No.3 MAY - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2009 No.3 MAY
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
平成21年5月1日
会
員
各
位
社団法人
会
日本航空機操縦士協会
長
萩 尾 裕 康
第回通常総会開催通知書
拝啓
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、 平成21年度通常総会を下記のとおり開催いたしますので、 ご出席賜りたくご通知
申し上げます。 なお総会終了後、 シンポジウムならびに懇親パーティーを開催致します。
正会員の方で、 当日出席いただけない場合は、 別封ハガキで通知いたしました議案事項
について書面表決権行使書により表決をお願いいたします。 また他の正会員を代理人とし
て総会で表決される場合は同じく委任状をご提出下さいますようお願い申し上げます。
記
1. 日
時
平成21年5月21日 (木) 13時30分開場
2. 場
所
羽田空港第1旅客ターミナルビル
(ビッグバード内)
ガレリア6F ギャラクシーホール
Tel. 03−5757−8181
3. 総
交
第1号議案
案
内
東京モノレール
浜松町駅から羽田空港第一ビル駅下車。
京浜急行
京浜急行空港線終点羽田空港駅下車。
リムジンバス
東京八重洲口・新宿、 池袋、 赤坂地区・
東京シティエアターミナル・成田空港な
どから直通バスがあります。
京急バス
横浜駅・新横浜駅・川崎駅・蒲田駅・千
葉駅・木更津駅などからバスがあります。
会 14時∼15時
「議案」
通
平成20年度事業報告及び
決算報告について
第2号議案
平成21年度事業計画
及び予算案について
第3号議案
役員の一部交代について
4. シンポジウム 15時30分∼17時30分
「明日の乗員養成を考える」
乗員養成検討委員会
5. 懇親パーティー 18時∼20時
【お願い】
別封ハガキの【総会出席届】【書面表決権行使書】【委任状】について、 該当される部分にご記入の
上、 5月20日 (水) 必着でご郵送下さい。 但し、 所属される会社等のメールボックスをご利用いただい
ている方はメールボックス付近に置いてあります投票箱に5月19日 (火) までに投函いただいても結構
です。
第44回通常総会への第44期出席予定理事
(役
職)
会
長
副
会
長
副
会
長
副
会
長
専務理事
常務理事
常務理事
常務理事
常務理事
常務理事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
(氏
萩 尾
増 田
薬師寺
大 畑
白 石
楠 本
高 岡
中 島
大 和
吉 田
有 野
池 内
池 羽
石 井
宇田川
大久保
大 澤
大 関
蔵 岡
越 田
管
菅 野
菅 原
鈴 木
田 頭
高 橋
千 葉
根 本
野 口
平 山
名)
裕
奉
豊
晋
憲
清
茂
達
啓
雅
一
春
賢
善
和
弘
英
博
裕
義
開
康
和
進
隆
樹
一
一
一
夫
徹
也
宏
次
清
之
高
朗
樹
治
彦
聖
廣
行
明
勝
眞
茂
一
博
偉
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第44期 (平成20年度) 重点施策
操縦士協会の目指すもの
を達成するために次のスローガンを掲げて取り組みます。
SAFETY
ECOLOGY
HUMANITY
航空の 「健全な発展と活力」 は、 操縦士だけでは維持できません。 社会とりわけ航空
関係者の理解が必要です。 操縦士が集い航空の現状と課題を幅広く伝え、 情報の共有化
を促進させます。 国際活動は、 参加目的を交流と情報収集の段階から一歩進め、 これま
で以上に操縦士協会の存在を印象付けていきます。
・操縦士組織の PR 活動
・航空関連情報・知識の提供と技能支援
・操縦士の専門知識と経験を活かす
・社会的な信頼の構築
・関係団体との協力と交流
・財務の健全化
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額 1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
CONTENTS
No.314
4
2009 No.3 MAY
安全への思い
62
常務理事
6
大和
特集
I Aviation
―アメリカの空から想う―
最終回 責任のバトンタッチ:私に託された課題
青木 美和
利成
ハートで飛ばそう!
安全の分水領
漆黒の海面へ
68
シニア・パイロットのエピソード (第25回)
飛行艇からジャンボへの半生を顧みる
越田
13
茂夫
74
Fly with Airmanship ! −1−
Aviation Café
連載・飛行力学物語
岩瀬
その1
健祐
柴田
眞
蔵岡
賢治
奥貫
博
HSI 利用方法あれこれ!
18
緊急座談会 (2009-2-23) 報告
ハドソン川の奇跡に思う(2)
運航技術委員会
85
GA 部会活動報告
FAI 方式着陸競技の試行 (第2回)
24
GA:ジェネアビ情報
RED BULL エアレース
奥貫
30
博
航空史曼陀羅
91
地球環境問題関連用語の解説
92
FAI ニュース
その29. ウィリアム・E・ボーイングと
ボーイング社の盛衰
22
奥貫
徳田
忠成
93
博
航空事故における刑事責任追及の意義
∼JAPA 法務委員会学習会∼
36
航空気象
熊坂
空港気象ドップラーライダー
−非降水時の風を捉える−
96
航空気象委員会
46
平成20年度 中部支部総会開催報告
西日本支部だより
98
健祐
白石
豊樹
黒田先生を悼む
∼いつも人間を愛しつつ∼
桑野
偕紀
100
JAPA 通信
102
JAPA SHOP
103
JAPA で飛行訓練を!
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
明日の乗員養成を考える
日本航空機操縦士協会
オススメ!情報ボックス
書籍 & Goods 紹介
岩瀬
黒田先生の安全哲学と業績
59
開催報告
黒田先生追悼文
黒田節が聴けなくなった!
― We miss you, Doctor Kuroda! ―
52
洋二
乗員養成検討委員会
英クランフィールド大学 航空輸送学部
Safety and Accident Investigation Course
参加報告
池内
FTD 訓練室
104
JAPA Aerial Photo Exhibition
106
編集後記
宏
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
安全への思い
常務理事
大
航空に関わるすべての機関、 人達にとって
「安全」 は永遠のテーマです。
日本航空機操縦士協会も、 定款の中で安全運
航の思いを込めています。 現場の最前線にいる
操縦士は、 まさにそれを実践する役割を担って
います。 私は団塊の世代であり、 今までライン
パイロットとして40年弱飛んできました。 そし
て、 そのスタートはある衝撃的な事件から始ま
りました。
飛行機が墜落した…
あ れ は 忘 れ も し な い 昭 和 46 年 7 月 30 日 、
ANA の入社試験面接日の出来事でした。 今や
顔の皺や髪の毛に経過した歳月がわかる私達で
すが、 当時は夢と希望を大空に託した15名の若
者がそこにいました。 午前中のオリエンテーショ
ンが終了し、 午後1時から面接が予定されてい
ました。 所定の場所で待機していましたが、 1
時を大分過ぎても誰も現れません。 それとなく
ただよう雰囲気が変でした。 私が恐る恐る、 別
棟のディスパッチルームあたりを覗きにいくと、
そこは大勢の人が集まり、 緊張と怒声との騒然
とした状態でした。 そこで始めて 「飛行機が墜
落した」 ことを知りました。
F58便 (千歳∼東京) B727-200 型、 岩手県岩
手郡雫石町上空で訓練中の自衛隊機に接触、 山
中 に 墜 落 、 乗 員 乗 客 162 名 全 員 死 亡 と い う
NEWS が、 その後流れました。
それから連日にわたって各メディアによって
報道される航空機事故の現場がいかに残酷で惨
めであるのか、 まさに打ちのめされた思いでし
た。
4
2009 MAY
和
茂
夫
人望があり技量優秀な機長43歳。 副操縦士27
歳、 乗員組合の執行委員を何度も経験された前
途洋々たる青年でした。 FE は外国人でした。
その後結婚した私の妻もこの 「雫石」 を引きずっ
ていました。 CA 同期の親友が実はこの58便に
乗務していました。 彼女は当日 AM スタンバ
イで終了間際に使用機到着遅れの為に乗務のア
サインを受けました。 あれから39年以上たった
今でも、 時折彼女の母上から妻のもとに音信が
あります。 いまだに娘の部屋は当時のままにし
てあるそうです。 亡くなったお客様のご家族全
てに、 筆舌に尽くし難いそれぞれの苦しみの歴
史があると思います。 結婚後直ぐ雫石の慰霊塔
に夫婦二人で行って来ました。 その日も抜ける
ような空の青と山の緑が目に眩しく、 それぞれ
に寡黙でした。
ここで39年前の事故の内容について知らない
世代も多いと思います。 その概要について簡単
に説明したいと思います。 ANA58便が当時の
ADF で構成されたジェットルート J11L を高
度28000フィートで飛行中、 2機編隊により有
視界飛行で訓練中の自衛隊機 (F86) 一機と接
触、 空中分解して墜落となりました。 自衛隊機
に乗務していた訓練生はパラシュートで脱出、
生還しました。 その後刑事裁判に13年、 民事裁
判に19年の歳月を費やしました。 その経過、 結
果については省略しますが、 裁判そのものが、
背景にある事故原因より当事者の責任追及に終
始したのが残念に思います。 このような日本の
社会風土にも問題があると考えます。
事故の背景にあった最大の原因は、 航空路と
自衛隊の訓練空域が隣りに接して設定してあっ
た事だと思っています。 当時の、 航空管制シス
テムも含め 「運航環境システムの整備」 に問題
がありました。 この事故を教訓として、 事故の
翌年には 「航空路と訓練空域との完全分離」 が
なされ、 その後、 一部の訓練空域は陸上から海
上へと移転しました。 そして今では、 ARSR
(航空路監視用長距離レーダー) の設置が進み、
航空機用 TCAS (空中衝突防止装置) が開発
され、 航空法で設置が義務づけられました。
爾後39年、 私の ANA における歩みはまさに
雫石事故の歴史と同じであり、 あの時感じた強
烈な心の痛みは、 生涯忘れる事はないでしょう。
「安全」 問題が実は、 「多くの人の人生」 にこれ
ほど大きな影響を与えるということを、 入社時
から強烈に思い知らされました。 又、 壮絶な事
故現場の写真は、 飛行機から旅客を遠ざけるに
充分な内容でした。 この事故の前年の昭和45年
は大阪万博があり空前の旅客の伸びを示してい
ました。 46年も、 事故の前は同様な状態でした
が、 この後、 旅客の減少は著しいものがありま
した。 航空事故は、 まさに企業の存続に関わっ
てくることを実感しました。 そして時を経て、
大事故を経験した人が年々少なくなっていきま
すが、 安全に対する油断、 驕りを助長してはな
ら な い と 思 い ま す 。 そ う し た 中 、 ANA は
「ANA グループ安全教育センター」、 JAL で
は 「安全啓発センター」 を通じて、 痛ましい事
故が風化しないような取り組みを進めています。
操縦士協会も各種セミナー、 講習会を通じて、
安全文化の構築に地道な努力を続けています。
先日、 同僚の機長から報告がありました。
今年の1月成田から台北に向かった際、 那覇
コントローと台北コントロールのバウンダリー
ポイント 「BULAN」 の手前で、 TCAS (空中
衝突防止装置) の回避操作を指示する 「RA」
が作動した。 2000feet程指示に従い降下をした。
相手機は米軍機であった。 というものでした。
雫石の時と比べると、 安全に対してはすべて
の面で格段に改善されていると思います。 ただ
「THREAT」 (安全を脅かす事象) は、 飛行中、
依然として存在しています。
「安全」 はあらゆる分野で大きな課題ですが、
実際に飛んでいる操縦士からみると、 雫石事故
に鑑みて、 「不安全要素のない環境設定」 が肝
要と考えます。 ご存知のハインリッヒの法則は、
「一つの事故の背景には29件のインシデントが
あり、 その下には300件の潜在的ヒヤリハット
がある」 といわれています。 運航を支える人達
は、 自分にかかわる運航の 「THREAT」 を無
くしていくことに関心をもち、 直接運航に携わ
る操縦士としては、 「THREAT」 にどのように
対処していくかが重要になります。 まずはその
ような危険を極力避けることが、 私たちにとっ
て第一義ですが、 不幸にして遭遇した場合には、
いかに的確な判断ないし操作で Safety Side へ
戻していくかが重要だと思います。 こうした空
の仲間のチームプレイの積み重ねが、 安全運航
に寄与していくものと信じています。
2009年7月30日、 雫石の慰霊塔に60歳の定年
前に、 親友の写真を携えた妻と、 訪れたいと思っ
ています。 39年の歳月をかみしめ、 今後の空の
安全を祈りながら。
2009 MAY
5
特集
(第25回)
飛行艇からジャンボへの
半生を顧みる
元日本航空機長
旧制中学5年
飯沼飛行士を間近にみて決意
徳田:今日はお休みのところお伺いして恐縮で
す。 早速ですが、 まず民間パイロットへの動機
をお聞かせください。
越田:生まれは石川県金沢市でしたが、 父の仕
事の関係で、 岡崎市に住むようになり、 そこの
岡崎中学5年のときに、 名古屋海軍予備航空団
ができたのです。 結構厳しい試験でしたが、 運
良く合格して入団、 そこで初めて操縦桿を握り
ました。 そのまま行けば海軍パイロットという
ことです。
ところが、 たまたま名古屋飛行場に、 亜欧の
大飛行を完成させてヒーローになっていた飯沼
正明飛行士が、 「汐風」 号 (注:「神風」 号と同
機種で、 三菱97式司令部偵察機) で降り立った
のですよ。 女性たちはキャーキャーと、 大変な
騒ぎでした。 終戦直後、 マッカーサーが厚木に
降り立ったときのように、 当時としては珍しい
サングラスをかけてね、 格好良かったですね。
その時に、 よしっ、 民間航空パイロットだって、
心に決めました。
徳田:それで乗員養成所へお入りになった。
越田:そうです。 海軍航空団や中学校の猛烈な
反対がありましたが、 乗員養成所6期生として
受験しました。 1次の学科に合格、 2次は所沢
で受けました。 その時に、 もし合格したら、 佐
世保で飛行艇に投入する要員として指名を受け
ました。 幸いに10名採用されて官報に掲載され
ました。 「……以上十名の者は、 軍で依託訓練
を行い、 大型飛行艇の操縦訓練を追加する予定
につき、 終了期間が延長されるため、 航空局乗
6
2009 MAY
越田
利成
86歳近影
員養成所7期生を命じる」 とね。 嬉しかったで
すね。 それ以来、 民間航空への道を歩んだので
す。
天虎飛行研究所での訓練模様
徳田:米子乗員養成所天虎分校所という琵琶湖
畔の天虎飛行研究所へ入所されたのですね。
越田:そうです。 15年4月に入所しました。 天
虎飛行研究所は、 藤本直さん (海依11期) が昭
和12年6月に滋賀県大津市の琵琶湖畔に設立し
た私立飛行学校でした。 設立当初は、 週末にな
ると嵐寛寿郎や森光子らの映画スターも出入り
して、 結構賑わっていました。 それで13年6月、
乗員養成所設立と同時に、 航空局の委託を受け
て、 訓練が開始されたのです。
徳田:一般の陸軍系の乗員養成所の訓練内容と
違っていたと思いますが。
越田:まず川西の海軍3式初練 (注1)、 それ
から川西の海軍13式中練 (注2) をやりました。
ここで約1年間、 120時間ほどやりまして、 土
浦、 博多、 佐世保海軍航空隊へ行きました。
海軍3式陸上初歩練習機
佐世保では、 当時、
飛んでいた15式飛行
艇 (双発複葉、 ロレー
ン400馬力2基) や
89式飛行艇 (双発複
葉、 600馬力2基)
も少しやりましたが
慣熟程度で、 いきな
り97式飛行艇 (注3)
をやったのです。 軍
事訓練ですね。 かつ
13式中練と越田氏
て日航が、 セカンド・
オフィサーからいきなりジャンボのコパイにし
たことがありましたが、 あれ以上の差だったと
思います。 それだけ大日本航空が97式のパイロッ
トを欲しがっていたのです。 こんなものだと思っ
て、 無我夢中でやりました。 約6ヶ月間の猛訓
練ののち、 翌年1月に予備役除隊、 そして大日
本航空に入社し、 海洋部横浜支所付になりまし
た。
飛行艇操縦のコツ
徳田:いよいよ97式大艇、 それから2式飛行艇
(注4) による飛行が始まったのですね。
越田:大日本航空海洋部横浜支所では、 横浜海
軍航空隊を間借りしていました。 神奈川県金沢
区富岡 (現・京浜急行能見台駅前付近) です。
ここは16年4月、 根岸の埋立地である鳳町 (現・
日本石油コンビナート) に、 待ちに待った東洋
一の大格納庫と、 モダンなターミナル・ビルが
建設されていて賑わいました。 今でいうデイト・
スポットになったぐらいです。
徳田:飛行艇の操縦のコツみたいなものはあり
ますか。
越田:飛行艇は水上滑走が難しいから、 これを
見るとウマいかヘタかが分かります。 4発エン
ジンですから、 外側のエンジン・パワーを使っ
て方向を制御するのです。 とくに着水後、 滑走
台に尻を向けてブイ (浮き輪) に引っ掛けるの
ですが、 風の強弱も考えて、 速度をデッド・ス
ローにしながら微妙に外側エンジンを使わない
97式飛行艇 (上) と2式飛行艇
と、 うまくいかないのです。 2式飛行艇はシー・
アンカーのような水中舵が付いていて、 少しは
容易でしたがね。
徳田:97式と2式との操縦の差をお聞かせ下さ
い。
越田:2式の方が難しかったですね。 まず座高
が高くなって、 その分、 難しかったです。 それ
から離着陸時、 容易にポーポイズが起こりまし
た。 これで事故の犠牲になった乗員もかなりい
ます。 うまく説明できませんが、 ポーポイズが
起こる直前を察知して、 エレベーター・トリム
をとるコツのようなものがあり、 なかなか熟練
がいりました。 海軍の兵曹長から予備役で大日
本へこられた宮田機長は、 この名人でしたね。
見事にポーポイズが止まるのです。 この人から
随分教わりました。
洋上は推測航法が基本
徳田:戦時中の越田さんは、 東南アジアから南
太平洋を飛びまわっておられましたね。
越田:フィリピン、 シンガポール、 スラバヤ、
サイパンや更に南のパラオ、 ニューギニア、 東
ではウェーキ、 ビキニ環礁の近くのクエゼリン、
タラワ、 マキンへ飛びました。
2009 MAY
7
徳田:この頃の洋上飛行の航法を教えてくださ
い。
越田:基本的に推測航法です。 航空士が波頭の
白波をみながら、 風の風向風速を推測して
WCA (Wind Correction Angle) を出すので
す。 それから、 天測もやってました。 航法では
ウエーキ島一番乗りのことが思い出されます。
開戦の翌17年2月、 海軍はトラック島に前線
基地を設けており、 徴用されていた大日本航空
の97大艇が、 そこに常駐していたのですね。 そ
れで上海陸戦隊によるウエーキ島攻略後、 第4
航空艦隊指揮官一行を乗せて、 トラックからポ
ナペ、 クェゼリン (ビキニ環礁の南)、 ウエー
キ島と飛んだのです。
ところが太平洋上の芥子粒のような孤島へた
どり着くには、 当時の洋上推測航法では困難が
予想されることと、 米機動部隊の動静がまった
く掴めない状況だったのです。 それでもクェゼ
リンまでは何とか問題ありませんでした。 それ
で最後のウエーキ島になって、 到着予定時刻に
なっても島影がないのです。
ついに三角航法に入りました。 予想目的地を
中心に、 最初は一辺 20nm の正三角形を飛び、
2回目は一辺 30nm の正三角形を飛びましたが、
ダメだった。 「よしっ、 こうなったら最初の地
点に戻ろう。 それでダメなら不時着水だ!」 と
機長の悲壮な言葉で元の地点へ飛行したのです。
ところがそこに待ちに待った島影がありました。
あまりにもドンピシャの航空士のプロットで、
ウエーキ島の真上を飛んだものだから見つから
なかったのです。 嬉しかったですね。
徳田:約 1,000km の洋上推測航法でドンピシャ
リですか。 まさに神業ですね。
女護ヶ島訪問記
徳田:戦時は大日本航空第2運営局として海軍
に徴用されて、 97大艇で太平洋を飛び回ってお
られた訳ですが、 興味ある話をお聞かせくださ
い。
越田:ある時ね、 パラオ島からトラック島への
フェリー・フライトに乗務しました。 初めての
8
2009 MAY
航路で、 約 2,000km 東なのです。 ところが海
軍から渡された航空図上にない島々が次々に現
れるのです。 新発見?のような気分でボンヤリ
下界を眺めていたら、 突然、 2番エンジンが息
をつきだしたのでフェザー装置のない悲しさで、
プロペラを縛るために名も知らない島の側に不
時着水したのです。
島へ上陸して驚いたことには、 元日本軍人ら
しい男性2人と、 あとは皆、 不思議なことに腰
巻だけの原住民の女ばかりでね、 20人もいまし
たかね、 ビックリしました。 元軍人たちは、 潜
水艦が座礁してたどり着いたのです。
徳田:どうして女ばかりなのですか?
越田:それが分かりません。 元軍人が言うには、
ここで捕れる魚や野菜は酸性かアルカリ性か分
かりませんが、 どうも一方に偏っているらしい。
近くの島には男ばかりの島があるようです。 そ
れである季節になると、 その島から男どもが大
挙して上陸し、 性の饗宴が始まるそうです。 上
陸したわれわれ7人も、 それなりに歓待され3
発エンジンで離水していきました。 歓待の内容
は、 まあ、 ご想像におまかせしますよ、 ウハハ
ハ……。
徳田:信じられないような話ですね。
越田:それでね、 他人には絶対教えないぞと、
心に誓ってね、 後日、 その辺を飛んだのですが、
地図上にない島だけにサッパリ位置が確認でき
ず、 2度と行けませんでした。
ラバウルで九死に一生
徳田:この時期の海洋部は大車輪の忙しさだっ
たでしょうね。
越田:まだ戦勝気分に酔っていた時期でしたし
ね。 今日はラバウル、 明日はトラックと、 よく
飛びました。 最初にラバウルに行ったときなど、
4発飛行艇など見たこともない地上の日本軍か
ら、 機関銃の洗礼を受けたものです。 それにも
まして驚いたのは、 絶え間ない火山の噴火で、
ビリビリ、 グラグラと地面が揺れていたことで
す。 えらいところへ来てしまったと思いました。
その昔、 大噴火で、 地殻変動を起こして、 地元
民や動物がかなりの被害にあったそうです。 そ
れを彷彿とさせるように、 前人未踏のジャング
ルや 1,000m 以上もあるような壮観な滝や湿地
帯、 それに今にも噴火しそうな活火山からの煙
が立ち昇っていました。
徳田:すごい最前線ですね。
越田:しばらくはトラックとラバウルをシャト
ル飛行していましたが、 次第にソロモン海戦も
拡大して、 8月に入るとガダルカナルから飛来
する敵爆撃機が飛来するようになったのです。
ラバウルである夜、 南洋諸島を開発している南
洋興発の招待で、 宿舎でベロベロに酔って前後
不覚になり、 機長と二人でその場に寝込んでし
まったのです。 真夜中にふと目を醒ますと、 屋
外がやけに騒々しく、 やがて数人の怪我人が運
び込まれたのでビックリ、 聞くところによると、
つい今しがた爆撃にあい、 近くの防空壕が直撃
されて、 そこに避難していた兵隊たち数人が殺
られたというのです。 無傷なのは何も知らなかっ
た機長と私だけで、 避難した他の乗員もかなり
傷を負っていました。 木造の宿舎なんか、 爆撃
されれば一巻の終わりで、 何が幸いするか分か
らないというので、 皆、 不思議がっていました
よ。
徳田:まったくですね。 18年に入ると、 ソロモ
ン海戦もいよいよ激戦に突入しましたが…。
越田:ソロモンは最前線での日本海軍の橋頭堡
ですから、 350機という戦闘機を集中させまし
たが、 ご存知のように物量を誇る米機動部隊の
前に甚大な被害を受けて敗退しました。 山本長
官がブーゲンビルで撃墜されたのが4月18日で、
これ以降、 日本軍は坂道を転がるように終戦ま
で、 負け戦がつづきました。 今でも、 よく助かっ
たと思います。
徳田:まさに強運ですね。
ダバオ救出大作戦
徳田:フィリピンのミンダナオ島ダバオ救出作
戦をお聞かせください。
越田:19年2月、 トラック島が壊滅的打撃をう
けて後退した海軍作戦司令部は、 ダバオに移っ
ていたのです。 その頃、 私は2式飛行艇に乗っ
ていて、 レイテ海戦が始まる直前の8月、 横浜
からルソン島マニラ湾のキャビテ海軍基地に飛
んだのです。 すでに制空権もなくなっていまし
た。 そこで待っていたのが、 孤立状態になって
いるダバオ基地 (ルソン島の南) の搭乗員、 整
備員、 それに大日航職員の救出飛行だったので
す。
キャビテ海軍基地司令に懇願されて、 払暁、
マニラを飛び立ちました。 直線距離で南南東約
1,100km、 無数に展開している島々の東側を、
それこそ椰子の木にひっかかるほどの超低空で
飛行しました。 ようやくダバオ湾に滑り込んだ
ら、 ほんの3km ほど先に米軍のコンソリデー
デッド飛行艇が係留されていましたね。 こんな
危険な状態の中で、 急いで約40人を搭乗させ、
引き返してきました。 いつ撃墜されてもおかし
くない状態でした。 なにせ2ヶ月後には、 レイ
テ海戦ですからね。 皆さん、 涙を流して喜びま
したよ。
あわや空中衝突
徳田:いよいよ戦争末期になって、 想像を絶す
るような危険な飛行を強いられたと思いますが。
越田:ある時、 大変なニアミスをやりました。
レイテ海戦でマニラが陥落、 翌年1月以来、 米
軍はマニラから蒋介石政府の首都重慶への輸送
飛行を開始したのです。 われわれは台湾沖航空
戦が展開されようとしていた矢先、 サイゴンか
ら台湾の南西に位置する東港へ飛びました。 ル
ソン島を避けての雲上飛行、 すると突然、 左後
方から4発機の B24 が現れたのです。 しかも
同高度、 すかさずパワーを絞り眼下の雲の中に
突っ込みました。 多分、 相手はマニラ行きだっ
たと思います。
〈やれやれ、 助かったわい〉と、 さらに安全
を考えてUターンしたのです。 そして15分、 完
全に相手をまいたつもりになって上昇、 雲上飛
行しながら再び台湾方向へ機首を向けました。
ところが敵さん、 われわれとまったく同じこと
を考えていたのです。 それこそ闇夜の辻斬りよ
2009 MAY
9
ろしく、 突然、 雲の中から、 ほぼ同方向に飛ん
でいる B24 が現れたのです。 ビックリしまし
たね。 やや高度が高い2式は急上昇、 相手は急
降下して雲の中に入りました。 まさに間一髪で
した。
徳田:相手も日本機の攻撃を恐れていたのです
ね。
越田:そうですね。 相手もわれわれ同様、 輸送
任務に徹しようとするプロ意識があるのだと、
変に感心しました。
狂気の飛行計画
徳田:20年に入って6月に沖縄が陥落、 いよい
よ本土決戦に突入しようとしていました。
越田:この頃のわれわれの任務は、 瀕死の状態
に置かれている主要前線基地の島々へ食料、 医
療品をはじめ、 日用品や非常用物資等々の輸送
が必須になっていました。 完全に制空権、 制海
権を奪われていましたから、 まさに決死の飛行
です。 当時の軍部は、 破れかぶれの作戦を強行
したのです。
徳田:まさに狂気ですね。
越田:やがて、 横浜海軍航空隊2式3機と日航
3機の残存機に危険な輸送任務の待機命令が下
りました。 トラック島へ飛び立った1番機の2
式大艇は、 硫黄島の手前で撃墜されました。 数
日後に飛び立った2番機、 そして3番機も撃墜
され、 海の藻屑になったのです。 それでも海軍
司令部は継続しました。 こうなったら、 もう無
茶苦茶ですよ。 特攻そのものです。 目的地を、
より困難なウエーキ島に変更、 決死の片道飛行
を遂行しようとしていた矢先、 ついに終戦で命
を救われたのです。
徳田:大変な時代だったことが分かります。
終戦、 97大艇で緑十字飛行
徳田:終戦直後、 台湾経済復興のために、 台北
へ日銀券を運んだと聞いていますが。
越田:これはね、 短い期間だったのですが、 戦
後処理のための飛行が許可されたのです。 それ
10
2009 MAY
で一番新しい97大艇 「神津」 号の胴体に緑十字
のロゴをペイントして、 日銀券の詰まったダン
ボール箱を満載して飛びました。 多分、 数十億
はあったでしょう。 GHQ の飛行許可は受けて
いるが、 台湾事情はサッパリ判らないという。
それに厚木基地の 15nm 以内と沖縄の 50nm 以
内飛行禁止などと、 いろいろと条件をつけられ
て、 少し不安でしたが飛びました。 機長は大堀
修一機長 (海委10期、 戦後、 全日空機長)、 私
は副操縦士で、 9月9日早朝、 磯子沖を離水し
たのです。
徳田:飛行中は問題ありませんでしたか。
越田:それがね、 江ノ島付近で、 天気が好かっ
たこともあり、 厚木飛行場を覗いて新鋭機でも
見学しましょう、 ということになりチョット右
に変針したのです。 ところがアッという間に、
3機のグラマンに囲まれていましたね。 くわば
ら、 くわばらという訳で進路を元に戻しました。
さらに沖縄では、 またまた偵察機にピタッとチェ
イスされながら台湾まで飛びましたが、 無事、
淡水の河口へ着水しました。
徳田:台北の政情は如何でしたか。
越田:ぜんぜん心配いりませんでした。 それど
ころか、 福の神が来たということで、 その夜は
財界人たちによって盛大な歓迎パーティを開い
てくれました。 それに宴席の隣に座った恰幅の
よい頭取が、 老酒を注いでくれながら、 「もし
貴方さえ良かったら、 私の娘と結婚して台湾に
住みませんか、 航空会社でも興しましょう」 な
どと、 冗談ともとれない話を持ちかけましてね。
その娘というのが、 チャイナ・ドレスの似合う
魅力的な女性で、 各テーブルを回りながら、 サー
ビスに勤めていました。 さすがに心が動きまし
たが、 結局、 実現しませんでしたよ、 ワッハハ
ハ……。
徳田:おしいことをしましたね。 もし実現して
いれば、 お大尽だったですね。
国際航空から日航へ移籍
徳田:戦後、 地元の根岸にあった米空軍通信部
隊で仕事をしていたときに民間航空が再開され
て、 日航へお入りになったのですね。
越田:そうです。 後に日航専務になられた斉藤
進さんが設立準備をされていた国際航空に、 パ
イロット要員として入ったのですが、 すぐ日航
と合併して、 3期として日航にいきました。 入
社して感じたのは、 乗員養成所や陸軍、 海軍と、
出身がバラバラでしたから、 それぞれ一長一短
があって纏まるまで時間がかかりましたね。 手
順が違う、 呼称が違う、 それに戦時の上下関係
もあって大変でした。 陸軍は比較的組織的なの
ですが、 海軍出身者は一匹狼的な傾向がありま
した。
B727型旅客機
ら古手は、 会社に Show Up して行き先が決ま
り、 天候の悪いところばかり飛んだ思い出があ
ります。 1971年にジャンボが導入されて、 当時
は2機種をやりました。 6 MONTHS CK は大
型ということで、 ジャンボでやりました。
操縦の極意を教わる
徳田:パイロットとして、 影響を受けた人につ
いてお教えください。
越田:思い出すのは、 さきほど話しました宮田
さんで、 それから江島さんですね。 2人共に今
たくみ
でいう匠の操縦術をもっていました。 江島さん
とは、 DC-4 型でよく飛びましたが、 これ又、
操縦の極意を教わりました。 江島さんは寡黙な
人で、 あまりしゃべらないのですが、 操縦には
絶対の自信をもっていた人でした。 ある時、
DC-4 型機で飛んでいて揺れて仕様がないとき
に、 江島さんが操縦すると飛行機がピタリと安
定するのですよ。 これも感覚的なもので説明の
しようがないですが、 Yaw Dumping 的操縦
が身についているとしか言いようがありません。
不思議でした。
徳田:ベテランの越田さんが不思議がるという
のもスゴイ話ですね。
B727型機での LAST FLIGHT
無理をするな、 無理をさせるな
徳田:現役パイロットへのアドバイスをお願い
します。
越田:そうですね、 「初心に帰れ」 ということ、
B727 型機の導入
徳田:B727 型機の導入をおやりになっていま
すね。
越田:査察室にいたときに、 1965年、 西郡さん
たちと B727 型の導入をやりました。 とろこが
翌年早々、 先に導入していた全日空の東京湾事
故もあって、 新任機長に対する Double Minimum の厳守など、 厳しい門出でした。 ですか
越田ご夫妻近影
2009 MAY
11
それから 「無理をするな、 無理をさせるな」 で
すね。 基本中の基本だと思います。
徳田:最後に1月15日にハドソン川に不時着し、
乗員乗客全員救助という Well Done をしたサ
レンバカー機長の行為をどう評価されますか。
越田:勿論、 ラッキーな面もあるかと思います
が、 日頃、 常に 「もしも……」 のことを考えて
いないと出来ないですね。 プロ意識に徹した
Discipline の高い機長だと思います。
徳田:本日は、 本当にありがとうございました。
注1:昭和4年4月に海軍の制式練習機となった。
昭和37年
査察操縦士
昭和51年4月∼
57年3月 日航機長会々長
昭和53年1月 査察運航乗員室長
昭和56年4月 黄綬褒章受章
昭和56年9月 運航部長 理事
昭和57年
10月14日 ラスト・フライト福岡
昭和58年
3月31日 定年退職
昭和59年∼
平成5年 日本アジア航空専務、 顧問
横須賀海軍工廠で設計製作の複葉単発複座。
自重600kg、 エンジン130馬力、 最大速度87.3
kts、 航続距離226nm。
注2:大正14年10月、 海軍の制式練習機になった。
横須賀海軍工廠の橋本賢輔技師による設計で、
複葉単発複座。 エンジン130馬力、 最大速度
70kts、 航続力3時間。
注3:川西97式飛行艇 (22型):英国ショート社の
乗務機種 (戦前) 3式練習機 13式中間練習機
15式偵察機、 97式大艇、 2式
飛行艇
(戦後) DC4 DC6 DC7C DC8 B727
B747
飛行時間計21,368時間 (含、 97大艇約2,000時
間、 2式飛行艇約1,000時間)
設計資料を基に、 川西航空機の菊原静雄技師
が主務設計者となって製作された。 昭和10年
初めに初飛行。 全幅40m 全長25.6m、 高翼4
発 、 エ ン ジ ン 1,070 馬 力 4 基 、 最 大 時 速
330km、 航続距離5,800km、 9座席、 179機
生産。
注4:川西2式飛行艇:昭和15年12月完成、 全幅38
m、 全長26.8m、 高翼4発、 エンジン火星22
型1,850馬力4基、 最大時速455km、 航続距
離約7,000km、 9座席、 131機生産。
越田利成氏略歴
大正11年10月19日 石川県金沢市生まれ
昭和15年4月 乗員養成所天虎分校入所 (6期)
昭和17年1月∼
20年10月 大日本航空海洋部横浜支所入社
昭和28年7月∼
10月 日本国際航空創立事務所
昭和28年10月 日本航空乗員課入社
昭和35年
コペンハーゲン駐在、 北極経由
ヨーロッパ線開設
12
2009 MAY
取材メモ:3月上旬の昼下がり、 大日本航空
海洋部横浜支所勤務時代からの閑静なご自宅
へお伺いした。 京浜急行線屏風ヶ浦駅から徒
歩で数分、 すぐ南には、 かつて飛行艇の離発
着で賑わったであろう根岸湾が広がっている。
戦時の越田さんは一貫して飛行艇パイロット
としてご活躍された。 東南アジアから南洋諸
島と、 縦横に飛び回られた当時のエピソード
は数限りなく、 ここに掲載できたのはごく一
部でしかないのが残念でならない。 戦後は日
航にお入りになり、 常に運航本部の中枢とし
てご活躍され、 機長会々長を3期務められた
重鎮である。 私も公私共にご指導いただいた
が、 軽妙な語り口で淡々と話される往時の思
い出話に、 時の過ぎるのを忘れて聞き入った
数時間だった。
徳田
「ハートで飛ばそう!」
Fly with Airmanship !
