2007年12月 No.37

Hino Gl bal Echo
日野市国際交流協会
No.37/2007.12
Hino City International Friendship Association
ユネスコ世界遺産 ル・アーブル市写真展にて市長に説明をする港協会会長
歓迎
歓迎 !!
!! ル・アーブル港協会ご一行様
ル・アーブル港協会ご一行様
ル・アーブル写真展 開催に当り
山上 廣
「世界遺産になったル・アーブル市の写真展を日野市で開催
したい」
フランスの友人、ノルマンディ・ジャポン“港”協会会長
夫妻から、この申し出を聞いたとき、私は戸惑いを覚えた。
光と色を描く印象派発祥の地と言われながら、二次大戦後、
人工的なコンクリートの町に変貌してしまったル・アーブル
が今なぜ世界遺産なのか、日本人には理解できないことのよ
うに思えた。
しかし、日野市国際交流協会の仲間たちの理解力と行動力
は、私の懸念を吹き飛ばす強力なものであった。
フランスから送られてきた20点のパネルや写真は、周到な
準備のあと市役所の101号室で展示の作業が進められ、たっ
た半日間で見事な展覧会場に姿を変えた。
その翌朝には、日野市長、港協会会長夫妻、交流協会会長
臨席のもと、晴れやかにオープニングセレモニーが行われ、
ル・アーブル市写真展を見て
山上 雅子
1991年に曾祖父の墓が見つかって以来、何度か訪れたル・
アーブルの町並みはとても現代的で、建築について素人の私
は何の変哲もない普通の町という風に感じていました。この
町が2005年にユネスコの世界遺産に登録されたと聞いて驚い
たものです。
しかし訪れたと言っても、ほとんどは街を漠然と歩いただ
けでの印象でしたから、今回の写真展を見て大いに認識を新
たにすることができました。壮大な俯瞰図、コンクリート壁
や柱に施された浮き彫り装飾のクローズアップ写真、大戦犠
牲者の鎮魂のために作られたサン・ジョゼフ教会内部のステ
ンドグラスによる温かな光の煌き、また、終戦直後に作られ
たにもかかわらず、現在でも広々とした快適な住空間となっ
ているアパルトマンの中での人々の生活ぶりも想像すること
ができました。
このように建築家としてのペレの先見性とともに、現地市
9日間に及ぶル・アーブル写真展の開催が実現した。
民の暮らしに触れる機会を提供して下さった、ル・アーブル
港協会ルラ会長を感激させた馬場市長の的確なご挨拶の内
市と日野市の関係者の皆様のご尽力に心からお礼を申し上げ、
容、日野市および交流協会関係各位の深いご理解、また、こ
今後の交流がますます盛んになりますよう祈念いたします。
の写真展に来場され、ご感想やご質問を頂いた市民の皆様に、
心から敬意を表し、感謝申し上げたいと思う。
ル・アーブル港協会のメンバーをお迎えして
交流部長 藤林 良昭 10月29日
(月)
、ル・アーブル港協会メンバー歓迎パーティ
ーを行いました。私自身は外国人を交えてのパーティーは今
まで幾つも行ってきましたが、フランスメンバーに対するも
のは初めての経験でした。言葉、食事、飲物、パーティーの
雰囲気作りや内容についての不安がありましたが、歓迎パー
ティーだけに心に残る何かがなくてはならない。限られた時
間の中で日本の文化を表現するとなると日本の着物、日本の
舞踊でしょう。ところが、日本人の中で日本舞踊を踊れる人
が意外に少ない。踊れる人がいても踊る場所を限定されたり
して手配するには大変難しい面もありました。幸い私の家族
は妻も娘も日舞を長らく踊っていますので、やむを得ず妻と
娘に宴を盛り上げてもらう事にしました。私としてはフラン
スのメンバーの心に残るパーティーを開きたい、その一心で
