イ レ ブ ン だ よ り

シニアユニバーシティ北浦和校
イ
レ
ブ
ン
だ
よ
り
第5号
「
元気なシニアの責務とは
平成26年11月
」
校友会会長
久保恭一
シニアユニバーシティへの応募資格として、地域社会活動に参加できる者と
いう一項目があったことを皆様は覚えているでしょうか。
先日配布された「さくらそう通信」の巻頭で、シニアユニバーシティ学長で
ある清水市長は、大要次のような挨拶をされている。
さいたま市は政令指定都市に移行して11年経過し、超高齢社会に突入した。
次世代に負担を先送りしない市政運営を実現するためには、市民と行政が連携
して様々な課題に取り組む必要があり、校友会会員がその知識と経験を活かして積極的に活動するこ
とを期待している、と。
そうした視点で私達の活動を顧みて、地域社会への貢献という言葉で括れる活動の少なさに忸怩た
る思いを抱かざるを得ない。自分たちが楽しく元気でいれば(地域社会の負担になる存在でなければ、
と言い換えてもよいが)それで良いという見方も出来ようが、もう一歩踏み出す時に来ているのでは
ないだろうか。 そう、世間が元気なシニアに期待することは多いのである。
「
私の和裁修行
」
6班
松澤安子
和裁を始めるきっかけは母の一言。
「娘には手に職を付けさせる」と言われた
時はなぜという気持ちでしたが、今は母の言いたかった事が分りました。習う
なら本格的に覚える為、自分で厳しい住み込みを選択しました。
一年目。
修行に入って一年間は、着物地に一度も触らせてもらえず姉弟子
の縫っている端布をもらって、ありとあらゆる布地で一年間運針、くけの練習。
入門して一年間は先生の家族、姉弟子のご飯を作る役目と決まっていました。
二年目。
いよいよ布地の地直し、柄合せ、裁ち長襦袢から縫い始めます。標付け縫い方を一から教わりま
すが先生の教えは一回のみ、分からない時は姉弟子の縫っているやり方を何度も何度も見て覚えました。
三年目。
待ちに待った着物、裁ち、縫い方を一枚仕上がるまで先生が教えてくれますが、二枚目からは自
分で考えどうしても分からない時は姉弟子の縫っている手元を見て覚えます。先生の話は聞き耳を立てて聞き
ます。
四年目、五年目はいかに綺麗に縫えるか自分との戦いです。それと袷長着一枚を 8 時間で縫う練習、時間内
に縫えないと試験を受ける事が出来ないのです。毎日仕事は、朝 8 時から夜 9 時まで。お休みは、ひと月に一
日、正月とお盆が 3 日、一年間で 16 日。手当は五年間無し。
胡坐をかいて絎け台の代わりに足を使う“男仕立て”で修行しました。五年の修行で試験を受けて合格する
と指導者のお免状が戴けます。五年の修行では基本の物しか縫えないので和服全般、特殊物といわれる修行に
入り、続く 2 年間の修行では独立してどんな注文でも受ける事が出来るようになりました。
和裁の修行は、それはそれはとても厳しいものでした。家に帰りたいと思った事もありましたが、自分で決
めた道だからと懸命に精進しこれまで来ることができました。
1/12
和服仕立ての松澤安子(6班)さんを訪ねて
今春和服仕立人として黄綬褒章を受章した松澤
安子さんについて、ホームページ(HP)に6班北林
芙美さんから「叙勲祝賀食事会」と題して投稿があ
りました。当誌も受賞を記念し、HPを参照できな
い方にも受賞対象の「和服仕立て」をご披露したい
と相談させて頂き、今回の特集として掲載すること
が出来ました。
和服の仕立ては、お客様要望の生地からどのよう
な和服にするか、寸法、柄合わせ等をどのようにす
受賞会場での記念写真
