日本ロッシーニ協会リニューアル例会 第 2 回 (2012 年 12 月 22 日 オカモトヤ 4 階会議室) 資料 映画『ロッシーニ! ロッシーニ!』 解説:水谷 彰良 ロッシーニ! ロッシーニ!Rossini! Rossini! Enrico Roseo Film e Istituto Luce Italnolegio(イタリア/ (イタリア/フランス/ フランス/スペイン、 スペイン、1991 年。128 128 分) マーリオ・モニチェッリ Mario Monicelli ニコラ・バダルッコ Nicola Badalucco、 Badalucco、ブルーノ・カーリ ブルーノ・カーリ Bruno Cagli、 Cagli、スーゾ・チェッキ・ダミーコ Suso Cecchi D’ D’Amico 出演 フィリップ・ノワレ Philippe Noiret(晩年のロッシーニ) 、セルジョ・カステッリット Sergio Castellitto(若き日 晩年のロッシーニ) 、サビーネ・アゼーマ Sabine Azema(オランプ・ペリシエ)、アッスンタ・セルナ Assumpta Serna のロッシーニ) (マリーア・マルコリーニ) 、ジャクリーン・ビセット Jacqueline Bisset(イザベッラ・コルブラン)ほか (イザベッラ・コルブラン)ほか 題名 制作 監督 台本 あらすじ 1868 年パリ近郊パシー。晩年のロッシーニ(1792-1868)が妻ペリシエと友人たちに囲まれ、過去の日々を回想する。 フランス革命にかぶれた父ジュセッペと、後にオペラ歌手となる母アンナの間に生まれたロッシーニは、少年歌手とし て舞台で母と共演し、1810 年ヴェネツィアで《結婚手形》を発表してオペラ作曲家となる。コントラルトのマリーア・ マルコリーニと恋に落ち、スカラ座デビュー作《試金石》 (1812 年)で成功を収めた彼は、マルコリーニのおかげで兵役 を免除される。スペイン人ソプラノのイザベッラ・コルブラン、ナポリの興業師ドメーニコ・バルバイアと出会ったロ ッシーニはナポリの王立劇場の音楽監督になるが、ローマの《セビーリャの理髪師》初演で失敗を喫した。コルブラン と恋に落ちたロッシーニは、ヴィーンに赴く途上彼女と結婚し、バルバーイアと不仲になる。そしてパリに活動の場を 移し、最後のオペラとなる《ギヨーム・テル》を発表するが、その頃には疲れ果て、引退を決意した。そんな彼の前に オランプ・ペリシエが現れ、彼の後半生の伴侶となる…… 資料(市販のオリジナル 市販のオリジナル・シナリオ オリジナル・シナリオと ・シナリオと映像ソフト) 映像ソフト) ・オリジナルのシナリオと 53 のシーン写真含む書籍 Nicola Badalucco - Bruno Cagli - Suso Cecchi D’Amico: Rossini! Rossini! Sceneggiatura originale dell'omonimo film di Mario Monicelli con un'analisi del testo di Alberto Cattini., Mantova,Provincia di Mantova,Casa del Mantegna,Circolo del Cinema di Mantova,1991. (絶版。入手困難) ・映像ソフト Rossini! Rossini!(Prato,General video Recording Stl. 4048SD [DVD Pal 仕様] (字幕は聴覚障碍者用のイタリア語のみ) 解説 『ロッシーニ! ロッシーニ!』は作曲家生誕 200 周年の前年(1991 年)に制作公開された映画で、封切りに先立ち オリジナルのシナリオを含む書籍がマントヴァで出版された(1991 年 8 月刊。序文、120 頁の台本、作品論、53 の写真付)。 台本は別記 3 人による共作で、その一人ブルーノ・カーリはロッシーニ財団の研究所所長でもあることから時代考証も 的確である。但し、台本と完成した映画の間には多くの違いがあり、幾つかのオペラの上演シーンが削られ、ヴィーン でのベートーヴェンとの対面やロンドン訪問での興味深いシーンがカットされている。