ショパンの子どもたち――現代ポーランドの指揮者、楽器

ショパンの子どもたち――現代ポーランドの指揮者、楽器奏者、歌手
ピアニスト
フリデリク・ショパン(Fryderyk Chopin 1810-1849)は、今日でも、最も広く認知されている
ポーランド人音楽家の一人である。ほとんどピアノのためだけに作曲し、目覚ましい演奏家でも
あった人物。ショパンの楽曲は、ポーランドの音楽学校の卒業生の全員(その中には、将来の偉
大なピアニストもいることだろう)が知っている。フリデリク・ショパン記念国際ピアノコン
クールについては、ラジオやテレビのニュースで、サッカーの試合同様に話題にされる。第 1 回
コンクールは 1927 年、以後 5 年に 1 度ワルシャワで催されている。
コンクールは、多くの偉大なポーランド人ピアニストが飛翔するためのトランポリンとなったが、
最初にその名を挙げるべきはクリスチャン・ツィメルマン(Krystian Zimerman)だろう。1956
年生まれの彼は、17 歳で早くも最初の重要な賞を受けた――フラデツ・クラロヴェ市のベートー
ヴェン国際ピアノコンクールで優勝したのだ。ツィメルマンの芸術的個性は、さまざまな力に突
き動かされる存在というロマンチックな芸術家像の正反対だ。彼は、ピアノの構造に関心を持ち、
コンサート・ホールの音響を研究し、演奏会は稀にしか開かないし、CD も出さない(出すとなる
と、権威あるドイツ・グラモフォンからである)。一方彼の解釈は常に、強い個人主義を特徴と
している。そのためにスキャンダルが爆発することもある。その例が、ショパンの「ピアノ協奏
曲」第 1・2 番だった。彼は、アレグロ・マエストーソの結びの部分に、8 小節書き加えたのだっ
た。ツィメルマンの考えは極端だとみなされることもある――ロシアには行かない(理由は、ロ
シア政府がカティン事件について明確な立場を示さなかったこと)、米国にも行かない(ミサイ
ル防衛建築計画を立てているという理由で)。聴衆のなかに彼の演奏を携帯電話で録音している
者に気づくと、演奏会を中断してしまう。
ツィメルマンの 1 年後に生まれたのが、エヴァ・ポブウォツカ(Ewa Pobłocka)だ。歌手ゾフィ
ア・ヤヌコヴィチ=ポブウォツカ(Zofia Janukowicz-Pobłocka)の娘である彼女は、母親の伴奏
者としてデビューした。おそらくはヨーロッパのすべての国、アジア、オーストラリア、南北ア
メリカ大陸で演奏会を開いた。ソロのピアニストとしては、ロンドン交響楽団、バイエルン放送
交響楽団、ポーランド国立交響楽団、シンフォニア・ヴァルソヴィアと共演してきた。パヌフニ
ク(Panufnik)の「ピアノ協奏曲」(1961)を初めて録音し、その演奏が、1990 年「ワルシャワ
の秋」の幕を開けた――パヌフニクの音楽はこのときポーランドで初めて奏でられたのだった。
パヴェウ・シマニスキ(Paweł Szymański)も彼女に、「ピアノ協奏曲」を捧げている。
ポ ー ラ ン ド の 若 い ピ ア ニ ス ト た ち も 、 シ ョ パ ン を 演 奏 す る 。 ラ フ ァ ウ ・ ブ レ ハ チ ( Rafał
Blechacz)とヤン・リシェツキ(Jan Lisiecki)は、音楽界に重きを成すドイツ・グラモフォンと
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契約している。ブレハチは 1985 年にナクウォ・ナド・ノテチョン(Nakło nad Notecią)に生ま
れ、リシェツキは 1995 年にカナダのカルガリーに生まれた。ブレハチの目を見張らせる活躍は、
ショパン・コンクールで第 1 位を獲得した 2005 年に始まった。ヨーロッパの主要なコンサート・
ホール(モスクワのチャイコフスキー・ホール、アムステルダムのコンセルトヘボー、ロンドン
のロイヤル・フェスティバル・ホール)に出演し、日本公演旅行も行った。音楽評論家は彼につ
いて最大級の褒め言葉を使う。例えば、5 月にローマで開かれた演奏会の後に、音楽批評家たちは
