調整、 民間訓練試験空域の使用調整等空域の安全か つ効率的な運用を図る ③洋上管理:太平洋上の洋上管制等を実施 ATMC が気象の状況を考慮した業務を遂行 するうえで、 気象庁は相互に緊密に連携し協力 する必要があることから、 2005年 (平成17年) 10月1日に気象庁本庁組織として同一敷地内に 航空交通気象センター (ATMetC:Air Traf- ATMC を中心とした CDM 2007 MAY 21 fic Meteorology Center) を設置し、 業務を開 始しました。 ここでは1年を経過した現在、 ATMC 及び ATMetC がどのように連携して業務を行って いるのかをお伝えしたいと思います。 ATM における協調的意思決定 ICAO では、 増大する航空交通量に対して効 率的な航空機の運航を実現するためには、 関係 者が共通の状況認識を持ったうえで、 それぞれ の役割と責任のもとで協調的に意思決定を行う 仕組み (CDM:Collaborative Decision Making) が極めて重要とされています。 我が国でもこのような ATM 運用概念を積 極的に導入することとしています。 この CDM を実現するため、 2006年 (平成18年) 2月16日 から、 ATMC 運用室において、 ATMC の航空 交通管理管制官 (以下 「管理管制官」 という)、 航空交通管理管制運航情報官、 航空交通管理管 制技術官、 防衛省の連絡幹部及び ATMetC の 予報官らが約1300m2 (45m×30m) の運用室に 一堂に会し、 それぞれの業務を行うこととなり ました。 なお、 航空交通管制部 (ACC)、 空港事務所、 外国の管制機関及び航空会社等に対しては、 電 話や専用端末等により綿密に調整・情報交換を 行っています。 運用室で業務する ATMetC の職員 (手前の2名): 部屋の前方に情報共有のための100インチの大画面 が8面設置されている 交通流管理と気象との関係 管理管制官が航空交通流管理業務を行ううえ で気象情報は不可欠です。 例えば、 東京国際空港 (以下 「羽田」 という) で雷により着陸ができなくなった場合、 交通量 が多いため、 羽田から遠く離れた場所でも空中 待機が発生することがあります。 このような状 況になると、 管制官の作業負荷が大きくなりま す。 また、 飛行中の待ち時間が長くなり、 余計 な燃料を消費することになります。 これは航空 会社にとって非効率であり、 余分な二酸化炭素 の排出により環境にも悪影響を及ぼします。 ま た、 羽田のように交通量が多い空港は、 一度交 気象により影響を受ける航空交通 (斜字は交通流制御の方法) 22 2007 MAY 羽田の気象条件による使用滑走路と30分間当たりの 着陸機の容量値 羽田の雷雨により遠隔地でも空中待機が発生してい る例 (破線内) 通流が乱れてしまうと最終便まで影響が及ぶこ とがあり、 時には欠航となることもあります。 これを回避するためには、 羽田行きの航空機の 出発を一時的に停止させたり、 出発時刻を遅ら せる等の適切な交通流制御が必要となります。 成田国際空港 (以下 「成田」 という) の場合 は、 航空機の大半が国外から飛行してくるため、 羽田行きのように出発時刻を調整する制御がで きません。 そのため、 成田到着機について、 成 田アプローチに入るまでに飛行速度を落とした り、 入域間隔を広げる等の交通流制御を行うこ とにより、 成田への交通量を調整する方法がと られています。 最近では国際航空交通流管理と して、 成田や関西国際空港が悪天で着陸できな い等の場合、 インチョン FIR や台北 FIR から 福岡 FIR に入域する航空機に対して、 入域間 隔を指定する制御が行われることがあります。 航空路上に積乱雲が発生した場合は、 デビエー ションを要求する航空機が多くなったり、 隣接 するセクターからの航空機の集中によって、 当 該セクターの管制官の作業負荷が大きくなるこ とがあります。 そのようなセクターを通過する 航空機に対しては、 出発時刻を遅らせたり、 飛 行前に経路を別ルートに変更する等の交通流管 理が行われています。 このように雷や積乱雲は交通流に最も影響を 及ぼす気象現象ですが、 羽田についてはシビア な現象でなくても交通流が乱れる場合がありま す。 その理由は、 気象条件により使用滑走路が 変わり、 着陸可能な機数が変化するからです。 具体的には、 着陸滑走路が RWY34L/R の場 合は、 30分間当たりの着陸機の容量値は17機、 RWY16L では15機を基本としています。 これ が南よりの風でかつ低視程・低シーリングにな ると、 RWY22への ILS 進入になる場合があり、 着陸機の容量値がさらに低下することにより交 通流が乱れる場合があります。 このように羽田 は詳細な予報が必要とされています。 ATMetC における気象ブリーフィング ATMetC の予報官が ATMC の管理管制官 等にブリーフィングを行う際には、 気象が航空 交通流にどのように影響するのかを十分理解し、 航空交通流の状況を踏まえつつ適切なタイミン グで行うことが必要となります。 そのため、 ATMetC の職員は気象の知識以外に基本的な 航空管制の知識を理解したり、 交通流に影響を 及ぼした事例について詳しく調査を行う等して、 適切なブリーフィングを行うよう努めています。 ATMetC では 「航空交通気象時系列予想」 という気象情報を発表してブリーフィングにも 活用しています。 これは気象による航空交通流 への影響が発生する可能性について、 「非常に 高い、 高い、 やや高い、 低い」 の4段階のカテ ゴリーを色 「赤、 黄、 青、 色なし」 で表現した ものです。 この情報の特徴の一つは、 ACC の セクター毎に気象予測を行っていることで、 1 時間毎に6時間先まで毎時 (夜間の一部は除く) 作成し、 ATMC の運用室の大画面に表示して 情報共有しています。 2007 MAY 23 風が時計回りに急激に強まる予想でした。 同様 な状況は2006年10月6日にもありました。 その 当時も上空の強風の影響で航空機のセパレーショ ンを一定間隔に保ちにくくなり、 東京アプロー チ内のレーダー誘導が困難になりました。 航空交通気象時系列予想 (運用室大画面用) ATMC と ATMetC の担当者は、 お互い話し 合いながら今回はこの事例と似ていることを理 解しました。 管理管制官は予報官による07UTC の気象ブ リーフィングを受けて、 東京アプローチ内及び 関係するセクターによる空中待機、 最悪の場合 は羽田行きの航空機の出発停止も想定しました。 そして、 このシナリオを羽田や東京 ACC の管 制官に伝え情報共有した後、 羽田の交通量の多 い時間帯に対してあらかじめ着陸機の容量値を 下げました。 その後、 交通流を監視しつつ悪天 のピークが過ぎる頃から、 順次受けた気象ブリー フィングを考慮し、 管理管制官は着陸機の容量 値を上げていく処理を行いました。 結果として、 予想どおり一時レーダー誘導が 困難になりましたが、 正確な気象予測と積極的 な気象情報の提供、 管理管制官、 東京 ACC 及 び羽田の管制官の的確かつ臨機応変な対応によ り、 空中待機は発生せず、 終日円滑な交通流が 保たれました。 ACC セクター 航空交通気象時系列予想は、 航空気象情報提 供システムにより、 JAL や ANA のオペーレー ションコントロールセンター等航空会社でも閲 覧できるようになっています。 悪天に対する CDM の現状 ここで CDM により航空交通管理が円滑にいっ た事例 (2006年12月26日) を紹介します。 当日は日本の南海上を低気圧が発達しながら 北東進し、 房総半島付近で内陸からの北風と海 上からの南東風が収束した沿岸前線が発生して いました。 この前線は10UTC には次第に北上 し、 木更津付近では地上から5000ft にかけて 24 2007 MAY 2006年12月26日0700UTC の気象ブリーフィングに用い た図 (09UTC 風予想は房総半島★地点上空の予想風) より良い CDM に向けて 管理管制官は、 気象庁の予報官と同じ運用室 で業務を行う以前は、 交通流の乱れの原因が気 象にあるのかないのか、 すぐには理解できない こともあったそうです。 現在はそのような場面 に遭遇してもお互い情報を共有しながら、 予報 官から直接解説を聞くことができます。 交通流 の乱れの要因が気象によるならば、 今後同じ気 象が予想される時には事前に適切な対応がとれ る可能性があります。 CDM を上手に行っていくためには、 ①双方で交通流に影響が大きかった事例につい て調査し、 情報を共有する ②交通流に影響する気象現象が予報されている 場合、 事前にその予報がどの程度当たるのか について説明し、 予報と異なる考えがある場 合は、 その可能性も含めて情報共有しておく (想定される複数の気象シナリオを事前に頭 に入れておくと、 状況が急変した場合でも対 応が円滑に行える) ③気象予測には幅 (誤差) があることを管理管 制官が勘案し、 常に最新の気象情報を考慮し ながら早めの対応をとる の3点が重要と考えています。 ATMetC は ATMC とより高度な航空交通 流管理の実現を目指して、 一層 CDM を推し進 めていく所存です。 【RNAV 分科会記】 今回は ATMC の中の ATMetC についての記事をご紹介しました。 パイロットが飛んでいる時に ATMC を意識するのは、 FLOW CONTROL (交通流管理) がかか る時だと思いますが、 悪天候が原因となっている時には本稿のような連携があることもご理解いた だけたと思います。 地球環境 (CO2排出削減) の面からも今後の一層の連携が期待されるところで はないでしょうか。 今後 RNAV の空 での交通量の増加に従い、 ATMC の役割はますます重要になってくるもの と思われます。 次回以降は、 国交省の RNAV/ATM 推進協議会の報告の内容を随時、 皆様にお知らせする予定 です。 2007 MAY 25 第2回 ―第2回― 安全への真摯なアプローチ 航空安全委員会 ここ数年の統計によると、 航空事故総数は横ばいで、 その主な要因にヒューマンファクターがあ げられています。 このような状況を受けて、 航空局は先般、 小型機の事故防止に対する通達を出して、 注意喚起を 行ったところです。 今回は離着陸訓練に焦点を当ててみることにしました。 第1回と同じ訓練中の事故です。 訓練生 は米国での訓練実績があり、 固定脚機から引き込み脚のボナンザ36への機種移行と事業用操縦士技 能証明取得のための訓練でした。 日本における訓練環境やシラバス等、 皆さんはどのようにお考えですか? AA20072 航空事故調査報告書 ビーチクラフト式 B36TC 型 連続離着陸訓練中、 誤ってギアレバーをアップへ 1. 航空事故の概要 株式会社ノエビアアビエーション所属ビーチ クラフト式 B36TC 型 JA4321は、 平成18年5 月25日 (木)、 訓練のため、 教官と訓練生の計 2名が搭乗し、 八尾空港において連続離着陸訓 練を実施中、 接地後の滑走中に脚上げ操作をし たため、 胴体着陸となり、 滑走路灯に衝突した 後、 14時53分ごろ滑走路のショルダーにかく座 して停止した。 機体は中破したが火災の発生はなく、 搭乗者 の負傷もなかった。 2. 認定した事実 2. 1 飛行の経過 株式会社ノエビアアビエーション (以下 「同 社」 という。) 所属ビーチクラフト式 B36TC 型 (通称:ボナンザ36) JA4321 (以下 「同機」 26 2007 MAY という。) は、 平成18年5月25日、 事業用操縦 士技能証明取得訓練のため、 教官である機長が 右席、 訓練生が左席に着座して、 13時50分八尾 空港を離陸した。 離陸後訓練空域において空中操作の訓練を行っ た後、 八尾空港に戻り連続離着陸訓練を行って いた。 本事故は、 4回目の接地後の滑走中に発生し た。 事故に至る経過は、 管制交信記録、 関係者 の口述及び訓練状況を録画するべく機内に持ち 込まれていたビデオカメラの記録によれば、 概 略次のとおりであった。 なお、 ビデオカメラの記録に係る時刻は、 ビ デオカメラに録音されていた管制交信と管制交 信記録の時刻を照合して特定した。 管制交信記録及びビデオカメラ記録 14時52分59.1秒 同53分01.8秒 同同02.6秒 同同05.9秒 同同06.2秒 同同08.9秒 同同09.0秒 同同14.5秒 同同16.5秒 同同16.9秒 同同18.9秒 同同47.0秒 14時54分 主脚接地 前脚接地 フラップ上げ開始 機首上げ姿勢 失速警報作動 プロペラが滑走路と接触 失速警報停止、 胴体滑走開始 滑走路灯に衝突 機体停止 脚警報作動 脚警報停止 滑走路閉鎖の宣言 消防車の出動要請 教官の口述 訓練生は、 平成18年5月12日から訓練を開始 し前日までに12回の訓練飛行を実施していた。 本事故時の訓練飛行は、 13時30分から14時30 分まで、 訓練空域において空中操作、 14時30分 から15時まで、 八尾空港において連続離着陸訓 練を予定していた。 訓練空域では、 デパーチャーストール、 急旋 回を行い、 空域離脱は14時30分ごろであった。 その後、 八尾管制圏に移動した。 使用滑走路 は27、 風は当初350°7∼8kt 位であった。 2、 3回目からは、 280°8kt 位と正面に変わって いた。 離着陸回数は、 フルストップも含めて6回を 予定、 本事故が起きたのは4回目であった。 4回目の進入は安定しており、 接地について もグッドランディングと言いたいような状況だっ た。 接地後、 私は機内と機外を交互に見ていたが、 機内に目をやりフラップレバーの次にエレベー タートリム (以下 「トリム」 という。) を見た ところで、 脚ハンドルが上がっているのが見え た。 その瞬間、 私は、 左手でスロットルを全開 にした。 脚ハンドルが上がっているのを見て、 それに反応した。 訓練生が脚ハンドルを操作し たのは見ていない。 スロットルを全開にしたのは、 浮くしかない との判断であった。 滑走中に脚が上がった事故 事例を多数承知しており、 脚上げ操作をしたら これしかないという対応だった。 上 空 で は ス ロ ッ ト ル を 一 定 ( 吸 気 圧 力 17 2007 MAY 27 inHg) 以上にしないと脚が上がらないことは 知っていた。 スロットルを全開にして、 浮揚すると思った が、 浮揚しなかった。 訓練中は直ぐに操縦を替 われるように構えていたが、 操縦桿には手を添 えてはいなかった。 その時は、 どのようにした か覚えていない。 右翼に滑走路灯が当たってはじけるのが見え た後、 機体は停止した。 反射的に手を伸ばして、 バッテリーとオルタネータのスイッチをオフに した。 足元からほこりのようにも煙のようにも 見えるものが上がり、 訓練生に逃げるよう指示 しつつ飛行機から脱出し機体から離れた。 これまでの訓練では、 訓練10日目までは教官 である私がフラップ上げ及びトリムリセットの 操作を実施した。 これは、 訓練生を接地後の方向維持に集中さ せるためであったが、 概ね接地が安定してきた ので、 訓練11日目と12日目 (24日) は訓練生が この操作を実施するようにした。 指導は、 フラップ上げ、 トリムの目盛を見ず に上げ12°∼15°位置から6°位置にリセット、 スロットルをフルパワーまで開く一連操作であっ た。 これまでの訓練では、 脚ハンドルに手を持っ ていくような仕草はなく、 訓練生の操作にミス はなかった。 訓練を通して、 場周経路の飛行については概 ね安定しておりアドバイスすることはなく、 進 入中も 「どこに向かっているの」 という言い方 はしたが、 プレッシャーとなるような言い方は していない。 訓練生の口述 本事故の当日は、 10時30分ごろから事務所で 教官とブリーフィングを行い、 13時30分に出発 し、 最初約1時間は空中操作の訓練を行い、 そ 28 2007 MAY の後14時30分ごろから八尾空港で連続離着陸訓 練を行う予定で、 11時30分ごろフライトプラン を提出した。 13時10分ごろから飛行前点検を行い、 教官を 待っていたが現れず、 出発は13時50分ごろとなっ た。 離陸後、 訓練空域で空中操作の訓練を行い、 14時30分に訓練空域を離脱し、 八尾空港の場周 経路にレフトダウンウィンドから入り、 連続し て3回離着陸訓練を行った。 4回目に、 手前から3番目の接地帯標識に接 地した後、 フラップ上げの操作を行い、 続いて 脚上げの操作を行った。 この誤りは、 教官がス ロットルを上げる前にすぐに気が付いたが、 ど うすればいいのか分からず何もできなかった。 教官がパワーを入れ、 操縦輪が手前に動くの を感じ、 機首が上がったようであったが、 機体 が沈みプロペラが曲がり始め、 胴体滑走音とと もに滑走路の右側に偏向し、 何かに衝突したよ うな音がして停止した。 止まる寸前にスロット ルとミクスチャーを引いたと思う。 完全に停止 し、 機内に白い煙が見えてくると、 教官から逃 げるように指示され、 教官の後を追って外に出 た。 通常、 連続離着陸訓練での接地後の操作は、 フラップ上げ、 トリムを上げ約12°から同約 6°にリセット、 スロットル開、 離陸、 脚上げ の手順で行う。 フラップレバーは上下を指でつまみ、 脚ハン ドルは丸い部分を握り手前に引いて上げ下げの 操作を行う。 トリムは、 ホイールを指でつまむ ときもあれば、 指先を当てて回すときもある。 米国での訓練では、 最初は教官が全ての操作 をしながら飛行し、 飛行後、 緊急操作も含めた 必要な知識の教示後、 訓練生が操縦するという やり方であった。 2. 3 航空機に関する情報 型式:ビーチクラフト式 B36TC 型 総飛行時間:1,905時間55分 2. 4 気象に関する情報 八尾空港管制所から本事故直前に同機に対し 通報された風は風向270°風速9kt であった。 2. 5 事故現場に関する情報 同機は、 滑走路27進入端から約785m の滑走 路北側のショルダーに、 機首を磁方位約280° に向け、 全脚を格納し、 フラップが上げの状態 でわずかに右に傾斜して、 かく座していた。 ト リムは上げ12°、 フラップレバー及び脚ハンド ルは上げの状態であった。 機器の操作を行う場合、 確認して操作し、 操 作して確認するということを徹底して行うよう に指導され、 そのように操作してきた。 しかし、 ここでは、 事前にシステムについて 座学や地上訓練等は何もなく、 操作を体に覚え させ短時間で終わらせるよう指導され、 操作の 前後に機内の機器を目で見て確認することはし ていない。 エンジンをかけたらすぐに自分で操縦させら れ、 これでいいのだろうかと思っていた。 今回、 トリムではなく脚ハンドルに手がいったのは、 飛行中の教官の指導が気になっていたためだと 思う。 米国での訓練機は、 固定式の脚で、 プロ ペラのコントロールはなかったが、 トリムとフ ラップはついていた。 2. 2 航空機乗組員等に関する情報 教官:男性58歳 総飛行時間:11,640時間30分 同型式機による飛行時間:1,717時間35分 訓練生:男性32歳 総飛行時間:253時間14分 同型式機による飛行時間:7時間20分 滑走路上には、 同機のアシストステップ、 胴 体下面及び右主脚内側ドアにより生じた擦過痕 が、 滑走路進入端から約665m の滑走路中心線 付近から、 かく座して停止した位置まで認めら れた。 痕跡の始点から約42m にわたり、 回転する プロペラによるものと思われる打痕が、 擦過痕 に対しほぼ直角方向に、 始点付近で約20cm の 間隔で残っていた。 また、 滑走路27進入端から約775m の滑走路 北側縁に設置してある滑走路灯が破損して、 機 体の右後方に残されていた。 機体の主な部分の損壊状況は、 次のとおりで あった。 主翼 右主翼中央付近の前縁に、 長さ約20cm のへ こみが認められた。 その位置から翼下面後方にかけて、 擦過痕及 びペイントの付着があり、 さらに桁の前部に長 さ約25cm のへこみ、 及びその近くに数個のき 裂が認められた。 へこみ部分の、 外板を桁に取 り付けているリベット10本が欠落し、 その部分 2007 MAY 29 の外板は約5cm の範囲で湾曲していた。 桁の後方に数カ所のへこみ及びき裂が認めら れた。 おいて、 脚が完全に下げ位置に固定されてい ないとき、 スロットルレバーを規定値以下に 絞ると、 断続音による警報が作動する。 胴体 後部胴体を除き下面に擦過痕が認められた。 また、 地上 (①の状況にあるとき) で脚ハ ンドルを上げると、 断続音による警報が作動す る。 下面右側に取り付けてあるアシストステップ は、 取り付け用補強板のネジ5本が脱落し、 補 強板が機体から浮き上がっていた。 ②失速警報は、 飛行中にストールディテクター が失速角度に近づいたことを検知すると、 連 続音による警報が作動する。 プロペラ 全3枚のブレードのうち、 2枚は先端から約 30cm のところで大きく前方へ向けて曲り、 1 枚は先端から約30cm が欠落していた。 いずれのブレードも連結部のピッチチェンジ 機構は損壊していた。 ③脚警報と失速警報が同時に作動するときは、 周波数の異なる断続音と連続音の警報音が交 互に作動する。 2. 6 脚システムの安全装置 脚上げ防止機構 同機の脚システムは、 地上において脚ハンド ルを誤って上げ位置に操作しても、 次のいずれ かの場合には安全装置が作動し、 脚が上がらな いシステムとなっている。 2. 7 脚システムの安全装置に関する飛行規 程上の記述 脚システムの安全装置に関して、 飛行規程第 3章の脚関連部分の注に以下のとおり記述され ている。 注 S/N EA-488以降の航空機は、 スロットルを吸 気圧力が約17inHg 以上になるような位置に操 作しないと脚を上げることができない。 ①両主脚に荷重がかかっていること。 (左右の 脚に取り付けられたセーフティスイッチによ り、 ショックストラットが一定値以上に縮ん だ位置にあることを検知していること。) ②スロットルレバー位置が規定値以下にあるこ と。 (スロットル系統に取り付けられた脚リ トラクト・プリベント・スイッチにより、 吸 気圧力が規定値以下にあることを検知してい ること。) 聴覚警報装置 当該型式機には、 音による警報として着陸装 置警報 (以下 「脚警報」 という。) 及び失速警 報が装備されており、 次のとおり作動する。 ①脚警報は、 空中 (①の状況にないとき) に 30 2007 MAY 2. 8 訓練に関する規定等 同社には、 資格取得の訓練等について定めた 社内規定等がなく、 また当該訓練生に係る訓練 計画も作成されていなかった。 地上での教育は、 飛行訓練を行った1日目と2日目に行われ、 そ の内容は、 わが国での飛行要領、 八尾空港での 飛行要領、 無線機の使い方、 操縦方法等であっ た。 その後は、 飛行訓練前後のブリーフィングに おいて教官が気付いたことを教えていた。 3. 事実を認定した理由 3. 1 教官及び訓練生は、 適法な航空従事者 技能証明及び有効な航空身体検査証明 を有していた。 3. 2 同機は、 有効な耐空証明を有しており、 所定の整備及び点検が行われていた。 また、 同機の脚システムの安全装置は正常に 作動していたものと推定される。 3. 3 本事故当時の気象は、 本事故の発生に 直接関連はなかったものと推定される。 3. 4 本事故に至る状況 教官及び訓練生の口述、 ビデオカメラ記録、 滑走路の痕跡等によれば、 同機の本事故に至る 状況は次のとおりであったと推定される。 同機では、 連続離着陸訓練中の接地後の操作 において、 フラップ上げの後、 左席に着座して いた訓練生の誤った操作により、 脚ハンドルが 上げられた。 このとき断続音の脚警報がビデオカメラ記録 に録音されていないことから、 脚のセーフティ スイッチは地上を検知していない状態であった。 このとき、 スロットルは閉であったことから、 脚上げ防止の機能が働き脚は上がらない状態に あった。 脚ハンドルが上がっているのを見た教官は、 反射的にスロットルを全開まで開いた。 この操作により、 脚上げ防止の機能が解除され、 脚上げが始まった。 トリムが接地時の上げ状態のまま、 教官が急 激にスロットルを全開にしたことにより、 急激 な機首上げ姿勢となり、 失速警報が作動した。 同機の接地後及びプロペラ接地直後の対地速 度は約50kt であったこと、 また、 風はほぼ正 面から9kt であったことから、 同機の地上滑 走中の対気速度は平均約59kt となり、 離陸時 引き起こし速度の70kt には達していなかった。 右主脚内側ドア、 アシストステップ、 プロペ ラ、 胴体下面の順で滑走路に接触、 エンジンが 停止した。 その後、 胴体滑走を始めた。 滑走路を胴体で約120m 滑走し、 その途中で 右主翼が滑走路灯に衝突し、 右主翼が損傷した。 3. 5 脚ハンドル誤操作への対応 脚ハンドルを上げた誤操作に対応する修正操 作は、 脚ハンドルを下げることである。 訓練生は、 誤操作にすぐに気付いたものの、 この操作をすることができなかったものと推定 される。 教官は、 飛行規程の内容については承知して いたが、 スロットルレバー位置が規定値以下で あれば、 主脚のセーフティスイッチが地上を検 知する以前に誤って脚ハンドルを上げても脚が 上がらないという認識には至っていなかった。 そのため、 上げられた脚ハンドルをすぐに下げ るべきところを、 思い込みにより、 浮揚する操 作を行ったものと推定される。 4. 原 因 本事故は、 訓練生が接地滑走中、 主脚のセー フティスイッチが地上を検知する以前に誤って 脚上げ操作を行い、 この状態において、 教官が、 反射的にスロットルを全開にしたことにより安 全装置が解除され脚が上がり始め、 急激な機首 上げ姿勢となり、 離陸可能な速度に到達できな かったことから、 胴体着陸となり、 胴体滑走中、 滑走路灯に右翼が衝突したため、 機体を損傷し 2007 MAY 31 たものと推定される。 本稿は<AA2007-2>航空事故調査報告 書 (平成19年3月30日発行) 「ノエビアア ビエーション所属 JA4321」 を基に、 章立 てを変更するなど、 内容を変えない範囲で 編者が再構成したものです。 正式な調査報告書は以下の URL にて入 手することが出来ます。 http://www.mlit.go.jp/araic/ 事故を斬る! 以上が事故調査報告書の抜粋です。 皆さんはどのようにお感じになりましたか? 以下はこの事故調査報告書を基に、 航空安全委員会で意見交換をした内容を記載いたします。 なお、 以前にも述べましたとおり、 この意見交換に際しては結論や何かの示唆を見出すことが本 意ではなく、 また、 各々の意見に対しての討議も行っていません。 あくまでも委員の 「生の声」 で す。 先ず最初に本事故を俯瞰して見ましょう。 訓練生は事業用操縦士技能証明取得訓練のため、 平成18年5月12日から訓練を開始し、 前日まで に12回の訓練飛行を実施していた。 教官は男性58歳 (総飛行時間:11,640時間30分)、 訓練生は男性32歳 (総飛行時間:253時間14分) で同型式機による飛行時間は7時間20分であり、 4回目 (本事故時) の進入は安定しており、 接 地についてもグッドランディングと言いたいような状況だった。 教官の対応と所見 接地後、 機内と機外を交互に見ていた。 脚ハンドルが上がっているのを見た瞬間、 左手でスロットルを全開にした。 スロットルを全開にしたのは、 浮くしかないとの判断であった。 滑走中に脚が上がった事故事 例を多数承知しており、 脚上げ操作をしたらこれしかないという対応だった。 訓練中は直ぐに操縦を替われるように構えていたが、 操縦桿には手を添えてはいなかった。 これまでの訓練では、 訓練10日目までは教官である私がフラップ上げ及びトリムリセットの操 作を実施した。 これは、 訓練生を接地後の方向維持に集中させるためであったが、 概ね接地が 安定してきたので、 訓練11日目と12日目 (24日) は訓練生がこの操作を実施するようにした。 指導は、 フラップ上げ、 トリムの目盛を見ずに上げ12°∼15°位置から6°位置にリセット、 スロットルをフルパワーまで開く一連操作であった。 32 2007 MAY 進入中も 「どこに向かっているの」 という言い方はしたが、 プレッシャーとなるような言い方 はしていない。 訓練生の対応と所見 脚ハンドルを上げた誤りは、 教官がスロットルを上げる前にすぐに気が付いたが、 どうすれば いいのか分からず何もできなかった。 米国での訓練では、 最初は教官が全ての操作をしながら飛行し、 飛行後、 緊急操作も含めた必 要な知識の教示後、 訓練生が操縦するというやり方であった。 米国では、 機器の操作を行う場合、 確認して操作し、 操作して確認するということを徹底して 行うように指導され、 そのように操作してきた。 ここでは、 事前にシステムについて座学や地上訓練等は何もなく、 操作を体に覚えさせ短時間 で終わらせるよう指導され、 操作の前後に機内の機器を目で見て確認することはしていない。 エンジンをかけたらすぐに自分で操縦させられ、 これでいいのだろうかと思っていた。 今回、 トリムではなく脚ハンドルに手がいったのは、 飛行中の教官の指導が気になっていたた めだと思う。 以上、 主に当事者の口述から本事故の全体像を列記しましたが、 航空安全委員会では以下の点に 議論が集まりました。 システムと操作 上空ではスロットルを一定 (吸気圧力17inHg) 以上にしないと脚が上がらないことは知って いたにもかかわらず、 その知識が実運航に生かされていたでしょうか? 緊急操作 日ごろから緊急操作や、 訓練に際して遭遇する可能性がある異常操作に対しての備えや演錬が なされていたのであろうか? 訓練 期間 ◇ 日本においては、 米国とは違い訓練に要する費用が桁違いに高く、 また、 長期の休暇取得が 難しい状況であるため、 訓練期間の短縮が重要視される傾向にあり、 どうしても技量の定着 が犠牲になる場合が多い。 機種変更 ◇ 機種変更の際には変更前の機種との違いに関して念入りにブリーフィングを行い、 訓練生に あっては、 その違いを知識と操作で確実なものとすることが望ましい。 教え方 ◇ 「教える」 ということは、 教官と訓練生との信頼関係やそのバックグランドに重要な部分が あり、 教官と言った専門職でないと様々な事態に対応できない場面が多い。 ◇ 「教える」 とは単に知識や操作手順を身につけさせることではなく、 訓練においてエアマン シップや緊急事態に遭遇した際の冷静な対処等も重要な要素である。 シラバス ◇ 「同社には、 資格取得の訓練等について定めた社内規定等がなく、 また当該訓練生に係る訓 2007 MAY 33 練計画も作成されていなかった。 地上での教育は、 飛行訓練を行った1日目と2日目に行わ れ、 その内容は、 わが国での飛行要領、 八尾空港での飛行要領、 無線機の使い方、 操縦方法 等であった。 その後は、 飛行訓練前後のブリーフィングにおいて教官が気付いたことを教え ていた。」 と記載されているが、 「教える」 ことを単に 「経済活動」 や 「生産活動」 としてし か捉えていなかったのではないだろうか? ◇ 訓練を受けるにあたっては、 最終到達目標やその時点での定着度を訓練生自ら把握すること ができるような、 明確な訓練シラバスや科目ごとのレッスンマニュアル等が整備されている ことが望ましい。 プレッシャー ◇ 訓練生に最大の訓練効果をあげさせることが、 「教える」 ことの第一義であり、 特に米国で 訓練を受けてきたものに対しては、 日本独特の訓練における雰囲気に即座に慣れることは難 しい。 体で覚えることの必要性 ◇ 特に離着陸訓練のように着陸形態から離陸の形態に大きく変化する場合にあっては、 確認行 為を省略することは非常に危険である。 ◇ 反射的に操作するということが航空機の操縦でどの場面で必要になってくるだろうか?殆ど 無いのではないか? ◇ 離陸直後の発動機故障等であっても機体の偏向や計器の異常を確認し、 操作を行うべきであ り、 反射的に行ったために逆ラダーを踏み墜落した例もある。 滑走距離と離陸中止 小型機での離着陸訓練は滑走路長に余裕がある場合が多いので、 操作をあせらず行うべきであ り、 もし所望の操作ができなければ離陸中止も考慮に入れるべきである。 34 2007 MAY GA:ジェネアビ情報 失 速 奥貫 今月のテーマは 「失速」 です。 英語の stall が、 日本では、 いつから 「失速」 と呼ばれるようになったのかは定かではありま せんが、 手元にある、 昭和2年起案の日本海軍 飛行機基本操縦術教科書にも失速の表現があり ますから、 かなり古くから定着した用語であっ たようです。 いわゆる失速には、 飛行機の主翼の揚力に関 わる失速の他、 尾翼の失速等、 様々なものがあ ります。 航空機は、 主翼等において相対気流の直角方 向に働く大きな力、 即ち 「揚力」 を利用して空 に浮かぶもので、 その揚力は気流と翼の角度 (迎え角) の増加とともに増大するのですが、 ある角度を超えるとそれ以上には増加せず、 逆 に低下するとともに抵抗の急増を招く現象が発 生します。 これが stall で、 日本語では 「失速」 と呼ばれるものです。 現象としては相対気流の 直角方向に発生していた大きな力が、 気流の剥 離によって失われるものですから、 決して速度 を失って発生するとは限りません。 大きな速度 であっても、 いわゆる、 「失速」 の状態になる ことはあります。 その逆に、 エアロバティックス (曲技飛行) 等では、 失速速度のはるか下の速度で、 60度以 上のバンクでの方向転換等を多用しますし、 極 端な話、 失速イコール速度ゼロ、 といった概念 さえもありますから、 「失速」 とは、 速度だけ の問題でも無いようです。 今回はそのような、 様々な 「失速」 の姿に、 改めて触れてみたいと思います。 博 操縦士訓練課程における失速 一般に、 操縦士訓練課程においては、 以下の 内容を組合せた失速訓練が行われます。 ・パワーオフ/パワーオン ・離陸形態/巡航形態/着陸形態 ・直線飛行/旋回飛行 その実施の内容は、 以下に大別されます。 ・完全失速と、 その回復訓練 ・失速兆候の認知と、 失速回避の訓練 ・危険な失速の兆候の体験 操縦者は、 失速の現象とその回避に関する原 理原則の事前説明を受けた後、 実際の飛行によっ て失速の現象を理解し、 また、 その対処方法を 学ぶのですが、 こと失速に関しては、 所定の回 復操作を身に付けて、 無事にライセンスを取得 できたとしても、 それで終わりということはあ りません。 現に、 十分な飛行経験の方による失速の事故 も数多く発生しています。 失速についての訓練 を積み、 理解しているにもかかわらず、 失速事 故に至るのは、 多くの悪条件が重なった結果に よるものです。 それにより失速への余裕が無く なって、 主翼が揚力発生の負荷に耐えられなく なれば、 飛行機は失速します。 飛行は、 大変な重量物を空中に浮かべる行為 である以上、 宿命的な問題である失速について は、 常に意識を大きく持ち続けることが必要で す。 では、 失速について、 個々に見て行きたい と思います。 2007 MAY 35 パワーオフ失速 失速の現象を、 最も基本的に体験し、 その対 処を学ぶのが、 このパワーオフ失速です。 水平 飛行状態でパワーをアイドルまで絞り、 高度を 維持して水平飛行しますと、 速度は次第に低下 し、 やがて失速に至ります。 現代の飛行機は良く出来ていますから、 この 失速の特性は極めておだやかで、 また、 所定の 回復操作により、 容易に回復します。 それによ り、 ともすれば 「失速は怖くない、 対処も簡単」 と思う傾向があるのですが、 それは好条件のも とで実施した場合の話です。 様々なケースを考 えますと、 「失速は危険で怖いもの」 との認識 が必要です。 さて、 失速は、 どのように認知されるのでしょ うか、 先ずは以下に分類してみました。 ① バフェット (失速剥離の発生) ② 機首の落ち込み ③ ウイングドロップ (傾きの発散) ④ 大きな沈下の発生 (揚力の急減) ①は兆候段階のもので、 気流の剥離による振 動が発生するものです。 このバフェットの発生 傾向は、 機体毎に異なります、 また、 パワーの 影響も受け、 一般的には、 パワーオフの方がバ フェットを顕著に感じることができます。 ②は、 エレベータを引き続けているにもかかわらず、 機首が落ち込むもので、 エレベータを戻すこと により回復します。 ③は、 エレベータを引き続 けている時に、 機首の落ち込みよりも先に片方 の主翼が落ち込む現象です。 これはエレベータ を緩めると同時に、 傾きの反対側のラダーを踏 んで回復させます。 ④は、 エレベータを引き続 けていて、 体感兆候も姿勢の変化も無く、 揚力 の減少による大きな沈下率のみが発生するもの です。 尚、 今回は失速警報装置に関する記述は 省略しています。 飛行機は、 着陸の接地直前には、 殆ど失速領 域まで速度が低下しますから、 パワーオフ失速 の練習は、 進入から着陸の形態で、 完全失速ま で練習するのが一般的です。 36 2007 MAY フルストール・ランディング パワーオン失速 パワーオン失速では、 以下の要素が、 失速特 性に影響を及ぼします。 ① プロペラ後流 ② プロペラの推力 ③ プロペラのトルク ④ プロペラのジャイロ効果 ①のプロペラ後流は主翼根元部の揚力発生及 び水平尾翼、 垂直尾翼に影響を与え、 一般的に、 ②のプロペラの推力の効果もあって失速速度は 低下し、 またエレベータの効果はより低速まで 持続し、 機首はプロペラ推力の非対称及び後流 の垂直尾翼等への作用によって、 左右いずれか に振れる傾向となります。 それらにより、 限界までエレベータ引きの操 作を続けて失速させますと、 場合によっては、 ③のプロペラのトルクや、 ④のプロペラのジャ イロ効果によって、 思わぬ運動に発散すること もありますから、 注意が必要です。 従って、 パワーオンの失速は、 翼水平、 機首 方位一定での完全失速と、 その回復訓練までは 良いとしても、 パワーオンでの旋回失速や、 す べりを伴う失速などは、 異常姿勢に発展する恐 れがありますので、 エアロバティックスを追及 する場合以外の通常の操縦訓練では、 失速兆候 の認知と、 そこからの失速回避の訓練程度にと どめておくのが無難です。 様々な形態の失速 失速の訓練と体験には、 以下のような様々な 形態が含まれます。 ① 最終着陸形態 ② 着陸進入形態 ③ 離陸出発形態 このうち①の最終着陸形態及び②の着陸進入 形態の失速は、 パワーオフで行われます。 ③の 離陸出発形態は、 パワーオンです。 さらに、 こ の③の離陸出発形態からの失速では、 所定の速 度にトリムを合わせた状態からの、 ノーマルな 失速の他に、 最終着陸形態トリム状態からのパ ワーオン失速体験もあります。 着陸の最終段階、 接地寸前の形態の低速度でトリムをとった状態 から、 フルパワーにして、 トリムの効果による 急激な機首上げと、 失速の傾向を訓練するもの です。 実際の着陸復航はこのような状態になります ので、 それを上空で体験し、 対処の要領を体験 しておくことが、 訓練の目的になります。 この場合は、 トリムの効果による大きな機首上 げ傾向に対抗した、 断固とした回復操作が要求 されます。 滑りと失速 エルロンとラダーの調和が取れていない滑っ た状態からの失速です。 旋回方向のラダー操作が過多の、 外すべり状 態 (スキッド) からの失速、 及び、 その逆に、 旋回方向のラダー操作が少ない、 内すべり状態 (スリップ) からの失速があります。 機体によっては、 スピンに発展する等の危険 を伴うことがありますので、 スピン対処に慣れ た教官と、 スピン実施が可能な機体との組み合 わせで実施することが必要です また、 完全な失速は避け、 失速の兆候の段階 で回復させるのが基本です。 このような姿勢では滑らさない操作が重要 通常は、 旋回方向のラダーが多すぎるスキッ ド旋回の状態が、 スピンへの入り口となります。 この状態で、 速度を抜いていきますと、 スピン に入る可能性が高くなるのですが、 穏やかな減 速であれば、 一般的にはスピンも穏やかな入り 方をすることが多く、 その段階で適正に対処す れば、 スピン状態に入ることを食い止めること が出来ます。 その逆に、 スピンの入り口あたり で、 バタバタと乱暴な舵を使っていますと、 急 なスピンに入ることがありますので、 注意が必 要です。 いずれにしろ、 スピンの入り口では、 機首は ガクンと落ち込みますが、 そこで、 操縦桿を前 に押すことが、 スピンへの進入を食い止める操 作になります。 機首が落ち込んだ時に、 逆に引 いたのでは、 絶対に助かりませんので注意が必 要です。 次に旋回方向とは逆の、 トップラダーが多す ぎる、 スリップした状態でエレベーターを引き 続けた状態です。 この状態は、 一般的には、 ス ピンの可能性は少ないとされているのですが、 操作が乱暴ですと、 時には、 バンクしている方 向の反対側に、 瞬時に横転し、 背面に近い状態、 あるいは、 最初の傾きとは逆の方向のスピンに 入ることもあります。 FA200でも、 この状態を体験していただくこ とが可能です。 また、 このような挙動と機体の 反応は、 機種によっても異なりますので、 注意 が必要です。 2007 MAY 37 非対称引き起こしと失速 これも 「滑りと失速」 の一種なのですが、 状 況がかなり異なりますので、 別に説明すること にします。 場面としては、 視程不良の中の飛行において、 傾きの認識が怪しくなり、 左右にフラフラと傾 く飛行を繰り返した後、 急激なスパイラル降下 になってしまったような状況から始まります。 その結果として、 速度の急激な増加及び、 高度 の急減少、 大きな降下率等の計器表示が現れま す。 この、 速度の急増と、 急降下に驚いて、 一 気にエレベータアップの操作をしますと、 場合 によっては非対称引き起こしとなり、 機体の制 限加重超過による破壊、 または、 gの増加とす べりが組合わされた、 高速非対称失速に入るこ とがあります。 速度が大きいのに、 片翼だけが先に失速して、 異常姿勢に発展するもので、 結果は、 事故に直 結する怖いものです。 これを避けるには、 先ず は傾きとすべりの無い状態にしてから、 慎重に 引き起こす操作が必要です。 gと失速 次にgと失速については、 旋回によるgの増 加、 及び、 エクセッシブ・バックプレッシャー 失速としての、 過度のバックプレッシャーによ るgの増加が引き起こす失速がよく知られてい ます。 イメージとしては、 大きなgを考えがち ですが、 むしろ怖いのは、 失速速度に対する余 裕が少ない着陸進入旋回等の段階での、 わずか なgの増加の影響です。 ショートアプローチ等での最終旋回進入中な どにおける、 わずかなエレベーターの支え操作、 それによるgの変化は、 1.1g−1.5g といった、 わずかなものであっても、 機体を失速させるこ とがあります。 運動包囲線図の、 AからBへの 変化です。 特に、 滑りを伴う旋回中等では致命 傷になります。 38 2007 MAY gの増加といっても、 1.1g−1.5g 程度は、 僅かなエレベータ引きの操作で発生し、 無意識 のうちに発生させてしまうことがありますので、 注意が必要なのです。 運動包囲線図 (V-n 線図) また、 旋回方向のラダーが多すぎる、 外すべ りの低速状態からの、 わずかなgの付加は、 ス ピン操作そのものです。 