2016/2/18 演奏会決定により、清書 スターバト・マーテルStabat Mater スターバト・マーテル(Stabat Mater、「悲しみの聖母」「聖母哀傷」)は、13世紀に生まれたカトリック教 会の聖歌の1つである。ヤーコポーネ・ダ・トーディ (Jacopone da Todi) の作とされる。題名は、最初の1行 (Stabat mater dolorosa、悲しみの聖母は立ちぬ)を省略したものである。 中世の詩の中でも極めて心を打つものの1つであり、わが子イエス・キリストが磔刑となった際、母マリアが 受けた悲しみを思う内容となっている。 中世以来、西洋音楽の多くの作曲家がこの詩に曲を付けている。中でもジョヴァンニ・ ダ・パレストリーナ、アントニオ・ヴィヴァルディ、ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ、ヨーゼフ・ ハイドン、ジョアキーノ・ロッシーニ、アントニン・ドヴォルザーク、カロル・シマノフスキ、フランシス・ プーランク、アルヴォ・ペルト、クシシュトフ・ペンデレツキなどのものが著名である。『聖歌四編』に含ま れたスターバト・マーテルの旋律はジュゼッペ・ヴェルディの最晩年の作品である。 詳細は「スターバト・マーテル (楽曲)」を参照 詩 上田 慎一(Bass)訂正推奨訳 ラテン語の強弱四歩格で書かれている。 ※ ミーラーのスターバト・マーテルにない歌詞 Stabat mater dolorosa 立っていた 母は 悲嘆にくれた Iuxta Crucem 悲しみの母は立っていた lacrimosa, すぐ近くに 十字架の 涙に咽びつつ dum pendebat Filius. ~の間 架かっていた (神の)御子が Cuius animam gementem, その人の 魂を 嘆(く)いている 十字架の傍らに、涙にくれ 御子が架けられているその間 呻き、悲しみ contristatam et dolentem (悲しむ)悲嘆にくれ そして (悲しむ)苦しみに満ちた pertransivit gladius. (通過する)刺し貫いた 剣が 剣が貫いた O quam tristis et おお どれほど 悲しい そして 傷ついた fuit illa だった あの mater Unigeniti! 母 歎くその魂を benedicta, afflicta 【fuitは英語のwas, has beenにあたる語】 祝福された (神の)独り子の ※ ああ,なんと悲しく,打ちのめされたことか ※ あれほどまでに祝福された ※ 神のひとり子の母が Quae maerebat et dolebat, (彼女は) 悲しんだ そして 苦しんだ 【quaeは関係代名詞】 1/5 2016/2/18 演奏会決定により、清書 pia Mater, dum videbat (優しい)慈愛に満ちた 母は ~の間 見ていた nati poenas inclyti. (御子の)息子の 種々の処罰を 気高い ※ そして歎き、悲しんでいた ※ 慈悲深い御母は、その子が ※ 罰[苦しみ]を受けるのを目にしながら Quis est homo qui non fleret, だれ? いる 人 ~な しない 泣いた matrem Christi si videret 母を キリストの するなら 見た in tanto supplicio? ~の中に それほどの 責め苦 ※ 涙をこぼさないものがあるだろうか ※ キリストの母が、これほどまでの ※ 責め苦の中にあるのを見て Quis non posset contristari ,誰が? ない できる 悲しむ Christi Matrem contemplari キリストの 母が (観察する)眺めるのを dolentem cum Filio? 悲しんでいる とともに (神の御)子 Pro のために peccatis (種々の)罪 vidit 見た Iesum イエスを et そして flagellis 鞭打ちに Vidit suum 見た 彼(彼女) の suae 彼の in の中に 悲しみを抱かないものがあるだろうか キリストの母が御子とともに 歎いているのを見つめて gentis 国民の その民の罪のために tormentis, (種々の)拷問 イエスが拷問を受け subditum. 服従した 鞭打たれるのを(御母は)見た dulcem Natum (甘美な)可愛い (神の)息子を 愛しい御子が 【suumは「彼」(=神)、「彼女」(=マリア)両方の解釈が可能(でも後者が自然か?)】 moriendo 死のうとする中で desolatum, (孤独に)見捨てられて 打ち捨てられて孤独に死に 【desolatumは恐らく「ラマ・サバクタニ(何故我を見捨て給うや)」を踏まえたもの moriendoはなかなか難しいが付帯状況と取るのが自然か?】 dum の中に emisit 放った spiritum. 魂を 魂へ帰っていくのを見た 【この訳は賛成できない;「魂を開放し(=死に)ながら」と解すのが自然ではないか?】 