行った訳ですが、企画に協力された交流部メンバー、協会の
当されているギルマー・ファブリィス氏などにお会いしてお
話しすることができました。
メンバーの方々に感謝し、このパーティーが都市間交流の一
翼を担えたものと期待しています。また、滞りなく行うこと
が出来ましたことをご報告致します。
港協会の皆様のおかげでフランス訪問時には、第二次大戦
後生まれ変わったル・アーブル市街、ル・アーブルの海岸の
ル・アーブル港協会との都市間交流
すばらしい景観や美術館で印象派の絵画を楽しみ、ル・アー
ブル、ルアンの両市の教会で合唱交流を行うことができまし
た。私、個人としましても ル・アーブル市に滞在中ホーム
兒玉 嘉久一 ステイさせていただいた暖かで、魅力的人柄のアントニオ・
10月29日に開催されたル・アーブル港協会と日野市国際交
流協会との交流パーティーに出席し、交流に御尽力いただい
た日仏関係者の皆様に久しぶりにお会いし、歓談し、楽しい
ジーン・ピエレ夫妻との出会いとメールでの交流する機会が
得られました。
国際交流は見知らぬ国や人との出会いを私たちに与えてく
ひと時を過ごすことができました。
特に日仏交流に機会をつくり、発展させていただいたル・
アーブル港協会の会長御夫妻、副会長御夫妻、さらにフラン
スでの交流パーティーで企画担当されたデュポン・ジョン氏、
れます。ル・アーブルの港協会と日野市国際交流協会が日仏
の人たちの交流の架け橋になっていただくことを希望してい
ます。
今回の両市の交流に御尽力いただいたル・アーブル港協会
日本でBASFに勤務されながら日本での交流企画・通訳を担
と日野市国際交流協会のみなさまに厚く御礼申しあげます。
ホストファミリーをお受けいただいた市民の方より
ホストファミリーを引き受けて
菊島 光子
『ボンジュール』振り返ると、パリの街中を歩いてよく聞
く響きを思い出す4日間でした。
フランス人のジョンさんは、高校の美術の先生です。以前、
山梨の高校でフランス語と書道のコラボ展を開催しました。
将来、日野でも行われるとよいと思います。又、気さくな方
で、お味噌汁をトレボン
(おいしい)
と飲み、納豆はだめでし
た。自由時間は、浅川の土手沿いを愛犬リュウと散歩をして、
日野の自然な風景を異国情緒があると楽しんでいました。東
京観光では、レトロな下町
“谷中”
と
“六本木ヒルズ”
を満喫し
2 人でフランソワさんとジョゼットさんご夫妻がわが家でホ
ームステイしていただくことになりました。フランスの方の
ました。最終日の夕食は、すき焼きを作り食べました。フラ
おもてなしは初めてだったので、緊張の中にも嬉しさを感じ
ンスではバターを使用するそうです。
た夜でした。飛行機の到着が2時間遅れ、9時過ぎのわが家
初回の感想、ホストファミリーの役割は、日常を崩さず、
での夕飯ではありましたが、フランスのこと、日本のことを
ファミリーで協力してのおもてなしだと、主人の暖かい協力
ル・アーブルと日野
相互に話し、箸の使い方が大変上手であったこと、日本の歴
史に大変詳しい事には驚かされました。フランソワさんは日
本刀に大変造詣が深く、ジョゼットさんは書道に高い興味を
示されておりました。3泊4日という短い期間の滞在でした
が、この様な形で国際交流が出来、お互いに異国の文化に触
谷 和彦 ユネスコ世界遺産に登録された都市、ル・アーブルより6
人の港協会の人が我がまち日野にやってきました。その中の
れられることは大変素晴しいとこではないでしょうか。我が
家の2人の子ども達も良い経験になったことと思います。あ
りがとうございました。
で気付かされました。ウォームハートは、言葉を越えて通じ
るものではないでしょうか?