とりわけベートーヴェンとの対 面シーンはいったん撮影されながら映画の編集段階で削除されたことが惜しまれる(ベートーヴェン役をヴィットーリオ・ ガスマンが演じ、前記シナリオ本にそのシーンの写真が 2 枚掲載されている!) 。ヴィーンとロンドン訪問の部分がそっくり失 われ、引退を決意するまでの経緯がいささか不明確になったものの、ロッシーニの生涯の出来事がリアルに再現され、 上演や舞台シーンの随所に当時のあり方が見て取れる点を特筆したい。 監督マーリオ・モニチェッリ(1915-2010)はイタリアを代表する映画監督・脚本家、老ロッシーニを演じるフィリッ プ・ノワレ、コルブランを演じるジャクリーン・ビセットは共に名優として知られる(但し、外国人の役者の台詞はすべて 吹き替え) 。だが理由は不明ながら、この映画は封切りのみでお蔵入りとなり、ビデオも発売されず、イタリアのテレビ で放送された形跡もない(放送されていればダビングや海賊映像が流布するはずだがそれも無い)。その結果、2010 年にプラー トで前記 DVD が発売されるまで「幻の」映画となっていた。 この映画は約 2 時間でロッシーニの生涯を、晩年のロッシーニによる回想の形で描くため、その理解には彼の人生や 足跡に関する知識も不可欠である。また、映画だけでは判らないことも少なからずある(話しているのが誰で、ロッシーニ とどのような関係にあるのか不明な人物もいる) 。台本を読んで初めて理解し納得できる部分もあるので、次に台本と映画を 参照しつつシーンごとの内容をまとめておく(全体を六つのブロックに分けて副題を付し、映画でカットされた重要シーンを注 記する。本日の例会では、各ブロックの見どころや要点を解説しながら紹介する) 。 1 I オペラ作曲家となるまで [19 分] Scena 1-7 [~6:20] 1797 年冬。イタリアを侵攻したフランス軍がペーザロに達する。衛兵隊長と会ったフランス軍士官は、ナポレオンの名 代としてメッセージを伝える布告役人を求める。駆け付けたロッシーニの父ジュゼッペ(あだ名は「ヴィヴァッツァ」)が 「自由・平等・博愛」と叫んで士官に褒められる。翌日行われた「自由の樹」の植樹で父ジュゼッペは楽隊を指揮して 革命歌「ラ・マルセイエーズ」を演奏、4 歳のジョアキーノも大太鼓を叩いて小遣いをもらう。 Scena 8, 9-20 [~14:15] 1868 年秋、パシーのロッシーニ邸の庭。ロッシーニが友人ロートシルト男爵を相手に「音楽で最初に報酬を得たのは 4 歳のときだった」と語る(他に、出版社主ウージェル夫妻、若い友人ミショット、妻オランプなどがいる)。 ウージェル夫人が水を飲もうとしたのをロッシーニが止め、ミショットに演奏を促す(ミショットはベルギー人の書生。グ 。そこにラ・ロシュフーコー公爵が詩人・政治家コスタンティーノ・ニグラを連れて現れる。 ラスハーモニカを演奏する) ニグラはオランプに「あなたを描いた絵(オラース・ヴェルネ『ジュディッタとオロフェルネ』)をサロンで見た」と話す。 1830 年春、パリのサロン(絵画展)。ヴェルネの絵を気に入ったロッシーニに、ロートシルト男爵が「モデルはオランプ・ ぺリシエ」と教え、ロッシーニは彼女と目が合う。1868 年秋、パシーのロッシーニ邸の庭。だがオランプは、 「私たち が会ったのは 1832 年トルヴィルだったわ」と否定する。話題はロッシーニの父に向かい、ロッシーニは「いい人だっ たけど頭のイカレタ男。ナポレオンにかぶれたせいで一家はひどい目にあった」と話す。 1798 年春、地方の小劇場。舞台で母が歌い、父がオーケストラでホルンを吹いている。幼いロッシーニが舞台で母と二 重唱を歌っていると、突然憲兵が踏み込んでジュゼッペを逮捕する。1800 年夏、ペーザロの牢獄。父ジュゼッペはフラ ンス軍の再占領により解放されるが、これに懲りて故郷ルーゴへの移住を決意する。 (註:舞台でロッシーニが母と歌っているのはパエール《カミッラ》の中の二重唱と思われる。ロッシ (註:舞台でロッシーニが母と歌っているのはパエール《カミッラ》の中の二重唱と思われる。