日々是晴天バリ島滞在記

日々是晴天バリ島滞在記
紺碧の空にエメラルドグリーンの海、真っ白な砂浜に肌を焦がす強い日差し。これが私
の南洋の島のイメージだ。20 年ばかり前に訪れたときのバリの海岸はこのイメージ通りだ
った。ところが昨年は雨季が延びて滞在5日間のうち4日は雨が降り、南洋気分に浸れた
のは1日だけ、何となく不満足な気持ちのまま滞在期間は終わってしまった。この顛末は
昨年投稿の「バリ島は雨だった」に記してある。昨年の二の舞にならないことを念じつつ、
長い冬場所を終えた王鮭部屋の親方夫妻の慰安旅行に我々谷町夫婦が加わって、4人のバ
リ島ツアーを今年も敢行した。
昨年は王鮭親方の定宿としている Melia Bali Villa & Spa Resort(メリア・バリ)に宿
泊したが、今年は高級リゾートの Nusa Dua(ヌサ・ドゥア)地区をやめてもっと繁華街に
近い場所に宿を取ろうということになった。ヌサ・ドゥア地区のホテルは敷地がやたらと
広く、歩いて表通りまで出るのに時間がかかる上、表通りに出たところで飲食する場所は
ほとんどない。こういう高級リゾートの宿泊客の多くは、ホテル内で滞在生活を完結させ、
それを楽しむことができるような金持ちたちだ。我々のような一般庶民が食事代を安く済
ませ、さらにホテルライフをも楽しもうとするには、地元の人々が住んでいる地区に近い
場所にあるホテルを選ぶ方がいい。こういう地区には安価なホテルも多いが、いいホテル
でも比較的低価格で宿泊できるという利点もある。インターネット等で検索した結果、今
年はバリ島が観光地として最初に発展した Sanur(サヌール)地区にある Bali Hyatt(バ
リ・ハイアット)に宿泊することにした。今年はもっとのんびり過したいという親方夫妻
の希望で滞在を2日延長することになったが、6日滞在してもメリア・バリの5日間滞在
とほぼ同程度の料金だ。
昨年は中部国際空港(セントレア)からバリ直通便があったが、今年2月末で路線が廃
止されてしまった。ガルーダ航空の直通便は成田か関空に行かないと乗れない。荷物を持
って電車に乗るのは厄介だし、車で成田や関空に行くのも遠い。乗り換えは面倒だがセン
トレアからシンガポールで乗換えてバリに向かうシンガポール航空で往復することにした。
セントレアを 10:30 に出発し、シンガポール乗換でバリ島着が 21:30 と旅行第1日目は
行くだけで終わってしまうが仕方がない。シンガポール航空はガルーダ・インドネシア航
空に比べると機内も清潔感があり、CA のサービスもいい。難点は機内の温度を下げ過ぎる
ことで、ブランケットなしではいられないほどだった。
バリ島
インドネシアの首都ジャカルタのあるジャワ島のすぐ東に位置し、面積は日本の千葉県
程度の小さな火山島。太平洋戦争前はオランダの植民地であり、欧米諸国からの観光地と
して開発された。現在の観光の目玉ともなっている音楽(ガムラン)や舞踊(バロン、ケ
チャ)
、絵画などはこの時代にその基盤ができたという。戦時中は一時日本の統治下にあっ
たが終戦により再びオランダ統治となった。オランダからの独立戦争を経てインドネシア
共和国が成立したのは 1949 年、バリがインドネシアに編入したのは翌年 1950 年である。
バリ唯一の空港は、独立戦争時にバリ島で壮絶な戦いの末戦死した英雄の名前を冠して
「Ngurah Rai(ングラ・ライ)国際空港」と名付けられている。イスラム教徒が大部分を
占めるインドネシアにあって、バリ島民だけが敬虔なヒンドゥ(バリヒンドゥ)教徒であ
る。これは古代バリがヒンドゥ教を国教とした王朝の支配下にあった時代の影響らしい。
水田による米作りを中心とした農業が主産業であるが、ヨーロッパ、オセアニア、そし
て日本を中心としたアジア諸国からの訪問者を対象とした観光産業による収入が大きい。
バリ島の観光地として最初に開発されたのが南部東海岸の Sanur(サヌール)
、その後 Kuta
(クタ)
、Legian(レギャン)等の西部海岸地区、そして最南端の Badung(バドゥン)半
