No.3 MAY - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2008 No.3 MAY
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
平成20年5月9日
会
員
各
位
社団法人
会
日本航空機操縦士協会
長
萩 尾 裕 康
第回通常総会開催通知書
拝啓
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、 平成20年度通常総会を下記のとおり開催いたしますので、 ご出席賜りたくご通知
申し上げます。 なお総会終了後、 記念講演ならびに懇親パーティーを開催いたします。
正会員の方で、 当日出席いただけない場合は、 別封ハガキで通知いたしました議案事項
について書面表決権行使書により表決をお願いいたします。 また他の正会員を代理人とし
て総会で表決される場合は同じく委任状をご提出下さいますようお願い申し上げます。
記
1. 日
時 平成20年5月22日 (木) 13時30分開場
2. 場
所 羽田空港第1旅客ターミナルビル
交
案
内
(ビッグバード内)
東京モノレール
浜松町駅から羽田空港第一ビル駅下車。
ガレリア6F ギャラクシーホール
京浜急行
京浜急行空港線終点羽田空港駅下車。
リムジンバス
東京八重洲口・新宿、 池袋、 赤坂地区・
東京シティエアターミナル・成田空港な
どから直通バスがあります。
京急バス
横浜駅・新横浜駅・川崎駅・蒲田駅・千
葉駅・木更津駅などからバスがあります。
Tel. 03−5757−8181
3. 総
通
会
「議案」
14時∼15時30分
第1号議案
平成19年度事業報告及び
決算報告について
第2号議案
平成20年度事業計画及び
予算案について
第3号議案
役員の選任について
4. 記念講演
16時∼17時30分
「脱化石燃料航空機の展望」
宇宙航空研究開発機構 (JAXA)
航空プログラムグループ事業推進部
研究開発本部研究推進部
研究開発企画室 (併任)
工学博士
5. 懇親パーティー
岡井
敬一 氏
18時∼20時
【お願い】
別封ハガキの【総会出席届】【書面表決権行使書】【委任状】について、 該当される部分にご記入の
上、 5月21日 (水) 必着でご郵送下さい。 但し、 所属される会社等のメールボックスをご利用いただい
ている方はメールボックス付近に置いてあります投票箱に5月20日 (火) までに入れていただいても結
構です。
第43回通常総会への第43期出席予定理事
(役
職)
会
長
副
会
長
副
会
長
副
会
長
専務理事
常務理事
常務理事
常務理事
常務理事
常務理事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
理
事
(氏
名)
萩 尾
増 田
橋 本
薬師寺
白 石
楠 本
金 沢
中 島
根 本
吉 田
池 内
石 井
宇田川
大久保
大 澤
川久保
蔵 岡
小 暮
越 田
後 藤
管
鈴 木
田 頭
千 葉
野 口
花 田
樋 口
平 山
山 本
裕 康
奉 和
百合博
進
豊 樹
晋 一
和 夫
清 一
裕 一
徹
宏
清
雅 之
高
一 朗
剛
賢 治
義 昭
善 彦
達 也
聖
英 明
勝
博 茂
義 博
孝 順
永 徳
開 偉
秀 生
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第43期 (平成19年度) 重点施策
各種講習会・研究会等の実施
ヒューマン・ファクターの理解促進の具体化
安全情報の提供に対応したシステム整備
運航環境整備への積極的な参画
航空事故防止に資する取組
適切な航空医学適性の維持
協会の見解を発信していく責務
活動の活性化を図る取組
・公益事業の推進
・会員に対する広報・啓蒙活動等の充実 (活動への参加)
・委員会活動・支部活動の活性化 (人材の育成)
・交流の促進 (共存共栄)
・自発的安全報告制度の活性化等
協会組織運営体制の強化
・協会の事業運営のあり方に対する継続した検討
・会員状況の確実な把握
・事務局体制の強化
・規程の遵守、 理事の役割分担にもとづく効率的な組織運営
・確実な協会監査体制の充実
・情報管理体制の改善・強化
・人材育成の促進を図る
専門知識を育むための海外派遣
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額
1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
日石三菱●
至虎ノ門
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りそな銀行
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幸 ● みずほ銀行
町
駅
三
菱
東
京
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赤
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至銀座
NTTドコモ
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車
烏森通り
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至東京
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新
橋
ビ
ル
J
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新
橋
駅
烏森口
キムラヤ●
至品川
CONTENTS
No.308
4
2008 No.3 MAY
自家用操縦士の技量維持策
69
―フライトレビュー制度―
副会長
空の交差点
パイロットのはなし
念のため ④
橋本百合博
寝坊パイロット
10
特集
UFO 見た人居ませんか
シニア・パイロットのエピソード (第19回)
“或るパイロットの生涯”
∼父の思い出∼
菱沼
20
75
地球環境問題関連用語の解説
76
FAI ニュース
亨
16
GA:ジェネアビ情報
奥貫
77
小型機パイロットの同乗飛行
博
開催予告
宇宙旅行をめざして
奥貫
博
78
GA 部会活動報告
奥貫
開催報告
平成19年度 日本航空機操縦士協会中部支部総会
中部支部総会
西日本支部だより
西日本支部
FAI 方式着陸競技の試行
41
上田
航空機運航と地球環境問題座談会
運航技術委員会地球環境問題分科会
34
則夫
俊雄
第2回
29
土居
空の旅と私の体験
博
特別寄稿
いつか?は救える!
救命講習会の受講体験記
志鳥
學修
81
JAPA 通信
85
オススメ!情報ボックス
書籍 & Goods 紹介
46
World Safety Report
CALLBACK
56
Number337
航空史曼陀羅
86
JAPA SHOP
87
JAPA で飛行訓練を!
その23. 青島の日独航空戦事始
徳田
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
忠成
FTD 訓練室
62
そらのみちくさ
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
湧井カレン
66
88
JAPA Aerial Photo Exhibition
90
編集後記
パイロットへの道
ストールは怖くない!
ドゥゴベール・アラン
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
自家用操縦士の技量維持策
―フライトレビュー制度―
副会長
自家用操縦士の技量維持に関する調査委員会委員兼作業部会長
橋
「自家用操縦士の技量維持に関する調査委員
会」 は2月20日、 1年間にわたる活動を終え、
標記について報告書をまとめた。
当委員会は、 前年の平成18年に航空・鉄道事
故調査委員会より建議が出されたこと、 また前
回の委員会提言から5年を経過していることか
ら、 自家用操縦士等の技量維持方策の見直しの
必要性に関して基礎的知見を得ることを目的と
して設置されたものである。
構成メンバーは自家用5団体 (日本飛行連盟・
日本滑空協会・AOPA-JAPAN・全国自家用
ヘリコプター協議会・日本航空機操縦士協会)
と国土交通省および関連法人等からの代表合わ
せて14名から成り、 JAXA の張替氏が委員長
に選出され、 操縦士協会が事務局を担当した
(委員会の進捗状況については本誌昨年度各号
「JAPA 通信」 参照)。
今後、 国土交通省において法制化等のための
作業が開始され、 委員会の提言が具体化されて
行くが、 制度の実施時期については現時点で未
定である。
経緯
・平成12年、 国際民間機関 (ICAO) による我
が国航空局に対する監査において、 自家用操
縦士等についての技量維持に関する要件が設
定されていないことが指摘される。
・平成13年12月、 「航空従事者の技量維持のあ
り方に関する調査委員会」 発足
(ATEC に事務局)
4
2008 MAY
本
百合博
翌14年4月 「調査研究報告書」 提出。
以下、 提言
① 機長として飛行を行う場合には、 定期的に
講習会を受講していること。
② 機長として飛行を行う場合には、 最近の飛
行経験を有していること。
③ 操縦の中断が長期に及んだ場合には、 同乗
教育による技量回復訓練を行うこと。
④ 滑空機の曳航を行う機長は、 滑空機の曳航
資格を有すること。
⑤ ICAO 加盟国の発行した資格証書を、 我が
国の PPL に切替える者は、 機長として飛行
を行う前に、 該当する講習会を受講している
こと。
なお、 第三者による定期的な技量確認は、
現時点においては求めない。
・平成15年3月、 以下の内容を記載した通達・
国空乗第2077号 「自家用操縦士の技量維持方
策に係る指針」 が出される。
① 操縦する日から遡って2年以内の安全講習
会の受講、 等について
② 180日以内に3回以上の離着陸経験がない
場合は、 実技訓練により自ら技量の維持に努
める、 等の最近の飛行経験要件について
・平成18年3月、 基本操作および非常時操作未
熟を原因とする自家用機事故が多発する中で、
田無の燃料枯渇不時着事故を機に航空鉄道事
故調査委員会建議が出される。
「自家用操縦士に対して非常操作に関する
定期的な訓練が実施されるような仕組みの整
備、 また必要に応じ 自家用操縦士の技量保
持方策に係る指針 の見直し」
・平成19年5月、 前年の事故調建議を受け、 技
量維持方策の見直しの必要性に関して基礎的
知見を得るため、 「自家用操縦士の技量維持
に関する調査委員会」 発足
(JAPA に事務局)
本年20年2月、 今回の 「調査報告書」 をま
とめる。 委員会が、 将来の技量維持制度とし
て提言したフライトレビュー制度の骨格は以
下のとおり。
フライトレビュー制度
1. 対象者
法律等において訓練等の枠組みの対象となら
ない者注1
2. 技量維持方策
フライトレビュー制度
(合否判定は行わないが講評は行う)
(罰則に頼って履行を促進するのではなく、
操縦士の自主性により履行を促進することが望
ましい)
3. 技能証明の失効
なし (ただし、 フライトレビューを受けない
と飛行できない)
4. 期限の考え方
前回のフライトレビューまたは同種類の航空
機に関する技能証明を取得してから原則2年以
内にレビューを受ける。
5. フライトレビューの実施形態
飛行+座学
6. フライトレビューの実施方法等
[飛行]
・航空機の種類ごとに飛行に係わるフライトレ
ビューを実施 (ただし、 他の種類の航空機に
係わる技能証明によるフライトレビューの実
績等によって技量維持が担保されると考えら
れる場合には、 担保される範囲内での免除を
考慮する注2)
・認定を受けた模擬飛行装置 (FFS) や飛行訓
練装置 (FTD) の活用
[座学]
・飛行に係わるフライトレビューに併せて座学
を行うことを原則とする (但し、 その実施形
式を強制するものではなく、 別日に開催する
等の方式でも可能注3)
7. フライトレビューを実施する者
・航空従事者試験官
・受講者と同等以上の知識・能力等を有する者
であって、 適切な教育を受けた者として当局
が認めた者。
8. 最近の飛行経験
特に問わない
9. その他技量維持策実施に伴う課題への対応
策
・技量または知識が不足している者に対しては、
フライトレビュー後に講評を行い、 問題点を
意識させる。 (受講者は指摘事項の訓練を自
主的に行い、 解決することが望ましい。)
・フライトレビューを実施する者の選定 (試験
官のマンパワー不足) について、 クラブ等を
登録講習機関として登録し、 フライトレビュー
を当該登録機関が実施する。
登録機関はフライトレビューを実施できる人
材をそろえる。
機長認定等、 一定の要件を満たしている操縦
士は、 受講義務を免除する。
・空港、 空域に関する制約から、 飛行に係るフ
ライトレビュー (科目) が制限される地域で
あっても、 フライトレビューにおける飛行が、
「離着陸 (TGL)」、 「非常操作」、 「基本計器
飛行 (BIF)」 等であれば、 法第92条及び第
95条の3の訓練空域の問題等をある程度回避
可能。 また、 FFS や FTD を活用して訓練を
実施
・フライトレビューを行う者によって指摘事項
等のばらつきを防ぐため、 通達としてガイド
ライン等を作成。
フライトレビューを行う者は、 定期的に国土
交通大臣が実施する講習を受講しなくてはな
らない。
・フライトレビューを実施した者は、 受講の終
了を証明し、 併せて国土交通大臣に報告する。
2008 MAY
5
国土交通省はその実績を管理する。
・フライトレビューの終了を記録する仕組みと
して、 資格管理プログラムを検討
・前回フライトレビューから2年を経過した場
合のフライトレビューの方法については要検
討。注4
・飛行に係るフライトレビューの直前に、 よく
ある事故例、 直近の航空法規の改正内容等に
ついて座学を行い、 フライトレビュー中にも
適宜解説等を行うことを原則とする。 また、
フライトレビュー後には講評を行う。
また別途、 法令、 通達改正等を周知する方法
を検討する必要がある。注5
・現在の安全講習会のあり方については要検
討。注6
・フライトレビューの終了の報告に併せて住所
に変更があった場合は届け出る (住所変更届
出の義務化の検討)。
・海外でのフライトレビューの取り扱いについ
ては、 わが国の登録を受けた登録機関で実施
されるのであれば、 わが国のレビューとして
取り扱うことが可能。
参考事項
注1 主に自家用操縦士を対象とするが、 事
業用操縦士又は定期運送用操縦士の技能
証明を有する者であっても、 運送事業者
等によるフライトレビューと同等以上の
訓練・審査を受けていない者は対象とな
る。
注2 飛行機、 回転翼航空機、 滑空機それぞ
れの種類ごとにフライトレビューを受け
る必要がある。 但し2種類以上の航空機
について受ける場合は、 共通する項目や
他の種類の航空機の技量についても担保
できると考えられる項目は一方を省略で
きる。
注3 フライトレビューを複数回行う団体等
は、 個々の座学をそれぞれの飛行に併せ
て行う必要はなく、 集合座学としてまと
めて、 或いは別日に行うことが出来る。
6
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注4
飛行の空白が長い場合は技量の低下が
考えられる。 従ってフライトレビューの
間隔が2年を超える場合は、 その期間に
応じて追加訓練又はフライトレビューに
科目の追加を考慮する必要がある。
注5 資格管理する全ての自家用操縦士等に
法令、 通達改正等に係る事項の都度の伝
達ができるよう、 所属団体経由またはダ
イレクトメールによる方法等を検討する。
注6 新制度開始後は安全講習会に対する公
的な助成金は見込まれない可能性がある
ので、 今後の講習会の望ましいかたちを
模索する。
背景・考え方
技量維持調査委員会が行った過去10年間の自
家用操縦士に起因する事故の分析統計によると、
原因のトップが 「明らかな技量不足」 であり、
以下 「安全意識の欠如」、 「操作ミス」、 「計画ミ
ス」 と続く。
過去にこれらの原因によって事故が多発し、
今後もそうした問題が地上の人や財産に危害を
及ぼす可能性がある以上、 安全上必要な技量の
維持管理は自家用操縦士にとっても当然の義務
であり社会的責任といえよう。
また、 狭い日本の空を定期航空や使用事業航
空と共有する中では、 自家用操縦士も相応の責
任を果たし、 安全の確保に努めることが我が国
の秩序ある航空を構築する上で欠かせない。
航空・鉄道事故調査委員会の建議でも述べら
れているように、 非常操作手順の確実な実施と
並んで基本操作の励行は飛行の最も重要な部分
である。
飛行時間・経験を積むに従い、 応用操作の方
へ重点が行き基本操作が疎かになりがちである。
また、 応用操作はともすれば自己流ということ
になり易いので、 フライトレビューを機会に基
本操作を再確認していただければと思う。
制度検討にあたっては一定の事故防止効果の
見られる欧米の制度を参考にし、 日本の現状に
合った内容としている。 今後、 制度が定着する
中で出てくる不具合点は、 都度の改善がされて
いくことを期待したい。
わが国の自家用操縦士に係わる小型航空機の
事故のうち、 操縦士に起因するものは77.4%
(97年∼06年) であるが、 技量維持方策導入に
よって再発防止が可能と考えられる項目に絞る
と約60%となる。
フライトレビューの導入によって、 この数字
と共に前述の事故原因の 「明らかな技量不足」
や 「安全意識の欠如」、 「操作ミス」、 「計画ミス」
等は減少することが見込まれる。
また、 10万時間あたり事故率を見ると、 欧米
諸国に比較してわが国はやや高いというのが実
状である。 欧米と同様の制度導入によって、 こ
の事故率も欧米並みに下がることが期待できる。
今回の技量維持策は自家用運航を行う操縦士
の技量を確認するものではあるが、 教官はレビュー
の講評だけで合否の判定は行わない。 また技量
未熟者を排除するような取り扱いとはしていな
い。
しかし、 フライトレビューでの講評で指摘さ
れた点を改善し、 技量向上することは個々の操
縦士の義務である。 もし指摘事項が安全に関わ
る場合は、 問題が解決するまで教官同乗以外の
飛行は自粛するようお願いしたい。
レビュー実施者は使用事業会社の指導操縦士
のほか、 過去の安全講習会の認定講師や飛行ク
ラブの操縦士も一定の基準を満たせば認定され
ることになる。
将来は欧米なみに、 質の高い教育が期待でき
る教育証明資格者が担当するのが自然な成り行
きである。
この制度の目指すところは自家用航空の健全
なる発展であり、 これを契機に自家用運航を行
う操縦士の安全意識を高め、 主体的に技量向上・
維持をしていただくところにある。
こうした技量管理制度が出来たからといって、
自家用操縦士が萎縮してしまっては効果も期待
できないが、 技量維持制度各国比較表でお判り
のように、 欧米の制度に比較し、 わが国の案は
緩やかな規制となっている。
新たなフライトが義務付けられたというより、
日常の訓練の一つがフライトレビューになった
と理解していただきたい。 インストラクター
(フライトレビュー資格者) を、 技量維持や日
常の飛行の相談のための 「掛かりつけ医師」 の
ような存在として考えていただければ良いかと
思う。
具体策の運用開始は数年先と見込まれるが、
制度の運用が前向きに受け入れられ、 進んで技
量向上に取組む気運が自家用操縦士の間に生ま
れることを期待するものである。
2008 MAY
7
日本 (案)
アメリカ
対象者
主に自家用操縦士を対象とするが、 事
業用操縦士又は定期運送用操縦士であっ
ても、 運送事業者等によるフライトレ
ビューと同等以上の訓練・審査を受け
ていない者は対象となる。
技能証明保有者
技量維持方策
フライトレビュー制度
フライトレビュー制度
技能証明の失効
無し
(ただし、 フライトレビューを受けな
いと飛行できない)
無し
(ただし、 フライトレビューを受けな
いと飛行できない)
期限の考え方
前回のフライトレビュー又は同種類の
航空機に関する技能証明を取得してか
ら原則2年以内にレビューを受ける。
前回のフライトレビューまたは同種類
の航空機に関する技能証明書を取得し
てから2年以内にレビューを受ける。
フライトレビューの実施形態
飛行+座学
飛行+座学
フライトレビューの実施方法等
飛行
・航空機の種類ごとに飛行に係るフラ
イトレビューを実施。
・認定を受けた飛行訓練装置 (FTD)
や模擬飛行装置 (FFS) の活用。
飛行
・CFI による1時間以上のフライトを
実施 (シラバスは AC を参考に CFI
またはフライトスクールが定めた内
容)
・フライト・レビューは毎年受けても
差し支えなく、 FAA はむしろこの
方法を推奨している。
座学
・飛行に係るフライトレビューに併せ
て座学を行うことを原則とする。
(ただし、 その実施形式を強制する 座学
ものではなく、 別日に開催する等の ・1時間以上の座学を実施する。
方式でも可能)
・CFI には、 FAA の講習受講の義務
がある。
追加訓練等
合否判定は行わないが講評は行う
受講者は指摘事項の訓練を自主的に行
い、 解決することが望ましい。
フライトレビューを実施する者
・航空従事者試験官
CFI (Certified Flight Instructor)
・受講者と同等以上の知識・能力等を
有する者で、 適切な教育を受けた者
として当局が認めた者
最近の飛行経験の取扱い
特に問わない
8
2008 MAY
レビューの結果技量を満たしていない
と判断された PPL に対し、 CFI は追
加して訓練すべき科目及び追加すべき
飛行訓練時間を指示し、 この終了後再
度レビューを受けるよう、 指示する。
この場合、 CFI はログブックにレビュー
終了の署名をしない。
人を乗せる場合90日に3回の離着陸
ドイツ
フランス
イギリス
技能証明保有者
技能証明保有者
技能証明保有者
更新制度
更新制度
更新制度
あり
ただし、 再試験を受験すれば再交付さ
れる
あり
ただし、 再試験を受ければ再交付され
る
あり
ただし、 再試験を受ければ再交付され
る
等級限定は2年
・最後の1年で12時間の飛行経験 (う
ち6時間の機長としての飛行、 12回
の離着陸、 1時間の教官同乗飛行)
・実地試験 (飛行経験を充足している
場合は、 CFI の試験でも可)
等級限定は2年
・最後の1年で12時間の飛行経験 (う
ち6時間の機長としての飛行、 12回
等級限定は2年
・最後の1年で12時間の飛行経験 (う
ち6時間の機長としての飛行、 12回
の離着陸、 1時間の教官同乗飛行)
・実地試験 (飛行経験を充足している
場合は、 CFI の試験でも可)
の離着陸、 1時間の教官同乗飛行)
・実地試験 (飛行経験を充足している
場合は、 CFI の試験でも可)
飛行+座学
飛行+座学
飛行+座学
飛行
・CFI 同乗による1時間以上のフライ
トレビューを受ける。
実施する飛行科目は、 CFI が内容を
決める。
飛行
・CFI 同乗による1時間以上のフライ
トレビューを受ける。
実施する飛行科目は、 CFI が内容を
決める。
レビューの結果技量を満たしていない
と判断された PPL に対し、 CFI は追
加して訓練すべき科目及び追加すべき
飛行訓練時間を指示し、 この終了後再
度レビューを受けるよう、 指示する。
この場合、 CFI はログブックにレビュー
終了の署名をしない。
レビューの結果技量を満たしていない レビューの結果技量を満たしていない
と判断された PPL に対し、 CFI は追 と判断された PPL に対し、 CFI は追
加して訓練すべき科目及び追加すべき 加して訓練すべき科目及び追加すべき
飛行訓練時間を指示し、 この終了後再 飛行訓練時間を指示し、 この終了後再
度レビューを受けるよう、 指示する。
度レビューを受けるよう、 指示する。
この場合、 CFI はログブックにレビュー この場合、 CFI はログブックにレビュー
終了の署名をしない。
終了の署名をせず、 CAA にレビュー
終了の報告書も書かない。
CFI
CFI
CFI
特に問わない
特に問わない
特に問わない
飛行
・CAA が承認する CFI に、 PPL の
有効性を承認する項に示されている
実施方法および科目に関する1時間
以上のフライトレビューをうける。
座学
座学
座学
・飛行前後に行うブリーフィングで、
・飛行前後に行うブリーフィングで、
・飛行前後に行うブリーフィングで、
担当 CFI が受講した講習会での内
担当 CFI が講習会で受講してきた
担当 CFI が講習会で受講してきた
容を説明するとともに、 CAA の発
内容を説明し、 座学に変えている。
内容を説明し、 座学に変えている。
行する安全誌 AAIB Bulletin をテ
・PPL に対する講習会制度は無い。
・PPL に対する講習会制度は無い。
キストに講義を行い、 座学に変えて
・CFI には、 州政府の行う講習受講の ・CFI には、 DGAC の行う講習受講
いる。
義務がある。
の義務がある。
・CFI を対象にする講習会に PPL が
参加しても差し支えなく、 参加する
とログブックに参加したことを証明
するスタンプがもらえる。
・CFI には、 CAA の行う講習受講の
義務がある。
2008 MAY
9
特集
(第19回)
“或るパイロットの生涯”
∼父の思い出∼
元日本航空機長
菱沼
俊雄
父:1919年
2007年
1977年7月発行の JAL 運航乗員部 部内報“COCKPIT NO35号”への投稿記事からの転載
HND 到着後父の訃報
去る2月18日夜、 バンクーバーから帰来した
私は、 奇しくも父と同名でイニシャルも同じH
乗務管理課員より父の訃報を聞き暫く唖然とし
て居りました。
酒も煙草もやらず、 軍人として鍛えられた故
か日頃丈夫で、 去年の夏、 飼犬が死ぬまではよ
く犬を連れて近所を散歩し、 この冬の2ヶ月は
京都の妹宅に滞在して付近の史跡を訪ねるなど
元気そのものに見えましたし、 16日の夕、 私が
フライトに出掛ける時も全く異常を認めなかっ
たからです。 17日も往復4キロの道を歩いて用
達に出かけているので、 近所の人もまるで其の
死を信用できない様子でした。
聞く所によると、 17日の夜多量に吐血し、 近
所の医師が往診した由ですが、 日頃から丈夫だっ
たのと、 折悪く夜分であったことから“今夜は
様子を見て、 明日、 病院へ行きましょう”と応
急手当を施して帰った模様です。 翌18日午前、
病院に運び輸血其の他の処置を試みましたが、
既に手遅れで、 ちょうど私がセント・ポール島
上空を通過した2分後の13時5分に亡くなりま
した。
解剖の結果、 肉体は医師も驚く程若々しく健
康だったそうですが、 胃内に老人性の潰瘍が出
来、 近くを通る動脈が破れて出血し、 出血多量
によるショック死を招いたものと結論された模
様です。 85歳の高齢ですから年に不足はありま
せんが、“昨夜のうちに入院して手当てすれば
助かったかも……”という医師の口吻に、 家族
一同は何かやり切れない後悔を感じています。
“日頃病身で精密検査を受けていれば、 こん
な事にはならなかったろう”とか、“夜だった
のが不運”とか、 いろいろ愚痴を話し合いまし
たがすべては後の祭り、 これが天命と云うもの
でしょうか。 母は“どうせ死ぬなら1週間位家
族に看病させれば良いものを、 お父さんは昔か
ら気が短いから”と嘆きましたが、 弔問客の方々
は“如何にも軍人らしい大往生”と慰めて下さ
いました。
生い立ち;母3人
昭和47年頃の父
10
2008 MAY
菱沼
一
民間のパイロットの先駆者、 尾崎行輝氏の令
息尾崎行良機長や、 上西機長など、 我が社の親
子パイロットは十指に余りますが、 私の父も陸
軍航空草創期の操縦者でした。 また現役を退い
て、 航空局の航空官になりましたので、 現在の
民間航空界にもご存知の方が少なくないようで
す。 そんなわけで私事の為に貴重な紙面をお借
りするのは大変僣越と存じますが、 父の想い出
や経歴などを断片的に記して見たいと思います。
父、 菱沼 一 (ハジメ) は明治24年5月21日、
松野留治の長子として仙台で生まれました。 し
かしその父留治が間もなく仙台藩の弓術指南役
菱沼新吾の娘と再婚入婿した為、 岩手県南部、
北上市東郊に住む伯父夫婦に引取られて成長し
たそうです。
父は晩年孫達に 「お祖父ちゃんにはお母さん
が三人居たんだよ」 と述懐し、 また 「私は子供
の時から余り者だった」 とも洩らしたことがあ
る由です。
三人の母とは、 生母と養母そして継母のこと
ですが、 乳幼児の頃から複雑な環境に育った父
は、 家族的には恵まれない少年時代を送ったと
言えそうです。 仙台陸軍幼年学校 (9期)・陸
軍士官学校 (24期) を経て軍人への道を志した
のも、 早く一人前になって家庭的にも独立した
かったからではないかと想像されます。 父が血
縁の無い菱沼家に入籍したのは少尉に任官後の
ことで、 陸士の卒業名簿には 「松野 一」 と記
されています。
パイロットに (操縦将校第5期生)
明治45年5月、 陸士を卒業した父は、 大正元
アンリファルマン機による日本初飛行
徳川大尉
山田功男画
年12月、 陸軍歩兵少尉に任官、 北海道旭川の歩
兵第27聯隊付となりました。 陸士の寮歌には
“北に飛ぶ”という歌詞が々使われて居りま
すが、 北海道や東北の僻地の聯隊に配属される
事を意味する隠語で、 父も北に飛ばされた一人
であったわけです。 其の後、 武術や体育の教官
を養成する陸軍戸山学校に派遣されたこともあ
り、 中学時代の私に、 官舎の庭先で剣術の稽古
をつけてくれた事がありました。
大正5年 (1916年) 5月より1年間、 所沢飛
行大隊に於いて軍用飛行機操縦術を修得 (操縦
将校第5期生)、 当時歩兵中尉の父はパイロッ
トとしての第一歩を踏み出したわけですが、 主
な使用機は 「モ式」 (モーリス・ファルマン)
という凧のような複葉機でありました。
大正6年1月の所沢・鵠沼海岸往復耐寒飛行
には父も参加しましたが、 片道に49分もかかっ
たと記録されています。
イタリアに派遣される
当時はたまたま第一次世界大戦の最中であり、
飛行将校の一部はシベリア出兵に参加し、 また
父を含む19名の将校団は大正7年 (1918年) 9
月、 百名の整備員と共に欧州に於ける聯合軍援
助の目的を以ってイタリアに派遣されることに
なりました。