それと同じ操作が着陸 進入段階にあったのでは、 助かりません。 定常旋回 バンク角 垂直加速度 g (Nz) 失速速度 増加率 ― 0.00 0.00 0 ― 0.10 0.32 19 ― 0.30 0.55 33 ― 0.50 0.71 42 0 1.00 1.00 60 15 1.04 1.02 61 30 1.15 1.07 64 45 1.41 1.19 71 60 2.00 1.41 85 75 3.90 1.97 118 80 5.80 2.41 144 85 11.50 3.39 203 失速速度 Vs (Kt) 失速速度60Kt の機体における バンク角、 垂直加速度と失速速度の関係 この表は、 失速速度と垂直加速度 (g) の関 係を示したものです。 既にご存知のように、 失 速速度は30度バンクの水平定常旋回では、 7% 増加、 45度バンクでは19%増加、 60度バンクで は41%の増加となります。 これらは、 あくまでも、 水平定常旋回を維持 した場合の値です。 高度を維持しないならば、 60度バンクであっても、 1g、 即ち失速速度増 加無しとすることも可能です。 その逆に、 水平 定常旋回に必要なg以上のgをかけた場合には、 失速速度は更に増加します。 次に、 水平定常旋回はできませんが、 一瞬の 間、 利用できる領域として、 垂直加速度 (g) が0∼1gの間のサブg領域があります。 運動 方位線図の①の領域です。 ここでは、 いわゆる 失速に相当する速度はgの減少とともに小さく なります。 極端な話、 ゼロgにしてしまえば、 主翼は揚力発生の仕事から一切解放されますか ら、 失速速度もゼロになります。 FA200のエアロバティックス展示飛行では、 失速速度をはるかに下回る速度で、 60度以上、 時には90度近いバンク角での急な方向転換を多 用しますが、 それは、 この領域の利用によるも のです。 このようなバンクでも gをかけなければ失速しない 失速に関するその他の話題 操作に起因するものとしてはセカンダリー失 速があります。 これは、 失速からの不適切な操 作により、 回復操作中に、 もう一度、 失速に入っ てしまうものです。 最小限の高度ロスで回復さ せようと、 十分に失速から抜け出していないの に、 不用意にエレベータを引いたりしますと、 このセカンダリー失速に入ることがあります。 着陸進入等の、 低高度でこのセカンダリー失速 に入ってしまったら、 先ずは助からないのでの で、 注意が必要です。 もうひとつ、 旋回失速からの回復のラダー操 作に関係するセカンダリー失速があります。 こ れはかなりの危険を伴うものです。 旋回失速から傾きの回復には、 ラダーを使用 し、 エルロンを使用してはいけないと教えられ ます。 そこで、 エルロン中立で、 ラダーを踏ん で回復させようとするのは良いのですが、 慣れ ないうちは、 ラダーを中立に戻すタイミングが つかめません。 そこで、 いつまでもラダーを踏 み続けている結果、 今度は、 最初の傾きの反対 側にグラッと来て、 機首が下がろうとします。 そこで慌ててエレベータを引くようなことをし ますと、 機体は一気にすべりを伴うセカンダリー 失速に入ります。 場合によってはスピンに発展 する恐れのある、 危険な状態になります。 機体の形態に起因するものとしてはディープ ストールがあります。 失速の領域で、 胴体また は主翼の乱れた気流が水平尾翼に作用し、 その 効果を失わせて、 機首下げの効果が得られず、 機首を高く保ったまま失速状態が持続する現象 です。 かなり以前、 尾部にエンジンを装備した T型尾翼のジェット旅客機での失速事故から、 この失速が問題になったことがありました。 小型機やグライダーにおいても、 T型尾翼機 は同様な傾向ということができますが、 現代の 航空機は、 運用限界、 特に重心位置の後方限界 を守っている限り、 何らかの状況で、 ディープ ストールに近い状態になったとしても、 やがて 自然に機首が下がって回復します。 しかし、 機 首が下がって回復するまでの間は、 操縦で迅速 に回復させるような訳には行かず、 手も足も出 ませんので、 注意が必要です。 また、 通常の、 胴体に水平尾翼が取り付けら れた機体であっても、 大きなすべりを伴う失速 状態では、 例えスピンには入らなくても、 水平 尾翼が胴体等の乱れた気流を受けて、 本来の安 定板あるいは操縦舵面としての効果が損なわれ た状態になることがあります。 機首を下げて立 2007 MAY 39 て直そうとしても、 手応えがスカスカで、 確実 な操舵反応が得られません。 どうしようもない のでそのまま放置しますと、 やがて機首が下がっ て、 操舵が効く状態になります。 このような場 合は尾翼等に十分な風が当たらない状態と思わ れますので、 「尾翼の失速」 との表現が適切と は思いませんが、 そのような印象を受けます。 この場合は、 慌てずに待つことが答えとなりま す。 おわりに 最後に繰り返して強調しておきたいのは、 着 陸進入、 着陸復航、 あるいは、 低高度での写真 撮影等、 低高度、 低速及び旋回が組合わされた 場合の失速です。 実際、 これらのケースが失速 事故の殆どを占めています。 翼前縁への付着物の影響 主翼の前縁に付着物がある状態での失速です。 付着物の種類としては、 霜、 氷、 雨滴、 虫等、 様々なものがあります。 これらは、 失速速度を増加させるため、 可能 なものは、 離陸前に除去することが基本ですが、 飛行中に付着してしまったものはどうにもなり ませんし、 対処訓練も出来ません。 最も一般的な複座の練習用グライダーである ASK-21の飛行規程には、 雨の中の飛行につい て、 進入速度は10%増とする記載があります。 また、 グライダーでは、 雨滴の付着による滑空 性能の低下も著しく、 高度も急激に低下します ので、 雨の中での高度と速度の維持には特に注 意が必要とされています。 機体の種類や、 翼断面の特性にもよりますが、 一般的には、 高性能の機体であるほど、 前縁付 着物による影響を受けやすいとされていますの で、 着陸進入等においては、 速度及び高度の余 裕の確保と、 滑らかな操縦について、 注意が必 要です。 主翼前縁への氷の付着は、 改めて言うまでも 無く危険なものですが、 主翼前縁への着氷は、 尾翼にも着氷の恐れがあることを意味します。 水平安定板前縁への着氷は、 安定板としての 機能を損ない、 縦の安定性と操縦性に影響を及 ぼしますので、 特に危険ということが出来ます。 40 2007 MAY 失速事故の要因 このような場合、 機体の速度は失速速度の 20%−30%増し程度のことが多く、 30度のバン ク角をとっても、 失速速度の増加は7%ですか ら、 まだ余裕があるといえます。 しかし、 そこ で、 何らかの理由によるエレベータの引き操作 が入りますと、 それが1.1−1.5g 程度の小さな ものであっても、 機体は一気に失速状態になる ことがあります。 失速は、 主翼上面の気流が剥離して発生する もので、 通常の失速練習ではゆっくりと減速し ますから、 主翼上面の気流剥離も徐々に進行し ます。 しかし、 そこでgをかけますと、 その瞬 間に、 気流が剥離して、 一気に失速状態になる ことがあります。 そこにすべりが伴えば、 それはスピン開始操 作そのもので、 事故に直結する非常に危険な状 態へと発散します。 その初期段階で適切な回復 操作ができれば良いのですが、 そのためには十 分な練習が必要です。 従って、 低高度、 低速での旋回では、 滑りの 無い、 バランスの取れた状態で、 また、 gを増 加させることが無い滑らかな操舵を心がけるこ とが大切です。 World Safety Report エキサイティングだった今年のアメリカン・ フットボール・シーズンも終了してしまいまし た。 でもこのシーズン中、 空港内でミスを犯して しまった方々は、 フットボール・プレイヤーと 違って、 喝采など浴びることも無いことでしょ う。 空港内での機体の移動もフットボール・ゲー ムと同じように、 さまざまな役割を持った人の 指示で始まります。 言うなれば ATC はゲームの開始を支配する “quarterback:クォーターバック”ということ ができます。 “line:ライン”はタクシーし、 ホールドそし て離陸し、 着陸する航空機にたとえることが出 来るかもしれません。 後方にボールを出してゲームを再開する “snap:スナップ”は、 ATC の出す“cleared to: ○○を許可する”という指示に当たるのか 訳 佐藤 裕 もしれません。 ですから、 うまくゴールを決めるということ は、 ゲームが中断している時、 コーチがプレイ ヤーを集め、 プレイヤーの動きをボードに書い て見せ、 このように動いて連係プレーをするよ うに、 と説明するコレオグラフィどおりにプレー した結果、 ということができると思えますし、 航空機にたとえると、 飛行はうまくいった、 と いう結果と同じといえるかもしれません。 でも、 コミュニケーションがうまく行かない と、 得点も得られないし、 飛行もうまく行かず、 インシデントに結びついてしまうことが多いよ うです。 それでは ASRS に寄せられた、 ゲームが再 開されていないのに、 思わず動いてしまったプ レイヤー、 つまり“in motion”ペナルティを 起こしてしまった航空機 (今回は自動車も含ま れていますが) のインシデントを見てみましょ 2007 MAY 41 う。 今回選んだインシデントは“許可を貰わずに ランウェイに進入してしまった:runway incu rsions”、“反対方向へ離陸してしまった:a wrong direction takeoff”、 クリアランスを貰 わずにタクシーしてしまった:a taxi without clearance”、 そして空港内で起きた“警察官と 不審者:cops and robbers”のカー・チェイス です。 終わってしまったシーズンを惜しみ、 フット ボール・ゲームののりで送ります。 これらインシデントの多くも、 もっとうまく 交信したり、 きちんとチェックリスト通りの操 作をしたり、 自分を取り囲むあたりの状況を把 握してさえいれば防げたはずなんですが… :ASRS 編集部 ファースト・ダウン−インクローチメント。 この旅客機のクルーはまさに模範的とも思え る注意を払い、 ランウェイへ向かうクリアラン スを確認したまでは良かったんですが、 でもコー ルサインを聞かずに 「了解」、 と応答してしまっ たため、 思わぬトラブルに巻き込まれてしまい ます:ASRS 編集部 ・タクシーウェイ B 経由でランウェイ28R に 向かっていました。 私たちは真っ先にこのランウェイから離陸す る順位になっていましたし、 あたりに他の機 体見もえません。 離陸前のチェックリストを終了し、 ランウェ イのエンド近くまでタクシーした私たちは周 波数をタワーに切り替えます。 タワーからコールサイン (てっきり私たちの もの、 と信じていたんですが) に続き、“離 陸を許可する”との送信が……。 周波数を切り替えた直後のせいか、 この送信 は幾分歪んでいたので、 ファースト・オフィ サーは、“こちらは AAA エアライン ZZZ 便 ですが、 今の離陸許可は私達に対し、 ランウェ イ28R からの離陸を許可する、 という送信 ですか?”と内容を確認するための送信を。 すると“その通り、 離陸を許可する”とのタ ワーからの応答を私たちは聞きました。 離陸許可が私達の機体に対するものかどうか 確認するため、 送信をしたんですが、 この確 42 2007 MAY 認に対し管制官は私達の航空機のコール・サ インを付け加えてくれなかったので、 何か変 な感じだな、 と思いながらコーナーを曲がり、 ランウェイへ進入しました。 もちろん、 最大限の注意を払いながらですが。 ランウェイに進入し、 何時も通りのホールド・ エリアで停止、 そしてタワーに、“確認しま す、 こちら AAA エアライン ZZZ 便ですが 私達の離陸許可は出ているんですね?”と送 信をしたんです。 すると管制官は“ネガティブ”と一言、 そし て、“ランウェイに進入する許可も出してい ない”、 との応答を。 直ちにランウェイから出たことは言うまでも ありません。 このタワーの管制官が2つの別々の周波数を 使いながら、 多くの航空機に指示を与えてい たことは明らかで、 他の機体に違う周波数で、 空港の別のランウェイから離陸しようとして いる航空機に、 離陸許可を出した音声だった んです。 先ほどの“アファーマティブ”という管制官 の声は、 他の周波数で交信している別の航空 機に対するものだったんです。 ホールド・ショート・ラインを通過する前に 管制官から私達のコールサインの付いたクリ アランスを貰い、 このクリアランスをリード・ バックしてからじゃないと、 ホールド・ショー ト・ラインを通過してはまずいな、 と実感し ました。 機は無く、 私達の機体の近くにもいなかった ので、 他機と接触する恐れの無かったことは 本当にラッキーでした。 着陸しようとファイナルを飛行している航空 セカンド・ダウン−オフサイド。 この整備士はゲートで B737-300航空機のさ まざまな点検とテストを終えましたが、 テイク オフ・ウォーニング・フォーンが正常に作動す るかどうか、 確認できなかったんです。 そこでこの整備士は、 パイロットからこのウォー ニング・フォーンに関する異常がリポートされ ているので、 再現して確認するため、 使用して いないランウェイ上で“パワー・ラン:power run”をしたいんですが、 と ATC に送信しま す:ASRS 編集部 ・……現在使用していないランウェイで実施し ても支障ない、 との指示がありました (思っ ていたとおりです)。 そのランウェイに進入しスロットルを開き、 33% (テイクオフ・ウォーニング・システム を作動させるためです) 以上に、 パーキング・ ブレーキを解除します。 スロットルを開いても作動しないのか、 確認 するためほんの短時間タクシーしました。 ホーンは作動しません。 スロットルをアイドル位置に絞り、 ブレーキ を踏み始めます。 タクシーウェイ E でランウェイから出られ なかったため、 スラスト・リバーサーを作動 させなるべく早く機体を停止させようとした んです。 次のインターセクションが現在使用中のラン ウェイだとは、 まったく気がつかなかったん です。 何とか機体を停止させることができたんです が、 その時、 機体の前半分ほどはストップ・ ラインからはみ出していました。 もっと注意深くプランを練り、 整備士といえ ども空港のチャートを見ながらパワー・ランを 行えば、 現在使用中のランウェイに進入せずに 済んだのかもしれませんね:ASRS 編集部 サード・ダウン−間違った方向へ。 ・タワーに離陸許可を求めると、 インターセク ション B からランウェイ31で離陸するよう に、 との許可が……。 この許可をリード・バックして了解した旨を タワーに伝え、 まったく自分の誤りに気づか ず、 ランウェイ13で離陸しようとパワー増し てしまったんです。 そういえば、 ランウェイに進入したとき、 こ のランウェイと交差するランウェイ05にジェッ トが着陸したよな、 何で離陸許可を貰えたん だろう?と思っていました。 この疑問をタワーに問いただすまでもなく、 ほ か の 航 空 機 に 対 し LAHSO (Land and Hold Short) の指示をしている交信を聞き、 やっと自分のミスに気づいたんです。 すぐタワーから私のミスに対する指示が…… 私への離陸許可はキャンセルされました。 すぐスロットルを絞り、 交差するランウェイ 2007 MAY 43 から2,000フィートほど手前で停止すること ができました。 ほかの航空機も、 ランウェイが交差する地点 の手前で停止している様子が見えます。 この出来事を防ぐ方法はいくつも有ったはず です。 まず、 ランウェイ13/31の組み合わせは確か に間違いやすいのかもしれません…離陸する ランウェイのナンバーを正しく聞き取らなけ ルール違反。 交信をぼんやりと聞いていた BAE146のフラ イト・クルーは、 ATC からの送信にびっくり してしまいます:ASRS 編集部 ・エンジンを始動させ、 あらかじめ指示されて いたランウェイ36へタクシーし始めました。 タクシーを開始して間もなく、 私は離陸前の チェックリストを読み上げるように指示し、 チェックを終えました…なぜか空港を覆うよ う群がっているカモメの大群に気をとられて いたんです……そしてファースト・オフィサー に、 カモメの群れはランウェイから遠ざかる ようだね、 と話しかけました。 この時、 私達は南方向へタクシーしていまし た…間もなくタクシーも終了という時、 私は 再びファースト・オフィサーに、 カモメの大 ればならなかったんです、 それにディレクショ ナル・ジャイロとかコンパスを見て注意深く、 正しいランウェイ方向へタクシーすれば良かっ たはずです。 なんだか何時もと違うな、 と変な感じに見え るような場合、 自分の思い込みだけで判断し てしまうことはいかに危険であるか、 身にし みました。 何か疑問を感じたなら、 必ず聞き返して確認 する必要があったんです。 群はランウェイから遠ざかっていくようだね、 と話しかけたんです……ランウェイ36のディ パーチャー・エンドに近づいた時、 グラウン ドから“エアー・キャリアー X、 この周波 数を聴取していますか?”との送信が……そ してファースト・オフィサーは“はい、 何か 問題でも?”と答えるとグラウンドから“あ なた達はクリアランス無しにタクシーしてい ますよ!”と幾分非難するような口調の送信 が!! あろうことか、 私達は2人ともタクシー・ク リアランスを貰っているもの、 と信じきって いたんです! そしてグラウンドから、 周波数をタワーに切 り替えるようにとの指示が、 周波数を切り替 えてタワーと交信した私達は、 ランウェイ36 からの離陸許可を貰うことができたんです。 プレイブックを無視。 プレイが変更になったことを知らず、 パイロッ トは自分の PA-32に乗り込み、 飛行してしま いました:ASRS 編集部 ・毎年行う機体の点検をするため、 まず手始め としてテスト飛行を行おうと、 機体を格納庫 44 2007 MAY から引っ張り出しま した。 飛行前点検を行い、 アビオニクス類をすべてプリセットしてある 周波数にあわせてくれるメイン・アビオニク ス・スイッチを ON にし、 VHF 無線送受信 機を ON にしました。 ほかの航空機の送信はまったく聞こえません。 まだタワーは運用時間外なんだ、 だから管制 は行われていないんだな、 と勝手に思い込ん でしまったんです。 この風なら、 ランウェイ23で離陸するほうが いいな、 とも……。 これから23で離陸すると一方送信をして、 ラ ンウェイにタクシーしました。 コクピットから外を見回しても私の近くに機 体は見えないし、 空港周辺を飛行している機 体も見えないし、 無線機にもほかの航空機か らの送信は聞こえません。 でも、 念のためほかの機体からの送信は聞こ えないか交信をモニターし、 ランウェイ23か ら離陸する、 と一方送信しました。 離陸しましたが、 相変わらずほかの機体の送 信は聞こえません、 変だなと感じながらアビ オニクス類をチェックすると、 スケルチ、 ボ リュームそしてトグル・スイッチ、 すべて正 常な位置から変えられていたのです。 毎年行う点検の際、 誰かがいじったんでしょ う。 あわてて何時も通りの位置に直した途端、 私 の耳には多くの機体がタワーと交信する音声 が……。 恐る恐るタワーと交信するとすぐタワーから、 私が大きなトラブルを引き起こしてしまった こと、 直ちに空港へ戻り着陸すること、 着陸 したならタワーにすぐ電話をすること、 と矢 継ぎ早に多くの指示が。 今回引き起こしてしまったトラブルの原因は、 タワーと交信できなかったことを自分勝手な 判断をしてしまったことで、 アビオニクスの セッティングがプリセットしてあった位置か ら変えられてしまっていたことに、 まったく 気付かなかったことが最大の原因、 と信じて います。 これからは、 飛行前点検を行う場合、 全ての 計器、 アビオニクスに付いているスイッチ類 が正常な位置にあるかどうか必ず確認するよ うにしよう、 と自分に言い聞かせました。 フィールドにはプレイヤーの数が多すぎて。 この A-320航空機のクルーは、 フィールド内 の、 より良い位置に移動しようと ATC に伝え ます:ASRS 編集部 ・プッシュ・バックが終了しました……タクシー を開始した私たちの耳には、 ランウェイ上に 何かがいるので、 これから警察官が追い払っ てくる、 という内容のタワーと警察官が交わ している音声が聞こえます。 タワーの管制官、 そして警察官とも車両では ないようだ、 とも話をしています。 きっと空港に迷い込んだ鹿か動物を追い払う んだろう、 と私たちは話していました (以前、 この空港のランウェイには、 アリゲーターが 迷い込んだこともあります)。 やがてタワーからその警察官に、 離陸する航 空機があるんでランウェイの外に出てくれな いか?との送信が聞こえます (まだ、 タクシー ウェイまで500ヤードも離れたランプにいた んですが、 たぶん私たちの機体を意味してい るんだ、 と思いました)。 するとその警察官は“確かに私はランウェイ の外にすぐ出ることが出来る、 聞いていてく れるといいんだけど……ランウェイ上をうろ ついている奴が、 君の送信を聞いているもの かどうか…”とタワーに。 管制官の声が緊張しているようには聞こえな かったので、 この時も私たちは、 まだランウェ イ上を何かの動物がうろついているんだろう、 と話し合っていたんです。 2007 MAY 45 そして私は機首を北西に向け、 タクシーウェ イ上をランウェイ06のエンドに向かいました。 