JIA MAGAZINE Vol.294

JIA
1991 年 4 月 16 日第三種郵便物認可 2013 年 7 月 15 日発行 毎月 1 回発行 通巻 294 号
MAGAZINE
294JULY 2013
建築家
architects
建築・都市のパラダイムシフト—ライフスタイルの転換⑭
●特集 モダニズムのあとに来るもの
拡がった多様な可能性
槇 文彦
●海外レポート 激動の中国に身をおいて
● JIA 建築家大会 2013 北海道 主要プログラム紹介 建築家会館です
株式会社
JIA 館テナント募集中
■ 2012 年耐震補強/適マーク(JASO)取得
2013 年度さらに耐震補強工事を実施予定
■ JIA 館 6 階のテナント募集をしています
■ JIA 会議やイベントにも、傘なしで徒歩 0 分
■ 6 階は 1フロア(144㎡)
■ 東京事務所としてのご利用にも最適です
書籍紹介
当社は建築家の人間像や職能論を書籍に記し、後世に伝承するとともに、建築を学ぶ学生、社会一般の
幅広い層に理解いただく目的で出版事業に取り組んでいます。
建築家会館の本1『建築家の自由 鬼頭梓と図書館建築』
2008 年 6 月 20 日発行
建築家会館の本2『建築家の原点 大谷幸夫 建築は誰のために』
2009 年 5 月 20 日発行
建築家会館の本3『建築家の清廉 上遠野徹と北のモダニズム』
2010 年 8 月 10 日発行
建築家会館の本4『建築家の使命 本間利雄 地域に生きる』
2012 年 1 月 30 日発行
建築家会館の本 5『建築家の自律 椎名政夫 対話と創造』
2012 年 3 月 30 日発行
新刊
建築家会館の本 6
『建築家の畏敬
池田武邦 近代技術文明を問う』
2013 年 7 月 20 日発行 定価 1,800 円+消費税
池田武邦+池田武邦の本をつくる会 著
壮絶な戦争体験を経て生かされてあるものの使命
として、超高層技術革新そして絶対的な近代科学
技術信仰への懐疑。
3.11 以降を生きる全ての人に池田武邦から未来へ
の伝言。
※書籍購入ご希望の方は、下記にご連絡ください。
建築ジャーナル 〒 101-0032 東京都千代田区岩本町 3-2-1 共同ビル/ Tel:03-3861-8104
株式会社建築家会館 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2-3-16 TEL:03-3401-6281 FAX:03-3401-8010
E-mail:[email protected] http://www.kenchikuka-kaikan.jp/
JIA
MAGAZINE
建築家
Cover Story
a r c h i t e c t s
宗教が混在する都市—エルサレム(イスラ
エル)
世界でエルサレムほど歴史が複雑に混在す
る都市はない。宗教、民族、文化が入り乱
れてこの都市をつくり上げてきた。ユダヤ
教、キリスト教、イスラム教共通の聖地で
ある。
紀元前 2000 年もの昔に既にエルサレムと
いう地名が存在した。紀元前 1000 年ごろ
にダビデ王がエルサレムをユダヤ人の首都
と定め、都市の建設を始め、その子ソロモ
ン王の時代に神殿を建設したとされる。
バビロン捕囚から解放後の紀元前 515 年
に第二神殿が再建され、紀元前 20 年にヘ
ロデ大王によって大拡張されたが、やがて
この神殿は西暦 70 年にローマ軍によって
完全に破壊され、神殿の西壁だけが残され
た。この時、国を滅ぼされ、以後 1900 年
間世界を放浪するユダヤ人の苦悩の歴史が
始まる。
この「嘆きの壁」と呼ばれる西壁は、古代
ユダヤ第二神殿の現存する唯一の部分で、
放 浪 の 民 と な っ た ユ ダ ヤ 人 が 20 世 紀 に
入って祖国の地に帰還した時に、大きな感
動、喜び、誇りを与えた。以来、聖地となっ
ている。現在でも世界中の多くのユダヤ人
が訪れ泣きながら祈る教徒で溢れる。
この神殿では多くの征服者による破壊、再
建が繰り返された。特に西側の壁にその跡
を見ることができる。現在壁の高さは 21
メートルで、下から 7 段目までの大きな石
積みは第二神殿時代のものとされ、その上
にローマ時代の 4 段が付け加えられ、更に
イスラム・トルコ時代の石が積まれてい
る。しかも現在の地上より更に地下に、ま
だ 17 段分の壁が埋まっているとされる。
ユダヤ教徒が現在祈りを捧げる壁は、厳密
にこの地上から 7 段目までの大きな第二神
殿時代の石積み壁である。
壁 1 枚と言っても、これだけの歴史が混
じった複雑なものである。
壁のあちこちに見られる黒い点、大きな黒
い墨をかけたような部分は、中東戦争の砲
弾の跡である。
それらも歴史の一部である。
C O N T E N T S 294
JULY 2013
建築・都市のパラダイムシフト
――ライフスタイルの転換 ⑭
特集
002 槇 文彦氏に聞く
モダニズムのあとに来るもの
拡がった多様な可能性
010 海外レポート
中国建築事情
激動の中国に身をおいて
中村周平
014 会員便り
まちの道標
——中央区の公衆便所——
016 2013 年度 日本建築家協会各賞募集のお知らせ
JIA 新人賞
日本建築大賞 2013
日本建築家協会賞 2013
日本建築家協会優秀建築選 2013
017 JIA 建築家大会 2013 北海道(information)
017
018
019
「北からの提言」連続セミナー
エクスカーションツアー
大会登録申込書
020 JIA NEWS
020
021
理事会報告/新規入会承認者
本部便り/編集後記
この壁には想像を絶するさまざまな人々の
歴史が埋まっている。
(写真・文:古市徹雄)
J
JIA MAGAZINE 294
I
A
The Japan Institute of Architects
JIA-kan,2-3-18 Jingumae,Shibuya-ku,
Tokyo 150-0001 Japan
July 2013 ●
001
特集
建築・都市の
パラダイムシフト
モダニズムのあとに来るもの
拡がった多様な可能性
槇で我々が議論してきた、現在の建築界の混沌とした状況を見事に突いています。事務所を設立され
文彦氏の著書『漂うモダニズム』
(左右社)が 3 月に刊行されました。その内容は、これまでこの特集
てから約 50 年、海外と日本と両方で近代建築の流れをそのまま体感されてきた槇氏に、お話をうかがい
ます。
(
『JIA MAGAZINE』編集長 古市徹雄)
アメリカが上り調子だった1950 年代
———ライフスタイルの転換 ⓮
●
は、もう戦後から 7 年経っていましたので、彼は引退し
古市●槇先生が、最初にアメリカに行かれたのはいつで
ていましたね。やはり、我々の関心は、ミースやル・コ
しょうか。
ルビュジエ、アールトなどで、そういうヨーロッパの近
槇 ● 1952 年です。大学を卒業して、すぐその年に行
代建築の旗手が影響力を持っていた時代でした。ご存じ
きました。
のように、当時ミースはアメリカに移住しまして、シカ
古市●最初は、どちらにいらしたのでしょう。
ゴを中心に活躍していました。
槇 ●クランブルック・アカデミー・オブ・アートで、
古市●ミースがアメリカに移住したのは何年頃だったで
それからハーヴァード大学に行きました。
しょうか。
古市●当時のいわゆるアメリカの最先端モダニズムと、
槇 ●ナチスによってバウハウスが閉鎖されたために
日本のモダニズムとの間には大きな違いがあったかと思
亡命したのですから、戦前ですね(1938 年)。アールトは、
いますが、いかがでしたでしょうか。
その後、MITに呼ばれて、MITの寄宿舎であるベーカー
槇 ●僕たちの行った時にはまだ、アメリカの中からモ
ハウスを設計しました。そしてもうひとり、やはり我々
ダニズムの旗手が生まれてきてはいませんでした。シカ
が建築雑誌を通して出会う巨匠には、もちろんフラン
ゴスクールなどはありましたが、どちらかというと、ア
ク・ロイド・ライトがいたわけです。マスターといわれ
メリカも近代建築に関しては後発で、大学の教育はボ
る人はこの 4 人ですね。
ザールがずっと主軸にありました。そして、グロピウス
その次の世代として、僕がアメリカを離れる頃に頭角
がハーヴァードに呼ばれて新しい建築教育を目指そうと
を現してきたのがポール・ルドルフ、彼は住宅作家だっ
槇 文彦氏に聞く
002
いうのが戦後のアメリカだったわけです。僕が行った時
JIA MAGAZINE 294
July 2013
特集
古市●それは、いつ頃からと考えたらいいでしょうか。
りました。それから、ルイス・カーン。そして、いちば
槇 ●僕の感じでは、例えばアーキグラムがある。そ
んユニークだった人はエーロ・サーリネン。この 3 人が
れからメタボリズム、CIAM、チーム 10 という流れで、
次の世代です。ですから、僕がアメリカに行った時のア
建築家が一緒に何かやろうやという時代は、1965 年から
メリカのモダニズムというのは、これらの人たちの言動
70 年くらいまでは続くと思うのですが、1970 年くらい
や作品などで形成されていましたね。ただ、そのほかに
にポストモダンが現れてから自壊作用が起きて、船がな
も、SOMのヘッドだったゴードン・バンシャフトが「レ
くなって、みんな大海原に投げ出される時代になったと
(1951 年)で非常に注目を浴びて、その後、
バーハウス」
思います。それで何でもありという形になってしまいま
SOMは組織事務所になってしまいましたが、彼も入れ
した。
ていいと思います。
僕は、大海原の特徴として、モダニズムというものは
古市●そうすると、アメリカの一番上り調子といいます
大きなインフォメーションプールになっていったと思い
か、
「これから行くぞ」という時代でしょうか。
ます。分かりやすい例で言うと、カクテル文化になって
槇 ●戦後の日本は、我々が知っているとおり、僕がア
いったということです。つまり、以前はアルコールとい
メリカに行った頃までは、丹下健三さんがようやく頭
えば、日本酒、ビール、ウイスキー、ジン、ウォッカな
角を現して、村野藤吾さんなどの時代でもありました。
どが基本にあったのですが、そこにどんどんいろいろな
ヨーロッパも、ル・コルビュジエは元気でいちばん注目
ものが混ざってくるわけです。例えば、テキーラのよう
を浴びていましたが、それほど大きな建物をつくる機会
なものが新しく加わったり、さらにそこへジュースやス
は、ヨーロッパの建築家にも、あまりなかった時代でし
パークリングウォーターや、香味料などいろいろなもの
た。ですからその頃のモダニズムは、まだみんな大きな
を混ぜ合わせたカクテルのようにモダニズムが変容して
船の中に乗っていたという状態だったのです。『漂うモ
いく状況になってくる。それが現在ではないかと思いま
ダニズム』の中では、これを示すひとつの例としてピー
す。
ター・ブレイクの言葉を引用しましたが、誰も彼もが
古市●これは、やはりグローバリズムや情報化などが原
ニューヨークに集まってきたという時代でした。例えば
因になっているのでしょうか。
シェルをやろうかというような、何か新しい構造を試み
槇 ●さらに、あらゆる情報があらゆるところから手に
ることも、アメリカでどんどんやれるようになってきて
入る状況です。情報は、時にアイディアでもあるわけで
いました。もちろん、そういった意味では、丹下先生は
すし、
「これ、ちょっと面白いんじゃないの、ちょっと混
もう既に 1950 年代からいろいろな構造に挑戦されてい
ぜてみよう」というようなことが起きてきています。で
たわけですが。
すから今は得体の知れないポタージュのようになってき
ライフスタイルの転換 ⓮
——
たのですが、だんだん公共的な建築を手掛けるようにな
建築・都市 の
パラダイム シ フ ト
『漂うモダニズム』