1
運航技術委員会
岩瀬
健祐
DC-10 Simulator にて
運航技術委員会では、 先輩から後輩への操縦技術や経験の伝承の一環として、 1995年10月から数
年間、 日本航空の乗員へ配布された 「JAPA ニュース JAL 版」 裏面の岩瀬キャプテンの 「操縦の
心」 シリーズと、 1996年7月から約8年間、 海上自衛隊の 「安全月報」 にも掲載された 「操縦の心」
を、 現状に合うよう内容を整理編集し PILOT 誌に載せることになりました。 第1回目として、 「パ
イロットの心」 と 「操縦の心」 を掲載します。
(運航技術委員会)
……………………………………………………………………………………………………………………
「フライトの心」 とは、 エアマンシップとい
う言葉に込められた望ましい取り組み姿勢のよ
うなものですが、 エアマンシップという言葉の
イメージが個人によってかなり違いのあるのも
現実です。 まず、 いろいろな文献の中で一番、
的を得ていると思っているものを紹介します。
Airmanship (AIP Canada より)
“ Airmanship is the application of flying
knowledge, skill and experience which fosters
safe and efficient flying operations.
Airmanship is acquired through experience.”
エアマンシップとは、 安全で効率的な運航を
可能にする飛行の知識や技量および経験を活用
する能力である。
エアマンシップは経験によって培われる。
−経験は
体験だけでは
不十分−
では、 われわれパイロットにとって 「経験」
とは、 どのようなものでしょうか。 経験には、
Actual Experience (実経験=体験) とExperience Learned (学んだ経験) が含まれると考
えます。 すなわち、 「体験」 プラス、 「まだ体験
していないことを、 見たり、 聞いたり、 読んだ
り、 あるいは訓練によって、 体験したと同じ状
態までレベルアップした知識とスキル」 だと言
えないでしょうか。 つまり、 未体験の状況を、
洞察力によりフライトに役立つ知恵とスキルに
進化させ蓄積されたものと言えます。
パイロットの心
−機長から 貴重な経験
聴きそこね−
最近は退職する機長の数が年間数十名から百
名に達しています。 この機長の方々の貴重な
経験談を、 後に続くパイロットは、 耳学問と
して聴く努力をしていますか。
機長になると他の機長と飛ぶチャンスは少な
く、 体験談を聞くことも少なくなります。 副
操縦士の人達は、 色々な経験を積んだ多くの
機長と飛ぶチャンスに恵まれているのです。
飛行中でも宿泊地でも、 聴きたいとの熱意を
示せば、 機長たちも応えてくれる筈です。
副操縦士として、
一緒に飛ぶのは嫌だと思う
機長がいるかもしれません。 反対に、 機長か
らみれば、 嫌な副操縦士もいるのです。 パイ
ロットの世界でも人間関係の相性は否定でき
ません。 CRM のスキルには、 より良い人間
2009 MAY
13
関係を作ることもあります。
嫌な機長と思っていた方が、
実は貴重な体験
の持ち主で、 真剣に聴く努力をするパイロッ
トには、 十二分に応えて下さった例を沢山知っ
ています。
体験談は、 無理やり聞かせるものではありま
せん。 聴きたいとの熟意に応えて話すのが、
機長の貴重な体験なのです。 それなりの礼を
尽くすのが、 後輩の努めではないでしょうか。
新人のパイロットとベテランのパイロットの
差は、 操縦技術と経験にあると言われていま
す。 飛行時間も貴重な経験要素ですが、 中身
が大切です。 ここで経験の積み重ねに関して
色々な場面を考えてみましょう。
自分の飛行時間で体験できることは、 たいし
たことではないと自覚していなければプロと
は言えません。
同一機種だけでなく、 世界の航空界で発生し
た事例こそ、 貴重な財産なのです。 他機種の
事例にも、 共通の役立つ情報が多くあります。
貴重な数々の事例を消化・吸収し、 再発防止
や再発時の対応に生かせるだけの知恵として
身につけることが、 プロのパイロットの最低
限の義務ではないでしょうか。
個人での情報収集には限界があります。 各社
の安全推進組織でやるべき仕事です。 その情
報を配ったからと安心している経営者はイエ
ロー・カードです。 すべての努力をパイロッ
ト個人に任せる会社経営陣は、 レッド・カー
ドです。
作家の藤本義一氏が、 ある TV 番組で語っ
た事ですが、 我々パイロットにも必要なもの
の見方として、 参考になると思いますので紹
介します。
彼が弟子入りしていた映画監督から教わった
物の見方の深さのレベルを表す言葉として、
次の4つを挙げていました。 即ち、 観察⇒推
察⇒考察⇒洞察です。
パイロットの適性にも洞察力が挙げられてい
ますが、 職業が違っても同じことだなと感じ
ます。
実際の事例から何を教訓として学んだかが問
14
2009 MAY
題なのです。
知識をフライトに役立つ知恵として身につけ
る努力をしましょう。 中国の 「他山の石」 と
いう格言も同じことを意味しています。
−フライトは Plan Do See の 積み重ね−
フライトにおけるPlan Do Seeの例を、 幾つ
か挙げてみます。
ブリーフィング通りのオペレーションが出来
ましたか。 出来なかった原因が何であるかを
いつも見つける努力をしましょう。
フライト全体が、 離陸前から予想されるバリ
エーションの範囲に入っていましたか。 大き
く違った場合理由をメモしましょう。
雲に入る前に揺れ、 着氷、 温度変化、 通過に
要する時間等を予測していますか。 その結果
を季節・高度・雲の種類・時間帯・地域等に
分類してメモリーできればグー!
先行機の後方乱気流を予測していますか。
AIM-J より転載
燃料搭載量が、
合理的でしたか。
天気予報と自分の予報とを実際の気象と比較
し、 気象判断のレベルアップに努めていますか。
降下開始前に Fuel Remaining をいつも予測
して Actual と比較してみてください。
疑問点はその場で聞いて解決していますか。
PNF (PM) の時、 何を吸収したかメモして、
後で Review しましょう。 PF の時において
おや。
自分のフライトを毎回採点してみましょう。
もし100点を付けたら、 あなたの評価基準は
甘いことになります。
さて、
経験を積むにつれて自己評価基準は高
くなるのがプロです。
教官やチェッカー業務での必要な評価基準は
自己評価基準とは別のものです。 教官任用訓
練の目的は、 教官としての能力を高める為だ
けでなく、 評価基準を正しく理解することに
あります。 教育の経験も場数を必要とし、 人
を評価することは自分も評価されることと肝
に銘じておきましょう。
教官業務や訓練にも、 Plan Do See のエッセ
ンスが詰まっています。 経験の蓄積はフライ
トだけでなく、 日常の生活の中にもあること
を忘れないで下さい。
われわれパイロットは、 実経験 (体験) を積
むことのできない分野の事例の多くを、 シミュ
レーターで訓練しています。 このシミュレー
ター訓練の限界を理解し、 上手く活用するこ
とで、 自分の経験のレベルアップをしましょう。
関連して一句。
−Think of the Simulator as an actual Airplane, ……
のテスト・パイロット D. P. Davies の著書
“HANDLING THE BIG JETS”は、 ジェッ
ト輸送機とピストン・エンジン輸送機との飛
行特性 (Flying Qualities) 上の重要な相違
と、 ジェット輸送機の取扱面での解説をした
ものです。
初版は1967年で第3版まで発行されており、
古典的名著ですが、 残念ながら日本では翻訳
出版されておりません。
その中にある比較表は、 次のような4つを
First Order Differences (最初に挙げるべき
大きな違い) として分類し、 さらに細部の解
説をしています。
1. Bigger and Heavier
2. Turbine Engine
3. Faster
4. Higher
今回は、 最初の“Bigger and Heavier”の
中から、 Second Order Differences を2つ
紹介します。
【Momentum】(運動量)
日本では、
JAL B-737-800 Simulator
操縦の心
「操縦の心」 を英語で表すとすれば、 Back
Ground of Flight Control Technique のつ
もりです。 操縦の技術的背景を色々な角度か
ら説明します。 プロの操縦を目指すためのヒ
ントです。 違うアプローチも当然あるでしょう。
イギリス CAA (Civil Aviation Authority)
多くのエアライン・パイロットが、
重い機体は Inertia (慣性) が大きいから操
縦が難しいと言いますが、 Davies は Momentum (運動量) の違いだと指摘しています。
運動量は物体の質量と速度の積で表され、 一
方、 慣性とは、 力が加わらない限り、 物体は
その時の状態を維持し続けるという性質を表
す言葉ですが、 物体に働く力は、 物体の質量
(慣性質量とも言う) と加速度の積として表
されます。 すなわち、 運動量=質量×速度で
あるのに対し、 慣性力=質量×加速度と表す
ことができ、 両者ともにベクトル量で、 矢印
(大きさと方向) で表すことができます。 (次
ページ参照)
慣性力は運動量の単位時間当たりの変化です。
すなわちベクトル量である速度の変化 (加速
度または角加速度) がなければ、 どんなに重
い機体でも慣性力はゼロになってしまいます。
しかし速度があるかぎり運動量は厳然として
2009 MAY
15
存在し、 そのベクトル量は速度方向に向いて
います。
別の見方をすれば、 惰性 (運動量) の大きな
機体は、 外乱を受けた時の変位は小さいとい
うことです。
惰性を処理するには、
これが惰性とも呼ばれるものです。
以下、 運
動量を 「惰性」 として説明します。 (惰性を
「行き足」 というパイロットもいます)
惰性を処理し、 目的の方向 (上下・左右) に
適切な速度で飛行することが操縦であるといっ
ても過言ではありません。 言い換えれば、 操
縦とは、 飛行機の姿勢と速度をコントロール
して3次元的に飛行径路 (Track/Path) を
変えることなのです。 ハイテク機では
LNAV/VNAV がそれを担う機能です。
Autopilot もパイロットに代わって操縦して
います。 Autopilot がやることを予測して使
うとき、 操縦は 惰性の処理と タイミン
グ の心に一歩近づくことになります。
必ず加速度や角加速度
を必要とし、 結果として慣性力が発生します。
軽い機種と重い機種が同じ速度で飛行中、 そ
の惰性を処理する時に、 必要な力は、 当然機
体が重い方が大きくなります。
大型機は、 慣性が大きいから操縦が難しいと
短絡的に信じている人がいるのはこの為です。
しかし、 その機種の操縦系統が適切に設計さ
れていれば、 小型機のような機動性 (敏捷な
運動性) を持たせることは可能です。
操縦によって、 機体の慣性質量を動かす源は、
主としてエンジンの推力と、 操縦系統を操作
することによる空気力です。 実際には、 速度
が速い時ほど、 惰性を処理するために、 操舵
のタイミングをほんの少し秒単位で早くする
必要があります。 これが、 大型機の方が難し
いと感じている最大の理由です。
このことは次図のように、 150 kts で Final
に Line Up する時と、 100 kts で Line Up
する時とを比較して考えれば、 容易に理解で
きます。
惰性は機体のサイズには直接関係ありません。
同じ機体重量でも、 速度が大きければ惰性は
大きく、 逆に、 速度が同じでも、 重い機体の
方が当然惰性は大きくなります。
2つの惰性、 m1 ・V1 と m2 ・V2 のベクトル
に同じ大きさの外力Fが直角に作用したとす
ると、 図の例では大型機のベクトルの方向の
変化は小型機に比べ約1/3になります。
(次図参照;誇張して描いてあります。)
惰性の処理には、
機体の能力を最大限に利用
し、 適切な操縦操作 (操舵と推力調整) のタ
イミングが決め手となります。
−操縦は 惰性の処理と タイミング−
ハイテク機は、
易しく操縦できるよう、 PFD
や ND に各種情報を表示してくれています
ので、 それらをうまく活用すれば操縦が易し
16
2009 MAY
いのです。
【Powered Control】(動力操縦系統)
機体が大きくなり速度も速くなると、
舵面に
働く空気力も大きくなり、 人力操縦では機体
を思うように動かすことが困難になってきた
ため、 舵面を動かすのに動力 (主として油圧)
を用い、 パイロットが動かす操縦輪または操
縦桿に人工的な操舵感覚を与える Artificial
Feel が工夫され、 操縦系統に組み込まれま
した。
初期の動力操縦系統は、 油圧が故障するとバッ
クアップとして、 手動に切り替わるように設
計 さ れ て い ま し た 。 (Manual Reversion
Mode)
しかし、 第3世代機からは、 3重または4重
の油圧系統の組み合わせで舵面を動かすよう
に設計され、 Manual Reversion Mode はな
くなりました。 すべての油圧系統が故障する
と、 基本的な3舵での操縦は出来なくなりま
す。
このような緊急事態となった痛恨の事例は、
B-747 では JAL123 便の事故であり、 DC-10
では UAL のスー・シティの事故です。
エルロン、 エレベーターおよびラダーという
3舵が使えない状態で、 如何に機をコントロー
ルするかということが、 当時エアライン・パ
イロットの大きな課題となりました。
この場合、 エンジンの推力を非対称に使い、
油圧がないときでも動かせる着陸装置、 およ
び高揚力装置等を作動させ、 何とか機体を操
縦する訓練をシミュレーターで実施していま
した。 しかし、 滑走路への着陸はまさに神業
です。
このような訓練で、 特定の条件のもとで、 た
とえうまく操縦できるようになったとしても、
現実に発生する故障の内容が、 同じだという
保証はないと銘記しておいてください。
【Artificial Feel】(人工的操舵感覚)
パイロットによるオーバー・コントロールを
防ぐために Artificial Fee1 System は、 操
舵量にほぼ比例した操舵力をパイロットが感
じるように設計されています。 かつ2重装備
とし、 片方が故障しても操舵感覚が変わらな
いようになっています。
Artificial
Feel System のロジックをよく理
解せずに、 離陸ローテーションであわや
Tail Hit になりそうになった例が B-747 で
多発したことがありました。
前方重心のフライトで、 それまでの機種での
常識と同じく、 操舵は重いはずだと勘違いを
して、 思い切ってエレベーターを引き、 あま
りにも急激な Pitch Up になることに驚いた、
多くのパイロットが、 事例報告をしました。
詳しく調査したところ、 B-747 の Elevator
Feel Control System は、 Airspeed と Stabilizer Position に応じて油圧を調整し、 飛行
状態に適した Elevator Force を作り出す機
構になっており、 Stabilizer Position が、
8.5°以上のときは、 非常に軽い Elevator
Force となることがわかりました。 この情報
は、 全B-747 Crew に配布され、 シミュレー
ターで体験できるよう、 訓練プログラムが設
定されました。 この例の教訓は、 操縦系統の
システムを正しく理解する事といえます。
A-320
やB-777 の制御則c*(シースター) や、
c*u(シースターユー) と Artificial Feel を
含む操縦系統について、 パイロットが十分理
解出来るまで教育されているのでしょうか。
(解説は次号で)
操縦は 目配り・気配り
事故情報 バカな奴だと
タイミング
捨てる馬鹿
2009 MAY
17
緊急座談会 (2009-2-23) 報告
ハドソン川の奇跡に思う(2)
運航技術委員会
3月号の第1回目に引き続き今回は Ditching
関連の話に集中して取りまとめました。
離陸直後の Ditching の可能性
M:これから、 Ditching 関連の話題に移りま
す。 今回のような、 離陸直後の Ditching の
可能性がある空港を挙げてください。
C1:そのような質問には答えたくありません。
特定の空港で、 あるかもしれません等と、 パ
イロットが公言することは、 いたずらにお客
様の不安を助長するだけですから。
C2:まったく同感です。 各航空会社のパイロッ
ト、 空港当局、 管制官等の関係者が、 できる
限りの努力をして、 現在の Bird Strike の発
生頻度だと思います。
C3:前号の Bird Strike の事例紹介にもあり
ましたが、 世界中で Bird Strike のために墜
落 し た 例 が い く つ か あ り ま す が 、 Bird
Strike の結果 Ditching に至ったのは初めて
ではありませんか。
幸運の連鎖
C4:先ほど、 今回の Ditching 成功は、 幸運
の連鎖だとの発言がありましたが、 思いつく
事項を出来るだけ順番に並べてみます。
① 昼間で VMC であった。
② Bird Strike に 遭 遇 し た 高 度 が 約
3,000ft (もし1,000ft 位であったら、 非常
に難しい事態になっていたと想像される)。
③ 上昇経路の機長側にハドソン川があった
という位置関係。
④ 油圧系統が生きており、 Flaps/Slats を
18
2009 MAY
Extend でき減速が可能であった。 また、
操縦系統も使用可能であった。
⑤ ハドソン川の着水区域に橋がなかった。
⑥ ハドソン川のフェリーが川を横断してい
なかった。
⑦ 風があまりなく川面に波がなかった。
⑧ 機長はグライダー経験が豊富であった。
⑨ 理想的な着水で、 機体の損傷が少なかっ
たと思われ、 機内への海水の流入が比較的
ゆっくりであった。
⑩ 着水後、 救助がすぐ始まった。
⑪ 負傷者がほとんどいなかった。
Ditching および脱出に不利な状況
M:今 後 、 発 生 す る か も し れ な い 一 般 的 な
Ditching や脱出が、 今回より困難であると
考えられる状況を挙げてください。
C1:① 全油圧系統不作動で着水速度を小さ
くできない。
② 水面状況が良くない。 波・うねり・着水
区域の強い横風
③ 水面状況を把握できない気象条件や夜間
④ 着水区域に船・橋等の障害物。
⑤ より気温が低い。
⑥ 海上救助は時間がかかる。
C2:⑦ Raft に全員が短時間に乗り移るこ
とは難しい。
⑧ 乗客数がはるかに多い場合
⑨ 日本語・英語が理解できない乗客が多い
場合
⑩ 着水の衝撃で機体の損傷が激しい場合
⑪ 客室乗務員の多くが負傷した場合
⑫ Engine の故障を伴う場合
Planned/Unplanned Ditching
M:今回のケースは、 キャプテンが Ditching
の決断をする必然的な状況があったと思いま
すが、 一般的に Ditching を決意する状況に
ついてどのような事態が想定できますか。
C1:Ditching に至るまでの時間がどの程度
あるかで、 Planned Ditching か Unplanned
Ditching に分かれると思います。
C3:突発的 (Unplanned) 不時着水は、 今
回 の よ う に 離 陸 お よ び 離 陸 上 昇 中 の Bird
Strike により All Engine Out になる場合と、
Bird Strike で Approach 中 All Engine Out
となるケースが考えられます。
C4:時間的余裕のある (Planned) 不時着水
は、 何らかの理由で燃料が枯渇する場合、 機
内爆発で急減圧プラス Fuel Leak が発生し
目的地までの燃料が確保できない場合が考え
られます。
C2:さらに、 All Hydraulic System Failure
消火できない火災等の重大な故障で、 特定の
滑走路に着陸することが難しい状況の時、 あ
る程度の時間をかけて Ditching を選択する
こともあり得るのではないでしょうか。
油圧を確保できるかが
不時着水成功の鍵
M:Ditching にしても不時着陸にしても、 機
をそれなりに操縦できるかどうかの分かれ道
は、 油圧です。 機種により違うと思いますが、
次の①②について
① ある程度以上の Windmilling Engine で
油圧が確保できますか。
② ADG ま た は RAT で Flight Control
System に油圧を確保できますか。
①
②
C1:B777;
○
○
C2:A320;
○
○
C3:B767;
○
○
C4:B737;
○ RAT なし MAN 操舵可能
C5:B747-400; ○
RAT なし
Ditching Check List の比較
M:皆 さ ん に 準 備 し て い た だ い た 各 機 種 の
Ditching Checklist は 、 す べ て Planned
Ditching を想定しているようです。
比較してみると次のような違いがあることが
分かりました。
英語のみ (JAL)、 英語と日本語 (ANA)
“Brace for Impact”(衝撃防止姿勢をと
れ) 放送の高度:
300ft (JAL)、 100∼150ft (ANA)
Engine Shut Down のタイミング:
A320 ;Just before Ditching、
他機種;After Ditching、
Simulator は着水を模擬しているか
C2:今回の事故以来、 Simulator での定期訓
練で、 時間の余裕があると Ditching の着水
までやるパイロットがかなりいます。 しかし、
Simulator は、 着水を模擬していないので、
変な結末の訓練になってしまいます。
M:日本国内の航空会社の Simulator は、 ど
の機種も模擬していません。 海上自衛隊の飛
行艇の Simulator はそれなりの模擬ができ
ています。 ただし、 着水速度が50kts 位の飛
行艇ですから、 機体形状も違うだけでなく、
Back Side Approach からの着水となります。
C4:今後Simulator 改修の可能性が出てくる
かもしれませんね。
M:今回の事故調査報告書に Simulator 改修
の勧告が出れば、 行政指導とあいまって改修
の方向性が出てくるかもしれません。 法的要
件のない機能をSimulator に付加することは、
エアライン側は現在の経営環境の中では、 消
極的でしょう。
着水時の衝撃軽減のためには
M:着水の衝撃は、 速度の2乗に比例します。
LE/TE Flaps を Extend して出来るだけ着
水速度を下げ、 衝撃を小さくすることが大切
です。
2009 MAY
19
C1:Landing Gear Up で着水するのも衝撃
軽減のためですね。 結果的に、 余分な機体構
造破壊を防ぎ、 Floating Time を延ばす事が
できます。
C2:水面の状況にもよりますが、 向い風で対
地速度が小さい方向に着水できれば幸運と言
えます。
C4:着水時の沈下率も影響しますね。 Check
List では200∼300ft/mを維持するとありま
すが、 Ground Effect でピッチ姿勢が下がる
のを防ぐことが大切だと思います。
C3:機 の 故 障 の 程 度 に よ っ て 、 細 か い
Ditching Technique も変わってくると思い
ます。
視の感覚だけでは、 高起こしの可能性があり
ます。 電波高度計の“……twenty (20ft)、
ten (10ft) の Auto Call を参考にすると、
ちょうど良いと思います。 通常の Landing
Gear の高さの補正と、 Gear Up の機首上げ
姿勢で胴体尾部が水面に近づくことが、 ほぼ
相殺するからです。
M:着水時に最も大切なことは、 水面に対して
機体を水平に保つことです。 傾いた側の主翼
に取り付けられた翼端や高揚力装置さらに
Engine が水をかぶることによる抵抗は大き
く、 極端な Yawing と Rolling の可能性が
あります。 下記は Highjack されたエチオピ
ア航空の B767 が Ditching を試みた時の写
真です。 (海岸にいた人が撮影)
Ditching Technique
M:Ditching に至る全ての Situation に対応
する細かい Technique を議論するには時間
が足りませんので、 Ditching Check List が
想定している Condition で Ditching Technique を話し合ってみたいと思います。
C1:ということは、 通常の着陸と同じように
操縦系統、 飛行計器類も正常に機能している
と考えられますね。
C2:着 水 2 分 前 く ら い ま で は 、 Ditching
Check List に 従 っ て Gear Up 、 Landing
Flap で降下してくることになります。 その
際、 Landing Gear の Drag がない分だけ、
Thrust は少ない状態ですが、 降下角を浅く
していくと、 必要推力が増加します。 従って、
少 な く と も 着 水 前 2 分 く ら い で は 200∼
300ft/m を維持するための推力で安定した
降下をすることが、 最後の着水への移行操作
を易しくすることになるでしょう。
C3:できるだけ沈下率を小さくするために、
B737 では、 Flare で機首を10°∼12°まで
あげるよう Check List に書かれていますが、
Ground Effect の影響を考慮した操縦操作を
しないと、 Ballooning 上昇する可能性があ
ります。
C4:Flare のタイミングは、 操縦席からの目
20
2009 MAY
また、 極端な機首上げ姿勢で着水すると、
Excessive Pitch Up になるとの情報を読ん
だことがあります。
L/D (揚抗比)
M : Ditching に 至 る 原 因 が 、 燃 料 不 足 で
Flame Out した場合には、 Gliding すること
になりますが、 どこまで飛行できるかは、
L/D (揚抗比) でわかります。 たとえば、
30,000ft≒5nm, L/D=15とすれば、 約75nm
進出することができます。 いろいろな Configuration での L/D を知っていれば、 いざ
というとき安心できます。
C3:A320 では、 All Engine Out/Idle の場
合 Green Dot Speed (Flap Up Maneuvering
Speed) で、 1,000ft に付き2.5nm の滑空比
になります。
M:9年まえまで乗務していた、 DC-10 の場合、
Clean Configuration 1.5Vs で L/D≒15、
Slats Ext. 15°Flaps 1.2Vs で L/D≒10、
Slats Ext. 35°Flaps 1.3Vs で L/D≒8、
Slats Ext. 50°Flaps 1.3Vs で L/D≒6、
というデータがあります。
C4:滑空するとき、 FMS をうまく利用すれ
ば、 進出距離や時間も判ります。 Ditching
の様な緊急事態に、 いかにシステムを有効に
使えるかは日頃の研鑽の結果でしょうね。
Simulator での Ditching の訓練
M:Simulator で Ditching の訓練をする必要
がありますか。
C1:着水を模擬していないことを考慮すると、
現在のSimulator では、 一番肝心な着水のテ
クニックを習熟することにはなりません。 従っ
て、 正式な訓練科目とすることには賛成でき
ません。
C2:そのように考える必要はありません。 現
在の定期訓練の枠内で、 時間の余裕があると
きに、 着水寸前までの操縦を LOFT 的に実
施する意味はあると思います。 今回の事例に
は、 全員が関心を持っているはずですから、
できるだけ早くどのように取り組むべきか関
係者が集まって検討すべきでしょう。
M:たとえば、 半年間実績を積み上げ、 担当教
官が集まり効果的プロファイル、 事前・事後
のブリーフィング内容等を決めたらいかがで
すか。
海面状況の判別
M:さて、 AIM-J に海面の状況と好ましい着
水方向等の図が載っていますが、 皆さん自信
を持って海面状況を判別できますか。
C3:Line Flight の中では、 海面状況を丁寧
に見る余裕がないのが実情です。 チラッと見
るだけで、 海面の状況を適切に判別できるの
は、 海上保安庁や海上自衛隊のパイロットや
経験者だけではないでしょうか。
C1:資料リスト21番に海面状況の把握につい
て書かれている説明の中からいくつか紹介し
ます。
① 海面状況は色々な力の複合した影響で現
れる。
② うねりは、 一般的には、 遠方で発生した
Disturbance、 たとえば嵐 (暴風雨) の様
なものが原因となって発生した波の形態で
ある。
③ Disturbance が2つ以上あると、 方向の
違ううねりが発生するが、 最も大きいもの
を1次うねり、 次のものを2次うねりとい
う。
④ うねりは海面の起伏のように見え、 海岸
近くになるまで砕けることはない。
⑤ 海面状況には、 局地的な Storm による
風や、 通過中の前線にともなう風により引
き起こされる波もある。
⑥ 風による波は、 うねりの頂点に波が砕け
た白波の波頭として見える。
⑦ 飛行中の視程が良ければ、 5,000ft 位で
1次うねりを、 2,000ft 以下で2次うねり
を観測できる。
⑧ 風の方向と強さは、 白い波頭、 泡やしぶ
きの状況から判断できる。 うねりからは判
らない。
0∼6kt:ガラス面のような状態からさ
ざ波程度
7∼10kt:小さい波、 まれに白波
11∼21kt:多くの白波を伴うより大きな波
22∼33kt:泡の波頭や白い波頭をもつ中
程度から非常に大きい波
2009 MAY
21
34kt∼
:明瞭な泡の波頭や頂点で逆巻
く波をもつ大波
C2:着水準備の実施、 海面状態の観察のため
にも、 Check List にない Auto Flight を含
む使用可能なシステムをフルに有効に使うこ
とを考えてください。
M:下表は、 今回の座談会に先立ち皆さんから
提出していただいた資料、 および航空会社の
担当者からの情報をもとに簡単にまとめてみ
たものです。 最後の資料リストは、 インター
ネット情報を含むもので、 運航技術委員会の
資料として協会で保管しておきますので、 興
味のある方は事務所においでの際、 御覧下さ
い。
以上で、 緊急座談会を終わります。
ご協力ありがとうございました。
各機種システムの比較表
機種
システム
HYD
ELEC
GENE は出力90KVA のものが各 ENG と APU に装備されている
BATT
BATT は BATT BUS と DC STBY BUS および AC STBY BUS に接続されて
いる
DOM 機は BATT1基 (48AH) で30分以上、 INT 機は BATT2基で1時間以上
運用可能
HYD
L/R/CTR の3系統
CTR SYS は ELEC MOTOR PUMP で作動
ELEC
RAT は130kt まで使用可能で CTR HYD SYS の FLT CONT が使用可能
GENE は出力90KVA のものが各 ENG と APU に装備されている
BATT
30分 STBY Power を供給可能、 40AH (Main, APU)
HYD
L/R/CTR の3系統
CTR SYS は2基の ELEC MOTOR PUMP で作動
RAT は CTR HYD SYS の PRM FLT CON を駆動
ELEC
RAT で駆動される GENE がある
GENE は出力120KVA のものが各 ENG に装備されている
また APU にも同じく120KVA のものが装備されている他
BATT
47AH、 各 FLT CONT BUS には専用 BATT が装備されている
B737-800
B767
B777
B747-400
A320
HYD
SYS1/2/3/4の4系統
ELEC
90KVA の GENE が各 ENG と APU に装備されている
BATT
40AH (Main, APU)、 30分 STBY Power を供給
HYD
Green, Blue, Yellow の3系統、 RAT は緊急時に Blue 系統を加圧する*
ELEC
BATT
22
Remarks
SYS-A と SYS-B の2系統および STBY SYS
STBY SYS は ELEC MOTOR PUMP で作動
2009 MAY
90KVA の GENE が各 ENG と APU に装備されている
*RAT により HYD の Blue 系統を経て Emergency GENE をまわす
BATT-1/BATT-2がある。
Ditching 関連資料リスト
No.
年月日
頁数
1
ハドソン川の奇跡……
資料タイトル
スポーツ報知・社会
情報ソース
2009/1/17
2
2
ハドソン川の奇跡
大島信三
2009/1/17
6
3
宇多田ヒカル 不時着水した1549便の過剰報道に疑問
Newsing
2009/1/19
2
4
US Airways 1549 (関係筋より入手)
Internet 写真集 ppt 41
2009/1/19
41
5
ニューヨーク周辺 NAV Aids 図
6
Event Detail (SAS-dc-8-62 SFO 沖不時着水事故
ffs.aero
2006
2
7
Ditching Myths Torpedoed!
Equipped To Survive
1999/8/19
11
8
Ditching
Equipped To Survive
2002/1/12
3
9
Water Landing
Wikipedia
2000
6
10
US Airways 1549便不時着水事故
フリー百科事典
2009/1/19
3
11
パンアメリカン航空006便不時着水事故
フリー百科事典
2008/7/9
3
12
Jet 機の Ditching について、 エアライン OB の関心事
Discussion Paper
2007/7/24
4
13
Plane Down in Hudson River NYC
PPRuNe Forum
2009/1/19
6
14
No Fatalities Reported in NYC Hudson River Crash
Voice of America
2009/1/15
1
15
機種別 Ditching Check List
JAL/ANA
16
US Airways Flight 1549
Wikipedia
14
18
The Study of hydrodynamic impact……
MILANO 工科大学
1
19
COCKPIT VIEW OF HUDSON RIVER FLT
YOU Tube
1
20
Flight simulator
Wikipedia
1
21
PREPARE TO DITCH
FLT SAFETY USTRALIA
22
Need to know Facts gathered for Over Water Operators FSF NEWS
23
Event Detail (SAS-DC-8-62 SFO 沖不時着水事故)
24
Ethiopian Airlines Flight 961
Wikipedia
5
25
US Airways Flight 1549
Wikipedia
14
イザ
ブログ
1
岩瀬
11
2004/4/8
3
Past Famous Ditching with Survivors
Date
Airlines Flight No.