離陸前のチェックリストに従って点検してい る最中、 タワーから私たちに“アドバイスす る、 タワーと交信できない車両が君たちの機 体の右側を通過中”との送信が。 すぐ機体の右側を見ました……その車はかな りの猛スピードで私たちの機体を追い越して 行きます。 するとこの車の後ろを、 警察官の乗るパトロー ル・カーが、 同じく猛スピードで追いかけて 行きました。 その怪しげな車はさらに速度を増し、 現在の 状況を理解する以前、 私たちが機体を停止さ せる予定にしていたランウェイ・エンドに向 かって走り続けています。 やがてその怪しげな車とパトロール・カーは 方向を変え、 タクシーウェイ上を私たちの機 体へと向かってきます、 真正面に見えます…… そして2台とも私達の機体の翼の下側を通り 抜けていったんです……もちろん、 猛スピー ドで。 機体を停止させた私たちは、 今度はランウェ イ上でくりひろげられいるカー・チェイスの 成り行きを見守ることにしました。 この数分後、 タワーから送信があり、 車両の 男は逮捕された、 ランウェイ06へのタクシー を開始しても支障ない、 ということになりま した。 カー・チェイスを演じた車から、 何か部品が 吹き飛んでランウェイ上に残っていると困る んで、 ランウェイの点検をしてくれ、 と頼み ます。 空港当局の車両は FOD となるような物は無 いか、 ランウェイ全体を点検してくれました。 この点検終了後、 離陸許可を貰いました。 今になって考えると、 警察官とカー・チェイ スを演じた車たちから何かの部品が吹き飛び、 ランウェイ上に散らばっていると知っていた なら、 ゲートから移動しなかったのにな、 と 思っています。 46 2007 MAY 長は、 飛行の大部分は私が操縦するから、 とこ のコーパイロットに告げたそうです。 第一レグを飛行している最中、 早くもこのコー パイロットは睡魔に襲われてしまい、 オレゴン 州カラマス・フォールスに着陸した時点では、 右席で死んだように眠りこけていました。 アンケートへの回答 前回、“えっ、 あのうるさいヘリコプターの 機内で? ヘリコプターのキャビン内で、 誰かが居眠り をしてしまった、 という体験をお持ちの方は?” という質問をしましたね。 多くの方々からリポートを頂きました。 読んでください。 UH-1 “当時、 私は5機のヘリコプターを指揮する インストラクター・パイロットとしてワシント ン州フォート・ルイスでの訓練を終え、 この5 機を率いて南カリフォルニアのホーム・ベース へ戻ろうとしていました。 2番機のコーパイロットは、 飛行訓練部隊を 卒業したばかりの新人です。 ホーム・ベースへ戻る前夜、 このコーパイロッ トはかなり遅くまでパーティで大騒ぎしたんで しょう、 ホーム・ベースへ戻る早朝、 かなり疲 れているように見えました。 若いし、 それにやっとパイロットになれたん だからしょうがないか、 と感じた経験豊富な機 驚いたことに5機の UH-1がすべて着陸し、 エンジンを停止させ、 各機のクルー全員が機外 に出たというのに、 この若いコーパイロットは 機内でお休みし続けています。 このコーパイロットに疲労とは何か、 休息が いかに大切かを教える絶好の機会だ、 しかも全 く安全な方法で、 ということでクルー全員の話 はまとまります。 コーパイロットを除く全機のクルーが彼の周 囲を取り囲み、 機体のバッテリー・スイッチを ON にし、 回転数低下警報フォーンを鳴らし、 合図とともに周りを取り囲んでいるパイロット 全 員 で 、 ピ ッ チ を 上 げ ろ ! つ ま り “ PULL PITCH!”と大声を。 大声と警報音にびっくりして目を覚まし、 固 定してあるピッチを引き上げようとするこのコー パイロットの表情は、 他のパイロット達の持つ 多くのカメラに収められてしまいます。 きっと恥ずかしかったんでしょう、 真っ赤に なった表情も撮られてしまいました。 そしてこの若いコーパイロットは“もう二度 と飛行中に居眠りしないよう、 飛行する前日に は十分睡眠をとるつもりです”と話していまし た。 2007 MAY 47 S-61 “パイロットとしての最初の仕事は、 ヘリコ プターで木材の搬出、 いわゆるロギングを行う シコルスキー S-61ヘリコプターのコーパイロッ トでした。 作業内容、 安全性から見ても、 飛行中コーパ イロットとしての仕事はほとんどありません。 主な仕事は計器をモニターしたり、 機体の右 側に障害物はないか見張りをするだけです。 大体1時間ごとに着陸し、 燃料を補給しいて いました。 飛行中 PIC は左側のバブルウインドウから 外を覗いたり、 ウインドウ近くにあるトルク計 や ITT ゲージをチェックしたり、 と忙しいん ですが、 コーパイロットの私のすることはほと んどありません。 何回目かの燃料補給を終え、 機体は再び丘の 方向へ飛行してゆきます。 旋回し始めたまでは覚えていたんですが、 ふ と気がついたのは燃料を補給するため着陸した ときでした。 1時間近く寝てしまったようです! このことは誰にも話していません、 もちろん PIC にも……。 シコルスキー・スリーパーなどと言われたく ないんで。” 206L3 “このなんともおかしな話は、 数年間飛行し ていた陸軍を除隊し、 民間で飛行し始めた最初 の年に起こりました。 この時は、 メキシコ湾で連邦航空規則 FAR パート135に従って運航を行う大きな会社で飛 行していました。 ある日の午後、 洋上のプラットフォームで待 機していた私は、 すぐ近くのプラットフォーム まで飛び、 乗客1人を乗せ、 沿岸のベースへ戻 るように、 との指示を受けました。 1人きりでそのプラットフォームまで飛行し、 48 2007 MAY 特に問題もなく着陸を。 私の近くへ歩み寄ってきたその乗客は、 後席 に乗ってもよいか?とたずねます。 この時、 私はベル206L3を操縦していました。 かまいませんよと乗客に伝えると、 彼は後席 へ乗り込みます。 離陸は問題なく、 北に向かいながら私は美し いメキシコ湾の景色に見とれながら、 80マイル ほど離れた湾岸にあるベースへと向かいます。 高度1,500フィート MSL で飛行していまし た。 何もかもスムーズです、 夢見心地で飛行して いましたんですが、 ボーンという大きな音に続 き、 また大きな音が機内に響き渡りました…な んで2度も大きな音が…血の気がうせました。 血液中のアドレナリンは高まり、 それまで夢 見心地で飛行していた私は正気に戻ります。 カッと目を見開き、 計器類をチェックし、 操 縦系統もチェックしたんですが特に異常は見ら れません…なにか異常があったなら、 すぐ MAYDAY を送信しよう、 とも考えていまし た。 ほんの数秒後、 いったい何が起きたのかを確 かめようとする気持ちも戻り、 ヘッドセットを 着けていない後部キャビンの乗客に大声で、 異 常はありませんか?とたずねます。 この乗客はかなりの大男で、 先ほどまでキャ ビンの窓に頭をつけ、 眠りこけていました。 もう、 説明する必要もありませんね。 ぐっすりと眠り込んでしまったこの乗客は、 無意識のうちに頭で窓を押していたんです。 そしてこの力に耐えられなくなった窓は外れ てしまい、 機体からどこかへ飛散してしまった んです。 (テイル・ローターにあたらなかったのは、 本当にラッキーでした。) なんとこの乗客の頭は窓から飛び出し、 気流 にもまれています。 想像してみてください、 深い眠りの中、 突然 110ノットで飛行している機体の外へ顔がとび 出してしまったとしたら、 どう感じると思いま すか? 恐怖以外の何者でもない、 と思うんですが。 乗客に搭乗前のブリーフィングを行う際は今 でも、 このときの話を織り交ぜていますよ!” 206B3 “バージニア州の南西部の会社にチャーター され、 飛行をしていたときの話です。 この会社の本社はピッツバーグにあり、 ウエ スト・バージニア州ベックリーとバージニア州 ワイズに事務所がありました。 これら各地を結ぶレグはかなり短い距離だっ たんですが、 いろいろありまして、 ほぼ1日が かりの飛行となってしまいました。 蒸し暑くヘイズの濃い9月の一日で、 視程も ずっと2, 3マイル、 という状態です。 ワイズ、 ベックリーそしてピッツバーグ間を、 かなりの回数飛行しました。 夕方16:00ごろ、 私はピッツバーグからワイ ズへ向けて飛行を。 乗客はありませんし、 エアコンも無いばかり か、 ヘッドセットから無線の呼び出しすらあり ません。 一日中コクピットに座り続けていたせいでしょ うか。 サマービルの町を通過したことは覚えていた んですが、 ハッと気のついた時にはサマービル から20マイルも離れたニュー・リバー・ジョー ジ上空を飛行していました! 機体は20マイルも飛行したというのに、 この 間、 私は眠りこけてしまったんでしょう。 すぐ道路の近くに着陸しました、 コクピット から飛び出し辺りを走り回ります、 もちろん目 を覚ますために、 です。 この後、 ベックレーまで飛んだんですが、 目 を見開いていたことは言うまでもありません。 機体の格納を終え、 ホテルへ戻った私は電話 の受話器を外し、 この夜ぐっすりと眠りました。 蒸し暑くしかもヘイズの濃い日に長時間飛行 した結果に過ぎません、 それに私自身、 自分の 肉体が休息と水分補給を求めていることなど、 まったく気にしなかったことも居眠りの原因だっ たんだ、 と思っています。 疲労はしのび足で、 誰にでも近づいてくるよ、 とこの時の体験を多くのパイロットに話してい ますよ!” R-22 “私がヘリコプターの操縦訓練を始めたのは アリゾナ州の南部で、 春まだ浅い1月の終わり か2月の初め頃でした。 空気はまだひんやりしていましたが、 太陽光 線を浴びると、 とても暖かく感じられます。 その日は R-22にドアを取り付け、 ランプを 9:00近くに離陸し、 フライトを開始しました。 当時、 私の飛行時間は10時間ちょっと、 何と か自信のつき始めたころだったんです。 まだ、 ヘリコプターを上手に操縦できる、 と いったうぬぼれなど全くなかったんですが、 そ れでもなんとなく進歩したかな、 と感じていま した。 その日の訓練は、 この空港の場周経路を飛行 しながら行う課目だったので、 タクシー・ウェ イ上をホバリング・タクシーします。 タクシー・ウェイ上で少しホバリングの課目 を練習し、 終了後この場所から移動し、 タワー 2007 MAY 49 昨夜02:00ごろ、 むき出したまま寝ている私 のすねを大きなタランチュラが這い上がってき たんです、 おかげで十分に眠ることが出来なかっ たんです。 その日の午後遅くホーム・ベースへ戻るため 飛行していたんですが、 まぶたは徐々に重くなっ てしまいます、 寝不足のせいですね。 何とか操縦し続けようとしますが、 自分でも 注意力がかなり散漫になっているなと感じ、 一 緒に飛行しているパイロットに操縦を替わって もらいました。” に場周飛行を開始する、 と送信しました。 訓練を開始して間もない新米のステューデン ト・パイロットである私は、 出来る限りスムー ズな離陸上昇を開始し、 場周経路に向かいなが ら計器のスキャンと他の航空機の見張りをしま す。 そのうち私のヘッドセット越しに何か変な音 が聞こえました。 機械の発生するノイズではありません。 なんと、 私のインストラクターのイビキじゃ ありませんか! 何度となく“タッチ・アンド・ゴー”とタワー に送信しながら訓練を繰り返し行っているうち、 ダウン・ウインド旋回し、 日差しを浴びて暖か く気持ちの良いコクピットで、 インストラクター はつい居眠りをしてしまったんでしょう。 もちろん、 訓練を開始していくらも立ってい ない私は、 何でもこなせるパイロット、 という わけではありません。 次第に、 彼に対して不信感を持ち始めました。 この後も何回か場周経路を飛行しました。 そして何回目かのベース・レグへ旋回した時、 彼は目を覚まし、 残りの訓練を指導してくれた んです。” デイズニーワールド “数年前、 フロリダにあるディズニー・ワー ルドの周辺で遊覧飛行を行っていた時のことで すが、 206B のキャビン内に響き渡る騒音は、 キャビン内のお子さん、 年齢で言えば4歳以下 だと、 わずか6∼12分程度の短い遊覧飛行の間 にも、 すぐ眠ってしまうということに気づきま した。 私自身も、 一人で数百マイル車を運転したり、 仕事を終え、 一人きりで飛行し、 フロリダ州を 横切りベースへ戻る時など眠気を感じることが しばしばあります。 私は、 睡眠時に無呼吸になる症状があると診 断されているため、 この12年間正直に CPAP マシン (Continuous Positive Airways Pressure) を使い続けています。 年に2回、 不意に寝てしまうことはないか、 FAA の身体検査部門でテストを受けてこれに 合格し、 クラス航空身体件査証を発給されて います。 この4年間、 特に異常を感じたことはありま せんし、 車の運転中や飛行中、 眠くなることは ありません。” ハイチ “ハイチ…長い一日でした…飛行する作業環 境もひどいものでした。 50 2007 MAY R-44 “2005年5月、 私の8歳になる息子ガブリエ ルはトラックにはねられ、 75フィートも跳ね飛 ばされてしまいました。 瀕死の重症だったんですが、 メイン・ライフ フライト・ヘリコプターで救助に駆けつけてく れたクルーの努力のおかげで、 一命をとりとめ ることができたんです。 ガブリエルが回復するには数ヶ月を要しまし たが、 回復するまでの数ヶ月間、 ガブリエルを 左席に乗せ (操縦装置を外しましたが)、 私の R-44でアメリカとカナダを飛び回りました。 やサイクリックに倒れこんできました。 しばらくの間、 先ほどと同じように左手で彼 のからだを反対方向へ押しやり続けます。 しばらくの間は眠りこけている息子を見てほ ほえましく思っていたんですが、 そう長くは続 きません、 やがて左腕に疲れを覚えました。 何とかして息子を起こさなくては、 と考えた 私はインターフォンのボリュームを最大にして “ガブリエル、 目を覚ませ!”とマイクに大声 を。 ある日の飛行中、 ガブリエルは何とか眠るま いと努力しているようでしたが、 ついに眠り始 めてしまいました。 眠りが深くなるにつれ、 体もグラグラし始め ます。 深い眠りに付いたんでしょう、 彼の体は右に 倒れ、 サイクリック・スティックにぶつかって しまったため、 何とか機体の姿勢を立て直し、 左手でガブリエルの体を元の姿勢に戻します。 体を動かされたというのに、 ガブリエルは目 を覚ましません。 いったんは元の姿勢に戻したものの、 1, 2 分と経たないうちに彼の体は再びサイクリック に寄りかかってしまいます。 しばらくの間、 私は左手で彼の体を元の姿勢 に支え続けました。 よっぽど眠いんでしょう、 彼は目も覚まさず、 体を反対側に移動させることもありません。 一瞬のことでした、 ガブリエルの体はまたも 我に返ったガブリエルは後席から枕をいくつ か引っ張り出し、 操縦装置の体が当たらないよ うに、 そして彼自身も気持ちよく眠れるよう、 体のあちらこちらに枕をあてがいます。 おかしな話ですが、 隣で眠り込んでいる8歳 の子供はこの飛行にとって、 とても厄介な存在 となってしまいました。” この文書はベル・ヘリコプター・テキストロ ンの発行する安全誌、 HELIPROPS HUMAN A. D. Heliprops 2006 Volume 18 Number 2よ り一部を翻訳し、 パイロット誌へ転載していま す。 翻訳および転載に関してはベル・ヘリコプ ター・テキストロン社、 Heliprops Manager ジョーン ウイリアムス氏 (John Williams) より許可を得ております。 2007 MAY 51 ◎寄 稿 失速/スピンにまつわる伝承 I n t e r n a t io n a l A e r o b a t ic C lu b 根拠や信憑性が曖昧なのに、 まことしやかに 言い伝えられ、 多くの人が良く考えもせず信じ ていたりする話がある。 チーズフォンデュを食 べる時にビールを飲むとお腹が痛くなるとか、 海草を食べると髪の毛が増える、 などというあ れである。 科学的には何の根拠もないのに、 こ れらの伝承の一部はまるで真実のように扱われ ていたりする。 まだ100年少々しか歴史を持た ない航空の世界でもこのような伝承は多い。 電 気系統を悪戯して壊すグレムリンなどの、 誰も 信じなくなったような話から、 背面のオイルシ ステムの無いレシプロエンジンでは、 マイナス Gが掛かるとエンジンが止まるといった、 思わ ず 「そうかな?」 と信じる人が居そうなものま で様々である。 今回は失速、 スピンにまつわる 伝承を中心に取り上げてみる。 深く考えずに、 鵜呑みにして信じていた伝承があるかも知れな い。 紹介する伝承を通じて、 失速やスピンに対 しての理解を深めて、 安全な飛行に役立てて頂 け れ ば 幸 い で あ る 。 紹 介 す る 伝 承 は Rich Stowell 氏の 「Stall / Spin Awareness」 とい う本に 「Myth Exposed」 として掲載されたも のを、 氏の了解を得て紹介した。 伝承1:低速の飛行は失速し易い ライト兄弟ですら、 低速が失速に直接関与し ていると信じていたので、 我々の中に同様に信 じる人が居ても不思議ではない。 しかし真実は Angle of Attack (AOA:迎え角) が失速の 決定要素であり、 それゆえ速度だけでは失速ま での余裕を測ることが出来ない。 にも関わらず 多くのパイロットは高速で飛行中は失速の危険 がないと感じ、 低速になると失速が近いと緊張 52 2007 MAY 内海 昌浩 する。 これは訓練で水平飛行、 1Gの失速を繰 り返すことも原因のひとつになっている。 伝承2:失速がスピンを起こす スピンの発生には、 失速とヨーの二要素が必 要である。 そのどちらかだけが存在してもスピ ンは決して起こらないが、 失速中に必要充分な ヨーを伴うことでスピンが発生する。 つまり、 失速していてもラダーを正しく使っていれば、 決してスピンには陥らない。 伝承3:クロスコントロールは失速/ スピン特性を悪化させる クロスコントロールには大別すると、 スキッ ドとスリップの2種類がある。 確かにスキッド は調和した飛行に比べると失速/スピンに陥り 易いが、 スリップは調和した飛行に比べても失 速/スピンに陥り難い。 避けねばならないのは クロスコントロールではなく、 スキッドである。 つまりストレスの高い低速低空での旋回中、 ボー ルセンターで完全な調和飛行が必要なのではな く、 スキッドサイドにさえ滑らなければ、 スピ ンのリスクが高くなることはない。 綱渡りをし ているのではなく、 崖端を歩いているだけだと 知ることは、 心に余裕を与えてくれる。 怖けれ ば若干崖から離れて歩けばいいのだ。 伝承4:失速/スピンになったらコン トロールを離せば回復する。 スピンの初期であれば、 コントロールから手 足を離すことで自然に回復する機体は存在する が、 離すタイミングが遅れたり、 他の条件が違 うだけで全く回復しないこともある。 実験、 確 認した例では、 訓練機として一般的なセスナ C150は、 スピンが確立すると手を離しただけ では回復しなかった。 それよりも、 突然の失速 /スピンで手を離すというのは人間にとって自 然な反応ではない。 ヨーク、 スティックを握り 締めるのが普通の反応だろう。 また、 大部分の 失速/スピンに起因する事故は TPA (traffic pattern altitude:場周経路での高度) と同じ かそれ以下の高度で発生しており、 たとえ手を 離すと自然回復する機体に乗っていて、 さらに パイロットが咄嗟に手を離すことができるとし ても、 正確に回復操作を行うよりも遥かに大き な高度を損失することになり、 その損失高度の 差は致命的になる可能性が高い。 伝承5:スピン中にボールを見れば 旋転方向が分る スピン中、 ボールは全く役に立たず、 信用し てはいけない。 ボールはコクピットを中心とし た軸でのヨーを指示しているが、 スピン中の機 体の旋転の軸はこのボールが基準としている軸 と大きく違っていることが多く、 ボールの指示 は必ずしも旋転方向と一致しない。 スピン軸に よっては、 サイドバイサイドのコクピットの両 座席正面近くに取り付けた2つのボールが、 ス ピン中にお互いに正反対を指す現象も起こる。 スピン中にその旋転方向を知るために指示を信 用して良い計器はターンニードルのみであり、 ボール、 ターンコーディネータ、 水平儀、 DG などは全て信用できない。 伝承6:スピンが続くにつれて 速度と旋転率が上昇する。 スピンは抗力の大きい機動であり、 速度は比 較的遅い状態で安定する。 そしてスピンが確立 すると (通常2∼4旋転かかる) 旋転率も安定 する。 損失高度を最小に留めるために出来るだ け早く回復するべきではあるが、 回復操作を始 めるのが遅れたからといって、 致命的な悪影響 が起こるわけではない。 高度に余裕があるので あれば、 慌てて不正確な回復操作をするより、 冷静に状況を見極めるまで待っても良いのだ。 伝承7:スピンが続くと 機体に構造ダメージがある。 スピン自体は低Gの機動である。 例えば背面 状態ではない通常のスピンでは基本的に機体と パイロットには1Gしか掛からない。 回復後の 引き起こしにGが掛かるが、 これはパイロット が制限内に制御できる。 ただし、 スピン回復後 は非常にピッチの深い降下姿勢であり、 このよ うな異常姿勢は通常の訓練では体験しない。 訓 練を行って適切な引き起こしを習得しなければ 制限Gを越えたり、 不十分な引き起こしで Vne を超えてしまう危険もある。 伝承8:事故的なスピンは回復する には低すぎる高度で発生する のでスピン訓練は無意味だ。 パイロットが目を覚ますと機体がスピンして いた、 というならこの伝承は真実と言って良い。 