正式には 「伊国出張戦役に関する航空勤務」
と呼ばれていますが、 印度洋に出没する仮装巡
洋艦エムデンや地中海域のドイツ潜水艦の攻撃
ハンス・グラーデ機による日本初飛行
日野大尉
山田功男画
2008 MAY
11
に備えて、 軍艦 「磐手」・「日進」 の護衛下に10
月15日神戸を出発しています。
一行を乗せた輸送船 「春日丸」 は10月末マレー
海峡を通過、 11月11日、 セイロン島のコロンボ
に寄港中、 終戦を迎えましたが、 政府の訓令で
航海を続行、 11月27日イタリアのタラント港に
上陸しました。 以後、 戦闘機班はミラノ郊外の
マルペンサ、 また父等爆撃機班はカシナコスタ
の陸軍飛行学校でそれぞれ操縦術 (カプローニ
重爆)、 爆撃術を修得し、 1年後に帰国しまし
た。
後年、 息子の私がローマに駐在していた1968
年9月、 正に50年振りでミラノを訪れた父は、
郊外の小さな町の広場に立って感慨深気に“確
かここに我々の泊まっていた下宿があった筈だ
が”と首をかしげました。 私が近くにいた若い
警官に尋ねましたら“そんなホテルがあったと
は、 聞いた事もない”という返事。 無理もあり
ません、 彼の生まれる20年も前の話ですから。
そして今、 其処には郵便局が建っていました。
殉職者も多かったのです。
2,060km の長距離飛行成功も影薄く
大正14年、 航空兵科が独立し、 8月5日、 所
沢で記念祭が挙行されましたが、 その祝賀飛行
を兼ねて、 菱沼大尉、 吉田・須田両中尉の操縦
する太刀洗飛行第4聯隊の乙式偵察機 (サルム
ソン) 三機が7月18日、 太刀洗を出発、 途中、
明野・立川・盛岡で給油し、 19日、 無事旭川に
到着しました。
2,060キロの長距離飛行成功は当時の新記録
でありましたが、 父の1期先輩に当たる安辺浩
大尉 (安辺東京支店長の父君) 等の 「初風」
「東風」 両機 (ブレゲー式19A2型) が7月25日
東京を出発、 8月23日モスクワ、 9月17日ベル
リン、 9月28日パリ、 10月15日ロンドン、 10月
27日ローマに到着し訪欧大飛行を完成した為、
“影が薄くなってしまった”のだそうです。
「我が家のこの1枚」 に載った父の写真
当時の飛行機乗りは晩婚
大正9年末、 福岡県太刀洗の航空第4大隊中
隊長 (歩兵大尉) となり、 翌10年、 31歳で結婚
しています。 先輩の徳川好敏大尉 (陸士15期)
も34歳で結婚されたそうですから、 当時の軍人、
特に飛行機乗りは晩婚であったようです。 後に
母方の祖母も孫達の質問に答えて娘を嫁にやる
時の心境を“心を鬼にして”と表現したことが
あります。 それほど当時の飛行機は危険であり、
モ式 (モーリス・ファルマン機)
12
2008 MAY
2年前、 朝日新聞社から 「明治・大正・昭和、
我家のこの一枚」 と言う写真集が発行されまし
たが、 その中には偶然、 台湾時代の祖父留治の
写真があり、 またこの表紙にはモ式をバックに
した父の写真も載っていました。 これは大正8
年、 台湾に新設された総督府航空班の巡査5名
に対し、 イタリアから帰国直後の父が操縦教育
を実施した時のもので、 其の後、 父は南西諸島・
カプローニ重爆
八七式重爆
しい傷痕が残っていたのを覚えています。
昭和5年春、 所沢陸軍飛行学校副官となり、
私も所沢小学校に転校しました。
操縦輪を握っている父
台湾に飛び飛行場の新設に関係したこともあっ
たようです。
昭和2年浜松飛行第7聯隊中隊長
昭和2年春、 浜松飛行第7聯隊に新設の八七
式重爆の中隊長 (航空兵少佐) となり、 太刀洗
生まれの私も浜松で小学校に上がりました。
八七式重爆は全幅27m、 全長18m、 全備重量
8トン弱の我が国最初の国産重爆機であり、 ま
た初の金属製陸上機でもありましたが、 水冷式
五百馬力発動機2基を翼上中央にタンデム (串
型) 配置した高翼の機体は一見ドイツのドルニ
エ・ワール飛行艇にそっくりです。
それもその筈、 同機はドルニエ博士下のホー
クト博士が主任となり、 川崎重工で製作された
もので、 皇紀2587年 (昭和2年)、 陸軍の制式
となったのです。 しかし、 八七重爆は安定性に
問題があり、 昭和4年、 小川少将等乗員8名が
全員墜死という陸軍航空始まって以来の大事故
を起こして以後、 生産を制限された曰くつきの
機体ですが、 父も場外不時着で負傷し豊橋の陸
軍病院に入院したことがあります。
当時、 未だ幼稚園児だった私も母や妹と見舞
いに行き 「お父さんの脚には針金が入っている
のだ」 と聞かされましたが、 その後もずっと生々
子煩悩でもあった父
元来、 当時の軍人は例外なくいかつい髭を生
やしていましたし、 酒も煙草もやらない父は見
るからに謹厳そのものでしたが、 実際には子煩
悩な所もあって、 休日には近くの村山貯水池や、
東京の豊島園に連れて行ってくれたり、 冬休み
には奥多摩の御獄山に登ったり、 湯沢へスキー
に伴ったりしてくれました。
田村町の飛行館へ 「太平洋爆撃隊」 という米
国の航空映画を観に行った記憶もあります。 ま
た私が小学校の4年生頃 (昭和7年?)、 父と
同じ5期操縦将校で当時民間航空に転じ、 立川
の所長をして居られた中山頼道少佐 (陸士25期)
の御世話で、 フォッカー・スーパー・ユニバー
サル (或いは3M?) 機に乗り、 立川上空を十
分程飛んだのが私の最初の飛行経験となりまし
たが、 上空から見下ろした小さな村山貯水池と、
当時珍しかった中山少佐の自家用オープンカー
に乗ったことが、 今でも割合はっきりと想い出
されます。
陸軍航空の発祥地“所沢”について
陸軍航空の発祥地として有名な所沢は現在東
京のベッド・タウンとして発展を続けています
が、 当時は周辺を芋畑に囲まれた人口1万の田
2008 MAY
13
舎町に過ぎませんでした。 住民の多くが飛行場
に関連していたので、“だんべい”言葉の子供
達も飛行機に対する知識はなかなか豊富で、 上
空を飛ぶ小さな機影にも“やあ91戦だ”とか
“中島式が宙返りしているぞ”などと正確に識
別する事が出来たのです。 また当時、 所沢では
民間パイロットの委託教育も行われていたので、
副官という職掌柄か、 夜、 血書を携えたパイロッ
ト志望の青年が我が家を訪れる事もありました。
後年、 明野、 浜松、 下志津、 鉾田、 熊谷など
機種別の飛行学校が開設され、 所沢陸軍飛行学
校が発展的解消をした後は、 狭山、 高萩、 入間、
坂戸、 西筑波の各飛行場と共に豊岡の陸軍航空
士官学校の分教場となりましたが、 所沢駅前の
航士校附属航空参考館には、 当時世界最大級の
92式超重爆 (ユンカース G38改) を始めとす
る陸軍の各種軍用機や、 イタリアのフィアット
BR20 (イ式百型) 重爆、 ドイツのメッサーシュ
ミット109戦闘機、 ユンカース87急降下爆撃機
の他、 拿捕されたソ連のイ−15、 イ−16戦闘機、
英国のホッカー・ハリケーン戦闘機、 米国のカー
チス P40、 バッファロー戦闘機などが陳列され
てなかなかの壮観でした。
願わくは、 現在の我が国にも残存する各種航
空機を一挙に集めた立派な航空博物館を再建し
てほしいものです。 また飛行場所在地としては
後発の立川が、 所沢よりもずっと早く市制を施
行する程発展したのは、 当時所沢を経由する筈
だった中央線が、“鉄道沿線は汽車の振動で芋
の出来が悪くなり、 蚕も餌を喰わなくなる”と
農民が大反対をした為、 結局立川経由に変更し
た故だと言われています。
桜吹雪の園遊会で徳川大佐にお目にかかる
飛行学校正門から飛行場に通ずる幅広い坂道
は見事な桜並木で、 途中右側に本部や大正8年
技術指導のため来日したフランス教官団 (航空
団) の団長フォール大佐の銅像があり、 左手に
は酒保・診療所・将校集会所などがありました。
毎春、 開校記念日には桜吹雪の下で家族ぐる
みの園遊会が行われ、 徳川大佐にもお目にかかっ
14
2008 MAY
て、 子供心にも“この方が日本で初めて空を飛
んだ英雄なのか”と大変感動したことがありま
す。
昭和7年頃には国民献金による愛国号の献納
式が屡々行われ、 愛国児童号 (88式偵察機) を
操縦する父の飛行を見守ったり、 新型機の見学
に出かけたことも度々ありますが、 プロペラの
後流に靡く飛行場の芝生や (ひょとすると草分
け飛行とはこれからきたのでしょうか?) 高ら
かな爆音、 そしてカストル油の焦げる匂いなど
は、 私の幼少時代の想い出から全く切り離せな
い要素になっています。
昭和8年春、 父は満州チチハルに赴任
昭和6年9月、 満州事変勃発。 そして昭和7
年、 満州建国と上海事変。 第一次世界大戦終結
から10年程小康を保った日本の周辺にも漸く風
波が騒ぎ出していました。 昭和8年3月、 父は
関東軍飛行第10大隊附となり満州のチチハルに
赴任しましたが、 私も先生や級友達と共にこの
出征を見送りました。 所沢駅頭の木村・徳川両
中尉の記念碑には桜の花が散りかかって居りま
したが、 それから2年余り私共は父と会う事が
出来ませんでした。 日本最初の航空殉職者 (大
正2年) 両中尉の銅像は、 今、 西武線稲荷山公
園駅に近い入間基地の一隅に移されています
(現在は、航空公園へ移設)。
満州での父は、 88偵やプスモス機で作戦に参
加し、 満州中を飛び廻ったようですが、 詳しい
ことは判りません。 ただ父の撮影した16ミリの
古い映画フィルムが残っていますので、 画像に
雨は降って居りますが、 何とか往時を偲ぶ事は
可能です。
昭和10年平城の第6聯隊附
昭和10年3月、 朝鮮平城の飛行第6聯隊付
(航空兵中佐) となり、 その春、 東京の府立九
中に進学した私も二学期からは平城中学に転校
致しました。 軍人や官史に転任はつきものです
が、 下の妹などは小学校・女学校がそれぞれ5
回変わった程、 転校が多かったのです。
当時の聯隊長中富大佐は父の1期先輩で、 中
富航空機関士の父君に当たる方ですが、 官舎が
隣り同士であった為、 公私共に大変お世話になり
ました。 昭和12年の春、 私が仙台の陸軍幼年学
校に入学した時は保証人にもなって下さいました。
この頃、 蔚山の飛行場長をして居られた故松
尾静磨会長も招集将校として短期間平城の聯隊
に勤務された事を後に知りましたが、 加藤隼戦
闘隊のエース黒江少佐や、 のちの石川空幕長も
当時士官候補生として在隊し、 我が家にも遊び
に来られたのを覚えています。
平城時代のアレコレ
当時の平城には93式双軽・単軽二個中隊と、
新鋭95式戦闘機の一個中隊があり、 飛行将校の
中にはなかなかの酒豪も居られて、 正月ともな
れば官舎の庭伝いの年始廻りで、 彼処に羽織、
此方に袴とストリップをされる方もあれば、 門
前の旗竿を担いで行った方もありました。
またソ連空軍の交換将校モジャエフ中尉は我
が家の応接間で飛んだり跳ねたり賑やかなコサッ
ク・ダンスを披露し、 夏の夕方には父や私とテ
ニスを興じた事もありました。
冬の平城は零下10∼20度の寒さで、 スケート
昭和12年頃の父 (陸軍中佐) 平城時代
が体操の正課となり、 凍結した大同江には各校
のリンクが出来ました。 日清戦争で原田重吉が
打破った玄武門のあたり、 桜咲く牡丹台や、 乙
密台の秋月、 そして黒帆の石炭舟や筏の浮かぶ
大同江を納涼舟で下る夏の風趣もまた捨て難い
ものがありました。
ラジオに噛りついて、 ベルリンからの“前畑
頑張れ”のオリンピック放送に興奮し、 また京
城放送局からの父の講演を聴いたのもこの頃で
した。
満州公主嶺
首都新京から南に汽車で1時間、 満蒙の大平
原に位置する小都市で、 重爆の飛行第12聯隊が
駐屯し、 93式重爆から新鋭97式重爆に改編する
過渡期であった為、 応急的にイタリアから輸入
したイ式100型 (フィアット BR20) 重爆を使
用していました。 赤煉瓦の陸軍官舎附近は広々
とした大原野で、 放牧の羊群が長閑に草を食み、
程近い線路には満鉄の誇る超特急アジアが流線
型のスマートな車体を走らせ、 空には満航のユ
ンカース86型旅客機が往来していました。
13年と14年の夏休みと記憶しますが、 当時砲
兵大尉で陸大在学中の北白川宮永久王が一夏を
隣接する官舎で過ごされ、 隣家の我が家へも挨
拶に立ち寄られたので家中恐縮した事がありま
した。
14年の夏はノモンハン事件で日ソ両軍が衝突
し、 空中戦では我が95戦・97戦がソ連空軍のイ−
昭和12年北支;左端徳川好敏中将、 右端父
2008 MAY
15
15・16戦闘機を多数撃墜したものの、 地上戦で
は敵の機甲部隊に圧倒され公主嶺の戦車師団は
壊滅的損害を蒙りました。 母も眉をひそめて
“戦車隊の官舎の奥様方は軒並み未亡人になっ
てしまわれた”と嘆いていたのを思い出します。
第12航空地区司令官
ノモンハン事件の末期、 14年9月に父は第12
航空地区司令官 (航空兵大佐) として北満のハ
ルピンに転任し、 私も12月、 陸軍予科士官学校
に進みました。
その頃、 東京からハルピンまで特急を乗り継
いで片道3日半もかかりましたが、 料金は軍人
半額のお陰で19円位だったと思います。 今では
葉書1枚も買えない金額ですが、 当時の軍人の
俸給は“貧乏少尉”で70円、“やりくり中尉”
が85円、“やっとこ大尉”で115円位でしたから、
若し割引がなければ少尉殿の月給で往復する事
は不可能だったわけです。
その年の冬休みは僅か8日間で、 ハルピンに
は丸1日しか居れない計算ですが、 往復の汽車
の旅もまた楽しいので一応帰省しました。 昔、
伊藤博文が凶弾に倒れたハルピン駅のプラット
ホームに降り立ったのは15年元旦の早朝でした
が、 初めて経験する零下30度の極寒にはすっか
り閉口してしまいました。
元来、 ハルピンには革命で祖国を追われた白
系露人が多数住みついていましたが、 何故かタ
クシーの運転手にはロシア人が多かったのです。
そこで私も専攻中のロシア語を使ってみました
が、 相手が鮮やかな日本語で応答するのでとう
とう会話の練習を諦めました。 しかも運転手が
町名を間違えた為、 大分離れた所で車を降ろさ
れ、 家を探して歩く中に身体全体が凍えそうに
なったので、 慌てて灯りの点いている他人の家
に飛び込みストーブに当たらせて貰いました。
これも家人を驚かそうと到着日時を知らせなかっ
た茶目っ気の報いだったわけです。 我が家の雑
煮を食べた翌日は早くもハルピンを発ちました。
15年の夏休みは、 東京からハルピンへ帰省の
途次、 帳鼓峯事件の跡も生々しい満ソ国境の琿
春に廻り、 父の同期生で、 仙幼の前訓育部長、
後にマレー半島コタバルの上陸作戦に勇名を馳
せた佗美部隊長を訪問し国境の警備を見学、 そ
の宿舎で一夜を明かした事があります。
夏のハルピンはまた格別で、 旅情溢れるエキ
ゾチックな街でした。 洋々たるスンガリー (松
花江) を吹き渡る川風が楊柳の枝葉をそよがせ、
キタイスカヤ、 モストワヤ街のリラやアカシア
の並木は明るい緑に染まり、 時折中央寺院の鐘
の音がさわやかに聞こえてくるのです。
熊谷陸軍飛行学校監事
昭和15年 (1940年) は皇紀2600年に当たるの
で盛大な祝賀式典が行われ、 私共陸士の生徒も
代々木練兵場の観兵式に参加、 陸下の御前を行
進しましたが、 有名な海軍の零戦はこの年に制
式となったわけです。 翌16年3月、 東京市ヶ谷
台の陸士予科を卒業、 念願の航空兵科士官候補
生となった私は東満杏樹の飛行第33戦隊 (戦隊
長・原田潔中佐) に配属となりました。 当時の
飛行部隊はその機動性を高めるために、 従来の
飛行聯隊から地上部門 (飛行場施設の保安警備・
整備・通信等) を切離し、 空中部隊を中核とす
る飛行戦隊に改編されていたのです。
その年の7月、 父は8年間の外地勤務を終わ
り、 熊谷陸軍飛行学校監事に転じ、 私も6月か
ら豊岡 (入間) の陸軍航空士官学校 (56期) に
昭和16年熊谷陸軍飛行学校監事時代の父
16
2008 MAY
進みましたので、 我が家との距離が初めて外出
可能範囲に接近したわけです。
陸軍から逓信省航空局航空官へ
年末に至り大東亜戦争勃発、 我が国は本格的
戦時体制に入りましたが、 翌17年4月、 父は思
いがけずも航空局航空官として都城地方航空機
乗員養成所長に補任され、 8月、 予備役に編入
されました。 こうして父は軍から民間航空に移
行したのですが、“少なくとも少将進級と同時
に予備役”という予想に反して、 軍の階級は大
佐で終りました。
学歴偏重と技術者軽視の風潮は、 古来我が国
のあらゆる分野に浸透し、 軍に於いても例外で
はなかったようです。 海軍の大艦巨砲主義と同
じく、“軍の主兵は歩兵なり”とする思想が陸
軍を支配し、 大東亜戦争の重要な時機に航空作
戦を指導したのは、 飛行機を知らない地上兵科
の司令官や参謀達でした。 面白いことに米軍に
も同様の傾向があり、 空軍が独立したのは戦後
の事ですし、 戦前、 空軍独立を主張したミッチェ
ル少将は、 この意見を容れられず軍を退いてい
ます。
都城でのエピソード
17年の夏休み、 初めて都城に帰省した私は乗
員養成所を見学し、 また或る日、 一家揃って霧
島火山の高千穂峯に登りました。 その時たまた
ま上空に飛来した95式の練習機 (所謂赤とんぼ)
を目撃した父は苦笑いして、“選りに選って私
に見つかるとは不幸な事だ”と呟きました。 そ
の飛行機は規定された空域の外を飛んでいたの
ですが、 父の記憶に誤りがなければ、 そのパイ
ロットは戦後も民間航空の機長として活躍され
ています。 もっとも私共も南方の前線に赴任す
る時は、 試験飛行を兼ねて岐阜の空域を飛び出
し、 内地の見納めとばかり天橋立に飛び、 或い
は日本アルプスを越低空で縦走したりの腕白振
りを発揮していますから、 都城の赤とんぼにつ
いてもただ微笑ましい出来事として想い出され
るだけなのです。
翌18年5月、 航空士官学校を卒業、 陸軍少尉
に任官した私は、 鉾田陸軍飛行学校で軽爆の戦
技訓練を受け、 19年の春には99双軽を翔って濠
北方面に赴任しました。 戦局利あらず私の属す
る部隊もチモール島から、 セレベス・比島と後
退し、 中尉昇進直後の8月中旬、 同期の鈴木盛
雄君 (運航安全推進室調査役) と共に新設の飛
行第108戦隊中隊長を拝任、 台湾に帰来しまし
たが、 父も9月に航空局東京飛行場長 (現在の
羽田空港長) を命じられ、 羽田へ転任していま
した。
9月の中旬、 立川へ飛行機受領に出張した私
は、 整備中の余暇を利用して羽田に父を訪ねま
したが、 当時は燃料不足のためバスが運休して
居り、 蒲田駅から羽田まで歩いたのを覚えてい
ます。 羽田の支局はクリーム色の3階建てで、
戦後も一部を改造して現在のターミナルが出来
るまで、 管制塔や国際・国内線の待合室に使わ
れました。 その時、 此処で大庭哲夫次長を始め
何人かの職員にお会いしたように記憶しますが、
故松尾会長は当時課長として本局にお勤めだっ
た由、 後で聞きました。
斯くして悪戦苦闘の一年が過ぎ、 昭和20年
(1945年) 8月、 私共は終戦を迎え愛する翼を
失いました。
聞く所によると、 8月に入って筑後地方航空
機乗員養成所長を命じられた父はその日、 福岡
県八女へ赴任の途次で、 丁度広島を通過中だっ
たそうです。 それから2ヶ月間、 終戦処理に従
事した父は、 10月末、 依願免官の形で郷里の仙
台に帰りました。
パイロットとしての父の生涯はこうして幕を
閉じたわけですが、 飛行年数約30年、 飛行時間
は二千時間余り、 都城時代まで自ら操縦桿を握っ
ていたようで、 新しい方では98軽爆、 1式双練
あたりまで手掛けた事があるそうです。 終戦前、
従四位・高等官二等への昇任が内示されていま
2008 MAY
17
したが、 結局、 正五位勲三等に留まりました。
親子で公職追放
台湾で終戦を迎えた私は翌21年の春復員しま
したが、 大部分の日本人が経験したように、 そ
れからの10年程の生活は誠に惨憺たるものがあ
りました。 親子で公職を追放され、 就職の途も
なく、 親戚の6畳一間に親子7人雑魚寝の筍生
活が続きましたが、 貯金もインフレで霧消し、
前途に希望の無い日々を送りました。 それでも
父は3人の息子に将来悔いのないように人並み
の教育だけは受けさせたいと念じて、 知人の世
話で土建会社の倉庫番となりました。 私共もそ
の意を受けて、 妹は会社勤めを始め、 3人の息
子はそれぞれアルバイトをしながら、 月謝の安
い国立大学に通う事になったのです。
お世話になった松尾航空庁長官
そんな或る日、 東北地方の飛行場視察に出張
された航空庁の松尾長官が仙台駅を通過された
ので、 私も父と共にプラットフォームでお目に
かかりましたが、 秘書役の富永英麿氏 (現在の
長野機長) が随行して居られたのを覚えていま
す。 それがきっかけで、 その後上京の都度、 航
空庁に長官をお訪ねし、 民間航空の将来につき
御高説を承ったものですが、 大学卒業後、“東
京の方がチャンスを掴みやすいから”と久保田
鉄工東京支社に就職のお世話を頂き、 更に26年
夏、 日航創立と共に入社して再び大空を飛ぶこ
とが出来たのです。
考えて見ますと、 所沢時代の級友が、 呉服店
の息子は家業を継いで呉服店主となり、 魚屋の
息子は魚屋になっているのと同じように、 飛行
将校の息子が飛行将校になっただけの変哲も無
い父子ですが、 二代にわたってほぼ60年の日本
航空史の一端を歩み続けた……いや飛び続けた
と言うことになりましょうか。 そして私が初め
て操縦桿を握ったのは、 奇しくも父が現役を退
いた時期でした。
18
2008 MAY
恐らく草分け時代のパイロットでは父が一番
長生きした方だと思いますが、 死に目に会えな
かった私には未だ実感が伴わず、 フライトから
戻ると、“やあ帰ったか”とニコニコしながら
玄関へ出て来るような気がしてなりません。
死期を知っていたかの旅行好きの父の遺品
旅行好きの父は66才で富士山に登り、 また77
才で世界一周旅行をしましたが、 この数年は浦
和や京都に住む妹達の家庭を廻り、 京都・奈良
の遺跡を訪ねたり、 元軍関係者や民間航空関係
者の集まり、 或いは同期生会等に出席すること
を楽しみにしていたようです。 また日記は昔か
ら丹念に書き綴っていましたが、 最後の日付は
16日となって居り、 家系を詳記したノートや、
死亡通知の宛先を連ねたノート、 その他、 アル
バム類までがキチンと整理されていました。 そ
れはまるで自らの死期を知っていたような感じ
なのです。
21日の午後、 告別式を終えた父の柩は、 会葬
の方々や近所の人達に見送られ、 そぼ降る雨の
中に、 住み馴れた我が家を出て行きました。 ペ
ルーから駆けつけた末弟が間に合ったのはせめ
てもの幸いでした。 また折悪しく、 私の長男
(現日航機長・洋氏) は当日、 風邪で発熱とい
う最悪のコンディションで高校の入試に臨みま
したが、 どうやら志望校に合格出来ました。 こ
れも、 彼の祖父が前月、 京都の北野天神に合格
祈願をしてくれたお陰だろうと一同話し合った
ことでした。
葬儀や仏事の一切は、 70余名の捨て児を育て
“里親和尚”として有名な大磯正泉寺住職の斉
藤慶光権大教師が、 昔、 ハルピンの司令部に勤
務された御縁からお世話下され、“松寿院殿功
雲一道大居士”という破格の法号まで頂いて、
今父は桜咲く鎌倉霊園の一角で静かに眠ってい
ます。
終わりに
以上長々と私事を書き連ね誠に恐縮でござい
ます。 家人も強く反対し、 私も躊躇致しました
が、 敢えて投稿致しましたのは、 生前、 父に
“COCKPIT の為に何か航空界の昔話を書いて
欲しい”と頼んでおいたのが、 父の急死により
実現不可能となりましたので代わって筆を執る
気になった次第からでございます。 また不必要
な私の経歴を挿入したのは、 父子二代のパイロッ
トの時期的な相関関係を明確にするためで、 読
者各位が、 本文を単なる個人の伝記としてでは
なく、 大正・昭和初期の航空界にはこの様な出
来事があり、 またこの様な飛行機が飛んでいた
のかというような日本の航空裏面史の一節とし
てお読み頂けるならば望外の幸いでございます。
1. オリジナルの原稿から、 この2段組への
電子化作業は、 筆者のご子息 (現・日航
機長、 洋氏) にお願いしました。
2. 小見出しの追加、 挿入写真の位置、 文中
の用語の一部訂正、 削除、 および加筆を
おこないました。
3. 文中に出てくる松尾社長をはじめ、 多く
の先輩パイロット方々を、 懐かしく思い
出しました。
(KEN)
父・菱沼一略歴:
明治24年5月21日 宮城県仙台市生
仙台陸軍幼年学校 (9期) 陸軍士官学校 (24期)
大正元年12月 陸軍歩兵少尉任官 (歩兵少尉)
大正5年5月 所沢航空大隊 (操縦将校5期生)
大正9年末
大刀洗航空第4大隊中隊長 (大
尉)
大正14年8月5日
航空兵科創設、 航空兵大尉
昭和4年末
所沢陸軍飛行学校教官 (少佐)
昭和12年7月 飛行第6聯隊長 (軽爆、 中佐)
昭和14年夏
ハルピン第12航空地区司令官
(大佐)
昭和17年春
航空局航空官、 都城地方航空機
乗員養成所所長
昭和17年夏
予備役、 民間航空へ移る
昭和19年夏
航空局東京支局長・羽田空港長
昭和20年8月 本籍地・仙台へ帰郷
昭和52年2月18日死去、 享年85歳
正五位勲3等授与
飛行時間 約2,000時間
筆者・菱沼俊雄略歴:
大正11年9月30日 福岡県朝倉郡生
昭和14年11月 仙台陸軍幼年学校卒
昭和18年5月 陸軍航空士官学校卒 (56期)
同上
陸軍少尉任官
昭和18年6月 鉾田陸軍飛行学校乙種学生
軽爆コース
昭和19年4月 第4航空軍司令部付、 マニラ赴
任
昭和19年8月 台湾飛行第108戦隊中隊長 (中
尉)
昭和20年6月 同上、 大尉昇進
昭和20年8月 終戦
昭和25年3月 東北大学法学部卒
昭和26年9月 日本航空入社
昭和32年11月 ダグラス DC-4型機長、 DC6B、
DC7C、 CV880、 DC8、 B747機長
昭和57年9月 定年退職 (60歳)
昭和58年7月 航空同人会事務局長
「特攻隊戦没者慰霊平和祈念
協会評議員」 「航空発祥推進協
議会相談役」 その他、 陸軍航空
関係諸団体役員
正七位授与
総飛行時間 20,430時間(うち戦前2,050時間)
2008 MAY
19
航空機運航
と
地球環境問題座談会
2
主催:運航技術委員会地球環境問題分科会 2007年12月4日開催 JAPA会議室
Takeoff Phase
岩瀬:それではいよいよ離陸をしたいと思いま
す。 以前の座談会の記事の中にもある話題と
重複してもいいと思いますので、 離陸はこう
あるべし、 というようなことを是非お話くだ
さい。 では、 北村さん。
☆Merit の多い Reduced Takeoff Thrust
北村:Reduced Thrust を使うことは整備費用
の軽減、 ひいては整備のためのエネルギーを
節約し、 CO2排出の削減に結びつくと思いま
す。 ですから、 例えば羽田の RWY 16R の
離陸では、 Traffic Flow を乱さない状況な
ら Full Length を要求します。
岩瀬:堂園さんは?
堂園:Reduced Takeoff Thrust を可能なかぎ
り使っています。 ただ、 燃料消費ということ
で考えていくと、 Reduced Takeoff Thrust
の方が、 Burn off が若干多くなるというこ
とがあります。 空港周辺の騒音が厳しいとこ
ろであれば、 逆に大きい Thrust で早く高度
をとることを優先させる、 それと、 Intersection Takeoff すると Path が低くなりますか
ら、 若干騒音は大きくなりますが、 他の
Traffic がなく自分が先に離陸できるのであ
れば、 Intersection から出ることも多いです。
何を優先させるかは、 やはり Case by Case
ではないでしょうか。 何も考えずに飛んでい
る Pilot は、 たぶん、 昔に比べると圧倒的に
少なくなっていると思います。
岩瀬:Takeoff Thrust の Full Rating の下に
●文責 大塚
20
敬久
2008 MAY
いくつ、 Rating を持っていますか?
北村:2つです。 トリプルでは Full と TO-1と
TO-2。
岩瀬:それは-400も同じですか?
中島:一緒ですね。 Domes 機材は、 TO と、
TO-2、 TO-3。 3つは一緒ですね。
岩瀬:昔ある外国 Airline で、 許容される最大
25%の Reduced Thrust Operation をやり、
Takeoff 時 よ り 、 Climb の 方 が Thrust
Lever を Advance すると言っていました。
(笑)
堂園:そ れ は 弊 社 の 737 で も あ り 得 ま す 。
Takeoff Thrust 3つ、 Climb Thrust も3
つありますが、 Assumed Temp.でパワーセッ
トしますと、 Climb Thrust の方が大きくな
る場合があります。
☆Assumed Temperature Method
岩瀬:Assumed Temperature Method の概要
を図−1の概念図で説明すると、 実際の温度
で許容される最大の離陸重量より、 その時の
離陸重量が小さければ、 A点より横軸に水平
にB点まで線を引き、 垂線を降ろしたC点が
仮想の温度 (Assumed Temperature) とな
ります。 その点から上方に線を引き推力線と
交わるD点が、 Assumed Temperature にも
と づ く Reduced Thrust と な り 、 そ の
Thrust で離陸するという手法です。 性能は
Assumed Temperature を適用して求めます。
実温度のほうが低い分だけ TAS が小さく、
実際の離陸滑走距離は短く安全側になります。
(図−2線部分) 上昇角度も同じかやや大き
くなります。 この手法でエンジンの故障率を
下げることが出来ます。 (Assumed Temp.
Method の詳細は、 又の機会に紹介します。)
図−1
Assumed Temp. Method の概念図
図−2
離陸 Path の比較
増田:我社の-400もそれを最近、 導入し始めま
した。 Climb Thrust に限りなく近い感じも
します。 1,500ft で Climb Thrust になると
きの Reduction 量が、 少なくて Pitch 変化
がほとんどありません。
もう一つの利点は Naha から出発の1,000
ft Level Off も Thrust 変化が少なくて済む
ことです。 ただし、 Naha からの離陸の場合
はお客様が多かったり、 貨物が多かったりし
ますと、 あまり余裕がないのですが、 なるべ
くこの方式を使うようにしています。
☆環境に優しい Takeoff とは??