島地区のヌサ・ドゥアが高級リゾートとして 1980 年頃に開発された。最近では内陸部の
Ubud(ウブド)にも多くの観光客が訪れている。イスラム原理主義者による爆弾テロの影
響で、リゾートホテルの多いバドゥン半島へ入る道路やホテルの出入り口などでは車の出
入りには厳しく警備が行われている。
インドネシアの通貨はルピア(rp)で 10000rp が日本円で約 100 円。
バリ・ハイアットホテル
バリ・ハイアットはサヌール地区にある大型ホテル。広大な敷地内にフロント、ロビー、
ビアノバーなどが入る管理棟と4階建て口型の3棟の客室棟(客室数 390 室)が通路で結
ばれている。別棟としてレストランが3棟、スパとイベント用のホールが一棟づつ、庭に
は南洋樹が生い茂り、樹木の間に4面づつのテニス、バドミントンコートなどの施設とプ
ールが2つありプールを囲むようにデッキチェアが並んでいる。ビーチ沿いの散策路を挟
んで東側には南北約 500mのプライベートビーチを持つ。ビーチにはビーチパラソルとたく
さんのデッキチェアが並んでいる。旅行社のパンフレットでは「バリらしいホテル」の代
表格と書いてある。我々の部屋はホテルのフロントから2つの客室棟を廻る通路を延々300
mほども歩いた3つ目の客室棟の3階だった。部屋は南向きなので朝日は入らないが、小
鳥のさえずりで目覚め、ベランダに出ると前面の南洋樹の間から緑の芝と青い空が覗き、
樹木の間にはリスが走り回っている。ホテルは東海岸に面しているので、海岸では朝水平
線から昇る太陽を見ることができる。3日目の朝6時過ぎ海岸に出て日の出の写真を撮る
ことができた。
古いホテルであるが故に建物や部屋の調度品は古さを感じるが不快なほどではない。朝
食内容もよかったし従業員のサービス態度もよかった。次回バリに来る際にもバリ・ハイ
アットに宿泊してもいいというのが我々4人の一致した感想だった。ただし次回はもっと
フロントに近い部屋がいい。
滞在中の生活パターン
我々の滞在中の基本生活パターンは、「毎朝8時頃朝食。一旦部屋に帰って準備を整えて
からプールサイドのデッキチェアに寝転んで昼寝したり、本を読んだり、パズルをやった
りしてのんびりと時を過ごす。気が向いたらプールに入って水浴びをする。昼が近くなっ
たらホテルの外に出てビールを飲みながら昼食を楽しむ。午後もプールサイドで過ごす。
17 時頃には部屋に引きあげ、シャワーを浴びてから町に出て飲みながら夕食を楽しむ。20
時頃にはホテルに帰り、部屋で酒盛りをして 23 時頃には寝る。時には日中どこかへ観光に
行く。
」という全く怠惰なリゾート生活を6日間楽しもうというものだ。ところがこのパタ
ーンは到着の次の日から思いがけないアクシデントにより変えざるを得なくなってしまっ
た。
朝食
朝食はバイキング形式でフロントのある建物に近い専用のレストランで摂る。ヨーロッ
パやオーストラリアからの白人客が多い。子ども連れが多いのはイースター休日のためか。
パン、ソーセージ、ハム、卵料理、サラダ、果物、ジュースなど洋食が中心だが、お粥や
「Mie Goreng:ミーゴレン(インドネシア風焼きそば)
、Nasi Greng:ナシゴレン(イン
ドネシア風チャーハン)もある。朝食としては十分満足できる。週末が近づくにつれて宿
泊客が増えたため、満席で別室に案内されることもあった。王鮭親方は減量などどこ吹く
風と毎日朝から食欲旺盛だった。
プールサイド
我々にとってプールサイドで過ごすベストの場所は、一日中直射日光が当たらない木陰
である。2日目は比較的いい場所のデッキチェアを確保したと思ったが、時間の経過とと
もに木漏れ日が結構当たりチェアを移動させて日差しから逃れる努力が必要になった。昼
まで上半身裸で過ごした王鮭親方の右上腕部に、たった数時間で火ぶくれができ、木漏れ
日とはいえ強烈な日差しの強さに驚いた。これ以後水に入るとき以外は T シャツを脱がな
いことと露出部分には日焼け止めクリームを塗ることにした。親方は火ぶくれ保護のため
にプールに入るときも T シャツを着たままだった。3日目は朝食後そのままプールサイド