るかを決めて仕立てます。縫い方はシンプルな直線
黄綬褒章受章の新聞記事
縫いのため緻密で優れた技術が必要です。この直線
構成と優れた技術が素材と相まって、和服は3代に
渡って着ることが出来ます。松澤さんが仕立てた着
物は、何れも美しい芸術作品のように見えます。こ
の美しさは卓越した技能にありますが、なかでも創
意工夫にあふれた仕立技法によって和服を現代風
黄綬褒章
にアレンジする技能が特に評価されています。これ
⑤袖縫い(男縫い作法)
らの技能は器用さ、根気、血の滲むような努力等に
よって得たものと思いますが、その根幹には自身の
もつ美的センスにあると思いました。
「着ている人も、見ている人も楽しめる、美しい和
服を作りたい。子供の頃からのこの気持ちは今も変
わりません」と笑顔で話す松澤さん、とても気さく
①地直し(生地チェック)
で親しみやすく素敵な方でした。
【メモ】
⑦裾合せ
松澤安子さんは和服仕立一筋に半世紀余、卓越
した技能と永年の実績功績等により厚労省の「現代の名工」
に指定され、更に今春黄綬褒章を受章。又、自身の和裁教
室や県立高等技術専門学校の講師として永年にわたり技法
の伝承、現代化に取組み多くの後継者を育成した実践的教
➁柄合わせ(仕上り予測)
育者でもあります。
※
写真は受賞関係及び和服の仕立順を抜粋
⑧中綴じ、衿の始末
④袖の標付け(コテ標)
➂身頃の裁ち(標付け)
⑥身頃、表地裏地素縫い
広報委員 沼田(12班)
2/12
⑨仕上り
写真 成瀬(6班)
「
ラリーは続く
」
卓球クラブ 高橋節子(9班)
卓球暦 1 年、たまにラリーが続くことがある。こんな時とても気分がいい。ラ
リーの間中、全神経を打球に集中する。集中力が切れるとラリーも中断する。こ
れはあくまで相手のリードがあってのことである。まともに対戦していたらラリ
ーになることなど万に一つもない、一球で終わる。ラリーは集中力と反射神経を
鍛える。
全神経と全身を使い 2 時間の練習が終わる頃には全身へとへとになるが、
体内の悪玉を全て吐き出して身体も軽く気分爽快である。
運動神経がなくても大丈夫、頭脳で勝負しましょう。楽しく卓球を続けて 10 年、
20 年その先までも頭脳、体力を維持できたらすごい事です。
「
合同自主トレ
」
ゴルフクラブ 吉沢優(7班)
秋のゴルフシーズンを迎え11期ゴルフ仲間のメジャー大会と巷で知られる
「乱球会コンペ」の入賞を目指し、ゴルフ部会員の竹原・久保・岡田氏と共に某
ゴルフ場で合同自主トレと称し秘密特訓。互いに欠点を指摘、チェックしながら
のラウンド、好天に・仲間に恵まれ次回コンペは上位入賞間違いなしと各々が確
信した次第ですが・・・
11月イレブンだよりが発刊される時には結果が出ており、何処かの居酒屋で
焼酎を飲みながら反省会をしているか、又は祝杯かが楽しみです。希望としては
優勝者に権利のあるコメント投稿をイレブンだよりに記したいと念じています。
「
パソコンクラブに入部して
」
パソコンクラブ 松竹汎美(7班)
そう、勇気を持って入部しました。エクセルは少し分りましたが、
ワードは全く分りません、そこでもう少し覚えたいとの思いで入部し
た訳です。いざ始めると魔法の様な事も出来ることを知りました。そ
して仲間同士教えあったりして、とても和気あいあいのクラブです。
先生も分らない人が居ると分るまで、出来る様になるまで教えてくれ
ます。でもパソコンも機械、時にはストを起こして我々を悩ますこと
もあります。年配の我々には全くお手上げですがそんな時も皆で解決
をします。そんなクラブが
「
カラオケと私
」
だ ~ い す き で す !!
