「障害者虐待防止法を解説する」 埼玉精神神経科診療所協会会長 鈴木仁史(こうぬまクリニック院長) Ⅰ.「法」はどのようにして成立出来たか?~虐待死した障害者の仲間が決死の告発~ 平成 8 年滋賀県にある肩パッド製造工場での障害者虐待が明るみに出た。社長は同年に 従業員の年金を横領した罪で懲役 1 年 6 月の実刑判決を受けた。しかし虐待は証拠不十分 ということで不問にされた。このため元従業員らと在職中に死亡した障害者遺族計 17 人が 社長と就職をあっせんした国や県などに計 4 億 9800 万円の損害賠償を求める訴訟を起した。 その裁判記録によると「知的障害と統合失調症」の男性が工場近くの木にロープで縛られ たり、寮内では手足を鎖で縛られたりしていた。また寝袋に入れられ、首をガムテープで ぐるぐる巻きにされ、挙句の果てにコンクリート床に敷かれたダンボールの上で、体重は 半減し、衰弱したまま意識を失った。運ばれた病院での死因は悪性症候群であった。平成 2 年のことである。平成 4 年、障害を持つ従業員が仲間と相談し、労働基準監督署に日常化 している虐待の実態を社長に見つからないようにして手紙で訴えた。その内容は「社長は、 あたりちらす、ほうきのえでたたく、ひとのおしりを足でけとばす、うそをつく、バカあ つかいする」というものであった。 しかし、労基署は無反応であった。 滋賀県内の福祉施設関係者がこの深刻な事実を知り、行政に実情を訴えた。そして平成 8 年 5 月この社長は、障害年金の横領容疑で逮捕された。大津地裁での裁判で社長は虐待の 事実を否認した。しかし国は労基署に送られた告発の手紙の存在を最後は認め、裁判所も 告発の手紙を証拠と認定し、損害賠償は勝訴した。告発の手紙から 11 年後の平成 15 年の ことである。さらに裁判所は手紙について「外部からの保護、調査、指導を必要とする権 利侵害があるおそれが高いのを十分認識できたはず」として受理した労基署に責任がある と断言した。さらに「障害者が被害から自力で逃れたり、他に状況を申告することは困難 で、公的機関による積極的支援が必要だ」と指摘した。 この判決後、茨城県、福島県、福岡県などで障害者施設での虐待事件が次々と明らかに なった。これらの事実の積み重ねが平成 24 年 10 月の「障害者虐待防止法」制定へつなが ったといえるであろう。 また、児童虐待防止法(平成 8 年)と高齢者虐待防止法(平成 17 年)の先行施行も影響 していると思われる。 平成 24 年 10 月 1 日、障害者虐待防止法が施行された。この法律は正式には「障害者虐待 の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」といい、障害者虐待防止とその家 族への支援を定めたものである。 (以上は毎日新聞の記事を参考にしてまとめたものである。) 1 Ⅱ.法の目的は「障害者虐待の防止」と「養護者に対する支援」の二本立てである 第一条にこの法の目的を定めた。 「この法律は、障害者に対する虐待が障害者の尊厳を 害するものであり、障害者の自立及び社会参加にとって障害者に対する虐待を防止するこ とが極めて重要であること等に鑑み、障害者に対する虐待の禁止、障害者虐待の予防及び、 早期発見その他障害者虐待の防止等に関する国等の責務、障害者虐待を受けた障害者に対 する保護及び自立の支援のための措置、養護者の負担の軽減を図ること等の養護者に対す る養護者による障害者虐待の防止に資する支援のための措置等を定めることにより、障害 者虐待の防止、養護者への支援等に関する施策を促進し、もって障害者の権利利益の擁護 に資することを目的とする。」となっている。まとめると ①障害者虐待の禁止、予防、早期発見など国の責務 ②虐待を受けた障害者への支援 ③養護者による障害者虐待の防止に資する支援 となる。 Ⅲ.