書いた――「類稀な流麗さと繊細な滝のように流れるオクターブの連なりは、魔法そのものだ」
と。
ヤン・リシェツキはカナダに生まれ、9 歳でデビューした。15 歳でショパンの協奏曲を演奏し、
最初の CD をリリースした。トロントのグレン・グールド音楽院に学び、最も将来性のあるカナ
ダ人ピアニストの一人と見なされている。2013 年には、若い音楽家のためのレナード・バーンス
テイン賞を受賞した。
1913 年ワルシャワ生まれ、100 歳のヤン・エキェル(Jan Ekier)教授は、ポーランド・ピアノ音
楽界の永遠の青年と呼べるだろう。1959 年以来、フリデリク・ショパン全集ナショナル・エディ
ション(ショパンの全作品を、その最も真実の姿で出版することを目的にした企画)の編集長を
務めている。ワルシャワ、さらにはブダペスト、ボルザノ、テルアビブ、東京で開かれているた
くさんのショパン・コンクールの審査員を務めた。2010 年に引退した。今日演奏会を開いている
数百人のピアノ演奏家は、彼の教え子だ。
ハープシコード奏者
ヴワディスワフ・クウォシェヴィチ(Władysław Kłosiewicz)は、古楽を専門にし、その最大の業
績はフランソワ・クープランの全曲録音である――計 13 枚の CD,録音には 3 年を要した。アレ
クサンドラ・クシャノフスカ(Aleksandra Krzanowska)は現代音楽を多く演奏し、「大聖堂でア
コーデオンを」(”Katedra na akordeon”)に参加した。彼女の父アンジェイが書いた曲も演奏さ
れた。マウゴジャタ・サルバク(Małgorzata Sarbak)も、パヴェウ・シマニスキなどの現代音楽
を演奏しているが、ヨハン・セバスチェン・バッハのパルティータ全曲の CD も録音している。
興味深いことに、彼女はそれをジャズのインディーズ系出版社 Lado ABC からリリースしたのだ。
彼女は、「ハープシコードの演奏を手がけるピアニストは、誰でも、この楽器に墓場に入るまで
続く愛情を抱いてしまう。最も多くの場合、ピアノを捨ててしまう。そうでないピアニストに、
私は出会ったことがない」――と culture.pl のインタビューで語った。
古楽演奏者
古楽フェスティバルに関して、ポーランドの聴衆は恵まれている。10 数年前から、ポーランドで
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は、この分野の音楽を愛好する人たちのための重要な催し物が多数開かれている。そのうち最も
重要なのは、1966 年からヴロツワフで催されている国際音楽祭「Wratislavia Cantans(ヴラティ
スラヴィア・カンタンス)」だ。音楽祭と同年に、Cantores Minores Wratislavienses(カント
レス・ミノレス・ヴラティスラヴィエンセス)合唱団が生まれ、そのメンバーの中から、「ヴロ
ツワフの室内楽奏者」楽団が誕生した。これらの楽団は、権威あるフェスティバルでたびたび演
奏会を開くだけでなく、教育プログラムも実施している――400 回以上のコンサートを農村部の
ために開き、青少年のためにも同数のコンサートを行ってきた。21 世紀になってヴロツワフには、
古楽を演奏する新しい楽団 Ars Cantus(アルス・カントゥス)が生まれた。彼らの演奏曲の精髄
は、下シロンスク地方の音楽遺産、14-15 世紀の写譜や刊本に記された作品であり、おそらくは
作品が書かれてから初めての演奏である。CD に録音され、アルス・カントゥスはポーランドで多
くの賞を受けてきた。2004 年、彼らの演奏会は録音され、ヨーロッパ放送協会加盟国で放送され
た。
ポーランド南部には、1960 年に指揮者スタニスワフ・ガウォニスキ(Stanisław Gałoński)が結
成し 、 約 40 年に わたって その監督を 務めている 、もう一つ の重要な古 楽演奏 団 Capella
Cracoviensis(カペラ・クラコヴィエンシス)がある。その演奏曲目は大かかりなものばかりだ。
