海外体験・海外留学記

海外体験・海外留学記
海外体験・海外留学記
アフリカ大陸、ボツワナで働き、感じ、考え、学んだこと
山脇遼介(D 平 24)
ボツワナという言葉を聞いて「ああ、あそこね」
で読んでみたいと思うようになった。それが、私
と反応する人の大半は「紛争があって大変だよね
が東京外国語大学ドイツ語専攻を受験した理由で
〜?」と言葉を繋ぐ。さらには「なんか、ヨーロ
ある。
ッパの下の方だっけ?」と。残念ながらボツワナ
ところが、実際大学に身を置いてみると理想と
は紛争を経験したこともなければ、「ボツワナ・
現実の違いにのまれていく。ある種燃えるような
ヘルツェゴビナ」だったこともない。ボツワナと
思いを抱いて入学したにもかかわらず、大学生活
は南アフリカ共和国のすぐ上に位置するボツワナ
の自由さにかまけてサークルやバイトなど面白い
共和国のことである。東京の下町に育ち、アフリ
ことにばかり時間を費やし、哲学のことなど微塵
カどころかヨーロッパもアメリカも行ったことの
も考えなくなってしまったのだ。しかし、しばら
無かった私は、急遽この国へ飛び立ち、そこで 2
くして一つの転機が訪れる。
年間の海外生活を経験することになる。20 歳の時
大学 1 年生の終わりにふと手に取った本が忘れ
の話である。
られない。本学の伊勢崎賢治
そもそも、
ドイツ語
教授が著した『武装解除』
(講
専攻である私がなぜ
談社現代新書)である。「紛
アフリカを目指した
争屋」を自称する彼がシエラ
のか、
そこから話を始
レオネなどの紛争地で経験
めたい。
私は母子家庭
したことを綴ったこのエッ
という環境で育った。
セイからは、日本人がそのよ
サンタさんはこの世
うな僻地に一人赴いて「紛争
に存在しないし、
塾な
の解決」という常識はずれの
んて覗いたこともな
仕事をしていることに純粋
い。
かろうじて通って
な驚きを覚えたとともに、そ
首都ハボロネの様子(大使館事務所から)
いた地域の少年野球
の紛争の悲惨さに心を引き
でも、
お金がかかるイ
裂かれる思いを抱いた。反政.
ベントは全て NG だった。「なんでサンタさん来
府ゲリラの蜂起によって首都が陥落し、ゲリラに
ないの?」と聞かれようが、知ったこっちゃない。
対抗して組織された市民の自衛団までもゲリラ化
「おそらくウチの不動産登記に不備があるからサ
して激しい戦闘が起こる。その間の犠牲者は 7 万
ンタさんも住所を特定できずに困ってるんだと思
人以上。日本では絶対に考えられない状況ではあ
う」とでも言えというのか。しかし、周りはそう
るが、この地球上で実際に起こったことなのであ
ではなかった。12 月 25 日の朝はみんなホクホク
る。と、同時にそのようなことを知らずにこれま
の笑顔で登校して来たし、少年野球でも合宿など
で生きてきたこと、よほど恵まれた環境に育って
お金がかかるものには僕以外が「全員」集合して
きたにもかかわらず、「理不尽」などという思い
いた。そうした中で、なぜうちだけ? と、漠然
を抱いてきたことが恥ずかしく感じられた。それ
と社会の理不尽のようなものを感じていた。何か
以来、多くのアフリカ関連書籍を手に取るたびに
自分が悪い事をしたせいか? と考えてみても、
そうした悲惨な状況があることを知るが、日本の
一向に思い当たる節がない。こうした理不尽さへ
状況とはあまりに違っていてどうしても実感が涌
の気付きがあってか、受験期には哲学の実存主義
かなかった。そこで、そんなアフリカの実情を自
に関心を寄せるようになり、ニーチェなどを原書
分の目で確かめねばと心に決め、私はドイツ語専
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攻でありながらアフリカの地を目指すことになっ
た。
それからは不思議なほどスムーズに事が運んだ。
アフリカを意識した途端に、アフリカにも行ける
プログラムとして在外公館派遣員の存在を知り、
直後に実際にアフリカのスーダンに勤務していた
先輩に出会うことができた。そして気づけば、外
務省にある面接会場のイスに座っていたのである。
なぜか「神が私をアフリカに呼んでいる」と合格
を疑って止まず、特に何の準備もせずに試験に挑
んだが、今思うと無謀な考えである。しかし、人
現地スタッフにいじられる筆者
間不思議なもので、それほどの自信があると実力
以内にめちゃくちゃ恐い国会議員が来る。怒らせ
以上の力が発揮され、あっさりと内定通知を受け
たら本当に大変なことになるんだけど、アテンド
取ることができた。
は山脇さんよろしく」と言われて、死刑宣告を受
ボツワナに到着してからは、驚愕と不安の連続