岩瀬:Noise Abatement Procedure の Takeoff Power の使い方ですが、 早く Normal の
Climb Speed に加速してしまう、 ということ
はありませんか?
全員:ないですね。
中島:実 際 、 Takeoff に 関 し て は Noise
Abatement、 1,500 Climb、 ICAO 方式です
ね。 定着して、 もうほとんど主流だと思います。
岩瀬:前の座談会のときに紹介したのですが、
Fuel Minimum が会社のポリシーで、 Takeoff Power で Clean-Up してしまう会社もあ
りました。 それから、 燃料が Minimum に
なるように Clean-Up するのは、 飛行機とし
ては、 エネルギー的には得をすることになり
ます。
北村:ルフトも早めに、 Noise が小さくなると
い う こ と で 、 Climb Power に し て 加 速 し
Clean-Up していましたよね。
中島:ただ、 あれも、 フランクフルトのケース
ですと、 1,000ft で Climb Power にする方式
でしたが、 結局、 ICAO 方式の1,500 Climb、
3,000 Acceleration の方が効果あり、 という
結果が出たようです。
Takeoff Power に関して言えば、 それぞ
れの Airline で、 滑走路長に余裕があれば、
それに応じた Takeoff Power の選定基準が
あり、 あとは Captain の判断。 性能上は、
今日は TO-2という3番目で上がれるけれど、
そのときの Weather などで一番大きい離陸
推力を選ぶ、 という Decision もあり得ると
思います。
☆SID について
岩瀬:離陸はこんなところかなという気がしま
す。 それで離陸と SID の関連で、 どうにか
して欲しいという話はありますか?
中島:高度の Restriction ですが、 これは空域
の問題で、 改善されれば無理をしなくて済む。
岩瀬:関東では Yokota を改善することですよ
ね。 羽田と成田が両方、 助かる。
☆管制官の苦悩
中村:高度制限を SID につけるか、 それとも
ATC が高度を In-Flight 中に Assign するか、
2008 MAY
21
というのは、 色々議論が分かれているところ
です。 要は何かあったときに、 高度を、 安全
担保のためにあらかじめ、 SID の中につけ
るべきだ、 という人もいるし、 いや、 そもそ
も外しておいて、 必要なときにつければいい
んじゃないか、 という話ですね。 Positive に
考えるか、 Negative に考えるか。
☆NRT RW 16からの Sekiyado Departure
北村:SID の改善に関する要望の第一は、 成
田 RWY 16R の SEKIYADO Departure で
すね。 34Lに較べると2,000ポンド以上も浪費
してしまう。 ですから、 お昼前後の欧州便が
片付くまでは、 なんとか RWY を34のまま
にしておいて頂きたい。 (笑) 運悪く Taxi
中に RW16に RWY Change になった時など、
「あ∼っ、 もう10分待ってくれたら………」
となるわけです。
中島:あそこは7,000ft で、 羽田の Arrival の
8,000ft と関係しましたね。
北村:欧州に向かう飛行機は総て RNAV 機能
を持っているはずですから、 それを活用した
SID の設定はできないものでしょうか。 現
実に管制官の方々がとても苦労されているこ
とは、 よく分かっているんですが。
中村:平成22年度に、 関東空域再編時に何とか
したいと考えているところですが、 残念なが
ら、 なかなか良い解決策が見つからないのが
現状です。
中島:成田のBランと同時に、 ということです
か。
中村:成田Bランの北伸は、 平成22年の3月予
定ですね。 また、 成田では、 将来南風時に何
とか同時出発できないかということも検討中
です。
北村:先ほど話したヨーロッパ行きが片付くま
では、 なんとか Active を34のままにしてお
いてほしいという要望も、 Bランの延長で可
能となります。 現在は B-ランがあまりにも
短いので、 Tail 成分が例えば、 5 kt、 7 kt に
なると、 767の中国線が離陸できない可能性
が あ る と 想 像 し て い ま す 。 B ラ ン を 16
22
2008 MAY
Departure、 Aランを34 Departure という離
れ業が出来ればと、 勝手な想像もしています。
☆RNAV SID の問題点
中村:RNAV SID を設定するときに Runway
End での Position Update の機能というの
が結構、 問題があるみたいですね、 IRU に
よっては、 できる機体とできない機体がある
ようです。 (End から1,000フィート以内であ
れば問題ないような機体もあるようですが)
中島:Position Update の機能のない機体では
Intersection Takeoff ができません。
中村:そうですね。 RNAV・SID の一つの課
題になっているのですが、 RNAV 導入当初
は、 RNAV (FMS) 適合機材との戦いにな
ります。
ま た 、 RNAV も 現 在 の RNAV1/5 か ら
Basic RNP 、 Advanced RNP 、 さ ら に は
RNP AR、 GBAS へと時代とともに進化し、
そのたびに適合、 非適合の混在による、
ATC Operation の混乱を避ける必要があり
ます。
☆遅い Gear Up
岩瀬:各会社の色々な種類の飛行機の離陸を見
ていて感じるのは、 日本の航空会社の Gear
Up は遅いですね。 数秒間余分な Drag を引
きずっています。 Critical な Weight で Engine Out になったときに、 あまりノンビリ
していると、 厳しい状況に陥るのではと気に
しています。 この間の燃料の無駄は、 ほんの
少しでしょうが騒音も増加しています。
☆最適 Flap とは?
山本:離陸のときの Flap Position って、 どう
なっているのですか?
岩瀬:通常2種類あります。
山本:それは、 Takeoff の Thrust によって、
変わるものですか?
中島:いや、 離陸滑走路が決まれば、 パイロッ
トが離陸滑走路長を考慮して、 どちらかを選
んでセットします。
北村:DC-10 は Flap の 離 陸 の 角 度 を 細 か く
Control できましたけれどね。
岩瀬:Variable Flap System ですね。 Takeoff
Filed Length が、 実滑走路長に対して目一
杯近づくことを嫌がらず、 浅い Flap 角度を
選んでやれば、 一番、 燃料セーブになるとい
う考えかたでした。 極端な例では、 Slat だ
けで Flap は使わない航空会社もありました。
日本航空では、 その機構を不作動にして2ポ
ジションで運用しました。 Slat の方は離陸
と着陸で角度が違いましたが。
山本:基本的には高揚力装置は、 機構的には形
状抵抗が少ないところを離陸の Position と
して使い、 着陸では抵抗は大きくても最大揚
力係数が得られる深い角度で使用するよう考
えて設計されています。 また、 高揚力装置は、
機体からでる騒音の原因のひとつですが、
MRJ では、 その原因を CFD で解明し、 で
きるだけ騒音軽減を図っています。
離陸で Pilot の方々がいろいろ考えてやっ
ておられる努力が、 Fuel Save につながるこ
とばかりだとよく判ります。
Climb Phase
岩瀬:そ れ で は Clean Configuration に な っ
てからの上昇の段階で、 何を考えて Operation しているかを紹介してください。
☆知識によってできる Fuel Save
北村:細かい話になりますが、 福岡から羽田な
どに向かう場合で、 上空の西風が強い時は、
早く高度を上げればそれだけ追い風を利用で
きることになります。 さらに ACC の管制官
は築城の Corridor を Clear できるタイミン
グを見計らって、 Short Cut の Clearance を
くれます。 つまり10,000ft を過ぎても、 しば
らくは250kt を維持したほうが効率的な場合
もあります。 福岡だけに限らず、 管制官は
「こうしてあげよう」 と待っていてくれるこ
とも多い。 それを Pilot が分かっているかど
うか、 空域の理解とか、 いつもどんな
Clearance がくるとかを知って、 工夫するこ
とでも燃料 Save は可能でしょう。
☆Best Altitude へ Climb していますか?
岩瀬:追い風はまさに有利に使えるわけだけど
も、 向かい風に関してね、 どこまで早く上がっ
た方が得だということが判断できるのか、 と
いうことはどうでしょう?
北村:JET の軸が大きく、 26,000ft ぐらいで
すでに100何十ノット吹いているという時に、
下で早く加速しておけば進出距離は稼げるか
ら、 結果的には時間も燃料もセーブできると
は思うんですけれども、 そうすると、 今度は
Vertical Wind Shear による Over Speed の
可能性があります。 また、 CAT に遭遇する
可能性も考慮しなければいけないので、 どこ
かで妥協するしかないですね。
岩瀬:昔、 私が経験したことですが、 羽田から
福岡へ行く便で、 Flight Plan の Optimum
Altitude は35,000ft か39,000ft でした。
実際には、 26,000ft 位で下を這っていった
所、 Flight Plan より消費燃料が少なかった
場合がありました。 そういうことを何故、
Dispatch 段階で考慮しないのかなと思って
いました。
中島:Pilot のことですか、 Dispatcher の話で
すか。
岩瀬:Pilot が 選 択 す る だ け の デ ー タ を Dispatcher が出してくれていますかということ
です。
中島:それは出ている場合と、 要求しないと出
ない場合と二通りある。 それでどっちかとい
うと、 要求しないと出てこないケースが多い。
例えば、 通常の Optimum が FL350/390の
ときに、 例えば、 FL270/290で風の弱いとこ
ろの Plan で時間と燃料出してよ、 というと、
出してくれる。 予め用意していてどちらにと
いう話には中々、 なっていません。
岩瀬:Cruising Altitude に対して、 言われた
とおり飛ぶことが、 Best ではないケースが
ありますよ、 ということを言いたい。
中島:たぶん、 便数からして、 個別に、 という
2008 MAY
23
のは中々難しいでしょうから、 一般的に、 そ
の Optimum な Plan を出さざるを得ないで
しょうね。 結局 Show-Up した Captain が選
択せざるを得ないでしょうね。
岩瀬:40年飛んで、 一回か二回くらいの経験で
すけどね。
増田:千歳からまだ、 伊丹にジャンボが飛んで
いたときに、 何かの都合で遅れ伊丹空港の門
限に厳しい時間になったことがあったんです
よ。 その時の Plan が35,000か39,000か、 そ
れくらいでした。 離陸してこのままでは門限
を1、 2分超えそうだなということで、 もう
勝 手 に 28,000 く ら い に し て い た ら 、 Dispatcher の 方 か ら 呼 ん で き て 、 「 28,000 で
Plan し直しました」 と。 あれはね、 私が思っ
ている意図と、 Dispatcher の意図がピッタ
リ合った。 うれしかったですね。 それで、 5
分くらい余裕を持って着けました。
Cruise Phase
☆Re-Trim は必要?不要?
岩瀬:さて、 Cruise に入りますと、 色々Pilot
が工夫できる部分が出てくると思うわけです
が、 Long Range を飛ぶ人ほど、 色々やって
おられるのかという気もしています。 その中
で Trim は、 常にある Interval で取り直し
ますか?
中島:燃料の Balance が取れている状態で、
Autopilot をはずしてやっているケースが多
いですが、 せいぜい2回くらいです。 Bunk
で交代しますので、 前半、 担当すれば Level
Off して落ち着いたところでとっています。
岩瀬:Trim Drag の話は、 もう Pilot として
は常識になっていますか。
全員:いや∼∼∼∼。
堂園:ちょっとイメージ湧かないんですけど。
737 の 場 合 で い く と 、 Rudder 以 外 に と る
Trim はありません。 Pitch は Autopilot が
入っていれば、 勝手にとってくれますので、
Rudder Trim だけ。 Pitch Trim というのは
ちょっとイメージが湧かない。
24
2008 MAY
岩瀬:長距離を飛んでいる大型機は、 3舵とも
Trim をとって、 Autopilot を Engage する
のが Best ですよと言いたいのです。
堂園:Pitch に関しては、 Autopilot が入って
いれば、 Autopilot が Stabilizer Trim をとっ
ていきますよね?Manual でとることの意味
が全く、 ないと思うんですが?
岩瀬:それは、 Autopilot ON で飛行中、 FCC
の Trim 回路は、 非常に小さな Elevator 入
力に対して、 Stabilizer を動かさない範囲が
あるということです。
北村:最新の Autopilot はその面でかなり進
歩しているのではないでしょうか。 巡航中に
Trim を取り直す人が少ないのは、 RVSM
では Autopilot を OFF にできないことが一
因かもしれません。 私はB777なので Rudder
Trim を取る時は、 Flight Control の Synoptic Page を開きます。 Flapperon の Position Indication を見ながら、 左右が同じに
なるように調整します。 Elevator の Indication はほとんど動いていないように思いま
す。
岩瀬:いま私が持っている資料は1998年の資料
なので、 777も導入されていた時代に作られ
た Cruise での Re-Trim の話として、 Elevator の舵角が残っているのは Drag ですよ、
ということが明確に書いてあります。 どの程
度増えるかは、 機種によって違うはずなので
小型機では量的に小さいと思います。
当然のことながら、 Trim をとるときには、
Auto Throttle System を解除して、 Manual で Engine の推力の Balance をとりなさ
い、 ということまで書いてある。 だから、 そ
の辺は全部、 機械任せにするということと、
Trim をとるということとは、 ちょっと別の
考えで、 ホントにその必要があるかというこ
とを、 今一度 Review してみた方がいいかも
しれない。
北村:B777の GE Engine などは左右の Balance がほぼ完璧です。 N1はもちろん、 左
右の EGT の差が2∼3℃のこともあります。
増田:Cruise 中の Trim はたぶん、 あんまり
取っている Pilot はいないかもしれない。 私
も Long Range の場合、 シベリアの上で一
回、 とるくらい。 そんなに頻繁には取ってな
いですね。
岩瀬:いま実際問題として、 その必要が無くな
りつつある、 みたいなものかもしれませんね。
増田:ただ機種によって、 特に Rudder Trim
に関してはズレル機体がどうしても出てきま
すので、 いつもと違うところにあると取り直
しますね。
☆Aft CG Control
岩瀬:-400は昔、 Tail の Horizontal Stabilizer
Tank がありましたが、 今はどうなっていま
すか?
中島:機材によってないものもありますし、 あっ
ても積んでいません。
増田:うちは状況によっては積みます。 まだ使っ
ていますね。
岩瀬:Aft CG 状態で、 ある時間飛行した場合、
実際の Fuel Flow、 あるいは Burn Off が、
影響を受けている、 という実感はありますか?
増田:Tail Tank を使ったケースは数回、 あり
ますけども、 効果のほどはわかりません。
岩瀬:効果を比較するのは難しいと思いますが、
同じ Gross Weight/飛行高度/外気温度、
で Tail Tank の Fuel の有無により CG が、
例えば5%違うとすれば、 5%ぶんの効果が
あると見ることが出来ます。
増田:具体的にはちょっとそこまで意識して見
たことはないですね。
中島:Stabilizer Tank は、 燃料セーブ的には
使いたいところですね。
☆PACOTS の Minimum Fuel Track とは
中村:Route 部分とは話が変わりますが、 環
境上の観点で燃料消費を抑えた方がいいのか、
定時性の観点から到着時間を優先するべきか、
という話もあります。 現在、 PACOTS (Pacific Organized Track System) は ATM セ
ンターで設計し配信しているのですが、 計算
機能は Minimum Time Track 優先なんです。
しかし、 環境を優先する時代が来るのだろう
から Minimum Fuel Track 優先という計算
機能を考えようというお話です。
中島:実際は Minimum Time Track が Minimum Fuel になると思いますが?
中村:多くの場合、 そのような結果になります
が、 飛行高度と高層風の関係から、 コンピュー
タが計算したトラックが相違するという結果
も稀に起こりえます。 例えば、 強い偏西風が
極度に南北に蛇行しているような場合、 その
追い風に最後まで乗った場合、 燃料消費が最
も少なくて済むような場合がありますが、 当
然、 経路長は Minimum Time Track より長
くなりが、 結果としてほんの少し遅く到着す
るというような場合です。
中島:たぶん、 違う要素としたら、 温度くらい
ですよね。 外気温度によって燃料消費が変わ
りますから。 ほとんどのケースは MTT で。
増田:計算をするときにベースとなるデータの
時間が違っていて、 そのデータが違うのかも
知れません。
シベリアのルートで時々、 会社によって取
るルートが違うときがあります。 それが
ECON Speed の差によるのか、 それとも、
取ったデータの差によるのかがわかりません。
同じルーとの時も多いのですが、 北と南に分
かれちゃうときがあるんです。
☆Non Standard Altitude
岩瀬:Cruise Speed を Constant Mach で飛ん
でいる機体はまだ残っていますか?
全員:ECON ですね。
北村:Non-Standard の高度をもらえる場合が
ありますが、 とても有難いですね。 わずか
1,000ft の差で Wind Factor が20kt 近く改
善されることもあります。
☆Cruise Portion なんか要らない !?
北村:伊丹⇒東京などの比較的短い路線でも、
Cruise Portion を作らないと気が済まない
人もいますが、 (笑) 私はドンドン FL290と
か FL310まで上がって、 大砲の砲弾みたい
2008 MAY
25
に飛ぶことがあります。 客室の Service のた
めに水平飛行が必要と言う人もいますが、
Climb と Cruise の Pitch はそれぞれ5度と
2.5度くらいですから、 客室乗務員は2.5度の
差なんて分からないでしょう。
全員:いやぁ、 分かりますよ。 (笑)
北村:たとえば後部の客室では、 飲物のカート
を Climb 中に一旦前方まで押していき、 後
方に戻りながらサービスしますよね。 ですか
ら Pitch の差が分かるかもしれませんが、 実
質的には影響しないと思います。 せっかく強
い追い風が吹いているなら、 それを利用しな
いなんてモッタイナイ!。 もちろん揺れのこ
ともあるので、 いつも上がるわけじゃありま
せんが、 もっと燃料を意識した高度選定があっ
てもよいでしょう。
☆Best な Step-Up は
岩瀬:通常は軽くなれば上がるという、 StepUp 方式。 それを Continuous に、 Block Altitude で最後まで、 あるところまで行って
しまう、 Cruise Portion なしでそのままズ
ウ∼ッと Climb Power だけで上がっていく、
という Operation をすると、 実は、 物凄く
燃料が余ります。 これは、 ATC 上は、 そう
いう要求が出ると、 応えるのは難しいわけで
すが。
大塚:Honolulu 線を飛んでいたころはやって
いました。 最近は貨物便でもやりました。
岩瀬:昔の話ですけど、 DC8-62で東京⇔San
Francisco でそれをやって、 6,000ポンドく
らい浮いたと聞いたことがあります。 重量的
にも一番効率のいいところを飛んでいきます
からね。
中島:Traffic がいて、 なおかつ、 自分の最適
な Step-Up を Plan していても、 前後に対し
て抑えられたりして、 逆に言うと上がれる時
に、 ちょっと無理しても早めに上がることは
あります。 というのは、 帰路の New York
線を飛んでいると、 南の方から Conversion
Traffic が一気に NOPAC の R220に入って
きまして、 先に上の高度を頂くことがありま
26
2008 MAY
す。
岩瀬:同じ方面の路線で、 自社の複数の便が飛
んでいてね、 大型機が下の高度にいて、 燃料
消費量が少ない機体が上にいる、 というのを
時々経験しました。 これは自社の中ではその
調整をしていない証拠ですが、 Total で考え
れば、 Fuel Save の面から言えば、 譲り合い
ということもあってもよいのではないでしょ
うか。
中島:普通は M.85で飛んでいますが、 前との
Separation の関係で、 どうしても上がれな
くなる。 その場合、 自分で ATC に M.80く
らいを Request して、 Separation を作って、
一気に上がっちゃう、 それはやったことあり
ますけどね。 一番、 困るのは東南アジアから
の直行便で Long Range、 成田よりも遠くか
ら来ているのは、 わりといい高度で飛んでい
ますよね。
☆日本の飛行機を優遇できない??
中村:それは国際的に重要な懸案事項ですね。
現在の ATC 運用上はどうしても既に飛行中
の航空機の高度を変更させてまで、 日本国内
からの出発機を優遇して経済高度を Assign
できないんですね。 しかし、 このようなこと
が続けば、 本邦航空会社はいつまでたっても、
損をするということから、 早急に国際 ATM
を確立して、 すでに米国の一部で実施されて
いる、 いわゆる予約制、 というような運用を
するべきだと思います。
岩瀬:報復をやられない程度に (笑)。 ホント
にあり得ますよ。
☆Anti-Ice Operation
岩瀬:Anti-Ice の問題ですが、 今はほとんど
の機体は自動的に入る機能がついていますが、
パイロットの判断で、 ON にしたり OFF に
したりできますか。
中島:できます。 しかし、 昔の感覚では Icing
Condition だと思われる状況でも、 自動的に
は ON になっていませんね。
岩瀬:そういう経験は、 在来機種の人には
Feed Back しているんですか?
中島:雑談の中ですることはあります。
岩瀬:ただ Icing をなめると、 いつかひどいしっ
ぺ返しを受けることになるのではないかと心
配です。
☆Maximum Cruising Altitude
岩瀬:さて、 737は、 Maximum Cruising Altitude はいくらですか?
堂園:最 初 の -200 は 35,000 で 、 次 の 世 代 が
37,000 。 今 の NG (New Generation) が
41,000。
岩瀬:Initial Cruise Altitude とか Maximum
Cruise Altitude の低い機種がありました。
燃料の面でも、 快適性の面でも、 日本の気象
条件の中ではパイロット泣かせです。 MRJ
がそうならないように祈っています (笑)。
最後に
岩瀬:あとは Descent から Approach、 Landing ということなのですが、 今日はこれくら
いのところで、 座談会として終わりたいと思
いますが、 なにかございますか?
☆Winglet の効用
堂園:離陸の部分での追加ですけども、 いまの
737の NG の場合、 いわゆる Winglet、 正式
には Blended Winglet と言うんですけれど
も、 これが、 他の機種の Winglet に比べる
と、 非常に大きい。 Winglet の効果は一般的
には燃料消費の節減ということが言われてい
るんですけれども、 Winglet 付きでない機体
と比べると Induced Drag が少なくなり上昇
角が大きくなって、 騒音値も小さくなります。
騒音値が下がることによって、 着陸料も下
がりますので、 いわゆる長距離を飛行するこ
とで得られる燃料節減効果に加えて、 一回一
回の離着陸において、 経費節減ができる。 こ
の消費燃料削減と、 Winglet を付けることに
よるコスト増と、 重くなることによる消費燃
料コストとのバランスの中では、 付けること
のメリットの方が明らかに大きいようです。
☆意識改革と会社の Policy
岩瀬:各 社 で 、 Crew に 対 す る Fuel Save の
Hint の本を出していると思いますが、 最近
はこれの Upgrade 版は出ているのか、 と聞
いたら、 「いやぁ、 出しておりません」 とい
う話でした。
航空会社としては、 Cost を下げるために、
いろいろな努力をしていますが、 運航面では、
パイロットができることはチマチマとしたこ
とばかりです。 例えば、 1分間無駄な Taxi
すると、 何ポンド損するということを、 知っ
ておいた方がいいのではないかと今でも思っ
ています。 先ほど北村さんの言われた、 意識
改革ですが、 視点の違いはあるでしょうが、
地球環境という課題ではパイロットも管制官
も共通の問題ですね。
中村:経済的認識は少し違うかもしれませんが、
管制官も結果的に Pilot と同じ認識だと思い
ます。 というのは、 Push Back した航空機
は早く離陸させて、 飛行時間は極力短くして、
早く着陸させてあげたい。 それが管制官とし
てもワークロードの軽減につながる。 業務負
荷が少ないということは、 より安全なんです。
ところで、 先ほど、 言い忘れたのですが、
一つだけ気がかりなことがあります。
RNAV っていうと、 なんかばら色の、 魔法
の経路のように一般の方は思われるかもしれ
ませんが。 騒音軽減と CO2 削減の観点では
相反する面もあるということです。
RNAV は任意の地点に設定できることか
ら、 住宅密集地域を回避することも可能です
が、 その場合、 飛行距離が逆に長くなる場合
もあり、 CO2増加の方向に傾きます。 例えば、
アメリカのワシントン空港などはポトマック
川の中心線に沿って、 RNP SAAAR という
経路を一部運用しているのですが、 これなど
は、 騒音軽減と CO2 増加の両面を持ってい
るのではないでしょうか。
ふたつの環境上の問題に関して、 どちらを
配慮するべきかの議論がわが国にも、 近い将
2008 MAY
27
来発生するような気がします。
もちろん、 これに加えて、 航空機の経済性
と定時性が加わって、 ますます渾沌とする事
態となる悩ましい問題であるような気がしま
す。
岩瀬:確かに航空会社の Policy として、 何を
優先させるか、 ということについて言えば、
安全が第一。 次の関心事が Economy。 地球
環境問題が2番目とならなければ、 企業とし
ての姿勢を問われる時代がくるのは目に見え
ています。 CO2の問題にどのように取り組む
かも明確に示すべきでしょうが、 現場のパイ
ロットにかなり任されているというのが現状
ではないでしょうか。
中島:エアラインの経営の関心事は、 燃料のこ
とですね。 要するにバレル100ドル近くにな
るような燃料では、 経営が非常に苦しくなり
ます。 さらに、 ヨーロッパでは CO2 に対す
る制裁金を航空会社から取ろうか、 という話
でますます大問題になるだろうと心配してい
ます。
岩瀬:話せばきりがない Subject ですが、 とり
あえず、 今日はここで終わりたいと思います。
次回は降下から Spot In まで。
【感想】
航空運送事業は、 掛け算の世界だと判ってい
るパイロットが集まっているからか、 いやー、
皆よくしゃべる!
