28. 日本病 先日、超有名な金型部品メーカーの人がいらっしゃいました。 タイでの市場調査と今後準備だそうです。「納期が遅い」だの「価格が高い」だのとお決まりの世間話と同様の価値しか ない文句を言いながら「日本語会話」を楽しみました。日本人が来ないと、会社では、日本語を話す機会など全く無いの で、お客様であれ、業者であれ日本人が来ると無駄におしゃべりをしてしまいます。 せっかく日本から「調査」に来ていながら、日本で考えてきた「あらすじ」通りの答えを出そうとしているように思えました。 日本が一番 病 何でも日本が一番。日本の技術、日本の品質、日本の納期等々、日本の要求する条件を満たしていれば絶対に問題 ないと信じている。今、海外での生産移管が進む中、それでも日本が一番だと考えてしまう。何故海外に仕事が流れるの かを「労働力が安いから」の一言で終わらせようとする。日本の高い技術力と生産性は、海外では無理だと考えているらし い。 そのくせ、海外へ生産移管するために大勢の日本人が派遣され、何が何でも日本と同様の品質を作れと言う。 海外で出来ない事は、機械からノウハウまで注ぎ込んで「出来る」ようにしながら、それでも日本が一番だと胸を張る。妄 想に近い日本病だと思う。 高品質大丈夫 病 日本の製品は高品質である。値段が少々高くても、品質がよければ売れると信じている。 「高品質の物は、値段が高い」と云うのは間違いだと言うつもりはない。しかし、「値段が高ければ高品質」であると云う事 にはならない。 品質の良し悪しは、使う側の感覚である。昨今のように金型の価格が自由落下の物理法則を無視した状態で下落して いると、金型の価格に見合った部品価格が要求される。 タイのローカル企業で、購入伝票にサインをする人は、金型の製作とは無関係の立場である。価格は A 社と B 社の見 積りを比較する事で決定する。品質の良し悪しは、見積りに反映されていないのである。 1000 円で作った品物を 500 円で売る事は出来ないが、500 円で作った品物を 10000 円で売る事は出来るのである。「高 品質だから値段が少々高い」と言う会社は、「品質が少々悪くても、高い値段を付ける事は出来る」事に気が付いていな い。価格差ほどに品質差がなければ結果は見えている。過剰品質の優良高額商品より、無印良品低価格が売れる。 加工技術、生産技術の進歩で、品質には驚く程の差は出て来ない。針の先ほどの違いであれば安くて納期の早い方 が良い。「安かろう、悪かろう」とは、昔の日本製品に対する揶揄であるが、今は、「良くて、安い」物が要求されている。 日本人がいると安心 病 ローカルに企業にいると、日本から来た人や日系企業の担当者から「一人でも日本人がいれば安心です」と言われる 事が多い。私のような「イイカゲン」がネクタイを締めているような日本人でも安心される。 最近では、日本人である事を商売にする輩もでてきた。何の根拠も無く「日本人がいれば安心」と言うのは完全な日本 病である。日本人同士の日本人は信頼出来る。と云う何の根拠も無い物である。 日本人がその会社の購入実績の大きい順番で日系企業を訪問し、日本語の通じるローカル企業を訪問するだけで、 タイの実情をどのように把握するのだろうか。 今、タイでは、雨後の竹の子のようにたくさんの金型屋が産声を上げている。当然の事ながら、かなり廉価で金型を作 っている。政府や業界団体の統計や資料にも乗らない中小零細の金型屋が金型屋の大多数を占めている事は、日本で もタイでも変わりはない。 日本人もいなければ、高価な日本製の部品も使っていないそのような会社が、孫受け、ひ孫受けで実際の金型を作っ ている。 せっかく時間とお金をかけて調査に来ても、来た人も来られた会社も日本病に侵されている。 報告書は、自社の製品の優秀さを実証出来た事と、明るい希望に満ちた将来像にあふれていることだろう。 自社の製品を使っていない会社を訪れ、何故使わないかを調べなければ、「調査」にはならないような気がする。
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