特許の無効可能性の高まり

特許の無効可能性の高まり
― 技術移転契約における一つの注意点 ―
有近・泉特許事務所 弁理士
泉 克文
技術移転の対象となる技術には、大きく分けて、特許権として成立していて社会に公開された技術(特
許技術)と、特許出願されずに秘密にされている技術(ノウハウ)がある。これらの技術を第三者に移転
する場合、交渉を経て合意に達すれば、当事者間で種々の契約が締結される。例えば、ある特許技術やノ
ウハウを当事者の一方から他方に有償または無償で譲渡する場合には、
「譲渡契約」が締結され、その技術
の使用を許諾する場合には、「実施許諾契約(ライセンス契約)」が締結される。そして、それらの契約書
には、両当事者の合意に基づいて種々の条項が盛り込まれる。
通常、譲渡契約では、譲渡価格、譲渡対価の支払い方法等が規定される。ライセンス契約では、実施許
諾する範囲、実施料の算定方法と支払い方法、第三者への実施許諾の可否、実施状況の報告方法、権利侵
害への対応方法、権利の保全のための対応方法等が規定される。
ところで、移転される技術がノウハウの場合には問題にならないが、特許技術の場合には「その特許技
術に係る特許権は無効になる可能性がある」ということを、あらためて想起する必要がある。これは周知
のことではあるが、近年の特許無効性判断の傾向を考慮すると、今後は、少なくとも、
「特許無効審判を請
求されると最終的には特許権が無効と判断される可能性がかなりあり、それを避けるには請求項を的確に
訂正する等の対処が必要である」との認識を持っておくことが必要と思う。
これは、何らかの特許技術の実施許諾を得ようとする場合には、ライセンス契約の締結前に当該特許技
術に係る特許権の有効性(無効理由の有無)を調査する必要性が、より高くなったことを意味するもので
ある。
特許法によれば、特許出願された技術(発明)が実体審査を経て特許されるためには、所定の特許要件
を充足する必要があるが、その中でも特に重要な特許要件が「新規性」と「進歩性」である。「新規性」
(特許法第29条第1項)とは、簡単に言えば、特許出願された技術がその特許出願前に公知になっていな
い(新規である)ことを意味し(1)、「進歩性」(特許法第29条第2項)とは、特許出願された技術が、そ
の技術の属する分野の平均的技術者(当業者)が特許法第29条第1項各号の公知技術に基づいて容易に
発明できない程度のものでなければならない(それだけの創作の困難性がなければならない)ことを意味
する(2) 。
実務では、「新規性」が問題になることはあまり多くなく、「進歩性」が問題になる方が圧倒的に多いの
で、「進歩性」に関わる問題は実務に与える影響が大きい。
近年、弁理士と話していると、「特許庁での進歩性の判断が厳格になっているみたいだね」、という話が
よく出る。どういうことかと言うと、特許出願した技術(発明)を「進歩性なし」として特許庁審査官が
拒絶査定する確率が増え、また特許庁審査官の拒絶査定を不服として審判(特許法第121条)を請求し
て争っても、やはり「進歩性なし」として特許庁審判官が請求棄却審決(拒絶審決)をする確率が多くな
っている、ということである。さらに、ある特許を無効とすべきとして請求された特許無効審判(特許法
第123条)では、特許技術を「進歩性なし」として特許庁審判官が無効審決(請求認容審決)をするこ
とが増えている、ということでもある。
このような傾向は、従来から、特許庁審判官がした拒絶審決や無効審決を不服として東京高等裁判所
−33−
(平成17年4月からは知的財産高等裁判所)に訴えが提起された場合(通常これを審決取消訴訟という)
に、争われた特許技術を裁判所が「進歩性なし」と判断する事件が多かったこと、そしてそれが今も続い
ていることに起因する。換言すれば、裁判所が進歩性ありと判断するレベルに応じて、特許庁のそれが高
くなっていることに原因がある。
最近まで東京高等裁判所(以下、東京高裁という)の調査官をされていたある弁理士は、上述した進歩
性判断の厳格化傾向は、従来より審決取消訴訟での「進歩性」に関する裁判所の判断が極めて厳しかっ
たことを考慮して、特許庁が「進歩性」の判断を厳格化しつつあること、換言すれば、
「進歩性あり」と判
断される基準(ボーダーライン)を上げていることが原因であろう、と述べられている。また、地裁での
特許侵害訴訟でも、特許無効・権利濫用との判断をされることが多く、特許有効・侵害成立の判決が出る