(左右社、2013年)
ていると思うのです。
大きな船が大海原に投げ出される時代に
古市●つまり、昔はレシピがしっかりしていたわけです
ね。
古市●先生は『漂うモダニズム』の中で、大きな船=ま
槇 ●ビールとか、それからブイヤベースも、何がもと
さに近代建築が、今、沈みつつあるというか、消滅しつ
でこういう味になったか分かっていたのが、だんだん分
つあると述べられています。
からなくなっています。さらにそこに、要するにイン
槇 ●今、考えてみると幻想だったかもしれませんが、
フォメーションバンクですから、いろいろな人がいろい
ある方向へ向かって一緒の船でどこまでも行こうという
ろなものを投げ入れて撹拌されていく状態になっている
ことでした。船の中ですから、友だちもできれば、ケ
のです。
ンカもある。でも、
「じゃあ一緒に何かやろう」というグ
古市●今おっしゃった、いろいろな欧米のレシピがミッ
ループができてきたのもその頃です。そのうち、もう満
クスして、その中に、いわゆるアフリカであるとか、中
杯になってしまったのか、息苦しくなったのか、それは
近東であるとか、中国などのいわゆる第 3 世界のエッセ
建築の思想界の変わり目でもあったわけですが、そうい
ンスも少しずつ混じり合ってくるのでしょうか。
う船はなくなって、何でもありの時代に入ってくるわけ
槇 ●もちろん、今の時代ですから、それらがどんどん
です。
入ってきていると言えます。
JIA MAGAZINE 294
July 2013 ●
003
古市●例えば料理で言いますと、いま、エスニックレス
ランドビルがあります。僕は、だいぶ前ですけれど、た
トランというものが多くありますが、よく分からないの
またまポートランドに行くチャンスがあって、見てきま
です。シンガポールとマレーシアとタイが全部混じった
したが、つまらない建物でした。つまり、表から写真を
ようなものが出てきます。
撮って、
「これがポスト・モダンだ」という説明に対して
槇 ●現代の文化の特徴は、やはりハイブリッドだと思
実際に行ってみると、まさに写真にあるような形がそこ
います。それではなぜハイブリッドかというと、もちろ
にあるだけなんです。そのような、皮相的なものを媒体
ん毎日食べるご飯や味噌汁、漬け物などがベースにある
にしたものは長続きしませんでした。
のですが、人には何か新しいものを食べてみたい欲求が
古市● 1980 年代の前半に、槇先生より上の世代の丹下
非常に強くあります。今おっしゃった食べ物もそうです
先生とオスカー・ニーマイヤーが、ブラジルのリオ・
し、すべてのジャンルで新しいものは何かということが
デ・ジャネイロのニーマイヤーの自宅で対談したのです。
ドライバーになっているわけです。
僕もその場にいましたが、とにかくポスト・モダンの攻
古市●衣類にしてもそうですよね。例えば、日本の着物
撃をしていました。ちょうど丹下先生があちこちで「ポ
の振り袖を現代に取り入れるようなことも見られます。
スト・モダニズムには出口がない」と発言されていた頃
槇 ●そうですね。この間新聞で、だんだんアメリカで
です。
も日本酒が売れるようになってきているという記事を読
槇 ●それは、おそらく、建築に現れたポスト・モダニ
みました。そうすると、また新しいカクテルが生まれそ
ズムに対する批判だったと思います、それは僕も十分に
うだなと思いますね。
理解できます。
けれども、もっとマクロレベルでは、ポスト・モダン
ポスト・モダンが転換期に
という世界がなくなったかというと、そうではないので
す。例えば、内的自由を求めていくところから新しい音
古市●モダニズムが大きな船から大海原に放たれたのは
楽が生まれたり、新しい芸術も生まれています。かつて
何が原因なのでしょうか。
の西洋芸術におけるハイクラスの音楽、ポートレート、
槇 ●いろいろな理由がありますが、そのひとつには生
作家支援などから生まれてきたものがどんどん庶民化し
活のハイブリッド化がありましたし、それからブルータ
たという意味でのポスト・モダンの世界は今もあります。
リズムや、ポスト・モダニズムなどの考え方が出てきた
それはかつてのようなヒエラルキーのない世界ですから、
ことがあります。
西洋が卓越しているという考え方もなくなってくるわけ
チャールズ・ジェンクスの本『ポスト・モダニズムの
です。ですから、そういった意味で、確かにいろいろな
建 築 言 語(The Language of Post-modern Architecture)』が 出
アイディアの空間の分布状態が、かつての中心と周縁が
版されたのは 1977 年です。建築に先立って哲学や思想
あってというものからまったく変わって、すべてが中心
においては、ポスト・モダンの内的自由を求めた考え方
であり、すべてが周縁であるという考え方です。
が、それまでのいろいろな思想に対して大きな影響を与
古市●つまり、多焦点なのでしょうか。
えてきて、その内的自由のひとつの表れとして、建築も
槇 ●それはやはり現代の特徴なのではないでしょうか。
もっと何か別なものがあっていいのではないかというの
がジェンクスの考えだったわけです。
ポスト・モダン時代の建築は、何か歴史的な建物が
004
●
ハイブリッドを建築でどう表現するか
内容は変わっていなくても表層だけが変わる。例えば、
古市●先生がずっと建築家として活動されてきた中で、
フィリップ・ジョンソンが設計した AT & T ビルのよう
バブルや、いろいろな事件、あるいは阪神・淡路大震災
に、中はただのオフィスビルですが、表だけ変えたよう
や東日本大震災などの大きな災害、あるいはグローバル
なものはあまり長続きしていかないですね。でも内側か
の問題、CO2 の問題、日本の経済の停滞などさまざまな
らの変革が新しい表現を生んだものがあるのかというと、
社会状況の変化があったと思います。一方、建築の運動
難しいですね。
としても、ブルータリズムや、ポストモダン、あるいは
例えば、ジョンソンが「これがポスト・モダンの建物
デコンストラクションなど、いろいろな運動がありまし
だ」と激賛したものに、マイケル・グレイヴスのポート
た。そういったものに対して、影響された、もしくは完
JIA MAGAZINE 294
July 2013
写真:北嶋俊治
特集
建築・都市 の
パラダイム シ フ ト
のような距離のとり方をされていたのか、お話しいただ
けますか。
槇 ●僕は、この中で、ブルータリズムというのは丹下
時代のひとつの流れにもありましたから、ショッキング
でも何でもなかった。ただ、このあとのロバート・ヴェ
ン チ ュ ー リ の『建 築 の 多 様 性 と 対 立 性(Complexity and
Contradiction in Architecture)』
(1966 年)はポスト・モダン
スパイラル(1985年)
の先駆けだったわけです。建築モダニズムはもっと複雑
るところにあるのです。それはどんな小さな建物でもあ
な様相を持っているということを指摘して、彼自身は
り得る話ですから、そこで我々がどう格闘するか、そこ
「ポスト・モダニストではない」と言っているのですが、
で答えがみんな違ってきているのではないでしょうか。
彼のあの本に関する限り、非常に先駆的な役割を果たし
古市●先ほどのポスト・モダンの話ですが、丹下先生は
たと思います。僕たちも、どこかで間接的にその影響は
当時、中近東やアフリカで仕事をする際、施主側から強
受けていると思うのです。
く地域性を表現してほしいと言われていました。地域性
(1985 年)は僕たちの作品の中で
例えば、
「スパイラル」
自体の考え方はいいのですが、具象的な形の要求になっ
一番ハイブリッドな建物、つまり、中は何でもありなの
てしまうのです。それに対して先生は、エジプトの柱の
です。それをどう表現したらいいか。それまでのモダニ
ような歴史的なものや、あるいは地域的なもの、特に具
ズム建築だと、体育館は体育館らしく、オフィスはオ
象的なものを入れるのには強い抵抗を感じておられたよ
フィスらしく。それにはいろいろなやり方があったと
うです。やはりモダニズムはユニバーサルなもので、世
思いますが、それが混ざってきたときに、何が表現のポ
界共通の様式であるという非常に明快な考えを持ってい
イントになり得るかと考えました。機能が上から下まで、
たのです。例えば、僕らが中近東で仕事をやると、施主
各階みんな違うわけですよ。じゃあ、モダニズムの持っ
がいわゆるアラベスクのようなイスラミックなパターン
ていたグリッドや円錐とか、回転性とか、いろいろなこ
を壁に付けろと言うのです。そうすると、丹下先生は
とをコラージュとしてそこに表現したらいいのではない
「私は強い装飾的なものはできません」と言って拒否さ
かとやってみたのです。自分では一番、それまでの規範
れていましたね。
から外れたものだったという記憶が非常にあります。で
でも、槇先生の場合は、丹下先生の世代とはちょっと
すから、建築そのものがハイブリッドになってきたとき
違うという気がするのです。
の表現をどうするかは、モダニズムかポスト・モダニズ
槇 ●それはインテリアの場合でしょうか。
ムか、そういう話とは別にして、常に建築家に与えられ
古市●インテリアもエクステリアも両方です。
た新鮮な課題でもあるのです。
槇 ●エクステリアにそういうパターンはどうかと思い
レム・コールハースが『錯乱のニューヨーク(Delirious
ますけれどね。
New York)』
(1994 年)の中で、ひとつの大事な例として、
僕の場合は非常に幸せでしてね。イスラム教の中のひ
ハイブリッドのダウンタウン・アスレティック・クラ
とつの宗派の指導者アガ・カーン氏が施主のプロジェク
ブ(Downtown Athletic Club)のセクションを全部見せて
トでも、外にアラベスクの模様を付けてほしいとは言わ
います。そこにはインドア・ジムのようなものもあっ
ないのです。でも、
「外はモダンでいい、だけど、中に
て、建築のハイブリッドというものが、今後の建築、特
入ったときにイスラミックな趣きがほしい」という要望
に表現のあり方にどう関連してくるかを示しているので
には、ちゃんと応えてお互いに満足しているわけです。
す。自分の今のスパイラルのケースを一緒に考えてみる
やはり施主次第でしょうか。僕だって、外にアラベスク
と、非常に面白いですね。
模様をと言われたら、
「えーっ !?」というかもしれません
我々が、内部空間のあり方と、それが外部にどう表現
よ。
されるかにいつも関心があるのは、モダニストの伝統で
(1997 年)も異なったいく
古市●大分の「風の丘葬祭場」
もあると思います。丹下さんの代々木の国立競技場の素
つかのボリュームから成り立っていますが、スパイラル
晴らしさは、内部空間のあり方がそのまま外部に出てい
でハイブリッドというテーマを見つけられて、より発展
JIA MAGAZINE 294
ライフスタイルの転換 ⓮
——
全に関係ないというような、槇先生ご自身がそれらとど
July 2013 ●
005
写真:北嶋俊治
風の丘葬祭場(1997年)
させたのでしょうか。
槇 ●期間はこっちが勝手に決めていいのですが、1 万
槇 ●発展というより別々の答えですね。風の丘葬祭場
ドルをもらったのです。
は違うものもつなげていったということで、どちらかと
古市●当時の円に換算すると 360 万円ですね。
(1969 年~)に近い
いうと代官山の「ヒルサイドテラス」
槇 ●日本の初任給が 8,000 円~ 1 万円の時です。僕は、
かもしれないですね。だけど、どっちもハイブリッドに
その頃、アメリカのワシントン大学で教えていて、年間
は違いない。
5 千ドルもらっていましたから、1 万ドルはその 2 年分に
古市●いま、地方の若い建築家たちが、地域性を出して
値します。ですから旅行や、メタボリズムの活動などに