しかし、 典型的な失速/スピンは突然起こるの ではなく、 幾つもの前兆を伴う一連の過程を経 て起こる。 理解し易い状況設定型のスピン訓練 を通じて、 危険な兆候を敏感に捉えて修正する 技術を習得すれば、 事故的なスピンを未然に防 ぐことが出来る。 伝承9:スピンはジャイロ計器に悪い。 しばしばこの神話を理由に、 スピン訓練を避 ける学校や教官を見かける。 約20万件のジャイ ロ計器の点検修理を行ってきた TGH Aviation によれば、 水平指示器、 針路指示器の両者にお いて、 スピン訓練は通常使用以上の損耗を起こ さなかった。 360度対応でなく、 ケージ出来な いジャイロ計器では機械的に制限され、 ジンバ ルロックを起こすが、 これは損耗を特別増すも 2007 MAY 53 のではない。 ターンコーディネータは過度のフ ラットスピンによって障害が起こるが、 定期的 に意図的なフラットスピンを行うことは曲技飛 行学校の機体ですら一般的ではないため、 その ような障害はまれにしか発生しない。 以上、 Rich Stowell 氏と相談の上、 氏の著 作 「Stall / Spin Awareness」 から9の伝承と その解説を引用し加筆した。 私自身は、 EMT (緊急機動訓練) の学科を履修し、 頭ではきち んと理解した後ですら、 低速になると意味も無 く緊張した時期があったし、 この記事を読むま では、 ケージ出来ないジャイロ計器が搭載され た機体ではスピン訓練をすべきではないのだと 信じており、 思わず Rich に確認の電話をいれ て笑われてしまった。 伝承は思いの他、 深く広 く浸透しているようだ。 先日、 お会いした自家用パイロットの方は、 低速での飛行で舵が軽くスカスカになるのが怖 いと話しておられた。 これは未知の領域での飛 行に対する不安という、 非常に健全な反応であ る。 そして上記の伝承1 「低速は失速の元」 を 無意識に信じているせいでもある。 ただ、 低速 での飛行が怖いというのはパイロットしてその ままにして良いものではないと思う。 なぜなら、 実際の飛行では着陸の際には必ずこの領域での 飛行が必要になる。 どのような機体でどのよう な飛行をしても、 着陸をする以上は1回の飛行 で必ず1度は失速に近い大きな AOA を経験す る。 当然その前段階であるファイナルやベース への旋回でも通常の飛行に比べ大きい AOA に なっており、 些細な条件の違いで失速、 スピン に陥る可能性がある。 54 2007 MAY 充分な高度があり、 失敗に寛容な訓練環境で、 低速で大きい AOA での飛行に慣れ、 アプロー チ中の予想外の突風や、 操作ミスによる突発的 な失速、 スピンに対して対応できる技術を持ち、 無意味な恐怖心を抱かないようになることは、 安全のために非常に重要だと思う。 一度身についてしまえば、 体は本能的に反応 し、 無意識に失速、 スピンを予防するようにな るものなので、 機会があれば是非訓練を受けて みて欲しい。 左スピン中の Zlin242。 水平儀の表示は実際の姿勢 と全く一致していない。 ターンニードルは正しく左 を指しているが、 ボールは左端に張り付いておりス ピン旋転方向を反映しておらず、 ボールからスピン の旋転方向を判断することはできないことが分かる。 出張調査報告 ジェネラルアビエーション競技会 平成19年4月7日 於枕崎空港 奥貫 FAI (国際航空連盟) の航空スポーツ活動の 中に、 ジェネラルアビエーションの競技会があ ります。 小型の単発飛行機を使用して、 航法と 着陸の技量を競うものです。 100馬力級の飛行 機で参加できる手軽さから、 欧州を中心に、 盛 んに実施されています。 JAPA からは一昨年に、 デリゲートの高橋 氏が、 FAI のジェネラルアビエーション・ミー ティングに出席し、 昨年は奥貫が代理として出 席してきました。 今回は、 その両名が、 日本で の FAI のジェネラルアビエーション競技実行 の可能性を探るべく、 同様な目的のものとして、 以前から熊本の Super Wings が開催している 小型機操縦技術競技会を調査したものです。 FAI 競技の内、 航法の方は、 やや大がかり で長時間を要するため、 まだ日本では実行され ていないのですが、 現在、 Super Wings が呼 びかけて実行中の着陸の精度を競う競技の方は、 その目的も内容も、 FAI の着陸競技に非常に 近いものであることが確認されました。 従って、 頑張れば、 次回からは FAI 方式の競技として 実施できる可能性は、 大いにあると判断されま す。 では、 4月7日の午後に、 鹿児島県の枕崎空 港で開催された競技の内容について、 個々に見 て行きたいと思います。 博 て、 その着陸精度と、 安全確実な実行を競うも のです。 採点は、 接地位置による得点を基本として、 それに機内、 機外からの減点が行われます。 こ の辺の内容は、 FAI のものと良く似ています。 機内審判がいますので、 不適正な操作は、 直 ちに減点の対象となります、 また、 接地点の滑 走路脇には主審がいて、 着陸の操作全般に厳し い目を光らせます。 接地位置による得点は、 基準接地位置を中心 とする25m のゾーンを満点とし、 1回の着陸 は50点満点、 2回の着陸では100点が満点とな ります。 また、 そこからの逸脱の程度により得 点は減少します。 当然ですが、 手前側の接地は、 より厳しく原点されます、 これらの得点から、 接地姿勢等による減点及 び、 機内での採点結果を反映して、 最終得点が 得られます。 現在実行中の着陸精度競技の概要 競技は、 右の図に示すように対地高度800Ft のダウンウインドから通常の着陸を1回、 また、 接地点上空対地1400Ft でエンジンをアイドル とする360度オーバーヘッド滑空着陸を1回行っ 国内の着陸精度競技の飛行パターン 2007 MAY 55 今後の課題 −FAI 競技の実現を目指して− 好成績のセスナ172の着陸 驚異の成績 (技量) さて今回の結果ですが、 正直、 驚きました、 1位から3位まで、 360度オーバーヘッド滑空 着陸も、 通常の着陸も、 接地位置が全て満点な のです。 当日はかなりの風がある難しいコンディ ションでしたが、 前後25m の範囲に接地させ、 姿勢等の減点勝負となりました。 その結果、 2回とも接地位置誤差ゼロ、 また、 減点もゼロで、 福田さんのパーフェクト優勝と なりました。 2位は、 惜しくも接地姿勢の減点 で満点を逃した管さん、 3位は進入時のパワー の使い方での減点が響いた井上さんでした。 以上は FA200でのエントリーでしたが、 C 172でエントリーした鹿児島の峯崎さんは、 360 度オーバーヘッド滑空着陸でほんの少し、 満点 ゾーンを越え、 5点の差で4位でしたが、 強風 の中、 C172をそこまでコントロールした技量 は FA200勢を超える立派なものでした。 順 位 出場 選手 1 2 さて、 FAI 競技としての実行を視野に入れ た今後の課題ですが、 先ずは、 第一段階として、 着陸競技を FAI 方式に合せ、 広く全国に呼び かけての実施を考えたいと思います。 FAI の着陸競技には Rally Flying と Precision Flying (精密飛行競技) があり、 滑空着 陸を含めて着陸精度をよりシビアに競うのは Precision Flying の方です。 Rally Flying の 方は、 通常のパワーを使用した着陸の精度のみ を競います。 競技内容の相違は、 次ページの表に示す通り で、 FAI 方式は採点の刻みが細かく、 滑走路 のマーキング、 及び、 厳正な採点には、 かなり の労力と人数を要する要素はありますが、 目指 すところは同様と考えることができます。 実施場所の課題 この競技では、 滑走路に接地位置採点用のマー キング (テープ標識貼付け) を実施し、 滑走路 脇に採点者を配置する必要があります。 従って 一般の空港での実施には無理があります。 そのため、 これまでは、 枕崎空港、 あるいは、 大分県央空港といった、 小型機専用の飛行場で 実施されてきました。 この事情は、 これからも変わりませんので、 今 後も、 このような飛行場又は場外離着陸場等で の実施になることと思います。 得 点 出場 機体 通常 着陸 滑空 着陸 福田 FA200 50 管 FA200 50 3 井上 FA200 4 峯崎 5 中田 減点 合計 50 0 100 50 -10 90 50 50 -10 90 C172 40 50 -5 85 FA200 50 50 -20 80 今回の着陸競技会の成績 滑走路への接地位置のマーキング 56 2007 MAY 国内で実行中の着陸競技 通常着陸 FAI 精密飛行競技 FAI ラリー競技 ・通常の180度着陸 ・パワー使用可 ・フラップ使用可 ・通常の180度着陸 ・パワー使用可 ・フラップ使用可 ・180度着陸パターンからの 2m の障害物超え着陸 ・パワー使用可 ・フラップ使用可 ・通常のパワーオン着陸 ・パワー使用可 ・フラップ使用可 ・180度滑空着陸 ・パワーオフ ・フラップ等使用可 滑空着陸 ・360度滑空着陸 ・パワーオフ ・フラップ使用可 採点評価 ・接地位置得点 最高得点幅前後25m 以降10m ごとに減点 ・着陸操作減点 ・接地姿勢減点 ― ・180度滑空着陸 ・パワーオフ ・フラップ等使用禁止 ・接地位置減点 減点ゼロ幅前後2m 以降1m ごとに減点 ・着陸操作減点 ・接地姿勢減点 ・接地位置減点 減点ゼロ幅前後2m 以降1m ごとに減点 ・着陸操作減点 ・接地姿勢減点 FAI 着陸競技と国内の着陸競技の比較 お わ り に ライセンスを取得した後、 必要な技量をきち んと維持して行くことの重要性は、 言うまでも ありません。 その中でも、 基本に則った安全確実な着陸は もとより、 単発機の操縦者にとって、 不時着技 量を常に維持しておくことは、 最も重要な責務 のひとつで、 それがきちんとできるか否かは生 死を分けるほどの差があります。 とはいえ、 改めて訓練を受けるのも味気ない ものですので、 スポーツ的な感覚で競い合うこ とを通じて、 楽しく実行できるなら、 これに越 したことはありません。 その意味からも、 現在の競技を更に FAI 方 式の着陸精度競技会に進化させ、 技量維持研修 会と同様に、 JAPA のジェネラルアビエーショ ン部会からも広く呼びかけ、 実行を推進する意 義は大いにあると考えます。 また、 将来的には、 FAI ジェネラルアビエー ション競技の本来の姿である、 航法競技と組合 わせての実行についても検討を進めて行きたい と考えます 今回優勝の福田さん ☆出典・関連情報等 NPO 法人 Super Wings (*) 操縦技術競技会 資料 *:http://www.super-wings.com/ FAI ジェネラルアビエーション競技ルール等 ・Rally Flying ・Precision Flying (精密飛行競技) ・Sporting Code http://www.fai.org/general_aviation/ documents 2007 MAY 57 地球環境問題関連用語の解説 10 過去の用語解説で、 28が抜けていましたので、 今回28を追加で紹介します。 28. Cut Back リフト・オフ後、 離陸騒音測定点の手前から、 エンジンの推力を、 最大離陸推力から若干絞っ て (Cut Back)、 実際の騒音を減らそうという 方式で、 特定空港周辺の騒音軽減対策として採 用している航空会社が多くあります。 しかし、 この方式は、 Noise Footprint 作成には利用で きません。 42. 低公害車 (クリーン・エネルギー車) 同じ交通機関である自動車の世界では、 低公 害車といわれる有害物質の排出が少ない自動車 が開発され、 少しずつ普及しています。 すなわ ち、 天然ガス車、 電気自動車、 燃料電池自動車、 メタノール車、 ハイブリッド車等です。 43. 水素航空機 航空機の世界には、 低公害航空機と言われる ものはまだ出現していません。 水素航空機の研 究が開始されて、 30数年が経過していますが、 実用化にはまだまだ年数がかかりそうです。 ----------------------------------------------------------下記は、 1982年8月に、 JAPA が開催した 国際航空シンポジウムで、 Lockheed 社の上級 顧問 ウイリス M. ホーキンス氏によって行わ れた“2000年以降の新しい航空機と燃料の展望” という講演の結論部分です。 ********************* 結論 液体水素が、 速度・経済性・低公害・運航距 離・航続時間・飛行高度など、 飛行機の性能と 低騒音および安全性を大幅に高める、 絶好の機 会をもたらす総合的な結論に是非言及しておき たい。 LH2 (液化水素) を使用して、 月に人間 を運んだ国の許認可権をもつ官庁が、 国民に受 け入れられる民間機や軍用機に、 この燃料を応 用する基礎的な開発さえも行ってこなかったの 58 2007 MAY は、 いかにもバランスを欠いている。 創造力の ある国が、 世界をリードしていく機会は今であ る。 LH2のエネルギー密度は、 他の如何なる方法 をもってしても不可能な性能の達成を可能とし、 飛行高度、 航続時間、 速度を増すことにより、 他の方法では実行できない多くの任務の企画が できるので、 この種の飛行機こそ水素開発の促 進剤になり得るものと思われる。 終りに、 水素は如何なるエネルギー源からも 生産することができ、 環境にほとんど影響を与 えない唯一の燃料なので、 化石エネルギー源の ない国または大量の化石エネルギー資源を使え ない国に、 エネルギーを配分する最も普遍的に して便利な手段となろう。 石炭に強く依存してきた国には、 とりわけ水 素の利用は重要になると考えられる。 化石エネ ルギーをめぐる国際政治の影響を受けないため に、 太陽、 風、 原子力、 波、 水力などに依存せ ざるを得ない国々の間では、 水素の利用に関す る主要な研究開発で利害関係が発生するのは確 実である。 直ちに、 開発に着手しても、 早す ぎることは決してない。 残された地下資源の上で惰眠をむさぼること のない国こそが、 栄光の21世紀をリードする絶 好の機会を持つ、 と私には思える。 ********************* すでに、 この講演当時から4半世紀経過して いますが、 現在でも有効なメッセージではない でしょうか。 地球環境問題を考える上で、 この 講演内容を、 用語解説とは別に、 PILOT 誌に 再掲載する予定です。 第9回掲載用語 40. エンジン換装 41. 航空機騒音地図 (Noise Footprint) 連 載 航 空 ● 曼 史 ● 陀 羅 その17. アメリア・イヤハート 伝説 満40歳になった ばかりのアメリ ア・イヤハート (写真1) は、 世 界一周飛行の途 上、 米国西海岸の 最終目的地オーク ランドを目前にし て、 南太平洋上で 消息を絶った。 ア メリカ国民にとっ て、 リンドバーグ が 「 不 滅 の ヒ ー 写真1 アメリア・イヤハート ロー」 なら、 彼女は、 それに勝るとも劣らない 空のスーパー・スターであった。 それは今でも 色あせない 「永遠のヒロイン」 である。 ある日 突然、 航空界にデビューした彼女は、 9年後、 忽然とこの世から姿を消したのである。 アメリ カの国会図書館に収められているアメリア関連 の書物は60冊以上にもおよぶが、 彼女の冒険心 に富んだ、 ドラマチックな短い生涯にスポット を当ててみたい。 1897年6月24日、 カンザス州の小さな町アチ ソンで、 弁護士エドウィン夫妻の2人姉妹の長 女として誕生、 母方の富裕な祖父母に愛されて 幼年時代を過ごした。 11歳のときに、 デイモン 市で開催されたアイオワ州博覧会で、 はじめて 飛行機を目の当たりにしたが、 この時には特別 な関心を示していない。 ライト兄弟初飛行の5 年後のことであったが、 アメリアが空へ目覚め るのは、 まだ10年先になる。 徳田 忠成 1916年には、 フィラデルフィア近郊のジュニ ア・カレッジであるオゴンツ・スクールに入学、 厳格な淑女教育を受けた。 少女時代は、 キャン ディよりもセロリが好きという変わった女の子 で、 荒々しいカウボーイやインディアン遊びを 敬遠し、 どちらかというと目立たない大人しい 性格だったようだ。 文学好きなところがあった が、 多分にこれは、 読書好きな父親譲りだった ようだ。 アメリアはペンネームを使って、 ときどき雑 誌に投稿するおませなところもあったが、 彼女 の高校卒業写真の注には、 「茶色の服を着た孤 独な少女」 と書かれている。 事実、 後年の彼女 の写真は、 意志の強さを匂わせながらも、 どこ か憂いを含んだ寂しい瞳が印象的である。 人嫌 いで、 「ローン・イーグル」 と呼ばれたリンド バーグの相貌と、 どこか共通するものがあり興 味深い。 1918年卒業と同時に、 カナダのトロントにあ るスパディナ軍病院にボランティアの補助看護 婦として勤務したが、 この時、 第一次大戦によっ て負傷した傷病兵の看護をとおして衝撃をうけ、 生涯、 パシフィスト (平和主義者) の道を歩む ことになった。 翌年、 母や妹が住んでいるマサチュセッツ州 へ帰り、 コロンビア大学医学部の予科生になる が、 在学中の夏休みにカリフォルニア州へ行き、 そこの航空ショーで、 まだ無名のころのフラン ク・ホークスが操縦する飛行に初めて同乗、 すっ かり空の魅力にとりつかれてしまった。 彼女が パイロットを志した第一歩であり、 23歳のとき である。 ちなみにフランク (1897−1938) は 2007 MAY 59 1930年8月、 米大陸横断飛行時間記録 (東、 西 両方向) を樹立し、 パイロットとしての名声を 勝ちえたが、 1938年に墜死した。 大学1年修了をまって、 あっさりと中退した 彼女は、 飛行訓練を受けるべく、 翌1920年に父 母が住んでいたロスアンゼルスへ移り住んだ。 子供たちを可愛がっていた父親エドウィンは、 弁護士ながらお人好しで意志が弱く、 アルコー ル中毒のために仕事もなく、 家計は苦しく、 父 母のいさかいが絶えなかったようだ。 アメリアは、 女性パイロットのネタ・スヌー ク嬢によって飛行訓練を受けたが、 一回15分間 の飛行で15ドルの授業料捻出のため、 28種もの 仕事をわたり歩いたという。 そして1922年に念 願の飛行免許を取得、 早速、 全財産をはたいて 飛行機を購入、 その3ヶ月後には、 非公式なが ら、 いきなり女性飛行高度記録14,000ft を創っ て、 世間を驚かした。 ほんの2週間前にルース・ ニコルスが出した記録をあっさり破ってしまっ たのである。 ところが父母の亀裂は深まり、 ついに離婚に まで発展してしまった。 アメリアは飛行を楽し むどころではなく、 悲しみにつつまれた。 思案 の末、 自家用機を処分、 その資金で自動車を買 い、 母親と妹を連れて米大陸をドライブ、 元の マサチュセッツ州へ移って居をかまえた。 そし て、 ボストンにある社会福祉施設デニソン・ハ ウスで、 ソーシャル・ワーカーとして働き、 ほ とんど飛ぶことはなかった。 ところが、 幸か不幸か、 突然に大西洋横断飛 行の話が持ち上がったのである。 それは仕事場 にかかってきた一本の電話から始まった。 「大 西洋横断飛行に同乗しないか」 というもので、 電話の主は、 この飛行企画のスポンサーである 億万長者フレデリック・ゲスト夫人の代理人で あった。 ゲスト夫人は、 女性パイロットとして多少と も名の知れたアメリアたち女性パイロットの活 躍に刺激された。 自分も挑戦してみようと、 フォッカー F. b/3m 3葉を水上機に改造し た 「フレンドシップ」 号 (写真2) を買ったま 60 2007 MAY 写真2 フレンドシップ号 ではよかったが、 家族の大反対にあ い断念、 替わりに 白羽の矢がたった のがイヤハートで ある。 この選抜 は、 イギリス生ま れの誇り高きゲス ト夫人らしく、 典 型的なヤンキー娘 で容姿端麗、 大卒 で教養のあるパイ ロット、 しかも、 写真3 ジョージ・P・パトナム イギリス社会に受け入れられるマナーの持ち主 と、 ハードルがたかい。 イヤハートは心踊る気持で引き受けたが、 こ の時の飛行計画の運営にあたったのがジョージ・ P・パトナム (写真3) であり、 のちの夫であっ た。 そしてリンドバーグが単独大西洋横断飛行 に成功した翌年6月、 飛行時間20時間40分で、 初の女性による大西洋横断飛行に成功したので ある。 彼女は 「20時間40分」 を処女出版して飛行内 容を語っているが、 「私がしたことといえば、 腹這いになって雲の写真を撮っただけ」 と、 自 嘲気味に書いている。 しかし、 その風貌がリン ドバーグに似ているところから、 レディ・リン ディ (リンディはリンドバーグの愛称) と呼ば れて、 全世界の喚声につつまれた。 この時から太平洋の彼方へ、 永遠に消え去る までの彼女の凝縮した9年間は、 アメリカ国民 にとってハリウッド・スターなみの人気を呼び、 劇的な幕切れによって多くの謎に包まれ、 憶測 が飛び交い、 彼女の名声は伝説として、 今日、 受け継がれている。 世界一周飛行までの彼女の 波瀾な足跡を追ってみよう。 大西洋横断飛行を達成した後、 それまで付き 合っていたサム・チャップマンとの婚約を解消、 その直後の9月から10月にかけて、 女性初の単 独米大陸往復横断飛行を達成した。 さらに翌 1929年、 念願のロッキード・ベガを入手、 夏季 におこなわれた女性だけのクロスカントリー競 技に出場、 カリフォルニア州サンタモニカから オハイオ州クリーブランドまでの女性アビエイ ター速度競技で3位に入賞している。 