ロッシーニの父ジュゼッペは、 舞台でロッシーニが母と歌っているのはパエール《カミッラ》の中の二重唱と思われる。ロッシーニの父ジュゼッペは、1799 ーニの父ジュゼッペは、1799 年 9 月にボローニャのマルシーリ= 月にボローニャのマルシーリ=ロッシ劇場で逮捕され、ペーザロのロッカ・コスタンツァの牢獄で ロッシ劇場で逮捕され、ペーザロのロッカ・コスタンツァの牢獄で 10 か月過ごした) Scena 21-22 [~18:50] 1800 年夏、ルーゴの路上と小さな広場。宿屋を探すロッシーニ一家は偶然、著名なカストラート、ヴェッルーティの歌 声を聞く。父ジュゼッペは息子をカストラートにしようと考えるが、母アンナはきっぱり反対する。 (註:ヴェッルーティの歌っているのはチマローザ《オラーツィとクリアーツィ》のアリアと思われる) (註:ヴェッルーティの歌っているのはチマローザ《オラーツィとクリアーツィ》のアリアと思われる) 1868 年秋、パシーのロッシーニ邸の庭とサロン。ロッシーニは「あのとき母が反対しなければ、いまのわしは老いたカ ストラートだったろう」と言って笑わせる。その後、歌手を諦めて楽器の演奏と作曲を学んだと話す。 (註:オリジナルの (註:オリジナルの台本 オリジナルの台本で 台本では続いてロッシーニが昔の は続いてロッシーニが昔の歌の 昔の歌の練習法を話し、同席した弟子マリーア・アルボーニとソルフェージュを歌う 歌の練習法を話し、同席した弟子マリーア・アルボーニとソルフェージュを歌う シーンがあるが、映画では シーンがあるが、映画ではカット) 映画ではカット) II オペラ作曲家デビュー、マルコリーニとの恋、《アルジェのイタリア女》と《試金石》の大成功 [25 分] Scena 23-26 [~23:40] 1810 年秋、ヴェネツィアのサン・モイゼ劇場。デビュー作《結婚手形》の稽古が行われるが、ロッシーニはバスのルイ ージ・ラッファネッリがパイジェッロ作曲のアリアと差し替えて歌ったことに怒る。興業師アントーニオ・チェーラも 交えて口論になるが、埒があかない。 ヴェネツィアのモランディ夫妻の家のサロン。モランディはフェッラーラから来たコントラルトのマリーア・マルコリ ーニに、 「稽古のトラブルの原因は管弦楽が強すぎるから」と話す。マルコリーニは別室のロッシーニと会って名乗り、 「妥協してラッファネッリの伴奏を弱くしなさい。チャンスを逃しては駄目。あとは私に任せなさい」と言って励ます。 再びサン・モイゼ劇場。フィナーレになると、マルコリーニが天井桟敷に合図を送り、音楽が終わった途端に「ブラヴ ォー」の声が上がり、鳥が放たれ大成功を収める。 (註:台本には続いてマルコリーニ、 (註:台本には続いてマルコリーニ、カッペッリ侯爵、ロッシーニ カッペッリ侯爵、ロッシーニの対話、 ロッシーニの対話、晩年パシーの屋敷での会話が scena 2727-29 にあるがカット) にあるがカット) Scena 30-32[註] 38-50 [~43:50] 1810 年冬、田舎道と馬車の中。ロッシーニとマルコリーニは恋に落ちているが、 「あなたは私を愛していない」と諭す ように言う。[1813 年春、ヴェネツィアのサン・ベネデット劇場。 《アルジェのイタリア女》の初演。マルコリーニの歌 唱、桟敷から見守るロッシーニの両親が映し出される] (註:台本では scena32 が 1811 年ボローニャでの《ひどい誤解》 、scena 、scena 、scena 33 がヴェネツィアでの《幸せな間違い》 、scena 34 がフェ ッラーラでの《バビロニアのチーロ》 、scena 、scena 35 がヴェネツィアでの《絹のはしご》の上演シーンとなっているが、カットして《ア ルジェのイタリア女》の上演シーンと差し替え ルジェのイタリア女》の上演シーンと差し替え) の上演シーンと差し替え) 1812 年春、 ミラーノに向かう馬車の中と宿屋の中。 ロッシーニとマルコリーニが乗る馬車を無理に追い越す馬車がある。 怒ったロッシーニは後を追って宿屋に入り、イザベッラ・コルブランと出会う。ロッシーニを気に入ったコルブランは、 「ナポリに来て私のために作曲しなさい」と誘う。