に出て大きな樹木の木陰で一日中日差しのない場所を確保でき、一日中チェアの移動の必
要もなくのんびり過ごすことができた。4日目は宿泊客が増えたこともあり、我々以上に
早く出た白人たちにいい場所を占拠されてしまった。仕方なく残っているチェアの中で比
較的いいと思われる場所にしたが、午後になって徐々に直射を受けることになり、チェア
を日陰に日陰にと移動させる羽目に陥った。本を読んでいて足が熱いなと思うと足が日向
に出ている。そのままにしておくと第二の火ぶくれ男になってしまう。仕方なく移動させ
て寝ころぶ。しばらくするとまた熱くなるという繰り返しだったが、赤く日焼けはしたが
何とか水包ができるのは避けられた。この日の反省からこれ以降朝食前にチェアを確保す
ることにしたが、宿泊客が増えてきた週末は団体客が入ったこともあり、
「荷物やタオルで
チェアを確保してはいけない」という掲示が出たほどだった。
中には強い日差しを嫌う人もあるようだが、プールサイドでわざと直射日光を受けて肌
を焼いている白人が圧倒的に多い。メラニン色素が少ないので日焼けしても一時的に赤く
なるだけでひどいことにはならないらしい。2日目に親方の隣のチェアで過ごしていた親
子の父親は、前日の日焼けで白い肌が真っ赤になり痛くて困っていたようだが多分これも
一時的なものだろう。親方の日焼けは直径4㎝くらいの火ぶくれになり、これを彼らに得
意気?に披露している。紫外線のより強いビーチにもオイルを塗って直射日光を受けてい
る白人が多数いる。赤道直下の強烈な日差しを直接受けて日射病や熱中症の心配はないの
かね。
我々モンゴロイドの胴長短脚6等身の体型はコーカソイドの胴短長脚8等身体型にどう
見ても見劣りする。彼らの子どもたちはそう脚は長くはないが、膝から下の長さが明らか
に違う。プールやビーチにいる日本人を含めた東洋人は数は少ないものの裸になったとき
の体型を見ればすぐ分かる。しかし若者は別にして白人の中高年者にメタボの多いこと。
これは東洋人の比ではない。巨大な脂肪の塊みたいなご婦人もいる。親方顔負けのお腹も
多い。親方は相手の腹を見ては「勝った! 負けた!」と一人で勝負している。
アクシデント
2日目の昼食は親方のネット情報で得た「Lawar Nasi Campur:ラワール・ナシチャン
プル」を食べにいくことになった。ごはんの上に魚介類を調理したものとイカ、パパイヤ、
ココナッツフレークをイカ墨とスパイスであえたラワールが乗っている食べ物らしい。こ
の店の名前は「Warung Cumi:ワルン・チュミ(イカ食堂)」
。外国人観光客に有名なレス
トラン「Warung Krishna:ワルン・クリシュナ」のすぐ傍にあるとのことでクリシュナを
地図で調べ、ホテルから2kmくらいであることがわかった。その程度の距離なら歩いて
もいいかなと歩きだしたが、熱帯の昼時に頭上から直射日光を受けて歩くつらさは相当な
もの。くねくね曲がった裏道の交差点では「ワルン・クリシュナ?」と聞いて指差しても
らうことを繰り返して行ったがなかなか目的地に着かない。これ以上行くと人家もまばら
になってしまうというところに「バリ島日本人会」の建物があったので警備員に聞くと我々
は通り過ぎてしまったらしい。一度通った道を汗をふきふき戻ること約1km、右側の少
し奥まったところにワルンがある。中を覗くと「クリシュナ」と書いてある。外には何の
表示もない。見逃すはずだ。その店の左右を確かめたところ2軒ほど戻った角で先ほど「ク
リシュナ」を聞いて指差してくれた店が「チュミ」だった。角に面したオープンな店で、
腰をおろして汗を拭う。
「冷えたビール2本!」と注文すると、冷えていない瓶2本を持っ
てお姉さんが前の店に行き、冷たいビールに換えて来た。この店には冷えたビールはなか
ったものの、冷えたビールにありつくことができて乾杯。「ラワール・ナシチャンプル」を
注文したところ、
「今日はイカが入荷していないからラワールはできない」とのこと。がっ
かりだ。ここまで熱い中を苦労してようやくたどり着いたのに。タラコならあるというの