のは稀、というのが実状ではないかとも言われている(3)。
平成12年の特許庁審査基準の改定は、特許庁の「進歩性」判断の厳格化という流れに沿ったものであ
ろう。専門的事項であるから詳細は省くが、平成12年改訂前の特許庁審査基準では、「一つの公知技術
(公知発明)と他の公知技術(公知発明)を組み合わせて進歩性を判断する際に、両公知技術を組み合わせ
ようとする「動機付け」となり得るものがそれら公知技術の中に含まれていれば「進歩性なし」と判断さ
れ、含まれていなければ「進歩性あり」と判断されていた。これに対し、平成12年改訂後の特許庁審査
基準では、「一つの公知技術(公知発明)と他の公知技術(公知発明)とを組み合わせようとするのを阻害
する要因がそれら公知技術の中に含まれていない限り、「動機付け」となり得るものがそれら公知技術の中
に含まれていなくても、「進歩性なし」と判断される。
ごく簡単化した例で言えば、出願または特許された技術がデジタルカメラ付き携帯電話に係るものであ
る場合、平成12年改訂前の特許庁審査基準では、携帯電話に係る公知技術Aとデジタルカメラに係る公
知技術Bとを当業者が組み合わせようする「動機付け」が、公知技術AまたはBに存在しなければ、
「進歩
性あり」と判断されていた。これに対し、平成12年改訂後の特許庁審査基準では、そのような「動機付
け」を阻害する要因(阻害要因)が公知技術AまたはBに存在しない限り、「進歩性なし」と判断される。
したがって、平成12年を境にして「進歩性」が否定される確率が高くなったことになる。
なお、上述した弁理士によれば、進歩性判断の厳格化傾向は今後も続くと思われるが、実際には少し
「やり過ぎ」と思われる審決や判決も出ているそうである。このような審決や判決は、進歩性判断に習熟し
た弁理士が見れば分かるから、自社が受けた審決や判決の内容を弁理士と共に詳細に検討し、上訴すべき
ものは上訴すべきであろう。
30年以上にわたって特許法を研究し、書籍・論文等で研究成果を発表されている弁理士の竹田和彦氏
は、進歩性判断について上記と同様のことを述べられている(「特許の知識(第7版)」134頁、ダイヤモ
ンド社発行、2004年)
。
例えば
・「最近のわが国のレベル(筆者注:進歩性の審査レベルのこと)は低かったといえるだろう」
・「いうまでもないことであるが、進歩性の審査レベルは高ければよいというものではない。適切なレベ
ルでなければならないが、現行の法制度の下では東京高裁の審査レベルが基準とされるべきである。
その意味で、特許庁の進歩性の判断が甘すぎるという批判は当たっている。」
・「2000年の審査基準『新規性・進歩性』の改訂では、(中略)審査レベルを上げるための配慮がな
されている。」等である。
したがって、技術移転の現場にいる人も、特許庁や裁判所では上述したような傾向が顕著であること
を知っておくと有益であろう。
−34−
日本弁理士会には、わが国の特許法・特許制度を研究する機関として特許委員会が設置されている。今
年度は私も特許委員の一人であるが、同委員会は特許庁・裁判所の進歩性判断の厳格化には強い関心を持
っており、その実状について調査を行っているところである。主として権利化業務に関わっている弁理士
は、進歩性判断の基準を特許庁・裁判所のそれより低くしようとしすぎる、との批判があるそうなので、
その点も考慮しながら、年度末には何らかの成果を出すべく努力している。
ライセンス契約では、通常、権利の保全義務がライセンサー(特許権者)側に課され、また、ライセン
シー(実施許諾を受ける者)が特許権侵害を発見したときはただちにライセンサーに通知し、ライセンシ
ーとライセンサーが協力して侵害排除の手段を講じる旨が規定される。
特許権侵害を発見すると、ライセンシーとライセンサーは侵害行為を排除すべく行動することになる。
その場合、最初に侵害者に対して警告書を送り、侵害者の意図を探るのが通常であるが、そのような警告
行為に対して侵害者が特許無効審判を請求することがかなり多い。この場合、ライセンシーとライセンサ
ーは特許無効審判に対応せざるを得ないが、その結果は両者に極めて大きな影響を及ぼすから、両者は必
死で対応することになる。
平成17年の3月まで東京高裁で審決取消訴訟の裁判官をされていたある弁護士の話では、公表された
資料によると、2003年4月から2004年3月の間に侵害訴訟の終局判決が214件あり、そのうち