カラオケクラブ 南場義子(7班)
カラオケクラブは毎月第2火曜日開催です。会員が集まり賑やかに楽しく歌う時は瞬く間に時
が過ぎ、疲れも感じず若返った気がいたします。最近上手になったねと評されることがあります。
何かと衰えを感じることが多い中、私自身も気持ち良く歌えて自己満足の域ですが楽しんでいま
す。先日、主治医と雑談で最近歌声に張りがでてきましたと話した所、声帯は筋肉で鍛えられる
…歌っていれば声は出てくるものですねとの話もあり励みになっています。
「一期一会…いくつかの出逢いの中でそれぞれの心を知りました。」山口百恵「一恵」の一節
で私の一番好きな歌です。傘寿を過ぎ更に出逢いの大切さ楽しさを知りました。カラオケクラブ
に感謝。これからも私なりに楽しんで朗らかに、にこやかに、皆様と歌い続けて行きたい、円満
具足程々に元気で長生きしましょうね。
3/12
「ハイキングクラブの今期活動状況」
部長 大歳明(8班)
ハイキングクラブは、クラブの発起人でもありハイキングの知識、経験共に豊富なリーダーを中心に現在部
員数39名で活動しております。今期活動は
4月福島の桃源郷花見山散策
5月新春の鎌倉源氏山コースを探索
7月360度の大パノラマ入笠山
8月ボーリング大会と暑気払い
9月一面草紅葉の尾瀬ハイキング
10月紅葉の戸隠神社と鏡池散策
・日本百名山美ヶ原を散策
毎回参加の皆様全員がクラブのモットーの通り和気藹々明るく・楽しく・愉快に参加頂いております。
クラブ発足以来この10月でハイキングを主体に37回の諸行事を実施してきましたが、今後とも楽しく快適
なクラブを目指してまいりますので宜しくお願い致します。尚ゲスト参加、新規入会大歓迎です!お待ちしてお
ります。
花散策クラブ活動状況
部長 川上悌次(11班)
会員は41名、イレブンだよ
り4号掲載以降の活動は左右に
掲示の通りです。
今年は「11/18 高尾山の紅葉
散策」を残すのみとなりました。
幾つか見頃過ぎの不運ありま
したが、略天候にも恵まれ穏や
5/14 ひたちなか海浜公園
ネモフィラ
かな時間を多く持つことができ
9/30 権現堂公園
曼珠沙華
ました。
総会は1月20日10:00
~浦和コムナーレ10F 第7集
会所にご参集下さい。
尚、来年度の散策候補地、会の
運営に関し提案をお願いしてい
ます。
6/24 菖蒲町
ラベンダー゙
10/11 昭和記念公園
4/12
コスモス
「
長生き音頭
」
チーム Ai-da 増尾道子(1班)
私のストレス解消歌の一つです。クスと笑え、鉄道唱歌のリズム(♪汽笛一声新橋を~♪♪
)で歌へお薦め
です。歌詞を抜粋し紹介します。
“元
元
元気でシャシャンとね
“
で始まり年代別に
“まだまだ若いまだ若い
長生き音頭でシャシャンとね
70なんて
シャシャンとね
まだ若いひょっとして迎えに来たならば
それ!シャシャンとね
只今お留守といいなさい“
“~80なんて
まだ若いひょっとして迎えに来たならば
これから お風呂と言いなさい“
“~90なんて
まだ若いひょっとして迎えに来たならば
そんなに急くなと言いなさい”
“~100歳なんて
まだ若い
ひょっとして迎えに来たならば
“いくつになってもまだ若いひょっとして迎えに来たならば
頃見て行くよと言いなさい”
あんたが行きなと言いなさい”
とは言えお迎えには素直に従いたい気持ちもあります。
この歌はホームページ,YouTube 等でも沢山紹介されています。
チームの持ち歌にするかはチーム内で相談して行きます。
江戸めぐり同好会の活動状況
代表 宮本暁美(6班)
今期は 3 月江戸城(皇居)から始め⇒見附(城門)⇒菩提寺・増上寺(裏鬼門)⇒菩提寺寛永寺(鬼門)⇒日本橋
(五街道起点)と言う順序に企画。積極的且つ協力的な会員に支えられ、計画通り展開できました。
3 月26日「皇居・東御苑散策」
無料ガイドが行われる日でそのガイドツアーに参加した。コースは大手門から同心番所・百
人番所、大番所、松の廊下跡、天守閣跡、桃華楽堂、梅見坂、大手門と2時間弱、たっぷり
の散策でした。
4月28日「見附を廻る」
見附とは・・・・・江戸城の城門の外に見張りの者を置いた場所です。江戸城は外堀、内堀
にある多くの見附に守られていた。今回は四ツ谷駅から四谷見附、喰違見附、赤坂見附、紀
尾井町「紀州藩、尾張藩、井伊家(彦根藩)