そしてロッシーニが「ミラーノのスカラ座との契約がある」と言う 2 と、 「それが終わったらすぐに来なさい」と答えて立ち去る。マルコリーニはその話を聞いて気分を害する。 1812 年春、ミラーノのロッシーニとマルコリーニの住居。意気消沈したロッシーニが、 「1792 年生まれ(20 歳)の男に ロシア戦役への徴兵命令が出た」と話す。マルコリーニは「あなたは《試金石》を完成し、ナポレオンに自分は作曲家 であることを示しなさい」と言う。そして《試金石》の初演を成功させた彼女はそのままロイヤルボックスの要人を訪 ねると、深夜帰宅し、 「あなたは兵士にならなくなったわ」と話す。 (註:続く (註:続く scena 4545-46 はヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で はヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で《ブルスキーノ氏》の初演失敗とバルバーイアと 《ブルスキーノ氏》の初演失敗とバルバーイアとの出会いだが、 バルバーイアとの出会いだが、バルバ の出会いだが、バルバ ーイアとの出会い ーイアとの出会いを の出会いを《試金石》の出来事に変更し、 《試金石》の出来事に変更し、scena の出来事に変更し、scena 50 の晩年のロッシーニ邸の会話 晩年のロッシーニ邸の会話を前倒しで挿 の会話を前倒しで挿入 を前倒しで挿入) 1813 年、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場。ロッシーニの指揮する《タンクレーディ》でマルコリーニが「ディ・タン ティ・パルピティ」歌う。ロッシーニはアンコールの指揮をコンサートマスターに任せ、こっそり劇場を去る。 III ナポリへの移住と《イングランド女王エリザベッタ》初演 [20 分] Scena 51-65 [~1:03:25] 1815 年春、馬車の中。ロッシーニとバルバーイアがナポリでの契約をまとめる。ナポレオンの義弟ジョアシャン・ミュ ラの軍隊に遭遇したバルバーイアは、 政情が安定するまでナポリに帰るのは危険と判断、 馬車をボローニャに戻らせる。 (註:scena (註:scena 53 の士官との対話はカット) 士官との対話はカット) 1868 年秋、パシーのロッシーニ邸のサロン。医師バルドスを迎えた召使ジャコモは、今朝、主人の体調が悪かったが、 いまは夕食の最中で昔話をしているから邪魔しないように、と話す。 (註:ミュラ軍の敗走の様子が挿入される) 1815 年、ナポリのバルバーイアの家の前の路上と 1 階の部屋。ミュラが敗れて王政復古となり、民衆がブルボン家の フェルディナンド王の 2 年ぶりの帰還を喜ぶ。バルバーイアの家に来たロッシーニはコルブランと再会、バルバーイア からこの家に住むように言われる。建物の 2 階に部屋を与えられたロッシーニは、夜目覚めて作曲した楽譜をこっそり コルブランの部屋に届けようとして彼女がバルバーイアの愛人と知り、ショックを受ける。 1815 年夏、サン・カルロ劇場の小部屋。ロッシーニはテノール歌手アンドレア・ノッツァーリや台本作家ジョヴァンニ・ シュミットとナポリでのデビュー作について話すと、コルブランが「私は偉大な女王を演じたいわ。例えばイングラン ドの女王エリザベッタみたいに…」と口を挟む。 1815 年秋、サン・カルロ劇場。 《イングランド女王エリザベッタ》初演のフィナーレ。演奏が終わると国王フェルディ ナンドはロッシーニを桟敷に呼び、称賛する。 サン・カルロ劇場の賭博場。賭けに負けてイライラするコルブランはロッシーニに、 「なぜ私によそよそしくするの」と 問い質す。ロッシーニは「あなたに憧れていたが、あなたがバルバーイアと夫婦と知り、その気持ちを失くした」と答 え、 「ローマのアルジェンティーナ劇場と契約したのでしばらくナポリを離れる」と話す。 IV 《セビーリャの理髪師》初演、コルブランとの恋、バルバーイアと「モゼの祈り」 [20 分] Scena 66-76 [~1:23:05] ナポリのバルバーイアの家の 2 階のロッシーニの部屋。