いきたいと一所懸命に活動しています。ところが、どう
時間を費やすことができたのです。
しても東京中心の文化ですから、なかなか、むしろ地域
古市●おそらくそういった貴重な旅の経験によって、槇
の人がそれを認めてくれないと聞きます。例えばモダニ
先生より上の世代のモダニストと、地域に対する見方が
ズム的なデザインの要素を使っても、十分に地域性を表
変わられたのだと思います。
現できると思うのです。
槇 ●僕自身、アメリカから日本を見るスタンスを持っ
若い建築家に対してもハイブリッドは、ひとつの大き
ていましたし、それから、西方への旅で、それまで誰も
なヒントになると思います。
行けなかったようなアジアや、中近東、地中海沿岸など
槇 ●これを全部、何だか分からないひとつのものに統
の旅行ができたことは非常に幸せでした。
合することも、ひとつのやり方ではあったわけですが、
古市●そのときの体験は、それ以降の先生の作品に影響
そうでないやり方があるのではないかと思ったのです。
を及ぼしましたか。
ただ、スパイラルでは、だんだん回廊で上がっていくの
槇 ●やはり、影響を受けたのは考え方でしょうか。僕
は比較的そのまま道との関係で出しているのですが、上
は、たまたまギリシャ人の建築家の友だちがいて、彼の
のほうへ行くとどんどん違っていくのです。このような
すすめでギリシャ群島の中のイドラ島でたくさん写真を
モダニズムのアイコンのようなものを持ってきたりする
撮りました。自動車のない、ロバがいるようなところで
ことをしていますが、より自由な表層の操作という点で
す。船が着く波止場にコミュニティセンターがあって、
は、自分の手掛けた作品のなかで一番ポストモダン的な
そこに教会もあればレストランもあるし、タウンホール
ものだろうと思っています。
もある。その後方へだんだん行くと、広場があったり、
小さな庭があったり、そういうところを見ることができ
個が中心になって全体をつくる
006
●
たのがとてもよい経験でした。
日本に帰ってきて、ちょうどメタボリズムで群像形を
古市●槇先生は、まだお若い時、当時日本人が行くこと
考えましたが、そのイドラ島での経験は、大きな全体の
のなかった中近東などの「西方への旅」をされています。
フレームの中で個が中心になって全体をつくるという思
それは何歳くらいの時でしょうか。
想につながっていくと思います。それはやはり、こうい
槇 ● 30 歳の初めです。
うところで経験したことが非常に大きいですね。
古市●ですから、極めて若い時に、そういう第三世界を
古市●例えば代官山ヒルサイドテラスに行くと、モダニ
ずっと見られているわけですね。
ズム的なものではなくて、ちょっと集落的なものを感じ
槇 ●当時はまだ 1ドル 360 円の時代でしたし、今のよ
ます。ブータンへ行きますと、ある間隔を持って建物が
うに、簡単にはいろいろなところへ行けない時代でした。
あって、それらの配置が代官山に似ているような気がす
それは、例えば 1930 年代のアールトの伝記などを読む
るのです。外部空間が、非常にいいコミュニケーション
と、やはり彼らヨーロッパの建築家にとっても遠くまで
スペースなのですよね。
旅行をする、あるいはアメリカへ行くことは大変なこと
槇 ●ブータンは僕は行ったことがないのですけれど
だったのです。それ以上に大変だった戦後の日本で、た
ね。やはり、それぞれの建物が離れていて、その間の空
またまグラハム・ファウンデーションのフェローシップ
間が生きているから面白いのだと思うのです。ですから、
で、何にお金を使ってもいいといわれ、僕は、すぐに行
我々もヒルサイドテラスでは、広場があったり、道と一
くことにしました。
緒になったり、あるいは塚があったりという、間の空間
古市●どのくらいの期間だったのですか。
ともいえるつなぎの外部空間が非常に大事だと感じます。
JIA MAGAZINE 294
July 2013
ま
特集
建築・都市 の
パラダイム シ フ ト
ギリシャ・イドラ島
い悪いは別ですが、いまの 3D モデルのようなもので
ていろいろな感興を呼び起こしてくれる。そういうこと
バーンといきなり全体像が出てくるようなものはどうも
が非常に大事だと思います。
……。つまり、思考のプロセスの中で、少しずつ考えて
古市●丹下先生は、おそらくそういう発想はされないと
直したりしていくことをやらなくなっていますね。例
思うのです。異質なものを混ぜることはモダニストに
えば、アメリカあたりで今、CGが基本の設計ツールに
とっては非常に抵抗があるのです。今、槇先生がおっ
なっている大学が多いわけです。そうすると、人間と空
しゃるハイブリッドは、丹下先生の世代のモダニストは
間がどう関わり合ってくるかという問題について、訓練
なかなか受け入れることができないかもしれませんね。
させることがはたしてできるのかどうか、ちょっと疑問
槇 ●全体像がまずありますからね。整理して統一して
になるところが多いですね。
しまうのですよね。
古市●やはり、設計する場合、模型を作ったほうがいい
僕はどちらかというと、ひとつの全体の秩序があって、
と思います。模型は三次元的に形態と空間を体験するこ
個がその中で中心を占めるのではなくて、ばらばらに見
とができます。バーチャルに思考しがちな若い人には建
えている個が全体を作り上げることができるという考え
築の模型を積極的に作ることを勧めたいですね。
方です。例えばヒルサイドであれば、フェーズによって
槇 ●模型は若い人の訓練だけではなくて、実際に我々
建築の表現はみんな違いますが、そのことによって生ま
のプラクティスの中で非常に有効です。我々が海外で仕
れてきている全体像があり得るというひとつの考え方で
事をする際に、大きな模型を現場事務所に持ち込むと、
す。
みんな喜ぶのです。
「ああ、そうか、自分たちの今つくっ
実際のそのあとの自分の建築体験の中でも、風の丘葬
ているものは最終的にこうなるんだ」とイメージできる。
祭場で実施しています。4 つから 5 つの小さな空間がつ
そしてそれだけではなくて、
「自分はこの部分を受け持っ
ながっているのですが、みんな表現が違います。ひとつ
ているんだ」と実感できる。
はレンガ、ひとつはコルテン鋼、ひとつはコンクリート
それから、今、海外ではユニオンが強いから、違う職
の打ち放しというように。でも、何とはなしに全体像が
種と一緒に仕事をするのを嫌がるのです。例えば、金属
浮かび上がってくればいいと思いました。おそらく、丹
工事と石工事というのはそれぞれ別なユニオンなので
下先生だったら、1 つの建物に 3 つも異なる外装を施す
す。でも、我々が石と金属の絡み合ったようなパーツを
ことは考えられないでしょう。そこら辺から基本的に、
つくったりすると、彼らはどうやってそれをつくってい
へテロなものであるいろいろな個が全体を構成していく
くか分からない。ですから、必ずフルサイズのモック
ことを考え始めました。
アップをつくらせて、そこで訓練します。
「ああそうか、
古市●丹下先生とはまったく逆ですね。
あなたの工事は、自分のこの部分の次なんですね」とか、
槇 ●そのような幅を我々の近代建築は持っていました。
あるいは逆だとか、そういうことを理解してもらわない
どっちがいい悪いという話ではなくてですね。いろいろ
といけない時代なんですよね。ですから、いろいろな意
なアプローチがありましたし、今もあると思います。
味で 50 年建築設計事務所をやっていますと、コミュニ
ライフスタイルの転換 ⓮
——
それは決して単なる空隙ではなくて、実は、人々に対し
ケーションの変化だけではなくて、モノをつくるプロセ
空間と人間の関係をいま一度見直すべき
スそのものもどんどん変わっていくと感じます。
古市●経済システムも変わってきますからね。
古市●今、個がたくさんあって、それで全体像をつくっ
槇 ●やはり経済システムの影響が強すぎるのかもしれ
ていくことを盛んに言っている若い建築家がいます。で
ないですね。何でも、とにかく効率よくすることが求め
すから、むしろそちらのほうが現代風なのかもしれませ
られる。
ん。それは、敷地の形も違いますし、人それぞれの好み
古市●お金の論理ですよね。
も違うし、機能も違う、そのような多様性を受け入れる
槇 ●そこら辺でも、一度ポストモダンで自由になりま
ためにもひとつのシステムで強引にまとめてしまうこと
したが、それ以後の我々の建築のあり方や建築をつくる
はなかなかしんどい時代だと思います。
プロセスを見ていると、やはり、きちんと考えないとい
槇 ●そのためには、僕はやはり、スケッチを描いて、
けないと感じます。
模型を作って、その多様性を検討していきたいので、い
古市●いま、マネーゲームと言ってもいい資本主義が極
JIA MAGAZINE 294
July 2013 ●
007
写真:ASPI
ヒルサイドテラス(1969年~)
端な形で我々を支配しているわけです。そうすると建築
されていたのでしょうか。
もすべてがお金の論理で建ってくることになる。建築家
槇 ●やはり戦後の日本の中で、伝統をどのように自分
はこれまで、そこに住む人間の快適性や感動などをずっ
は解釈して表現していけばいいかという強い意思の表れ
とつくり続けてきましたが、経済の論理でいくと、そう
を感じました。そういう、意思の強さやアイディアをも
いうことは必要ない、単純にハコがあればいいことに
とに空間、あるいは形態を構築していく思い入れの強さ
なってしまいます。デザインにとっては、いま非常に難
のようなものは、今の我々の中ではだんだんなくなって
しい状況に来ています。
きています。例えば、最近出版された書籍のタイトルを
槇 ●ですから、
『漂うモダニズム』の中でも、空間と人
見ても、隈研吾さんが『小さな建築』
、磯崎新さんが『見
間の関係がやはりいちばん基本にあるのではないかと強
えない都市』、僕が『漂うモダニズム』、建築の見方に関
調しています。それと建物ができたあとの社会性——つ
して、少し時代が変わってきたなと感じます。
まり、社会がそれをどのように見て、どのように使って
古市●「これから自分たちは何をしたらいいのだ」と模
いくかが大事だということも書いたつもりです。
索する若い人たちは、そういった新しい課題に興味を持
古市●美や気持ちよさ、アメニティなどを作り出す感覚
つと思います。
は、日本人は世界に冠たる才能を持っていますよね。
槇 ●本にも書きましたが、僕たちは確かに大海原に放
槇 ●僕は持っていると思いますよ。
り出された。けれども、じゃあ今後は何を拠り所にして
古市●日本人の強さであるその感覚を否定してしまうと、
いったらいいかというときに、日本人の建築家は、先ほ
我々は自分で首を絞めてしまうのではないでしょうか。
どから言っている日本文化の特性のような、失ってはい
槇 ●そう思いますね。いまヨーロッパでは、例えば、
けないものを今度はどういう時代と場所で表現していく
EUですと金融における統合だけではなく、EUに属して
かがひとつあると思います。それは、EUのような、も
いる国が何十ヵ国かありますが、そこで建築の資格を
はや国の文化が消失してしまったところでは、あまり期
持っていれば EU 内のどこへ行っても建築ができるので
待できません。
す。それから、EUの公共の建物は EUで仕事ができる
ただもうひとつ、グローバルにいうと、共感のヒュー
建築家に開いていますから、もはやフランス建築とかド
マニズムのようなものは、やはりあり得るのではないで
イツ建築というものはない時代になっています。
しょうか。特に、今のようにコミュニケーションが発達
一方、日本はずっと長く鎖国をして好きなものだけ
すると、非常に離れたところで似たようなことを考えて
取ってきましたから、その中から熟成されてきたものが
いる人や、似たようなことをしている人をお互いに発見
いくつかあって、それが日本の建築文化のひとつの支え