最後に再会を期待して、ル・アーブルの皆さんに『アビヤ
ント』
生活相談ボランティア研修『在留資格とビザの基礎知識』
日野市国際交流協会では日野に住む外国人のための生活相談を行っています。この活動や日本語指導等に携わるボランティ
アのスキルアップを目指し今回の研修を企画しました。当日講師をしていただいた鷲尾さんに感想をお聞きしました。
国際交流協会では、「外国人のための生活相談」を実施し
ています。この担い手のボランティアの研修会をしました。
テーマは「在留資格とビザの基礎知識」です。
協会の内外に広く呼びかけたところ、国際結婚されたご夫
婦や日本語教室のボランティアをされている方など、様々な
方が参加され、質疑応答の中身も大変具体的でした。外国籍
住民への社会福祉制度の適用についての質問も出されました
が、これは今後の研修のテーマにしたいと思います。
外国人を極端な低賃金で働かせている事例があって最近問
題になっている「研修」ビザについて、外国人の人権を守る
観点からの意見が出されました。話し合いの中で、生活相談
の原点は隣人としての人権意識であることを、あらためて確
かめ合うことができたと思います。
生活相談ボランティアは随時募集しています。
支援部副部長 鷲尾由紀太 研修会の風景。中央が講師を務めた鷲尾さん
「在留資格とビザの基礎知識」の研修に参加して
生活相談の第一歩――研修会に出席して
丸井 福子 澤田 正 外国人に対する生活相談と一言でいいますが、その相談内
容は千差万別で、範囲も広く、対応するひとの考えによって
いままでビザというものにあまり縁のない生活でしたが、
ボランティアを始めてからは身近な存在になってきました。
しかし、これ迄あまりよく解らないので、できるだけビザの
外国人が増えてきている昨今、極めて身近で具体的なテーマ
であったといえます。
こうした具体的なテーマを持ち寄って、
話題から避けてきました。今回、ビザの基礎知識について研
修があることを知ったとき、真っ先に参加しようと思い立ち
ました。こんないい機会はないと思ったからです。先ず驚い
たのが27種類もの在留資格があるということでした。そし
一つの場所で顔を合わせて研修することにより、問題と意識
の共有をはかることができ、生活相談への関心も高まるもの
と思います。このような地道な行動こそ生活相談の第一歩で
あり、国際交流活動の一環といえます。
て、講師の体験談や数々の実例など、どれも私にとって興味
深いお話でした。話を聞いてみるとビザというものは奥深い
ものだと思いました。1 回だけではもったいない、次回を楽
しみにしています。
も異なります。今回のテーマ「在留資格とビザの基礎知識」
は地域に住む外国人に関心をもつ人だけでなく、地域に住む
地震大国日本を実感・立川防災館体験
驚きの震度7!! 湯浅 克之 9月16日
(日)
貴重な体験をしてきました。たかが防災館の
見学と高をくくって参加。轟音と叫びの中での都会地震を再
現したスクリーン、煙の立ち込める暗闇の行き先の分からぬ
ビル内からの脱出、
瞬間に起こった震度7強の強震への対応。
いずれも初体験であり、驚きの時間でした。地震国の日本人
として、もし突然に地震が起こり、今歩いている都会のビル
街で、自宅で、煙にまかれたら、どう対応すべきか、今日の
見聞と体験で人的被害を最小限に止められるノウハウを得ら
れた感じです。参加した外国人の方々はどうだったかな?ま
だ、防災館等で体験していない方は是非この見学を勧めます。
この日は防災館でこわばった体を解きほぐす為、何故か一
人で?昭和記念公園をアイスクリーム舐めながら一周し帰
りました。万歩計は 21586 歩。私は毎年1月にサバイバル・
立川防災館へ訪問するのは、本当に楽しい経験でした。
地震や火災などの災害の本当の姿を知り、いざという時の行
ウォーク(もし震災で交通機関が全面的にストップしたら)
で新宿 / 都庁より自宅まで徒歩で帰宅する運動に参加してお
り、これも‘いざ’という時の備えです。
動や方法を楽しみながら学んだ。
防災ミニシアター、地震体験、煙体験、応急救護訓練、消火
訓練などを体験しました。 ディリプ・クマル・パディ
友情の旅 バリ、ジャカルタへ
した。こちらでは大きな地震があり、まだ家も無く天幕生活
をしている人が大勢いました。政府からは何の援助も無く、
一日も早い復興を願うばかりです。
高貴な建物『世界遺産』ボロブドゥル寺院に案内してもら
いました。何千体の石仏。七世紀頃の建物だそうですが、昔
バリ島のウルンダルマハドウル寺院境内
あっという間のバリ滞在
10月2日、協会員宮下デウィさんのお誘いを受けて私達夫
婦はインドネシアのバリ島に出発しました。デウィさんの従
兄弟の方が手配をしてくれたデラックスなホテルに到着。次