」を中心に散策しました。
5月20日「芝増上寺~愛宕神社」散策
JR 浜松町駅から江戸十社の一つ芝大神宮(氏子域管轄め組・め組喧嘩舞台)を見学。大門を
抜け増上寺表門の三解脱門(国重文)を入り、徳川家菩提寺増上寺境内の鐘楼、大殿、安国
寺、経蔵などの説明を受け、本日のハイライト「徳川将軍霊廟-増上寺御霊屋」を訪れた。
8月29日「座学と懇親会」
主題は「江戸の暮らし」、プチ講座では「江戸庶民の暮らし」「江戸の環境問題とリサイクル
都市」
、そして次回以降の例会に関連し「上野寛永寺」と「日本橋から始まる江戸散策」の解
説と案内がありました。
9 月29日「寛永寺(徳川将軍霊廟)特別参拝」
寛永寺の特別参拝の機会に恵まれ、参加しました。副住職の丁寧な説明と案内で、本堂・葵
の間(慶喜公蟄居の間)を見学し、普段は入れない徳川将軍霊廟に参拝した。序でに上野の森
にある西郷像・彰義隊慰霊碑・黒門跡の碑・上野東照宮・国際こども図書館等も訪れました。
10月17日「日本橋界隈を歩く&日銀と貨幣博物館見学」
ボランティアガイドの案内で“江戸東京 400 年のルーツを歩くコース”
。日本橋、江戸橋・
白木屋(コレド)
・石橋・常盤橋・金座・道路元標・魚河岸・按針碑・旧三井越後屋・三井本
館等。ガイドさんの説明に耳を傾け約 2 時間日本橋の歴史を学びながら良く歩きました。
5/12
兵庫・京都の秋を訪ねて
1班
菅野久子
秋酣の混雑する時期を避け兵庫・京都の話
題のスポットを巡るツアーに仲良し仲間と
参加しました。
今、人気のスポット日本のマチュピチュ、
竹田城跡では期待の雲海に出会えず、戦国絵
巻に見られる石垣が雲海に浮かぶ姿を想像
し散策しました。
伊根の舟屋は、重要伝統建造保存指定だそ
うですが、現在も300世帯以上生活してい
る光景に驚かされました。
日本三景の一つ天橋立では、あいにく雨の
橋立になりましたが股覗きを試しました。
文豪が多く訪れ特に志賀直哉の書籍でも
知られる城崎温泉では、湯めぐりと、食事の
かに、但馬牛うどんすきを賞味しました。
京都の秋模様を見て、新幹線で帰路に着き
ました。
昨年までは仲良し6人で旅行していたの
が4人になり少し寂しくなりましたが、旅行
積立をしっかりして、年に1回位は元気の内
に楽しもうと誓いました。
良い思い出になった旅でした。
「
うんどう教室
」
1班
黒木主晴
私はさいたま市介護予防事業の一つである「うんどう教室」に通っ
ている。この教室は区役所単位に運営されていて開催場所、日時は市
報区版に掲載されています。また区役所の支援を得て各公民館独自に
定例化しているケースもあります。自由参加ですが開催場所でメンバ
ー登録しておくと長寿応援制度が受けられます。
この「うんどう教室」は、公園の一角に設置された運動器具を使っ
たり、公民館等の室内で、指導員の下で、柔軟体操、ストレッチ、筋
トレなどを行っている。ここでの運動はスポーツジムのように筋肉、
隆々の体を作ることではできないが、
体力の維持向上は十分できると指導員から説明を受けている。
私は3か所の「うんどう教室」に登録しており、できるだけ多く出席しようと思っている。
「うんどう教室」
の1回の運動時間は90分間であり、指導員の丁寧な指導もあり、より効果の上がる運動方法が身につきつつ
ある。運動器具を使わないでも自宅でできる方法もあるので、自宅でもできるだけやるよう心掛けている。
ウオーキングの途中で「うんどう教室」のある公園に立ち寄り、習った運動を一通りすることもある。
この「うんどう教室」では毎回最後に全員声を揃えて合言葉を唱和してその日の終わりとなる。
“健康づくりの運動は
他人と比べることでも勝つことでもありません。
自分に合った運動をゆっくり・ノンビリ続けて、
今やれることが五年後にできればいいんです。“
6/12
「障害を持った人を理解しよう」
2班 菅原美津江
2020年東京オリンピックが開かれることになり、新たな目標(元気で観戦するぞ!)ができたと思うこ
の頃です。オリンピックの後にはパラリンピックが開かれます。障害者と交わりを持つ機会が多いものとして
はその方に興味を持っています。
近頃は色々な場面で障害者という言葉を聞くことが多くなってきました。皆さんの中では障害者ということ
にどの様な認識をお持ちでしょうか?