するチャンスがものすごく多いわけです。かつては、何
になっています。それまでが全部、さっき言ったような
年かに一度くらい海外へ誰かが行って、
「こんなふうだ」
カクテルになってしまうと、どうなのかと思いますね。
「ああ、そうですか」と話を聞いたものですが、今はイ
ンターネットの時代で、Facebookもあるし、何でもあ
日本文化の特性をどう表現するか
008
●
るわけですね。その中で、人間をどう考えるか、同じ
ようなことを考えている人がいる、私はそれを「共感の
古市●丹下先生が例えば香川の県庁舎などで、和風とい
ヒューマニズム」と言っていますが、それは特にこれか
うか、日本の伝統を表現することを盛んにやられた時代
らの人にとって、ひとつの拠り所になっていくべきだと
がありますが、そのことはアメリカではどのように評価
思います。ある形やあるパターンをどうこうするレベル
JIA MAGAZINE 294
July 2013
それは空間に一番出てくると思います。
を今までのモダニズムは否定してきましたが、それこそ
日本の空間の特性については、以前、評論家の加藤周
が新しい何か規範をつくり出すのかもしれません。
一さんが言っておられたのですが、西洋では必ずルーム
槇 ●規範とまでいくかどうか分からないけれど、可能
(部屋)というものがあって、ある機能が既に付与されて
性は十分にありますね。オープンなのではないかという
いる。例えば、客室、大広間、それから寝室、玄関もそ
ことですね。
うです。ところが日本はそもそも、ある個のスペースは、
古市●いま、よく議論されている地球環境問題や CO2
時に寝室にもなるし居間にもなるし客間にもなる。です
問題について、先生はどのように思われますか。
から、空間から入ってきているわけです。そしてその空
槇 ●それはやはり、我々と違って、これからの世代の
間は伸縮自在で、境界も時に壁だったり、時に襖だった
建築家は非常に考えなければならないし、いま我々が
り、あるいは障子だったり、次の空間を考えられる。そ
やっている仕事の中でも、例えば、排泄物やゴミはその
ういう自由度を我々はずっと持ってきたわけです。それ
まま肥料にしたり、あるいはエネルギーのもとにするだ
はやはり日本のもつ特性だと思います。
とか、そのような要求度が高くなっています。我々の中
古市●空間に流動性があるのですね。
で、環境というものをより自然に、例えば方位や、開口
槇 ●そう、日本の場合は空間が、まずありきなのです。
のあり方などを考えていく時代になっていて、知らない
古市●その中で、どうやって工夫するか、それを、
「しつ
うちに我々がそれらを身につけていくことは決して悪い
らえ」といいますよね。
話ではないと思います。
槇 ●道具を持ってきて部屋の機能を変えていくのです。
古市●これからの世代の建築家に望まれること、何か
古市●例えば、江戸の長屋では、布団を敷くと寝室、布
メッセージがありましたら、お願いします。
団を片づけてちゃぶ台を置くと食事部屋になる。そして
槇 ●僕自身としては、
「いま我々はどこにいるのか」に
それを片付けると今度は仕事場。つまり、ひとつの部屋
関する考察は、
「じゃあ、自分は何をしたらいいか」とい
がどんどん変わっていく。その上に、襖を開けていくと
うことに対するベースになると思いますので、この『漂
部屋のサイズも自由に変わっていきます。その考え方は
うモダニズム』も、
「こんな状況なんじゃないですか」と
現代建築でも十分に使えますよね。
いう問いかけをしていて、あとは、自分でそこから何か
槇 ●同じことはできるはずです。僕が韓国へ行った時
を考えてくださいというスタンスで書きました。
に感じましたが、やはり大陸続きだとみんな部屋なので
いろいろな話をする際によく例に挙げるのですが、
すね。襖みたいなものではなくて、ドアのところが多い
ヴィトルヴィウスの考え方があって、僕たちは大学にい
です。それらに対して、今言ったような非常に流動性の
た時から、建築の価値は「用・強・美」だと習ってきた
あるフレキシビリティのある空間に対する感覚を我々は
のです。
「美」に相当するラテン語は「ヴェヌスタス」と
生まれた時から持っています。だから、一番懸念するの
いって、ビーナスからきています。ところが最近ある学
は、僕が子どもの時、友だちの家へ行くと、みんな違う
者が、ヴィトルヴィウスが言っていた「ヴェヌスタス」
家で面白かった。間取りも、木の匂いも、庭も違います
は、
「美」ではなくて「歓び」の意味だと言い始めました。
し。今は、みんな同じようなマンションでね。
今それが定説になってきています。
古市●経済性を優先すると同じタイプを大量につくった
本来、建築は人々に喜びを与えなければならないもの
方が良く、その結果、同じものができてしまうのですね。
であるはずなのに、先ほども話に出た資本の論理ですと、
槇 ●同じようなところに住んでいて、遊びに行っても
なかなか喜びを与えられるものをつくることが難しい時
同じようなところです。
代になってきています。
ライフスタイルの転換 ⓮
——
のボックスがあってもいいわけですよね。そういうこと
建築・都市 の
パラダイム シ フ ト
ではなくて、人間をどう建築の上で考えていくか、僕は、
特集
槇 文彦(まき ふみひこ) 建築家
槇総合計画事務所
1928 年 東京都生まれ
1952 年 東京大学工学部建築学科卒業
1953 年 クランブルック美術学院修士課程修了
1954 年 ハーヴァード大学修士課程修了
ワシントン大学、ハーヴァード大学準教授を歴任
1965 年 槇総合計画事務所設立
1979 ~ 89 年 東京大学工学部教授
けれども、たとえどのように強い資本の論理がそこに
これからの建築の可能性
働いていたとしても、それはやはり建築家の責任でやら
なければならない話だと思います。
古市●きょうの先生の言葉で、個から全体へ、それから、
古市●今日は貴重なお話をうかがうことができました。
ハイブリッド、このふたつが非常に印象に残りました。
ありがとうございました。
極端にいえば、日本の民家だって、そこにすごいガラス
(2013 年 5 月 14 日 槇総合計画事務所にて収録)
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009
中国建築事情
The World Report
激動の中国に身をおいて
【海外レポート】
中村周平(朱锫建築設計事務所/ Studio Pei-Zhu)
はじめに
朱锫(ジュ・ペイ)は、中国北京を拠点とする建築家であり、
主に国内の文化的プロジェクトを数多く手がけている。2005 年に
は北京オリンピックのコントロールセンターであるデジタル・ベ
イジンを、2007 年にはアラブ首長国連邦・アブダビの芸術文化
地区に安藤忠雄、ザハ・ハディドと肩を並べてグッゲンハイム・
アートパヴィリオンを設計するなど、国際的にも認知されている。
海外経験を活かし、事務所の 3 分の 1 を占める外国人デザイナー
と共に国際的な建築の流れを踏まえながら、中国独自の現代建築
の創造を目指している。
本稿では現地のアトリエ事務所で働く者の視点から、中国にお
ける建築設計について紹介する。
グッゲンハイム・アートパヴィリオン、2006 〜 2007年設計
中国アトリエ事務所事情
中国における設計の特色
政府の意向を体現する国営大型設計院が主たるプロジェクトを
ビッグピクチャーの重要性
請け負う中国において、アトリエ設計事務所はここ 10 年ほどの
中国における設計でまず念頭におかなければならないのは、極
あいだに発展してきた。中国には主に 3 種類のアトリエ設計事務
めて明快で強力なビッグピクチャーの提示である。ほとんどの場
所がある。
「中国人建築家による事務所」
「海外から帰国した中国
合それは「明快なイメージの提示」と言い換えられる。中国のプ
人建築家による国際色豊かな事務所」
「海外建築家の中国進出拠
ロジェクトでは、政府関係者や事業主などの承認が段階的に複数
点としての事務所」がそれである。
回設けられており、どの段階においてもより多くの人に受け入れ
現在中国には多くの外国人建築家がおり、その多くが 2 番目な
られるような「明快なイメージ」が常に求められている。クライ
いし 3 番目の事務所で働いている。そうした事務所の多くでは、
アントに配慮したそうした条件を満たしつつ、いかにその先に行
主任建築家と外国人建築家によってコンセプトデザイン、基本設
けるかが建築家としての挑戦である。こちらが意識的にならなけ
計が行われる。詳細設計については事務所により異なるが、朱锫
れば、イメージだけでプロジェクトが終わってしまう危険性を常
建築設計事務所では大枠までを外国人チームが受け持つ。中国人
に秘めており、限られた時間の中でいかにプログラム面やアク
は、より実践的な教育を受けてきた強みを活かし詳細設計を行う
ティビティー面においての提案を発展させることができるかが、
チームと、レンダリングチームに分かれる。彼らは総じてソフト
毎回の課題となっている。
ウェアの技術力が非常に高い。
施工精度・ディテールについて
こうしたチーム編成において、日々重要になるのがコミュニ
中国では精緻を極めたような設計や施工はやはり難しい。長い
ケーションである。日本人に比べて中国人は一般的に英語の習熟
歴史を持ち、極めて高度な技術力を誇る日本のゼネコンのような
度が高く、英語を公用語としている事務所が数多くある。言語の
存在は中国にはなく、建設現場では、農村からの出稼ぎ労働者で
壁をクリアしても、西洋人と東洋人では暗黙の了解では通じない
ある「民工」と呼ばれる労働者が占めている。そこで重要なのは、
ことが多々あり、常に議論をし、理解し合う必要がある。
設計の段階でコンセプトを維持できる範囲において、可能な限り
単純化したディテールをデザインすることである。しかし、設
計院に引き渡した後もより意識的に管理していくことで、極め
て精度の高い建築を実現することも可能である。後述する OCT
Design Museum などは、そうした徹底した管理のもと、中国で
は珍しいほどの精度を実現することができた。
スピード
中国における設計期間は極めて短い。コンセプトデザインから
詳細設計を終えるまでに、5 ヵ月程度しかない場合もざらにある。
そうした状況下では、常にアイデアを考え、問題が提示された時
に即座に解答できる瞬発力がものを言う。また、そのスピードゆ
えにしばしば起きるプロジェクト・マネジメントに関連する問題
デジタル・ベイジン、2004 〜 2005年設計、2007年竣工
010
●
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にも対応できる柔軟性もまた重要である。
中国の文化的背景
射性の素材ゆえに、周囲の環境を映しこみながら自らは消失し、
古い建物はそこに投影される。異なる時代の異なる記憶との間で
1978 年の鄧小平による「改革・開放」政策の実施以来 30 年間
対話が行われる様を表現している。
に、中国は急激な経済成長を遂げた。1978 ~ 2007 年の間、全国
北京の伝統的家屋の四合院を用いて、現在・過去・未来の関係
の GDP 年平均成長率は 9.8%で、1 人当たりでは 8.6%。また平均
性を再構築したこの建築は、これからの中国の建築・文化のあり
年収も大幅に増加し、都市と農村住民の実所得は共に 6 倍以上増
かたを示したのではないだろうか。
加した。また、都市化率は 2011 年で 51.27%と人口の過半となっ
ている。建設業界においては、人々の物理的生活環境の改善を当
面の目標とし、都市のインフラストラクチャー、大量の住宅建築
が建設された。
現在中国の人々は都市において、経済的に豊かな生活を謳歌し
ているかに見える。しかし、その中で取り残されてきた問題も多