Type of Airplane
Where
Pax. & Crew Survivors
2009/1/15
US Airways Flight 1549
A320
Hudson River, USA
155
155
2005/8/6
Tuninter Flight 1153
ATR72
Sicilian Coast
39
20
2002/1/16
Garuda Indonesia Flight 421
B737
Bengawan Solo River
60
59
Indian Ocean
175
50
1996/11/23 Ethiopian Airlines Flight 961 B767
1970/5/2
ALM Flight 980
DC9
Saint Maarten Island
63
40
1963/8/21
Aeroflot
Tu124
Neva River, Leningrad
52
52
1960/10/4
EAL Fight 375
Lockheed Electra
Boston Harbor
71
10
B377 (Stratocruiser)
Pacific Ocean
31
31
1956/10/16 Pan Am Flight 006
2009 MAY
23
GA:ジェネアビ情報
RED BULL エアレース
奥貫
博
(C) Red Bull Air Race
RED BULL エアレースの構想がスタートし
たのは2001年のことです。 エアレースといえば
米国のリノのエアレースが有名ですが、 RED
BULL エアレースは単純な周回コースではな
く、 エアロバティックス的な飛行が必要な複雑
なコースでの速度を競うものです。
レースを安全に実行する鍵は、 パイロット、
機体、 コース、 及びルールとなりますが、 その
実現のため、 フリースタイル・エアロバティッ
クスの頂点に立つピーター・ベゼネイの協力を
得て開発が進められました。
機体は12G に耐えるアンリミテッド・クラ
スのエアロバティックス機をベースとし、 パイ
ロットは、 FAI のエアロバティックス競技の
経験、 低高度のエアロバティックス飛行展示経
験を有する候補者から、 飛行審査を経て競技ラ
イセンスを与えることとしています。 これらは
レッドブル・エアレース委員会の基準に従って
厳正に実施されます。
そして最も特徴的なレースコースのパイロン
には、 空気を注入した、 薄いファブリックのエ
アゲートが使用されています。 このエアゲート
は、 飛行機の主翼を模擬した構造体での衝突試
験を経て、 レース機が200Kt で衝突しても危険
の無いものとなっています。
そのような開発の後、 2003年の試行を経て、
2004年には、 コーン型エアゲートを使用したレー
スが実施され、 2005年からは現在の形での実施
となっています。 このエアレースが、 これまで
無事故で実施されてきた背景には、 このような
慎重なアプローチがあるのです。
24
2009 MAY
レースの概要
レースは障害物の無い水面又は広い土地の
1300m×600m×1500Ft の空域を使用し、 その
中にエアゲート及びシケインを設置した、 全長
約 3NM のレーストラックで行われます。 許容
最大速度は200Kt。 1周の所要時間は、 75∼80
秒程度です。 毎年4月から10月頃にかけて、
6∼10回程度のレースが実施されます。 2009年
は、 以下の6レースが計画されています。
①.アブダビ (UAE)
4月17、 18日
②.サンディエゴ (アメリカ) 5月9、 10日
③.ウィンザー (カナダ)
6月13、 14日
④.ブタペスト (ハンガリー) 8月19、 20日
⑤.ポルト (ポルトガル)
9月12、 13日
⑥.バルセロナ (スペイン)
10月3、 4日
参加選手は、 このレースの常連のほか、 毎年
若干の入れ替わりがあります。 昨年は12選手で
したが、 今シーズンは、 日本の室屋選手を含む
4選手が新たに参戦し、 1選手が離脱した結果、
15選手となっています。
予選の2回のフライトの速い方のタイムで、
上位10名と敗者復活戦の2名が決勝レースに進
出。 翌日の決勝では、 1回戦の上位8名がスー
パー8に進出。 そしてスーパー8の上位4名が
ファイナル4に進出し、 4選手による飛行の結
果、 優勝者が決定します。 いずれも単独での飛
行によるタイムレースです。
昨年の優勝者は、 参戦2年目の若手でした。
今年も室屋選手他の新人から目が離せません。
①のスタート・ゲートは許容最大速度の水平
飛行で通過。 そこから約30度右に方向を変え、
②のシケインの一直線に並んだ3つのポールを、
ギリギリ最短ラインのS字スラロームで駆け抜
けます。 そのシケインを通過後、 右に180度方
向転換し、 ③のゲートを水平飛行で通過します
が、 高Gの急旋回から③のゲートを狙うのは難
しく、 注目のポイントです。 その後、 左に進路
を変えた後、 切返して右90度旋回で次の十字ゲー
ト (クアドロ/スペイン語で“4”の意味) に
突入。
この④の十字ゲートは、 左90度バンクのナイ
フエッジで通過と指定されています。 高Gの右
旋回から、 一気に左90度バンクのナイフエッジ
にして、 高度10m で狭いゲートを通過する難
易度の高い見せ場です。 左90度バンクで④のゲー
トを通過しますと、 右に切返して270度の水平
旋回を行い、 再び、 十字ゲートに向かいます。
ここの⑤ゲートの通過も左90度バンクの指定で
す。 右の最大Gの急旋回から、 一気に左90度バ
ンクに切返し、 狭いゲートを通過します。
この十字ゲートの通過は、 速度が大き過ぎれ
ば旋回半径が大きくなってロスにつながり、 旋
回半径を小さくすれば、 大きなGがかかります。
とはいえ、 速度を下げたのでは、 以降の経路で
のタイムロスになります。 ここは、 読みと腕と
度胸が試される最大の見所です。
十字ゲート通過後は、 加速しながら右に方向
を変え、 ⑥と⑦の2つのゲートを水平飛行で通
過します。 ⑦のゲートを通過した機体は急上昇
し、 反転して許容最大速度まで加速し、 元のラ
インに戻ります。 ハーフ・キューバンエイト的
なこの反転は後半の引起こしに最大のGがかか
ります (12G 程度)。 昨年は13G を超えて失格
となった選手もいたとのこと。 次の⑧のゲート
は水平で通過しますが、 この⑥から⑧のゲート
の通過時間と、 ⑧のゲートの通過速度をいかに
早くするかが、 タイム短縮の鍵となります。 そ
して、 最初の①のゲートに最大速度で戻ります
が、 2周目なのでこれを⑨ゲートと呼びます。
以降、 1周目と同じに、 ⑩のシケイン、 ⑪の水
平通過ゲート、 ⑫、 ⑬の90度バンクの十字ゲー
トと通過し、 ⑭、 ⑮、 ⑯のゲートを水平で通過
して、 ⑰ゲートがフィニッシュとなります。
図のコースは全長6.8Km、 平均タイム85秒、
平均速度156Kt (288Km/h) とされています。
ゲート通過の際は、 パイロットのヘルメットが
ゲートの1/2以上の高さを通過しなければなり
ません。 ゲートの高さは18−20m、 ゲートの幅
は、 水平通過用で13m、 ナイフエッジ通過用で
は10m と定められています。 また、 許容最大
速度は200Kt とされています。
2009 MAY
25
・ナイフエッジ・ゲート
ゲートの構成
ゲートには以下の4種類があります。 それぞ
れ2個∼4個のパイロンで構成され、 マーキン
グで識別されています。 このパイロンは、 底辺
直径が 5m、 頂部直径75Cm、 高さ18−20m の、
衝突しても危険の無い空気で膨らませた薄いファ
ブリック製のエアゲートです。 また1/2の高さの
所にマーキングがあり、 この位置より低く飛ん
だ場合は失格となります。 その他に3個のパイ
ロンを一直線に並べたシケインが設置されます。
ナイフエッジ・ゲート通過部の幅は10m で
す。 競技機は、 ここを姿勢誤差±20°以内の90
度バンク姿勢で通過しなければなりません。
・スタート・フィニッシュ・ゲート
・十字 (クワドロ) ゲート
(C) Red Bull Air Race
(C) Red Bull Air Race
(C) Red Bull Air Race
スタート・フィニッシュ・ゲートには、 方向
及び角度の指定はありません。 ここには、 許容
最大速度で進入します。
・水平飛行ゲート
(C) Red Bull Air Race
水平飛行ゲートは通過部の幅が13m になる
ように設置されています。
競技機の主翼とパイロンの間隙は 3m に満た
ない狭いものですが、 ここを、 200Kt にも及ぶ
速度で、 姿勢誤差±10°以内で通過しなければ
なりません。
26
2009 MAY
4個のパイロンを、 通過部の幅が13m にな
るように配置したゲートです。 競技機はここを
90°バンクのナイフエッジ姿勢で通過した後、
最初の方向と直角方向に、 再び90°バンクで通
過しなければなりません。 しかも、 ゲートへの
進入のバンク角とは逆方向の90°バンクが指定
されます。 難易度の高い勝負どころです。
・シケイン
3個のパイロンを
120m 間隔に並べたも
のです。 スタートライ
ン直後に設置された場
合は、 許容最大速度の
200Kt、 高度10m で突
入することになります。
3個のパイロンを、
ギリギリ最短コースの
(C) Red Bull Air Race
S字スラロームで駆け
抜ける、 スリリングな見せ場です。
ポイントとペナルティ
参加選手
レース自体はコースを2周するタイムレース
です。 選手は、 コースを、 できるだけペナルティ
を課せられないよう、 正確に飛行して0.1秒で
も早いタイムを目指します。
選手は各レース毎に以下のポイントを獲得し、
シーズン終了時点で最多ポイントを獲得した選
手が、 その年のレッドブル・エアレース世界チャ
ンピオンになります。
昨年と比べ、 1位と2位のポイント差が開い
ています。 また、 予選の1位通過者にもポイン
トが与えられます。 これにより、 予選を1位で
通過し、 レースにも優勝した場合は、 13ポイン
トの獲得となり、 2位に3ポイントの差をつけ
ることが可能になります。
順
位
1
2
3
4
5
6
7
ポイント
12
10
9
8
7
6
5
順位
8
9
10
11
予選1位
ポイント
4
3
2
1
1
また、 以下のペナルティが適用されます。
危険な飛行は失格と判定され、 競技ポイント
はゼロとなります。 この競技は、 安全確実な実
行が求められる空のスポーツなのです。
レースには選ばれた頂点の技量のパイロット
のみが参加できます。 要求されるのは、 エアロ
バティックス世界選手権等の参加実績及び、 低
高度のエアロバティックス飛行展示の経験です。
更に競技を戦うことの出来る飛行機を所有して
いることが必要となります。
これらの要件を満足しますとトレーニングキャ
ンプへの参加資格が得られ、 飛行の技量と安全
に対する姿勢、 人間性等が総合的に評価されま
す。 毎秒100m で高度10m を飛行し、 時には
12G もの負荷に耐えながら、 90度バンクのナ
イフエッジ飛行で10m 幅のゲートをスリ抜け
るのですから、 技量は確実で、 安定してなけれ
ばならないのです。
この段階をクリアーしますと、 レースパイロッ
ト検定キャンプへの参加が可能となります。 更
に、 そこで合格しますと、 Red Bull エアレー
ス委員会から、 翌シーズンに有効な、 スーパー・
ライセンスが発行されます。 これでレースへの
参加が可能になります。 2009年のシーズンの選
手は、 以下の15名です。
ハンネス・アルヒ (2008年1位)
オーストリア
ポール・ボノム
(2008年2位)
イギリス
カービー・チャンブリス
(2008年3位)
アメリカ
ペナルティ
ペナルティの対象
マイク・マンゴールド
アメリカ
2秒加算
・パイロンの高さを超える飛行
・水平飛行姿勢不良 (±10°)
・ナイフエッジ姿勢不良 (±20°)
ピーター・ベゼネイ
ハンガリー
ナイジェル・ラム
イギリス
6秒加算
・ゲートへの接触 (ゲートの損傷)
アレハンドロ・マクレアン
スペイン
ニコラス・イワノフ
フランス
マイケル・グーリアン
アメリカ
セルゲイ・ラクマニン
ロシア
失
・危険、 不安定、 雲への突入、 物件
等への接触、 レース・ディレク
ターの指示に従わない飛行等。
・45度超える急角度の降下進入
・ゲート高の1/2以下の低空飛行
・安全ライン、 観客エリアの飛行
・レースコースからの逸脱
・速度制限 (200Kt) の超過
・荷重倍数制限 (12G) の超過
グレン・デル
南アフリカ
*マティアス・ドルダラー
ドイツ
*マット・ホール
オーストラリア
*ピート・マクリオッド
カナダ
*室屋 義秀
日本
格
*2009年新人
2009 MAY
27
競技用航空機
競技用機体は航空局により耐空性が確認され
たものでなければなりません。 また競技に耐え
る強度及び俊敏な運動性が要求されますから、
最上級のエアロバティックス競技機をベースと
した機体のみが使用されます。 今年は
EDGE 540, MSX, Extra300SR の3機種が、
競技用飛行機として認定されています。
この中で最も多く使われている機体は、 米国
Zivco 社製の EDGE540 です。 軽量で翼面加重
が低く、 高Gを持続してかけることの出来る柔
軟性と毎秒420度にも及ぶロール性能、 及び、
調和の取れた操縦性が好まれているようです。
(C) Red Bull Air Race
競技機体の Extra300
競技機体のエンジンは、 航空ガソリンを燃料
とするピストンエンジンの、 排気量540立方イ
ンチ、 6気筒以下の、 背面飛行可能なものとさ
れています。 出力は350馬力程度です。
機体の強度は12G に絶えることとされてい
ます。 勝負どころでは限界近くのGで勝負しま
すが、 12G を超えると失格になります。
運動性能としては毎秒400度程度のロール率
が必須です。 高Gの急旋回から反対側の90度バ
ンクに切返し、 その姿勢でゲートを抜けること
が要求されていますから、 このロール率が無け
れば、 どうにもならないのです。
その他、 変わったところでは、 ゲートに衝突
した後、 安全に飛行するための基準も定められ
ています。 脚や垂直尾翼等の強度はもとより、
ゲートに衝突し、 パイロンの破れたファブリッ
クが、 ヒンジなどの突起物に絡み付けば、 厄介
なことにもなります、 そのようなことが無いよ
うな設計が求められているのです。
(C) Red Bull Air Race
Wing Span
Length
Wing Area
Max Aerobatics Wt.
Vne
Roll Rate
Engine
Propeller
24ft 4in.
20ft 7in/
98 Sq Ft
1550Lb
230Kt
420°/ sec.
Lycoming AEIO540/340Hp
Hartzell
Zivco Edge 540
28
2009 MAY
(C) Red Bull Air Race
ゲートを90度バンク姿勢で通過する Edge540
12G に及ぶ負荷がかかるレースですので、 G
に耐える体力が必要とされますが、 今シーズン
からは、 簡易型のGスーツを着用するようになっ
たとの事。
その他、 鳥衝突への配慮、 地上で転覆した時
のパイロットの保護、 撮影機材他各種機器の装
備要領等々、 安全にレースを実施するための様々
な事項が、 RED BULL エアレース・技術基準
として、 詳細に定められています。
競技機は、 競技エリア近くに設置された離着
陸場を利用して飛行しますが、 離着陸に必要な
滑走路の長さは、 500m とされています。
がありましたが、 攻めすぎてペナルティを受け
れば何もなりません。 冷静なレース運びが何よ
りも重要であることに変わりはありません。
また、 レースは、 それほど広大な場所を必要
としませんから、 水面上等、 障害物の無い平坦
な競技エリアと、 併設された離着陸場があれば、
この日本での開催も不可能ではないでしょう。
今年は室屋選手の参戦により、 日本でも TV
等で RED BULL エアレースを見る機会が多く
なると思いますので、 その理解の助けになれば
と、 本稿をまとめてみました。 ともすれば興行
的な視点のみで見られがちな RED BULL エア
レースですが、 航空スポーツ関係者の目で、 しっ
かりと見守って行きたいと思います。
おわりに
RED BULL エアレースの概要を紹介させて
いただきましたが、 すでにお分かりのように、
これは究極の空のスポーツです。 安全について
は、 世界の空のスポーツを統括する FAI の監
督と指導を受け、 危険を避けるための厳正なルー
ルを定め、 違反者は、 即、 失格となります。
最先端の航空機設計製造技術、 世界の頂点の
エアロバティックス・パイロットの飛行技術、
及び、 FAI の長年の航空スポーツの実績を反
映した厳正なルール。 これらが全て組み合わさ
れた結果、 このレースが成り立っているのです。
昨年のシーズンで、 果敢に攻め過ぎて、 何度
かの危険行為を犯すことになってしまったパイ
ロットは、 今年は参加していません。 また、 優
勝の最有力と見られたポール・ボノム選手は、
確実なレースをすれば優勝が手に入る状況であっ
たのに、 痛恨の12G を超えるオーバーGでの
失格、 あるいは攻めすぎによるパイロン接触の
ペナルティで、 全8戦中4勝しながらも、 シー
ズン優勝を逃してしまいました。 それと好対照
であったのが、 2年目のハンネス・アルヒ選手
です。 シーズンを通じて上位で安定していたこ
とが優勝につながりました。
今年は、 優勝者と2位以下の得点差が拡大さ
れ、 また、 予選1位での通過者には追加のポイ
ントが与えられる等の、 勝者が有利となる変更
出典等:
・Red Bull Air Race Handbook
・Part A Sporting Regulation
・Part B Track and Airport
・Part D Qualification
・Red Bull Air Race Technical Regulation
・Part E Technical Rules and Regulation
・Introduction RBAR, lowers team only
・Race Team Protocol 2009
・Red Bull Air Race HP 情報
http://www.redbullairrace.com
・室屋選手からも資料を提供いただきました
http://www.deepblues.co.jp/aero/
(C) Red Bull Air Race
ゲートを通過する競技機
2009 MAY
29
連
載
航
空
史
●
曼
●
陀
羅
その29. ウィリアム・E・ボーイングと
ボーイング社の盛衰
2008年8月現在の
ボーイング社は、 資
本 金 約 5,000 億 円 、
総 資 産 5 兆 9,000 億
円 、 従 業 員 159,300
人 (2007 年 12 月 現
在) を擁し、 エアバ
スと並んで、 世界の
航空機生産会社の双
璧、 民間ジェット機
ウィリアム・ボーイング
および軍用機生産で
世界のトップであり、 NASA (米航空宇宙局)
との最大の契約会社である。 世界の145ヶ国に
顧客をもち、 60ヶ国と米国内27州で社員が働い
ている。 今や世界では9,000機以上のボーイン
グ社が生産したジェット旅客機が飛んでいる。
主な生産工場は、 ワシントン州シアトル、 南カ
リフォルニア州、 カンサス州ウイチタ、 それに
モンタナ州セントルイスである。
今回は世界に君臨するボーイング社と、 創業
者ウィリアム・E・ボーイング (以降、 ウィリ
アム) にスポットを当ててみたい。
1881年10月1日、 ミシガン州デトロイトの富
裕な家庭に生まれたウィリアムは、 8歳で父を
亡くした。 貧しいドイツ移民だった父は、 ミシ
ガン州の森林で伐採の仕事をしていたとき、 コ
ンパスが狂って道に迷ったのがきっかけでタコ
ナイトを発見した。
タコナイトは使いものにならない低品質の鉄
鉱石だが、 その下に良質の大鉄鋼脈があるのを
発見し、 ミネソタ州アロウヘッド群の中心にあ
30
2009 MAY
徳田
忠成
る、 メサビ鉄鋼脈にある最大規模の鉱山権を手
中に収めてから、 貧しさから解放された。
およそ100万ドルの鉱山権を相続したウィリ
アムは、 長じて東部の名門エール大学工学部に
入学したが中退、 父が残した木材業を始めたの
が22歳のときだった。
1908年に西海岸のシアトルに移住、 事業は順
調に拡大していった。 山奥の伐採現場であろう
と、 ゴルフでヨットを楽しんでいるときであろ
うと、 大柄な彼は、 いつも背広にネクタイとい
うスタイルだったから、 「大学教授みたい」 と
か、 「お高くとまっている」 と陰口をたたかれ、
けっして評判はよくなかった。
しかし、 独身で50∼60人の従業員を使い、 30
部屋もある大邸宅に住み、 シアトル中の娘たち
の秋波を浴びながら、 余暇にはヨットと釣りに
熱中していた。
1914年7月4日のアメリカ独立記念日に、 ウィ
リアムはシアトルのワシントン湖で、 初めて遊
覧機に搭乗、 大空へ舞い上がった。 バーンストー
マーの右席に座った彼は、 長い水上滑走で水し
ぶきを体中にかぶったが、 高度をとるにつれ、
空中で眺める眼下の森と湖と海に囲まれた、 箱
庭のような景色に、 たちまち夢中になった。 32
歳のウィリアムが自分の将来の道を決めた時で
ある。
遊覧飛行の後、 ウィリアムは、 地元の飛行士
ハード・ミュンターを訪ねた。 そこでは学歴の
ない彼が航空雑誌の写真を見ながら、 母に手伝
わせて、 すでに4機の飛行機を作っていた。 そ
の現場を目の当たりにしたウィリアムは、 大学
で工学を専攻していたこともあって、 おおいに
自信をつけ、 早速、 飛行機製作にとりかかって
いる。
もともと市販のヨットに満足しなかったウィ
リアムは、 近くに小さな造船所を買い取り、 ヨッ
ト仲間のジョージ・C・ウェスターベルトに、
ヨットの製作設計を担当してもらっていた。 彼
は米海軍技術将校で、 MIT (マサチュセッツ
工科大学) で航空工学を専攻した技術者だった。
さらにウィリアムは海軍省の友人の紹介で、
MIT 出の若い航空科学者ジェローム・ハンサ
カーの協力もとりつけた。 彼はのちにアメリカ
航空学界をリードしている。
外壁を赤く塗った納屋風の造船所、 俗に 「赤
い納屋」 は飛行機工場に変身し、 ウエスターベ
ルトが飛行機の設計にとりかかったのは1915年
である。 ボーイングはロスアンゼルスまで出か
けて、 飛行機草分け時代を築いたグレン・マー
チンに操縦を教わったあと、 1万ドルで飛行機
を買い取ってシアトルに持ち帰り、 それをモデ
ルにして飛行機製作にとりかかった。
ウィリアムにとって幸いしたのは、 飛行機作
りはヨット作りの延長であった。 機体の骨組み
はトウヒやトネリコといった木材が使われ、 翼
に取り付ける羽布は、 洗濯屋でかけつぎをして
いるお針子さんを頼んだ。
飛行機が完成する前に、 ウェスターベルトは
海軍人事により東海岸へ移動したが、 ついに
1916年に2機 「B&W」 が完成した。 翼長約
16m、 全長約10m、 重量950k、 最高時速120km
の複葉機だった。 「B&W」 の名前は、 ボーイ
ングとウェスターベルトの頭文字による。
そして1916年6月15日、 ユニオン湖で自らの
操縦による初飛行で、 距離400m の浮揚に成功
した。 彼は 「これで空のスポーツを存分に楽し
むつもりです」 と、 地元の新聞に語っている。
しかし、 1ヶ月後の7月15日、 10万$を投じて
「赤い屋根」 に従業員21人の会社を設立、 この
飛行機を売り出すことになった。 名前は太平洋
航空産業、 1年後にボーイング航空機 (以
降、 ボーイング社) に改称、 ウィリアムが航空
機製造業の道を歩み出したときだった。
社員はパイロットと技術者の外に、 大工、 ボー
ト製作者、 羽布を縫い合わせるお針子も入って
いた。 B&W が簡単に売れるはずもなく、 最初
のころのウィリアムは、 賃金支払いのために、
彼自身の財布から週700$を捻出していた。
苦しい門出だったが、 東部へ去ったウエスター
ベルトの手紙による助言に力を得たウィリアム
は、 海軍用練習機であるモデルC水上機を製作
した。 複葉複座、 ホールスコット100馬力エン
ジン、 全長27ft の水上機が、 初飛行したのは
1916年11月15日である。 フロリダのペンサコー
ラ海軍基地との契約交渉は難航したが、 結局、
50機の発注を受けることに成功、 ボーイング社
が獲得した最初のビッグ・ビジネスであった。
この頃の従業員は337人にふくれあがり、 ボー
イング社による飛行機生産は軌道にのるかにみ
えたが、 それは第1次大戦による戦争特需でし
かなかった。 戦争はアメリカが参戦して1年半
ほどで終わり、 1918年11月11日の戦争終結後は
みじめだった。 軍の発注は中止になり、 巷には
不用になった軍用機があふれた。 1919年末には
B&W・モデル−1
モデル C・海軍練習機
2009 MAY
31
リンドバーグによる1927年5月の単独大西洋横
断飛行の成功によって、 国民の空への関心が一
気にたかまり、 航空機の製造が加速、 政府は大
陸横断郵便飛行ルートを設定した。 飛行場が建
設され、 モデル 40A は郵便機として郵政省に
社員67人が去っていた。 ひ弱なボーイング社は
生き残るために、 家具類やボートの製作、 そし
てキャンディ製造販売にまで手をのばした。
それでもウィリアムは、 将来、 かならず商業
航空の時代がくることを信じていたから、 1919
年には、 自らの機体でバンクーバーからシアト
ルまで国際航空郵便物を運んで PR するなど、
その準備を怠ることはなかった。
1920年になってボーイング社は、 英国デハビ
ランド DH-4 複葉機をベイスにしたモデル16を
製作、 ついに米陸軍航空からの発注にこぎつけ
た。 この機体は、 空中火災を防ぐために操縦席
と燃料タンクを入れ替え、 斬新的な金属胴体は、
独自に開発した溶接技術によるものであった。
これをキッカケにカーティス航空機からの注文
や、 複葉戦闘機の注文が入るようになり、 生き
返ったが、 同時に、 ボーイング社独自の機体を
生産し、 大量生産する設備を拡大していった。
1922年、 41歳のウィリアムはバーサ・ポッター
と結婚、 勢いに乗ったボーイング社は、 1923年
夏、 初の戦闘機モデル15 (PW-9) を初飛行さ
せて、 157機を軍への売り込みに成功、 その後
10 年 間 で 、 1928 年 6 月 に 初 飛 行 し た F-4B
(P-12) 戦闘機をくわえ、 586機の戦闘機を売
り込んだ。
その頃、 時の大統領クーリッジによる航空振
興委員会は、 航空郵便を国営 (郵政省) から民
営に移管する航空郵便法 (925.2.2成立) と、
政府が航空路および空港を建設して民間航空輸
送の安全を確保する航空商業法 (1926.5.2成
立) を具体化しようとしていた。
1927年には複座のモデル 40A を製作したが、
採用されて、 シカゴーサンフランシスコ間を飛
行した。
拡大を続けるボーイング社は、 ボーイング航
空輸送 (BAT) を設立、 さらに新しい航空
郵便サービスのために、 パイロットの訓練、 優
秀な整備工の採用などの充実を図った。 BAT
による初飛行は1927年7月1日、 就航式に臨ん
だボーイング夫人は、 禁酒法のためにソーダ水
の蓋を開けて泡を飛ばしながら、 記念の式典を
祝った。 最初の年に運んだ郵便物は837,211ポ
ンド、 貨物149,068ポンド、 乗客1,863人だった。
乗客輸送用として、 ボーイング社が最初に製
作した複葉の機体はモデル80である。 3エンジ
ン装備で乗客12名を収容できた。 初飛行は1928
年7月28日で、 改良されたモデル 80A は乗客
18人を収容することができた。
ここでウィリアムは、 長年のビジネス関係に
あった P&W 社長レンチュラーと共に1929年
2月1日、 新しく United Aircraft & Transport 社 (UATC) を設立、 P&W はこの傘下
に入り、 ウィリアムが会長に就任した。 同時に
ノースロップ、 シコルスキー、 海軍の戦闘機や
偵察機を手がけているチャンス・ボート、 ステ
アマン航空機、 プロペラ製作のハミルトン・メ
タルプレーン、 それにスタウト航空、 国民航空
輸送、 バーニィ航空といった会社を次々と買収
していった。 そして BAT はユナイテッド航空
PW-9 戦闘機・モデル15
モデル80輸送機
32
2009 MAY
(UAL) となり、 海岸から海岸への貨客空輸に
従事した。
会社は巨大化し、 傘下のカナダ・ボーイング
航空機は、 バンクーバーに造船所をもっており、
ヨットや漁船、 フェリー・ボートを作っていた
が、 UATC 傘下では、 モデル 40A 郵便機の製
作にも参加している。 ウィリアムが愛した
125ft の豪華ヨット 「タコナイト」 は、 ここで
製造された。
巨大企業は飛行機とその部品製作、 航空郵便、
飛行場の維持管理と、 傘下の航空会社が全土を
カバーしていった。 パイロットや整備士はカリ
フォルニア州オークランドにあるボーイング航
空学校にある施設で訓練を受けた。
一方、 この10年間に木と布の複葉機はすたれ、
金属使用の単葉機の開発が始まっていた。 ボー
イング社はこの時代の動きに俊敏に対応し、 輸
送の UAL、 エンジン製造の P&W 社などを含
む持株会社を設立し、 全米航空界のコングロマ
リットへの道をすすんだ。 その白眉は B247 輸
送機である。 いうまでもなく UAL が使用し、
ニューヨークーシカゴ間を1日10往復するなど、
大活躍したが、 1933年以降は、 乗客輸送サービ
スにも投入された。 この機体はアメリカ大陸横
断飛行に活躍し、 それまでの27時間から一挙に
19時間30分に短縮した。
この機体は近代的輸送機の先駆けであり、 全
金属製 (ジュラルミン) 構造で片持翼、 P&W
ワプス・エンジン500馬力2基装備、 計器飛行
可能なジャイロおよび自動操縦装置、 与圧装置、
可変ピッチ・プロペラ、 引込み脚、 主翼と尾翼
には防氷装置が施されたもので、 乗客10人収容
と郵便物400ポンドを搭載できた。 ボーイング
モデル247民間輸送機
では、 この機体を75機生産している。
UAL のライバル会社、 TWA (Transcontinental & Western Airways) のジャック・フ
ライ副社長が、 早速、 この近代的装備機を発注
した。 ところが UAL へ60機納入するまで注文
に応じられないと断わられたことで、 怒った
ジャックは、 より強力な機体をサンタモニカに
あったダグラス航空機へ注文したことから、 伝
説的名機ダグラス DC-3 が生まれたエピソード
は有名である。 B247 およびダグラス DC-3 は
現代商業航空の先駆けであり、 飛行機の大型化
と双発機への道を切り開いた。
ボーイング社による最初の爆撃機は B-9 で、
1931年4月に初飛行した。 これは軍用機用 PR
として、 ボーイング社が独自で開発したもので、
全長51.5ft の葉巻型胴体、 単葉、 カーティス液
冷600馬力の双発機であった。 これは複葉機よ
りも高速がでることが実証され、 続くボーイン
グ社初の単葉戦闘機 P-26 ピーシューターは、
陸軍から126機の発注を受けた。
1929年の大恐慌のあと、 1934年、 フランクリ
ン・D・ルーズベルト大統領によるニューデー
ル政策の一環として、 飛行機製造と輸送の兼業
が禁止され、 「ボーイング航空帝国」 は解体さ
れた。 ボーイング社は、 カンザス州ウイチタの
ステアマン航空、 カナダ・ボーイング航空機と
共に、 シアトルで西部の航空機製造を担当し、
UAL が航空輸送、 ユナイテッド航空機は、 東
部の航空機製造を担当と、 三分割された。
これに激怒したウィリアムは、 手持ちの株を
全部手放し、 保有機全てを売却して、 航空界か