パイロットも、 航空の持続的発展のために、
地球環境についてもっと真剣に取り組まなくて
はならない時代になったと実感しています。
【座談会出席者氏名・所属等】
氏
山本
中村
北村
中島
増田
堂園
大塚
岩瀬
名
一臣
英二
信一
清一
秀隆
正人
敬久
健祐
所属
JAXA
JCAB
JAL
JAL
ANA
ANK
JAL
JAL OB
担当機種
航空プログラムグループ
管制課
B777
B747-400
B747-400
B737-700
B747-400
DC-10
補足説明:
ジェット・エンジンの推力を調節する主たるコントロール・パラメターは、 EPR かN1ですが、
N1の方が主流となっています。 定格離陸推力 (Rated Takeoff Thrust) の EPR またはN1と、
OAT の関係を示すのが図−3/4です。 EPR はほぼ Net Thrust (Fn) (厳密には Fn/δ) に比
例します。 図−4の実線右肩上がりの範囲も、 温度に無関係に一定の推力なので Flat Rated
Range と名付けています。 これを、 右側の点線の目盛りのようにN1を修正すると、 EPR の図の
ように Flat Rated Range が水平の線となります。
図−3
28
定格離陸推力図 (EPR vs OAT)
2008 MAY
図−4
定格離陸推力図 (N1 vs OAT)
GA:ジェネアビ情報
小型機パイロットの同乗飛行
奥貫
今月のテーマはジェネラルアビエーションの
小型機運用における、 パイロットの同乗飛行で
す。 即ち、 機長の他に、 教育証明を所有しない
自家用、 事業用等のライセンス所有者が同乗し
て行う飛行です。 そのケースは、 大きく分けて、
以下に大別できると思います。
1. 機長単独での飛行には無理があり、 指導助
言等の補佐を必要とするケース
2. 機長単独での飛行に何ら問題は無く、 単な
る同乗のケース
更に、 個々のケースとしては、 以下のような
ものが考えられます。
・高性能でシステムが複雑な上級機への移行
・尾輪式等異なる操縦技術の機体への移行
・曲技飛行、 曳航飛行等、 未経験分野の練習
・未経験の型式の機体への移行
・グラスパネル等の表示システムへの慣熟
・新しい電子化システムへの慣熟
・600m 等狭い滑走路への慣熟
・外国ライセンス者の国内慣熟
・技量維持を必要とする者への補助
・遠距離航法等の補助
・単なる仲間同士での飛行
航空事故の中には、 経験を有するパイロット
が2人乗っていたにもかかわらず、 脚を上げた
ままの着陸、 燃料管理不良による不時着、 判断
不良による着陸の失敗、 あるいは航法の破綻等、
思い込みによる事故が後を絶ちません。 それら
を含め、 改めて、 小型機の自家用運航等におけ
るパイロットの同乗飛行について、 考えてみた
いと思います。
博
同乗パイロットの役割と責任
これまで、 同乗パイロットの役割と責任が語
られることは殆どありませんでした。
例えば、 飛行機で等級が陸上単発レシプロ機
の免許所有者であれば、 免許の上では最高級ク
ラスの単発レシプロ機のマリブや、 ボナンザ等
に機長として乗れる訳で、 全ての責任は機長に
あるのですが、 100馬力2人乗り、 あるいは160
馬力4人乗り等の機体でライセンスを取得した
だけでは、 それらの機体で飛べるかと言えば、
先ずは無理でしょう。
自家用操縦士の技量維持方策に係わる指針に
おいても、 最近の飛行経験の所には 「当該航空
機と同じ種類及び等級による……」 とされてい
ますが、 責任を持って飛ぶためには、 「同じ種
類及び等級」 のみでは無く、 当該型式又は同ク
ラスの機体での経験がなければ、 心配があるの
も事実です。
従って、 機長単独での飛行には無理があり、
指導助言等の補佐を必要とするようなケースに
同乗するパイロットは、 その機体に対する的確
なアドバイスと共に、 必要に応じた適切なオー
バーテイク能力が必要とされているもので、 右
席で、 完全に機体を扱うことの出来る、 教育証
明所有者相当の知識と能力が必要ということで
しょう。
また、 法的には機長ではない単なる同乗者で
あったとしても、 飛行安全については相当な責
任があると考えるべきでしょう。
2008 MAY
29
未経験の機体への慣熟
未経験の機体において、 最初に行うことは、
飛行規程、 オーナーズ・マニュアル、 及びチェッ
クリストを良く勉強することです。
最初が肝心ですから、 それらの理解の程度の
確認も、 同乗パイロットとしての重要な役割に
なります。
実際の機体では、 飛行前の確認を通じて機体
の各部を説明し、 理解していただき、 また漏れ
のない飛行前の点検について、 適切な助言を行
うことが必要でしょう。 そしてコクピットへ、
となりますが、 搭乗したら、 座席を最適な位置
にセットし、 ベルトを締め、 コクピットへの慣
熟として、 その時の見え方や手足の届き方等を
チェックします。
次に、 飛行規程、 オーナーズ・マニュアルに
書かれている内容を実際の機体で、 確認します。
細かい所まで、 隅々まで、 納得が行くまで確認
します。
最初は、 見慣れない機器の配置、 スイッチ、
警報等に、 相当なプレッシャーを感じるでしょ
うが、 見て、 触って、 理解を深める毎に、 プレッ
シャーが薄れてくることでしょう。
そのプレッシャーが薄まるまで、 十分な時間
をかけてコクピット慣熟を行い、 通常操作、 緊
急操作等、 全てのチェックリストを何度か流し
た後、 飛行規程の運用限界及び主要な常用速度、
パワーセット等を再確認し、 いよいよエンジン
複雑なシステムには、 指導と慣熟が必要
30
2008 MAY
上級機への移行訓練
スタートとなります。
上級機は、 先ずは速度が速くなりますので、
その備えが必要です。 制限速度を守っての脚上
げ操作や、 フラップ操作も、 よりシビアになる
でしょう。 計器が従来の機械式のものであれば、
飛行計器の基本的配置に変わりはありませんが、
電子式のものが装備されている場合は、 表示、
操作共、 きちんと理解していることが必要です。
それらの懇切丁寧なアドバイスと手助けも、
同乗パイロットの重要な役割になります。 良く
勉強していなければ勤まるものではありません。
助言とオーバーテイク
何らかの理由から、 機長の判断、 あるいは操
縦が不適切な状態となり、 そのまま放置すると
危険に近づくと判断された場合、 同乗パイロッ
トは、 安全確保の立場から、 タイミングを失う
ことなく、 先ずは、 助言と注意喚起を行なうこ
とが必要です。
それでも事態が改善されず 「このままでは危
険」 と判断される場合は躊躇することなく 「ア
イハブ」 等とコールし、 オーバーテイクするこ
とが必要になります。
このオーバーテイクは、 右席又は後席等、 機
長席ではないところで行うことになりますから、
実行に際しては、 右席又は後席操作の事前訓練
等、 それなりの備えが必要です。
プレッシャー
同乗パイロットの重要な役割のひとつに、 機
長にプレッシャーがかかり、 ワークロードが高
くなった場合の助言と協力があります。 このよ
うな場合、 操縦しながら様々な判断や操作をす
る機長は、 判断、 確認、 操作等にミスが発生し
やすい状態になります。
同乗パイロットは、 操縦していませんから、
落ち着いて事態に対処できるのですが、 実際そ
着陸前の助言等は特に重要
実際、 同乗パイロットの助言が行われずに、
あるいは手遅れで事故に至った例や、 不適切な
オーバーテイク操作で事故に至った例は、 時々
発生しています。
その多くは、 着陸等、 シビアな状況で発生し
ているもので、 事故調査報告においても、 「危
ないと思ったが、 機長が何とかすると思った」
といった類の同乗パイロットの感想が述べられ
ることが多くあります。
また、 ギリギリまで待って手を出したところ、
その動作が不適切で事故に至った例もあります。
右席と左席では、 一般的に、 左右の手が全く逆
になることが多いので、 気をつける必要があり
ます。 飛行規程にその様な場合に備えた、 右席
専用の動作の記述があっても、 とっさの場合の
身体の反応は別物ですから、 事前に機内で確認
するか、 右席での操縦慣熟フライトをしておく
等の、 注意が必要です。
また、 中には、 ブレーキ操作等、 オーバーテ
イクが出来ない操作もあります。 尾輪式の機体
への移行訓練で、 強くブレーキを踏まれ、 前方
にひっくり返ってしまう事例などはその典型で
す。 踏まれてしまったブレーキは、 オーバーテ
イクは不可能です。 そのときに大声を出して注
意しても、 耳から入った情報を理解して足まで
伝わるのには、 時間がかかり、 手遅れになりま
すから、 事前に十分説明し、 どうしようもない
事態にならないような備えとしての助言が特に
大切になります。
の場面になると、 機長と同様にプレッシャーを
受けてしまい、 冷静な判断が出来ずに、 事故に
至ってしまう場合があります。
このような場合に、 存在する現実の状況と、
操縦者の認識に不一致があると、 危険な状況に
近づくことが多いのですが、 大きなプレッシャー
を受けているパイロットは、 視野と思考が狭く
なり、 状況認識の誤りを起こしやすいのです。
同乗パイロットは、 操縦していない分、 注意
力を広く働かせ、 広い視野と思考で、 状況を正
しく認識し、 パイロットに適切な助言を行うこ
とが可能です。
お互いの安全のためですから、 遠慮をしては
いけません。 また、 機長の側にも、 その助言を
受け入れる心構えが無ければいけません。 要は、
二人の力を合せて、 困難に対処するしかないの
です。
楽しい同乗フライトにも役割分担は必要
2008 MAY
31
それも、 右席に有資格の、 経験豊富なパイロッ
トが同乗していたにもかかわらず、 チェックリ
ストの内容が実行されないところには、 更に大
きな問題があります。 右席のパイロットは、 事
故に至るのをただ傍観しているのみ、 と言われ
ても仕方がありません。
そこで、 右席にもパイロットを乗せてフライ
とする予定がある時は、 あらかじめ、 通常手順
及び緊急手順のチェックリストを2部用意して
おいて、 そのうちの1部を右席に渡しておくこ
とをお勧めしたいと思います。
仲間との楽しい同乗飛行
二人が、 同じ立場でプレッシャーを受けてい
ても、 全く違うことを考えていても、 いけませ
ん。 正しい認識を共有し、 対処の方策を、 力を
合わせて考え、 必要な作業を協力し合い、 それ
ぞれが分担して確実に実施する、 と言ったこと
が出来なければなりません。
自家用操縦士同士の場合、 助言する、 あるい
はそれを受け入れる、 と言ったことに慣れてい
ない傾向があります。
後になってから、 「ああすればよかった、 こ
うすればよかった」、 とならないよう、 同乗パ
イロットと機長の協力関係については、 よく考
え、 必要なことが実行できるようにしておく必
要があります。
チェックリスト
チェックリストの重要性については、 今更言
うまでもないでしょうが、 それが実行されずに
事故にいたる例が少なくありません。
脚下げ忘れ、 燃料管理の忘れ等は、 その最た
るものです。 緊急脚下げ等の手順が正しく実行
できないで、 胴体着陸、 と言った例もあります。
チェックリストを実行さえしていればと、 誰も
が思うところですが、 操作を忘れる背景には様々
な事情があって、 注意力がそらされ、 チェック
リストを取り出して確認することが実行されな
いまま、 事故に至ってしまうようです。
32
2008 MAY
右席の同乗パイロットに、 機長の操作をチェッ
クリストで確認していただき、 確実な実行を目
指そうと言うものです。 また、 万一、 異常事態
となって緊急操作が必要な場合は、 一気にワー
クロードが増加しますから、 右席に手順の読み
上げを依頼し、 手分けして対処することが可能
になります。
自家用で、 独りで飛ぶことが多い場合は、 こ
のように、 二人で力を合せて飛ぶことに慣れて
いないのですが、 チェックリストにより、 確認
し合って正しい操作を実行することは、 基本中
の基本なのです。
「パイロットが右席に同乗していたにもかか
わらず、 チェックリストの手順が実行されない
で事故に至った」 といったことは、 無しにしな
ければなりません。
航法と GPS
航法においても、 同乗パイロットの役割は多
くあります。 先ず最も重要な役割は、 現在地点
の確認と、 予定経路の安全確認、 情報確認であ
ろうかと思います。
計画した航法が順調に進行していて、 予定進
路に気象等の障害が一切存在しないなら、 何も
しなくても済むかもしれません。 GPS は、 常
に現在位置、 目的地への方位、 距離、 所要時間、
対地速度等を表示し続けますし、 また、 地図上
の位置が表示されるものもあります。
おわりに
事故報告を見ますと、 同乗者の役割の重要性
を再認識する事例が多くあります。
右席等にもパイロットが同乗して行う飛行に
は、 遠距離航法で着陸するごとに機長を交替し
て、 と言った対等な立場でのフライトから、 上
級機、 尾輪式機体への移行訓練等、 同乗パイロッ
トが指導者としての立場で、 技量を発揮しなけ
れば飛行が成り立たないものまで、 様々なケー
地点の確認は同乗パイロットの重要な役割
これに慣れてきますと、 機長も、 同乗パイロッ
トも、 極端な話、 何もしなくなる恐れがありま
す。 全て機械まかせと言う訳です。
そして、 状況が悪化してきますと、 問題が生
じます。 何もしていない状況から、 いきなり全
力発揮の航法が出来るかと言えば、 それは無理
と言うものです。 この日本は、 一部の平野を除
けば、 国土の殆どは山ばかりですから、 雲に囲
まれ、 頭を雲に抑えられますと、 大変なことに
なります。 GPS 情報は得られても、 安全な高
度まで上昇できない状況では、 GPS の示す方
向に進む訳には行きません。
このような状況に追い込まれ、 顔を見合わせ
て 「困った」 ではどうしようもありません。 機
長は、 VMC の維持と姿勢等の維持に集中する
必要があるでしょうから、 操縦していない同乗
者は、 地図上での現在地点の確認と、 修正経路
の選定、 地図上に線を引いての安全確認、 情報
確認、 更には、 修正進路の GPS へのインプッ
ト等々、 多くの作業を分担実施出来なければな
りません。 情報把握の無線コンタクトも必要に
なるでしょう。 それらを確実に実施するために
は、 同乗パイロットと言えども、 航法の全ての
準備を整え、 機長を補佐できる体制を整えてお
くことが必要です。
航法飛行での緊急事態においては、 機長は確
実な飛行諸元の維持、 同乗パイロットは、 航法
と情報収集に集中すると言った役割分担での協
力が必要と思います。
スがあります。
それぞれの状況によって、 同乗パイロットの
役割は異なりますが、 同乗する以上、 機長と共
に飛行安全のための努力をしなければなりませ
ん。 「機長ではないから」 といった、 気楽な立
場での同乗ではなく、 同乗する以上は 「力を合
わせて安全確保」 でなければなりません。
とはいえ、 もう40年近くも飛んでいますが、
ライセンス取得時も、 その後も、 小型機の自家
用操縦士が同乗する場合の、 力を合せて飛ぶこ
との重要性や役割等について教わったことは、
先ずありません。 その結果、 同じような事故が
繰り返されているのが現状です。
パイロットが2人同乗しているのに、 脚下げ
忘れ、 燃料管理忘れ、 緊急操作不適切、 航法破
綻等の事態にならないよう、 同乗パイロットの
役割について、 もう一度考えていただきたいと
思います。
確実な同乗訓練が必要な高級単発機
2008 MAY
33
GA 部会活動報告
FAI 方式着陸競技の試行
奥貫
FAI 方式の着陸競技には、 精密飛行競技の
着陸競技と、 ラリー飛行競技の着陸競技があり
ます。 それぞれの内容は以下の通りです
1. 精密飛行競技の着陸競技
①
②
③
パワーを使用したノーマル着陸
パワーアイドルによる滑空着陸
パワーアイドル、 ノーフラップ、 ノースポ
イラーによる滑空着陸
④ パワーを使用した、 2m 障害越え着陸
競技着陸採点区域は72m×12m で、 手前か
ら25m の所に、 前後幅2m の、 ペナルティゼ
ロの部分があります。 その前後各20m の部分
は1m 刻みで接地位置を採点します。 その外
側は5m 刻みでの接地位置採点です。
博
飛行競技の着陸競技としました。
3. 着陸競技の内容
着陸競技の内容は、 以下のものとしました。
① 通常着陸を FAI ラリー飛行競技の着陸競
技の実施要領及び採点基準で実施。
② 滑空着陸は従来方式の360度滑空着陸とし、
接地位置及び採点は FAI ラリー飛行競技の
採点基準で実施。
2. ラリー飛行競技の着陸競技
①
パワーを使用したノーマル着陸
競技着陸採点区域は52m×12m で、 手前か
ら10m の所に、 前後幅2m ペナルティゼロの
部分があります。 その手前10m の部分は5m
刻みで接地位置を採点。 ペナルティゼロの部分
の先は5m 刻みで20m まで、 更にその先は10
m 刻みで接地位置を採点します。
着陸競技としては精密飛行競技の方が充実し
ているのですが、 2m 障害越え着陸は、 練習
環境が無い事、 及び1m 刻みの接地位置判定
には特殊な測定装置が必要なこと等から、 実施
には無理があるとして、 今回の試行は、 ラリー
34
2008 MAY
FAI ラリー飛行競技の着陸競技の内容は以
下のものです。
① 着陸競技は通常フルストップランディング
として実施。 但し、 1つの競技の中で2回の
着陸が予定される場合は、 中間の着陸はタッ
チアンドゴーとしても良い。
着陸競技は、 ノーマル着陸として実施。 エ
ンジン出力、 フラップ、 スポイラー及び横滑
りは、 任意に使用してよい。
③ タッチダウンは、 両方の主車輪の接地によ
るものでなければならない。 但しチーフジャッ
ジが 「横風条件」 を宣言した場合は、 風上側
の主車輪から接地してもよい。
④ 前輪は、 どちらかの主車輪が接地するまで、
地面から離れていなければならない。 尾輪式
の飛行機は、 尾輪が水平より下がった状態で
着陸しなければならない。
⑤ ペナルティの点が異なる他の領域にまたがっ
て接地した場合は、 大きい方のペナルティが
適用される。
⑥ タッチダウンの後、 2つ以上の着陸エリア
にまたがって、 全ての車輪が地上から離れて
ジャンプした場合は、 バウンシングと判定さ
れる。
⑦ 尾輪式機体の三点接地の場合は、 主車輪位
置を測定する。 主車輪の接地位置と尾輪の接
地位置が、 主車輪と尾輪間の距離+5m 未
②
満であれば、 主車輪の接地位置を採点の対象
とし、 それを超える場合は、 尾輪の接地位置
を採点の対象とする。
⑧ 横風成分が8Kt を超える場合は、 横風状
態と宣告される。 風向風速は適切な設備によ
り、 ペナルティゼロ区域近傍の、 高さ2メー
ターの位置で測定され、 各航空機のタッチダ
ウン毎に記録される。 チーフ着陸ジャッジが
横風の存在を確定し、 無線で乗員に知らせる。
横風成分が15Kt を超える場合は、 着陸競技
はキャンセルとなる。
⑨ 着陸競技採点の際の追い風成分は5Kt 未
満とする。 追い風成分が5Kt を超える場合
は、 着陸滑走路をチェンジするか、 又は、 着
陸競技をキャンセルとする。
⑩ 異常な着陸は以下のものとする。
a) 前輪からの接地
b) 横風なしの着陸にて、 主輪が一度接地し
た後タイヤ径以上地上から離れた状態。
c) 宣告された横風状態での、 風下側の主車
輪からの接地で、 風上側の主車輪が、 タイ
ヤの直径以上地面から離れている場合。
d) 車輪以外の航空機の部分の接地
e) 接地位置直前でのフラップの格納および
(または) スポイラーの操作
f) 車輪がロックした状態での接地
g) 前輪が接地した状態で、 主車輪が地面か
ら離れた場合。
尚、 異常な着陸に対するペナルティは、 接地
位置のペナルティに加算されます。
4. ペナルティ
①
接地位置のペナルティ
着陸区域は長さ52m×幅12m で、 手前から10
m の位置に、 前後幅2m のペナルティゼロの
基準位置があります。
着陸区域内における接地点のエリアとペナル
ティの関係は、 下図のように定められています。
着陸区域と接地位置のペナルティ
2008 MAY
35
その他のペナルティは以下の通りです。
ペナルティの対象
ペナルティ
着陸区域外への着陸又は逸脱
接地後、 着陸区域内でのエンジンパ
ワーの増加
200
50
接地のないゴーアラウンド
(指示された場合を除く)
200
接地後のゴーアラウンド
(指示された場合を除く)
200
指定された滑走路に着陸しなかった
場合
300
異常な着陸 (他のペナルティに加算)
150
競技提出書類の提出遅延
300
指定周波数の聴取義務違反
200
滑走路への接地目標のマーキング
5. 着陸競技の準備
着陸競技は、 NPO Super Wings の準備及び
調整により、 九州南端の枕崎飛行場を利用して
実施されました。 滑走路は長さ800m×幅25m、
方向は18/36、 標高は171Ft です。 枕崎空港は
市が管理する公共飛行場ですが、 定期便/不定
期便等の運航はありませんから、 今回のような
着陸競技の実施が可能となったものです。 この
ような環境は、 日本でも少ないため、 快く利用
させていただけたことには感謝をしています。
競技会は、 滑走路への着陸区域のマーキング
から始まりました。 先ずは、 気象データ等から、
当日の風を見極め、 使用滑走路を決めます。 次
に、 巻尺で寸法を測り、 白いテープで、 マーキ
ングをして行きます。 ペナルティ・ゼロの基準
36
2008 MAY
採点用マーキングが完了した滑走路
位置は、 着陸進入中に良く見えるよう、 前後幅
2m の白い帯にしておきます。
マーキングが完了したら、 各ペナルティ・エ
リア毎の滑走路脇に椅子を置き、 接地位置の判
定員を配置します。 ペナルティ・ゼロの基準位
置には、 審査委員長と記録担当が陣取り、 記録
用紙を配置してこれで準備は完了です。
準備について、 厳密に言いますと 「風向風速
は適切な設備により、 ペナルティ・ゼロ区域近
傍の、 高さ2メーターの位置で測定され、 各航
空機のタッチダウン毎に記録される」。 とあり
ます。 今回は、 飛行場の吹流しがすぐ近くにあっ
たことからこれで代用し、 競技用風向風速測定
用の機材等は設置しませんでしたが、 若干の差
異が感じられることもありましたから、 吹流し
は着陸区域の真横に設置したほうが良いでしょ
う。
6. 競技の実施
競技は2名のパイロットの互乗で行われまし
た。 これは外部の見張り、 危険状態の助言、 機
内での不適切な操作、 滑空着陸でのパワー操作
等の違反行為の監視のためのものです。
競技に熱中するあまり、 一般的な注意の不足
や、 無理な行為等の危険があっては、 ならない
のです。
今回は、 初めての FAI 競技の着陸区域への
着陸でしたから、 最初に、 従来からの360度滑
空着陸を行い、 目が慣れたところで、 FAI 方
7. 競技の成績
着陸を審査する高橋競技委員長
式の着陸競技を実施しました。
進入中の機体から見る前後52m の FAI 競技
の着陸区域は、 思ったよりも小さく見え、 皆さ
ん、 力が入りすぎたようです。
従来の競技会では、 前後25m の満点エリア
に、 難なく接地させていたのですから、 それと
同じに考えれば高得点が狙えたはずなのですが、
そうはいかなかったようです。
特に、 接地基準点の手前側は、 わずか10m
で着陸区域外になり、 一気にペナルティ200の
領域になってしまいますから、 このプレッシャー
が大きかったようです。
狙いとしては、 着陸区域外手前側から10m
のペナルティ・ゼロの基準点よりも、 前後52m
の着陸区域の中央、 ペナルティ30のあたりを狙
い、 力を抜いて構えた方が、 良い得点が得られ
るかもしれません。
接地ターゲットを通過する競技機
競技が無事に終わってみれば、 優勝者の原田
さんの成績は、 着陸2回とも、 基準点超過5m
以内という高得点でした。 2位の三好さんは2
回とも良い位置に接地と見えたのですが、 接地
点の監視員からは、 着陸区域の手前で、 わずか
に地面に触れたとのこと。 その結果、 「ペナル
ティが異なる領域にまたがる接地は大きい方の
ペナルティを適用」 のルールに従い 「着陸区域
外への着陸」 の判定となりました。 本当に微妙
なところでした。
着陸競技優勝者の原田さん
同じような例では、 着陸区域内の良いところ
に一度着陸接地した後、 わずかにタイヤが地面
から離れ、 それはほんの数 Cm なのですが、
着陸区域外に再接地というものもありました。
この場合も 「ペナルティが異なる領域にまた
がる接地」 のルールで、 「着陸区域外への着陸」
となりましたが、 この辺の微妙な扱いについて
は、 多少疑問を感じるところもありましたから、
FAI のジェネラルアビエーション競技の担当
者に聞いてみることも必要かと思います。
また、 接地直前に、 大きな姿勢変化を伴う無
理な修正操作を行い 「異常な着陸」 のペナルティ
を適用した例がありました。 狭い場所への安全
確実な着陸がこの競技の目的ですから、 無理で
危険な操作を伴う着陸は、 当然減点の対象とな
るべきで、 この辺の判定の基準的なものについ
2008 MAY
37
ても、 例えば 「スレッシュ・ホールドを過ぎた
後、 30度を超えるバンクの修正操作は減点」 等、
ある程度の基準を設けておいた方が良いかもし
れません。 この件も、 機会があれば、 FAI の
方に聞いてみたいと思います。
8. おわりに
今回の競技会は無事に終わりましたが、 今後
に向けての課題は、 細部にわたる実行要領の確
立と、 競技参加者の増加であろうかと思います。
着陸技術の維持向上に極めて有意義な競技会で
すので、 より多くの人の参加による、 様々な機
種での競技の実施が望まれます。
また、 今回試行した着陸競技は、 ラリー飛行
競技の一部として実施されるものですから、 国
内でのラリー飛行競技の実施についても、 検討
が進められるべきでしょう。
ラリー飛行競技の目的は以下のものです。
① ベーシックな機器による航法能力の向上
② 正確な経路、 時間の維持能力の向上
③ 航法中の地上目標確認能力の向上
④ 狭い場所に正確に着陸する技術の向上
今回の試行は、 ④の着陸競技のみです。
合計3フライトでの成績を競いますが、 1日
に2回の航法テストを行う場合の合計飛行距離
は200nm 以下とされています。 各レグの長さ
は5∼20nm です。 コースへの地上目視ターゲッ
トの設置等様々な課題があると思いますが、
FAI のジェネラルアビエーション競技経験者
の助言を得ながら、 今後の課題として考えて行
きたいと思います。
さて、 これらの競技の実施に際して、 先ず問
題になるのは競技の実施環境でしょう。
特に、 離着陸場ですが、 滑走路へのマーキン
グ及び接地位置採点者の滑走路脇への配置が必
要になりますから、 一般の飛行場での実施には
無理があります。 従って、 今回の枕崎空港や、
以前、 競技会を実施したことのある大分県央空
港、 あるいは各地の小型機用飛行場や、 場外離
着陸場等、 競技に専念できる環境を提供してい
ただける場所での実施が必要になります。
今回の競技は、 試行と言うことでしたが、
FAI ラリー競技の航法のフライトは、 10∼
16レグの80∼120nm のコースで行われます。
NPO Super Wings の努力と呼びかけにより実
現し、 特に大きな問題もなく実施可能なことが
確認できました。 また参加者は、 競技の難易度
に対して、 従来以上の手応えを感じていたよう
でした。 当面は、 枕崎空港等を候補として FAI
方式の着陸競技を定着させ、 競技参加者の輪を
広げていくことが目標になるでしょう。
今回の利用させていただいた枕崎空港
競技環境として最適な枕崎空港
38
2008 MAY
小型機操縦技術競技会
着陸競技結果
実施日時
実施場所
滑走路
H20.3.8
枕崎空港
18
10Km 以上
30.25in-Hg
横風条件
降水等
参加人数
非該当
なし
13人
風
向
風
120−150°
速
2−3Kt
視
程
QNH
ペナルティ
順位
氏
名
機
体
通常着陸
360度
滑空着陸
その他
合
計
特
記
事
項
1
原田
茂
FA-200
10
10
20
2
三好
恒紀
FA-200
30
200
230
軽微なバウンシング
3
熊谷
光剛
FA-200
40
200
240
通常着陸優先で3位
4
T. S さん
FA-200
200
40
240
−50m
5
K. S さん
FA-200
60
200
260
+10m
6
K. T さん
FA-200
60
200
260
+100m
7
M. K さん
FA-200
70
200
270
ゴーアラウンド
8
T. M さん
C-172
70
70
290
危険を伴う着陸操作
9
T. O さん
FA-200
200
200
400
+5m/−30m
9
K. F さん
FA-200
200
200
400
+100m/−20m
9
K. Y さん
FA-200
200
200
400
−120m/−100m
9
T. K さん
FA-200
200
200
400
接地後バウンシング
9
M. N さん
FA-200
200
200
400
接地後ポーポイズ状
150
備考:
1. 通常着陸の競技は、 FAI ジェネラルアビエーション・ラリー飛行競技の、 着陸テストの実施要領と採点
基準に従い、 試行的に実施した。
2. 360°滑空着陸競技は、 従来から行われている競技の要領を使用し、 採点基準のみ、 FAI ラリー飛行競技
の、 着陸テストの方式を使用して実施した。
3. 危険操作、 不正操作等監視のため、 競技は、 セーフティ・パイロット同乗にて実施した。
4. 接地位置の判定は、 滑走路横に配置した判定員の目視で実施した。
5. 審査委員長と補助者が、 危険を伴う無理な着陸操作と判断した場合は、 異常な着陸としてのペナルティ
(150) を適用した。
6. 競技は、 一部に危険操作と判定されたものがあったものの、 安全かつ円滑に実施され、 実施上の大きな
問題はなかった。
7. 採点においては、 タイヤ径以下の軽度なバウンシングの後、 良い位置に再接地した場合、 及び、 良い位
置に接地した後、 バウンシングでエリア外に再接地した場合の扱いに課題が残った。
(今回はペナルティの異なるエリアにまたがる着陸として、 大きい方のペナルティを適用した。)
審査委員長
高橋
眞
(JAPA/FAI General Aviation Commission Japan Delegate)
H20.3.8 JAPA
奥貫
博
2008 MAY
39
初級エアロバティックス飛行競技会・結果報告
FAI エアロバティックス競技採点方式試行
FAI 方式着陸競技の試行の後、 引き続き、
初級エアロバティックス (曲技) 飛行の競技会
が、 FAI エアロバティックス競技採点方式試
行にて実施されました。
規定課目は、 あらかじめ PILOT 誌の1月号
で公開された、 下図のものです。 課目は、 以下
の要素を含むように構成されています。
・ループ (宙返り)、 1/2ループ
・ロール (横転)、 1/2ロール
・スピン (きりもみ)
・垂直ライン (上昇・降下)
・45度ライン
また、 以下の点を考慮しました。
・背面飛行装置の無い機体での実施
・2000Ft 以内の高度ロスでの実施
・同一方向の往復での実施
・前後1Km の範囲内での実施
採点は FAI 競技会の方式とし、 課目ごとの
基準得点に達成率を掛け、 ポジショニング、 ペ
ナルティ等を加えて合計得点としました。 採点
は FAI の ジ ャ ッ ジ の 資 格 を 持 つ FAI
Aerobatic Commission Japan Alternate Delegate の鐘尾みや子さんが担当されました。
エアロバティックス競技中の FA-200
さて結果ですが、 着陸競技優勝の原田さんが
エアロバティックス競技も絶好調で、 全ての演
技を若干の方向誤差程度にまとめ、 85%の達成
率で見事に優勝されました。
2位は熊谷さんで、 スピンの入りと、 ハーフ
キューバンエイトのロールに少し減点要素があっ
て惜しくも2位となりましたが、 見事な演技で
した。 3位の管さんは、 ハンマーヘッドの上昇・
降下姿勢と、 スピンの入り方に減点要素があり、
若干の方向誤差も減点要素となって、 3位にと
どまりましたが、 よい演技でした。
以下の3選手は、 いずれも実力者なのですが、
今回はなぜか不調で、 得点が伸びませんでした。
この辺も、 競技の厳しさであり、 また楽しさと
言えると思います。
何はともあれ、 FAI エアロバティックス競
技採点方式の試行で行われた初級エアロバティッ
クス競技会は、 大きな成果と手応えを得て無事
に終了しました。 ジャッジ担当の鐘尾さん、 あ
りがとうございました。
順位
1
2
3
4
5
6
初級エアロバティックス競技規定課目
40
2008 MAY
選 手
原田
茂
熊谷 光剛
管
聖
高崎 克也
三好 恒紀
福田 活夫
得 点
646.0
604.5
508.0
380.0
364.0
209.0
達成率(%)
85.0
79.5
66.8
50.0
47.9
27.5
初級エアロバティックス競技の結果
◎ 特別寄稿
いつか?は救える!