い。思慮を欠く歴史的遺産の破壊、環境汚染などがそれであり、
人々はその問題に気づきながらも、あまりにも速い時間の流れに
追いつくのが精一杯といった様相である。
物理的生活環境の基盤がひと通り整ったあとの中国では、真の
豊かさ・文化的基盤を構築することに焦点が移行し始めている。
今後 10 ~ 20 年がそのための重要な期間になると予測される。政
府もこの課題に意識的になり始めており、2010 年以降文化施設・
教育施設の建設を大幅に増加している。
朱锫建築設計事務所ではそうした状況のもと、これまでに多く
の文化的プロジェクトに集中的に取り組んできた。次に、設計主
題と具体的な事例を紹介する。
プロジェクト
コンセプト――2 つの主題
朱锫建築設計事務所では、主に 2 つの主題を掲げて設計に取り
組んでいる。
「コンテンポラリー」
「中国文化との関連性の構築」
がそれである。私たちが生活する現代の文化に対応する建築をつ
くり、安易な地域主義などに陥るのではなく、より抽象化された
方法で、それぞれの状況下において、現代中国の文化を表現する
ことを目的としている。
本稿で紹介するプロジェクトはそれぞれ、そのおかれるコンテ
クストに基づき、
「伝統的中国」
「新世界的中国」
「産業的中国」
「自
然的中国」の 4 つに分類される。中国における設計の持つ、幅広
い性格を理解していただけるのではないだろうか。
2. OCT Design Museum——新世界的中国
作品紹介
プロジェクトのインスピレーションは、湾岸に近接した立地
1. 蔡国强四合院改修——伝統的中国 条件と、エキシビジョンのための超現実的空間というプログラ
中国を代表する現代芸術家・蔡国强(ツァイ・グオチャン)の
ム上のニーズから来ている。OCT デザインミュージアムは主に、
ための自宅兼アトリエの設計。北京中心部にある伝統的な四合院
ファッションショー、プロダクトデザイン、自動車のコンセプト
を改修したものである。
「古い建物の記憶を凝固させ、ここで発
ショーのための建築である。
生したいかなる痕跡も留める」ことをコンセプトとした。2 つの
超現実的素材、そして周辺環境に対して、また感覚的に超自然
中庭を挟んだ 3 つの建物は、伝統的な木の枠組みを残した「イン
的な空間の創造を目指した。インテリア空間のデザインは、一切
スタレーション的空間」、純白で 2 次元的な「中国の伝統画的空
の影を投影せず、深度を持たない連続した白い曲面によって構成
間」
、奥の「現代的空間」に分かれる。新しい建物は光沢のある反
される。そこにあるのは、無限空間に入ったような境界の無い超
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011
現実的空間である。雲の中あるいは濃い霧の中にいるかのような
地としての役割を付加するために、エントランスのアトリウム
感覚。まるで空を飛び交う鳥のように不規則に散りばめられた小
は 3 つのボックスがひしめき合うように交錯したタワーを形成し
さな三角形の窓と共に、建築は超現実的な純白の背景となる。典
ている。建築は、アトリウムを中心に伝統的展示空間、ビッグ・
型的に自動車は非常に重い印象を与えるが、この無限空間の中で
ボックス(現代美術のための巨大展示空間)、オーディトリア
は、その車体の曲面、影、強い色彩をそのショーの焦点としなが
ム、屋外展示空間(中庭)
、ワークショップ、カフェ・レストラン、
ら、無重量になる。
デザイン・ショップなどで構成され、多様な性格を持つ。今後の
建物の 1 階はロビースペースとカフェ、2 階と 3 階が主要な展示
北京における現代美術発展のための孵化器(インキュベーター)
空間である。収蔵庫は各階に均等に配置。また、展示空間は可動
としての役割が期待されている。
壁によってフレキシブルな展示を可能にした。
外観の形態は、内部空間の連続した曲面空間を直接的に反映し
ている。なめらかで有機的な形態は、その都市的背景の中で外側
から見られたとき、同様に超現実的しかし超自然的な効果を持つ。
そのランドスケープの上に置かれた時、建物の形態は、まるで
この惑星から来たものではないかのように地面上に浮かんでいる
ように見える。海から 300mという立地において、砂浜で見つけ
られる滑らかな石にインスピレーションの源を見出した。それは、
過度に飽和した都市の中に投げ込まれた、純粋に滑らかな石のよ
うである。
※ 798 芸術区
1950 年代はじめに東ドイツの
技術援助によって建設された
工廠が集中した地区。煉瓦造
の建築群が印象的である。2000
年 頃 か ら ア ー ト エ リ ア 化 し、
芸術家のアトリエや住居、中
国や日本を初めとする外国か
ら進出したギャラリーが多く
存在する。近年は観光地化し
ている。
3. Minsheng MOCA(民生美術館)——産業的中国
本計画は、北京の 798 芸術区※の北側に隣接する元パナソニッ
クの巨大な工場を、中国最大のコンテンポラリーアートミュージ
アムに改修するプロジェクトである。クライアントは、中国で唯
一文化的事業を手がける銀行である民生銀行である。設計コンサ
ルタントとして GCAM(元グッゲンハイム財団のディレクター兼
4. 大里民族芸術中心——自然的中国
チーフアートオフィサーであったトム・クレンズが立ち上げた設
孔雀の動きを模した舞踏で有名なダンサー・杨丽萍(ヤン・
計コンサルタント会社)を迎えた意欲作である。現在建設中であ
リーピン)からの依頼で始まった政府主導のプロジェクトである。
り、オープニングにはドイツの画家アンゼルム・キーファーの個
大里は杨丽萍の故郷で、雲南省に位置する美しい自然に囲まれた
展が予定されている。
土地である。南北に走る 2 つの巨大な山とそのあいだに湖があり、
オリジナルの工場としての歴史、隣接する 798 芸術区の性格を
敷地の近くには伝統的建築を残した旧市街も残る。近年、都心で
考慮し、我々のデザインもインダストリアルな性格を強く打ち出
成功した芸術家や詩人を中心とする人々が移住し、自然と共存し
している。既存の構造は可能な限り露出させ、外装には再生材を
たスローライフの街としての色彩を帯び始めている。本計画は大
利用したメタルパネルを使用している。
里で初めての大々的文化プロジェクトであり、杨丽萍が地元の
分散的な配置がなされ、焦点が希薄な 798 芸術区に、最終目的
人々と共に創り上げるダンスショーのための劇場である。
012
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亜熱帯気候に属し、1 年を通して温暖で過ごしやすい環境に応
前述の大里も、その一例である。こうした流れは、建築家にとっ
答し、外部に開放することも可能な、極めて自然と一体化した劇
てより自然と融合した建築を設計するためのよいチャンスになる
場を目指した。野外劇場と屋内劇場がステージを挟んで向かい合
かもしれない。
うように配置された劇場は、全部で 5 種類の劇場構成を可能とす
るフレキシブルシアターである。人間の居住区の背後に鎮座する
多様な民族・文化的背景による影響
山からインスパイアされたドロップと劇場ボリュームによって囲
現在までに北京・上海などの大都市はほぼ開発され尽くしてお
まれた空間は、適度に閉じられると同時に開放された心地よい外
り、資本は沿岸部や内陸部に移行している。近年の朱锫建築設計
部空間で、隣の緑豊かなランドスケープへとつながる。
事務所におけるプロジェクトについても、その傾向は明らかであ
仰々しい “ 劇場建築 ”ではなく、時には土地の動物や鳥などが
る。そして、地域の変化が建築設計に与える影響が顕著になり始
中心のプラザを往来していてもおかしくないような、土地に根付
めている。
いたデザインとなった。
中国は多様な民族・文化が混在した国家であり、地域によって
そのコンテクストは劇的に異なる。時に、文化的背景・気候条件
などの非常に特徴的なプロジェクトに巡り会うことがあり、また
そうしたものへの理解のあるクライアントの存在と合わさって、
独創的なデザインが生まれることがある。北京を拠点としながら、
こうした、さまざまに異なる地域における建築の設計を行うこと
は非常に刺激的であり、私たちのデザイン・設計への取り組み方
を大きく変え始めており、大きな期待を抱いている。こうした幸
運な条件に恵まれた時、
「中国独自の建築」とは何かと構えずとも、
そのコンテクストに真摯に向き合っていけば、自然と「その地域
特有の建築」が創造され得る。手法は千差万別にせよ、この状況
が中国の建築家に与える影響は大きなものとなるだろう。
中国で設計をするということ
私は中国の現地事務所で、外国人チームの一員として設計に従
事している。国は違えど、建築設計のプロセスは国際的に共有で
きる部分が多い。与えられる条件、比重を置くポイントが異なる
だけである。とは言え、背景が異なれば意見の衝突は必ず起こる。
異なる教育を受け、異なる背景を持つ人間と議論をしながら設計
を練り上げていく作業は、毎回自らに少なからぬ変革を強いる。
今後の課題・展望
自らの常識が通じないことが多々あるからである。しかし、その
中でも皆が共感できるものがあり、それを見つける作業が何より
都会での快適な居住環境と自然回帰への欲求
も面白い。移り変わる状況、異なるコンテクストに対して、異な
北京などの大都市では、インフラの不足などいくつかの問題
る出自を持つ人間と、チームとしてのバランスポイントを探る作
を残すものの、一定レベルの物理的生活環境の整備は達成され、
業を行うこと。それが中国における設計の醍醐味である。
人々の意識はより質の高い、快適な居住環境へと移行し始めてい
る。それは、ソフト面の充実であり、エコロジーやサスティナビ
リティーへの配慮などである。市民意識の介入が難しい中国の建
築業界では、こうした人々の意識の変化が及ぼし得る影響に期待
が高まる。イメージの先行しがちな中国において、より生きた建
築を作り出すためには、国や事業主がそうした状況に対応してい
く必要があろう。
また、それと並行して近年、大都市に暮らす人々の中に芽生え
始めているのが、自然回帰への欲求である。高密度に人々がひし
めく都会の生活の中で一定の成功をおさめた人々の中から、喧騒
を逃れ、自然の豊かな地域へと移住するものたちが出始めている。
中村周平(なかむら しゅうへい)
1985 年
2009 年
2010 年
2011 年
2011 年~
千葉県生まれ
千葉工業大学工学部
建築都市環境学科卒業
ペンシルヴァニア州立大学
芸術建築学部建築学科交換留学生
千葉工業大学大学院工学部
建築都市環境学専攻修了
朱锫建築設計事務所勤務
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July 2013 ●
013
会 員便り
まちの道標
――中央区の公衆便所――
中央区は東京 23 区のほぼ中心に位置し、面積・人口とも 2 番
自体を抑制する効果が得られた。
目に小さな区であるが、銀座や日本橋などのオフィス街を抱える
従来であれば壁の色分けで行っている「男子」、
「女子」、
「誰でも
ため昼間人口は 65 万人に膨れあがる、商業を主体とした地域で
トイレ」の識別はサインにより実施した。一般的なサインプレー
ある。区内には概ね 300mごとに 84 箇所の公衆便所が設置されて
トという概念ではなく、外壁にステンレスの切文字を直接取り付
おり、毎年 2 ~ 3 箇所の更新を行っている。今回紹介する公衆便
けて、建物とサインの一体化を図った。中央区は観光地となる場
所は、この整備計画の中で 2005(平成 17)年から 2013(平成 25)
所も多く、日本人のみならず海外からの観光客にも施設の用途が
年にかけて段階的に計画したプロジェクトの一部である。