ら引退した。 一方、 1933年からボーイング社々
長に就いていたクレア・イグベットは、 将来、
大型機の時代がくることを確信していた。
そして、 やがてその日がやってきた。 1934年
に入って陸軍航空は、 大型で長距離輸送可能な
機体の試作をボーイング社へ命じた。 これに活
気付いたボーイング社は、 やがて全幅149ft で
4発機 XB-15 を試作したが、 同時に、 第2次
大戦で活躍する B-17 爆撃機フライング・フォー
トレスの原型になる4発機モデル299を造りあ
2009 MAY
33
B17 爆撃機フライング・フォートレス
B-29 スーパーフォートレス・モデル345
げた。
さらに爆撃機の製造は、 4基装備の商用機モ
デル314クリッパーを製造、 この機体はやがて
空飛ぶ豪華船として、 大西洋航路に就航してい
る。 ついでボーイング社初の与圧機である商用
機モデル307ストラトライナーを造りあげ、 こ
の2機種は、 1940年代に世界を飛び回り、 1億
5千マイルを飛び、 約220万人を運んだ。
第2次大戦が勃発すると、 政府は大量の軍用
機を早急に要求し、 商用機の製造は中止になり、
各航空機会社は大車輪の製造にはいった。 ボー
イング社々員は B-17 爆撃機の製造に集中した
が、 男は戦争にかり出され、 それを補うために
何千人もの女がリベット工として働いた。 1942
年には月60機のペースで爆撃機が製造され、
1944年3月までに362機が製造された。 シアト
ル工場では、 1日に16機の B-17 を製造した記
録がある。 1940年8月、 アメリカ陸軍は巨額を
投じて XB-29 型3機の試作を命じたが、 翌年
12月7日の日本海軍による真珠湾攻撃によって、
一気に生産に踏み切った。
エグヴェット、 アレン、 ウイルソンといった
積極経営の統率者やスナイターやサターという
名設計者が大活躍した。 航空産業から遠ざかっ
ていたウィリアムも、 第2次大戦が始まるや、
顧問として現場に戻った。 かつての 「赤い納屋」
があった運河沿いの一帯は、 B17 や B29 を製
作する巨大な軍用機工場に一変していた。
日本人にとって 「悪魔の怪鳥」 B-29 が、 カ
ンサス州ウイチタとシアトルのレントンで生産
ラインに入ったのは、 1943年からである。 ウイ
チタ工場では、 農民や大工、 店主までもが借り
出され、 10時間交代で日夜、 生産に励んだ。 そ
れは 「Battle of Kansas」 として、 伝説的に語
り継がれている。 さらに B-29 は、 ダグラス社
やロッキード社でも生産された。 当時30億$と
いう途方もない金額を投じて開発された B29
が、 20億$かけて開発された原子爆弾を積んで、
広島、 長崎に飛んだのは、 「赤い屋根」 が誕生
して29年後のことである。
終戦によって軍用機が不要になり、 生産工場
が閉鎖されると、 7万人もの従業員が職を失っ
た。 終戦の年9月、 ボーイング航空機社長エグ
ヴェットはウィリアム (ビル)・アレンと交替
していた。 彼は377型ストラトクルーザーを生
産、 この機体はやがて陸軍から独立した米空軍
の空中空油機 (KC-97) として活躍したが、 ボー
イング社最後のプロペラ機となった。 続く
KC-135 は700機が空軍へ納入された。
終戦時にナチス・ドイツから入手した航空機
製作技術が助けとなり、 1947年12月に B-47
ジェット爆撃機 (モデル450)、 続く1952年4月
には B-52 ジェット爆撃機 (モデル464) を初
飛行させた。
その後、 民間機に重きをおいていたボーイン
グ社は、 B707 (1957.12.20初飛行) の原型とな
る-80が1954年5月14日にロールアウトした。
この時には、 72歳のウィリアムと夫人が招待さ
れ、 8,000人もの関係者が祝福した。 2ヶ月後
の初飛行では、 テスト・パイロットのテックス・
ジョンソンが、 ワシントン湖上空でバレル・ロー
ルをやってのけ、 ウイリアム・アレン社長の肝
を冷やしたことが語り草になっている。
以来、 1連のジェット旅客機を次々と開発、
主力機を軍用から民間に転換することに成功し
ていた。 これは軍需が売り上げの8割にも達す
34
2009 MAY
B-52・モデル464
る企業が多かった時代に、 軍需3、 民間7の割
合で通したからである。 朝鮮戦争、 ベトナム戦
争、 冷戦、 それぞれの終結の影響が比較的少な
いのは、 そのためであった。
1934年に引退したウィリアムは、 競争馬を育
てたり、 農場経営を楽しんだり、 全長125ft、
総重量250t の高速艇 「タコナイト」 で、 家族
で太平洋岸からアラスカまでのクルージングを
楽しんだ。 チーク材で内装したサロンと客用寝
室が4つあり、 船長と3人の甲板員、 2人の機
関士、 シェフとコック、 給仕が乗り込んでいた。
それ自体の価値は低いが、 その奥に大きな可
能性を秘めたタコナイト、 ウィリアム・ボーイ
ングにとっては、 木と布の飛行機こそ、 無限の
可能性を開くタコナイトだったのだろう。
その2年後の1956年9月28日、 彼は 「タコナ
イト」 船上で心臓発作によって急死、 74歳であっ
た。 ジェット機によって、 大量輸送時代の幕が
開けようとしていた。
1955年に B707 がラインに投入されたとき、
1機500万$の B707 が、 わずか1/10の燃料で、
3,000万$の豪華客船 Queen Mary 号が1年間
に運ぶ乗客を運ぶことができるといわれた。 そ
の後、 マーケットの需要に応えるように、
B727、 B737 と誕生、 そして1969年2月9日に
初飛行した第3世代機の雄、 B747 ジャンボの
誕生へと続くのである。
しかし、 その後の不況の波や SST 開発が議
会による補助金の中止などにより、 18ヶ月間、
B747 の注文が無い時期があった。
1970年始めから1971年10月にかけて、 従業員
は107,962人から61,826人に激減した。 1974年
に入って、 ボーイング社は、 軍官民航空機の外
に、 宇宙産業、 コンピューター、 ヘリコプター、
さらには砂漠での家屋建設プロジェクトにまで
手をのばし、 資本金は9億$ (当時、 約2,700
億円) に拡大、 社員72,000人 (ベトナム戦争当
時は12万人) をかかえるまでになったが、 なか
なか企業が活性化するまでにはいかなかった。
1983年になって、 長かった不況から抜けだそ
うとしていた頃、 ボーイング社は1,000機目の
B737 をレントン工場から送り出した。 さらに
他社との協力、 つまりノースロップと共に B-2
爆撃機の開発、 ベル・ヘリコプターと共に
V-22 オスプレー・ティルトローターの開発、
ロッキード&ジェネラル・ダイナミックと共に
F-22 戦闘機の開発に携っている。
同時に、 第4世代機の B757、 B767、 B737
の-600、 -700、 -800、 -900 Version を送り出し
た。 さらに1997年8月にはマクダネル・ダグラ
ス社を併合、 MD-11、 MD-80、 MD-90 が世界
に羽ばたいている。 1994年4月9日には、 世界
最大の双発ジェット旅客機 B777 がロールアウ
トした。
21世紀に入りボーイング社は、 C-17 グロー
ブマスター型、 F/A-18 ホーネット、 F-15 イー
グル、 AV-8B ハリア等々、 軍需に深く浸透し
ている。 加えて NASA との契約による宇宙開
発、“Internet-in-the-sky”と称する GPS 衛
星40個によって衛星ネットワークを構築しよう
としており、 さらに次世代用衛星として、 33個
の製造をおこなう予定である。 (参考文献:A
Brief History of The Boeing Company)
モデル707民間輸送機
2009 MAY
35
象
気
航空 C
TE H
Ta l k
空港気象
ドップラーライダー
−非降水時の風を捉える−
航空気象委員会※
2009年3月23日早朝、 成田国際空港で北西強風時の中、 フェデラルエクスプレス社 (FDX)
の貨物機が着陸に失敗して炎上し、 機長と副操縦士の2名が亡くなる事故が発生しました。 直接
の原因は調査結果を待たないとわかりませんが、 着陸帯付近にウィンドシアーがあったことは事
実のようです。
今回は降水がない時でも、 地表近くの風の変化を観測できる気象庁の“空港気象ドップラーラ
イダー”(以下、 ライダー) について、 成田航空地方気象台が作成した 「利用の手引き」 を基に
ご紹介します。
●はじめに
皆さんは空港気象ドップラーレーダーを既に
ご存知ですね。 ドップラーレーダーが探知する
のは降水粒子で、 その動きを観測して風の変化
を知ることができます。 表1は気象庁整備の空
港気象ドップラーレーダー及びライダーで、 航
空管制官から“低層ウィンドシアー情報”(ウィ
ンドシアーアラート/WSA とマイクロバース
トアラート/MBA) がパイロットへ提供され
ています。
成田国際空港 (以下、 成田) の南西強風は、
本当にパイロット泣かせであり、 大変な思いを
された方も少なくないはずです。 過去に数件の
インシデントも発生しており、 以前から日本航
空機操縦士協会も、 航空保安業務運用連絡会議
において対策を要望してきました。
多くの方々の努力が結実して、 2007年4月に
はライダーの第1号機が東京国際空港 (以下、
羽田) に、 また2008年4月に第2号機が成田に
設置されて運用が開始されました。 そして2008
年7月には、 両空港のライダーは空港気象ドッ
※ 原
36
基
2009 MAY
プラーレーダーと連接され、“低層ウィンドシ
アー情報”が降水の有無にかかわらず提供され
るようになったのです。
表1
気象庁整備の空港気象ドップラーレーダーとライダー
空港名
ドップラーレーダー ドップラーライダー
新 千 歳
○
―
成田国際
○
○
東京国際
○
○
中部国際
○
―
大阪国際
○
―
関西国際
○
2009年度設置予定
福
○
―
鹿 児 島
○※
―
那
○
―
岡
覇
※低層ウィンドシアー情報の提供は2009年度の予定
●ライダーの観測の原理
一般的に電磁波は、 大気中の降水、 浮遊粒子
(エーロゾル)、 大気分子などの粒子に衝突する
と散乱、 吸収されます。 レーダーはこの特性を
利用して、 電磁波が目標物まで往復する時間と
アンテナ角度によって距離と方位を測定します。
動いている物体によって散乱した電磁波は、 そ
の速度に応じて周波数が変化します。 これをドッ
プラー効果といい、 これを利用して目標物の移
動速度が測定できます。
マイクロ波を使用するドップラーレーダーの
目標物は降水粒子ですが、 ライダーはレーザー
(人間の目には障害となりにくいアイセーフ帯
の赤外光) を使用して大気中に浮遊する塵など
のエーロゾル (浮遊粒子) の動きを観測し、 散
乱されたレーザーのドップラー効果によって風
速を測定しています (図1)。
ライダーは光であるレーザーを使用するので、
降水や霧があると観測範囲が極端に狭くなりま
す。 また、 スキャンする方向に雲があればその
先は観測できません。
●ライダーで観測している領域
ライダーは地形性の乱流を探知するために、
図1
最適な場所に設置されています。 羽田では北東
寄りの風が吹いた時の RWY34L Short Final
付近 (格納庫の風下側)、 成田については南西
強風時の RWY16R 付近の乱流を一番良く捉え
られる位置を考慮しています。 ライダーの観測
範囲は観測施設から半径約10km 以内となって
おり、 半径約300m 以内はモニターパルスと光
学的理由から観測不可能な領域となっています。
ライダーは、 レーザーを空中に照射しながら
回転し、 仰角を段階的に変化させながら観測し
ています。 観測パターンは、 空港によって異なっ
ています。 例えば成田では、 1.0°2.0°3.0°
45.0°の4つの仰角でそれぞれ1回転して定仰
角面の観測を行い、 それに加え方位角 (磁気方
位) 336°で仰角0∼90°をスキャンし、 鉛直
面を観測しています。
このようにライダーは定仰角面を観測してい
るため、 遠方になるほど観測高度が高くなりま
す。 観測している風速は、 円錐の側面に沿った
ライダーの観測原理 (上) と羽田のライダーの写真 (下)
2009 MAY
37
レーザービーム方向の速度成分となります (図
2)。
図2
成田のライダーの観測高度と距離の関係 (出
典:参考文献)
上は定仰角面
下は鉛直面のスキャン
図3
38
2009 MAY
●ライダーで何がわかるのか
ライダーの観測データは、 気象庁の航空気象
情報提供システムにより、 空港内のエアライン
は画像で閲覧することができます。 画像の種類
は羽田と成田では多少異なりますが、 大きく分
けると 「速度」 と 「速度幅」 になります。
まずドップラー速度の画面の見方を説明しま
す (図3)。
ライダーではドップラー速度の表示を、 ライ
ダーサイトに近づく成分 (−) を寒色系で、 遠
ざかる成分 (+) を暖色系で表しています。 図
3は上空に北東の風が吹いている例です。 ライ
ダーサイトの北東象限では風の吹いてくる方角
であるため、 サイトに近づく寒色系の色で表示
しています。 一方、 南西象限の風はサイトから
遠ざかるため、 暖色系の表示となっています。
風向とレーザービームが直交する方向の北西と
南東象限では、 サイトに近づくまたは遠ざかる
成分がないため、 ドップラー速度は0の白い表
示となっています。 色でイメージがわかりにく
い場合は、 矢羽根そのものを見るといいでしょ
う。
次に速度幅を見てみましょう (図4)。
ドップラー速度の画面の見方 (出典:参考文献)
図4
速度幅の画面の見方
目標体積 (サンプリングボリューム) におけ
るエーロゾルの移動方向や速度は、 一様ではな
くばらつきがあります。 このばらつきのことを
「速度幅」 と呼んでいます。 すべてのエーロゾ
ルの動き (風) が一様ならば速度幅は0となり、
ガストを含むような風の息の大きい風が吹いて
いる場合は、 速度幅は大きくなります。 つまり、
速度幅を見ることで、 風の乱れの度合いを知る
ことができます。 提供している画面では、 速度
幅が大きくなるにしたがって、 寒色から暖色へ
と表示しています。 速度幅が4.50m/s を超えた
領域は紫色で表示し 「乱気流 (TURB)」 と呼
んでいて、 速度幅の平均値を表示しています。
平均値は小数点以下が切り捨てられた整数値で
表示され、 「T4」 とは4.51∼4.99m/s のことで、
「T5」 とは5.00∼5.99m/s のことを指していて、
1m/s 毎に表示しています。
図4は南西強風が吹いている時の羽田の速度
幅で、 仰角は0.7°です。 中心部ほど高度が低
く、 建造物等の影響を受けるため、 速度幅が大
きくなっています。 特徴的なのは、 南東象限の
外側半分ほどが東京湾なので、 北西象限の外側
半分と比較すると、 陸地より海の方が、 速度幅
が小さいことが一目瞭然です。
航空気象情報提供システムで提供している羽
田、 成田の画像は、 次のとおりです。
羽田は次の4種類。
①仰角0.7°の風の平面図
②仰角2.0°の風の平面図
③仰角0.7°の速度幅の平面図
④仰角0.3°の速度幅 (RWY34L の FINAL
側) の平面図 (図5)
成田は次の4種類。
①仰角2.0°の風の平面図
②仰角2.0°の速度幅の平面図
③方位336度 (RWY16R の FINAL 側) の鉛
直断面図 (図6)
④地表面∼高度1km までの風の平面図
2009 MAY
39
図5
図6
羽田の仰角0.3°の速度幅の平面図
成田の方位336度の鉛直断面図 (横・縦軸とも距離で、 縦軸は1km、 横軸は2km 毎)
●ライダーで観測された特徴的な事例
1
成田の南西強風 (2008年9月26日)
図7の上図は、 25日21UTC∼26日06UTC に
かけての RWL34L の風速で、 風の息が大きく、
時々30kt を超えるガストを伴っていました。
この間、 ウィンドシアーの Pilot Report が
成田航空地方気象台に34通入っていて、 そのう
ち RWY16L 及び16R の FINAL が29通と全体
の85%を占め、 その83%が1,000ft 以下の通報
でした。 図7の左下図は26日0107UTC に観測
40
2009 MAY
されたシアーライン (黒線) で、 シアーライン
の走向は風向と平行になっていて、 空港の南西
側から北側に多く出現しています。 図7の右下
図は25日21UTC∼26日06UTC の期間に観測さ
れた全シアーラインとディテクションエリア毎
の到着機の Pilot Report 件数 (白色数字) を
プロットしたものです。
特徴として、 16R の FINAL の西側に多くの
シアーラインが集中的に観測されていることで
す。 反対に RWY16L/R の出発方向にはほと
んどシアーラインが検出されておらず、 Pilot
図7
上
2008年9月26日の成田 RWY34L の瞬間風速 (横軸は日本時間) (出典:参考文献)
左下 南西強風時に観測されたシアーライン (出典:参考文献)
右下 25日21UTC∼26日06UTC のシアーラインの検出状況とディテクションエリア毎の
Pilot Report 件数 (到着機のみ) (出典:参考文献)
Report の通報件数が FINAL に集中したこと
と一致しています。 ライダーサイトから見ると、
シアーラインのほとんどは南西から西方向
6km 以内に観測されており、 特に滑走路端か
ら接地帯付近にかけて集中的に発生しています。
ここで空港周辺の南西側の地形を見てみると
(図8)、 成田は高台にあり、 空港周辺には所々
線状に谷地が存在していることがわかります。
特にA滑走路の西側では滑走路と平行に大きな
谷地が北西に伸び、 そこから直交する細い谷地
が南西・北東方向に伸びています。
A−Bの断面を見ると、 中央付近から北西方
向のAにかけて起伏が大きくなっています。 ま
た、 滑走路端の16R と34L への影響を見るため
に滑走路から南西方向5km の断面C−DとE−
Fを比較すると、 C−Dは起伏が大きい (高低
差約25m) のに比べ、 E−Fは平坦な地形になっ
ています。 このことから RWY16R 側は、 地形
の起伏が大きな場所であることが確認できます。
図8
空港周辺の地形図 (出典:参考文献)
A−B、 C−D、 E−Fは地形断面図に対応
2009 MAY
41
図9
成田の北西強風時に観測されたシアーライン (2008年4月1日0321UTC) (出典:参考文献)
図10
2
1日0601UTC の速度幅の平面図 (出典:参考文献)
成田の北西強風 (2008年4月1日)
この事例は PILOT の前号で冒頭に紹介した
日です。 図9は1日0321UTC の仰角2.0°の風
の平面図で、 地上付近の風速は25kt、 サイト
から離れた周辺部の高度が高い領域では50kt
の風速を観測しています。 サイトに近い中央付
近から濃い寒色・暖色となっていることから、
地上から500ft にかけて風速が大きいことを示
しています。 また、 風向に平行にシアーライン
(黒線) 9本が広範囲にわたって観測されてい
42
2009 MAY
ます。 図10は速度幅の平面図で、 紫色の領域は
乱気流 (TURB) を示します。 速度幅の分布状
況から空港周辺の中心付近ほど暖色系で気流の
乱れが大きいことがわかります。 また、 乱気流
を示す紫の楕円は空港周辺に万遍なく検出され
ています。 特に図の中央に表示されている大き
な乱気流表示は、 スムージング機能により表示
されたものです。 当時の成田では、 25∼40kt
のガストを伴う北西強風が吹き、 高い風じんも
観測されていて、 6機がダイバートしました。
図11 21日0852∼0910UTC の仰角0.7°の風の平面図
3
ガストフロント (2008年8月21日)
図11は、 図12の千葉県にある積乱雲から吹い
てきたガストフロントが羽田を通過した時の仰
角0.7°の風の平面図の推移です。 ライダーの
北東側に寒色系の濃い領域とシアーライン (黒
線) が出現し、 約10分後には羽田の空港の全域
が北東強風域となっていることが寒色系の動き
からわかります。 図13は RWY16L の風向・風
速です。 ガストフロント通過前までは南東の風
が4kt 程度だったのが、 突然北東の42kt の突
風が吹いています。 なお、 0910UTC に南側か
ら西側にかけて風の観測域が狭まっていますが、
これはその付近に積乱雲が発生し、 降水によっ
て風の観測ができなくなったことを示していま
す。
格納庫による風の乱れ (2007年5月19日)
図14は羽田の仰角0.7度の風の平面図で、
RWY34L 付近を拡大しています。 青色の線が
A滑走路の RWY34L 側で、 矢印の先の四角形
が4つ並んでいるのが格納庫です。 当時北風が
図12
21日0852UTC の羽田の空港気象ドップラー
レーダーのレーダーエコー強度
4
吹いて、 一番南側の格納庫の風下側で速度幅の
色が暖色系で濃く、 風の乱れが大きくなってい
ることがわかります。
2009 MAY
43
図14 0819UTC の仰角0.7°の風の平面図
青線がA滑走路 (RWY34L 側) で、 矢印に
向かって風が吹いている
図13
RWY16L の風向・風速 (横軸は日本時間)
●成田の風向別に見る
シアーラインの検出状況
図15は成田で強風が発現する代表的な3風向
について、 2008年の顕著な強風事例日の1時間
に検出されたシアーラインをプロットしたもの
です。 また、 2002∼2006年の風向別 Pilot Report 件数のグラフも掲示してあります。
各事例日は平均風速、 ガストに違いがありま
すが、 それぞれ風向別にシアーラインの特徴を
表しています。
北西強風では広範囲にシアーラインが検出さ
れていて、 特に空港の北側 (出発コース) に集
中しています。 また、 南西強風では空港の南西
側に、 北東強風では北東側にシアーラインが検
出されやすく、 それぞれ風向に沿うような形で
観測されているのが特徴的です。 南西強風時に
Pilot Report が最も多い理由は、 北西強風に
比べて南西強風では滑走路に直交する形でシアー
ラインが形成されやすく、 横風によるウィンド
シアーの影響がより大きくなることが一因では
ないか、 と手引きには述べられています。 また、
北西強風時は、 シアーラインが集中するエリア
は北側の出発コースであり、 出発機は地表面の
影響を受けて形成されるシアーラインの上空を
44
2009 MAY
通過するため、 シアーライン検出数に比べ報告
は少なくなっている可能性も考えられる、 と手
引きにはコメントがありました。
図16は空港周辺の地形図で、 空港は千葉県北
部の下総台地上に位置し、 空港の周辺には谷状
の侵食地 (谷地) が無数に散在しています。 特
に、 空港の西側から北側にかけては北西側から
南東方向に伸びる谷地 (青線) とそれに直交す
る南西から北東方向を指向する筋状の谷地 (赤
線) とが数多く存在しています。 中でも赤線で
示した谷地は、 その走向から南西強風時に発生
するシアーラインと関係しているのではないか、
と手引きには述べられています。
●今後の課題
2008年度航空保安業務運用連絡会議において
気象庁は、 成田の南西強風時の乱流について、
ライダーの観測データを収集し、 航空会社の協
力により航空機の観測データも入手して、 乱流
の発生メカニズムの調査を進めている、 とのこ
とでした。 結果によって、 乱流発生時の情報提
供方法等について、 関係機関と検討をしていき
たい、 と回答しています。 今後の調査に期待し
たいと思います。
【参考文献】
「空港気象ドップラーライダー利用の手引き」
成田航空地方気象台
図15
図16
風向別シアーラインの特徴 (出典:参考文献)
空港周辺の地形
赤青線は谷地を表す (出典:参考文献)
2009 MAY
45
黒田先生追悼文
黒田節が聴けなくなった!
― We miss you, Doctor Kuroda! ―
JAPA 顧問
岩瀬
健祐
日本 HF 研究所提供
訃報
JAPA 顧問 黒田 勲博士が2月17日に逝去されました。 訃報に接した時、 まず頭に浮かんだこ
とは、 もうあの 「黒田節が聴けなくなった!」 ということでした。 2008年7月11日、 協会事務所で
開催された顧問会でお会いしたのが最後となりました。
先生のご活躍の範囲は、 航空界だけではありませんが、 官民を問わず先生の薫陶を受けた多くの
パイロットの代表として、 誌面をお借りして心より哀悼の意を表すものです。
私自身、 エアライン機長としての現役時代および OB になってからも、 個人的にもいろいろな助
言と叱責をいただきました。 日本における安全文化の礎を築かれた先生との出会いで、 飛行の安全
に対する取り組み姿勢が積極的になったパイロットが増えています。
3月31日の品川のホテルで開催された 「お別れの会」 の席では紹介されなかった、 先生の JAPA
との関わりあいと、 航空宇宙への功績の一端を紹介して、 追悼の言葉とさせていただきます。
黒田先生と JAPA
・1/3世紀にわたり協会顧問を引き受けていただきました。 (1975年9月∼2009年2月)
・1970年の PILOT 誌 No.6 への寄稿が最初の JAPA との関わりでした。
・1975年の PILOT 誌から、 「ドクトル黒田シリーズ」 として82回の連載で、 多くのパイロットが
その軽妙な筆致を楽しみにしていました。 さらに1995年からは、 「新ドクトル黒田シリーズ」 と
して、 35回の連載をしていただきました。 (その一部を一覧表にして末尾に載せておきます。 先
生の興味の対象が多彩であることを読み取ってください。)
・この間、 いろいろな場で精力的にパイロットのために安全に関連する多くの講演をしていただき
ました。 (協会年次総会、 部会、 支部総会、 各種委員会、 安全講習会等々)
有人サポート委員会について
・生前、 先生は日本人宇宙飛行士の誕生に当初から深く関与されました。 宇宙飛行士の選抜基準の
検討、 医学適性の最終判定や選抜試験の面接にも参加されました。
・有人サポート委員会は、 宇宙ステーション等の有人宇宙活動に際し必要となる、 有人サポート技
術等に関する事項について調査審議をし、 NASDA 理事長に答申をする外部諮問機関でした。
当時早稲田大学教授であった黒田 勲先生が委員長として、 このグループをまとめてこられまし
た。
・上記の事項を審議するために、 医学、 人間工学、 有人サポート技術関連工学の専門家を招聘し、
5つの分科会が設置されていました。
46
2009 MAY
・各分科会が必要に応じてワーキンググループ (WG) を設置しました。 その一つ 「宇宙飛行士養
成訓練設備分科会」 には3つの WG がありました。
加速度環境適応訓練 WG*
閉鎖・低圧環境適応訓練 WG
空間識適応訓練 WG*
岩瀬個人の先生との出会い
・航空自衛隊を退官され、 日本航空で運航本部長付き特別講師をされていた間に、 組織運営研究会、
部門運営研究会等で、 先生の黒田節 (講演) を何回も拝聴しました。
・黒田節の内容は面白く理解できるのに、 前刷りがないとすべては思い出せないほど、 話題豊富な
内容であったとの印象を持っています。
・また、 予定時間通りに終わる Time Management Technique を見せていただきました。
・航空医学実験隊長として多くの部下を指導・育成されたわけですが、 先生の薫陶を強く受けられ
た方々と各種委員会等で一緒に仕事をする機会がありました。
・前項に述べた有人サポート委員会の分科会の一つ 「宇宙飛行士養成訓練設備分科会」 の専門委員
として推薦いただき、 上記*印を付した2つの WG に参加していました。 筑波の宇宙飛行士訓
練棟を見学するたびに、 この頃のことを思い出します。
・黒田先生は長年にわたり航空身体検査証明審査会の委員を歴任されました。 (1970年12月∼1983年
7月) 黒田先生との重複期間はありませんが、 私も航空身体検査証明審査会委員を5年有余にわ
たり歴任しました。 (1992年6月∼1997年10月) 就任に際し貴重なアドバイスをいただきました。
天国の先生に報告;「パイロットが JAXA 宇宙飛行士候補者に選ばれました!」
・先生の亡くなられた10日後2月27日に、 JAXA は ISS (International Space Station:国際宇
宙ステーション) 要員として、 2名の宇宙飛行士候補生を発表しました。
・今回選ばれた全日空の大西卓哉さんと、 航空自衛隊の油井亀美也さんは、 共に現役のパイロット
であることを天国の先生にご報告します。 大西さんは JAPA 会員です。
・やっとパイロットが選ばれたかと、 パイロット贔屓であった先生の微笑みが視えます。
・油井亀美也さんは、 航空自衛隊の TPC (テスト・パイロット・コース) の卒業生です。 3月13
日に犬山名鉄ホテルで開催された、 TPA (Test Pilot Association) 総会、 TPC 卒業記念講演会
および懇親会に集まった多くのテスト・パイロットと共に、 将来の宇宙飛行士としての彼の活躍
を期待し、“Yes, you can ! ”と激励してきました。 (下の写真は田中 石城氏提供)
・下記は JAXA ホームページから過去の日本人宇宙
飛行士の応募数等のデータです。
募集
第1回目
第2回目
第3回目
第4回目
第5回目
応募数
533名
372名
572名
864名
963名
⇒
⇒
⇒
⇒
⇒
毛利、 向井、 土井
若田
野口
古川、 星出、 山崎
大西、 油井
細
稔元空将
油井2佐
岩瀬大佐?
2009 MAY
47
向井千秋さんと
・先生が日本航空の特別講師時代の1987年に、 運航本部の部内誌 FCN (Flight Crew News) 編集
部が企画した、 向井千秋 (当時は内藤千秋) 宇宙飛行士との対談の司会を担当していただきまし
た。 武田功良機長と3人での対談で、 「シャトルから地球を眺めてみたい」 というタイトルの記
事になりました。
・その時の約束で、 向井さんが最初の宇宙飛行 (STS65、 1994年7月) を終え日本に帰国したら、
また同じメンバーで対談をと予約が入っていました。 多忙な向井さんのスケジュールの合間を縫っ
て、 NASDA 広報のご厚意で、 1995年7月25日に対談がセットされました。 あいにくと、 この
日黒田先生は北海道に出張講演が入っており、 急きょ岩瀬がピンチヒッターで武田キャプテンと
共に対談に臨みました。 この時の記事が、 PILOT 誌には 「仕事場は宇宙」 というタイトルで
1995年 No.5 と No.6 に2回に分けて掲載されています。 同じ内容が JAL の Flight Safety 誌に
も掲載されました。
残された名言三つ
パイロットよ、 遠慮せずにはっきりと、 ものを言え。
安全幹部へ、 安全情報の有効期間は1年間と心得よ。
先輩には、 経験を伝承する義務がある。
実現した博士の夢
お酒の好きだった先生の夢は、 「黒田武士 天女千秋と 宇宙酒宴」 でした。 早稲田大学を卒業
された時、 研究室の有志が発行された文集への投稿を依頼され、 「ドクトル黒田 WHO?」 と題し
た小文に書いた川柳です。 PILOT 誌1998年 No.3 に転載してあります。
Gravity Free の世界で、 「千の風に乗って」 自由に行き来できる先生の夢は、 もう実現している
ことでしょう。 今後も Good Timing での 「天の声」 を聞かせてください。
JAPA 会員一同、 先生のご冥福をお祈りいたします。
合掌
(下の写真は、 日本 HF 研究所提供)
天女千秋から花束を受取る
JAXA 理事長感謝状祝賀会にて
H.20年10月
48
2009 MAY
猫の肖像権は鰹節で OK?
黒田
勲先生の PILOT 誌への寄稿例一覧
ジャンル
2009410
Year
NO.