救命講習会の受講体験記
航空安全委員会 志鳥
學修
はじめに
JAPA の航空安全委員会 (根本裕一委員長)
では、 平成19年度の対外活動の一環として東日
本支部と共催で救命講習会を実施した。 平成20
年2月8日午後2時から6時まで4時間にわた
り、 調布飛行場の旧東京都空港事務所で開催さ
れた。 以下において、 「普通救命講習会」 の概
要を体験記としてまとめてみたのでお読みいた
だければ幸いである。
調布飛行場で開催された 「普通救命講習会」
JAPA 主催の救命講習会
今回の救命講習会は、 東日本支部の石井清支
部長 (共立航空撮影) と航空安全委員会の松浦
晃委員 (日本エアロテック) が協力して企画と
広報活動および講習会場の手配を担当していた
だき実現したものである。 また、 講習会の実働
支援部隊である東京消防庁との連絡・調整を航
空安全委員会の伊藤勇一委員 (東京消防庁航空
隊) と榎本洋孝委員 (東京消防庁航空隊) が担
当して下さった。 会場のスペースの都合から、
当初は講習会参加人数を15名程度で予定してい
たが、 希望者が多数にのぼったために予定を変
更して25名に限定させていただき実施した。 講
習会場は、 調布飛行場のプレハブ造りの旧東京
都空港事務所2階会議室を借りて実施された。
伊藤委員と榎本委員による調整の結果、 東京
消防庁調布消防署から10名ほどの指導専門の隊
員が訓練機材を搬入し講習会場の設営、 訓練機
材の準備をして下さった。 なお、 受講者全員に
配布された講習テキストは JAPA の財政援助
によって提供されたものである。
基礎知識に関する講習
講習会では初めに、 東京救急協会の応急手当
教育指導員の南雲勝氏によって基礎知識につい
て約2時間の座学が実施された。 南雲指導員は、
東京消防庁 OB で救急救命の専門家であったそ
うである。 私共が普段なんとなく持っていた救
命に関する知識がいかに曖昧であったか、 座学
を受けて初めて認識することができた。 いくつ
かの事例を以下に紹介してみよう。
最初に、 「救命処置」 とは、 傷病者の命を救
うために行う 「心肺蘇生」 (CPR:Cardio Pulmonary Resuscitation)、 「AED を用いた除細
動」 および 「気道異物除去」 の3つの処置を指
すそうである。 こうした処置は救急隊員や医療
従事者でなくとも、 その場に居合わせた市民
2008 MAY
41
(By-stander) でも行うことができるのである。
AED と は 「 自 動 体 外 式 除 細 動 器 」 (Automated External Defibrillator) の略語であり、
心臓機能が麻痺しているときに、 電気ショック
で心臓の細動を除く機器である。 現在5種類の
AED が薬事法の承認を得て、 市販されている
そうである。
第2は、 救命処置の対象となる傷病者の年齢
区分が、 普段私たちが持っている常識とは異な
る点に驚かされた。 すなわち 「成人」 とは満8
歳以上の年齢であり、 法律上の成人に該当する
満20歳以上ではないのである。 「小児」 とは1
歳以上8歳未満を指し、 「乳児」 とは1歳未満
に分類されている。 これらの年齢区分は、 救命
処置の内容の違いから区分されているそうであ
る。 今回、 私たちが受講した 「普通救命講習」
は主に 「成人」 である満8歳以上の傷病者を対
象にしている。
第3は、 事故や病気や災害による傷病者の早
期救命処置の必要性について理論的な根拠が示
され説明を受けた点は大変参考になった。 フラ
ンスの救急専門医である M. カーラー博士の
「救命曲線」 を用いて、 早期救命処置が遅れ心
臓停止後3分、 呼吸停止後10分、 多量出血後30
分を過ぎると各々死亡率が50%を超えてしまう
ので、 早期の救命処置が是非とも必要になるこ
とが理解できた。 最近、 救急車が出動要請を受
けてから現場に到着するまでの全国平均時間は
6分から7分かかるそうである。 心臓停止や呼
吸停止に対するバイスタンダーによる早期の救
命処置の必要性が痛感された次第である。
第4は、 早期の救命に必要な 「救命の連鎖」
(Chain of Survival) の重要性が説明された。
「救命の連鎖」 とは 「早期の119番による救急出
動要請」、 「早期の心肺蘇生処置」、 「早期の除細
動」 そして 「2次救命処置」 である。
この4つの救命対応行動の連携・連鎖がなけ
れば有効な救命活動が展開できないのである。
4つの 「救命の連鎖」 の1つでも途切れると救
42
2008 MAY
命効率は急速に低下するそうである。 今回の
「普通救命講習会」 を受講する意義は 「救命の
連鎖」 の内の第1から第3までの鎖を確実にマ
スターすることができる点にあるといえよう。
救命処置の実技講習
心肺蘇生の実技講習は、 受講者25人を5人ひ
と組の5班に編成し、 各班に2名の消防隊員が
指導員として付き、 実技指導が行われた。 実技
講習には、 人体と同じ機能を備えたダミー (上
半身だけの人形) が班毎に与えられ、 また全員
に感染防止用ビニール・シートが付いた人工呼
吸用マウスピース (逆流防止弁付) が配布され、
これらを用いて実施された。 その要点を、 以下
において順を追って紹介しよう。 (なお、 重要
な箇所については誤った知識や手順の記述を回
避する必要からテキストの文章を引用して記述
することを予めお断りしておく)
第1は、 災害・事故・病気による傷病者を救
護する前に、 現場周囲の安全の確認が重要にな
る。 二次的災害から救護者と傷病者の双方を守
るための措置であり、 危険と判断される場合は
安全な場所への移動を行うことが重要である。
第2は、 傷病者の反応の確認である。 傷病者
の肩を叩きながら、 耳元で 「大丈夫ですか」、
「どうしましたか」 などと呼びかけることであ
る。 目を開けたり、 手を動かしたり目的のある
仕草があれば 「応答あり」、 これらの反応がな
ければ 「応答なし」 と判断できる。
第3は、 反応がないと判断した場合には、 周
囲に向けて大声で 「人が倒れています、 だれか
来て下さい」 と周辺の人に助けを求め、 その中
の特定の人をユビで指しながら 「あなたは119
番で救急車を呼んで下さい」、 「あなたは AED
を持ってきて下さい」 と具体的に協力してもら
う 「人物」 と 「行動内容」 を確認できる形で指
示を出す必要がある。 いわゆる 「救命の連鎖」
の第1の鎖に相当する処置であり、 「1次救命
処置」 (BLS:Basic Life Support) の開始を
意味するのである。
緊急事態への対処の在り方として、 今回の実
技講習は大変参考になった次第である。 通常、
パニック状態の下では大声で不特定多数の人に
向けて 「救急車!」、 「AED もってこい!」 と
叫ぶ場合がほとんどである。 こうした場合 「だ
れかが救急車を呼ぶだろう」、 「だれかが AED
を持ってくるだろう」 となり、 対応すべき当事
者が曖昧になり対応行動の内容も不明確になり
緊急事態への対処自体が大幅に遅れることにな
る。 周囲にだれもいない場合は、 まず救護者自
ら119番に通報し、 次に AED が近くにある場
合は AED を取りに行き、 その上で 「第2の鎖」
である 「心肺蘇生」 の処置に移行するのである。
以下において 「心肺蘇生」 のA:B:C:Dの
概要を見ることにしよう。
心肺蘇生の実技講習
「心肺蘇生」 の第1は、 傷病者の多くは気道
閉塞を起こし、 呼吸ができない状態になってい
る可能性が高いので 「気道確保」 (A:Airway) を実施することである。 一方の手の人差
し指と中指を顎の先に当て、 もう片方の手の平
を額に当て、 顎先を持ち上げながら額を後方に
押し下げ頭を反り返らせるようにすれば気道が
確保できるのである。
第2は、 呼吸の確認である。 気道確保を継続
した状態で呼吸があるか、 ないかを確認する。
傷病者の口と鼻先に自分の頬を近づけ、 傷病者
の胸腹部を見ながら 「目で胸腹部が呼吸で動く
か」、 「耳で呼吸音が聞こえるか」 そして 「頬で
吐息を感じるか」 という3つのシグナルから呼
吸の有無を確認することができるのである。
第3は、 気道確保を行っても呼吸がなければ、
同時に脈拍もないと判断し直ちに 「人工呼吸」
と 「胸骨圧迫」 を併用して 「心肺蘇生」 を行う
のである。 「人工呼吸」 (B:Breathing) は感
染防止用ビニール・シート付きマウスピースを
用いて行わなければならない。 こうした感染防
止の付いた器具がない場合は、 人工呼吸は省略
しても良いそうである。 だだし、 家族などに行
う場合はこの限りではないそうである。
人工呼吸の要領は、 マウスピースを傷病者の
口に入れて、 気道確保をしたまま傷病者の鼻を
つまみ鼻孔を塞ぎ救護者の口を傷病者の口より
も大きく広げて覆い、 傷病者の胸を見ながら胸
が上がるように1秒ぐらい息を吹き込む。 これ
を2回行う。 呼吸が回復しない場合は次の心肺
蘇生処置である 「胸骨圧迫」 に移行する。
第4は、 いわゆる心臓マッサージである 「胸
骨圧迫」 (C:Circulation) の実施である。 胸
2008 MAY
43
骨圧迫の方法は、 傷病者の左右の乳首を結んだ
線の真ん中の胸骨部に一方の手掌基部 (手首の
部分) を当てもう一方の手のひらを重ねて置く。
充分に力を入れて1分間に100回位のテンポ
(スピード) で胸が4cm から5cm 位沈む程度
に胸骨部分を30回圧迫する。
胸骨圧迫30回を終了したら直ちに人工呼吸を
2回実施し、 次に胸骨圧迫30回を繰り返し、 人
工呼吸2回、 胸骨圧迫30回というように心肺蘇
生処置を繰り返し継続するのである。 人工呼吸
2回と胸骨圧迫30回の1サイクルで約2分かか
る計算になる。 この2分サイクルを是非覚えて
おいてほしい。 ところで、 この一連の処置には
大変なエネルギーを使うことになるが、 途中で
止めることはできない。
心肺蘇生処置を中止する時期については、 救
命活動を救急隊員に引き継いだとき、 傷病者に
何らかの応答や目的のある仕草が現れたとき、
普段通りの息をしはじめたときである。 心肺蘇
生処置を実習してみると、 大変なエネルギーを
消費しすぐに疲労困ぱいする。 複数の救護者が
いる場合には、 救護処置を分担して実施すると
効率が高まる。 ぜひ、 周囲に声を掛けて協力を
依頼してほしいものである。 以上が、 心肺蘇生
処置の概要である。 次に、 AED を用いた 「除
細動」 についてその概要を見てみよう。
AED による除細動講習
先に 「気道確保を行っても呼吸がなければ、
同時に脈拍もないと判断し……」 と述べたが、
こうした場合は心臓の筋肉が無秩序に震える
「心室細動」 (Ventricular Fibrillation) を起
こしており心臓のポンプ機能が失われているか、
心室が非常に速く動いているために 「無脈性心
室頻拍」 (Pulseless Ventricular Tachycardia)
を起こしポンプ機能が失われている場合が多い
そうである。 こうした状態を放置すると 「心静
止」 になり除細動は無効になる。 講習の際のデー
タによると、 5分以内に心肺蘇生を開始し引き
続き10分以内に AED による除細動を実施した
44
2008 MAY
場合の生存率は37%だそうである。 10分を超え
ると生存率は7%に急激に落ち込む。 AED に
よる除細動の実施は一刻を争うのである。
以下において 「除細動」 (D:Defibrillation)
の手順について見てみよう。 まず第1は、 対象
となる成人または小児であって、 反応がなく通
常の呼吸のない傷病者であること。 AED の中
に小児用パッドが入っていない場合は成人用パッ
ドで代用してもよい。 ただし、 乳児に対して
AED は絶対に使用してはならないのである。
第2は、 AED が到着次第直ちに操作を開始
する。 救助者が複数の場合は、 1人が心肺蘇生
を継続しながらもう1人が AED の操作を開始
する。 救助者が1人の場合は心肺蘇生を中断し
て AED の操作を開始する。
第3は、 電源ボタンを入れる。 カバーを開け
ると自動的にボタンが入るタイプもある。 電源
が入ると使用方法を AED が自動的に音声メッ
セージで指示するので、 音声の指示に従って操
作するのである。
第4は、 音声の指示に従って 「電極パッド」
を傷病者に貼るが、 その際周囲に向かって 「胸
を開きます」 とひと言伝達しておく気遣いが必
要と指導員から教えられた。 傷病者の肌に直接
電極パッド貼らなければ効果がないためである。
2枚の電極パッドを貼る位置はパッドに絵で描
かれている。 1枚は右鎖骨の下側、 もう1枚は
左脇の下から5cm 位下側に貼る。
第5は、 機種によっては電極パッドを貼った
後、 音声メッセージでコネクターの接続が指示
されるので、 指示に従って接続する。 これ以降、
AED は自動的に傷病者の心電図の解析をはじ
める。 音声メッセージで傷病者に触れないよう
指示が出るので周囲の人にも離れるように指示
する必要がある。 その理由はいうまでもなく、
自動解析の妨げになることと感電による事故を
避けるためである。
第6は、 心電図の自動解析の結果から、 電気
ショックが必要な場合には自動的に充電が開始
され音声で 「ショックが必要です」 と指示され
る。 充電が終了し電気ショックの準備が完了す
ると 「ショック・ボタンを押して下さい」 と音
声による指示が出て、 オレンジ色のショック・
ボタンが点滅を始める。 緊張の瞬間である。
第7は、 音声の指示に従っていよいよショッ
ク・ボタンを押すのである。 再度、 自分はもち
ろんのこと、 他の救護者も傷病者に触れていな
いことをくれぐれも確認してほしい。 ショック・
ボタンを押すと電気ショックにより傷病者の体
がビクッと飛び上がるように動くそうである。
危険なので実習では高圧電流は流れないためダ
ミーも動かないが、 臨場感溢れる瞬間であった。
第8は、 電気ショックが実施されたら直ちに
「胸骨圧迫」 30回から再開する。 これは AED
の自動音声でも指示が出るので、 引き続き 「人
工呼吸」 2回を実施する。 約2分経過すると、
AED による心電図の自動解析が始まり、 音声
メッセージに従って心肺蘇生を中断して 「ショッ
クが必要です」 という指示の場合は先の第6の
手順に戻り操作を開始する。 「ショックは不要
です」 という指示が出た場合は、 直ちに心肺蘇
生の 「胸骨圧迫」 から再開し 「人工呼吸」 との
コンビネーションを継続する。 以上がいわば
「心肺蘇生」 のA:B:C:Dの概要である。
心肺蘇生と AED の手順の繰り返しは、 救急
隊に引き継ぐか、 傷病者に何らかの応答や目的
のある仕草が現れるか、 普段通りの呼吸をする
ようになるまで継続しなければならないことは
いうまでもない。 呼吸が回復した場合には、 呼
吸が妨げられないように体を横に向け、 可能な
限り傍に付き添って励まし続けてさしあげたい
ものである。 その後の対応は、 専門家にお任せ
することはいうまでもない。
以上が、 今回参加の救命講習会体験記の概要
である。 もちろん、 紙面の都合で記述できなかっ
た項目が沢山積み残されている。 その詳細につ
いては他の機会にゆずることにしたい。 最後に、
講習会から得られた貴重な体験を通して学んだ
ことを列記して拙稿の結びとしたい。
むすびに
今回の講習会で学ぶことのできた第1の点は、
救命処置というもなは単なる個人の 「人命救助」
にとどまらず 「危機管理」 (Crisis Management) や 「民間防衛」 (Civil Defense) という
国家や国民全体のレベルから対応すべき重要な
内容を含んだ概念であることが理解できた。 災
害や事故や疾病によって生じた多数の傷病者の
生命と安全を維持・確保することは国家的な安
全保障政策の重要な部分を占めているのである。
第2は、 「救命の連鎖」 (Chain of Survival)
という思想は、 文字通り 「生存の連鎖」 でもあ
り、 見方を変えれば 「危機管理の連鎖」 や 「安
全管理の連鎖」 と読み替えできる思想体系でも
ある。 危機と安全はコインの表裏の関係にある
が、 危機に直面した際に 「危機の実像の明確な
把握=初期の対処法の実行=核心的な対処方の
適応=抜本的な危機因子の除去」 などに通じる
ものがあろう。 今後、 危機管理や安全管理の哲
学の確立にぜひ応用してほしいものである。
第3は、 正確な基礎知識とスキルの高い応用
力をマスターし、 あらゆる情況を確信をもって
判断し正確な手順で救命処置を継続できる精神
力と体力を涵養することの重要性を痛感した次
第である。 われわれ JAPA 会員に共通して求
められる資質でもあろう。
さらに、 JAPA の使命の一つでもある 「安
全文化の構築」 という観点からも、 JAPA 会
員とりわけ自家用・使用事業操縦士を対象にし
た 「救命講習会」 の全国展開が強く求められる
のではなかろうか。 こうした救命講習会への参
加を積み重ねる結果、 各支部を単位とした安全
意識・安全管理能力の向上にも役立つのである。
2008 MAY
45
World Safety Report
編集委員
佐藤
裕
こんな事が!?
ASRS のファイルから拾ったインシデント
この数ヶ月、 ASRS 編集部では、 いつもどお
り ASRS プログラムに寄せられてくるリポー
トとはちょっと違った小型航空機のパイロット、
エアーラインパイロットからのリポートを拾い
集める作業をしました。
これらのリポートを読むと、 注意深くいつも
通りの操作をしたり、 トレーニング飛行を行え
ば、 これらあまり聞き覚えの無い出来事や危険
な出来事を防げたのでは、 と言うことが学び取
れます。
新しい年の初めに、 最近起きた、 あまり聞い
たことの無い出来事をいくつか紹介いたします。
In recent months the Editor has been collecting reports from general aviation and air carrier pilots that describe incidents outside the realm of what is routinely reported to the ASRS program.
Some of the lessons to be learned from these reports are that vigilance, standard operating procedures, and training can safely resolve even the most off-beat and hazardous situations. To kick
off the New Year, we offer these glimpses into unusual events of the year just past.
ダンプのせいで思わぬ降下を。
与圧装置に異常をきたしたセスナ441航空機
のパイロットを、 サングラス、 酸欠そして混乱
が襲いかかります:ASRS 編集部
・26,000フィートを飛行している最中、 体調が
46
2008 MAY
悪くなったんです (勝手にそう思ったのかも
しれませんが)。
実際には、 機体の与圧が正常に保たれていな
かったんですが。
目のため、 と濃い目のサン
グラスを使用していました。
キャビン高度低下警報灯が
点灯したんですが、 気付き
ません。
シートの背あて後ろ側に取り付けてある小さ
な救急箱を取り出そうと後ろを振り向いたと
き、 キャビンの天井から酸素マスクがぶら下
がっていることに気付いたんです。
幾分混乱しながらも、 パイロット用の酸素マ
スクを使用し、 低高度への降下を要求しまし
た。
降下しなければならない理由を告げると、 親
切な管制官はすぐ降下の指示をくれます。
時間が過ぎ、 幾分頭がスッキリしてきた私は、
知らぬ間に自分のズボンのすそをキャビンの
ダンプ・バルブに引っ掛け、 引っ張ってしまっ
たんだ、 と気付きました。
こんなこと起こる訳が無いのにと思っていた
んですが、 でも起きてしまったんです!
Sunglasses, lack of oxygen, and confusion all played a part in a Cessna 441 pilot's pressurization
emergency.
・While cruising at 26,000 feet I became ill (or so I thought). In fact, the aircraft was not maintaining cabin pressure. I was flying southwest into a very bright sun. I put on dark sunglasses
for eye comfort. The cabin altitude [warning] light was on, but I could not see it. I keep a
small first aid kit behind the seat, [and] when I turned to get it I saw the O2 mask in the cabin
had deployed. After some confusion, I put on my O2 mask and asked for lower. The controller did a great job when I told him I needed to get down.
After my head cleared up some, I leveled off and discovered I had pulled the cabin dump valve
with my pant leg. I know it sounds impossible, but it happened.
プロペラが無くなって。
メインテナンスし易いように、 とカウリング
を外したエアロンカ航空機のパイロットは、 作
業後のテストフライトで信じられないような体
験をし、 ビックリしました、 とリポートしてく
れます:ASRS 編集部
・チーフ (エアロンカ航空機のシリーズ名です)
のエンジン・シリンダー1本にコンプレッショ
ンの問題があり、 これを整備するにはカウリ
ングを取り外さなくてはなりません。
チーフ機からエンジン前方のカバーを外すた
めには、 プロペラも外さなくてはなりません。
エンジンの修理を終え、 再びカウリングを取
り付け、 テーパーの着いたシャフトにプロペ
ラを取り付け、 キチンと取り付けてあるか、
確認します。
スピナーも取り付けました……カウリングを
正しく取り付けていないと、 ここに当たるか
らです。
案の定こすっています。 取り付けたカウリン
グをいったん緩め、 各部との間隔が十分取れ
るよう、 再度取り付けボルトをきつく締めま
した。
エンジンの試運転をしました。 いつでも飛べ
るような感じです……ただしシャフトに取り
付けたプロペラは、 間隔がうまく保たれてい
るかテストするためだけなので、 固く締めて
いないし、 セイフティ・ワイヤーもかけてあ
りません。
先ほどスピナーを取り付けたため、 飛行する
前にこの作業をするのは厄介だな、 と思って
いました。
2008 MAY
47
飛行前のチェックとして行ったエンジンのテ
ストも申し分ありません。 飛行もノッキング
音がするまでの30分間ほどまでは、 特に問題
なかったんです。
エンジン出力を下げると、 なんとプロペラは
機体から外れてしまい、 地面に落ちてしまい
ます。 空港の北にある林の上空を飛行してい
る私達に出来ることは……チーフ航空機を滑
空させ、 空港に着陸させることです……特に
問題も無く、 機体も無傷のまま着陸すること
が出来ました。
この不注意の原因は、 カウリングとプロペラ
の間隔ばかりに気を取られてしまい、 プロペ
ラがキチンと取り付けてあるかどうか、 確認
し忘れてしまったこと、 これに尽きます。
飛行する前にプロペラをキチンと取り付けな
かった、 これが明らかな原因、 と言えます……
何はともあれ、 私が飛ぶとき、 もうこのよう
なトラブルは二度と起きません。
An Aeronca pilot's preoccupation with cowling removal during maintenance contributed to a
nasty surprise on a subsequent test flight.
・The Chief had compression problems on one cylinder and the cowl had to be removed for
maintenance.
The prop must be removed to take the nose bowl off a Chief.
After engine repair, the cowl was reinstalled and the prop placed on the tapered shaft to
check for rubbing. The spinner...was installed because it is the first thing to rub if the cowl
is not on perfectly. It rubbed, so the cowl had to be loosened and retightened until everything
had sufficient clearance.
The engine was test run and the airplane appeared ready for flight, even though the prop,
which was only placed on the shaft to test for clearance, had not been tightened or safetied.
The spinner prevented this from being noticed before flight. The engine tested fine in the pretakeoff check, and the flight proceeded normally for about 30 minutes until a knocking sound
was noticed.
Power was reduced, and the prop departed the airplane and landed, as best we can tell, in a
woods north of the airport...The Chief glided back to the airport and landed with no problems and no damage....
The cause was distraction with the cowl and resultant oversight of the prop's improper attachment.
The problems that could result from not securely attaching the prop before flight are obvious...I know it will not happen again with anything I am flying.
チャートに邪魔されて。
パイパー・コマンチのパイロットがこんなリ
48
2008 MAY
ポートを寄せてくれました、 コクピット内を整
頓し……チャート類を所定の位置にしまってお
けば……こういったインシデントを起こさずに
済んだはずなんですが…。 このパイロットはイ
ンストラクターとホールディングの訓練をして
いました、 そしてタワーから着陸許可を貰いま
す…:ASRS 編集部
・着陸前に行うプロシージャー (GUMP) を
実施しました:燃料のセレクター……チェッ
クしました。
ブースト・ポンプ……オンにします。
ギアー・スイッチ……ダウン位置に。
ミクスチャー……フル・リッチにしました。
プロップ……ハイ (rpm) 位置へ。
アーを開始した途端、 大きないやな音が聞こ
え、 機体はランウェイをこすりながら、 やが
て停止します。
機体が停止した後、 ランディング・ギアのス
イッチが下げ位置になっていないことに気付
きました。
そして、 アプローチ・チャートがランディン
グ・ギア操作ハンドルと床の間に挟まってい
ることにも気付いたんです。
その後の点検で、 ランディング・ギアのサー
キット・ブレーカーがトリップしていること
も見つけました。
ランウェイに正対します。 ファイナルでフレ
An orderly cockpit −with publications and charts securely stowed− can prevent the type of incident reported by this Piper Comanche pilot. The pilot had been practicing holding procedures
with an instructor, and had been cleared to land by Tower.
・...I completed my pre-landing (GUMP) procedure: fuel selector −check. Boost pump− on.
Gear switch ? down. Mixture −full rich. Prop− in high (rpm). I lined up on runway...At the
flare on final, loud noises were heard as the aircraft slid to a stop. After the aircraft stopped,
I confirmed that the landing gear switch was in fact down. I then found a set of terminal procedure publications wedged between the landing gear extension handle and the floor. Later
inspection found the landing gear circuit breaker had been tripped.
ミラーに写ったライト。
夜間、 タワー業務の
終了した空港へアプロー
チしている社用機のフライト・クルーは、“不
運な偶然の一致”の犠牲者と化してしまいます:
ASRS 編集部
・ランウェイ4へのビジュアル・アプローチ・
クリアランスを貰いました。
タワー業務は終了しています……空港のビー
コン灯、 そして PAPI 共に点灯しているも
のの、 ランウェイ・ライトは消えています。
PNF に“この空港のタワー周波数で送信ボ
タンをクリックし、 ランウェイ・ライトを点
灯させ、 フル・ブライトまで明るくしてくれ
ないか”と頼みました。
この時、 空港の点検を行う車両がランウェイ
とランウェイ・ライトを点検するため、 私達
とほぼ同時に送信ボタンをクリックし、 これ
からランウェイに進入すると彼は一方送信を、
でも残念ながら私達とほぼ同時に送信ボタン
をクリックしたため、 この送信は私達の耳に
は届きません。
2008 MAY
49
ランウェイ・ライトを点灯させ、 チェックリ
スト通りの操作を終えた私達はランウェイ4
に着陸を。
ランウェイ・ライトの輝度を最大にしたため
眩しく、 その車両の灯火、 ビーコン灯ともに
見えません。
その車両の後方に着陸しました。
車両を運転し、 点検を行っていたドライバー
は、 ミラーに写る私達の機体のランディング・
ライトに気付き、 機転を利かせ、 車両をラン
ウェイの外へ。
気味の悪いほど、 両者のライトを点灯させる
操作は同時だったんです、 お互いに自分の操
作でライトは点灯した、 と考えていたんです。
このトラックとなぜ交信できなかったのか、
理由は簡単で、 私達がこの空港のタワー周波
数を間違えていたからです、 一方送信したの
で十分だ、 とすっかり思い込んでいました。
ライトが点灯したので、 これで良いんだ……
と思い込んでいたんです:でも、 この空港で
地上の航空機や車両の移動、 つまりトラフィッ
クをモニターしているセンターは、 緊急用周
波数で進入して来る航空機がいる、 とそのト
ラックに警報を出していました。
周波数をダブル・チェックさえしておけば、
交信できたはずですね。
A corporate flight crew on a night-time approach to a non-Towered airport fell victim to "an eerie
coincidence."
・...We were cleared for a visual approach to Runway 4. The Tower had closed...The airport
beacon and PAPI lights were on, but there were no runway lights....I asked the PNF [Pilot
Not Flying] to click on the lights using the local Tower frequency and the lights came up full
bright on all runways.
At the same time, the airport safety vehicle was making a runway and light inspection and
he clicked on the lights at the same time as we had, [and] made a local announcement that
he was going to be on the runways.
We never heard this or subsequent announcements.
With the runway lights on, we proceeded to complete our checklists and land on Runway 4.
We did not see the vehicle lights or beacon for the glare of the runway lights on high. We
landed behind the vehicle.
He saw our landing lights in his mirror and thankfully cleared the runway. It was an eerie coincidence that we both clicked on the lights at the same time, thinking each had been responsible for the action.
My only thought with regard to the lack of communication with the truck was that we must
have misdialed the local Tower (advisory) frequency, and while we thought we were in communication, we were not. Since the lights came up, we were lulled into thinking all was as it
should be...Possible mitigation: Local ground traffic monitoring Center frequency to alert
truck to presence of air traffic. Double-check frequency selection by aircraft to insure communication.
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2008 MAY
素晴らしい香り。
MD-83のフライト・クルーは異臭の発生源
を突き止めましたが、 それは予想もつかない物
からの臭いでした:ASRS 編集部
・33,000フィートを飛行していました……両パ
イロットともペイントのシンナーに似た強い
臭いに気づきます。
コクピット・クルーは異臭に関するチェック
リスト通りの操作を開始。
マスクとゴーグルを装着したクルーは、 フラ
イト・アテンダントと連絡を取ります。
No1 フライト・アテンダントも、 強い臭い
を感じます、 とリポートを、 キャビン後部の
フライト・アテンダントからもこの臭いに関
するリポートが。
この強い異臭の発生源を特定できないこと、
そして全てのフライト・クルーが異臭を感じ
ていることから、 エマージェンシーを宣告し、
ZZZ 空港へダイバートすることに決めまし
た。
エマージェンシーを宣告すると、 ATC は180
度旋回を指示してくれ、 ZZZ 空港へ向かう
レーダー誘導をしてくれます。
旋回している最中、 No1フライト・アテン
ダントから、 異臭の発生
源を発見しました、 との
連絡がコクピットに。
ファースト・クラスに乗っ
ている子供2人がインク・マーカー、 日本で
言うマジック・インクを使い、 塗り絵をして
います。
そしてこのフライト・アテンダントは、 異臭
はこの子供達が紙に塗ったインクからに間違
いありません、 とも付け加えてくれました。
他の位置担当のフライト・アテンダント、 そ
してパイロットも加わり、 皆で異臭の発生源
を確認しました。
さらに No1フライト・アテンダントは、 そ
のマーカーには高高度、 あるいは狭い室内で
の使用を避けること、 との注意書きが印刷し
てありますけど、 とも付け加えてリポートし
てくれました...。
ATC に、 異臭の発生源を突き止めました、
機内は安全な状態に戻りました、 正常に飛行
できます、 と告げます。
宣告したエマージェンシーを撤回し、 目的地
の空港へ向かいたいのでレーダー誘導をお願
いします、 と要求しました。
この後は順調に飛行し、 時間通りに着陸する
ことが出来ました。
For an MD-83 flight crew, fumes in the cockpit led to the discovery of an unexpected source.
・Level at 33,000 feet...a strong odor similar to paint thinner was detected by both pilots. Cockpit crew initiated a fume checklist. After securing mask and goggles, cockpit crew established communications with flight attendants. The number one flight attendant reported that
he also smelled a strong odor and a flight attendant in the aft of the aircraft also reported
an odor. Since we were not able to determine the source of the strong odor, and considering
that all of the flight crew reported noticing the smell, the flight crew determined that an
emergency should be declared, followed by a divert to ZZZ. After declaring the emergency,
2008 MAY
51
^
ATC cleared the flight to turn 180 degrees for vectors toward ZZZ. As the aircraft was in the
turn, the number one flight attendant called the cockpit and informed the crew that the
source of the fume-like odor was identified. Apparently, two children sitting in First Class
had just begun to color with ink markers. The flight attendant reported, without a doubt,
that the smell was coming from the ink being applied to the paper. This was verified by the
other flight attendants working the flight, as well as by a pilot in uniform commuting to
work. The number one flight attendant reported that the marker is printed with a warning to
avoid use of the marker at high altitudes, or in confined spaces....
ATC was then informed that we discovered the source of the unusual odor, and that the
situation was now safe and under control. We rescinded the emergency declaration and requested vectors to continue the flight on to our destination. We landed on time, without incident.
ティシューに問題が。
CRJ700 の キ ャ プ テ
ンから、 離陸中ラダー・
ペダルがジャムしまし
た、 とのリポートがあ
りました:ASRS 編集
部
・離陸中……速度50∼60ノット付近で左ラダー・
ペダルがジャムしたので、 離陸を中断しまし
た。
交差するランウェイ23の手前で、 機体を停止
することも出来ました。
このトラブルの原因を調べるため、 ランウェ
イを出てランプに戻ります。
ランウェイから出るとき、 私はラダー・ペダ
ルの下に小さなティシューの箱が転がってい
ることに気づいたんです。
前のクルーと交代し、 コクピットに入った時、
この箱はラダー・ペダルから離れた場所にあっ
たはずです、 何しろ気づかなかったんですか
ら。
離陸出力にしたとき、 このティシューの箱は
52
2008 MAY
私の足の下、 つまりラダー・ペダルの下に転
がってきて、 ペダルを動かなくさせたに違い
ありません。
方向の維持は結構大変でしたが、 離陸中断中
も何とか保つことが出来ました。
前のクルーと交替し、 その日初めての飛行で
した。
クルーは全員、 着陸前にパイロット・シート
周辺を点検し、 動いてラダー操作の邪魔にな
るようなものは無いか、 確認すべきだなと感
じています。
ティシューの箱、 懐中電灯、 水の入っている
ボトル、 もちろんマニュアルも含み、 ラダー
操作の邪魔にならないような場所におくべき
だ、 と思っています。
飛行前、 操縦系統周辺を目視点検し、 操作し
て邪魔になるものは無いかを確認し、 離陸前
にももう一度確認すべきだな、 と思っていま
す。
フライト・クルーは、 飛行中になくなってし
まった物は無いか、 あるようだったら見つけ
出し、 それから機体を他のクルーに引き継ぐ
べきだ、 とも思っています。
A CRJ700 Captain reported jammed rudder pedals during a takeoff.