『フィガロの結婚』の演奏会版、ヘンデルの 3 つの大オラトリオ、バッハ、モーツァルト、ベー
トーヴェンのミサ曲――いずれも、入念な準備と資金を要する曲ばかりである。
中世音楽を専門にしているのは Pressus 楽団。そこに属する音楽家は、演奏を行う前に詳密な調
査と学問的研究を行う。彼らの楽器は、国内外の楽器製作マイスターが製造し、中にはトルコの
楽器も含まれる。中世舞踊も Pressus 楽団の演目だ。
歌手
1966 年生まれのピョトル・ベチャワ(Piotr Beczała)はカトヴィツェ(Katowice)で学んだが、
最初の重要な役柄を歌ったのは、ザルツブルク州立劇場とチューリッヒ歌劇場だった。そのレ
パートリーには、まずモーツァルトとヴェルディの主役、スラヴ歌劇の役柄でも出演することも
しばしばだ。シロンスク生まれの歌手は大変なカリスマの持ち主で、オペラ歌手がポップ・シン
ガーやハリウッド・スターと同じくらい、いやそれ以上に人気があった時代の空気を再現させよ
うとするスタイルの歌唱を行う。ヤン・キェプラ(Jan Kiepura)と同年に生まれたリヒャルト・タ
ウベルに捧げたトリビュート・アルバムの宣伝を行っていたときには、タウベル自身を真似て、
しばしばエキセントリックな片眼鏡をかけて公衆の前に姿を現したものだった。2013 年のシーズ
ン幕開けにニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、『エウゲニー・オネーギン』の主役を歌っ
た。彼の出演について、熱狂的な批評が書かれた――「ネトレプコと並んで、この晩最も見事に
歌ったのは、彼だった」(「ライクリー・インポッシビリティズ」)、「ベチャワの歌唱は、優
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しくて巨きい。しかもまったく退屈ではない」(「ニューヨーク・デイリーニュース」)
ポーランドの音楽シーンで多数を占めるのは、女性歌手だ。まずはエヴァ・ポドレッシ(Ewa
Podleś、コントラルト)――彼女は、おそらく世界中の重要なオーケストラのすべてと共演し、
30 枚以上の CD を録音し、古典音楽と現代音楽をともに演奏する。ヤドヴィガ・ラッペ
(Jadwiga Rappé、アルト)は、ボルドーで開かれている若い独奏家のためのフェスティバルで
金メダルを獲得し、バッハに始まりシマノフスキ(Szymanowski)やバツェヴィチ(Bacewicz)
に 至 る さ ま ざ ま な 楽 曲 を 50 枚 近 く の CD に 録 音 し て き た 。 ア レ ク サ ン ド ラ ・ ク ジ ャ ク
(Aleksandra Kurzak、ソプラノ)はハンブルグ州立歌劇場のソリストで、2010 年にスカラ座で
デビューした。アンナ・ラジイェフスカ(Anna Radziejewska、メゾソプラノ)は、パデレフスキ
(Paderewski)とシマノフスキの歌曲を録音したが、若いポーランドの作曲家とも協働している
――オペラ「Transcryptum」で彼女のために難しい役柄を想像した、ヴォイテク・ブレハジュ
(Wojtek Blecharz)などだ。
弦楽四重奏団
2 挺のバイオリン、ヴィオラ、チェロから成る弦楽四重奏は、バロック時代から今日に至るまで、
最も好んで使われる編成である。ポーランドの作曲家たちもこの形式を好み、シマノフスキ、グ
レツキ(Górecki)、シャロネク(Szalonek)、ムィキェティン(Mykietyn)、シマンスキ等々が
曲を書いてきた。一言で言えば、ポーランドの作曲家のほとんどすべてである……「ほとんど」
というのは、ショパンは書いていないからだ。それ故に、今日のポーランドにはたくさんの弦楽
四重奏団があり、大成功を収めているグループもある。
Apollon Musagète Quartet(アポロン・ムサジェット四重奏団)は世界の弦楽四重奏団のトップ
に数えられている。多くの重要なコンクールに優勝し、世界の最も権威ある演奏会場に出演して
きた。楽団はウィーンに同時に留学していた 4 人のポーランド人演奏家によって結成された。