けたような気持ちで涙が溢れそうになり、思わず
だった。まず、事務所がなかった。「立ち上げ業
トイレに駆け込んでなんとか堪えたこともあった
務になりますので、覚悟してください」と聞いて
くらいである。
はいたが、事務所と案内されていった場所がホテ
当初は目が回るような日々の連続で、軽い気持
ルの一室で、ドアのところに「Embassy of Japan」
ちで飛び込んだことを後悔したこともあった。し
と書かれたわら半紙がぶらさがっているのを見て、
かし、そういった辛い経験ができることもアフリ
さすがに唖然とした。そして、人も居なかった。
カに飛び込んだ一つの意義であると信じて頑張っ
大使館の職員としては 3
ていると、少しずつ道が
人いたものの、実働部隊と
開けるようになった。英
して動いているのは若手
語で困ることも減り、仕
の一人のみで、その後の立
事の効率的な進め方を
ち上げ業務はほぼ私とそ
考える余裕すら出てく
の人の二人だけで進めな
るようになった。そうい
ければならなかった。そこ
った余裕があってか、ボ
から物件探し、事務所の引
ツワナで開催された国
っ越し、人の雇用、オフィ
際会議で福田首相(当
ス用品の調達などの作業
時)の空港でのアテンド
を数ヶ月間のうちに猛ス
ボツワナの大切な仲間たちと送別会にて
役を仰せつかったり、ケ
ピードでこなしていった。
ニアを訪問した日本の
ちなみに、そんな状況なので私自身の住宅も用意
皇太子に随行することができた。普通の大学生に
されているわけがなく、これらの作業と平行して
は行けない場所で、普通の大学生には会えない
自力で自宅探しや引っ越しをしなければならなか
人々と会って仕事をしたこれらの経験は私の中で
った。しかも、自分の英語力が中途半端なせいで、
今でも大きな自信となっている。
いちいちコミュニケーションに苦労した。また、
また、「アフリカをこの目で確かめる」という
肉体的な疲労もさることながら、初めての土地で
視点ではどうだったか。実はボツワナに到着した
生活もままならないうちに猛スピードで仕事をす
当初は、大学入学時と同様の理想と現実(といっ
るということのストレスで、最初はかなり情緒不
て良いものか)のギャップを感じたところがあっ
安定になってしまった。仕事が一段落ついて帰宅
た。先にも述べたようにボツワナは紛争の経験が
しようとした時に同僚から、「そういえば、半年
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なく、経済的にも「優等生」と呼ばれており、一
見すると「あれ、意外と普通じゃん?」と思うと
ころがあった。しかし、長く住むことでそうした
平和や発展以外の複雑な側面も垣間みることがで
きた。現地職員の親族がエイズで亡くなったり(ボ
ツワナのHIV/AIDS 感染率は世界でも最も高い部
類に入る)、地方の集落に強制移住させられて暮
らす少数民族ブッシュマンの存在(これは私の卒
論のテーマにもなった)を知ることになった。隣
国ジンバブエでは政治的動乱の中でコレラが発生
し何千人もの人々が治療も受けられぬままに亡く
なり、同じく隣国の南アフリカでは外国人排斥運
動によってリンチされた外国籍の住民をテレビス
クリーンごしに目の当たりにした。こうした人々
の一人一人に同じ重みの人生があったことを考え
ると、その理不尽さに胸が締め付けられる思いに
なる。なぜその人だけが苦しまなければ、死なな
ければならなかったのか? この理不尽さに対し
て、何かできることはないかとの思いを抱いて、
この春からは総合商社の門を叩くことになった。
大変取り留めのない文章になってしまったが、
以上が、私がアフリカを通じて、感じ、考え、学
んだことである。勢いと自信だけで飛び込んでい
ったものの、そこで得たものは私の人生観の主要
な部分を形成していると言っても過言ではない。
「アフリカ」と聞くとつい「遠いところ」と思い
がちであるが、そこには「意外と普通」な部分と
「想像すらしえない」部分が交錯する複雑な世界
が広がっている。皆様も是非一度、壮大なアフリ
カの大地に足を踏み入れてみてはいかがだろう
か? そこではきっと、人生において重要な気づ
きが得られるはずである。
バルセロナ留学
立﨑有衣子(S4 年在学)
私は、大学でスペイン人のチューターをしてい
り、独自の言葉や文化を持っているということは
たときにとても悔しい思いをした。私は人見知り
あまり知られていない。そして、カタルーニャ語
はしないので、言葉がわからなくてもスペイン人
はスペイン語とはかなり違っており、大半の現地
の子と楽しく話はできた。しか