タイトル
1970
6
新しい航空身体検査
第1回
改正までの経緯
1971
1
新しい航空身体検査
第2回
一般項目と呼吸系
1975
1
ドクトル黒田シリーズ
第1回
1975
2
ドクトル黒田シリーズ
第2回
パイロットをやめなければならない理由
1975
3
ドクトル黒田シリーズ
第3回
人と空間
1975
4
ドクトル黒田シリーズ
第4回
人間チェックリスト
1975
5
ドクトル黒田シリーズ
第5回
人間チェックリスト
1975
6
ドクトル黒田シリーズ
第6回
人間チェックリスト
1988
1
ドクトル黒田シリーズ
第76回
連鎖ミスの背後にあるもの―
1988
2
ドクトル黒田シリーズ
第77回
連鎖ミスの背後にあるもの―
1988
4
ドクトル黒田シリーズ
第78回
第59回航空宇宙医学会から拾う
1988
5
ドクトル黒田シリーズ
第79回
信頼性を信頼しない安全
1988
6
ドクトル黒田シリーズ
第80回
パイロット気質と安全
1989
2
ドクトル黒田シリーズ
第81回
最近の事故から何を学ぶか
1989
4
ドクトル黒田シリーズ
第82回
米国をまわりながら
1995
1
新ドクトル黒田シリーズ
第1回
「安全」 ∼その不思議なるもの
1995
2
新ドクトル黒田シリーズ
第2回
兵庫県南部地震
1995
3
新ドクトル黒田シリーズ
第3回
「時間という魔物」
1995
4
新ドクトル黒田シリーズ
第4回
Situation Awareness をいかに測るか
1995
5
新ドクトル黒田シリーズ
第5回
ひどい目に合わないために
1995
6
新ドクトル黒田シリーズ
第6回
ひどい目に合わないために
2000
1
新ドクトル黒田シリーズ
第30回
科学技術のほころび
2000
2
新ドクトル黒田シリーズ
第31回
安全文化について考える
2000
3
新ドクトル黒田シリーズ
第32回
安全のシステム化の流れ
2000
4
新ドクトル黒田シリーズ
第33回
安全の 「語り部」
2000
5
新ドクトル黒田シリーズ
第34回
コンコルド墜落
2000
6
新ドクトル黒田シリーズ
第35回
航空安全をより長く持続させるために
“恍惚の目”
2009 MAY
49
黒田先生の安全哲学と業績
JAPA 専務理事
白石
豊樹
長年にわたり協会顧問をお願いしてきた黒田先生の 「お別れの会」 が、 平成21年3月31日に品川
パシフィックホテルで行われました。 会場となった一階萬葉の間は、 故人を偲ぶ関係者で一杯とな
り、 各界の代表者が追悼の辞で先生の業績を称えました。 参加者の献花は、 惜別を象徴するかのよ
うに長蛇の列となりました。
先生のプロフィールを紹介します。 昭和2年に北海道旭川市に生まれ、 同26年北海道大学医学部
卒、 同32航空自衛隊に医官として入隊。 同55年空将に、 同58年自衛隊退官、 同58∼平成7年日本航
空特別講師、 平成10年日本ヒューマンファクター研究所所長、 この間、 慶応義塾大学と早稲田大学
において教鞭をとられ、 「先生は医学博士であり空将」 といった形容がピッタリの、 幅広い分野で
数々の事績を挙げてこられました。
お人柄は、 暖かさと厳しさを的確に伝え、 いつもユーモア溢れる感性を大切にされていました。
事故調査と再発防止に対する着眼点の鋭さと具体的な貢献について、 柳田邦男氏は、 科学的・理性
的・客観的な考え方に根ざした安全文化の提唱者であり、 現場主義を実践し、 事故原因の究明に卓
越した才能を発揮し、 早くからヒューマンファクターに着目し、 「責任追及でなく原因究明に」、
「処罰偏重でなく原因追求に」 と訴え続けこられたと紹介されました。
垣根をつくらず、 考え方の異なるメンバーで話し合い考え方を発展させていく黒田流の安全探究
は、 自衛隊時代に寸暇を惜しんで原書を読み漁ったと伝えられる豊富な知識に裏付けられた科学的
な手法であり、 残された財産を大切に守り引き継いでいかなければならないと考えます。
黒田先生の志は、 「航空機の運航を業際的な面と学際的な面から総合的に調査研究し、 航空を通
じて社会の安全と健全な発展に寄与することを目的とする」 とした、 航空運航システム研究会
(TFOS) の定款に示されています。
「お別れの会」 会場
50
2009 MAY
「偲ぶ会」 会場
黒田先生を悼む
∼いつも人間を愛しつつ∼
日本ヒューマンファクター研究所所長 (JAPA 会員)
桑野
偕紀
晩年の黒田博士は、 「人間の研究者」 でした。 昭和63年から早稲田大学で 「人間科学部」 の教授
となられ、 退官された平成10年に、 「日本ヒューマンファクター研究所」 の所長に就任されました。
それ以前の仕事も人間が絡んだ問題の処理が主なものでしたが、 日本での 「ヒューマンファクター
学」 を確立され、 その実践的応用を推進された第一人者であったと言っても過言ではないでしょう。
日本ヒューマンファクター研究所が設立されたのは平成10年11月ですが、 その翌年の平成11年に
横浜市大付属病院患者取り違え事故 (1月)、 東京都立広尾病院医療事故 (2月)、 全日空ハイジャッ
ク事件 (7月)、 JCO 臨界事故 (9月) など、 次々とヒューマンファクターの関わった事故や事件
が起こり、 10月に内閣官房を中心とした各省庁の関係局長が集まって 「事故災害防止安全対策会議」
が設置され、 12月に報告書が発表されました。 その中で安全文化の確立とともに、 ヒューマンファ
クターの研究の重要性が謳われました。 その後も雪印乳業製品による集団食中毒 (平成12年)、 日
航機同士のニアミス事故、 明石市歩道橋事故 (同13年)、 関西電力美浜原発で復水管破裂事故 (同
16年)、 JR 西日本尼崎事故 (同17年) などが続き、 多くのケースで先生は安全検証委員やアドバ
イサーを歴任されました。
もともと医学博士なので、 医学・生理学の分野 (薬害等再発防止システムに関する研究会座長、
厚生労働省医療安全対策検討委員会委員、 労働科学研究所理事、 骨髄移植推進財団ドナー安全委員
会委員など) での活躍は当然ですが、 その活動分野はそこに留まることなく航空事故調査をはじめ、
エレベーター事故、 遊園地やレジャーランドの遊具の安全、 船の乗組員の勤務と休日の問題や、 使
用して良い薬剤の研究、 宇宙飛行士の適性検査など、 実に多方面にわたりました。
そのように重要な仕事をされていたにもかかわらず、 その語り口はいつもユーモアにあふれ、 皆
を和やかにされる雰囲気を失われない方でした。 「実に立派なマニュアルがあるんだけどね、 なぜ
それをしなければならないのかというものが伝わっていないんだね」 といった調子でした。 いちど
「先生、 なぜそんなに細い目で世の中を見ていらっしゃるんですか」 とふざけて尋ねたところ、 「目
をちゃんと開けて見ていたら、 余計なものまで全部見えてしまうからね。 大事なものだけを見るよ
うにしてるんだよ」 と細眼の効用 (?) を説かれたことがあります。
「むずかしいことをやさしく、 やさしいことを
ふかく、 ふかいことをおもしろく……」 これは作
家井上ひさしさんが言い出して同業の永六輔さん
も好んで口にした言葉ですが、 これに 「いつも人
間を愛しつつ」 という言葉をつけ加えたのは黒田
先生で、 今この言葉が日本ヒューマンファクター
研究所のモットーとして壁にかかっています。
日本 HF 研究所設立10周年記念講演
2009 MAY
51
シ ン ポ ジ ウ ム 資 料
日本航空機操縦士協会
乗員養成検討委員会※
航空輸送における安全の多くは依然として操縦士の信頼性に委ねられています。 この操縦士の訓
練や審査制度は機材や運航環境の変化に対応していく必要があります。 さらに昨今の景気低迷によ
る航空需要の低下はあるものの定期航空会社における団塊世代の退職に伴う乗員不足や偏った年齢
構成もまた課題となっています。
操縦士協会では昨年度より乗員養成検討委員会を立ち上げて、 これまでの乗員養成を振り返り、
年代毎の乗員養成の状況を調査するとともに、 さらに今後養成されるべき乗員の資質やその教育・
訓練・審査のあり方などについて研究を続けております。
来たる5月21日第45回定期総会後のシンポジウムにおいて、 AQP や MPL など合理的な訓練・
審査のあり方、 ならびに日本における乗員養成の大きな流れとして注目される大学における乗員養
成について関係の皆様によるパネルデスカッションおよび意見交換会を開催いたします。
(資料は航空局 HP 「第3回航空大学校の業務のあり方検討会」 等より抜粋)
定期航空会社乗員の現状
操縦士の需要予測について (2012年まで)
2007年度以降、 団塊世代の大量退職と航空需要の増
大と併せて年間400∼450名の操縦士確保が必要と予
測される
※ 清光
鈴木
52
久司
英明
2009 MAY
航空需要の動向
国内航空貨物量 (空港取扱量) の実績及び予測
国内線旅客便発着回数の実績及び予測
航空需要の動向 (国際)
操縦士需要の見通しについて (2017年まで)
主要航空会社の外国人乗員及び加齢乗員の在籍数
外国人乗員
長期的かつ安定的な乗員養成について
パイロットを取り巻く状況
⇒中長期的には航空需要が増大し、 世界的にパ
イロットの需給が逼迫。 我が国においては、
羽田空港・成田空港の整備等によりパイロッ
トの需要が増大する一方で、 団塊世代のパイ
ロットが大量に退職
加齢乗員
⇒我が国航空会社の国際競争力を維持・確保す
るため、 質の高いパイロットを長期的かつ安
定的に確保することが必要不可欠
パイロット養成における課題
⇒パイロット需要は年間400∼450名と推定
⇒主要諸外国の養成に比べて量的に脆弱
諸外国の養成施設数は、 我が国の20∼176倍
2009 MAY
53
諸外国のエアラインのパイロットの採用は、
軍、 他社からの転職が多く、 自ら操縦士を養
成することはまれである。
操縦士供給のための対策
〈中・長期的対策〉
⇒航空大学校による基幹的要員の安定供給
引き続き年間72人の養成人数を確保
⇒エアラインにおける自社養成の拡大
株式会社ジャルエクスプレスを指定養成施設
として指定
(平成19年12月)
⇒民間操縦士養成機関の育成・振興
航空大学校のノウハウ活用・技術支援として、
操縦士養成機関の育成・振興を推進 (航空大
学校主催の意見交換会等を定期的に開催中)
東海大学を操縦士の指定養成施設として指定
(平成21年2月)
桜美林大学、 法政大学、 崇城大学が航空操縦
コースを設立
(平成20年4月開設)
〈短期的対策〉
⇒外国人乗員の採用とそのための環境整備
在留資格の緩和 (法務省との調整により実施)
⇒加齢乗員の採用とそのための環境整備
年齢制限を63歳未満から65歳未満に緩和
(平成16年8月)
指定航空従事者養成施設
株式会社日本航空インターナショナル
全日本空輸株式会社
エアニッポン株式会社
株式会社ジャルエクスプレス
エアフライトジャパン株式会社
航空自衛隊航空支援集団第3輸送航空隊
航空自衛隊航空支援集団航空救難団
航空自衛隊航空教育集団
海上自衛隊教育航空集団
陸上自衛隊航空学校
海上保安学校宮城分校操縦課程
学校法人東海大学飛行訓練センター
54
2009 MAY
我が国におけるパイロット養成施設の比較
航空大学校 72名
宮崎・帯広・仙台
日本航空
約70名 羽田・ナパ
全日空
約50名 羽田・ベーカーズフィールド
JEX
約40名 大阪・アデレード
東海大学
2006.4∼
約40名 湘南 C・ノースダコダ大学
桜美林大学
約30名 淵野辺 C・アリゾナ州立大学
2008.4∼
法政大学
2008.4∼
約30名 小金井 C・福島空港
崇城大学
2008.4∼
約20名 熊本 C・熊本空港
C:Campus
欧米の訓練審査・乗員養成について
FAR で は す で に 1991 年 に AQP に か か る
Advisory Circular を発行、 欧州では ATP Integrated Course により合理的なラインパイロッ
ト養成訓練がなされていますのでご紹介します。
いずれにしても導入に際しては、 各国各社の事
情に合わせた検証がなされています。
AQP 米国定期航空における訓練審査方式
〈Advanced Qualification Program〉
AQP = 訓練 + 審査 + 資格維持
以前の訓練・審査・資格維持は、 FAR (航
空法) に細かく規定されていましたが、 航空機
の進歩や CRM 等の Human Factors にかかる
研究が進むにつれ、 運航乗務員に要求される能
力が Maneuver を中心にする個人の能力から、
Team としての Crew Performance に変化す
る中で以前の要求項目や評価基準ではこれらの
能力を訓練・評価するのに不十分になってきま
した。
そこで国が訓練の枠を設定するのではなく、
航空会社が自社の環境や能力を考慮して主体的
に訓練・審査・資格維持のプログラムを開発す
るように変わり、 UA では1993年から AQP を
導入しています。
AQP の目的
訓練・評価方法を改善し航空の安全を高める。
航空技術、 運航方式、 訓練方法の変化に対応。
AQP の特徴
AQP を行なうかは各社の裁量。
訓練プログラム開発に時間と費用がかかる。
(ISD、 CBT など)
各社の運航ポリシーを訓練や審査に盛り込む
ことが出来る。
プログラム実施内容を確認しフィードバック
ライセンス取得・維持にかかる技能訓練・審
査で CRM も訓練し審査する。
AQP と B787 の訓練
米国や航空機メーカーでは、 B777 の段階で
はもちろんのこと AQP を取り入れた訓練形態
を前提に AFM を Publish していたが、 日本
の各社はこれまでのポリシーに準じた訓練形態
を維持してきました。 B787 についてもマルチ
クルーによる訓練 (MCC) を前提になってお
り、 日本においては今後 AQP の導入が急務で
あるとの見方もあります。
ATP Integrated Course (ヨーロッパ)
欧州での一般的なエアラインパイロットの養
成方式でありその概要は次の通りです。
・ATPL G/S 760時間
27週
・基礎 FLT (CPL)
20週
PA28 110+00 FTD 10+00 PA34 10+00
・CRM
2週
・応用 FLT (ME/IR)
12週
PA34 20+00 PA34 SIM 30+00
・MCC Multi Crew Course
3週
B3SIM 20+00 Jet FAM B3SIM 16+00
これらの (CPL+ME+IR+MCC) の訓練期
間は約16ヶ月でいわゆる Frozen ATPL を取得
します。 その後 Type Rating 取得訓練します
が、 例えば A320 のコースでは約30日間で次の
通りです。
・CBT Ground Course & Performance
・24 hours Normal Procedures
(Full-Flight Simulator)
・20 hours Abnormal Procedures
(Full-Flight Simulator)
・4 hours LOFT (Full-Flight Simulator)
・4 hours Skill Test (Full-Flight Simulator)
・Total flight hours:
52 hours A320 Full-Flight Simulator
ATP Integrated Course の特徴
エアライン副操縦士を目的とする。
訓練は承認された訓練組織で承認された訓練
コースによってのみ実施できる。
結果として訓練期間の短縮が出来る。
CPL と IR (ME) の技能証明の取得および
ATPL レベルの知識を習得する。
JAR を適用する欧州の自社養成コースとし
て一般に採用されている。
各国における ATP Integrated Course
・SWISS Aviation Training
約18ヶ月
・OXFORD Aviation Training 約16ヶ月
・CAE NLS (オランダ)
約18ヶ月
・CTC Aviation (英国)
約14ヶ月
・Inter Cockpit (ドイツ)
約16ヶ月
MPL (Multi-crew Pilot License)
MPL とは
構造上操縦に2人を擁する航空
機の副操縦士に業務範囲を限定した技能証明で
あり、 計器証明、 型式限定も含まれる。/副操
縦士としての業務範囲は現行ライセンスによる
副操縦士と同じ
導入目的
エアライン Pilot 要員の育成を効
果的かつ効率的に行うことを目的に技術進歩に
見合った訓練体系を見直し、 かつ運航に即した
訓練をもみ直す。 また、 各国における資格基準
の統一を図る。
求められるレベル
ATPL と 同 等 の 知 識 レ
ベル/判断、 決断、 状況認識等を除き ATPL
と同等だが訓練を通して付与して行く。 審査で
は求められない。 (ATPL 試験に求められる
SKILL は基本的に機長として1人で状況分析、
判断を行う能力があり、 副操縦士としてのライ
センスである MPL では上記の能力を明確に規
定して求められない。)
訓練の特徴
NON ライセンサーが対象で、
ATO (Authorized Training Organization)
2009 MAY
55
のみで訓練実施可能。/訓練に FTD、 SIM を
積極的に活用する。 初期段階より、 MCC、
TEM、 CRM について教育する。 訓練シラバ
スは ISD (Instrument System Desigin) によ
り 設 計 さ れ る 。 ま た 、 従 来 の Time Base
Training ではなく CBT (Competency Based
Training) による。
主な海外の状況
ルフトハンザ 2008.1 から自社養成全面移行
年間300名規模 360名に規模拡大予定
訓練期間 TTL28か月 (含むG/S 11か月)
昇格機種 B3、 A320
ALTEON 中国人訓練生によるテストコース
にて実施中 (2008.7 終了予定が大幅に遅れ
ている)
中国 2007.9より MPL を実施 年間養成規模
800名
のプログラムなど早急に取り組むべきテーマと
して挙がっている。
全日空の運航訓練室
全日空では、 99年スターアライアンス加盟
参考 日本における MPL 取扱い (2009.1)
シカゴ条約第1付属書に規定され、 欧州がい
ち早く規定化 (2006年12月1日)、 オーストラ
リアでは2007年規定案を策定し、 業界との検討
が開始されている。 日本では財団法人航空輸送
技術研究センターが事務局となり、 検討してい
る。
2009年現在、 現行制度との障壁も多く、 技術
的な問題は航空輸送技術研究センターのワー
キンググループで検討してきた。 法令化は今後
検討される見込み。
IOSA のオーディットにより、 訓練を総合的に
統括管理する部署がないことを指摘され、 暫時
検討を重ねた結果、 2004年11月訓練統括部門=
運航訓練室を立ち上げた。
それまでライセンス供与・定期訓練に関して
は乗員訓練センターが担当し、 副操縦士育成・
機長昇格、 その他ライン運航に関わる教育、 訓
練を乗員室にて実施していたが、 これを副操縦
士養成から機長養成、 更にライン運航に必要と
される部門、 更に査察業務も含めて運航訓練室
に統括した。
また、 指導者の育成プロセスを重ね合わせ訓
練・教育・審査に関わる資格制度も見直し、 指
導者の資格制度も検討されている。
日本航空の技量サポートグループ
日本航空では、 基礎訓練から機長昇格に至る
乗員養成全体、 および運航乗務員の技量・資格
に関わる維持管理を一貫して行い、 運航品質を
保証する制度として機能する訓練審査体制を確
立することために、 改編の3本柱を提示した。
これは縦 (基礎訓練から機長昇格) と横 (機
種横断的に見る機能) の連携、 審査のフィード
バック、 定期訓練を実現するため訓練担当教官
の資格制度を導入は不可欠で、 技量サポートグ
ループの新設がなされた。
航空会社の2軸化のなかで
航空大学校プラス産学における乗員養成
今後、 世界経済を含めた、 どのような環境変
化があるか予測しがたい面はあるが、 当面日航
系・全日空系の2社が軸となり推し進められる
こととなる。 近年、 地上施設、 サテライトの活
用等施設の充実、 また航空機そのもの高性能化
に伴い、 求められる乗員の要素、 そしてそれを
享受させるための訓練・技量管理の在り方は確
実に変化し始めている。
ICAO では既に規定化された MPL と言った
新たな技能証明、 AQP と言った技量維持管理
(東海大学、 桜美林大学、 法政大学)
平成19年産学の先駆けとして東海大学航空宇
宙学科航空操縦学専攻40名の学生が入学した。
その後桜美林大学が平成20年にフライト オペ
レーション (パイロット養成) コースに19名の
学生を向い入れた。 更にプロパイロットコース
は更に柔軟に検討中ではあるが、 広く航空界に
専門的人材を送り込むことを目的として法政大
学も機械工学科航空操縦学専修を立ち上げ、 同
じく平成20年24名の学生がそのキャンパスに集っ
56
2009 MAY
た。 また国内飛行訓練を熊本空港で実施できる
として崇城大学においても工学部宇宙航空シス
テム工学科においてコースがスタートされた。
設立当初の時代背景は更なる需要の拡大と団
塊の世代の大量退職と言った航空界の現状、 ま
た、 大学においては少子化における学生の減少
に伴い魅力ある学部の創設による新しい時代・
新しい社会環境・分野への人材供給求められる
中、 航空界と大学のコラボレーションとして実
現した。
乗員養成の歴史
(JAPA 調査資料より)
日本の航空再開、 各社の生い立ち (日航の半
官半民からの立ち上げ、 民間からの立ち上げ)
など含めて、 時代背景を絡めて見ていくと、 各
社の乗員養成はその置かれた環境の中で養成規
模には多分の違いがある。
副操縦士養成においては自衛隊委託や航空大
学校の育成プログラムに頼らざるを得ない時代
から、 需要の増加に伴い外人の導入、 更に国内
のフライングサービス・イギリス CSE (全日
空) と言った既存の教育施設の活用の時代など
を通し、 現在の自社養成を中心に加齢乗員の活
用も含めてその需要を満たしてきた。
1950年代
昭和25年 (1950年) 6月に GHQ は国内航空
運送事業の運営を許可し、 同年12月には運輸省
の 外 局 と し て 航 空 庁 が 設 置 。 翌 年 昭 和 26 年
(1951年) 日本航空設立一番機を就航 (DC4 と
マーチン 202A 型旅客機乗員ごとチャーターに
よる運航が始まった)
1960∼70年代
日本の航空の再開活躍した DC4、 ヘロン、
バイカウントといった機材は一時期の役目を終
え徐々に退役となり、 国内空港の整備が進むに
つれジェット化が変わりつつあった。
乗員養成について航空再開 (27年日航の乗員
養成開始・29年航空大学校開校) から着手した
ものの、 その需要に追いつかず、 1959年に航空
大定員30名に1968年には90名に増やし一般教養
課程も設け応募条件高校卒業とした。
1961年自衛隊割愛が決定された。 そして日航
は外人パイロットの導入を決め、 また各社も自
社養成に着手、 訓練育成体制を形ながら整え始
める。 しかし、 その初頭訓練は自衛隊委託訓練
という形態に依存していた。
1970∼80年代
1969年 B747 が初飛行を行うなか、 予想を超
えて発展し続ける航空業界を健全な規律あるも
のにするため47年に45・47体制の大臣通達が出
て、 1985年まで12年間続いた。
1973年に第4次中東戦争が勃発し、 物価は高
騰し国内経済は急激に落ち込み始め航空需要も
下方修正され機材計画も見直しを余儀なくされ
たものの、 すでに大量乗員養成期に入っていた
航空会社では乗員養成計画を見直さざるを得な
くなり、 訓練中止や地上職などの他職種を経験
する中で待機状態の訓練生を抱えることとなっ
た。
全日空の乗員養成を見てみると、 航空大学校
や自衛隊割愛のみならず、 自社養成でも PSA、
自衛隊委託、 フライングサービス、 CSE とあ
らゆる養成施設を利用し養成を行っていた。 日
航ではセカンドオフィサー制を引いており、 自
社の中で一程度吸収され規模は縮小したものの
継続的な訓練は行われていた。
その後オイルショックから国際経済も立ち直
り、 国内も自動車産業をはじめ徐々に活況を取
り戻し物流も多くなり始めた。 それに伴って航
空産業も上昇傾向へと転じる。 機材計画を縮小
していた航空会社は効率的な運航が可能となる
ジェット化が進まず、 ローカルにおいては
YS11 が主流とならざるを得ず、 全日空におい
ては乗員不足をまねき停滞していた乗員養成も
再開された。 砂漠に放置されていた B747 も日
本の空でようやくその活躍の場を与えられた。
しかし、 45・47体制の中では随時機材の大型化
で対応可能なため、 今度は機長の昇格訓練が停
滞することになる。
1981年アメリカ大統領書簡による 「乗員編成
問題に関する大統領特別委員会」 が設置され、
操縦室の自動化、 近代化により2名編成が大型
2009 MAY
57
機でも可能となったことは大きな分岐点と言え
る。 こののち、 製造される航空機は2名編成が
主流となり、 グラスコックピットによる自動化
が進む。 そこで CRM も踏まえて導入されてき
たのが正副操縦士の役割を明確にした2メンコ
ンセプトである。 従来の航空機運航では整理さ
れ て い な か っ た Standard Callout や PF 、
PNF による操作役割分担である。
日本経済も発展期を迎え、 旅客や物流も多く
なり、 海外からも市場開放、 国際化が求められ
る中、 各社増便にあわせて乗員養成は急ピッチ
で行われることになる。
1985年45・47体制廃止から、 全日空は国際線
進出を意欲的に推し進めた。 NCA の運航も拡
大し、 国内線を主体としていた現行の乗員配置
計画では比較にならない乗員稼働が必要とされ、
特に機長養成が急務となった。 そこで副操縦士
6年、 3000時間で機長にするという目標を掲げ、
「機長養成プログラム」 を作成。 この環境の変
化は全日空にとっての特殊な変化といってよく、
日航や JAS における乗員養成は大きなエポッ
クとはならなかった。
更に見逃せないのが訓練技法 CRM/LOFT
の導入。 今後訓練・審査の根幹となっていくの
みならず、 養成や育成方法、 組織的な育成体制
に影響して行く。
1990∼2000年代
1980年代後半から始まったバブル経済も1990
年代に入り、 陰りを見せ始め1992年頃から崩壊
し始めた。 全日空では国際線戦略の見直し、 ス
ターアライアンスの加盟を決めた。 その結果、
IOSA のオーディット (監査) を受けて2001年
運航規定とは別にポリシーマニュアルが策定さ
れたが、 日航では2008年現在まで運航ポリシー
に関するマニュアルはない。
バブル崩壊が始まると機長養成も比較的緩や
かになり機長養成プログラムの役割も徐々に失
われつつあった。 2年後には法第72条の改正も
58
2009 MAY
あり、 自己技量管理が機長となるための基本と
の考え方に立ち返り機長養成プログラムを廃止
した。 更にいままでの 「KPMJC」 の評価判定
基準から乗員に必要とされる技量 (SKILL)
を4つ (Technical、 Cognitive、 Interpersonal
Skill、 Attitude) に分け、 それぞれの SKILL
に対する必要要素 (ELEMENT) を提示して
個人の技量を表現する共通言語 「新技量概念」
を策定した。
日航では2008年現在も 「KPMJC」 を使用し
ている。
2000年代
2001年ブッシュ大統領就任後、 規制緩和の流
れは加速し航空法においては 「運賃の自由化」
「事業への自由参入」 等自由競争による利用者
の利便を促進するような考え方に大きく方向転
換。 認可制から許可制となり、 他業種からの航
空界参入や大手航空会社による収益性を増すた
めの子会社化が進む。 2002年日本エアシステム
と日航の経営統合が実現した。 更に共同運航に
よる国際線が主流だった日航は2007年ワンワー
ルドに加盟した。
そして乗員の資格について、 路線に関係なく
航空運送事業の用に供する航空機に乗り組む機
長の要件とし、 審査内容も路線に特化されない
内容に変更された。 近年、 飛行場の施設の標準
化、 航空機に搭載された装置の高性能化等によ
るところも大きい。
2009年米系金融機関の破綻から日本企業もそ
の影響を受けた。 航空界では需要が落ち込む中、
赤字路線の廃止や運航休止に追い込まれており、
経費削減はもちろんのこと、 日本航空では昇格
訓練を3月一杯停止する措置まで講じられた。
一方欧州ではハブ化ビーム路線を前提として超
大型 A380 が就航するなかで、 経済的効率性を
うたった B787 のデリバリー遅れているという
状況がある。
以上
JAPA 主催
英クランフィールド大学 航空輸送学部
Safety and Accident Investigation Course
参加報告
理事、 法務委員
池内
宏
● Synopsis
(概要);本年4月6日から10日ま
での5日間、 「事故を斬る! (事故調査のさら
なる充実)」 と題して英国立クランフィールド
大学エア−トランスポート学部の安全・航空事
故調査講座が、 当協会主催により、 羽田空港の
ギャラクシーホールにて、 我が国ではじめて開
催されました。 ほぼ定員の36名が聴講し、 当協
会からも千葉博茂理事 (B777 機長)、 大塚敬久
委員 (運航技術委員会、 B747-400 機長) とと
もに、 筆者も参加しました。 誌面を借りて、 そ
の模様などを会員の皆さんにお知らせします。
ロールプレイ形式
講義は、 クランフィールド大学の2名の先生
により、 パワーポント画面を示しながら英語 (必要に応じて質疑のみ通訳有り) で行われ、 ロール
プレイ形式や、 インタビュー形式、 エクササイズ形式の事例研究の授業もありました。 さらにこの
講座の中では、 参加者は2つのグループに分かれ JAL 安全啓発センターと、 ANA 安全教育センター
への訪問も実施しました。 最終日まで36名の受講者はひとりも脱落することなく Course に参加し、
クランフィールド大学から 「The Continuing Professional Development Course Safety & Accident
Investigation」 の Certify を頂くことができました。
注) 「Synopsis」;ICAO Report components の Contents では、 「Synopsis」 からはじまるそうです。 講義で
は 「Synopsis」 の文字を見ただけで、 一瞬、 躊躇しましたが、 良く考えれば、 もちろん日本の一般的な
Report も同じ構成ですよね。 英語で書くだけで、 コンプレックスのある私にはカッコよく見えます!?
①
Factual Information (事実認定)/
Analysis (解析)
−イントロダクション−
本講座は、 国土交通省航空局の後援を得て、
日本航空技術協会、 日本航空インターナショナ
ル、 全日本空輸、 全日本航空事業連合会、 日本
航空協会、 日本ヒューマンファクター研究所、
法政大学、 桜美林大学など多数の協賛を頂きま
した。
受講者は、 各航空会社及び防衛省、 ATEC、
朝日航洋、 航空鉄道安全推進機構及び大学、 組
合など、 我が国の航空界の官・学・民・労の各
方面から36名が集まり、 盛大に開催されました。
まず、 開講にあたり萩尾裕康会長より、 本講
座の意義について開会あいさつがあり、 来賓の
航空局の宮下徹技術部長から、 この講座成功に
ついて祝辞を頂きました。 また、 すべての方々
を紹介することはできませんが、 航空局の冨田
航空課長、 鏡乗員課長や JAL 岸田副社長、
ANA 森本副社長をはじめ多くの方々が、 受講
2009 MAY
59
者の激励に立ち寄られました。
−講師とスタッフ−
講師は、 Graham Braithwaite 教授と Bryan
Stott 特別研究員のお二人です。
Graham 教授は (教室ではファーストネー
ムで呼んでましたので、 失礼ながらこう表記さ
せてもらいます)、 30代半ばの新進気鋭のイギ
リス人の教授で、 学部長も兼任されているとの
こと。 超エリートの天才肌の先生と思いきや、
童顔アイドル系の優しい顔立ちでいつもキュー
トな笑顔を絶やしません。 難解な単語の入った
長期間の講義のなかで、 睡魔に襲われた際は、
彼のキュートな笑顔に何度救われたことか。
Bryan 氏は、 可愛いお孫さんがおられる50
代後半の先生で、 自身も例えられたように、
「あご髭を生やしたサンタクロースのような風
貌」 です。 オーストラリア沿岸警備隊でハーキュ
リーズの元機長として活躍され、 その後、 世界
各地の事故調査に携わり、 今は、 オーストラリ
アとイギリスを往復して大学の講義をされてい
るそうです。
また Graham 教授の秘書兼通訳として、 三
好さん (クランフィールド大学特別研究員で経
営学博士) が参加され、 いろいろな場面で日本
語の補足をして頂きました。 JAPA 沖縄支部
会員の市川さん (嘉手納エアロクラブパイロッ
ト、 元ロイター記者) にも質疑の通訳のお手伝
いをしてもらいました。 そしてなにより、 本講
座は、 JAPA 根本裕一航空安全委員長と齋藤
幸雄事務局課長の尽力により成功することがで
きたこともあわせてご紹介します。
−最難関は English Conversation?!−
最難関は、 英語での講義です。 さながら、 三
国志の巨大な曹操軍のように、 幾千万の英語の
矢を、 5日間の講義では絶え間なく打ってくる
のは明白です。 レッドクリフに立て籠もるか、
早めに白旗挙げて降伏すべきか?!
講義初日の午前中の 「The Purpose of investigation」 が始まるや否や、 英語での難解な概
念的の説明があり、 あちらこちらから 「皆さん
60
2009 MAY
英語出来るから凄いね∼」 とため息交じりの愚
痴がちらほら。
しかし、 初日の午後以降は、 座席配置も学校
の授業スタイルから、 36名の参加者が9名ずつ
4つのグループに分かれたアイランドタイプで
座り受講するスタイルとなりました。 さらに捨
てる神あれば拾う神ありで、 各グループに 「英
語の闘い」 に長けた周瑜、 孔明が2∼3名は配
置されていました。 そこで英語での反撃は周瑜
将軍にお任せし、 一兵卒は、 講義内容へ集中で
きるようになりました。
その後、 日本語も OK ということで、 ワー
クショップのプレゼンは徐々に日本語が使用さ
れるようになりました。
もっとも救われたエピソードは、 Bryan さ
んとの昼食の時、 英語の聞き取りが難しい点に
ついて話したところ、 「私も、 授業をオブザー
ブしているとき、 所々Graham が何を言って
いるのかわからない時がある」、 「イングリッシュ
とオーストラリアンは単語も発音も少し違う」、
「香港に行って話す時は、 頭をチューニングし
直さないといけない」 など目から鱗の話を聞き、
妙な自信も湧いてきました。
−様々な受講者−
受講者は、 冒頭、 お伝えしたとおり、 いろい
ろな方面から参加されています。 現役の航空事
故調査官、 航空会社の総合安全推進部門のパイ
ロット、 運航や整備の専門家、 乗員組合の安全
委員会メンバーはもとより、 元航空局首席の法
政大渡邊正義教授、 元事故調委員で立正大・航
空鉄道安全推進機構の垣本由紀子教授や航空自
衛隊の事故調査研究者ら著名な先生方。 外国の
エアラインでフライトされていた方や、 石油探
査のお仕事の傍ら、 生涯学習の一環として、 自
費で事故調査を勉強されている方など本当に様々
な職種から参加され、 ワークショップでは、 様々
な視点からの活発な討議ができました。
−現実的な視点からのワークショップ−
本コースでは、 単に先生の講義を聞くだけで
なく、 ケーススタディのワークショップが実施
されました。 ワークショップでは、 てっきり、
「すわ重大事故発生! 如何なる事故調査をす
べきか?!」 という緊迫感のある例題が出ると思
いきや、 「銀座で飲んでいたとき、 自社機の着
陸時に CA (Cabin Attendant) さんがベルト
せず歩いていた という噂を聞いた。 安全部門
のあなたはどうすべきか?」 が例題でした。 あ
まりのイベントの小ささに、 思わず Bryan 氏
に 「Rumer でしょう? それに CA が怪我して
も OCC や客乗部門が任せましょう。 部門を信
頼しましょうよ。 No Matter!」 と投げやりに
議論を返してしまいました。 その後、 Bryan 氏
との口論に敗れたのはご想像のとおりです。
しかし、 よくよく調査してみると…さにあら
ず 。 Collecting evidence 、 Interviewing 、
Analysis、 最終的には Recommendation と進
むにつれ、 この事例からいろいろな安全の課題
が浮き彫りになってきました。 確かに、 重大事
故などそう簡単に起こるはずもないし、 起こっ
ても困ります。 一足飛びに、 そのような事故の
即応能力を身につけるのではなく、 そこに繋がっ
ていかないように、 日常で起こり得る不安全な
Occurrence Events に対して SMS の視点で対
処する能力の習得こそが、 事故調査の基本中の
基本といえるのだと気付かせてもらえる事例で
した。
② Conclusions (結論)
−Yes! We Can−
「為せば成る、 為さねば成らぬ何事も、 成ら
ぬは人の為さぬなりけり」 と名君上杉鷹山が詠
まれたとおり、 「英語の講義だから…」、 「事故
調査官になるわけではないから…」、 「事故は起
こらないし…」 とせっかく受講のチャンスや経
済的能力がありながら、 断念された方 (組織)
がおられたのではないでしょうか?
この講義は、 先生方の多くの航空事故調査の
実体験と最新の学識に基づく2年間コースのエッ
センス的内容です。 昨年、 イギリスで同大学の
2週間コースを受講された方も、 「2週間コー
スでは、 実習で時間が取られるので、 かえって
今回の講義内容のほうが充実している」 とのこ
とでした。 下世話な話をすると、 この講座は本
来、 ひとり約3800£もかかるとのこと。 それを
いろいろな組織の援助で、 受講費を10万円まで
削減しています。 大変お得です。
なによりも、 航空界の各分野の方々が一堂に
会して、 Communication できることは、 とて
も有意義であると思います。
最終日の質疑の場では、 先生方から 「今後は、
この場に日本の警察も呼んで、 航空事故につい
て理解を深めてもらうことを、 皆さんで考えて
みては?」 との提案もあったように、 航空安全
という共通のゴールに向かって官・学・業・労
に加え、 司法も含め、 英知を結集してゆく
Field として、 クランフィールド講義を活用す
べきだと感じました。
③
Safety Recommendations and/
or Safety Actions (安全勧告/措置)
−Let's Join Us−
もちろん、 このクランフィールド大講座には、
当協会会員でない方も多く参加されました。 し
かし最終日には JAPA 活動についてのイメー
ジが随分変わったようです。 「JAPA の会員申
し込み手続きはどうすれば良いか?」、 「パイロッ
トライセンスを持たなくても会員になれないか?」
等のご意見を頂く結果となりました。
未だに、 エアラインのパイロットの方には、
当協会を一種の乗員組合と混同され、 また風評
を信じ活動内容を誤解してされている方もおら
れるようです。 当協会は、 「Safety Ecology
Humanity」 を掲げる公益的団体 (社団法人)
です。 労働組合法人や会社法人とは全く次元が
異なり、 パイロットとしての能力を活かし、 社
会の公益のために活動する団体です。
本講座のみならず、 航空安全講習会や機長養
成講習会などを通しての航空知識の普及や、 次
世代の航空人を育む地域での青少年航空教室の
開催。 地球環境を大切にしながら社会にもっと
航空に親しんでもらう SLJ などの活動をボラ
ンティアとして行っています。
オフィスは、 港区西新橋にございますのでお
近くにお越しの際は、 お立ち寄り下さい。
2009 MAY
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“安全の分水領”
漆 黒 の 海 面 へ
フライト・セーフティ・ファンデーション誌 エアロセーフティワールド 2009年1月号より
訳
佐藤
裕
夜間、 アイリッシュ海のガス掘削プラットフォームにアプローチしていた SA365 ヘリコプター
のパイロットは操縦不能に陥ってしまい、 墜落してしまう。 この原因について事故調査官は目標が
何も見えなかったためであろう、 と話す。
アイルランド海に設置されているガス掘削プ
ラットフォームにアプローチしていた CHC ス
コシア社所属、 アエロスパシャル SA365N ドー
ファンヘリコプターのクルーは、 漆黒の闇夜を
飛行中、 操縦不能に陥り、 着陸用のパッドを飛
び越し、 海面に墜落してしまう。
2006年12月27日、 海面に墜落し、 ばらばらに
なった機体は水没してしまい、 この事故でパイ
ロット2名、 乗客5名全員とも死亡。
イギリス事故調査委員会 (AAIB: U.K. Air
Accident Investigation Branch) はこの事故
に関する最終事故報告書の中で、 事故に結びつ
いた要因を3つ挙げている。
①漆黒の闇夜、 アプローチしていたコーパイロッ
トは操縦不能の状態に陥ってしまい、 キャプ
テンに操縦の交替を頼むが、 コーパイロット
は自分の意思を正しく伝えていない。
コーパイロットがキャプテンに操縦を交替し
ガス掘削プラットフォーム
62
2009 MAY
て下さい、 と伝えてからキャプテンが操縦し
始めるまで、 実に4秒間を要している。
②異常な姿勢となったヘリコプターを回復させ
ようと、 キャプテンの取ったファースト・ア
クションは正確だったが間に合わず、 機体は
海面へ向かって降下し続けてしまった。
コーパイロットが行っていたアプローチにつ
いて、 降下角はかなり不正確であった…この
原因は目標が見えにくかったせいかもしれな
い。
③このヘリコプター運航会社は使用可能な状態
にある模擬飛行訓練装置1台を所有している
ものの、 この装置を使用して訓練を実施して
いなかった。
このような運航を行う場合、 この装置の使用
はかなり有効な訓練結果が得られる上、 パイ
ロットの評価にも有効である。
報告書によると、 このヘリコプターは現地時
間 18 00 、 ハ イ ド ロ カ ー ボ ン ・ リ ソ ー ス 社
(Hydrocarbon Resources Limited: HRL) が
東アイルランド海 (East Irish Sea) で採掘を
行っているガス掘削リグの支援飛行を行うため、
8レグの飛行に向かおうと、 ヘリコプターのベー
スが有るブラックプール空港 (Blackpool Airport) を離陸した。
クルーは当日早朝にも、 同じようなレグの多
いフライトを行っていて、 事故に至ってしまっ
たフライトに関しても、 最初の2レグについて
は特に問題は無い。
後400フィートまで上昇し、 また降下を始めて
いる。
掘削リグ、 ミリオン・ウェスト (Million
West) のプラットフォームで乗客5名を乗せ
て離陸し、 第3レグのフライトを開始する。
次に向かう掘削リグ、 ノース・モアコンべ
(North Morecambe) までの飛行時間は約7
分間、 ノース・モアコンベのプラットフォーム
で乗客1名と荷物を乗せ、 また別の掘削用リグ
へ向かう予定になっていた。
ヘリコプターには音声とフライト・データを
記 録 す る (CVFDR: Combined Voice and
Flight Data Recorder) が搭載してあり、 5時
間分の飛行データ及びキャプテン、 コーパイロッ
トそしてコクピット周辺のマイクロフォンの音
声を1時間記録することが出来、 1832.21には
“雨は降っていない、 良かったな”キャプテン
はコーパイロットに話し、“そうですね、 降っ
ていません、 今夜は降っていませんね”と話し
ている様子が録音されている。
この会話の交わされているアプローチ中“コ
レクティブの操作量は徐々に増加し、 テイル・
ローターの操作量、 サイクリックのピッチ方向、
及び右へのロール方向の操舵量も増加し”高度
は低下し始め、 そして急激に高度を失っていく
様子も記録されている、 と報告書は書いている。
ヘリコプターがミリオン・ウェストを離陸し
たのは1826、 高度500フィートへ上昇した後、
速度125ノットに加速している。
オートマティック・フライト・コントロール・
システム (AFCS) をエンゲージさせているヘ
リコプターは、 安定し、 正常な状態で飛行して
いた、 と報告書。
操縦を担当していなかったキャプテンは、 ノー
ス・モアコンベ・プラットフォームの照明施設
1832.33−サイクリックのピッチ方向、 及び
が正常に点灯していることを確認している。
ロール方向の操作量は増加し始め、 しかも操作
“キャプテンが (プラットフォームまで) あ
を繰り返すようになり、 コレクティブの操作量
と 4nm GPS、 とコー
も急激に増加し、 ヘリ
ルした後、 両クルーと
コプターは機首を大き
も、 はっきりとプラッ
く下げ、 しかも右へ大
トフォームを視認し、
きくロールして行く−
コーパイロットも
キャプテンはコーパイ
“デッキが見えまし
ロットに“どうしたん
た”とキャプテンに話
だ、 大丈夫か?”と聞
している”と報告書。
き、 コーパイロットは
“この時点における
“だめです! もう出
ヘリコプターの速度か
来ません”と答えてい
ら、 視程はほぼ4マイ
る。
ル (6,800m) 程 度 で 注. 事故機の航跡は CVFDR のデータを使用している。
あったと思われる。
コンバインド・エン
そしてキャプテンは、 フロートのアーミング
ジンのトルクは100%を超過しているため、 キャ
操作を含む着陸前のチェックリストを実施して
プテンが“ゴー・アラウンドしたほうが良いん
いる”とも書いている。
じゃないか?”と声をかけると、 コーパイロッ
プラットフォームを視認しました、 とコーパ
トは“はい…もうだめです (操縦できません)、
イロットがキャプテンに伝えた時、 ヘリコプター
助けてください”と答えている。
は270フィートを飛行していたが、 なぜかこの
2009 MAY
63
報告書は“はじめにコーパイロットが、 操縦
を替わってください、 つまり、 助けて!とキャ
プテンに頼んだ言葉は理解されなかった”と書
く。
キャプテンが操縦し始めたのは、 コーパイロッ
トが助けて!と叫んだほぼ4秒後で、 この時キャ
プテンは“私が (操縦) する、 私が (操縦) す
る、 アイ・ハブ・コントロール、 アイ・ハブ・
コントロール!!”と叫んでいる。
この時点におけるヘリコプターは、 右へのバ
ンク角38度、 機首も38度下を向き、 速度も90ノッ
トに増加、 電波高度計は290フィートを、 そし
て降下率も2,000fpm に達した。
キャプテンが操縦し始めた1秒後について報
告書は“サイクリックは大きく左方向に操作さ
れ、 さらに1秒後、 機首を上げようとサイクリッ
クも後方に操作されている”と書いている。
この操舵により、 ヘリコプターのバンク角は
左へ7度、 機首下げ角も13度まで回復している
が、 高度は180フィートまで低下し、 速度は100
ノットに増加している。
この後の6秒間、 速度は増加し続け、 当初
1,320fpm まで回復した降下率も1,690fpm へと
増加し続けてゆく。
“大丈夫か?”