ミュンヘンの第 57 回ARD音楽コンクールに優勝し、2012-2014 年のBBCラジオ第 3 放送の
「新世代の芸術家」プログラムへの参加を認められ、その結果、彼らの英国におけるコンサート
と録音が精力的に行われることになった。2013 年には、今年記念の年を迎える、ルトスワフスキ、
グレツキ、ペンデレツキという 3 人の作曲家に捧げられた CD「Multitude(マルチチュード)」が
リリースされた。楽団メンバーの書いた曲も含まれている。
Kwartet Śląski(シロンスク四重奏団)は、1978 年に結成されたベテランの楽団である。その第
一バイオリン奏者はマレク・モシ(Marek Moś)、今日では AUKSO 交響楽団の芸術監督を務め
ている。30 年以上の活動期間に多くの賞を受けてきた――フリデリク賞に始まり、文化国家遺産
省大臣が授与する「文化功労賞グロリア・アルティス」勲章に至るまで。数十の楽曲の初演を
行ってきた彼らのレパートリーは、300 以上。1992 年には、音楽ジャーナリストから、「シロン
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ス ク 四 重 奏 団 は 今 日 、 ポ ー ラ ン ド 室 内 楽 の 頂 点 だ 」 ( ア ダ ム ・ ヴ ァ ラ チ ニ ス キ Adam
Walaciński)との評を受け、2007 年には「この楽団の演奏の特徴は、奇跡のようなハーモニー創
造と、私なりの言い方を用いるならば、『集合的な想像力』『すべての要素における意図の共
有』である」(ヴィトルド・パプロツキ「ルフ・ムズィチヌィ(音楽の動き)」誌)
Lutosławski String Quartet(ルトスワフスキ弦楽四重奏団)は 2007 年に結成され、20 世紀
ポーランド作曲家の音楽を専門にしている。ルトスワフスキの他に、バツェヴィチ、ベアド
(Baird)、ラソニ(Lasoń)、シマノフスキも演奏する。ショパン・コンクールに入賞したユー
ジン・インジチ、カナダのジャズ・トランペット奏者ケニー・ウィラー、古典音楽とジャズの即
興を他の演奏家には見られないほど見事に融合させるピアニスト、ウリ・ケインと共演してきた。
Royal String Quartet(ローヤル弦楽四重奏団)は、これまでにその名を挙げてきた楽団と比較す
るならば、「中年」世代に属する。1998 年に結成され、活動の初期に、偉大な教授たちの教えを
受けてきた。まずは、カメラタとヴィラヌフの四重奏団の名匠たちから、次にはアルバン・ベル
ク四重奏団のマイスター・クラスにおいて。2004-6 年には BBC の新世代の芸術家プログラムに
加わり、結果として世界の四重奏団のトップに加わった。独自のフェスティバル(ワルシャワで
の「クファルテセンツイエ Kwartesencje」)を主催し、多くの CD を録音し、その活動は古典・
現代音楽の枠を大きくはみ出している。2013 年にはピアニストのバルテック・ヴォンシク
(Bartek Wąsik)、女優のスタニスワヴァ・ツェリニスカ(Stanisława Celińska)と『新しいワル
シャワ』(”Nowa Warszawa”)というアルバムを録音した。これはワルシャワがテーマの古典歌
曲集である――ヴォンシクが新たに編曲し、ツェリニスカが歌った。「ヴォンシクのピアノとと
もに、ミュージシャンたちは、極めて密度の濃い、印象的に響く音響空間を作り上げているが、
それがしゃしゃり出すぎてツェリンスカの歌唱を邪魔することはしない」――ヤツェク・シフョ
ンデル(Jacek Świąder)は CD についてこう書いている。
近現代音楽を専門にする楽団
現代音楽の演奏には、音楽大学では習得しにくい技術が必要とされる。楽譜を読むには、音符に
ついての知識だけではなく、作曲家の主張への理解力が不可欠だ。長い時間をかけての研究だけ
でなく作曲家との協力も求められることもある。即興の才が要ることもある。ポーランドで新し
い音楽を最も興味深く演奏してみせるのは誰だろう?