「障害者虐待」の定義は‘家族’ 、‘福祉施設職員’、‘使用者’による虐待に限定された この法律において「障害者」とは身体・知的・精神障害その他の心身の機能の障害のあ る者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活・社会生活に相当な制限を受 けるものをいう。 障害者虐待とは ①養護者(家族)による障害者虐待 ②障害者福祉施設従事者(施設職員)等による障害者虐待 ③使用者による障害者虐待 となっており、加害者を 3 種類に限定している(第二条) 。この規定には学校、保育所、 病院という場所での虐待は含まれておらず、このため後述するが虐待発見後の対応、特に 通報義務については学校、保育所、病院は義務化されていないという問題がある。 障害者虐待行為の定義については、①身体的虐待、②性的虐待、③心理的虐待、④ネグ レクト(放置) (食事や排泄の世話の放棄や必要な医療や福祉サービスを受けさせないこと)、 ⑤経済的虐待(賃金や年金を勝手に使うこと)と定義している。 Ⅳ. だれであっても障害のある人を虐待してはならないと定めた 「何人も、障害者に対し虐待をしてはならない」(第三条)と定められた。 Ⅴ.通報の義務を明記した ①養護者(家族)による障害者虐待に係わる通報(第七条)とその後の措置(第九条) について定めた 養護者による障害者虐待を発見した者は速やかに市町村に通報しなければならない。 通報を受けた市町村は立ち入り調査ができ、必要なら一時保護をすることができる。また 警察署長に援助を求めることもできる。さらに加害者である養護者について障害者への面 会を制限することもできる。 2 ②障害者福祉施設従事者(施設職員)等による障害者虐待に関わる通報(第十六条)と その後の措置(第十九条)について定めた 障害者福祉施設従事者による障害者虐待を発見した者は速やかに市町村に通報しなけれ ばならない。施設の場合は、市町村は単独で調査はできず、指導監督権限のある都道府県 と連携して施設に報告を求め、立ち入り検査をすることになる。都道府県は改善命令・勧 告、業務停止や解散の命令、認可や指定の取り消しなどを実施することができる。 ③使用者による障害者虐待に係わる通報(第二十二条、 )とその後の措置(第二十六条) について定めた 使用者による障害者虐待を発見した者は速やかに市町村に通報しなければならない。職 場の場合は、通報を受けた市町村は都道府県に報告し、都道府県労働局(労働局長・労働 基準監督署長・公共職業安定署長)が立ち入り調査に当たることになる。労働局が是正指 導・勧告を行うことができる。 また②③の通報者が職場で解雇されるような不当な扱いを受けることを禁じている。 Ⅵ.‘病院’、 ‘学校’、 ‘保育所’での障害者虐待は通報の義務から外れた 学校と保育所と病院での障害者虐待が通報の対象外となった。学校は校長、保育所は所 長、病院は管理者に障害者虐待防止や対応を義務付けた。 病院での障害者虐待は、精神科の入院患者や保護者が都道府県などの精神医療審査会に 退院や処遇改善を請求できる規定が精神保健福祉法にあることなどから、通報義務付けの 対象からはずれたとされている。しかし処遇改善の内容については「懲罰的な閉鎖病棟の 使用、患者の隔離及び身体的拘束の実施などの関する事項」とされており(精神保健福祉 法第三十八条の四)、Ⅲに記載した障害者虐待行為とは重ならない。しかも処遇改善の請求 者は本人と保護者に限定されており、虐待を目撃した職員や他の患者が請求できる仕組み にはなっていない。またこの法律の第三十一条には「医療機関の管理者は、(中略)医療機 関を利用する障害者に対する虐待に対処するための措置その他の当該医療機関を利用する 障害者に対する虐待を防止するため必要な措置を講ずるものとする」と抽象的表現になっ ている。これが実効化されるには患者が常時見えるところに「障害者虐待防止宣言」を貼 り出したり、被害者及び目撃者の通報窓口を院内及び院外に設置するなどが具体的に必要 であろう。 