・While taking off...and at about 50-60 knots, the left rudder jammed and I rejected the takeoff. We made a full stop prior to crossing Runway 23. We then cleared the runways and returned to the ramp to troubleshoot the problem. After we were clear of the runway, I saw a
small tissue box under the rudder pedal. This box apparently was already forward of the rudder pedals out of sight when we took over the aircraft. When takeoff power was applied, the
tissue box slid back under my foot and rudder pedals causing the rudder to jam. Directional
control was difficult but maintained during the rejected takeoff maneuver.
This was our first flight in this aircraft for the trip. Make sure all crews ensure the floor
around the pilots seats are clear and that no foreign objects can slide forward on landing,
jamming the rudders.
Tissue boxes, flashlights, water bottles, and manuals have all managed to interfere with rudder travel. Usually a visual preflight and a flight control check will detect these objects prior
to takeoff. Flight crews should make sure that items that go missing during flight are located
prior to turning the aircraft over to the next crew.
全ては9に。
B757のキャプテンから、 機体への搭載ミス
に関するリポートがありました:ASRS 編集部
・目ざといファースト・オフィサーは、 私達の
機体への搭載重量に大きな誤りのあることに
気づいてくれます。
99名の子供が搭乗している、 と記入されてい
ました (実際には9名しか乗っていなかった
んですが)。
なんと、 9,270ポンドも多い離陸重量が記入
されていたんです!
やれやれ。
……誰にでも起こり得ることだ、 と思ってい
ます。
タクシーを開始したキャプテンは通常、 短い
時間、 あたかもバーゲン品が価格に見合うも
のかどうか、 品定めするようにデータに目を
通すだけです。
TOGW (テイク・オフ・グロス・ウェイト)
及び ZFW (ゼロ・フューエル・ウェイト)
以外にも、 目を通すべき項目はたくさんあり
ます。
A B757 Captain described a startling load planning error.
・My sharp-eyed First Officer found a major error on our load closeout. Load had listed 99
2008 MAY
53
children on board (there were only nine). Actual takeoff weight was OFF by 9,270 pounds!
Oops.
...There is a lesson in this for everyone. The Captain is taxiing out and usually only has a brief
second to look at the reasonableness of the closeout. There is more to look at other than just
the TOGW [Take Off Gross Weight] and the ZFW [Zero Fuel Weight].
コクピット・クラッシャー。
フェリー・フライトに向かおうとしていたク
ルーは、 すでにキャビン内は安全な状態になっ
ている、 と思い込んでしまいます。
737のファースト・オフィサーは、 自分達の
責任を果たさないと、 どのような結果となって
しまうのか、 あたかも映像で見せてくれるよう
なリポートを寄せてくれました:ASRS 編集部
・キャプテンと一緒に……私はフェリー・フラ
イトの準備を始めました。
機体の周囲を歩いて回り、 飛行前の点検を、
その後コクピットに入り、 残りの点検を行い
ます。
機内食等はすでに降ろされ、 サービス担当者
及びその他のスタッフも加わり機内の清掃を
行っています。
機内の清掃が終わると担当者は、 清掃作業等
は全て終了しました、 と私達に。
キャプテンと私はいつも通り、 チェックリス
ト通りに操作し、 出発します。
コクピットのドアは開けたままにしておきま
した。
何事も無く、 いつも通りの飛行です……接地
帯への着陸もスムーズです。
接地後、 リバース・スラストを操作し、 その
後すぐアイドル位置に。
なかなか減速しません。
80ノットに減速したとき、 キャプテンが操縦
し始め、 アイドルのままリバースにし、 オー
トブレーキを解除しました。
この操作と同時に、 ケータリング用のカート
がかなりの速さでコクピットに飛び込んでき
54
2008 MAY
てセンター・コンソールにぶつかり、 私の左
腕にもぶつかります。
そしてこのカートは一瞬ですが床から浮き上
がり、 その後センター・コンソールの上に乗っ
てしまいました。
コクピット中に飲み物とかの液体が飛び散り、
なにやら焦げているような臭いまで立ち込め
てきます。
キャプテンは機体を操縦し続け、 ランウェイ
から指示されたタクシー・ウェイに出ました。
何かが焦げたような臭いは、 すぐに消えまし
た。
キャプテンは機体を停止させ、 パーキング・
ブレーキをセットし、 2人でコクピットの破
損状態を調べ始めます。
センター・コンソールに付いているライト類
は点灯しなくなっているうえ、 コンソール自
体も少しへこんでいます。
カートは大きく変形していました。
ゲートに向かう上、 特に支障があるようには
見えません、 パーキング・エリアに向かおう
と決めます。
ゲート到着後、 センター・コンソールの破損
はかなりひどいこと、 そしてキャビン内の座
席2組も小さくですが、 破損していることに
気づきました。
カートは、 キャビン後部のギャレーにある収
納部から飛び出し、 コクピットに飛び込んで
きたんだ、 と認識したんです。
フライト・アテンダントとケータリング作業
員が降りた後、 わたしたちがギャレーを点検
しさえすれば、 この出来事は防げたに違いあ
りません。
それと、 出発する前にフライト・デッキのド
アさえ閉めておけば、 このトラブルを防げた
かもしれません。
It's up to the flight crew on a ferry flight to ensure that the cabin is secure. Here's a B737 First
Officer's graphic description of what can happen when that duty is neglected.
・...My Captain and I...began preparations for our [ferry] flight.
I performed a walkaround inspection then went back to the cockpit to perform the rest of my
preflight duties.
The aircraft had already been de-catered...and our service rep and another service staff
member were on board finishing cleaning. After the cleaning was completed, our rep advised
us that all services were completed...My Captain and I performed our normal cockpit duties
and departed. We left the cockpit door open. The flight was uneventful...The aircraft
touched down smoothly, in the touchdown zone.
I applied reverse thrust upon touchdown, then quickly began reducing toward idle. The rate
of deceleration was very gradual.
At 80 knots, the Captain took control of the aircraft with reverse at idle, and Autobrakes disengaged. At this point a catering cart entered the cockpit at an extremely high velocity and
impacted the center console, simultaneously striking me in the left arm.
The cart had temporarily departed the floor and came over the top of the center console.
Liquid was dispersed all over the cockpit and we smelled something that appeared to be
burning. The Captain maintained control of the aircraft and exited the runway at our assigned taxiway.
The burning smell quickly went away. The Captain stopped the aircraft, set the parking
brake, and we assessed the damage.
The panel lighting on the center console was inoperative and the structure of the console was
bent slightly. The cart also had major structural damage. There was nothing affecting our
safe progression to the gate, so we elected to continue to parking. Once at the gate, we realized that there was further structural damage to the center console, as well as minor damage to 2 cabin seats.
We concluded that the cart had traveled forward from its housing in the aft galley. This
event could have been prevented if we had inspected the galleys after the flight attendants
and caterers departed the aircraft.
It also could have been prevented if we had secured the flight deck door prior to departure.
2008 MAY
55
連
載
航
空
史
●
曼
●
陀
チンタオ
その23. 青島の日独航空戦事始
羅
1914年6月28日、 オーストリア・ハンガリー
連合王国の皇位継承者フランツ・フェルディナ
ンド皇太子夫妻が、 併合したボスニアの首都サ
ラエボ訪問の折、 反オーストリア運動を展開し
ていた秘密結社 「ブラック・ハンド」 の、 ガウ
リロ・プリンチプという19歳の学生の凶弾に倒
れた。
一気に欧州各国が緊張、 1ヶ月後の7月28日、
オーストリアがボスニアに宣戦布告、 8月1日、
オーストリア・ハンガリー側に立つドイツは、
イギリス、 フランス、 ロシアに宣戦布告、 これ
を受けてイギリスとフランスが4日、 ドイツへ
宣戦を布告した。 バルカン諸国をも巻きこみ、
欧州全域とアジアの一部が戦場と化した。 4年
余り続いた第一次大戦はドイツ降伏によって幕
を閉じたが、 投入された彼我兵力は1千万人と
いわれる。
イギリスと防共協定を結んでいた日本政府は、
欧州の争乱を対岸の火よろしく静観の呈だった
が、 イギリス政府の強い要請を受けて動かざる
を得なかった。 大隈重信内閣は8月8日から15
日までの8日間、 元老や閣僚、 それに軍部要人
と対策を練り、 16日にようやく対独宣言を採択
している。 いわく、
①日本および支那海洋方面におけるドイツ艦
隊は即時に撤退すること。 さもなき場合は
直ちに武装を解除すること。
こう しゅう わん
②ドイツ帝国政府は、 膠 州 湾租借地全部を
支那国に還付する目的をもって、 1914年9
月15日までに無償無条件で日本帝国官憲へ
交付すること。
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2008 MAY
徳田
忠成
②項については、 日本政府に都合のよい要求
だったが、 8月23日正午までに回答するように
迫った。 当然、 ドイツ政府は拒否、 日本政府は
しょうしょ
直ちにドイツとの国交を断絶し、 詔書 (天皇の
国事に関する公文書) をもって宣戦布告をおこ
なった。 そして直ちに陸海軍は、 山東省青島へ
出兵すべく準備に入った。 イギリス、 フランス、
ロシアを敵にまわして戦っているドイツは、 戦
力を東洋の彼方へまわす余裕などなく、 青島で
の日独の攻防は、 日本が漁夫の利を得たような
ものである。
山東半島の南に位置する現在の青島市は、 人
口250万人を擁する中国第4位の港町である。
歴史的にこの一帯は、 1898年 (明治31年) 6月
以降、 ドイツ政府が、 弱体化していた清国と99
年間におよぶ租借地条約を結んでいた。 ドイツ
山東省青島周辺図
はこの地域で鉄道敷設や鉱山採掘などに手をつ
けたが、 天然の要害である膠州湾は、 ドイツ東
洋艦隊の根拠地として要塞化していたのである。
この時、 ドイツは、 中部太平洋ミクロネシアの
島々の権益をも掌中にしていた。
ちなみに開戦時の欧州各国の航空機保有数を
みると、 ドイツ180機 (他の資料では246機)、
フランス160機、 イギリス110機、 オーストリア・
ハンガリー36機、 ロシア300機、 それに飛行船
12隻という貧弱なものだった。 日本はさらに貧
弱で、 総計28機 (陸軍16機、 海軍12機) でしか
ない。 しかし、 その後の4年有余の戦争で、 欧
米の航空機開発は驚異的な発展をしている。
8月23日にドイツへ宣戦布告をしたことで日
本陸海軍は、 まったくの泥縄式で、 対戦準備に
忙殺された。 これを予測して、 青島戦線へ飛行
機を派遣すべく8月9日、 参謀本部から所沢へ
のウナ電 (至急電報) で、 有川気球隊長以下の
関係者数名が、 三宅坂の陸軍参謀本部 (現・最
高裁判所) へ駆けつけ、 急遽、 3時間にわたっ
て出兵の対策を練っている。 なお欧州への派兵
は、 戦争勃発後4年も経ってから、 ようやく重
い腰をあげて実施されたが、 陸軍将兵百数十名
を乗せた輸送船 「春日丸」 が、 インド洋を航行
中に終戦になった。
青島でのドイツ軍飛行機は、 精々、 2、 3機
という情報から、 陸軍は旧式化している1913年
型モーリス・ファルマン式 (70馬力) 複葉機4
機と、 ニューポール NG 式 (100馬力) 単葉機
ても、 こちらはまだ2、 3機が残るという大雑
把な考えだったらしい。
編成された陸軍臨時航空隊は、 機体の武装に
ついても初めてである。 まず地上からの攻撃を
防御するために、 機体底部に鉄板を敷いたが、
これは重量オーバーで中止、 苦肉の策で機関銃
3丁を複葉の支柱に縛り付けて離陸、 使用する
ときは、 同乗席前に支台を設けて、 ここに銃身
をおいて射撃する工夫をこらした。 ところが、
この機関銃が旧式の兵卒用であり、 結局、 現場
では何の役にもたたなかった。
爆弾の搭載種類や投下方法については、 15キ
ロ砲弾を搭載、 これに落下傘を取りつけて、 機
体底部に造った小さな穴から投下する方法をとっ
た。 照準器などあるわけがないから、 目測によっ
て、 いちいち手で投げ落とすのである。 当然、
命中率は極度に悪かったので、 今度は落下傘に
穴をあけて落下速度を早くしたら、 少しは効果
があった。 飛行速度が遅かったのが幸いしたよ
うだ。
陸軍臨時航空隊の編成は、 久留米第18師団隷
下の気球隊々長・有川鷹一工兵中佐 (のち中将)
を指揮官とし、 徳川好敏大尉 (のち中将)、 長
沢、 佐藤、 阪本 (真彦)、 真壁、 内藤各中尉ら
と武田、 尾関両少尉たち8名の操縦将校、 それ
に弘中少佐、 福井、 末松両大尉の偵察将校3名
が加わった。 気球隊では、 深山成人工兵中尉、
しちょう
ガス班長が金谷甫志輜重兵中尉、 その他准士官
以下20名、 兵卒302名、 軍属12名というものだっ
1機、 それに係留気球1基を用意した。 誰も空
中戦の要領を知らなかったが、 例え相打ちになっ
1913年型モーリス・ファルマン式偵察機
ニューポール NG 単葉機
(朝日新聞社提供)
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た。 8月24日に、 厳重に分解梱包した飛行機と
共に、 あわただしく所沢を出発、 28日に宇品港
(現・廣島港) を出港した。
一方、 海軍にも、 追浜の航空術研究委員会に
出動命令が下った。 出発準備に忙殺されたが、
誰が考えたか、 輸送船 「若宮丸」 (7,600トン)
を突貫工事によって、 世界初の水上機母艦とし
て、 遠征用に応急的な艤装などの大改造をした
ことはすごい。 なにしろ世界初のアイデアであ
り、 のちの航空母艦の先駆けである。 これにモー
リス・ファルマン式水上機4機 (1912年型・70
馬力3機、 1914年型100馬力1機) を搭載、 こ
れに無線電話機と機銃を装備した。
100馬力のモ式水上機は、 フランスから到着
したばかりの大型機で、 3人が搭乗でき、 関係
者を喜ばせた。 その性能は、 全幅19.0m、 全長
イドに装備した。 この中に8センチ弾で5発、
12センチ弾で3発を搭載した。 両舷で8センチ
弾で10発、 12センチ弾で6発を搭載し、 1発な
いし全部を一度に投弾するように改造した。
ちなみに爆撃照準器と使用爆弾は、 第一次大
戦後の1921年9月、 イギリスのセンピル大佐以
下の飛行指導団が来日して、 海軍に航空戦万般
にわたって指導したときに持ち込まれた。 気泡
水準器を使用したもので、 大変な熟練を要した
らしいが、 その後、 改良された90式爆撃照準器
が、 太平洋戦争突入のころまで使用されている。
9.4m、 自重995kg、 全備重量1,360kg、 最大速
度 96kph 、 上 昇 時 間 は 1,000 m ま で 25 分 、 約
3,000mまで上昇可能であった。 上昇に時間が
かかる外は、 当時、 最新鋭の飛行機として、 作
戦上、 大いに期待された。
操縦席底部には厚さ2mm のニッケル・ク
ローム防弾鋼板が張られた。 ロープで吊した砲
弾改造の8センチと12センチの爆弾は、 尾部に
矢羽、 頭部に信管をつけて威力を高めたものを
搭載した。 これを座席の両サイドに5発ずつ吊
して、 それをナイフで切って、 ドイツの砲台や
艦船に投下するのである。
しかし、 これでは余りにも幼稚なので、 爆弾
搭載用の筒型ケースを急造、 これを操縦席両サ
若宮丸は押っ取り刀で佐世保を出港、 青島の
膠州湾へ向け波頭をけった。 指揮官は山綱太郎
中佐 (のち大佐)、 吉田四郎上等機関兵曹 (の
ち特務大尉)、 阿部実一等兵曹 (のち特務中尉)、
以下、 下士官35名、 それに横須賀海軍工廠造兵
部から河瀬市太郎組長外6名が加わった。 総勢
82名で、 当時の日本海軍航空隊関係者の大部分
だった。
座乗している操縦士官 (この当時のパイロッ
トは全員士官) は13名で、 先任の金子養三少佐、
和田秀穂、 飯倉、 山田、 井上、 河野各大尉、 花
島機関大尉、 武部、 藤瀬、 大崎、 馬越、 山本、
難波各中尉が操縦士兼偵察員である。 搭乗者全
員にはモーゼル拳銃一丁ずつが支給されたが、
これは武器というより、 万一、 敵陣に不時着し
た場合の自決用だったというから、 当時から日
本軍人の心意気?は半端じゃなかった。
陸海軍ともに航空隊の任務は、 膠州湾内に碇
泊しているドイツ艦船や要塞の偵察が主であっ
たが、 偵察状況を伝達する無線機の送信性能は
水上機空母 「若宮丸」 の模型
海軍の大型機モーリス・ファルマン式 (100馬力)
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2008 MAY
最大で35nm、 受信性能は3nm 程度だったか
ら、 今のウォーキートーキー程度のもので、 実
用からほど遠いシロモノである。 これをカバー
するため、 手旗信号や、 インデアンが利用して
いたノロシの代用のような報告球が揚げられた
から、 戦略上、 無線機はほとんど役立っていな
い。
若宮丸は9月1日に膠州湾外に投錨、 9月5
日黎明、 和田大尉操縦、 金子少佐偵察、 それに
武部中尉が爆撃担当の顔ぶれで、 3人乗りの大
型ファルマン式水上機が、 敵情偵察のために離
水した。 この時、 海軍は初めて胴体と翼に真っ
赤な日の丸のロゴを描いたが、 これも陸軍に一
歩先んじていた。 この日は、 日本軍創設以来の、
飛行機による初出撃という記念すべき日になっ
た。
ファルマン式は膠州湾周辺を旋回、 ドイツ要
塞や青島市内の上空を飛び回って、 綿密な偵察
をおこなった。 爆撃の投下目標は、 海軍大隊兵
営や無電々信所が主で、 陸上にある砲台の偵察
をおこなった。 下からは盛んに小銃を打ち上げ
ており、 約15個が被弾したが、 幸いに墜落する
ことはなかった。 それよりも、 猛烈な乱気流に
見舞われ、 一瞬にして数十メートルも落下、 敵
艦船上に墜落しそうになったこともあったとい
う。 ようやく悪気流から脱出、 敵の攻撃を回避
して帰還した。 約2時間の偵察飛行を終え、 無
事、 所期の目的を達して若宮丸へ帰還したが、
これは貴重な情報となった。
母艦 「若宮丸」 に積まれるモーリス・ファルマン機
(朝日新聞社提供)
以来、 ドイツ軍は日本軍機が飛来すると、 そ
れまでの小銃や機関銃に替えて、 9月20日ごろ
より、 高角砲から、 時限信管付きの榴弾砲を発
射してきた。 これには、 さすがの日本軍機は危
険を感じたが、 第一回の偵察飛行以来、 次第に
周辺の地理や、 その地域独特の悪気流など、 天
候の特長をつかんで飛行要領を会得していった
から、 次第に偵察と爆撃の成果は上がっていっ
た。
9月27日には和田大尉以下の3機で出撃、 湾
内のドイツ巡洋艦を爆撃した。 1,200mで飛行、
目標上空で700mまで降下して爆弾を投下した。
下からの機関銃による反撃も相当なもので、 20
数カ所も被弾した機体があった。 この時は単純
に水平爆撃で、 和田大尉が軍事基地へ投弾した
最初である。
飛行機による偵察飛行の成果は、 期待以上の
ものがあった。 日本海軍が恐れていた戦艦 「エ
ムデン号」 は配備されていないことが分かった
こと、 それにオーストリア巡洋艦 「カイザー・
エリザベス号」 と駆逐艦 「S90号」、 それに若
干の砲艦が碇泊していることなどの正確な情報
は、 その後の攻防に大いに役立った。
青島近傍に飛行場基地を建設しなければなら
ない陸軍は、 海軍の後塵を拝した。 9月上旬に
現場に到着した陸軍臨時航空隊は、 龍口海岸へ
揚陸した。 幸いに平坦な土地だったので、 悪天
候の中、 仮の飛行場を設営、 ここを作戦基地と
して、 ようやく作戦を開始した。 9月17日早朝
に全機5機 (有川中佐、 福井大尉、 佐藤、 坂本、
長沢各中尉と同乗者) が離陸、 地上部隊前線基
地へ飛来して偵察任務に就いた。 下方視界を確
保するために、 応急的に機体の底に穴をあけて
セルロイドを張っていた。
9月27日未明には、 陸軍が初めて爆撃投下を
おこなった。 長沢中尉操縦のニューポール式
NG 単葉には、 銃手の佐藤中尉が同乗、 15キロ
爆弾3個を搭載した。 真壁中尉機はモーリス式
複葉で、 武田少尉が銃手、 さらに他のモーリス
式には坂本中尉が操縦、 小田曹長が投弾手とし
て同乗、 編隊飛行によって敵地上空へ飛翔した。
2008 MAY
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なにしろ1,000m上昇するのに40分もかかる
から、 目的地と逆方向へ向かって飛行し、 高度
をとってから引き返して敵地へむかった。 それ
に最高でも時速95キロ程度の飛行機だったので、
航空知識などない上官は、 「何故、 敵地目がけ
てまっすぐ上昇しないんだ!」 と、 文句をいう
時代だった。
高度1,200mで膠州湾内に飛来、 700mに急降
下して、 数回にわたって、 碇泊しているドイツ
およびオーストリア軍艦3隻に対して爆撃作戦
をおこなった。 下からは機関銃や機関砲によっ
て、 猛烈な射撃を受けたから、 3機ともに数発
を被弾したが、 幸いに軽度ですんだ。 残念なが
ら投弾の効果もなかったが、 長沢中尉操縦の
ニューポール式 NG 単葉は、 投弾の後、 悠々
と偵察任務もこなして、 全機、 無事に帰還して
いる。
この頃になると、 連日の偵察飛行で、 かなり
正確な敵情をつかんでいる。 ドイツ軍が築いた
青島市は旅順、 大連に匹敵するほどの壮麗なも
ので、 要塞や砲台の堅固さも相当なものだった
という。 10月4日には、 徳川大尉が初めてモ式
で偵察飛行をおこなった。 同乗者が武田少尉で、
午前6時より約2時間を飛行した。 徳川大尉は
次の日にも、 福井大尉が同乗して飛行するなど
の忙しい毎日を送った。
10月下旬の飛行機による偵察は、 大いに効果
をあげたが、 敵陣上空に到ると、 機関銃弾や大
砲の洗礼が激しく、 各偵察機は相当の被害を被っ
た。 24日の長沢中尉機は7発の銃弾をくらい、
25日の真壁、 坂本両中尉は青島要塞からの猛攻
により、 両機で約50発の銃弾を受けて帰ってき
た。
10月に入って、 いよいよ日英同盟の陸上部隊
が、 ドイツ要塞攻撃の準備をしているころ、 つ
いにドイツ軍のオスター・タウベ型単葉機 (フ
ランツ・ヨゼフ・オスター大尉製作のタウベ
「鳩」、 70馬力) が姿をあらわした。 この単葉機
を操縦するブンデル・ブルジョー海軍中尉が青
島にやってきたのは、 日独戦開戦3日前だった
という。 すでに青島に赴任していた前任のオス
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2008 MAY
ター大尉によって慣熟飛行中に、 彼が事故死し
たことから、 ブルジョー中尉は一人で偵察任務
に就いていたのである。 オスター・タウベ型単
葉機こそ当時の最新鋭機で、 その性能は日本軍
機の比ではなかったから、 日本海軍ご自慢の
100馬力エンジン装備のファルマン式でも、 オ
スター・タウベに遠く及ばなかった。
ブルジョー大尉の飛行経験は3ヶ月だったが、
それを性能がカバーした。 彼は青島到着後に大
尉に昇進、 悠々と日本陣地を偵察するかたわら、
日本軍機と空戦を演じた。 といっても、 すれ違
いざまに、 ただピストルで打ち合うという大ら
かなものだったが、 性能の差はどう仕様もなく、
常に日本軍機は翻弄されたようだ。
タウベ機は日本軍機をなめているのか、 堂々
と日本軍基地の700∼800m上空に飛来、 大胆な
偵察をおこない、 その直後に、 青島要塞の砲台
から、 かなり正確な日本陣地へ砲弾の雨が降っ
た。 タウベ機が飛来し、 「それっ!」 という訳
で、 陸軍機が飛び立つが、 優速な敵機は、 はる
か上空へ回避してしまい話にならない。 日本軍
機としては、 精々、 タウベ機を高空へ追い上げ
て、 彼の偵察任務を不可能にする程度である。
さらにタウベ機は、 日本海軍が膠州湾に投錨し
ている軍艦上空へ飛来し、 爆撃投下をおこなう
ようになった。
ようやく青島の陥落が目前になったとき、 ブ
ルジョー大尉はドイツ軍指揮官ワルデック総督
からの重要書類を携えて上海へ脱出した。 とこ
ろが途中、 翼に十数発を被弾、 江蘇省の海浜に
不時着、 そこで機体を焼却して逃走、 上海に行
きついたところで日本陸軍に拘束、 南京城内に
捕虜として拘禁された。 しかし、 看視がゆるや
かだったらしく、 脱出に成功、 再び上海に潜り
込み、 ここでスコットランド人マック・ガルビ
ンの偽名によってパス・ポートを作成、 アメリ
カ行きのモンゴリア号に乗船した。 航海の途中、
日本の港にも寄港したが船室に身を隠し、 太平
洋上に出てから、 ようやく解放されたという。
日本陸軍はオスター・タウベに対抗するため
に、 急遽、 帝国飛行協会が所有しているルンプ
ルンプラー・タウベの飛行
ラー・タウベ (100馬力) 2機を、 職権によっ
て31,500円で購入、 うち1機が青島へ送られた。
帝国飛行協会技師の磯部吉予備役少佐が、 陸
軍省嘱託として現地に急行、 飛行機組立と操縦
指導をおこなっている。 現地で組み立てられた
タウベ機は11月6日に出撃、 高度2,000mで王
哥庄の西方大橋付近まで飛行したが、 エンジン
が故障して付近に不時着、 以降、 実戦に参加す
ることはなかった。
日本陸軍航空隊所属の係留気球が、 10月31日、
初めて劉家韓哥庄付近に昇騰して敵情視察をお
こなっているが、 その偵察能力には限界があっ
た。 何といっても飛行機にはかなわない。 それ
も機動力に優れている海軍に歩があり、 地上の
固定した基地を動くことができない陸軍は不利
であった。 幸いに陸軍参謀長の山梨半蔵少将は、
柔軟な考えの持ち主で、 犬猿の仲である陸海軍
の面子を頓着せず、 しばしば、 若宮丸へ使者を
だして、 最新の空中からの情報を入手して、 効
果的な作戦を練ると共に地上部隊へ知らせたと
いう。
この青島戦に陸軍は、 久留米第18師団と第3、
第4、 第10師団の一部、 計3万名が長崎港を、
順次、 出港した。 指揮官は神尾光臣陸軍中将、
参謀長が山梨半造少将、 そして開戦から2ヶ月
余りのちの10月31日、 天津港に上陸したイギリ
ス陸軍将兵約一千名と合流、 青島要塞に立て籠
もっている5,000名のドイツ守備隊に攻撃を開
始した。 11月7日払暁の総攻撃によって、 つい
にアルフレッド・フォン・メイヤー・ワルデッ
ク総督麾下のドイツ軍守備隊は降伏したのであ
る。
陸軍航空隊は、 青島陥落まで86回出撃、 1機
の平均出撃数21回、 最多出撃は31回、 総飛行時
間89時間弱、 平均飛行時間1時間2分 (最大2
時間)、 敵地上空の飛行39回、 平均高度1,250m
(最高2,100m)、 敵の射撃は7回、 総被弾数55
発、 陸軍機の機銃使用3回、 発射弾数900発、
爆弾投下15回、 投下爆弾数44発を記録した。
海軍航空隊は、 陥落までの約2ヶ月間に飛行
回数49回、 平均飛行時間1時間30分 (最長2時
間12分)、 延べ飛行時間71時間、 最高々度2,850
m、 爆弾投下数199発、 うち命中確実8発、 不
確実16発を記録した。
11月23日付きで、 海軍航空隊に対して、 第2
艦隊司令長官・加藤定吉中将 (のち大将) は、
感状を与えた。 いわく、
「海軍航空隊ハ9月5日以来、 屡々敵弾ヲ冒
シテ青島上ヲ飛翔シ、 海陸防衛ノ状況、 艦艇ノ
動静ヲ偵察シテ作戦上有利ノ報告ヲ斎シ、 又爆
弾投下ニヨリテ心胆ヲ寒カラシメタ功績顕著ナ
リト認ム。 仍テ茲ニ感状ヲ授与スルモノナリ」
余談ながら、 1921年から22年にかけて9カ国
によるワシントン会議 (米、 英、 日本、 中国、
仏、 伊、 オランダ、 ポルトガル、 ベルギー) が
開催された。 その意図するところは、 日本のこ
れ以上の勢力拡大を阻むものであった。 結局、
日本は中国の主権と領土を尊重するという大義
名分によって、 ドイツから手に入れた山東省の