新しい音楽の演奏者たちの中で際立っているのは、 2002 年以来、現代音楽と格闘を続ける
Kwartludium(クファルトルディウム)だ。この楽団は精密さと正確さに加え、自由なユーモア
のセンスを兼ね備えている。それにより、彼らの演奏会は、伝統的な交響楽団のレパートリーと
比べると截然と異なっている。彼らは、伝統を離れて、記号・絵画・表意文字で書かれたグラ
フィック楽譜、別の言い方をすると、具体的な演奏への指示よりは暗示を含んでいる楽譜の演奏
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が専門だ。デビューCD では、ポラ・ドヴルニク(Pola Dwurnik)、ラファウ・ブイノフスキ
(Rafał Bujnowski)、トフォジヴォ(Twożywo、材料)集団などのヴィジュアル・アーティス
ト」の作品を演奏した。
Kwadrofonik(クファドロフォニク)は、ルトスワフスキ・ピアノ・デュオ(Lutosławski Piano
Duo)と Hob-beatsDuo ホブビーツ・デュオという二つの豊かなキャリアを誇る楽団が合体して
できた。「ピアノは打楽器になり、打楽器が旋律楽器の役割を引き受ける」――マウゴジャタ・
イェンドルフ=ヴウォダルチク(Małgorzata Jędruch-Włodarczyk)は、クファトロノクという音
楽界の事件の全容を言葉で表そうとする――「この楽団の演奏会はいずれも、完璧な劇的構造を
持ち、音楽・演劇の演目となる」ストラヴィニスキ、シマノフスキ、ルトスワフスキ、ズィフを
演奏し、民族音楽の変装も手がけている。2006 年にはポーランド・ラジオ局主催「新しい伝
統」に優勝した。ポーランドの古い歌唱と舞踊のモチーフで、魅惑的な CD「フォークラヴ」
(”Folklove”)を録音した。
珍しい編成のデュオがある。アコーデオンとチェロがコラボする TWOgether Duo(トゥギャ
ザー・デュオ)だ。彼らは、バッハとピアソラを演奏するが、彼らのプログラムの中心は最も新
しいポーランド音楽だ。ペンデレツキとクレンティ(Kulenty)の他、経験豊富な作曲の作品も演
奏する。アーティスト自ら、既成曲を自らの楽器編成のためにアレンジしているが、多くの作曲
家は類稀な音の生命の結合に関心を抱き、彼らのために新しい作品を作っている。2012 年には、
「ポリティカ」(”Polityka”)誌主催「ポリティカのパスポート」を「クラシック音楽」部門で受
賞した。
交響楽団と指揮者
最も著名なポーランドの交響楽団の本拠はワルシャワにある。1901 年 11 月 5 日に、最初の演奏
会を行った楽団である。それは国立交響楽団(フィルハルモニア・ナロドヴァ)、イグナツィ・
ヤン・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski)がソロで演奏し、権威ある当楽団の初代芸術術完
読であったエミル・ムウィナルスキ(Emil Młynarski)が指揮したのだった。ワルシャワ・フィル
はあらゆる場所で公演してきた(国内外公演は 120 回以上)。最も有名な音楽出版社(ポーラン
ド録音局に始まり、ドイツ・グラモフォン、デッカに至るまで)のために録音してきた。クラ
シック音楽界で尊敬を集める楽器奏者たちは、伝統的レパートリーの他に、多くのアニメ・シ
リーズ(カルト的人気を誇る「カーボーイ・ビーポップ」などの日本製アニメ・シリーズ)や日
本製 PC ゲーム(最もよく知られているの「ファイナル・ファンタジーXIII」)の音楽も録音して
きた。
2002-2013 年に、国立交響楽団の指揮者県芸術監督を務めたのはアントニ・ヴィット(Antoni
Wit)、彼はポーランド人作曲家作品の初演を数えきれないほど行ってきた。彼の任期中に同楽団
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は頻繁に国外公演を行い、多くの録音を実現した。最も新しい録音の一つ(ナクソスからリリー
スされたペンデレツキ作品)は、権威あるグラミー賞のトロフィーを授与された。2013 年 9 月 1
日、ヤツェク・カスプシク(Jacek Kaspszyk)がヴィトの後任者に就任した。
もう一つの著名なワルシャワ・オーケストラは、ポーランド室内楽団から独立して 1984 年に創立
されたシンフォニア・ヴァルソヴィア(Sinfonia Varsovia)である。設立のきっかけになったの
は、伝説的なアメリカの指揮者でありバイオリン奏者のユーディ・メニューヒンのポーランド公
演だった。予定されていたレパートリーを演奏するために、ポーランド室内楽団は弦楽器の数を
24 挺まで、管楽器の数を 2 倍に増強した。この楽団の設立者は、2006 年に死去したフランチ