コルブランからローマの劇場との契約を聞かされたバルバーイ アが怒鳴り込んでくる。ロッシーニは「ナポリとの契約違反にはならない」と答え、 「 《オテッロ》も来年の予定じゃな いか」と言う。怒ったバルバーイアは、 「おれは金で喝采を作り出した。そのおれが大失敗を作れないと思うのか?」と 捨て台詞を吐いて出て行く。 1816 年ローマのアルジェンティーナ劇場。「さくら」の親玉が仕掛けをし、登場したロッシーニが聴衆に野次られる。 「ナポリに帰れ!」と怒号が飛ぶ中、演奏が始まると、 「さくら」の親玉は場外の馬車にいるバルバーイアに「準備万端」 と報告する。さまざまなアクシデントが続き、頃合いを見計らったバルバーイアが桟敷に現れる。舞台に猫が放たれる とバルバーイアも妨害のひどさに憤り、場内大騒ぎになってロッシーニは逃げ帰る。 ナポリのバルバーイアの家の 2 階のロッシーニの部屋。慰めに来たコルブランをロッシーニが抱き締め、愛を告白する と、コルブランも「私もあなたが好きよ」と応える。 サン・カルロ劇場の稽古場。ロッシーニがコルブランとの関係をバルバーイアに告白しようとすると、バルバーイアは 「彼女から聞いて全部知っている」と動じない。そんなバルバーイアにロッシーニは戸惑う。 (註:続く scena 72 と 73 はカット) カット) 1868 年パシーのロッシーニ邸。ロッシーニは友人たちに、 「バルバーイアは音楽も詩も一切知らなかったが、彼以上の 劇場支配人を私は知らない」と言って擁護する。そして「彼のためにたくさんオペラを書いたが、ひどい失敗もあった」 と言い、 《エジプトのモゼ》を例に出す。 1820 年[ママ]のサン・カルロ劇場。《エジプトのモゼ》のフィナーレが舞台のアクシデントで惨憺たる結果になる。 バルバーイアはロッシーニに、 「お前も作曲家なら、失敗したところにお客が感動するような曲を書け…例えば…おれに は判らんが、嘆願や祈りみたいな曲だ」と言う。1868 年パシーのロッシーニ邸。ロートシルト男爵の歌う「モゼの祈り」 を聴いてペリシエが笑う。アルボーニ夫人がピアノを弾きながらあらためて歌い始め、皆が唱和すると、居眠りしてい 3 た医師バルドスが目を覚まし、食器を落としてしまう。 (註:続く scena 77 と 78 はカット) カット) V コルブランとの結婚、《ギヨーム・テル》と引退の決意 [17 分] Scena 79-99 [~1:40:43] 1822 年春、ヴィーンの宿屋のロビー。ケルントナートーア劇場の興業師になったバルバーイアが、ロッシーニとコルブ ランが到着しないことに苛立っている。二人の馬車が着くとバルバーイアは彼らに別々の部屋を与え、コルブランの部 屋で彼女に「なぜ 3 日も到着が遅れたのか!」と詰問する。コルブランは「ボローニャでロッシーニと結婚した」と告 白する。バルバーイアは怒るものの、落ち着きを取り戻してロッシーニと折り合いをつける。 1823 年冬、アルプスの街道。フランスに向かうロッシーニとコルブランは、馬車でアルプス越えしようとしているが、 ロッシーニは体調が悪い。 (註:続く scena 86 以降はパシーのロッシーニ邸 以降はパシーのロッシーニ邸、ヴィーンでベートーヴェンを訪問した際の対話、ロンドン訪問でのジョージ 4 世 とピアノを連弾しながら二重唱するなど興味深い ピアノを連弾しながら二重唱するなど興味深いシーンが続くが 興味深いシーンが続くが映画には シーンが続くが映画には無 映画には無く、話は く、話は突然 話は突然 1829 年[実際は 1828 年] に飛ぶ) 1829 年[ママ]冬、パリのロッシーニの住居。歌のレッスンをするコルブランにロッシーニが苛立ち、 「このオペラ(《ギ ヨーム・テル》 )はぼくを壊してしまう。でもこれが最後だ!」と叫ぶ。 1829 年冬、パリのオペラ座。 《ギヨーム・テル》フィナーレの舞台。続いてセーヌ河岸。新聞批評を読んでいたロッシ ーニはバルバーイアと再会する。パリのロッシーニの住居。新たな契約を望むバルバーイアから母アンナの肖像画を渡 されたロッシーニは母と二重唱した日を思い出し、その死に立ち会えなかったことを悲しむ。