の人がカタルーニャ語を
し、相手が悩んでいるときには、
使用しているということ
どのような言葉をかけてあげ
はさらに知られていない。
れば良いのか分からずやりき
私は 1 年生の頃からス
れない思いだった。
ペイン語を習うにあたり、
このような経験をしたこと
スペインの地域史を学ん
で、私の留学の大きな目標がで
でいたことや、過去にバル
きた。それは語学力を上達させ、
セロナに留学をしていた
相槌を打つタイミングなどの
先輩の話も聞いていたの
スペイン流のコミュニケーシ
で、留学するときはそれな
ョン能力を身につけることで
りの覚悟をしていたつも
あった。このような思いを胸に
りであった。
2009 年 9 月から派遣留学生と
しかし、最初の頃は想像
して約 1 年、スペインのバルセ
以上に現地での生活は不
ロナに留学をした。
便であった。スーパーに行
バルセロナは、サグラダ・フ
くと知っているはずの単
ァミリアやグエル公園といっ
語では商品が並んでおら
サグラダ・ファミリア
た観光地として日本人にはよく知られている。し
ず、すべてカタルーニャ語表記されており、はじ
かし、バルセロナがカタルーニャ州に位置してお
めは見た目で物を判断するしかなかった 。さらに、
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ってしまったのである。このように負の連鎖から
抜け出せず 3 ヶ月目に大きなスランプを経験した。
スランプ中はがむしゃらな自分とは反対にスペ
イン語への意欲が落ちてしまい、英語を話す留学
生たちと一緒に過ごす時間が増えた。スペイン語
ではなく英語を話す自分に罪悪感を持ちながらも、
留学生活を楽しんでいる仲間に刺激を受けた。あ
るとき彼らに留学の目的を聞いてみた。きちんと
した目標をもってきている人もいたが、「スペイ
ンの大学なら奨学金をもらえたから」とか「地元
の大学で留学中の授業が単位になるから」など意
外にもあっさりした答えが返ってきて驚いた 。
「留
通っていた大学の前で
学は目標がなければ意味がない」というふうに考
大学がはじまってみるともっと大変であった。英
えていた私にとってそのような考えは新鮮にうつ
語で書かれたホームページを読んでいると途中か
り、肩の荷がおりた気分になった。それからは自
らカタルーニャ語になったり、スペイン語の授業
分ももっと留学生活を「楽しもう」と考えるよう
のはずなのにテキストだけカタルーニャ語であっ
になった。
たり、いきなり授業がカタルーニャ語で行われた
気持ちが前向きになると不思議なもので周りの
りしてついていけなくなるなど、様々な壁が立ち
反応も変わってきた。がむしゃらにならなくても
はだかった。ラテン系のノリを期待して現地の友
授業中話せる現地の友達が多くなったり、図書館
達もすぐできるであろうと想像していたが、意外
で勉強をしていると授業が一緒の友達と話す回数
とカタルーニャ人は閉鎖的で輪に入ることができ
が自然と増えたりした。中でも一番印象的だった
ず、思うように現地の友達もできなかった。
のは、図書館で日本語を勉強している子との出会
このままではスペイン語も身
いであった。
お互い
につかないと焦りを感じたので、
の言語に興味があ
自分と作戦会議をし、私は現地
ったので二人で一
の人と 1 対 1 で話す機会を増や
緒にいる時間も増
す作戦にでた。そう決めてから
えて、
バルセロナの
はどんな機会も逃すまいと必死
街をランニングし
になった。グループワークでは
たり、
バルによく行
現地の人をつかまえて一緒にグ
ったりするように
ループを組んでもらったり、お
なった。
スランプ前
昼を一緒に食べてくれる地元の
の自分とは違い、
こ
友達を探したりした。勉強をす
の頃からは楽しみ
るときは部屋ではなく図書館に
ながら日々の生活
毎年 4 月 23 日にお祝いされる Sant Jordi の日
足を運んでみたり、単位にはな
ができるようにな
らない授業を聴講してみたりもした。気がつけば
っていた。こういう日々の積み重ねにより、語学
私はがむしゃらになっていた。がむしゃらになっ
力も徐々に向上していった。
ていろいろ試した結果、現地の人と話す機会はで
きたが、語学はそうすぐには伸びるものではなか
った。必死な私は冷静さを失い、一生懸命やって
いるのに語学力が伸びないと落ち込み、益々がむ
しゃらになるがうまくいかないという悪循環に陥
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この 10 ヶ月で私はなにを得たのであろうか?