シェク・ヴィブラニチク(Franciszek Wybrańczyk)で、最初の客演名誉指揮者の地位にはユー
ディ・メニューヒンが就いた。今日、シンフォニアの音楽監督はフランスの指揮者マーク・ミン
コフスキ(Marc Minkowski)、芸術監督はクシシュトフ・ペンデレツキ(!)である。シンフォ
ニアの本拠はプラガ地区のグロホフスカ通りにあり、そこではすべての人がふらりと立ち寄って
聴ける室内楽の演奏会がしばしば開かれている。その他、オーケストラは、定期的にさまざまな
世界フェスティバルに参加している。その一つが、ナント、ワイダ、東京、リオデジャネイロで
開かれているラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)である。
ポーランド音楽史におけるもっとも重要なオーケストラの一つが、1930 年代にワルシャワで設立
され、戦後カトヴィツェで蘇ったポーランド放送国立交響楽団である。ヴィトルド・ルトスワフ
スキの「交響曲第 1 番」など、今日オーケストラホールの聴衆が熱心に耳を傾ける作品を初めて
演奏したのは、シロンスク地方出身の当楽団だった。今日に至るまで、当楽団はポーランド作品
の初演に関しては、主導的な役割を担っている ――カトヴィツェでは、初演フェスティバル
(Festiwal Prawykonań)が催され、最も若い作曲家(大学における勉学途中のこともしばしば)
や数十年前から音楽シーンに留まり、学校の音楽教科書の頁に記されているような芸術家に至る
まで、多くの作曲が作品を提供している。カトヴィツェの音楽家たちは録音も行い、大きな成功
を収めている。ドイツの音楽出版社ドゥクスのために行ったペンデレツキ作品の録音は、権威あ
るミデム・クラシック音楽賞を「現代音楽」部門で受けた。現在の芸術監督兼指揮者は、ドイツ
指揮界のスター、アレクダンデル・リブライヒである。
室内楽のシンフォニェッタ・クラコヴィア(Sinfonietta Cracovia)の名を落とすわけにはいかな
い。クラクフ音楽大学の学生たちが、1992 年に設立した。1994 年には、「王の首都クラクフの
オーケストラ」の称号を得た。今日、当楽団は、エルジュビェタ&クシシュトフ・ペンデレツキ
夫妻の援助と支援によって活動を行っている。監督は卓越したバイオリン奏者兼指揮者のロベル
ト・カバラ(Robert Kabara)である。シンフォニェッタ・クラコヴィアは、クラクフで催される
多くの音楽祭に参加している。なかでも、サクルム・プロファヌム(Sacrum Profanum)とアン
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サウンド(Unsound)音楽祭における彼らの演奏曲目は、音楽大学の必修楽曲からかけ離れてい
ることがおおい。サクルム・プロファヌムでは、アイスランドのグループ「múm」やニュージャ
ズ音楽のザ・シネマティク・オーケストラ(The Cinematic Orchestra)と共演した。アンサウン
ドには、ベン・フロストとダニエル・ビャルナソン(「ソラリスへの音楽」プロジェクト)、オ
ルタナティヴ・ミュージックのスター、デムダイク・ステア、ジュリア・ホルターと共同参加し
た。2013 年には、過激なアメリカ人ミュージシャン、ディーン・ブルントとともに出演した。
最も優れたポーランド室内楽団 AUKSO はティヒ(Tychy)市に設立され、そのリーダーはカリス
マ的なマレク・モシ(Marek Moś)である。当楽団が専門にするのは 19・20 世紀だが、ピアノ
フーリガンや最も著名なポーランド人ジャズ・トランペット奏者トマシュ・スタニコ(Tomasz
Stańko)やロック・グループ、Voo Voo とも協働してきた。2012 年にはアメリカの音楽出版社ノ
ンサッチ・レコードから、AUKSO のメンバーがペンデレツキの『広島の犠牲者に捧げる哀歌』を
録音した CD がリリースされた。これは、作品が誕生してからの 50 年で最も大胆な解釈だろう。
彼らの演奏は技術的な見事さで魅惑する。衝撃的であると同時に痛みに満ち、音声は耳を突き刺
し、攻撃する。
エピローグ
フランスの音楽哲学者バーナード・セヴは、「作曲家でなくても、演奏家でなくても音楽家にな
ることはできる。真実の聴き手であるだけで十分である」と語ったことがある。この場を借りて、
私が紹介してきたすべての音楽家たちに感謝したい――彼らが、数千人、数万人、数十万人の
人々を聴き手に変え、音楽という素晴らしい経験に同じように参加することを可能にしてくれる
ことに。
著者:フィリプ・レフ
翻訳:久山 宏一
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