しかし虐待を目撃した職員や患者がその病院の管理者に「通報」するのに抵抗感を持つ 場合も少なくないであろうから、市町村の窓口に通報するルートを確保するべきであろう。 学校や保育所についても同じことがいえる。 Ⅶ.虐待防止の責任(第四条)と障害者虐待防止センター(第三十二条)の設置を義務付 けた 国や自治体に障害者虐待防止の責任を負わせた。またすべての市町村と東京 23 区が市町 3 村障害者虐待防止センター機能を持つことが義務付けられ、養護者(家族)と障害者福祉 施設従事者(施設職員)からの障害者虐待の通報を受理しその後の措置が業務とされた。 また防止に向けた職員研修や強度行動障害への支援技術の確立に努めなければならないと し、通報・相談を原則 365 日、24 時間受け付けることになった。 しかし障害者虐待防止センター設置の予算を国は組んでおらず、外部に業務委託できる とした(第三十三条)ため、厚労省の調査では全体の約 3 割が外部への委託である。社会 福祉法人の障害者生活支援センターへの委託が多いが、このためセンターの業務量の増加 が問題になっている。また株式会社に委託した自治体もある。 Ⅷ. 都道府県障害者権利擁護センターの設置(第三十六条)を義務付けた また都道府県に、使用者からの障害者虐待通報を受け付ける都道府県障害者権利擁護セン ターの設置を義務付けている。このセンターではⅤの③に記載した業務を行う。またこの センターも外部委託可能である。 Ⅸ.まとめ 平成 24 年 10 月 1 日、施行された障害者虐待防止法について概説しながらいくつかの問 題点を指摘した。繰り返しだが、この法律は正式には「障害者虐待の防止、障害者の養護 者に対する支援等に関する法律」といい、障害者虐待防止とその家族への支援をさだめた ものである。これを分かりやすく図示した(図1、毎日新聞、9 月 30 日のクローズアップ 2012 を改変)。 虐待発見から調査への流れ 報告 通報 報告 通知 発見者 都道府県 市区町村 労働局 (虐待防止センター) 発見 ・聞き取り調査 ・立ち入り検査 ・立ち入り調査 身体・生命への危険 (市区町村と連携) ・是正指導・勧告 ・立ち入り調査 ・改善命令・勧告 ・一時保護 ・警察への援助要請 虐待・疑い 事例 虐待の 家庭 福祉施設 事業所 病院・学校 発生場所 (通報義務の対象外) 4 図1 多くの障害者の虐待被害の犠牲の上にようやく成立した障害者虐待防止法により、これ まで埋もれていた虐待の早期発見の期待が高まっているが、以上述べてきたように、問題 点も少なくない。 ①虐待防止の責任主体である国や自治体の人員配備の整備の遅れ ②虐待防止センターの民間委託が 3 割にものぼる ③学校、保育所、病院が通報義務対象からはずれた ④施設や職場で虐待通報の調査は市町村が直接調査できず、都道府県の責任となった などを指摘しておきたい。 なおこの法律の附則抄、第二条に施行後三年をめどに検討されることが定められた。 私はは埼玉県さいたま市(政令市)の「精神医療審査会」の委員と「障害者の権利の擁 護に関する委員会」の委員を委嘱されている。さいたま市は平成 23 年 3 月に「誰もが共に 暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例」 (ノーマライゼーション条例)を制定し、 平成 24 年 4 月 1 日をもって全面施行された。この条例作成の準備の段階で、「障害者虐待 防止法」の内容について検討され、不十分な部分については、 「ノーマライゼーション条例」 に盛り込むことになった。その結果、通報義務対象者は学校、保育所、病院も含め、全て の市民となり、通報窓口は市長と明記された。通報窓口は具体的には各区役所の障害者窓 口(支援課)と各区障害者生活支援センター(委嘱)とされており、今後の行政と支援セ ンターとの任務分担のありようと連携の質が注目される。 5
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