の日から島の名所に案内してもらいました。ガイドさんは少
し日本語が出来るのでホッとしました。常夏の島ですから色
鮮やかな花が咲き乱れ、田圃では刈入れが終わったところ
があるかと思うと、稲を植え付けているところもあるという、
日本では考えられない光景でした。また夕日の一番美しい海
……砂浜では恋人らしいカップルや家族・友人達が薄暗いロ
ウソクのしたで楽しげに食事をしている光景は、まるで映画
の1シーンのようでした。又、バロンダンスはきらびやかな
衣装を身に着け、ストーリーがあるのでしょうが幻想的な音
楽と踊りです。うっとりとした 1 時間でした。
の人のご苦労を思うと唯々頭が下がるのみです。街はオート
バイが隙間無く走り、輪タクや馬車と車、バスであふれ、日
本ではとても見られない光景です。
いよいよデウィさんの故郷ジャカルタへ
飛行1時間で到着。飛行場にはお母様はじめ親戚の方が出
迎えて下さいました。毎日デウィさんが車で街を案内してく
れ私たちを喜ばせてくれました。さらに従兄弟、お母様の姉
妹の家を訪問。皆様が暖かく迎えて下さり楽しいひと時をす
ごさせていただきました。デウィさんの家の通りに教会があ
ると見え、ベールをつけた女性、子供男性はスカートを身に
着けて通り過ぎていきます。
やはりジョグジャカルタと同じで、オ-トバイが3人4人
乗りで我が物顔で走り、交通ルールなぞ守っていなくて、よ
く事故がないと変に感心してしまいました。
今秋の旅行で皆様から受けた思いやり、本当に嬉しかったで
す。又、デウィさん、暖かく親切にして下さって本当に有難
う。この楽しかった旅行は一生忘れません。また皆様にお会
いできる日がありますように。
この様なご縁を作っていただいた協会に心より感謝してい
ます。 (田中 とみ子・辰美)
島民の9割がヒンドゥ教の信者だそうです。どこを歩いて
も信者の家の軒先やお寺の入り口には1日3回のお供え物が
供えてありました。日本の仏様のように穏やかなお顔は一体
も無く、はげしいお顔ばかりです。宗教の違いでしょうか?
ヒンドゥ教の寺院、ティルタエンブル寺院はバリ島では最大
で、日本では「お坊さんの着る衣」だと思いますが、略式で
2メートル位の布を腰に巻いてお参りするのです。お参りを
済ませ境内を歩いていましたら、湧き水が多く、聞きました
ら湧き水は健康と繁栄をもたらすとの事でした。3日間のバ
リ島があっという間に過ぎ、1時間の飛行でジョグジャカル
タに到着。バリ島ではテロがありましたが大分復興していま
土曜日も開局しています
To Hachioji
至八王子
案 内 図
Koshu-kaido St.
徒歩8分
日野市国際交流協会
(生活保健センター4F)
至八王子
To Hachioji
Hino City International
Friendship Association
t.
街道
oS
川崎
aid
i−k
k
asa
Kaw
JR中央線
JR Chuo Line
Hino-daiichi
Elementary
School
8 minutes
on foot
To Tachikawa
至立川
甲州街道
日野一小
Hino
Station
日野市国際交流協会
住所:〒
東京都日野市日野本町1-6-2
日野市生活保健センター4F
Hino City International Friendship Association
Add:Hino-shi Seikatsu-Hoken Center 4F
1-6-2, Hinohonmachi, Hino City, Tokyo, 191-0011
Tel:042-586-9511 Fax : 042-586-9543
E-mail:[email protected]
URL :http://www.h5.dion.ne.jp/~hifa/
Open/ 9:00A.M.-5:30P.M. (Mon.-Sat.)
Close/ Sunday, national hollyday, and beginning & end of the year
To Tachikawa
至立川
日野駅
事務局は土曜日も開局しています。
どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
デヴィさんの親戚の家で
中 央自動 車 道
Chuo-do
Expressway
今月号は私達日野市国際交流協会と姉妹関係となるフランス
ル市の悲劇と脅威的な復興について再びなにかしらの資料で再
のル・アーブル港協会交流事業に紙面を割いた分内容に偏りを
会されることを願っています。他の記事もなかなか良い内容な
感じるが、編集の立場からすると、読者の皆様にはル・アーブ
ので最後の一字まで読み終えて下さいね。 (M)