権益を中国に返還、 同時に、 米国の反対によっ
て、 日英同盟が廃止されたのである。
(参考文献:日本航空協会 「日本航空史・明治
大正編」)
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連
載
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
文と絵
湧井カレン
最終話:テスト・パイロット
業界以外の方々と会ってお話したり、 飲んだりするたびに、 会話は決まったパターンと方向へ進
行する。
「テスト・パイロットさんですってねえ、 カッコ好いですねえ、 どんな飛行機に?」
「ツナギを着て、 お客も乗せられない飛行機です、 色だって満足に塗ってないのもあるし、 荒っ
ぽいし、 カッコ好さには程遠いですよ」
「怖いでしょうねえ、 危ないこともいっぱいあるんでしょう?」
「いえいえ、 テストと言っても予測できることがほとんどで、 大体シミュレーターで結果は出て
いるし、 それを確かめるのが仕事なんですよ」
「でも、 飛行中にエンジンが止まったり機械が故障して死ぬような思いもされるのでしょう?」
「確かに新品の飛行機には初期故障というのがあるのですが、 品質管理技法も進歩した今は、 昔
のように頻発することはないんですよ」
と言うような会話が一般になされる。 Test Pilot の一般のイメージと実際との間に距離を感じる。
ここからは内向きの話になるのだが、、、 そのようなタイトルを冠して頂くほど実績がない自分に
は面映い心地がする。 そこでわが国製造業パイロットの過去の事情なども少し紹介してみたい。 今
もそう変わりはないはずだ。
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わが国の当時の職業操縦士、 約7000名の中で航空機の製造・修理を行う会社で飛行試験に従事し
ていた操縦士は50名ほどだろうか。 確かにマイノリティであり輸送航空、 GA などで飛んでおられ
る諸兄から見て幾分風変わりな仕事でもある。 第2次大戦後に航空空白期を経験したわが国で独自
の航空機を開発した例は極めて少ない。 だから本当の意味での Experimental Test Pilot として実
績を持つ人は十指で足りるだろう。 筆者も含め多くは Production Test Pilot であった。 時折、 大
改造やエンジンの換装、 研究開発のための特殊仕様機などのテストに従事できる程度なのだ。 これ
はこの分野で十分誇らしい仕事には違いない。
過去に開発した YS11 や C1 といった飛行機のプロジェクトが継続し、 改修や近代化に進んでい
たら、 今頃は Airbus 社に負けないほどの何かを生んでいただろうと残念な思いもする。 官指導型
プロジェクトの弊害なのだろうか。
今日、 膨大な開発費とリスクを考えると一社、 一国での新機種の開発など慮外となってしまった。
今後この傾向は増大するだろう。 でも一社の中にもローカルなシステムとして優秀な技術者集団は
機能している。 テストパイロットの風変わりさは、 そのミッションと評価が徹底して技術的視点に
偏っていることだろう。 例えば試験のために大きな沈下率で接地させて乗組員をギックリ腰に誘っ
たり、 構造にオーバー・ストレスを与えても文句は出ないが、 速度100ノットで取るべきパラメー
タを102ノットのデータとして持ち帰ったら、 これは恥かしい。 輸送航空、 GA の諸兄には身近な
要素となる経済運航、 営業センスなどにも少し距離がある。
テストパイロットは会社の中の一集団 「飛び屋」 にすぎない。 その回りにいる技師たちは空力屋、
構造屋、 艤装屋、 エンジン屋、 油圧屋、 電気屋、 電子屋などに加えて現場を同じくする整備屋さん
たちだ。 これらを統合するものにシステム・インテグレーターというまとめ屋さんが居て、 その上
にはプロジェクト・マネジャーと称するボスがいる。 飛び屋は必然的にこれらの技術屋たちとお付
き合いすることになるのだが、、、
さて、 また業界の外へ出てお話を続けるとするか。
20歳で飛行訓練を始めて64歳まで飛んだから44年の空中勤務だった。 10,600時間ほどがログブッ
クに記録されている。 70ノットのヘリコプタから400ノットのジェット輸送機まで、 20機種ほどの
フライング・マシンに乗った。 論理の立たない計算だが、 平均速度を200ノットとすると、 お月様
まで7回行って今はその帰り道半ばにあたるらしい。 日数に直すと生まれて以来、 1年2ヶ月ばか
り空中に浮いていた勘定だ。
「足が地に付かない」、 「浮ついた人生」 を歩んできたと言えますね。
「怖いことですか、 42年の間にそんな想いをたった2度だけ経験したでしょうかね」
「エンジンが止まってしまったとか、 舵が動かなくなったとか?」
「いえいえ、 そう言う故障は怖い部類には入らないんですよ、 いつも予測できるし、 その事態か
らの回復処置はいつでも出来るよう、 気持ちと手順が準備されているんです」 恐いのはむしろ、、、
*
*
*
飛行機どうしの異常接近や接触など、 突発的な出来事。
ひとつの故障が起きたときに連鎖して別の異常が起きる。
ひとつの故障が起きた時、 対応を間違う、 気象条件が悪化すると、 不利な事態が重なる。
2008 MAY
63
こんな状況から事故が起きることが多い、 私の場合幸運にも事故に至らなかったのは、 連鎖して
異常や不利な事態が起きなかったのだろうと思う。
「一度目は人為的な激しい下降気流に飲み込まれてしまったこと、 二度目は他機と空中で異常に
接近したことでした」
2回ともヘリコプタでの出来事だ。 1度目は北アルプス穂高岳の上空、 会社のプロモーション映
画を撮影中のこと。
まっさらな V107新型ヘリが朝焼けの穂高岳バックに飛ぶ雄姿をフィルムに納める。 私の操縦す
る小型ヘリがカメラで狙う。 位置が決まって私は1万フィートを OGE (Out of Ground Effect)
ホバリングで待機する。 その少し上を V107 が120ノットでフライ・バイ。 通り過ぎた瞬間、 バッ
ターンとショックが来た。 V107 のドでかいローターの吹きおろしをもろに被ったのだ。 限界パワー
でホバリングしていた私は瞬間に200フィートほど落とされた。 でも天佑と言うか、 夜明けの穂高
にも少しの風があった。 そして私はその風の上手 (上昇気流側) に居たのだった。 30ノットほど速
度を得たところで転移揚力を得たのだろう、 沈下は止り脱出できた。 私は全身からアドレナリンを、
カメラさんはフィルムのマガジンをおでこにぶつけて大きなコブを作った。
2度目は場周経路 (右回り) ダウン・ウィンドで起きたニア・ミスである。 私は V107 ヘリの左
席に座るコ・パイロット、 私の V107 は外回りパターンで、 1100フィート、 相手の小型ヘリはビジ
ターの顧客が操縦するもの。 内回りパターンで900フィートの設定である。 管制官は私に No.1を、
ビジターの小型ヘリに No.2を与えた。
「久しぶりやからオマエが着陸するかい?」 と右席 (正規の席です) の機長は私に操縦をハンド・
オフした、、 まさにその瞬間、 ダウン・ウィンドを飛んでいた私の左から直角に同じ高度で横切る
小型ヘリを認めたのだ。 スティックを譲り受けたとたんの出来事である、 咄嗟に90度バンクに入れ
たからヘリは見事にブレードストールを起こし200フィートほど落下した。 管制官、 私、 機長、 ビ
ジターの機長の4者がみな注意を怠っていたと言える。 立て直した私の真上をビジターのヘリは何
事もなく (気がつく様子もなく) 通り過ぎていった。
「××tower say position No.1 traffic?」 と言うコールが耳に入ってきた。
片エンジンでの着陸やシステム故障での着陸は幾度も経験した。 緊張はするけど恐さを味わった
ことはない、、、 でも上述の2回だけは、、、
テスト・パイロットには、 回りで案じていただくほどの危うさは無いのだ。 でもあまり正直が過
ぎると、 飛行手当の増額交渉に不利を招くと言う知恵も永年の経験で知り得たのだった。
テスト・パイロットもサラリーマンだ、 TPO も心得なければと思っているうちに定年退職して
しまった。
今から40年も昔の話ですが、 サンフランシスコの繁華街に“Phinocchio”(フィノッキオと発音)
という有名なナイトクラブがありました。 1931年創業で9年前に廃業したと HP には載っている
ので68年続いた勘定ですね。 もう行くことは出来ないのですが、 当時、 時折日本から出張してく
る上司を案内して訪れる定番の店でした。
ここの 「売り」 は見事なストリップショウ、 とは言えカラッとした健全なもので、 女性同伴でも
64
2008 MAY
大威張りで行ける店でした。 見ものは大柄で見事なプロポーションの踊り子を揃えたショウ。 その
ステージショウの最後の部分です。 音楽が止み、 スネアドラムの音だけになって、 フラッドライト
の消える直前の1秒、 バスドラムの 「ズン!」 という音と共に、 ポロッとはみ出るのですね。 お客
は一瞬唖然となって、 その心憎い演出、 intentional disclosure に気付く、 そして大喝采に変わる。
Phinocchio の踊り子に女性が一人も居なかったのは有名です。
2年間お付き合い頂いた 「そらのみちくさ」 も読者諸賢には食傷気味、 今回で最終回とさせて頂
きます。 冒頭に自己紹介した 「湧井カレン」 の筆名の由来どおり 「ワキイカレン」 思いもあります
が、 いさぎよく本名、 本性をポロッとはみ出させて筆を置きます。 そして若返りの hand off です。
次回からは妙齢、 三河生まれの美人機長、 Captain Miwa Aoki の登場です。
Lady Miwa はアメリカで活躍中の定期運送操縦士、 教育証明、 航空輸送科学修士号もお持ちの
才女です。 ビジネスジェット機のメーカーからデモ・パイロットの誘いを受けたのに、 これを reject、 2年ほどはエアラインを経験したいと、 今はシアトルベースのエアラインで中型ジェット輸
送機に乗務して career built up 中とのことです。
アメリカの空から最新 US 事情やら異国でのフライト体験談やエピソードを連載していただく予
定です。 連載のタイトルは 「???」 ですが、 次号をお楽しみにお待ちください。
カレンの拙文と下手なマンガに長い間お付き合いいただき、 ありがとうございました。
カレン最後のテストフライト
2000年2月22日 P3C 室戸沖にて
JAPA
2008年4月吉日
OB 会員・編集委員
柳井 健三
2008 MAY
65
パイロットへの道
ストールは怖くない!
D e g o b e rt A l a i n
皆さん、 ボンジュール! 前回に引き続き、
今回は 「ストール (失速)」 について、 私の経
験からお伝えしたいと思います。
フランスで飛行機の訓練を始めたとき、 最初
に教わったのは、 パイロットにとって一番の敵
は 「恐怖」 だということでした。
パイロットが恐怖を感じないようにするため
には、 自分が乗っている機体をよく知る事、 経
験のある教官としっかり練習をし、 ライセンス
の取得後も、 様々な状況でトレーニングをする
ことが必要なのです。
失速のイメージを変える
失速というと、 多くの人は 「怖い」 とか 「危
険」 というイメージを持っていると思います。
66
2008 MAY
ドゥゴベール・アラン
確かに低空で失速したらまずいですね。 しかし、
失速のことをきちんと理解し、 トレーニングを
し、 正確なイメージができれば、 失速に対する
「恐怖」 や 「不安」 を抱くことなく、 フライト
に望むことが出来ると思います。 また、 自分の
気持ちやイメージを冷静にコントロール出来る
事で、 気付かない内に失速をしてしまうなどの
危険も避けることができると思います。
失速とは
失速とは、 翼上面の流れが、 ある限度以上の
迎え角や高速飛行時の衝撃波の発生など、 何か
らの理由で翼上面からはがれる状態に陥ると、
揚力を発生出来なくなり、 又、 併せて抗力の増
加も発生し、 機速も失われる。 このような現象
を失速と呼びます。
理論的には分かるのですが、 その 「何からの
理由で」 という言葉には、 多くの理由が考えら
れますし、 言葉ではなく具体的なイメージで、
失速についての説明を少ししたいと思います。
A
B
航空力学ではエレベター、 ラダー、 その他の
揚力を受けている物にも失速の現象があります
が、 航空工学では翼の失速のみを考えます。
揚力、 CL 、 迎え角、 航空力学を習う時に最
初に覚える基本です。
揚力は速度、 空気の密度、 翼面積、 翼面荷重
(胴体の面積もすこし)、 翼の揚力係数により変
化します。
CL Max までは迎え角が大きくなるほど揚
力係数が大きくなります。
CL Max を超えると揚力係数が小さくなり、
揚力が飛行機の重量より小さくなるので、 飛行
機が沈み始めたり、 頭から落ちるなどの現象が
おこります。 これをストール (失速) といいま
す。
失速の特性:優しい失速、 激しい失速
翼型、 翼平面形、 面翼面荷重、 翼厚と CG に
よって、 失速は変化します。
例えば
Aの細長い翼の失速は、 Bの翼よりも急に発
生し、 激しいものです。
翼の厚みが薄いほど失速が急に発生し、 激し
いものです。
失速をしないために
簡単にいうと失速が発生しないようにするに
は、 ある迎角を超えなければよいのですが、 私
たちが乗っている飛行機には、 その迎え角を表
示する計器はありません。 ストールに近い迎え
2008 MAY
67
私は失速も操縦もスポーツと同じだと考えて
います。 いくら説明を聞いたり、 読んだとして
も、 どんな速度、 姿勢、 失速への接近率でエレ
ベターを引っ張ると失速するのか、 実際に自分
で体験しなければ、 それは自分の知識や技術に
はなりません。 私は出来るだけ様々な状況で練
習をし、 感覚で覚え、 自分の技術につなげられ
るようにしています。 アクロバット飛行の練習
でも、 様々なストールやスピンを練習します。
それはとても良い経験、 技術になっています。
しかしそれでも全ての失速とスピンを知ること
角になると失速を感知するストール・ウオーニ
ング・ベーンが反応し、 コックピット内で音が
なったり、 ライトが点灯したりするのです。 し
かしそのシステムだけでは万全とはいえません。
ストール・ウオーニング・ベーンは、 片翼にし
かついていないため、 右左翼にあたる風の速度
が違うスピンの時は、 そのストール・ウオーニ
ング・ベーンが反応しない場合もあります。
飛行機のマニュアルを見れば、 水平直線飛行
をしているときはどんな速度で失速するのかお
およそ分かります。 しかし、 Gがかかるときは
計算が難しくなり、 いつ失速するのか分かり難
くなってしまいます。 ベテラン・パイロットで
も、 十分な速度があると思っていたのに、 ファ
イナルターンで失速してしまい、 墜落してしま
うという事故は、 その一例ではないでしょう
か……。
やっぱり実感と練習
パワー、 フラップ、 バンク、 G力、 重量、 ガ
スト、 サーマルなど、 様々なファクターにより
失速が発生したり、 変化したりすることがあり
ますし、 もちろん飛行機の機種によっても、 失
速が発生する瞬間やその状況は様々です。
68
2008 MAY
は出来ません。 どんなに経験があるとしても、
やはり大切なのは、 常に注意を払い、 必要以上
に速度を落としたり無理は絶対にしないという
事です。
失速からどうやって回復する?
スティックフォーワード、 パワー、 と簡単に
答えることは出来ません。 状況と飛行によって、
その“ルール”が適さない場合もあります。
チェックアウトするときには、 機体に慣れてい
るパイロットと飛行機の特徴をよく理解し、 よ
く練習することが必要だと思います。
フランスでは、 ライセンス更新の際、 教官と
同乗し失速とスローフライトの練習を行います。
それは、 日々のフライトの際に、 失速やスロー
フライトの練習をする習慣があまりないことか
ら、 ライセンス更新に合わせて、 定期的に練習
を行えるようにするためです。
日本では、 このような習慣はないかもしれま
せんが、 機会を見つけて、 是非積極的に練習を
行っていただきたいと思います。
次回は、 失速と密接な関係にある 「スピン」
についてお話したいと思います。
Bon vols! (楽しいフライトを!)
From the Control Room
パイロットのはなし
空の交差点は航空に携わる或いは興味のあ
念のため ④
る方々が 「空の仲間」 として相互理解を図
る場です。 皆様の投稿をお待ちします。
ジリジリ
ジリジリ
ベッド脇のホテル備え付けの目覚まし時計が
起床時刻を告げる。 眠りから覚めつつ虚ろいだ
目で目覚まし時計を見た。
あー!7時か!
「さて起きるか!」
ベッドから上半身を引き剥がすように起こし、
ゆっくりと立ち上がりバスルームへと向かう。
シャワーの湯加減を調節し頭にシャンプーを
つけ泡立たせた。 そこに ルルルル
ルルル
ル 。 シャワーで頭を洗っている水音に混じり、
今度は電話の呼び鈴である。
「今ごろ何だろう?」 の疑問と朝のプライベー
トタイムを犯された多少の腹立たしさと共に電
話を取った。
あのー!迎えのタクシーが来ていますが!
ホテルのフロントからの電話である。
ええ? 迎えは8時ですよ!
「えー今8時少し過ぎです!」 とフロントが
のたまう。 「そんなバカな!」 と思いつつシャ
ンプーで泡立てた頭のまま、 ベッド脇に行きホ
テルの目覚まし時計を見る。 7時5分を示して
いる。
しかしふと胸騒ぎを覚え、 ベッド脇のテーブ
ルに置いた自分の時計を見やると、 なんと8時
5分を示しているではないか!
ホテル備え付けの目覚まし時計が1時間狂っ
ている、 との結論に至るまで僅かだった。
寝坊パイロット
歯磨きをつけ左手で歯磨き、 同時に右手に剃刀
を握り髭剃り、 そのままトイレの便座に座り用
をたす。
あー!その姿、 人が見たら何と思われよう?
しかしである。 この超同時進行が功を奏し、
バスルームから出てきたのが5分後であった。
制服の着替えに5分、 全ての用意が整い自分
の部屋を出るまで10分強であった。
何故ホテルの目覚ましが狂っていたか?
前日ホテルのチェックインの際、 多くの中国
人とおぼしき団体客が出発して行った。 彼らの
時間的意識は1時間の時差である。 彼らがホテ
ルの目覚まし時計を自国の時間に合わせたとし
ても不思議ではない。 つまり私は彼らが出た部
屋にチェックインしたと思われ、 その時から1
時間遅れの中国の時差時間で過ごしていたのだ。
それ以来、 念のため、 時間の確認とモーニン
グコールを頼むのを常としたのは言うまでもな
い。
バスルーム! 八面六臂、 全てが同時進行!
頭の泡にシャワーをかけつつ歯ブラシに練り
2008 MAY
69
From the Control Room
UFO見た人居ませんか
元 JAS 機長
土居則夫
“UFO”とは
41年前のこと
Unidentified Flying Object の略で 未確認
飛行物体 と訳されて居ますが、 これを即 空
飛ぶ円盤 (宇宙からの飛行物体) と解すると
ちょっと話が飛躍しすぎて、 ついて行けなくな
るので、 ここでは一応 何か判らない飛行物体
程度に考えて話を進めて行きます。
それは多分、 広島発大阪行き最終便に乗務し
ていた時のことだったと思います。 暗い操縦室
で黙々と安全飛行に専念していたら、 急に前方
が明るく感じたので眼を上げると、 右上方から
左前下方へ、 非常に大きく明るく光る物体がか
なりの高速度で移動した後に消え去ったのでし
た。
ただそれだけのことだったのですが、 その大
きさと明るさが 並み ではなく、 今までに私
達が見た流星とは桁違いのものだっただけに、
「あれはいったい何だったのだろう (?) ……」
と、 乗務を終えた私達 (副操縦士と) 二人はすっ
かり考え込んでしまいました。 しかしどんなに
思考と協議を重ねても、 私達にはその答えを導
き出すことができませんでした。
さて、 次の悩みは 「機長報告を出すべきか否
か」 でした。 航空法施行規則に言う その他の
異常な気象状態
地象又は水象の激しい変化
航空機の航行の安全に障害となる事態 のい
ずれにも該当しないようだけど、 「本当に……?」
「絶対……?」 となると 「う∼ん……?」、 首を
傾げてしまうんです。 そこで止むなく 「取り敢
えず報告だけしておこうか……」 と言うことに
なって、 レポートを出したように思うんです。
それからしばらく経って、 その情報がどこか
らどう漏れ伝わったか知りませんが、 或る国際
的なシンポジュームのようなものに招かれ、 講
演するハメになってしまったのです。
その時に貰ったメタルが私の秘蔵品の中から
出てきましたが、 それには次のように刻印され
て居ります。
今
何故“UFO”?
一昨年秋、 私は文芸社から 「元老練機長が明
かす裏話 空の小話集 」 と言う本を出版しま
したら、 それが以外にも好評で、 びっくりする
ほど売れて居るようなんです。 と言っても印税
で出版費を取り戻すところまではまだまだ届い
てないのですが、 印税以外にいろんなメリット
が有るのに驚きました。
例えば各種の新聞・雑誌にとりあげて戴いた
り、 講演会に招かれたり……etc。 そのおかげ
で素晴らしい友人の輪が広がったり等がそれで、
「貧乏暇なし」 の毎日に明け暮れて居る今日こ
の頃なんです。
そんなあれこれの中の一つなんですけど、 本
の発売直後に、 或る雑誌の編集長さんがその本
を読んで、 「こんなオジンを集めてしゃべらし
たら面白い記事になるのでは……と思いつき、
JAL・ANA・JAS の元機長と JAL の元 CA
(スチュワーデス) の4名を東京の会社に招い
て座談会を開きました。
その席で、 司会者の 「UFO 見たことありま
すか」 との問いに 「ありますよ」 と答えたのが、
そもそもの始まりなんです。
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2008 MAY
空の交差点
CONGRATURATIONS!
INTERNATIONAL SKY SCOUTS STARTS!!
祝 トレンチ伯爵来日記念 (41.8.9
N. DOI)
どうやらその時東京で 国際スカイスカウト
発会式 のような催しが行なわれ、 それにイギ
リスのトレンチ伯爵が列席なさったからでしょ
うか、 引き続いて行なわれた晩餐会と共に、 そ
れは超優雅で厳粛な公式の国際セレモニーだっ
たように記憶して居り、 私如き庶民にとっては
シンデレラ的気分を味わった最初で最後の貴重
な経験となりました。
UFO 見た人は御一報下さい
UFO にまつわる私の話はだいたいそんなも
のなんですが、 最近になって (歳のせいでしょ
うか)、 UFO とは もう、 これっきり、 これっ
きりーですよ となるのがなんとなく寂しいよ
うに思えてきて、 できればもう少しだけ拘って
見たくなりました。
あるテレビ番組でも言ってましたが、 UFO
との遭遇者は意外にも非常に多いようです。 現
に私の長男の嫁と孫もその一人 (いや、 二人)
で、 特に顕著な反応を示したのは、 連れて散歩
してた犬だったそうです。 更に他のエアライン
では、 「UFO 目撃」 を報告したばっかりに地上
職に降ろされた機長が居た……と言うとんでも
ない話も聞きました。
そんな怖∼い例はめったに無いでしょうが、
私達 空の仲間 の中には 「UFO 見たよ」 と
言う人がかなり居ても不思議でないと思うので
す。 そんな方々の貴重な経験をそのまま自然消
滅させるのは誠に勿体無いことのように考え始
めました。 そのテレビ番組にも有りましたが、
フランスには 「UFO の情報を集めて調査・研
究・公表している公的機関もある」 そうです。
書き出しに戻りますが、 UFO とは…… あ
くまでも 未確認飛行物体 であって、 宇宙
からやってきた空飛ぶ円盤 とまでは考えられ
ないまでも、 なにか判らない不思議な物 (ま
たは現象等) がこの地球上に居ても (発生し
ても) おかしくない。 人類の知識や経験で理解
できないものは存在しない……と否定したり、
あるいは自分の知識の範囲内に押し込んでしま
うことは とんでもない人間のオゴリ だと思
うのです。
連絡先:土居 則夫
〒874 0847
別府市馬場7組
TEL・FAX
0977−24−4833
ロフティ鶴見903
(表面)
(裏面)
UFO について講演した時に貰ったメタル
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From the Control Room
空の旅と私の体験
東京都小金井市
先日、 沖縄のホテルで息子夫婦や孫たち9名
に囲まれながら、 古希を祝ってもらいました。
明治生まれの私の両親は一生、 飛行機に乗る事
もなく、 逝ってしまいましたが、 私たちの世代
は何と幸せな時代を生きているのだろうと、 つ
くづく思います。
この半世紀を振り返った時、 戦争がなかった
ことと、 科学技術が著しく進歩したことで、 私
たちの生活は根底から変わりました。 とりわけ、
飛行機の進歩は目覚しい限りです。 今回、 私の
空の旅体験で印象に残ったことを記します。
はじめに
子供の頃、 鳥のように空を飛んでみたい、 或
るいは島崎藤村の詩 「椰子の実」 を読み、 名も
知らぬ遠き島に旅したい気持ちに駆られました。
当時、 飛行機といえば、 旧日本軍の戦闘機や米
軍のB29、 艦載機などの軍用機ばかりでした。
当時、 外国に行く手段としては汽船しか想像
できず、 今のような航空機時代の到来は夢にも
思っていませんでした。 飛行機に初めて乗った
のは20代の後半で、 台風で東海道線が不通にな
り、 伊丹から羽田まで飛び、 とても感動しまし
た。
私は現役時代、 製鉄会社で生産管理システム
の開発と情報技術者育成用パッケージソフトの
開発に携わりました。 こうしたことでヨーロッ
パには生産管理システムの技術指導にでかけ、
国内、 及び中国、 韓国にはパッケージソフトの
商談で度々出張し、 飛行機を利用しました。
私の飛行機利用は30代から50代にかけてはビ
ジネスで、 50代以降は家族同伴の観光ツアーで
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2008 MAY
上田
亨
す。
機上からの光景
機上から見る世界は雄大で、 とても印象的で
す。 私が初めてヨーロッパを訪れた時は北極経
由でした。 アラスカ上空では雪を被った針のよ
うに尖った山並みがずっと続き、 地獄の針山を
連想しました。
その後、 ヨーロッパ行きはシベリア経由とな
りましたが、 緑の大地が限りなく続き驚きの連
続です。 殊に、 極東シベリアの山地、 中央シベ
リア高原、 西シベリア平原の広大さには驚嘆し
ます。
一方、 アメリカも広大ですが、 こちらは緑一
色ではなく、 砂漠もあって緑、 白、 茶が混在し
ています。 フィンランドでは湖が多く、 緑と青
のモザイクとなっています。 太平洋の島々は紺
碧の大海原の中に緑の島が浮かび、 その周辺を
白い波とサンゴ礁のコバルトブルーが縁取って
いるのがとても美しく、 印象に残っています。
海外旅行
空の旅の醍醐味は何と言っても海外旅行にあ
ります。 国内では体験できない自然、 歴史、 文
化、 生活に触れ、 好奇心を満たしてくれるから
です。 米国のグランドキャニオン、 モニュメン
トバレー、 カナディアン・ロッキーの大断層や
コロンビア大氷原、 中国桂林の奇峯、 奇岩など
は今でも目に焼きついています。
歴史的な建造物では、 中国の万里の長城、 兵
馬俑、 ヨーロッパの中世の街並み、 宮殿、 古城、
空の交差点
エジプトのピラミッドは一見の価値がありです。
これらは時の専制君主が技術、 芸術の枠を尽く
して建設しており、 その時代の国民は大変な犠
牲を強いられたと思いますが、 今となっては歴
史的な価値は計りしれません。
また、 国土の割に人口の少ない北欧、 カナダ、
ニュージーランドでは日本のような歓楽街がな
いのも特徴と言えます。 国際結婚して現地に住
んでいる日本人ガイドによると、 サラリーマン
も早く帰宅し、 家族で食事を楽しむようです。
日本再発見
日本に住んでいると悪い所ばかり気になりま
すが、 海外旅行をすると日本のよい点が見えて
きます。 第一は昼と夜のバランスがとれている
ことです。 北欧のように夏は昼ばっかり、 冬は
夜ばっかりという生活にはなじめません。 第二
は春、 夏、 秋、 冬のバランスがとれ、 それぞれ
の季節感が楽しめることです。 赤道直下では、
常夏であり、 高緯度の地域では、 春と秋が短く、
夏と冬が殆どです。
第三は道路に信号機が多数設置され、 車線が
白線で明示され、 危険箇所にはガードレールが
設置され、 交通安全への配慮が行き届いている
ことです。 また、 高速道路のパーキングエリア
にトイレが多数設置され、 とても清潔です。 第
四は犯罪が少ないことです。 西欧の町では、 個
人の家はもちろん、 マンションのベランダまで
が鉄条網で覆われています。 第五は川や港がき
れいなことです。 中国や西欧における川や運河
はココア色に汚染しております。
プロペラ機
今では、 飛行機といえば、 ジェット機ですが、
昔なつかしいプロペラ機にも4度だけ乗りまし
た。 国内では広島−鹿児島線と羽田−白浜線で
の YS11です。 印象に残っているのは、 ものす
ごい爆音と低空で飛ぶので景色がよく見えたこ
と、 飛行時間が通常の2∼3倍もかかったこと
です。 YS11は戦後初めて開発された国産旅客
機で2006年に退役が決まったことを聞き、 ちょっ
ぴりさびしかったです。
ヨーロッパではウィーンからプラハにプロペ
ラ機で向かったのですが、 厚い雲に遮られて引
き返したことがあります。 この時は雲の中で他
の飛行機と空中衝突しないか、 とても心配でし
た。 ニュージーランドでは、 5人乗りのセスナ
機で山上の氷河までを往復しました。 橇をつけ
て雪原に着陸した体験はこの時だけです。
この地、 ニュージーランドのオークランドの
戦争博物館で旧日本軍の 「ゼロ戦」 にお目にか
かりました。 あまりに小さいので驚きました。
トラブル
旅にはトラブルが付きもので三回経験しまし
た。 現役時代にソウルの韓国科学技術院での講
演のため、 2台のパソコンをもって出張しまし
た。 ところが金浦空港の税関で5時間も足止め
をくいました。 同行の商社員の提言に基づき、
税関の課長、 係長、 担当者に1万円ずつ払った
ところ、 即通関できました。
二度目はツアーで中国の西安空港に夜8時頃
着いたのですが、 現地の中国人ガイドが現れず
途方にくれたことがありました。 たまたま、 別
のツアーのガイドを通じて連絡をとってもらっ
たところ、 中国人ガイドは指定の場所から離れ
た別の場所で談笑していたとのことで、 全くあ
きれました。
三度目は北京空港で家内がスリにあいました。
ガイドから事前に危ないといわれハンドバック
をオーバーの中にいれていたのですが、 空港で
パスポートをしまおうとした一瞬をついて財布
を奪われました。 正にプロ級の腕前です。
おわり
これからは体力的に長時間の飛行に耐えられ
なくなるので、 空の旅は国内か、 近隣国になら
ざるを得なくなります。 そうしたことから JAL、
ANA 等国内航空会社には引き続き、 大変お世
話になる事と思いますが、 利用者の立場から、
2008 MAY
73
競争相手である新幹線も念頭におきつつ、 経営
改善について提言させていただきます。
に飲食物の有料化に踏み切っていました。
第一は安全確保です。 整備・運航の安全確保
には一層の努力をお願いしたいと思います。
第三は定刻運航です。 ドア・ツー・ドアでの
所要時間を短縮できるのが航空の利点なのです
から、 出発遅れのないように、 一層の努力をお
願いしたいと思います。
第二は機内サービスの簡素化・有料化による
客室乗務員の大幅削減です。 客室乗務員の仕事
の大半は飲食物の提供と後始末です。 新幹線な
みに飲食物は有料化すれば、 飲食物の提供は2
割位に減るでしょう。 それに伴い、 ごみの排出
量も激減し、 環境対策にもなります。 私が20年
前に利用したフィンランド航空の国内線では既
現在、 どの業界も 「選択と集中」 による経営
改善を進めております。 航空会社におかれまし
ても、 安全に重点投資し、 機内サービスの簡素
化によるコスト削減、 旧来の慣習にとらわれな
い定刻運航の実現を強くお願いする次第です。
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2008 MAY
地球環境問題関連用語の解説 16
66. 巡航高度
出来るだけ性能上、 その時の実際の離陸重量
に対する初期巡航高度 (Initial Cruise Altitude) に達し、 その後燃料を消費して軽くな
るにしたがって、 Step Up するのが望ましい
わけですが、 ATC 上高度が取れないこともあ
りえます。 例外的に、 Cruise Climb が出来る
地域があり最も消費燃料が少なくなります。
RVSM が出来る空域では、 出来るだけこまめ
に最適高度に上がって飛行することが、 地球環
境に優しいオペレーションとなります。
67. 巡航速度
最近は、 FMS を装備している機種が多く、
経済巡航 (ECON) 速度で飛行するのが、 現時