容易にわかりやすい、ユニバーサルデザインを心掛けている。
●公衆便所の役割
●光溢れる防犯
公衆便所は、わずか 10 坪の公共建築である。しかも都市機能
公衆便所の利用形態はさまざまである。24 時間利用するタク
の一環としては非常に重要な基盤施設といえる。しかしながら一
シー運転手、また一般的に商業地域を訪れた人は百貨店が開いて
般的に商業施設が軒を並べた繁華街においては、華やかさの陰に
いる時間帯は百貨店で、閉店後は地下鉄の駅で、終電後は公衆便
なり、近くに必要ではあるが至近には不要な存在として受け止め
所という具合に夜中の頻度が高くなる。そこで公衆便所が求めら
られがちである。そういった価値観の中で、常時の生活至便施設
れる重要な機能は、昼夜を問わず安心して利用できる環境である。
として、また非常時の防災対応施設として、まちとの関わり合い
どんな小規模な便所であろうとも「男子」と「女子」または「男
を探求した。
子」と「誰でも」に分けられているが、混雑状況によっては男女
言い換えれば、路 傍や辻に立てられる道 標のように、まちに
を問わず空いているブースが使われる場合もある。実際に女子便
とって不可欠な存在として親しまれるべき施設を目指したのである。
所から出てくる男性を何度も目撃しているが、使い勝手の故意、
無意識によるものなのか不明である。そこで安全性を確保するた
●イメージの転換
親しまれる施設とし
*
め狭隘な場所でも追いつめられることのない動線計画を行うと同
時に、2 方向避難を徹底している。またブースが隣接している部
て、 ま ず こ れ ま で の 公 衆
分については、覗き防止のステンレスネットや仕切を設置してい
便所のイメージである「汚
る。ゾーニングでは一般便所とは逆に女子便所を手前に配置し、
い・暗い・臭い」から「安
ガラススクリーンにより気配を感じる程度の視線制御を行うこと
心・安全・清潔」へと意識
で犯罪のリスクを下げようとしている。
が変わるように建築要素
夜は内部が明るいだけではなく、周囲まで明るさを感じる便所
を 構 成 し た。 便 所 と い う
とすることで犯罪への抑止効果を期待している。そこで夜景では、
単機能の建物であるため、
アルミハニカムパネルに反射した間接光が壁の上から溢れ出てく
構成要素としても基本的
るように演出した。都会の夜は街路灯、ライトアップ、ヘッドラ
には床、壁、屋根である。
イト等の光源でそこそこ明るくなるが、さらに建物全体を明るく
それら要素のそれぞれの働きで、イメージの転換を試みた。
見せることで、まちの道標となることを期待した。
白と黒の壁は、屋根と繋げることなく自立させた構成表現とし
た。構造として壁はすべて基礎からの片持ちとしたことで梁が不
●災害対応
要となり、ボードのような壁だけの存在となった。その壁の小口
緊急時に公共的な施設が担うべき機能として、災害対応できる
に FBの束を立て、アルミハニカムパネルの屋根を浮かせて架け
災害時用公衆便所として整備した。配管ピットは緊急用汚水槽を
た軽快な外観が実現した。こうすることで壁と屋根が切り離され
兼ねており、各ブース内のマンホールから利用できる。マンホー
た部分がすべて開口となり、充分な自然換気が得られて公衆便所
ルに上置きできる洋便器は倉庫に常備してある。また最新の便器
で最も嫌がられる臭気が滞ることがなくなった。さらに開口がハ
は、災害時に便器内の蓋を外すことでそのまま災害時用公衆便所
イサイドライトの役割を果たし、採光として昼間の照度を補なう
として利用可能である。災害復旧後はその汚水をくみ取り、再び
ため省エネルギーにも寄与している。
便器に蓋をして公衆便所として再機能できる。
また、工場製品であるアルミハニカムパネルを屋根にしたこと
さらに配管の地震時の可撓性を考慮して、給水管建物導入部は
で、コンクリートの躯体工事と屋上防水工事の工程が省略でき、
変位吸収配管、排水管は可撓継手により接続を行い変位吸収能力
工事期間を短縮することで、この地域における公衆便所の利便性
を持たせた。
にも配慮した。
壁の塗装は高耐久性フッ素樹脂塗装に落書き防止クリヤーを施
したもので、従来のタイルでは得がたい明るく清潔感のある印象
となった。公衆便所は落書きの標的とされやすいが、この塗装に
より清掃が容易になったことと、白に徹したことで落書きの発生
014
●
JIA MAGAZINE 294
July 2013
石橋利彦
(石橋徳川建築設計所/関東甲信越支部)
*
箱崎川第二公園内公衆便所
(2010年7月竣工)
高速道路の高架下であるため、地上
高さや地下深さなどの建築的な制約、
さらに施工上の制約といった特殊な
条件を乗り越えて実現した。
*
数寄屋橋公園内公衆便所
(2007年3月竣工)
数寄屋橋交差点脇の細長い公園内に
位置している。背後は昭和3年に建
設された泰明小学校で、黒い壁は隣
地からの延焼ラインを防ぐ防火壁と
して機能させた。
霊岸橋際公衆便所
(2014年1月竣工予定)
霊岸橋の橋詰広場内の公衆便所
である。
橋への勾配がきついため、
誰でもトイレへのアプローチが
緩やかになるレベルに建物を設
定した。
箱崎川第二公園内公衆便所
霊岸橋際公衆便所
*
数寄屋橋公園内公衆便所
元八通八橋際公衆便所
中央市場脇公衆便所
月島三丁目児童遊園内公衆便所
ここに紹介する 6 箇所の公衆便所
は、すべて石橋徳川建築設計所の
設計である。
元八通八橋際公衆便所
(2011年4月竣工)
高速道路のランプに沿った植裁帯内の公衆便
所である。狭小な敷地であるがドライバーが
24時間絶え間なく利用しているため、男子便
所と誰でもトイレの構成とした。
*
月島三丁目児童遊園内公衆便所
中央市場脇公衆便所
(2011年5月竣工)
築地場外市場商店街に並ぶように整
備した公衆便所である。日本人のみ
ならず、海外からの観光客にも施設
の用途がわかるよう、ユニバーサル
デザインを心掛けた。
(2014年3月竣工予定)
隣接する大規模開発に伴いスーパー堤防が整備されるため
に建替えとなった。隅田川沿いの遊歩道からもアプローチ
できる。
*の写真は撮影/村井 修
JIA MAGAZINE 294
July 2013 ●
015
2013 年度 日本建築家協会各賞
募集のお知らせ
本年度も JIA 各賞の候補作品を募集しています。締切が迫ってきました。
各賞の趣旨にふさわしい、すぐれた作品の応募をお待ちしています。
日本建築大賞 2013
JIA 新人賞
日本建築家協会賞 2013
日本建築家協会優秀建築選 2013
1. 趣旨
時代を反映した優れた建築を顕彰することは、社会に建築
のあるべき姿を知らしめる、建築家職能団体の使命であると
考えています。日本建築家協会では、この精神に基づき、才
能に恵まれ、真摯な努力を重ねられている新進建築家の作品
を通して、人を表彰し、我が国の建築文化の向上に寄与する
ことを目的として〈新人賞〉を設定しています。
1. 目的
日本建築家協会(以下、本会もしくは JIA)は、日本国内に
おける、その年度の優秀な建築作品を選定、記録し、その活
動と業績を広く社会に伝えることにより、文化としての建築
の価値を拡めることを目的として、優秀建築選の選定、及び
日本建築家協会建築年鑑『現代日本の建築家』の発刊を行い
ます。
さらに優秀建築選の中から、特に建築文化の向上に寄与し、
芸術・技術の両面において総合的な価値を発揮した建築につ
いて、
「日本建築大賞」
、
「日本建築家協会賞」を授与します。ま
た優秀建築選作品は「日本建築家協会優秀建築選」として、
2. 応募資格・応募作品
(1)応募者は、本会正会員または日本の建築士資格あるいは、
海外の相当する資格を有する者とします。
(2)応募者は、応募時点までに本賞並びに特定の賞を受けた
ことのない者とします。
特定の賞とは、日本芸術院賞、同恩賜賞、芸術選奨文部
科学大臣賞、日本建築大賞、日本建築家協会賞、日本建
築学会賞作品部門、朝日賞、毎日芸術賞、同特別賞、日
本芸術大賞、村野藤吾賞とします。
(3)応募作品は、応募者により設計された、2008 年 1 月 1 日~
2012 年 12 月 31 日の間に竣工した、日本国内の建築作品
とします。
3. 応募登録料
(1)受付期間
JIAのホームページで「2013 年度日本建築家協会 JIA 新人
賞申込書」をダウンロードし、必要事項を全て記入の上、
(2)の提出資料と共に下記 JIA 本部事務局へお送り下さい。
申込書及び第 1 次審査用提出資料の受付は、2013 年 8 月 16
日㈮(必着)までとします。
(2)第 1 次審査の提出資料 詳細は WEBをご覧ください。
http://www.jia.or.jp/event/aword/detail.html?id=244
JIA 新人賞、JIA25 年賞、JIA 環境建築賞のすべての受賞作品
と共に日本建築家協会建築年鑑『現代日本の建築家』に収録
します。
2. 概要
総合的に高い水準を有する作品を広く公募し、建築に関し
て高度な見識を持つ専門家による公正なる審査委員会により
「日本建築家協会優秀建築選 2013」を選定し、その中から我
が国の現代建築を代表するその年の最も優れた作品を選び、
「日本建築大賞 2013」
「日本建築家協会賞 2013」とします。
、
3. 応募作品の対象
2010 年 1 月 1 日より 2012 年 12 月末日(3 ヵ年)までに日本国
内で竣工した建築作品です。また、同一作品の応募は 1 回限
りとし、2012 年度実施以前に応募した作品は対象となりませ
ん。
4. 応募資格および応募の方法
(1)応募者は本会正会員または日本の建築士資格を有する、
あるいは、海外の相当する資格を有する者とします。応
募作品の数は制限しません。
(2)応募者は、所定の応募申込書とともに 5.提出書類に明記
された提出書類を 2013 年 8 月 9 日㈮(必着)までに JIA 本
部事務局へ郵送または持参ください。
5. 提出書類
詳細は WEBをご覧ください。
http://www.jia.or.jp/event/aword/detail.html?id=242
提出物送付先・連絡先
公益社団法人 日本建築家協会
〒 150-0001 東京都渋谷区神宮前 2-3-18 JIA 館 4F
TEL:03-3408-7125 / FAX:03-3408-7129
http://www.jia.or.jp
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JIA MAGAZINE 294
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■ information
JIA 建築家大会 2013 北海道
日時:2013 年 9 月 5 日㈭、6 日㈮、7 日㈯、8 日㈰
会場:札幌市教育文化会館、札幌駅前通り地下歩行空間など
今回は、大会の目玉となる
「北からの提言」連続セミナーと、エクスカーションツアーを紹介します。
◆「北からの提言」連続セミナー
北海道大会の最終章に繰り広げられる連続セミナーです。
厳しい気候条件にある北海道だからこそ、リアリティーのあるサスティナブル
な提言ができるはずです。地域に根ざした環境や暮らしについての話はもちろん、
先人の文化に学ぶべき知恵や、歴史的地域資産を活かした観光まで、本大会の
テーマである「拓く」をキーワードに、これからの社会と建築の関わりを皆様と
共に考え、北からの提言を行います。
【イントロダクション】
10:00 ~ 10:15
【第1部】
10:15 ~ 12:00
講演会(タイトル未定)
パネリスト
村上敦氏(ドイツ在住環境ジャーナリスト・
環境コンサルタント)
日時:9 月 7 日㈯ 10:30 〜 18:00
場所:札幌駅前通り地下歩行空間
「チ・カ・ホ」内
北 3 条広場
(会員の方も一般の方もご参加いただけます)
