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私的京都議定書始末記(その18)
-アクラ気候変動交渉に再登板-
2013/10/01
英国で考えるエネルギー環境問題
有馬 純
日本貿易振興機構ロンドン事務所長、経産省地球環境問題特別調査員
気候変動交渉チーム
2008 年 7 月、洞爺湖サミット直後の人事異動で産業技術環境局審議官に就任した。このポストは地球温暖化
国際交渉のみならず、国内の温暖化対策、リサイクル問題、環境アセスメント等を含む広義の環境問題もカバー
する。事実、私の前任のポートフォリオの中で国際交渉の占める位置づけは 2-3 割だったと思う。しかし、私が
就任した際のミッションは「主に国際交渉に専念せよ」ということであった。2009 年末に次期枠組み合意を目
指すという中で、これから 1 年半は国際交渉が大きな盛り上がりを見せ、会議の頻度も従来とは比較にならぬほ
ど多くなる(事実、私が離任する 2011 年 4 月までの 2 年 10 ヶ月で出張回数は 48 回に及んだ)
。国際交渉は決
まったプレーヤーが継続的にフォローすることが鉄則だ。したがって変則的ではあるが、私は事実上、
「地球環境
国際交渉担当審議官」となり、その他のイシューについては同期の西本審議官が産業技術とともにカバーしてく
れることとなった。
当時の経産省の交渉チームは本部和彦資源エネルギー庁審議官、竹谷厚産業技術環境局地球環境対策室長、岡
本晋同室補佐、鬼束貴子係長、谷査恵子係長、三橋敏宏京都メカニズム推進室長他であった。本部審議官は、私
が通産省に入った際の最初の直属上司であり、経産省交渉団の中で数少ない喫煙者仲間であた。岡本補佐は、私
が貿易局総務課課長補佐の際に一年生で入ってきたが、外務省、経産省で連続して気候変動交渉に携わり、日本
交渉団の中でも最も経験豊かな交渉官の一人であった。私が資源エネルギー庁で各地に出張する際に同行し、気
候変動部分の議論を担当してくれたのも彼であった。その意味で、彼は私にとっての気候変動問題の「お師匠さ
ん」であった。外務省は古屋昭彦地球環境大使、杉山晋輔地球規模課題審議官、大江博審議官、小林賢一気候変
動室長他、環境省は竹本和彦地球環境審議官、森谷賢地球環境局審議官、島田久仁彦交渉官、瀧口博明国際地球
温暖化対策室長、川又孝太郎同室補佐その他の陣容である。顔見知りが多かったのも幸いであった。古屋大使は、
OECD 代表部勤務の際、公使としてお仕えし、小林室長とは、G8 サミットの際、頻繁に連絡をとりあっていた。
また竹本地球環境審議官とは、COP6、COP6 再開会合、COP7 交渉の際、一緒であった。その後、メンバーの入
れ替えがあったものの、三省の交渉チームは日本交渉団のコアとして、苦楽を共にすることになる。国際交渉に
おいては、政府代表団内の団結が何よりも重要だ。特に、私の在任期間を通して、杉山地球規模課題審議官、森
谷審議官とトリオを組んで行動することが非常に多かった。京都議定書交渉の頃、三省の審議官クラスを称して
「気候三銃士」といったらしいが、我々も 2000 年代の気候三銃士として、その後、何度となく出張を共にする
ことになる。
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久しぶりのブラックアフリカ
着任して最初にしたことの一つが予防接種であった。8 月 21-27 日にはガーナの首都アクラで非公式作業部会
(AWG)が開催されることになっており、今次交渉における交渉官としての初陣となる。経産省の交渉チームと
共に、東京検疫所に行って、黄熱病、腸チフス、三種混合(ポリオ、ジフテリア、破傷風)
、A型肝炎の 4 本の予
防接種を左右の腕に 2 本ずつ受けた。黄熱病の予防接種を受けながら、ガーナで客死した野口英世のことを思い
浮かべていた。私にとっては 1992 年にケニアから帰任して以来のブラックアフリカである。しかし、8 月 20 日
夜、ガーナの空港に降り立ち、出口付近の雑然とした雰囲気を見ると、20 年前のケニア駐在の記憶が瞬時に蘇っ
てきた。ガーナは民主的選挙によって政権交代を果たしてきたアフリカの模範国の一つであるとはいえ、夜、一
人で出歩くことは危険である。またマラリア蚊に刺されてはかなわない。このため、それから 1 週間、ホテルと
アクラ国際会議場をマイクロバスで往復する毎日となった。
アクラ国際会議場
セクター別アプローチについてプレゼン
初陣となった私の担当は COP13 で設立が決まった長期協力問題非公式作業部会(AWG-LCA)である。ここで
セクター別アプローチのワークショップが開催されることとなり、着任早々ではあるが、日本政府を代表してセ
クター別アプローチの考え方、目的をプレゼンすることとなった。エネルギーの世界では、省エネに絡めてセク