バルバーイアに「時代の 変化が怖いか?」と訊かれたロッシーニは、 「もう疲れた。働きすぎた。モーツァルトはぼくの年齢で死んでいた。ぼく は別な解決を望んでいる…年金生活だよ」と答える。 「後戻りはできない、沈黙するだけ。もうベルカントの音楽を書け る者はいない、残っているのは宗教音楽だけ」との言葉を聞いたバルバーイアは、 「いい考えじゃないか。ロッシーニ作 (1868 年パシーに映像が変わり、オランプ・ペリシエが「あのときから彼は、養生 曲のミサ曲、大評判になるぞ!」と励ます。 のための巡礼が始まったわ、私が彼を救うために現れるまで」と語る) 。 (註:続く (註:続く scena 100 はカット) カット) VI オランプ・ペリシエとの出会い、コルブランとの別れ、晩年のロッシーニ [22 分] Scena 99, 101-123 [~2:02:08] 1830 年、 トルヴィルの宿屋のロッシーニの部屋。 髪が薄くなったことを気にするロッシーニの前に突然ペリシエが現れ、 彼に優しくする。 「あなたには愛情と保護が必要よ」と言われたロッシーニは「ボローニャに妻がいるんだ」と言うが、 彼女は動じず「付いて行くわ」と答える。 1832 年ボローニャ、ロッシーニの家の近く。父ジュゼッペがロッシーニに、 「お前の女房は頭がイカレてる。金遣いが 荒く、変な召使を 6 人も雇い、音楽の夕べと宴会にうつつを抜かしている」と愚痴る。ロッシーニは「父と暮らすため に家を借りた。パリからオランプという名の女性も連れてきた」と話す。 (註:以下、オリジナルのシナリオと (註:以下、オリジナルのシナリオと台詞や細部に違いがある シナリオと台詞や細部に違いがあるが、詳細を省略 台詞や細部に違いがあるが、詳細を省略) が、詳細を省略) 1832 年、ボローニャのコルブランの家。ペリシエとコルブランの探り合いの会話が行われる(「その手袋、私の夫がプレゼ ントしたの?」 「いいえ、とても有名な作家の思い出の品です」 「もしかしてバルザック?」 「違いますわ。 [ウジェーヌ・]シュー氏か ら。 『パリの秘密』をお読みになりまして?」…) 。そこに父ジュゼッペとロッシーニが現れ、ロッシーニはコルブランの荒ん だ生活に愕然とする。 1868 年、パシーのロッシーニ邸。ペリシエが書生ミショットに手紙を口述筆記させる──「父の死後、私の夫はボロー ニャの家を売却し、いまは神経の病気にかかっています…もう 25 年も作曲していませんが、あの素晴らしい《スタバ ト・マーテル》が世界中を感動させました。ドニゼッティも指揮したがったあの作品を、悪の怪物ヴァーグナーが新聞 で酷評したのをご存じ?…《スタバト・マーテル》がコルブランの追憶に書かれたなんて嘘よ、コルブランはその後に 死んだのよ…」 。そこにロッシーニの怒鳴り声が聞こえる。彼は 1848 年の革命騒ぎでボローニャからフィレンツェに逃 れたときを思い出し、興奮している。 1848 年、ボローニャ。馬車でボローニャを去るロッシーニ夫妻を冷たく見送るボローニャの人々。1849 年、フィレン ツェのポンテ・ヴェッキオ近く。医師モルダーニ博士と会ったロッシーニは、自分の精神状況が不安定と語る。 1849 年、フィレンツェのロッシーニの住居。廃人のようになったロッシーニの状態をペリシエが医師ナーヴァに説明す る。自殺をほのめかした夫が心配なペリシエはイタリアでの治療に希望を失くし、パリへの移住を助言するよう医師に 頼み込む。 1852 年パリ、ブーローニュの森~ロッシーニの家の食卓とサロン。パリに戻ったロッシーニは徐々に健康を取り戻し、 客を招いて美食の晩餐会を始める。ロッシーニが料理に香辛料を追加して味を良くし、女料理人が面目を失くす。サロ ンでは音楽の夜会の準備が行われているが、ロッシーニは「疲れた」と言って客の前に姿を現さず、別室で横になる。 宙を見つめる彼の脳裏に《セビーリャの理髪師》第 1 幕フィナーレの音楽が湧きあがり、このオペラが失敗から大成功 に転じた夜が蘇る。 4
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