1823.45、 自信を失い、 自暴自棄気味なコー
パイロットの言葉に気付いたキャプテンは“大
丈夫か?”と彼に聞き、 これに対しコーパイロッ
トは“ええ…もうだめです、 出来ません!”キャ
プテンに頼るような言葉を吐いている。
1832.47、 高度は低下し、 ヘリコプターの自
動警報音声装置も“100フィート”の音声を発
し、 警告している。
コクピット内で交わされていた会話は穏やか
な口調で、 特に異常が発生した様子も聞き取れ
ない、 と報告書は書いている。
ヘリコプターに残されていた最後の記録は、
機首を12度下げ、 海面まで30フィートの高度を
64
2009 MAY
右に20度バンクをとり、 126ノット IAS で降下
してゆくデータであった。
記録は1832.50で終了している。
ノース・モアコンベ・プラットフォームにい
た目撃者達は事故調査官に、 いつも通りにアプ
ローチしているように見えたが“やがて何時も
より速度は多すぎ、 しかもプラットフォームに
近すぎるな、 と思っていた途端、 ゴー・アラウ
ンドを開始し始めた”と話したと言う。
この後ヘリコプターは右へバンクを取り、 暗
い海面に消えて行き、 やがて海面に墜落する音
を聞いている。
墜落時の衝撃で機体はばらばらになり、 その
大部分は水没してしまった。
プラットフォームの近くで待機している多用
途作業船が救助のやめ、 墜落現場に到着したの
は16分後である。
ヘリコプターに搭乗していた6名の遺体は収
容したが、 もう1名の遺体は未だに発見されて
いない。
このキャプテンは、 モアコンベ湾でガス掘削
事業のサポート・フライトを20年近く行ってい
て、 この作業を行うベースのチーフ・パイロッ
トであり、 ライン・トレーニング・キャプテン
及びクルー・リソース・マネイジメント・イン
ストラクターも兼ねていた。
このキャプテンはエアライン・トランスポー
ト・パイロット・ライセンス及び計器飛行証明
を所持し、 総飛行時間は8,856時間、 このタイ
プでの飛行時間は6,156時間である。
飛行記録によると、 墜落事故を起こすまでの
90日の間に34回の計器進入を行い、 夜間に37回
デッキに着陸している。
コーパイロットはイギリス陸軍でヘリコプター
の操縦訓練を受け、 除隊後、 2年半ほど急患輸
送 (EMS) ヘリコプターを操縦していた。
この後、 CHC スコシア社で13ヶ月間飛行し、
今回の事故に至るまでに3,565時間飛行し、 こ
のタイプのヘリコプターでの飛行時間は377時
間になっている。
コーパイロットの夜間飛行時間は467時間で、
このうち3時間は事故の3ヶ月前の飛行時間で
ある。
墜落事故に至る90日間に、 このコーパイロッ
トは計器進入を9回行い、 7回のデッキへの夜
間の着陸をしている。
このヘリコプターは1985年にアエロスパシャ
ル社 (現在のユーロコプター社) で製造され、
機体の総飛行時間は20,469時間、 サイクルは
13,038に達していた。
整備記録によると、 このヘリコプターは承認
を受けている整備方式に従って整備され、 該当
する全ての耐空性改善通報を満たす整備も実施
されている。
事故に至る12ヶ月間の整備記録を調査しても、
事故に結びつくような異常は記入されていない。
通常の50時間点検は事故当日に実施されてい
て、 特に異常は無かった、 と記入されている。
‘特に暗い夜だった’
事故当時の天候は視程3∼7km (2∼4マ
イル)、 でミスト、 小雨あるいはドリズル、 ス
キャターからブロークンの雲量で、 雲低高度は
700フィート、 ブロークンからオーバーキャス
トの雲、 雲低高度は1,200から1,500フィート、
海面上での風向風速は130度15ノットだった。
事故現場付近のプラットフォームにいた気象
観測員は、 事故の90分ほど前の気象状態につい
て、 視程4,000m (2,5マイル) で雨、 全天雲に
覆われていた、 そして測定器具が無かったため、
雲低高度は判らなかった、 と話している。
報告書は、 事故の当日、 三日月であったが全
天厚い雲に覆われていた為、 月の光は雲に遮ら
れ“特に暗い夜だった”と書いている。
ヘリコプターに搭載してあった CVFDR 組
み込みのインテグレイテッド・ヘルス・アンド・
ユーセージ・モニタリング・システム (IHUMS)
には、 飛行中システムの故障、 警報の作動した
事実は記録されていない。
トルクがメイン・ギアボックスの入力限界を
超過している様子が2回記録されていて、 1回
目は速度75ノット以下の状態でトルク100%を
超過していて、 2回目はキャプテンが操縦し始
めた時で、 速度75ノット以上の状態でトルク
94%を超過している。
IHUMS に記録されていたデータを見ると、
事故当時、 オートパイロットのヘディング・ホー
ルド、 IAS ホールド、 アルティテュード・ホー
ルドそしてエリア・ナビゲーション (RNAV)
モードはエンゲージされていない。
目を引く2つのフェイズ。
機体について特に異常は見られなかったため、
事故調査官は“経験豊富なこのパイロットが、
海面に向かって急降下しつつある、 機体には全
く異常の無いヘリコプターをなぜ回復させられ
なかったのか”その原因を突き止めるため、
ヒューマン・ファクターに焦点をあてた。
事故調査官は、 ファイナル・アプローチ中
“特に異常と感じられる2つのフェイズ”を特
定する。
1回目の異常は“コレクティブ・ピッチをス
ムーズに下げ、 機体のピッチ姿勢を調整してい
る最中に発生している”と事故報告書。
2回目はキャプテンが速度計の指示について
“ヒィフティ・ファイブ”とコールアウトした
直後に発生し、 この時もコレクティブは徐々に
引き上げられ、 機体も上昇し始めているが“デッ
キにアプローチしているヘリコプターの位置を
修正するためか、 デッキに対する相対速度を修
正するための操作であろう”と報告書は書く。
“通常、 デッキへのアプローチは目標を見な
がら行う。 暗闇の中、 しかも全天を雲に覆われ
た状態であった為、 目標が見えなかった、 ある
いは見難い状態だったのかもしれない。 水平線
がはっきりと見えないような場合、 機体のピッ
チ姿勢及びアプローチ角 (水平線の下に位置す
るデッキへの) を判定する事はかなり困難になっ
てしまう”とも書いている。
報告書は、 ヘリデッキの照明施設改善に関す
2009 MAY
65
る勧告に従っていれば、 このヘリコプターのク
ルーはアプローチを開始した初期の段階で、 安
全にアプローチできるパスの限界から外れてい
る事を判定できたのかも知れない。
この国際民間航空条約機構 (ICAO) の行っ
た勧告とは、 パイロットの注意力をさらに高く
する為、 従来ヘリデッキの周囲に設けてある黄
色の照明灯を緑色のライトに交換する作業を
2009年度から開始する事、 というものである。
現 在 、 イ ギ リ ス 民 間 航 空 局 (U.K. Civil
Aviation Authority: CAA) は、 ヘリデッキの
照明施設をより見やすいものにするため、 洋上
のプラットフォームでテストを実施している。(注)
アプローチ角が適正であるかどうかを判断す
る場合、 視認可能な目標が重要な鍵になる、 と
報告書は書く。
“ある距離、 そしてある高度から降下してア
プローチを開始する場合、 安定した機体のピッ
チ姿勢、 着陸する地点に一定の割合で接近する
にはどうしても目標が必要であり、 目標が少な
いとか見え難い場合には、 計器を参照しながら
行わなくてはならない。
しかし、 コーパイロット側の計器盤に電波高
度計は装備されていなかった為、 コーパイロッ
トが計器をスキャンするパターンに電波高度計
を組み込む事は不可能に近い状態であった、 と
報告書は書き、 コクピット・ボイス・レコーダー
にも“ヘリデッキまでの距離を基にしてアプロー
チを開始する地点を決めていなく、 電波高度計
の指示を見て高度を確認もせず、 キャプテンが
‘フィフティ・ファイブ’及び400フィートと
コールしただけで、 キャプテンはコーパイロッ
トに手助けとなる情報を何も告げていない、 と
いう事実が録音されている”とも書いている。
“不確実な情報をもとにコーパイロットがア
プローチを開始してしまったことは、 降下を開
始した時期が早すぎたか、 降下角が深すぎたコー
パイロットの操縦が不適正で、 不用意にヘリコ
プターのピッチ姿勢を変化させてしまった事実
66
2009 MAY
からもわかる。
目視可能な情報の少なかったこと、 そして計
器のチェックが不十分だったことが原因である。
キャプテンがアプローチにあまり注意してい
なかったことも、 事故を招く原因に結びついて
しまった、 と考えられる”と書いている。
このキャプテンはヘリコプターの操縦を交替
するタイミング、 コーパイロットにゴー・アラ
ウンドをさせる判断に遅れてしまい、 これらが
重なり操縦を交替する時期を失している。
“クルー相互間で意思の疎通が積極的に行わ
れていれば、 そしてアプローチ中、 操縦を担当
していないパイロットが注意を払ってさえいれ
ば、 この事故は起こらなかったかもしれない”
と書いている。
アプローチのモニター。
報告書には、 CHC スコシア社のヘリデッキ・
アプローチに関するスタンダード・オペレーティ
ング・プロシージャー (SOP) を調査した結果、
SOP に関する安全勧告も含まれていて“操縦
を担当していないパイロットはアプローチを注
意深くモニターし、 その上接地点までの距離及
び高度を操縦しているパイロットに告げ、 アプ
ローチしているパイロットを援助しなければな
らない”と書いている。
SA365N ヘリコプターで、 視程の悪い状態の
中、 コーパイロットに操縦させてアプローチし
ている場合“コーパイロットは容易に電波高度
計をモニターすることができないため”操縦し
ていないパイロットのアシスタントは特に重要
となる、 とも書いている。
ヘリデッキへアプローチする場合の SOP を
調査して結果、 2つ目の安全勧告として“安全
にアプローチできるよう、 援助施設を設けるこ
と”と書いている。
この2つ目の安全勧告はヨーロッパ航空安全
委 員 会 (EASA: European Aviation Safety
Agency) に対しても行われていて“視程が悪
い状態でも、 オイル及び天然ガス・プラット
フォームにアプローチを行うヘリコプター・ク
ルーがアプローチをモニターできるよう、 計器
着陸システム (ILS) に関する研究を行い、 短
期間のうちに研究結果を実現できるようにすべ
きである”となっている。
この2つ目の勧告に対し、 EASA は調査委
員会に対し、 フライトクルーが着用していた耐
寒耐水服の色をもっと目立つ色に変えるよう、
調査すべきである、 と伝えた。
これは救助に当たった人々が事故調査官に、
事故を起こしたヘリコプターに搭乗していた乗
客が着用していた黄色の耐寒耐水服は発見しや
すかったものの、 青色の耐寒耐水服を着用して
いたクルーは発見し難かった、 と伝えている事
実からである。
させてのゴー・アラウンド方式、 夜間における
場周経路の図を作成し、 すべてのパイロットに
対し、 模擬飛行装置を使用して行う訓練方式を
作成しつつある。
この文書は AAIB の事故報告書、 リポート
No7/2008、 モアコンベ湾に設置されているノー
ス・モアコンベ/ガス掘削プラットフォーム近
く で 2006 年 12 月 27 日 に 発 生 し た 、 登 録 記 号
G-BLUN、 アエロスパシャル SA365N の事故
を基にしてまとめてある。
注
オフショアに接地されているヘリデッキの
照明施設に関する改善について、 CAA ペー
パー2004/1.
AAIB は CAA に 対 し 、 JAR-OPS (Joint
Aviation Requirement-Operations) パート3
の規程に従い、 承認を受けている航空機運航会
社に対し、 CAA の承認を受けている模擬飛行
訓練装置を使用したリカレント・トレーニング
及びチェックを確実に実施させるべきである、
と勧告している。
2つ目として、 洋上の施設で気象観測を行う
者に対し“雲低高度及び視程をより正確に計測
できる機器の義務装備化、 及びこの機器の取り
扱い方法を訓練し、 訓練結果を見て気象観測に
関する資格を与える機関”を設置すべきである、
と勧告している。
事故報告書は、 事故当日の夜間、 気象観測に
当たっていた従業員は正式な訓練を受けていな
いばかりか、 気象観測を行う機器も設置されて
いなかった点を強調している。
今回の事故の後、 このヘリコプター運航会社
は、 パイロットが方向感覚を失ってしまった場
合、 あるいは操縦不能に陥ってしまった場合に
とるべき措置についてガイダンス及びプロシー
ジャーを作成し、 オートパイロットをカップル
アエロスパシャル SA365N ドーファン2
アエロスパシャル (現在のユーロコプター
社) SA365N が初飛行したのは1979年で、 こ
の双発のヘリコプターはパイロット2名、 乗
客8名を搭乗させることが出来る。
定格530KW (710shp) のターボメカ社製
アリエル 1C タービン・エンジンを2基装備
する。
空虚重量は2,017kg (4,447ポンド)、 最大
離陸重量は4,000kg (8,818ポンド)。
海面上での最大巡航速度は140ノットで、
最大上昇率は1,515fpm、 そして上昇限度は
15,000フィート。
標準装備の状態での最大航続距離は、 海面
上高度において475ノーティカル・マイル
(880km) である。
2009 MAY
67
連
載
I Aviation
―アメリカの空から想う―
最終回
責任のバトンタッチ:
私に託された課題
Horizon Airlines
CFI の仕事を始めて1年経ち2年が経ち、 時
ばかり流れても一向にアメリカの市民権はおり
ません。
アメリカでエアラインパイロットとしてやっ
て行こうと思っていた私にとって市民権の取得
は、 持っていなければ先へ進めない必要条件だっ
たのです。
CFI として飛行しはじめ、 6年目に差し掛かっ
た時、 自分があまりにもやる気のない、 最悪の
教官である事に気付きます。 生徒には夢と希望
を語りかけて教えている反面、 自分自身、 ただ
毎日仕事のみをこなすだけで、 何にも挑戦して
いなかったんです。
先へ進めないもどかしさと、 どのくらい待っ
たら市民権が取得できるのか分からない、 とい
う言いようの無いジレンマの中にいた私は、 昔、
パイロットになる事を夢見て、 張り切って毎日
トレーニングに明け暮れていた頃の自分を懐か
しんでいました。
今思い起こせば、 私はいつも飛行機を見るの
が好きでした。
飛行機そのものが好きだったのではなく、 飛
行機が持ち運ぶロマンにあこがれていたのだ、
と思います。
飛行機は出会いと別れを運んでくる、 飛行機
は希望と憧れを持ち運ぶ。
飛行機は私に夢を与えてくれたようです。
飛行機という乗り物を使ってさまざまな所で、
多くの人と出会えるロマンが私の中に芽生えて
いました。
飛行機ってすごいね! 私はこの業界で生き
て行きたい、 と思い始めていました (第1回か
68
2009 MAY
青木
美和
ら引用)。
そんな時、 電話で応援し、 励ましてくれる母
から活を入れられます。“CFI も立派なパイロッ
トとしての仕事。 人を乗せ責任重大なお仕事に
ついているのだから 初心を忘れるな!”アメリ
カで一人暮らしを長くしていても、 自分の周り
には怒ってくれる人などいなかったんです。 そ
んな中、 故郷豊橋からの電話での母のお説教は、
いつも新鮮でありがたかったのです。 そして私
は思い立ちました! 今、 自分に挑戦できる事
はないのか?
ほとんどの免許を取ってしまっていた私です
が、 まだ持っていない免許はいくつもあります。
例えば、 水上機の免許、 グライダーの免許、
Tail Wheel の免許、 アクロバティックの免許!
等、 たくさんあると考えました。 中でも、 水上
機の免許はとっても魅力的でした。 週末の3日
間で取れる上、 しかも近くの湖で取得できるん
です。 ただ、 一つ難点がありました。 当時、 私
はあまりお金を稼いでなかったんです。 毎月、
生活するだけで精一杯の収入しかなかった為、
貯金など無かったんです。 やる気と意欲に満ち
溢れていましたが、 実際は経済的な理由から水
上機免許取得の希望も断念せざるを得なかった
んです。 しかし、 私は考えました。
当時、 私の妹はアメリカの大学院に行く為、
奨学金受験の準備をしていました。
大学院に奨学金制度があるのなら、 Aviation
の世界にも奨学金で免許を取れる大きなサポー
ト・システムがあっても良いではないか?
その日から私はインターネットや多くの人々
に訪ね、 奨学金で免許を無料で取れないものか
と調べました。 奨学金なら自分で費用を負担し
なくても良いという事実に私は、 どこからとも
なく湧き上がる意欲に掻き立たてられ、 情報を
集めました。
調べているうちに、 世の中には多くの奨学金
制度のあることに驚かされました。“なんて心
が寛大なのだろう?”と$500から$30,000ま
で広がる各種の奨学金制度の内容を読みながら、
Aviation に対するアメリカのサポート・シス
テムの偉大さに感動していました。
私はその中の一つに目を留めます。“Women
in Aviation Internation”が設けている奨学
金制度の一つで、 Cessna 社がサポートしてい
るものでした。 内容は“Cessna Citataion Encore Business Jet Type Rating Full Scholarship”でした。 奨学金の額は$18,000。 奨学金
で、 Encore の Type Rating を取らせてくれる
と言うものです! 多発の免許は持ってはいる
ものの、 Jet の免許 (Type Rating) は持って
ない私。 Cessna Encore は2回ほど飛んだ事が
あります。 Type Rating と言う言葉に少しわ
くわくしながら、 チャレンジしてみたいと思い
ました (第5回から引用)。
奨学金応募の最初のプロセスは書類作成から
始まりました。 私が始めにした事は、 3人の方
から Recommendation Letters を頂く事です。
応募内容によると、 家族以外の方から私を良く
知る3人を選び、 Cessna 社へ当てた手紙を作
成すること、 と書いてあります。 自分をよく知っ
ている大学の教授、“Toastmasters International”と言う Public speech サークルの会長
さん、 私生活をよく知っている市の商工会議所
のおじさんなど、 さまざまな分野で活躍されて
いる方々に、 私“青木美和とはどういう人物
か?!”と言う題材で推薦文を書いていただきま
した。
そして、 何より時間をかけて書き上げたのは
2通の、 私自身が Cessna 社へ宛てたエッセイ
です。 1通は“なぜパイロットになろうと思っ
たのか? そして、 パイロットとしてどのよう
な経歴を積んで今のキャリアがあるのか?”2
通目は“なぜ Cessna Encore の Type Rating
が取りたいのか?”というテーマでした。 これ
らのタイトルは決まっているため、 この内容を
基準に応募者を比較する、 一つの大きな手段と
なっているそうです。
英語が母国語の他の応募者に負けないように
1ヶ月近くかけて手直しをし、 納得がいくまで
書き直し、 作成しました。 アメリカ人のお友達
に英語の文法や表現法を直していただきながら
書いた2通のエッセイ。
この過程で、 私は改めて日本人らしい謙虚な
表現で私自身を表現するやり方をやめ、 アメリ
カ人的な発想の、 自分が如何に他の人より優れ
ているか、 を誇張する慣れない表現力を身に付
けました。 そして、 そのエッセイを書き始めた
ときの原稿と、 最終的に提出した原稿とを比べ
てみると、 自分が日本人らしく謙虚な書き方で
自分を表していた文面から、 自分がどれだけが
んばって来たかを誇張する、 アメリカ人的表現
法で書かれたエッセイに変わっている事に気付
きました。
このエッセイを書くというプロセスは、 私自
身、 文化の違いを改めて感じた瞬間でもありま
した。 手紙と作文、 パイロットの免許証とログ
ブックのコピーを一緒に奨学金委員会へ郵送し
ました。 1ヶ月以上かけて作り上げた書類。 も
ちろん第1次審査を通って、 第2次審査の面接
まで行きたいなと思う反面、 自分自身、 何かに
向かって努力し続けた毎日が、 とっても有意義
だった事に満足している自分にも気づきました。
結果はどうであれ、 このプロセスを通じていろ
んな事を学び、 チャレンジしてよかった、 と思っ
ていたんです。 噂によると、 一人しかいただく
事の出来ない奨学金に対して百通以上応募があ
ると聞いていた為、 心の中で少し弱気になって
いる私がいたのも事実です。
2007年2月9日。 この日はとっても濃い霧で、
朝から練習用の飛行機たちは格納庫にしまわれっ
ぱなしで、 私達 CFI は生徒達に、 今日の午前
中のフライトはキャンセルになる、 と電話を掛
けていました。
Chief Pilot に、 今日は飛べないだろうから
2009 MAY
69
家で待機していてもかまわない、 と風邪をこじ
らせていた私に、 早速家で休養する事に。 午後
3時過ぎになって少し霧が薄くなり、 もしかし
て飛べるかな?と期待をしながら、 今日はお給
料日でもあるため、 空港へ向かいました。 Office に着くや否や、 私のメール Box に黄色の
紙がワンサカ入っている? 何これ? と思い
ながら一枚一枚読むと、 オフィスの人からのメッ
セージで“セスナ社からの電話あり! 至急電
話するように!”と。“え? え? え?”“ま
じでー!?”私はオフィスに駆け込み、 彼女たち
にメッセージの内容を聞きました。 風邪をこじ
らせて2日ほど寝込んでいた私は自分のメール
Box を Check 出来なかったかった為、 3日間
の間に、 Cessna 社は私からの電話連絡を待っ
ている、 と言うメッセージが! 何でこんな大
切なメッセージをすぐに直接教えてくれなかっ
たのー!と思ったが、 そんな事を言っている場
合ではありません。
受賞者決定の締め切りまで後1週間。 もうだ
めだったんだなー! とあきらめかけていた時
のこの出来事! 私はすぐさま、 鼻声で
Cessna 社に電話しました。“あー! 青木美和
さん? あなたどこに行ってたの? 今日連絡
なかったら、 ほかの人に電話しようと思ってい
たのよ!”とあせって電話してきた私に笑いな
がら応答した女性は、 私が140人の応募者の中
から、 最終面接の3人の中に選ばれた事を教え
てくれました。
そして、 5日後にはフロリダのオーランドで
の Women In Aviation の Conference におい
て、 最終面接と授賞式があるので参加するよう
に!と航空券とホテルの手配をしてくれました。
外は濃い霧で、 飛べない CFI 達はオフィスに
たむろしていて、 私の会話に聞き耳を立ててい
ました。 電話を切った私は“Oh My God! ど
うしよう! どうしよう!”だめだ、 とあきら
めていたので“心の準備が!!!”と大喜びし、
すでに面接試験の事を想像し、 緊張し始めてい
る私を、 皆は激励してくれました。 正直言って、
誰一人として、 こんな大きな奨学金を私が手に
入れるとは、 思ってもいなかったことでしょう!
70
2009 MAY
私自身もびっくりしましたが、 周りにいた CFI
達も驚いている様子でした (笑)。
その日から、 私は面接の事で頭がいっぱいに
なってしまいます。 緊張して、 食事ものどを通
りません。 私ってこんなに小心者だったっけ?
と思うくらいのドキドキが5日間、 毎日24時間
続きました。 イメージトレーニングをして、 笑
顔の練習までしました (笑)。 140人の中から3
人に選ばれた事だけで満足してもおかしくない
はじめの私の気持ちから、 何だか取れる気がし
てきたと思った途端“取れたらいいな”から
“絶対ほしい”に心境が変わってきていました。
面接内容は全く分からないので、 テクニカルな
質問から一般教養、 自己紹介まで、 ありとあら
ゆる準備を5日間の間できる範囲で準備しまし
た。 いすの座り方から笑顔、 相槌の打ち方まで、
一人小さなアパートの中で鏡相手に練習しまし
た。
私はシアトルからフロリダのオーランドへ
Women in Aviation の Conference に出席し
ました。 着いたその日に面接があるので、 飛行
機の中でも受験勉強の様に勉強し、 イメージト
レーニングを繰り返しました。 ついには緊張し
すぎて手に汗がにじみ出て、 勉強用に準備して
おいた紙にしみ込み、 汗でしなってしまうほど
でした (笑)。
会場に入ると、 交流を深める為、 大勢のパイ
ロットたちが参加していました。 もちろん、 私
もこんな大きな Conference に参加するのは初
めて。 私は長い間、 大学と言う過ごしやすい環
境の中に自分を置いていて、 他の世界を見てい
ない事にすぐ気づきました。
面接の事で頭がいっぱいだった筈なのに、 面
接間ぎわに、 私は面接よりも、 何百人と言う女
性パイロットの先輩たちを目の前にして、 たい
そう感動しました。 出会う人達に励まされ、 私
のやってきた事に共感してくれ、 多くの事を教
えてくださる先輩女性軍! 実際、 私の周りに
はメンターとなってくださる様な女性パイロッ
トは少なく、 孤独にがんばってきたと言う思い
の強かった私に、 彼女たちとの出会いが何か新
しい自分を生み出すきっかけとなったんです。
特に Donna Miller さんとの出会いは私の人生
を変えました。 大学の教授の紹介で、 面接の前
に時間が少し取れたため、 Donna さんとお話
をする機会ができました。 彼女は航空業界では
名の知れている女性で、 多くの組織に関与し、
航空業界の発展と次世代への教育に勤めていま
した。 あの有名な Jeppsen の会社を作った先
代の社長とも親しくお付き合いしていた為、 彼
からの知恵や航空業界へ対する熱い思いを受け
継いでいて、 とっても人当たりの良い、 すばら
しい女性でした。
メンターのキャプテン・ドナと
彼女に、 1時間後に Cessna 社の面接を受け
る、 と告げると、 彼女が私ぐらいの時に出会っ
た一人の女性Aさんの話を始めました。 現在、
大手のエアラインでパイロットを勤めている
Donna さんでも、 昔は苦労して CFI として飛
行しながらタイムを重ね、 夢に向かって努力を
続けていたそうです (私の境遇と重なっていま
した)。 そんな時 Donna さんは、 キャリアの
メンターとなってくれた、 ある女性Aさんに出
会ったといいます。 中々前に進めなかった彼女
に、 その人は励まし、 教育し、 そして何より心
の支えとなってくれたと言います。
Donna さんも当時、 数少ない女性しか存在
しないこの業界に入って、 自分の事をわかって
くれる人のいなかった中、 先輩女性パイロット
で、 大手の航空会社でキャプテンをしている彼
女との出会いは心の励みとなり、 がんばること
ができた、 と話してくれました。 その後、
Donna は何度となくAさんに“どうやってあ
なたに恩返しをしたらいいのか?”と尋ねると、
その人は“私にお礼をしたければ、 将来、 きっ
と貴方の様に、 メンターがいなくて独りでがん
ばっている人と必ず出会う機会がある。 そんな
時には、 その子のメンターになって次のジェネ
レーションへと繋げていって。”と言われたそ
うです。 それを聞いて、 私は心から感動し、 面
接を前に思わず涙ぐんでしまった Donna さん
との出会いでした。
いよいよ、 面接の時間となりました。 私は部
屋の外で自分の番が来るのを待っていると、 ビ
ジネススーツを着た一人の女性が面接会場から
出てきました。 少し挨拶を交わして、 私は面接
が行われている部屋に入ります。 大きな会議用
のテーブルの向こう側に二人の女性が座ってい
ます。 すぐさま挨拶と握手で自己紹介をし、 席
に着きました。 どんな内容の面接が始まるのか
どきどきします。 まず始めに言われたのは、 エッ
セイの内容でした。
自分の書いたエッセイが本当の事なのかを確
かめるように、 エッセイの内容を事細かく聞か
れました。 私のエッセイのタイトルが彼女たち
の 目 に 留 っ た ら し く 、 “ Am I worth for
$18000?”のタイトルにした理由を聞かれまし
た。 これは私が Cessna 社に宛てた挑戦状です、
と答えました。 $18000をいただくからには、
私にそれだけの価値があるかを自分でアピール
したかったんです、 と正直な気持ちを伝えまし
た。 この奨学金を申し込む作業に取り組み始め
てから、 私自身の中に革命が始まっていました。
自分に価値を付け、 その価値を生かせる場所を
探し始めていました。 と言うのも、 ただ Pilot
になるだけではなく、 色々な経験をして、 航空
業界の育成に努めたいと考え始めていました。
私は前にも述べたように、 飛行機が好きでパイ
ロットになったのではなく、 航空というロマン
に魅了されてパイロットの世界に入った者です。
このように、 私は自分の航空業界に対する熱意
を15分ぐらい熱く語りました。
アドリブでしたが、 つい先ほど出会ったばか
りの Donna さんの話もしました。 彼女のよう
2009 MAY
71
になりたい、 先輩達のように、 次世代の女性パ
イロットの応援が出来るようなプロのパイロッ
トになりたい、 と心から思った事を伝えました。
30分ぐらいの面接を終え、 急に肩の荷が下りた
感じを受けたのも確かでした。 その時点では、
なんとも感触が分からず、 奨学金をいただけな
くても、 この機会に Donna さんを含め、 本当
にすばらしい人と出会えた事の方に感動し、 胸
がいっぱいになっていました。
夜、 夕食会が開かれ、 1000人ぐらいの参加者
の前で、 最終受賞者の発表が行われます。 私も
もちろん参加し、 一番後ろのコーナーに私の席
が設けられていた為、 上手く舞台の上での進行
具合が見えません。 テーブルをご一緒にした女
性たちの、 私の知らない世界でのパイロット生
活の話で盛り上がり、 私は本当に井の中の蛙で
あったと反省しながら、 いろんな話をスポンジ
のように吸収しました。 話に花が咲き、 話をす
る彼女達の声が高ぶり、 ステージで私の名前が
呼ばれている事に全く気付いていません。
話に夢中で、 2時間ほどの夕食会は楽しい会
話で、 あっという間に終わってしまいました。
と、 ふと私は、“奨学金の授賞式は?”と自分
がそこにいる目的を思い出し、 終わりかけてい
るパーティーの中、 自分は受賞できなかったの
だと思い始めていました。 Cessna 社のテーブ
ルはステージの真正面にあるので、 挨拶がわり
に、 と勇気を出してテーブルまで行ってみまし
た。“今日はこのような Conference に参加さ
せていただき、 すばらしい機会を与えていただ
いて本当にありがとうございます”と半分言い
かけていた時、 Cessna 社の人たちは私の顔を
見るなりに“美和! どこにいたの? 先ほど
ステージの上からみんなで貴方を探していたの
よ!”“おめでとう!!!!!!”っと!“え? おめ
でとう?”私は一瞬何が起こっているのかわか
らず、 次から次に Hug してくださる人たちを
前にして、 棒立ちの状態でした。 Conference
に参加していた、 私の教えている大学の生徒達
も駆けつけてくれ、 みんなで私の奨学金受賞を
祝ってくれました。“すみません。 一番後ろの
席でステージの上で何が起こっているのかも見
72
2009 MAY
えず、 周りの人の会話に聞き入ってしまって。”
とせっかくの授賞式に私自身参加していたにも
かかわらず、 授賞式に参加しなかった事をお詫
びしました。“期待してるわ! これからの航
空業界をリードしていくのよ!”とそのとき私
に新たに課せられた大きな宿題が、 奨学金と共
に渡されました。
セスナ社のスタッフと共に
私の Cessna Enocre の Type Rating 受賞を
きっかけに、 私の生徒達も、 エアラインへの道
が当たり前となっていた考えが変わり、 その場
をお借りして、 Cessna 社に対し、 Business
Jet の世界についての質問を数多くしていまし
た。 その時、 私自身受賞できた事への喜びは計
り知れないものでしたが、 それ以上に、 生徒達
の生き生きとして興奮した目を見て、 私も大学
での生徒達の教育者として、 誇らしくうれしく
思った瞬間でした。 その時、 6年も CFI をし
ている自分が、 教育者と言う仕事に誇りを持っ
ていた事に初めて気付いたんです。
Donna さんとの出会いは、 私の Aviation 人
生に大きな影響を与えてくれました。 それまで
は“Me・Me 症候群”(自分の事しか考えてい
ない人達) だった私。 自分のキャリアさえ良け
ればそれでよし。 CFI という立場であったにも
かかわらず、 自分のタイムを多くするだけの為
に飛んでいたんです。 彼女は、 彼女の先輩の言
葉を忠実に守って“次の世代に手を差し伸べ
る!”事を私にしてくださいました。 私は、 今
までパイロットとしてサクセスするため、 自分
の事だけを考えて生きてきました。 でも、 今は
先輩たちのような素敵なパイロットになるのが
目標です。 セスナ社に託された課題、 そして、
私に出来る次世代へのサポート。 最近、 やる気
を失っていた自分に新たな、 それも大きな挑戦
が課題となって沸き起こりました。
次の日も、 私は一日中いろんな先輩パイロッ
トとの出会いを楽しみました。 世の中には色々
な仕事があり、 いろんな人がいろんな面の航空
業界で活躍しています。 Eye Opening だらけ
の一日でした。 疲れを感じる暇もなく私は、 朝
8時から夜11時まで、 いろんな方との対面で勇
気付けられ、 エネルギーを頂きました。 このよ
うな女性パイロットのネットワークが充実して
いるアメリカは、 本当に航空大国なんだな!と
つくづくと私は実感しました。 そして、 私にも
出 来 る 事 の 一 つ と し て 、 “ Aviation For
Women in ASIA”を立ち上げることを決意し
ます。 私のようにパイロットになりたくても周
りに相談できる人が中々いなくて、 つらい思い
をしている女性たちに少しでも応援できる場所
を作れたらと、 先輩の協力で立ち上げようと思
います。 もうすでに、 アメリカでトレーニング
をしている日本人女性の方たちや、 中国、 台湾、
ネパール、 インドと、 各国で活躍している女性
パイロットのネットワークが始まっています。
やっぱりこの世界に入ってよかった、 と人と人
との出会いを通して心から思う今日この頃です。
読者の皆様、 1年間“I Love Aviation:ア
メリカの空から想う”をお読み頂き、 誠にあり
がとうございました。 今回の連載6回をおきま
して、 この連載は終了とさせていただきます。
しばらくお休みとさせて頂きます。 お時間を割
いてメールを下さった皆様方、 本当に励みになっ
ています。 心からお礼を申し上げます。 ありが
とうございました。
アメリカのある地方都市のスーパーマーケットに描
かれた壁画
2009 MAY
73
連載・飛行力学物語
その1
深い失速、 ディープストールの物語
JAXA 風洞技術開発センター
国産旅客機チーム客員
柴田
眞
英国にビクターという美しい機体がありました。 ハンドレページ社が開発した爆撃機で、 主翼の
平面形が優雅な三日月型をしているT尾翼の4発機です。 1952年に初飛行してから英空軍に40年以
上在籍し、 最後は給油機として使われました。 このハンドレページ・ビクターは、 飛行中にいわゆ
るディープストールに遭遇した初めての機体といわれています。 今から47年ほど前、 1962年のこと
でした。
ディープストールとロックド・イン
ディープストールは、 通常の失速よりも深い、 すなわちより迎角が大きくなった状態を示す用語
です。 しばしば口にされる“T尾翼の機体はディープストールに入りやすい”といった会話は、 厳
密には不正確かもしれません。 正確には“ディープストールにロックド・インしやすい”というべ
きなのです。 でも通常の会話の場合には、 それほど厳密に考える必要はないでしょう。
図1はダグラス DC-9 の側面図を、 迎角およそ30度の状態で描いたものです。 DC-9 のクリーン
形態の失速角は18度程度ですから、 失速から12度ほど深くなった状態です。 機体が失速すると、 水
平尾翼は、 まず主翼の後流に入り、 続いてエンジン・ナセルの後流に入っていきます。 ここでの後
流とは、 単純に動圧が低下した剥離流れではありません。 もちろん動圧も低下するのですが、 主翼
やナセルまわりの流れの剥離によるダウンウオッシュやアップウオッシュ、 すなわち強い渦まき流
れが尾翼付近に生じていると想像してください。
水平尾翼が主翼やナセルの剥離流の中に入ると、 まず安定板としての機能が失われ、 通常の意味
での縦の静安定が無くなります。 図2に示したように、 縦モーメント係数の変化が右下がりでなく、
右上がりになるのです。 さらに迎角が増えていくと縦モーメント係数の値がゼロ、 すなわち釣合っ
てしまう場合があり、 ここでロックド・イン状態になってしまいます。 ディープストールにはまり
込んで、 このままでは回復できない絶望的な状態です。 もし水平尾翼の舵面としての機能も低下し
ていると、 機体は失速から回復することができません。
設計上有効な対策は、 図2のようにまず水平尾翼を大きくすることです。 この DC-9 の例では水
74
2009 MAY
図1
図2
ディープ・ストールと主翼設計
ディープ・ストール時の Locked-in 対策
平尾翼の延長された翼端部分が有効に働いて、 ロックド・イン状態になることを防いでいます。 主
翼の失速パターンを変えて、 尾翼付近での渦巻き流れを改善することも効果があり、 そのために採
用された3種類の空力デバイスを図1に主翼上面から見た状態で示しておきました。
ダグラス DC-9 は1965年2月に初飛行した機体です。 開発中の1963年10月に、 英国の双発ジェッ
ト旅客機 BAC One-Eleven が、 飛行試験でディープストールのロックド・イン状態になり回復で
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図3
GD F-16A の場合
きなかったという不幸な事故が起きました。 この事故の教訓は直ちに、 ここに概略をまとめたよう
に DC-9 の設計に生かされ、 そしてそのあと現在にいたる MD-80/-90 シリーズに受け継がれてい
ます。 また当時の我国の例でいえば、 1970年に初飛行した航空自衛隊の C-1 輸送機の設計にも教
訓を与えました。
T尾翼以外の機体の例
ディープストールのロックド・インは、 T尾翼の機体でなくとも起こりえます。 ジェネラルダイ
ナミックスの軽量戦闘機 F-16A は、 航空自衛隊の1995年に初飛行した F-2 戦闘機のルーツともい
うべき機体です。 その F-16A の迎角0度から90度の範囲の縦モーメント特性を図3に示しました。
この図の出所は1979年の NASA TP-1538 ですが、 まず水平尾翼の舵角0度の線から、 この機体は
縦の静安定が負か中立であることが判ります。
不安定な機体を FBW (Fly By Wire) で飛ばす、 これは1974年2月に初飛行した F-16A の原型
機 YF-16 にとって、 その当時の最新の技術でした。 少し余談になりますが、 この飛行機は計画外
の初飛行をしたことで有名です。 高速滑走試験を実施中に PIO (Pilot Induced Oscillation) が起
き、 機体を救うためにそのままエアーボーンして無事に‘初’飛行を終えました。 まだシミュレー
ション技術が発展の途上だった時代の話です。
F-16 は超音速機ですから、 もちろん水平尾翼は主翼よりも低い位置にあります。 それでも迎角
50度前後でロックド・イン状態になることが、 図3から判ります。 縦の操縦が効かなくなり、 最大
舵角+25度の頭下げ操作をしても、 安定したトリム点にロックド・インしてしまいます。 F-16 で
は水平尾翼を25%ほど大きくして、 この問題を解決しました。 ただ実際にはこの問題は、 もう少し
複雑です。 機体の動的な運動なので、 たとえばこの機体では縦運動の周期が3秒であることを認識
して、 回復操作をしなければいけないようです。
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新しい飛行機を設計するときには、 いままでの教訓を反映しながら、 高迎角領域の空力特性の把
握に始まり、 動的な解析、 シミュレーション試験など一連の手順を経て開発されることを結びとし
て、 この小文を終えることにします。 そういえばビジネス機形態のディープストール時の空力特性
を研究するためには、 1970年ごろリアジェット23型を用いた実機の風洞試験も実施されました。
おわりに
機体の名称は、 開発当時の企業名で示しました。 またこの小文を書くにあたり、 参考にした主な
文献は下記のとおりです。 説明のための図は、 下記の文献や雑誌などの図、 写真を参考にしながら、
筆者が作成しました。
・AIAA 99-0118, Applied Aerodynamics at the Douglas Aircraft Company ∼ A Historical Perspective, Roger D. Schaufele
・J. Aircraft, Nov.-Dec, 1966, Aerodynamic Design Features of the DC-9, Richard S. Shevell
and Roger D. Schaufele
・Airplane Stability and Control, Malcolm J. Abzug and E. Eugene Larrabee, Cambridge
Aerospace Series, 2002
以上 (H21.4.14 記)
柴田
1941年
1965年
同年
眞氏のプロフィール
東京に生まれる
京都大学大学院修士課程修了
当時の川崎航空機、 現在の川崎重工に入社
P-2J 対潜哨戒機の開発担当
1977∼1988年
新中等練習機 XT-4 の社内研究・開発担当
T-4 の量産設計を担当
1997年 日本航空機開発協会 (JADC) にて超音速機
担当
その後川崎重工を退社し通信放送機構、 航空
宇宙技術振興財団へ
2005年 現職
宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 客員
風洞技術開発センターおよび国産旅客機チー
ム担当
T4 ジェット練習機
(航空自衛隊ホームページより)
軽快な機動性は戦技研究機として、 ブルー
インパルス曲技チームにも使われている
子供のころからヒコーキが大好き、 とご本人のコメントです。
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HSI 利用方法あれこれ!