1930年、 33歳のとき、 徹底したフェミニスト (男女同権論者) だった彼女は、 女性パイロッ ト組織 「The 99's」 を立ち上げて初代会長とな り、 その運営と女性解放運動に力を注いだ。 こ の風変わりな名称は、 全米の117名の女性パイ ロットにメイルで参加を呼びかけたとき、 99人 が賛意を表したことに由来する。 この動機は、 完全に男に牛耳られている日進 月歩の航空界での熾烈な記録競争に抵抗を感じ たからだ。 男ができることを女にできないこと はない、 という強い信念に基づいていた。 この 年8月、 母親エミィと別れてニューヨークに住 写真4 パトナム夫妻 んでいた父親エドウィンは、 ガンで淋しく亡く なった。 1930年7月には時速181.8mph の女性速度記 録を達成した。 翌年2月、 34歳のとき、 優秀な 出版業者ながら離婚歴のあるジョージ・パトナ ムと結婚 (写真4)、 以降、 アメリアの飛行の PR は彼の担当となり、 その手腕によってより 派手に宣伝され、 彼女が亡くなるまで続いた。 4月には自前のオートジャイロ機で18,451ft の 高度記録達成、 つづいて同じ機体で、 単独米大 陸往復横断飛行を達成した。 そして1932年、 「空の魅力」 を著したあと、 いよいよ単独大西 洋横断飛行へ挑戦したのである。 単にお客として同乗した前回とちがい、 深紅 にペイントされたロッキード・ヴェガ単葉機 (写真5) に乗り、 5月20日にニューファンド ランド島ハーバー・グレイスを出発、 約3,100 km を飛んで北アイルランドのロンドンデリー 近郊の牧場に到着、 女性初の単独北大西洋横断 飛行に成功したのである。 飛行時間は15時間18 分、 この年はリンドバーグ飛行5周年にあたり、 大西洋を二度飛行した最初の人という名誉にも 輝いた。 さらに8月24日には、 ロスアンゼルスから ニュージャージー州ニューアークまでの米大陸 間3,988km を19時間5分で飛翔、 女性による 初の最短時間飛行記録をつくると同時に、 単独 最長飛行距離記録をつくったのである。 この功績によって、 アメリアは米国議会によ 写真5 ロッキード・ヴェガ単葉機 2007 MAY 61 る飛行十字勲章、 フランス政府によるレジオン・ ド・ヌール騎士十字勲章、 国際地理学会による ゴールド・メダル、 国民航空協会の名誉会員資 格、 ハーモン・トロフィーと、 輝かしい数々の 賞が授与された。 その年の航空に最も貢献した 女性へ贈られるハーモン・トロフィーは、 これ 以降、 4年連続して授賞したのである。 なお、 時の大統領ルーズベルトのゲストとして、 ホワ イト・ハウスにも招待された。 さらに1935年に入っても彼女の活躍はつづい た。 まず1月11日から12日にかけて、 ロッキー ド・ヴェガ機により、 ハワイのオアフ島ホイー ラー陸軍航空基地を離陸、 カリフォルニア州オー クランドまでの3,852km を17時間7分という、 男女を通じての単独最速飛行記録をつくった。 オークランドのベイ・ファーム空港へ着陸した ときは、 1万人以上の群衆によって迎えられた のである。 次がカリフォルニア州バーバンクからメキシ コシティまでの2,720km である。 これは4月19 日から20日にかけて、 メキシコ政府からの公式 招待による飛行だった。 目的地を目前にして、 目の中に入った虫を取り除くため、 メキシコシ ティ北方80km の砂漠に着陸せざるをえなかっ たが、 無給油だったことから、 無着陸飛行と公 式に認定された。 復路の飛行では、 標高8,000ft というヴァル ベナ空港を出発した。 標高の故に浮揚が心配だっ たが安全に離陸、 あとは快適に飛行した。 そし てニュージャージー州ニューアーク空港に到着 したときは、 熱狂的な大群衆に迎えられた。 いよいよ彼女の最終章が近づいていた。 1936 年7月には、 パーディユ大学の資金援助により、 双発のロッキード・エレクトラ機 (写真6) を 手にし、 次年の世界一周飛行への入念な準備に とりかかった。 この機体は操縦が難しいといわ れたが、 日本海軍でも実験用に1機購入してい る。 全幅16.8m、 全長11.8m、 エンジン P&W ワプス550馬力2基を装備した、 全金属製双発 双垂直尾翼の新鋭機である。 プロトタイプの航 続距離は1,110km であったが、 燃料タンクを 62 2007 MAY 写真6 ロッキード・エレクトラ機 大改造して、 計算上で6,400km までの飛行を 可能にしている。 彼女は世界一周飛行に先だって、 全米各地を 講演、 ラジオ番組の出演、 雑誌に記事を掲載、 「ラッキーストライク」 の CM に登場等々、 資 金集めに東奔西走した。 1937年3月17日、 飛行士フレッド・ヌーナン (44) と共に、 西回り世界一周飛行へ飛び立っ た。 シカゴ生まれのヌーナンは船舶会社の航海 士をへてパンナムに入社、 航空士として就航機 「チャイナクリッパー」 に搭乗し、 十数回もの 太平洋飛行の経験をもっているナビゲーターの 第一人者であった。 オークランドからハワイ島のホノルルへ向け、 まず15時間47分の記録で、 無事、 到着した。 そ して20日、 そこから赤道付近の米領であるハウ ランド島を目指したが、 離陸直前にグランド・ ループを起こして機体が破損、 飛行中止を余儀 なくされた。 幸いに乗員に異常はなかったが、 事故原因は主脚のメカニカルな故障と判断され た。 再起を図った彼女は、 ロッキード社でエレク トラの修理をおこなった。 内容は主翼、 主脚、 プロペラ、 燃料系統の増槽、 計器の交換と無線 機材の改修など、 相当に広汎なものだった。 修 理後は大陸横断飛行でマイアミへ移送、 ヌーナ ンと2人で1937年6月1日早朝、 赤道を中心と する全航程46,400km の世界一周飛行に旅立っ たのである。 優秀なナビゲーターのヌーナンと スペリー自動操縦装置に助けられて、 南大西洋、 未開の地アフリカからアラビヤ、 インド、 それ から東南アジアをへて、 パプア・ニューギニア のラエに到着したのは、 出発から約1ヶ月後の 6月30日であった。 次はハウランド島、 それから最後の飛行、 そ れは7月4日のアメリカ合衆国独立記念日に合 わせて、 最終目的地であるアメリカ西海岸のオー クランドに到着する予定であった。 アメリアは、 夫パトナムの説得によって、 この飛行後、 キッ パリと操縦から手を引く予定であった。 そのか わりパトナムは積極的な宣伝活動をおこない、 新聞やラジオで大々的に取りあげられた。 この宣伝活動によってイヤハートは、 実力以 上に評価されたといわれるが、 飛行計画には確 かに無謀なところがあった。 戦争が勃発しそう で適切でない航路も含まれていた。 しかし、 勝 ち気な彼女は、 世の男性に負けまいとする旺盛 なパイオニア精神が、 逆に困難に立ち向かう気 概となって現れたかもしれない。 この航路は地 球を一周する中での最長距離であり、 もっとも 未知で、 もっとも飛行場が少なく、 もっとも給 油チャンスが少ない、 もっとも文明からかけは なれた地域だったのである。 天候不順のためにラエで2日間の足止めをくっ たが、 7月2日午前10時、 ようやく次の目的地 である太平洋の孤島ハウランド島へ向かって飛 びたった (図1)。 プラン上の飛行時間18時間 30分、 燃料は満載の約1,000ガロンで20∼21時 間は飛行可能と算出、 勿論、 アメリアにとって、 もっとも危険な挑戦であった。 機首を北西にとって離陸、 但し、 約900m 滑 走路をフルに使用して、 ようやく浮き上がった。 この様子を雁行しながらウオッチしていたギニ ア航空パイロットによると、 明かな超過重量に より、 しばらくは100ft 以下の高度で、 海上を 這うように飛行していたという。 ハウランド島は、 長さ1マイル半の小島であ り、 飛行距離4,090km、 およそ18時間ののちに 太平洋上で見つけるのは、 ワラの山から針を探 し出すに等しい困難なものだった。 ラエ飛行場出発時は、 巡視艇 「オンタリオ」 号によって、 毎時、 気象通報がアメリアへ送ら れた。 ハウランド到着予定時刻は、 日付変更線 を通過するため、 2日の午前8時 (離陸後18時 間) の予定、 監視船 「アイタスカ」 号は、 ハウ 写真7 アメリアの失踪を報ずる当時の新聞 ランド島沖合で警戒態勢に入っていたが、 ほと んどラジオによる援助ができなかった。 そして 午前8時44分に、 「南北方向へ飛行中……」 と いう最後の言葉を残して、 永遠に洋上に消え去っ たのである (写真7)。 時のアメリカ大統領ルーズベルトは、 直ちに 米海軍による捜索を命じた。 空母 「レキシント ン」、 戦艦 「コロラド」 など軍艦6隻、 航空機 66機が出動し、 広大な海域での大がかりな捜索 が開始された。 しかし、 彼女の手掛かりはまっ たく皆無で、 ついに7月12日に捜査は打ち切ら れたのである。 準備中だった彼女の第3作目 「世界一周飛行」 の執筆は夢と消え、 「最後の飛行」 と題して、 のちにパトナムが加筆したものが出版された。 時は下って1941年の太平洋戦争勃発後、 「ア メリアは日本の南洋群島委託統治領上空を、 大 統領の指示によってスパイ飛行したため、 日本 軍に処刑された」 という、 とんでもない噂が流 れた。 しかし、 この真相究明に従事していた米 国の民間団体である TIGHAR (The International Group for Historic Recovery) は、 1989 年以降、 3次にわたる現地調査を実施、 そして 2007 MAY 63 図1 アメリアの世界一周飛行路線後半 1992年3月、 ついに 「アメリアは不時着水によっ て死亡したことが証明された」 と発表したので ある。 前掲したようにアメリアは、 女性パイロット としてだけでなく、 その一方で、 女性解放運動 のパイオニアとしても名声があり、 現在でも彼 女を崇拝する声が絶えない。 フェミニズム運動 が盛りかえした1990年代の米国では、 彼女に関 64 2007 MAY する本が書店の店頭をかざり、 オフ・ブロード ウェイでは、 彼女の世界一周飛行をテーマにし た芝居が演じられ、 ダイアン・キートン扮する テレビ映画までが放映された。 The 99's の活動は存続され、 2004年現在で は世界35ヶ国、 6,500人を越えるほどに成長し ている。 極東支部では1976年7月25日に、 日本 女性航空協会が窓口となって支部が結成され、 現在に至っている。 急性心筋梗塞から生還 ―その後の1年 元パイロット K.I.からの励まし 「急性心筋梗塞からの生還」 −好奇心旺盛な 入院患者の感じたこと−という体験記を K. I. というイニシアルで書いて PILOT 誌 (2006 No.3 MAY) に掲載し、 一部関係者にそのコ ピーを配ったところ、 K. I. のイニシアルをも つ大学時代の同期生から、 思わぬコメントをも らいました。 その一部を原文のまま紹介します。 「お前のな、“急性心筋梗塞からの生還”、 見る と K. I 記と書いてあるやんか。 敬愛する K. I 様よ。 実は俺も、 他ならぬ K. I さまよ。 因果 やのう。 腐れ縁と云うのかなあ。 そういう訳で、 これは一つ、 励まさなければな るまい。 なんて思ったわけよ。 (励まされなあ かんのは、 こっちかも知れんけどな。) 俺達のような、 飲兵衛ならば、 「まあ、 一杯やっ て、 元気出せ」 と菰酒でも送れば済むのだが、 生憎、 お前は下戸やからなあ。 パイロットや酒 屋には適性やったけどなあ。 励ますとなるとなあ。 俺みたいに、 不器用で、 あれこれ何でも、 ちゅうわけにいかん人類は困 るんやなあ。 そうやなあ。 お前も、 もう70年生きたわけやか ら、“足るを知る”と、 くたばるか、“力足らざ るは中道にて廃す”いやいや中道は既に、 とう の昔に過ぎ去って、 今や終道に差し掛かっては いるが、 尚、“我未だ畫 (かぎ) らず。”と頑張 るか。 そうすれば孔子は喜ぶやろなあ。 「なあ、 俺ゆうたやろ。 な、 な。」 って。 ……」 今回も、 実名を伏せてイニシアルだけで書く ことにしましたが、 ひょっとして迷惑を掛けた かも、 あるいは今後かけるかも知れない、 イニ シアルが同じ同期生や先輩・後輩の皆様、 この 一文を読んで健康の有り難さを納得して下さい。 K. I . 記 カレンダーでみる発病後の経過 2006 2 12:緊急入院 (心臓カテーテル療法) (ステント留置) 2006 3 8:退院前心臓カテーテル検査 2006 3 9:退院 2006 3 22:通院リハビリ検査 2006 4 17:退院後1ヶ月目検診 2006 5 22:1ヶ月検診 2006 5 30:通院リハビリ検査 2006 7 3:定期検診 2006 8 1:通院リハビリ体力検査 2006 8 25:核医学検査 2006 9 11:退院6ヶ月目検査入院 2006 9 12:心臓カテーテル検査 (再狭窄判明) 2006 9 13:退院 2006 9 20:定期検診 2006 10 3:治療入院 2006 10 4:心臓カテーテル療法 2006 10 5:退院 2006 10 16:定期検診 2006 12 11:定期検診 2006 12 21:トレッドミル検査 2007 1 11:検査入院 2007 1 12:心臓カテーテル検査 2007 1 13:退院 2007 1 17:臨時検診 2007 1 31:定期検診 2007 2 16:核医学検査 2007 2 21:定期検診 2007 3 12:治療入院 2007 3 13:心臓カテーテル療法 2007 3 14:退院 2007 4 23:定期検診 今後の予定 2007 6 11:検査入院 2007 6 12:心臓カテーテル検査 2007 6 13:退院 6月の検査で、 再狭窄が認められなければ、 暫く (どれくらいの期間かわかりません) 入院 2007 MAY 65 せずに様子を見ることになっています。 大量の皮下出血 2006年9月の検査入院、 10月の治療入院は通 常の間隔ですが、 2007年1月の検査入院後、 3 月の治療入院と大幅に延びた理由は、 下記のと おりです。 1月の検査入院後の心臓カテーテル 検査での止血後、 約6時間の絶対安静を経て、 担当医による止血確認のあと、 傷口圧迫固定テー プを除去してもらった2∼3分後に発生した、 皮下出血の事後処置の経過によるものです。 この時は、 医師・看護師ともに退室し、 1人 でベッドからおり立って着替えをしている間に、 下腹部に違和感が生じたため、 ナースコール・ ボタンで異常を訴えました。 急遽、 看護師と当 直医師がかけつけ、 圧迫止血を試みて呉れまし た。 この間、 看護師の最高血圧60と読み上げる 声が聞こえた時は、 さすがに意識朦朧とする中 このまま天国かとの思いがよぎりましたが、 幸 い止血に成功し、 それから約6時間の安静を経 て、 再度テープを除去し予定通り退院 OK と なりました。 遺書を書かない者は死なないと変 な理由付けをし、 勝手に納得したものです。 ところが、 退院後3日目くらいから、 右足付 け根周辺が広範囲にわたり紫色に変色し、 下腹 部から陰嚢まで腫れ歩行にも支障をきたすよう になったため、 急遽病院で診察を受け、 若干の 検査と治療を実施し、 服薬の変更等事後の治療 方針を決め、 2月の治療入院が3月に延期とな りました。 3月の治療入院の際は、 病院側でも 気にしてくれたのか、 丁寧な止血であったと素 人にも感じられました。 事実、 過去の退院後に は、 必ず認められた皮膚の紫色への変色が今回 は発生しませんでした。 心筋梗塞病態およびその術後結果は、 個人に よって大きく異なり、 筆者の場合の経験が、 誰 にでも当てはまるものでないことを、 特に強調 しておきます。 66 2007 MAY ウォーキングあれこれ 2006年3月の退院後、 少しずつウォーキング の距離を伸ばす努力をしてきました。 最終目標 は1日平均1万歩とリハビリ担当の先生 (理学 療法士) から聞いていますが、 現実にはこれを 実現できていません。 ウォーキングを頑張らね ばという気持ちを萎えさせる最大の要因は、 そ の日の天候です。 要するに怠け心が優先してし まうのが実情で、 この1年間の平均は5,000歩 弱でした。 約1/3の心筋がダメージを受けた心臓を、 かば いながら、 胸の中に抱きかかえるような感じの ウォーキング中に感じたあれこれを記してみま した。 テノール鶯の鳴き声 最初の長期入院から無事退院した去年の3 月以降、 数ヶ月にわたり鶯の鳴き声を聴きな がらウォーキングしました。 今年もまた、 同 じさえずりを聴いています。 鶯にも声の良し 悪しがあるのが判ります。 今年は、 テノール 歌手並みの鳴き声で拍手してやりたいくらい です。 道端に棄てられたタバコの吸殻 リハビリを兼ねて、 小学1年生の孫娘を駅 まで送り迎えをしながら一緒に歩く努力をし てきました。 途中100段ほどある階段のルートで駅まで 約800m、 わずか10分程の距離で、 道路の両 端に散乱しているタバコの吸殻が目に付き、 孫と一緒にその数を何回か数えたことがあり ます。 平均すると100前後みつかりましたが、 タバコを吸う大人のマナーの悪さを痛切に感 じる1年有余でした。 心拍数110以下のペース ウォーキング・ルートの坂道や階段を登る とき、 当然のことながら心拍数増加します。 無理をするなとの理学療法士のアドバイスで、 心拍数110以上にならないようゆっくりと歩 いていますので、 毎回駅に急ぐ人には追い越 されます。 ところが、 場合によっては他の ウォーキングをしている人達を、 追い越すこ ともあり、 同病の方かなと想像しながら、 交 通事故に遭わないように注意してウォーキン グしています。 万歩計 最初の頃は、 万歩計をつけて歩いていたの ですが、 自分のペースをつかんでからは、 万 歩計なしで大体の歩数がわかるようになりま した。 平均すると1分間で100歩のペースで す。 過去1回だけ一日13,000歩の記録が残っ ています。 犬の顔 ウォーキングの途中、 犬を散歩させている 人と時々すれ違うことがあります。 その時密 かに飼い主と犬の顔を注意して比べる癖がつ いてしまいました。 なぜ犬の顔は、 飼い主に 似てくるのか理由は判りませんが、 思わず顔 に出さずに笑ってしまうことが多いのです。 このことは、 心臓病と関係はありませんが、 今春、 獣医資格をとった姪に聞いてみようと 思っています。 食事制限で減量 昨年の緊急入院時、 74kg あった体重が3月 の退院時は71kg、 その後1日1,600kcal におさ える食事制限で、 毎月1kg 弱減量し、 10月に は65kg にまで減らす事が出来ました。 体重が 軽くなったために、 体を動かすことは、 あまり 苦にならなくなったのも事実ですが、 食事制限 のために、 いつも空腹で精神衛生上は良くない 状態にあります。 多分これ以上の減量は難しい と感じている今日この頃です。 ウオ−キングで 消費するカロリーは意外に少なく、 要は食べな いことが減量に対して効果的であるのを実感し ています。 服薬 朝、 昼、 夕と下記のような6種類の薬を服用 していますが、 中に血液をさらさらにする薬が あり、 日常生活での注意事項が多くあります。 ニコランタ (3食後):心臓へ酸素や栄養を送 る冠血管を拡げ、 狭心症の症状を改善する バイアスピリン (朝食後):血を固まりにくく し、 血液の流れを良くする。 冠血管が狭くなる のを予防して狭心症、 心筋梗塞、 脳梗塞を予防 する レニベーゼ (朝食後):抹消の血管を拡げ、 心 臓の働きを助ける タケプロン (朝食後):胃酸分泌を強力に抑え、 胃・十二指腸潰瘍や逆流性食道炎の症状を改善 する アーチスト (朝夕食後):脈をゆっくりにして、 心臓が消費する酸素やエネルギーの量を減少さ せ、 心臓の負担を軽くする ワーファリン (朝食後):血液を固まりにくく する 特に、 このワーファリンの効果を減らす食べ 物は、 摂取しないよう気をつけています。 すな わち①納豆やクロレラを食べない②緑黄野菜を 大量に食べないが主な留意点です。 プラス、 怪 我をしないこと、 特に出血しないよう注意して います。 この間に発生した飛蚊症 夏場ワーキングの途中で、 空を見上げると細 かいホコリが視野全面に見え、 かつ目線を動か すと、 黒っぽい灰色の変な模様が眼の中を移動 するのが見つかりました。 心臓病の後遺症かと 心配をして、 眼科の診察を受けたところ、 飛蚊 症との診断でした。 レーザー光線で網膜を焼く 光凝固法による治療を覚悟していたのに、 検査 でその必要がないとの判断で、 約3ヶ月でほと んどその症状は消滅しました。 精神的な影響が あったようです。 ********************* 以上、 約1年を振り返ってみましたが、 医学 界でも、 われわれの航空界以上に多くの略語が 氾濫しています。 その一例を紹介します。 PTCA (Percutaneous Transluminal Coronary Angioplasty) (経皮経管的冠動脈形成術) の Full Spell は、 若い研修医が調べてくれまし た。 医学用語辞典でも持っていない限り、 とて も正解にはたどり着けません。 それらを正しく 理解する前に、 人生が終わってしまうことでしょ う。 2007 MAY 67 連 載 ―雑食性パイロットの飛行カバンから― 共著 湧井カレン 増田 興司 第6話:赤信号は止まれ、 か? 幼稚園の時から 「赤では止まる、 緑になったら左右を確かめてから横断歩道を渡りましょう」 と 教わる。 赤は 「止まれ」 が世の常識だ。 時には赤いレンズの部分に 「止まれ」 とか 「Do Not Walk」 などと書いてあるお節介な信号機も。 でも世の中は広い。 ある国の、 ある地方では赤信号は必ずしも 「止まれ」 ではないことを見知っ た。 その証拠に赤いレンズの部分か、 その回りのどこかに 「Walk with Care=注意して渡れ」 と 書いてある。 