寒冷気候の中でエネルギーや環境に対する独自の視点から地域の可能性を拓く討論会。
7 日午前中のシンポジウムでパネリストを務める、ドイツでの都市や環境の建築に詳し
いジャーナリストの村上敦氏と、2008 年 7 月 22 日に政府より環境モデル都市に選定され
た、林業を基幹産業とする北海道上川郡下川町のみなさんに参加していただきます。
下川町
13:00 ~ 14:30
【第2部】
レクチャー(タイトル未定)
去る 2013 年 5 月に「瑞宝中綬章」の叙勲を受けられた荒谷登氏のレクチャー。
荒谷氏は、北海道大学工学部建築工学科の講師、助教授、教授を歴任され、建築環境
学講座を担当して建築環境・建築設備の分野の発展に努力されました。主に寒冷地の住
居の熱環境改善と室温及び熱負荷の非定常伝熱解析の分野で、独創的でかつ先端的な研
究をされました。北海道建築指導センターから出版した寒地系住宅の熱環境計画に関す
る 5 冊の小冊子は、一般市民向けに書かれたやさしい内容ですが、これからの持続可能
な社会への大切な指針となっています。
講 師
荒谷登氏(北海道大学名誉教授)
14:30 ~ 16:00 【第 3 部】
北海道の厳しい環境の中で永く生き抜いたアイヌ民族の住まいと知恵について、環境
アイヌ・縄文セミナー
「(仮)
アイヌ伝統建築~北海道の住まい」 との対応や形・文化と多様な視点から考えます。また近代以後の北海道の住まいをさま
ざまな事例を通じ見つめ直し、寒さを克服した現代において持続的に長く住み続けるヒ
講 師
ントが、住まいや過去からの住文化の継承の中にあることを語ります。
小林孝二氏(北海道開拓記念館学芸員)
16:00 ~ 17:30
【第 4 部】
観光学セミナー 「(仮)観光が北海道・日本を拓く」
講 師
石森秀三氏(北海道開拓記念館館長・国立民
族学博物館名誉教授)
北海道は豊かな自然、四季の明確さ、美しい風景、豊富な食材などアジア全体を見渡
しても大変資源に恵まれた地域であり、観光地としての可能性やポテンシャルは非常に
高いものがあります。
しかし、グローバル化とアジア経済成長により、旅行の需要や形態も変化し、従来の
観光に対する認識では対応できない状況となってきました。より豊かな地域社会・文化・
経済を見つめ直すことで、地域に住む人々や観光で訪れる人々が魅力を感じる環境を、
観光学を通して考えるセミナーです。
17:30 ~ 18:00
【北からの提言】
●北海道大会で CPD 単位が取得できます
JIACPD
士会・CPD 情報提供制度
9 月 5 日㈭
10
5
9 月 6 日㈮
14
7
9 月 7 日㈯
14
7
●
●
受付は、チ・カ・ホ北 3 条広場です。参加者は必ず最初にここで名札と
CPD カードを受け取って下さい。
CPD カード投函ボックスは、教育文化会館とチ・カ・ホ受付にあります
ので、各日ごとに 1 枚投函して下さい。
(単位)
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017
■ information
◆エクスカーションツアー
9 月 7 日㈯に開催される、エクスカーションツアーの詳細が決定しました。
どれも、北海道ならではの魅力あふれるツアーです。皆様、ぜひご参加下さい。
び
ば い
かん
1. 美唄ツアー 安田侃講演とアルテピアッツァ美唄
美唄市出身の世界的彫刻家安田侃氏(在イタリア)の彫刻と大自然が相響する野外彫刻
公園アルテピアッツァ美唄。7 万㎡もの敷地に点在する抽象彫刻と築 60 年の木造校舎を
改修したギャラリーやカフェ、アートスペース(体育館)や体験工房などが織りなす空間
をゆっくりとご堪能ください。
http://www.artepiazza.jp/
当日は安田氏本人にご講演いただきます。
http://www.kan-yasuda.co.jp/
時間:9 月 7 日㈯ 9:30 ~ 17:30
経路:東京ドームホテル札幌裏 9:30 集合→貸切バスにて美唄へ→帰路は JR 札幌駅経由東京ドー
ムホテル札幌 17:30 着
募集人数:40 名(最少催行人数 20 名)
講師:安田侃「イタリア:アートと歴史とまちづくり」
料金:4,500 円(バス代・保険料・美唄の郷土料理「とりめし」ランチ・講演込み)
2. 小樽ツアー 歴史的建造物を巡る旅
明治から昭和 10 年代にかけて、我が国屈指の港湾都市として特に繁栄を極めた小樽の
歴史的建造物を巡り、その建築的にも一級な遺産の魅力に触れる旅です。旧日本銀行小
樽支店・北のウォール街・鰊御殿・旧日本郵便小樽支店・坂牛邸を小樽の街の成り立ち
の歴史を通じて解説します(昼食と見学 海陽亭にて)。 参加された方には小樽の歴史的建造物のガイドブック『歴史的建造物の街 小樽』
(編集
元:NPO 小樽ワークス http://www.otaru-works.com/ )を差し上げます。
時間:9 月 7 日㈯ 9:30 ~ 17:30
経路:東京ドームホテル札幌裏 9:30 集合→貸切バスにて小樽へ→帰路は JR 札幌駅経由東京ドー
ムホテル札幌 17:30 着
募集人数:40 名(最少催行人数 20 名)
講師:駒木定正(北海道職業能力開発大学校 博士)
料金:6,000 円(バス代・入館料・保険料・海の幸ランチ込み、解説付き)
3. モエレ沼公園ツアー イサム・ノグチ大地の彫刻と北の食材ランチ
1988 年 12 月、イサム・ノグチの突然の死。イサムの遺作となったモエレ沼公園の基本
設計は、その後、奇跡的に実現しました。イサムの遺志を受け継いで、建設に携わった
方をガイドに公園を散策します。イサムが大地に刻み込んだメッセージをゆっくりと味
わった後、公園のパノラマの中で、一流シェフによるフレンチランチを堪能していただ
きます。
http://www.sapporo-park.or.jp/moere/
時間:9 月 7 日㈯ 10:00 ~ 16:30
経路:東京ドームホテル札幌裏 10:00 集合→貸切バスにてモエレ沼公園へ→帰路は JR 札幌駅経
由東京ドームホテル札幌 16:30 着
募集人数:24 名(最少催行人数 20 名)
料金:7,500 円(バス代・保険料・フレンチランチ込み、ツアーガイド付き)
4. 旭川ツアー 織田コレクションの鑑賞とまちなか建築探訪
当ツアーのみ、9 月 8 日㈰に開催します。
詳細は大会ホームページをご確認下さい。
織田コレクションとは、椅子研究家である東海大学芸術工学部教授の織田憲
嗣氏が蒐集した、1,300 点を超える世界最大規模の椅子のコレクション。1997
年に開設された「チェアーズギャラリー」では、1998 年 9 月より織田コレク
ションの中から近代デザインの先導役となった名作椅子を、テーマごとに年
間 2 回入れ換えて常設展示しています。
018
●
JIA MAGAZINE 294
July 2013
(添付ファイル)にてお送り下さい。申込用紙は、大会ホームページからも入手できます。
いよいよ、北海道大会の参加申し込み受付が始まりました。下記の申込用紙に必要事項を記入していただき、FAXまたは E-mail
JIA建築家大会2013北海道『拓く』登録申込書
□男 □女
〈登録料〉 正会員¥10,000 準会員¥5,000(学生会員無料) 協力会員¥10,000 同伴者¥5,000
所属支部
性別
申し込み者の個人情報は相互の連絡に利用する他、大会内での手続きに必要な範囲で利用させて頂きます。以上同意の上、お申し込みください。
記入例に倣って 下さい
パーティー
¥3,000
ウェルカム
9月5日(木)
西暦 年 月 日
FAX
(担当者名)
FAX送信先:011-280-8386
mail送信先:[email protected]
登録代行:JR北海道法人旅行札幌支店
<申込期限:2013年8月22日厳守>
【注意事項】
*登録者1名につき申込み用紙1枚となります。
*お支払いにつきましては、申し込み後JR北海道より請求書を発行、郵送させていただきます。
*キャンセル・変更・追加は8月22日(木)まで受け付けます。ただし支払済みの場合返金は致しません。
*大会参加をせず、5000人の建築家展のみ出展も可能です。その場合も左記情報をご記入下さい。
当日参加がなかった場合でも返金は致しません。予めご了承下さい。
●エクスカーションについて
*申込み済みで中止になったエクスカーションについては、大会事務局より個別にご連絡致します。
*JR北海道は募集申し込みの受付のみであり、旅行手配等には一切関与致しません。
*募集定員に達し次第締め切らせていただきます。
2
モエレ沼公園
3
旭川
4
建築家展
正会員・準会員のみ
1人2点まで
(学生会員不可)
1点/3,000
+
ウエルカムパーティー
+
レセプションパーティー
+
エクスカーション
+
5000人の建築家展
-
※お支払い合計金額
円
円
円
円
円
円
協力会員¥10,000 同伴者¥5,000
正会員¥10,000 準会員¥5,000(学生会員無料)
登録料
〈金額(必ずご記入下さい)〉
*旅行中の損害について:日帰り保険に加入して頂きます。(@142円・ツアー金額に含む)
(補償内容:死亡・後遺障害2,000,000円 ・入院3,000円/日・通院1,500円/日。 手荷物等の紛失、盗難、物損は対象外と
なります。自己責任の上厳重に管理願います。)
小樽
¥5,000
5000人の
*当日はメイン受付のチカホ北3広場へ必ずお越しください。
1
¥7,500
9月8日(日)
(札幌駅前通り地下歩行空間北3条通り交差点地下西側)
〈エクスカーション〉
美唄
¥6,000
9月7日(土)
¥4,500
申し込み箇所に〇を付けて下さい
パーティー
¥10,000
レセプション
9月6日(金)
〈パーティー〉
生年月日
□正会員 □準会員( 専門会員 ・ シニア会員 ・ ジュニア会員 ・ 学生会員 ) □協力会員
該当者のみ記入
〒
TEL
E-mail (PC)
(送付先住所)
(宛名)
氏名
登録料:正会員¥10,000
準会員¥5,000
(学生会員無料)
協力会員¥10,000
同伴者¥5,000
数を記入下さい
点
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JIA MAGAZINE 294
〈登録者情報〉
フリガナ
登録者氏名
ローマ字
種別
(登録者)
代表者名
区分
<登録内容>
請求書宛先
勤務先名
連絡先
住所
JIA会員番号
№
1
同伴者名
ローマ字
同伴者名
ローマ字
同伴者名
ローマ字
The Japan Institute of Architects
JIA-kan,2-3-18 Jingumae,Shibuya-ku,
Tokyo 150-0001 Japan
●大会スケジュールなど詳細は、北海道大会公式 HP(http://www.jia-hok.org/hokkaido/hokkaido.html)を
ご覧ください。
A
I
J
大会内容に関して……………
(公社)日本建築家協会北海道支部事務局 TEL:011-261-7708
申し込み・支払に関して……JR 北海道 TEL:011-223-5740 担当:浅野・上小倉・井口
■ お問い合わせ
2
3
4
5000人の建築家展は画像データを提出いただき、大会運営側でパネル化し地下歩行空間へ展示するものです。
フォーマットや概要、データ送付先など詳しくは大会ホームページをご覧ください。http://www.jia-hok.org/hokkaido/hokkaido.html
【問い合わせ先】大会内容に関して:(公社)日本建築家協会北海道支部事務局 TEL:011-261-7708 申し込み・支払に関して:JR北海道 TEL:011-223-5740 担当:浅野・上小倉・井口
*事務局記入欄 受付月日: 月 日/受付NO.