確かにスペイン語で友達と何の問題もなく会話で
きるくらい語学力は向
上した。しかし語学の
面以上に、異なる国の
人と意見を交わしたこ
とで、いろいろな考え
方にじかに触れること
ができ、さまざまな視
点から物事を考えられ
るようになった。
そしてなによりもか
けがえない友達がたく
さんできた。卒業旅行(留学から約 2 年後)でバ
ルセロナを訪ねたときも、たくさんの友達が自分
のために時間を作っ
てくれて、それが何よ
りも嬉しかった。
留学がどのような
ものになろうとも、人
生の中でとても貴重
な経験になると思う。
もし留学を迷ってい
る人がいるならば、私
は迷わず背中を押し
てあげたい。
卒業旅行の際に訪れた友達家族のみんなと
人生を変える留学
~フランスでの 11
カ月間~
伊藤
圭(東京外国語大学大学院
総合国際学研究科地域・国際専攻 H24)
2008 年 8 月~2009 年 7 月まで、私はフランス
共和国(以下:フランス)のパリにて、交換留学
生として 11 カ月間の留学生活を送りました。当
時他大学に属していた私は、パリの南東に位置す
るパリ第七大学というところに派遣され、同大学
でヨーロッパ経済を学んでいました。
留学中は毎日が本当に楽しく、数え切れない貴
重な体験の連続であったと記憶しています。今回
の体験記では、そんな「留学の楽しさ」を写真と
共にお伝えできたらと思います。
旅立ち~まずは語学学校へ~
留学に際して、語学力に不安を持っていた私は、
まずアンジェ(Angers:フランス西部、パリの南
西に位置する町)に向かい、西部カトリック大学
主催の語学強化プログラムに 8 月より 1 ヶ月間参
加しました。
このプログラムでは自身の語学力不足を痛いほ
ど痛感させられました。しかしながら、同時にア
メリカ、イタリア、ドイツ、スペイン、カンボジ
ア、ヴェトナムなど、様々な国からやってきた他
のプログラム参加者たちと知り合い、大学のパー
ティではしゃいだり、一緒に海に行ったり、時に
は互いの出身国の歴史や社会について真剣に議論
海辺にてスペイン人の友だちと
したりと、楽しい思い出もたくさん作ることが出
来ました。
この時知り合った友人たちとは今も Facebook
で繋がっており、現在も密な交流を続けています。
交換留学生活の開始
1 ヶ月の語学研修を終え、9 月からいよいよパ
リでの交換留学生活が始まります。最初は「果た
して上手くやっていけるのか…」と、とても不安
に思っていました。しかし、留学生向けのフラン
ス語研修やパリの生活に関するレクチャー、そし
て市内観光まで組み込まれたパリ第七大学の 2 週
間の留学生特別オリエンテーションのおかげで、
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とてもスムーズにパリの生活にもフランスの大学
にも馴染むことができました。
パリの生活を満喫
そうして留学生活も滞りなく始まり、パリに滞
在して 1 カ月もすると、いよいよ生活を楽しむ余
裕が生まれてきました。
パリの側面はそれだけではありませんが、何と
言っても「華の都」パリ。晴れた日にセーヌ川の
辺を散歩するだけでもパリの気分を満喫できます
し、小洒落たカフェで友人たちと話しをしたり、
一人でのんびりと美術館巡りをしたりと、留学中
は学業だけでなく、パリの生活も思いっ切り満喫
しました。個人的な意見ですが、「パリは都会で
ありながら、とても落ち着いた雰囲気を持った町
である」と認識しています。
カンス)があります。他のアジアからの留学生仲
市内観光にて訪れたバンテオン
間たちの中には、これを機にイタリアやフィンラ
ンドなどのヨーロッパ諸国を周る人たちもいまし
たが、私はイル・ド・フランス地方やノルマンデ
ィー地方など、主にフランスの地方を旅行しまし
た。中でもアルザス地方は二回も訪れ、滞在日数
は 2 週間に上りました。アルザスはドイツの国境
近くに位置するため、ビールもおいしく、ソーセ