点での地球環境速度でしょう。 重い飛行重量の
ときは速く、 軽くなるにつれて少しずつ速度が
小 さ く な り ま す 。 Specific Range の High
Speed 側、 その程度は Cost Index によって左
右され、 飛行重量が軽くなるにつれて、 少しず
つ速度が減るようプログラムされています。
地球環境に優しい航空機は、 新しく開発され
た機種でもありますが、 新しいエンジン、 軽く
て丈夫な Composite Material の採用による重
量軽減、 洗練された翼型に Winglet をつけて
います。
Winglet の効果は、 通常、 抗力の減少、 また
は揚抗比 (L/D) の改善の割合で表され、 その
割合は、 巡航中のほうが離着陸時より小さくな
ります。 また、 Winglet も機種によって、 その
形状や大きさが著しく異なっています。 翼端へ
の取り付け角度によって、 Winglet で発生する
揚力の方向が、 場合によっては機体全体の揚力
成分も助け、 抗力成分を減少させる効果があり
ます。
B-747-400の場合、 B-747-300に比べ、 巡航時
は約4%の抵抗が、 離陸時は約7% L/D が改
善されるというデータがあります。
また、 B-737-700では、 1,500nm Range で、
Winglet により Block Fuel は、 約3.5%改善さ
れるとのことです。
A330、 A340、 A380、 B777、 B787、 等の大
型機のほか、 多くの中型機や Regional Jet、
さらにガルフストリーム G150以降の各シリー
ズ、 Learjet シリーズ等のビジネス・ジェット
の多くが、 Winglet を採用しています。 最近ユ
ニークなエンジン装着位置で注目を集めている
Hondajet や、 国産化が決定した、 MRJ もそ
の仲間です。
68. Winglet
誘導抗力 ( ) を減少さ
せるには、 翼幅を伸ばし、 翼端からでる渦の影
響を減らすのが有力な手法ですが、 高速に耐え
る翼の強度面からは重量増を伴うので、 翼長を
伸ばす代わりに、 翼端に小さい翼 (Winglet)
を取り付けることで、 翼端渦を上方に移動させ、
渦によって誘導される主翼の吹き下ろし角を小
さくし、 誘導抗力を減らすことができ、 多くの機
種で採用されています。 (AR:Aspect Ratio、
e:Oswald Number)
MRJ (Mitsubishi Regional Jet) (MHI 提供)
第15回掲載用語 (フライト関連)
62. 離陸推力
63. 騒音軽減離陸方式
64. SID
65. 上昇速度
2008 MAY
75
ews
FAI N
FA I ニュース
Federation Aeronautique Internationale
FAI が扱う航空スポーツは、 航空の記録の
認定と、 競技会が主な対象になります。
これらは、 日本の小型機の活動としては、 な
じみの少ない存在ですが、 米国、 欧州等を中心
に、 盛んに実行されています。
飛行の環境やパイロット数が、 その背景にあ
るのでしょうが、 日本でもその環境を、 FAI
からの情報を得ながら、 徐々に整えて行ければ
と思います。 では今月の各部門の報告です。
ロータークラフト (ヘリコプター)
ロータークラフトのアニュアルミーティング
はイタリーの TURIN で3月6日と7日に行わ
れました。 参加国はいつもお馴染みのドイツ、
フランス、 イギリス、 ロシア、 イタリー、 ウク
ライナ、 スイス、 ニュージランドでした。 今回
は日本からの参加は都合がつかず欠席しました。
会議の内容ですが特に大きな議題はなかったよ
うです。 詳しくはホームページで見ることがで
きます。 今年のチャンピオンシップはドイツの
アイゼンナッハで8月に行われます。 参加した
い方は JAPA 経由青山までご連絡してくださ
い。 You Tube に前回のオーストリア大会の様
子を下記のアドレスで見られるようにしました
ので興味のある方は見てください。
http://jp.youtube.com/watch?v=CSvQUVST3no
2011年はロシアがチャンピオンシップのホス
ト国として申し出てきました。
すばらしく美しい所の様ですから、 是非とも
参加をしてみたいです。
ジェネラルアビエーション (飛行機)
これまで、 国内では実績が無い FAI ジェネ
ラルアビエーション競技ですが、 その足がかり
を得るべく、 この3月に九州の枕崎空港で開催
された FAI・ジェネラルアビエーション・着
76
2008 MAY
奥貫
博
陸競技の試行は、 大変興味深い結果が得られま
した。 従来の着陸競技会では、 前後25m の範
囲に接地すれば満点だったのですが、 FAI 方
式では、 これがわずか前後2mの範囲になりま
した。 さすがに皆さん緊張した様子でしたが、
終わってみれば、 優勝者の成績は、 2回とも5
m以内というもので、 十分に通用する実力であ
ることがわかりました。
競技の結果もさることながら、 単発機のパイ
ロットにとって、 滑走路上空1500FT でエンジン
アイドルにして、 目標位置に誤差5mに接地さ
せる技術を身につけているということは、 いざエ
ンジントラブル不時着と言う時には、 生死を分
ける差になることでしょう。 技量維持の上でも
極めて有意義な内容ですので、 この競技を、 よ
り多くの方の参加で実行できれば、 と思います。
エアロバティックス (FAI-CIVA)
今年も FAI エアロバティックス世界選手権の
シーズンがやってきました。 まず最初は、 7/
5∼13にチェコ共和国で開催される第16回ヨー
ロッパ選手権 (飛行機)、 そのあと7/26∼8
/3にドイツで開催される2008ヨーロッパ・ア
ドバンスド・グライダー・エアロバティック・
コンテスト、 8/1∼10にアメリカで開催され
る第8回アドバンスド世界選手権 (飛行機)、
8/7∼17にポーランドで開催される第9回ア
ドバンスドヨーロッパ選手権 (グライダー)、
8/17∼24にロシアで開催される第1回 YAK
52選手権と続きます。 これらの選手権のうち、
飛行機の第16回ヨーロッパ選手権には室屋義秀
氏、 第8回アドバンスド世界選手権には内海昌
浩氏 (いずれも JAPA 会員) が日本代表とし
て出場することになりました。 また、 YAK52
選手権については、 興味を示した方もいました
が、 出場するまでには至りませんでした。
開催予告
Aviation and Railway Safety Promotion (ARSAP)
特定非営利活動法人 航空・鉄道安全推進機構
宇宙旅行をめざして
今、 宇宙では、 国際宇宙ステーション (ISS) の建設が進められています。
去る3月11日には、 日本の実験棟“きぼう”が打ち上げられ、 国際宇宙ステーションとのドッキ
ングに成功しました。 日本製の宇宙ステーションが活躍する新たな宇宙時代に入りました。
“きぼう”打ち上げまでの苦労話やこれからの活躍、 浮遊物 (デブリ) の衝突対策のようなさま
ざまな安全システム、 また一足先に打ち上げられた運輸多目的衛星 MTSAT の活躍ぶりなどをわ
かりやすく解説する講演会です。
多くの皆様のご参加をお待ちしております。
開 催 日 時 平成20年6月28日 (土) 13:00∼17:00 (開場13:00)
場
所 新橋 「航空会館」 201号室 (2F)
(JR 新橋駅徒歩5分、 都営三田線内幸町駅徒歩1分)
東京都港区新橋1−18−1
TEL 0335011272
http://www.kokukaikan.com/
参加費・定員 無 料
先着申込み順 約90名
プログラム
1330
開
演
開会の辞
来賓挨拶
1345
講 演 1
1445
講 演 2
1545
講 演 3
1645
1700
質疑応答
閉
会
NPO 法人 航空・鉄道安全推進機構理事長
航空・鉄道事故調査委員会委員長
航空局管制保安部 部長
“きぼう”が宇宙利用に果たす役割
宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 理事
宇宙機の安全確保
宇宙航空研究開発機構(JAXA)安全・信頼性推進部 部長
運輸多目的衛星 (MTSAT) について
航空保安無線システム協会理事長
武田 峻
後藤 昇弘氏
瀧口 敬一氏
白木 邦明氏
武内 信雄氏
井上 和夫氏
申込み方法:下記に必要事項を記入のうえ 「FAX」 にてお申込ください。
E-mail にてもお申し込みいただけます。 (下記事項記入)
先着約90名に入場証 (ハガキ) を送付します。 当日持参してください。
FAX:0339921391
E-mail:[email protected]
ふりがな
氏
名
住
所
勤務先
〒
電話番号 (FAX 番号)
電子メール
お問い合わせは、 E-mail (上記) にお願いします。
2008 MAY
77
開催報告
平成19年度 日本航空機操縦士協会中部支部総会
中部支部総会
春の足音が聞こえてくる、 3月1日13時から名古屋栄の中日ビルにて、 平成19年度中部支部総会
を開催致しました。
中里委員による司会進行で開催が宣言され、 引き続き青木委
員より総会成立の報告、 野口中部支部長の挨拶が行われました。
協会本部から出席いただいた増田副会長から、 公益法人改革
ならびに協会近況活動について報告がありました。 この中で、
自家用操縦士の技量維持に関して、 協会として積極的に関わり、
時間をかけても安全な方向に向かいたい旨述べられました。 最
後に様々な啓蒙活動を行っている中部支部活動に謝辞が申し添えられました。
平成19年度航空関連受賞者について、 中部支部からは大臣表彰該当者は無く、 以下3名の受賞報
告がありました。
東京航空局長表彰:山田 茂樹氏 (新日本ヘリ)
大阪航空局長表彰:樋口 永徳氏、 水島 光男氏 (三菱重工)
平成19年度中部支部活動について、 以下の活動が報告されました。
支部委員会
5回開催
小型航空機安全セミナー 3月4日
航空安全講習会
7月30日
管制官交流会
6月1日、 11月29日
青少年航空教室
3月18日
平成20年度中部支部委員選出について、
名古屋消防航空隊 田中 文夫氏が退任し、 後任に同航空隊 具志 賢治氏。
支部 HP 担当として三菱重工 木島 浩一氏の新任。 並びに19年度役員の留任が諮られ、 異議無
く承認されました。
平成20年度支部役員 (支部長は理事兼務)
支部長
野口 義博:中日新聞社
副支部長 佐藤 和久:中日本航空
委員
青木 富男:セコインターナショナル
委員
岡田 康史:ジェイエア
委員
奥本 進介:新日本ヘリコプター
委員
木島 浩一:三菱重工
78
2008 MAY
委員
委員
委員
委員
委員
具志
中里
林
藤崎
三浦
賢治:名古屋市消防航空隊
巧:三菱重工
晃一:川崎重工
循:朝日航洋
芳郎:自家用
平成20年度中部支部活動計画について、 以下の活動予定が諮られ異議無く承認されました。
航空安全交流会 (管制交流会)
中部 (10月)、 名古屋 (6月)
航空安全講習会
(5月)
青少年航空教室 会場確保できず、 20年度は中止。
小型航空機安全セミナー
(2月末)
20年支部総会・懇親会
(2月末)
支部委員役員改選
(2月末)
最後に野口中部支部長から閉会の挨拶があり、 19年度中部支部総会を終了しました。
総会終了後、 講師に元 JAL 機長の岩瀬 健祐氏をお招
きし、 航空機安全セミナーが行われました。 様々な航空機
事故の事故要因や背景、 そこから見出されてきた CRM の
歴史や問題点など、 長年に亘り試験飛行や各種業務に携わ
られた経験から得られた貴重なお話は大変興味深く、 知的
好奇心を十分に刺激するものでした。
引き続き懇親会が開かれ、 小牧管制隊長 澤出 洋
一氏による乾杯の後、 多くの歓談の輪ができていまし
た。 また和やかな雰囲気の中、 多数の来賓の方からお
言葉を頂き、 盛会のうちに懇親会を終了しました。
以上
日本最長飛行時間記録を持つ前中部支部長植野広園さん (65歳) (元エアーセントラル機長)
が3月4日の中部 (セントレア) −仙台間往復でラストフライトを迎えました。 フライト終了
後、 同社にてお祝いのセレモニーが開催されました。
八尾空港、 名古屋空港、 中部セントレア空港と活躍の場所は変わりましたが、 小型機のセス
ナから旅客機のフォッカー50まで乗りこなして、 植野さんの飛行時間は2万7千641時間。 こ
の記録はしばらく破られそうにはありません。
中日本航空時代には、 コミューター航空の設立 (中日
本エアラインサービス) に尽力されました。 元気の源は
ジョギングと趣味の社交ダンスだそうです。
今後は後進の育成と教え子達とのフライトを楽しむつ
もりで 「生涯現役が目標。 3万時間を飛べたらうれしい」
とさらなる夢を描いています。
中部支部長 野口 義博
2008 MAY
79
開催報告
西日本支部だより
西日本支部
・神戸空港管制技術交流会参加報告
2月22日に開催された大阪航空局神戸空港出張所主催の管制技術交流会に参加してきました。
まず神戸市空港管理事務所から 「開港2年目を経過した神戸空港の現状と将来展望」 について、
国内線利用者数は三種空港で1位、 パトロール強化等でバードストライクは減少傾向、 離発着機の
騒音苦情は減少しているが、 通過機の騒音苦情がそれを上まわっており住宅地上空や低空での飛行
への配慮を、 MSN/PT は SIM ILS を実施できるよう調整中等のお話がありました。
続いて神戸空港出張所管制官の方から 「神戸空港及び周辺空域における航空管制」 について、 タ
ワーで関西空港のレーダーの情報が表示できること、 滑走路使用割合は出発の74%が RWY27、 到
着の74%が RWY09、 出発機の RWY は到着機の状況を見ながら決めている等のお話がありました。
・小型航空機安全セミナー・支部総会・懇親会報告
西日本支部主催の小型航空機安全セミナーと支部総会が、 3
月29日、 大阪科学技術センターで開催されました。
セミナーには42名が参加。 橋本副会長のあいさつの後、 講師
にお招きした航空身体検査医九間祥一先生から 「イヤーブロッ
ク」、 第一航空榎本昭教官から 「ロビンソンヘリコプターは危
ないですか?」、 濱谷正治良操縦士から 「小型航空機のよる世
界一周裏話」 についてのお話しを伺い、 参加者一同安全への意
識をあらたにしました。
支部総会では理事候補者選出、 支部委員選出、 平成19年度支部事業報告及び決算、 平成20年度支
部事業計画及び予算について審議を行い原案通り可決されました。
懇親会では空港や会社等の枠を越えて会員同士の交流・情報交換・親睦が図られました。
・新支部委員
支部委員が次のとおり改選となりました。
理事:平山開偉、 支部長:若谷哲也、 副支部長:木滑和明・阪本敏次、 支部委員:岡勢繁典・谷
川泰久・若野総一郎
1期2年間、 よろしくお願いいたします。
・大阪インフォメーションの通信覆域が改善
三国山に設置されている大阪インフォメーションの子局が高松 VORTAC 付近に新設されまし
た。 これにより会員の方が良く飛行される瀬戸内エリアの通信状況が改善されました。 21年度中に
は中部インフォメーションの名阪道エリア、 琵琶湖北部エリアでも同様の改善が行われる予定となっ
ています。
80
2008 MAY
通信
理事会通信
5月22日 (木) 第43回通常総会が開催されます。 大部分の理事が新人でスタートした現理事会は、 2年を
経過しました。 現在、 活動報告と来年度の方針を作成中なので、 その概要を紹介します。 詳しくは総会議案
書を参照してください。
今期の活動実績はほぼ前期と同様の規模と内容を維持しています。 特筆すべき取り組みは、 自家用操縦士
の技量維持に関する調査活動です。 空の安全に資すると判断し、 航空局と関係する団体を含めた委員会と作
業部会に操縦士を代表する立場で参加しました。
来期、 公益法人の法律の改正が施行される環境で、 事業規模と財政問題について将来を見越した指針を構
築する事が重要課題となります。
基本となるのは、 操縦士協会の存在と役割を広くアピールし、 協会員の皆様の力をお借りして事業・活動
を進めていくことです。 活動に参加できる会員が増えれば日程や時間の調整などの面でより円滑な活動が期
待できます。 また操縦士協会の運営に当り、 会費収入と費用の合理的な見直しは、 法律改正に適応させるた
めにも必要となっています。 この1年間は、 赤字基調の財政運営となりますが、 経費面の改善は実際の活動
を丁寧に精査する中で見直していきます。
操縦士協会は、 運営する上で大きな優位性 (メリット) を持っています。 それは委員会に航空で活躍され
ている現場の方々が参加することにより、 定例的に話し合いの場を確保できる点です。 例えば、 ATS 委員会
は管制官と、 航空気象委員会は気象庁関係者・企業の運航管理担当者、 航空医学委員会は指定航空身体検査
医の先生といった様に、 各分野に直接かかわりを持つ方々とテーブルを共にしています。 この様に地道な取
り組みを積み重ね、 航空の関係者と状況の認識を共有することに力を注いでいます。
[活動報告]
−平成20年3月−
3月1日
中部支部総会・セミナー
3月16日
航空教室 (鹿児島)
3月3日
編集委員会
3月17日
航空保安大特別講義 (本校)
3月4日
航空身体検査証明審査会
3月18日
航空機安全運航センター評議員会
3月5日
航空スポーツ連絡会議
経理委員会
3月6日
航空交通管制協会理事会
エアライン委員会乗員養成分科会
3月7日
空港安全技術懇談会 (ATEC)
首都直下地震安全対策マニュアル調印式
3月8日
ATS 委員会
3月21日
航空安全委員会
3月11日
航空保安業務運用連絡会議
3月22日
九州支部総会
3月12日
航空振興財団理事会
3月13日
航空医学委員会
3月14日
第242回理事会
「航空機運航と地球環境問題座談会」
航空保安協会理事会
航空医学研究センター理事会・評議員会
東日本支部総会
航空管制英語能力証明 MTG
3月15日
航空気象委員会
3月24日
運航技術委員会地球環境分科会座談会
2008 MAY
81
3月25日
航空輸送技術研究センター評議員会
4月11日
MPL 委員会
航空保安施設信頼性センター評議員会
航空保安大講義 (訓練監督者養成特別研
修)
4月12日 ATS 委員会
航空安全基準検討委員会
認定講師研修会・航空安全講習会 (札幌)
航空保安大学校修了式
R/T Meeting30周年を祝う会
3月27日
ヘリコプター委員会
航空安全講習会 (岐阜)
3月28日
航空大学校卒業式
認定講師研修会
3月26日
学科試験問題検討会ヘリコプター WG
4月15日
MTG
編集委員会
滑走路誤進入防止対策検討会議
3月29日
桜美林大学準会員入会説明
4月17日 航空医学懇談会 (航空医学研究センター)
GA 委員会
西日本支部総会・セミナー
4月18日
航空安全委員会
−平成20年4月−
4月19日
認定講師研修会 (大阪)
4月3日
第191回常務理事会
4月20日
航空安全講習会 (埼玉)
4月4日
フライトテストシンポジウム (FT 委員
4月21日
外部監査第2回 (八重洲監査法人監査)
航空教室 DVD
会)
法政大学準会員入学説明
4月5日
認定講師研修会・航空安全講習会
4月7日
外部監査第1回 (八重洲監査法人監査)
法務委員会 (池田教授学習会)
航空保安無線システム協会評議員会
4月23日
経理委員会
学科試験問題検討会
編集委員会
クランフィールド調整会
ヘリコプター委員会
4月8日 SAT システム打ち合わせ
航空身体検査証明審査会
4月10日
4月22日
4月24日
第243回理事会
4月25日
内部監査 (監事・芝税理士法人)
FAI ミーティング
航空医学に関する報告会 (航空医学委員
4月26日
会)
航空気象委員会
[今後の主な予定]
−平成20年5月−
5月10日
5月13日
認定講師研修会 (仙台)
5月22日
第43回通常総会
ATS 委員会
5月23日
日本航空協会評議員会
航空身体検査証明審査会
5月24日
航空気象委員会
法務委員会
5月26日
航空振興財団理事会
5月28日
航空保安協会理事会
5月14日 航空保安大学校講義 (訓練教官養成研修)
5月16日
黄綬褒章伝達式
航空管制定期連絡会議
航空安全委員会
5月17日
82
認定講師研修会 (名古屋)
2008 MAY
運航技術委員会
5月29日
航空医学研究センター理事会・評議員会
事務局だより
PILOT・AIM-J 等確実にお届けするために、 自宅・勤務地・mail box 等、 変更された場合は速やかに協
会事務局までご連絡下さい。 また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、 便利な口座
自動引落による納入についてご案内致しますので、 協会事務局までご連絡下さい。 申込書をお送りさせてい
ただきます。
∼結婚祝金を給付しております∼
正会員の皆様 (会費月額1,700円 (共済費200円を含む) を納入いただいている60歳未満の方) が対 象となりますが、 結婚祝金を給付しております。 給付額は20,000円です。 給付申請には戸籍抄本、 振 込口座の書類提出が必要となりますので事務局までご連絡下さい。 なお、 婚姻届の届出より3ヶ月以 内 に 申 請 い た だ く こ と と な っ て お り ま す の で 、 予 め ご 了 承 願 い ま す 。 JAPA ホ ー ム ペ ー ジ (http://www.japa.or.jp)
の会員サポート (共済規程) をご参照下さい。
お知らせ
任意加入の団体長期所得補償保険につきましては、 現在損保ジャパン、 東京海上日動火災の2社が運営し
ておりますが、 損保ジャパン (長期インカムプラン) につきましては、 損害率改善等制度の安定運用を図る
ため、 本年の新規募集を停止しております。
今後の予定につきましては、 改めてご案内させていただきます。
東京海上日動火災では、 これまでどおり募集しております。
お問い合わせ等は、 下記までお願い致します。
【損保ジャパン】
損害保険ジャパン航空宇宙保険室営業課
TEL
03-3349-4033
FAX
03-3348-0395
E-Mail:[email protected]
【東京海上日動火災】取扱代理店
アドバンテッジインシュアランスサービスサービス
TEL
0120-921-387 (フリーダイヤル)
2008 MAY
83
JAPA 福利厚生一覧表
2007年10月現在
2007年12月現在
*詳細につきましては、 JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp)を参照願います。
ジャンル
宿
施
泊
飲
食
ショッピング
旅
84
行
連
絡
先
得
典
0123-22-1121
宿泊料割引
リーガロイヤルホテルグループ
0120-116-180
宿泊料割引
ホテルオークラ新潟
025-224-6111
宿泊料割引
淡島ホテル
03-3350-7360 (相原)
宿泊料割引
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0997-97-4601
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0943-77-2188
宿泊料割引
04992-5-0737
宿泊料割引
エストーレホテルアンドテニスクラブ
0475-55-1111
宿泊料割引
葉山国際カンツリー倶楽部
046-878-8110
プレーフィー割引
霧島ゴルフクラブ
0995-78-2324
プレーフィー割引
フォレスト旭川カントリークラブ
0166-75-4455
プレーフィー割引
熊本空港カントリークラブ
096-232-0123
プレーフィー割引
銀座ライオン (羽田空港第1旅客ターミナルビル)
・羽田空港店
・羽田空港マーケットプレイス店
03-5757-9090
03-5757-9130
飲食料金割引
清乃屋
植長丸
東京エアポートレストラン
(羽田空港第1旅客ターミナルビル)
・グリルキハチ・あずみ野・京ぜん・赤坂璃宮・新大和
・ルシェール
(羽田空港第2旅客ターミナルビル) new !
・あずみ野・赤坂璃宮・広東家菜・アーツ コーヒーショップ
(成田空港第1旅客ターミナルビル) new !
・アビオン
飲食料金割引
BLUE SKY (全国25空港)
割引
島屋
・東京・新宿・玉川・横浜・港南台
レンタカー
名
ホテル日航千歳
新島
ス ポ ー ツ
設
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各店
フロム・ザ・スコードロン
043-298-1800
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0120-89-0543
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マツダレンタカー
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バジェットレンタカー (沖縄)
0120-13-0543
レンタカー割引
日本旅行
03-5565-5553
ツアー旅行割引
2008 MAY
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
ヒコーキ模型
BLUE SPRINGS
〒104-0061 東京都中央区銀座6 4 8
曽根ビル6F
TEL :03−6807−2809
E-Mail:[email protected]
URL:http://www.bluesprings.co.jp
営業時間1100−2000 (火曜日定休)
土日祝は1800まで
また、 スペースシャトルがあると思えば、 戦
艦大和をはじめとする船もあります。 航空機関
連のバッジ、 書籍、 模型飛行機、 紙飛行機、 更
には、 様々な DVD、 ポストカード、 戦闘機な
どのイラスト等から、 エアラインのブランケッ
トまで、 ありとあらゆる航空グッズがそろって
います。
今度のお店は、 操縦士協会から歩いて行くこ
とも可能ですから、 気になる方は、 ぜひ一度訪
問されますことをお勧めします。
航空機関係者や航空ファンにとって、 気にな
る存在であった 「東京駅前・ヒコーキ模型・
WING TABIX 」 が 銀 座 に 移 転 し 、 そ の 名 も
BLUE SPRINGS として生れ変わりました。
このお店の特徴は、 質の高いデスクトップモ
デルを初めとし、 ミニチュア旅客機やピンバッ
ジまで、 良くもこれだけ集めたと思われる、 膨
大な量の航空機のモデルです。
また、 日本ならではの機体も多く、 プラモデ
ルの著名作家による完成品も見応えがあります。
旅客機も古き良き時代のものから、 星型エンジ
ン4発の旅客機を経て、 最新の Boeing787まで
があります。 もちろん、 ANA や JAL 塗装の
787もありますが、 人気が高く、 すぐ売れてし
まうとのこと。 本当に 「あれもこれも」 と欲し
くなる店です。
2008 MAY
85
JAPA SHOP
品
名
AIM−JAPAN
AIM−JAPAN 英語版
学科試験スタディーガイド
パイロットガイダンス
TAKE-OFF 安全飛行への招待
ヘリコプター操縦教本 第2版
航空気象 (新刊)
区分航空図501∼506各
区分航空図507
ターミナル航空図253、 254
首都圏詳細航空図
パイロット手帳
PILOT 誌
手袋
ライセンスケース
空中衝突
定
価
3,500円
3,500円
2,500円
3,500円
3,500円
3,500円
2,500円
2,600円
3,100円
2,600円
3,000円
1,200円
800円
5,000円
3,800円
2,300円
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3,150円 送料込
3,150円 送料込
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2,790円+280円
2,340円+280円
2,700円+280円
1,080円+280円
720円+240円
4,500円+280円
2,800円 送料込
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3,500円+380円
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3,500円+380円
3,500円+380円
3,500円+380円
2,500円+380円
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2,600円+280円
3,000円+280円
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お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。
直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。
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お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433
FAX 03−3501−0435
E-Mail:[email protected]
86
2008 MAY
FTD
SS21
P
3
Flight Log Book
A
Flight Log Book
180
60
30
B
5,000
Flight Log Book
2008 MAY
87
JAPA Aerial Photo Exhibition
垂直尾翼の絵が、 いかにも琉球です。
福井宏己様から琉球エアコミュータの DHC-8-100の写真が届きました。
88
2008 MAY
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集します。 現在も読者からの投稿が表紙を飾っています。
応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上掲載の予定です。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として
投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の
添書きも添付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2008 MAY
89
編集後記
●枕崎空港での FAI (国際航空連盟) 方式の
着陸競技会試行は成功裏に終了し、 また今年
は、 2名の日本人選手が、 FAI のエアロバ
ティックス競技会に参戦の予定である。 徐々
にではあるが、 JAPA の FAI 活動に前進の
様相が見えてきたように思う。
(奥貫)
●青島はドイツが中国から租借し、 大正3年に
日本が占領、 そして8年後に中国に返還され
ました。 この時、 ドイツと敵対した日本は、
第2次大戦ではドイツ、 イタリアと共に枢軸
国になりました。 まさに歴史は繰り返してい
ます。
(徳田)
●一部の人達の欲望の為に石油の値段が止まり
ません。 これが諸悪の根元だと思うのは私だ
けでしょうか。
(RYU)
●MRJ の開発計画が Go Ahead となりました。
久々の国産旅客機が2013年末か2014年初めに
就航することになりそうです。 Roll Out の
時には、 PILOT 誌のための取材を今から計
画しています。
(KEN)
●十人十色の編集委員、 原稿の校正中に時折で
てくる昔語、 死語、 難解語、 奇妙語の対応で
広辞苑に走る人、 インタネットを調べる人、
電話をかける委員のうち、 私の対応は 「作者
の意図や、 まあエエやんか」 (湧井カレン)
● 「目に青葉山ほととぎす初鰹」
新緑、 気持ちの良い風、 そして生ビールのう
まいシーズンが来ました。 今夜は鰹のタタキ
で一杯やりたいな、 と思っているのは私だけ
でしょうか!
(佐藤裕)
●4月に韓国で初の宇宙飛行士が誕生しました。
今月の表紙は、 薬剤の空中散布に出発するアカ
ギヘリコプターの AS350B です。 無人ヘリコ
プターの進出等もあり、 大規模な空中散布は最
盛期の20%程度の規模となりましたが、 昔も今
も、 農業や林業等のために、 無くてはならない
存在です。
(奥貫)
20代の女性です。
(K. A.)
●関東の桜も散り、 新緑が眩しい季節になりま
した。 新しい年度になり、 編集委員会も新た
な企画を模索しています。 Pilot 誌の表紙も
読者からの投稿で、 この2年を飾ることが出
来ました。 皆様からのご提案と写真の投稿も
お待ちします。
(編集長 蔵岡)
No.308 2008年 5 月号/平成20年5月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
90
2008 MAY
URL http://www.japa.or.jp/
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