の43%で特許無効審判が請求されたとのことである。
また、特許・実用新案事件の審決取消率をみると、平成11年度は「特許有効」と判断した特許庁審決
が東京高裁で取り消された率が約58%、「特許無効」と判断した特許庁審決が東京高裁で取り消された率
が20数%であったのに対し、平成15年度は「特許有効」と判断した特許庁審決が東京高裁で取り消さ
れた率が46.7%、「特許無効」と判断した特許庁審決が東京高裁で取り消された率が約9%だったそう
である。これらの数値を見ると、平成11年度に比べて平成15年度は「特許有効」と判断した特許庁審
決が取り消される率は少し低下しているだけであるのに対し、「特許無効」と判断した特許庁審決が取り消
される率は半分以下に低下している。つまり、平成11年度から平成15年度までの間に特許がより無効
になりやすくなっている、ということである。
さらに、平成16年度をみると、
「特許有効」と判断した特許庁審決が東京高裁で取り消された率が約51%
(47件中24件)
、
「特許無効」と判断した特許庁審決が東京高裁で取り消された率が4.0%(75件中3件)
であったそうである。したがって、平成11年度から平成15年度までの特許無効の容易化という傾向は、平成
16年度も続いていることが分かる。
これらの数値からも、東京高裁における進歩性判断の厳格化傾向が見て取れるであろう。したがって、特許庁
審決の違法性が最終的には東京高裁で審理・判断されると仮定すると、特許無効審判を経由した特許無効の容易
化という最近の傾向は明瞭である。
裁判所は、争われている特許の有効性の判断だけでなく、「争われている特許に係る技術が真に法的保護
に値するのか」という価値判断をしており、その価値判断の結果に基づいて判決を書いている、というの
は、よく聞く話である。特許庁では、そのような価値判断をしていないと思われるので、その点も裁判所
と特許庁における特許の有効性判断の違いに繋がっているのかも知れない。
最近、特許権(を含む知的財産権)の取得だけでなくその活用が叫ばれている。その結果、ライセンス
契約を締結する主体は、毎年1万件もの特許出願をして特許を取得し、それらをライセンス契約等で活用
していた大企業だけでなく、中小企業・ベンチャー企業や大学、個人にまで広がっているようである。ラ
イセンス契約に習熟している大企業では問題は少ないであろうが、習熟度で大きく劣る中小企業・ベンチ
ャー企業、大学等では、戸惑うことも多いだろうし、生じる問題も多いと思われる。
−35−
それらに上述したような特許無効の容易化という傾向が加わるとすれば、特許権(を含む知的財産権)
の有効活用は決して容易ではないことがお分かりいただけるのではないか。
そのためには、信頼のおける知的財産の専門家(弁護士、弁理士)の協力を得て日常業務を通じて実務
経験を積んでいくことが、一番の近道であるように思う。途は遠いが、一歩一歩進んでいくほかはない。
微力ではあるが、私も弁理士の一人としてその面で何らかのお役に立てれば、と思っている。
以 上 (1)特許法第29条第1項
産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。
一 特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明
二 特許出願前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明
三 特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となつた発明
(2)特許法第29条第2項
特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたとき
は、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。
(3)平成17年4月1日から特許法に第104条の3が加入され、争われている特許が特許無効審判によって無効にされるべきものと認められるとき
は、特許権者又は専用実施権者は、相手方に対しその権利を行使することができない、と規定された(第1項)。その結果、侵害訴訟において特
許無効と判断されて権利行使を制限される可能性が、いっそう高くなるかも知れない。そうなれば、出願手続の重要性がより高まるであろう。
−36−