ージや肉をふんだんに使用した伝統料理シュクル
ートなどは本当に絶品です。
セーヌ川の辺から
多くの友人に恵まれる
私の留学先には幸いにも日本語学科があり、日
本語を学ぶ学生がたくさんいました。
彼らは、私が日本人であるというだけで無条件
に興味を持ってくれることに加え、元々海外にお
ける日本語の授業に興味を持っていた私は、日本
語の授業にボランティアとして参加するなどした
ため、留学中は日本語学科を中心に本当に多くの
友人に恵まれました。
彼らとは、一緒にパリの街を散策したり、穴場
スポットを教えてもらったり、はたまたパーティ
に招待されたりなど、本当にたくさんの思い出を
作ることができました。私の留学生活がとても楽
しいものになったのは、ひとえに友人たちのおか
げであると考えています。
バカンスを利用して地方旅行へ
フランスの大学にも、日本と同様に長期休暇(バ
アルザスの古城にて、友人と
旅行方法としては、地方出身の友人が実家に帰
省する際、その人にお願いをして実家に泊めても
らうという何とも厚かましい方法でしたが、皆快
く受け入れてくれ、友人の御両親たちもとても温
かくもてなしくれたことを、今でも鮮明に覚えて
います。フランスの地方にて、友人家族の温かい
もてなしを受け、笑いの絶えない食卓にて家庭料
理を味わう…田舎の温かさを、フランスでも経験
することが出来ました。
海外体験・海外留学記
留学の終わり~かけがえのない日々~
11 カ月間の留学生活は、最終的に私の人生にお
いてかけがえのない貴重な経験となりました。ア
ンジェで出会った様々な国籍のフランス語を学ぶ
仲間たち、期待と不安を胸に参加した大学のオリ
エンテーション、友人たちと語り合った思い出の
カフェ、そしてフランス人家庭の温かさなど、留
学中に経験したすべてのことが、現在もとても美
大学のキャンパスにて 友人たちと(前列中央が私)
2012 年 2 月 パリの友人との再会(左から 2 番目が私)
しい思い出として私の中で輝いています。「辛い
こと、大変なことも含めて、本当に楽しかった」、
まさにこの一言に尽きるでしょう。
留学をして、私の人生観も大きく変わりました。
肌の色も、言葉も、文化も、そして育ってきた環
境もまるで異なるのに、同じ人間として想いを共
有し、一緒に笑いあうことができる。このような
素晴らしい出来事を実際に体験できたことによっ
て、「どんな人間も、お互いに分かり合えるんだ
な」という考えが、留学後、私の中でより現実味
を持つようになりました。
留学という選択をするにおいて、就職活動との
関係で迷われる方も多いと思います。最近は特に
就職難が続いていますから、迷われるのも無理は
ないでしょう。しかしながら、私は留学という選
択を強くお勧めしたいと思います。なぜなら、た
った 1 年ではありますが、留学は私たちが費やし
た時間以上のものを私たちに与えてくれると信じ
てやまないからです。
人生は一度しかありません。留学と就職、大変
に難しい選択ではありますが、いずれにせよ、皆
さんが後悔のしない、ご自身の納得のいく選択を
されることを身勝手ながら祈っています。
「海外体験・海外留学記」の投稿募集 」
東京外語会会報委員会
皆様にも本号に掲載した 3 編の「海外体験・海外留学記」にみられますような様々な困難を乗り越えて、チャ
レンジングな海外生活・留学・アドベンチャーをされたご経験をお持ちかと思います 。そうしたお話を是非ご投稿
ください。若い人たちにはもとよりシニアにも刺激とヒントになるものと思います。
【投稿要領】
・テーマ
:海外体験・海外留学記
・字数・写真 :本文最長 3000 字前後、写真 2~3 枚
・送付先
:Word で作成の上、東京外語会事務局会報委員会宛メール送信
メールアドレス :[email protected]
・締切日
:随時受付として直近の会報に掲載
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