確かに赤信号のとき道を渡ると、 そこに緑信号で走ってきた車が来るとぶつかる、 ぶ つかれば生身の歩行者は負けるから、 怪我をするか死ぬ、 だから止ったほうがよいので人は渡らな い。 こういう論理を明確に組み立てているから、 この国この地方では赤信号では止って待機するのが 最善の方法なのだが、 次善の方法は車の来ない時に 「注意して渡って」 も悪くないのである。 渋谷や新橋の横断歩道でも外国人が時にこれをやっているのを見かける。 日本のビジネスマン (海外生活が長かったのだろうか) にも居るみたいだ。 渡る、 渡らないは当事者の判断によるもの で、 渡ってはいけないと一方的に決め付けるものではないらしい。 横断歩道以外を渡るのは 「移動 の自由」 を謳う基本的人権の行使であって、 文明社会とは別次元の行為というものだ。 過激なことを書いてごめんなさい、 読者諸賢には言っていることのニュアンスをご理解いただけ ると思う、 決して子供に聞かせているのではない。 これらの国々とは個人主義の色濃い国イギリスの、 かつて Commonwealth と言われた国の地方 都市に多いみたいだ。 イギリス本国はどうだったか、 憶えていないが欧州路線のクルーの方、 知っ てたら教えてください。 そういえばロンドンなどでは横断歩道の手前の車道には大きくギザギザマー クが書いてあり、 白いぼんぼりの大きなランプが点滅して歩行者のあることを知らせていた。 ドラ イバーにはことのほか神経質だ。 それらの国でも幼児教育では赤信号を 「止まれ」 と教えているそうだから 「渡っても良い」 とは 言わないまでも、 「渡るな」 と命令しないのは 「赤で渡るのは君のリスクだよ」 と言う意味なのか。 何ごとも命令や 「お上」 の押し付けになるわが国とは異なる体質の哲学なのだろう。 この国の信号機は自動車ではなく馬車の時代からあったらしい。 馬車なら蹴られても人とのパワー の差は鉄のクルマほどはなかっただろうと思うのは、 穿ちすぎだろうか。 イギリス人のヒット作をひとつ挙げるなら私は躊躇なく Round-about (ロータリー式交差点) 68 2007 MAY だ。 信号機も要らず、 車を止めることもない、 万が一ぶつかっても接触事故で済む。 仕事仲間のイギリスのエンジニアを私のボロ車に乗せているとき、 方向指示器のリレーが壊れた。 「ウィンカーがイカれた」 と言ったら 「オマエはうまいこと言うなあ、 ウィンカーとはな」 「いやいや、 日本ではみんなそう言うんヨ、、 じゃあ、 イギリスではどう言うんヨ?」 「それはインディケーターと言うんヨ」 「だから何インディケーターと言うんヨ?」 「それをインディケーターと言うんヨ、 indicator は指示器一般を指すが、 特にネクタイ型の赤 いバーが横に跳ねだす装置 (若い方にはお分かり頂けないかも、 大昔のダットサンやオースチンな どには、 ワイヤーで引っ張って作動させるカンチレバー式の信号装置があった) を意味したのが、 今でもそのまま慣習で使われているんヨ」 と。 特に最初のイを強く発音して Indicator と言うと通じるらしい。 それから話題は和製の英語のハナシになった。 排気ガス=Exhaust、 ハニー・ハネムーン→Honey Honeymoon と書くのだろう、 結婚式場の パック旅行商品、 決してタダ (free) ではないフリー・マーケット→Flea Market=蚤の市が飛び 跳ねて自由になったか?などに彼のつぶらな瞳はますます丸く大きくなったのである。 近頃は 「フ リマ」 などとも書いてある。 ああ、 シー・チキン=ツナ缶詰めも忘れてはならない。 Sushi Train= 回転寿司は外国での命名だが、 構造的には回転より 「連なり」 =Train が近いだろう。 これには私 の眼がまあるくなった。 紙面がムダだ、 飛行機の話に戻ろう。 その彼がフィッティングしてくれるドプラー航法装置、 救難ヘリコプタの作戦用航法装置だ。 ヘ リにしかない装備のひとつにホバリング・インディケータがある。 海面上の一点に正確に停止する ための案内計器だ。 (絵) フライト・ディレクター (F・D) のコマンド (ヒゲ型より昔のバー型がよい) をイメージして いただくと分かりやすい。 ホバリング指示器は標点と自機位置の相関関係を示すから、 姿勢計に組 み込むと混乱を起こすので独立の計器になっている。 クロス・バーの交点が自機位置である。 中央 の固定のグロメット (○印) は標点 (ブイや遭難者など) を示す。 そして同心円は1目盛5ノット 2007 MAY 69 の速度を示す。 絵の状況は、 ホバリングすべき地点から11ノットで後ろへ、 7ノットで左へ逸れつつあることを 示している。 標点へ行くにはヘリを前へ、 右へ動かす。 つまり 「バーを連れて行くように操作する」、 つまり 「fly away the needle」 のように操作する。 これはF・Dの普遍的な読み取り方 「fly into the needle= 「バーの方へ飛行機を持っていく」 のルールとは逆である。 ホバリング指示器は変位制御 (速度×時間、 つ まり理想値から離れた量を示しているに過ぎない) だが、 F・Dは速度制御 (加速度×時間、 つまり 理想値から離れた量が大きくなるほど、 早く戻せ と指令する) の違いがある。 制御則として、 ホバリング指示器の表示方式は 心理学的に適性らしいのだが、 なまじF・Dを知っ ているパイロットには混乱のもとだ。 象を見て 「これが象だよ」 と教わった子供が、 ある日ラク ダを連れてきた男に 「これが象だよ、 それはラク ダというんだよ」 と言われた気分だ。 ホバリング・インディケータはパイロットの他にウィンチ・オペレーターのジョイ・スティック の操作でも対応できるようになっている。 彼らは地図のように平面に置いて見るのだ。 今では INS に取って代わり、 こんな大きくて重くて精度の粗いドプラー・ナビゲーターは降ろ されてしまったが、 第1世代ジェット旅客機も同じく自立航法装置として一時代を担ったことは確 かだ。 ついでだが、 英国方式を真似た旧海軍の飛行機のスロットルは引っ張るとパワーが出るように作っ てあったと。 ロールスロイス・エンジンのプロペラも逆回り、 昔からあったものは伝統として方式 も言葉も頑なに守る。 昔は無かったものは依然として今も無い。 ハンド・シャワー、 洗濯物を干す ピンチ (100円ショップで売ってるもの) なんか便利を感じているのに自国にはない。 また彼らに は Standardization=標準化、 規格化という言葉もさぞかし耳が痛いだろう。 オニオン・スープを 10人が作れば十通りの味がするではないか!ラクダを象などと言わないで欲しい! 、、 だからイギリス人の作るものは、、、 などと言ってはいけない。 「インディケーター」 にしろ 「Walk with care」 思想にしろ、 そこには産業革命を起こしたり、 無敵艦隊を破ったドレーク提督 の根性などに見える、 ひたむきなジョンブル魂があるのだ。 「ウィンカー」 や 「フリー・マーケッ ト」 といった、 我ら日本人の軽妙な命名を彼らはどう感じているのだろうか。 Sushi Train=回転 寿司はどっちもどっちだ。 我が国で赤信号はやはり 「止まれ」 なのである、 「お上」 のお達しなのである。 注意してでも渡 ろうものならボランティアの中年の旗振りのおばさんに 「ちょっと!あんたあ」 と白い眼で見られ るのは確実だ。 そうだ!そのおばさんたちが 「みんなで渡れば怖くない」 と言うのは 「結社の自由」 という基本的人権の行使であって道理、 無理の規範ではないのだろう。 70 2007 MAY と、 ここまで読んで食傷された読者にトピックをお届けしよう。 2006年11月号に特別寄稿で 「スポーツ航空ばんざい 定年後にオーストラリアの空を楽し む」 という増田興司さんの面白い記事があったのをご記憶でしょう。 ところで本文前述の 「個人 主義の色濃い国イギリスの、 かつて Commonwealth と言われた国の地方都市」 とはメルボルンや ブリスベンを指しているので、 原稿の段階で増田さんにお見せしたところ、、、 ブリスベン郊外にお住まいで原稿をご覧になった増田さんから、 お国の 「クルマ事情」 について、 とても興味深い記事を寄せていただいたので是非ご紹介しようと思う。 以下は増田さんの筆によるものです。 「赤信号は…」 の記事を読んでオーストラリアの飲酒事情に付いて思い当たる点があります。 当地で車を運転するには、 3ヶ月以内であれば日本の運転免許を公認の翻訳士に翻訳してもらえ ばそのまま使えます。 長期の場合はこちらの免許を取得することになりますが、 その場合でも学科 試験に合格すれば実地は免除となります。 このため教科書を購入して勉強した際に得た知識です。 この教科書、 酒を飲んで運転してはいけないとは書いてありません。 そればかりか、 規定値を越 えない目安は、 缶ビールの場合初めの1時間に2本、 この後1時間に1本のペースです。 ただしア ルコールは個人差があるので、 くれぐれも規定値を越えないように注意を、 となっています。 また こんなことも書いてあります。 「飲み物の継ぎ足しは、 どれだけ飲んだか分らなくなるので止めま しょう」 それではオーストラリアは飲酒運転に甘いかですが、 まず規定値。 血液中のアルコール濃度は 0.05%以下 (航空機は確か0.04%でしたね)。 10年ほど前シアトルにいた頃、 飲酒運転が厳しくな り、 この値が0.1から0.08に下げられたとキャンペーンしていましたが、 これと較べてもさらに厳 しいと言えます。 そして呼気検査。 これが実に頻繁に行われます。 金曜日の夜に車で出かけたら、 どこかで呼気検 査に出会うと思っていた方が良いでしょう。 ある正月の朝 (朝ですよ!) 所用があって出かけたと ころ、 3度も呼気検査に出くわしました。 さすがに3度目は 「何処そこで受けたばかり」 と言った 2007 MAY 71 ら、 それならとそのまま通してくれました。 この辺おおらかといえばおおらかです。 事故を起こすと必ず血液を採取され、 アルコールの有無が調べられるとも聞いています。 オーストラリアは宗主国イギリスの伝統を引き継いでパブが盛んで、 我が飛行クラブにもバーが あり、 週末の夕方ともなるとメンバーが三々五々やってきてビール片手におしゃべりに興じていま す。 パイロット仲間の話題といえば万国共通のようですが、 密かに観察していても、 先の基準値を 越えて大いにすすむ人はあまりいません。 アルコールはあくまでも舌の滑りを良くする潤滑材、 と いったところのようです。 私は残念ながら、 アルコールに弱い遺伝子を親から受け継いだようで、 コーラ片手ですが、 それはそれで受け入れられています。 何をどれだけ飲むかはあくまでも個人の 裁量なのです。 従って車を運転するのを知りながらアルコールを提供した、 または勧めたなどとい う罪状はこちらにはないようです。 飲酒運転といえば、 かなり古い話ですが歌手のジョン・デンバーが自作機の事故でなくなった時、 彼は飲酒運転暦があって免許が停止されていたうんぬんの記事を見て、 友人が 「飛行機の飲酒運転っ てどうやって調べるのだろう」 と不思議がっていたのを思い出しました。 アメリカでは車の飲酒運 転が、 航空機の免許にも影響するので、 多分彼がつかまったのは車の方ではないかと思います。 航空機の場合は血液中のアルコール濃度の他に、 8時間以内のアルコール禁止というのがありま したね。 両者は OR ではなく AND であることはよくご存知の事と思います。 パイロットのお酒はあくまでも自己管理が原則、 自分でコントロールして安全飛行に努めたいも のです。 増田 72 2007 MAY 興司 オススメ! 情報ボックス 書籍&Goods紹介 編集委員会 このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の 皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち しています。 満州航空 最後の機長 空飛ぶ馭者 著者:下里 猛 発行:並木書房 〒104-0061 東京都中央区銀座1 4 6 TEL:03−3561−7062 FAX:03−3561−7097 http://www.namiki-shobo.co.jp 定価:2,100円 (税込) この本は新しいものではありませんが、 まだ 購入可能とのことですので紹介させていただき ます。 描かれている時代は昭和12年から21年ま でですが、 いわゆる戦火ものではなく、 関東軍 の定期航空として、 日中戦争、 大平洋戦争を通 じて後方支援輸送に徹した 「満洲航空」 を始め として、 そこで活躍する操縦士の姿を描いたも のです。 内容は、 昭和12年、 15歳の時の、 プライマリー グライダーでの初飛行から始まり、 満州航空最 後の機長として終戦の時を経て、 ソ連進駐後も 交戦中の関東軍に終戦を伝える 「軍使」 を乗せ ての飛行、 また、 更にその後のソ連軍の手伝い としての若干の輸送飛行で終わるのですが、 当 時の操縦訓練や、 輸送業務の内容は、 詳細かつ 活き活きと描かれていて、 なかなか興味深いも のがあります。 もちろん、 愛機スーパーを駆って満洲国境の 街を飛び回るローカル定期便、 憧れのユンカー スの機長として飛んだ幹線ルート、 山下奉文ら 要人を乗せての視察飛行、 陸軍特殊部隊との協 同訓練等が中心となるのですが、 その飛行の範 囲は、 日本から満州の奥地にまで及び、 淡々と した表現の中に、 手に汗を握る場面も多々あっ て、 当時の過酷な飛行条件と、 苦労が偲ばれま す。 また、 珍しい所では、 地上に置いたグライダー の、 環状の曳航索を竹棹で空中高く支え、 それ を飛行中の飛行機のフックで引っ掛けて空中に 発進させるという乱暴な試験の様子も紹介され ています。 それらを含め、 これまで知られることの無かっ た航空の世界を垣間見るのは、 なかなか興味深 いものがあります。 特に人間模様、 飛行機やグ ライダーのこと、 さらには飛行環境や飛行場の ことも含め、 力の入らない文章は、 なかなかの 好著です。 また、 冒頭の地図を参照し、 さらに 大きな地図を片手に本書を読みますと、 改めて 当時の苦労が偲ばれます。 2007 MAY 73 ews FAI N FA I ニュース 奥貫 JAPA の FAI 活動については、 必要な事項 を確実に推進して行くことを再確認しましたが、 現実には、 それらの分野の活動を JAPA が積 極的にリードしていくことは難しい状況です。 当面は、 FAI からの情報の伝達、 会議等へ の参加、 FAI の国際競技会への参加手続き、 日本国内での FAI 活動や競技会への支援等が 主な内容になろうかと思います。 ロータークラフト (ヘリコプター) 毎年、 スイスのローザンヌにて開かれるロー タークラフト部門の CIG ミーティングに3月 8日と9日の日程で出席しました。 参加国はヨーロッパ中心の12カ国でした。 今 回はルールが大幅に変わり、 この説明に多くの 時間を費やしました。 特にメディアとスポンサー 対策のイベントは日本、 ロシアとドイツが非常 に熱心でいろいろな提案がありました。 日本か ら提案の、 動きと精密ホバリングを競う栓抜き ゲームとポストマンは正式に採用されました。 栓抜きゲームに興味を持つ人は多いのですが、 栓抜きをヘリコプターに取付ける事が修理改造 に該当するので、 この種目を実行するまで、 少 しばかり時間が掛かりそうです。 日本で作り、 STC を取得した製品を支給する必要があると 思います。 当然日本チームが最初にデビューす る事は確かです。 ロシアからの提案があったスラロームフェン ダーは面白みがあり、 将来的には採用されると 思います。 これからは観客の目の前で楽しんで もらう競技に代わりつつあります。 今年と来年 の夏にドイツのアイゼンナッハでワールドチャ ンピオンシップのプレ大会が行われます。 アイ ゼンナッハは観光地でも有名なところです。 観 光を兼ねて腕を振るわれたい方はデリゲート青 74 2007 MAY 博 山まで連絡してください。 詳しくはメールにて 連絡します。 [email protected] (ロータークラフト部門デリゲート 青山) ジェネラルアビエーション 今年は、 大きな国際競技はありませんが6月 末にイタリアで、 ラリーの競技会が予定されて います。 URL は http://www.aeci.it です。 JAPA のデリゲートを通じて関係者等に連絡 することも可能ですので、 この競技に興味があ ります方は、 一度、 競技の内容を見学に行かれ ることをお勧めしたいと思います。 エアロバテックス 前回お知らせしましたように、 今年は飛行機 のアンリミテッド・クラスのエアロバティック ス世界選手権が以下の内容にて開催されます。 参加申込期限:5月11日 開催期日:6月24日−7月4日 場所:グラナダ (スペイン) URL: http://www.fai.org/aerobatics また来年にはアドバンス・クラスの世界選手 権が米国で開催される予定です。 いずれも日本 国内の代表選抜競技会はありませんが、 可能で あれば複数の選手による日本チームとしての参 加を願っています。 参戦希望の方は JAPA に 電話 (03-3501-0433) 又は E-Mail (japa@japa. or.jp) で連絡いただければ、 必要な情報の提 供と調整をさせていただきます。 尚、 アドバン ス・クラスの、 今年のヨーロッパ選手権は、 以 下の内容で開催の予定です。 場所:Joensuu, Finland 会期:20-28 July 2007 URL:http://jik.fi/aeac2007/ 開催予告 見学会・講演会開催のお知らせ 来る2007年6月15日 (金) に、 JAXA および JAMCO のご協力により下記のような見学会・講 演会を、 運航技術委員会地球環境問題分科会と FT 委員会の共同企画で開催いたします。 希望者は、 申し込み用紙にある必用事項を記入 (申告) の上、 協会事務局に5月31日 (木) までにお申し込み ください。 ― 記 ― 1. 開 催 日:2007年6月15日 (金) 2. 会 場:JAXA 航空宇宙技術研究センター飛行場分室 (東京都三鷹市大沢6−13−1) JAMCO 本社 (上記 JAXA 正門前道路の向い側;大沢6−11−25) 3. 集合場所:JAXA 飛行場分室正門⇒⇒講演会会場;研究総合C1号館大会議室 (4階) 4. 予定プログラム:(午後のプラグラムのみの参加も可能です) * 集合時刻:10時50分、 その後、 徒歩にて講演会場へ移動 JAXA 施設見学 (1100∼1200) (シミュレーター、 航空機、 低速風洞のどれか) * 昼食@JAXA 食堂 (1200∼1300) (メニュー;お任せ、 800円程度:申し込み必要) 講演・Q&A (1300∼1430):講師;石川隆司 (JAXA 航空プログラムグループ・プログラ ムディレクター)、 演題;「漆黒飛行機の時代到来:炭素繊維 FRP の旅客機への応用拡大」 * 徒歩移動 (1430∼1450) ⇒⇒集合:JAMCO 会議室 JAMCO 見学 (1500∼1630):会社概要説明・施設見学・Q&A * 解 散:1630 5. 申し込み方法:JAPA;TEL:03−3501−0433/FAX:03−3501−0435/E-mail:[email protected] JAPA 事務局へ直接、 いずれかで申し込んでください。 6. その他 参加者制限:原則先着30名とさせていただきます。 委員会メンバー以外でも参加可能です。 写真撮影禁止区域あります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ JAPA 主催見学会・講演会参加申し込み用紙 1. 参加者氏名: 2. 住所:〒 住所: 3. 電話番号: (自宅); 携帯; 4. 所属:PAPA 委員会; 5. 参加プログラム (○で申告) 6. 交通手段:下記番号で申告: 勤務先; 昼食希望: 有り、 OB; なし (*③⑤駅から一般バスも利用できる。 ただし時間かかります) ①自家用車 (JAXA のみ駐車可能、 JAMCO への移動時も車を置いて徒歩で) ②JR 中央線、 武蔵境駅南口から JAXA 手配のバス利用: 1030発 (約15分)、 ③JR 中央線、 三鷹駅南口バス6番 「朝日町または車返団地」 行き 「竜源寺」 下車南に徒歩7分 ④京王線、 調布駅北口からタクシー利用 (10分;約1,300円) ⑤京王線、 調布駅北口から12番京王バス 「武蔵小金井駅北口」 行き 「大沢コミュニティセンター」 下車 北西へ徒歩15分 **上記個人情報は、 取扱注意の上、 今回の見学会・講演会のための必要な連絡、 および JAXA/JAMCO への見学者リ スト作成のためにのみ利用します。 **当日の緊急連絡先:JAXA FT 委員 白水 博文 (しろうず) (0422−40−3588) (090−7904−9508) JAMCO 工場長 比留間 正和/技術部長 浅利 和美 (0422−32−1192) **JAXA、 JAMCO 施設への地図はインターネットで検索してください。 2007 MAY 75 開催予告 航空教室開催のお知らせ 航空を目指すあなたに贈る先輩からのメッセージ 「札幌地区」 催:日本航空技術協会 日本航空機操縦士協会 共 催:北海道空港 後 援:国土交通省 東京航空局 (予定) 協 賛:エアー日本ネットワーク エアーニッポン、 全日本空輸、 日本航空インターナショナル、 「空の日」 「空の旬間」 実行委員会 日 時:平成19年7月27日 (金) 10:00∼17:00 会 場:新千歳空港ターミナルビル2F大会 議室 集 合:集合時間、 場所については、 参加券 (返信ハガキ) にてご連絡いたしま す。 