最近県内で連続して起きた障害者への悲しい事件があったのは記憶に
新しいことと思います。何れも目の見えない視覚に障害を持った方が被害者でした。
・白杖を使って歩いていた方の杖が当たったことに対しての嫌がらせ
・盲導犬をフォークのようなもので刺した
という事件です。何れも被害者にとってはどうすることもできない筈の事件で、何て酷いことをするのだろう
と怒りさえ覚えました。
一口に障害といっても外見で判断できるケース(車椅子や松葉杖で行動されている方、手話で話されている
人等)、外見だけでは判断できないケース(発達障害、自閉症、知的障害の方等)があります。更に内臓疾患を
持った方も障害者の中に含まれるだろうし、現代人はなにかしらの疾患を持っているのではないでしょうか。
ですからお互い助け合うことがとても大切なことだと思います。困っているのかな、お手伝いが欲しいのかな?
と感じたときに先ず一言声を掛けて下さい。
「
「
May I Help You 」
何かお手伝いできることありませんか
」
とお願いします
「俺」・「僕」
3班 溝江奈都江
わたしの父は自分を「俺」と称していた。没するまで常にそう言っていた。とは言っても例えばサラリーマ
ン時代、いや当時風に言っても勤め人、会社の上司の前でどうだったかなどは知らない。母の兄、つまり義理
の兄さんの前でさえもそう言った。子供心に毅然と泰然を感じた。
近所にとても優しい小父さんと小母さんがいた。子供のいないそのご夫婦は頗る仲が良かった。母はよく「い
い人だねぇ、優しくて学が有って」と特に小父さのことを褒め称えていた。どうやら父への不満、があったか
どうかは知らないが、少なくとも別世界感があったのだろうと後で思った。それを知ってか知らでか、父は「軟
弱な奴だ」と嫌っていた。
その小父さんはご自分のことを「僕」と言った。なるほど優しくて学の有る人はそう言うのか、と素直な感
心を得た。憧憬と尊厳が混じっていたと思う。しかし、どうにも納得いかないことがあった。それはご自分の
奥さんを「奥さん」と呼ぶことだ。
「僕の奥さんが」と言う、
「おーい、奥さん」と呼ぶ。何度か耳にするうち、
なるほど軟弱だ、と父の側に立った当時小学生の私だった。
後に縁を得た義父は専ら「僕」だった。夫に似た、いや逆か、お馬さんのような眼で、関西訛りで、「僕や」、
「僕か」と、それは誠に似つかわしく、とても「俺」ではそぐわなかったに違いない。とにかく一度も義父の
口から「俺」を聞いたことはなかった。
その息子である夫は両刀遣いだった。時に応じてというより話の成り行き次第で、
といった方が早い。相手によってというより感情に従って、といった方が合っている。
決して器用な人ではなかったから使い分けたつもり無く「俺」
「僕」を連発していたも
のと察する。はて、自覚無くして結果的に使い分けていたということは究極の器用者
だったというべきか・・・
いずれにしても今はもう耳にすることの無い「俺」であり、
「僕」である
7/12
5 班 茨田洋子
「ボランティア活動と 7 人の仲間」
今日、銀座でランチをして来ました。何時ものメンバー
です。大体、何時もは浦和か大宮でのランチでしたけど、
今日は丁度、私の所属する書道会の展覧会が銀座であり、
作品を見て頂きながら銀座でのランチということになりま
した。
メンバーは 7 人。福祉で一年間勉強した仲間です。卒業
の時、折角一年間一緒に勉強したのでこれからも交流を続
けようと、毎月一度集まってランチしたり、ボランティア
活動をしたり、時には一泊旅行にいったり、楽しいメンバ
ーです。ボランティア活動は 7 人一緒の時もありますが、それぞれ個人での活動の方が多いと思いま
す。7 人一緒に参加できる機会は少ないので、その時は大事にします。
ボランティアと言ってもたいしたことをしている訳ではありません。老人施設の買物ボランティア
やら、花見の時の車椅子の介助やら誰にでもできることです。楽しく活動を続けられるのは、ボラン
ティア先で自分自身元気をもらって帰ることができるからではないでしょうか。
仲間はそれぞれ子供さんのこと、ご主人のこと、年老いた両親のことなど、いろいろ悩みを抱えて
いますけど、無理せず集まれるときに集まる。そんな感じで続けています。
私も4ヶ所の老人施設で傾聴のボランティアをしていますが、この年になって他人様から ”あり
がとね”、”楽しかった”、”助かりました”って声をかけられることがあります。めっきり少なくなっ
てきたと感じるこの言葉はとっても嬉しく ”あ~今日来て良かった”としみじみ思います。
誰かの役にたつ、誰かに喜んでもらえる こんな素晴らしい日々を送れることができる私たちは幸
福だといつも仲間内で話しています。たしかにボランティア活動は、心にゆとりがなくては続けられ
ないことなので、今も欠けることなく 7 人で活動できること 幸福だと思います。仲間に感謝です。
これからも体が元気な限り続けようと思っています。 自分自身の心の豊かさのために!