でラワールの代わりにタラコを乗せたタラコ・ナシチャンプル定食を注文する。ビールを
飲みながら待つこと 10 分余り。タラコ・ナシチャンプルの登場だ。地元の人しか殆ど来な
い店とのことだがこれがなかなかいい味だった。辛いスープが絶品で、家内はお代りまで
して店主のおばちゃんを喜ばせた。ゆっくり食事を済ませ、少し大回りではあるがスパー
マーケットの「Hardy’s」に寄って帰ることにする。この道のりがまた大変。地図に従って
いるつもりなのだが結局また大回りして 30 分も歩いてようやく到着。買い物も簡単に済ま
せてホテルに向かう。途中「Kokoya:ここや」という炉端焼き屋の、
「午後3時~6時の間
はハッピーアワー、Bintan 小瓶ビール一本飲めばもう一本サービス」という看板に曳かれ
て入ってしまう。ホテルに帰り着いたのは4時頃。
長い昼食時間だったこともアクシデントには違いないが、アクシデントはまだあり、ま
ずホテルを出て歩き始めて 10 分ほどしたとき、私の臀部に痛みが走り、それがだんだん痺
れに変わって歩くことが難しくなってきた。こらえて無理に歩いていると今度は痺れが足
まできた。途中大きな道路を横切ったり、女性たちを待っていたりで立ち止まることで少
しは回復するので何とか大遠征を乗り切ったが、それ以降滞在中ずっとこの臀部の痛みに
は悩まされた。
その次のアクシデントは親方の足の痛みと腫れがひどくなったことだ。親方は今年の冬
場所の間、ずっと股関節の痛みに苦しんで運動らしい運動は夕飯のチャンコを運んだり、
食器を片づけたりした程度という。さらに1月末には屋根の雪下し作業の際に転倒して腰
を強打したこともあり回復が遅れていた。今回の旅も杖を持参している。そこにこの日の
大遠征は足に大きな負担を与え、足に腫れが来てしまった。疲労すると手足に腫れが出る
体質らしい。朝になると少しは引くようだが、歩くと腫れが出てくるので、これ以降昼飯
を外で摂ることは止めざるをえなくなった。
昼飯
2日目はワルン・チュミでうまいスープとタラコ・ナシチャンプルを食べたがアクシデ
ントが発生した。そのため、3日目はプールから歩いて 200mくらいのビーチ沿いにあるレ
ストラン「Komilfo:コミルフォ」で食べることにした。バリ料理のメニューから選ぶ昼食
で私は「Cap Cai:チャプチャイ(中華風野菜炒め)とナシゴレン」のセットを食べたがま
ずまずの味だった。4日目以降は親方の足の状態もあり、プールサイドのレストランから
ランチバスケットを配達してもらうことになった。ビーチボーイの従業員たちが注文を聞
きに来る。クラブサンドウィッチやホットドッグ、ピザなどである。飲み物はホテル近く
の売店で缶ビールや水を購入し、部屋の冷蔵庫で冷やしてプールサイドに持参した。バス
ケットはかなり量が多く、一つを一人で全部食べると昼飯としては重すぎることが分かっ
たので谷町夫婦は2回目以降は一つを二人で食べて十分だった。親方夫妻は個別に一つづ
つ注文していたが、ひょっとすると親方が一つ半くらい食べていたかも知れない。
最後の日は2時のチェックアウトに合わせて昼頃プールサイドから部屋に戻り、荷物を
まとめてチェックアウト、歩くのが大変な親方のためにタクシーで「ごん太」へラーメン
を食べに行った。Hardy’s の前にあるので歩いても 10 分かかるかどうかという距離だ。店
主は日本人で8年前に仕事をリタイアしたあとここで店を始めたと言っていた。ここでも
料理を作っているのも運んでいるのも現地スタッフだ。ラーメンスープの味は悪くはない
が麺に少し難があるように思った。店の壁に沿って本棚があり、文庫本を中心に大量の日
本の書籍が並んでいる。日本人観光客が置いて行ったものらしいが、
「ごん太」の会員にな
れば店に座って読むもよし、ホテルに借りて行くもよしとのこと。プールサイドで読む本
を5冊持参したが、荷物を少なくするにはここで借りるのもいいかも知れない。
マッサージ
ビーチ沿いにおばちゃんたちのやってくれるオイルマッサージ屋がある。腰や尻がいた
いのでやってもらおうと思い、いくらなのか聞いてみると1時間 10 万 rp(約 1000 円)と