内 容:操縦士、 航空整備士、 客室乗務員、 航空管制官や空港で働く方々からの メッセージ ・見学は、 航空自衛隊千歳航空基地 を予定しております (ただし、 諸 般の諸事情により出来なくなる事 があります。 予めご了承をお願い いたします) 参加資格:中学生から大学生の航空界を目指す 皆さん 定 員:100人 (応募者多数の場合は抽選) 参 加 費:無料 (ただし、 昼食は新千歳空港 ターミナルビル内において各自で済 ませて下さい。 昼食時間は60分あり ます) 主 「福岡地区」 催:日本航空技術協会 日本航空機操縦士協会、 共 催:福岡空港ビルディング 後 援:国土交通省 大阪航空局 (予定) 協 賛:エアーニッポン、 ANA エアサー ビス福岡、 全日本空輸、 日本航 空インターナショナル、 「空の日」 「空の旬間」 実行委員会 日 時:平成19年7月29 (日) 10:00∼17:00 会 場:福岡空港ターミナルビル 集 合:集合時間、 場所については、 参加券 (返信ハガキ) にてご連絡いたしま す。 内 容:操縦士、 航空整備士、 客室乗務員、 グランドホステスや空港で働く方々 からのメッセージ 参加資格:中学生から大学生の航空界を目指す 皆さん 定 員:50人 (応募者多数の場合は抽選) 参 加 費:無料 (ただし、 昼食は福岡空港ター ミナルビル内において各自で済ませ て下さい。 昼食時間は60分あります) 主 申込方法:7月1日 (日) 当日消印有効までに、 往復ハガキ (1人につき1枚として) に次の事項 を明記し、 お申し込み下さい。 ① 住所、 氏名、 年齢、 学校名、 学年および連絡先の電話番号 ② 希望職種および質問事項を記入して下さい ③ 申込者の宛先を返信用ハガキに明記 (確実に記入して下さい) *上記事項が明記されていないと受付できません。 申 込 先:〒144-0041 東京都大田区羽田空港1−6−6 日本航空技術協会 航空教室 「札幌」 係 または 航空教室 「福岡」 係 TEL 03-3747-7600 FAX 03-3747-7570 76 2007 MAY 開催報告 小型航空機安全セミナー 西日本支部総会 西日本支部主催の小型航空機安全セミナーと支部総会が、 3月24日、 大阪科学技術センターで開 催されました。 小型航空機安全セミナーには33名が参加。 萩尾会長のあいさつの後、 講師にお招きした、 三菱重 工業株式会社小牧南工場長主幹操縦士渡邉吉之さんから 「パイロットから見た飛行機設計」 につい て、 NPO 法人航空・鉄道安全推進機構理事岡村与紀夫さんから 「事故から学ぶ安全」 についてお 話しを伺いました。 ベテランパイロットならではの非常に興味深いお話しに、 参会者一同安全への 意識を新たにしました。 支部総会では、 阪本敏次さんが議長に選出され、 支部枠からの理事候補者の選出、 支部委員の選 任、 平成18年度支部事業報告および決算、 平成19年度 支部事業計画および予算案の各議案について支部委員 からの説明後決を採を採り、 満場一致で可決されまし た。 なお19年度に予定されております行事等につきま しては、 この場等を利用し支部会員の方へ適宜ご案内 していきたいと思っています。 近くの居酒屋へ会場を移し開かれた懇親会には17名 が参加。 顔なじみの方とだけではなく、 会社や空港の 枠を超えて会員同士の交流・情報交換・親睦が図られ ました。 急 告! 航空英語能力証明を受験される方々にとって、 とても役に立つ本が4月25日に 鳳文書林出版販売から出版されました。 本書は航空英語総合トレーニング として発行されたもので、 タイトルは 「航空留学のための ATC・基礎から実践まで」。 Aviation English for Cadet Pilot in US&UK で、 航空大学校で英語を教える縄 田義直氏と宮崎大学医学部助教授、 横山彰三氏の共著となっています。 ちなみに 定価は4,900円+消費税。 本の内容は、 英語圏、 つまりイギリスやアメリカで飛行訓練を受けようとする フランスの人が英語に困ることの無いよう、 イギリス及びアメリカの小型機で行 われている様々な交信を DVD (音声ファイルのみ) に録音してあります。 もちろん、 交信については本書内に活字でも記述されていますので、 活字を読 みながら音声を聞く、 という英語の聞き取り能力を向上させるにはうってつけ、 といえるでしょう。 本書はこの本を日本人パイロット向けに翻訳、 編集してあります。 本書のタイトルから受ける印象とは異なり、 これから航空英語能力証明を受験 しようと思っている方々には、 お勧めの一冊といえます。 2007 MAY 77 開催報告 平成19年度 FT 委員会総会・ 第28回フライトテスト・シンポジウム FT 委員会 日 場 時:平成19年4月14日 (土) 1300∼1800 所:三菱重工技術研究所研修棟 (名古屋 市) 出席者:FT 委員10名+JAPA 会員23名+α 総 会:(13:00∼13:20) 出席者 33名 1. 委員長挨拶 2. 平成18年度活動報告 3. 平成19年度活動計画 〈基本方針〉 年間2回の委員会と2回の研修会を開催し、 飛 行試験に関する会員間の情報交換や親睦を深め、 飛行試験における安全の確保と事故の防止に努 める。 〈活動計画〉 ・19年度総会 (4月14日:東海地区で開催) ・第28回フライトテスト・シンポジウム ・FT 委員会2回 (7月、 12月予定) ・研修会2回 M分科会 (6月 JAXA・JAMCO 研修予定) L分科会 (シミュレーター研修、 詳細未定) 質疑応答のあと、 全会一致で承認された。 また 「新機種の飛行試験に臨む姿勢について」 のド ラフトが特別委員岩瀬氏より簡単に紹介された。 第28回フライトテスト・シンポジウム: (13:25∼15:50) 参加者:57名 (JAPA 会員、 航空機設計者等) 1. 「SETP2006シンポジウム出席雑感」 安村佳之 氏 (三菱重工業) 昨年アメリカで開催された 「第50回 SETP シンポジウム」 の、 プログラム全ての要旨をま とめ、 スライドで紹介された。 特に新機種開発 や装備品開発等における問題点と夫々の対応策 については、 やや詳しく説明があった。 2. 「航空の歩みと将来について」 鈴木真二教授 (東京大学・航空宇宙工学) 講演の前半に、 ライト兄弟から始まった航空 78 2007 MAY 機の進歩を、 10年毎の技術革新の観点から代表 的航空機を選んで説明があり、 後半では、 落ち ない航空機の制御、 および落とさない航空機の 操縦の研究等について紹介があった。 自立飛行 制御や人口脳神経網制御などの最先端の研究事 情等、 参加者一同興味深く拝聴した。 *懇親会の場で、 鈴木教授に特にお願いして PILOT 誌に講演内容を紹介する原稿執筆を 依頼し快諾を得た。 (掲載予定 2007年 No.4 JUL) ↓ライトテスト (正しい試験?) いえフライトテスト 懇親会:(16:00∼18:00) 参加者:49名 (JAPA 会員、 航空機設計者等) 講演会後の懇親会には、 会員以外にも航空機 製造会社の技術者も多数参加し、 講演内容を中 心とした質疑応答などで会話が盛り上がった。 通信 理事会通信 4月も下旬に入り、 眩しかった染井吉野が散り、 葉桜と八重桜が優しく映るようになりました。 花冷えが 長引き、 時折暖かい日が訪れる寒暖の差に身体が付いていけないのは、 果たして…、 回復力の減退が気にな ります。 今年の桜について尋ねると、 誰もが“元気がない”と感想を漏らします。 千葉の知人は辛夷 (コブ シ) の花も、“色に冴えがない”と話していました。 理由は多分、 暖冬による影響でしょう。 私たち42期の理事会は、 5月24日に控えた通常総会の準備で遽しく、 活動のまとめと43期の方針作りにバ タバタしています。 特に西田事務局長は、 決算と予算の作成に追われ忙しい日々を送っています。 新たに JAL-I から派遣された竹永さんは、 予想以上に事務局が忙しい様子を目の当たりにしている状態です。 遅れましたが、 新しい協会職員を紹介します。 竹永昭さんは、 運航管理と査察関連部署の経歴を持ち、 通 常総会後に退職を予定している西田さんの後任として今春より当面2年間の契約で働くことになりました。 JAL-I からの在籍出向です。 旧 JAS の皆様は既にご存知の方も多いと思います。 宜しくお願いします。 活動の報告です。 第235回理事会が3月16日に、 第186回常務理事会は4月13日に開催されました。 協会の 会員数は、 3月末現在6,090名となっております。 ◎自家用操縦士の技量維持調査 (平成19年度助成事業) について 平成19年度新たに実施する自家用操縦士の技量維持調査について、 橋本副会長以下担当理事が航空局と 話し合い、 具体的な打合せが進み、 調査委員会と作業部会のメンバーが決まりました。 橋本副委員長は作 業部会の部会長に選任され、 協会は事業の成果が航空の安全に役立つと判断し取組に参加します。 活動の 内容は都度の報告を充実させ、 進捗状況を明らかにしていきます。 [活動報告] −3月− 3月1日 空港安全技術懇談会 編集委員会 3月2日 航空保安大学校 (羽田) 特別講義 航空保安大講義 航空交通管制協会理事会 RNAV 運航基準策定 T/F 臨時会議 3月6日 航空身体検査証明審査会 航空保安大学校 (羽田) 3月8日 技量維持連絡会 3月9日 3役・常務理事ミーティング 平成18年度航空保安業務運用連絡会議 3月10日 ATS 委員会 3月13日 防衛省表敬訪問 2007 MAY 79 航空局技量維持 3月14日 航空振興財団理事会 3月15日 航空医学委員会 航空安全委員会 経理委員会 3月16日 第235回理事会 3月17日 航空機安全運航支援センター評議員会 九州支部総会 東日本支部総会 3月18日 青少年航空教室 (名古屋) 医療安全教育講習会 3月19日 国土交通省航空局電子申請システム講習会 (東京) 航空保安無線システム協会評議員会 航空英語能力証明試験打ち合わせ 3月20日 国土交通省航空局電子申請システム講習会 (大阪) 3月23日 航空保安協会理事会 3月24日 西日本支部総会、 安全セミナー 中部支部総会、 安全セミナー ATC-HF 研究会 航空気象委員会 3月26日 航空管制等英語能力証明検討委員会 MPL に係わる調査研究委員会 3月27日 航空管制定期連絡会議 3月28日 航空輸送技術研究センター評議員会 3月29日 航空医学研究センター理事会・評議員会 FSF-JAPAN 総会・セミナー 3月30日 学科試験問題検討会 (第3回) 航空保安大学校修了式 航空大学校卒業式 −4月− 4月1日 航空安全講習会 (東京)・認定講師研修会 4月3日 運航技術委員会 4月7日 枕崎競技会 (枕崎) 4月10日 法務委員会 航空身体検査証明審査会 青少年航空教室現地打合せ 4月11日 青少年航空教室現地打合せ 4月12日 技量維持連絡会 4月13日 第186回常務理事会 4月14日 航空安全講習会 (札幌)・認定講師研修会 ATS 委員会 80 2007 MAY フライトテストシンポジウム (FT 委員会) 4月16日 運航技術委員会 編集委員会 航空保安大講義 4月17日 航空医学委員会 4月19日 GA 委員会 航空医学問題懇談会 (航空医学研究センター) 4月20日 経理委員会 航空安全委員会 4月21日 航空安全講習会 (大阪)・認定講師研修会 4月22日 航空安全講習会 (埼玉) 4月23日 公認会計士監査 (八重洲監査法人) 編集委員会 4月25日 支部長会議 第236回理事会 FTD 定期検査 4月26日 内部監査 (監事及び芝税理士法人) 第6回 RNAV/ATM 推進協議会 4月28日 航空気象委員会 [活動報告] 5月8日 航空身体検査証明審査会 5月30日 宇宙航空研究開発機構 5月9日 自家用操縦士の技量維持に関する作業部 会 自家用操縦士の技量維持にかかる調査委 6月2日 航空安全講習会 (東京) 員会 6月4日 航空保安大講義 常務理事会 6月5日 航空身体検査証明審査会 航空スポーツ連絡会会議 6月9日 ATS 委員会 航空安全講習会 (仙台)・ 認定講師研修会 6月12日 航空機安全運航支援センター評議員会 ATS 委員会 6月14日 技量維持連絡会 5月16日 平成19年春季黄綬褒章伝達式 6月15日 編集委員会 5月18日 NPO 航空・鉄道安全推進機構設立記念 5月11日 5月12日 運航技術委員会地球環境問題分科会見学 講演会 会・講演会 航空安全委員会 6月16日 認定講師研修会・航空安全講習会 (東京) 第42回通常総会 6月21日 GA 委員会 航空振興財団理事会 6月23日 航空気象委員会 5月25日 運航技術委員会 6月24日 認定講師研修会・航空安全講習会 (大阪) 5月26日 航空安全講習会 (熊本)・ 認定講師研修会 6月25日 5月24日 航空気象委員会 5月28日 航空保安大講義 編集委員会 航空医学研究センター理事会、 評議員会 航空保安協会理事会 2007 MAY 81 〈会員証更新について〉 前号にてご案内致しましたとおり、 現在会員証の更新作業を進めております。 平成20年12月 (予定) までに施行されます公益法人制度改革の手続きの都合上、 今回皆様にお届けする会員証は 「写真無し」 の暫定的な会員証となりますので、 予めご了承願います。 《新会員証 見本写真》 表 裏 会員証は6月から順次発送を開始致します。 お手元に届きましたら、 旧会員証 は各自で破棄して下さいますよう宜しくお願い致します。 また、 住所変更をされ ている方で、 まだ連絡がお済でない方は、 至急事務局まで FAX、 E メール、 PILOT 綴じ込み用紙にてご連絡下さい。 82 2007 MAY JAPA SHOP 品 名 定 価 会員価格 送料 一般価格 送料 AIM−JAPAN AIM−JAPAN 英語版 学科試験スタディーガイド パイロットガイダンス TAKE-OFF 安全飛行への招待 ヘリコプター操縦教本 第2版 航空気象 (新刊) 区分航空図501∼506各 3,500円 3,500円 2,500円 3,500円 3,500円 3,500円 2,500円 2,600円 3,150円 送料込 3,150円 送料込 2,250円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 2,250円 送料込 2,340円+280円 3,500円+380円 3,500円+380円 2,500円+420円 3,500円+380円 3,500円+380円 3,500円+380円 2,500円+380円 2,600円+280円 区分航空図507 ターミナル航空図253、 254 首都圏詳細航空図 パイロット手帳 PILOT 誌 手袋 ライセンスケース 空中衝突 3,100円 2,600円 3,000円 1,200円 800円 5,000円 3,800円 未定 2,790円+280円 2,340円+280円 2,700円+280円 1,080円+280円 720円+240円 4,500円+280円 2,800円 送料込 3,100円+280円 2,600円+280円 3,000円+280円 1,200円+280円 800円+240円 5,000円+280円 3,800円 送料込 お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。 直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。 (お振込前に必ず在庫確認をお願いいたします。) 振込口座:郵便局00180−9−88490 社団法人 日本航空機操縦士協会宛 お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433 FAX 03−3501−0435 E-Mail:[email protected] 2007 MAY 83 84 2007 MAY 2007 MAY 85 JAPA Aerial Photo Exhibition 離陸直後!大きな Pitch 角を表す写真 火の国熊本空港を飛び立つ B767 ◎ 奥貫 86 2007 MAY 博様撮影の写真です ◎ あなたが写した 航空機の写真が 表紙 に! 編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を 募集します。 応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上5月号から掲載の予定です。 下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。 ・応募の開始は2006年1月から、 奇数月1、 3、 5、 7、 9、 11月 の各末日です。 ・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として 投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の 添書きも添付してください。 尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも のとして下さい。 ・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき ませんのでご了承ください。 ・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円 (複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。 ・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記 してください。 ※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。 送付・お問合せ先 社団法人 日本航空機操縦士協会 編集委員会 〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14 TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435 E-mail:[email protected] JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 2007 MAY 87 編集後記 ●航空自衛隊の T-3初等練習機50機が、 1機も 失われること無く、 また1滴の血を流すこと も無く、 29年にわたる教育任務の幕を閉じた。 レシプロエンジン単発練習機の無事故記録と しては、 民間機も含め、 世界的に例のない快 挙であろう。 言い訳無しの頑固なまでの安全 哲学には、 同じ航空人として見習うべきもの がある。 (奥貫) ●パソコンを立ち上げるたびに、 ウイルス対策 ワクチンが作業する数分間がもどかしい。 負の文化に打ち勝つための負の時間なのだろ う。 注文した本やオモチャが届く日を待ちわ びた、 少年時代のワクワク感と対照的だ。 (柳井) ●アメリカは美人だったのか、 そうではなかっ たのか。 行方不明となった原因もはっきりと しませんが、 先ほどの件についてもついに結 論の出なかった5月号用の編集委員会でした。 (佐藤) ●晴れた日の蒼い空に、 時折、 描かれる見事な コントレールを見ることがある。 誰がどこか ら何処へ何のために飛んでいくのだろうと、 空想がひろがる。 この世から忽然と消えたア メリア・イヤハートは、 この天空のどこかで、 神となって、 下界を眺めているのかも知れな い。 (徳田) ●K. I. というイニシアルで書いた闘病記が、 同じイニシアルの他の人々に、 あるいは K.. I. という人物を思い起こした人々に、 少 なからず影響を与えたようです。 実は、 自分 の家族・兄弟にも同じイニシアルの者がおり ますが、 彼らには誤解はなく何らコメントが なかったのが実情です。 イニシアル無しの匿 名でなければ、 本当の気配りではなかったこ ISSN 0389-5254 2007 No.3 MAY JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 羽田空港第1ターミナル屋上の展望台から JAL の B777を撮影してみました。 古い人間には、 長 い間 JAL の垂直尾翼を飾った鶴マークへの郷愁 があるのですが、 シンプルで力強く、 また、 日の 丸のイメージがある垂直尾翼には、 新しい時代の 感触がありました。 (奥貫) とを反省しています。 今後、 個人情報だから イニシアルで書くというのも、 ケース・バイ・ ケースだなと感じました。 (KEN) ●パイロット誌の2号にわたり、 表紙に日本を 代表するエアライン ANA と JAL の投稿写 真を編集委員会で取り上げました。 編集委員会は開かれた委員会として、 パイロッ ト誌に広く皆様の参加を呼びかけています。 今後も皆様からの原稿等々の投稿をお願い致 します。 (蔵岡) No.302 2007年 5 月号/平成19年5月発行 発行 社団法人 日本航空機操縦士協会 (Japan Aircraft Pilot Association) 〒105-0003 東京都港区西新橋1−18−14 TEL 03 3501 0433 (代) ホームページ FAX 03 3501 0435 E-Mail:[email protected] 振替口座/00180 9 88490 88 2007 MAY URL http://www.japa.or.jp/ 禁無断転載 落丁・乱丁本がありましたら お取替えいたします 編集人 蔵 岡 賢 治 発行人 白 石 豊 樹 定価 印 刷 800円 (税込) 株式会社プリカ
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