B767 機長
蔵岡
賢治
最近 FMC 機材が多くなり、 GPS 搭載機が多くなった現在、 Flight Instrument の HSI (Horizontal Situation Indicator) に表示される飛行機の位置や飛行 Route が正確になってきました。
この HSI に表示される Data を利用すれば有効な場合があります。 利用方法は多々ありますが、
この稿では、 Visual Approach に代表される飛行場周辺の Airport Work に関するものの中から、
B767 や B777 で代表的なものを取り上げ解説し説明します。
HSI に表示される Data は機種毎に異なりますが、 この稿を参考に、 他機種の方々も含め、 表示
される Data の利用方法を研究する一端となり、 その有効利用に少しでもお役にたてたら幸いです。
〈AIRCRAFT SYMBOL と TREND VECTOR〉
表−①
図−①
Turn Radius と Trend Vector
Aircraft Symbol と
Trend Vector
FMC 機材の HSI を利用する際、 図−①Aircraft Symbol の Dimension を知
り、 旋回 Data と比較し掴んでおくと Visual Traffic Pattern 等の Airport
Work に役立つ。 B767 の Aircraft Symbol は、 長さが1.25nm (7500ft)、 幅
1.0nm の二等辺三角形で、 150kts No Wind の Trend Vector と同じ長さになる。
多くが旋回半径を25度 Bank で計算するが、 即25度 Bank にできないので、
Roll in と Roll out の Rate 等を考え、 25度 Bank を5度程度少ない20度 Bank
で計算する方が実際に近い旋回 Data になる。
例えば、 140kts の25度 Bank の場合、 表−①の20度 Bank の Data を利用し、
旋回半径は0.79nm となる。 その時、 Airport Work で使用する10nm Range で
の Trend Vector は30sec で1.17nm となる。 なお、 図−①旋回中、 Trend Vector
の円弧が次の CRS と接線になれば適当な Bank と予想される。
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視点を変えると面白いですね。 図−①、 表−①で、 どの SPD でも25度 Bank
(20度で計算) の旋回半径は、 Trend Vector の約2/3、 10秒内側を旋回します。
Visual Traffic Pattern だけでなくその他の APP にも利用できそうですね。
Trend Vector は GND SPD で計算され、 風の影響で長さが変化し、 旋回は円
弧にならず歪な円弧ですね。 しかし、 旋回にかかる時間の風の影響を計算すると、
旋回半径は2/3 Trend Vector と同じに考えても良さそうですね。
Visual Traffic Pattern では RWY 等の Outside が重要なので、 Point、 Point
で Cross Check が必要だ。 旋回半径は Trend Vector 先端から1/3内側 (20秒)
なので、 HSI を利用した Base Turn や Final Turn の要領は
① Trend Vector 先端が次の CRS にかかる。
(30sec Trend Vector)
② 旋回方向を、 十分に且つ必ず、 確認する。
(10sec
確認時間)
③ 旋回方向を確認後、 Bank20 度に Roll in する。
(20sec Trend Vector)
Bank20 度では Lift の減少が少なく Pitch の支えが少ないので、 Outside にも
目を配る事ができる。 その後状況に応じて Bank を Adjust する。
図−②の模式図で、 表−①の旋回半径や Trend Vector および旋回の要領から、
Straight in then Circling APP を考えてみる。
1.5nm/2.0nm Circling APP では Down Wind に45度 Cut で向かう事が多い。
1.5nm Circling では Aircraft Symbol の底辺が RWY 延長線上に接した時、
2.0nm Circling では底辺が RWY 延長線上から0.5nm つまり Aircraft Symbol の底辺の1/2離れた時、 を目分量に Down Wind に旋回開始すれば良い。
Circling APP や Visual Traffic Pattern は、 RWY が見えれば良く、 Down
Wind や Base の幅は Pilot Discretion で、 2.0nm 等々飛び易い方法で構わない。
Pilot に成り立ての頃 Visual Traffic Pattern は2.5nm に拘っていたと思いま
す。 訓練効率を上げる為だったのですね。
旋回 Data 等から Base Turn の開始 Point も判りますね。 図−③模式図の
Aircraft Symbol の長さで、 2.0nm Traffic Pattern は底辺が Abeam した時に
Base Turn を開始し、 1.5nm では底辺が Abeam を通過する前の1/3、 2.5nm で
は底辺が Abeam を通過した後の1/3、 が旋回開始の目安ですか。
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図−②
Circling APP Point on HSI
図−③
Turning Base Point on HSI
Visual Traffic Pattern は2.5nm と誤解し、 無理に合わせ様とする例があるの
も事実だ。 しかし、 それを基本に応用し種々の Pattern を Pilot Discretion で飛
んで良い。 ただし、 設定基準の周回進入区域は RWY から2.5nm 半径で、
Circling MDA はその区域の Terrain 等の障害物に対して設定されている。
従って、 Down Wind や Base Leg を2.5nm 或いはそれ以遠を飛ぶ場合は、
Terrain 等の障害物を把握しておかなければならない。 Circling MDA に降下で
きるのは2.0nm Pattern の Down Wind や Base Leg と考えた方が良い。
図−③模式図で、 2.0nm Traffic Pattern の場合の、 Down Wind を1500ft で
飛べば、 3度の降下開始点は、 Aircraft Symbol 底辺が Abeam する Base Turn
の旋回開始と同じで、 Abeam から1.25nm で30秒、 Final までほぼ20度 Bank の
Continuous Turn ですか。 2.0nm Traffic Pattern って意外と簡単ですね!
ところで Circling APP の Configuration はどう考えたら良いですか?
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2009 MAY
過去の経験談だが、 風が強く ILS Circling APP の状況で、 MDA 到達前に
TWR に 風 を 聞 く と ILS Straight in が 可 能 な 風 に な っ た の で 、 す か さ ず
Straight in を Request して Clear され ILS で着陸できた。
もう一つは、 ILS Circling APP で、 視程が悪く横風も強く、 Final で Overshoot の恐れがあった。 当然、 SPD を減らし旋回半径を小さくする為、 深い
LDG Flap で Checklist も完了させ ILS APP から Circling した。 それが功を奏
し、 Outside Watch に専念でき無事 Circling して着陸できた。 この逆もあり得
る。 FMC を Modify せずとも HSI の利用方法を知っていれば咄嗟に対応できる。
そうか! Circling APP の訓練では Base Turn 開始で LDG Flap にします
が、 旋回に Configuration Set や Checklist、 降下、 RWY Align 等々、 多くの
事が重なり Outside に割ける時間も少なくなります。 Circling APP では最初か
ら LDG Configuration で APP し全てを完了して、 Outside に専念する。 状況
によっては Straight in も可能で、 Stabilized APP も図れる。 得策ですね!!!
Visual Traffic Pattern は Base Turn 付近で LDG Configuration を整える。
Circling APP の訓練も変えて欲しいですね。
〈VISUAL TRAFFIC PATTERN と PATH〉
話は変わるが、 航空会社により Visual Traffic Pattern と3度 Path を FMC
の NAV Database に Tailored Procedure として登録している。 最新の FMC を
搭載し Flap Down で VNAV が APP Phase になる B767 や B777 で、 この Pattern に沿って飛ぶと、 VNAV3度の FD Path Command が使える。 Procedure
は簡単なので、 B767 や B777 の人にチョット説明しよう。
Visual Traffic Pattern に入る前、 Flap Down 等々で APP Phase になった後、
VNAV PTH を Capture させると Path 優先の Mode に変わる。 この後、 現在
高度から RW50ft までの間に ALT SEL が Set されていない場合、 つまり、
ALT SEL を Missed APP ALT 等に上げれば、 Visual APP にも RW 50ft まで
3度の VNAV Path Command と Path 情報を利用でき Stabilized APP に有効
と言える。 但し、 ALT SEL は VNAV SPD の時に上げてはならない。
この VNAV 機能は B767 と B777 で、 他機種ではそれぞれ確認が必要だ。
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VNAV Path Command 利用方法 (B767/B777)
Down Wind 5nm 以内で Flap Down の時、
VNAV PTH に Capture させる。 (Path 優先
の Mode)
② SPD Intervention する。 (VNAV PTH Mode)
③ RWY を Insight し VNAV PTH であれば、
ALT SEL を Missed APP に上げる。 (注1)
④ 50ft まで VNAV PTH で Path Command さ
れる。 HSI にも±400ft 以内の Path 情報が表
示される。
①
図−④
2.5nm Visual Traffic Pattern 模式図
(注1) VNAV SPD の時、 ALT SEL を Missed
APP ALT に上げてはならない。
(注2) WPT の BT が PI と重なる場合もある。
(注3) LNAV CRS の内側を飛ぶと Active WPT
が移る時、 Path Gap が起こる場合がある。
(注4) Final で PAPI Path と Barometric Path
の VNAV の Path Command に若干の差
が生じる。
図−④Visual Traffic Pattern が FMC の NAV Database に登録してあると
Stabilized APP に有効で、 VNAV Path Command の利用方法も簡単ですね。
2.5nm Traffic Pattern の Final Turn 開始は約1100ft を目安にすれば良く、
Base Turn から Base Leg の間に高度や Path を Plan できます。
2.0nm Traffic Pattern の Base Turn 開始は HSI の Aircraft Symbol 底辺が
Abeam した時で、 1500ft3度 Path の降下開始も同時、 ですか。
まだまだ 「Know How」 をお持ちの様ですが色々聞きたいですね。
Visual APP を、 Glide Path や Localizer、 SPD の諸元を追いかける ILS かの
如く、 或いは、 一つの形に拘り、 Visual APP の基本を忘れ Outside Watch の
余裕が見られない場合も散見される。
Visual APP は、 2.5nm Traffic Pattern の Final Turn 開始高度が ILS と違
い、 「約1100ft」 の様に幅があり、 RWY 50ft に向け Path を収束させる Corn
(円錐) の様なものだ。 HSI を利用する際も Outside Watch しながら、 Point、
Point で確認し、 次第に RWY 50ft に収束させれば Stabilized APP に近づく。
常に Path の意識が必要な Descent Plan と同様、 Visual APP も Path の意識
を持ち、 徐々に近づける事が重要と言える。
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2009 MAY
〈VOR OFFSET APPROACH〉
図−⑤
VOR Approach
模式図 (3度−140kts)
VOR APP は、 CRS が RWY Track と Offset し、 多くが SALS (Simple
APP Lighting System) の APP Light Beacon 0.5nm (3000ft) 付近で交差し、
Missed APP Point (WPT の MA) もその付近で、 HSI でもそれが判る。
図−⑤は Offset15度だが、 HSI では Track が正面で、 RWY も正面に見える
と勘違いし易い。 140ktsで左横風25ktの時、 HDG は左12度振っている。
従って、 RWY を探すのは右前方だ。 もし右横風だったら? どうだろう。
Offset APP で、 左に RWY を探し、 CAP に 「そっちじゃない! 右ッ右だ!」
と言われたこともありました。 それ以来、 VOR だけでなく ILS でも 「風は?
風は?」 と Final で Monitor したり TWR に聞いています。 つまり、 図−⑤を
見ても HDG から RWY Symbol 方向に RWY があり角度も判ります。 Final で
風を考える事は重要ですね!
ところで Offset APP では、 どの様に RWY に Align したら良いですか?
2009 MAY
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図−⑤、 LNAV に沿って飛ぶと、 RWY 直前の MA 付近の低高度で大きな
Align 操作が必要で Stabilized APP にも問題だ。 RWY が見え MA までの中間
で Align するには Offset と同じ角度 (2等辺3角形)、 少なくともその半分量、
HDG を Align 方向に振れば良い。 (図−⑤で HDG 000度付近)
最近の VOR APP には3度 Path が登録され LNAV+VNAV APP ができる。
Autopilot で Final 降下中に、 現在の HDG から Align 方向に少なくとも Offset Angle の半分量に HDG Bug を Preset し、 RWY を Insight した時に HDG
SEL に変え Align 方向に旋回させ、 RWY に Align する時に Manual にすれば
良い。 その間も VNAV は3度の 「すり鉢」 の Path を Command してくれる。
結
び
HSI の利用方法で、 典型的なものは旋回の Data です。 この稿にあげた旋回の要領では、 旋回の
前に必ず Outside Watch の時間があり、 Final Turn での Outside Watch には Runway への接近
率や PAPI の確認ができます。 その癖を身に付ける事も重要でしょう。 HSI には意外と面白い
Data が隠れています。 GPS で飛行機の位置が正確になってきた今、 FMS 機材の HSI の利用方法
を工夫研究して下さい。
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2009 MAY
GA 部会活動報告
FAI 方式着陸競技の試行 (第2回)
奥貫
FAI 方式着陸競技の第2回の試行が、 3月
15日に枕崎空港で実施されました。
先ずは上の写真を見てください。 白くマーキ
ングしてある部分が、 ペナルティ・ゼロのエリ
アで、 前後幅は2m です。
昨年の第1回では、 この部分への接地は無かっ
たのですが、 今回は10名中の2名が、 見事この
エリアに接地しました。 それもセスナ172のエ
ンジンアイドル滑空着陸での接地もあり、 技量
は昨年よりも確実に向上していました。 ペナル
ティは、 少ない方が良いのですが、 昨年は13名
参加で平均280点、 今年は10名参加で平均180点
でした。 大きな前進です。
着陸競技の内容は、 以下のものです。
① パワーを使用したノーマル着陸
② パワーアイドルによる滑空着陸
博
競技の採点
接地点のペナルティは下図のように定められ
ています。 ファイナルからは52m×12m の競
技着陸採点区域は、 本当に小さく見えます。 そ
の中の前後幅2m を狙うのですから、 容易で
はありません。
着陸区域と接地位置のペナルティ
2009 MAY
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その他のペナルティは以下の通りです。
ペナルティの対象
ペナルティ
着陸区域外への着陸又は逸脱
200
接地後、 着陸区域内でのエンジンパ
ワーの増加
50
接地のないゴーアラウンド
(指示された場合を除く)
200
接地後のゴーアラウンド
(指示された場合を除く)
200
指定された滑走路に着陸しなかった
場合
300
異常な着陸 (他のペナルティに加算)
150
着陸競技の細部内容は以下の通りです。
① 着陸競技はノーマル着陸と滑空着陸とする。
中間の着陸はタッチアンドゴーとする。
② ノーマル着陸でのエンジン出力は任意、 滑
空着陸はパワーアイドルで行なう。 フラップ、
スポイラーの使用及び横滑りは任意。
③ タッチダウンは、 両方の主車輪の接地とす
る。 但し 「横風条件」 が存在する場合は、 風
上側の主車輪から接地してもよい。
④ 前輪は、 どちらかの主車輪が接地するまで、
地面から離れていなければならない。
⑤ ペナルティが異なる他の領域にまたがる接
地の場合は、 大きい方のペナルティを適用。
⑥ 接地後、 2つ以上の着陸エリアにまたがっ
て、 全ての車輪が地上から離れてジャンプし
た場合は、 バウンシングと判定。
⑦ 風向風速は接地点近傍の、 高さ2m の位
置で測定する。 横風成分が8Kt を超える場
合は、 横風状態として宣告し、 無線で乗員に
知らせる。 横風成分が15Kt を超える場合は、
着陸競技はキャンセルとする。
⑧ 追い風成分は5Kt 未満とし、 5Kt を超え
る場合は、 着陸滑走路をチェンジするか、 又
は、 着陸競技をキャンセルとする。
⑨ 異常な着陸は以下のものとする。
a) 前輪からの接地
b) 横風なしの着陸にて、 主輪が一度接地し
た後タイヤ径以上地上から離れた状態。
c) 横風状態での、 風下側の主車輪からの接
地で、 風上側の主車輪が、 タイヤの直径以
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2009 MAY
上地面から離れた場合。
d) 車輪以外の航空機の部分の接地
e) 接地位置直前でのフラップの格納
f) 車輪がロックした状態での接地
g) 前輪が接地した状態で、 主車輪が地面か
ら離れた場合。
尚、 異常な着陸に対するペナルティは、 接地
位置のペナルティに加算されます。
着陸競技の準備
着陸競技は、 今回も、 九州南端の枕崎飛行場
を利用して実施されました。 滑走路は長さ
800m×幅25m、 方向は18/36、 標高は171Ft
です。 枕崎空港は市が管理する公共飛行場です
が、 防災ヘリコプターの運用のみで、 定期便等
の運航はありませんので、 今回のような着陸競
技の実施が可能となったものです。 このような
環境は、 日本でも少ないため、 快く利用させて
いただけたことに感謝をしています。
滑走路への接地目標のマーキング
競技用滑走路には着陸区域のマーキングが必
要です。 気象データから風を見極め、 使用滑走
路を決めます。 次に巻尺で寸法を測り、 白いテー
プで、 マーキングをして行きます。 ペナルティ・
ゼロの基準位置は、 着陸進入中に良く見えるよ
う、 前後幅2m の白い帯にしておきます。
マーキングが完了したら、 各ペナルティ・エ
リア毎の滑走路脇に椅子を置き、 接地位置の判
定員を配置します。 ペナルティ・ゼロの基準位
置には、 審査委員長が陣取り、 記録用紙を配置
し、 これで準備は完了です。
風向風速は飛行場の吹流を参照して行ないま
したが、 若干の差異が感じられることもありま
したから、 吹流しは着陸区域の真横に設置した
ほうが良いでしょう。
接地ターゲットを通過する競技機
競技の成績
採点用マーキングが完了した滑走路
競技の実施
競技は2名のパイロットの互乗で行いました。
これは外部の見張り、 危険状態の助言、 機内で
の不適切な操作や違反行為の監視のためのもの
です。 競技に熱中のあまり、 安全上の注意の不
足や、 無理な行為等があってはならないのです。
前回は無理な操作の減点があったのですが、 今
回はありませんでした。
進入中の機体から見る前後52m の FAI 競技
の着陸区域は、 非常に小さく見えるのですが、
2回目ですので、 皆さん、 プレッシャーが取れ
てきたようです。 競技者はどうしても、 前後幅
2m のペナルティゼロの位置を狙いがちです
が、 接地基準点の手前側は、 わずか10m で着
陸区域外になり、 一気にペナルティ200の領域
になります。 ここで痛い目に会った選手も多かっ
たようです。 狙いとしては、 ペナルティゼロの
基準ラインに対し、 絶対にショートさせないよ
うにした方が良いでしょう。
競技が無事に終わってみれば、 優勝の三好さ
んの滑空着陸は基準点超過5m 以内、 ノーマ
ル着陸は超過10m 以内の高得点でした。 2位
の高崎さんは滑空着陸において、 FAI 方式着
陸競技の試行では、 初めてのペナルティ・ゼロ
を達成したのですが、 ノーマル着陸で15m を
超えて、 惜しくも優勝を逃がしました。 3位の
柳沢さんと4位の原田さんは、 いずれもペナル
ティ合計が50点の好成績でしたが、 超過を15m
以内にまとめた柳沢さんを3位としました。 前
回優勝の原田さんは基準位置±5m にまとめ
たのですが、 −5m があったため4位となり
ました
皆さん、 基準位置に対し0m∼15m 超過と
いった、 信じられない好成績でしたが、 それ以
上に感心した2名の選手がいました。
先ずは C172 で参加の峯崎さんです。 滑空着
陸でペナルティ・ゼロを達成、 続くノーマル着
陸でも基準位置の先5m 以内に接地したので
すが、 わずかにジャンプして20m 先に再接地
し、 それだけで60点のペナルティになって5位
に終わりました。 C172 の特性から、 やむを得
ないレベルのジャンプとは思いましたが、 ルー
ルはルールですので、 優勝を逃がしました。 本
当に残念な結果でした。
もう一人は初参加の菅原由佳理さんです。 2
回の着陸とも、 進入のパス角と姿勢はベストと
いえるもので、 好成績の、 良い位置に接地と見
2009 MAY
87
えたのですが、 接地前のわずかな引き起こしの
支えが不足し、 基準位置よりも、 わずか10m∼
20m 手前への接地となって、 大きなペナルティ
になってしまいました。
この競技では、 タイヤ直径の半分くらいの高
度での粘りが勝敗の分かれ目となるのです。 本
当に残念でした。 しかし、 得点のことを除けば、
峯崎さん、 菅原さんの着陸は、 今回のベストと
いえるもので、 大きな拍手を送りたいと思いま
す。
今回も利用させていただいた枕崎空港
ラリー飛行競技の目的は以下のものです。
ベーシックな機器による航法能力の向上
正確な経路、 時間の維持能力の向上
航法中の地上目標確認能力の向上
狭い場所に正確に着陸する技術の向上
今回の試行は、 ④の着陸競技のみです。 これ
らの競技に際し、 問題は実施環境、 特に離着陸
場ですが、 滑走路へのマーキング及び採点者の
滑走路脇への配置が必要ですので、 一般の飛行
場での実施には無理があります。 従って、 今回
の枕崎空港や、 以前、 競技会を実施した大分県
央空港、 或いは各地の小型機用離着陸場等、 競
技に専念できる環境での実施が必要になります。
当面は、 枕崎空港等を候補として FAI 方式
の着陸競技を定着させ、 競技参加者の輪を広げ
ていきながら、 ラリー飛行競技の全体の実施を
視野に入れて、 考えて行きたいと思います。
①
②
③
④
着陸競技優勝者の三好さん
おわりに
この競技で良い得点を得るということは、 飛
行機をどのような場面でも、 狙った場所に接地
させることが出来ることを意味するものです。
単発機は、 上空でエンジンが故障した場合、 滑
空で安全な場所に着陸させるしかないのですか
ら、 常に狙った場所に着陸させることの出来る
技量を身に付けていることは、 極めて重要なこ
となのです。 この競技の着陸区域は、 前後幅
52m ですが、 滑空着陸、 ノーマル着陸とも、
基準点から20m 以内への接地が勝負となりま
す。 勝つことは容易ではありませんが、 競技の
ための訓練には、 安全上の大きな意義がありま
す。 そちらの方が重要ですので、 より多くの方
に、 この競技への参加をお勧めしたいと思いま
す。
また、 今回の着陸競技は、 本来は FAI ラリー
飛行競技の一部として実施されるものです。
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2009 MAY
選手と参加者の皆様。 お疲れ様でした
FAI 方式試行
小型機操縦技術競技会
着陸競技結果
実施日時
実施場所
滑走路
H21.3.15
枕崎空港
36
10Km 以上
30.11in-Hg
風速
横風条件
降水等
参加人数
3−7Kt
非該当
なし
10人
風
向
360−260°
視
程
QNH
ペナルティ
順位
氏
名
機体
通常着陸
360度
滑空着陸
その他
合
計
特
記
事
項
1
三好
恒紀
FA-200
20
10
30
着陸区域内
+5m/+10m
2
高崎
克也
FA-200
40
0
40
着陸区域内
0m/+40m
3
柳沢
克嘉
FA-200
20
30
50
着陸区域内
+15m/+10m
4
原田
茂
FA-200
10
40
50
着陸区域内
−5m/+5m
5
峯崎
達也
C-172
60
0
60
着陸区域内
0m/+25m
6
熊谷
光剛
FA-200
10
200
210
ゴーアラウンド/+5m
7
高見
厚徳
FA-200
40
200
240
着陸区域外
+50m
8
上村雄二郎
FA-200
200
70
270
着陸区域外
−20m
9
菅原由佳理
FA-200
200
200
400
着陸区域外
−20m/−10m
10
荒牧
FA-200
200
200
400
着陸区域外
+30m/+20m
和弘
着陸区域と接地位置のペナルティ
審査及び記録
備考:
1. ノーマル着陸競技は FAI ジェネラルアビエーション・ラリー
飛行競技の、 着陸テストの要領と採点基準で実施した。
2. 360°滑空着陸競技は、 従来からの要領を使用し、 採点のみ、
FAI ラリー飛行競技の、 着陸テストの方式で実施した。
3. 危険操作、 不正操作等監視のため、 競技は、 セーフティ・
パイロット同乗にて実施した。
4. 接地位置の判定は、 滑走路横に配置した判定員の目視で実
施した。
5. 審査委員長と補助者が、 危険を伴う無理な着陸操作と判断
した場合は、 異常な着陸としてのペナルティ (150) を適用し
た。 (今回該当者なし、 前回は1件該当)
6. 競技における危険操作等は一切無く、 安全かつ円滑に実施
され、 実施上の問題はなかった。
7. 採点においては、 バウンシングの後、 良い位置に再接地し
た場合、 及び、 良い位置に接地した後、 バウンシングでペナ
ルティ点の大きいエリア外に再接地した場合は、 ペナルティ
の異なるエリアにまたがる着陸として、 大きい方のペナルティ
を適用したが、 タイヤ径以下の軽度なバウンシングでは、 実
に惜しいケースがあり、 尚、 課題を残した。
H21.3.15 JAPA 奥貫
博
2009 MAY
89
FA200 エアロバティックス飛行競技会・結果報告
FAI/IAC エアロバティックス競技採点方式試行
着陸競技の後、 FA200 によるエアロバティッ
クス飛行競技会が FAI/IAC (International
Aerobatic Club) の採点方式試行にて実施さ
れました。 課目は PILOT 誌の1月号でも紹介
された下図のもので、 エアロバティックスの基
本となる以下の要素を含む構成のものです。
・ループ (宙返り)、 1/2ループ
・ロール (横転)、 1/2ロール
・スピン (きりもみ)
・垂直ライン (上昇・降下)
・45度ライン
また、 以下の点が考慮されています。
・背面飛行装置の無い機体での実施
・2000Ft 以内の高度ロスでの実施
・前後1Km の範囲内での実施
採点は FAI/IAC 競技会の方式とし、 課目
の基準得点に達成率を掛け、 実施位置等の評価
を加えて合計得点としました。 採点は FAI の
ジャッジの資格を持つ FAI Aerobatic Commission Japan Alternate Delegate の鐘尾み
や子さんと、 FA200 のエアロバティックスの
経験が長い奥貫の2人で実施しました。
優勝者の荒牧さん (右) と3位の三好さん
結果は、 昨年は不参加の荒牧さんが、 全ての
演技をきっちりとまとめ、 優勝を飾りました。
2人のジャッジがいずれも最高得点をあげた、
文句なしの演技でした
2位の原田さん、 3位の三好さんは、 いずれ
も良い演技でしたが、 流れるような円滑な演技
が災いして、 垂直ライン、 45度ラインの表現が
不足と評価され、 減点要素となりました。 競技
では、 これらの基本ラインをしっかりと見せる
ことが必要なのです。
4位の高崎さんも、 5位の熊谷さんも、 いず
れも70%を超える成績で、 今回は高いレベルで
の競技となりました。 FAI/IAC エアロバティッ
クス競技採点方式の試行で行われた FA200 の
エアロバティックス競技会は、 2人による採点
も行われ、 大きな成果と手応えを得て無事に終
了しました。 ジャッジの鐘尾さん、 今回も、 あ
りがとうございました。
順位
1
2
3
4
5
FA200 エアロバティックス競技課目
90
2009 MAY
選 手
荒牧 和弘
原田
茂
三好 恒紀
高崎 克也
熊谷 光剛
得 点
686.0
676.8
661.5
651.0
635.8
%率
79.8
78.7
76.9
75.7
73.9
FA200 エアロバティックス競技の結果
地球環境問題関連用語の解説 22
最近の新聞報道に、 環境問題が載らない日は
ないといっても過言ではありません。 今回は、
日本経済新聞朝刊4月6日 (月) に掲載された
環境問題関連用語を取り上げました。
遺伝子の多用性の3つのレベルの多様性がある
とされています。
93. COP10
地球上の種の絶滅のスピードは、 化石記録か
らの推定値の1,000倍 (40,000/年) にも達し、
たくさんの生きものたちが危機に瀕しています。
日本における生物多様性の危機は、 大きくは
開発や乱獲による種の減少・絶滅、 生息・
生育地の減少 (コウノトリ)
里地里山などの手入れ不足による自然の質
の低下 (シカによる食害)
外来種などの持ち込みによる生態系のかく
乱 (アライグマやブラックバス)
が原因とされています。 さらに、 地球温暖化に
より、 世界的にも多くの種の絶滅や生態系の崩
壊が認められています。
COP (Conference of the Parties) とは、
国際条約の締結国が集まって開催する会議のこ
とです。 生物多様性条約関連では、 条約の締結
国が概ね2年ごとに集まり、 各種の国際的な枠
組みを策定する COP が開かれます。
2010年10月18日から、 生物多様性条約第10回
目締約国会議 (COP10) が、 名古屋市で開催
されます。 2010年は国連の定めた 「国際生物多
様性年」 であり、 2006年の COP6 (オランダ・
ハーグ) で採択された 「締約国は現在の生物多
様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させ
る」 という目標年になります。
COP は、 用語解説第1回目の3. 「気象変動
枠組み条約締結国会議 (COP)」 と使われてお
ります。 また前回の91. 「COP」 は、 別の言葉:
Carbon Offset Plants の略語として用いられ
ています。 COP は他にも色々な意味を持つ略
語として使われていますので、 要注意です。
94. MOP
COP に併せ、 関連する議定書の締約国によ
る会合 MOP (Meeting of the Parties) が開
かれます。 生物多様性条約の MOP は、 カルタ
ヘ ナ 議 定 書 (Cartagena Protocol on
Biosafety) 締結国会合です。 COP7/MOP1 が
クアラルンプール、 MOP2がモントリオール、
COP8/MOP3 が ブ ラ ジ ル ・ ク リ チ バ 、
COP9/MOP4 がドイツ・ボン、 で開催されて
おり、 COP10/MOP5 が名古屋で今年10月に開
催予定です。
95. 生物多様性とは
生物多様性とは、 Biodiversity を訳した言葉
で、 生き物の 「個性」 と 「つながり」 のことを
意味しています。 生態系の多様性、 種の多様性、
96. 生物多様性に迫る危機
97. 絶滅の恐れのある日本の野生動物
上記3つの危機と地球温暖化による危機を受
けて、 日本の野生動物の約3割、 より細かくみ
ると、 哺乳類の23%、 爬虫類の32%、 海水・淡
水魚類の36%、 繊維束植物の24%、 両生類の34
%、 および鳥類の13%が絶滅の危機に瀕してい
ます。 (絶滅危惧種:3,155種)
………………………………………………………
「いのち」 と 「暮らし」 を支える生物多様性
を、 人類は、 自らの手で危機的状況に陥らせて
いる現実を直視し、 今、 行動することが求めら
れています。 あなたは、 どうしますか?