言う。値切って 8 万 rp(約 800 円)でやってもらうことにした。上半身に一人、下半身に
一人が付き1時間たっぷりマッサージしてくれる。強いマッサージではないが気持ちがい
いので家内は次の日もやってもらっていた。私はもっと強いのが好みだ。5日目に夕日見
物に行ったが、そのときガイドにマッサージ屋を聞いて6日目の夕方行ってみた。マッサ
ージ屋というよりはエステが中心で、特に頼んで腰、脚を中心に強めのマッサージをやっ
てもらうことにした。1時間 30 万 rp(3000 円)
。ビーチよりも料金が高いだけあってしっ
かりとマッサージしてくれた。ガイドに言わせるとビーチのマッサージは「ゲロゲロマッ
サージ」なのだそうだ。蛙が手で水を掻くように肌を撫でるだけのマッサージということ
らしい。
ナイトマーケット
サヌールの町北部にあるナイトマーケットは大層にぎわっているとの情報で、4日目の
夜タクシーで行くことにした。屋台で夕飯を食べようという楽しみもあった。運転手がこ
こだという場所には確かに小規模なマーケットがあり、露天店が並んでいたがガイドブッ
クに書いてあるような賑やかさはない。ここではないような気がするので歩き回ること 30
分、見当たらない。地元民に尋ねても我々の行く方向とは違う方向を指さす。しばらく海
岸に沿って歩いたが戻るしかないということで大通りまで出てタクシーに乗る。2日目に
夕方ビールを飲んだ炉端焼きの「ここや」の前でタクシーを降り、この日は予定外の日本
食の夕食。そこでじっくり地図を確認したら最初にタクシーを降りたところがナイトマー
ケットだったようだ。
この日また歩きすぎたことで親方の足は益々悪化した。
夕日見物ツアー
ホテルに籠ってばかりいても退屈するので、5日目に一人 4500 円、夕食付の「Pura
Taman Ayun(タマン・アユン寺院)と Pura Tana Lot(タナロット寺院)ツアー」という
オプショナルツアーに参加することにした。1台の車に我々4人とガイド、運転手という
ツアーだ。3時頃にホテルを出発してまず「タマン・アユン寺院」へ。静かな庭園の寺院
という意味らしいが、寺院の建物と美しい庭園が水に囲まれている風景は印象的だ。バリ
島にある寺院の中で2番目に大きく、最も美しいそうだ。バリ島中央部の田園地帯を横切
って西海岸まで走り、陸から 50mばかり離れた小島の上に建つタナロット寺院に着いた。
駐車場から寺院の見える海岸までの道路の両側は土産物屋がひしめき、観光客の多さから
も大きな観光地であることがわかる。ホテルではあまり見ない東洋人観光客も多い。ちょ
うど引き潮で陸と島は歩いて渡れるので観光客が行ききしている。数十年前まではタナロ
ット寺院の建つ島と陸地はつながっていたが、波の浸食によって寺院が弧島になってしま
ったそうだ。ここから見る夕日は絶景とのことで我々を含めて多くの観光客はその時の訪
れるのを待っている。残念ながらこの日は水平線には雲がかかっていて期待の夕陽を見る
ことはできなかった。
車に戻り、暗くなりつつある道路を飛ばす。我々の乗っている車もそうだが、車は日本
製(トヨタ、スズキ、ダイハツ、三菱、ホンダなど)のワンボックスの中型車が圧倒的に
多い。車とバイクが触れんばかりに走っている。バイクは圧倒的にホンダだ。しばらく走
って Seminyak(スミニャック)の小さなホテル内のレストランで夕食を食べた。このレス
トランには宿泊客と思える大勢の東洋人が食事していたが中国語を話していたので台湾か
らの団体客かも知れない。ひょっとするとこのホテルは朝夕の食事付きで営業しているの
かも。
食事を終え、ホテルに帰る道すがらにガイドが「お土産物屋に寄ってもいいですか?」
と聞く。オプショナルツアーには黙っていてもお土産物屋はつきものだが「寄ってもいい
ですか?」と聞くところは遠慮深いのか。お土産物屋で休みながらマッサージの情報を得
た。次の日に行くことにする。エステをやるところはものすごく多いらしい。大きなホテ
ルの「スパ」はほとんどエステのようだ。9時半頃ホテルに帰った。
夕食