思い出作りの近況
8班 廣川則子
私は、今年の誕生日で79歳になりました。孫がいない
ので、おばあちゃんと呼ばれることがないので年齢よりも
若いつもりでいますが、最近は自分の老後のことを考える
年になりました。とは言いますものの、50歳から70歳
頃に旅行に行った思い出のアルバムを整理しながら楽しん
でいます。
イスラエルの聖地シナイ山に登頂し最高に感動したこと
塩分の多い死海で浮いていた写真、ピレネー山脈を越えて
スペインのサンチャゴまで18日間巡礼し感激で涙したこと、また50歳の時富士山に登りご来光に
手を合わせ雲海の自然の美しさに我を忘れたことなど思い出しながら整理しております。
60歳になった時、もう一度富士山に登ろうと思い、足慣らしに早朝起きし運動しようと始めた初
日に、玄関に出て躓いて足の指を骨折してしまい、病院通いになってしまったなど、苦い思い出もあ
ります。現在校友会でハイキング、講演会などに参加しています。私は8班でのつながりが楽しく「二
火会」と命名し、良い季節にはハイキングやお花見、日帰りバス旅行、食事会など班長さんの呼びか
け下さることに感謝しております。
これからも人と人との繋がりを大切にしていきたいと思っている今日この頃です。
8/12
「
ボケ無いうちに
」
4班
加藤ナオ
姪の強い勧めで、ipad mini を購入致しました。使用可能に成るまで、お恥ずかしい次第ですが、他力本願
でして、結局姪の長男が全て操作致しました。
今迄の生活では、「パスワード」と言えば、精々銀行か、クレジット位しか使用しない人間でしたが、此れを
起動させるには、先ずパスコードが必要だし、有料、無料を問わずアプリをダウンロードするにも暗証番号が
必要。外出先で使用可能な電波を利用するにも届け出とパスワード。私の頭は「むむむ
む」です自脳では今が限度ですねー。一度聞いて実行出来ても次回は「ん?」でも「ラ
イン」は楽しい。可愛いスタンプを集めて悦に入って居ます。ヤフー検索も簡単ですし、
暇つぶしのゲームも楽しい。ボケが来るまで頑張ります。
「
交 流 の 輪
」
10班 高橋トヨ子
何時も講演会終了後に定例の食事会を行っています。シニア大学で
初めて班の仲間と出会った日の事が思い出されます。経験豊かな人達
の中で平凡な主婦がついて行けるのかと大変不安でした。各地の名所
旧跡等を散策しながら語り合い食事会を重ねる毎に夫々の気心も知れ
多くの刺激とパワーを頂き、すっかり班の一員として馴染んでいます。
本当に気の合う仲間が居れば人生の楽しみが増えて行くと言われて
います。どうかこの交流の輪がいつまでも続くよう願っております。
本日はワインを飲み、食事を戴きながらどんな話題で盛り上がるの
でしょうか? とても楽しみです。
「
寛永寺(徳川将軍霊廟)特別参拝に参加して
」
11班 三浦倫子
9 月 30 日江戸めぐり同好会の上野東叡山寛永寺特別参拝に同行させていただきました。
私が今回とても感動したのは徳川将軍 15 名のうち 6 名の将軍のご霊廟やお墓が
建立されていて、その廟にお参りさせて頂いた事です。常憲院殿に一歩足を踏み込
んだ途端何か別世界に来たような不思議な気持ちになり心が穏やかになりました。
娘が 2 年前天に召されてから心乱れる日々が多く、いまだに神仏に手を合わせ涙
する日が多々ありますが、その時は本当に娘と一緒に同じ極楽浄土にいるような幸
せな気持ちになれたそんな所でした。他の方々も皆さん感動の一日のようでした。家に帰り孫に話してみると
「へえーそうなんだ、俺は寛永寺にまだ行ったことが無いんだよなー」 彼も行ってみたそうな感じでした。
これからどんどん体験見聞きした事を孫にも話して伝えていこうと思いました。
「
御嶽山の噴火に思う
」
12 班 武山恵美子
夏の最盛期の 8 月に悪天が続き、登山をあきらめる人が多かった。紅葉シーズンの始ま