2/5 2016/2/18 演奏会決定により、清書 Fac, なす ut のように in ~において ardeat 燃える cor (気持ち)心が amando (愛すべき)愛すこと meum 私の Christum キリスト(である) 私の心を燃やしてください Deum 神を 神なるキリストへの愛で、 【「キリストである神」か「神であるキリスト」かは少々問題だがカトリックの正統教義(三位一体説)では 「本質において同一」であるからそんなに気にしなくてもいい】 ut のように Sancta 聖なる sibi 彼の complaceam. の気に入る Mater, 御母よ istud それを crucifixi 十字架に架けられた者の cordi 心に meo 私の Tui あなたの その御心にかなうように agas, 為すように fige 刻み付けよ 聖なる母よ、どうかお願いします plagas 傷々を 十字架に架けられた(御子の)傷を valide. はっきりと Nati 御子の 私の心に深く刻みつけてください vulnerati, 傷つけられた あなたの子が傷つけられ tam dignati pro me pati, これほどまで 価値ある/ のために 私の (苦しみを)受けた ありがたい poenas mecum divide. (償い)処罰 私とともに 分配する Fac me させたまえ 私に crucifixo 十字架のイエスと donec ego vixero. の限り 私の 生きる ありがたくも私のために 苦しんでくださった その罰[苦しみ]を私に分けてください tecum pie flere, 貴方と共に 敬虔に 泣く condolere, (ひどく苦痛を感じる)共に苦しむ ※ あなたと共にまことに涙を流し ※ 十字架の苦しみを感じさせてください、 ※ 私の生のある限り Eia, さあ me 私に Mater, fons 御母よ 泉 sentire 感じるよう amoris 愛の vim 意味を さあ、御母よ、愛の泉よ doloris 悲しみの 私にもあなたの強い悲しみを感じさせ 【visは極めて意味が広く解釈が難しいがしっくりくるのは「意味」か?;「力」「能力」「暴力」という意味が一般的】 fac, させてください ut tecum のように あなたとともに lugeam. (私が)嘆く あなたと共に悲しませてください 【やや意訳し過ぎ;分かりやすい(英語的な)語順にすればfac sentire me vim ut tecum lugeamで「あたかも私があなた と共に嘆いているかのようになるまで、悲しみの意味を私に実感させてください」くらいの意味が自然な解釈】 3/5 2016/2/18 演奏会決定により、清書 Iuxta Crucem tecum stare, すぐ近くに 十字架の あなたと共に 居(て)ることを et me tibi sociare そして 私が あなたと 結ぶことを in planctu desidero. のうちに 声高な嘆き 熱望する ※ 十字架の傍らにあなたと共に立ち ※ そして打ちのめされる苦しみを 【planctusは「(特に胸を打って)嘆くこと」なのでこの訳は誤解の余地あり】 ※ あなたとともにすることを私は願います Virgo 処女の virginum praeclara, 処女たちのうちの 大いに優れた いと清き乙女のなかの乙女よ mihi 私に iam non sis まだ~しない ~であれ どうか私を退けずに fac させてください Fac, させて me 私に ut のように passionis 受難を et また fac させて plagas 傷を amara, 辛らつな tecum あなたとともに plangere. 非泣する portem Christi (私が)運ぶ キリストの あなたとともに歎かせてください mortem, 死を どうかキリストの死を私に負わせ、 consortem, 共にする(者と) どうかその受難を共にさせ、 recolere. 再考する plagis 傷で そしてその傷に思いを馳せさせてください Fac させて me 私が vulnerari, 傷つけられる(ように) fac させて me Cruce inebriari, 私が 十字架(の責め苦)に 浸される(ように) どうかその傷を私に負わせてください どうか私に十字架を深く味わわせてください。 【文字通り「十字架に浸される/毒される」では不自然なのでこう解すべきか?】 et そして cruore 血に Flammis 炎 Filii. (神の御)子の ne urar 決して~ない (私が)焼かれるよう per te, Virgo, によって あなた 処女よ in ~に そして御子の血を die 日 sim (私が) ~であるよう succensus, 燃やされて defensus 守られて iudicii. 裁判の 怒りの火に燃やされることなきよう あなたによって、乙女よ、守られますように。 裁きの日には 4/5 2016/2/18 演奏会決定により、清書 Christe, キリストよ cum ~の時 sit ~であろう hinc ここから exire, 旅立つ キリストよ、私がこの世を去る時には 【sitはbe動詞にあたる語sumの接続法(≒仮定法) ;sum+不定詞でcan, may, shallにあたる意味を持つ】 da ~させる per によって Matrem me 母 私が ad ~へ palmam 栄誉 victoriae. 勝利の Quando ~するとき corpus 肉体が 御母によって私を勝利の栄誉へ 至らしめてください morietur, 亡ぶ fac, ut させてください のように animae 魂に paradisi 天国の Amen. アーメン gloria. 栄光が venire 達する 肉体が滅びる時には donetur 与えられる どうか魂に、栄光の天国を 与えてください。アーメン 5/5
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