■ 申し込み締切は 8 月 22 日(木)です。
JIA NEWS
理事会報告
■ 第 212 回 理事会速報
ることとした。
●日 時:2013 年 6 月 6 日㈭ 13 時 30 分~ 18 時 8 分
●場 所:建築家会館 1 階大ホール・3 階大会議室
■ 第 213 回 理事会速報
開会に先立ち、本理事会が理事総数 24 名中 21 名の出席で成立して
●日 時:2013 年 6 月 28 日㈮ 12 時 30 分~ 13 時 15 分
いることが、確認された。
●場 所:建築家会館 3 階大会議室
【審議事項】 1.
開会に先立ち、本理事会が理事総数 24 名中 22 名の出席で成立して
いることが、確認された。
入退会承認
入会 9 名、退会 21 名、死亡退会 1 名につき全会一致で承認された。
2013 年度通常総会議案承認
① 2012 年度事業報告(総会報告)、決算関係(総会承認)
事業報告については一部修正して、全会一致で承認され、総会
に報告することとした。決算関係については、会計基準の変更
による決算書類の形式、内容を総会でわかりやすく説明するこ
ととし、総会議案とすることが全会一致で承認された。
② 2013 年度事業計画(総会報告)、収支予算(総会報告)
「2013 年度事業計画」・「2013 年度収支予算」が、全会一致でさ
れ、総会に報告することとした。
③理事および監事の選任の件(総会承認)
総会議案とすることが全会一致で承認された。
④準会員・協力会員の入会金および会費の件(総会承認)
専門会員・シニア会員の入会金・会費は全支部統一することが
確認され、総会議案とすることが全会一致で承認された。
⑤地域会設置の件(総会承認)
総会議案とすることが全会一致で承認された。
⑥名誉会員選任の件(総会承認)
総会議案とすることが全会一致で承認された。
3. 委員会体制再編承認
委員会体制再編の案につき、検討が行われ全会一致で承認された。
再編後の新委員長については、原案で進めることが承認された。
4. 支部規程・地域会規程の一部改定承認
定款との整合性および組織運営の円滑化の観点からの支部規程・
地域会規程の一部改定が、全会一致で承認された。
【協議事項】 1. 会員規程等に関する諸問題について
名誉会員の取扱、フェロー会員の位置付け、準会員の取り扱い等
につき、確認と意見交換が行われた。
【報告事項】
1. 「JIA 建築家大会 2013 北海道」について
北海道大会の進捗状況等の報告が行われ、大会への参加、
「5000
人の建築家展」への出展要請が行われた。
2. 後援名義承認の件(会長専決分)
会長専決事項となった後援名義使用について、報告が行われた。
3. 2013 年度理事会開催スケジュール再確認
2013 年度理事会開催スケジュール案について、理事懇談会(意見
交換の場)を増やすことで、再度修正の上理事メンバーに連絡す
2.
【審議事項】 1.
入退会承認
入会 5 名、退会 13 名につき全会一致で承認された。
2.
総会白紙委任条等の取り扱い
2013 年度通常総会は、支部・地域会の協力により、本日 10 時時
点で議決権を有する正会員数 4,340 名のうち総会出席 89 名、書面
表決 1,637 名、委任出席 746 名、計 2,472 名で過半数以上となり、
定款第 20 条により成立したことが報告され、委任状のうち白紙
委任 102 名については会長委任と見なすこと、議長委任 52 名に
ついては、可否同数の場合のみ議長の意向通りとすることが、全
会一致で承認された。
【協議事項】 1. 支部規約について
各支部規約について修正箇所の説明があり、今後各支部において修
正箇所の確認と承認手続きを行った上、修正手続きをとることとした。
【報告事項】
1. 「JIA 建築家大会 2013 北海道」について
北海道大会の参加動員要請とエクスカーションツアーの説明、
「5000 人の建築家展」への出展要請が行われた。
2. 後援名義承認の件(会長専決分):筒井信也専務理事
会長専決事項となった後援名義使用について、報告が行われた。
今後報告書の提出要請等についても検討することとした。
■ 臨時理事会速報
●日 時:2013 年 6 月 28 日㈮ 17 時 35 分~ 17 時 50 分
●場 所:建築家会館 3 階大会議室
開会に先立ち、本理事会が理事総数 24 名中 22 名の出席で成立して
いることが、確認された。
【審議事項】 1.
専務理事および支部長選任の承認
定款第 25 条第 4 項により、理事の中から専務理事、支部長とし
て下記理事を全会一致で選任した。
専務理事 筒井信也理事
北陸支部支部長 近江美郎理事
沖縄支部支部長 島田 潤理事
【確認事項】 1.
2013 年度理事会・理事懇談会スケジュール
2013 年度理事会・理事懇談会の開催日時について確認が行われた。
■新規入会承認者 承認日:2013 年 6 月 6 日、28 日
北海道支部
東北支部
東北支部
関東甲信越支部
関東甲信越支部
関東甲信越支部
関東甲信越支部
関東甲信越支部
東海支部
東海支部
近畿支部
近畿支部
近畿支部
四国支部
020
●
北海道
宮城県
宮城県
東京都
東京都
東京都
東京都
新潟県
静岡県
愛知県
滋賀県
大阪府
和歌山県
香川県
JIA MAGAZINE 294
July 2013
中舘誠治
富永明日香
齋藤和哉
牛込 昇
葉 暁健
仲 俊治
寺 章夫
川﨑敦宏
八木紀彰
上西真哉
鵜飼貞夫
出上雅之
木田吉宣
田中泰光
㈲エヌディースタジオ
富永明日香建築設計事務所
齋藤和哉建築設計事務所
一級建築士事務所 牛込昇建築設計事務所
㈱日本設計
一級建築士事務所 ㈱仲建築設計スタジオ
㈲寺設計
カワサキ・住設計工房
八木紀彰建築設計事務所
㈱伊藤建築設計事務所
合名会社クラフトカフェ建築設計事務所
アーキベース一級建築士事務所
㈱田渕建築設計事務所
㈱ IAO 竹田設計
本部便り
● 2013 年度通常総会開催
6 月 28 日㈮、建築家会館大ホールにて 2013 年度通常総会が開催さ
れました。
4 月 1 日に公益社団法人へ移行し、新定款のもとでの総会は、開催
●全国学生卒業設計コンクール 2013
6 月 29 日㈯、新 宿アイランド・アクアプ
ラザにて全国学生卒業設計コンクール2013
(主催:同実行委員会)が開催されました。
の成立に議決権を有する正会員の 2 分の 1 以上の参加が必要となりま
本年は審査委員に北川原温氏(委員長)、
したが、総会開催直前時点で委任・書面表決を含めて 57 %あまりの
今川憲英氏、野口秀世氏、妹島和世氏、平田晃久氏を迎え、日本全国
参加となりました。
の JIA 支部・地域会で優秀な成績を修めた卒業設計 52 作品が公開審査
総会 5 議案に対し質疑が行われた結果、全議案承認となりました。
に臨みました。受賞結果は下記の通り。
金賞 東京都選出 杉山由香(東京電機大学)
「春を待つ橋の下 —
●「丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ」展
2013 年は日本が世界に誇る建築家であり、JIA 設立時の会長でもあ
る丹下健三氏の生誕 100 周年にあたります。
この記念すべき年、丹下健三誕生 100 周年プロジェクト(実行委員
長:浜田恵造香川県知事)が立ち上がり、丹下氏を、故郷でもあり生
涯に大きな影響を与え続けた地域である瀬戸内の視点から読み解く、
これまでで最大規模の展覧会をコアに、シンポジウムや建築ツアー等
The Proletarian Architecture—」
銀賞 北陸支部選出 浅野萌子(金沢工業大学)
「モノとコト —市場
を媒体とした原始的コミュニケーションの再考—」
銅賞 東京都選出 石川真吾(東京都市大学)
「島に刻む記憶 —ハン
セン病史のための資料館—」
北川原賞 東海支部選出 鈴木理咲子(椙山女学園大学)
「周遊する
舞台 —「学び」を取り入れた観光地としての新しい鳥取砂丘の提
案—」
が香川県で行われます。
今川賞 東京都選出 加藤ひかる(日本女子大学)
「壁に寄り添う家
会場:香川県立ミュージアム
族 —匿名性と顕名性を行き交うシェアハウス—」
(香川県高松市玉藻町 5-5 TEL:087-822-0002)
会期:2013 年 7 月 20 日㈯~ 9 月 23 日(月・祝)
野口賞 東京都選出 佐道千沙都(東京工業大学)
「島を辿る」
シンポジウム、建築ツアーの詳細はプロジェクト公式 Web サイトまで
妹島賞 東北支部選出 池邊慎一郎(東北大学)
「HOUSINGSCAPE」
http://www.tange100.jp/
平田賞 九州支部選出 栫井寛子(九州大学)
「都市の背骨」
編集後記
『JIA MAGAZINE』
編集長
古市徹雄
先日、本誌の特集「建築都市のパラダイムシフト」の次号のインタビューで、東大農学部木質構造学研究室
の安藤直人特任教授・名誉教授にこれからの木造建築について色々お話をうかがいました。
以前は木造の分野は建築界でもさほど重視されず、日本建築学会の 1959 年の「木造禁止」を含む「建築防災
に関する決議」により、木造は否定されていたほどでした。しかし、安藤先生がおっしゃるには、この 10 年
で「潮目が変わった」そうで、最近はあちこちのマスコミから引っ張りだことのこと。木が炭素 Cをその幹に
固定することにより、CO2 削減に大きく貢献できること、外国産に頼っていた木材を日本の山できちんと育
てていくことは、山のみならず川、海へも栄養素を運ぶことになり、地球環境にとって良いことが理解され、
国や地方公共団体が盛んに木造を推進していることが大きな理由だそうです。学会の木造禁止の影響で日本の
大学では木造建築の専門家が少なく、どう専門家を育てていくかも課題とのことです。
長い間、木造を専門に研究活動してきた安藤さんから、これから建築家が本格的に取り組まなければならな
い木造に関して多くの示唆をいただくことができました。乞うご期待。
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JIA MAGAZINE 2013 年 7 月号
通巻 294 号
2013 年 7 月 15 日発行(毎月 1 回発行)
販売価格 500 円(本体 477 円 , 消費税 23 円)
会員の購読料は会費に含まれます。
発行人 / 筒井信也
編集長 / 古市徹雄
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6 月 15 日は建築家の日
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J
I
A
The Japan Institute of Architects
JIA-kan,2-3-18 Jingumae,Shibuya-ku,
Tokyo 150-0001 Japan
JIA MAGAZINE 294
July 2013 ●
021
2013
7
建築家 architects
JIA
MAGAZINE
2013 年 7 月 15 日発行(毎月 1 回発行)通巻 294 号 1991 年 4 月 16 日第三種郵便物認可 公益社団法人 日本建築家協会(JIA)〒 150-0001 東京都渋谷区神宮前 2-3-18 JIA 館
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