った好天の週末、親しみやすさに安心して頂きを目指した登山者には、むごすぎる山の仕
打ちである。死者が 50 人を超え、今も不明者がいる。全員が見つかるよう祈るしかない。
誰もが頂上で昼食をするのを楽しみに登る。これが、ちょっと時間がずれていたら・・・
と思うと、悔やまれてならない。
何年か前、頂上小屋の石段に腰を下ろし、昼食をとったのを思い出し、あの時だったら、
あそこだったら、自分も逃げられなかったかも。ゾクッとした。
標高3千mを超える山にしては、険しい岩場も無く、比較的登りやすく頂上附近には 10 件ちかい山小屋が
あり、避難小屋もある。初心者からベテランまで体力に合わせた選択ができる。でも実際は標高 3 千mの活火
山だ。大自然は、どこまでも知られざる一面を秘め、私達に教えている。恐れることを忘れるなと。
昨今は、空前の登山ブーム。
「山ガール」など新たな層もいて山は活気づき色づいている。ただ、全く危険の
ない山などない。
典型的な中高年登山者の一人だからこそ、自戒をこめて今回の教訓を噛みしめている。
9/12
「
ぼけたらあかん長生きしなはれ
」
9班
蒲生和夫
年をとってからの生活の仕方について、ある文献に書かれていたものであるが、愚痴にも思われる面白いも
のが見つかったので紹介してみたい。この教訓、全部出来ればすばらしい人間が出来あがり、他人からは「仙
人」といわれるような気分になりませんか。
・年をとったら、でしゃばらず、憎まれ口に、泣き言に、人の陰口、愚痴言わず、他人のことは、誉め
なさい。
・聞かれりゃ教えてあげてでも、知っていることでも知らんふり、いつも、アホでいることです、やさ
しく見守り励ましなさい。
・勝ったらだめです、負けなさい。いずれお世話になる身なら、若いものには、花もたせ、一歩下がっ
て、譲るのが、円満にいく、コツですよ。
・いつも感謝を忘れずに、どんな時でも、はい、ありがとう。
・お金の欲を捨てなさい、いくらお金を持ってても、死んだら持ってはいけません。あの人はいい人だ
った、と言われるように、生きてるうちにバラまいて、山ほど、徳を積むことです。
・それでも、それは表向き、ほんとはお金を離さずに死ぬまでしっかり持ってなさい。人にケチだと言
われても、お金があるから大事にし、みんなちやほやしてくれる。内緒ですけど、本当ですよ。
・昔のことは、みな忘れ、自慢話は、しなさんな。わしらの時代は、もう過ぎた。いくら頑張り、力ん
でも、身体が言うことききません。あんたは偉い、わしゃあかん、そんな気持ちで、老いなさい。
・我が子に孫に、世間様、どなたからでも慕われる、いい年寄りになりなさい。ボケたらだめです、そ
のために、頭の洗濯、生きがいに、何か一つの趣味持って、せいぜい、長生きしなさいよ。
ホームページ掲載記事抜粋(閲覧できない方へ)
6月18日
北協「県外研修旅行」
写真を多く掲載の要望あり、試行します。
投稿
11期が企画を担当で実施、
「江戸東京博物館」
、
「国会議事堂(衆議院)」
、「憲政記念館」見学
10/12
中軽米重雄(12班)
7月13日
「
第38回浦和おどり
」北協連に参加
投稿
「浦和おどり」北協実行委員会
「北浦和校協議会連」はエントリーNo.22番、踊り手142名(サポーター:100名総勢242名)で1
9:00 スタートしました。本部前では清水市長が飛び入りで参加し最高潮に盛り上がりました。
10 月 7 日「第 38 回浦和おどり表彰式」で浦和まつり中山道会場実行委員長賞、第1ブロック「スポンサー賞」、
一般賞「熱演賞」を併せて受賞しました。
7月15日
投稿 戸越純二(9班)
落語独演会(北協6期主催)
噺家は、落語協会所属の二つ目、柳家喬の字さん。スーと軽妙な語り口で観
客をいじったり、社会問題を笑いに変え、いつの間にか春風亭柳枝の十八番「子
ほめ」の落語に入り、観客は笑いの渦。