ター別アプローチの「布教」を行い、それなりの成果をあげてきたが、こちらは気候変動の世界であり、参加し
ている人々の顔ぶれも大きく異なる。しかも会場が劇場スタイルでステージ上の演題にのぼり、聴衆に向かって
プレゼンする形となる。
「炎上」するのではないかといくぶん緊張して壇上に上ったが、マシャド AWG-LCA 議
長(ブラジル)が述べたように、
「2008 年は将来枠組みに関するブレーンストーミングの段階であり、交渉全開
モード (full negotiation mode) に入るのは 2009 年に入ってから」というのが皆の認識であったため、思いの
ほか、穏やかな雰囲気であった。
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AWG/LCA のマシャド議長(中央)
とはいえ、セクター別アプローチについてのコメントは多かった。G8+3 エネルギー大臣会合のときにカウン
ターパートとなったインドのマトウールエネルギー効率局長も同じワークショップに参加しており、
「セクター別
アプローチは途上国協力の手段として有益だが、同一セクターであっても各国の状況は異なっており、セクター
別ベンチマークを統一したり、画一的なセクター別目標を強いるべきではない」と主張した。EU は「先進国の目
標設定に当たって、セクター別の削減ポテンシャルを積み上げることのでは、野心的な目標設定につながらない」
とコメントした。私からは「同一セクターであっても各国の状況が異なることは当然。しかし国際比較の観点か
らベンチマークは可能な限り共通のものを使うべき。実行可能性の評価を伴わない目標設定は無責任」とコメン
トした。久しぶりの出陣ではあったが、プレゼン+質疑応答を通じて、段々、昔の勘所を思い出してきた。
AWG/LCA で発言する筆者
インドのマトウールエネルギー効率局長
交渉の合間には欧州委員会との非公式意見交換も行った。EU は先進国の目標設定の手法としてのセクター別ア
プローチには後ろ向きだったが、セクター別アプローチを途上国に適用し、セクター別クレジットのような新た
な市場メカニズムを作ることには関心を示していた。ここで気候行動局のアルトウール・ルンゲメツカー氏と知
己になった。彼はEU交渉団の顔的な存在であり、会議での発言も明確かつウィットに富むものであった。我々
と意見の食い違いが多々あるのは当然なのだが、手強く、学ぶべき点も多いカウンターパートである。彼とは後
に AWG-KP やバイ会談等で何度となく顔を合わせることになる。
先進国・途上国の区分は永久不変?
LCA では、将来枠組みに関するブレーンストーミング的な議論が中心であったが、先進国、途上国の区分の見
直しについても日本代表団から問題提起がなされた。非附属書Ⅰ国(途上国)の中には、生半可な先進国よりも
一人当たり GDP がはるかに高いシンガポールのような国も存在する。1992 年の気候変動枠組み条約当時の区分
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を 16 年たってもそのまま維持するというのは不合理というものだ。この部分をコメントした環境省の島田交渉
官とは、主要経済国会合(MEM)
、COP13 で親しくなったが、COP3 の時には米国交渉団の手伝いをし、国連事
務局で気候変動問題や PKO を担当し、
「お雇い外国人」としてセネガルの首席交渉官を務める等、日本の交渉団
の中で異色の経歴を持っていた。英語、フランス語を母国語のように話す彼が、
「我々は(1992 年以来、何も見
直さない)氷河期にいるのではない(We are not in the ice-age)
」と言って、国分類の見直しを求める姿は非
常に迫力があった。これに対しては名指しされたシンガポールが激しく反論し、日本と再三の応酬となった。一
度できあがった区分を変更することの難しさを改めて思い知らされた瞬間でもあった。この問題は、その後も何
度となく浮上してくるが、結局、見直しに反対する国がいる限り、全員一致を旨とする温暖化交渉では、現在の
制度を変更することはできない。
LCA の最中、内部で相談
欧州委員会との意見交換
交渉の中間地点ということで、日曜日は休みになり、事務局のアレンジで、かつて西アフリカからの奴隷積出
港であったサブサハラ地域最古の欧風建築であり、後に西アフリカからの奴隷積出拠点となったエルミナ城を見
学した。アルミナ城から青々とした大西洋を眺めながら、それまでの数日間の交渉を振り返り、これから延々と
続く交渉、特に「交渉全開モード」となる 2009 年に思いをはせ、兎に角、長丁場に向けて気力、体力をつけな
ければと自分に言い聞かせていた。
エルミナ城から見た大西洋
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