ホテルの掲示板に、月曜日はホテル内のイタリアンレストランでパスタやピザが特別割
引サービスで食べられるという案内が出ていた。2日目は月曜日、日中歩きすぎたのでホ
テル内のビーチ近くの「Pizza Ria:ピッツァリア」でイタ飯を食べることにした。4人が
それぞれ別のメニューを注文して4種類を皆で味わおうとパスタ類を3種類、ピザを 1 種
類注文した。まずビールで乾杯、それから出てくるイタリア料理を味わいながらワインを
楽しんだ。樹木に囲まれたオープンレストランでの夜の食事もなかなかいい雰囲気だった。
3日目はクタにある王鮭親方ご贔屓のチャイニーズレストラン「Dewi Sri:デヴィスリ」
にタクシーで行った。親方夫妻のバリ島滞在にはなくてはならないレストランだ。生け簾
を持つこのレストランでは新鮮な魚介類の中華が食べられる。エビの塩焼き、貝のピリ辛
炒め、空芯菜のニンニク炒め、マーボ豆腐、ナシゴレンなど昨年も食べた馴染みの料理だ。
この店では注文した料理の出てくるのが驚異的に速いことに驚く。注文する前に作ってい
るんじゃないかと思うほどすぐに出てくる。日本人のツアー客が何組も入っている。
4日目はナイトマーケットの屋台で食べる予定が、2日目の大遠征の途中でビール休憩
をした「Kokoya:ここや」での日本食になってしまった。サヌール地区には日本食の店が
数軒あるようだが「ここや」の経営者が日本人かどうかは分からない。しかし従業員は浴
衣など日本風の衣装で働いているし、メニューは全て日本料理だ。炉端焼きとしてあるの
で居酒屋メニューも多いが普通の食事も供している。つまみを適当に注文してビールを飲
み、最後にカツ丼でしめたが豚肉が今一うまくなかったのが残念。従業員の娘さんが可愛
かったので写真を撮らせてもらった。
5日目はオプショナルツアーでスミニャックの小さなホテル(Desamuda Villege:デサ
ムダビィレッジ)内のレストランでバリ料理の食事を摂った。テーブルの中央に異なるバ
リ料理の入った 10 ㎝角程度の小鉢が 24 個並び、それを4人で分け合ってご飯とともに食
べるという形で、野菜を使った料理が一番多く、鶏肉を使った物が数種類、魚料理もあっ
た。遅めの食事だったせいか、従業員が団体客の食後の後片付けに追われ、こちらのビー
ルやご飯の追加の注文がなかなかできなかった。しかしこの日の夕食もなかなかであった。
6日目はネット情報で安くてうまいという「Warung Parahyangan:ワルン・パラヤン
ガン」に行った。ここも元気ならば歩いて行ける距離だがタクシーを利用した。情報には
「パラヒャンガン」と書いてあるのでそう思っていたら、店では「パラヤンガン」と言っ
ている。確認するとやはり「パラヤンガン」で、hは発音しないのだ。道路に面してお世
辞にも清潔とは言えないオープンレストランだが、我々のあとからどんどん観光客が入っ
てくる。白人もいるし日本人もいる。日本人は多分我々と同じ情報を見てきたのだろう。
毎晩の仕来たり通りまずビールで乾杯。空芯菜炒め、フユンハイ(芙蓉蟹)などのインド
ネシア風中華、テールスープ、ナシゴレン・シーフードなどを食べる。味、価格からして
また来てもいいなというレストランだった。
今回のバリ島ツアーはアクシデントが発生して予定の変更もあったが、何より毎日が晴
れであったことがよかった。昨年雨にたたられたのが嘘のように「日々是晴天」であった。
帰国後に病院で検査したところ、私の臀部の痛みやしびれ、足のしびれは「脊椎管狭窄
症」の特徴的症状ということだ。しばらくは通院して様子を見ながら減量に努め、好転し
なければ何らかの処置が必要だろう。
帰国してセントレアで靴をサンダルに履き換えたときの王鮭部屋(ペンション・キング
サーモン)の福島親方の足は見るも無残だった。バリのホテルで靴を履いてからセントレ
アまで長時間締め付けられた足は、解放されたとたんにパンクせんばかりに膨張してしま
った。私の見るところ減量すればかなり好転するのではないか。今シーズンの山歩きや渓
流釣り、スキーそして旅行のために減量に臨む厳しい姿勢が望まれると思うが如何?