………………………………………………………
第21回掲載用語
87. Greenhouse Gas (温室効果ガス)
88. Green Economy
89. Green New Deal
90. Carbon Offset (カーボン・オフセット)
91. COP (Carbon Offset Plant)
92. GOAST (温室効果ガス観測技術衛星)
2009 MAY
91
ews
FAI N
FA I ニュース
Federation Aeronautique Internationale
本誌発行の頃は、 今年の FAI 競技会に関す
る数多くの情報が正・副デレゲートに届いてい
ます。 FAI 競技を実施している国の代表は大
変です。 他のスポーツと同様に、 国の威信を賭
け、 少しでも自国の選手が有利なるようにと様々
な提案を行います。 実際、 ロータークラフトの
分野では、 日本からの提案が各国選手の興味を
集めています。 その他の分野はまだまだですが、
それでも、 後進の立場ならではの提言もあるで
しょう。 ご意見のある方は JAPA 経由、 各部
門の日本デレゲートにお尋ねください。
では今月の各部門の報告です。
ジェネラルアビエーション
(FAI-GAC) (飛行機)
日本では、 本誌でも報告しましたが、 ジェネ
ラルアビエーション・ラリー飛行競技会の着陸
競技の第2回試行が行なわれました。
その結果感心したのは、 第1回に対する大き
な進歩です。 昨年の第1回では、 接地のターゲッ
トが小さくなったと、 皆さん苦労していたので
すが、 今年は前後2m のターゲットにピタリ
の接地が2件ありました。 競技をすることによ
り、 確実な技量の向上が得られています。 何と
か、 この FAI 方式競技の輪を広げ、 楽しく競
いながら、 技量の向上が得られるように考えて
行きたいと思います。
エアロバティックス (FAI-CIVA)
FAI には10種類のスカイスポーツのカテゴ
リーがありますが、 日本の窓口である日本航
空協会では10年ほど前よりそれぞれのカテゴリー
を日本の統括団体に振り分けており、 JAPA
ではこのうち 「ジェネラル・アビエーション」
と 「ロータークラフト」 と 「エアロバティック
ス」 の3つを扱っています。 このなかで 「エア
92
2009 MAY
奥貫
博
ロバティックス」 には 「飛行機」 と 「グライダー」
があり、 「グライダー」 のエアロバティックス
をすべて JAPA で扱うべきなのか、 あるいは
選手選考など一部を滑空協会に委託すべきな
のか、 明確な基準がありませんでした。 しかし
今年は、 グライダーのエアロバティックス世界
選手権への出場希望者がおり、 この件について
明確にする必要があったため、 何回か話合いの
場が持たれ、 結局 「グライダー」 のエアロバティッ
クスについてもすべて JAPA で扱うことに決
まりました。 グライダーなのに JAPA の会員
にならなければならないという違和感はありま
すが、 手続きはすっきりします。 今年の世界選
手権候補者、 梶智就さんについては次回のニュー
スでお知らせします。
ロータークラフト (ヘリコプター)
今年の CIG ミーティングは2月26日と27日
にスイスのローザンヌで行われました。 参加国
はオーストリア、 フランス、 ドイツ、 イタリア、
ニュージーランド、 ロシア、 スイス、 イギリス
でした。 日本は多忙の為に不参加となりました。
ホームページの議事録を見る限り毎年のお馴染
みの参加者でした。 ロシアの代表イリナーによ
りますと2011年にワールドチャンピオンシップ
を予定しており2010年はテストイベントを予定
しているとのお話です。 今年の夏、 8月12日か
ら16日までナショナルチャンピオンシップも予
定しているとのことですが場所はワールドチャ
ンピオンシップを予定している同じ場所でモス
クワの南側です。 興味のある方は御連絡くださ
い。 手続きをとらせていただきます。 5月にアル
ファーアビエィションの青山がモスクワの南側で
行われるミルカップ (フリースタイル) に参加
するために行ってきます。 事前に開催地を偵察
してきますので次号で報告させていただきます。
航空事故における刑事責任追及の意義
∼JAPA 法務委員会学習会∼
JAPA 法務委員会
熊坂
洋二
■ JAL907便事故
(平成13年1月31日) において起訴された管制官2名に対して、 第1審判決 (平
成18年3月20日) では、 無罪の判決が言い渡されていました。 しかしながら、 第2審判決 (東京
高裁平成20年4月11日) では、 それを180°覆す判決が出されています。
そこで JAPA 法務委員会では、 航空事故における刑事責任とはどのような内容が妥当といえる
のかについて論議を行うため、 あらためて我が国の刑事法上の過失とは何かを再点検するため、 航
空事故における刑事責任について研究されている池田良彦教授 (東海大学) をお招きして、 刑事法
学習会を開催しました。 (注:本学習会は昨年4月に開催されましたが、 事務手続きにより記事投
稿が遅れましたことをお詫び申し上げます)
注1) JAL907便事故の概要
日本航空907便は、 羽田空港を離陸し、 東京
ACC の上昇指示に従って、 高度約37,000ft 付
近を上昇飛行中、 同 ACC からの指示により高
度35,000ft へ降下を開始した。 また、 同社の
958便は、 プサン空港から高度37,000ft で大島
へ向けて巡航中でした。 両機は、 静岡県焼津付
近約35,500ft で、 異常に接近し、 双方が回避操
作を行いましたが、 907便では回避操作により
乗客と客室乗務員の重軽傷者が発生しました。
一方、 958便には、 負傷者および機体の損傷は
ありませんでした。
注2) 第1審判決と控訴審判決の概要
第1審判決では、 管制方式基準上の義務 (管
制間隔の確保) と業務上過失致死傷罪における
刑法上の注意義務とは必ずしも一致しないとし、
訓練管制官の907便への降下指示は、 その段階
では (両機に1,000ft の間隔は確保されていた
ので) 907便と958便の接触・衝突を招く危険性
のある行為ということはできないと判定してい
ま す 。 つ ま り 管 制 官 が 知 り え な い 958 便 の
TCAS・RA による回避操作や907便機長の RA
に従わない操縦などの事情が存在したことを踏
まえると、 被告人両名には、 本件異常接近及び
これに起因する907便乗客らの負傷の予見可能
性や予見義務があったとは認められない、 907
便の降下指示と負傷の結果との間には相当因果
関係があったともいえない、 として無罪を言い
渡しています。 しかし第2審判決ではそれを覆
す有罪の判決となり、 現在、 最高裁へ上告中で
す。
刑法の役割
刑法は、 社会や個人に害悪をもたらす一定の
行為を犯罪とし、 その行為によって生命、 身体、
財産などの法益が侵害された場合に刑罰を科す
と規定しています。 では、 いかなる行為が犯罪
としての処罰の対象になるかについては、 それ
ぞれの時代における 「個人と社会」、 「個人と国
家」 の中で一定の理解 (社会的合意) があるこ
とを前提として、 政策的に決定されるべきもの
といえます。
かつて刑法の役割は、 社会的倫理の維持にあ
ると考えられていたこともありましたが、 社会
倫理の維持は国家の任務でないという理由から、
現在では法で守るべき利益の保護を目的とする
べきであるという考え方が主流となっています。
この保護に値する利益 (法益) を刑法は、 個人
的法益 (個人の生命・身体・財産など)、 社会
的法益 (公共の安全など)、 国家的法益 (国家
2009 MAY
93
の存立・公務の公正さなど) であり、 この法益
を侵害し、 または危険をもたらす行為を害悪と
位置づけ、 刑罰を科す根拠としています。 (法
益保護主義)
しかし、 法益の侵害があったからといって、
直ちに犯罪行為と認定し刑罰を科すことは出来
ません。 処罰条件としては、 加害行為を行った
ことについて刑法上の責任が認められなければ
なりません。 責任とは 「非難に値する行為」 で
あり、 犯罪行為に対する反作用 (制裁) として
の刑罰に、 「非難」 の意味が含まれていなけれ
ばならないのです。 (責任主義)
なぜなら、 非難に値する行為と言えるかどう
かということに力点を置いて議論しないと発生
した被害結果だけから責任を問うということに
なりかねないからです。
航空事故における刑事責任追及
航空事故が起こると、 刑法211条により刑事
訴追が検討されます。 211条には次のように書
かれております。 「①業務上必要な注意を怠り、
よって人を死傷させたものは5年以下の懲役若
しくは禁錮または100万円以下の罰金に処する。
重大な過失により人を死傷させたものも同様と
する」。 当初は50万円でしたが、 平成18年に改
正されました。
刑事責任の基本は、 行為者個人の不注意を認
定することにありますが、 複雑なシステムの一
環のなかで発生する事故の場合には、 直近の行
為者にのみ法的責任を求めても妥当とは言えま
せん。 その意味で、 刑事過失責任追及は、 時に
よっては事故原因の解明と再発防止対策を進め
るうえでは障壁となってしまうのです。 航空事
故、 原子力事故、 その他の産業事故などに共通
する問題をかかえているシステム性事故におい
ては、 事故調査の重要性と、 必罰主義の不毛さ
を十分に認識しなければならないでしょう。 刑
事手続きは、 わざとやった (故意) な場合と、
明らかに予見義務及び結果回避義務を怠った場
合に限るべきで、 被害 (結果) の大きさからの
み刑事責任 (結果責任) を求めてはならないと
94
2009 MAY
いえるでしょう。
(池田良彦 「航空事故における刑事過失責任追
及の意義について」、 共著 「航空宇宙法の新展
開」 八千代出版参照)
JAL907
便裁判について
(法務委員会) 907便事故では、 管制官の 「言
い間違い」 が、 そもそも刑法の業務上過失の条
文に当てはまるかどうか (構成要件該当性) 部
分と、 言い間違いから乗客の負傷という結果が
結びつくかどうか (因果関係論) の2つの疑問
があります。 わが国の学説では因果関係論では、
相当因果関係説が採られており、 つまり、 ある
行為Aからその結果Bに繋がることは、 社会的
にみて相当であろうという関係がないとだめな
のです。 にもかかわらず今回の高裁判決では、
当時の航空の現状を十分理解せず、 管制官は絶
対に言い間違いはしないし、 管制官が言い間違
いをすると即、 事故が起こると誤解して社会的
相当性ありと認めています。 管制官やパイロッ
トの間では、 どんなに訓練しても、 また注意し
ても言い間違いというのは起きているわけです
し、 そのためにも、 管制間隔が取られていたり、
TCAS の装備が義務付けられていたりするわ
けです。 そのような現状を踏まえると、 今回の
管制官の言い間違えと、 乗客の負傷の結果に、
社会的にも相当性ありと因果関係を認めるのは、
妥当な結論とは思えません。
(池田教授) 控訴審判決では、 パイロットや管
制官というのは、 その道のプロなのだから、 間
違うはずがないし、 絶対に言い間違いなどは起
こすべきでない考えが前提になっているわけで
す。 しかし確かに現実には言い間違いをするこ
ともあるのですが、 そのような業務において起
こったミスについては、 業務上過失致死傷罪を
適用して当事者に罰を与えて、 「ミスは絶対に
許されない」 いう厳しい姿勢をとっているので
しょう。 しかし私たちは、 言い間違いのような
管制ミスは、 刑事罰を科すことでミスを防ぐこ
とには全く繋がらないし、 もちろん管制技術を
訓練して、 ミスを防ぐようなレベルアップをす
べきなのは当然ですが、 どのような訓練教育に
励んでも、 100%単純な言い間違がなくなるこ
とがないのはやむをえません。 それを航空安全
のシステムの防御壁で防ぐことが重要なのだと
いうことを裁判官に分かってもらうような方策
を講じなければならないですね。
一方、 第一審では便名を言い間違ったことは
いけないことであるが、 そのこと自体が即、 お
客さんの怪我に結びつくとまではいえないと判
決理由に書いています。
まとめ
現状では、 我が国の刑法のベースは、 法益を
侵害されたことに対して懲罰は当然だというい
わゆる一罰百戒的な考え方で支配されて、 応報
理論だけが正義だとされてゆく部分だけで終わっ
ているように思えます。
一方、 私たち Pilot はそれよりも、 とにかく
「事故をなくしたい」 「安全で安心な航空業界を
実現したい」 と言うのが本音です。 相当長いス
パンで考えなければなりませんが、 法曹界の方々
が航空事故防止という観点に立って法的な判断
解釈をして頂けるような取り組みができないか
などと考えています。 そのためにはマスコミの
力も借りて、 JAPA 法務委員会としても、 事
故防止活動を前面に出して研究を進めてゆきた
いと思います。
事故発生地点付近における飛行状況概略図
2009 MAY
95
開催報告
平成20年度
中部支部総会開催報告
中部支部
桃の節句が待ち遠しい、 2月21日13時から名
古屋栄の中日ビルにて、 平成20年度中部支部総
会を開催致しました。
開催宣言に引き続き川崎重工の林委員が議長
に選出され、 総会成立の可否報告の後、 野口支
部長の挨拶が行われました。
協会本部から出席の薬師寺副会長から、 公益
法人化ならびに協会近況活動について報告があ
りました。 この中で、 「行政や管制機関と操縦
士協会とは積極的に対話を続けており、 少しず
つではあるが、 要望は伝わっている。 操縦士協
会は安全文化の構築を目指して活動しているが、
専従者がいない事、 また会員数の伸び悩みとい
う問題を抱えている。 活動内容をアピールする
ために、 HP の充実に力を入れている」 などの
お話があり、 最後に様々な支部活動を通じて会
員獲得のためのアピールをするように要請があ
りました。
*平成20年度中部支部活動について
支部委員会
3回開催
安全セミナー
3月1日
航空安全講習会
5月17日
機長養成講習会
9月26日
管制官交流会
5月16日、 11月21日
SLJ 静岡のサポート
11月7、 8、 9日
などの活動が報告されました。
*平成20年度航空関連受賞者について
大臣表彰
:該当者なし
大阪航空局長表彰:長谷川 史郎氏 (CHS)
協会表彰
:臼井 一郎氏
(セコインターナショナル)、
渡辺 吉之氏 (三菱重工)
以上3名の受賞報告がありました。
96
2009 MAY
*平成20年度支部決算について
中里委員から報告があり、 異議なく承認され
ました。
*平成21年度支部委員選出について
ジェイエア…岡田 康史氏、 朝日航洋…藤崎
盾氏の退任とジェイエア…大川 淳氏、 朝日
航洋…野寺 芳成氏の新任及び、 その他20年
度役員の留任が諮られ、 異議なく承認されま
した。
*平成21年度支部役員
支部長(理事兼) 野口 義博
中日新聞社
副支部長
佐藤 和久
中日本航空
委
員
青木 富男
セコインターナショナル
大川
淳
ジェイエア
奥本 進介
新日本ヘリコプター
(HP 担当)
木島 浩一
三菱重工
具志 賢治 名古屋市消防
中里
巧
三菱重工
野寺 芳成
朝日航洋
林
晃一
川崎重工
三浦 芳郎
自家用
*平成21年度中部支部活動計画について
管制交流会 名古屋飛行場
(5月)
中部国際空港
(11月)
航空安全講習会
(6月13日)
夢は叶う Yes I can (旧航空教室)
未定
安全セミナー
(2月)
21年度支部総会・懇親会
(2月)
支部委員・役員改選
(2月)
以上の活動予定が諮られ異議なく承認されま
した。
最後に野口支部長から閉会の挨拶があり、 20
年度支部総会を終了いたしました。
総会終了後、 GARMIN 社 日本代理店の日
本エアロスペース株式会社・航空機部長の保坂
淳一氏をお招きし、 最新の GARMIN G1000
の紹介が行われました。 従来の GPS に対する
概念を超える、 高機能統合飛行計器でした。 小
型機にはもったいないほどの機能をもった
G1000ですが価格が安いことから、 従来の見慣
れたT型配列のアナログ計器に取って代わるの
も時間の問題では無いかと予感しました。 プレ
ゼンテーション後、 実際に G1000 を使用した
シミュレーターを操作し、 実物に触れてみた多
くの会員から、 その機能性の高さに驚きの声が
上がっていました。
引き続き懇親会が開かれ、 中部国際空港先任
管制官・錦織 修氏による乾杯の御発声の後、
多くの歓談の輪ができました。 また和やかな雰
囲気の中、 多数の来賓の方々からお言葉を頂き、
盛会のうちに懇親会を終了することができまし
た。
西日本支部だより
西日本支部
・小型航空機安全セミナー・支部総会報告
西日本支部主催の小型航空機安全セミナーと支部総会が、 3月28日、 大阪科学技術センターで開
催されました。
セミナーには30名が参加。 主催者あいさつの後、 講師にお招きした朝日航空株式会社・和田修常
務取締役から 「安全情報を共有しよう ASI−NET について」、 日本エアロスペース株式会社・保
坂淳一部長から 「小型航空機のグラスコックピットについて」 (最近の小型機に装備が進む話題の
G1000 のトレーナーを会場に設置)、 JAPA 西日本支部・木滑和明副支部長から 「知識のアップデー
トで安全運航 最近の法改正等について」 のお話しを伺い、 参加者一同安全への意識をあらたにし
ました。
支部総会では支部枠選出理事、 支部委員、 平成20年度支部事業報告及び決算、 平成21年度支部事
業計画及び予算について審議し、 すべての議案が可決されました。
懇親会では空港や会社等の枠を越えて、 会員同士の交流・情報交換・親睦が図られました。
2009 MAY
97
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
刷新版 そらのみちくさ
絵と文:湧井 カレン
発行:鳳文書林出版販売
〒105-0004 東京都港区新橋3 7 3
T E L :03−3591−0909
FAX :03−3591−0709
E-Mail:[email protected]
定価:1,600円+税
70年前に、 インドネシアで仕込まれ東京で出
生、 関西で育った悪童が成長するとともに、 パ
イロットを憧れるようなりました。
彼が成長して選んだ就職先は川崎重工業株式
会社、 職場は濃尾平野の北のはずれにある工場
であった。 その会社で試験飛行パイロットになっ
た著者は、 単発訓練機からジェット輸送機まで、
軽ヘリコプターから多発大型ヘリまで雑多なフ
ライングマシン (軍用機、 艦載機、 特殊用途機
など23機種) を42年間にわたり乗りこなした。
98
2009 MAY
試験飛行のかたわら、 訓練や売り込んだマシ
ンのアフターケアのため多くの国を放浪したが、
操縦以外の世渡りテクニックもいろいろ覚えた
ようだ。 このナイスガイの著者が、 己の 「香典
返し」 を生前から準備すべく一念発起、 自己の
飛行経験と悪行の記録として本を書いた。 筆者
が自ら描いたイラストがたくさん入っており、
肩のこらない文章とともに、 試験飛行パイロッ
トという視点から捉えた飛行のセンス、 一般業
界の航空人が知らない装備品や、 空力理論の話
などがエピソードを交え、 素人にも解り易く書
いてあるのがこの本の良いところだ。
過去の PILOT 誌に10回にわたり連載されたも
のに若干手を加え、 新たに書き下ろした内容も
多く掲載されている。 だれもが気楽に楽しく読
める航空関係の本となっており、 また航空関係
者以外の人々にも是非読んでもらいたい一冊だ。
☆ 読者プレゼントのお知らせ ☆
この 「そらのみちくさ」 を5名の読者の方に
プレゼントします。 希望者は、 住所、 氏名、 年
齢と共に 「そらのみちくさ希望」 と書いて、 6
月15日までに、 以下の宛先に E-Mail、 FAX 又
は郵送にてお申込み下さい。
〒105-0003 東京都港区西新橋1−18−14
社団法人日本航空機操縦士協会
「そらのみちくさ」 プレゼント係
TEL 03-3501-0433
FAX03-3501-0435
E-Mail [email protected]
尚、 応募者多数の場合は、 抽選とさせていた
だきます。
セスナ172取扱法
訳者:佐藤 裕
発行:鳳文書林出版販売
〒105-0004 東京都港区新橋3 7 3
T E L :03−3591−0909
FAX :03−3591−0709
E-Mail:[email protected]
定価:4,000円+税
レシプロエンジン単発、 4人乗りの、 世界ベ
ストセラー機、 セスナ172は、 この日本でも最
も多く登録されている。 そのセスナ172が数年
の生産休止の後、 全面改良されて製造再開となっ
たが、 その際、 エンジンをキャブレター式の
160馬力から、 燃料インジェクションの180馬力
に変え、 取扱も、 性能も、 従来の機体とは全く
異なるセスナ172R 型となった。
更に2面の液晶パネルに計器情報を統合表示
する、 いわゆるグラスコクピットのタイプを採
用し、 ディジタル統合式アビオニクスと組合せ
たセスナ172S 型となり、 その操作は従来とは
全くの別物となった。 これらの情報を反映し、
再編集した改訂版が、 今回発行のセスナ172S,
172R, 172P 用取扱法である。
最新のセスナ172を目指す人、 従来のセスナ
172からの移行を考える人、 あるいは、 最新の
機体として理解したい人に、 本書は必須の1冊
となるものである。 また、 パイロットの手にな
る翻訳は、 親しみやすく、 分かりやすい事も特
筆しておきたい。
飛行機操縦教本
発行:財団法人航空振興財団
監修:国土交通省航空局
〒101-0052 東京都千代田区神田
小川町3 6 8 伸幸ビル6階
TEL
FAX
:03−3259−2131(代)
:03−3259−2135
定価:5,460円 (税込み)
昭和46年刊行の本書は、 日本で飛ぶことを学
ぼうとするものにとって、 無くてはならない存
在であった。 それが、 しばらく絶版となってい
たのだが、 この度、 現在施行されている制度及
び、 自家用操縦士・事業用操縦士の技能証明の
実地試験基準を基にその内容を改訂し、 また、
一部の内容追加等の全面的な見直しを行って、
再び刊行されることとなったものである。
その主な変更内容は以下のものである。
・ヒューマンファクター関係の記述の追加
・計器等の説明の近代化
・基本となる操縦の理論の記述の追加
・飛行の準備の事項の充実
・その他各部の、 追加及び改訂。
特筆すべきは、 15頁に及ぶ 「操縦の理論」 の
新規追加の部分で、 飛行を正しく管理するため
の基本事項が、 非常に具体的に、 その根拠と共
に示されている。 飛行の理論を理解し、 正しい
操縦技術を身につける事がその後の訓練の礎と
なるのである。 本書を、 操縦に係わる全ての人
にお勧めしたいと思うものである。
2009 MAY
99
通信
理事会通信
来る5月21日に、 第44回通常総会の開催が予定されています。 萩尾会長の下、 現在の理事会体制が始動し
て、 既に3年が過ぎました。 現在の状況ですが、 総会の準備、 事業報告と決算・事業計画と予算の作成作業
に忙殺されています。
この1年間は、 公益法人制度の変更を受けて如何に対処すべきか、 活動を通じて検証する節目となりまし
た。 今後の方向性を見極めるための判断材料にしていく目的で、 何でも積極的に取り組みました。 大胆なチャ
レンジ計画は、 赤字基調の予算執行となりましたが、 諸活動を実践してきたお陰で、 抱えている課題がはっ
きり見えてきました。
本協会の事業を支える原動力は、 「事業・活動を共に取り組むことで培われた連帯感」 にあることが、 より
鮮明になりました。 従って、 これまで以上に参加型の行事 (イベント) に力点を置き年次の恒例行事として
継続させる必要があります。
事業の 「選択と集中」 は、 財政の安定と合理的かつ経済的な運営を行うために、 避けては通れない課題で
す。
公益認定の問題は、 組織と運営についての定款案はほぼ固まりました。 現行を大枠で踏襲しますが、 財政
構造あるいは公益目的事業比率、 さらに経済的かつ合理的な運営については相応の見直しが必要です。
[活動報告]
−平成21年3月−
3月1日
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 名古屋
3月17日
3月2日
編集委員会
議員会
3月5日
航空機操縦士養成機関連絡会議
滑走路誤進入防止対策推進チーム
3月6日
FAI 会議 (航空協会)
3月7日
九州支部総会 (長崎)
3月18日
航空機安全運航支援センター理事会/評
乗員養成検討委員会
(勉強会) 被災地における飛行方法 (内
東日本支部総会
閣官房、 航空局)
3月9日
準会員入会説明会 (東海大学)
3月19日
航空保安大講義 (本校)
3月10日
航空身体検査証明審査会
3月23日
航空振興財団理事会
法務委員会
航空保安運用連絡会議本会議
3月11日
航空交通管制協会理事会
3月12日
航空医学委員会
航空医学研究センター理事会・評議員会
3月13日
第250回理事会
航空保安施設信頼性センター評議員会
3月14日
ATS 委員会
RNAV/RNP に係る連絡会
3月16日
航空保安協会理事会
3月25日
3月26日
ヘリコプター委員会
経理委員会
協会制度検討委員会
100
2009 MAY
3月27日
運航技術委員会
4月11日
ATS 委員会
航空輸送技術研究センター評議員会
3月28日
3月31日
航空安全講習会
航空保安施設信頼性センター理事会
4月13日
航空保安無線システム協会評議員会
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 北九州
4月14日
法務委員会
西日本支部総会、 セミナー
4月15日
編集委員会
航空気象委員会
4月16日
航空医学問題懇談会 (航空医学研究セン
航空保安大学校修了式
故黒田
勲
ター)
GA 委員会
お別れの会
4月18日
航空安全講習会 (大阪)
−平成21年4月−
4月19日
航空安全講習会 (埼玉)
4月4日
法政大学 (新入生入会説明会)
4月20日
外部監査 (八重洲監査法人)
4月5日
航空安全講習会
4月22日
経理委員会
4月6日
事故を斬る!(事故調査の更なる充実)
ASI−NET 作業部会
英国クランフィールド大学講習 (10日まで)
ヘリコプター委員会
学科試験問題検討会
編集委員会
4月7日
4月10日
桜美林大学 (新入生入会説明会)
4月23日
第251回理事会
航空身体検査証明審査会
4月24日
内部監査
外部監査 (八重洲監査法人)
航空管制定期連絡会議
SP 会幹事会
FT 委員会
航空保安大学校講義 (訓練監督者特別研
修)
運航技術委員会
4月25日
航空気象委員会
[活動計画]
−平成21年5月−
5月9日
ATS 委員会
5月12日
航空身体検査証明審査会
5月23日
航空気象委員会
認定講師研修会・航空安全講習会 (熊本)
5月16日 認定講師研修会・航空安全講習会 (仙台)
5月25日
航空振興財団理事会
5月18日
黄綬褒章伝達式
5月27日
航空保安協会理事会
5月19日
航空保安大学校講義 (無線科:システム
ヘリコプター委員会
統制官課程特別研修)
航空保安施設信頼性センター理事会
5月21日
5月22日
第44回通常総会・第252回理事会
5月29日
航空大学校卒業式
航空医学研究センター理事会・評議員会
5月31日
エアライン航空医学担当医懇談会 (航空
日本航空協会評議員会
第 10 回
医学委員会)
LOCAL SEMINAR COM-
MITTEE 会議
2009 MAY 101
JAPA SHOP
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AIM−JAPAN 英語版
学科試験スタディーガイド
パイロットガイダンス
TAKE-OFF 安全飛行への招待
ヘリコプター操縦教本 第2版
航空気象 (新刊)
区分航空図501∼506各
3,500円
3,500円
3,500円
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3,500円
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3,150円 送料込
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2,340円+280円
3,500円+380円
3,500円+380円
3,500円+420円
3,500円+380円
3,500円+380円
3,500円+380円
2,500円+380円
2,600円+280円
区分航空図507
ターミナル航空図253、 254
首都圏詳細航空図
パイロット手帳
PILOT 誌
手袋
ライセンスケース
空中衝突
3,100円
2,600円
3,000円
1,200円
800円
5,000円
3,800円
2,300円
2,790円+280円
2,340円+280円
2,700円+280円
1,080円+280円
720円+240円
4,500円+280円
2,800円 送料込
2,070円+380円
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2,600円+280円
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800円+240円
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3,800円 送料込
2,300円+380円
お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。
直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。
(お振込前に必ず在庫確認をお願いいたします。)
振込口座:郵便局00180−9−88490 社団法人 日本航空機操縦士協会宛
お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433
FAX 03−3501−0435
E-Mail:[email protected]
102
2009 MAY
2009 MAY 103
JAPA Aerial Photo Exhibition
夕陽の羽田に着陸する B767
◎ 谷
104
2009 MAY
達馬様の投稿写真です ◎
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集します。 現在も読者からの投稿が表紙を飾っています。
応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上掲載の予定です。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として
投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の
添書きも添付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2009 MAY 105
編集後記
●3月23日に NRT で発生した MD-11 貨物機
の事故映像を見て、 1996年11月23日にハイジャッ
クされたエチオピア航空 B-767 が、 Ditching
を試みた際、 左翼を海面にぶつけ、 左へロー
ルした映像を思い出しました。 今月号にその
映像写真を掲載。 FedEx の事故原因が早く
解明されることを願うだけです。
(KEN)
●青木美和さんの“I Love Aviation”毎号楽
しく読みました。 美和さん、 しばらくのお休
みでいいんですね?再開を待っています。
(T. A)
●前号の 「農道空港」 には、 様々な反響があり
ました。 本誌は 「Pilot が作る隔月誌」 です
から、 どうしても Pilot の視点での原稿にな
りますが、 独善にならぬよう、 良く調べて原
稿にするようにと思っています。
(奥貫)
●前号では女性パイロット5名の表彰が取り上
げられた。 海上保安庁の某基地でのヘリコプ
ター BELL412 の救助訓練の機長は女性であ
り副操縦士も女性であった。 後部で吊り上げ
救助、 リペリング降下などを行なう機動救難
士は男性であったが、 いずれこの分野にも女
性が登場するでしょう。
(K. A)
●昔の職場の仲間から頂く原稿には、 編集にも
つい力がこもる。 人の自然な心理だろうか、
「身びいき」 という言葉にさほど後ろめたさ
を感じないのも社会のルールにあるのだろう
(カレン)
●自然環境の向上も大切ですが社会環境の向上
がより必要だと思っているこの頃です。
(RYU)
今月の表紙は埼玉県の羽生滑空場にソロ飛行で
着陸するハスキー A-1 です。 草地滑走路、 溝の
無い丸いタイヤ、 尾輪式の独自の世界です。 こ
の機体で飛ぶことは容易ではありませんが、 そ
こには快い緊張感と達成感があります。(奥貫)
●航空医学に一生を捧げられた黒田勲先生が、
去る2月17日に御逝去された。 書架にあった
先生の著書 「閑居録集」 を引っぱりだした。
至言がつまっているが、 「自分の思っている
ことを人に伝えることぐらい、 難しいことは
ない」 と説いておられる。 PILOT 誌に寄稿
している者として、 あらためて責任を感じる。
(徳田)
●春と言っても初夏!今年は酷暑か? (蔵岡)
No.314 2009年 5 月号/平成21年5月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
106
2009 MAY
URL http://www.japa.or.jp/
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