後段は下手な義太夫語りのある大家の旦那のお話である「寝床」の演題で観
客を惹きつける熱演でした。 久し振りにお腹の底から笑い、心も体も元気にな
った気がします。
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7 月 24 日
26年度公開講座(轡田隆史先生/11期主催)
投稿
蒲生和夫(9班)
講師はジャーナリスト、サッカー選手、元朝日新聞論説委員、演題は「元気よく考える力」
。
轡田氏の語り口は、聴衆を飽きさせないよう適度に脱線し、振幅を大きくし、本題を
すすめる話法とでも申しますか、兎に角絶妙で素晴らしい語り口であったと思います。
1時間30分の講演時間において、自分自身のサッカー人生を中心に生い立ちから導
入され、老人の価値は相当なものです。の結論まで講演時間も短く感じ、考える力は無
限であるという教訓をお聞き出来てすばらしい内容でした。
8月20日
時局講演会(石井正先生/北協事業)
投稿
成瀬昭一(6班)
講師は、時事通信社解説委員、経済担当の石井正先生。内容は、「世界の混乱、日本
の空洞化」にフォーカスした講演であった。盟主の不在(アメリカの退潮?)と新たな
勢力(中国)の台頭で混乱度を増す世界にあって、孤立が懸念される日本は、これから
どうするべきかを示された。複雑な現状をすべて紐解く時間はなかったろうが、現役の
ジャーナリストから生の情報を背景とした解説を聞かせて頂いたことは、今後の情勢を
見るうえで大いに参考になろうかと思えた。
9月16日
第2回「ふれあいコンサート」
投稿 川上悌次(11班)
タイトルは「あなたに贈る世界音楽名曲紀行」と謳い「懐かしの映画音楽」、
「煌めく
ラテン音楽」
、
「みんなで歌おう」の三部構成。
奏者は昨年と同じピアノ筑波則子女史、チェロ大瀧奈奈女史、フルート折原美佐子女
史で曲に応じソロ、デュエット、トリオでの演奏。
往年のポピュラーな曲の生演奏に触れリラックスできた心地よい時間を持てました。
フィナーレは「紅葉」
、
「上を向いて歩こう」、
「バラが咲いた」を参加者全員で合唱し楽
しく終演しました。
10月15日
校友会第1回講演会(松本光正先生)
投稿
成瀬昭一(6班)
「笑いと健康 プラス思考で医療を考えましょう」と題した話を拝聴した。評判通り
の巧みな話術だ。全員大笑いしながら、それぞれが身につまされる思いも感じた。
「身体がやることに無駄はひとつもない。命を守るための反応である。血圧が上がる
のも、下痢をするのも、熱が出て、咳・くしゃみ・鼻水がでるのもすべて目的があって
行われている。自然治癒力を信じよう。歳と共に起こる変化を不本意だろうがそのまま
受け入れよう。若い者と同じ基準で自分を病人と思い込むな。」と言われた。納得はいく。
「うそでもいい、笑うことが健康につながり、感動し、感謝し、感激することが命を長らえる。なんでもプラ
ス思考で考えよう」と最後に締めくくられた。これはその通りと思えた。では、実行しよう。すぐやろう
【
編集後記
】
全グループから活動状況または個人での寄稿をいただき誌面を12頁(A3 両面3枚)に拡大、予定通り
お手許にお届けできましたこと広報委員一同心から深謝申し上げます。
今回の特色は松澤安子様の黄綬褒章受章を記念して特集を組まさせて頂きましたこと、原稿サイズを3種
類設定しより投稿への自由度を持たせたこと、写真掲載を多くしビジュアル性を高めた等ですが如何でしょ
うか、感想を私共にお寄せいただければ幸いです。
引続き次号(来年5月発行を予定)に向けた活動を展開して参ります。主役は皆様です、同世代を生きて
きた分かり合える仲間と刺激しあえる情報で盛り上げましょう。気楽にご寄稿下さい。
広報委員会
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